フォーセリア研究室 LOG 038

フォーセリア研究室の2003年07月12日から2003年08月10日までのログです。


2003年08月11日:00時14分04秒
【ファリス論】真の正義 / B・D
横合いから失礼。識別子(だっけ?)をつけてみます。取り敢えずはこれで。
toサトーさん
>ファリス信者自身は、人間も真の正義を認識できると考えているハズ
断言しますが、結論から言うと、これは私は否定です。
理由は簡単。真の正義=ファリスの正義だとしても、ファリス神の考える正義が人間たちに伝わらないからです。
何故なら、例えディビネーションをしたところで神の啓示は抽象的にしか信者に伝わらないから。
まあ、逆の考え方をすると人間では神の考える事を完全に理解するのは不可能、なのかもしれませんね。
不可能と知った上で出来るかぎり神の考えを理解しようと努力するのが聖職者なのではないでしょうか。
一生掛けて努力すれば認識できる『かもしれない』程度には考えてるかもしれませんが……


>また、真の正義に反するならば、プリーストにはなれません。
>ですから、プリーストは真の正義に関する高い認識を持っていることになります。
これも半分否定。
真の正義の範囲はかなり広いものと解釈します。
それこそ、「真の正義に沿った者同士が対立する」ぐらいに。
そうでないと、ファリス信者はある一つの勢力以外には存在しない事になってしまいますから。
とは言え、ファリス神の考えにあまりに背く者がプリーストになれないのはあたりまえの事でしょう。


>悪法問題に代表されるように、秩序と正義は独立し対立するものです。
それを踏まえた上で「秩序を正義としよう」という事がファリス的な考え方のではないでしょうか?
まあ、正確に言えば正義を考える上で秩序(法に限定せず)というものをガイドラインにしよう、という考えといいますか。
正直、「オフィシャルは知識不足だから間違いだ」と言うのであればハウスルールを作ったりSNEに意見を申し出るよりほかはないでしょう。
此処で話し合うならばせめてオフィシャルには沿わないとそもそもの共通認識が無くなってしまう訳ですし。

2003年08月10日:22時52分47秒
思い込みと能力は別物 / D.Matsu
随分と不毛になってきましたねぇ……

他の方へのコメントはそれぞれの方に任せる事にします。
さて……

> ファリス信者自身は、人間も真の正義を認識できると考えているハズ

そう思っているからといって、実際に神の定義する正義を完全な形で受け取れる訳ではありません。
思い込みと能力は別物です。
#故に、ファリス信者同士の間でも正義の解釈で争いが起こりえる訳ですね

> 真の正義に反するならば、プリーストにはなれません。

本来の思想とずれている事は、必ずしも思想に反するという事ではありません。
そして、神様の本来の思想に近くなればなるほど、 高位のプリーストたりえるんだと思っていますが。
#他に信仰の深さのバロメータってないでしょ?

> プレイヤーがGMの正義設定に逆らっていいのですか?

誰がそんな事を言ったのか知りませんが、逆らう事自体はありでしょう。それによって生じる(プリースト技能剥奪などの)リスクを覚悟してるなら。
2003年08月10日:21時50分46秒
暴力以外の手段があるならOK / サトー

>はーみっとさん

もちろん暴力以外の手段があるならOKですよ。問題は、それが非常に限られてるということです。

例えば、不正な権力者が民衆の意思と意向に従って統治を行うなら、民衆への啓蒙によって改革もできます。
でも、そんなことまず無いですよね?ですからこの場合、民衆への啓蒙とは「反抗を説くこと」に他なりません。

*ところで、はーみっとさんが引用している清松さんの記事は、正義とはあまり関係ないですね。

2003年08月10日:21時48分41秒
ファリス信者は真の正義を認識できると考えている。 / サトー

是通さんが発展性のあるトピックを出せや、と言ったので「ファリス信者は自由主義者である」をメインに話しています。
(より細かく言えば「ファリス信者は自由主義的な傾向を強く持っている」ですね。)

ですが「ファリス信者は絶対的な正義の思想を持っていない」とされると、それを否定されているも同然なのです。

斉藤梓さん
>現時点では正義の定義が完全でない為に、それを不変である様に磨き上げる段階である、と。

その解釈では「ファリス神は何が正義であるか知らない」ということになってしまいます。
また、最終定義としての正義(真の正義)が無いとしたならば、ファリス信者の営為はただの無意味な徒労ということになってしまいます。

GMや作家が「ファリスの教える正義は身勝手な思想であり、ファリス信者の行為はただの徒労だ」と設定する事は可能ですが、
ファリス信者自身がそう考えるはずがありません。

D.Matsuさん
>人が受け取る神の啓示は曖昧なものであり、それを受け取った人間なりに解釈して運用している

人間が真の正義を実現させるためには、人間にも真の正義を認識できる能力が必要です。
よって少なくともファリス信者自身は、人間も真の正義を認識できると考えているハズです。

また、真の正義に反するならば、プリーストにはなれません。
ですから、プリーストは真の正義に関する高い認識を持っていることになります。

そして最後に、・・・プレイヤーがGMの正義設定に逆らっていいのですか?

是通さん

悪法問題に代表されるように、秩序と正義は独立し対立するものです。
しかし、清松さんは秩序を重んじることが正義だとしてしまいました。これはナンセンスです。無視するしかありません。

推測ですが、清松さんはこれを執筆したとき悪法問題について知らなかったのでしょう。後から知って、マズイと思ったに違いありません。
だからエルベクについての回答で、聞かれてもないのにファリス神は悪法を認めないなどという事を言ったりしたのでしょう。

*「正義よりも秩序を優先させるとする」「秩序の内容を限定させる」という解釈については省略します。
2003年08月07日:22時28分09秒
正義はひとつでも手段は多数 / はーみっと
はじめまして、はーみっとと申します 。
この話題に対しては静観を決めていたのですが、少し思うことがあってカキコませてもらいます。

>「法の支配」について
「法の支配」とは、権力者すら拘束する法(神の掟、憲法、etc.)があることを意味します。
つまりファリスの法は、全ての人を強力に拘束し、王侯貴族であっても逆らう事は許されません。
>何よりも神に従うべしというのは、人から悪を命じられたらそれに従う事は許されないということを示しているのです。
なぜなら、神は正義だからです。突き詰めればファリス信者はあらゆる人の支配から自由であるワケ。

サトーさんはそうおっしゃいますが、本当にそうでしょうか?
清松氏の回答に、
悪人が人質を取っている状況があったとして、一般的なファリス神官は
 犯人を説得する
 自ら人質交換に名乗り出る などの選択をする。
 ごく一部の狂信者が、人質を無視して強行突入する というものがあったと思います。
つまり、悪法があったとして、それをクーデターにより壊すのも、民衆にファリスの正義を啓蒙して改革させるのもファリスの正義のひとつの形ではないでしょうか?
むしろ、一般的なファリス神官は民衆への被害を考えて後者を選ぶような気さえします。
私には、ファリスの教義が正義を実行するためにあらゆる束縛を無視してよい、というものだとは思えないのですが?
そのような考えを持つものはは狂信者であって、一般的な神官ではないと思います。

