TRPG総合研究室 LOG 044

TRPG総合研究室の2000年04月02日から2000年04月21日までのログです。


2000年04月21日:17時42分28秒
自分のRPGの定義 / 匿名希・望
#どうも自分の旗色を先に鮮明にしておいた方がここでは誤解を招きにくい気がするので。

最初に言っておきますがこれは俺の定義です。
別に「公式的」な定義には全く興味がありませんので誤解なきよう。

「RPG(TRPGだけでなく)とは、仮想世界内のキャラクター(時にはそれ以外のトークンも)を操作する事で参加者にとって面白い物語を生成させるゲームである」

言葉にすればたったこれだけです。
CRPGもプレイヤーの意思で操作できる範囲が(比較的)制限される・複数プレイヤーによるインタラクション作用がない(ネットPRGは別)、だけでRPGの範疇に入ります。

ここで誤解されると困るのですが、「物語を作りたいなら小説を書け」とか言うのは、ボクシングで「相手を倒したいなら銃を使え」とか言うのと同義です。
「物語を創る」のは「ゲームの目標」であって「ゲームをする目的」じゃありません。

ちなみに俺はゲームの本質は意志決定だと思ってます。
ただし、RPGに関しては馬場氏あたりとは「目的」が違います。
「より話を面白くする為」に、「(PCでなく)プレイヤーとしての立場で」意志決定します。 勿論、ルールは守られるべきです。
「PCのルールにのっとった行動を通じて」という、「制限」のもとに「目的」を達成するのでなければゲームじゃありませんからね。
#どうでもいいが、「ゲームの本質は意思決定である」というのは「ゲームの本質は意思決定“だけ”である」とイコールではないと思うのだが。
むしろ「全てのゲームに共通する本質的要素は〜」とするべきでしょう

ついでに言っとくと実際のプレイから、あるシステムがSLGかRPGかと言うのはあんまり俺的には意味の無い問題です。
何らかの変形を行えば、大抵のものは想定外の使用法があるもので、ゲームというのはシステムと実際のプレイが合わさって初めて定義しうると思ってるので。

俺としては基本的に買ったものをどう使おうが当人の自由だと思ってます。
#俺はトンデモ本が好きですが、あれも製作者の意図と違った楽しみ方ができるものですな。
2000年04月21日:16時40分09秒
もう一つの手段(Re:システムの判定方法から推測する、求められる参加者の意識) / 匿名希・望
>コンセプトは、判定システムによく現れる、と個人的には思っている。

ここで言うのは「ゲームのタネ!」という富士見ドラゴンブックで朱鷺田さんが言ってた事なんですが。

「一番経験点を貰えるプレイヤーが、デザイナーが想定する一番理想的なプレイスタイルでプレイしている(大意)」

という方法からも推測できるかもしれません。 この場合より(表面的には)細かい部分が明らかにされるでしょう。
もっとも、デザイナーが経験点ルールを十全にデザインできているという前提がいりますが・・・・。
2000年04月21日:16時19分26秒
Re:D&Dシステムの<構造>理解 / 匿名希・望
>アタシの理解が正しければ、「“D&D”1st.ed」のシステムもプレイヤーが継続的に遊び、PCが成長して行けば、言語コミュニケーションが必要不可欠な本来のTRPGの遊びかたに突入せざるを得ない、と聞いています。←これはアタシの誤認でしょうか?
> もし、うえの理解が過ちでなければ、最初期のD&DでSLGライクな遊ばれ方がされるのは、単に、オリエンテーリングとゆう妥当な理由で、システムのいろいろな要素を制限して特殊な遊びかたをするようにデザインされていた、だけ、とゆう評価になります。
> “D&D”は1st.edも2nd.edもTRPGでしょう。ただ最初期のSLGライクな遊びかたが特殊な遊びかたであるだけにすぎません。

いや、まさにそういう事を主張しているんですが・・・。
「構造に無自覚・・・」云々は単にそういった要素の削ぎ落としをしてもSLGとして成立するぐらい、言語システム部分との数学的システム部分のゲームシステム内での一体度が低かった事の原因についての憶測にすぎませんよ。
#実際の所、「構造」より「概念」の方が適切だったかも

> 最後に念のために注記しておきますが、〈構造〉的にジャンルを整理し論じる、とは当然の前提として、ジャンルを常に、共時態として捉え直してゆくって方針も、含んでいます。
> 従って、〈構造〉的ジャンル論にTRPGジャンルの歴史発展過程を混入させることはノイズにすぎません。
> それは、理論的に要請されるある整理を歪めるだけです。

という訳で、別に〈構造〉的ジャンル論とはあんまり関係ない話題なんです。すいません(^^;
#ちなみに「無自覚」というのは必ずしも否定的意味合いでは使ってません。
2000年04月21日:15時37分53秒
【考察】:システムの判定方法から推測する、求められる参加者の意識 / びぜん@備前屋


【システムの判定方法から推測する、求められる参加者の意識】


◇はじめに


 システムはコンセプトから作られるのが望ましい、というのが私の意見である。逆に言えば、コンセプトが明確なシステムであれば、参加者にこのように遊んで欲しい、という指針を内包していると考えられる。
 コンセプトは、判定システムによく現れる、と個人的には思っている。よって、そのルールの判定システムから「そのルールは、参加者にどのように楽しんで欲しいのか」「そのルールで望まれるセッション、参加者の意識はどのようなものか」といったところを、考え付くままに書いてみた。


 私の考えでは、判定システムは、大きく次の4ケースに分けられる。
 すなわち

ケース1:完全なランダム
ケース2:1部分、参加者の意志による操作が可能
ケース3:普遍的に判定を参加者が操作可能
ケース4:判定の操作に演出(後述)が必須


 である(この他に「ケース5:判定に演出が必須」というのもあるが、あまりに特殊なのでここでは除く)。
 では、それらを順に解説していきながら、同時に上記の目的を記述していきたいと思う。


◇4ケースの説明

ケース1:完全なランダム(例:D&D)
 判定は完全なランダムで、人間の意志が介在する余地はない
 ゲーム的なキャラクターの成長や、アイテムの効果と行った、ルールからのサポートが成功確率や効果を増減するのみである。

ケース2:1部分、参加者の意志による操作が行える(例:WARPS)
 判定はランダムであるが、全てのPCが、参加者の意志により判定を有利・不利に出来る何らかのルールを所持している。参加者の意志によって、ランダマイザの結果や、本来ならそれによって導き出される結果を変更・改変できる。
 WARPSでは、ヒーローポイントがそれに相当する。

ケース3:セッションを通じて、判定を(ある程度)参加者が操作できる(例:N◎VA)
 ランダマイザに対して、参加者の意志が完全に介在する。この場合、セッションを通じて、ランダマイザの結果やその大小は、ある程度参加者の予想の範囲内に有る。参加者の意志による、結果の調整が可能である。
 N◎VAでは、ランダマイザであるトランプを参加者に持たせる事で、ある程度自由な結果の調整を可能にしている。

ケース4:セッションを通じて、参加者がユニットの「心情・場面・台詞などの表現(以下、これを「演出」と略す)」を行う事により、判定の操作が可能(例:深淵)
 この場合、参加者は主にプレイヤーであり、ユニットは主にプレイヤーキャラクター(以下PC)である。
 ランダマイザの結果を変更・改変する為に、プレイヤーがPCの演出を行わなければならない事が明示されている。これはルール的に「ボーナスを使いたい」というプレイヤーの意志だけでは、ボーナスが与えられない事を示している。ボーナスを使用する為には、プレイヤーの意志をふまえた、PCの演出が必要なのである。
 ただし、この時ボーナスが使用可能かどうか判断するのは、おそらく第三者である。よって、その演出がボーナスを与えるに値するかどうかを判断する価値基準が、判断者によって異なる可能性が高い。(システム作成者は、判断基準をどれだけ明確にするかを問われる事になるだろう)
 このケースは、上の3ケースとは違い、「ルール以外の部分にシステム運用の基準が起用された」ケースである。
 深淵では、縁故の使用ルールがこれに相当する。


