TRPG総合研究室 LOG 082

TRPG総合研究室の2001年12月24日から2001年12月27日までのログです。


2001年12月27日:10時31分46秒
【比較ゲーム分析】用語法をめぐる註記 / トモス
すぐ前の投稿に挙げた「開放性」以外にも用語法が統一されていない部分についてちょっと気になっている点が2つほどあるので、一応記しておきます。こういうところでつまづいていて混乱しているという人はいないような気もしますが、念のため。

ゲーム核と実装領域という区別についてですが、TRPGに適用される場合に、一方では戦闘ルールなど比較的自己完結性が高い部分を指してゲーム核と言う場合(とくに鍼原さんの議論)と、セッション運営方針やプレイスタイルをめぐっての合意形成など、架空世界内でのPCの目的達成にまつわる部分とを区別するために用いる場合(僕はこちらの方が多いです)とがあります。

サブゲームとメインゲームについても、一方ではサブゲームが比較的閉鎖性の高いゲームの一部分とされることがあり、もう一方では、多数ある目的の中から特定の目的に集中して一時的に行われるゲームの部分をサブゲームと呼ぶこともあります。この両者の間には関係があるのでちょっと混乱し易いかも知れませんが、「この商人に資金援助をしてもらうべく説得工作をしよう」という時にはかなり閉鎖性が低いにも関わらず目的が一時的に限定されている、という点で最初の用法によればサブゲームではなく、後の用法によればサブゲーム、と考えられます。鍼原さんとmyrtさんは前者、僕は鍼原さんに返事や質問をする時には前者、多目的性の文脈で考える時には後者、という使い方をして来たように思います。
2001年12月27日:10時29分01秒
【比較ゲーム分析】ディプロマシーの開放性について / トモス
鍼原さんの投稿を拝見すると、自分が書いたことがかなりよく伝わるので驚くことが多いのですが、「閉鎖系/開放系」についてはもしかすると定義の仕方に違いがあるかな、と思っています。 そこでディプロマシーの開放性についての僕の予測を書きます。

1 開放性の定義

#あくまで僕の定義です。開放性がこう定義されるべきか否か、についてはそれほど意見あるわけではなく、他の定義の仕方もあるだろうと思っています。

開放性は「未定義性」と同じだとこれまで僕は考えてきました。ゲームバランスを左右する世界設定やルール、手、ゲームの勝利条件などが完全には定義されていない状態です。プログラムに喩えると、一部の変数が設定されていないとか、一部の処理ルーチンが書かれていないままにプログラムが実行されており、何が書かれていないのかもはっきりしていない。ただ必要に応じて書き加えながらデータを処理していく、ということをやっていると思います。

定義され切っていない、という点では、まだ振っていないダイスの目や、この先の他のプレイヤーの手も、その内容を知ることはできないわけですが、これらについても、既に「可能性の総体」はゲームのルールによって定義され切っていて、ダイスの目は「1から6の内のどれか」だとわかっていたりします。「今まで誰も打たなかったし、ルールにも記載されていないけど、この手はありだろう」というような手を他のプレイヤーが打つ心配もなく、どういう事態が起こるかについて、確率計算や場合わけによる予測が立てられることになります。未定義なゲームではこれが不可能です。

また、定義され切っている一部の世界設定データなどを遊び手が知らない場合(CRPGで、舞台となる世界をまだ踏破していない場合など)は、その部分について予測が立てられないことが原因となって予測が立てられないケースはTRPGによく似ているのですが、データが設定済みであるため、「もし未知の部分について適切な予測を立てられなかったら、それが原因で自分はゲームの勝利条件を達成できないかも知れないが、到底予測できないような条件で自分の戦略が全く無効にされたり裏目に出たりすることが続くようならそれはむしろゲームデザイン上の欠陥だ」と責任問題として考えることが出来ます。未定義性のあるTRPGでは、「この手はルールにもないし前例もないが、あっていいはずだと考えられるのでいいことにする」という手が誰かによって発見、発案され、それを処理した結果、ゲームのバランスが非常に悪く(目的達成が困難または容易に)なってしまい、面白いゲームだったと言えないプレイになってしまうことがあり得ます。しかもその時に、手を思い付かなかったGMが悪いとか、もっと事前にゲームの細部を詰めておかなかったGMが悪いとか、その手を選んだプレイヤーはゲームの目的達成を自分で困難にしたのだから自分の責任だ、とか、その手を選んだら目的達成が困難になってしまうことをプレイヤーが予測できるように一定の情報をGMが供給しておかなかったのが悪いとか、そういう非難の仕方ができない場合があると思います。「いくら何でもそんな独創的な手を事前に予測するのは無理だが、かと言ってそれを禁止するのも変だ」というケースが考えられるからです。

2 ディプロマシーの開放性
ディプロマシーで気になるのは、勝利条件や世界設定は定義され切っているように見えるのですが、プレイヤーが打てる手は定義され切っていない、と考えられる点です。定義されている部分(「部隊の移動」など)がある一方で、それを決断するに至る交渉や協定や裏切りのプロセスについては定義され切っていないと思います。
そこで、「これは将棋で駒を動かす時にどの指をどう使うべきかについて定義されていないようなものだ」と考えて、(=実装領域の問題と考えて)ゲーム自体とは区別して考える仕方が考えられます。鍼原さんの考えはこちらかな、と思いますが、それだけではないような気もします。例えばディプロマシーの交渉に使う為のカードを用意して、各プレイヤーに一セットづつ配り、プレイヤーはカードで予め定義された内容の中から、オファーとリクエストをセットにして他のプレイヤーに交渉し、返事も合意/不合意/変更の要請のどれかに限定される、というようなことを考えることができます。自然言語を使わない交渉です。これもディプロマシーの遊び方の一種、と考えられるならそれでいい気がします。

もうひとつの考え方は、「とることのできる手の総体が定義され切っていない(選択肢からの選択、ではなく発案の側面を含む)交渉部分もゲームの一部で、交渉のテクニックを磨いてその部分での戦略的思考を楽しむのがこのゲームの醍醐味(の一部)」と考えるものです。とすると、このゲームは部分的には未定義性を含んでおり、先の展開を予測することは困難で、誰も予想しなかった妙手が現れて事前には予想していなかったような意外な展開が起きてゲームがつまらなくなったり(もちろん逆に非常に面白くなったり)する可能性がある、と言えるかと思います。と同時に、その未定義性が勝利条件の達成に関わってくるのはあくまでもユニットの移動や戦争を通してであって、その部分をめぐる定義は明確になされているのでそこは閉鎖系だと考えることができる。
2001年12月26日:23時59分54秒
[比較ゲーム分析]Re:ディプロマシーについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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>あきのりさんへ
>Purpleさんへ
 身勝手とも言えるリクエストにお応えいただいてありがとうございます。
#特にあきのりさんへ、オフラインでお返事書いていたら、トモスさんが先に投稿されていました。内容的にダブる部分もあるのですが。ちょっと考えて、投稿させてもらおうと思いました。

●ご挨拶 
 なるほど。
 ルールの細部で、さらに知りたくなった点も2、3覚えたのですが。
 それよりは、年を越したら「ディプロマシー」のゲームを買ってしまおうかしら? とか迷っています。
 ただ、アタシはキリキリした感じの対人ゲームは本当に苦手で、精神力耐えられないもんで。(ソロプレイのコンピュータ・ゲーム・ソフトだと、それこそ「ルール通りに敵をいたぶる」こともできたりするのですけど:苦笑)
 ルール・システムについて考察するために、何度かテスト・プレイしたら、何割引きかで引き取ってくれる人探してから買おうかな、とか思案中です。
#ディプロマシーがお好きな方には「本末転倒」と怒られてしまうかもしれませんが(困笑)。
 
●推測意見
@あきのりさんWrote (「re:【比較ゲーム分析】参考:「ディプロマシー」について」,当掲示板,2001年12月26日:21時38分51秒)
>そして、TRPGとディプロマシーの開放性・閉鎖性の比較は、これと比較されるべき問題じゃないかと思うんですが、いかがでしょう。
 
 今のアタシには断定できないので、推測にすぎないのですが。
 リクエストを挙げた立場でもあるので、今時点の推測ということで述べさせてもらおうと思います。

 今時点の推測としては、「ディプロマシー」のルール・システムは将棋同様に閉鎖系であるように思えました(断定はしませんです)。
 「将棋同様」と言いますのは――
>「トークンは完全に」、「ルールは〔実装問題を除いては:カンナ補記〕ほぼ」、プレイ環境に対して閉鎖系として構築される論理システムで、操作に関してはプレイ環境に対して開放系、とでも規定すればよいと思います。
 ――といったことかと推測しました。
#「【比較ゲーム分析】Re:実装領域とゲーム核の区別」 (カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 081,2001年12月21日:19時38分09秒)
 
