TRPG総合研究室 LOG 083

TRPG総合研究室の2001年12月27日から2002年01月05日までのログです。


2002年01月05日:09時29分20秒
[比較ゲーム分析]Re:勝利条件としての「物語の面白さ」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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@トモスさんWrote (「【比較ゲーム分析】勝利条件としての『物語の面白さ』」,当掲示板,2001年12月29日:14時28分35秒)
>指摘された点の中から幾つかを再構成して、もう一度論を立ててみますのでよろしかったらまたコメントなどお願いします。
 
 年末年始を挟んでしまいましたけど。アタシも助かります。
 必ずしもトモスさんの質問意図に促したお応えばかりできるわけでもない、かもしれませんが。その辺も含めてよろしくお願いしたいと思います。
 
>「面白い物語を生成させる」という目的を持ったプレイがゲームとして成り立つかどうかを考えると気になるのは、次の4つの特徴だと思います。但し、これらの特徴は「その勝利条件に独特」というものではなく、他のプレイスタイルにもあてはまるものがあるように思いますが。
 ――ということは、今回は、TRPGジャンル内でのシステム比較であるとか、1回性を持ったセッション比較とかなわけですよね(?)。
 
>物語内容は、「話の中での出来事」と「その表現(語る順序や声色などを含む)」と「受け手の感受性」の組み合わせで決まるもので、受け手が違えば物語内容は違う、表現が違えば同じ出来事でも違って感じられる、出来事が違っていれば表現や受け手が同じでも(当然)違って感じられる、としておきます。
 
 特に異論はありません。
 1つだけ補足しておくと、TRPGセッションでの物語行為の特徴なんですけど、「表現(語る順序や声色などを含む)」には、「説明」が含まれますし、含まれて構いませんし、もし望むなら「説明」だけで一貫しても構わないです。プレイヤーのプレイングでも、GMのマスタリングでもです。
 この件は誤解され易いので、特記された方がよいと思います。

 「説明」というのは、例えば、キャラの行為選択の動機付けについて「このキャラはしぶしぶ同意したよん」とか「喜んでついていきました」とかの類です。
 ゲームではなく、物語表現一般では「説明的セリフ」とか言うのはあまりうまい手ではない、とされるのですが。TRPGの一般型ではその辺は構わない、というのは特徴です。
 
1)目的が非常に複雑なため、達成度の判断が困難
>プレイ中に「今ここでこういう行動をとったら物語はAという展開をたどることになることにほぼ間違いないが、何もしない場合に辿ることになるであろうBという展開と比べてどちらが面白いだろうか?」と考えてみても、自分の感想や印象は複雑で、互いに相反するような感想や未整理な部分や疑問なども含んでいるので、答えを出せない場合がある。
 
 そういうふうに考えて答えを出せない場合は、別の考え方で考えるとよいです。
 単純化した説明になりますし、経験論で対処療法ですが。
 「今、この局面で、このキャラにできることはなんだろうか?」、と、「動機付けの面から考えて、このキャラがしたいことはなんだろうか?」を考えていけば、まずなんとかなるように思っています。うまくいかないのは大抵ワールド設定や、それまでのセッションでのコミュニケーションを妥当に解釈できていない場合だろうと思います。
 
>またプレイが終わった後に、「この物語は面白かっただろうか?」と考えてしまうようなケース、自問しても複雑な感想や断片的な印象などが浮かび、明確な判断が下しにくい場合もある。
 
 こちらは、セッション終了後に経験点配布と前後してGM主導の講評会を行うと、「明確な判断」とはいきませんが、それなりに納得できると思っています。
 
 例えば、「あなたあのときどんなこと考えていたの?」とか「自分のあのときの選択はすごく迷ったんだけど」とかそうした話題検討で構わないと思います。
 
 TVドラマや映画では、役者やスタッフは、不特定多数の観客を相手に説得力ある表現を行わなければなりません。が、TRPGセッションの場合、了解コミュニケーションは、その場にいる人間の間だけで成り立てばよいので、ある程度不明瞭なものは残っても充分納得はいくと思っています。
 
2)目的が非常に抽象的なため、具体化が必要になる。
>「ストーリー」(出来事)のレベルでどのような副次的目標が達成されるべきかについての絞り込みが難しい
 
 これは、ちょっとトモスさんの文意を掴めていないので(2通りくらいに意味が採れました)。
 質問意図はずしているかもしれませんが。アタシとしてはシナリオとGMの意図によると思います。
 日本のTRPGシーンの現状では、シナリオメイカーはGMであることが圧倒的に多いので。もし、GM(シナリオメーカー)が物語生成も重視しているなら(重視の程度はいろいろあるでしょう)、その場合は、かえって「ストーリーレベルでの副次的達成目標」は構想し易くなると思います。主にキャラクター的動機付けの面から構想し易くなりますし、葛藤なども生じ易くなると思います。
 
>もうひとつは、〔中略〕それ〔ストーリーレベルでの副次的達成目標〕を実現するためには往々にしてGMや他のプレイヤーとの調整が必要になる点です。
 
 これはまさにその通りで異論はありません。
 個人的には、TRPGではセッション前にどれだけ調整をおこなっても、セッション中も調整や確認の為のコミュケーションは生じるだろうと思っていますが。
 
3)目的の設定と達成度の判断が個人の裁量に任されている部分が大きく、バランスの保証に乏しい。
>「とにかくゲームに勝ちたい」というプレイヤーにとっては、「簡単な目的を設定して、それを達成する」「自分が目的を達成したと強弁し、自分に言い聞かせてでも、物語が面白かったということにする」という行為が可能です。これは何というか、「ズル」です。
 
 うーん。トモスさんが言われたようなことが一貫されたのなら、それはアタシはズルとも限らないと思います。
 たまたま、そのキャラが関る物語はゴルゴ13のようなミッションクリアタイプの物語なんだと考えればよいからです。
 問題は、あるキャラがミッションクリア・タイプのキャラだとしても他のキャラが同じような動機で動くとは限らないことですが。これは、2)「目的が非常に抽象的なため、具体化が必要になる」の調整の問題かな、と思うのですけど。
 
>もう少し厄介なケースは、同じような勝つ事に対する執着の強いプレイヤーが「おれは全力で勝利条件の達成を目指したいのだから、目的の設定をやれとか、達成度の判断をしろとか、中立的な思考を求められるのは嫌だ」という心理です。こういう人にとっては、物語重視のプレイは、あまりプレイしたくない種類のゲーム、ということになるかも知れません。
 
 これはちょっと簡単には論じられないのですが。
 個人的意見としては、本当に文字どおり「目的の設定をやれとか、達成度の判断をしろとか」がいやなのでしたら、その人はTRPGには向いてないのではないかな、と思います。 挌闘ゲームとかの方が向いていると思うんですよね。
 
 トモスさんは「ミッションクリア型のプレイでは生じないので、TRPGは総じてだめ、というわけではありません」としていますが。アタシは別の意見なんです。
 「ミッションクリア型シナリオ」であっても「目的の設定をやれとか、達成度の判断」が要請されるのが、TRPGの本来と考えています。
(>TRPGシステムを用い、一貫したゲーム核をしつらえて遊んでも構わない。
 >ただその遊び方はTRPGらしくない、と思われる。
 >この場合、システムに含まれるワールドがルール系に対する「付与」扱いされることになるから。実際のシステム記述で、あらゆるワールド設定が、ルール系に対してや「付与」に留まるシステムがあったなら、それはTRPGシステムとしては完成度が疑われる。
「[比較ゲーム分析]Re:戦闘とサブゲーム」 (TRPG総合研究室 LOG 081,カンナ記,2001年12月24日:18時39分19秒)
 
4)複雑・未定義・未知であるため他人との調整が困難。
 もしかしたら、TRPGでの物語重視を言う人が一番ぶつかり易い壁が、トモスさんの指摘されているような「難問」なのかもしれません。
 
 この件はプレイヤーとGMとで、対処法がかなり違うと思われます。
 一般にTRPGセッションで生成される物語はキャラごとのプロットがサブプロットとして絡み合っていって、大きな物語を作るタイプが基本型なんだ、と言えます。
 映画で「グランド・ホテル形式」とか呼ばれるタイプに似てますし。
 ちょっと前の流行で言ったら、洋TVの『E.R.』みたいなタイプ。
 よくあるTVドラマのようにメインプロットの焦点が特定キャラ(主人公)にあたり続けるタイプは基本型ではない。とこの辺の認識が共有されれば、言われるような問題は回避されると思います。すくなくとも調整の糸口はつかめるし、調整も楽になると思います。
 
 上記のような認識が共有された上での話ですが――
>物語内容についての希望も、それを実現するために有効なストーリーレベルのサブ目的も異なる場合がある(これ自体は他の多目的ゲームにもありうる事態)。その上、それを説得力のある形で説明できるか、誤解のないように説明できるかは、目的が「ストーリーレベル」にある場合や「明確に定義された用件」についてである場合に比べると不確定性が高い。
 