 現在私の知っている限りのTRPGは、一部を除いてこの4ケースに当てはまる。勿論複合するケースも有る。ケース1は、基本的に全てのケースが複合で持っている筈である。
 では、この4ケースを分けると、何が判るのか。私はここから、そのシステムが何を再現したいのか、参加者はどうすればそのシステムで楽しめるのか、をある程度明確に出来ると思っている。


◇4ケースから想像されること


 まずケース1であるが、これは判定が完全なランダムである事から、ランダマイザを扱う事によるスリルや興奮を参加者に楽しませる事を目的としていると考えられる。さらに、ランダムである筈の結果を、ルールの範囲でどこまで操作できるかを競う事も楽しめるだろう。例えば、それはより有利な装備であり、地形であり、技能である。
 システム的に、プレイヤーの意図(絶対に成功させたい・効果を更に拡張したい)通りにランダマイザが操作され得ないので、判定はスリリングである。よって、プレイヤーの意図によるランダマイザの操作や、PCの演出はシステム上必要とされない。
 よって、システムが望むセッションは、ハック&スラッシュなど、セッション中のスリリングな体験を期待されるものであると予想できる。


 ケース2は、セッションに、ある程度の予定調和を約束してくれるシステムと言える。ケース1のスリリングさを残しながらも、ここぞという時に効果を操作できる要素を追加した事で、ある程度、参加者の想定どおりにセッションを展開できるだろう。少なくとも、ケース1で充分に起こりうる「不意の事故による、PCのセッションからの離脱」は少なくなるはずである。
 このケースのシステムを使用する際には、参加者は、先の展開に対してある程度の予測をつけておく事が必要になるだろう。システム的に、ランダマイザを操作できる機会は少ないはずである。よって、ランダマイザの操作を、いつ、どのように使うかが重要になってくるからである。先の展開を予測して、いつ、自分に与えられた特権を使用すべきかは、このシステムで遊ぶ上で、極めて重要な要素であると言える。逆に言えば、先の展開がある程度予測されるシナリオが必要になってくると思われる。
 ハック&スラッシュ系のシナリオを用意したとき、マスターは、予定調和的終結を覚悟すべきである。また、システムが補佐しているのであるから、参加者は予定調和的終結に対してとやかく言うべきではない。
 よって、システムが望むセッションは、最終的な調和を参加者の意志で達成したことと、そこに至るまでの障害を乗り越えた事による二つの満足を満たすものであると予想できる。


 ケース3は、参加者全員がセッションの運営者であるケースとも言える。ユニットの生殺与奪権は基本的に誰も持っていない。よって、セッションは最後まで運営されるものとして想定される。また、セッションの進むべき方向を操作するのは参加者全員であり、この点に関してマスターの権限は、上記2ケースに比べて極めて少ないと言える。
 ここでマスターは、二つの道を用意する事が出来る。
 一つは、ルールを突き詰める事で、操作されうるランダマイザの内容を予測し、「ランダマイザを操作する事により生じるスリル」を楽しませるセッションをハンドリングする事である。
 もう一つは、生殺与奪権をプレイヤーに一任する事で、ランダマイザの使用以外、すなわちストーリー(ここではユニット相互の行動が、時間的に連続して行われていく事で結果的に作成された話の流れ、とする)の展開に興奮を感じさせるセッションを運営する事である。
 よって、システムが望むセッションは、ランダマイザを操作する事による快感をつきつめたものか、満足できるストーリーを参加者全員で作り上げていく事による快感を与えるものか、あるいはその両方を含めたものか、の三種類であると予想できる。


 ケース4は、ケース2に、参加者による映像・小説的演出が付加されたものと考えられる。TRPGの運営の都合上、それの多くは口頭によるものと予想されるが、その他のケースもあるかもしれない。
 これはケース3で作成されるストーリーに対して、映像的・文学的な表現を付け加える。それにより、TRPGのセッションに、より創作物的なニュアンスを与えるものと言えるだろう。システム作成者には、TRPGのセッションの結果、ヴィジュアライズされた「物語」(あるいは「作品」と言えるかもしれない)を創造しようとする意図が有ったと考えられる。
 このケースは、参加者全員が製作者であり物語の参加者となる事をシステム面から推奨している。キャラクターには、文字どおり物語の中の1キャラクターとしての立場が与えられる。このケースでは、ランダマイザは物語の展開に刺激を与える為の1要素となる。ランダマイザはキャラクターの演出、つまり心情や場面や台詞の変化によりその値を変化させ、物語に起伏を与えるだろう。
 よって、システムが望むセッションは、全員で物語・作品を作っていこうというものと予想できる。これはケース3のストーリーより、より強力に映像・小説・作品的である。制作された物語・作品の出来に対して、参加者は快感や満足を覚えるだろう。


◇さいごに


 TRPGのシステムによって、求められる参加者の意識が違うのではないかということをまとめてみた。まとめてみて、システムの好みや、プレイヤーのセッションに望む姿勢に違いがあるのは至極当然である事を理解したつもりである。また、現在それに悩んでいる方に、ある程度の示唆を与えられるのでは、と思う次第である。


 まとまりの無い文章で申し訳なかったが、以上で私の文章は終わりである。読んでいただいた全ての方に、感謝の意を表したい。
 そして、この文章が、あなたの望むRPGや、嗜好しているシステムのその理由、ゲーム的、演技的などの論を組み立てる一助になれば幸いである。


2000年04月21日:09時18分52秒
部分修正:Re:演技無しで楽しむのは一向に構いませんが / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#曖昧な表現をもうちょっと明確化します
×: P.B.e.M.とか、リレー小説とか、それなりに賑わってるみたいですよね。
 あーゆータイプの人まで見込めば、初心者の中にも、逆に、数学的システムの解析は苦手だけど、言語システムの読解は大好き(上手いかどうかはまた別問題ですよね:苦笑)って人が〔割と〕いると思うんです。
  
◎: P.B.e.M.とか、リレー小説とか、それなりに賑わってるみたいですよね。
 あーゆータイプの人まで見込めば、TRPGに近いところで遊んでる未経験者の中にも、逆に、数学的システムの解析は苦手だけど、言語システムの読解は大好き(上手いかどうかはまた別問題ですよね:苦笑)って人が割といると思うんです。
2000年04月21日:08時14分02秒
Re:演技無しで楽しむのは一向に構いませんが / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>混沌太郎さんへ
 >「ゲーム的」(多分、数学的に? システマティックな)面白さを本体と考えて、ロールプレイングな(=言語システム的な)面白さを単なる追加的な要素と考えている限りは、言語システムが出来の悪いゲームに被せた糖衣にしか見えないのは無理もありません。
 >しかし、TRPGの楽しみを追求していった結果次第に拡大してきた要素であることを考えれば、夾雑物などとは到底思えません。
 
 >確かに初心者にはとっつきにくい部分があるかもしれませんが、それはまた別の話です。
 >初心者のためにそういったTRPG独特の「見えないルール」をスリム化したものは有っても良いかもしれません。

(「演技無しで楽しむのは一向に構いませんが」,混沌太郎さん記,当掲示板,2000年04月21日:00時11分08秒)

 
 混沌太郎さんの意見をお聞きしたいことがあります。よければ、お願いします。
 アタシが前から思っていた疑問があるんです(ここのところいろいろ考える機会が多くて明瞭化しました)。
 
 「初心者にはとっつきにくい部分があるかもしれません」これ、半分はわかるんです。
 ただ、アタシのように、ボードゲームもゲームブックも遊ばなかった(アーケードにはときどき行ってたかな)人間からすると、初心者って言われてる未経験者が、ゲーマーに偏ってイメージされてる気がするんです。
 
