TRPG総合研究室 LOG 091

TRPG総合研究室の2002年02月22日から2002年02月27日までのログです。


2002年02月27日:12時45分27秒
【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽさと真にゲームであること / トモス
(myrtさんの【制御層とゲーム分析】ゲームっぽさと真にゲームであること,2002年02月26日:17時49分56秒へのレスです。)

myrtさんの書いていることはわかる部分とわからない部分があるのですが、どうやら僕の書いていることについてはわかってもらえているようです。そこで、もう少し続きを書いてみます。「この辺りのことをmyrtさんも言っているようだけれども、自分の意見とどう違うのかがよくわからない」、という状況なので。

僕は「デザインの悪いゲーム」と「ゲームとして成立していない遊び」の2つを区別できるように思います。

デザインが悪いゲームというのは、非常に乱暴な一般論ですが、いろいろある「可能な手」の内、どれをとっても同じような展開や結末にしか至らないようなゲームです。何をやっても勝利条件を達成できてしまうようなゲームが、例えばそれにあたります。これはゲーム核のネットワーク構造上の特性として考えたらある程度わかりやすいと思います。(あるいはゲーム理論の樹形図でも。)どちらに進んでも、結局のところ特定の点に辿り着くようになっていて、戦略によって成功・失敗の差がつかないとしたらそれはデザインの悪いゲームです。「ゲームバランスが悪い」(簡単過ぎる、または難し過ぎる)という言い方がされる時にはこれが問題になっていると言えます。
もちろん、非常に慎重に手を選ばないと一貫の終わり、という難易度の高いゲームが好きな人もいます。
また、人によっては、あるいはゲームによっては、最適の手が明らかであるために、その手以外を選んだらゲームの目的を達成できないという構造になっていたとしても実際には非常にやさしいゲームとしてプレイされる場合も考えられます。
そういう意味で、非常に荒っぽい一般論ですが、一応、ゲームが面白いのは、このようにどの手を選ぶかによって先の展開や、結末が違ってくるからだ、と言えます。


これに対して、「ゲームとして成立し損ねている遊び」は、先の投稿に書いた通り、別ゲームへの移行が起こることでプレイヤーの工夫・戦略が無効にされてしまうような場合です。

効果としては確かに似ていて、どちらも「工夫のしがい、戦略の立てがいがない」という点で共通しています。ですが、ゲーム性を重視する人にとって厄介なのは、TRPGが他のゲームと比べて問題なのはそれがゲームとしてとりわけ出来が悪いからではなくて、ゲームとして成立し損ねることがあるからだと思います。
また、「悪いゲームだけれども、きちんとゲームであるプレイ」と、「ゲームとして厳密には成立していないが、ゲームっぽさが感じられるプレイ」があった場合には前者を選ぶのが「ゲーム性重視」のプレイだというのは、僕の思い込みでしょうか。自分でもここは迷う点ではあるのですが。

どうしてそういうことを考えるかと言うと、「ゲームっぽさ」がある場合でも、それが本当に見せかけだけというか、思い込みのレベルでしかない場合というのが多いような気がするからです。

「別ゲームへの移行」が発生しても追加設定の仕方についてある種の原則が守られていればそれでゲームらしい何かとして遊べる、という点についてはどうやら同意して頂けたみたいですが、もう少し掘り下げると、それが本当にゲームとして成立しているのかどうか、いろいろ問題を感じる点が出てくるようにも思います。
主な問題点として、1)どのような原則を採用するかについて事前協議がない。2)追加設定がどのように行われそれがゲームをどのように変動させたかについて必ずしもプレイ後に質疑応答がない。3)原則レベルで(独立性と中立性を採用するなどと)合意がある場合でも、具体的な追加設定について、それらの原則を適用するとどのような設定内容が正当化されるかについて、合意が得られない場合がある。
などが思い浮かびます。

もちろん、僕は「ゲーム性重視」のプレイについてはかなり見聞が狭いのであるいは見当違いかも知れませんが。もし実際に遊ばれている「ゲーム性重視」のプレイがこのような形でプレイされているとしたら、「現にゲーム性重視と称するTRPGのプレイはほとんどはゲームっぽい感じを楽しんでいるだけであって、実際にはゲームをプレイしているわけではない」というような批判がどうしてないのだろうか、とすら感じます。