 ――ですけど。これは、プレイヤー-プレイヤー会話、及びプレイヤー-GM会話、と、キャラクター-キャラクター会話(PC及びNPC)との意図的使い分けをしていけば、調整は可能なはずと思います。
 
 TVドラマや映画と違い不特定多数の観客を相手に説得力ある表現を行うわけではないので、「誤解のないように説明」のような調整、または了解コミュニケーションも、不確定ではあっても、了解はとれると思っています。
 で、どうしても決着がつかないときのために、GMの裁量権があるのだと思います。
 
 時として、了解が成り立ったと思っても、先の展開によって(さっきの了解が)誤解であったと露呈したり、すごい場合は、セッションが終了してからコミュニケーションの相互誤解が明瞭化されることもあるんですけど。それでもセッションが成り立ってしまうことがある(個人的には珍しくないと思っています)のがTRPGセッションのおもしろいところかな、とも思います。
 
 固い言葉で表現するならば「未定義性を内包したままで(ゼロにすることはできないままに)成り立ってしまう」のがTRPGセッションだ、みたいに考えています。

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2002年01月05日:09時10分46秒
[比較ゲーム分析]TRPGでの物語生成過程重視について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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 どうもです。
 三賀日は過ぎましたけど、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 
 「【比較ゲーム分析】勝利条件としての『物語の面白さ』」 (当掲示板,トモスさん記,2001年12月29日:14時28分35秒)、でトモスさんが整理された指摘にお応えしたいと思います。

 が、その前に2、3包括的なお話をさせてもらいたいと思います。
 
●物語生成過程重視によるキャラクター・プレイの統御
 あくまでアタシの場合は、という個人的な経緯なのですが。

 当初「TRPGで生成される物語の生成過程の重視(物語生成重視)」を考えるようになった経緯は、キャラクタープレイ@寺田定義を統御するための方法論を整理するって目論見があってのことでした。

 今の時点では、キャラクタープレイ@寺田定義の方法論も、「物語生成論」の部分として構想した方がよいだろう、と思っていますので。「物語生成論」に考え至った経緯は、理論には関係ない、と言えるのですが。

 何分未整理な点も多いですし、トモスさんの質問について応答をしてくにしても、キャラクタープレイ@寺田定義の統御、というポイントを理解していただいた方がお話がスムースかな、と思います。
 
 アタシの意見では、キャラクタープレイ@寺田定義というのは、TRPGをプレイしている限り、システム・ワールドの性質とセッションの構造から、必ず発生する、と考えられるものです。
 
 ところが、アタシの知っている範囲の旧弊なゲーム理論では、a「キャラクタープレイはゲームと無関係であるのでTRPGとも無関係であるべき、との偏った否認論」または、b「キャラクタープレイはゲームプレイの“付与”(付け足し)であるのだから、付け足し程度に楽しめばよく拘るべき物ではない、との是認を装った否認論」、c「キャラクタープレイはTRPGに本来的な要素であるかもしれないが、統御の方法論もなく、上達の方法論もない以上拘るべきではない、という消極的肯定論」のいずれかが導かれるばかりだったようです。
 
 これは、アタシのセッション体験と照らし合わせておかしなリクツだ、との思いから始まった個人的考察の結果が、「TRPGをプレイしている限り、システム・ワールドの性質とセッションの構造から、必ず発生する『キャラクタープレイ』」(←これをキャラクタープレイ@寺田定義と同値とみなしてもよいだろうと思うのはアタシの考えですが)、をセッションで積極的に活用してゆくためには、「セッションで物語が生成される、TRPG独自の生成過程を重視すること」が重要なんだろう、と見込んでいます。

 過剰なキャラクタープレイや暴走するキャラクタープレイを統御しながら、キャラクタープレイ@寺田定義を、セッションの首尾をよくする方向に貢献させるためには「物語生成過程を重視」することが是非必要なのだろうと思っています。
  
●多様なコミュニケーション様態の混在・複合
 次に、数年前にアタシが書いて公開していた作文での意見に修正を加えます。
>「TRPGは言語を用いたコミュニケーションの遊び」と言いますと、大方の人は、うなずかれると思いますが。
#カンナ記「参考資料:ストーリー、物語生成に関連する諸概念」
 
 「TRPGは言語を用いたコミュニケーションの遊び」はとても大まかな言い方で曖昧です。
 より正確な表現に修正すると次のようになります。
 
 TRPGセッションでは他の多くのゲームプレイと異なり、性質も機能も異なる様態のコミュニケーションが混在する。
 TRPGセッションの円滑なプレイには、性質も機能も異なる様態のコミュニケーションの自覚的使い分けが重要。

 あえて、未整理なまま、性質も機能も異なるコミュニケーションの諸様態を列挙してみます。
・自然言語を用いないゲーム・コミュニケーション(ゲームプレイ@寺田定義やゲーム核@トモス定義に関るコミュニケーション)
 例えば、HEXMAP上でのマーカー(フィギュアやポーンなど)の操作
・自然言語を用いたゲーム・コミュニケーション
 これは、理論上、自然言語を用いた論理的コミュニケーション。
・自然言語を用いた物語状況の了解コミュニケーション
 GMによる語り、プレイヤーによる確認、プレイヤーによる語りなど
 これは、論理的コミュニケーションを内包しつつ、全体としては文脈依存的・状況依存的なな(その意味では論理的ではない)コミュニケーションです。
 システムやシナリオによっては、このコミュニケーションを「できるだけ論理的にすること」が要請される場合もあります。また、物語生成過程が重視されるセッションでも、局面によっては、「できるだけ論理的にすること」が要請されます(例えば戦闘シーンなど、比較的カタイシーン)。
 が、トータルでは「物語状況了解」のコミュニケーションは論理的なものではあり得ません。これは、架空の世界での架空のキャラクターを扱う、とのTRPGの一般的性質に根ざす事実です。
・セッション中ルールデザイン(調整や改変、追加など)、セッション中リソースデザイン(調整や改変、追加など)を扱うコミュニケーション
 この議論的なコミュニケーションは、できるだけ論理的であることが要請されますが、疑似閉鎖系としてのルール系の理論構造の内部で完結しません。その意味でメタ・ルール的なコミュニケーションになります。(「TRPG総合研究室」の過去の議論では、大まかに「上位ルール」などと呼ばれたことがあります)
・セッションプレイ@寺田定義を取り扱うコミュニケーション
 このコミュニケーションは、「セッション中ルールデザイン、セッション中リソースデザイン」などと似た性質のコミュニケーションになります。
 最近の「TRPG総合研究室」議論の文脈を意識すると「実装」関係の妥当性を扱うコミュニケーションということになるでしょうか。

 多分、TRPGでの物語生成過程重視を検討する場合は「自然言語を用いないゲーム・コミュニケーション」と「自然言語を用いたゲームコミュニケーション」は、「ゲーム・コミュニケーション」(ゲーム核@寺田定義に関るコミュニケーション)として一括して構わないでしょう。
 
●TRPGセッションでの物語生成過程の特徴
 既存のあらゆるゲームでも、ゲームプレイに応じて結果として物語は生成されます。 将棋でも、野球でも、物語は生成されます。
 また、一般的なゲームでも、ディプロマシーのように自然言語によるコミュニケーションが、プレイに介在するゲームはあります。
 
 が、TRPGのように「物語状況の了解コミュニケーション」がゲームプレイに複合(@アキト定義)するものや、「セッション中ルールデザイン」「セッション中リソースデザイン」などが、ゲームプレイ(@寺田定義)の展開を左右するケースは珍しい。
 
 こうした独特なメカニズムを経て生成されるTRPGで生成される物語は、他のゲーム一般で生成される物語とはとても異なった性質を持つと考えられます。
 
●その他
>物語を生成するゲームと言えばTRPGなら「イット・ケイム・フロム・ザ・レ イト・レイト・レイトショウ」、カードゲーム なら「ワンス・アポン・ア・タイム」が思い当たります。
#myrtさんWrote (「【比較ゲーム分析】参考:物語を生成するゲーム」当掲示板,2002年01月04日:16時27分00秒)
 
 アタシが思うにTRPGの場合は、プレイヤーにせよ、GMにせよ、誰か特定個人の「思った通りの展開(というか結末)にすることが目的」とされることはTRPGらしくないように思っています。
 が、『ワンス・アポン・ア・タイム』については、TRPGの一般的なプレイ構造とどう比較したら、どこがどう違うので、『ワンス・アポン・ア・タイム』では「思った通りの展開(というか結末)にすることが目的」として成り立つゲームのゲーム性がよくわかりません。
 
 逆に「イット・ケイム・フロム・ザ・レ イト・レイト・レイトショウ」については、ルールブックは持っているのですが、多分プレイ回数が少ないためでしょうか。特にTRPGの一般型と比べてどこかが特殊だ、という気がしないでいます。
 後、アタシはレレレのプレイはヘタみたいです。「他のシステムのプレイと比べて生彩に欠く」的に言われたことがあって。なんか肝心のところをつかんでないらしーです(困笑)。
 