 えーと、例えば、TRPG経験者の中にも、演技(セリフや仕種←過剰演技ではなく)が苦手な人と、何の気無しに出てしまう人といるよね、って話があるんですけど。
 
 P.B.e.M.とか、リレー小説とか、それなりに賑わってるみたいですよね。
 あーゆータイプの人まで見込めば、初心者の中にも、逆に、数学的システムの解析は苦手だけど、言語システムの読解は大好き(上手いかどうかはまた別問題ですよね:苦笑)って人がいると思うんです。
 
 まず、そうした層を潜在ユーザーに見込むことについて、何かご意見あったらお聞かせください(←コレお聞きしたいこと1号です)。
 
 それから、こうゆう傾向の意見を述べますと、過去のアタシの体験だと、「数学的システムの解析が苦手なタイプは一時的にTRPGを遊んでもリピーター・ユーザーにならなかった」的意見をお聞きすることがあります。
 この件、混沌太郎さんがどのように思われるかは、アタシはわからないのですが。まぁ、そうゆうふうに思ってられる方もいるようです。
 で、アタシが思うに、どうも、「数学的システムの解析が苦手なタイプ」を、とりあえず、言語システムの面白味で、引き付けておいて段々ゲーム性についても理解するってガイド用の言葉がどうも足りない気がしています。
 
 この辺に何かご意見があったら、参考までにお聞かせいただきたいんです(←コレお聞きしたいこと2号です)。
 一昨日くらいまで、まほろばの一行掲示板で、この関連、いろいろ興味深いお話を、お聞きできたんですけど。
 
 例えば、「PCをそれらしくプレゼンテーションしてゆくこと」の全体を「演技」と呼ぶと、違和感持たれる人の方が多いようなのですね。
 「演技」ってゆうのは、個別のセリフや仕種のこと、って感じ方かな、と思います。
 もしくは、「セリフ」でも棒読みは演技でなくって、情感をこめなくては「演技」にならないって感じ方かもあるようです。
 それぞれの感じ方はわかる気がします(はじめはアタシ何を言われてるのかよくわかんなかったんですけど、はたのさんが根気よくお話してくださいました)。
 
 で、感じ方は人それぞれだと思うんですけど、「キャラのそれらしさを表してくこと」を「演技」とみなす言語感覚が、TRPGerの間に希薄だと仮定してみます。
 
 だとしたら、どちらかとゆうと、ゲーム性より、言語システム的な面に興味を惹かれるタイプの初心者の内から、バランスの悪い演技(過剰演技)に陥っちゃう人も出るかな、って気がします。(私見)
 アタシは、それって、個別のセリフや仕種をセッション展開の内でどう位置づけてったらよいのか、ってガイドが少ない、ってことかと思うんです。
2000年04月21日:00時31分27秒
Re: 演技無しで楽しむのは一向に構いませんが / Genich!


>演技の楽しみが主役であっても、それ以外の部分もしっかりしていなければ足を引っ張ってしまいますから。

こう考えている人が全てだと私も嬉しいのですが、 実際に私が過去会ったことのある自称「演技好き」の人の間では、
「ルールなんて無い方がいい」と言う人が非常に多かったのです。

そして、そういう人が購買層の大半を占めてしまったものだから、 彼らが「演技」と呼んでいるものだけで盛りあがるような製品ばかりが 市場にあふれるようになってしまった。 そうなるとますます「演技」しか楽しみがなくなって…
言語システムについても、RPG の楽しみを追求していった結果拡大してきたと言うより、この悪循環の中で RPG のつまらなさを補うために拡大してきた、 と私は認識しています。


2000年04月21日:00時11分08秒
演技無しで楽しむのは一向に構いませんが / 混沌太郎
>実は、「演技などが全く無くても十分楽しい RPG 」を作ることが、私の究極的目標だったりするんです。
>もちろん、そういう RPG でも、その上に演技などを加えれば十二分に楽しくなるのでしょうが。
むしろ一般的な方法論じゃないですか?
演技の楽しみが主役であっても、それ以外の部分もしっかりしていなければ足を引っ張ってしまいますから。
インフラ(ビジョン…じゃなくてストラクチャー)といいますか。

「ゲーム的」(多分、数学的に? システマティックな)面白さを本体と考えて、ロールプレイングな(=言語システム的な)面白さを単なる追加的な要素と考えている限りは、言語システムが出来の悪いゲームに被せた糖衣にしか見えないのは無理もありません。
しかし、TRPGの楽しみを追求していった結果次第に拡大してきた要素であることを考えれば、夾雑物などとは到底思えません。

確かに初心者にはとっつきにくい部分があるかもしれませんが、それはまた別の話です。
初心者のためにそういったTRPG独特の「見えないルール」をスリム化したものは有っても良いかもしれません。
でも、それがTRPGの有るべき姿というわけではありません。
例えば、ゲームブックなどは未経験者をTRPGに引き込むのに結構効力を発揮しましたが、あれはTRPGとは大分異なります。
2000年04月20日:22時57分40秒
RE:RPG とウォーゲームの比較 / Genich!

MOさんへのお返事です。

実は、「演技などが全く無くても十分楽しい RPG 」を作ることが、私の究極的目標だったりするんです。
もちろん、そういう RPG でも、その上に演技などを加えれば十二分に楽しくなるのでしょうが。
なぜそんなものを作りたいかと言うと、そういうものがあった方が「RPG を新たに始めよう」という人を獲得するのに都合がいい、と考えるためです。

今の RPG は、演技が全く無いと、たしかに面白さがいまいちです。これは確か。ゲームとして出来が悪い、と認識しています。
それで、「だからみんな演技しよう」と発想する考えもあるのだとは思いますが、 私は今のところ逆の方向を考えています。


2000年04月20日:22時44分27秒
RE:RPG とウォーゲームの比較 / MO(モー)
Genich!さん、はじめまして。

「言語コミュニケーション(又は演技/演出)をうまく使うとゲーム(RPG)はもっと面白くなるよ」
だから、
「RPG においては言語コミュニケーション(又は演技/演出)が必要とされる」
と、置き換えて見たら?

ウォーゲームでさえ、より面白くする為に演技/演出を使って盛り上がっているのに、
いろんなモノの良い所取りしたRPGでは、演技/演出は駄目だというのもなんだし。

その楽しみ方/方法が、足かせ/不自由と感じるかどうかが、
得意/不得意、好き/嫌いになっているとか?
(どちら/どれが先か考えてみると面白い)
#自分にとって、不得意だから、足かせと感じ、嫌いだ、とか?
2000年04月20日:21時50分31秒
Re:RPG におけるゲームコンセプト / Genich!

うー、実は、「書いたときにゲームマスターのことを忘れていた」というのが正解です。まったく恥ずかしい。「相変わらず隙が」と言われても反論できないな。
ゲームマスターの楽しみも重要だとの点には私も同感で、 指摘くださり感謝いたします > 河嶋さん。

それで、国産RPG についてですが、
ここ10年ほどのアメリカ製RPGが、代わり映えのしないシステムの上にちょっと目新しい背景世界をとっかえひっかえしているだけで進歩がほとんど無いのに対し、日本製RPGはコンセプトが明瞭化していて好感が持てます。
ただ、例に上げられた三作とも、やはりまだ足りない、という気がします。

「じゃあお前の満足できるような具体的なコンセプトを示してみろ」と言われると私も示せなくてごめんなさい。
ただ、誰もそういうコンセプトを示せないから RPG は斜陽の産業になってしまった、と言うか、RPG を再興するには誰かがそういうコンセプトを打ち出さないと無理だろう、とも考えているのです。


2000年04月20日:21時38分28秒
RPG の不十分なルールを補っているもの / Genich!

