TRPG総合研究室 LOG 053

TRPG総合研究室の2000年10月16日から2000年10月26日までのログです。


2000年10月26日:01時50分20秒
【ゲーム中デザイン】やはり必須とは思えない&「判定」との違い / 混沌太郎
やはり私の考えでは、TRPGの要素として「ゲーム中デザイン」が必須であるようには思えません。
プレイ中に行なわれたことで、キャラクター描写などの付加的部分を取り去った残り、即ち、
ゲーム内で意味を持つような状態の変化、が全てルールの枠内に収まっていても、
依然としてそれはTRPGたり得る、と思っています。

というか、何故TRPGと呼ぶために「ゲーム中デザイン」が必要とされるのか、そこの所がわかりません。 残念ながら…
TRPGには、「ゲーム中デザイン」を許容する構造があるように見える。その理由は何か? という話ならまだわかるんですが。


>「同様の判定における一意性のなさ」
要するに私は「判定」とどこで線を引くのか聞きたかったので質問したわけですが、次のような意味ととって良いのでしょうか。

一意性がないということは、「ゲーム中デザイン」においては、通行人などの確率的な要素が、含まれることになります。
そうでなければどんなに複雑でも結局「判定」ということになりますから(複雑さの度合いで線を引くのは無理でしょう)。
そしてそれを、ダイスなどの道具によって確率的に処理せず、会話の流れなど「気分」によって処理した時、
「ゲーム中デザイン」と呼ばれることになる、ということでしょうか(消去法により推測)。

なお、例え即興でも判定法(ダイスロールなど)を取り決めて処理した場合、同じ事をしても、
二回目からは「ゲーム中デザイン」ではなく「ゲーム前のデザイン」ということになります。
でもゲームのディベロップメントをしているなら意味が違っても当然ですが、単にゲームをする意味では何ら違いはないはずです。
ゆえにこれも、ここで問題としている「ゲーム中デザイン」からは除外されると考えました。
2000年10月25日:11時26分53秒
【ゲーム中デザイン】たしかに区別する必要が / myrt
(Re:【ゲーム中デザイン】何を以って「デザイン」と言うか / 混沌太郎さん)
>これは「ヘクス伝いに、移動力を消費しながら移動する」などの通常の移動
>ルールの範疇の行動と見なされます。

要点がよくわかりません。たとえば移動中に障害が発生したとき、 そのときの残り移動力や座標が影響するのならばその処理法がルール に明記されているでしょう し、そのような事態がないのなら「戦車は移動時にキャタピラを用いている」 のと同等のイメージ的な影響しかないと思うのですが。

>では、TRPGで、プレイヤーが熱弁をふるって帝国の徴税官に支払いの
>猶予を認めさせたとします。

ただうまく演技したことや既存のどの情報を用いて説得するかだけを問題 にするなら、「熱弁をふるって認めさせるサブゲーム」としてとらえていいと 思います。うまさを客観的にとらえる試みは体操競技等が参考になるでしょう。
#難しいのは、これが Role Play も Game も含んでいるところだ。

ただ、私はそのサブゲームに持っていく過程で少しでも有利になるように 情報収集したり、場を形成したり、サブゲーム中に相手の状況を尋ねたり、 サブゲームの結果の利用方法を考えたりする過程で、それがTRPGな らまず「ゲーム中デザイン」が行われ、それが行われなかったら前述 の「結果としてWSLGになってしまった」の例のごとくなると考えています。 同様に「ゲーム中デザイン」の余地がなければ、「ゲームブック読み上げ」 の例に。

>シミュレーションゲームであるAdvanced Squad Leader(ASL)において、
>あるヘクスからあるヘクスへ射線が通るかどうかを判断する場合との違い はありますか?

これは「判定」だと思います。バレーボールで際どい所にボールが落ちた とき、主審と副審で多数決をとるような。また、「窓の部分を通ってるので射線 が通ることにしよう」などは「判定例デザイン」で、TRPGの「ゲーム中デザイン」で は許される場合のある「同様の判定における一意性のなさ」は嫌われるので 異なるでしょう。
#TRPGでは一意性のなさを不完全情報によりごまかしている。

TRPGはゲームの要素を含むため、「判定例デザイン」をすることも あります(特に戦闘など。一意性が要求される)。しかし、SLGなどで は「判定例デザイン」は例外的であるのに、「ゲーム中デザイン」 が公然と許されるTRPGでは常時行われる点についても相違があると思います。

たしかにこれらは区別する必要があるため、「ゲーム中デザイン」は不適切 な表現であるような気もします。
2000年10月24日:21時58分19秒
【ゲーム中デザイン】何を以って「デザイン」と言うか / 混沌太郎
>私は今のところ、「ゲーム中デザイン」が行われることはTRPG の必要条件ではないかと考えています。
回答ありがとうございました。
そうですか。…とすると私とは少々認識が違うようですので、もう少し質問させてください。

あるシミュレーションゲームで、ヘクス2205にいた第21装甲師団が2805に移動したとします。
ゲームデザイナーは、個々のユニットがどう移動するかなどは一々予測してはいませんが、
これは「ヘクス伝いに、移動力を消費しながら移動する」などの通常の移動ルールの範疇の行動と見なされます。

では、TRPGで、プレイヤーが熱弁をふるって帝国の徴税官に支払いの猶予を認めさせたとします。
これは、「プレイヤーの交渉の持って行き方が上手ければ、判定に修正を加える」
等としたルールの範疇にあるとは言えないでしょうか?

この場合キャラクターをいくら熱演しようが(それが良いか悪いかは別として)、TRPGにはならないのでしょうか。
プレイヤー発言で、「いや、この徴税官は昨日のいさかいを屈辱に感じているはずだ。」
などと発言して環境に変化を与えることにより、始めてTRPGをやったことになるのでしょうか。


それから、「ゲーム中デザイン」と言うことに関してですが、
シミュレーションゲームであるAdvanced Squad Leader(ASL)において、
あるヘクスからあるヘクスへ射線が通るかどうかを判断する場合との違いはありますか?

このゲームの場合、障害物にかかっているかどうかは実際にマップに描かれた絵によって判定するため、
しばしばどう判断すべきか微妙に見える時があります。
とりあえずプレイヤーで話し合って、決着がつかなければダイスで決めることになっていたはずですが。
今議論している「ゲーム中デザイン」とは、これの延長線上にあるものでしょうか。それとも異質なものなのでしょうか?

もっとも、「必要条件」と言うことであれば、SGで「ゲーム中デザイン」が行なわれても問題はないのですが。
2000年10月24日:12時06分17秒
【ゲーム中デザイン】必要条件か?? / myrt
(Re:2000年10月23日:12時45分01秒 ゲーム中デザインの位置づけ / 混沌太郎さん)
>「ゲーム中デザイン」が行われることは、TRPGであるための必要条件
> なのでしょうか。

難しいですね。昔、ブラッドソードというゲームブックがありまして、その 紹介された遊び方のひとつに「GM役の人が内容を読みあげ、複数のPLが意見 を出し合って選択肢を選ぶ」というものがありました。これをそのままやれ ばTRPGではないでしょう。

しかし、GMがシナリオソースとしてこのゲームブックを利用し、状況説明 はその読みあげのみで事足り、選択肢は読みあげず、そのことを知らないPL 達が宣言した行動が たまたまことごとくゲームブックの選択肢と合致し、結果として「ゲーム中デザイ ン」が全く行なわれなかった場合が考えられます。
#理論的には。