 アタシが思うには、TRPGの場合「より納得のいく物語が生成されること」が単独でプレイの目的になることはないのではないかな(?)、と思います。
 
 『ワンス・アポン・ア・タイム』についてはわからないのですが。
 例えば、連歌なんかはルールがあって、リソースとしても過去の歌の蓄積があると言えます。「連歌合わせ」という遊戯の場合、評価者がいて、対抗するチームがつくった歌のどちらが優れていたかを評価するそうなんですけど。
 このように、「『より納得のいく物語が生成されること』が単独でプレイの目的になる」というのも、またTRPGらしくはない、ように思えます。(が、あまりきちんとした根拠は未整理です)
用語参照≫
物語生成過程重視≫「【比較ゲーム分析】“物語重視”のプレイングについて」  (当掲示板,カンナ記,2001年12月28日:18時33分50秒)
キャラクタープレイ≫寺田大典さんの「プレイスタイルの違いを踏まえて求める先」、寺田大典さんのHP「TRPG BOX」
付与/関与/複合≫アキトくん「開放系ルールとしての RPG」「付け足しなんかつまらない!」

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2002年01月04日:20時15分39秒
Re:戦争の勝敗とTRPGの勝敗 / トモス
この話は物語重視のプレイングの議論を意識したものでしょうか? ディプロマシーの文脈には余り合わない感じがするので、そう解釈してみます。

戦争とTRPGの類似と相違については、僕はこんな風に考えてます。

TRPGは、架空の世界を現実らしい複雑さをかなり維持しつつ扱うゲームなので、現実世界に似ています。PCの目標が時に曖昧(「いい人生が送りたい」)、時に流動的、ほぼ常に複数的、というのは人生によく似ています。死を意識しつつ人生を振り返って、自分の人生の達成度を測ろうにもそれが非常に困難な点も似ています。この架空世界の複雑性は架空世界の未定義性とセットになっているので、この世界にまつわる「目的」を立てて遊ぶ限り、TRPGがPLやGMのレベルでも同じく複雑で達成度が判断しにくいゲームになってしまうのはたぶん必然ではないかと思っています。

戦争であれ、マネーゲームであれ、出世競争であれ、現実社会で起こる目的志向的な活動がゲームと違うのは「楽しみ」が必須かどうかだと思います。僕はゲームは「目的達成に向けた工夫を楽しむ遊び」だと考えていますが、上記の諸活動には工夫はあってもそれを楽しむという目的は希薄で、必須ではない気がします。
言い方を換えると、ゲームは人生で直面するような難しい意思決定をフィクションなり抽象なりとして経験して、その結果が成功であれ失敗であれ、ともかく意思決定に際しての工夫を楽しんでしまう、その楽しみが目的の中に必ず含まれるという点が人生一般と違うと思っています。

myrtさんの指摘したGM-PL関係の勝敗は、僕はTRPGを誰かが勝つと誰かが負けるようなゲームとして考えることに不慣れなのでまだよくわからない部分もあるのですが、TRPGがゲーム外にも及ぶ人間関係の文脈で起こる一つの活動だと考えたり、あるセッションが複数のセッションに及ぶプレイの一部と考えたりした場合にはmyrtさんの引用する戦争論の議論をあてはめやすい気がします。

TRPGで物語重視の場合には「物語の面白さ」が自分だけで定義・判断できないかされない場合、つまり他の人の感想や判断が自分の感想に影響を与えたり、自分の感想と組み合わされて最終評価につながったりする場合には、確かに勝利条件の複雑さと未定義性があります。
そして、この問題は、「姫君の救出を目的にしていたものの、結局魔王を倒す時の修羅場に巻き込まれた姫君が心に深い傷を負ってしまった」という場合に各PLやGMが達成度について異なる評価を下す、ということと似ていると思います。つまり物語を重視しないプレイでも類似の状況は容易に発生しうる。
2002年01月04日:19時36分17秒
【比較ゲーム分析】実装とゲーム核の区別:社会的次元 / トモス
#一人でどんどん投稿するのもためらわれた上、いろいろ忙しくなってきたのでとりあえずどなたかの投稿を待っていました。あるいは立ち消えるようなら総括でも出して撤退しようかとも。。

まず実装とゲーム核の区別についての議論の文脈を再設定しておきます。
実装とゲーム核の区別ができなければ、あるゲームで遂行可能な手が厳密に定義されていないということになります。将棋で盤をひっくり返していいのか、100m走で靴にどんな仕掛けを施してもいいのか、など。これは必然的に、全てのゲームを開放系のゲームにしてしまいます。つまり、ルールや選択可能な手が定義され切っておらず、ゲーム中に追加設定がなされる可能性があるゲームです。このようなゲームではゲームバランスが流動的だという特徴があります。

TRPGはゲームで扱う架空世界内でのPCの行動(=手)が定義され切っていないため、そこだけをとりあげても開放系です。それに加えて、あるシステムをどう遊ぶのかについての厳密かつ明確な取り決めも存在しないため、その部分でも開放性があります。ただ、この第2の開放性は、他のゲームについてもおおよそ言えることで、これがあるからと言ってゲーム開放性を帯びると考えるよりも、ゲームを閉鎖系として確立するためにはこうした部分をきちんと整備しなければいけない(実装にまつわる諸問題をクリアしなければならない)と考える方がいいのではないか、というのがこれまでの主要な合意点だと思います。
当初の議論では、これは開放性がTRPGの独自性であるかどうかについての議論や、TRPG独特の、制御することもうまく取り込むこともできる保証がない自由(事前に予期できない手の出現)の議論の一環でした。

また、これまでの議論では、将棋のような一部のゲームでは区別がしやすく、TRPGではしにくい、という意見もmyrtさんと鍼原さんから出されています。

で、(ようやく)ここからが今回の議論です。
>>「入力が制限内で、ルールを守っているかどうかが判別できるならばいかなるゲームでも実装可能である。実装の完璧性は常に保証できないが、今のところまあ実用的であるとみなされるゲームがいくつもある。将棋は入力が離散的なためたまたま実装が簡単であるにすぎない」<<*1

まず、僕の解釈に誤解があればそれがはっきりするように、少し言い換えてみます。「どのような手が許されているかが明確に定義されていて、その定義を含めたルールにプレイヤーが従っているかどうかを第3者が判断しやすい場合、ゲームは実装しやすい。ここでの「ルール」には、暗黙のルールも含まれる。」

気になるのは暗黙のルールが含まれる点です。別に不賛成ではないのですが。「どうして人は、あるゲームの実装領域とゲーム核の境界線について合意できるのか」という疑問があります。ある人にとっての暗黙のルールや当然の常識が別の人にとっては必ずしもそうではない、というのはTRPGの場合でも、他のいろいろな場合でも頻繁に見られますが、それが将棋についても起こりそうなものです。

将棋の場合にはa)日本将棋連盟のような「公式」とされる団体があり、ルールがあることや、b)広く、長く遊ばれていることや、c)典型的なプレイの状況を想定しやすいこと、なども理由として挙げられるように思います。

でも、将棋を知らない人が、将棋のゲーム核のルールだけを読み、盤に駒を並べたことがあるだけで他に一切将棋について知らない場合、「適切な実装」ができるかと言えば、できない可能性があると思います。「適切な実装」というのは、他の人から見てもそれが「将棋」だと合意できるようなゲームを実現することです。他の人の将棋の仕方をよく知らない人には、想像だけを頼りにそれを探り当てることは困難だろうと思います。例えば持ち駒を相手から隠してしまうとか、隠さないまでも常に複数の持ち駒を動かし続けて相手の思考に負荷をかけようとすることが巧みな戦法なのか、卑劣ながらルールには反しない戦法なのか、それとも暗黙のルールに違反するのか、判断がばらばらになると思います。

ちなみにこの戦略を今までの議論との関係で言えば、「相手の持ち駒を参照する」という手の遂行にまつわる「インターフェース」部分の実装問題だということになると思います。

以上から、こんな風に言えると思います。「将棋」が何であるかは有限な量の文章によって定義されるわけではない。文章においては未定義に留まる暗黙のルールの部分を社会常識や他人のプレイについての知識によって補って、将棋のゲーム核と実装についての判断が一致するようになる。判断が一致するという原理的な保証はないが、将棋の普及度や制度化の程度など社会的な要因によって、かなりの一致が保証されている。

*1 【比較ゲーム分析】100m競争は実装できるのか / myrt, 2001年12月27日:18時25分47秒
2002年01月04日:16時27分00秒
【比較ゲーム分析】参考:物語を生成するゲーム / myrt
 物語を生成するゲームと言えばTRPGなら「イット・ケイム・フロム・ザ・レ イト・レイト・レイトショウ」、カードゲーム なら「ワンス・アポン・ア・タイム」が思い当たります。

 後者なんかまさに「思った通りの展開(というか結末)にすることが目的なゲーム」なので、参考になるのではないでしょうか。
#どっちもやったことない...
2002年01月04日:14時56分46秒
戦争の勝敗とTRPGの勝敗 / myrt
 「推敲時に気をつけます」と書いた矢先ですが、書き込みがなくて 立ち消えしてしまうのが恐いので草稿段階で出してしまいます。 未定義語があればつっこんでやってください。