ところで、RPG のルールはそれだけでプレイするに十分でなく、言語コミュニケーションがそれを補っているのだ、と考える人もいるかもしれません。
私の見方はこれとは違います。不十分なルールで私達が RPG をプレイできているのは、「RPG はこうやって遊ぶのだ」という、いわば不文律のようなものが、私達のような RPG ファンの頭の中に存在し、それがルールの足りないところを補っているためだ、と私は捉えています。


「見えないルール」とでも言いましょうか。この「見えないルール」は人によって違います。プレイヤー同士の差が少しならば、たいした問題は発生しません。しかしこれが大きく食い違うと、プレイそのものが成立しにくくなります。
RPG の初心者は「見えないルール」をよく知らないため、あまりうまくプレイすることができません。これを少しずつ憶えて行くことで、うまくプレイできるようになります。また、ある RPG を初めてプレイする人の場合、その RPG 独自の「見えないルール」を知らないため、他の RPG をプレイして憶えた「見えないルール」を参考にしてプレイすることになり、最初のうちはいろいろうまくいかないかもしれません。

このように考えると、RPG のルール記述が不十分であるとしても、別に言語コミュニケーションは必ずしも必要ない、ということがわかります。もちろん、見えないルールを教え合う過程においては、言語コミュニケーションが重要な役割を演じます。しかしそれは、「RPG の学習過程には言語コミュニケーションが必須」ということであって、RPG のプレイそのものに必須であるというわけではありません。

ついでに言うと、「見えないルール」への依存が、RPG 人口を拡大する大きな妨げになっている、と私は考えています。ルールブックに書いてあるルールに比べ、見えないルールの習得は、かなり時間と手間を要します。
完全に依存を無くすことは無理でしょうが、見えないルールへの依存を少しでも無くすことが、初心者向け RPG をデザインする上での重要な課題でしょう。


2000年04月20日:19時51分40秒
なるほど、構造分析でしたか / Genich!

なるほど。私の勘違いでした。 てっきり、何かの役に立てるためにいろいろ考察を進めているかと思ってしまい、 その方向でコメントを書いてしまいました。 失礼しました。

構造分析にしろ記号論にしろコミュニケーション論でもあるいはその他の現代思想にしろ、鍼原さんの使われている手法は、現状では「解釈のための理論」の域を出ておらず、「綺麗な分類を作って知的好奇心を満足させる」ためなら重宝しますが、何かの役に立てるために応用するのは今のところ無理です。「これこれこうなるはずだ」という予言力を持たないため、カール・ポパーなどに批判されています。 また、テクスト分析は分析者の主観に大きく左右されることが問題とされている、という点もあります。

とは言え、鍼原さんが「TRPG というジャンルに対する鍼原的認識」という自己完結した体系を作って満足するためなら、理想的なツールだと思います。
見ますと、そういう目的のために「ジャンル論」を展開されているようですので、横から勝手な口出しをして申し訳ありませんでした。納得の行く認識体系を作るべく頑張ってください。
ただ、そうやって構築したジャンル論を、例えば RPG の評価とかに応用するとか、何かの主張の根拠に使うとかは、止めてくださいね。

ちなみに、私は鍼原さんとは全く別の認識体系を持っており、 その中では初期の D&Amp;Amp;Amp;Amp;Amp;D も RPG です。
私の認識体系は、分類の綺麗さを愛でるためではなく、「どのように RPG を捉えれば将来の発展が期待できるか」という考えを基礎に構築されています。 構造分析はそのような応用には使えないため、採用する予定はありません。


2000年04月20日:16時36分12秒
[ジャンル論【理論】]TRPGジャンル論の理論要請と方法論 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 どうもジャンル論って領域の理論構成をよくわかっていない意見があるようです。
 印象論・体験論にすぎないって事が自覚されたうえで述べられるなら、何も問題ないのですが。(この場合、<構造>的なジャンル論と比較すると、体験論と印象論はあまり質に差がないですね)
 
 まず、基礎的には、TRPGジャンル論も、個別システムの<構造>分析と、遊ばれ方の<構造>分析とから、概念が抽出されるべき理論領域です。
 
 しかし、実際問題として、SLGにしろ、TRPGにしろ、あらゆる、具体システムを網羅的にすべてきちんと分析できてる人はあまりいません。この場合、「きちんとした分析」とはルールブックと関連サプリメントそれぞれの構成とテクスト記述を具体的に分析したテクスト批評、さらに、ルールブックと関連サプリメントの関係性までを検討したテクスト批評が意味されています。
 
 例えば、どっかに専門的なゲーム学者とかシステム学者とかがいたり、プロジェクト・チームを作って共通の方針で分析しない限り不可能です。
 
 では、どうすればよいのか。
 いくつかの方針が複合構成された方法論が要請されます。

a.ジャンル内関係を<構造>的に整理する
 これには、アタシが、「[ジャンル論]提言:「中心(-中核)-周辺-周縁-外縁-外部」の考え方の導入」 (TRPG総合研究室 LOG 042,カンナ記,2000年03月10日:21時25分17秒)で提起した、「中心(-中核)-周辺-周縁-外縁-外部」の考え方が活用されなければなりません。
 後述しますが、ジャンル論には状況依存的な側面もありますので、超時間的な本質観念などで、内部/外部に分節するだけの粗雑なものでは要をなさないのですね。
 それにTRPGは単一な観念で内部/外部に分節するに不都合なくらい複雑なゲームとも思えますし。
 
b.ジャンル間を示差的な<構造>性で整理する
 TRPGのジャンル論を考えるならば、ジャンル間の示唆構造は、TRPGジャンルを中心にすえて考えられなければなりません。
 この場合、SLGジャンルなり、ゲーム・ブック・ジャンルなりを中心にすえて整理されるジャンル間の示差的構造とは、関係性の整理が異なります。
 これは比ゆ的に言って、観察者の位置の相違によって、構造の観え方が違って観える、といったこととして説明できます。
 
 ゲーム全般のジャンル論は、いくつものジャンル論が十分整理された後のステップとして、ジャンル間の関係構造が考察されなければ、それは曖昧で体験的・印象的な整理にしかなりません。最悪の場合、ジャンル間の特性がどんどん曖昧化して行って、「みんなゲームだから同じじゃん」みたいな無意味な認識に頽落することすらあります。
 
 これは例えば、意志決定論ゲーム論だけに偏重してTRPGジャンルを論じる言説に、どんどんTRPGの類的特性を曖昧化させ見失わっているものもあるのと、同型の性質のもんだいです。
 
C.ジャンルの方法的に概念規定を抽象する
 従ってジャンル論をきちんと理論整理するためには、方法的に、ジャンルの概念規定を抽象しなくてはなりません。
 「方法的」にとゆうのは、この概念規定は「本質」ではない、とゆう意味です。
 <構造>的な概念規定は、超時代的性質を含み持つ本質の観念とは性質が異なります。
 
 あくまで、TRPGのジャンル論を整理するための方法として理論的に要請される概念規定だ、とゆう事ですね。

◆<構造>的ジャンル論
 TRPGジャンルを中心に据えた近傍ジャンルの概念規定も、同様に理論的な要請にすぎません。
 
 従って、「特定少数、SLGと同様な遊びかたで遊べるTRPGシステムがある」といった体験談が、TRPGのジャンル的概念規定を早急に揺るがすことはありません。
 その概念規定とは、1.「システム<構造>=言語<構造>⊃論理《構造》」かつ、2.「遊ばれ方の<構造>に自然言語による相互了解のコミュニケーションが必要不可欠」とゆうこれ自体も<構造>的な概念規定です。
 アタシが結論的に提起・公表していますが、今のところ、特に説得的な反例はまだ受けていません。
 
 例えば、「特定少数、SLGと同様な遊びかたで遊べるTRPGがあった」って体験論がある場合、それだけでは、いくつもの可能性が想定されます。
 まず、1.「システム<構造>=言語<構造>⊃論理《構造》」のシステムを本来の遊びかたではなく、いろいろな制限を加えて、SLGライクに遊ぶ、とゆう事はあり得ることです。これは、TRPGの遊ばれ方の構造の内では特殊な遊びかたと位置づけて構わないものです。
 