 あきのりさんが挙げられた事例「これ〔=勝利条件は、ベルリンを占領すること:カンナ補記〕がゲームの当初に宣言されて、他のプレーヤー全員も、これに賛同したら」は、ゲーム前ルール改変の事例にあたるはずと思われます。
 改変されたプレイはあきのりさんの言われる通り「このようなゲームを、ディプロマシーのルールとゲームトークンを使ってやることに意義があるのか? 意外に面白いかもしれませんが」というところと思います。

●ディプロマシーでの多目的プレイ、他 
 アタシが思うに、ディプロマシーのプレイ感覚が、たまたまTRPGのプレイ感覚に近似になることがあるとしたら、ひとつには、部分的にでも多目的ゲームの様相を見せる場合かなと思いました。
 
 例えば、ドイツ担当プレイヤーは「ほかに何をしても、フランス担当プレイヤーと同盟だけはいないで勝利を目指す」と心中に決めその俺ルール(笑)に沿ってプレイするとか。あるいはロシア担当プレイヤーは「ほかに何をしても、トルコ担当プレイヤーと同盟だけはいないで勝利を目指す」と心中に決め〜、などなど。(さらに付帯条件が無いとTRPGのプレイ感覚に似たりしないかもしれませんが)
 
 この場合、myrtさんが整理された、多目的ゲームの類型のひとつi「単一目的を持つPL群によって形成される多目的ゲーム」や、ii「多目的ゲームの意志決定のための便宜上の一次関数と、単一目的を持つが詳細のわからないゲームに対して仮定する近似一次関数の類似性」が複合したような状態に近似の感覚を生むのかもと想像しました。
 ただ、特にaは、ディプロマシーやTRPGに限らずどんなゲームでも発生し得る事態(発生し易い、しづらいの違いはあっても)、と言えます。
 ディプロマシーの場合はiが発生しないとiiは発生しないと言えると思うのですが。TRPGの場合は、キャラメイクのときからiiがはじまることもある、と言ってよいのかどうなのか……この辺は将来の整理の必要ありとしたいと思います。
#「【多目的ゲーム】TRPGを多目的ゲームとして扱う3つの視点」 (myrtさん記,当掲示板,2001年12月25日:17時51分40秒)
 
 もう1つ「ディプロマシーのゲームプレイが、たまたまTRPGのプレイに近似になることがあるとしたら」それは、プレイに必要なコミュニケーションについてのルール的規定の有無によるものと思われます。
 同盟関係や支援の約束を反故にしたプレイヤーはどのようなペナルティを得るのか/得ないのか、といった関連です。
 
 これは、ルール・システムの細部を実見しないと判断つかないので、先の多目的ゲームの件以上に憶測になりますが。
 例えば麻雀で、トップ・プレイヤーに有利な展開にならないように2位以下のプレイヤーが同盟に似た関係を一時結ぶこともありますよね。で、その協調関係から先に降りたプレイヤーに対する報復はルール的に規定されてなどいませんよね。
 ディプロマシーのプレイでのプレイヤー間コミュニケーションも上記麻雀の事例同様にルール的規定がないのならば、その場合は、この関係もマルチプレイゲームでは一般に起こり得ること(起こる頻度はともかくとして)、と言えると思います。
 
 今のところ、確証に乏しい推測ですけど、TRPGのプレイ感覚にディプロマシーのプレイ感覚が似ている面は、部分的で、かつ、その部分は一般のゲームプレイでもあり得ること、と言えるかと思います。
 他に、自然言語のコミュケーションが介在されることにより感覚的に似たものが生じるのかもしれませんが。おそらくこれは、実装問題であり、ゲームプレイの性質を左右するようなものではないだろうな、とも(今のところは)考えています。
 
 丁度、トモスさんが近接した検討の小まとめを投稿されところですが。
#「【比較ゲーム分析】TRPGにおける多目的性とゲーム性」(1)〜(4)  (トモスさん記,当掲示板,2001年12月26日:21時48分35秒〜2001年12月26日:21時56分05秒)
 
 多分、TRPGが一般に持つ、a「ワールドの未定義性(←これはアタシがよく多義性と言う性質にほぼ等しいかと思います)に基づくゲーム中リソースデザインの可能性」、b「ワールドの未定義性とセッション展開の必要に応じてなされる、ゲーム中ルール調整・追加(ゲーム中ルールデザイン)」が生じ、許容される可能性の有無がTRPGの独自性を構成しているかと思います。
 他のゲームでも見ることができる多目的ゲームプレイなどが、a、bと結びつく結果、TRPGプレイに独自の性格が生じるのだろうと思います。
 
 アタシとしては、これはすでにトモスさんが書かれた
>TRPGは未定義性を利用して複雑性を実現するという仕掛けにおいて独特
 ――という整理に近い線の考えかと思えます。
#「【多目的ゲーム】多目的性とゲーム性の両立」 (トモスさん記,当掲示板,2001年12月25日:20時45分07秒)

●ディプロマシーのゲーム核 
 さらに推測を重ねるならば、今は、次のように整理できるのではないか、と考えています。

 ディプロマシーのルール核は、ルール記述とゲーム用ボードのトポロジカルな構造を含めて論理システムとして成り立つ。

 箱庭的なゲーム・フィールドには未定義性はなく、未定義性を内包したワールド設定にあたるものもない。
 プレイに介在する自然言語のコミュケーションも、そのプレイヤー心理の反映は、ルール核へと“付与”または“関与”しかなされない。複合される可能性は決してない。この点がTRPGのプレイとは異なる。
 (上の“付与”“関与”アキトくんの「付け足しなんかつまらない!」で整理されている概念からかなり曖昧化されていて、本来の意味とはやや異なる用法になっています)
 
追記:>Purpleさんへ
 Purpleさんの書かれたご意見への誤解、理解できました。
 追記という型で失礼していますが。
 アタシの発言おためにお手数をおかけした部分があったのでしたら、お礼申し上げます。

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2001年12月26日:23時16分06秒
【比較ゲーム分析】ディプロマシー / トモス
あきのりさんとPurpleさんの議論、とても興味深く拝見しています。TRPGとの比較を考えていて、次のような印象を持ったのですが、どうでしょうか? (明らかな誤りなどありますか?)もしチャンスがあったら教えていただけると嬉しいです。

1)ゲームの目的はよく定義されていて、Purpleさんの指摘するようにそれが採用されないことはあっても、それが曖昧で解釈の余地があるということはない。

2)勝利条件を達成するための「手」は絶対に自然言語を使わなければいけないわけではないとしても、自然言語の使用が前提にされてデザインされている。

3)キャラクターの人格を設定し、それを演じること(「おれは裏切り者の暴君を演じるからこういう協定を破るぐらい朝飯前なんだ」とか)は不可能ではないとしても、前提されていない。

4)判定係はいない。シナリオ作成・追加設定係もいない。
2001年12月26日:23時00分37秒
Re:今の議論は面白いですよ。 / トモス
Purpleさんへ

ご指摘の点、どうもありがとうございます。面白いと感じて下さる方がいるのは嬉しく思います。

今と以前を比較する視点が重要、という点については賛成です。僕は経験も知識もかなり限られているので他の方々に期待したいところですが。

【比較ゲーム分析】の識別子でやっている議論は、確かにTRPGと他のゲームを比べる中からTRPGの定義を探る、というものになっていると思います。ただ、それがTRPGの普及を考える上で役に立つか、TRPGについての意見の一致をもたらすか、という段になると、僕は個人的には自信がないです。何か貢献がありうるとしたら、幾つかある定義の仕方について、それらの間の違いを整理するのに役立つとか、論争が起こる時の争点を洗い出すのに役立つとか、そういうことぐらいは期待できるかも知れませんが。

でも、もちろん、ここでやっている議論は「僕のもの」ではないので、僕が個人的に何を考えていようと、いろいろな人が参加する中から議論が発展して僕が予期しなかったような収穫が得られる、ということも十分あり得ると思いますが。
2001年12月26日:21時56分05秒
【比較ゲーム分析】TRPGにおける多目的性とゲーム性(4) / トモス
4 まとめ
以上は、多目的性とゲーム性がどのように関わっているかについての議論です