 前の記事(2001年12月28日:18時15分47秒【比較ゲーム分析】Re:ディプ ロマシーの開放性について / myrt)で投了の事を書いて、クラウゼビッ ツの戦争論にあった「戦争に負けるのは負けを認めたときだ」を思い出しました。

 この文章だけ読むと諦めが悪いだけに見えるのですが、前後を考慮し て(ってうろ覚えだが)深読みするとなかなか含蓄深いです。

 クラウゼビッツの定義によれば、戦争は政治の一手段です。一回ごと独立 しているゲームとは違い、最後の最後まで抵抗して例え戦争に負けなかっ たとしても(その結果が勝ちであるとは限りません)、国土が灰燼に帰 しては意味がありませんし、そこまでいかなくても 戦後のことを考えねばなりません。

 また勝ちたいならば、相手に負けを認めさせねばなりません。 相手を徹底的に痛めつければ負けを認めさせることのできた時代は終り、 今ではいかに両者の顔を立てるかが重要になっています。

 これは、TRPGのGM-PL間の勝敗の話に似ている気がします。全滅したら ゴネるPLとか。GMとPLの両方が納得できるセッションを持てるかは、この あたりがカギになるかもしれません。

 良く考えると、戦争にも絶対的な「勝利条件」がないです。 まさに現在それを設定している国がありますが、その条件が達成されれ ば解決と思ってる人はいないでしょう。

 ...しかし「戦力は物質力と精神力に分けられる(これも戦争論よ り)」って話になって「徹夜TRPGは物質力(飲食物)と精神力(眠気)の消耗戦だ」で オチるような気がしてきました。
2002年01月04日:14時55分58秒
Re:「実装」&「いたぶる」の定義に関する返答 / myrt
 もしかして書き込みが止まってしまったのは私が書き込まなかった せい!? ちょっと焦ってます。推敲してたら長くなる質でして...

 私は極端な長文書きなので、書き込む前の下書きから不要と思った 部分を削ってなんとかこの分量にしています。そのとき、自分にとっ て既知な部分も削ってしまうのかもしれません。

 また、馬場さんのテキストを読んでいることは前提にして ますし、無意識にゲーム理論の用語を使ってるかもしれません。 ゲーム理論は研究分野の一つで、教科書も出てます。興味ある方 は囚人のジレンマなんかで検索すると面白いと思いま す。「prisoner's dilemma」で引くと楽しくなるほどひっかかります。

 以上のように書くと偉そうですが、トモスさんが指摘された通 り「直観でやってる」ことが多いです。自分ではしっかり定義で きてるつもりなだけに質が悪い。「実装」の指すものの怪しさに 気づいたのもかなりたってからでした。いずれにせよ、推敲時にさらに 気をつけてみます。
2001年12月29日:14時35分50秒
【比較ゲーム分析】TRPGにおける一回性 / トモス
#連続で失礼します。

今まで議論されていなかったTRPGの独自性をもうひとつ思いついたのでごく手短に報告しておきます。
他のゲームでは、相互に独立しているプレイの結果について、「自分はルービック・キューブを完成するのにたった3分しかかからなかった」「おれはこのCRPGを3日で解いた」などという簡単な報告をしただけで達成度や熟練度の違いを比較することができます。もちろん完全な比較ではありえませんが。(実装領域の問題があるため)
TRPGでは同じシナリオをプレイしても達成度の比較は簡単ではないと思います。これはセッション自体が複雑なもので、(複雑なものがしばしばそうであるように)単独性が強い、一回性が強いため、比較が容易ではないということだと言えます。
2001年12月29日:14時28分35秒
【比較ゲーム分析】勝利条件としての「物語の面白さ」 / トモス
#鍼原さん、素早いお返事をどうもありがとうございます。指摘された点の中から幾つかを再構成して、もう一度論を立ててみますのでよろしかったらまたコメントなどお願いします。
#もちろん他の方のコメントも歓迎です。

「面白い物語を生成させる」という目的を持ったプレイがゲームとして成り立つかどうかを考えると気になるのは、次の4つの特徴だと思います。但し、これらの特徴は「その勝利条件に独特」というものではなく、他のプレイスタイルにもあてはまるものがあるように思いますが。

ちなみに、物語重視のプレイ、というのは、ここではとりあえず鍼原さんの重視している「物語内容」にまつわる目的とします。物語内容は、プレイヤーに受け取られ、感じ取られた内容で感想や印象を含むものです。反対に、話の中でどのような出来事がどのような順序で生じたかについては「ストーリー」と鍼原さんに倣って呼ぶことにします。

物語内容は、「話の中での出来事」と「その表現(語る順序や声色などを含む)」と「受け手の感受性」の組み合わせで決まるもので、受け手が違えば物語内容は違う、表現が違えば同じ出来事でも違って感じられる、出来事が違っていれば表現や受け手が同じでも(当然)違って感じられる、としておきます。また、出来事の内何を描写し何を描写しないかといった選択は表現上の選択と不可分なため、出来事と表現は厳密には区別できないもの、としておきます。便宜上以下では区別をし続けますが。

1)目的が非常に複雑なため、達成度の判断が困難
話の中で実際に何がどのような順序で生じたか、という「ストーリー」レベルの問題についての目的(「魔王を倒す」「姫君を救出する」)であればその達成は比較的判断しやすい。(但しここにも複雑性や未定義性はあると思います。)「面白い物語かどうか」は「物語内容」のレベルに言及しないと判断ができないもので、しばしば非常に判断が困難。例えばプレイ中に「今ここでこういう行動をとったら物語はAという展開をたどることになることにほぼ間違いないが、何もしない場合に辿ることになるであろうBという展開と比べてどちらが面白いだろうか?」と考えてみても、自分の感想や印象は複雑で、互いに相反するような感想や未整理な部分や疑問なども含んでいるので、答えを出せない場合がある。またプレイが終わった後に、「この物語は面白かっただろうか?」と考えてしまうようなケース、自問しても複雑な感想や断片的な印象などが浮かび、明確な判断が下しにくい場合もある。

2)目的が非常に抽象的なため、具体化が必要になる。
面白い物語が出来るようにプレイしようと思っても、それが具体的にどういう物語の生成を目指すことなのか、具体的にどんなプレイをすることなのか、などについての具体的な意思決定にはそれほど役に立たない。
そこで「システムの主旨」を手がかりに(他にも自分の好みや想像力、他のプレイヤーの好み、シナリオの導入部、PCや背景世界の設定、なども手がかりになるかと思います)どういう物語内容を追求していくことにするかを決定し、絞り込んで(具体化して)いく。*2
これは例えば「重々しい雰囲気は面白さに貢献するだろうか」「派手なアクションはどうか」「緻密な心理描写はどうか」といった判断に際しては助けになる(それらはストーリーではなく物語内容にまつわる判断であるため)。 だが、そうした具体化を施しても、まだ足りない場合がある。(と思います)その理由のひとつは、「ストーリー」(出来事)のレベルでどのような副次的目標が達成されるべきかについての絞り込みが難しい点です。もうひとつは、仮にそれが絞り込めたとしても、それを実現するためには往々にしてGMや他のプレイヤーとの調整が必要になる点です。

3)目的の設定と達成度の判断が個人の裁量に任されている部分が大きく、バランスの保証に乏しい。
目的を具体化するのも自分、結果を判断するのも自分なので、「とにかくゲームに勝ちたい」というプレイヤーにとっては、「簡単な目的を設定して、それを達成する」「自分が目的を達成したと強弁し、自分に言い聞かせてでも、物語が面白かったということにする」という行為が可能です。これは何というか、「ズル」です。その人が本当にそれで満足するならそれもいいかも知れませんが、もう少し厄介なケースは、同じような勝つ事に対する執着の強いプレイヤーが「おれは全力で勝利条件の達成を目指したいのだから、目的の設定をやれとか、達成度の判断をしろとか、中立的な思考を求められるのは嫌だ」という心理です。こういう人にとっては、物語重視のプレイは、あまりプレイしたくない種類のゲーム、ということになるかも知れません。ロールプレイ重視やプレイヤー、PCが自分で目的を設定するプレイヤー主導のプレイについても、同様の問題が考えられます。これはミッションクリア型のプレイでは生じないので、TRPGは総じてだめ、というわけではありません。
更に、中立的な思考をすることを厭わない人の中にも、自分で目的を設定すると、その達成がどの程度困難なのかがわかりにくいし、プレイが終わった後でも、結局自分のプレイの仕方が違っていたらもっと目的を達成できていたのか、それとも自分はかなりよくプレイしたと言えるのか、が判断しにくい、という場合があると思います。シナリオに沿った目的設定であれば、一応マスターが目的達成の難易度を事前に調整してくれる上、プレイ後に自分の意思決定が違っていたらどういう展開になっていたかについて聞き出すことも可能です。これは(決して容易とは言えない場合があるとしても、)自分で目的を設定して自分で判定をする場合に比べれば、ゲームバランスが取りやすいです。こうした人はやはりロールプレイ、プレイヤー主導などと共に物語重視のプレイを好きになれないかも知れません。