さらに、五大神の他の神の教義があります。
ファリスの神官がマーファの教義に反する行動をとるのを、神は肯定するのでしょうか?
ファリスの教義よりは軽視しているとは思いますが、ファリスがほかの神の教義を否定するとは思えません。

おそらく、ファリスの教義というのは、「(ファリスの)正義を守り、他人にも守らせること。そのための手段は人それぞれ(どんなことをしてもよいと言っている訳ではない)」というものだと思います。
よって、ファリスの教義が「ファリスの法を守るためなら何をやってもよい、むしろ手早く解決するためには過激な方法でもとるべきだ」というサトー氏の意見には賛同いたしかねます。

論点がわかりづらい稚拙な文章ですみません。
2003年08月02日:18時09分38秒
礼と精神 / Vist
>oct氏
行為にこそ本質が、信仰が宿るというのは日本の道教などでも述べられている通り、非常に大切な観点ではあります。
曰く、「万事礼を以て接せよ」「何事も容から入れ」でしたか。
人の内面を形作るに重要な要素です。人間の性として欠かすことの出来ない精神の研究の糸口でもあります。
礼を以てcomunicationを組み立て、礼を以て己という服を作り上げる。
個性とはこのような構築の積み重ねにより立つものですからね。

しかし、現実問題として解釈を受け入れる側がその「外側」を見失ってしまう流れが存在する訳ですね。
主客転倒の最たる例、と申し上げることが出来ましょう。
致し方無い所ではありますが、悲しむべきことです。

彼のような真面目な人物にこそ、信仰の本質を掴み取ってもらいたいなどと贔屓を述べるのは一種の禁忌ではありますが、私個人の正直な気持ちであるという事実には変わりありません。

2003年07月31日:23時28分42秒
神を学ぶという信仰 / oct
  信仰を理論にするのも、信仰の形ではあるんでしょうね。
  が、理論を作り出す初代の研究者は、信仰に燃えて研究し。何代か後は
  信仰を見失しない、形式を重んじるようになり、
  そして、ファリス神殿は形骸化する、と。
  
  なんというか、頭の固い、(悪い人ではないが)困ったファリス神官の
  典型を見ているかのようですぞ?
2003年07月29日:17時44分12秒
RE:ファリス信者は絶対的な思想を持っている / Vist
>サトー氏
既に皆様が説明なさっておられますので、こちらはこちらなりに。

1.曖昧である事と、不変である事に概念衝突関係が見られますか?個人的には、そのような解には到達出来なかったのですが・・・・

2.詭弁を弄するのは大いに結構、寧ろ論戦に於いては必須の戦術ではありますが、当方としてはD.Matsu氏の発言への回答を切望する次第です。

3.尻馬に乗るのは恐縮ではありますが。
『貴方は何を望み、何を与え、何をして答えと見出し、何を受け取るのですか?』


>是通氏、D.Matsu氏
鎖環と申しますか、トコロテン式と申しますか・・・お疲れ様です。

2003年07月29日:12時28分36秒
RE:ファリス信者は絶対的な思想を持っている / 是通
 ども、是通です。
 
>サトーさん
>ファリス信者は不変の正義の実現を目指しています(SW完ルールブックP.106より)。
 
>なので、ファリス神ですら何が正義であるかは変更できないのです。だって不変だから。
>誰かが変更できるなら、それは不変とは言わないでしょう。
 
 過去ログのフォーセリア研究室 LOG 033内の投稿、【秩序と正義】RE:おりふさんと私の論は概ね同じにおいて、私からサトーさんへのレスとして、すでに反論済みです(苦笑)。
 
 もう一度繰り返しますし、この発言の根拠は「Q&Aブック」の清松さんの回答を基にしていますので、サトーさんのお気に召さないでしょうが、御一考して頂けたら幸いです。
 
>ファリス信者は不変の正義の実現を目指しています(SW完ルールブックP.106より)。
 
 「正義」の内容を、Q&Aの回答に置き換えてみます。
 
 ファリス信者は不変の“秩序を重んじること”の実現を目指しています。
 
 “不変の秩序”では無く、“秩序が重んじられること”を不変にしたいのが、ファリス信者や、教団の考えなのではないのでしょうか?
 
 でもって…結局、この議論から何を得たいんですか?
2003年07月29日:00時11分17秒
【ファリスの正義】神の正義を人は直接受け取る事は出来ない / D.Matsu
何度も、(私以外にも)人が受け取る神の啓示は曖昧なものであり、それを受け取った人間なりに解釈して運用しているって言ってるんですが、それは完全無視ですか?
神の側には絶対的な正義観があるかもしれない。が、人はそれを直接受け取る事は出来ないって言ってるんですよ。

でもって、これは是通さんの台詞の繰り返しにもなりますが……
結局、この議論から何を得たいんですか?
2003年07月29日:00時07分42秒
小ツッコミ / 斉藤梓

> ファリス信者は不変の正義の実現を目指しています(SW完ルールブックP.106より)。
>
> なので、ファリス神ですら何が正義であるかは変更できないのです。だって不変だから。
> 誰かが変更できるなら、それは不変とは言わないでしょう。

 その文章は、「不変」の「正義」を「実現」しようとしている、という解釈も可能です。
 現時点では正義の定義が完全でない為に、それを不変である様に磨き上げる段階である、と。

 「不変の正義」を「実現」であれば、サトー氏の言葉も間違いないでしょう。
 しかし、上記の解釈が成り立つ以上、サトー氏の意見のみが正解、とはならないはずです。
2003年07月28日:22時12分03秒
ファリス信者は絶対的な思想を持っている / サトー

ファリス信者は不変の正義の実現を目指しています(SW完ルールブックP.106より)。

なので、ファリス神ですら何が正義であるかは変更できないのです。だって不変だから。
誰かが変更できるなら、それは不変とは言わないでしょう。

そのようなわけで、Vistさんが「絶対的なものなどない」と力説しているのとは全く逆に、
ファリス信者は絶対的な思想(正義)を持っているわけです。

絶対的な思想を持っているからこそ、ファリス信者は自由主義の基礎を築けるわけです。
暴君に抵抗する、超国家的な法で権力を拘束する、分権化、など。
(もちろん、近代自由主義そのものや、近代の「法の支配」そのものではありませんが。)

で、その正義の内容は各GM(や作家)が決めます(同P.106)。辞書のを採用してもよいでしょう。
ただし、他の世界設定と矛盾が出るかもしれないので注意。「秩序」とするとマズイというのは私が言ってきましたし、
アリストテレスは良さそうですが、マルクスや儒教などは無理が出そうな気がします。


2003年07月26日:11時31分24秒
re:GMは何が正義かを決めなければならない / oct
>>>人間の間では、どちらも正しいなんてことは良くあることです。
>>
>>と言っても、octさんがGMなら、何が正義かを決めなきゃなりませんがね・・・。

  この考え方が決定的な違いかと。
  どちらも正義と言うのは認められないようですな?
  