1)TRPGはPCが冒険の目的を受け入れる際にいろいろ解釈を経るのが普通で、目的を一つに固定することはほぼ不可能です。固定されていない目的の中からPCが選ぶ(あるいは目的をPCが発案する)というのはゲームらしくない、トイに近い部分があります。「多目的性があるからゲーム性がない」のではなく「PCが目的を形成して冒険に出るという形式をとるために多目的性が発生するし、玩具性も発生する」ということだと思います。

2)TRPGも他のゲームも、本来的なゲームの目的を遊び手が受け入れなければゲームとして成立せず、他の目的で遊ばれてしまえば玩具です。その点ではどのようなゲームにも玩具性はつきまといます。ただ、こういうゲームの遊び方にまつわる問題は、遊び方がはっきりしているゲームについては(実装領域の問題として)本質的な問題ではないと考えることもできますが、TRPGでは遊び方が事前にはっきり定義されていない部分があり、その玩具性は独特のものだと考えられます。
他にも複数の目的から遊び手が選んでプレイできるようにと制作されているコンピュータゲームが考えられますが、これは予め用意された目的の中からどれかを選ぶところだけで、ゲームデザインの要素がほぼ皆無という点で、TRPGとは違います。

TRPGは目的が一つに固定されていないばかりか、予め明確には用意されてない、という点で玩具性が高いと言えます。

3)以上2点は、事前に目的を明確に設定し、遊び手が受け入れたらそれで済む問題で、それしか問題がなければ、目的の導入が済んだ後には多目的ゲームとして成立すると思うのですが、もうひとつの問題は、目的が事前に定義され切ることがない、という複雑性と未定義性の問題です。

これはゲームバランスが決してはっきりすることがないゲームによく似た遊びを生み出すことになります。しかもはっきりしないだけではなくて、ゲームバランスが変動することもあり、ゲームとして非常にプレイしづらいものになる可能性があります。

これらを更に簡略化するなら、目的が明確に定義されていないことからゲームというよりも玩具に近い部分がTRPGにはあり、プレイが始まった後にも目的が明確に定義され切ることがなく、変動する可能性が常に残ることから、ゲームとしては成り立たない面がある、ということになります。


5 追補
TRPGは独特の自由がある、
TRPGはゲームとして(又は遊び道具として)独特の性質がある、
という言い方だとTRPGの独自性はいろいろ思い付くし、それが引き起こすであろう問題や、独自性を活用する可能性を考えることもできます。

ところがもう一方で、TRPGをプレイする際に直面する流動性が流動性のないゲームの短期的目的の変動(焦点の変動)とよく似ていたり、未定義性が未知性と似ていたり、多目的性が長期的最終目的とそれに到達するために目指される中間目的と似ていたり、という類似性があると思います。これについてはいろいろ意見がありつつ、でもここで投稿できるような長さにまとめることが難しいので、とりあえず言及するにとどめておきます。


参照先(敬称略):
*1 【多目的ゲーム】多目的性とゲーム性の両立,トモス,2001年12月25日:20時45分07秒
*2 「言葉ではなく,デザインのみが,ゲームを語ってくれる」,グレッグ・コスティキャン,FRPGM 英文翻訳プロジェクト design_j.txt制作チーム 訳
*3 [比較ゲーム分析]Re: Re:多目的ゲームは(従来の意味での)ゲームではない,鍼原神無〔はりはら・かんな〕,2001年12月24日:18時50分58秒
*4 【比較ゲーム分析】Re:実装領域とゲーム核の区別,鍼原神無〔はりはら・かんな〕,2001年12月21日:19時38分09秒
*5 【多目的ゲーム】TRPGを多目的ゲームとして扱う3つの視点,myrt,2001年12月25日:17時51分40秒

2001年12月26日:21時51分39秒
【比較ゲーム分析】TRPGにおける多目的性とゲーム性(3) / トモス
3、 ゲームの流動性と多目的性
これまでの議論は、ゲームが成立する以前に、PCとして目的を発案・選択(解釈・受容)することやGMとしてゲームを発案しプレイヤーとしてゲームの目的を発案・選択(解釈・受容)することが必要になる、という話です。もしこれがうまく行くのなら、1のところで書いたように、TRPGはメタ・ゲームである、という言い方がふさわしいと思います。

ですが、実際には、目的を発案・選択し、ゲームをデザインする作業は、プレイ開始以前や初期段階では完結できず、ゲームシステムとしては未完成なままゲームが開始され、進行し、終結することになります。これはシステムの開放性、TRPGにおける未定義性と呼んできた性質です。

一度は発案・選択されたゲームの目的であっても、その詳細・全貌についてはプレイヤーも完全には知ることができず、プレイしながらPCの心理をプレイヤーなりに解釈して考えていく面があり、事前には予想していなかったような事態に出くわしたり、他のPCに影響を受けたりする中でそれまでと違う冒険の目的が形成されたり、ある目的がどうでもよくなる、という可能性があります。ゲーム中にも、ゲームデザインの作業は続いているわけです。

他の諸現象と同じく、TRPGではPCの心理も複雑で、プレイヤーやマスターによって事前に完全に定義・設定され切ることなく扱われています。これを一定の設定に沿って制限すると、例によって、「ゲームブックで遊んでいて、とれていいはずの行動が選択肢の中にないとわかった時にその架空世界に感じる不自然さ」を感じることになると思います。それがあったらTRPGではない、とは言い切れませんが、それを気にしないとしたらTRPGではない、と言えるのではないかと思っています。

そして、この性質があるということは、「PCは何を目的としていて、それを達成する上でどんな手が打てるのか、どんな困難が予想されるのか」といったゲームの戦略的思考に必要となる諸設定がプレイの最中に変動してしまう可能性があるということです。これを「別ゲームへの移行」とこれまでの議論では呼んできました。

プレイヤーの目的についても同様のことが成り立つと思います。プレイヤー間で目的が異なる時に、「そんなに自分の出番ばっかり考えないでもっとシナリオの進行も考えようぜ」などとプレイヤー間で働きかけがある場合には、しっかり定義され切っていない目的を変更すべくコミュニケーションが行われているのだ、と考えることができます。これはmyrtさんが提案した、プレイヤーそれぞれが交渉などを通じて各人の目的を追求する場合、(12/25の投稿*5 の第2のケース)というのと似ているのですが、目的が変動し得る点において違っています。

戦略的思考内容が変動するとか、前提が崩れるということなら、他のゲーム(未定義性はないのだが、未知性があったり、偶然性の要素が含まれていたり、マルチプレイヤーゲームで他のプレイヤーの手が予測できなかったりする場合に)でも起こります。が、流動性があるということは、そもそも「ゲームではない」のではないか、と考えさせる点が少し違います。非常に極端に言えば、PCが一寸先は闇の動乱の世界に行き、波乱万丈の人生を歩んでいるために、どのような備えもできず、どんな戦略を立てても前提の誤りから無効になってしまう、というような状況がプレイヤーにとって成り立ち得る。

もう少しだけバランスのとれた言い方をすれば、あれこれの情報(プレイヤーやPCとしての知識)に基づいて、かなり崩れにくい前提を立てたり、ある程度の精度で予測をしたりして、有効な戦略を立てることができるのですが、と同時に、あらゆる努力にも関わらずやっぱり自分にとっての予想外の事態が起き、それまであれこれ努力して確保・蓄積してきた富や人的ネットワークや知識や徳などが実は冒険の最終目的を達成する上では何の関係もないことがわかった、しかもそれはGMのデザイン上のミスでもなく、PLやPCの愚かな過ちというわけでもなく、単にそれまで余り注意を払っていなかった世界設定やルールを運用して行ったらいつの間にかそういう状況が出来上がってしまった、というような事態が起こりうる。

PCやPLにとって何かが(例えば目的を達成する上で解決しなければいけない問題の一部が)「未知」であり、それについて誤った前提を立てていた場合、GMがそれを知らせなかったのが悪いとか、そういう問題を設定したのが悪いとか、PLやPCの考えが浅かったとかいう責任問題や反省点を考えることができるけれども、そうした問題が未定義だった場合、「誰が悪かったわけでもない、ただみんな気づかなかっただけだし、それも無理もない」というような話になる可能性がある。

まだいろいろ摸索しているのでどうもこの部分はまだ粗削りな話ですが。
2001年12月26日:21時50分15秒
【比較ゲーム分析】TRPGにおける多目的性とゲーム性(2) / トモス
2、 他のゲームも玩具である可能性
上に挙げた玩具性は、他のゲームにもある気がします。 グラディウスではアイテム集め、敵を倒すこと、など複数の異なる目的を追求する場合がある、とmyrtさんが例を出されています。