以上、ズルが可能、中立的思考を要求される、ゲームバランスの保証が乏しい、という3つは、いずれも目的設定と達成度の判断についての自己裁量権の大きさから来ていて、GMのような第3者にゲームバランスに配慮した設定と中立な判定をやってくれる者がいないことの困難と言えるかと思います。

4)複雑・未定義・未知であるため他人との調整が困難。
物語内容レベルの目的を追求する過程で、ストーリーレベルの副次的目的(サブ目的とも)が発生する場合が十分考えられるが、それを実現するためにはGMや他のプレイヤーの協力が必要になる場合が多い。が、このためのコミュニケーションは、自分でもはっきりしていないかも知れない「こうすれば面白くなるのではないか」という意見を伝えることを必要としていたり、それを相手が理解できなかったり、反対意見を持っていたり、自分でもそれだけが唯一の方法でないことを感じていたりするために、困難になる。同様に、他のプレイヤーやGMが面白い物語の生成を望んでいる場合、各遊び手の感じ方も、物語内容についての希望も、それを実現するために有効なストーリーレベルのサブ目的も異なる場合がある(これ自体は他の多目的ゲームにもありうる事態)。その上、それを説得力のある形で説明できるか、誤解のないように説明できるかは、目的が「ストーリーレベル」にある場合や「明確に定義された用件」についてである場合に比べると不確定性が高い。

参照(敬称略):
*1 達成度が判断しやすいことを重視する考え方の例としては、
【比較ゲーム分析】多目的ゲームは(従来の意味での)ゲームではない,myrt,2001年12月21日:18時55分00秒
「目標」を設定しよう,ラウール,1999/11/14
*2 これは便宜的一次関数化として以下の投稿で議論されている話と同じか、非常に近い。
【多目的ゲーム】TRPGを多目的ゲームとして扱う3つの視点,myrt,2001年12月25日:17時51分40秒
2001年12月29日:14時22分26秒
Re:「実装」&「いたぶる」の定義に関する返答 / トモス
何となく気になったので僕も少し。僕にとってもmyrtさんの発言はいろいろ謎が多いです。「トモスはmyrtの発言内容をわかって質問もせずにどんどん議論を進めているのだ」と思っている方がいるとしたら誤解です。もちろん、わかる(と思ってる)部分や賛成する部分も多いのですが。

個人的な印象ですが、myrtさんは定義や文脈の明確化なしに本題に入る発言が少なくないように思います。僕は興味がなければあきらめて、興味がある場合には同じ問題を自分ならどう考えるかを手がかりにmyrtさんの発言を解読して行きます。
myrtさんの興味は(鍼原さんも指摘していますが)TRPGがゲームとして変っているのはどこで、それをゲームと言えるとしたらどういう理由によってか、という点にあるように思っています。ゲーム性重視派の自問自答の過程、というか。僕は面識もなくここで議論を始める前は過去ログで読んだだけだったので勘違いかも知れませんが。

個人的にはmyrtさんにもっと定義や文脈(何故その話題を持ち出したのか)を明言してもらってもいいと思っていますが、何となく、直観を頼りに考えている人でそういうことを頼んだらかえって話が滞ったりするのではないかと思って躊躇して、定義や文脈設定は自分でやってみる方針できていました。場が荒れていた時の印象を個人的に引きずっていて、ちょっと質問するのにも何だか敵対感を漂わせる感じになってしまうのが嫌で躊躇するというのもあります。これは僕の感じ方の問題だと思いますが。

myrtさんが感情を害されないことを願いつつ、他の方の参考までに僕なりの「myrtさん攻略法」でした。
2001年12月29日:11時37分54秒
お礼:「実装」&「いたぶる」の定義に関する返答 / 石頭

「実装」任意のゲームを実際に遊ぶために、未定義部分の条件を整えること、また整えられた条件。

「いたぶる」敵にとどめを刺さず飼い殺しにした状態で痛めつける行為。

以上了解しました。どうもありがとうございました。個人的には「実装」の定義に行為と条件の両方を含ませるのは誤読のもと、あるいは文意がやたら複雑になるようにも思われますが、討論者達全員が理解できているのであればそれはそれで構わないのかもしれません。(新規の討論者が出るには高いハードルが設定されてしまうでしょうが)

以上です。どうもありがとうございました>myrt殿


2001年12月28日:18時33分50秒
【比較ゲーム分析】“物語重視”のプレイングについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@トモスさんWrote (「【比較ゲーム分析】物語重視のプレイングのゲーム性」,当掲示板,2001年12月28日:15時56分28秒)
>物語重視のプレイングをゲームの一種と解釈できるのではないか、という意見は、これまでこのサイトの掲示板でも折りに触れて出てきたように思います。
 
 そうですねぇ、ただ、細かくみると(実は、アタシはこっちの方面はうるさいし細かいんですよ:困笑)、「物語重視」といっても、まだまだ曖昧で、――
a物語タイプを重視するって姿勢、
b物語の表層であるストーリーを重視するって姿勢、
c物語内容を重視するって姿勢、
d物語ができていく過程を重視するって姿勢、

 ――などなどが、かならずしも明確に区別しないで語られることが多く(上記a〜dの他にも「物語重視」と言われる姿勢はあるかもしれません)、話は混乱し易いと思われます。
 
 ちなみにアタシは、d+cの立場です。d優先ですね。
#カンナ記「参考資料:ストーリー、物語生成に関連する諸概念」「[TRPGと物語生成]『物語の深層』の概念」「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」
#上に挙げました、アタシの過去の作文で「物語の深層」と表現している概念を「物語内容」と捕らえていただいて結構です。
 
>やっぱりTRPGをゲームか、ゲームによく似た何かとして考え、プレイすることはできるだろう、という風に考えてきている
 
 そうですね。
 出だしなのである程度曖昧でも勘弁してもらいたいと思うのですが。
 アタシはセッションでの“メインゲーム”を「ゲームによく似た何か」とみなすって線でお話してきています。
 例えば、myrtさんは、――アタシの想像ですが、おそらくは「従来のゲーム論ではうまく説明しきれない性質のゲーム」としてTRPGでのメインゲームを再定義しようとされているのだと思います。
 といった感じの立場でお話します、というあたりから。
 
>「魅力的な物語が、プレイを通じて生成されるようにしたい」と目的を持ってプレイしたとしても、その判定基準はかなり未定義なままです。(そしてそれを単純化してしまうことには必ずしも得策ではないような気がします)
 
 まず、アタシ的に言わせてもらいますと、「物語の魅力」は判定することはできないです。(正確に言えば「判定」することは妥当ではない)
 解釈されるだけ、って考えでいます。
 (この関連では、機会がありましたら「論理的な定義」と「散文的な定義(意味の限定)」は性質が異なる、って指摘をさせてもらいたいと考えています)
「【比較ゲーム分析】Re:多目的性について」 (カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 081,2001年12月21日:19時34分35秒)
 
 例えば[TRPGでの自由]の話題で「王様の(唐突な)暗殺」関連の論点のひとつになりましたけど。
 あるキャラがある行為選択したときに、その選択に「説得力が感じられるかどうか」といった問題ですね。
 これは、判定できることではない、しかし、解釈妥当性を検討することはできる、というのがアタシの考えです。
 (セッションの限られた時間の内で、文字通りの「解釈妥当性」検討とやらをしてる暇はないだろう、というのは、もっともな話なんですけど、今ここでは置いておきます)
 
 次に、「『魅力的な物語が、プレイを通じて生成されるようにしたい』と目的を持ってプレイ」についてですけど。
 アタシが思うに、TRPGでは、セッションで生成される物語のタイプは、システムの主旨という型で、ルール上、大まかに規定されているのだと思います。
 
 「大まかに規定」というか、システムに許容可能な「物語タイプ」の範囲が暗示されているのだと思うのです。
 
 ここは論点のひとつとされるべきポイントのはずで。
 ルール上明示されている「TRPGの目的」は、セッションで許容可能な物語タイプにとっては基本パターンなんだと考えられます。
 ルール記述に明示された基本パターンをワールド設定を参照しながら解釈していくと、「システムに許容可能な物語の範囲」が解釈されます、こちらの範囲は明示的ではなく暗示的なものにしかならない、というのがアタシの考えです。
 
 例えば、明示的なものとして、あるシステムに「英雄候補生が危難に挑戦し英雄として成長してゆく物語」を再現とか扱うとかの記述があったとしますよね。
 「ある架空世界でどのような性質の行為が『英雄的行為』と評価されるか」は、ルールを読む人間に解釈されることなので、明示的ではない、といった意味です。
 
 とすると、セッションというのは、「システムの主旨」を、詳細化し、具体的に表現していく過程、と整理することができます。
 
 ですので、――
 
α「他のプレイヤーの感じ方を知って、それを満たすような物語が生成するようにプレイする」という戦略にせよ、
β「〔自分にとって〕非常に魅力的と思える物語を生成させて、他のプレイヤーにもその魅力を認識させる」という戦略にせよ、