  
  しかし、私からすると。どうして、そこまでファリスの正義(秩序)を
  絶対視するのかわかりませんな。マーファの大地の法に代表される、他の
  神の教えにも同程度の正義はあるはずなんですがね。
2003年07月25日:15時19分27秒
無駄な長文、申し訳ない / Vist
いやはや、48時間と経たずに返信が返って来るとは・・・油断しておりました。

貴殿の主張について、当方と致しましては「ある一点」を除いては概ね賛同の域にある、
より正確に申し上げれば、貴殿の御立ちになられている見地は、私の見解と非常に近しいものである、と認識いたしております。

>曖昧なのは受け取る人間側の問題なのかもしれませんが、
>確固たる定義を受け取る事が出来ないのには変わりありませんよね
この点こそ、最大の争点であるのかも知れません。
何をして確固たる定義と呼び習わすのか。
世の万人が抱く曖昧さ、理念や"明文法にすら"存在する解釈の相違、これらを如何にかして統合するというのか?
封建時代、農奴が純粋に家畜であった時勢ならばそれもまた叶いましょう。
しかし、世の「思考する人間」の精神は先述の如く「法と道義の追いかけっこ」「螺旋構造的空間(次元)構築」により成り立つものです。
明文法にせよ道徳観念にせよ、件の如く折り畳まれた(まさしく知識の縮図!)処理構造の一端を担うに過ぎず、
その前後に何がしの判断基準が存在していないと証明する手立ては存在し得ません。

詰まるところ、如何なる観念に依ろうとも、その規律を規律として単一に定義する事は出来ない、と。
まあこの辺りはD.Matsu氏の仰るまま、単なるリソースの無駄遣いであるかもしれません。
少々異なる点としては先述の「螺旋構造的空間」の中に於ける精神の所在と動向に関する捉え方でありまして、
私個人と致しましては、この中に於ける「秩序(ファリス的)」観念とは即ち
「空間内のpointerが自己破綻により定義空間から飛び出さない範囲で自助運動を行っている状態」
であると認識している訳ですね。一方でこれの否定を「混沌(ファラリス的)」観念と慣わしている訳です。
重要なのはこの形態の有無であって、そこに与えられるべき定義とは定理と呼ばれるべきであり、
これらの兼ね合いにより可能な限り多数の精神pointerが安定している状態であれば、
拘束の如何に拠らず秩序的であるのだろう、と思推しているのです。
ですから、ある次元に定義を加えることは構わないのですが、それが唯一つの観念であるという捉え方(と解釈してしまいました)には疑問を挟んでしまったと。

・・・ああいかん、話が思い切り逸れてしまった。

>現存する法を破るのは明らかに秩序の破壊につながりますし
上記の思想に基づけば、それが本当に秩序の破壊たり得るのか?
という問いに対する答えは一意に定まるものではなくなるのではないか、と推量致します。
#無論、大半の状況に於いては違法≒秩序への攻撃という構図が成り立ちますが。

我らが誇り、敬愛すべき不文律ことMagna Cartaに致しましても、大元はと言えばaristocracyと王権との利害関係を整理するための橋渡しに過ぎない訳で。
とはいえ、此処で語られている内容は「大衆レベルに於ける法的自由の範疇とは何ぞや」というお話でもあって、
体制の存続・被存続や支配者層の齎しうる主観的動向については一先ず置いておかねばなりますまい。

>明文化されている法律ですら自らの都合のいいように解釈・運用する人間は常に存在するのですから、
「法の下の自由」を保障する以上、その行為者の及びうる全てについて許可・禁止を与える事は理論上は可能でしょうが、
現実問題としてそのような明文化された法を形作ろうとすればその管理に追われ、
結果として法そのものが機能しなくなってしまう可能性が高い、というのが問題ですね。
また、行き過ぎた法(そもそも、行き過ぎたとは何なのか・・・)は行使者が人である以上折角の自由社会を台無しにしてしまう可能性すら包含する諸刃の剣。
現代に於いても共通ですが、目に付く限りの軽犯罪者を軒並み捕えていたら留置所がどれだけ広かろうと賄いきれませんからね。
自由主義社会(中近世、近現代問わず)における法の執行者というのも、それはそれで難しい立場にあるものです。
よって、ある程度は妥協というものを加えねばならない訳です。
無論、貴殿の仰る様に個人・団体としてこれを都合よく適用する手合も数多く存在します。まあ、別段違法で無ければ正当なのですが。

かといって、ここで折角明文化(されない場合もありますが・・・)により定義された法を短絡的に蔑にしてしまうのは愚の骨頂。
その点に於いて、サトー氏の発言には少々極論が顕在している「ように見える」、とちゃんと申し上げたつもりだったのですが・・・言葉足らずであったかも知れません。

>「人の法が人を縛る」が視野狭窄であるとすれば、「神の法のみが人を縛り得る」は理想論に過ぎる、と申し上げておきます。
こちらについても、その通りと申し上げておきましょう。
行為者の自由を保障し、正義と法との螺旋構造に折り合いを付ける為に信仰という概念を取り出すことは可能です。
信仰とは「許し」であり、我々行為者が法と呼ばれる定義空間から彷徨い出た際にこれを救い上げ得る手立てとなってくれるという安心感、存在に対する保障でもありますからね。
しかしまあ、これもまた言ってしまえば明文化された法と同じ「法と道義の螺旋構造」の中に組み込まれた「明らかな一部分」に過ぎない訳で。
唯、それが私を始め信仰に則した生を受けた人間にとっては、法を超越した概念「たり得る」というだけの事です。
誤解を与えたのであれば申し訳ありません。
#Swear by God.

>一応申し上げておきますが、「人の法のみが人を縛っている」とは言ってませんよ、私は
貴殿の発言が暗喩する強制力の次元に対する当方の認識には、少々の誤りが存在していたようですね。

>言葉を操るのに信仰は不要
同様に、信仰を顕す為に言葉は不要ですからね。
思想には定義があり、定義とは言葉に拠らねば形を持たぬ筈であるというに、定義なくして生きる理念もまた存在する。
そして、それが抽象的であっても人は毎日を生きている。不思議なものですね。

>この形に最も近いと思われる政教一致の支配体制の場合、
>国王自身が宗教の最高位を兼ねているのが殆どですから。
まさしく、その通り。
#Save the Queen!これ以上の言葉は不要です。


>サトー氏
*是通氏の文面より引用*
>「悪法もまた法」は、おそらくはファリス自身は認めない考えかたです。
上記のような(私見ではありますが)秩序概念に従えば、この解釈は自明ですね。
結果があるから悪法と呼ばれるのであって、それが単独で悪法であるか否かという認識には「正当性」はありません。
個人・集団レベルによる「予想」は成立しても、それは「事実」ではありませんから。
蛇足を申し上げれば、「神であっても、未来を予知する事は出来ない」か否かについては、まさしく「神のみぞ知る」なのですが。
#勿論、評価が無価値であるなどとは申しておりませんので、悪しからず。


我が口は語り手としての役割を終えました。
どうぞ、変わらず討論をお続け下さいませ。
それでは、失礼致します。
2003年07月24日:17時37分39秒
【ファリスと法】曖昧なモノでは人は縛れない / D.Matsu
下の一部の論点がズレていたので大幅に修正します。

> 「人の法が人を縛る」などという視点は余りにも視界狭窄であって、

神の示す定義が曖昧なモノである以上、それのみに依って規律を示す事は不可能です。
#曖昧なのは受け取る人間側の問題なのかもしれませんが、確固たる定義を受け取る事が出来ないのには変わりありませんよね