GMはPLがゲームブックに書かれていない反応をしても対応する用意があれば、 GMはTRPGをするつもりであったと言えます。PLは、TRPGをするつもりで集まって おり宣言をしていたならば、TRPGを行なったような気分、状況には変化ありません。 PLはGM情報を知らないわけですから、「ゲーム中デザイン」をしていてたまた まそれが合致しただけだとも言えます。

逆に、GMが選択肢を読みあげ、その他の選択肢を宣言しても良いと言われても 用意された選択肢しか選ばなかった場合も考えられます。

同様に、GMとPLがTRPGするつもりでゲームを始めたのに「(設定された枠内で)な しくずしに戦闘になってそのままセッション終了」という場合も考えられます。 このときの戦闘が完全に戦闘ルールと設定リソースでフォローできる内容であ ったならば、「今日はWSLGになっちゃったよ」という気分になれること請け合い でしょう。

これらをTRPGに含めるか否かが分岐点になるのではないでしょうか。 私は今のところ、「ゲーム中デザイン」が行われることはTRPG の必要条件ではないかと考えています。

(Re:2000年10月23日:13時41分22秒【TRPGの定義】言葉の定 義等の確認 / YANさん)
>だとしたら、それは定義の範囲の違いだと思いますよ。

例の発言そのもの(前後は無関係)が集合論に喧嘩売っているように思えて、 基本的な点について確認したかっただけです。もし、それが「RPGの範囲はあいまいでも 私は気にしない」という発言だけにかかっていたのならば私の勘違いです。 申し訳ありません。

>以上、お二方への質問です。あと、もう一度皆さんの目的、を挙げて頂けます…?

私の場合は以下のとおりです。

私の意見、
「馬場講座は厳密にいえば正しくない。なぜなら、 同講座で推奨されているTRPGスタイルですら「ゲーム」ではないからだ。」 を吟味することが目的です。 そして「参加者が楽しむことを目的としたメタゲームとして 扱うと、抽象的になりすぎて「ゲーム」の特性を活用できない。それ よりも「ゲーム」と「ゲーム中デザイン」の2重構造と考え るべきではないだろうか??」と展開し、現在に至っています。
2000年10月23日:20時22分40秒
【TRPGの定義】誤解を解くとこから / 匿名希・望

【RPGの定義】で行きたかったのですが、簡便にするためTRPGに限定します。

・SHiNさん
>この「仮想世界」の規模や複雑さはGMやシナリオによってまちまちですが、
>その全てが定義されてるなんて事はまず無く、
>「未定義な仮想世界」であるという点ではほぼ例外がありません。
> 
>よって、TRPGにおいてはそれらの資源をゲームデザイナーたるGMは
>コスティキャンが語るように「面白い意思決定を引き起こすように配置する」事が出来ません。
>なぜなら、「未定義」な要素を配置するわけにはいかないからです。
(中略)
>『「管理すべき資源」というのは,目標を達成するために管理すべきルール上の要素である』
> ……と。
>しかし当然ながら「未定義な要素」については、ルール上の意味をきちんと与える事が出来ないのです。
>たとえルールブックなどで「仮の定義」(ブロードソードは攻撃に使用した場合2D6のダメージを与える、等)
>を与えられていたとしても、プレイヤーはそれに自らの工夫でさまざまな定義を与えてしまいます。(別行動の仲間に自分の剣を渡し、探知呪文を介して「発信機」として使う、等)

まず、訂正します。
俺はコスティキャンの「ゲーム」に関する定義部分だけを支持しているのであって、その具体的例示に関しては彼とは意見を異にしてます。
そして以前説明したように、俺にとってRPGは「話を面白くすることを『目標(コスティキャン的定義の)』とした『ゲーム(コス・・・以下同文)』である」としてます。

だからそもそもGMはゲームデザイナーでは有り得ません(俺の定義の中では)。
飽くまで、目標達成に向けてPLと範囲は違えど同じ次元で意思決定するゲームプレイヤーです。
そしてGMをゲームデザイナーとしてGMの作るシナリオの目標をゲームの目標としている限り、SHiNさんや myrtさんと同じく「TRPGはゲームとしていびつである」という結論に達するのは俺も同様です。

で、ここからが本題です。 まず、未定義な材料はそもそも直接ゲームに関われません。
ゲームに関わった瞬間、ルールによって定義された存在になります。
#この場合の「ゲーム」「ルール」は SHiNさん達が使ってるものと同じ意味で結構です

そしてもう一つ、未定義といってもその範囲は基本的な「(舞台の)世界観」とルールの「システムコンセプト」を逸脱するものではありません。
むしろ「世界観」「システムコンセプト」が大元の「ルール」と呼ぶべきものと見なすことも可能なのです。
そしていくら未定義とは言っても、プレイする人間の想像力の限界がある以上無限ではないのです。

ひとまずここまで。
続きはまた。
2000年10月23日:16時00分37秒
【TRPGの定義】他掲示板での関連書き込み紹介 / アキト
ふたたびアキトです。
TRPGフリートークの方に、定義をめぐる争いについての私見を投稿しました。

以前から感じ考えいたものですが、現在進行している【TRPGの定義】が投稿を思い立った要因だったので、お知らせしておきます。
2000年10月23日:15時35分20秒
人違いではないかと・・・・・(to YANさん) / 匿名希・望
>匿名希☆望さん

え〜と俺は北九州のオリコンTIMESで絵師をやってらした匿名希☆望さんとは別人です(^^;
ほら「・」だし(爆)

いや、単なる俺の思い込みなのかもしれませんが、そうだったとしても誤解を招くといけないので区別して下さい(^^;
2000年10月23日:15時15分10秒
意思決定の種類(Re:言葉の定義等の確認) / アキト
 はじめまして&ご無沙汰しております。

 意思決定というのについて話をするとき、一考していただきたいことがあり、投稿してます。
 
 意思決定には「シナリオを進展させる意思決定」だけではなく、「物語をより良いものにする意思決定」といったものがあるかと思うのです。尚、両者は必ずしも対立しないと考えています。
 
 それは例えば、「臨終の淵にある少女」の傍にPCがいるとして、そこでどのような行動を選択するのかといった意思決定のことです。尚、この場合、PCがどのような行動をとっても少女は死ぬし、そのことはプレイヤーも知っているとします。
 
 この状況下で、意義ある意思決定は存在しないでしょう。ですが、優れた意思決定は存在しえるのではないでしょうか。以下に、ボクがそう考える理由を述べます。
 
 この場合、PCがどのような行動を選択しても結果は確定的です。しかし、PCがとった行動によっては、参加者の中に深い印象と時に強い情動(感動など)引き起こすことがあります。
 
 そのような意思決定を「物語をより良いものにする意思決定」として考えることにも意義はあるかと思うのです。

#前者と後者のどちらを優先させるかといえば、ボクは前者です。ですが、両立が可能で両立させられるだけの余裕があれば両立します。

>YANさん

> TRPGにおいて「優れた意思決定=意義ある意思決定」であって
 
 というわけで、意思決定の評価には二つの軸が存在すると思います。ですから、少なくとも「意義はないけれど優れた意思決定」はアリかと。
2000年10月23日:13時41分22秒
【TRPGの定義】言葉の定義等の確認 / YAN
> myrtさんWROTE
> 白紙を洗濯ばさみではさんでもそれは白紙ですが、一本の線を書き込むと白紙ではなくなります。
> そこを気にしないならば、この議論そのものが意味を失ってしまうと思うのですが。

 
 ええと、これは、「SLGでプレイヤーが勝手にコマに感情移入しながら遊んでもSLGであることに変わりはないが、ゲームデザイナーが”RPG”と銘打って線引きしてしまえば、それはRPGと呼ぶのではないか?」という意味なんでしょうか?それとも、匿名希☆望さんが「ゲーム中デザインの要素が加わってもゲームはゲーム」ということへの反論?
 
