TRPG総合研究室 LOG 080

TRPG総合研究室の2001年12月12日から2001年12月20日までのログです。


2001年12月20日:20時18分20秒
【TRPGの自由】整理:比較ゲーム分析として(3) / トモス
3)まとめ

比較ゲーム分析の議論としては、TRPGは未定義性があり、流動性があり、ゲーム核と実装面の不可分性があり、メインゲームの開放性がある。そうした議論に対する反論ももちろん成り立つ(他のゲームにもそれがある、とする立場からも、TRPGにはそうした性質はない、とする立場からも。後者の立場は追求されていませんが。)けれども、程度の差として、TRPGはどうやらそうした性質が高いと感じさせるような特性を持っている点ではおそらく独自だと思われる。
この独自性は、TRPGにおいて自由が制御できず望ましくない事態に陥ること、自由が活用できるために楽しみが得られること、の2つの性質を成り立たせている。
諸性質がTRPGに独特かどうか、諸性質間の関係、他にどのような性質がTRPGにおける自由の独自性を特徴づけているか、については今後の課題になっている。

以上です。

投稿する段になって、LISTさんから状況確認の投稿があったことに気づきました。この再整理がお役に立てるといいのですが。。。
2001年12月20日:20時15分03秒
【TRPGの自由】整理:比較ゲーム分析として(2) / トモス
2)ゲームの諸性質について

ゲーム核と実装の区別(境界の問題)、固定性/流動性という性質、開放性/閉鎖性という性質、多重構造性(サブゲームの存在)、多目的性、などの議論が出ているので、それがどの程度【TRPGの自由】に関係するのかを整理してみます。まだ多くの議論がされたわけではなく、例によって僕はいろいろ疑問や誤解を抱えている状態だと思うのですが、所々踏み込んだ解釈を交えます。

まず、今まで余り異論が出てない点ですが、TRPGでは手の総体の未定義性があるためにプレイヤーの自由がある、という論点を再記しておきます。将棋などでも実装面とされる部分で似たような自由があり、これがゲーム核と区別できないとする不可分派の立場からは、TRPGと他のゲームの間には本質的な自由度の差が無いはず、という議論になるわけです。手以外にも、勝利条件、世界設定、プレイングスタイルなど未定義の要素はTRPGにはいろいろあります。
また、ルールは自然言語を用いて架空現実を扱うため、解釈の余地が残されることになります。これは未定義性と違うのかどうかまだ考えていませんが、一応別記しておきます。

ゲームの境界の曖昧さ(ゲームの手と実装面の事情である他の行動との区別のつけにくさ)については既に上に述べたので、省略します。

固定性・流動性の議論はLISTさんの投稿から。これは、ゲーム核だけととっても、変動しやすい(「別のゲームへ移行」しやすい)ものとそうでないものとがある、という事情を捉えるための概念と位置づけられます。いわゆるゲームバランスと呼ばれるものも、勝利条件も、関連データやルールも変動するケースが考えられる、というものです。全てのセッションで変動が生じるとは限らず、傾向・可能性の問題ですが。また、変動が実際には追加なのか特定化なのか変更なのかも遊び手の方針などによっていろいろと左右される可能性が考えられます。セッション運営など「実装」領域(としておきます。合意があったわけではありませんが)の流動性もあり、更に「同じゲーム」「別のゲーム」をどう定義するかの問題もあり、疑問が山積みという印象を持っています。ただ、他のゲームではこうした流動性がないのに対してTRPGにはある、という点では一致を見ているようなので、どうやらその詳細を解明するのが議論の課題、ということで話が済みそうです。これも実装とゲーム核の区別ができないという議論が成り立つ限りにおいてであって、区別が成り立たなければきっと「将棋だって別のゲームと化すことがある」みたいな話になってしまうわけですが。流動性の一部は(手や設定データやルールの)未定義性と(実装とゲーム核部分の)不可分性の2つの性質から必然的に発生する性質なのではないかと思います。プレイヤーがそれとなく今後の展開についての希望を示したことに対応してGMが追加設定を行うこと、などは流動性の例ですが、これは境界が曖昧(不可分性)で、手が定義されきっていない(未定義性)ことから来る、と論じられる気がします。流動性には別のものもありますが。

開放系/閉鎖系ゲーム。これは今のところ曖昧な概念だという感じがしますが、閉鎖系を、ルールや手続きがしっかり定義されていて、それだけでゲームが進行し、それ以外の要素が関与して来ない(外部要因からの影響を受けない)部分と仮に定義してみます。そうすると一般原則として、実装面の配慮をうまくできた場合には、ゲーム外の要因は殆どゲームに影響を与えず、閉鎖系として成立するが、調整できない場合には開放系となる、と言えるかと思います。プレイヤー間の人間関係やマナーの問題などがPCの行動と関わってくる場合があるTRPGは、この意味で開放系である、と言えます。それを閉鎖系にするための努力が、原理的には成功する保証が無い、というのが1)の論旨です。もし開放系・閉鎖系の概念がこれだけなら、実装・ゲーム核の議論と同じということになります。言い換えたことで1年前にこの場であった議論とのつながりができたことが主な収穫でしょうか。もうひとつ、別の意義があるとしたら、(僕はあると思ったのですが)TRPGでは実装から多少無理をしてでもゲーム核を区別したとしてもそのゲームは流動的であり、未定義性に満ちている。その一部だけが閉鎖系たりうる、という3重構造(サブゲーム/メインゲーム=ゲーム核/実装領域)が見えてくることだと思います。戦闘部分=ゲーム核/メインゲーム=実装領域ではなく。

多重構造性は、鍼原さんの引用した会話中のサブゲームの概念と、同じく鍼原さん引用のアキトさんのエッセイにあるもの。僕はサブゲームはメインゲームに包括された一部分という印象を受けるのですが、それを更に「戦闘部分は閉鎖系」「他の部分は開放系」と考えて、サブ・メインの関係を想定するというのが鍼原さんの議論になるでしょうか? 僕はこれを鍼原さんが「別ゲームへの移行」(TRPGの流動性)とどう関連づけているのかについて余りよくわかっていないのですが、鍼原さんはお忙しいとのことなのでとりあえず解釈してみると、開放系であるTRPGのメインゲームは流動性が高く、一部のサブゲームだけが固定性を獲得し得る、言えるかと思います。馬場講座はメインゲームのレベルで固定性を確保しようとした点が問題、と。この議論によると、戦闘部分、あるいは何であれ閉鎖系サブゲームとして成立する部分については、自由をある程度制御できる可能性があり、それ以外の部分についてはTRPGの独自性であるゲーム核部分での流動性、開放性、即ち自由の制御不可能性=活用可能性、があると思います。

最後に、12/20のmyrtさんの投稿にある多目的ゲームの概念。これも架空世界内での話です。 勝利条件が流動的であることと、目的が多数あることは非常に密接に関係があると思います。そして、自然言語を用いて架空世界を記述・描写するというゲームの性質上、これは不可避であるとも言えます。逆にこうした多目的性がTRPG独特かと言うとそうではなく、勝利条件が複数の尺度で測られるゲームはいくらでも考えられるとは思います。例えばシューティング・ゲームで「得点」と「クリアしたステージ数」が大まかにしか対応しないため、あるプレイを2つの尺度で評価できる場合などがそれです。
TRPGの特徴があるとすれば、そうした勝利条件が一部しか明示されていない点でしょうか。僕は「誰も勝利条件の全貌を知らない」という未定義性について今まで使った形容がここに当てはまる気がします。勝利条件は必ずしも唐突に、あるいはご都合主義的なプレイヤーの意思決定によって現れる(成立する)わけではない。でも全てが必然的に決められていたのではなく、状況に応じて発案・発見されるという側面がある。myrtさんの立場とは少し異なるような気もしますが。

去年の議論(僕は全く参加はしていませんが)で出てきた概念の中でこれらの話に是非入るべきだろうと思うものに「上位ルール」「メタ・ルール」などと呼ばれたものがあります。明示されていない手、設定データ、ルールなどの諸部分についても、それをGMなりプレイヤーなりが思いのままに設定してよいわけではない。どのような手が打てるか、それがどのような効果を持つか、を追加的に設定する際でも、それを拘束し、あるいは導くようなルールがある。もう少し厳密にはあるともないとも言えない形で、いろいろな影響力が働いている。
2001年12月20日:20時12分59秒
【TRPGの自由】整理:比較ゲーム分析として(1) / トモス
#鍼原さんはじめまして。

#長文投稿を気にしていたのですが、今日になって「おおむね長文になりやすい論議についてあつかいます。」とこの掲示版についての説明があるを見つけたので少し安心して書きます。もちろん、簡潔を旨としますが。

話題が各論・詳論へと拡散する予感がするので、再度整理してみます。もしかすると僕が整理の必要を過剰に感じているだけかも知れませんが。

1)自由の制御問題

TRPGの自由、という話題の文脈に即して言えば、重要なのは、以下のような問題だと思います:

TRPGにおいては「国王暗殺」「ルール通りにいたぶる自由」などを未然に防止できるという原理的な保証がないが、それは、他のゲーム(マルチプレイヤー、独り遊び共に)において実装上の事情からプレイヤーがデザイナーの予期しなかったような遊び方をして「いびつなゲーム」を経験することになる、という可能性を未然に防げるという原理的保証がないことと本質的に違うことだろうか? それともここにあるのは単なる程度の差だろうか?

