TRPG総合研究室 LOG 043

TRPG総合研究室の2000年03月18日から2000年04月01日までのログです。


2000年04月01日:23時14分21秒
[ジャンル論]SLG/TRPGジャンル比較 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 SLG〔シミュレーション〕ジャンルとTRPGジャンルについて。
 こちらの掲示板で、アタシの意見を書いてみました。
#[ジャンル論]Re:用語そのものからの解釈  (当掲示板,カンナ記,2000年03月18日:10時13分52秒)
#[ジャンル論]具体事例・示差的言語システムの (当掲示板,カンナ記,2000年03月20日:06時04分26秒)
 
 少し前、まほろばの一行掲示板で「ちょっとわかりづらいのではないか」、みたいな感じの感想(だと思ったんですけど)をもらったので、もう一度、要点だけまとめて書いてみます。
 
 SLGジャンルのゲームは、数値で表されるもの「だけ」がゲームのすべてみなされる。
 TRPGジャンルのゲームでは、数値システム、と言語システムがハイブリッドされて処理されたものがゲームを構成する。
 その意味で、TRPGシステムでは、数値システムが表すもの、はゲームの部分として含まれる(すべてではない)。
 
 これは、ルールブックの記述からもみてとれる。
 また実際のゲームの遊びかたをみても、SLGジャンルのゲームでは言語コミュニケーションは不可欠ではない。
 一方、TRPGでは言語コミュニケーションが、コミュニケーション様態の幅広い帯域で必要とされる。
 
 特に、SLGジャンルのゲームプレイに不可欠ではなく、TRPGジャンルのゲームプレイに不可欠なのは、自然言語の相互了解のコミュニケーション。
 
 例えば、チェスのルールを文章論理で過不足なく記述することは可能。
 こうして記述されたチェスのルールは、数値システムと同様の性質の論理システムといえる。
 
 しかし、TRPGのルール記述は、そうした性質のものに留まらない。論理システムもシステム全体の部分として含まれるが他の性格の部分も同時に含まれている。
 TRPGのルールはロンリシステムと言語システム(自然言語のシステム)が混在しハイブリッドされた様態が普通。
 TRPGシステムは、ゲームの原基であり、GMがシナリオを制作してゆく際に必要なソース類に、解釈の余地を意図的作る必要がある。そのため、TRPGのシステム(広義のシステム、ルール記述)が、論理システムとして完結することは無い。(自然言語のシステムとハイブリッドされる)
 
 GMにとって、解釈の余地が残された部分は、プレイヤーにとっても同様、解釈の余地が残されていることになる。
 
 なお、ここで言う「解釈の余地」は勝手気ままな読解(誤読や曲解)のことではない。
 「解釈」は、その妥当な方向性と許容幅が、ルールブックの全体にわたる構成と、ゲームのコンセプトから評価可能なものである。(方向性や許容幅の妥当な評価がむづかしいシステムは完成度にもんだいのあるシステム、と言えるでしょう)
 
#今回は、要点だけなので、理由付けや、例示は省きました。断定的な書き方になっているのも、そのせいです。
#例示や、理由付け(理論)は、一応過去の投稿に書いてみたつもりです。
2000年03月31日:19時41分17秒
>SHiNさんへ、参考までに / 右京
こんにちは、右京です。
 少し前に一行掲示板で宇津見さんに聞いたことがあったので、読んだかもしれませんが、一応参考までに載せておきます。
 
 2000/03/21:20:59:08 右京
 (前略)もしも「プレイヤーが期待する以上のGM機能を果たせれば、120点」ではなく「プレイヤーが想像すらし得なかったGM機能を果たせれば、120点」ならどうでしょうか?これなら近いような気がするんですが

2000/03/21:21:20:32 宇津見
ああ、まさにそれ。「プレイヤーが想像すらし得なかったGM機能を果たせれば、120点」>右京
2000年03月31日:12時03分48秒
【TRPGらしさ】戦闘中の会話 / SHiN
(Dandanさん)
>戦闘と戦闘以外を区別しないというのは、たとえば、ガンダムの原作でアムロとララァが戦闘中に話しあってる感覚です。あそこで、<交渉>技能とか使えないかな?<交渉>が成功すれば、交渉成功のエピソードへ。失敗したら、どうする?とか。
 
 私が何ヶ月か前にプレイした『スターロード』というゲームでは、「哲学戦闘(だったかな?)」というルールがありました。
 戦闘中、相手がいきなり哲学論争をしかけて来て、それを論破するまで戦闘能力にペナルティがつくというパターンです。
 「あなたには守るものが無いのに、なぜ戦えるの?それは不自然なのよ!」てなもんですね(笑)そういうシーンを再現するためのルールなんだと思います。
 
 ただ、そのゲームではその哲学論争も、交渉判定かなんかを使って戦闘と同様にシステム的に処理されてしまっていたので、プレイヤーもGMも、そういったゲーム的な判定の処理におわれて、意味のある論争は出来ませんでした。どうも、ゲーム的な判定などの処理と、NPCとのコミュニケーションというのは、右手と左手で同時に丸と三角を書くようなもので、同時に両方に集中するのは難しいようです。
 そういう意味で、
 
>よりロールプレイ要素を深めるには、戦闘と戦闘以外を区別しないというプレイスタイルへ移行する。
 
 という考え方自体には賛成なのですが、実践はあまり簡単ではないみたい。
 ちなみに私は、ソードワールドでGMをするとき、よく『哲学戦闘』を組み込みます。これは、ソードワールドの戦闘システムが今となっては少々単純すぎて面白みの無いものになってしまった、(何より長期キャンペーンの性で、ゲームシステムそのものにプレイヤーの飽きが出始めてる)という部分をフォローするという意味合いもありますが、ソードワールドの簡易な戦闘システムだからこそ、そういうものを組み入れても動作するという部分もあるんですよね。
 そういう意味で逆に戦闘と戦闘以外を明確に区別するというのも、一つの方法なんじゃないかと思います。
 私は、以前は戦闘中に交渉(会話)を行った場合、そのラウンドの行動は終了としていたのですが、最近は、「会話中はラウンド進行がストップする」という方法に切り替えつつあります。戦闘フェイズと交渉フェイズが独立して交互にやってくるとでも思ってください。
 結果的には、こちらの方が「TRPGらしい」感じになっているというのが、うちのチームの現状だという事も一応参考意見として書きとめておきます。
 結局問題は、キャラクター同士のコミュニケーションをサポートするためのルールをいかに整備して使いこなすか、って事なんでしょうね。
 そこらへんからどうにかしていかないと、戦闘と戦闘以外のシーンをボーダーレスにするのは難しいと感じています。
2000年03月30日:11時50分29秒
RE:何か言いたいなら、人の話を聞いてからにしていただきたいのですが / SHiN
(宇津見さん)
>「出典の調べがつかないなら、迂闊に持ち出さないように。持ち出さなくてもあなたの論は主張可能でしょう」と説明したですよ。なのに、前半ではとりあえず謝ってっておきながら、その後長々と「”宇津見さんの”採点基準はおかしい」「宇津見さんの紹介を見て私はこう思った」「”私の思う”採点基準はこうだ」と延々反論されても、見苦しいし、(以下略)
 
 違いますね。
 「私は、宇津見さんの採点基準など用いてない」
 というのが、大前提としてあり、それに対し誤解を与えたことをお詫びしたまでです。
 で、それとは別に宇津見氏の「孫引き」という指摘について「宇津見氏の書き込みを引用するとそれが即、孫引きになってしまうようなケースをこういった掲示板で作るのは不適切だ」と、批判させてもらったわけです。
 そして、さらにそれとは別に、(出典と関係なく)宇津見氏の採点方法は、私には奇異に思えるし、私の書き込みは(ちゃんと読んでもらえれば理解できるように)まったく違う採点基準を用いてるので、宇津見氏の「孫引き」批判はおそらく的外れだと言ってるわけですね。
 
 ただ、宇津見氏の話の出典をあたるのは困難なので、それを読んで見ないと「本当に的外れ」かどうかわからない。少なくとも、宇津見氏の書き込みから判断する限り、的外れだと思うのですが、単に、宇津見氏の表現に問題があるだけかもしれないし、私の理解に問題があるかもしれない。
 だから、そこらへんもう一度くわしく、と要望したのです。
 
 人の話しを聞けというなら、ちゃんと聞かせてくださいませんでしょうか?
 