 だとしたら、それは定義の範囲の違いだと思いますよ。
 匿名希☆望さんにとっては、例えばゲームは「紙」で、RPGはその一種(例えば「折り紙」)という扱い方なのではないでしょうか。
 
# もしそうなら、単に定義の違いを論じているだけでしょうから、
# いずれにしても議論の意味はないかもしれないかもしれませんが…
 
 TRPGは「ゲーム中デザイン”も”出来る」ゲームの一種、という定義じゃ駄目ですかねー。
 
> SHiNさんWROTE 
> なんといってもコスティキャン的ゲームで求められるのは「優れた意思決定」ですが、
> TRPGで求められるのは「意義ある意思決定」ですから。

 
 TRPGにおいて「優れた意思決定=意義ある意思決定」であって、矛盾はしないのでは…?
 というより、「意義はあるけど優れていない意思決定」って良く分からない…。
 
 展開を盛り上げるためにわざと(PCに)不利な意思決定をしたとしても、それはプレイヤーにとっては優れた意思決定だろうし。「単なる行動宣=意味ある意思決定」なら、それは「求められる」というより「最低限必要な」ものですし…。

 以上、お二方への質問です。あと、もう一度皆さんの目的、を挙げて頂けます…?
 多分、複数の主旨が錯綜して、なおかつ既に結論の出ている問題もあると思うのですが…。
2000年10月23日:12時45分01秒
ゲーム中デザインの位置づけ / 混沌太郎
質問。(主にmyrtさんへ)
「ゲーム中デザイン」が行われることは、TRPGであるための必要条件なのでしょうか。
即ち、あるセッションにおいて「ゲーム中デザイン」が行われなかったら、その日はTRPGをやったことにならないのでしょうか。
それとも、TRPGは本質的に「ゲーム中デザイン」を許容する性質がある、
即ち、TRPGであることが、「ゲーム中デザイン」が行われる十分条件であるということでしょうか。
私は後者だと思うのですが、最近ちょっとどういう前提で議論しているのかわかりにくいので。
2000年10月23日:12時09分05秒
【TRPGの定義】ゲーム中デザイン要素は相反するか?? / myrt
(Re:【RPGの定義】「コスティキャン的な意味でのゲーム」の示す もの / 匿名希・望さん)
>また俺個人は、「違うものが含まれる」のなら「ある点において同じも
>のである」と思ってるので、あまり気にしてはいません。

白紙を洗濯ばさみではさんでもそれは白紙ですが、一本の線を書き込むと 白紙ではなくなります。そこを気にしないならば、この議論そのものが 意味を失ってしまうと思うのですが。

(Re:【TRPGの定義】管理できない資産 / SHiNさん)
> ただ、コスティキャン的なゲーム性は、このゲーム中デザインがセッ
>ションで占める割合と反比例の関係になってしまうんじゃないかと思え
>ます。

私はそうは思いません。遮蔽物の例をあげたように、初期状況とそのセッション での常識(システムやメンバーのノリ、知識)とGMの顔色(謎)から、 状況をどんどん具体的にして(ゲーム中デザイン)最良行動を決定するという プロセスはその両立があってこそ成り立つと思います。このときの意思決定の 面白さ、スリリングさは「ゲーム」のそれと良く似ています。
#情報の隠蔽と未定義リソースの混同による錯覚を利用していると思います。

「ゲーム中デザイン」はその下部である「ゲーム」を楽しむために 行なっても良いので、魅力的な「ゲーム」がデザインできることが最も 望ましいのではないでしょうか。例えば(D&Amp;Dなどの)魔法スクロール なんかは、一本持ってるだけで想像できる選択肢が飛躍的に増え て(PLにとっては)面白いです。

もちろん、これらの要素が相反する場合もあります。しかしそれは両者 を限界まで引き出したからだ、とポジティブにとらえることもできると 思います。
2000年10月23日:05時27分25秒
【TRPGの定義】管理できない資産 / SHiN
 ドラクエをはじめとするコンピューターゲームのせいで、RPGという言葉をTRPG論で使用するのは個人的に抵抗を感じるので、上のような識別子を使用させていただきます。
 
(匿名希・望さん)
 >今まで存在している「(一般的意味でも)ゲーム」が未決定の<材料>を使用できないからといって「大前提」であるとして判断してもいいのでしょうか?
 
 私の意見は経験に裏付けされた直感から発し、それに対し観察と検証を行った結果にすぎません。
 もし、未設定の<材料>を使用できる「ゲーム」が存在しえるならば、それは反証となり、私の観察や考察が不十分という事になり、場合によってはこの仮説はなりたたないでしょう。
 
 
 >「コスティキャン的な意味でのゲーム」に限った話にしても、本来の定義において必要なのは「目標」と「ルール」と「トークン」「資源」だけです。
 
 コスティキャンのゲーム論においては、単純にこれらの語句を挙げただけでなく、ひとつひとつの用語に解説が加えられてますよね。
 単に「目標」と「ルール」と「トークン」と「資源」と呼べるものがあれば、コスティキャンの定義するゲームになる、というのは違うでしょう。コスティキャンが定義する「目標」があり、コスティキャンが定義する「資源」があるものがコスティキャン的なゲームであるはずです。
 
 たとえば、コスティキャンは「資源」については、
 
 >ゲームを分析するときには,「このゲームにおいて,プレーヤーが管理すべ
 >き資源は何か。それらの資源は,意志決定の際に葛藤を引き起こすよう配置
 >されているか。その意志決定は面白いものになっているか」という点を考え
 >なければならない。
 (FRPGM 英文翻訳プロジェクト design_j.txt制作チーム訳によるコスティキャンのゲーム論<日本語版>より引用)
 
 と解説してます。
 
 通常、TRPGにおいて「資源」は、キャラクターシートの情報や他のプレイヤーキャラクターを含めた「仮想世界」全体ということになります。
 この「仮想世界」の規模や複雑さはGMやシナリオによってまちまちですが、その全てが定義されてるなんて事はまず無く、「未定義な仮想世界」であるという点ではほぼ例外がありません。
 
 よって、TRPGにおいてはそれらの資源をゲームデザイナーたるGMはコスティキャンが語るように「面白い意思決定を引き起こすように配置する」事が出来ません。なぜなら、「未定義」な要素を配置するわけにはいかないからです。
 
 なぜシナリオに反した行動をプレイヤーに取られてしまうケースがあるのか?
 プレイヤーが管理すべき資源をGMがきちんと配置する事が出来ないからに他なりません。
 (プレイヤーが北にあるダンジョンに向かわずに、シナリオを離れて南に歩いて行ってしまった?バカモノ。そんなところに道なんて作っておくからだ!)
 
 また、コスティキャンのゲーム論には次のような事も書いてあります。
 
 『「管理すべき資源」というのは,目標を達成するために管理すべきルール上の要素である』
 ……と。
 しかし当然ながら「未定義な要素」については、ルール上の意味をきちんと与える事が出来ないのです。たとえルールブックなどで「仮の定義」(ブロードソードは攻撃に使用した場合2D6のダメージを与える、等)を与えられていたとしても、プレイヤーはそれに自らの工夫でさまざまな定義を与えてしまいます。(別行動の仲間に自分の剣を渡し、探知呪文を介して「発信機」として使う、等)
 
 万事がこの調子ですから、「目標」「ルール」「資源」を有機的に組み合わせて優れたゲームを作るというのは少々難しいはずです。(「ノリの良いプレイ」を再現できる程度の確率なら、シナリオにおいて優れたゲームを設定する事も可能ではありますが……)
 
 まず、これらの点から「未定義な仮想世界」をゲーム的資源とせねばならないTRPGは、コスティキャンの定義するゲームとは、少々違うものである。
 と、言えるんじゃないかと思ったのです。
 
 別にこの考え方に固執してるわけじゃないのですが、これまでにTRPGを無理にコスティキャン論に整合させようとして破綻しているTRPG論を、いくらか目にしてきたので……
 だから、最低でも現在のTRPGシーンに特化した「コスティキャンのゲーム論(改)」が必要なんじゃないかとは思ってます。ここらへんは匿名希・望さんも意識しておられると思うのですがいかがでしょう?
 