 結局この辺のことは、ルールブックの構成と、記述をテクスト分析しなくては、はっきりした事は言えません。この件に関して、単なる体験談は印象論に過ぎない、とはこのポイントから出る批判です。
 
 TRPGの遊ばれ方に、自然言語によるコミュニケーションが必要不可欠なのは、TRPGシステムを遊ぶ際に、論理的判断を含んだ型での解釈が必要不可欠だからです。
 なぜ解釈が必要不可欠に必要かとゆうと、それはルールブックに記述されたテクストの様態によります。
 
 いつも例に出す事ですが、例えばチェスのルールくらいのボリュームならば、自然言語の文章論理でも厳密に用いて、全体としての論理構造が完結した論理テキストを記述できます。
 
 しかし、TRPGシステムの場合、そのシステムは、主にシナリオ作成の原基である、とゆう必要性から、通例、システムの総体は論理的に完結し得ないと判断されます。
 もちろん、システムの部分に含まれる判定系は、論理的に整合することが期待されているのですが。
 これが「TRPGシステム<構造>=言語<構造>⊃論理《構造》」とゆう概念規定の内容と理論的裏付けです。
 
 ですので、まず「TRPGシステム=論理《構造》」になってるルールブックが、きちんとしたテクスト分析で例証されること。
 次いで、そのシステムを使って、プレイアブルな新作シナリオが多様に作成することが可能であると例証されること。
 もし、システム=「論理《構造》」として完結しているにも関わらず、多様な新作シナリオ作成の原基になるものがあるなら、それは画期的な発明です。そうゆうシステムの存在を知っているTRPGerは、レヴューを書くなりなんなりで、ぜひ、積極的にその存在を触れて回ると多くの人に感謝されると思われます。
 
 で、まぁ。そうした例証がされるまでは、単なる体験談を根拠に、TRPGジャンル論の概念規定が変更されてはならないのです。
 
 そうした分析が提出されるまでは、「TRPGジャンルの類的特性」を「近傍諸ジャンルの類的特性から弁別し明確化する」とゆうジャンル論の理論要請に従わなければなりません。
 
 ってゆーか、もし、ルールブックの記述をテクスト分析して、これは「システム=論理《構造》」で、かつ、プレイアブルなシナリオを無数に生産可能って事例が、少数あったとしてもそれは、「TRPGジャンルと、SLGジャンルのボーダー(TRPGジャンル中心からみれば周縁)」に位置づけて構いません。
 
 例えば、アニメの「コブラ」を原作にしたTRPGがあります(ありました)よね。アタシの記憶が正しければ、あれは新作シナリオ作成の原基としての機能は有していないシステム、ではなかったと思います。
 もしアタシの記憶が正しいものでしたら、そのシステムはジャンル内では例外的システムと位置づけられますよね。
 <構造>的ジャンル論では、こうしたシステムがジャンルの外縁または周縁に位置づけられるわけです。
 
 論者によって異見も並立するでしょうけど、アタシとしては、ジャンル全体の5%〜1割弱のサンプルが提示されたら、概念規定の変更を考えるべきかな、と思います。
 
 これはジャンル論ってゆうのが、状況(この場合、常に変動してゆくジャンル構成)に相関して構成されてゆくべき理論体系って側面も有するからです。
 例えば、仮に、onWebチャット専用のコミュニケーション・ゲームのシステムってジャンルが今現在より明瞭化してきた場合、ジャンル論の概念規定は詳細化、または調整が要請されるでしょう。
 要するにそうゆう事にすぎません。

■補論:D&Dシステムの<構造>理解
@匿名希・望さんWrote
 >単に昔のシステムはRPGの構造について無自覚的だったせいで、シミュレーションゲーム的な遊び方で楽しめたというだけでは?
 
 匿名希さんは、最初期のD&Dの遊ばれ方を念頭にコメントされていますね。
 アタシはD&Dのことは実際にはほとんど知らないに等しいのですが。カタログデータ的な情報からだけでも次のような事は推定できます。
 まず、D&DとゆうTPRGシステムを<構造>として理解しようとするなら、editionごとの複合態として捉えなければ正当な評価になりません。
 例えば「“D&D”1st.ed」のシステム<構造>といえば、それは、関連のあらゆるBOXとあらゆるサプリメントに記述されたルールの複合態を意味します。
 
 アタシの理解が正しければ、「“D&D”1st.ed」のシステムもプレイヤーが継続的に遊び、PCが成長して行けば、言語コミュニケーションが必要不可欠な本来のTRPGの遊びかたに突入せざるを得ない、と聞いています。←これはアタシの誤認でしょうか?
 もし、うえの理解が過ちでなければ、最初期のD&DでSLGライクな遊ばれ方がされるのは、単に、オリエンテーリングとゆう妥当な理由で、システムのいろいろな要素を制限して特殊な遊びかたをするようにデザインされていた、だけ、とゆう評価になります。
 “D&D”は1st.edも2nd.edもTRPGでしょう。ただ最初期のSLGライクな遊びかたが特殊な遊びかたであるだけにすぎません。
 
 最後に念のために注記しておきますが、<構造>的にジャンルを整理し論じる、とは当然の前提として、ジャンルを常に、共時態として捉え直してゆくって方針も、含んでいます。
 従って、<構造>的ジャンル論にTRPGジャンルの歴史発展過程を混入させることはノイズにすぎません。
 それは、理論的に要請されるある整理を歪めるだけです。
  
#本文では特に断わっていませんが、次のような表記方針が採用されています。
構造:部分の相互関連が一纏まりの全体を構成している、日常語的意味での構造
《構造》:部分の意味が全体との関係性で決定される理論的《構造》
<構造>:部分の意味は、他の要素との示差的かつ、全体的関係性で決定される記号<構造>
2000年04月20日:16時07分18秒
Re:RPG におけるゲームコンセプト / 河嶋陶一朗

>RPGのゲームコンセプトですが、
>まず、何を置いても、
 
 >このゲームはプレイヤーにとって何が楽しいのか
 >プレイヤーは何をするのか
 
>という点が重要だと考えます。
 
 
 ここでGenich!さんの言われる「プレイヤー」とはどういう意味なのでしょうか?
 いわゆる「遊び手」という意味のプレイヤーなのか?
 それともTRPG用語としてのプレイヤー(マスターではない)という意味なのか?
 どうも本文を読んで臆測するに後者のように使われているようですが。
 
 河嶋は、
 
 ・マスターが何をするのか、
 ・マスターにとって何が楽しいのか、
 
 も非常に重要な要素だと思います。
 例えば、近年発売されたRPG、
 セブン=フォートレス・アドヴァンスドやトレーダーズは、
 他のRPGと比べ、明らかに
 マスターが何をするのか、何が楽しいのか、
 に留意してデザインされたRPGだと思います。
 そして、そのことがこのゲームを魅力的にしていると思います。
 また、やや古い世代のゲームであるD&Amp;Amp;Amp;Amp;Amp;DとWorld of Darknessでも、
 マスターをすることによって得られる喜びの種類は違うと思います。
 これは大きくデザインコンセプトに関わってくるのではないでしょうか?
 