2000年03月29日:11時41分48秒
[ジャンル論]スタンダードな遊びかたと許容幅(Re:感想もしくは私信または言い訳) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>’M’さんへ
 あ・オリゲー・オフ会でお会いしていた方ですか。それは失礼いたしました。
 
 うーん、なるほど、「構造的な分類と題材による分類では、それぞれ別個に興味を示す人(意見を出す人)がいるだろう」。
 そーですねー。そーゆー事もあるかもしれませんねー。
 
 アタシが思うに、、、TRPGシステムは、たいてー、それぞれに、スタンダードな遊びかたと、許容できる遊びかたの幅を持ってる。つまりは、無理なく遊べる遊びかたの幅もまた、システムに規定されてると思うんですね。
 その辺が理由になって、構造に準拠した分類の話は、混迷する事はありますよね。
 
#レスが気分次第ってゆうのは、誰でも同じと思います。ですので、気が向かれたら、ご意見お聞きできればありがたいと思いますです。
2000年03月29日:00時43分25秒
Re: 戦闘の際の「ロールプレイ要素」を強めるための方法は…? / Dandan
 こんにちわ、時期を逸した感があるかもしれませんが、興味有りそうな分野になりそうなのでつらつらと。
 本題に入る前に、僕は"SLG的要素の強い部分"はRPGのプレイスタイルの一つだと捉えています。(ガンダム系は)ガンダムセンチネルしかやったこと無いですが、SLGみたいだけどRPGかな。絶対これって断言できないけど、RPGとSLG(等の多くのその他ゲーム)って、曖昧だけど「相手」が違うような。
 なんというか、心理戦でSLGってプレイヤーの心理を対象にするけど、RPGってゲームトークンの性格(or 性質)を無意識に対象にしてるような気がします。SLGは相手プレイヤーを読んで裏をかくと面白いけど、GMの裏をかくのはタブーで、GMの設定した敵やプレイヤーのPCを通して間接的な接し方をしてると思います。やってることは似てるけどやっぱり違う。

 ということで、「戦闘など、SLG的要素の強い部分で、TRPGらしさを出すための方法」ですが、経験では"SLG的要素の強い部分"になったとき、もう勝手に自分の中でSLGになってることが多いです。勝手に「戦闘場面」でシュミレーションマップが(頭の中に)現われ、勝利条件が勝手に決定してる。もう感覚はCRPGのシュミレーションゲーム(というかロボット大戦?やったこと無いけど。)。戦闘マップとキャラクターの会話部分の完全独立。
 よりロールプレイ要素を深めるには、戦闘と戦闘以外を区別しないというプレイスタイルへ移行する。または、LISTさんのように攻撃まで時間をかけ、攻撃している時間の比率を減らすもいい方法だと思います。
 戦闘と戦闘以外を区別しないというのは、たとえば、ガンダムの原作でアムロとララァが戦闘中に話しあってる感覚です。あそこで、<交渉>技能とか使えないかな?<交渉>が成功すれば、交渉成功のエピソードへ。失敗したら、どうする?とか。
 攻撃まで時間をかけというは、すでにおっしゃってますけど、たとえば、敵の正体に何であるかを隠しておくとか、PCのわからない攻撃(ファンネル、ビットとか)を仕掛けてくるとかで、敵の位置の把握、固体の視認、動きの読みがわかるまで攻撃不能状態をPCに与えれば良いかも知れません。
 あと、単に戦闘中でも思い切ってフィギュアを*使わない*でGMの描写だけとか。
#僕はアニメの初代ガンダムくらいしか知らないので何とも言えないけど、原作に結構ヒントがあるような気がします。
#なんか、ガンダムネタが多くなってしまいすいません。
2000年03月25日:00時18分09秒
[ジャンル論]感想もしくは私信または言い訳 / ’M’
>かんなさん
#「はじめまして」は、「この掲示板では」です。
#オリゲーオフ会でお会いしておりますよ。

「識別子について」は、次のような思いがあったので、あえて書いてみたのです。



「2000年03月11日:01時33分51秒...[ジャンル論]の補足」でも言われていたので識別子の趣旨はおよそ理解していたつもりですが、
「2000年03月17日:17時34分12秒...「ジャンル」概念のプラグ・オフ」のように言われてしまうのも仕方ないですね。


・・・で、我ながら暴論だとは思いましたが、視点を限定して「単純な結論を 〜 がRPGだ。」と言ったのは、
「2000年03月17日:14時50分09秒...ゲーム形態からの解釈」
「2000年03月17日:16時23分05秒...GM(マスター)の機能」
のように、[ジャンル論]関係で話題が広がることを期待していたものなので、
「2000年03月18日:10時13分52秒...Re:用語そのものからの解釈」
のような反論?異論?も大歓迎なのです。

#これらに対する投稿(レス)をするかどうかは気分次第ですので、ご期待に添えるかどうかは判りませんが。
2000年03月23日:21時42分37秒
[ルール解釈]全面訂正・「大活劇」のデザインコンセプト(Re:コンセプトとバランスの適合性) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシの投稿、「[ルール解釈]コンセプトとバランスの適合性 」 (当掲示板,カンナ記,2000年03月18日:12時05分04秒)での記述、「事例1」「大活劇」のゲームコンセプト、などを、全面訂正します
#訂正前の記述が、誤解を招き易い曖昧なものでしたことをお詫びします。

 
■訂正記事
「大活劇」のゲームコンセプトとゲームバランスの関係解釈
 
コンセプト:『大活劇』は、時代劇の江戸風のワールドを背景に職業的暗殺者「闇の始末人」であるPCが、暗殺依頼を達成する冒険がスタンダードであるゲーム。

判定方法:『大活劇』の行為判定の基本は、能力値分のD20を振り、一個でも目標値を越えたら成功。 またPCのキャラメークによっては、状況を整え、判定に成功すれば一撃で相手を殺害できる<必殺>技能も用意されている
 
ゲームバランスの解釈:判定方式は、一撃で相手に致命傷を与えられる刀の戦いの雰囲気が、大まかに再現される。
 特に、<必殺>技能を取得したPCは、暗殺者らしい行為達成を試みることも可能。
 ただし、PCのクラスにあたるものは、「暗殺者」、「密偵」、「用心棒」が用意されている(いずれもPCである限り、表の稼業を持ちつつ、「闇の始末人」となる)。
 例えば、<必殺>技能を取得しなかった用心棒が、「チャンバラ時代劇」のような手に汗握るつばぜり合いや、目まぐるしい殺陣のような状況を楽しもうと思っても、システム的には向いていない。(キャラクターメイクによっては、「用心棒」が<必殺>技能を取得することも可能です)
 
■追記
 訂正前の記事も、ルールブックを観ながら書きはしたのですが。数年前に数度遊んだときのプレイ記憶に災いされて、曖昧な記述をしてしまいました。申し訳ありませんでした。
 
 以前遊んだときの「大活劇」はどうも、システムのコンセプトにはあまり即してなかったような気がします(苦笑)。
 随分前のことなので、記憶も曖昧なのですが。
 こうしてみると、TRPG.NETに出入りするようになって、いろいろな方とお話していただき、アタシのTRPGの考え方も随分変わったような気がしていますです。
2000年03月21日:19時04分48秒
[ルール解釈]ゲームのコンセプトとシステム評価 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@MOさんWrote (「【ルール解釈】 基準前提の私的考察」,TRPG総合研究室,2000年03月19日:00時01分02秒)
 >実際にルールを読み解くに当たっては、
 〔中略〕
 >・まずルールを読み何を書いてあるか理解する。
 > ・次に、実際にルールを運用した場合はどうなるのかを考え、プレイ上でのバランスを理解する。
 >  ・最後に、ルールによるバランスの作り方からコンセプトを理解する。
 
 アタシは、MOさんが書いてられるのは、「ルールを読解して把握するときの段取り」の事だと考えています。
 つまりは「TRPGシステムの評価の仕方」、の基本だと思えます。
 で、以下は、そのように考えてのアタシの意見を書くのですが。
 