こういう今までの論調と対照的な立場から同じ問題について、こうも言えると思います:

TRPGにはGMが予期しなかったひらめきや遊び手の発想の違い、独創性などが元になって思いもよらない楽しいゲームが展開することがあるし、そうした可能性を実現できるように、ゲームの構成も(GMがいる、自然言語を用いる、事前に全ての手を定義していないなど)自由を活用するための工夫が組み込まれている。これは他のゲームで遊び方を変更して思いも寄らない楽しさを享受できることと質的に違う、TRPG独自の可能性だろうか? それとも程度の差でしかないだろうか?

この、同じ問題の2つの側面を、とりあえず「自由の制御不可能性の問題」(懐の深さの欠如として議論されてきたのもこれです)と「自由の活用可能性の問題」と名づけておきます。

将棋のような一部のゲームでは実装とゲームを厳密に区別できると考える立場(分離派、の一種)があり、その立場からはTRPGは2重の未定義性を備えている(ゲーム面と実装面)ため、実装面だけで未定義性を備えているゲームとは少々違う、という意見が出せると思います。myrtさんと鍼原さんはこちらかと思います。ここで、ゲームの使い方が2通りあって紛らわしいのでとりあえず実装面と区別して用いる時のゲームを「ゲーム核」と呼ことにします。もうひとつ、遊びの一種であるところのゲームについては引き続きゲームと呼んでおきます。

それに対して、将棋についても実装とゲーム核を区別できないとする立場(不可分派)があります。担当の人がいないようなら僕はこれを擁護・追求してみようと思います。余りに重箱の隅をつつくような議論になるので意義が薄いかも知れませんが。

いずれの立場にせよ、結論としては、程度の問題であれ質的な問題であれ、TRPG独自の自由があると言っていいだろう、というところに落ち着くとは思います。

但し、後者の立場をとる場合には、「実装とゲーム核を区別しにくいために、TRPGと同じくらい自由で、かつその自由から思わぬ恩恵を受けたり被害を被ったりするゲーム」があり得るという理論的な可能性が開かれることになるので、それをもう少し具体的に例示できたら個人的にはかなりの収穫なのですが。。

言い方を換えると、一連の議論は、TRPGにどのような自由が認められるべきか、自由にまつわるどのような楽しみや利益があり、どのようなリスクがあり、それらをどのように評価するのか、という規範的な問題ではなく、それを考える上で重要になる技術論(マスタリングやセッション運営上何が可能で、何が困難か)でもないと思います。

そもそもそうした規範的な選択を迫る原因として、ゲームの諸性質(例えば手や勝利条件の未定義性)があるのではないか、というのが基本的な議論の視点だと思います。他にどのようなゲームの性質がTRPGにはあるのか、それはどの程度TRPGに独特なのか、そうした諸性質の結果、TRPGは遊び手の行為の自由をどのように制限・処理することができ、またできないゲームであるのか、というのが議論の視点です。この視点を一応、「比較ゲーム分析」と呼んでおきます。規範的議論にも大いに興味はあるのですが、これまでの議論が膨大で、僕には消化し切れていないので、蒸し返すよりはこういう違う視点の議論をする方がいい、と個人的には思っています。
2001年12月20日:18時24分02秒
[TRPGの自由]RE:複数目的ゲーム\ / LIST
ども、連続ですみません、LISTです。
 
 myrtさんの [TRPGの自由]複数目的ゲーム\ この書き込みの内容なんですが、これって、単に「目先の問題を解決しないと考えても意味が無いから先送りしていた問題が表面化した」だけで、別に、何かの変化( = 目先の目的の変化)があったとは思えないのですが。
 なぜって、それらの(未来の)選択肢は、無かったワケじゃなくて、無視されていただけで存在していたわけですから。
 そんなワケで、私的には目先の目的が変わったようには見えないのですが…
 ってゆうか、「前提が未確定で目先の目的が絞り込めない状況」だったワケですから、「目先の目的」は、変わる以前に決まっていなかった(決める事自体無意味だった)のでは…
 
 例えばこれで、「姫君を連れて帰っても金も爵位ももらえないような何かが発見された」のであれば、いままで表面化していなかった( = 先送りされていた)問題の、選択肢の内容に変化がでますが…
2001年12月20日:17時31分15秒
[TRPGの自由]状況の確認 / LIST
 ども、LISTです。
 
 どうにも私は物忘れが良いものでして、常に状況確認をしていないと、話題の中心がナニで、それがどのように進んでいるのか分からなくなってしまいがちなのです。
 あんまり頭の良くない私にも分かるように、今の状況を教えてもらえますでしょうか?
2001年12月20日:15時25分43秒
[TRPGの自由]複数目的ゲーム\ / myrt
 余計に混乱させてどうするんだという説もあるんですが、 TRPGにはサブゲームだけでなく、多目的ゲームとしての側面 もあると思います。パレート最適解を目指すやつ。 パレート最適解とは、「それよりも全面的に良い解は存在しない解」のこと です。 例えば「悪い魔法使いをやっつけて姫君を助け出せ」というような問題におい て、以下の3つの戦略が可能だとします。

A:魔法使いを倒せるが姫君は死亡
B:魔法使いを倒せないが姫君は無傷
C:魔法使いを倒せるが姫君は怪我

 このとき、AとBのどちらが良いかは断言できませんが、AよりCのほうが良いことは 断言できます。このときパレート最適な解はBとCになります。
複数のパレート最適解から1つを選ぶ問題は一般的な解が出ないから脇において、 ここでCを達成することができたとしましょう。そのあ と以下の戦略が選べるとします。

C.1:姫君と駆け落ちする。
C.2:姫君を連れ帰って金をもらう。
C.3:姫君を連れ帰って金と爵位をもらう。

 ここでは「姫君と駆け落ち」「金」「爵位」などの複数の目的があります。 これらはここで生じたのでしょうか。いや、私は最初から暗黙の目的があった のだと考えます。これらは最初は埋もれていたが、優先順位の高い事項が決定 され(考慮する必要がなくなり)、さらにこれからの戦略で左右できる状況に なったので表に現れてきたものだと。「欲が出た」というと素直でしょうか。

 ゲームに一慣性があり、しっかり定義されていてさえ目先の目的が変わる例 を示してみました。
2001年12月20日:15時23分41秒
[TRPGの自由]ゲームと実装 / myrt
 TRPG能力を維持するための飲食などは、ゲームへ影響させるためにな されるのではなく、ゲームへの影響を軽減するためになされる実装 だと思います。定義されたゲームで許された入力以外に頼った戦略を立て る(ex:花粉をつけてくる)とか、勝手に不利になる(ex:朝飯を抜いてきて突然 倒れる)とかは望ましくなく、それが決定打となって勝敗が決まれば「ア ンフェアなゲームだった」とみなされるでしょう。

 また理論的に語るときは、実装による影響がある場合でも無視します。 例えば将棋の定石を解説した本に、「この一連の手は、1時間戦なら15秒以内、 3時間戦なら30秒以内に打ち切れるように特訓しよう」なんてことは書きません。

 また、障害者が競技に参加する際の配慮も参考になります。なるべく 障害者が有利にも不利にもならないように調整されています(完璧って わけにはいきせんが)。例えば将棋をする盲目の人は、手で駒を打つかわりに 口で宣言し、相手にも宣言してもらいます。

 将棋のゲーム部分は、まさしくルール、リソース、トークンです。将棋も 昔は「戦争のシミュレーション」としての抽象的な側面があったのかもし れませんが、今やそれとは乖離しています。

 ただこのように奇麗にゲームと実装が分かれるのは、将棋やコンピュータ ゲームなどの人工言語で記述しきることができるごく一部のゲームだけであ るような気もしています。
2001年12月19日:22時04分43秒
【TRPGの自由】プレイ環境に対してほぼ閉鎖系(Re:ゲーム間の移行の自由) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>トモスさん
 連続でどーもです。
 横レスになります。
 恐縮です。
 ちょっと思いついたことを、コメントさせてください。(チャチャみたいなまぜっかえし、or、ピントはずれになんないといいんですけど)
 