 遊び手の中でも一際特殊な存在であるゲームマスターを無視して、
 TRPGのデザインコンセプトは語れないんじゃないかな、
 と思って書き込みました。
 
 追記
 Genich!さんはデザイナーがコンセプトを記述していないことをお嘆きのようですが、昨今の国産TRPGでは結構きちんと記述されているような気がするのですが、どうでしょうか(例.魔獣の絆、トーキョーN◎VA、ブレイド・オブ・アルカナなど)?
 足りない、というのであれば、どのあたりが不足である。どれくらい示せば充分である、のような具体例が欲しいような気もします。
2000年04月20日:15時43分59秒
只のダンジョン探検シミュレーションゲーム / 匿名希・望
・Genich!氏
>初期の D&Amp;Amp;Amp;Amp;Amp;D って RPG じゃなかったのかな。
>「言語コミュニケーションをうまく使うとゲームはもっと面白くなるよ」なら話もわかるのですが。

言語コミュニケーションがなければ題名どうりでしょう。
でもRPGかどうかと面白いかどうかは全くの別問題ですね。
「面白いダンジョン探検シミュレーションゲーム」として遊んで楽しいのなら別に何の問題もないでしょう?
#俺もそういうのはキライじゃないし

>15年前の私は、言語コミュニケーションのほとんどない状態、ウォーゲームとほとんど変わらない状態で RPG をプレイしていました。

それは単に昔のシステムはRPGの構造について無自覚的だったせいで、シミュレーションゲーム的な遊び方で楽しめたというだけでは?
Genich!氏がどんなシステムをプレイしてたのか知りませんが、俺は天羅やBBを言語コミュニケーション無しで(楽しく)遊べるとは思えません。
#まあこの例は極端だが

それ以前にGenich!氏が「言語コミュニケーション」という単語をどんな意味で使っているかを確認するべきでしょうがね。
2000年04月20日:13時45分47秒
プレイヤーに求められる能力 / Genich!

コミュニケーション関連の技能ということであれば、 相手に何を伝達/発信するべきか判断する能力 が非常に重要ではないでしょうか。

表現したり情報発信したりするための技能については 既にいろんな人が検討していますが、 そのほとんどが「自分の表現/発信したいものを伝える」という送り側の都合に沿った見当になっていて、
「受け手側の都合を考えたうえで何を伝えるべきか決める」という観点の検討はあまり行われていないように思います。

例えば、過剰な演技による迷惑というのはいろんなところで話にのぼりますが、 これなど「受け手側の都合を考えていない」典型例です。
「自分の表現したいものを表現する」ことばかり考えて、「何を表現することを求められているのか」の判断がないと、そういうことになります。 ですから、そういう問題を解決するためには、表現するための技法を整理したところで役には立たない。そうではなくて、「何を伝えるべきかの判断力」の方を考えるべきでしょう。


2000年04月20日:12時18分38秒
RPG におけるゲームコンセプト / Genich!

RPG のゲームコンセプトですが、
まず、何を置いても、

という点が重要だと考えます。

PCの立場とか背景とか冒険の基調とか目的とかそういった個々の項目は全て、このコンセプトを実現するための手段であって、それに向かって組み上げられねばなりません。鍼原さんの言う「諸要素間の関連」も、同様にこのコンセプトを目標に構築されることになります。

コンセプトが「仮想体験を楽しむ」とか「演技を楽しむ」とかいった漠然としたものであると、項目を組み上げる際の目標が不明瞭で、諸要素間の関連もチグハグなものになりがちです。
デザイナーが「何を楽しむかはプレイヤー次第だ」と言ってコンセプトの決定を放棄してしまった場合でも同様です。

あるいは、極端な例ですが、「この RPG はプレイされる必要はない、ルールや世界設定を読んで楽しんでもらうことが目標だ」という明確なコンセプトを持った RPG があり、諸要素もその目標を実現すべく構成されていて、実際読んで楽しめる製品に仕上がっているとしたら、それはそれで出来のよい RPG だと言えるでしょう。実際 Steve Jackson Games から出ている GURPS モジュールの少なくないものはそんな感じだという気がする。

しかし、現状の RPG の多くでは、このコンセプトはデザイナーの無意識の考えの中にしかなく、ルール等で陽に書かれることはあまりありません。そこで諸要素などから読み取る作業が必要になるのですが、ちゃんと読み取れるようになるにはそれなりの熟練が必要になるという気はします。
デザイナーが最初にこのコンセプトを陽に考えて明記してくれるようになれば、そういう手間もなくなるのですが。

ちなみにこの辺の話は NIFTY にも書いたことがあるので、NIFTY の ID を持っている人は FRPG/MES/3/2674も参照されるとよいかも。


2000年04月20日:12時17分58秒
Re:プレイヤーに求められる能力 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 こんにちは、極楽大王さん☆
 えーっと、アタシの意見に過ぎないですけど、、、(文句をつける、とかではないです)
  
 アタシ的には、■ 人間関係の技能 、は、■コミュニケーション・センス&スキル、と置き換えたいです。 そのうえで、■自己表現のための技術、と合併したいです
 
 そーすると以下のような感じになるかと思います。、
 
■ コミュニケーション・センス&スキル
・ 風景や状況を表現する言葉スキル
・ 心情や感情を表現する言葉スキル
・ 補って理解を促す言葉コミュニケーション・センス
・ 発言のタイミング
・ 空間を捕らえて描写する技術
・ イメージを映像として伝える技術
・ 他人の意見を聞き、それに即した自分の意見を〔適確に〕話す発信する 
・ 事態収拾のために主体的に行動する
・ 他人の意見を引き出すメッセージや暗示を適確に解釈する
・ 話しかけられやすい態度
・ 他人を受け入れる公正に評価する姿勢
・知的好奇心を大事にし、知らないことわからないことはその場で率直に適確に尋ねる姿勢

青文字の項目はアタシのオリジナル追加です。

 で、取り消し線引いちゃった(失礼)「事態収拾のために主体的に行動する」ですけど、、、
 
 アタシはこれは、■セッション・プレイ関連技能、ってことにしたいです。
 
■セッション・プレイ関連技能
・GM・プレイヤーの立場役割の理解
・もんだい対処事態収拾のために主体的に行動する公正な言動を自己責任で行う
・セッションの時間配分感覚とコントロール能力

■セッション・プレイ関連技能、はいろいろ考えてくとまだ関連技能あるかもしれません。
 
 えーっと、極楽大王さんのご意見に文句をつける、とかのつもりはありません。
 アタシとしてはTRPGは遊びだから、こー、モラルとかマナーみないなニュアンスが感じられる・かもしれないものは少しでも減らしたいなーとか思ってて。
 なんか立派な人でないと遊べない遊びって変な気がしちゃうんです。
 もちろんゼロにはできないですけど、こー、「合コンや、クラブや、カラオケBOXで期待される程度のマナーやモラルでよいでは」、ってのがアタシ的センスなもんで。
 
 できるだけイロイロをスキル(技能)とセンスのもんだいに変換したいってのが、アタシの方針なんで。
 センスも磨けば伸びるので能力の一種ってのがアタシの自説なんです☆
 そうの方針でゆくとこんな感じかなー、と。いかがでしょうか?

 後、よく考えてみないとわからないんですけど。寺田大典さんの提唱されたTRPG論「プレイスタイルの違いを踏まえて求める先」を踏まえて、■ゲームプレイ関連技能■ ロールプレイ関連技能、ってゆーのを、■ システムと背景に関する知識、と並立して整理できると、なんかわかり易くなるかも、って気はします。
#考えないとすぐにはコレコレっては言えないですけど。
#MAT.Nさんの「戦略・戦術のセンス(またはノウハウ)」は、■ゲームプレイ関連技能かな、とか。(結論保留)
 ■キャラクタープレイ関連技能は、 アタシは、■ コミュニケーション・センス&スキルとイコールで、多分よいと思うんですけど(判断保留)。
2000年04月20日:12時13分08秒
RPG とウォーゲームの比較 / Genich!