 ユーザーが、はじめてのシステムを評価するときは、まずいろいろな期待や予想を持っているはずです。
 例えば、広告・宣伝・解説記事・デザイナーの過去の実績(に関する評価)・自信のTRPG体験とそれにもとづく理解、ゲームタイトル、etc
 
 うえのような要素からバク然とした期待・イメージを持っているはずです。
 特に、そのシステムの物語的背景が、そのようなものと思われるか、とゆう事前情報がある場合は、物語的背景についての期待も加わるでしょう。
 
 一例として挙げるだけですが、「大活劇」のBOX及び「帯」には次のようなコピーが表示されています。
 「大活劇[江戸の始末人]」痛快大娯楽
 
 ここから、ユーザーは、まず、江戸時代を舞台にする、活劇調時代劇のイメージを想起して期待を持つでしょう。
 「仕事人」シリーズを中心として、自分の知っている、いくつかの「活劇調時代劇」のイメージ(期待)を膨らませる人も少なくないはずです。
 このタイトルのもんだいは、「大活劇」がメインで「江戸の始末人」がまるで副題である・かのように、小さく印字されていることです。
 さっきは、その雰囲気だけを<small>のタグで、模擬的に(あくまで模擬的に)示してみました。

 逆に、、、
 「江戸の始末人[活劇編]
 、、、みたいなタイトルでしたら、購入前のユーザーの期待・イメージもまたべつになるだろう、と推定されます。
 
 ユーザーは、事前情報から、いろいろな期待・イメージを膨らませてしまうわけですが。
 ここにある種の販売戦略、が関わってくると考えてよいとは思います。(「大活劇」がどうであるかは、ここでは判断保留にします)
 
 ともかく購入前のユーザーが「タイトル」などから期待するイメージは、人それぞれにバリエーションが意外に多いと思われます。
 例えば、「桃太郎侍」をイメージする人と、「銭型平次」をイメージする人、「遠山の金さん」や、「鬼兵犯科帳」やetc。
 
 「大活劇」ってタイトルに含まれる「活劇」の単語から、「始末人」に関連してイメージされる物語世界は意外と多岐・多様に渡ると思われます。
 
 そうした、多様なイメージの調整を採るために、「ゲームコンセプト」について明記されたセクションガが、ルールブックにはっきり記されていた方が好ましい、はずです。
 
 ここで、「大活劇」を離れて、バク然とTRPGシステム一般について考えてみることにします。

 ここでは、とりあえず、「ゲームのコンセプト」とは次のような内容を、最低限明記しているもの、とします。
・PCの立場、
・冒険の背景(背景世界)
・スタンダードな冒険の基調(活劇調とか、デッドリーとか、etc)
・スタンダードな冒険の目的(「徳値を獲得して不老不死の仙人をめざす」とか、「運命に抗って美しい物語を作る」とか、etc)
 
 ほかにも必要な記述はあるかもしれませんけど、アタシ的には、以上のような情報は必須と思います。
 
 それから、以上の様な情報が、もし、ルールブックのしかるべきセクションに分散して書かれていた場合でも、巻頭なり巻末なりに、一括して、「ゲームのコンセプト」(別の題名でも構わないのですけど)が記述されたセクションがある事が好ましい・はず、と思います。
 
 ところで、こうしたゲームのコンセプト記述について、二つのケースを一旦分けて考えてみます。
A.ゲームコンセプトが集約的に書かれたセクションが無く、あちこちのパートに分散して書かれている場合.
B.ゲームコンセプトが集約的に書かれたセクションがある場合.
 Aのケースだと、ルールブックの解釈方法は、整理される必要がありますよね。
 人によっていろいろなやり方もあるでしょうけど、それも含めて整理される必要があると思います。
#投稿の冒頭に引用したMOさんの整理は、そのいろいろの基本としてとてもよい、とアタシは思います。
 
 で、Bのケースですけど、もし、そうしたセクションガあれば、「解釈」の方法は整理される必要が無いでしょうか?
 アタシはそれでも、「解釈の方法」整理される必要はあると思います。
 
 例えば、「はじめに」とか、「このゲームは」、とか「デザイナーズノート」とか、いろいろな書き方で「ゲームのコンセプト」について記述することはできますよね。
 
 でも、それって、書籍の「前書き」とか、「解説」とか、ゲームソフトのパッケージ裏に書かれてる「紹介文」とか、映画のパンフレットに書かれてる「解説文」とか同じような性格のテクストではないでしょうか?
#文芸批評では書名とか、腰帯に書かれたコピーとかまで含めた本文以外の商品付随テクストを「パラ・テクスト」って呼ぶ、便利が単語・概念がある、ってことだけご紹介しておきます。
 
 要するに、誰かが前書きだけ立ち読みして、鵜呑みにして本を買ったとして、「期待と違った」って文句いったとしても(仮にしても)、普通は本屋さんは引き取ってくれませんでしょ?
 人によっていろいろ、信頼できる著者の本から買うとか、出版社やシリーズのブランドで判断する、とか、解説者への信頼度で判断する、とか、いろいろなノウハウを持っていると思うんですよね。
 
 それと同じように、ゲームのコンセプトを解釈するノウハウも必要、とゆうお話ではないでしょうか。
 
 これは、デザイナーやパブリッシャーはきちんとゲームコンセプトを明記すべきだ、とか、してほしい、とかゆう話とは別種の話しだと思います。
#アタシも、デザイナーは自身のデザイン思想に沿った形で「ゲームコンセプト」は一個所に集約して、明記してほしーとは思います。
#でも、それとこれとは別の話と思います。
#デザイナーはデザイナーでちゃんと明記すべきだし、ユーザーはユーザーで評価の方法をいろいろ考えるべき、と思うのですが。
#いかがでしょうか?
2000年03月21日:15時41分46秒
追記 / 宇津見
 SHiN氏が、私により詳しい引用や要約が必要と求めたのに対し、私が難癖と言ったのは、要するに以下のようなことなんですね。
 元々ガンダム雑談所での”製品評価”の話題の、”ついで”の参考資料の紹介としてあげたものを、勝手に別の”プレイ技量の問題”の話題に孫引きして、「出典のニュアンスから大きくずれている」と批判されると、「あなたの最初の紹介が不充分だからだ」と反論されても....私は責任を持てません。だって、「私がコーヒーを飲んで舌を火傷したのは、あなたが私に厳重な注意をせずに、机の上にコーヒーを置いておいたからだ」って、”コーヒーを飲む際には気をつける”という自己責任を棚に上げた言い分と同じなんですもの(まあ、幼児とかなら話は別ですけど、SHiN氏は幼児ではないですね?)。
2000年03月21日:14時35分59秒
何か言いたいなら、人の話を聞いてからにしていただきたいのですが / 宇津見
 SHiN氏へ

 私は「あなたの採点基準は、元々の出典の採点基準と大きくずれているよ」「出典の採点基準だと、こういう点数評価になるよ」「本来のニュアンスとずれているのが問題だ」「出典の調べがつかないなら、迂闊に持ち出さないように。持ち出さなくてもあなたの論は主張可能でしょう」と説明したですよ。なのに、前半ではとりあえず謝ってっておきながら、その後長々と「”宇津見さんの”採点基準はおかしい」「宇津見さんの紹介を見て私はこう思った」「”私の思う”採点基準はこうだ」と延々反論されても、見苦しいし、本来の問題から見当違いもはなはなだしいのですが。反論したいなら、せめて出典を調べるなり、出典の内容の詳細な解説を求めて、私の出典の解釈の仕方がおかしいと反論を展開したほうが筋がとおっていますよ。
 以前にもうんざりさせられて、ガンダム雑談所でもうんざりさせられて無視することにして、最近はUSAGEでも指摘されているみたいですけど、SHiN氏って、その場の状況をよく把握せず、人の話も聞かないまま、自分の言いたいことを長々と書いているだけなんですね。