明文化されている法律ですら自らの都合のいいように解釈・運用する人間は常に存在するのですから、
曖昧なモノでしかない神の示す法など言うまでもありません。
#下でも書きましたが、言葉を操るのに信仰は不要ですから

「人の法が人を縛る」が視野狭窄であるとすれば、「神の法のみが人を縛り得る」は理想論に過ぎる、と申し上げておきます。
#一応申し上げておきますが、「人の法のみが人を縛っている」とは言ってませんよ、私は
2003年07月24日:12時59分29秒
【ファリスと法】FAQによれば… / 是通
 ども、是通です。
 
>サトーさん
 
>Vistさんは「法は悪法にあらず」「法は法だ」というわけですか?しかし、ファリス信者はそうではありませんよね?
>ファリス信者にとって法と正義は切っても切れない関係です。
 
 おりふさんも引用されていましたが、
 
エルベクの場合、打倒されたエルベク王朝の施政のしかたが、法と秩序をないがしろにしていたものと考えられます。「悪法もまた法」は、おそらくはファリス自身は認めない考えかたです。
 
 ファリス教徒はともかく、神本人(神?)はそのような考えではなさそうですよん。
 
 ところで、この議論は何のためにされているので?
 サトーさんがGMをする時や、二次・三次創作をされる際の指針を求めておられるのでしょうか?
 PLの際には、GMの意図に従うとお聞きした事はあるのですが、最近、単なる『議論の為の議論』になっている様なので。
2003年07月23日:22時25分25秒
【ファリスと法】支配者側にしてみれば / D.Matsu
> Vistさん

えーと……書き方がまずかったでしょうか?
不服従の口実にいくらでもなり得る思想は支配者層には受け入れられないって事を言いたい訳なんですが……
法と秩序の神としてならファリス信仰を受け入れる余地はいくらでもあります。
が、ファリス信者は神の教えに従ってさえいれば明文化されている法律を破っても問題ないというのがサトーさんの主張でありまして……
現存する法を破るのは明らかに秩序の破壊につながりますし、当然法を制定した支配者にとっては大問題ですので、「んな訳あるかーいっ!」と突っ込んでいる、という現状な訳です。

> 「人の法が人を縛る」などという視点は余りにも視界狭窄であって、

最終的にはその人の持つ思想・信仰以外に縛られるものはない、というのは確かですが、大半の人は(特にファリスの信者でなくても)法を守って生きる事を選択している訳で、そういうレベルでは法に縛られている、と言っても差し支えないのではないかと。

> 「教団による支配」などは存在しない

王権より宗教権力が上位であるという意味であれば、ほぼその通りです。
この形に最も近いと思われる政教一致の支配体制の場合、国王自身が宗教の最高位を兼ねているのが殆どですから。

でもって、これはまぁ余談的なものですが…

> もう少し気楽な世界"だったら嬉しい"

単なる考察だからこそ、深く考えてるんです(笑)
2003年07月23日:18時20分34秒
その他諸々 / Vist
#どちらかと言えばこちらが本題でしょうね・・・そもそも私宛ではないのですが

>D.Matsu氏
>私が言っているのは、叛乱/反抗に正当性を与えるような思想は支配者階級には都合が悪く、
>そのような思想を支配者層が認める訳がないって事です。
思想を独占しようという形から支配者層はこぞってファリス信者となり、一種の制約を与える。
一方でファリス教団としてはそれをある程度のレベルまで浸透させようとする。
実に自然な流れですね。疑問の余地はありません。

神殿を持たない町村ではさぞかし愚民化政策が進んでいることでしょう。
こうなると、まさしく中世の封建社会化の農村社会そのものが浮かび上がってくる訳ですが、
折角のファンタジー世界なのですからもう少し気楽な世界"だったら嬉しい"ですね。
閑話休題。

個人的には、サトー氏の述べる『理念』の存在については大本の段階で相互理解が進んでおられるようで、何よりに存じます。
勿論、『例外など幾らでも居ます』し、経緯からして本来この『理念』は
「可変(但し限りなく不可能に近い)」であって可笑しくは無いのですがね・・・・

ですから、「人の法が人を縛る」などという視点は余りにも視界狭窄であって、
大半の眼が直接仰ぎ見るのはこの『理念』でしか無いのでしょう。
それもかなり"曖昧な形で"。

延々語って参りましたが、貴殿もまたこのような帰結から
「教団による支配」などは存在しない、と述べたいのではないか、と推し量る次第です。
また、サトー氏の発言からこの『理念』が絶対視されるべきものであるかのごとく
読み取れる下りが(氏の意図に因らず)何箇所か見請けられるのは確かですね。


>サトー氏(続きとして)
上にも記しましたが、『理念』自体をしても万人共通のものではあり得ない、というのが問題です。
勿論のこと、『理念』が一意のものとして解釈される状況など生じ得ないでしょう。

正直なところ、ファリス教団の主な役割とはこの『理念』の保持・存続にあって、
繁茂という方向性についてはそれ程熱心では無いのではないか・・・と個人的には捉えておりますが。
何せそれにより直結的に顕れるであろう個人の主張が拡大する風潮は
彼らの『理念』からすれば「ファラリス的」に写るものですからね。
この"程度"というものが非常に難しい訳で、我々人類の永遠の課題と申せましょう。

まあつまりは
>1.支配者がファリス信者達の理念を好き勝手に変更する事ができず、
>2.ファリス信者達が、支配者はその理念に従うべしと要求し、
>3.支配者がそれに逆らえないならば、
こちらの前提に少々極論が含まれているのではないか、と(飽くまでも読み取れる、という話です)

>両氏
この辺りをお考えいただければ、今ある対立構図が
最早意味を成さないという事もまた自明の理ではないかと推量致します次第。


>Dell氏
いやいや、まったくもって興味深い案件です。
ついつい日和見根性ながら書き込んでしまいました。
私個人としても、この討論を今後の参考書に使いたいものですよ(人間の着目点の相違に関する・・・ですが)。


以上、長文乱文失礼致しました。

2003年07月23日:17時59分34秒
サトー氏へ / Vist
#こちらは観念的なものであり、然程重要ではありません。

>辞書の正義の記述は、数多くある正義に関する議論の内の一部にすぎません
それはその通り。否定の余地も御座いますまい。
しかし、このような場でその"手"を打つのは少々浅薄というもの。
定義を与えずに言葉による議論を続けてしまえば、如何様にして「齟齬を解決する」というのですか?
根底に跨る「相互の勘違い」なり何なりを解決する可能性を自ら閉じることとなり兼ねません。
ここはやはり貴殿が口にされておられる「正義」「秩序」「法」に関する「定義」をはっきりして頂かねば。
違いますか?

>Vistさんは「法は悪法にあらず」「法は法だ」というわけですか?
その通りです。

>しかし、ファリス信者はそうではありませんよね?
その十巴一絡な解釈はいけませんね。

>ごく簡単に言えば、暗黒神ファラリスの自由は「何でも好き勝手やる事」、
>ファリスの自由は「暴君から解放されてる事」ですよ(ね)。
さて、どうなのでしょう?