実際にはそういう風にプレイされていなかったり、まだうまく言葉になっていない何かの要因によって「ゲームっぽい感じ」よりももう少し確かなゲーム性のようなものが保証されているのではないかと思うのですが。
2002年02月27日:11時38分43秒
【実装とゲーム分析】Re:質問:『何が』同じゲームでしょう? / トモス
tomyさんへ。
>>正直に申しますと、ここで言われている「同じゲームをしている」という言葉が何を指しているのか、解釈に困っていました。<<
「「何が」同じゲーム」なのかという点ですが、ルールや名前やメンツやプレイの場所でないことはわかると思います。

これまでのところ、「何が同じゲームか」は固定されておらず、むしろ逆に、何が同じゲームについて語ったらあれこれの考えがうまく整理できるだろうか、という摸索を続けてきました。
そして、ここでうまく整理したい考えというのは、TRPGのゲーム性です。

当面の議論で「同じゲーム」にこだわっている理由の内、一番重要なものは、先日の投稿*1 で指摘した通り、「TRPGではプレイ中にゲームが別の切り替わってしまい、そのためにゲームとして成立しない場合がある」ということだと思います。TRPGをゲームとして成立させるための工夫や、TRPGがどのような意味でゲームとして成立しているのかを考えているので。

他のゲームについても、例えば駒と盤を使った将棋は、コンピュータの将棋と「同じゲーム」なのか、とか、グラウンドの広さが違うサッカーは同じサッカーなのか、とか、 体格が違う選手が同じボクシングをプレイした場合、それは同じゲームなのか、などなどの疑問が考えられます。これまでのところ、「ゲームにまつわるある種の部分は非常に重要でそこを変更したら別のゲームになってしまうが、逆に状況判断によって柔軟に運用・変更してよい部分などもある」という考え方を採用しています。TRPGでゲーム中に追加設定などが行われた場合も、その前後でゲームが違っている場合もあるし、そうでない場合もあるだろう、という風に考えています。追加設定の影響がゲームの重要な部分に及ぶならそれは別ゲーム、そうでなければ同じゲーム、と。

もうひとつ、これと密接に関連した問題として、TRPGであれ他のゲームであれ、どういうルールを採用するかについて細かなところで事前に合意がとれていないことがあります。TRPGで言えばPCのどのような行動を認め、どのような行動を禁止するのか、PCの特定の行動についてどういう判定方法を採用するのかなどについて意見の統一がとれていない場合がそれにあたります。意見の不一致があるということは、「こんなゲームをプレイするなんて自分は聞いてないし、合意した覚えもない。そうと分かっていたら初めからもっと違う手を打っていたのに」という形でTRPGのゲーム性を損なう可能性があるかも知れません。(これはまだ議論が展開されていませんが。)もちろん、ゲームの重要な部分について意見の不一致が明らかになり、それをプレイ中に調整・解消した場合の話で、事前の調整や些細な部分についての調整であれば他のゲームでも起こるし、それをいちいち問題にすることもないと思うのですが。

以上の2つの「TRPGのゲーム性が損なわれる原因」、プレイ中に追加設定が行われることと、意見調整が行われること、は他のゲームと比べてTRPGに多く見られるものだという感じがします。そこにTRPGの独自性があるのではないか、ひいては、TRPGはゲームとしてはかなり特異なもので、それ故に他のゲームのようにいわゆるゲーム性を重視した遊び方をすることにも独特の困難がつきまとっているのではないか。そうした「TRPGの独自性」をめぐる議論が、一連の議論のより大きな文脈と考えるとわかりやすいのではないかと思います。
ところで、上に書いたように「重要な部分」をそうでない部分と区別するという形で話をしているのですが、その基準というか方法がこれまで、2つ提案されています。ひとつは「ゲーム核」と呼ばれ、もうひとつは「制御層」と呼ばれています。それぞれの概念の定義については、過去にそれなりの定義をやったのでまずはそれを紹介させて頂きます。*2 tomyさんの考えていることとどのくらいうまくつながるかはわからないのですが、そこを含めてもう一度質問してもらえると比較的うまく行きやすいと思うのですがどうでしょうか。

以上手短ですが、不可解な点などありましたら指摘をお願いします。

*1 【制御層とゲーム分析】別ゲームへの移行、独立性と中立性の原則、擬似ゲーム,トモス,2002年02月26日:11時44分08秒,TRPGLABO LOG 091(予想、投稿時点では未収録)