この掲示板に書くのはすごいひさしぶりだなあ。
RPG とウォーゲームとの比較の話が出ていたようなので、私の意見も書きます。

まず、鍼原さんが「RPG においては言語コミュニケーションが必要とされる」と書いていますが、私はこれに反対です。
RPG においても、ウォーゲームなどと同様、言語コミュニケーションは必須でありません。無くてもプレイは可能です。実際、15年前の私は、言語コミュニケーションのほとんどない状態、ウォーゲームとほとんど変わらない状態で RPG をプレイしていました。
もちろん、演技などがあった方が、プレイは盛り上がるし楽しくなると思います。ただし、それはウォーゲームなどでも同じこと。Greg Costikyan も「ボードゲーム JUNTA をプレイするときは独裁者の口ぶりをまねてスペイン訛りでしゃべる」と言っています。RPG は、演技などによる盛り上がり係数がウォーゲームよりも高い、と見るべきでしょう。

もちろん、「いや、俺にとっては言語コミュニケーションが必須だ」と主張する人もいます。15年前はそんな人全然いなかったんですが、だんだん増えてきました。そういう人は、「言語コミュニケーションをしたい」という欲求を持っていて、その欲求を解決する手段として RPG を選んだわけですね。
しかし、そういう人って、RPG をわざわざ不自由なものにしている、ように私には見えます。そういう人にとっては初期の D&Amp;Amp;Amp;Amp;Amp;D って RPG じゃなかったのかな。「言語コミュニケーションをうまく使うとゲームはもっと面白くなるよ」なら話もわかるのですが。


2000年04月20日:11時34分33秒
Re:プレイヤーに求められる能力 / MAT.N
まあシステムによって差もありますが「戦略・戦術のセンス(またはノウハウ)」ってぇのは如何でしょう。
2000年04月20日:10時59分17秒
プレイヤ−に求められる能力 / 極楽大王
 TRPGプレイヤーに求められる能力ってあるような気がするのですが、どこかでまとめた方はいないのでしょうか?
 ちょっと考えてみたので、みなさんのご意見をお聞かせください。
 
 
『TRPGを楽しむために持っていた方が良い能力』 
 
 もしあなたがあるTRPGを始めたい考えたとき、必要なのは、あなたの「遊びたい」という気持ちと、理解し一緒に遊んでくれる友人です。しかし、もしあなたが長くTRPGで遊びたいと思うのならば、以下の能力をなるべく多く身につけると良いのではないでしょうか。
 
 ■ システムと背景に関する知識
 ・ そのシステムのルール(上級ルールやオプションルール)
 ・ そのルールの基本的な考え方
 ・ キャラクターメイクのしかた
 ・ キャラクターメイクの説明
 ・ 「戦闘行動」やその他の「技能」「能力」の使い方
 ・ 「技能」「能力」の使い方の説明
 ・ 背景や世界観に関する基礎的な知識
 ・ 共通の背景や世界観をもつ文学・映像作品やシナリオの知識
 ・ 共通背景作品の多様性とギャップ
 ・ 多様な社会構造や価値観に関する知識
 
 ■ 自己表現のための技術
 ・ 風景や状況を表現する言葉
 ・ 心情や感情を表現する言葉
 ・ 補って理解を促す言葉
 ・ 発言のタイミング
 ・ 空間を捕らえて描写する技術
 ・ イメージを映像として伝える技術
 
 ■ 人間関係の技能
 ・ 他人の意見を聞き、それに即した自分の意見を話す
 ・ 事態収拾のために主体的に行動する
 ・ 他人の意見を引き出す
 ・ 話しかけられやすい態度
 ・ 他人を受け入れる姿勢
 
 
 例によって、ご意見は「文句」だけでなく具体的な提案も併せていただけると助かります。
 また表現の修正や項目の追加、統合なども柔軟に考えていただけるとホントに助かります。
2000年04月13日:20時52分33秒
[ルール解釈]Re:ゲームコンセプトの解釈(一行掲示板投稿抜出) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿は、まほろば一行掲示板のガイドライン、「有用な投稿内容については工房・匠の各掲示板に必要に応じて整形して転載することは推奨されています」を受けたものです。
#アタシが、面白そうな話題と思ったものを、一行掲示板から勝手に抜き出し転載させていただきました。
#元の投稿は、2000/04/12:14:09:18〜2000/04/12:15:10:00
#話の流れがわかり易くなるよう整形、前後関係の入れ替えなどの編集作業を加えました。
#投稿者各氏のお名前は、LOGの表示のままで、敬称は入れていません。
 
河嶋陶一朗:鍼原さんの「ゲームコンセプトの解釈」よみましたー。
簡潔なうえで河嶋も重要だなぁ〜と思える点がまとまっててとても面白く読ませていただきました♪
河嶋、時々わざと「曲解」や「誤読」して楽しんだりもするので「あぎゃ」とも思いましたが(苦笑)
 
カンナ(鍼原神無):いや(笑)>わかっていて「わざと」やるぶんには、それは「通」の楽しみ方だんだと思いますよ(マヂで)<コンセプトの曲解や誤読
 
こーね、ゲームのコンセプトが、ルール・ブックテクストや構成から必ずしも明示的でないことが多い(と思うんですけど)にも関わらずここまで遊んでこられた方が凄いともマジで思います<ニホン語環境の話です
それは、ルールブック外在的な参照枠が、いわゆる暗黙の了解として共有されてたのではないか、とゆー想像が(あまり確証ないですけど)ひとつ成り立つ・かもしれません。
 
その参照枠が「ガンダム」だろーと「エヴァ」だろーと、ゲーマー世代的な共有体験であろうと、暗黙の参照枠のままである限り、トラブルの発生源として温存されるでしょう、と思います。(前提が仮定ですので積極的に一般化して主張するつもりはないです )
あー、一言申し添えておくと、アタシ的立場は「ルールブックの解釈の余地」がTRPGでは決定的です<暗黙の参照枠を明示化する場合<TRPGを他のゲームジャンルと分かつものとしても、TRPGならではの面白さ・楽しみとしても、です。
 
PALM-12:TRPGでは、「暗黙の参照枠」となってしまう共有体験がセッション中に自動生成されて行ってる部分も問題なんでしょう。
そして、それは良いセッションになればなるほど激しくなり、また、その体験の鮮烈さ故にそれが自分(たち)だけのものであることに気付けなくなってしまう人がいるんだと思います。
簡単に言うと「一度成功したから、二度目に失敗した時は人のせいだと思ってしまう」わけです。 あとはプレイスタイルが合わなかったとか。
 
カンナ(鍼原神無):うん、多分、それもありますよね>共有体験がセッション中に自動生成されて行ってる部分も問題
アタシの立場だと、だからこそ、ルールブックの<構造>的解釈=解釈のヴァリアントを認めることが重要、となります。
体験の鮮烈さも、「システムを原基とした解釈の<構造的>ヴァリアント」と捉えればよいと思うんです。
こー、解釈の幅をタイトに絞り込んでくのって、結局「角を矯めて牛を殺す」になっちゃう気がするんですよね。
 
TTB:たくさんの与条件のもとに想い出に残る(よい方の)セッションは生成されることに気づかないと以降不幸ですね。本人も周囲も。
それから考えるとトレーディングカードゲームのお金をかけると、よいデッキの土壌(与条件の補強)ができる。というのはわかりやすいでしょうね。
出版されているリプレイなんかは、結構、与条件がいいものが多いから読み物として面白いものになっていると思うです。(^o^)
 
カンナ(鍼原神無):うん、そーですよね<出版されているリプレイなんかは、結構、与条件がいいものが多いから読み物として面白い
2000年04月12日:22時02分11秒
【戦闘の際のTRPGらしさ】私の場合 / MO
戦闘が始まる前から考えてみると、

戦闘が始まったら後は運に任されてしまうので、その前までに何とか/確認しようとする。
 戦闘が始まってから、敵が思ったより強かったでは済まされないので。
 (マスターが、わざとパーティーに合わせた敵を出さないことが必要か?)