「辞書の正義の記述が、数多くある正義に関する議論の内の一部にすぎない」のと同様、
「ファリス的自由」、「ファラリス的自由」に関する如何なる推定もまた数ある捉え方の一面に過ぎないのではないでしょうか。
前述の私の発言自体、もっともglobalであろうかと"予想される"定義について述べたに過ぎませんからね。

>ファリス信者にとって法と正義は切っても切れない関係です。
"法"の峻別とは即ち"正義"に則したものであり、
"正義"の前提とは"道義"であり、"道義"とは一種の"法"である。
この螺旋構造については一見ご理解頂けているようなのですが、
oct氏への返信を拝見させて頂いた限り詰めが甘くいらっしゃる。

如何なる前提も持たず、唯この構造のみを見つめた場合、
そこに自発的な道徳観念は生成され得ますか?

>何が正義か
正義が一面的である必然性があるのでしょうか?
個人の観念に則した道義に叶う自発的正当性、それこそが正義でしょう。
当然ながら、個人により異なっていたところで何ら問題はありますまい。
これは、ファーズ、オラン、ドレックノール、ファンドリアといった国の民が
其々の異なる法の下、等しく生を得ていることと何ら変わりません。

上記のような、「法により構成される道徳のみに限る」のであれば話は異なって参りますが、
生憎とそのような意図を貴殿の文章から察することは叶いませんでした。

>ファリス信者は限定された秩序(「ボクらの世界」の)のみを認める
"Ugly Duckling Theorem"を御存知ですか?
既知の上であればこれ以上申し上げることは御座いません。
2003年07月23日:07時31分46秒
それは支配から自由であるとは言わない / D.Matsu
神の奇跡のパワーならともかく、信者の理念では拘束出来るのは信者だけだ、ってのが下の主張なんですが。
#一応言っておくと、信者でなくても合理的であると判断すればその間は拘束される人も多いでしょうがね

> 1.支配者がファリス信者達の理念を好き勝手に変更する事ができず、
> 2.ファリス信者達が、支配者はその理念に従うべしと要求し、
> 3.支配者がそれに逆らえないならば、

それは、ファリス教団がその国を支配しているって事になりますね。
#どこが人の支配から自由なんですか?

まぁ、そーゆー事でしたら確かに大差はないでしょう。

> (それに、「自分が領民に専横できるが、自分も主君の横暴の犠牲になる」よりも、「主君に善政を求めて、自分も善政を行う」ほうが賢明でしょう?)

私が言っているのは、叛乱/反抗に正当性を与えるような思想は支配者階級には都合が悪く、そのような思想を支配者層が認める訳がないって事です。
#「正義に反すれば従う必要なし」なんて利用しやすい思想、信者以外に利用されないと本気で思ってるんですか?
2003年07月23日:07時11分49秒
一連のファリスの教義論で感じたこと。 / Dell

フォーセリアの世界でもこんな風に、教義解釈を巡って 人と人とが終わらぬ議論を繰り広げてるんだろうな。
とりあえず「狂信者」NPCのロールプレイの肥やしにさせて貰お。
2003年07月22日:21時56分52秒
ファリス信者の理念によって支配者は拘束されている / サトー

>D.Matsuさん
私は別に、神の奇跡のパワーによって拘束されていると言ってるわけではありません。
ファリス信者の理念によって拘束されている、というわけです。

1.支配者がファリス信者達の理念を好き勝手に変更する事ができず、
2.ファリス信者達が、支配者はその理念に従うべしと要求し、
3.支配者がそれに逆らえないならば、

「法の支配」が実現していると言っていいだろう、ということです。
(※ここでは、ファリス信者の理念=正義=(超国家的な)法。)

もちろん、これらが実現できるかはまた別問題です。でも思想は持ってるというわけですよ。(アノスでは実現してる感じですが。)

ですからD.Matsuさんと私は、この点では大して違わないのでは?


>基本的に、自由である事を唱える思想ってのは支配者階級には都合の悪いものなんです。

ポイントは領主達も被支配者であるということです。ですから、その思想は彼らにとっても有用なのです。(貴族的自由主義と言うらしい。)
(それに、「自分が領民に専横できるが、自分も主君の横暴の犠牲になる」よりも、「主君に善政を求めて、自分も善政を行う」ほうが賢明でしょう?)


2003年07月22日:21時51分05秒
ファリス信者にとって法と正義は切っても切れない関係 / サトー

>辞書に書いてあること
辞書の正義の記述は、数多くある正義に関する議論の内の一部にすぎません。
なかには、「何を正義とするかは人によって違う」とまで言う人がいるくらいです。


>Vistさん
要は、「〜という風にファリス信者は考えているだろう」という文を付けろってことですね。
書くにも読むにも煩わしくなるので、よく省略してます。適当に補って読んでください。

>これは、貴殿が正義・邪悪といった概念と独立定義(形式学上の意味論として)
>している「筈の」法の説明においてこれらの言葉を行使してしまっている点とも繋がります。

Vistさんは「法は悪法にあらず」「法は法だ」というわけですか?しかし、ファリス信者はそうではありませんよね?
ファリス信者にとって法と正義は切っても切れない関係です。

>自由
ごく簡単に言えば、暗黒神ファラリスの自由は「何でも好き勝手やる事」、ファリスの自由は「暴君から解放されてる事」ですよ(ね)。
自由主義の話をしているので、もちろん後者の自由が話題です。
(ファリス信者は「自由」って言葉は使いませんが。)
(あと、自由主義と言っても、さすがに近代自由主義そのものは指していません。)


>ちゃちゃっとさん
>ボクらの世界では「秩序」と呼んでも間違いがないけど、SWでそれは「秩序」とは言わないのさ。

ファリス信者は限定された秩序(「ボクらの世界」の)のみを認める、とするなら私と違いはありません。
2003年07月22日:21時45分19秒
GMは何が正義かを決めなければならない / サトー

>octさん
>支配者の邪悪な命令(悪法)というのは、邪悪な支配者の欲望であって法とはいわないでしょ。

その時点でoctさんは、支配者の欲望で作られた法は、いかに形式が整っていようが法としての正当性を失う(不法である)、と考えています。
つまり法の内容を、何らかの規準によって判定しているのです。

ファリス信者もまた、何らかの判断規準を持っており、それに反するものは不法として服従しないでしょう。
そして、不法によって作られた不正な秩序には、やはり服従しません。
それが「ファリス信者は秩序よりも正義を優先する」ということの内容です。

>人間の間では、どちらも正しいなんてことは良くあることです。

と言っても、octさんがGMなら、何が正義かを決めなきゃなりませんがね・・・。


2003年07月22日:19時12分19秒
re:神の法は全ての人を拘束する / oct
>>正義と秩序どちらをより重視するかは神官の属する分派によって異なる
>>善神達の主張を束ねて彼の秩序を編み出したことをお忘れなく。
  
  というのをはスルー?
  それはそれとして、ですね >>支配者の邪悪な命令(悪法)
  
  というのは、邪悪な支配者の欲望であって法とはいわないでしょ。
 
  冷酷、公正、清廉な慈悲を持たないが、国内に秩序をもたらす王とか、
  自国の発展の為に戦争をする王様を支持するファリス信者はありふれ
  てるわけですよ。
  人間の間では、どちらも正しいなんてことは良くあることです。
  そこで、そういうときに、従う方針の違いによって分派が分かれるわけですな
  