*2 ゲーム核と制御層についてですが、 ゲーム核については、以下の投稿に説明があります。重複が多いのでどれであれ2つほど読めばそれで十分な気もしますが、一応4本挙げておきます。
a)【実装とゲーム分析】ゲーム核と実装、局面の無限性, トモス, 2002年01月27日:13時31分38秒, TRPGLABO LOG 087
及びそれに先立つPurpleさんとのやりとり。
b)【実装とゲーム分析】ゲーム核の定義トモス, 2002年01月25日:03時20分49秒, TRPGLABO LOG 087
c)【比較ゲーム分析】ゲーム核と実装の区別:インターフェース問題, トモス,.2001年12月23日:15時53分46秒, TRPGLABO LOG 081
の後半部分。
d)【実装とゲーム分析】中間まとめ(1):TRPGと将棋の比較分析,トモス, 2002年02月01日:20時09分48秒 ,簡易長文投稿
の「6.解決案2:ゲーム核の定義」の部分

また、制御層については、以下の2つが参考になるかと思います。
e)【制御層とゲーム分析】「制御層」の定義,トモス, 2002年02月14日:16時45分25秒, TRPGLABO LOG 089
f)【実装とゲーム分析】中間まとめ(2):TRPGとスポーツの比較分析トモス, 2002年02月03日:15時21分46秒, 簡易長文投稿
中の「9.回答案1:制御層の完結性」の部分。
2002年02月26日:22時23分05秒
【実装とゲーム分析】質問:『何が』同じゲームでしょう? / tomy
 これは、「2002年02月24日:14時26分57秒【実装とゲーム分析】Re:スポーツとGMにおけるgame / トモス」への回答及び質問です。
 
>以前の投稿*1 で述べたように、基本的な問題は次のようなものだと思います:
>1)スポーツについて、違うプレイヤーが「同じゲームをしている」と言えるのはどんな時か、(特に体格が違っていてもいいのかどうか)
>2)それを他のゲームで「同じゲームをしている」と考える場合の判断基準とどうすり合わせるか
 
 正直に申しますと、ここで言われている「同じゲームをしている」という言葉が何を指しているのか、解釈に困っていました。全ての要素が完全に同一のgameなどあり得ませんし、あったとしても同じ事の繰り返しですからgameとしての意味はありません。「○○が同じゲーム」の○○が略されているのだろうと推測しましたが、○○に該当する何かを見つける事は出来ませんでした。それに、もし○○が何かわかれば、1)や2)の問題は既に解決しているような気もします。
 
 「2002年02月26日:11時41分42秒【制御層とゲーム分析】制御層を小さくとるTRPGの場合 / トモス」を読んで、なんとなく何を言いたいのかはわかったような気がします(誤解しているかもしれませんが)。プレイヤーが勝敗や結果に対して自分の選んだ戦術を評価するための基準のような何か、なのでしょうか? ここが間違っているなら、これ以降の回答も意味が無くなってしまいますので、この時点で確認をさせていただきます。
 
 また、別件ですが、トレーニングと試合の関係について、訂正をば。
 
>トレーニングの段階がゲームになっている、という点は賛成です。それをメインゲーム、試合をその内に含まれるサブゲームと考えるという考え方もです。
 
 subgameと書いた私が悪いのですが、トレーニングの段階をメインゲームと呼ぶのは私の意図からは外れています。私の意図としては、試合も、トレーニングも、スポーツというgameを構成する一部でありながら、独立したgameとしての要素も持っている、部分game、もしくはgame内gameであり、一方を主でもう一方を従とするつもりはありませんでした。つい、subgameなどと書いて誤解を招いてしまい、申し訳ありません。
 以後は『部分game』などと書くようにします。
2002年02月26日:17時49分56秒
【制御層とゲーム分析】ゲームっぽさと真にゲームであること / myrt
 ちょっと思いついたので追記します。

 つまり、「まるであらかじめ完全に設定されていたように見え、インチキが なかったかどうか」と「挑戦しがいがある(戦略のたてがいがある)かどうか」と いう2つの別の問題であるのではないかと思います。

 ゲームにとって重要なのは前者 だが、(人間の、遊戯のための)プレイにとって重要なのは 後者であり、そのとき前者は後者を実現するための一つの手段にすぎないと いうことでは。

 ならば、ゲームであるためにはどうすれば良いかの問題はすでに解決し、実際に ゲームをプレイに役立てるためにはどう利用すべきかの問題に移っているのだと 言えるかもしれません。
2002年02月26日:17時38分02秒
【制御層とゲーム分析】ゲームなのにゲームっぽくないもの / myrt
(Re:【制御層とゲーム分析】別ゲームへの移行、独立性と中立性の原則、 擬似ゲーム / トモスさん)