 なんといってもコスティキャン的ゲームで求められるのは「優れた意思決定」ですが、TRPGで求められるのは「意義ある意思決定」ですから。(この点を除けばコスティキャンのゲーム論は、ほぼ現在のTRPGにも適用できると思います)
 
 
 (匿名希・望さん)
 >もっとも、馬場氏をはじめとする人達の定義の仕方がゲームの可能性を狭めるものだと認識はありますが。
 
 これは、意思決定の意義を「優れた意思決定」である事のみに求めた結果でしょう。馬場講座にしてもプレイヤーの目標の多層構造あたりを、もっと真剣に追求すれば、ああいう具合にはならなかったんじゃないかと思います。もっとも、文章の説得力とその内容は時としてトレードオフの関係になってしまう場合もあるから、これを持って馬場さんがTRPGを理解してないと非難するつもりはありませんが。
 
 
 (匿名希・望さん)
 >TRPGの特性は、むしろゲームシステムの弾力性にこそ求められはしないでしょうか?
 
 そうですね。myrtさんの言う「ゲーム中デザイン」ってのも、いわば、この弾力性を支える代表的な概念ですよね。
 ただ、コスティキャン的なゲーム性は、このゲーム中デザインがセッションで占める割合と反比例の関係になってしまうんじゃないかと思えます。私がオリジナルのオプションルールを設定・デザインする場合は、なるべく「ゲーム中デザイン」の必要が無いように努力してます。(TRPGらしさとコスティキャン的ゲーム性が相反する事を強く意識するのはこういう時ですね)
2000年10月20日:20時22分04秒
【RPGの定義】「コスティキャン的な意味でのゲーム」の示すもの / 匿名希・望

以前から、俺が「ゲーム」という言葉を使った時は「コスティキャン的な意味でのゲーム」を指しているので今後ともそのつもりでお願いします。

( SHiNさんwrote)
>事前に用意された<材料>のみを使用するというのは、「意思決定」以上に、一般にゲームと呼ばれるものの「大前提」なのです。

果たして本当にそうなのでしょうか?
今まで存在している「(一般的意味でも)ゲーム」が未決定の<材料>を使用できないからといって「大前提」であるとして判断してもいいのでしょうか?

「コスティキャン的な意味でのゲーム」に限った話にしても、本来の定義において必要なのは「目標」と「ルール」と「トークン」「資源」だけです。
もっとも、「トークン」「資源」は一まとめにして「ゲーム内ガジェット(仮)」とでも呼んだ方がいいでしょう。
マルチプレイでは自分以外のプレイヤーが操るトークンは資源と理論上は同じ物ですから。

殆どの「ゲーム」で未決定の<材料>が使用できないのはそれが「目標」や「ルール」を変異させてしまうからです。
逆に言えば、そういったものに耐えられるゲームシステムがあれば、未決定の<材料>を使用しても(ゲームの定義上は)問題ないと言えます。

TRPGの特性は、むしろゲームシステムの弾力性にこそ求められはしないでしょうか?

もっとも、馬場氏をはじめとする人達の定義の仕方がゲームの可能性を狭めるものだと認識はありますが。

ちなみに、以前俺が書いたのは「RPGの定義」であって「TRPGの定義」ではありません。
また俺個人は、「違うものが含まれる」のなら「ある点において同じものである」と思ってるので、あまり気にしてはいません。
2000年10月20日:11時22分52秒
【RPGの定義】ゲームデザイン時の楽しみ / myrt
私が2重構造を主張しているのは、お互いのスタンスの違いのため です。ゲームデザイン時の楽しみはゲームの楽しみと結構異質なもので あり、広義に「楽しませる」とだけ書くと短絡的に解釈してしまう危険性 があると思います(例えば自己中わがままゲーマーが)。

このあたりの感覚は、実際ゲームを作ったり、改変ルールをいろいろ 試して見た人にしかわからないのでしょうか??最近「出来合いですでに 完成度が高く、ルールを改変することが難しいコンピュータゲーム」が 広く普及していることにも原因があるかもしれません。

> ルールを超えた行動を、ゲーム中デザインと定義するわけですね。

ちょっと、いやかなり違います。 ゲーム中に既存の要素(ルールやリソース)で処理できない場面が発生したとき、 必要な要素をデザインすることを「ゲーム中デザイン」と定義します。 既存の要素を無視してはいけません。
#既存の要素がどこまでを含むかは人によって解釈がわかれると思いますが。


(Re:2000年10月19日:18時16分24秒
【RPGの定義】TRPGと非TRPGを分かつもの〜舞台とされ る仮想世界の性質の違い / SHiNさん)

> さらに、これらの主張には、現在主流となってしまった「未設定の仮
>想世界」を十分に生かすための方法論が抜け落ちています。この点につ
>いても、私としては問題を感じていました。

私が突っ込んでいるのもこのあたりのつもりです。「設定された仮想世界を 必要なだけ残し、殺さない方法論」ばかりが書かれていると思いました。
2000年10月19日:18時16分24秒
【RPGの定義】TRPGと非TRPGを分かつもの〜舞台とされる仮想世界の性質の違い / SHiN
(匿名希・望さん)
>早い話、プレイヤーの意識の上で、ゲーム世界を物語世界に見立てて、ゲームの目標を元のゲームの目標ではなく物語を面白くする事(一致する事もあるが基本的に独立)に置けば(それが可能ならだけど)、元が何であろうが、それこそシューティングでも格ゲーでもディプロマシーでもチェスですら、RPGと呼んだって何の差し障りも無いんですよ。
 
 匿名希・望さんのTRPGの定義である「物語を(プレイヤー全員にとって)面白くする事を目標としたゲームの総称」に照らせば、この話は筋が通ってます。が、それでもなお、シューティングや格ゲーをRPGと呼ぶ人は居ないでしょう。それは、匿名希・望さん自身も自覚されてる事だと思います。
 
 今回に限らず、TRPGの意味を広く捉えようとする場合、必ずぶちあたるのが、「その定義だとTRPG以外のものも含んでしまう」というケースです。
 それは、TRPGを創作と定義しようが、演劇と定義しようが、ゲームと定義しようが生じてしまう問題です。
 これではTRPGについて考えようとするのは非常に困難です。
 それゆえ、ネットワークでTRPGについて意見を述べたりする人の間ではTRPGを狭義に捉えようとした馬場講座などの人気が高かったのではないでしょうか。
 
 が、TRPGを狭義に捉えようとした場合の弊害についても既に周知の事であると思います。
 
 そこで「TRPG」とそれに類似する「非TRPG」をわかつものが何かを考えてみたいと思います。
 
 手始めに、「TRPG」と、SLG・ボードゲーム・コンピューターRPGなどとの違いを考えてみましょう。
 
 たとえば、TRPGはSLG+インターミッションである、と解釈する方もいらっしゃるかもしれません。実際、これはもっともらしい考え方です。これに対し、明確な反論が出来る人は少ないのではないのでしょうか。(たとえば、馬場講座で挙げられているTRPGの特徴である「役割分担」や「プレイヤーの目標の多層構造」といったものは、SLGやボードゲーム、コンピューターRPGにも存在します)
 
 しかし、TRPGファンなら決してこの公式が成り立たない事を「直感的」に知っているはずです。ではその理由とは何か?
 