>宇津見さんの発言に共感を持ち興味を持った人に対しその出典
>を紹介するのは良いことですが、出典を求めなくても議論とし
>て成立するに必要なだけの要約なり引用なりを行うのは、こ
>のような場においては発言者の義務、もしくは責任の範囲であ
>りましょうと、私には思えるのですが?
 あの、ガンダム雑談所の元々の発言で私、一応それやっていたのですけど。人の発言、ちゃんと把握して上で反論しているのでしょうか?
 ただし、「常に議論として成立するに必要なだけの要約なり引用なりを行う」というのは不可能ですし(たとえば、問題の資料をSHiN氏の要求水準で引用すると、4ページ分以上になるうえに、入り組んでいる。過去の馬場講座の場合でも、同様に膨大な分量になる)、評価点云々は本題でもなかったので「とりあえず要約はしておくが、興味があれば出典を参照してね」とも書いておいたのですが。SHiN氏のこの主張は、難癖の類ですね。

 もしSHiN氏が難癖などではないと主張されるなら、ご自分で常に実践していただきたいものです。

 ちなみに今の本題は「本来の出典とずれたことを言っているのが問題だ、調べられないなら止めておけばいい」と言うことです。採点基準云々ではない(どうしても問題にしたいなら、出典を調べてからにしてください。それに、あれを引用しなくても、SHiN氏の本題は展開可能でしょう)。釘をさしておかないと、SHiN氏はさた、さらに脱線しそうなので。

 これ以上、難癖と屁理屈に付き合う気はないので、ガンダム雑談所同様、以後無視させていただきます。ただ、せめてこれ以上こちらに迷惑はかけないでください。


2000年03月21日:13時20分29秒
【評価と採点】マスタリングについての採点の基準 / SHiN

 (宇津見さん)
 >SHiN氏が150点と言った水準で、せいぜい70〜80点なのです。ちなみに出典の基準によれば、150点どころか100点のRPGセッションさえ、この世のどこにも存在していないでしょう。85点まで達成できればいいところ。
 
 出典についての話とは別にして、宇津見さんの発言としてお聞きした限りでは、この話は、私には非常に「奇異」に聞こえます。特にこれが私の書き込みへの批判であるなら、なおさらです。
 私は、マスタリングテクニックというのは、上達・発展するものであるという前提でお話ししました。
 それが、上達・発展する以上、それについての採点は、その時代に応じて変化していくはずです。
 逆にいえば、採点を行うには、時代に応じて変化し得る基準点を設けて行わねばならないということです。
 わたしは、その採点基準を「プレイヤーの期待するものを達成できれば及第点」としました。
 たとえば、プレイヤーA氏が、想定しうる最高のセッションがを100点満点とします。
 しかし、実際のセッションは、プレイヤーA氏の想像を(良い意味で)超えるものでした。その場合、A氏は、それをうまく運営したGMに対し、120、150、といった超100点の点数をつけるでしょう……そういう話です。
 
 そして、GMとしてそういう超100点の評価を求める姿勢が、マスタリングの上達・熟練を通じて、TRPG全体の進化やレベルアップをもたらすであろうというのが、私の発言の主旨です。逆に、TRPGを不必要なまでに定義する(GM機能を限定する)という意見には賛同しかねる。それは、TRPGの進化・発展を妨げるからです。これが、以前、私が馬場講座および「TRPGはゲームである」という定義を批判させていただいた理由のひとつであると、あらためてここに示させていただきます。
  
 どちらにしても、(他者の書いたものでなく、御自身の言葉として)十分な根拠をこの場に示せずに「85点以上のものは存在しない」というのは、単なる不平屋的な発言であると認識せざるを得ません。私の発言に対し、同論法が使用されたのは、既に二度目ですので、私としてはより詳しい説明を求めたいです。
 
 とりあえず、より高みを目指すために辛い評点を行うのと、現存するものに対し、不平を述べるのとは、まったく別のことであると、指摘しておきます。
 私の発言の主旨からもうしあげると宇津見さんが、85点のセッションしか想像し得ないのであれば、それが宇津見さんにとっての「満点」なのです。(つまり、慣用的に使われる100点)
 
 そして、もし宇津見さんに宇津見さんの基準で超85点、つまり、100点、120点のものが想定し得るなら、それは現実にありうべき存在なのです。
2000年03月21日:13時15分46秒
【評価と採点】RE:人の発言からの”孫引き”はご遠慮を / SHiN
 (宇津見さん)
 >SHiN氏の発言に、私が持ち出した記事の事を、さらに引き合いに出す必要は何ら無いわけです。
 迂闊な行為でしかないでしょう。
 
 重ね重ねご迷惑おかけして申し訳ありません。
 宇津見さんのガンダム系TRPG雑談所における該当する発言にたいし、否定したわけでは無いまでも、あまり肯定的なレスをお返ししなかった上、宇津見氏とは過去に馬場講座について議論しあった関係ですので、勘ぐられると馬場講座への批判(つまり、TRPGをある種のものとして定義してしまうことへの批判)ともとられかねない発言を、その支持者としての側にまわった宇津見氏の表現を無断で使用して肯定することは、一種の「嫌味」にとられかねず、不快感を与えるのではないかと思い、「表現上の出展」を示させていただきました。が、それが裏目に出ることもあると知り、今後は対応を再考したいと思います。
 
 ただ、宇津見さんの指摘は、一部的外れな部分があるということをお伝えしておかねばならないでしょう。
 私が拝借したのは、あくまで掲示板に書き込まれた「宇津見さんの表現」であって、モデルグラフィックス誌掲載の記事を根拠・出典とした「宇津見さんの評価基準」ではないのです。
 そういった誤解が生じる可能性を考慮し、「宇津見さんの評価基準を拝借したわけではないので、誤解しないで欲しい」と言う意味で、追加訂正までさせていただいたわけであるのですが、私の表現上の不備により、それが余計に誤解を招いたようで、本当に申し訳ありませんでした。 
 ただ、宇津見さんの弁が正しいものであるとすれば、宇津見さんが引用した時点で既に出展の意義は宇津見さんの簡略化された文章表現によって失われているわけですから、孫引きにはあたらないでしょう。むしろ、最初に引用された時点で、出典における意義を十分伝えられなかった上、その意義を出典に求めなおして「意味が違う」と指摘するのは、もはや、不特定多数間(つまり、全員が該当記事を参照しているとは限らない)で行われるはずの当掲示板でのコミュニケーション形態にふさわしくないと思います。また、他者に自己努力で出典を調べるように言わなくても、対象について批評したりする場合の引用や要約の紹介は、法的にも、道義的にも問題ないと思うのですが。
 私としては、他者に対し、安直に出典をあたることを求めるのは、宇津見さんの悪癖であると認識しています。宇津見さんの発言に共感を持ち興味を持った人に対しその出典を紹介するのは良いことですが、出典を求めなくても議論として成立するに必要なだけの要約なり引用なりを行うのは、このような場においては発言者の義務、もしくは責任の範囲でありましょうと、私には思えるのですが?
 
2000年03月21日:13時14分53秒
【評価と採点】RE:人の発言からの”孫引き”はご遠慮を / SHiN
 (宇津見さん)
 >SHiN氏の発言に、私が持ち出した記事の事を、さらに引き合いに出す必要は何ら無いわけです。
 迂闊な行為でしかないでしょう。
 
 重ね重ねご迷惑おかけして申し訳ありません。
 宇津見さんのガンダム系TRPG雑談所における該当する発言にたいし、否定したわけでは無いまでも、あまり肯定的なレスをお返ししなかった上、宇津見氏とは過去に馬場講座について議論しあった関係ですので、勘ぐられると馬場講座への批判(つまり、TRPGをある種のものとして定義してしまうことへの批判)ともとられかねない発言を、その支持者としての側にまわった宇津見氏の表現を無断で使用して肯定することは、一種の「嫌味」にとられかねず、不快感を与えるのではないかと思い、「表現上の出展」を示させていただきました。が、それが裏目に出ることもあると知り、今後は対応を再考したいと思います。
 