 重要なのは、まずキャラクターがなす行為選択の動機付けの部分の説得力だと思います。
 この「説得力」は、キャラクターの行為の動機付けを、プレイヤー(あるいはGM)がどのように表現していくか、といった技法で左右されると思います。
 
 で、セッションを通じてシステムの主旨が、詳細化され、具体化される。
 補足すると、まず説得力が重要で、そのうえに意外性の魅力というものが生成されることもある。例えば「このワールドでこんな物語が生成されるとは、一見意外だったけど、よく考えてみると説得力があった」といった類の展開ですね。
 
 「説得力を持つ意外性」というのは物語生成重視のTRPGでは許容されますが、「説得力の無い意外性」というものの魅力は許容されない、とアタシは考えています。
 俗に「奇を衒った」といわれるようなPCハンドリング(プレイ)やNPCハンドリング(マスタリング)が嫌われたり、批判されたりするのはこうした事情だろうと考えます。
 
>勝利と栄光の物語なら無条件で歓迎し、それが達成されなければ物語としての魅力がないと感じる人とか。こちらの働きかけになびくこともない上、感じ方が複雑とも言えません。

 えーと、そうですねぇ。
 「勝利」というのは普通、物語展開の内でも出来事に属すわけで、ストーリーの層に属します。
 そのため、曖昧性の少ない評価をそれなりに下すことがし易い範疇です。
 
 「栄光」は、もう出来事の解釈・評価に属する範疇ですので、ストーリーではなく物語内容の層に属します。
 「栄光」が達成されたかどうかは、実はセッションを通じてなされた「語り」(表現)を解釈しなくては評価できません。
 「勝利が即、栄光とイコールである」という思い込みを強固に抱いているタイプの人が、トモスさんが「感じ方が複雑とも言えません」といわれるような人ではないかな、って思うんですけど。
 
 アタシは実は、そうゆうタイプの人がそんなに多いとは思えないって気がするのですが。
 ただ、シナリオやマスタリングの方で「勝利=栄光」としてしか用意されていない場合は、「勝利≠栄光」という展開も余条件によっては納得し得る人がいたとしても、その解釈はセッションを通じてあまり表現されません。
 そうしたもんだいはあります、と指摘しておきたいと思います。
2001年12月28日:18時15分47秒
【比較ゲーム分析】Re:ディプロマシーの開放性について / myrt
 トモスさんが「将棋で、負けは決定してないが、まず勝てない ときにどうすればいいかは未定義だ」と書かれましたが、そのときは 投了すればいいのでは。2人対戦ゲームではあまり問題にならないと思います。 間違いなく勝てないならそれは詰んでいます。

 大体のゲームは、目的をより達成するように努力する手段の喪 失と、ゲームへの関与権の喪失は同時になるようにデザイン されています。負け抜けと勝ち抜けとか。しかし同時ではない場合が ありうるゲームは確実に存在します。


 まだまとまっていないのですが、2次目的を設定しても、1次目的が それに対して常に優先されるならば、ゲームは変わらないのではない かと考えています。「ビリにならない」「2位を目指す」いずれのゲーム も、「ただし隙あらば(ないと思うけど)1位を目指す」目的を保持してい る限り前述の問題は予防できると思うので。

 さらに話が飛びますが、TRPGでは0次目的の設定が 可能である点が独特であるんじゃないかと考えています。0次目的の設定に 関する制限は、それまでのプレイにおいて0次目的が常にあったと仮定 したとき、1度も1次目的と競合していないこと。これだと、ゲームを新たに 定義しつつ、一環したゲームを続けられそうに思えます。
2001年12月28日:18時13分24秒
「実装」&「いたぶる」の定義 / myrt
 私は今のところ以下のように定義しています。

「実装」任意のゲームを実際に遊ぶために、未定義部分の条件を整えること、 また整えられた条件。

 条件はローカルールから環境まですべてを含む。ゲームとプ レイの対に対してユニークに存在する。逆に言えば、 あるプレイが何のゲームをしているかは、 実装を取り除いた残りとして定義できるから、無数に定義できること になる(将棋と時間制限将棋とか)。

 例えば、2人将棋ゲームをプレイした場合を考える。将棋盤と場所と時間 を用意し、ローカルルール(持ち時間など)を準備した。実装は無意識のうちに なされたもの、なされなかったもの、今回は特にプレイに影響がなかったものも 含み(ルール確認を日本語で行なったとか、服を着てきたとか、1Gの重力下で プレイしていたとか、誰も知らなかったが実はクリプトン星の爆発による電 磁波の影響下にあったとか、特に審判員を用意しなかったとか)、有限文字列 で記述しきることは不可能。

「いたぶる」敵にとどめを刺さず飼い殺しにした状態で痛めつける行為。 ここでは、被害者はもちろん端で見ている人も嫌がることが多い、趣味の悪い、 しかし愛好家がそこそこいる行為の代表として扱っている。

「ルール通りに」と特につけたのは、「敵討ちのため」とか いう倫理的な意味ではなく、ゲームの目的に特に反していない、あるい は推奨されているという意味。いたぶり行為が推奨されるシステム として、「相手を殴れば殴った回数だけ経験点が入る」ようなものが考えられる。

 私定義ですし、特に「実装」のイメージは議論中に変遷してま す。「話が違うぞ、どっちなんだ」という点は容赦なく突っ込んでやってください。

2001年12月28日:15時56分28秒
トモス / 【比較ゲーム分析】物語重視のプレイングのゲーム性
#主として鍼原さんを念頭におきつつ書きますが、他の方からの提案なども、もちろん歓迎です。

物語重視のプレイングをゲームの一種と解釈できるのではないか、という意見は、これまでこのサイトの掲示板でも折りに触れて出てきたように思います。*1

これまでの議論の中から出てきた「比較ゲーム分析」ための分析ツール群(はお世辞にも心強いものではありませんが)を念頭におきつつ考えると、物語重視のプレイングが持っている特徴の一つは、「目的の具体化・定義の難しさ」にあると思います。

#それだけではありませんが。
#これまでの議論では、僕は陰に陽に「シナリオの想定した目的を追求するようなゲーム」を念頭においてきたので、単にそれと比べて、上のような特徴が目立つ、というかなり私的な感想ですが。


「魅力的な物語が、プレイを通じて生成されるようにしたい」と目的を持ってプレイしたとしても、その判定基準はかなり未定義なままです。(そしてそれを単純化してしまうことには必ずしも得策ではないような気がします)しかも、自分にとって魅力的な物語は無数にあるため、「魅力ある物語」というだけでは目的を具体化する手がかりがありません。PCやパーティーや、システムの世界観やシナリオの導入部などが最初の手がかりになるかとは思いますが、話がある程度展開してからでないと、更に絞り込むことは不可能だという気もします。

また、(良識あるプレイヤーがそうするであろうように)「他のプレイヤーも物語の魅力を期待しているから、自分のPCの行動を通じて、他のプレイヤーにとっても魅力的な物語が出来上がるようにしたい」という風に考えた場合には、「その勝利条件は未定義な上に、定義されている部分ですら未知である」と言えると思います。何が他のプレイヤーに評価されるかは探りを入れないとわからないからです。もちろん、自分が物語の魅力を感じる感じ方(もっと定義が明確なゲームでは勝利条件の判定基準に相当するもの)と同じく、他のプレイヤーの感じ方も複雑で、定義され切っていないと考えていいと思います。また、自分の感じ方がそうであるように、自分にとっての「好みのタイプ」の物語でないのに魅了されてしまう場合もあると考えられます。そこで「他のプレイヤーの感じ方を知って、それを満たすような物語が生成するようにプレイする」という相手本位の戦略の他にも、「非常に魅力的と思える物語を生成させて、他のプレイヤーにもその魅力を認識させる」というやや自分本位の戦略もありえるような気がします。

#そうじゃない人もいるようですが。勝利と栄光の物語なら無条件で歓迎し、それが達成されなければ物語としての魅力がないと感じる人とか。こちらの働きかけになびくこともない上、感じ方が複雑とも言えません。未定義性がない。

これまでの議論では、TRPGは未定義性や複雑性に満ちたゲーム(ルールや設定データ、手、勝利条件がいずれも予想外の仕方で変動する可能性を孕む)だという話で、しかも目的は多数ある場合がある、性質や焦点の違うゲームが幾つも複合したようなところがあり、その間の移行もめまぐるしい場合がある、などということを話してきたわけです。そしてそうした特性がありつつも、やっぱりTRPGをゲームか、ゲームによく似た何かとして考え、プレイすることはできるだろう、という風に考えてきているとも言えると思います。物語を重視するプレイングをゲームとしてプレイする場合、そうしたTRPGの特徴がかなり明白に観察される事例になるように思います。


#最後になりますが、鍼原さん、前回の戦闘とサブゲームについての議論、丁寧なお返事をありがとうございました。話題は違いますが今回も鍼原さんの議論の進展を期待しているよりも何か投げかけてみよう、という類の試みです。