2003年07月19日:04時24分36秒
長文乱文失礼 / Vist
>サトー氏
正義の定義を加えるならば〜・・・と同じノリは先駆者に失礼でしょうか。
因みに国語辞書より引用です。

「他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること」
要するに
「適切な対象に適切と*判断される*処置を施すこと」 という定義ですね。

この判断を行うか否かにファリスとファラリスの違いが存在する、のかもしれません。
さて、こうした判断基準に道義、秩序と呼ばれる観念を結びつけるのは人です。
逆に秩序に対して道徳観念全般を関連させようとするのもまた人です。
更には、ファラリスの提唱する自由・混沌思想に本能で従うのも人。論理で従うのもまた人。
欲望と限りない自由を結びつけたがるのもまたまた人だったり致します。

これらの通念は、本当に神が与えたもうた物なのでしょうか?
彼ら神は「何と仰っているか?」

小説から得られる情報に頼る限り、神は唯このような言葉のみを発するようです。
即ち
ファリス曰く「汝の為すべきところを為せ」
ファラリス曰く「汝の欲するところを為せ」
実に曖昧ですね。しかも、大極的には同じ事を言っていたり・・・・
しかし、ここで先に書いたような人間の価値観が割り込みます。

「為すべきことを為す」=秩序、「欲することを為す」=自由といった具合ですね。
それに人間の寿命の短さやら集団思想、救いへの渇望などが噛み合って、
「秩序」を基調とする体制が組み立てられるわけです。
神の意思とは無関係に(まあ、神はわざわざ体制を否定するような真似は致しませんが)。
この辺りの社会学は苦手なのでパスさせて頂きますが・・・・
詰る所、確かに「神の定義(法)は人を縛り」ますが、「神が人を縛っている」わけではないんですね、これが。
そもそも、如何なる神も人を縛りはしません。
彼らは概念、通念、定義であって、それを評価し縛られるのは飽くまでも人なのですから。
そして、この辺りについてはちゃちゃっとさんが既に述べておられますので簡潔に参りますが、
言ってしまえば概念なんぞひっくり返せば皆同じ、なのですよ。
これは解説を言葉に頼る限り逃れようのない矛盾点です。
自らの目が絶対視点でなく実は相対的にしか物事を捉えていないのだという事、認識されましたか?

おまけですが
>聖王ファーズは別に涙なんか飲んでませんケドね。
さて?以外と法と秩序と正義の板ばさみで毎晩枕を濡らしているのかも知れませんよ。
これは個人の人格の問題です。混同視はいけませんね。

>なお、権力を法によって拘束するのは、人民の自由を実現するのに非常に重要な要素です。
ファラリスの与える自由とは、哲学的見地から言うところの「内なる必然から自発的に行為すること」に当ると個人的には捉えております。 貴殿の定義ではこれは「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている状態」となっておられるようで、此処に全体的な対立構図の一端が垣間見えているように慮られます。如何でしょうか?

貴殿の説明は一つの学問という範疇においては矛盾なく定義される規範の形態を取っておられるようですが、
世の定理は貴殿の学ばれた世界の外にも存在するのです。

これは、貴殿が正義・邪悪といった概念と独立定義(形式学上の意味論として)
している「筈の」法の説明においてこれらの言葉を行使してしまっている点とも繋がります。

自己矛盾は本当に見つかりませんか?御一考下さい。
2003年07月18日:13時28分40秒
法とか秩序とかについて〜♪ / ちゃちゃっと
ファリス信者は自由主義者なんだよ〜。
だからファリスの法に対しても自由なんだよ〜。
自由だから従わな〜い。
そして不自由な自由の神であるファラリスは正義なんだよ〜。
だって「神は正義」なんだから〜。

ファラリスの信徒は神の教えに従って生きている〜。
神の支配から抜け出せない哀れな信者〜。
反抗すら起こせないファラリス信者〜。
窮屈な毎日を送っている〜。


そしてまじめな話しをすると〜。
ファリスは正義を重んじていない〜。
ファリスは秩序を重んじている〜。
だけどこれにも大前提があったりして〜。
「全てのものが幸せな状態」が付いてくる〜。
だからどんなに治安が良くても「幸せでない」ならそれはファリスの求める秩序じゃないんだよ〜。

詳しく書いてみるならば〜。
「社会の諸要素が相互に一定の関係・規則によって結びつき、調和を保って『皆が幸福で』いる状態。」
って事なんだよ〜。
ちなみに「皆が幸福で」以外は辞書からのコピペだったり〜。

そしてこういう状態であることがファリスは「正義」と言っている〜。
そして正義って言うのは〜。
「正しい道義。人が従うべき正しい道理。 」
のことを指すんだよ〜。
正義があって物があるんじゃないんだよ〜。
物の道理を指差して人は正義と言うんだよ〜。

だから正義を秩序より重んじるのはこの場合可笑しいんだよ〜。

まずはファリスの定めし秩序あり〜。
ファリスは秩序を指差し正義と言う〜。

言葉の意味も理解せず〜。
文章にこめられた想いも読めない愚かな聖騎士気取りのそこの方〜。
あなたの手に持つその経典〜。
今一度紐解き読んでみよう〜♪


でもさ、自分で言っておいてなんだけどさ。
秩序<正義でも、正義<秩序でもなく「秩序=正義」なんだと思うんよ。
それなのに秩序より正義が上とか論争していて馬っ鹿みたい!(笑)

ちなみにボクらの世界の秩序とSWの世界の秩序はイコールじゃないからねー。
ボクらの世界の秩序≠SWの世界の秩序=ファリスの求めるものなんだよ。
だから「悪法でも治安が維持されていれば〜」って言うのはボクらの世界では「秩序」と呼んでも間違いがないけど、
SWでそれは「秩序」とは言わないのさ。

2003年07月17日:21時01分41秒
小説『ソード・ワールド短編集 冒険の夜に翔べ!』発売 / sf

 小説『ソード・ワールド短編集 冒険の夜に翔べ!』が発売されています。気軽な感想などには書誌情報のページにある一行掲示板もご活用くださいませ。


2003年07月17日:12時31分30秒
茶々:法の支配について / 是通
 ども、是通です。暑いので茶々だけ。
 
>「法の支配」とは、権力者すら拘束する法(神の掟、憲法、etc.)があることを意味します。
>つまりファリスの法は、全ての人を強力に拘束し、王侯貴族であっても逆らう事は許されません。
 
 いかーん、そんなこっちゃイカーン!!
 それでは、「血筋や、先祖の威光を笠に着るボケ貴族」やら、「自分に有利な法を制定し、私服を肥やす小悪党の役人」が出せないではないか!
 
 んーまぁ、そんだけ(w。
 どぞ、お続けください。
2003年07月17日:11時02分45秒
【神の法】それは神ごとに存在する / D.Matsu
つまり、ファリスの法が拘束できるのはファリスの信者だけです。
決して全ての人ではありません。
#国教がファラリスであるファンドリアやマーモ帝国はどうなる?