 ただ、宇津見さんの指摘は、一部的外れな部分があるということをお伝えしておかねばならないでしょう。
 私が拝借したのは、あくまで掲示板に書き込まれた「宇津見さんの表現」であって、モデルグラフィックス誌掲載の記事を根拠・出典とした「宇津見さんの評価基準」ではないのです。
 そういった誤解が生じる可能性を考慮し、「宇津見さんの評価基準を拝借したわけではないので、誤解しないで欲しい」と言う意味で、追加訂正までさせていただいたわけであるのですが、私の表現上の不備により、それが余計に誤解を招いたようで、本当に申し訳ありませんでした。 
 ただ、宇津見さんの弁が正しいものであるとすれば、宇津見さんが引用した時点で既に出展の意義は宇津見さんの簡略化された文章表現によって失われているわけですから、孫引きにはあたらないでしょう。むしろ、最初に引用された時点で、出典における意義を十分伝えられなかった上、その意義を出典に求めなおして「意味が違う」と指摘するのは、もはや、不特定多数間(つまり、全員が該当記事を参照しているとは限らない)で行われるはずの当掲示板でのコミュニケーション形態にふさわしくないと思います。また、他者に自己努力で出典を調べるように言わなくても、対象について批評したりする場合の引用や要約の紹介は、法的にも、道義的にも問題ないと思うのですが。
 私としては、他者に対し、安直に出典をあたることを求めるのは、宇津見さんの悪癖であると認識しています。宇津見さんの発言に共感を持ち興味を持った人に対しその出典を紹介するのは良いことですが、出典を求めなくても議論として成立するに必要なだけの要約なり紹介なりを行うのは、このような場においては発言者の義務、もしくは責任の範囲でありましょうと、私には思えるのですが?
 
2000年03月20日:08時53分07秒
補足 / 宇津見
 先の私の発言について、一行掲示板の方で、いくらかの異論があったので補足。
 本題にどうしても必要で、なおかつ資料を調べる事が難しいという状況なら仕方が無いでしょう。しかし今回のSHiN氏の発言に、私が持ち出した記事の事を、さらに引き合いに出す必要は何ら無いわけです。
 迂闊な行為でしかないでしょう。
2000年03月20日:06時45分30秒
[ルール解釈]読解と運用 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 ルール解釈のYANさんの意見とMOさんの意見について。
#「【ルール解釈】 コンセプト/バランス/テキストによる解釈」 (当掲示板,YANさん記,2000年03月18日:11時38分19秒)
#「【ルール解釈】 基準前提の私的考察」 (当掲示板,MOさん記,2000年03月19日:00時01分02秒)
 
 アタシが思うに、MOさんが書かれているのが、「ルールを読解して把握するときの段取り」、YANさんが書かれているのが、「プレイに際してルールを運用してゆくときの優先度」と考えるとよいのではないでしょうか。 図式化すると次のような感じです。
 
 ゲームのコンセプト(の解釈)
       ↑  ↓
      読解  運用   
       ↑  ↓
  ゲームバランス(の判断)
       ↑  ↓
      読解  運用   
       ↑  ↓
 ルールブックの記述(の解釈)
2000年03月20日:06時04分26秒
[ジャンル論]具体事例・示差的言語システムの(補足・Re:用語そのものからの解釈) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>’M’さんへ
 先の投稿で抽象的な理論だけを書きました、示差的な「言語システム」の具体事例を挙げようと思います。
 前の投稿は抽象論でしたが、抽象論に事例を混ぜるとわかりづらい、って声もあるので、試みに今回は分けてみました。
#「[ジャンル論]Re:用語そのものからの解釈」 (当掲示板,カンナ記,2000年03月18日:10時13分52秒)
 
 具体事例として「央華封神」の「戒律ルール」を挙げます。
 既にご存知の方も多いと思いますが、一応、引用・紹介もします。
 
 「央華封神」では架空の中華風世界「央華」を舞台に仙人の弟子(道士)の立場にあるPCが修行の一環としての冒険を重ねます。
 仙人はその系統ごとに異なる8系統の洞統のどれかに所属します。
 洞統毎に取得できる仙術が違います。ですので、洞統が、PCのクラスに近い感じになったシステムと言えます。
 そして、PCは成長に連れ、「近い関係の洞統」と設定されたものから順に重複取得してゆくこともできます。
 
 さて、「戒律」ルールです。
 各洞統が5つの戒律を掲げています。
 プレイヤーはキャラメイク時にPCが所属する洞統の戒律から3つを選んで取得します。
 また、PCが成長して第二洞統を取得した場合、プレイヤーは第二洞統の戒律から新たにひとつを選択しなくてはなりません。(戒律は都合4つになります)
戒律の例:五遁の戒律
1.おのがれが親しむ五行を汚すことなく、汚さるることを見逃すべからず。
2.怒りをもって悪を討つことをためらうなかれ。哀しみをもって歌うことをためらうなかれ。五情に呑まれずして、おのが力となせ。
3.仁を貴び、おのが信ずる善をなせ。
4.欲望を憎まず、それを枷とせずばねとなせ。
5.愛をもって、幸福をもたらすべじ。
#清松みゆき、友野翔、グループSNE、著,『央華封神ルールブック1プレイヤーブック』(電撃ゲームブックG-7-1),メディアワークス,Tokyo.ISBN4-07-301598-2 C0176

 「央華封神」の戒律ルールは、フレーバーテキストの類とは違います。
 もちろんキャラの言動を構想する際のイメージ・ソースとしても活用可能ですが。
 より重要なポイントは、PCの言動が自分の戒律に反していた、とGMに評価(解釈)された場合、獲得できる経験値が減ることです。
 この事から、戒律ルールとその記述が、ゲームシステムの一部、であることがわかります。
 そして、ゲームシステムの一部になっている「戒律ルールは」言語システムが持つ「示差性」の特徴を持っています。
 
 言語システムの「示差性」とはどんな特徴か、「戒律ルール」で観てみます。
 理論としては、前回も書きましたように、意味的に近接した他の要素との関係で意味が解釈されること、が示差的システムの特徴です。
#「[ジャンル論]Re:用語そのものからの解釈」 (当掲示板,カンナ記,2000年03月18日:10時13分52秒)
 設定上五遁に「近い」とされている、「変化・幻術」と「五遁」とを比較してみます。
 「『五遁』・『変化・幻術』」に近い関係の洞統は、「『召鬼』・『長嘯』」と設定されています。
 
 「近い」と設定された洞統は、意味的に近接した戒律を持っています。
 一例として、五遁と変化・幻術の例を観てみます。
五遁第4戒律「欲望を憎まず、それを枷とせずばねとなせ」
変化・幻術第4戒律「歓びを忌むことなく、快さを楽しむべし」
 この例だと、「欲望を憎まず」と「歓びを忌むことなく」の差違から、五遁と変化・幻術の違いの解釈が要請されるわけです。「それを枷とせずばねとなせ」と「快さを楽しむべし」からも洞統の性格的差違が読取れるはずです。
 ポイントは、「これが正解」とゆう解釈はないことです。(これは失敗とゆう解釈はあると思います、解釈とゆうより誤読・曲解の類ですが)
 
 もちろん、五遁の洞統戒律総体と、変化・幻術の洞統戒律総体の比較からも洞統の性格解釈は示差的に捉えられます。
 どちらにしても、数値データのように「判断」で済ませることはできません。
 もちろん、「判断」は誰が下しても同じ結果が出る評価で、「解釈」は人によって違いが出てこなくてはおかしくい評価です。
 
 ここで、話をSLGとTRPGの差違に移します。
 SLGでは、ゲームプレイの進行でもゲーム達成度でも「解釈」は不要で、「判断」だけで評価を下してゆくことがでます。
 が、TRPGの場合、セッションの進行に、解釈を要請する言語コミュニケーション(相互了解のコミュニケーション)が不可欠です。多くのTRPGシステムでは、ゲーム達成度の評価にも「解釈」が要請されます。
 
 これは、TRPGのシステムの特性に起因する、ジャンルとしての類的特性(のひとつ)です。
 
 例えば、TRPGのキャラクターシートですけど、まったく同じ内容が記載されていても、プレイヤーの解釈によって相当違うキャラクター性が表現されます。
 これをSLGでプレイヤーの戦略思考の傾向によって「指し手」が異なることと同一視する意見があるのですが。アタシはこの意見には異論があって、SLGの「指し手」と、TRPGのプレイスタイルは性質が違うと考えています。
 少なくとも、SLGや、チェス、将棋なでのゲームプレイでは、自然言語の相互了解のコミュニケーションは不可欠ではない(なくてもプレイ可能)です。
 