*1 GMが話を面白くするゲームをプレイしている、という指摘、キャラクタープレイや物語重視のプレイが意思決定の楽しみの一種だという指摘などが例えば以下にある。
【TRPGの定義】コスティキャンとルール改変ゲーム
,匿名希・望,2000年11月01日:20時18分10秒 マスタリング研究室 LOG 012における
意志決定,ねこぱんち,98年06月25日:23時22分59秒

「ミッションクリア型」と「意思決定」,ベン,98年06月26日:04時13分02秒
(敬称略)
2001年12月28日:03時19分24秒
【比較ゲーム分析】ディプロマシーの開放性について(2) / トモス
>>こういうのは、「開放系」には入らないのでしょうか? <<
>>それとも、「厳密にディプロマシーを遊んでいるとはいえない。」で、ばっさり切られて終わりでしょうか?<<*1
(Purpleさん)

という質問には前回の僕の投稿*2 では何も議論をせずに終わってしまったのですが、面白い質問だと思いました。その後のmyrtさんの投稿*3 が重要な指摘をしているのでそれを手がかりに僕も少し書いてみます。

1位になれない場合の目的が未定義、というmyrtさんの指摘はなるほどと思わされたのですが、僕なら少し違った言い方をすると思います。他の対戦型ゲーム(オセロ、将棋、など)でも同様の問題があると思います。将棋では、ある時点から「相手がチャンスを逃すのでなければもう何をしても自分の負けだ」という状態が続くことがあります。相手がチャンスを逃さないという保証はないので、1位になれないことが確定したとは言えません。ところが、実際にはよっぽどの事がない限りは相手がチャンスを逃さない、とわかっている場合があります。特に相手が熟練プレイヤーであれば。この状態で何をすればいいのか、は将棋でも定義されていないと言えます。

ディプロマシーで生じている事態もこれとよく似ているのではないかな、と予測しています。何かとてつもない勘違いが起こらない限りは1位は勝利条件を達成することが確実。(あるいはビリの人は1位になれないことが確実。)でもその勘違いが起こらないという保証はどこにもない。そういう状況でどうすればいいかは困るところだと思います。それを3つの場合に分けて考えてみます。

a)1位が本当に確定したと保証できるケースがないのかどうか、ディプロマシーの詳細を知らないので断言はできないのですが、ないとしたら、1位を目指し続けて努力すべき、ということになるかと思います。自分の努力いかんに関わらず他のプレイヤーのミスによって1位になれるかどうかが左右される辺り、非常につまらないゲームの局面を体験しているということになります。これが頻繁に現れるようなら、そもそもこのゲームには欠陥がある、と言ってもいいかと思います。

もしも1位になれないと言える場合があるとしたら、そのようなプレイヤーに対する目的が与えられていないというのはまさに未定義性ということになると思います。そこから「そのプレイヤーの好みに応じて自分で目標を立て、自分でそれを追求する」ということが起きているのだという風に思えます。この部分については
b)「ディプロマシーは1位になれない人が何をしてもいいことになっているのだ」と考えるならそれもルールの範囲内、ただ1位になれない人にゲーム性を保証しない妙な(あるいはサービス精神の乏しい)ゲームだということになると思います。
c)「デザイナーがそこまで考えていなかったんだ」と考えるなら、それはゲームとして未完成で、プレイヤーにゲーム中デザインを要請している、と思います。

b)であれば、ディプロマシーは目的の未定義性を含んだ開放系で、しかも「1位になれないプレイヤー」がどんな目的を設定するかによって大きくゲームの展開が異なってくる傾向があるために、「別ゲームへの移行」が起こりやすいゲームだとも言えます。ですが、どんな目的が設定されるのであれ、それはあくまでディプロマシーということになりそうです。

上記のa)かc)であれば、Purpleさんの挙げたようなプレイの仕方は、「ディプロマシーのデザインが2位以下の者が低迷状態でどう楽しめるかについて配慮が乏しいのでディプロマシーとは別のゲームをやっている」と言うのが適切かと思います。そして、お話から察する限り、Purpleさんの挙げたプレイの仕方(目的変更の仕方)は「ディプロマシーより優れたゲーム」を作り出しているように思えます。しかも、c)であれば前のゲームと違って今度は目的の未定義性がなくなって、ゲームとして完成度が高いものになっているとも言えそうです。
これでは駄目でしょうか? >Purpleさん

他に思いつく立場としては、「ディプロマシーをやるからにはこのゲームの冷酷なデザインに耐えるだけの覚悟が必要で、1位になれる可能性がゼロに限りなく近づいたからと言って他の目的を勝手に立ててしまうようなプレイヤーは掟破りの迷惑プレイヤーだ。」というものがあります。何だかTRPGと似た論争の余地を感じます。(この立場と上の立場の間で)コンベンションなど、初対面の者同士が集まってプレイする場では、Purpleさんのやっているような修正はしてはいけないが仲間内でなら構わない、というような議論もありえそうですね。。

それから、myrtさんが投稿からもう一つ気づかされた点ですが、全員が1位をめざし続ける場合と、その他の目的を持つ場合とではゲームの展開に大きく差が出てくる傾向があると思います。ただ、初めから1位以外の何かを目的にするのと、あくまで1位を目的にしつつそれが不可能と保証された場合やそれを目的にするゲームが明らかに面白味を失った場合のみ、他の目的を選ぶ、という場合とを分けて考えてもいいかと思います。前者のケースは、もはやディプロマシーではない。後者は、上に既に議論した通り、他の前提のとり方によって「開放系であるゲームを遊んでいるだけ」「別ゲーム作成」のいずれかと考えられます。

一般的に、未定義の部分を定義すると、「別のゲーム」になると僕は考えています。未定義の部分が残されているゲームは、定義する必要がなかった場合にだけ、同じゲームが続きます。もちろん、定義の結果できあがったゲームが前のゲームとほとんど違わない場合もありますのでそれを「別のゲーム」と呼ぶことに抵抗を感じる人もいるとは思います。

*1 【比較ゲーム分析】参考:「ディプロマシー」について,Purple,2001年12月26日:02時25分26秒
*2
【比較ゲーム分析】ディプロマシーの開放性について,トモス,2001年12月27日:10時29分01秒
*3 【比較ゲーム分析】「ディプロマシー」と2位を目指すゲーム,myrt,2001年12月27日:18時22分10秒
2001年12月27日:21時51分54秒
RE:【比較ゲーム分析】ディプロマシー / あきのり
トモスさんの質問フレーム(2001年12月26日:23時16分06秒 【比較ゲーム分析】ディプロマシー)に添って答えます。併行して鍼原さん、その後のトモスさんの書き込みも目配せはしているつもりですが、充分ではないかもしれません。
 
 >1)ゲームの目的はよく定義されていて、Purpleさんの指摘するようにそれが採用されないことはあっても、それが曖昧で解釈の余地があるということはない。
 
 ディプロマシーのゲームの目的=勝利条件は、シンプル過ぎるぐらいにシンプルですが、よく定義されているとおれは考えます。要は、他人数でやる「陣取り」=より多くの空間を占拠することを定義し、かつ、プレーヤー間のコミュニケーション=「交渉」でなされた約束事は、行動の拘束性を持たない=「裏切り」が可能であることを定義していることが、ディプロマシーというゲームの中核です。
 
 ディプロマシーにおいては、プレーヤー間の約束事は、一切、拘束性を持ちません。「裏切り」は、恨みを買うとか、信用できないプレーヤーであると思われるとか、デメリットを生むことはあります。しかし、約束事を反古にしたことに対するルール上のペナルティはありません。ルールでは、約束事が拘束性を持たないし、反古にしてもルール上のペナルティも生じないということを記述し、「裏切り」を奨励していると言ってもいいくらいです(笑)。プレーヤーは、ユニットの移動・支援を計画する以外は、自分の良心(?)と、ゲームの目標達成のために描いている戦略的な構想に従って、自由に振る舞えます。
 
 >2)勝利条件を達成するための「手」は絶対に自然言語を使わなければいけないわけではないとしても、自然言語の使用が前提にされてデザインされている。
 
 機械言語的に、プレーヤーは、部隊の移動・支援の計画を記述します。この部分はしっかりとルールに定義があります。しかし、ゲームの本質的な「手」は、プレーヤー間の交渉=自然言語でのコミュニケーションから形成されると考えてよいでしょう。ゲームの展開は、そこに集まったプレーヤー次第です。
 
 どのような交渉をするのか、そして、交渉の結果、どのような戦略方針を構想し、どのように具体的な行動をするかの意思決定は、プレーヤーの自由です。便宜上、外交・交渉フェイズという、交渉を行うための時間が定義されていますが、実際は、ゲーム手順上のいつでも、誰かと誰かが交渉をしています。大ぴらに話すのも、こっそりメモを渡すのも可。
 
 なお、このゲーム、他のプレーヤーの行動が完全には予測できないという以外は、偶然性は一切排除されています(ダイスを使うのは、どの国を受け持つかを決める時だけ)。すなわち、「交渉」とその結果こそが、ゲームの未定義性の部分を生み出しているわけです。
 