@トモスさんWrote (「[TRPGの自由]実装上の問題」,当掲示板,2001年12月17日:21時17分26秒)
>ひとつ質問ですが、将棋の場合、実装でない部分(ゲーム)は何でしょうか? プログラミング言語や画像データなどと関係ない、抽象的な何かのような気がしているのですが、よくわからない部分があります。
 
 抽象的に言って論理システムだと思いますよ。
 (既にMyrtさんがそのように書かれてると思うんでいまさらなんですけど)
 
 表現を精密化すると、次のようになると思います。
 将棋の場合「ゲーム」とは、「トークンは完全に」、「ルールはほぼ」、プレイ環境に対して閉鎖系として構築される論理システム。
 
 うえで、「リソース」にトークンだけでなくて、時間を加えるて考えると「リソースもほぼ」プレイ環境に対して閉鎖系〜、と整理されるんだと思います。 
 
 Myrtさんが挙げられた「時間制限」「助言禁止」「クロスハンドの禁止」などの実装上の諸問題が、論理システムである「ゲーム」が、プレイ環境に関して開放係の関係にある(ならざるを得ない)ルール群と概括して構わないと思います。
 
 「クロスハンドの禁止」はプレイヤーの身体性に関る実装の問題で、
 「助言禁止」はプレイヤーも含む人間関係に関る実装の問題で、
 「時間制限は」プレイヤーの身体性、プレイヤーも含む人間関係双方に関る実装の問題、とでも整理できるんだと思います。
 
 アタシはトモスさんがまお考え中の整理に即すと、TRPGに関しては不可分派――TRPGに関しては「ゲームとその外部との境界線は、厳密には引くことができない」ことを重視する立場ですんで。
 トモスさんがもともと質問を向けておられるMyrtさんはまた、別の整理を、考えてられるかもしれないですけど。
 
 ほんとに簡単なコメントで失礼します。
#Myrtさんにも横レス失礼しました。 
2001年12月19日:20時11分48秒
【TRPGの自由】 RE:ゲーム間の移行の自由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>トモスさん
>Myrtさん
>Listさん
 
 こんにちは☆
 【TRPGの自由】ゲーム間の移行の自由」の話題は興味深く拝見してます。
 
 アタシが思うには、「的外れなことを議論してるから誰も相手にしないんじゃないか」なんてことはないように思いますけど。
 
 ちょっと今、余裕がなくって、一行掲示板からの抜書きをさせていただきます。
#この抜書きは、「有用な投稿内容については工房・匠の各掲示板に必要に応じて整形して転載することは推奨されています」との一行掲示板推奨事項に基づき、元投稿者に転載許諾を問い合わせずに行っています。
 
2001/12/19:13:41:50カンナ(鍼原神無)
 う〜、アタシもLABO書きたい……けど余裕がたりない(すん)
 
2001/12/19:14:11:31LIST
 ああ、そうか、「ひとつのゲームから別のゲームへと移行する」ってのは、カンナさんが言ってた相互作用と異口同音ですね。
2001/12/19:14:12:49LIST
 作用するからには何かしらの変化があるワケで、それは別のゲームになったっちゅーコトですからね。
 
2001/12/19:14:35:15カンナ@ばらしてやる・ばらしてやるぅぅ
 うん。後、前アキトくんが書いてた開放系の話なんですよ<ひとつのゲームから別のゲームへと移行する≪「開放系ルールとしての RPG ──あるいは RPG は将棋ではないという話」
2001/12/19:14:37:24カンナ@言いふらしてやる・言いふらしてやるぅ
 彼(アキトくん)の「開放系ルールとしての RPG 」と続けて「付け足しなんかつまらない!」読むと、そー思えます
2001/12/19:14:38:02カンナ@すっぱ抜いてやったわ☆
 あ〜スッとした(笑)
 
2001/12/19:14:52:30LIST
 …カンナさんの嫌いな馬場講座でも異口同音なんですが…  コレをゆーと、カンナさんはスッとしなくなるだろうなぁ(^^;
 
2001/12/19:14:58:41カンナ(鍼原神無)
 えー、一緒じゃないよぉ、アタシ馬場講座嫌いだけど100回くらい呼んだから断言しちゃうもん(笑)
2001/12/19:15:00:52カンナ(鍼原神無)
 馬場講座はさぁ、開放系@アキトくんで言われてる「隙間問題」を無視してるのね。複数のサブゲームの全体がやはりゲームとして処理されるって場合にだけ妥当する「特殊解」にすぎないのよぉ。
2001/12/19:15:02:11カンナ@もーオーバンぶるまい(笑)
 「特殊解」としては正しいのよね<馬場講座
 
2001/12/19:15:14:48 LIST
 そらまぁ、アレはTRPG全体を論じてるんじゃないんですから部分(特殊)であるのは当然かと。いや、少なくともお題目では。
 
2001/12/19:15:52:54ベンジャミン@重箱の隅つつき
 カンナさん、馬場講座100回呼んでも返事は返ってこないよ。
2001/12/19:15:56:09ベンジャミン@こんな感じ?
 カンナさん:馬場講座、馬場講座、…、馬場講座。?馬場講座?:…………。
 
2001/12/19:16:01:36カンナ(鍼原神無)
 ベンジャミンさん>それ怖いよぉ(笑)>馬場講座100回〔くらいは〕読んだ、です。
 
2001/12/19:16:18:12NiKe
 それはともかく、最近じゃ「RPGはミミクリとイリンクスの遊戯であり、パーツとしてアゴンとアレアの遊戯(のメカニズム)が流用されている」なんて考えてみたり。
2001/12/19:16:21:45NiKe
 “サブゲーム”は有用な概念ですね。まあ現実がそうなってるんだけど。

2001/12/19:17:39:31LIST@ジャーゴニズムほどジャーゴニズムを良く表した語は少ない
 ジャーゴン > Nikeさ
 
2001/12/19:18:26:36NiKe
 "jargon"でgooの辞書検索してしまいましたよ。(^^; そんなにヘンチクリンな言葉になってます?>LISTさん
2001年12月19日:18時45分14秒
【TRPGの自由】 RE:ゲーム間の移行の自由 / トモス
LISTさんはじめまして。
「ゲーム間の移行の自由」や「ゲームの境界の曖昧さ」については摸索しながら書いている部分が多いのでとりわけ参考になります。

Listさんは投稿では勝利条件の流動性から来る「別ゲームへの移行」を考えておられるようですが、他にもプレイスタイル、世界観、ルール、世界設定、などに関する未定義性がTRPGにはあるので、それらが追加される/具体的に限定される/変更されることで「別ゲームへの移行」が発生する場合があるかと思います。(蛇足かも知れませんが。)

ただ、いつゲームが変わるのかについては定義の仕方がいろいろあるような気がします。世界設定の追加は別ゲームへの移行にはならない、というような立場も考えられます。PCの勝利条件を魅力的に設定すること自体もTRPGの楽しみの内、プレイヤーの予期せぬ手に対処して魅力的なセッションを成立させることもGMの楽しむゲームの内、というような意見を考えれば、世界設定やルールの追加自体は「別のゲームへの移行」をもたらさない、という立場もありうると思います。*1

また、「別ゲームへの移行は、頻繁に起こしてはいけないコト」という意見の根拠として、ゲームの時間が限られていることを挙げられていますが、今まで出た意見から考えればGMのアドリブ能力の限界も重要な根拠になる場合があると思いました。*2 但し、GMの準備能力や予期能力の限界もあるので、GMのアドリブを完全に不用にすることも、全てをアドリブで片づけることと同じく荷が重過ぎると思いますが。それから、GMにそれなりの準備を期待するのでプレイヤーは軽い気持ちで自分の思った方向に自体を展開させるのはよくない、という立場もあると思います。GMが準備したものを楽しむ姿勢、少なくともある程度の敬意があるべきだ、というような。*3

また、テーブルトークを狭めるな! ではプレイスタイル上の大胆な変更(ルールはD&Dだけど内容は深淵、とか)はコンベンションでの混乱を招く、という意見が示されていますが、もっともな考えだと思います。(事実そういうことが起きているのかを判断するだけの経験は僕にはありませんが。)*4 でも、そういう限界があるからとことん制限をかけてゲームを固定させる方がいいのか、限界を越えない限りで流動性を楽しむのか、と考えると、どちらの立場も可能だと思います。