>>一般的に、「ゲーム性を重視する」ようなプレイであっても、ここでこれ まで議論してきたような形でのかなり厳密なゲーム性が成り立っていること は稀で、大抵は他の方法によって「ゲームっぽさ」を確保している、 という議論を立ててみます。<<

 逆にゲームの移行が発生しないのに、「ゲームっぽさ」の確保に失敗する 場合について考えてみます。ここでは設定が決まっているのだが、プレーヤーにとって未知である場合について考えてみます。ここで未知とは、 通常の乱数と違いとりうる範囲すら未知であるとします。

 まず完成しているボードゲームについて初心者が学ぶ際に、一部のルール しか知らされないままとりあえずプレイすることを考えます。

 このときの初心者のプレイはそのゲームのプレイであると同時に、 ルールが一部しかわからないのに戦略を選ばねばならない理不尽なゲー ム(??)のプレイでもあります。どのルールをどの局面で説明す るか、対戦相手がどの程度手加減するかによって初心者のおかれる立場は変わってきます。

 しかし教える側の目的は、初心者を負かすことではなく、 そのゲームのルールと面白さを知ってもらうことです。もし初心者が 徹底的に意地悪されたとしても、ルールを理解してから再 度プレイすることが可能である点がTRPGと異なります。

 次に、消費型ゲームとしてのCRPGについて考えます。CRPGを繰り返し プレイして記録を競う人は小数派であり、大方の人はCRPGを数度し かプレイしません。例えば多段変形するボスに立ち向かう際に、どのよ うな変形をするのかを知っているか否かでは興奮度が異なります。

 ところが未知のボスと対戦するためにどのような戦略を取れば良いの かは、ゲーム理論的には分析できません(だからこその面白さかもしれない)。 極端な場合、そのボス専用の特殊戦闘シス テムの存在さえ考えられますから。結局「そのボスがどんな強さである かことが世界感的にもっともらしいか」を想定してみて、とりあえず 一度チャレンジしてみるしかありません。

 しかしTRPGと異なり、大抵やりなおしが可能です。 ローグライクゲームですら同シナリオで最初からやりなおすことができま す(乱数部分はとりうる範囲が不変)。

 さて、このような未知の部分がどうあるべきかについては主義主張が多様です。 特にシューティングゲームにおける「知らずに直面すればまず死ぬ。直面す るまで知ることはできない」ような要素はよく議論の的になります。

 ...結局「じゃあ何がゲームっぽさを決めるんだ」という結論は出ませんでした。 参考までに。
2002年02月26日:17時36分45秒
【制御層とゲーム分析】Re:制御層を小さくとるTRPGの場合 / myrt
(Re: 2002年02月26日:11時41分42秒【制御層とゲーム分析】制御層 を小さくとるTRPGの場合 / トモスさん)

>> 3)解決案2:事前協議
4)解決案2の問題点:制御層の公開不可能性 <<

 これは、制御層を小さく取ることで解決できます。「依頼、調査、決戦、報 酬の4フェイズでやります」という宣言はすぐできますし、これに納得した プレーヤーは「依頼を断わる」とか「決戦を避けて依頼人をだまして報酬だけ をもらう」ようなプレイをしないことが期待できます。「そういうプレイもある けど今回はやめてね」という宣言として利用できます。

>>5)解決案3:リソースの廃止 もうひとつ考えられる解決案は、GMがどんな変更をしようと、プレイヤーの 戦略に影響を及ぼさないようなゲームをデザイン、プレイすることです。<<

 それを最初に書くつもりで次の話を書いてしまいました。

 例えばダメージを持ち越さないと決めれば、プレーヤーは安心して 死なない程度にダメージを食らう戦略を取ることができます。 マジックアイテム次のフェイズに持ち越さないと決めれば、そのフェイズ をクリアするためだけに安心して使い切れます。

 これをしっかりしていないと、プレーヤーは消費型アイテムをため込 んでみたり、少しでも傷ついたら町に戻りたがったり、過剰なほどに 準備に時間を(ゲーム内でも実時間でも)かけてみたりします。 そうしないと、不利になる「かもしれない」からです。 実際には時間リソースの定義などでさらに縛ることが多いですが、そ れは理不尽感が大きいことがあります。

 しかし実際にこれを徹底しようとするとコトです。リソースを 持ち越されると設定を扱い切れないかもしれないからリソースを 持ち越さないわけですが、どんなプレイ展開でもリソースを持ち越さない で自然であるようにロールプレイすることは困難であり、それができるような GMは持ち越しリソースもうまく処理できるように感じられます。