戦闘が始まったとたん、舞台が謎の平面フィールドにならないようにする。
 岩や崖、扉や通路、机や椅子、ロープ、ランプ、油、酒など、
 戦闘をする場所にプレイヤーが使える物を出来るだけ用意しておく。
 フィギア/チットなどを使い、状況をうまく表現しプレイヤーのアイデアを導き出す。

キャラクターの手持ちの能力/装備では厳しいバランスにする。
 いつもどうりの対応をするだけでは厳しいようにする。
 自分達の周りに在る物や状況を利用すれば楽に勝てるようにする。

戦闘が単調にならないようにする。
 相手のアクション/リアクションを演出/表現し臨場感在る戦闘にする。
 状況説明は上から見た説明ではなく、キャラクターから見える説明にする。
 目で見える情報だけでなく、音、匂い、雰囲気の情報を生かす。
 (キャラクターのロールプレイ、リアクションをうまく引き出す)

状況を固定化しない/変化させる。
 状況が変わることにより、次はどう対応するのか考えなければならないようにする。
 目的/目標がいつも一つにならないようにする。
 (戦闘が始まった後は敵を倒すことしかない)
 ルーチンワーク(繰り返し作業)になら無いように。飽きるまで、同じ事を繰り返さない。

敵を殲滅する事だけが目的にならないようにする。
 モンスター/敵に会ったら相手を殲滅することだけが目的にならないようにする。
 モンスターもPC達を見たら、どうするか考えて反応する。
 モンスター側も生き残りたかったり自分は大切なので、逃げ出したり降伏したりする。
 (マスターの駒にならないようにする。)

プレイヤーが選べる選択肢を狭めないようにする。出来るだけ広げるようにする。
 戦闘開始前にも、戦闘途中も、いつ終わりにするのかもキャラクターの選択が出来るようにする。
 どんな選択をするかによって、キャラクターの色が出しやすいので。

どちらかといえば、マスターの協力/理解が無いと出来ないことが多い。
マスターが考え作れる人なら、プレイヤーは些細な事でも聞き逃さないようにする。

ちなみに、昔(D&Dです)
ダンジョンに落とされたPC達は、オーク/ゴブリンの部族に囲まれた時、
リーダーを弓とウィップで狙撃し倒し、ときの声で士気崩壊させ敗走させたり、
囲まれた後、食糧庫に逃げ込み、そこにあった油樽で反撃したりしてました。

2000年04月12日:07時04分25秒
[ルール解釈]ゲームコンセプトの解釈(システム構成要素間の関わりあい) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@カンナWrote (TRPG総合研究室 LOG 043,「[ルール解釈]ゲームのコンセプトとシステム評価」,カンナ記,2000年03月21日:19時04分48秒)
 >とりあえず、「ゲームのコンセプト」とは次のような内容を、最低限明記しているもの、とします。
 >・PCの立場
 >・冒険の背景(背景世界)
 >・スタンダードな冒険の基調(活劇調とか、デッドリーとか、etc)
 >・スタンダードな冒険の目的(「徳値を獲得して不老不死の仙人をめざす」とか、「運命に抗って美しい物語を作る」とか、etc)
 
 うえに自己引用した個所は、とりあえず、ジャンルとしてのTRPGに含まれるシステムを全般的に考えようとして書いたものです。
 後、前提として「ルールブックのどこか1個所で、集約的に『ゲームのコンセプト』がまとめて記されている場合、そこに最低限記述される必要がある、と思われる項目です。
 
 ですので、ユーザーが、システムを通観して、ゲームコンセプト(ゲームのデザインコンセプト)を解釈しようとしたら、もう少し細目が増えるはずです。
 ルールブックのどこかに、「ゲームのコンセプト・コーナー」がある場合、そこには、まず骨子が書かれていて、「詳細はどこどこのコーナーを参照」、といったレファレンス情報も併記されている方が使い勝手がよいと思われますので。
 
 それと前回失念していたのですけど、「許容される遊びかたの幅(デザイナーが意図した、推奨される遊びかた=セッション・スタイル)」も、ゲームコンセプトの重要項目(大項目)であるはずです。
 
 さて、「ゲームコンセプト」解釈に必要な項目の細目も考えてみたいと思います。
・PCの立場・傾向・能力
 PCの基本的立場⇔スタンダードな冒険の目的
 PCs(パーティーなど)の在り方⇔スタンダードな冒険の目的
 背景世界での性質・特異さ⇔冒険の背景
 相対的な性能⇔スタンダードな冒険の基調
 PCの成長⇔スタンダードな冒険の目的
 
・冒険の背景(背景世界)
 プレイヤーが最低限知っているべきこと/PCが最低限知っているべきこと⇔PCの立場・傾向・能力
 スタンダードな冒険の性質⇔スタンダードな冒険の基調・スタンダードな冒険の目的
 背景社会がPCに期待するふるまい・PCがすべきではないこと⇔スタンダードな冒険の目的
 ゲーム的にプレイヤーのPCハンドリングに期待されること⇔PCの立場・傾向・能力
 
・スタンダードな冒険の基調(活劇調とか、デッドリーとか、etc)
 PCの死に易さ⇔PCの立場・傾向・能力
 シナリオの課題の事例・難易度⇔冒険の背景(背景世界)・ スタンダードな冒険の目的
 
・スタンダードな冒険の目的(「徳値を獲得して不老不死の仙人をめざす」とか、「運命に抗って美しい物語を作る」とか、etc)
 物語的目的(PCの動機付け)⇔PCの立場・傾向・能力・冒険の背景
 ゲーム的な報酬⇔PCの立場・傾向・能力・スタンダードな冒険の基調
 
・許容される遊びかたの幅幅(デザイナーが意図した、推奨される遊びかた=セッション・スタイル)
 特に重視されるべきルール・絶対変更されるべきでないルール(その機能)
 特に重視されるべき設定(その意味)
 絶対無視されるべきではない設定(その意味)
 
 ちょっとまだ未整理ですし、外にも落ちている重要な項目があるかもしれませんけれど、ゲームコンセプトの解釈に必要な項目は、このようなアレコレではないでしょうか。
 
 観ていただくとおわかりいただけると思いますけれど、「⇔〜〜」と、イタリック(斜体文字)で示しているのは、他の項目との関連性です。
 
 ここで考えている「ゲームコンセプト」とは、「デザイナーのデザイン意図」に近いものです。
 ですので、「ゲームコンセプト」では、ルールを総体として観たときの、「システム構成要素間相互の関わりあい」の在り方がポイントになります。
 
 この「関わりあい」のことを「バランス」と言ってもよさそうなものですが。
 アタシの立場ですと、通常、ルールに含まれる論理システム(←主に判定系など)について言われることの多い「ゲーム・バランス」との混同は避けるべきと思われます。その意図で「関わりあい」の語を用いています。
 
 いつも書くことですが、「論理システム」には「判断」(ルールに従って運用される、誰がおこなっても結果が同じになるはずのもの)があるだけで、「解釈」の余地はありません。通例言われる「ゲーム・バランス」もそのような「判断」(誰が評価しても同じ)が含みとして言われることが多いと思われます。
 しかし、「TRPGシステム=(言語システム⊃論理システム)」と考えられます。そして、「言語システム」の運用には「解釈」が避けられません。
 この「言語システム運用の解釈」の基本方針として「ゲームコンセプトの解釈」が重要になってくるはずです。
 
 これも、たびたび書くことですが、こうゆう意味での「解釈」は、勝手気ままな読解を意味しません。
 「システム構成要素」の一部に偏重して、他の要素を度外視した読解は、曲解と呼ばれるべきです。
 「システム構成要素間の関わり方」を妥当に解釈できていない読解は、誤読と呼ばれるべきです。
 ここでゆう、「ゲームコンセプトの解釈」は、あくまで、「システム構成要素間相互の関わりあい」から、個別のルール・設定の意味や機能を理解してゆく読解行為を意味しています。
2000年04月02日:11時29分37秒
TRPG総合研究室 LOG 043 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 043として2000年03月18日から2000年04月01日までのログを切り出しました。



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