==
LISTさんのエッセイに触発されつつ、固定性と流動性を重視する立場の違いをもう少し細かく書いてみます。

ひとつは、別のゲームに移行することを危険な事、望ましくないこと、と考えて固定性を重視する立場。GMが準備してきたものを遊ぶべきであって、そのためにはGMはプレイスタイル、世界観、シナリオの目標などについて誤解がないように直接の説明や間接的な手段(PCのおかれている状況の説明など、でしょうか?)を使ってしっかりと理解を共有できるように務める。

プレイヤーは恐らくGMのメッセージをきちんと受け取る努力をするように求められる。立場によっては、ルールシステムの特性について理解していることや、GMの意図が不明確な場合にはそれを明確にするべく探りを入れる(PCを使って)、プレイヤーとして質問・提案をする、といった事柄も要求されることになると思います。
この立場をGM主導のゲーム固定派と名づけておきます。基本方針は事前の準備と、その尊重です。

コンベンションで、知らない人同士が卓を囲むということを前提にしなければ、全てをGMが決めるのではなくプレイヤーの意向を反映させることももちろんありえます。GM主導ではなく、共同で事前に了解をとることを目標とするような立場。もちろん、GMに全然イニシアチブを与えず、GMはプレイヤーのリクエストを受け付けて調整役に回る、というプレイヤー主導型も考えられます。つまり、ゲーム固定派は、GM主導だけではなく、共同型、プレイヤー主導型としても成り立ち得る。但し、事前の準備とその尊重を原則とする点では同じです。

もうひとつの立場は、流動派と呼べるようなものです。TRPGの特性として「理解を共有し切れない部分が残ることが多い」「設定や明示的な取り決めを完備し切れないことが多い」という傾向があることを積極的に捉えて、プレイスタイル(駆け引きを認めるか否か、シナリオからの逸脱をどの程度許容するか、などなど)についても、世界観や世界設定や勝利目標についても、流動性を認めるもの。GMに対する事前の準備を要求することも、プレイスタイルや運営方針についての遊び手の間での理解の共有も、必須とはしない。むしろひらめきや場の雰囲気やメンバー(GMも含め)の要望によってプレイしながら設定、特定、変更して行く。
誤解があったことが明らかになったり、そもそも方針が定まっていない側面があったりした場合には、プレイヤーがそれを利用して駆け引きや提案をすることもあり得る。ここでも、GMにどの程度の責任と権限を与えるのかについていろいろな形が考えられます。(詳細略)

以上2つの立場について、その中間形態として、「ある程度まで固定性・流動性にこだわる」ものがありますが、それ以外にももうひとつ、固定派と流動派の組み合わせとして、どのような部分を固定しどこを流動的なままにしておくか、についていろいろな立場があり得ると思います。プレイスタイルは固定しておきつつシナリオには固執しない場合など。
追加設定、具体化・特定化、設定変更、という3つの内どれを積極的に肯定し、どれを望ましくないと考えるかについてもいろいろ意見があるようです。流動派だけれど設定変更は受け入れられない、とか。

註)(敬称略)

*1 ゲームの変更の定義を考える上で参考になる議論(直接の意見ではないが)は、例えば、
正しいRPG / さわがに 2000.10.04,03:37 LOG 050
【TRPGの定義】 コスティキャンとルール改変ゲーム/ 匿名希・望 2000.11.01,20:18 LOG 054
【TRPGの定義】ゲーム中デザインの意義/Purple 2000.10.29,03:44 LOG 054
【TRPGの定義】2つの主張/myrt 2000.10.30,10:42 LOG 054
【TRPGの定義】2種類のゲームデザイン/SHiN 2000.11.02,14:38 LOG 055
【ゲーム中デザイン】Re:2種類のゲーム中デザイン / myrt 2000.11.04,14:54LOG 055
*2 アドリブ能力の限界を根拠として、「別ゲームへの移行」の制限を提案する立場の例としては、
宇津見@ぼくも赤箱だよ(マンチキン)/RE:TRPGどは・(SESSION、TRPGFREE等で議論していただいている皆様へ)/宇津見 2001.11.12,23:29 LOG 070
*3 GMの準備したものを遊ぶことを重視する立場の例としては、
自己満足・自己完結/SeyfertSluw 2001.11.03,16:50 LOG 069
カチンときたよ/ゴン 2001.11.12,19:44 LOG 070
*4 同様の論は、
ふさわしいプレイ (LIST)などにも展開されている。
2001年12月19日:13時13分57秒
【TRPGの自由】 RE:ゲーム間の移行の自由 / LIST
 ども、LISTです。
 
 ちらっと名前が出たようなので、ちょっとだけ参加してみたり。
 
>僕は反対の立場も可能だと思いました。TRPGは、将棋とは違って、あるゲームが明確に定義されていない度合いが高く、ひとつのゲームから別のゲームへと移行することが容易であり、他のゲームよりも頻繁に起こる、とも。
 
 ええと、私の考えでは、テーブルトークというのは、トモスさんのいいかたを流用すると、「ひとつのゲームから別のゲームへと移行する」ゲームなんです。
 ただ、現実問題として時間は有限なので、どっかキリの良いところで区切らないと、いつまで経ってもゲームが終了しません。
 また、目標(終了条件)が見えない場合、ゲーム展開のメリハリの付けようが無くなりますし、伏線を張るといった事も難しくなりますし、新たな目標の提示によってそれまでの努力や思惑が台無しにされる事もあります。
 これらの問題は、ゲームをゲームとしてテクニカルに進めるタイプの楽しさを失う事につながります。
 ですから、実装? の問題として、別ゲームへの移行は、頻繁に起こしてはいけないコトだと思います。
(もちろんプレイ時間が永遠にあるなら話しは別ですが…)。
 
 
 むぅ。永遠のプレイ時間と書いていて、昔のテーブルトークの解説本で見かけた言葉を思い出しました。
「キャンペーンをやらないとTRPGの楽しさを知ったとは言えない」(文言はかなりアヤフヤ)。
 つまり、テーブルトークは「別ゲームへの移行が可能なゲームであり、これが他で余り見ない特色である」私はこう思うワケです。
 ただ、そうであってもプレイ時間自体は有限ですので、いつかどこかで固定された目標(言い換えれば終了条件)を決めなければならないと思います。
 この時点で、テーブルトークも他のゲーム(野球なりCRPGなり)と同じように、(選択肢が多いという美点はあるにせよ)目的達成ゲームになるでしょう。
 
 ええと、もちろん上でいったのと全く同じように、新たな目標の提示によって不要だったものや省みられなかったものが有効活用される事も出てくるでしょうけれども、こちらは、どちらかといえば偶然の事でしょう。
(TCGであれば、エラッタやレギュレーション変更、そして新カードの登場などによって、意図的にヘボカードのクローズアップが行われていますが、TRPGとは事情が違うと思います)。
 
 ええと、この辺に絡みそうな話しをHP記事として私のHPに書いています。
 気が向いたら「D&D専科」のTRPGコラムでも見てみて下さい。
 
 とりとめが無くなってしまいましたので、いまはこの辺で…
2001年12月17日:22時06分34秒
【TRPGの自由】ゲーム間の移行の自由 / トモス
>>現在思考中の事象:

・プレイ中の目的の変更について。マリオブラザーズ(任天堂社)において、すみやかに協力プレイから殺し合いに移行するメカニズムの分析と、 TRPGへの応用<<

これと関係がありそうなことで僕が考えていることをひとつ。勘違いかも知れませんが。

将棋で遊んでいる間に「じゃあ今から歩は一度に2回動いてもいいことにしよう」という取り決めが起ってオーソドックスな将棋でない別のゲームが始まるという可能性があります。

これを別のゲームと呼ぶ根拠を「ゲームバランス」と言うことには問題がありそうです。何故なら、ゲームバランスは天候や空腹や対戦相手の威嚇的な目つきなどによっても変動してしまうからです。
ゲームバランスの定義にもよりますが。

同じトークンを使っていること、似たような(とても感覚的な言い方ですが)ルールであること、など幾つかの条件を参考に「これとこれは別のゲーム」「これは同じ」などと分けている気がします。何が実装であり、何がゲームであるかの区別は、ここにも関わっていると思います。そして、たぶん、TRPGでは何が同じゲームで何が違うゲームなのかを定義することが少々ややこしい作業になると思います。

TRPGは設定やルールが追加されるだけでなく、暗黙の内に前提されていたプレイスタイルについてのルールが(誰にも何の悪意もないままに)破られ、結果としてそのルールが変更される、という可能性があります。悪意もないままに、プレイヤーから提案が出され、明示されていなかったルールがある程度変更された上で明示される、ということも起こり得ます。世界設定についても、もちろん起こり得ます。