 そこで、持ち越しリソースを得点というスカラー量に限定する方法が 考えられます。これは公開しても(プレイ中、後のどちらでも)しなくても そこそこのゲーム性を保証できますが、やはりTRPG独特の「序盤の 小細工が意外な効果を表す」ような展開をフォローできません。

 そこで件の話になります。各フェイズにおけるGMの判定は、制御層上 で保証されるリソース以外にも依存するとなれば解決できます(上記の 問題も発生するが)。序盤の小細工宣言を考慮して、GMが決戦フェイズ の判定をするわけです。制御層では「決戦フェイズからは 必ず報酬フェイズか失敗状態に遷移する」ことが決まっているだけで、 プレーヤーのどの宣言をどう判定するかは決まっていません。

 ここではマクロな制御層について考えましたが、実際にはミクロな 制御層がよく用いられていると思います。戦闘ルールです。 どうなったら戦闘に突入するかは決まっていないが、突入した後の 処理は決まっています。他にも「かすり傷だから体力を0.5点減 らそう」とはあまり言わず、定義された制限に納まるように処理するもので す。

 このように多段の制御層を定義し、その間のリンクや判定を いいかげんに処理することはマスタリングの一手法として有効で はないかと考えています。
2002年02月26日:11時44分08秒
【制御層とゲーム分析】別ゲームへの移行、独立性と中立性の原則、擬似ゲーム / トモス
#一連の議論と同じ話題(TRPGのゲーム性)を扱うものですが、独立した投稿です。

0)経緯

一般的に、「ゲーム性を重視する」ようなプレイであっても、ここでこれまで議論してきたような形でのかなり厳密なゲーム性が成り立っていることは稀で、大抵は他の方法によって「ゲームっぽさ」を確保している、という議論を立ててみます。
これに近い議論として参考になるのは以前、TRPGにおける目的(勝利条件)がどのような性質を持っているかを分析した際に使った「ゲームに近い何か」という表現です*1
この投稿では、議論をベースにせずにあくまで独立した投稿として書いてみますが、内容的には近いものになります。

1)要旨

厳密な意味でのゲームではなくて、「擬似ゲーム」としてTRPGが成立する条件があるように思います。擬似ゲームというのは、ゲームっぽい遊びを、ゲームに見立てて遊ぶものです。ゲームごっこ、と言うと語感がよくない気がするので「擬似ゲーム」と呼んでおきますが、そんな類の遊びです。

厳密な意味でのゲームは、ルールが安定していることが要求されますが、TRPGではルールの追加設定がしばしば生じます。
擬似ゲームが成り立つのはGMが追加設定を行う時に、その設定作業がa)プレイヤーの状況から独立であること、 b)プレイヤーに対して中立であること、の2つが満たされた場合です。独立性の原則は、プレイヤーに有利になるか不利になるかに関係なく、「一番もっともらしい設定を行う」という原則です。中立性の原則は、「有利にも不利にもならないように、うまくバランスのとれた設定を導入する」というものです。僕の考えでは、「ゲーム重視」のプレイでは、独立性が中立性に優先することになると思います。独立性の原則だけでは設定内容が絞り込めない場合に、中立性の原則に従う、という形で設定を行うことが望ましいとされるだろうと思います。僕はゲーム重視のプレイにさほど興味を持っているわけでもないので、余り強い断定をする資格はないような気がしますが。

これまでの議論で登場したゲーム分析関連の用語を使って言えば、制御層が変更される(別ゲームへの移行が起こる)場合であっても、上のような原則に従っていればゲームらしさが保てる、というのがこの投稿の論旨です。

以下、「厳密な意味でのゲーム」が何か(第2項)、ゲームが成立しない場合の影響(第3項)、独立性と中立性の原則に従った場合の効果(第4項)という順で書きます。


#第2、3項は制御層と別ゲームへの移行にまつわるこれまでの論点の再構成、第4項がこの投稿の要点です。

2)厳密な意味でのゲーム


「厳密な意味でのゲーム」は、これまでの議論で単に「ゲーム」と呼ばれ、議論されてきたものです。目的(勝利条件)があり、それを達成するために工夫が行われるような活動です。
ここで、目的が変動したり、目的達成のためにとれる工夫(ゲームにおける「手」)の種類が変動した場合には、それは別のゲームに移行することになる、として来ました。ここが「厳密」と呼びたい点です。将棋や囲碁では、プレイ中にルールや駒(石)の配置が変更されることはなく、そうした変更がゲームを変則的なものにしてしまうと多くの人が考えると思います。ですが、TRPGではそうした変更が起こることが多く、シナリオの内容、NPCの言動の詳細、ルール、などがプレイ中に追加設定されたり、設定内容の変更を受けたりします。そこで、厳密な意味では、TRPGはゲームとは呼びがたい面があります。