 それは、ゲームの舞台となる「仮想世界」の性質の違いです。
 
 現在のTRPGで使用されている仮想世界は、「未設定の仮想世界」です。
 これは、ゲームに使用するための<材料>が、一部の汎用的なものを除いては、あらかじめ設定されていないという事を意味します。
 これに対し、非TRPGで使用されている仮想世界は、「設定済みの仮想世界」です。
 これは、ゲームに使用するための<材料>が、あらかじめ全て設定済みである事を意味しています。
 
 この二者の違いが、TRPGと非TRPGを決定的に違うものにしているのです。
 
 TRPGが、その時代の最初期に、ダンジョンシナリオというスタイルを捨てたのに対し、今だにコンピューターRPGがダンジョン中心であるのは、このためです。
 TRPGも、ダンジョンものの頃は、「設定済みの仮想世界」を主にその舞台として選んでいたのですが、最初は例外的措置だった「ルールに無い行動」を取ることにプレイヤーが慣れていくに従って、GMはルールブックやシナリオ設定の中からゲームに必要な<材料>を十分揃える事が難しくなってきました。
 この事に加え、事前にシナリオとしてゲームに必要な<材料>を揃える手間を省きたいというGM側の事情もあって、次第に、TRPGの舞台は「未設定の仮想世界」へと移って行ったわけです。
 (これは、時期的には「シティアドベンチャー」とかいう言葉がもてはやされた時期と重なりますが、決して「都市での冒険」を楽しみたい人が多かったから、TRPGの主流がダンジョンからシティアドベンチャーへと移って行ったわけでは無いと、私には思えるのです。GMの準備にかける労力の軽減と、マッピングなどの手間を無くしたプレイアビリティの向上、そして行動の自由度を求めるプレイヤーの欲求が組み合わさった結果ではないでしょうか)
 
 また、この「未設定の仮想世界」というのは、小説や漫画といった物語世界でも採用されているシステムで、TRPGが創作のツールとしてチェスやSLGやコンピューターゲームより格段に優れているのも、やはりこのためなのです。
 TRPGが創作のツールとして使用されるのは、決してTRPG本来の遊び方に飽きた人達が、キワモノ的な使い方をしているわけではありません。TRPGが「創作のツール」として優れていたからに他ならないのです。
 
 しかし、「未設定の仮想世界」の採用は、良い事ばかりではありませんでした。
 GMを煩雑な準備から開放するとともに、プレイヤーにより広い世界での活動の機会を与えましたが、いわゆる「ゲーム」としては、いびつな存在になってしまいました。
 
 と、いうのも、我々の知っているTRPG以外のゲームのほとんどは、事前に用意された<材料>を用いて行う事が前提とされているからです。(この<材料>の中には、将棋の手駒、モノポリーの資金などのプレイヤーが運用可能な「物資」以外に、その運用のための規則を定めた「ルール」というものも含みます。我々の現実世界でいえば、エネルギーと物理法則というわけです。)
 もしも将棋で、いくらでも持ち駒が増やせたり、途中で新たなルールが添付されたりしたら、それはまともなゲームにはならないでしょう。
 事前に用意された<材料>のみを使用するというのは、「意思決定」以上に、一般にゲームと呼ばれるものの「大前提」なのです。なぜなら、この定義は、コスティキャンの定義による「ゲーム」はおろか、その中には含まれないが、一般に「ゲーム」と呼ばれる、すごろくやシムシティなども含むからです。
 株式売買など、現実の物事を「ゲーム」に例える事が出来る場合も、それらに使用する<材料>を、現実世界の中から得ているからです。それらは「神」の手によって、事前に用意されているのです。
 
 ところが、TRPGの舞台である「未設定の仮想世界」は、他のゲームの舞台のように、事前に全ての<材料>がそろっているわけではありません。それはむしろ、ゲームの舞台というより創作の舞台となるべき仮想世界の姿でした。これがTRPGのゲームとしての立場を微妙にしているのです。
 少なくとも、そのままではTRPGがまともなゲームとして成立する事はありません。(現実のセッションの多くでも、戦闘や能力判定が、単なる物語上のアクセントや演出になっているケースが多いでしょう。ダンジョン時代にはそういう事は少なかったはずです)
 
 それゆえ、いかにして<材料>を固定するか、というのがTRPGをゲームとして楽しもうとする人の命題になります。「プレイヤーはシナリオ進行に反する行動はすべきでない」「戦士や僧侶などキャラクターに与えられた役割はきちんと果たそう」というのも、実はこの<材料>を固定するための方法論であると言えるわけです。「演技などは感情移入のための手段でしかない」というのも同様です。
 馬場講座に代表されるゲーム派と呼ばれる方々の意見のうち、もっとも重要な部分を要約すると、「TRPGを、ゲームシステムとシナリオによって用意された<材料>の中で楽しもう」と言う事になるわけです。
 
 これらの手段は、それなりに効果的な提案です。が、十分とは言えません。それは、「TRPGは本来ゲームである」という考えに甘えた結果であったのではないかと、私には思えます。それゆえ、私は「TRPGはゲームだ」という主張には批判的だったのです。
 
 さらに、これらの主張には、現在主流となってしまった「未設定の仮想世界」を十分に生かすための方法論が抜け落ちています。この点についても、私としては問題を感じていました。
 
 創作であろうと、ゲームであろうと、TRPGの遊び方を考える上では、この魅力的だが脆く危険な「未設定の仮想世界」というものをどのように運用していくかというのが、非常に重要になってくるのではないでしょうか。
2000年10月19日:12時40分38秒
【RPGの定義】 / さわがに
>myrtさん
 >ゲーム中デザインはゲームの枠には入らず、PLはゲーム
 >とゲーム中デザインの 2重構造でプレイしている、と
 >いうのが現在の私の考えです。
 
 ルールを超えた行動を、ゲーム中デザインと定義するわけですね。
 ただそれだけだと、「プレイヤーはルールに沿った行動とルール以上の行動をする」と言っているのと変わりないような。
 
 >私は自爆行動がPCの観測可能な範囲での最良行動になる
 >ようにゲームをデザインしているのではないかと思い
 >ます。
 
 それも言い換えると、「プレイヤーはルールに従ったりキャラとして行動したりするのと別に、自分たちが楽しむ/楽しませるための行動を行う」ということと思えるのですが。そして、それは遊びである以上、その通りです。
 ゲーム中デザイン、という概念が、どのような説明能力を持つかが分からないと、新しい用語の導入が意味を持たないと思います。
 
 >リプレイに自然言語が必要(必要十分でなくて)であるかどうかで分けられないでしょうか。
 
 リプレイは忘れて単に「ボードゲームでは、PLの選択肢やリソースが記号化できます」ということで良いのでは?
 ただ、ディプロのように記号化できない選択肢もありますね(特定時間内で情報交換し、関係を築くのは、ゲームです)。
 
 「動かせないルールがまずあり、それに沿ってストーリーテリングをする場合もある」……というのでは、いけませんかね?
2000年10月19日:10時25分58秒
【RPGの定義】リプレイ形態で分ければ?? / myrt
ゲーム中デザインはゲームの枠には入らず、PLはゲームとゲーム中デザインの 2重構造でプレイしている、というのが現在の私の考えです。GMはゲームデザインのみ。 切り離せない部分は...両構造の行動が一致した場合は問題が発生しません。 それらが相反するときが問題で、そのときどうすべきかが論争の種に なっているのだと思います。

その場のノリで自爆、というのは馬場講座に良い例があがってい ます(クトゥルフとゴーストバスターズの例)。ここでは目的の多重性のためと なっていますが、私は自爆行動がPCの観測可能な範囲での最良行動に なるようにゲームをデザインしているのではないかと思います。

>TRPGとボードゲームの違いは、かなり曖昧だと思います。

ボードゲームでは、PLの選択肢やリソースが記号化できます。 リプレイに自然言語が必要(必要十分でなくて)であるかどうかで分けられないでしょうか。
#でも、記号だけのディプロマシーリプレイは見てて楽しくない。
2000年10月18日:13時39分57秒
【RPGの定義】ゲーム中デザイン / さわがに
>myrtさん
 
 ゲーム中デザイン……つまり、ゲームが始まる前じゃなくて、始まってからマスター、プレイヤーがリソースを、必要にかられて再調整、再定義すること、というのは当然あると思います。
 ただ、それをあくまでゲームの枠で捉えるなら、myrtさん自らが例に挙げた「プレイヤーが自分のPCにとって不利な提案を行う」というのは説明できない、と思うんですがどうでしょう?
 