国王暗殺というPCの目標をGMに知られないままに持っていたという例の話(*1、*2)ですが、僕がひっかかっているのは、重要なNPCである国王を暗殺された場合にGMが何か裏切られたとか図られたと思う場合もあれば、面白いことになったと思うこともある、という点です。GMの腕前やシナリオの準備状況などいろいろな要素が関係するのですが、その中には、例えば暗殺を宣言した時のプレイヤーの声色や表情も含まれていると思います。自分がGMで、プレイヤーがいかにも楽しそうに目を輝かせて宣言していたら、つい禁止しそびれてしまう、というようなことも例えば想像できます。
「それは楽しいかも知れないが、危険過ぎるのでTRPGの遊び方としては認めてはいけない」という立場があることはわかりますが。

それから、LISTさんがこんなことを書いています。
>>TRPGという(具体名の)ゲームは存在しませんが、それでも実際のプレイにおいて「TRPGは自由だから」という理由で「自由」な行動を許さなければならないのでしょうか?
ああ、もちろんTRPGというジャンル名称はありますよ。こちらの方は、きっとよくご存知だと思いますけど。<<*3

僕は反対の立場も可能だと思いました。TRPGは、将棋とは違って、あるゲームが明確に定義されていない度合いが高く、ひとつのゲームから別のゲームへと移行することが容易であり、他のゲームよりも頻繁に起こる、とも。

もちろんゲームをどう定義するかによるのですが。

こうしたあれこれは、わかりやすく言えばゲームをデザインする自由で、実装も、ゲーム部分も含め、GM、プレイヤー両方が幾つかの形で行使できる自由だと思います。その中にはプレイ中に行われるものがあり、これは、言う人に言わせれば「あるゲームから別のゲームへの移行」ということにもなると思います。これを自由と考えるかどうかについて異論もあるでしょうが、TRPGの特性とは言えるかと思います。

*1 2001年11月12日:11時48分57秒 TRPGとは・(SESSION、TRPGFREE等で議論していただいている皆様へ)/古参マスター

及び以後の反応。あきのり(11/12)古参マスター(11/12、15時)など。

*2 2001年12月12日:12時15分01秒 [TRPGでの自由]唐突な暗殺の話でひっかかっていること / myrt

*3 2001年11月12日TRPGなど無い(RE:TRPGとは(後略))/LIST


2001年12月17日:21時17分26秒
[TRPGの自由]実装上の問題 / トモス
実装とゲームの区別を導入するという提案を吟味してみます。

0 議論の争点と意義

TRPGでGMは、プレイ中に何が起りうるかを事前に予測し切ることができない。この原因は「ゲーム世界内の未決定性」と「実装上の未決定性」に分類できるか。できないか。予測し切れない面があるという点では一致していると思うので、やや些末な議論という感じもしますが、TRPGの独自性をどう捉えるか(他のゲームよりも未決定性が高いだけなのか、他のゲームにはないような種類の未決定性の発生源があるのか)という議論ではあります。

1 同論

myrtさんの投稿を読んでから今までのやりとりを見直して気が付いたのですが、僕もしばしばmyrtさんとよく似た分類法を採用しています。12/13トモス(3)のコメント4は、実際、TRPGでの「架空世界内」の問題と、「遊び方」の問題という区別を使っています。遊び方は実装の仕方のことだ、としていいような気がします。

>>コメント4のTRPGでないゲームに関してですが、「遊び方を定義する時には、部分的に自然言語を使う」という点に疑問を感じます。理想的な将棋を想定したとき、その記述に自然言語は必要ありません(でなければコンピュータ将棋なんて作れない)。 <<(12/14, myrt)

とmyrtさんは書かれていますが、遊び方はゲームの仕組みとは違って、人工言語で記述し切れない、ということは、実装と言い換えれば同意してもらえるのではないでしょうか?

言い換えれば、TRPGは、実装の仕方と、ゲーム内世界の両方に関して、未定義性を抱えており、GMにとって予想外の事態が発生する原因が、他のゲームよりも多い。他のゲームは未定義性は実装面に集中しています。myrtさんが指摘している通り、スポーツも同様の問題を抱えていると思います。
PCが架空世界内でとれる行動の総体も、プレイヤーが競技中にとれる身体動作の総体も、定義されていないので、何が起るかについて予測し切れない面がある。

将棋の実装をめぐって生じる問題は、TRPGの「プレイスタイル」「セッション運営方針」などをめぐって生じる問題と同じだと思います。ゲームを「いびつ」にする要因は、いわばゲーム時空間外の行動から来る可能性がある。たぶんこの点で意見の一致を見ていると思うのですが、念のため明記しておきます。

例えばわざわざ花粉の多い場所を通ってゲームを会場にやって来て、相手に花粉症を引き起こす、という場合は、ゲーム外の手を使って自分以外のゲームの遊び手に影響を与えるものです。

2 異論

でも、僕はこういう風にも書いています。
>>もう少し厳密には、「そもそも正しい将棋を知っている人はいない。思いもかけない手が発見されたら、それを認めるか禁じるかで専門家の間ですら意見が分かれる可能性がある」とすら言える気がします。「だから正しい将棋を説明し切れるわけもない」と。<<(12/14,トモス)

今から考えると立場の矛盾ですが、別に論争をやっているわけではないので、こちらの立場の方も少し追求してみます。この立場によると、「ゲームとその外部との境界線は、厳密には引くことができない」ということになると思います。僕は確かにそんな予感がしています。プレイ内の「手」とそれ以外の行動についての分離ができない。(以下、分離派と不可分派と呼んでおきます。)

上の投稿中に示唆されているのは、「何をしてはいけないか」を完全に説明することができないので思いもかけない「手」をプレイヤーが打つ可能性を防げない、という意見です。言い換えると、「ゲームの進行に影響を与えうる様々な行為」の中で何が「手」であり何がそれ以外の行為なのかを完全に教えるはことできない、という立場です。

分離派はこれに対して、「将棋のようなゲームであれば、全ての可能な手を説明し、それ以外の行動は手ではない、と説明すればいい。」と反論できそうです。だとしたら、将棋は実装の問題はあるけれども、ゲームシステム自体は明確、と言えるということになります。
これに反論する不可分派は、例えば「ポーカー」をコンピュータとの対戦にしてしまうと、相手の表情や仕草を読むことで賭けに勝つ、という戦略が採用できなくなるので「それはもはやポーカーではない。」という主張を持ち出すとしてみます。将棋でも、「盤上の駒の動きだけ(というかそれも実装の要素が入るので、一連の変数、値、関数、指定の入力用変数の値を決める行為=手)がゲームの本質だと考えるのは間違いか、せいぜいのところ将棋についての一解釈でしかない」と。

「勝利条件の達成にとって本質的な行動だけを手とし、それ以外の行動は手と考えないならば、表情や仕草は実装上の問題だと考えられるし、駒を動かすことはゲームの手と考えられるので区別がつくはずだ」というのがもうひとつ考えられる分離派の議論ですが、これに対しても、
a)手の中には明らかな悪手など勝利条件の達成にとって本質的な行動でないものが含まれる。
b)PBMで将棋やRPGをプレイする場合には、プレイが数週間に渡るため飲食をして健康を保つことは必須だが、これを手と考えるのは少し妙だ。
c)勝利条件を厳密に定義することは恐らく不可能だ。
といった不可分派の反論が考えられます。
とここまで書いてきて、正直、実装とゲームは区別できるような気がしてきました。が、何故そうなのかについてはっきりとした説明が思い当たりません。ゲームとその外部を区別する境界線は常識に基づいて決めているので実は不可分、という説明が成り立たなさそうなのが何故なのかも、よくわからない。今回はここで切り上げます。

ひとつ質問ですが、将棋の場合、実装でない部分(ゲーム)は何でしょうか? プログラミング言語や画像データなどと関係ない、抽象的な何かのような気がしているのですが、よくわからない部分があります。
2001年12月17日:19時14分35秒
[TRPGの自由]ルール通りいたぶる自由:小まとめ / トモス
ちょっとまとめてみます。
他の方から見て「的外れ」に見えるかも知れない議論がどの程度的を射ていて、どの程度外しているかを僕なりに明確にさせておこうと思います。議論が途中になっているところは勝手に補って書くので要約というよりも中間的結論のようなものです。

1 経緯
僕はmyrtさんの 【TRPGの自由】ルール通りいたぶる自由(12/04)を読んで、よくわからないけど、マルチプレイヤーゲーム一般とTRPGの関係については確かに自分の中にも何かもやもやした部分があると思って返事を書いてみました。後はそれにmyrtさんが返事を書き、僕がまた応答し、と進んで来ました。