アーケードゲームとしてデザインされるCRPGの場合には、制作サイドとしても、いろいろな楽しみ方を盛り込むことで、たとえ一度「全面クリア」してしまったとしてももう一度プレイしたくなるように幾つか別の達成度の指標を設けておくとか、幾つもの目的の中からプレイヤーが自由に選んでプレイできるようなゲームを作ることは十分ありうると思います。(その方が儲かるので。憶測ですが。)

そこで、ゲームとされている遊び道具にも玩具性がある、と言えることになります。あえて言えば、「選べる目的はかなり限られているし、明確に定義されてもいる、そして一度目的を選べばそれでゲームはすぐに始まる」という点でかなりゲームに近いですが。TRPGのようにゲームデザインをめぐる諸作業が遊びの中には含まれていない。

更に、将棋の駒と盤を使って変則的な将棋めいたゲームをして遊ぶ時、遊び手は、ゲームではなくゲームデザインから始めることになります。目的が王を詰めることなのか、持ち駒の数を増やすことなのか、なども含め。この時、将棋の駒と盤は玩具です。多くのゲームに使われる道具(TRPGのルールシステムも含め)は、デザイナーの意図とは違った形で遊ばれたり、アレンジされたりします。ゲームは、そのシステムに準備されているルールや目的を遊び手に受け入れさせることができて、初めてゲームたり得ます。できない場合には、玩具です。(あるいは他の何か)

こう考えると、TRPGだけでなく他のゲームについても、玩具性がある、TRPGは玩具性が高いとは言えるかも知れないが、それは程度の差なのではないか、と(以前は考えました。)

TRPGはゲームと称される遊び道具類の中では、遊び手が目的の発案・選択、ゲームデザインに携わる度合いが高く、抜きんでて玩具性が強い、と言えると思います。

ところが、よく考えてみると、以上の議論は、これまでで実装領域の問題として論じた話です。「実装領域の問題」というのは、ゲームがきちんとプレイされるためにクリアされなければならない現実的な諸問題一般を指すための概念です。これと区別されるのは、「ゲーム核」と呼ばれるゲームそれ自体の構成諸要素のことです。
上の議論を言い換えると、TRPGは、そもそも「ゲーム核」が未完成で、プレイ前にいろいろなデザイン作業が必要になります。目的を発案・選択することもそこには含まれます。他のゲームでは一応公式の目的があり、それを追求すると楽しくなるようにゲームがデザインされているのに比べて、TRPGはその度合いが低い。他のゲームでは実装領域の問題として片づけられるであろう「ゲーム本来の勝利条件を遊び手が受け入れること」はTRPGでは交渉の余地や意見の対立の余地があり、プレイングの一部を形成します。TRPGでは将棋のようなゲームほどには実装領域とゲーム核の区別がつかない、というのは鍼原さんの意見*4 ですが、以上のように考えてみると納得が行きます。

他のゲームに関しては実装領域とゲーム核を区別することができて、他のゲームの玩具性は、遊び手がゲームの本来的な目的を受け入れられるかどうかという実装領域の問題と関わっているものなので、「TRPGのようにゲーム核自体の未完成さから玩具性が発生しているという事態とは、質的に違ったものだ」と言える気がします。済みませんが、この点については前言を撤回させて下さい。

もう一度言い換えると、ゲームの目的が複数あり、その中からの選択が可能である場合がコンピュータゲームなどでも考えられ、ひとつしかない場合でも、本来の目的を遊び手が受け入れる、という「実装領域の問題」が解決される必要があります。これは程度の差はあれ、ゲームは玩具だと考えるある程度の根拠になります。但し、そもそも玩具とゲームという遊び道具の種類が区別できるのは、その遊び道具が本来的な目的を備えていて、それを意識したデザインがされているかどうかであり、そうであるなら実装領域で問題がある場合でもそれがゲームであることには代わりなく、そうでないなら玩具だ、ということになると思います。 TRPGはここでも、他の諸ゲームと比べて玩具性が高く、その主な理由は、「他のゲームにとっては実装領域の問題と考えられるものが、TRPGの場合そうは言えず、そもそもデザインのレベルで多目的性と切り離せないようにつくられている」からだと言えます。

ちなみに前項の議論は、PCのレベルでの話ですが、この項は遊び手のレベルの話だという点で2つの論点は別のものです。PCはGMや世界設定やシステムからゲームの目的を受け取る際に、人格として受容します。ここがTRPGが玩具めいている第一の理由で、第二の理由はそもそも全てのゲームは遊び手にそのゲーム本来の目的を受け入れさせることができて始めて(玩具ではなく)ゲームとして成り立つが、TRPGには受け入れさせるべき本来的な目的が明確に存在していない、というものです。



2001年12月26日:21時48分35秒
【比較ゲーム分析】TRPGにおける多目的性とゲーム性(1) / トモス
先の投稿*1で言及した、多目的性とトイについての僕の論点を提出します。

多目的ゲームとされるTRPGはゲームというよりもコスティキャンのゲーム論*2 で言われる玩具(トイ)に相当する遊び道具なのではないか、という問題提起を以前したのですが、その詳しい展開になります。

同時に、その際に鍼原さんから頂いた質問、指摘*3 に答える/応えるものでもあります。手短に言うと、TRPGが帯びている玩具性はTRPGの独自性ではなく他のゲームも程度の差はあれそんなところがある、という論点がひとつ、それがこれまで議論されてきたゲームの流動性と重なる部分と、そうでない部分がある、という論点がもうひとつです。最後に、TRPGのゲーム性について改めて議論します。こう書いても、これまでの議論に馴染んでいない方にはわけのわからない説明でしょうが、経緯をもう一度紹介するより議論を展開する方が簡素になると思うので早速本題に。


1 玩具の定義とTRPGとの関係
トイ(玩具)という用語で想定しているのは、何かの仕組みがあって働きかけると反応する(ので楽しい)けれども、何も特定の目的を与えないような遊び道具です。コスティキャンのゲーム論でシムシティが挙げられていますが、それもこのような意味で、です。
もちろん、コスティキャンさんがどう言っているかが重要なのではないのですが。

で、(myrtさんに伝え損ねた点はここなのですが)僕は、シムシティでも、他の多くの玩具でも、自分で目的を決めて、遊び方(ルールなど)を決めてゲームとして楽しむことはできる、と思います。目的や遊び方を決める以前の段階では玩具でも、決めてしまえばゲームになる。決めたことを破ってしまえばゲームが破綻する。現にほとんどのゲームは誰かが考案して出来上がった、「玩具+遊び方のルール+目的」のセットだと考えることができます。

ではTRPGは目的を与える遊び道具(ゲーム)でしょうか? それとも遊び手が目的や遊び方を発案するような遊び道具(玩具)でしょうか?

TRPGではGMがシナリオを通じて「目標」(=勝利条件=目的)を与える部分があります。システムによっては、かなりPCの目的を限定するものもあります。よく話題になるところではパラノイアでしょうか。(そういえばコスティキャンさんの作品ですよね、これは)

ですが、ほぼ全ての場合、世界設定やルール、シナリオの導入部などを通じてPCに与えられる勝利条件は、PCによって受け入れられる時に、様々な変容や追加を被ることになります。PCの冒険の動機や性格が要因となって、同じパーティの仲間であったとしても、PCによって「どうしてこの目的を達成しようとしているのか」が微妙に違ってくるからです。報酬の為、人助けの為、忠誠の為、などなど。こうした動機の違いは、当然ながら、勝利条件の達成を判断する際の基準の違いにもなります。「報酬を貰えるなら倒せなかった魔王を倒したことにして、見つかる前に逃げればいいじゃないか」という意見と、「それは忠義に反するからあくまでも魔王を倒すまでは帰るべきではない」という意見とが対立する、など。

このように、ミッションの目的をPCが受け取る時は、PCによる解釈の余地があり、そのため、TRPGは「玩具」にとても近いか、単に玩具なのだと感じます。もちろん、PCだけでなくプレイヤーとマスターの関係においても起こります。「少し強引な設定だけど、どうやらいろいろ準備しているみたいだからとりあえずはGMの持ち出した話に乗ってみるのも面白いだろう」と考える人も「こんな強引な設定をしたからには、他の部分でかなり自由度を保証してくれるのでないと困るぞ」とか「とりあえず自分のPCの出番が多そうでいいぞ」などと考える人も、とりあえずパーティーを組んであるミッションを達成すべく冒険に出る点では一致するわけです。