 それは、TRPGシステム(ルール)には今回観たような、言語システム(示差的システム)が含まれているからです。ルールの運用のためには解釈も(判断と銅時に)要請されるわけです。
 
 「央華封神」の「戒律ルール」はわかり易い事例だと思ったので挙げました。
 TRPGのシステム(ルール)には多かれ少なかれ、こうした要素が含まれてると思います。 その類的特性を積極的に活用しているシステムとそうでないシステムがデザイン思想ごとにあるわけですが。
 例えば「深淵」の「夢歩き」ルールは、自然言語の示差的特性を、キャラクター・プレイとセッション・プレイに積極的に活かした事例だと思います。
#「夢歩き」に関してはゲーム・プレイへの関与は間接的、ロール・プレイへの関与はキャラクター・テンプレートごとに度合いが違う、と言ったところだと思われます。
2000年03月19日:20時01分55秒
【GM機能】人の発言からの”孫引き”はご遠慮を / 宇津見
SHiN氏へ

> 宇津見さんのガンダム系RPG雑談所での発言における表現を拝借すれば、
> 
> 「ゲームシステムで示唆されたりプレイヤーの期待するGM機能を十分に果た
>せれば、及第点。プレイヤーが期待する以上のGM機能を果たせれば、120点、
>150点の上級GMである」と考える事が出来るんじゃないかなと思います。

 この部分ですが、撤回をお願いします。
 理由は「SHiN氏が、提示したはずの出典資料(*)を調べずに、私の発言から孫引きしたために、本来の意味から大きくずれている」からです。さらにいえば、大元の出典がある孫引きであること自体、SHiN紙の発言では触れられておらず、あたかも私独自の表現から引用したかのように歪められています。
 出典での本来のニュアンスであれば、SHiN氏が150点と言った水準で、せいぜい70〜80点なのです。ちなみに出典の基準によれば、150点どころか100点のRPGセッションさえ、この世のどこにも存在していないでしょう。85点まで達成できればいいところ。

 すぐに手に入る記事ではないのですが、これ以上の孫引きによる困難を避けるために、なぜそういうニュアンスになるかは出典の記事を直接参照してもらうよう、これ以上引用はしません。知り合いにモデラーの方なり、掲載紙のバックナンバーを取り揃えている模型店や出版社なりを当たってみてください。”物の評価”を学ぶという点からも参考になる記事です。

 SHiN氏に悪気はあったわけではないでしょうが、SHiN氏や他の方々に忠告しておきますが、「出典を調べない孫引きは、極力控えましょう」

*:「ガンダム系RPG雑談所」の「2000年03月01日:00時07分33秒」の発言にて、出典としてあげたのは、「月刊モデルグラフックス1999年1月号」の「「ガンプラ」という真剣勝負」という対談記事の特にP27あたりと、P34の「アイルトン・セナが88年のモナコGPで、優勝決定してなお、走り続けたトライアル」でした。


2000年03月19日:15時55分49秒
【GM機能】TRPGの可能性とマスタリングの上達 ・訂正 / SHiN
 ガンダム系RPG雑談所でのを読んでない方には、ちょっと、まぎらわしいかもしれないので…
 
>宇津見さんのガンダム系RPG雑談所での発言における表現を拝借すれば、
 
 は、
 宇津見さんのガンダム系RPG雑談所でのプラモデルやTRPGシステムの評価基準に関する表現を拝借すれば、
 
 が、正しいです。(宇津見さんが、このようなGMの評価基準を示されたわけではありません。)
 
 宇津見さん、及び、誤解された方、すみませんでした。
2000年03月19日:15時47分36秒
【GM機能】TRPGの可能性とマスタリングの上達 / SHiN
うぃんどろーどさん、ご丁寧なごあいさつどうも。以後もよろしくお願いします。
 >私もSHiNさんの考えとほぼ同様に「GMの存在が」「TRPGと他のSLGを分か」っている と思いますが、”GMの機能”ってのがどんなものだかわかるともっといいのではと思います。
 
 うぃんどろーどさんの指摘された
1.情報の制限(隠蔽)
2.PC以外のすべてのユニットの操作
 
 というのは、おそらく平均的なセッションにおいて、最も活用されているGM機能(そして活用されるべきGM機能)でしょうね。
 実際、歴史的にも、TRPGの最初期から用いられてるものだし、実際、D&Dなどのデザインコンセプトから考えると、この二つの機能が必要であるゆえに、GMというシステムが導入されたと考えてもいいくらいなんじゃないかとさえ思えます。
 しかし、うぃんどろーどさんも、「少なくとも」という表現で指摘されてるとおり、GMの機能というのはもちろんこれだけではありませんよね。
 で、これに、私が付け加えるとすれば、
 
 3、ゲームデザイン及びルールのリアルタイム作成
 4、抽象的意志決定(発想的意志決定)の解釈
 
 を、まず挙げますね。
 これは、初期のTRPGではあまり重視されなかったGM機能ですが、ダンジョンの外へと冒険の舞台が移るにつれて重視されはじめた機能だと言えるでしょう。たとえば、多数のモンスターに囲まれた状態での戦闘について記述されてるTRPGシステムは色々とあっても、多数の論敵に囲まれた状態での議論や説得、交渉などについて記述されてるTRPGシステムは多くないはずです。この場合、GMが状況が発生するたびにルールを設定せねばなりません。(事前に想定しておいて事前にデザインしておくという手法もあります。但し、その場合、プレイヤーの行動の自由度と引き換えにするか、自分の労力が無駄になる可能性を甘受するかというリスクが伴いますが)
 また、頼るものが自分達以外に存在しないダンジョンの中と違って、街中ではPCは様々なサービスや機関を利用することが出来ます。
 その場合、プレイヤーは「テレパシーの呪文を使って連絡を取る」と具体的に行動宣言を行うかわりに、「飛脚みたいな、なんらかの通信手段を用いて、連絡をとりたい」という抽象的な形で意志決定を行うわけです。
 その場合、GMはプレイヤーの意志決定の意図を理解し、自ら(と、ゲームシステム)の設定した世界観に照らし合わせて、「この街は大きいから魔術師ギルドがある。その魔術師ギルドの通信代行サービスが、一番早いよ。料金は少々かかるけど」という形で、解答したり処理したりせねばならないわけです。
 (コンピューターRPGが、いまだダンジョン主流である理由は、1、2に比べて、この3、4をコンピューターで行うのが困難であるのが原因だと言えるでしょうね。逆に、3、4の機能を(限定的ながら)どこまでコンピューターに果たさせるか?って点で差別化を計っているとも言えます)
 
 『TRPG(のゲーム内容)を定義する』というのは、ある意味でGM機能を定義するということになると思います。
 もし、GM機能を『「1」と「2」のみである』と定義してしまえば、TRPGは、「審判付きブラインドサーチ」付きの「空母戦ゲーム」や「潜水艦ゲーム」「軍人将棋(大将とか工兵とかスパイといった、駒の正体を隠して行う将棋みたいなやつです)」の仲間ということになるでしょう。
 うぃんどろーどさんが暗に示されたように、「TRPGのGM機能には、「1」と「2」をはじめとして、さまざまなものがある」と定義すれば、TRPGは「審判付きSLG+アルファ」ということになるわけです。
 また、GMの機能に「プレイヤーの演技に対する観客、及び審査員」というものを付け加えれば、TRPGは、即興演劇大会としての側面ももつことにもなるわけです。
 