僕は当初あれこれ誤解や疑問につきまとわれていたのですが、それを説明するとややこしいので深入りはよします。最初は、「ルール通りにいたぶる自由」がTRPGなどのマルチプレイヤーゲームに独特だと思い、かつ、それがそれ以前にTRPGの自由として議論されてきたものとは別種の自由(システムに推奨されることもある自由)だと思っていました。

誤解や疑問に振り回された部分を差し引いて、これまでの収穫だと考えているものを以下に書き出します。

2 議論の主な収穫

a)「ルール通りにいたぶる自由」はこれまでに議論された「国王暗殺」などと似ている問題だ。遊び手がデザイナー(+GM)の思惑を外れた遊び方をした場合にゲームがどう楽しめるのか、という問題だ。
b)CRPGや独り遊び用ゲームなどでも、マルチプレイヤーゲーム各種やTRPGでも、「ルール通りにいたぶる自由」をプレイヤーが行使する可能性はありうる。
c)そうした自由を事前に何らかの手段を講じて排除することも、ゲームにうまく取り込むことも、TRPGには、できるという保証がない。(保証がないのはできないこととは違う。できることもできないこともある、というだけだ)自由はあるのだが、行使すると楽しめるという保証がないという「不自由」とも「自由」とも少し違う「懐の深さが欠如した」ような状態になっている。
d)独り遊び用ゲームでも、いたぶる自由の行使が楽しくない場合があり、逆に同じような自由の行使がマルチプレイヤーゲームではうまくゲームに取り込めるという可能性もある。両者の間には原理的にどちらが「懐が深い」という差はない。
e)デザインの仕方次第で、CRPGであれ、TRPGであれ、他のゲームであれ、「ルール通りにいたぶる」ような行動を推奨するシステムを作ることが出来る。デザイン上の可能性としても、独り遊び用ゲームとマルチプレイヤー、CRPGとTRPGの間に、「どちらがそのような自由を与えられるか」についての差はない。
f)但し、実際には、TRPGと比べると、CRPGでは手をうまく制限することなどにより「望ましくないいたぶり」を排除し、「やってもいい」又は「やると有効な」いたぶり行為についてはデザイン上それなりに配慮しておく、という形で作られているような気もする。
g)その理由の一つは、TRPGは複雑な世界を複雑なままで扱い、プレイヤーができる入力に対する制限が明確な形では存在せず、システムとしては未完成であることだと思われる。システムはGMによってプレイ前、プレイ中に一部補完され、他の部分は未定義のままに終わる。
h)全てのゲームは、その「実装」(=遊び方)に関して、起こり得る事態を事前に完全には予期できない、という困難がある。
i)TRPGの場合には、ゲーム内でも、どのような「手」が打たれるかについて起こりうる事態を事前に完全に把握し切ることはできない、という困難がある。
j)以上2つの困難は、「明示されているルール」には従いつつも、ゲームを面白くなくならせてしまうような「いたぶり」などの行為を防止する際の困難だ。つまり、TRPGは他のゲームに輪をかけて困難を背負っているだけで、他のゲームには同じような困難がない、というわけではない。(ここはまだ議論が継続中)

3 今後の展望

僕は「ルール通りにいたぶる自由」が今まで議論したいろいろな自由とは違う種類の自由かも知れないと思ったのですが、どうも違うようです。そうすると、あれだけ今まで議論があったTRPGの自由をどうしてまたやり直すのか、はちょっと疑問です。

理由があるとしたら、一つは、TRPG独自性の問題です。将棋など他のゲームとの関連での議論はまだもう少しやってみる意義があるように思います。

もうひとつは、「ゲームの境界」をめぐる議論をすることかなと思っているのですが、うまく考えがまとまっていないので今後の投稿で書いてみます。

個人的には、予想外の事態が発生した時の対処の仕方として架空世界内での対処(追加設定−ご都合主義的と蓋然的−、設定変更)、現実世界レベルでの対処がある中でどれを選ぶかについての判断やその根拠について考えるところがあるし、myrtさんの意見をもう少し聞いてみたいのですが、それこそ今までの議論の繰り返しになりそうなので、もう少し過去ログを読んで考えてみます。

4 結論

最初の問いに戻ると、僕には、関係のない話題についての議論になってしまうことよりも今までの議論の繰り返しになってしまうことの方が心配です。議論の仕方としては、妙に定義や論理的整合性のようなものにこだわり、些末な例外をとりあげてあれこれ意見を交わすようなことになってしまう、という形では的を外すかも知れません。それは的外れな議論とは違う、ちゃんと意義のある議論だ、と感じる人もいることとは思いますが。

2001年12月17日:16時38分07秒
[TRPGの自由]実装上の問題 / myrt
 2人専用になってきてしまっているのに、書き込みが遅くて 申し訳ありません。>トモスさん
#的外れなことを議論してるから誰も相手にしないんじゃないかとちょっと不安。

 機械言語で記述されたゲームは入力が制限されていますから、これ単体は 実際のプレーヤーがどう扱うかにかかわらず分析することができます。

 例えばじゃんけんを、2人のプレーヤーが、3つの戦略のいずれかを 入力して行なう対戦ゲームであると定義しましょう。 どの戦略をとるのが有利なのかは簡単に分析できます(というか、均等にな るように作られている)。 ただし実際に人間がプレイする場合には自然言語で説明しないといけ ませんし、後出し問題などがつきまといます。これは実装上の問題だと 思います。

 例えばグーチョキパーを出したとき、それは入力制限にひっかかります。 この戦略を選べる時点でそれはじゃんけんではなく、プログラムのクラ ックに相当します。しかし後出しをしたとしても、相手の戦略を考慮 せず自分の戦略を決めたことが証明できればゲームは成立します。相手の 戦略を確認してから自分の戦略を決められるかどうかは、実装上の問題です。

 将棋にも実装上の問題はつきまといます。大会では「時間制限」「助言 禁止」の他に、クロスハンドの禁止(タイマーを叩く手は駒を指す手と同 じでなければならないが、それに対する違反)などが規定されます。

 また、将棋は持ち時間の相違(「早指し」「持ち時間3時間」など)によって 制限を変化させることができます。これらは将棋の異なった派生ゲームですが、 どちらも将棋であることには変わりありません。同様の定石が使えますし、 どちらでも詰みは詰みです。

 以上のことから、ゲームそのものとその派生ゲーム、および実装上の問題は 区別して議論すべきだと考えます。

 じゃんけんや将棋は、機械言語記述部分と実装上のルール部分が奇麗に分離しているために、機械言語記述部分を独立して分析することが可能で す(問題なく実装されたと仮定して)。 バサロ泳法の問題ではこれらをうまく分離できない(何をもって背泳と呼ぶか)他、 状態数が有限でない点で少し違うと思います--TRPGに似ているかも しれません。

 現在思考中の事象:

・プレイ中の目的の変更について。マリオブラザーズ(任天堂社)に おいて、すみやかに協力プレイから殺し合いに移行するメカニズムの分析と、 TRPGへの応用(また古い例えですみません)。
2001年12月14日:22時51分39秒
[TRPGの自由]Re:ルール通りいたぶる自由 / myrt / トモス
myrtさん、早速のお返事ありがとうございます。
質問/反論があったコメント4の話題に絞って書いてみます。

>>機械言語で記述されたゲームが忠実に動いてしまうことからくる実際のプレイの歪みがあります<<
とmyrtさんが指摘されているのは、たぶん僕が考えていることと同じか、かなり重複していると思うのですが、僕はこの点に関しては、しっかり定義されたシステムに限らない、全てのゲームに共通の問題、と考えているので、自分の言葉で言い換えてみます。ちなみに、
>>コンピューターゲームで言えば、ハイパーオリンピックに鉄定規を使うとか(古すぎ??)。<<
という例については、賛成です。もしかすると他にどういう例を問題にするかについては意見が分かれるのかも知れないのですが。(にしても古い例ですね(笑))

将棋やチェス、オセロなどのゲームをコンピュータでつくれてしまう、というのはもちろんそうなのですが、「で、このゲームはどうやって遊ぶのですか?」と「コンピュータを使うことはできても将棋を全く知らない人」が聞いたら、それを説明するにはコンピュータではなくて人間が、人工言語ではなくて自然言語を使って、説明しなければならないだろう、というのが僕の論旨です。