 プレイヤーとして気づいてしまったことなら、それを黙らずにマスターに進言する、というのならスポーツマンシップの考えで説明できなくもありません。
 ただWARPSの抑制力チェックの楽しさみたいな、ついシナリオで自爆してしまう面白さ、というのは何も「自分の不利になることでも、真実ならば審判に進言する」って雰囲気じゃぁないでしょう。
 
 また「その場のノリ」で自爆するのが面白い、というなら、その時点で「コスティキャン的な意味のゲーム」は成立してないでしょう。大きく見直しを測るべきです。
 
 >ボードゲームでも駒を能動的に動かして話を作っていく
 >ことができるため、「ストーリーテリング」では広すぎ
 >るように思えますので。
 
 駒を能動的に動かして、お話を作れる自由度がある程度高くなれば、その時点で充分TRPGだと思います。
 格闘級シミュレーションの駒に名前を付けた時点でTRPGが誕生したわけで、D&D3Eなんかそんな感じですし。
 
 TRPGとボードゲームの違いは、かなり曖昧だと思います。
 
 強いて言うなら、ボードゲームは「動かせないルールがまずあり、それに沿ってストーリーテリングをする場合もある」。
 TRPGの場合は「ストーリーテリングがあり、それに沿ってルールを運用する」くらいでしょう。
 もっともTRPGだってルールから発想する場合や、またルール内で定められたオプションをきっちり運用する場合があるのはご存じの通り。
 
 でこの場合、がちがちのボードゲームは、ストーリーテリングのためにルールやリソースを変えることはできないので、「ゲーム中リソース変化=ストーリーテリング説」にはあてはまりませんね。
2000年10月18日:11時09分11秒
【RPGの定義】ゲーム中デザイン / myrt
電脳紙芝居さえゲームと呼ばれるご時世ですが、私の文中の「ゲーム」 は「コスティキャン的な意味でのゲーム」のつもりです。「コス ティキャン的な意味でのゲーム」が どこまでの範囲を示すかについての議論には興味がありますが、「ゲーム」や「RPG」という用語は どこまでの範囲を示すべきだろう、という 議論には今のところ興味がありません。また、良い代替用語があれば それを使用することには何ら反対ではありません。

> ただ「茶番」という言葉には悪いイメージ(例:「ばからしい、底の見
>えすいたふるまい」広辞苑)があるので、後者を茶番、と呼ぶのはやめた
>ほうがいいということを提案します>myrtさん

ちょっと違うような気もしてますが、とりあえず「ゲーム中デザイン」と 呼ぶことにしてみます。ボードゲームでも駒を能動的に動かして話を 作っていくことができるため、「ストーリーテリング」では広すぎる ように思えますので。

> んで、この二つは対立するわけじゃなく、1個のゲーム、1個のシナリ
>オ、1個のプレイの中で併存できる。

そこが難しいところです。例えば前述の戦闘の例で、飛び道具が得意な PCを持つPLがいたとします。そのとき、そのPCが遮蔽物と射線を求めることは「ゲーム」的に自然であり、PLがGMに対してそれらを要求するかもしれません。

人間の認識について考えてみると、必要になってからあわてて見回して 発見するという過程は自然です。見回さないと発見できないわけで、この 要求は「ゲーム」的と言えます。しかし、GMはあらかじめそこまでは考えてない ことはよくある話で、「ゲーム中デザイン」的でもあります。

考えがまとまらないのでとりあえずここで。現在の私の思考のキーワードは スポーツにおける「スポーツマンシップ」と「審判への抗議」、「その場の ノリ」です。
2000年10月17日:19時58分55秒
【RPGの定義】ストーリーテリングとゲームの概念 / 匿名希・望
昔、書いたんだけど自分としてはRPGを「物語を(プレイヤー全員にとって)面白くする事を目標としたゲームの総称」と定義してます。
#この場合のプレイヤーはゲーム参加者って意味だからGMも含まれます

んで、以前は何故この定義にしてるのか理由が無かったので、もう一度書く事にした訳ですが。

個人的には、定義はできるだけ、現状で「RPG」と呼ばれてる物とその遊ばれ方の実態に広く適用できるものの方が、言葉をいくつも作る手間や、他の物を排除する危険が少ないと思ってるからです。
勿論、際限無く範囲が広がっていく可能性が在る訳ですが、それはRPGの下にサブジャンルを設けたりすればいい事だし、狭まるよりも広がる方がジャンル全体の活力が上がると考えてるのでこの点のデメリットは無視してます。
#余談だけど「RPGとは何か?」って、RPGをSFに変えたらSF界であった事と非常に似てるんだよね(^^;
#興味がおありの方はSF関係の雑誌なり、サイトなりを当たってもらえると今の問題を考えるヒントが見つかるかもしれません

んでもって、更に言えば(コスティキャン的な意味での)ゲームっていうのはシステム(toyである場合もある)とその使用法が合わさって始めてゲームとして捉えられる物と思ってるので、個々のシステムについて「これはゲームか否か」を問うてもしょうがないんですよ、俺的には。
俺は、どんなシステムやtoyだろうがどう使うかは使用者の勝手だと考えてますから。
#少なくとも法に反したりさえしなけりゃ。
#シャドウランのルールブックで人を殴ったりとか(笑)

早い話、プレイヤーの意識の上で、ゲーム世界を物語世界に見立てて、ゲームの目標を元のゲームの目標ではなく物語を面白くする事(一致する事もあるが基本的に独立)に置けば(それが可能ならだけど)、元が何であろうが、それこそシューティングでも格ゲーでもディプロマシーでもチェスですら、RPGと呼んだって何の差し障りも無いんですよ。
#それがいやだって人には受け入れられないでしょうけどね
2000年10月17日:18時17分59秒
【RPGの定義】茶番 / さわがに
 TRPGにおいて、プレイヤー、マスターのやりとりは、ゲーム的な「マスターvsプレイヤーの、目標設定と解決」で捉えられない部分、というのは当然あると思います。
 キャラクターとして大まじめに振る舞いつつ、プレイヤーとして自分で勝手に危機を作ったりするのが面白いのは、誰しも経験があると思います。同様に、マスターとプレイヤーが共同で打開案を考える、なんてこともある。
 
 リソースをきっちり準備することが面白さにつながるシーンもあれば、プレイヤー、マスターでわいわいやって、条件をどんどん作っていくのが楽しい場合もある。
 
 ただ「茶番」という言葉には悪いイメージ(例:「ばからしい、底の見えすいたふるまい」広辞苑)があるので、後者を茶番、と呼ぶのはやめたほうがいいということを提案します>myrtさん
 