この点に関してひとつ考えられる議論は、「TRPGはメタ・ゲームである」というものです。ゲームと違って全てのルールや具体的な勝利条件が定義され切っているわけではない。が、玩具のように何の手引きもないわけでもない。ちょうど、「球技を考案してこのボールで遊べ」という程度には手引きがあり、同時にその球技の内容については遊び手に任されているような、そんな「遊びの一種」です。ゲームと玩具の中間だと考えます。

ですが、この議論にも、ひとつ難点を感じます。誰もゲームの定義を完成させることなくゲームが始まり、進行し、終結することです。(これは第3項で議論します。)

この難点を脇へおいてもう一度言い換えると、PC間の目的のズレ(パーティー内の目的の多数性)の原因に「PCの性格や背景の多様性があり、それを踏まえた上でPCが勝利条件を自分なりに選び取る・引き受けること」があります。だから、TRPGは一度勝利条件を決めてしまえば、ゲームとして成立するかも知れないが、それ以前の時点では、目的を自分で発案する段階を踏まなければいけない、玩具に似た遊び道具だ、というのがここまでの議論です。多くの目的の中からどれか一つを選べる場合(パーティー内の目的の多数性が成立する)や、一つ以上を選べる場合(PC各人の目的の多数性が成立する)、それはとても玩具に近い、と言えます。


#蛇足かも知れませんが、TRPGでは、シナリオや世界設定やセッションの目的や他の遊び手の意見などを参考にしつつ、あるいはそれらに影響を受けつつ、プレイヤーが目的を発案・選択します。(あるいはPCとして、世界設定とキャラクターの背景・状況だけを元にして決定するべき、という意見などもあるかと思います。)こうした影響・拘束があることはTRPGに独特ではなく、玩具を前にしてどんな遊び方でもできるわけではなく、(丸いものなら転がせるけれども平たいものは転がせない、とか)その特性に合わせて楽しめそうな遊び方を探すこととよく似ていると思います。
2001年12月26日:21時38分51秒
re:【比較ゲーム分析】参考:「ディプロマシー」について / あきのり
まずは、誤りをご指摘いただいて、ありがとうございます>Purpleさん

このところ、ディプロマシーのルールブックを開く機会がなかったもので、とんと勘違いをしていましたm(__)m

ところで…
> 厳密なディプロマシーを遊ぶなら、あきのりさんが書き込まれているような遊びになるでしょう。
> でも、実際には、そのようなケースにはならないことが多いです。それは、途中で、当初の勝利条件を諦めるプレイヤーが出てしまうことによって発生します。
> 
> つまり、途中で、

> 「どう考えても、トップになれない。」
> 
> と考える状況に追い込まれたプレイヤーの中には、当初の勝利条件である「都市を18個取る」を目指さなくなる者がいるのです。そして、個人的な(ルールブックには載っていない)勝利条件を目指しはじめます。……(以下略)……

ということがあるのは、おれも否定しません。おれの場合も、トップが取れそうになかったら、2位狙いに行くか、勝利条件に忠実に最後まであがいて玉砕するか、その日の気分次第のところがありますので^^;。

ただ、2着狙いも、トップを取りに行くという勝利条件の非常にマイナーな変更でしかないですよね。根本からゲームの構造まで変えてしまうような変更ではない。その意味では、閉鎖的じゃないかな…と。

すなわち、これが、「おれの勝利条件は、ベルリンを占領することだ」と言い立てはじめ、「交渉」なんか、そっちのけで、ベルリン占領に全力をあげ始めたら、全く違う目標のゲームを遊び出したことになるでしょう。そして、他の全員が、普通にディプロマシーをプレイしている中で、それを続けることが、楽しいのか、あるいは、ディプロマシーをプレイしたぞという充実感に繋がるものかは、おれには判断がつきかねます(そういう遊び方をしたことがないですので^^;)。

さらに、これがゲームの当初に宣言されて、他のプレーヤー全員も、これに賛同したらどうなるかを考えてみます。

ディプロマシーのルールとゲームトークンを使いながらも、まったく違うゲームが誕生します。恐らく、ゲームの展開は、まず、ベルリンを占領してるプレーヤーを叩きのめすところから始まるでしょう。そして、相次いで、ベルリンの取った取られただけを繰り返すゲームになります。ベルリン以外の都市エリアの占領は、単に、ベルリンの攻防に必要な軍隊を生産するという観点からのみ、なされることになります(ベルリン以外の都市の占領は、目標の一環ではなく、完全に手段化してしまう)。ほとんど「交渉」「裏切り」もなく、ひたすらにベルリンを占拠しているプレーヤーを残りのプレーヤー全員で攻撃し続けるゲームになってしまう公算が大です。

ここまで、やれば、目標を入れ替えただけで、完全にゲームとしては異なるものになってしまいます。しかし、果たして、このようなゲームを、ディプロマシーのルールとゲームトークンを使ってやることに意義があるのか? 意外に面白いかもしれませんが、それこそ…
>「厳密にディプロマシーを遊んでいるとはいえない。」で、ばっさり切られて終わり…
になるようなものではないかと思われます。

そして、TRPGとディプロマシーの開放性・閉鎖性の比較は、これと比較されるべき問題じゃないかと思うんですが、いかがでしょう。
2001年12月26日:03時24分00秒
今の議論は面白いですよ。 / Purple
 主にトモスさんに。
 誤解を解いておきたいので、
 私としては、今やっている話のほうが面白いです。無意味とは思っていません。
 2月ほど前の、「いきなり王様暗殺」〜最近の「RPGの自由」までの議論に比べると、はるかに有意義だと思っています。
 
 
 結局、「RPGの定義」が存在してないという状況がいけないのですよ。
 
 RPGの定義がない。
 →だから、正しいRPGが定義できない。(というか、各人でばらばら)
 →だから、いきなり王様暗殺が正しいか悪いのか、判定できない。(というか、各人でばらばら)
  で、ばらばらな意見が出てたのが10月ごろの騒動だと思っています。
 
 また、よく、「もっとRPGをメジャーにしたい。」とか言っている人を見かけるのですけど。
 RPGの定義がない。
 →だから、RPGを知らない人に、RPGを説明できない。(というか、各人でばらばら)
 
 はたして、この状況で、RPGはメジャーになれるのでしょうか。
 せめて、一般的というか平均値的というかのRPGの定義があれば、RPGを広めやすくならないかなあ。というか、そういうRPGの定義の無い状態で、どのようにRPGを広める積もりなのでしょうか。
 
 だから、RPG定義論はとっても重要だと思っていますし、最近の書き込みはRPG定義論に近いところをかかれている気がしますので、面白いです。
 
 また、上のような良くわからん状態が「今」なので、「今」だけを比較してぜんぜん駄目。 ミニチュアゲームと「D&Dの頃」、「D&Dの頃」と「今」を見つつ、「今」を見て欲しいなあ。ということです。
2001年12月26日:02時25分26秒
【比較ゲーム分析】参考:「ディプロマシー」について / Purple
 ディプロマシーについてのルールは、おおむね、あきのりさんの解説どおりなのですが、1つだけ、誤りがあるようです。
 私が持っているルールブック(訳はホビージャパンです。)では、
 
 --- 引用はじまり
 2.勝利
 あるプレイヤーが「18」の補給都市(Supply Center)をその支配下としたなら、その時点でそのプレイヤーは”ヨーロッパの覇者”となり勝利を得たことになる。
 --- 引用ここまで
 
 とあります。(なお、補給都市は全部で34個あるので、この勝利条件は、「過半数の都市を支配したプレイヤーが勝者となる。」ということを意味します。)
 
 
 もう1つ。上記のルール誤りにも関連することなのですが、付け加えたいことがあります。
 
 厳密なディプロマシーを遊ぶなら、あきのりさんが書き込まれているような遊びになるでしょう。
 でも、実際には、そのようなケースにはならないことが多いです。それは、途中で、当初の勝利条件を諦めるプレイヤーが出てしまうことによって発生します。
 
 つまり、途中で、
 
 「どう考えても、トップになれない。」
 
 と考える状況に追い込まれたプレイヤーの中には、当初の勝利条件である「都市を18個取る」を目指さなくなる者がいるのです。そして、個人的な(ルールブックには載っていない)勝利条件を目指しはじめます。
 
 例えば、
 ・1位は無理だが、少しでも支配都市が多くなるように目指す。
 (つまり、1位の勝利条件である18個を引いた残り16個の都市の過半数である9個を目指すプレイをする。)
 ・最悪ビリになるのだけは免れるように努力する。
 といった具合に。
 