この部分がなければ、「ここにシステムがあります、遊びたければ勝手に勝利条件を考案して遊んでください」という程度の(あるいはもう少し厳密にはそういうメッセージすら不在の)状況ですよね。勝利条件だけではなく、システムに対してどういう入力(働きかけ)をしていいか、も定義されていません。
こういうゲームの未決定性を解消するためには「案内のための説明」のようなものが必要だと思うのですが、説明が成功するという保証はないと思います。それはTRPGで実際のプレイを始める前にプレイスタイルだとかセッションの運営方針だとか世界観について時間をかけて合意を形成しようとしても、それが成功するという原理的な保証がないのと同じです。(原理的に保証はなくても、経験的にはうまく行った、とか、統計的にはほぼ確実にうまくいくという保証が得られる、といった場合はもちろあるわけですが。成功しなかったけれども小さな失敗が起きただけで大した支障をきたさなかった、という可能性も考えられますしね。)

で、こういう風に書くと、「でも実際コンピュータに将棋の指し方を教えて、対戦プログラムを作成できるじゃないか」という反論が出てくると思います。その点についてこんな風に考えてみたらどうでしょうか (僕もまだ迷いがあるのですが):

「コンピュータのプログラムが作動している間に展開されるデータ処理の範囲の内で、コンピュータが何をしたらいいかを教えるには、人工言語でよい。データの種類やとりうる値の総体が把握できるから。」

「ところが人間にソフトの使い方を教えてやると、「要するにこのプログラムをクラックしてあのフラッグを立てればいいんじゃないか」とか、「じゃあもう一台のコンピュータを使って同じソフトを走らせて、自分がどういう手を打ったら相手がどう出るかを研究しながら対戦しよう」と考える人間がいるかも知れないし、他にも、使い方を説明した時には言及しなかった、予想外の「手」を思い付く遊び手がいるかも知れない。コンピュータのデータ処理とは違って、人間のソフトウェアの使用(やそれに関連する諸行為)は、現実世界で生じる行為だ。この総体を完全に把握し切ることはできないし、説明には自然言語を用いることになるので、将棋を正しく教えられるという原理的な保証はない。」

もう少し厳密には、「そもそも正しい将棋を知っている人はいない。思いもかけない手が発見されたら、それを認めるか禁じるかで専門家の間ですら意見が分かれる可能性がある」とすら言える気がします。「だから正しい将棋を説明し切れるわけもない」と。

以前、「バサロ泳法の制限」のようにルールが追加されることがある、という議論がありましたが、*1 それは新しい手の出現が正しい水泳競技について判断を迫った例だと思います。専門家の間で、どうするか意見が割れただろうと思います。
将棋だったら、「脳の機能拡張にコンピュータを埋め込んでいる人にどう制限をかけるか」といった問題が数十年後に出てくるとか(憶測)。

*1 2000年10月16日:12時05分49秒【RPGの定義】 / myrt TRPGLABO LOG 53

2001年12月14日:18時49分41秒
[TRPGの自由]Re:ルール通りいたぶる自由 / myrt
 私も長文を書いてしまう質なんで自制しようとはしてるのですが...

 コメント1に関して:まとめてくださってありがとうございます。 私自信漠然とした概念しか持てない部分がありました。>トモスさん

 コメント2、対処法について: 私はご都合主義的追加設定や設定変更、PLへの直接警告による対処法は 蓋然性の高い追加設定によるものと比べると望ましくない、と考えています。 だから蓋然性の高い追加設定を用いて同等以上の成果を挙げられる見込み がないなら、比較的望ましくない対処法を用いることもやむをえないと思います。 これら対処法を全否定しているように見えたならば私の表現力不足です...

 どこからがやむをえないかは問題の深刻さと設定のご都合主義的度によります。 ご都合主義的度がゼロの追加設定はゲームバランスを考慮するとやはり望ましく なかったりしますから(そもそもゼロなんてのは不可能な場合も多いと思う)、結 局参加者の好みということになってしまうと思います。 かなりご都合主義度が高くても設定変更よりはマシだというのは単に私の趣味で す。「さっきのをなかったことにする」のは一線を画していると思うので。

 コメント3については同感です。将棋で定石を知らない初心者に対しては、文 句を言わないコンピュータよりも、それなりに手加減して楽しさを教えてく れる熟練者が相手のときのほうが懐が深いと言って良いと思います。 主語は何になるんだろう...TRPGならセッション??

 コメント4のTRPGでないゲームに関してですが、「遊び方を定義する時には、 部分的に自然言語を使う」という点に疑問を感じます。理想的な将棋を想定 したとき、その記述に自然言語は必要ありません(でなければコンピュータ将 棋なんて作れない)。

 ところが、機械言語で記述されたゲームが忠実に動いてしまうことからく る実際のプレイの歪みがあります(トモスさんはこれを指しているのでしょう か)。コンピューターゲームで言えば、ハイパーオリンピックに鉄定規を使う とか(古すぎ??)。

※ハイパーオリンピックはボタンを連打するゲームだが、鉄定規をボタンに当てて 振動させることによって連打することがはやった。 筐体に傷がつくので禁止されたような。

 当時に鉄定規を持ち込む連中が絶えず、しかし現在のゲーセンにいないところ を見ると、このようなゲームのおいては裁定係よりむしろ実世界の歪みを生みに くい機械言語を記述することのほうが重視されるべきだと思います(現在の連打ゲームは2ボタン交互連射が必要なので鉄定規を使っても無駄)。

 TRPGの困難は、機械言語記述の困難さ(不可能さ??)により一線を画していると 思います(しかし戦闘ルールがある)。しかしどのくらい違うかは、「ディプロマ シーは機械言語記述だけで面白いゲームだと言えるのか」なんて問題に戻ってく ると思います。
2001年12月13日:20時27分30秒
【TRPGの自由】ルール通りいたぶる自由(3) / トモス
毎度毎度長くなってすみません。

コメント4 予防・対処の不可能性について

何故、「ルール通りにいたぶる自由」を制御できないか。あるいは何故、PCの望ましくない行動(「ぼくはパン屋」であれ「国王暗殺」であれ)を予防できる保証がないか、についていくつか(うまくまとまらない)アイディアがあるのでそれを書きます。

理由1:TRPGの特性
TRPGは

−自然言語による宣言が手の遂行になっている。予め定義された選択肢からの選択ではない。
−GMに詰めを任せている、未完成なシステムである。
−複雑な世界を扱う。この世界の法則を記述するのに必要な変数の総体とその全相関関係については誰も知らない。つまり、GMもプレイ前にシステムを完成させるわけではなく、プレイ中に完成するわけでもない。プレイしながら、必要やPLの質問に応じていろいろ作っていくし、事前にわかっている部分についてはある程度準備しておくが、全貌が明らかになることはない。(し、なったとしても、個人の知り得る量を超えてしまう。)
−プレイヤーがとれる「手」の総体も、定義され切っていない。

従って、プレイ中に架空世界内で何が起り得るか、については誰も完全には知ることができない。GMはPCの全行動可能性を事前に把握できない。望ましくないPCの行動を知り、予防することも、完全にはできない。

GMが様々な行為判定、イベント遭遇判定、シナリオ準備、プレイ中追加設定などをする際に「その世界で(PCに)起こりそうな事」の範囲に収まらないような判定結果や設定を行っていいのなら、制御できる。

あるいは、GMがPLの発想力のようなものを常に上回って、「GMの予想していなかったが、PCがやってもおかしくない行為」が行われた時に、「それに対してその世界でPCに起こりそうな事」(これがどれだけあるかは、もちろん誰も知らない)の中から、「セッションやシナリオなどに都合のいい展開」になっているものを見つけてくることが出来るなら、制御できる。

但し、この両方の制御可能性についても、GMが「何が望ましくて何が望ましいか」について完全には知ることができない、という限界がつきまとう。迷いや、判断の誤りなどがありうる。

理由2:ゲーム一般の特性
マルチプレイヤーゲームであれ、独り用ゲームであれ、

−遊び方を定義する時には、部分的に自然言語を使う。
−遊び手の理解力や常識、あるいは文化的共通性などを前提にしている、未完成なシステムだという面が残されている。
−複雑な現実世界の中で、ゲームは始まり、営まれる。「変則的な遊び方」が何であるかを全て明示的に示すことはできない。あるゲームを遊ぶ時に、どういう遊び方をするかについて完全な理解を共通することも、できない。
−どんな遊び方があるのかの総体を知ることは誰にもできない。

従って、ゲームがどんな形で遊ばれ得るのか、については誰も完全には知ることができない。デザイナーは望ましくない遊び方が不可能になるようにゲームをデザインすることも、完全にはできない。

マルチプレイヤーゲームで事前に遊び方についての完全な合意を形成することはできないし、仮に誰かが「それはルールで禁じられている訳じゃないけど、やってはだめだ」という命令を下す権利を持っていてみんながそれに従うと約束した場合(GMのような制度を設けた場合)、 その裁定係が、他の遊び手に「この遊び方を認めないのは変だ」と不満をもたれるような判定をしてもいいなら、「裁定者が望ましくない遊び方」は制御できる。