 TRPGの可能性が無限大である(少なくとも、他のSLGより大きい)と言えるとすれば、それはGMが人間であるという点に由来するものだと言えるでしょう。
 GMが人間であるがゆえに、GM機能として成立させる事が出来る要素は創造力の限りいくらでも存在するということになります。
 逆にいえば、GMの能力が貧困であれば、TRPGの可能性も貧困なものとなってしまうわけです。
 (たとえば、うぃんどろーどさんの挙げられた「2、PC以外のすべてのユニットの操作」を満足におこなえないGMがいると、そのTRPG内での戦闘などは、緊張感やゲームバランスを欠いたものになってしまうでしょうね……「3、ゲームデザイン及びルールのリアルタイム作成」 という機能がうまく働かねば、ゲームとしての体裁を保つことさえ難しい。市販のSLGや、コンピューターゲームが、TRPGより優れてる点は、ここらへんのリスクが少ないという点でしょう。ここらへんについて、SLGに最近凝ってるという、うぃんどろーどさんの意見や、最近TRPGよりコンピューターRPGの方が面白く感じるって方の意見をお聞きしたい気がします)
 
 その意味で、GMの能力をサポートしてくれるTRPGシステムの重要度も高くなると言うわけです。(一部で、この点を誤解している「GM機能の拡大は、TRPGシステム不要論につながる」という意見もあるようですが……これは、明らかに間違っていると言えましょうし、「ゲームマスターはゲームシステムのコンセプトに合わせたマスタリングをすべし」というのも、正しい考え方ではありますが、これがプレイヤー視点や外野からの意見となると、どこか本末転倒な気がします。あくまで、GMが自分のマスタリングにより合致したゲームシステムを選択するのであって、その逆ではないのですから。)
 
 そして、マスタリングに熟達するというのは、各GM機能をいかにうまく果たせるようになるか?っていうのと共に、いかにしてセッションを豊かなものにするためのGM機能を開発するか?って側面もあると思います。
 宇津見さんのガンダム系RPG雑談所での発言における表現を拝借すれば、
 
 「ゲームシステムで示唆されたりプレイヤーの期待するGM機能を十分に果たせれば、及第点。プレイヤーが期待する以上のGM機能を果たせれば、120点、150点の上級GMである」と考える事が出来るんじゃないかなと思います。
2000年03月19日:00時01分02秒
【ルール解釈】 基準前提の私的考察 / MO
こんにちは、YANさん。 面白そうなネタなので、私もちょっと考察をしてみました。

1.ゲームのコンセプト
2.ゲームバランス
3.テキスト(ルールブックの記述)そのもの

実際にルールを読み解くに当たっては、
このうち、3>2>1の順に読み解いていく事になると思います。
 (ゲームのコンセプトもバランスも直接ルールに書いてある場合は少ないので、、、)

 ・まずルールを読み何を書いてあるか理解する。
  ・次に、実際にルールを運用した場合はどうなるのかを考え、プレイ上でのバランスを理解する。
   ・最後に、ルールによるバランスの作り方からコンセプトを理解する。

となるのでしょうか?(まあ、わたしはそうしてますが)

さて、人によって違いが出てくるのはなぜかな?と、考えてみると

A:各段階で自分の好み/感性に合った為、それ以上考えを進めるのを止める。
B:段階を進める毎に必要な情報量が多くなり/幅の広い(※)の理解力が必要になる。
  (※ルールの個別>部分>全体)
  それにより、労力が多くなり、大変で無駄になる要素が多くなる。
C:コンセプトまで考えたが(、、、考えてなくても良いのか?)、自分の好みに合わない為に、どれを優先するのか決める。又は自己流の解釈をする(確信犯的)。

こんな感じで、判断の前提に違いが出たりするのでないのでしょうか?
まあ、ルール解釈についての議論をする場合はコンセプトまで読み込んだ方が面白いと思います。
「なぜ?」そういった解釈になるのかに説明もしやすいですし。

ちなみに私は、判断に迷ったら、疑問/違和感を抱いたら 3>2>1の順に答えを求めていきます。
2000年03月18日:12時05分04秒
[ルール解釈]コンセプトとバランスの適合性 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@YANさんWrote (「【ルール解釈】 コンセプト/バランス/テキストによる解釈」,当掲示板,2000年03月18日:11時38分19秒)
 ># 第一、コンセプトに合わせたバランスって、具体的にどういうのでしょう?(笑)
 
 具体的には次のようなものが、ゲームコンセプトとバランスの適合性の事例です。
 
事例1
コンセプト:『大活劇』は、「チャンバラなでの時代劇」を遊ぶゲーム。
判定方法:『大活劇』の行為判定の基本は、能力値分の20Dを振り、一個でも目標値を越えたら成功。
 
ゲームバランスの解釈:この判定は一撃で、相手に致命傷を与えられる刀の戦いの雰囲気が大まかに再現されている。
 しかし、「チャンバラ時代劇」のようなてに汗握るつばぜり合いや、目まぐるしい殺陣のような状況を再現するには向いていない。
 
事例2
コンセプト:『真・女神転生IITRPG』は、魔族や神々が復活した世界でのアクション活劇を遊ぶゲーム。
判定方法:『真・女神転生IITRPG』の行為判定の基本は、%ロールの下方判定。ただし、成功でゾロ目が出ればクリティカル、失敗でゾロ目が出ればファンブル。
 
ゲームバランスの解釈:確率的には10回の判定ロールに1回は大成功か大失敗が起きると期待される。
 これを普通の%ロールや、2D6、3D6などの判定と比べれば、遥かにハプニングが置き易いシステムデザインと言える。この判定は、アクション活劇とゆうコンセプトにあっている。
 
 普通、ゲームバランスってゆーと、もっと突っ込んだキャラクター間の強さとか死に易さとか、NPCの能力値との関係とかまでを含めて判断されると思います。
 基本の判定に絞ってわかり易い(と思われる)例を出してみました。
 基本の判定だけでもゲームコンセプトと、バランスの適合/不適合、とゆう事はあるわけです。マッチングがいい、とかミスマッチだ、とかそーゆー感じですね。
2000年03月18日:11時38分19秒
【ルール解釈】 コンセプト/バランス/テキストによる解釈 / YAN
 
 TRPGでは、ルール解釈を巡って、色々と議論されることがありますよね。
 ここでちょっと、その解釈の「基準」になっているものについて考えてみようと思います。
 
 ルールの解釈をする上でポイントになるものとして、まず、以下の3点が挙げられます。
 
 1.ゲームのコンセプト
 2.ゲームバランス
 3.テキスト(ルールブックの記述)そのもの

 
 
 1.ゲームのコンセプト
 1を重視した場合、多少バランスのズレがあっても「それがこのゲームでのバランスだ」と
 判断して、そのままでプレイしたりします。またテキストの解釈も、出来るだけコンセプトに
 合わせた解釈をするように努めます。 
 
# そもそも、ゲームと言うのは「例外処理」や「クセ」があった方が面白いのです(笑) 
 
 第一、完璧にバランスを取ることなど、不可能です。微妙なラインは、ある程度プレイして
 経験しないと判断が難しいですし、結局、各人の好みが入ってしまう余地だってあります。
 また、テキストだけで判断するより、実際のプレイ感覚に合わせた方が、実状に合うはず。
 (TRPGはプレイしてナンボですじゃー)
 
 
 2.ゲームバランス
 2を重視した場合、極端なバランスや、各キャラで強さに差が出るような解釈は好みません。 
 コンセプトを無視するわけではありませんが、ゲームであり、「またみんなで楽しむ」TRPG
 である以上、バランスの整合性は取れているに超したことはありませんよね。
 
# 第一、コンセプトに合わせたバランスって、具体的にどういうのでしょう?(笑)
 
 それより、バランス不整合で戦闘がアッサリ片付いたり、他と比べて活躍度の低いキャラが
 出来てしまう方が問題です。完璧なバランス取りは不可能?確かにそうでしょう。が、完璧を
 求め続けることが、より良いバランスを構築する上で必要なのです、ハイ。
  
 また、テキストだけで判断するより、ゲームバランスを基準に解釈したほうが確実なはずです。
 (第一、誤植だったらどうするのでしょう(笑))
 
 
 3.テキスト(ルールブックの記述)そのもの
 3を重要視する場合、テキストによる客観性、共通認識を大切にします。ゲームコンセプトや
 バランスに対する感覚は人によって微妙に違いますから、基準としては曖昧なのです。
 
# それに合わせてテキストを恣意的に読み変えるなど、言語道断です(笑)
 
 テキストに沿っていれば、自然とコンセプトに合ったプレイが出来るはずです。
 誤植?違います、メーカー側からリファレンスが出ない限り、それは正しい記述なのですヨ。
 
# さらに言えば、誤植の訂正やルールの変更があっても、GMが
# 知らなければ、あえて採用しないほうが良い場合もあるのです。
 
 また、実際にプレイしなくても、テキストそのものを読むだけで判断できると言うのも強みです。
 (え?机上の…何でしょう?(笑)) 
 
 テキストに矛盾がある場合は…ムムム。仕方がない、他の要素で判断するしかないでしょう。
 
 しかし、出来るだけテキストの、他の記述から類推して、判断を下すべきです。また、早目に
 メーカーへ質問を投げかけて、公式回答が得られるようにしましょう。素人判断で議論しても、
 もつれるばかりです。また、争点となっている部分が、使わなくても差し支えないルールなら、
 メーカーサイドから回答が得られるまで、使わずに済ませる、というのも一つの見解です。
 
 ######################################
 
 ちなみに私は、1→2→3の順で重要視しています。
 (もちろん、3を軽視しているというわけではありません)
 
 まぁ、この辺り人それぞれですが、他の人がどういう基準で解釈しているかを把握しておくと、
 議論になった時にまとめやすいかもしれません。さて、皆さんは何を基準にされていますか?
 