ついでに言うなら、B・Dさんも言っている通り神の正義(法)とは明確には定義されていません。
#正確には、定義されているかもしれないがそれを提示する方法が存在しない

故に、神の示す曖昧な啓示を元に人が作ったものが神の法なのです。
#教義と言った方がいいような気もしますが、その教団内では法に違いない訳で

そして、その法によって権力を拘束するという事は、人が作った法によって権力を支配する、即ち人が人を支配しているという事です。
#尤も、国家権力より宗教権力の方が上位でなければ成立しえない話であり、そうそうある事ではないでしょうが

> 村一つ支配する程度の小領主(支配者階級の大半)は、ファリスの法を根拠にして国王や大貴族の専制横暴に対抗できるのです。

同じ理屈で領民が反抗したらどうなるかという事まで想像が及ばないのであれば、その領主は相当な無能ですね。
#言葉や思想は使うだけならタダであり、信仰など不要だという事はお忘れなく

基本的に、自由である事を唱える思想ってのは支配者階級には都合の悪いものなんです。
2003年07月17日:00時38分56秒
神の法は全ての人を拘束する / サトー

「法の支配」について
「法の支配」とは、権力者すら拘束する法(神の掟、憲法、etc.)があることを意味します。
つまりファリスの法は、全ての人を強力に拘束し、王侯貴族であっても逆らう事は許されません。

なお、権力を法によって拘束するのは、人民の自由を実現するのに非常に重要な要素です。
(よって、法による拘束を否定する暗黒神ファラリスの信者達は、自由な社会を作ることができません。)

D.Matsuさん
>支配者階級の人間が熱心な信者であるという事実が説明つかない

村一つ支配する程度の小領主(支配者階級の大半)は、ファリスの法を根拠にして国王や大貴族の専制横暴に対抗できるのです。

B・Dさん
>あくまで秩序とは手段です。目的は人の発展、か幸福か、まあそんなところでしょう。

そう!そのB・Dさんの言う「目的」こそが、統治・社会の内容を評価する規準(すなわち正義)なのです!
(その具体的内容は前にも言った通り「X」でして、B・Dさんは「X」に「発展・幸福」を入れてるわけです。)

>あくまで、秩序を壊すのは最後の最後の最後、どうしても現行の秩序によっては世の中が良い方向に向かない時に涙をのんで行うものだと思います。

聖王ファーズは別に涙なんか飲んでませんケドね。
あと、暴力が最終手段なのは確かです。が、最終手段以外に不正な権力者と対決する方法はなかなかありません。

octさん

正義に反する(邪悪な)支配者に服従し、その支配者の邪悪な命令(悪法)に従い、邪悪な行為をする、
・・・という事を支持するファリス信者が居るということですか?


2003年07月14日:05時36分39秒
【ファリスの正義】支配の否定は秩序の否定に繋がる / D.Matsu
>R&Fさん
%TITLE%で言いたい事は殆ど言ってしまってるような気もしますが、ちょいと補足を。

人が人を支配する、という形態は秩序を構築する為の有意な手段の一つですので、
この形において正義が実現している限り、ファリスはその支配を否定はしないでしょう。
この状況下で人の支配から自由であるという事は、その支配体制が構築している秩序を
否定する
事に繋がります。

ファリスの御心に従うという事は、正義が実現している限りは現在の秩序を可能な限り
守らなければならない
訳で、支配から自由であるというのはこれとは矛盾します。
で、ここでSWルール内の記述を持ち出すのもなんですが、最終的に人の支配から自由
であるとするなら、支配者階級の人間が熱心な信者であるという事実が説明つかない
訳で……

あと、これは余談なんですが。
神の御心以外に従う必要はない、という事と神の御心からも自由であれ、という両者の間に、
他者から見た有意な差って存在しますか?
他者から見れば「やりたいようにやっている」ようにしか見えないのはどちらも同じだと思うんですが…
#「実は神の御心には適っている」とこまで同じだったりするから始末に悪い

確か新ロードス(小説)のどこかに「己の欲するところに従いて範を越えず」がファラリスの
究極的な目標であるという記述があったと記憶しているのですが、こうなるとますます有意な差が
見えなくなってしまいますよね。
2003年07月14日:00時41分00秒
【ファリスの正義】茶々入れみたいですが・・・ / R&F
久しぶりに来てみたのですが、この話題はずいぶんホットですね。

>D.Matsuさん
 私の考え方は、D.Matsuさんとほとんど重なるのですが、一点だけ。
>突き詰めればファリス信者はあらゆる人の支配から自由であるワケ。
 このサトーさんの書き込みは、「人」の支配というところに力点を置いて読むべきでしょう。
 つまり、「人」の支配からは自由だが、ファリスの教えには束縛されるということと思います。
 全ての束縛からの自由をうたうファラリスの教えとはやはり違うのではないでしょうか。

>octさん
 面白くて、うなずかされる考え方ですね。
 チャ・ザを例にとった説明は、全くこれまで考えたこともありませんでした。
 あとは、究極的なところ、つまり秩序と正義が相対するような場面で、どちらが優先するかということでしょうか。
2003年07月13日:23時49分32秒
【ファリスの正義】秩序よりも正義? / B・D
秩序か正義か、と言うのであれば、基本的にファリス信者は秩序を取るでしょう。
正確には、秩序=正義となる様に努力するのでしょう。
しかし、秩序とは何のための秩序か?と言う疑問を忘れてはいけません。
あくまで秩序とは手段です。目的は人の発展、か幸福か、まあそんなところでしょう。
ファリスが悪法を認めない理由、規制国家を認めない理由は、それが最終的に人の幸福・発展に結びつかないから なのだと思います。
悪の秩序も同じ理由で認めるわけには行かないでしょう。
サトーさんと私の違いは秩序の意味の違いでなく、ファリスが最終的に何を求めているかと言う事に対する捕らえ方の違いでしょう。
故に、ファリス信者も条件付で
>法の支配(rule of law)、権力の分散、権力への抵抗
を行うと思います。 しかし、だからといって自由主義者ではないのです。
あくまで、秩序を壊すのは最後の最後の最後、どうしても現行の秩序によっては世の中が良い方向に向かない時に涙をのんで行うものだと思います。

で。最後に

>>サトーさんのおっしゃってる事は、やはり「信者個人の教義に照らし合わせた価値判断」であると思うのですけど……
>いいえ違います。信者個人ではありません。神です。神が示す規準です。
神は明確な基準を示しません。ディビネーションを使っても抽象的にしか道を示しません。
よって、教義を見て最終的には個人が定めるしかないと思われますが?
2003年07月13日:23時29分05秒
ファリスの秩序 / oct
  ファリスが正義か秩序かどちらを重視しているか、なんて事は、わかりようがないの
  ですよね。SWのスタイルなのでしょうが、神の行いを示す「神話」はほとんどなく
  僕である神官の行いしか描かれていませんから。
  信徒である神官の行動からファリスの全体像って把握できるわけが無いんですよ。信
  徒たちが重視するのは彼等が信仰したい神の側面ですから。
  チャ・ザを例にすると。解り易いかと思いますが、商売の神として信仰する神官と、
  幸運の神として信仰する神官、別の神格に使えているかのようです。しかしながら、
  チャ・ザ神官としての徳はどちらが上でも下でもありません、ただ信仰する側面が異
  なるにすぎないのです。