 >3)キャラクターの人格を設定し、それを演じること(「おれは裏切り者の暴君を演じるからこういう協定を破るぐらい朝飯前なんだ」とか)は不可能ではないとしても、前提されていない。
 
 プレーヤーの人格から「裏切りなんて朝飯前…」ということは多々あります(笑)。しかし、キャラクター的仕組みは存在しません。辛うじて、「どの国を担当するか」がキャラクター的といえばキャラクター的ではありますが…プレーヤーの想い入れ如何に関わらず、どの国を担当するかは、ダイスで決めるので、感情移入にさえ役に立たないことが、しばしばです。
 
 そして、鍼原さんが書かれたように、
 
 > 例えば、ドイツ担当プレイヤーは「ほかに何をしても、フランス担当プレイヤーと同盟だけはいないで勝利を目指す」と心中に決めその俺ルール(笑)に沿ってプレイするとか。
 
 …ということもルールは定義してません。ドイツ・プレーヤーが、「第1次大戦は、ドイツとフランスは敵対していたわけだから…」というシミュレーション的観点=ある種のキャラクター的な観点から、そうして構わないし、そのことをルールは禁止していません。同様に、「フランス・プレーヤーは、この前のプレイで、おれを裏切った気に食わないやつだから…」という感情的理由でそうしても構いません。これらに一切、前提も制約も設けられていません。ゲームで定義されているのは、ドイツ・プレーヤー、フランス・プレーヤーの地理的な位置関係とユニット数、ユニットの配置だけです。
 
 コミュニケーションの過程で、何となく、ロールプレイ気分が生じてくることは、非常に多いです。まるで、どっかのお偉方のようにしゃべるとか。でも、そのことは、ゲームの構造にはなんらの意味を持ちません(笑)。
 
 >4)判定係はいない。シナリオ作成・追加設定係もいない
 
 計画の実行に公正さを期すために、審判を置くこともありますが、それは稀です。置く場合でも、競技的な意味での判定係=審判です。
  
 7人のプレーヤーが集まらない場合に、どの国のプレーヤーから除いて、6人、5人、4人……でプレイするか、その場合は何年頃のヨーロッパを表しているのかを簡単に説明した記述はあり、これをシナリオと称していますけど、RPGにおけるシナリオとは、意味が全く違うでしょう。それは、ごくごく限定された意味での初期設定に過ぎません。
 
 また、シナリオ作成・追加設定を誰かが行うことを、ルールでは命じていませんし、さきに自分が例示したような目標変更を行うようなことを奨励する記述もありません。そのような役割を負うプレーヤーもいません。
 
 総じて…
 
 >とることのできる手の総体が定義され切っていない(選択肢からの選択、ではなく発案の側面を含む)交渉部分もゲームの一部で、交渉のテクニックを磨いてその部分での戦略的思考を楽しむのがこのゲームの醍醐味(一部)
 
 であるということになるでしょう。
 あ、一部ではなくて、醍醐味そのものといっていいですね^^
 
 それと、鍼原さん
 
 サーチエンジンで「ディプロマシー ゲーム」で検索をかけると、ファンサイトの飽きれるくらいに多くのページが発見できます(ヤフーのページ検索結果は千件近く…笑)。PBeMを主催していところもありますから、それらに参加するならば、買わずともテストプレイができる可能性があります(参加するなら、買え…と言われるかもしれませんが…^^;)。
2001年12月27日:18時41分29秒
「実装」&「いたぶる」ってどんな意味なのでしょうか / 石頭
すみません、myrt殿の言われる「実装」ってどういう意味でしょうか。myrt殿の考えられる定義で結構ですので教えて頂けますと大変助かります。

あとついでに「ルールどおりにいたぶる自由」の、「いたぶる」とはmyrt殿がどのように考える言葉なのかも教えて頂けますと助かります。どうぞよろしくお願いします。


2001年12月27日:18時25分47秒
【比較ゲーム分析】100m競争は実装できるのか / myrt
 実は将棋と100m競争の実装の間にはそんなに差がないんじゃないかと思いまして。 ここでは100m競争を、「100mを走り抜けるタイムを計り、そのタイムが短いほうが 勝ち」と定義します。

 制限が守られているかどうかが判別でき、タイムがちゃんと出れば、 結果が一意に決まります。問題は判別できるか、タイムがちゃんと計れるか なんですが、それは実装の問題です(ただし実装が可能とは限らない)。

 さて、実際の100m走は「胸部が到達した時点でゴール」というルールが あります。これはタイムを一意に出すためのひとつの実装です。 これが頭だろうと右足の先だろうと、100m競争を実施できるかどうかについては 何ら影響はありません(それが面白いかは不明だが)。

 また、実際の100m走は「自動車で走ってはいけない」というルールがあり ます。これは、「我々がやりたかったのは無差別級100m競争ではなく たまたま人間級100m走だった」だけであり、100m競争自体の開放性を示しません。 100m競争自体は、自動車が走ろうと、ロケットが飛ぼうと実施でき、結果を 出すことができます(もちろんどの部位が通過したときにタイムを計るか を定義せねばならないが)。注意してください--100m競争イコール無差別級 100m競争なわけではなく、未定義なだけです。

 ところが、ルールを守っているかが 判別できなかったり、タイムが計れなかったりするとゲームが成り立ちません。 タイマーの信頼性がなかったり、どこからがフライングになるかモメたり。 ルールを守っているか(状態数2)と記録だけに絞れば、スポーツといえどもそん なに状態数は多くありません。

 時間制限将棋の例でいくと、マスとマスの真中に駒を置いてタイ マーを押す(持ち時間の減少を止める)ことを考えてみます。「どっちなん だ」と言われてからずらせば思考時間を2-3秒かせげます。「真中においたら 反則負け」というルールを決めた場合には、微妙に真中とも右側とも言えない 場所においてみましょう。どこから反則になるかでやはりモメます。

 極端な話、将棋で「そっちが俺の駒を勝手に動かした(相手も含め3手連続で打っ た)せいで負けたんだ!!棋譜を取ってる奴もグルだ!!プレイ中に気づかなかっ たのはお前があやしい 電波を発していたからだ!!」とか言われたら、「嘘だ」と思う人はゲームが成立し たと思いますし、「嘘だとは言い切れない」と思う人はゲームが成立した と言い切れないでしょう。

 ひるがえって、実力差のある 者同士で100m競争をすることを考えます。いちいちタイマーで計らなく ても「誰のタイムが一番短いか」は一目瞭然で、「胸部が到達した時点でゴー ル」というルールは必要ないです。

 以上のことから、「入力が制限内で、ルールを守っているかどうかが判別できる ならばいかなるゲームでも実装可能である。実装の完璧性は常に保証できないが、 今のところまあ実用的であるとみなされるゲームがいくつもある。 将棋は入力が離散的なためたまたま実装が簡単であるにすぎない」という仮 説を立ててみます。
2001年12月27日:18時22分10秒
【比較ゲーム分析】「ディプロマシー」と2位を目指すゲーム / myrt
 安直に考えて、「少なくともビリにはならない」目的は危険です。 これを達成するためには2位以下同盟を組んで1国をいじめればいいわけで、 いじめられている側から同盟を崩壊させる手がかりがありません。

 それよりマシとは言え、「2位を目指すゲーム」も危険です。 早期に「1位を目指すゲーム」をあきらめてそちらに乗り換えたPLが、 1位のPLと組んでワンツーフィニッシュを決めるおそれがありま す。完全に2位を目指されてしまうと、これまた切り崩すことは困難に なります。

 ところが目的がなくなってしまうと、ゲームになりません。 そのPLの影響力がないならぼーっとしてればいいんですが、 彼らがキャスティングボードを握って「Aの味方についたらAが勝つが、 傍観したらBが勝つ」状態にあるとそうも言ってられません。傍観 さえBを勝たせる意志表示になります。

 「ディプロマシーでは、トップをとることが不可能になったPLがどう したら良いのか未定義だ」ということだと思います(でも理論的には1位が 確定していない状態なら、滅亡していないPLが1位をとれる可能性がゼ ロな場合は滅多にないかも。未検証)。 私の好きな「カタンの開拓(これも2位に価値のないゲーム)」にも同様の問 題が発生しますので(こちらはゼロになりうる)、同様の目的を持つゲームに はつきものの問題であるのかもしれません。

 しかしディプロマシーは煽動が効くゲームですから、「もう1位は捨てた。 我が国を傾けたオーストリア担当PL許すまじ!!かくなる上は共倒れじゃあ!!」とか 言って同盟国をつのっておきながらちゃっかり裏切って優勝戦線に復帰する 戦略も考えられます。結局、どんなサブ ゴールを設けて場合によってはそれに甘んじようとも、 スキあらば1位を狙う志を捨てるか否かがディプロマシーと言えるかどうかを分けると考えています。
2001年12月27日:15時01分42秒
TRPG総合研究室 LOG 082 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 082として2001年12月24日から2001年12月27日までのログを切り出しました。

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