 後者のような遊び方をどう定義するかです。
 キャラごとに違う目標、シナリオ的な目標に加え、プレイヤーの意図やマスターの意図が加わった複合構造による、多重的なゲーム構造の導くところの、目標、とか考えてもいいんですが、そこまで難しく考える必要は、ない。
 
 TRPGってのは、語るゲームなわけで、その中には「話を収束させる楽しさ」と「話を発散させる楽しさ」の両方があるってことじゃないでしょうか。
 はっきりしたゲーム構造の中で、行動とその結果をつきつめる遊び……例えば、戦闘での知恵と工夫をこらした解決。これは、お話を収束させる楽しさです。
 みんなでわいわい語って、お話そのものを作っていく……例えば、myrtさんが上げたような、その場に「通行人」や「犬」とかをどんどん登場させてみる。これは、お話を発散させる楽しさです。
 
 んで、この二つは対立するわけじゃなく、1個のゲーム、1個のシナリオ、1個のプレイの中で併存できる。
 勝手に禁じ手を作って自分を窮地に追い込んだ上で、頭を使ってその窮地を逃れる方法を考える、時もあります。
「戦闘に勝ちたいなら、自分で禁じ手を持ち出すべきじゃない」というのはゲーム的には正しい(そしてプレイによっては止めたほうがいいこともある)。
 
 ただ、でもやっぱり自分を危地に追い込むお話を考えるのは、とってもわくわくして楽しい。だから、つい言ってしまう。
 それが、ストーリーテリングの面白さってことだと思います。
2000年10月17日:12時41分10秒
【RPGの定義】デザイン / myrt
(Re:2000年10月16日:15時59分41秒 茶番に関して / LISTさん)
> 適切にいじろうと努力することを推奨する。
:
> むしろ、手をだしていい範囲を守れという方が多くないですか?

非常に多いです。しかし、一般のゲームにおいてそのようなコメントはありません。 なぜなら、一般のゲームはゲーム中にデザインしないのでそのようなコメントは 必要ないからです。必要であるのは、それがおこりうるからです。

ゲームデザインでは、同様のアドバイスがよくあります。ゲームデザインは ゲームですか??私は違うと思います。だから、私は「TRPGはゲーム要素を 含むがゲームではなく、ゲーム要素と相反する茶番の要素も含む」と主張し ています。


> (前略)しかし、一般のゲームでゲーム中に、ルールブックの裏付けなし
>に「あ、その手は実は禁じ手なんだ」とかいわれたら茶番の気配がただよい
>ませんか??

>こういった事柄を言っているのでしたら、茶番以前に論外だとお答えします。
>こういった場合は想定していませんでした。

ところが、TRPGではこれが茶飯事です。マスタースクリーンに隠れているため、 PCにはリソースと即席リソースを区別できないことになっています。 また、PLは即席リソースを動的に作っていける(そして手を広げたり、狭めたり できる)ことを知っており、ときにはその作業に参加します。

例えば路上で戦闘になったとき、GMとPLが共同して即席リソースをどんどん 作っていく場合が考えられます。

PL A: 路上ということは路上販売の人たちがいるんじゃないか??
PL B: 通行人がたくさんいますよね。
PL C: じゃあ大振りの武器は使えないな(禁じ手の発生)。
PL D: 驚いた犬が走り回ってると面白いよ。
GM : じゃあ、こうしよう...

このとき、PLはゲーム的に有利な提案をすることは好まれません。 整合性があり、面白いことが重要--ゲームデザイン作業です。これを、 私は茶番と呼んでいます。


(Re:2000年10月16日:19時51分32秒キャラクタの活用に関して / LISTさん)
> つまり、キャラクタ (の持つ目的)を、プレイの目的を作成する材料として
> 活用する点がテーブルトークの他に無い特徴である。

TRPGでそのような楽しみ方ができて、TRPG以外でそのような楽しみ方でできない かもしれませんが、そのような楽しみ方をしないTRPG(ルールじゃなくてセッシ ョン)も存在すると思っていま す(単純目標があり、サブゴールをどんどん満たしていくとか)。そうであれば、 その基準ではTRPGと他のゲーム(例えばSLG)の区別はできません。
2000年10月16日:23時26分34秒
RPGかつSLG(RE:キャラクタの活用に関して) / 白鬼
キャラクター性を活用しているSLG(主に歴史モノで、指揮官が有名なモノに多い)と、戦闘ルールの厳密なRPG(ルーンクエストや、トラベラー等)を、分ける境界線が存在するか?
というのが、元々の争点だったと思うのですが、そもそもSLGとRPGに境界線を探すこと自体が無意味ではないでしょうか?
というのも、明文化されたルールのみに従い戦闘するものはSLGと言って差し支えなく、特定の自分で無い誰かを演じるならばRPGと言って問題無いと思います。
つまるところ、最初に挙げたものは、どれもRP・SL・G(ロールプレイング・シミュレーション・ゲーム)と言えると思うのです。
同様にウルティマ・オンラインや、ディアブロなどのチャット機能を活用して多人数で遊ぶ形式は、チャット・コンピュータRPGもしくは、チャットRPGを広義のテーブルトークRPGに含めるならば、テーブルトーク・コンピュータRPGと呼んで差し支えないと思います。
#バトルテックとメックウォリヤー、メックナイツ、マイトレーヤ、ジークジオンなんて、RPGなのかSLGなのか良くわからなくなります。

恐らく、複数の要素の組み合わでもって、一つの概念で定義しようとすれば、組み合わせの問題が発生し、境界線はいつまで経っても結論が出ないでしょう。
本気で定義を考えるならば、各要素を一つ一つ洗い出して行った方がいいと思います。
"定義"発祥の地である数学でさえ、何が数学か?という厳密な定義は存在しませんからね。
2000年10月16日:19時51分32秒
キャラクタの活用に関して / LIST
>> myrtさんが反論できないのは、キャラクターという要素を十分に活用 >> しない(もしかしたら 「したくない」 )事が原因なのではないでし >> ょうか?

>十分に活用すると、どのような説明ができるでしょうか??「あるキャラクターを表現し、ルール内でそのキャラクターっぽく振舞わせたり、なりきって喜んだりする」にはボードゲームで十分です。
ええと、これですと myrtさんは、キャラクターの活用に関して、
「あるキャラクターを表現し、ルール内でそのキャラクターっぽく振舞わせたり、なりきって喜んだりする」

これらの部分しか楽しんでいないように見えますが、これで合っていますでしょうか?
これ以外のキャラクタの活用を説明すればいいのでしたらば、以下のようになるかと。

1:テーブルトークはわざとゲームの目標が無い状態で用意されており、
2:マスタは仮目標としてシナリオを提示し、
これに
3:キャラクタ各自の目的を掛け合わせてプレイの目標とする。

つまり、キャラクタ (の持つ目的) を、プレイの目的を作成する材料として活用する点がテーブルトークの他に無い特徴である。
myrtさんはこの点でキャラクタを活用なさっていないのではないでしょうか?

以上でよろしいでしょうか?


蛇足かもしれませんが少々解説を。

アステロイドだったとおもいますが、駒(キャラクタ) がパーソナルゴールを持ったゲームがあります。
当然ながら、全体の目的と同時に各自のゴールを目指しますので、選んだ駒が違えば全体のプレイも変わります。
ですので4〜5つの駒(=目的) の組み合わせによって、かなり多様な展開が楽しめるゲームです。

さて。
テーブルトークでは駒 (キャラクタ) の目的がプレイヤー次第で自由です。

…まだ説明が必要でしょうか?