  てっことで、正義と秩序どちらをより重視するかは神官の属する分派によって異なる
  と思いますよ。
  それと、ファリス本人が正義を重視しているかははっきり言ってわかりません。解り
  ませんが、彼は世界を定める秩序を決めるにあたって、光の神々と呼ばれるように
  なった善神達の主張を束ねて彼の秩序を編み出したことをお忘れなく。
2003年07月13日:17時52分54秒
【ファリスの正義】 / D.Matsu
>秩序か正義か
普通はどちらも重視するでしょう。
いくら(自分の信ずる)正義に反するからといって、いきなり秩序ごと壊してしまうのではテロリストと大差ない訳で、
ファリスの信者としてはかなり問題ありだと思いますが。
秩序より正義を優先する、というのは正義の実現の為なら秩序を軽視してよいという事ではありませんので。
他に手段が存在しない場合は除きますが、この時は成功すれば革命、失敗すれば反逆と呼ばれる訳ですね

なお、極めてレアケースではあるでしょうが、どちらかを取らねばならないという状況になったとすれば、選ぶのは正義でしょうね。
#秩序は最終的には正義の実現の為の手段に過ぎない訳で

> 突き詰めればファリス信者はあらゆる人の支配から自由であるワケ。

これはどう考えても宿敵であるファラリス様の教義だと思うんですが……
2003年07月13日:13時52分44秒
ファリス信者は秩序よりも正義を優先する & ファリス信者は自由主義者 / サトー

>秩序か正義か
清松さんの回答を根拠に「ファリス信者は秩序を第一としてる」とするならば、まずおりふさんを論破する必要があるでしょう。

>国際秩序に関して
強力な軍事力と経済力のある大国がある方が、国際秩序の維持には圧倒的に有利です。
たまに逆らった小国が滅ぶとしても、戦争状態はごく短期間で終わりますし。
最も強力で安定した国家を消滅させる必要性は何処にもありません。

>B・Dさん
B・Dさんの発言には「悪の秩序は秩序ではない」という前提があると見ました。
言い換えれば、「『秩序』とは、正義に適った社会状態(端的に言えば善政)である」としていると見られます。

そうであれば、いかに社会体制が磐石で、法システムが上手く機能し、治安維持が優秀でも、
内容が悪ければ「無秩序」とみなされるということになります。

しかし、たとえ邪神へ生贄をやっていても(あるいは圧制や、搾取や、迫害などを行っていても)、
社会体制が磐石で、法システムが上手く機能し、治安維持が優秀なら、それは無秩序と言いません。

とは言えB・Dさんと私は、ファリス信者は限定された秩序(B・Dさんならば社会状態)のみを認めるという、立場に違いはありません。
違いは「秩序」という言葉の使い方の違いだけでしょう。

さて、
 >サトーさんのおっしゃってる事は、やはり「信者個人の教義に照らし合わせた価値判断」であると思うのですけど……
いいえ違います。信者個人ではありません。神です。神が示す規準です。

 >そして、普通は秩序を軽んじるような人間はファリス信者にはなりませんし、ファリスの加護も受けられないわけで。
「秩序」の意味が「善政」ならそれでいいでしょう。


>是通さん
「ファリス信者は考え方が非常に柔軟である」に関してまとめると、
スナイブが世俗の法や教義を破った理由となる規準を、より一般化すると「杓子定規では正義は守れない」となります。

もちろんこれは、全てのファリス信者が心得て、かつ守らなければならないことでしょう(正義の実現を第一とするならば)。

また、何よりも神に従うべしというのは、人から悪を命じられたらそれに従う事は許されないということを示しているのです。
なぜなら、神は正義だからです。突き詰めればファリス信者はあらゆる人の支配から自由であるワケ。

ついでに言うなら、ファリス信者は自由主義者ですとも。
法の支配(rule of law)権力の分散権力への抵抗、と揃ってますので。


2003年07月12日:23時08分57秒
【ファリスの教義】王国の法とファリスの法 / おりふ
>B・D様
>ファリス神官に法を破られたりしたら、法の成り立ちそのものを見直してみる訳で。
 
 法を破るのが「信者」と「神官」でも、話が違ってくるかもしれません。
 特にファリスの法と王国の法が矛盾する(「邪悪は殺して良し」「人を殺めてはならない」)場合、どちらを優先させるかは立場によって異なると思います。
 信者はファリスの教えが「邪悪は殺して良し」というもの(?)であったとしても、通常は人殺しはできないでしょうし、逆に神官は王国の法を気にしない(気にしなくて良い)でしょうから。
 それがファリスの法と矛盾する(神官が破る)からといって、「人を殺めてはならない」という法が間違っている訳ではありませんし、神殿も「その法は間違っているから撤回しろ」とは言わないと思います。
 
 それでも、スナイブはジェルを殺す上で(周囲を納得されられるだけの)明確な証拠を入手していた訳ではありませんでしたし、新リプレイでも、闇司祭であるという推察と、センスイービルの反応だけで、相手に剣を向けた筋肉ファリス神官がいました。
 こういった、王国の法とファリスの法の「仕方の無い矛盾」というのは容認されても良いと思います。
 ファリス「信者」までが破るような法であれば、さすがに法の成り立ちを見直すべきかも知れませんが。
 
>そうやって「より良き法」を作り出す事で秩序を保つ事がファリス神官の仕事の一つである、という辺りかな。
 
 王権と神権は独立していますから、ファリス神官が立法に関与する事は難しいと思います。
 この場合、
 より良き法を作り出す「手助けをするために信者を啓蒙する」事で秩序を保つ事がファリス神官の仕事の一つである
 といったところではないでしょうか。
 幸い、支配者階級の人間は熱心な信者らしいですから。
 
 
>是通様
>B・D様
 
 革命に関するファリスの考え方については、清松氏のHPにあるQ&A補完内に、
 
 エルベクの場合、打倒されたエルベク王朝の施政のしかたが、法と秩序をないがしろにしていたものと考えられます。「悪法もまた法」は、おそらくはファリス自身は認めない考えかたです。
 
 という、答えがあります。参考までに。
2003年07月12日:23時05分29秒
「冷静」と「冷酷」は別です(笑) / おりふ
>是通様
>おりふさん御自身は冷静な書き込みをされている、とお思いでしょうが、傍から見ると文体の刺々しさが気になってきました。
 
 気のせいです。……とか言っちゃ駄目ですか?(笑)
 いや、既にもう(サトー様に対して)冷静な対応をしてやるつもりは無いんです。(利用規定は熟知しています)
 まあ、後はよほどの事が無い限り、元通り無視を決め込みます。(デザイナーが間違ってるとか、ルールが意味無いとか言わなければ)
 
>シン様
>要約すると (中略) ってことですかね、これはいかがなものかと思いますよ。
 
 私の本音はもう少し苛烈・凶悪ですが、それを示すつもりはありません。(書込不可なので)
 文章の受け取り方は各人に委ねるしかありませんが、今回はあくまで注意の喚起が目的なので、変換無しで額面通り受け取って下さい。
 というか、勝手に要約されて「いかがなものか」と言われても、「私の真意はそうでは無い」としか言えません(苦笑)。
 (意訳という意味では、読み方によってはサトー様の書き込みは「私に対する侮辱」に読めますし、気にするとキリが無いですよ)
 
 とりあえず、この件はフォーセリアの話でもゲームの話でもないので、これぐらいにしておきましょう。
2003年07月12日:22時32分43秒
フォーセリア研究室 LOG 034,035,036,037 / sf

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