 
 PS. なお、他にルール解釈でポイントとなるのは、「フレーバーテキスト」がありますね。
 
 例えば、「口に手を当てながら”シューシュー、パチパチ”というと、炎が燃え上がります」
 という呪文があった場合、「実際にそういう行動を取る必要がある」と考えるのか、それとも、
 「単に雰囲気作りのためのフレーバーなので、ゲーム的な制約はない」と考えるのか…。 
 
 この辺りが絡んでくると、非常に判断が難しくなってきますね。これについても、もっと詳しく
 掘り下げてみたいですねー。
2000年03月18日:10時13分52秒
[ジャンル論]Re:用語そのものからの解釈 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>’M’さんへ
#’M’さんの本論への意見を述べます。
@’M’さんWrote (「[ジャンル論]用語そのものからの解釈」「SLG・RPG考」を再考,TRPG総合研究室 LOG 042,2000年03月17日:06時00分38秒)
 >単純な結論を出してみよう。
 >何らかの事象を再現しようとしているものはすべてSLGであり、人物の扱い(描写/再現)が特化されているものがRPGだ。
 
 結論から言うと、アタシはうえのご意見には納得できません。
 実態とかけはなれすぎていると思います。
 ただ、観点としてはうまく活用してゆけば、興味深いものになるかもしれない、とは思います。
 
◆デザイン思想
 まず、デザイン思想の面から観ます。
 「何かの事象を再現しようとしているものはすべてSLG」
 この規定はデザイン思想に関しては不充分です。
 
 SLGは、数値的な関係性で構築されたシミュュレーション・モデルを操作して遊ぶゲームでしょう。
 
 実際に無い事象でも構築できて、それは再現とは言わない、とかゆーのは、言葉のもんだいにすぎませんが。
 
 TRPGとの比較で重要なのは、「数値の関係性モデルで表現されたものをすべてとみなす」のがSLGだってことです。
 
 TRPGは数値システムと言語システムとが複合したイマジネーション・モデルで遊ぶゲームです。
 
 数値と言語は記号としての性質がゼンゼン違うのです。
 数値記号は、即自的であり、論理的です。
 言語記号は、多義的であり、下論理的です。
 即時的・論理的とは、A=A、A≠nonA、といった数値記号の特性を意味します。
 言語記号は多義的なので、A=nonAといったメッセージにが意味をもつことすらあります。
 もちろん言語記号も論理的に使うことはできるのですが。使い方によって、論理的にも使えれば、論理的でなくも使っても意味を為す言語記号の特性が下論理的と呼ばれます。
   また、数値システムと、言語システムもシステムの性質が全然違うものです。
 数値システムは排他的であり、言語システムは示差的です。
 数値システムが排他的、とは、数値記号とそれが意味するものは常に1対1対応することを指します。
 これは数値記号が即時的・論理的であることの帰結です。
 
 言語システムが示差的、とは、言語記号の意味するもの、と意味されるものの関係が常に、他の近接言語記号との関連で定まることを指します。
 これは言語記号が多義的・下論理的であることの原因です。
 
 何かの事象をモデル化したSLGの場合、事象の評価から言語システムの持つ曖昧性を排除して構築されるのがSLGのモデルです。
 ですので、言語記号と言語システムを数値システムに複合させ、TRPGがSLGに含まれるとゆう事は言えません。

#ここで言っている「言語システムの特性」について、もし、興味がおありでしたら、次の投稿を参照してください。
「自然言語の<相互了解のコミュニケーション>について」 (簡易長文投稿ログ,カンナ記,99年07月15日:10時12分45秒)
 「論理性と下論理性、帰納・演繹と妄想」 (TRPGのための哲学設定の部屋,カンナ記,99年11月16日:11時03分08秒)

◆遊ばれ方
 次に遊ばれ方の面から観ます。
 一般にSLGは、言語コミュニケーションを排除してもプレイが可能です。
 例えば「魚雷戦ゲーム」のようなものでは、言語を使用するのではないか、と思われるかもしれませんが。ここで言っていることはそうした、符丁・数値の伝達コミュニケーションのことではありません。
 自然言語のコミュニケーション過程に含まれる、相互解釈の側面を排除してもプレイが可能だ、とゆう指摘です。

 スタンダードなTRPGは、言語システムを活用した相互了解のコミュニケーションを排除してはプレイがなりたちません。
 
 なぜなら、TRPGでは、SLGと違い、PC・PL〔プレイヤー〕の目的策定過程もゲームプレイの内に含まれるのがスタンダードだからです。
 GMはゲーム進行の仮定で、PC・PLの目的策定の構想や狙いを理解し、解釈しなくてはなりません。この為、言語の相互了解のコミュニケーションはTRPGのプレイで不可欠になります。
 
 ある種のSLGで、TRPGのGMであるかのように、レフリーまたは、ジャッジの役割の人物が必要とされることもあるかもしれません。しかし、SLGではレフリー(ジャッジ)には、「解釈」は要求されません。
 
 なぜなら、言語による曖昧性を排除したシステムの運営に必要とされるのは「解釈」ではなく「判断」だけ、だからです。
 TRPGのGMは「判断」も「解釈」も両方が要求されます。
 
 ある種のTRPGにいろいろな限定をかけて、GM・プレイヤー間の相互解釈コミュニケーションを排除してゲームをプレイすることも可能なのですが。それは、システム本来の遊びかたとは違うでしょう。
 
◆私見
 とゆー、わけで、アタシの観点からは、「ジャンルとしてのTRPGがジャンルとしてのSLGに含まれる」とゆー「結論」には賛成できません。
 
 ’M’さんの論旨には、うまく関係してゆかないかもしれませんが。
 アタシの方の観点から観ると、「事象」と「人物」を通念で捉えてるとこがネックなのかなー、とゆう気もします。
 
 例えば、プレイヤーが、人物ではなくって、機関のロールをプレイするTRPGだって理論的には考えられます。
 
 三人のプレイヤーが行政・司法・立法とゆうロール(役割)をプレイするんです。
 で、ゲームの進行が数値システムだけは表現されなければ、それもTRPGとみなせるのではないか。
 意志決定過程が、言語の相互了解のコミュニケーションなくしては進行しないゲーム
 
 そーしたゲームの可能性を考えることはできます。
 もちろん、これは思考実験ですから、商品としておもしろいかどーかは別もんだいです。
 
 「ディプロマシー」に関しても、国家元首の役割をプレイするとゆーより、「国家意思」といった抽象的なものをプレイする、といった方がシステムの解釈としてより正確である気がします。(私見)
 
 だからと言ってアタシが「ディプロマシー」もTRPGだ、と言っているわけではありませんが。
 アタシは「ディプロマシー」はせいぜい、TRPGジャンルの「外縁」、または「近傍」に位置づけています。
2000年03月18日:04時09分06秒
TRPG総合研究室 LOG 042 / sf

TRPG総合研究室 LOG 042として2000年02月29日から2000年03月17日までのログを切り出しました。



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