もちろん、どのようなゲームでも、それが現実世界の文脈の中でプレイされるものである以上は、運営上の配慮が必要です。スポーツの試合中に誰かがトイレに行きたくなったらどうするか。香水アレルギーの人の対戦相手が香水をつけて来たらどうするか。こうしたあれこれの事態についての処理方法はルールに定められているわけではありませんが、その処理の仕方次第では勝敗が分かれます。
どのようなゲームであっても、そのゲームが正統な形で成立するために不可欠な要素(守られなければならないルールなど)と、それ以外の、状況に応じて導入されたり変更されたりするべき周縁的な要素とがあると考えることが妥当だと言えます。

TRPGでのNPCの言動の詳細などは、シナリオやプレイスタイルによっては、そのような「ゲームにとっては周縁的な」要素だと考えることができると思います。ですが、同時に、多くのTRPGでは、周縁的とは言えそうもない部分が変更を受けているように思えます。つまり、厳密な意味でのゲームが成立していないように思えます。

ちなみに、ゲームが成立しない場合は何もルールに突如変更があった場合だけではなく、ただルールも何もなくでたらめに遊ぶ場合なども考えられます。あるいは「周縁的な要素」について適切な措置がとられなかった場合には、「あれは将棋の勝負じゃなくて部屋の暑さの我慢比べをややったようなものだ」などと異論が出る場合なども考えられます。ですがここではゲーム性を重視するTRPGのセッションを想定しているので、ルールが変更され、そのせいであるゲームが別のゲームに移行してしまう、という場合に絞って考えます。次の項では何故このような「別ゲームへの移行」がゲームの成立を損なうかを考えてみます。

3)別ゲームへの移行とその影響

ゲームは上に書いたように、目的を達成するために工夫をする活動を指します。将棋で相手方の王を先に詰めるために駒を動かす、サッカーで相手チームより多く得点するためにフォーメーションを組む、などがその例にあたります。
ここでゲームの重要なルールに変更があって、特定の手が 使えなくなったり(王手飛車取りの禁止)、手の効果が変わったり(ペナルティー・シュートの得点が1.5点になる)、ゲームの目的が変わったりすれば、それは確かに何か別のゲームに切り替えることになります。

このような別ゲームへの移行が起こると、プレイヤーがあるゲームのルールを前提に戦略を立ててゲームの目的(勝利条件)を目指していたところ、その努力が無に帰したり、逆に予想以上の有利な形勢をもたらすことになったりします。それはルールのどの部分がどう変更されるかによるわけですが。
ルールの変更に伴って形勢が変動し、結果として勝ったり負けたりした場合には、結局のところ、「自分は自分が考えて選んだ手(工夫)によって勝った(/負けた)のではなく、たまたまああいう風にゲームが変動したから勝った(/負けた)のだ」という感想を抱くことになる可能性があります。これ故に、「ゲームが成立し損ねる」ことがあると考えます。

TRPGの場合、プレイヤーはシナリオを知らないのが普通で、将棋のようにプレイヤーがルールを全て知っているゲームとは違っています。プレイ中にシナリオの一部(NPCの行動パターンや、背景となる事実関係など)が変更されてもプレイヤーは気付かない可能性すらあります。

そこで、プレイ完了後に、どのようなシナリオが用いられていたのか、どのように変更がなされたのか、などを知ることができれば、その時に初めて、自分の戦略がどのような有効性を持ったのかを検討・評価できるということになります。

将棋だと、ゲーム中にルールが変更されて、審判役の人が突然「今から飛車は偶数マスしか動けないことにします」と言ったら、プレイヤーはそこで別ゲームへの移行が生じたということがわかるわけですが、TRPGの場合には、往々にして、それはプレイ後にGMに話を聞いてみて初めてわかります。