 「まあ所詮、1位を取れない限り負けは負け。」と考える人は、こういう妥協はしません。
 しかし、「同じ負けでも、全滅して負けるのと、2位で終わるのでは意味が違う。」と考える人は、こういう妥協を行います。
 (なお、私は、後者のタイプの人間です。)
 しかも、この遊び方でも、特に違和感は感じません。厳密なディプロマシーではなくなっていると感じず、普通にディプロマシーを遊んだ気になれます。
 
 このあたりは、ディプロマシーに限らず、多くのマルチプレイヤーゲームで発生します。
 こういうのは、「開放系」には入らないのでしょうか?
 それとも、「厳密にディプロマシーを遊んでいるとはいえない。」で、ばっさり切られて終わりでしょうか?
2001年12月25日:20時45分07秒
【多目的ゲーム】多目的性とゲーム性の両立 / トモス
#たくさんの投稿があってどこから手をつけたらいいかわからない状態ですが、多目的性についての議論からやってみます。

まずは議論の要旨の整理から。半分は他の方の投稿を消化するためですが。

myrtさんが問題を提起された時*1 には、ゲームには達成度を測るための一元的な尺度があるからゲームとして楽しめるのだ、(=達成度を高めるための戦略的をあれこれ工夫する楽しみがある)という主旨だったと思います。

多目的性をこの一元的な尺度との関係で言えば、ある目的の達成度を犠牲にすることと「引き換えに」別の目的の達成度を高めることができる場合にそれをよいとか悪いと判断できるとすれば、それは2つの目的それぞれの達成度を測る共通の尺度がある(曖昧な形であっても)ということになるので、厳密には多目的性とは言えない、ということになります。変換比率とか交換可能性*2 とかいう話はこの部分です。また、とりあえずどの選択肢がよいかは到底決められないが、「ある種の選択肢は別種の選択肢と他の目的の達成度が全て同じで、かつある目的の達成度が低いので明らかに望ましくないとわかる」という状況があります。(選択をする際に直面する未来の状況の不確定性や状況に対する知識の不完全性の問題は除いても、です。ちなみに。)これがmyrtさんが「パレート最適」という用語で示したもの。パレート最適を満たす選択肢は複数あり、その間での選択にはゲーム性はないわけですが、パレート最適を探す思考過程にはゲーム性があります。(ゲーム性=目標を達成するための工夫を楽しみ、と考えています。) この点については、どうやら3人の間では一致を見たようです。

僕は一方でこれに同意するのですが、もう一方で別の意見、TRPGを含め多目的ゲームは実はゲームではなくトイであるという可能性を考えていました。鍼原さん*3 同様、多目的性と流動性を関連づけて考えることの重要性を僕も感じています。が、この問題に関しては主として僕の説明不足からmyrtさんとの間に誤解があるようなので後で改めて議論してみます。

以上の文脈から、myrtさんの今回の投稿*4 を、交換が不可能な場合にゲームが成り立つ可能性、あるいはその形式について、更に踏み込んで議論・分類したものとして咀嚼し直してみます。

3つの内最初の「ゲーム派対トイ派」の議論については僕自身の論点はさておき、myrtさんの論点は、パレート最適解の中からひとつを選ぶ過程にはゲームとしての面白さはないけれどもそれ以前、パレート最適解を探す過程にはゲーム性がある、という話*5 だと思います。(最近までこれが何のことかわからずにいたのですが。)
またmyrtさんの提案した
>>厳密でないが妥当と思われる変換尺度をすべてカバーする関数群の中のどの関数でもより良いと判断される戦略はより良い戦略であると言えます<<*5
という議論は、より踏み込んだ記述で、僕はこれが今のところ一番よいと思います。(多目的ゲームがいかにゲームたりえているかを指摘した論点として)
少なくともあるところまではゲーム性があるんだからTRPGがトイだということにはならないはずだ、という点は後の投稿で挙げるもうひとつのトイについての論点が解消されれば、賛成です。この立場からだったら。複数の優劣がつけられない選択肢の中から一つを選ぶ行為に楽しみがあるとしたらそれはシステムの反応(選択のもたらす帰結や引き起こす事態)を観察・体験する楽しみ、というのは面白い視点だと思ったのですが、他の楽しみもあるような気もします。(がそれはまた別の話題だと思うので又機会があったら考えます。)

2つめ、「単一目的を持つPL群によって形成される多目的ゲーム」は新しい視点ですが、納得です。新しいのは多目的性の「多」をどこに見出すかについてです。これまでは「PC一人の目的の多数性」についてのものが主で、他に「プレイヤー一人の目的の多数性」を考えたものがあったのですが、今回のものは複数のPC間の目的の違いを考える視点だということになります。myrtさんの指摘通りゲームとしては個々のPCには問題なく成り立ちます。これは賛成です。

3つめ、便宜上の一時関数と近似一次関数も新しい視点ですね。ここが今回は一番わかりにくかったのでまた誤解しているかも知れないと案じつつも言い換えてみると、便宜上の一次関数の方は、単に世界設定をなどを知らないという事情がある為にいろいろな仮定を導入して戦略を立てている状況だと思います。これは乱数要素、他の遊び手が将来行う意志決定内容を知らないこと、世界設定の一部が隠されていることなど、TRPG以外のゲームでもいくらでも起っていることなので(CRPGやマルチプレイヤーゲームでは特に)、これをゲームと呼ぶことはかなり無難だと僕は考えています。「とりあえずあの矢倉囲いを崩してからじゃないと攻めようがない」と考えて将棋を打っている時、CRPGで、この先どんな武器を拾うかわからないままにとりあえず手持ちの資金と相談して武器を買う場合など。もちろん、TRPGでは未定義性も仮定の導入を促す要因ですがその働きはこの便宜的一次関数に関しては特に独特なところはないと言えると思います。

近似一次関数の方は、myrtさんは触れていないとしていますが、僕にはTRPGの未定義性の問題に思えます。

未定義性と並んで、複雑性というのがTRPGの独自性を考える上では決定的に重要で、2要素はほぼ常に一緒に作用するものの別のもの、という結論に最近達しつつあるのでそれを意識しつつmyrtさんの論旨を言い換えてみます。

TRPGではPCの心理も架空世界内の他の事象同様複雑なものであり、「目的は賞金金額だけ」と事前に(又はプレイ中のある時点に)定義された心理に従うと不自然な感じがすることになる。これはゲームブックでは「とれていいはずの行動が選択肢の中にない」状況でその架空世界に感じる不自然さと同質のもの。複雑な心理を複雑なままで扱うため、PCの目的についても、常に未定義性が残っている。PCが事前に想定していなかった状況、細かく考え抜かなかった意思決定方針などがプレイが進むにつれて現れてきて、追加設定(心境の変化、細かな意思決定)を迫ることになる。けれども、これは目的もなくただでたらめに活動しているのとは違ってゲームに近い何かだと言える。僕はこれが「ゲームに近い何か」だという点では賛成です。これがゲームかどうかについては迷いがあり、自分の立場を決めることよりもその迷いをもう少し言葉にしてみることの方に興味があります。

#未定義性と複雑性についての話は誤解を招きやすい論点だと思うのでひとつ補足しておくと、「できる限り複雑さを損なわないように架空の世界を未定義なままで扱うのが望ましい、」ということではありません。どの程度複雑さを捨象するかは遊び手やシステム選択などの要因によって基準が違ってくるところでしょうし、その基準を決める際の根拠もいろいろあると思います。ただTRPGは未定義性を利用して複雑性を実現するという仕掛けにおいて独特だと思います。ちなみにCRPGは膨大な設定で別種の複雑性を実現する場合があります。一部のTRPGも。が、未定義性を残して複雑性を導入する、というのはスポーツや模擬国連にもない、TRPGの独自性かと思います。

*1 【比較ゲーム分析】多目的ゲームは(従来の意味での)ゲームではない,myrt,2001年12月21日:18時55分00秒

*2 【比較ゲーム分析】Re:多目的ゲームは(従来の意味での)ゲームではない,トモス,2001年12月21日:23時37分54秒

*3 [比較ゲーム分析]Re: Re:多目的ゲームは(従来の意味での)ゲームではない,鍼原神無〔はりはら・かんな〕,2001年12月24日:18時50分58秒

*4 【多目的ゲーム】TRPGを多目的ゲームとして扱う3つの視点,myrt,2001年12月25日:17時51分40秒

*5 【多目的ゲーム】やたらと目的の増える多目的ゲーム,myrt,2001年12月24日:19時12分35秒
2001年12月25日:20時42分26秒
D&Dの成立、TRPGの起源についての調査 / トモス
sfさんに助けて頂いて体裁も整ったので改めて報告します。