あるいは、裁定係が、他の遊び手の発想力のようなものを常に上回って、「裁定係の予想していなかったが、遊び手がやってもおかしくない行為」が行われた時に、「それを認めるようなゲームの遊び方」の中から「セッションやゲームバランスなどに都合のいい遊び方」を見つけてくることが出来るなら、制御できる。

但し、この両方の制御可能性についても、裁定係が「何が望ましくて何が望ましいか」について完全には知ることができない、という限界がつきまとう。裁定係の迷いや判断の誤りなどがありうる。

つまり、予防・制御の不可能性をめぐっては、TRPGは独特の困難を抱えている、と言えるような気がします。

毎回謝っていますが、今回も長文でした。すみません。他の方の議論が活発になってきたらよします。

2001年12月13日:20時20分37秒
【TRPGの自由】ルール通りいたぶる自由(2) / トモス
コメント1 懐の深さについて

#ここからは僕の意見です。質問も含め。

TRPGでは特に、「ルール通りにいたぶる自由」を完全に制限することもできなければ、それが楽しいものになるようにうまく対応しきれる保証もない。あくまで原理的なレベルの話で、実際にどうなることが多いか、という話ではないのですが、どういう努力をしても、「明示的には禁止されていないが、暗に禁止されているあるいは、GMや他のPLが何とはなしに前提していたことに反する」ような行為が起こる可能性は、ゼロにはできない。同時に、そのような行為が起きた時に、それがゲームに影響しないようにGMの追加設定を通じてうまく排除したり、あるいはみんなで楽しめるように組み込んだり・ゲームを組み替えたりすることができるという保証もない。

制御もできず、対応もできない(いつもできないのではなく、できる保証がない)。つまり、「懐の深さ」がない。これは制限されているために自由がないのとも、自由があってそれを行使して楽しめるのとも、違う。

懐の深さというのはそういうニュアンスで使ったのかな、と思いました。だとしたら賛成です。

コメント2 対処法について

ご都合主義的追加設定による対処は「ぼくはパン屋」「通り魔的通行人刺殺」などの問題に対しては幾つも提唱されていたので、myrtさんがそれを望ましくないと考える根拠があれば知りたいです。


コメント3 マルチプレイヤーゲームの特性

マルチプレイヤーゲームは、他の遊び手が特定の仕方でプレイすることが自分の楽しみの源泉になっていると思います。相手が王を守ってくれないなら、自分が相手の王を詰める努力は余り楽しいものにならない。(そう感じない人もいるようですが−弱い対戦相手を好み、とにかく勝てれば嬉しい、といった類のプレイヤーとか。)

対して、独り遊びの場合には、自分の遊び方が他のプレイヤーに迷惑をかける心配がないので好きなように遊べる。
これが「懐の深さ」の主な理由ではないでしょうか?

独り遊びであっても、例えば自分が全ての駒を取ろうという「変則将棋」をやっているのにコンピュータの対戦相手が「将棋」をやっている場合など、必ずしも張り合いのあるゲーム(意思決定の楽しいゲーム)にならない可能性があります。システムがどんな風にできているかによりますよね。

逆に、マルチプレイヤーゲームの場合には、他の遊び手が「ルールで明らかに禁じられているわけでではない行為」を一人がとった場合に、あるいはルールで禁じられている行為であっても、とにかく対応してしまえばそれでそれなりにうまく行ってしまう、という面があると思います。
myrtさんもそんなことを書かれていますが。

つまり、「懐の深さ」は必ずしもマルチと独り用どちらが深いとも言えず、ただ深さの出所が違う、と言えるのではないでしょうか。


2001年12月13日:20時12分16秒
【TRPGの自由】ルール通りいたぶる自由(1) / トモス
ようやくわかってきた気がするので改めてmyrtさんの話を整理・解釈してみます。

1 「ルール通りにいたぶる自由」について

#myrtさんの話の解釈です。発言内容の確認というか。間違いがあったら指摘をお願いします。


「ルール通りにいたぶる自由」は別にTRPGに特有の自由ではなく、マルチプレイヤーゲームに特有のものでもない。どちらかと言えば独り遊びゲームで一番楽しみやすい自由だ。

また、「ルール通りにいたぶる自由」は今まで話題になった他の種類の自由「国王暗殺」「ぼくはパン屋」「奴隷商人殺害」などの自由と比べて特別というわけではない。ただ、他の自由がTRPGでしか実現しえない(あるいはTRPGですら実現しえないという意見もある)のに対して、「ルール通りにいたぶる自由」の方はTRPG以外のゲームでは「推奨」されてすらいる場合がある。

ここで言う「ルール」はあくまで明示的なルールであって、デザイン・コンセプト、セッションの目的(どうやってゲームを楽しむかについての合意や取り決め)、マナーなどなどといった要素は含んでいない。

2 「懐の深さ」について

#同じくmyrtさんの論旨についての確認といったものです。

独り遊び用のゲームは「ルール通りにいたぶる自由」を行使してもそれなりに遊べるようになっていることが多い。けれどもマルチプレイヤーゲームは必ずしもそうなっていない。

TRPGではプレイ中の追加設定によってPCの「ルール通りにいたぶる」行為を制限しようとするけれども、そのための努力がしばしばゲームをいびつにする。


「制限」の手段は、GMなりPLなりによる「お前その行為禁止。だめ。」という遊び手レベルでのコミュニケーションによる解決ではなく、あくまでゲームで扱う架空世界内での対処をするべき。「思いもかけぬ偶然により君のキャラは隕石の直撃を受け、瀕死の重傷を負ったよ」などと言った、架空世界内の対処の中でも「ご都合主義的」(セッションの都合、GMの都合、シナリオの都合、などなどに合わせた強引な)追加設定による対処はやってはいけない。


2001年12月12日:12時15分01秒
[TRPGでの自由]唐突な暗殺の話でひっかかっていること / myrt
「私の出した例がまずかったかな?」(チキン・ダイスさん記、TRPG総合研究室 LOG 073, 2001年11月15日:10時08分15秒) を見て私は、即座に以下の例え話を連想しました。余計な 気がしたので置いておいたのですが、1月たっても色褪せな かったので書きます。

 二人(結果的には一人??)が将棋をしている。先手が王手をかけた(ただ し詰んでいない)が、後手はそれを無視して唐突に相手の飛車を取った。
先手:それは駄目だ。王手がかかってるじゃないか。
後手:僕は最初から相手の飛車を取るゲームをしていたんだ。 これで僕の王は取られてしまうから、将棋ゲーム については君の勝ちでいいよ。

 「王を取る」という目的を除いた、駒の配置や駒の動き方などの将棋の システム一式は一つの箱庭と言っていいと思います。それを使っ て簡単に「飛車を取るゲーム」を作り運用することができます(面白い かどうかは不明)。

 そして、「飛車を取られずかつ相手に違うゲームをして いることを悟られないまま決定的な局面まで持っていく」ことは不可能では ありません。だから、隠し設定に矛盾しないように表面的なゲームに忠実 に振舞い、暗殺の場面に持ち込むことは不可能でなく、「箱庭型」の範疇 からも外れていないと思います。

 ただし「箱庭型ミッションつき」からは外れるでしょう。私の例え話では 先手は王手をかけることによって飛車を逃がす戦術を取ったわけですが、こ れが通用しませんでした。これはミッションが違うと、同じ箱庭でも定石が変わることを示していると思います。

 話はそれるのですが、「影武者という追加設定を するのは卑怯だ」という意見にはダブルスタンダードを感じました。 PLは「暗殺の意図をGMに知られたら護衛が増える」ことを警戒して(つま り認めて)質問し、追加設定を誘導しているように見えるので。

 TRPGのGMとPLのだましあいという側面は、「クロちゃんのRPG千夜一 夜」シリーズが参考になると思います。私はあのようなやりとり を面白いと感じるので、だましあいの善し悪しを考察してみたのですが 今のところその境目をうまく表現することができません。 双方の自覚の有無でしょうか??

 そういえばこの本にはズバリ「昔はTRPGは何をやってもいいゲームだと 紹介されていたのでこんな連中が多かったんだ」という話がありまし た。女の人を助けた後に唐突に奴隷市場に売り飛ばす話ですが、 その後が良かったです。「今はそんなことありませんよ。組織を作り、 計画的に悪事を働くようになりましたからね!!」
2001年12月12日:08時49分29秒
TRPG総合研究室 LOG 079 / sf

 TRPG総合研究室ログTRPG総合研究室 LOG 079として2001年11月30日から2001年12月12日までのログを切り出しました。

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