ですが、プレイ後に話を聞いてみた結果として、「シナリオに重大な設定変更がないままにゲームが進行した。自分が参加したプレイはゲームとして成立していたし、自分がPCにとらせた行動は、ゲームの目的を達成する上で特定の役割を果たしたことになる」と考える場合と、「設定変更が原因で、せっかくいい戦略をとっていたのに目的が達成できなかった」と考える場合とがありえます。
もう少し厳密には、プレイヤーが「このゲームには自分の予想したのとは違うルール・設定があって、最後の最後まで敵の罠に気付かなかったために目的を達成できなかったけれども、それはシナリオがプレイヤーに明かされていないことを考えるとちょっとよいゲームとは言えない」「敵の罠に気付かなかったけれども、確かにそれに気付くのに十分なヒントはあちこちにあったし、悪いゲームというよりも自分の作戦ミスだ」などルールや設定についての「予測」をめぐる評価がゲームについて下される場合もあります。ですが、「ゲーム・デザインが悪い」場合と「自分の作戦ミス」と「別ゲームへの移行」の場合と、目的が達成できないままに終わった原因を分類することが一応可能です。TRPGにおいて悪いゲームをどのように回避するか、どうやったらよいゲームとしてプレイできるシナリオやシステムを作成できるか、は重要な課題ではありますが、「そもそもゲームとして成立しない」という、ここで議論したい問題はまたそれとは別の話です。

4)独立性と中立性の原則

ここからが本題です。
セッション中にGMが追加設定(や設定変更)を行う場合でも、「舞台となるこの世界のこの状況ではこれが一番もっともらしい設定だ」と、プレイヤーにその設定がどのような影響を与えるかを考えずに(プレイヤーの立場とは独立した立場から)行う場合、これはプレイヤーをわざと有利にする、またはわざと不利にするような設定よりも、ずっとましな設定だと言えると思います。プレイ後にどうしてそのような特定の追加設定をしたのか、とプレイヤーに尋ねられた際にも、GMは、プレイヤーに有利になるとしても不利になるとしてもいずれにしてもその設定を行っただろうから、それはプレイヤーの勝敗(ゲームの目的の達成の成功・失敗)を左右する決定的な要因にはならなかった、と主張することができます。
この独立性が常に確保されていて、この原則だけで全ての主要な追加設定が行われたとしたら、これはゲームが成立した、と見なすこともできるように思います。「事前に設定されてこそいなかったものの、全ては必然的な理由によってプレイヤーの立たされた状況とは関係なく設定されたのだから、ゲーム性は全く損なわれていないし、ある一つのゲームをプレイしたと考えられる」というような主張です。僕は「ゲーム重視」のプレイヤーではないですし、そのようなプレイをした経験も限られていますが、個人的にはこの主張に同意したい感じがします。

それとは逆に、プレイヤーのおかれた立場を慎重に配慮して、有利にも不利にもならないように、わざとバランスをとった設定を導入する、という方法をとる場合もあります。これについても、ゲーム後にプレイヤーに尋ねられた時に、「確かにある設定を追加したことで別ゲームへの移行が起こったわけだが、それはプレイヤーを有利にも不利にもしなかったので、ゲームの勝敗を決定づけたのはあくまでも、他の、プレイヤーのとった手だ」と主張することができます。

ここでは独立性の原則だけで追加設定を行った場合とは違って「別ゲームへの移行はなかった」という議論は成り立ちません。ですが、「1つのゲームから別のゲームへ移行するにあたって、非常にフェアーな条件で移行させたので、問題はないはずだ」と主張することが可能です。

このように中立性の原則は、独立性の原則に比べるとやや妥協の程度が大きい原則なので、独立性の原則では設定しきれない部分について、中立性の原則を参照する、というのが望ましい使われかただと思います。言い換えれば、世界観やシステムの特性などを参考に「こういう設定が一番もっともらしい」と言える範囲をある程度絞り込み(独立性)、それで設定が絞り切れない場合には、更にその中からプレイヤーに対する影響が中立的なものを選ぶ、というのが追加設定の望ましい形であるように思います。

5)まとめ、帰結、課題

要点は冒頭に書いた通りですが、一応繰り返しつつ、それをもう一度広い議論の文脈に位置づけてみます。
TRPGであれ他のゲームであれ、ルールや設定データの主要部分に追加設定(や設定変更)が行われる場合にはゲームが別ゲームへと移行することになります。別ゲームへの移行が起こる場合には、プレイヤーがそれまでにとってきた戦略が無効になったり、逆に思わぬ有利さを生んだりします。いずれの場合にも、ゲームの結果(勝敗、成功や失敗)がプレイヤーの手によってではなくその追加設定の内容によって左右されてしまった、というような事態をもたらすもので、ゲームとして成立することに失敗しています。
こうした理由でこれまでの議論では「別ゲームへの移行」があればそれが「ゲームとして不成立」という方向で検討が続けられてきました。また、もしもTRPGがゲームとして成立するとしたら、別ゲームへの移行を防止するか、その影響を全く排除できる場合なのではないか、という風に考えてきたように思います。ですが、ここに挙げた独立性と中立性の原則に従っていれば、別ゲームへの移行が生じたとしてもゲームとしてはかなり楽しめるものになっていると思います。これは厳密な意味でひとつのゲームをプレイしているものではなく、プレイヤーがそのプレイをひとつのゲームの一貫したプレイであるかのように見なすことができる(擬似ゲームとして成立する)、というだけですが、これまで検討されていなかったもうひとつの可能性としては挙げておいてよいように思います。