D&Dの成立、TRPGの起源についての調査 で、D&D成立前後の歴史について簡単な調査報告をしました。TRPGの起源、とりわけウォーゲームやごっこ遊びなど異なるプレイングスタイルの要素がChainmail、D&Amp;D、他の初期作品の中にどの程度見出されるか、を2次、3次資料を手がかりにまとめたものです。得られた結論はささやかなものではありますが、【比較ゲーム分析】の識別子でやってきた議論には参考になると思います。願わくば他の議論にも。
2001年12月25日:18時14分21秒
訂正:D&Dの成立、TRPGの起源についての調査 / トモス
先ほど投稿した「D&Dの成立、TRPGの起源についての調査」ですが、リンク先が間違っている上に、投稿した当のファイルの方もフォーマットがひどい状態になっていることに気づきました。管理人さんに削除してもらった上で再投稿しようかと思っています。その折りにはまたこちらにもお知らせを出します。
お騒がせして済みません。

2001年12月25日:17時51分40秒
【多目的ゲーム】TRPGを多目的ゲームとして扱う3つの視点 / myrt
 今まで書き散らしてきた多目的ゲーム論をTRPGに持ち込むための視点を、 3つに整理してみました。

・ゲーム派対トイ派

 設定された目標を達成するためならば手段を選ばないゲーム派と、 反応が面白いならば目標なんてどうでも良いトイ派が衝突することが あります。この視点は多目的ゲームにそのまま拡張できます。複数のパレート最適解から一つの選択肢を選び出す行為は、ゲーム的には 決定不能だがトイ的には面白いものでありうることが興味深いです。

・単一目的を持つPL群によって形成される多目的ゲーム

 単純化のために、PLはそれぞれ目的関数を一つだけ持っており、 その達成度を高めようとするとします。それぞれの目的関数はアイテム コレクトやパン屋の運営などの要素を含んでいてかまいませんが、必ず 一意に達成度が決まり、それが高まれば高まるほど嬉しいとします。

 セッション全体で見るとこれは多目的ゲームですが、それぞれのPLに とっては単一目的である従来のゲーム理論が適用できます。似た目的を 持つPLは協力できますし、競合しない目的を持ったPL同士は友情ルー ル(自分の利得を最大化する戦略が複数あるときに、その中で相手の利得 を最大にする戦略を選ぶルール。相手も同じルールに従うならば、利得の 増大が期待できる)が使えます。

 また貸し借りが可能な金銭的値を導入し、望む戦略が競合した場合に はその取り引きによって決着をつけることが考えられます。借りはその セッション中に返すことが望ましいですが、持ち越すことも可能でしょう。

 貸し借りの金銭的価値について折り合いがつかないとか、そもそも絶 対にゆずれないような場合にはPL同士が対戦することになります。対戦方法は自分のPCだけ勝手に動かすとか、GMに直訴するとか、他PLを味方 につけて屈伏させるとかいろいろあるでしょう。

 「今までは譲ってたけど今回は譲れない」などの考えは、この 金銭的値に由来し、無意識のうちに従ってる人が多いんじゃないかと 思います。

 この視点だと、自分の好き勝手だけを重視する人だけでなく、 自分の目的とパーティー全体の目的を同一視している過剰なゲーム 派PLの問題点も 浮き彫りになります。そういう人は「相手が譲るのは当然」と考え、「自分が借りを作って相手を譲らせる」という考えに至りませんから。

・多目的ゲームの意志決定のための便宜上の一次関数と、単一目的を持つ が詳細のわからないゲームに対して仮定する近似一次関数の類似性

 単一目的--例えば「魔王を倒す」--を持つゲームでは、大抵多数の サブ目的--「アイテムの入手」「経験値の獲得」など--があります。 サブ目的をより高く達成すればいいことが保証されていたとしても、複数のサブ目的間にどれだけのトレードオフ関係があるかは明らか でなく、ゲーム中には仮定するしかない場合があります。その仮定を 積み重ねた一次関数は、メイン目的を目指すゲームを正確に表している とは限りません。にもかかわらず、PLはそのゲームをプレイしていると 言えます。

 多目的ゲームであるTRPGを考え、それをプレイしているPLが究極 だが漠然とした目標「皆が幸せになる」などを想定したとします。複数 ある目的を単一目的ゲームのサブ目的だとして扱い、複数のサブ目的間の トレードオフ関係を勝手に仮定したとします。すると同様にその仮定を 積み重ねた一次関数が想定できます。

 そもそも究極目標がデタラメなのでこの一次関数が正しい わけはないのですが、それでも単一目的ゲームに対する近似一次関 数(こちらもデタラメ)と 同じ程度の説得力を持つなら、それを追求するプレイは同じ程度のゲー ム感覚を生むことが期待できます。


 回答になってるかどうかわかりませんが、目的を1つの尺 度に変換しないとままで感じるゲーム感覚についても考えてみた結果です。 TRPGの未定義性を無視していますので、TRPGというよ り「複数のPLが存在するが特定の目的がない箱庭でいかに楽しむか」とい う話になっている気がします。
2001年12月25日:12時09分54秒
D&Dの成立、TRPGの起源についての調査 / トモス
鍼原さん、Purpleさんの要望を受けて、簡単な調査をしましたので報告します。資料上の制約から多少焦点はズレていますが、参考になると思います。
これまで何度も議論された話題ですし、これからも話題になる可能性があると考えたので簡易長文投稿を利用させてもらいました。

D&Dの成立、TRPGの起源についての調査
とり急ぎ用件のみにて。

(sf:URL修正済み)


2001年12月25日:11時18分42秒
【比較ゲーム分析】参考:「ディプロマシー」について / あきのり
一連の議論、楽しくROMさせてもらっています。

>トモスさん

>それからディプロマシーとの比較も非常に興味があります。

とのことなので、このゲームに関する基本情報と、自分なりの考え方を参考までに。

「ディプロマシー」はアバロンヒル社が発売し、かつてホビージャパン社で日本語ルールを添付して輸入・販売していました。

基本的には、第1次大戦直前のヨーロッパのマップを使った陣取りゲームである…とお考え頂ければ結構です。
1)マップは、ヨーロッパ全域をエリアに区切っている。
2)プレーヤーは最大で7人(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、トルコ、ロシア)
3)都市エリア1個を占領していると、陸軍もしくは海軍ユニット1個を生産・保持できる。
4)ルールは極めて単純で、各自ユニットの「移動」と「支援」をプロットして、それを公開して、移動の可否を決定する。
5)一つのエリアに一つ以上の軍隊が、存在するように移動が計画されていた場合、その移動に対してより多くの「支援」が計画されていた側の移動が成功する。失敗した軍隊の移動は、行えないことになる。
6)最終的勝利は、盤上の全てのエリアを誰かが占領することによって決まる。

このゲームの最大の眼目は、地勢上の有利不利はあるものの、基本的にどのプレーヤーも3ユニットの軍隊をもって始める(ただし、ロシア・プレーヤーのみ4ユニット)ため、より多くの「支援」を獲得してエリアを占拠していくためには、しばしば、プレーヤー間で同盟して、他のプレーヤーの協力を取り付けなければならない、ということが上げられます。

例えば、あるプレーヤーの移動に、他のプレーヤーのユニットが「支援」を行うとか、あるプレーヤーと不可侵条約を結んで、そちら側の国境をがら空きにして、別のエリアでの移動の「支援」のために総力をあげるとか…。

その意味では、大変に協力的なゲームです。しかしながら、ゲームの勝利条件は、「マップ上のエリアの全ての支配」です。プレーヤー全てが、この目標に対して忠実であるならば、本質的に、完璧な協力関係は成立しません。

コスティキャンのゲーム論においても、このゲームは、「裏切りがあるから同盟が意味を持つ」というような主旨の文章がかかれているわけですが、この最終目標があるために、ある局面では協力関係を確立しているプレーヤー同士も、どこかで、その協力関係をご破算にしなければならないわけです。