いままでのトコを言い換えます。

テーブルトークでは、キャラクタの目標はゲーム目的を決める要素として必要とされていますが、myrtさんはこのカタチでキャラクタを活用された事はありますか?


「あるキャラクターを表現し、ルール内でそのキャラクターっぽく振舞わせたり、なりきって喜んだりする」
こういった楽しみだけで良いなら、シミュレーションゲームで充分です。
というか、現にわたしもスパロボをこの楽しみのために買っています。

でも、テーブルトークは違う楽しみが得られるのでテーブルトークも続けているわけです。

過去ログで、ある人はテーブルトークを相互作用の遊びだと言っています。
シナリオがあってキャラクターがいて、それらが相互に作用してゲームを形成する事を、その人は相互作用という言い方で表現したわけです。
まさにこの通りだとおもいます。


今回は以上です。ではでは〜
2000年10月16日:15時59分41秒
茶番に関して / LIST
本題の流れとは外れるし、長続きするとも思わないので識別子はつけません。

myrtさん wrote:
> 「適切にいじろうと努力する」ことはあちこちで推奨されていると思いますが。
(中略)
> #例えば援軍とか。

余裕のあるリソースを準備しただけでしょう。
あるいは、余裕を持たせましょうとアドバイスをしているのか。

適切にいじろうと努力することを推奨する。
これと同時に 「マスターはいつ何をしても許されるから好き放題手を入れろ」 なんて言ってる人や本は無いと思いますが?
むしろ、手をだしていい範囲を守れという方が多くないですか?

援軍であれ情報であれ道具であれ、それが何の脈絡も裏付けもなく、しかも距離や時間を無視して出てきたら、それは確かに茶番でしょう。

> (前略)しかし、一般のゲームでゲーム中に、ルールブックの裏付けなしに「あ、その手は実は禁じ手なんだ」とかいわれたら茶番の気配がただよいませんか??

こういった事柄を言っているのでしたら、茶番以前に論外だとお答えします。こういった場合は想定していませんでした。
例えマスターであれ、プレイ開始後に参加者の了承無しに、無いルールを強制したりルールを変更したりする権利はありませんよね?

#いや、こういうマスターがいるかいないかと聞かれれば、見た事も当たった事もありますが。

ただ、こういった論外な場合はテーブルトークのありかただのシステムだの以前の問題ですので、
今の流れである定義を語る場合には無関係になると思います。


以上でよろしいでしょうか?
キャラクタの活用に関しては別記という事で。
2000年10月16日:12時32分57秒
【RPGの定義】/私なりの現在の結論 / myrt
>> myrtさんが反論できないのは、キャラクターという要素を十分に活用
>> しない(もしかしたら 「したくない」 )事が原因なのではないでし
>> ょうか?

>十分に活用すると、どのような説明ができるでしょうか??「あるキャラ
>クターを表現し、ルール内でそのキャラクターっぽく振舞わせたり、
>なりきって喜んだりする」にはボードゲームで十分です。

すみません、表現が不必要に喧嘩ごしになってしまいました。 私なりの現在の結論は、「TRPGはルールが不完全になので ゲームの範囲を逸脱して茶番の要素が入っているが、(ゲーム的、キャラクタープレイ的なものも含めて)選択肢の幅が飛躍的に広い」 というものです。
2000年10月16日:12時18分46秒
Re:【RPGの定義】/typo訂正 / myrt
我ながらオオボケかましました。


(Re:2000年10月16日:12時05分49秒【RPGの定義】 / myrt)
> ゲームの進行中でないときにデザインしないゲームのジャンルは山のよう
> にあります

ゲームの進行中でないときにデザインする、の間違いです。
2000年10月16日:12時05分49秒
【RPGの定義】 / myrt
(2000年10月13日:13時16分21秒 myrtさんへ / LISTさん)
>ええと、境界線が引けなくなるのはものすごく厳密に、それこそプレイに無関係な
>ほど厳密に ”定義” を論ずる時だけです。でなければ境界線は引けますよ。

「TRPGってどんなゲームですか??」という質問に対して「GMがコ ンピュータの役をやるCRPGだ」以上の回答をして、「Nethackでも ここまでできるぞ」とか「じゃあウルティマオンラインとどう違 うんだい??」とか「ディプロマシーと(同様)」いう突っ込みを 食らってもに答えるためにはそこまで厳密にならないといけないと 思います。

たしかに馬場さんの講座にある「コスティキャンのゲーム論」内の 項目「−ロールプレイ」の、「ヒーロークエスト」の例だけで 十分であるといえばそれまでかもしれませんが、ここの記述だけでは 不十分だと思います---少なくとも他人への説明には使えません。

> myrtさんが反論できないのは、キャラクターという要素を十分に活用
> しない(もしかしたら 「したくない」 )事が原因なのではないでし
> ょうか?

十分に活用すると、どのような説明ができるでしょうか??「ある キャラクターを表現し、ルール内でそのキャラクターっぽく振舞わせたり、 なりきって喜んだりする」にはボードゲームで十分です。

>あと、茶番ですがこれはちょっとアレですね。
>GMと言えど事前に用意したリソース(敵のボスもリソースです)をつじつま
>合わせにいじったらマズイです。

「適切にいじろうと努力する」ことはあちこちで推奨されていると思いますが。 また価格の例であげたように、GMは不完全なゲームを独断でデザインする 権利を与えられており、あらかじめ用意されていない(あるいは調整のために わざと用意しない)部分に対して同様の結果が出ることは十分にありえます。
#例えば援軍とか。

>プレイの演出などにはデザインに近い要素もありますが(あまり良い例では
>ないですが、マジックなどでの版での規制とかです)

ゲームの進行中でないときにデザインしないゲームのジャンルは山のように あります(オリンピックのバサロ泳法制限の例とか)。進行中に変える例も まれにあります(草野球で、あまりに悪送球が多いので途中から盗塁禁止とか)。 しかし、一般のゲームでゲーム中に、ルールブックの裏付けなしに「あ、その 手は実は禁じ手なんだ」とかいわれたら茶番の気配がただよいませんか??

(【マスターもプレイヤーの一種?】 / Kskさん)
>myrtさんのおっしゃる「茶番」がGMのアドリブの決定であるとすれば、
>続く仮説も含むことができていると思うのですが、どうでしょうか。

GMとPLのやっているゲームの次元が異なる点が問題だと思います。 同じ(メタゲーム)にすると、前述の問題が発生します。

>どうもいろいろ見ていると、馬場さんの講座に対して無意味に攻撃的な気がします。

私は馬場さんの講座の「ゲームは面白い。そしてその理由」と「TRPGをゲーム的に 楽しむと面白い」と「ゲーム性を無視したTRPGはなにか間違ってる」という点に ついて非常に感銘を受けました。しかし、「TRPGはゲームだ」という観点 からCRPGとの相違を語っている部分については「それは どうかな??」と思い、それを納得できる形で説明できる理屈を探しております。 無意味と思われる方もおられると思いますが、私は私なりに深刻なのです。

(【RPGの定義】序文:先験的に正統なものはない / 匿名希・望さん)

>では「RPG」という言葉をどうやって決めるかという話につながるわけです。
私の立場は以下のとおりです。

メーカーなどがつけた名前ではなく、ある議論している集団内で対象を識別 するために用いるもの。その集団内で、ゲーム類の全体集合を
1.大多数が、これはRPGだと断言する。
2.大多数が、これはRPGではないと断言する。
3.意見が出ない、あるいは割れる。
と分けたときに、1.と2.を区別するもの(3はとりあえず無視する)。
2000年10月16日:04時03分59秒
TRPG総合研究室 LOG 051 &Amp; 052 / sf

 過去ログを切り出しました。



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