そうでなくても、プレーヤー間の協力関係がある程度まで、密接になってくると、盤上で再び開始時点とは違った意味での戦力拮抗状態が生まれてきます。敵対する陣営同士で、お互いの協力関係を切り崩そうという動きが必ず生まれてきます。敵対する陣営から提示されたインセンティブが魅力的であれば(例えば、これまでの協力関係から離脱して、敵対陣営に鞍替えすれば、多大な都市エリアを獲得できそう…等)、協力関係の絵図が再編されることも、しばしばです。このゲームの最大の特徴である「裏切り」「交渉」という行為が、この最終目標ゆえに誘発されることになります。

すなわち、各プレーヤーは、局面局面では、非常に「開放的」なゲームを行っています。自分の獲得しているエリアと軍隊ユニット、他のプレーヤーのエリアと軍隊ユニットの状況を眺めつつ、他のプレーヤーに対して「交渉」し、「裏切り」を誘い、水面下では、他のプレーヤーからの「交渉」に応じて自分がいつ「裏切る」のかを計算している。これらは、局面局面において、当面の戦略目標を自分で自由に設定しながら、思うままに行えます。ルール上の制約は、軍隊の移動や支援にかかわるものだけですから、非常に、開放的です。しかしながら、「最終目標」は不変であり、この点においては、「ディプロマシー」というゲームのシステムからは一歩も出ることはできず、「閉鎖的」です。

一方、これらの駆け引きが、いかにも「ヨーロッパの第1次世界大戦前夜の外交・軍事戦略をもてあそんでいる」という「一国の外交・軍事戦略の責任者」としてのロールプレイ感覚を、プレーヤーにもたらします。

でも、これはRPGではありません。ゲームトークンは、非常に抽象度の高いユニットとマップのみであり、「一国の外交・軍事戦略の責任者」としてのキャラクターを、一切表現する仕組みが存在しません。しかも、マップさえ切りかえれば、第1次世界大戦前夜のヨーロッパでなくても、イタリアのルネッサンス期(「マキャベリ」という発展型のゲームあり)、日本の戦国時代、中国の戦乱の時代、ポエニ戦争当時の地中海世界などなども、舞台にできます。でも、この点でも「ディプロマシー」というゲームの中核を変えようがありません。

とまあ、こんなところでしょうか。議論の参考になれば、幸いということで^^;
2001年12月25日:06時25分34秒
【比較ゲーム分析】Re:Chainmailとの比較こそ重要課題 / トモス
#Purpleさんはじめまして。

Chainmailとの比較は僕も興味があります。それからディプロマシーとの比較も非常に興味があります。僕はどちらについても無知ですが。

>>、「D&D(や、それに似た遊び)」には存在し、「chainmail」に無い要素こそが、RPGの根源的要素であることは間違いないと思います。 <<(Purplesさん)

起源にこそ(そしてそこにだけ)本質がある、という考え方をPurpleさんが主張しておられるのであれば僕は賛成できませんが、今のTRPGのあり方に発想を拘束されて考えているとしたら、過去のTRPGやTRPG以外のゲームと比較することは自分の考えを相対化したり視野を広げるのには役に立つだろうと思います。

その上で何をTRPGと呼び、何を除外するかは、また論争が湧き起こる問題でもあろうと思います。少なくとも今はこの場でその論争が始まらないことを願っています。

ここ一週間の上位200ヒットページから、このLABOは1週間に1000ヒット強のアクセスを受けていることを知りました。Purpleさんに限らず、ここで展開されている議論に否定的な意見を持っている方も多いだろうとは思いますが、誰にも気にもされていない可能性も考えていたので1000ヒットには心を強くしました。
ちなみにここ3日間の週間ヒット数は1076,1110,1066でした。

2001年12月25日:05時51分09秒
[比較ゲーム分析]Re:Chainmailとの比較こそ重要課題 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさんへ
 こんにちは。
>「今」のRPGを元に「RPGとは何か」的な議論をしても、結論を出すのは難しいでしょう。
 〔中略〕
>開放系がどうとか、ゲーム中デザインがどうとか、コスティキャンのゲーム論がどうとか、そんな点からRPGを分析しても、「今」を見て物語っている限りは、駄目でしょうねえ。
 
 そうですねぇ。アタシは、次のような事だろうと思います。
 
a)複数のTRPGを比較することで、TRPGの一般型を説明する分析(ゲーム間比較)で言える事と、
b)ゲームの理論のような既存の知見から、TRPGの特異性を説明する分析(原理的検討)で言える事と、
c)WSGなりミニチュア・ゲームなりとの比較検討で、TRPGの理念型の説明(ジャンル間比較)で言える事と、
d)D&Dが何から変化しらか、という特異点を分析した説明(ゲーム間比較)で言える事と、
 それぞれで、言える事が異なる、という話だろうと思います。
 
 そのうえで、a)〜d)を妥当に比較することができれば、さらに確からしい事が考えられるだろう、という予測は成り立ちます。
 喩えて言えば、社会学的分析(a〜c)と歴史学的分析(d)のようなものなのでしょう。
 
 もちろん、妥当な比較ができなければ、「群盲象をなでる」になることもあり得るとも予想されます。
 
 また、[比較ゲーム分析]の話題は、「TRPGでの自由にまつわる『規範的な問題』」、及び、「TRPGでの自由を実現するための『実践論』」を整理し根拠づけるための「原理の考察」の1種。
「【TRPGの自由】整理:比較ゲーム分析として(1)」 (トモスさん記,TRPG総合研究室 LOG 080,2001年12月20日:20時12分59秒)
「[比較ゲーム分析]サブゲームの開放関係とセッションでのコミュニケーションの多層性」 (カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 081,2001年12月20日:23時40分59秒)

 ――と構想されていますので、purpleさんが言う「今の視点」は外せないとも思います。
 「規範的な問題」や「実践論」の有効性を確保するためにははずせないと思います。
2001年12月25日:01時37分59秒
【比較ゲーム分析】Chainmailとの比較こそ重要課題 / Purple
 ども、ちょくちょくトモスさんから名前が挙がっていたPurpleです。
 
 #う〜ん、ここで、私が書き込むと、まるきり1年前っぽくなりますねえ。
 
 個人的には、鍼原さんの2001年12月24日:18時44分57秒の書き込みの話題に興味があります。
 
 RPG史を紐解くと、
 ・かつて、「Chainmail」と言う名の、ミニチュアゲームがあった。
 ・1974年に、この「chainmail」の個人戦闘ルールを抜き出し、何かを付け足したことにより、世界最初のRPGである「D&D」が生まれた。(ただし、この時点で「RPG」とは呼称されていない。)
 ・その後いくつかの、D&Dに似た形態のゲームが発売され、ゲーム雑誌などで「RPG」の呼称が使われるようになった。
 (この辺の話は、2001年5〜6月ごろにここの掲示板で書き込まれてます。)
 
 「chainmailこそが世界最初のRPGである」という意見は見たことも聞いたことがありません。
 ということは、「D&D(や、それに似た遊び)」には存在し、「chainmail」に無い要素こそが、RPGの根源的要素であることは間違いないと思います。
 
 が、私は、残念なことにD&Dファーストエディションも、chainmailも、遊んだことはもちろん、ルールを見たこともないので、この2つにどのような違いがあるのか知りません。だれか、違いを知っている人に話を聞いてみたいです。
 (以前、それらしきことを書かれている英語がここで紹介されていましたが、英語なのでよく読んでません。というか英語はわかりません。)
 
 
 それと、ついでに、1年前に書き損ねたことを。
 「今」のRPGを元に「RPGとは何か」的な議論をしても、結論を出すのは難しいでしょう。開放系がどうとか、ゲーム中デザインがどうとか、コスティキャンのゲーム論がどうとか、そんな点からRPGを分析しても、「今」を見て物語っている限りは、駄目でしょうねえ。
 
 D&Dに変更を加えて、D&D’が生まれ、それに変更を加えD&D’’が生まれ、ということを1974年以来、人類は繰り返しているわけです。そうした、進化(人によっては退化と呼ぶ人もいますが)をたどるうちに、RPGではない遊びが生まれてしまったのかもしれません。(「今」遊ばれている、「RPGと呼ばれている遊び」の中には、個人的にはRPGと呼びたくない遊びもあります。)
 
 でも「今」遊んでいる我々には、どこからがRPGでどこからがRPGで無いのかわからなくなっているのです。後の世に、「1990年代の後半、RPGの○○○を元にして△△△というジャンルが誕生した。」とゲーム史の1ページに書かれたりするのかもしれません。
 
 だからこそ、だれか、chainmailとD&Dの違いを語ってくれる人いないかなあ。
2001年12月24日:19時48分34秒
TRPG総合研究室 LOG 080,081 / sf

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