また、これまでの議論では、「TRPGをゲームとしてプレイするためにどのような工夫ができるか」という解決策の摸索・提案の議論と、「TRPGはどのような意味でゲームたり得る/たり得ているのか」という事実判断・分析の議論とを並行してやってきましたが、僕の個人的な憶測では、ここに挙げたような「(暗黙の)規則に従った設定を許す」という形で行われているプレイが「ゲーム性重視」の中でも多いのではないか、と思いました。(あくまで憶測です。)独立性、中立性などの他にも原則にあたるものが考えられる気がしますが、それらも含めて、擬似ゲームとしてTRPGをプレイするというケースが多く、また、そのような意味で「TRPGはゲームたり得ている」のだ、と。「解決策の摸索・提案」をめぐる議論ではなく、「事実判断・分析」の議論として。

ただ、上の2つの原則だけで事が済むほど単純ではなく、他の原則を採用している人もいると思います。また、独立性の原則に従ってしまうと非常にプレイヤーに厳しいゲームになってしまう(実はゲームバランスが悪い、ということがプレイ中にわかる)場合に中立性の基準を優先させるか否か、など優先順位についても議論の余地があります。 それを考えると、この投稿はあくまでも方向の示唆、スケッチといった程度のもののようにも思います。

参照: *1 【多目的ゲーム】多目的性とゲーム性の両立, 2001年12月25日:20時45分07秒,トモス,TRPGLABO LOG 082 とそれに先立つmyrtさんの投稿。
2002年02月26日:11時41分42秒
【制御層とゲーム分析】制御層を小さくとるTRPGの場合 / トモス
myrtさんの【制御層とゲーム分析】ある制御層から逸脱しないとする限定TRPG,2002年02月23日:02時25分05秒,TRPGLABO LOG 091 (予想、投稿時点では未収録)へのコメントですが、比較的独立した投稿です。

1)問題:TRPGのゲーム性

TRPGをプレイしている間にシナリオの内容が変更されたり、ルールが変更されたり、ゲームの目的(勝利条件)が変更されたりすれば、それはプレイヤーがTRPGをゲームとして遊ぶことを妨げることになります。
もちろん、変更されたことがプレイヤーに気付かれなかったり、変更がプレイに何の影響も与えないこともあるのですが、GMの目から見て、あるいはプレイヤーが後からGMにいろいろゲームの設定を教えてもらった際に、「このゲームの勝利条件を達成できたのは、実際には自分の工夫がよかったのではなくて単にGMが勝利条件を変更して、自分のPCが達成するように誘導してくれたからだったのだ」と感じたとしたら、それはそのプレイヤーにとってはゲームではなかったということになると思います。

もちろん、全ての変更が問題なのではありません。例えばプレイ中にテーブルに水をこぼしてしまったので布巾で拭き取る、といった行為はルールに定義されていませんが状況判断で行ってよいと思われます。風邪をひいているPCが技能判定の際に負うことになるハンディについても、多くの場合、既存のルールなどを手がかりにそれらしくGMが作成、新規導入しているわけですが、そのせいでゲームが駄目になる可能性は少ないと言えます。あるゲームが他ならぬそのゲームであるために不可欠なルールと、変更しても構わないルールがあり、後者については特に問題はありません。「制御層」と呼んできたのは、前者の、あるゲームがそのゲームであるためには不可欠なルールの集まりです。

2)解決案1:制御層を小さくとったTRPG

ゲームをプレイ中に、そのゲームの制御層に不備があったり、どうも「それらしくない」と思える点があれば、変更したくなったり、プレイヤーから変更の要請を受けたりすることになります。もしもプレイ中に、準備した制御層に代えて新しい制御層を導入するとしたらそれは別ゲームへの移行です。


#別ゲームへの移行が、プレイヤーにとってのゲーム性を損なわないケースもあるような気がするのですが、ここではそれは考えないことにします。

制御層を非常におおざっぱなものにして、細かい処理ルールなどを一切含まないようにした場合、当然ながら細かい処理ルールをめぐる意見の対立から別ゲームへの移行が生じるということはおこらないことになります。myrtさんの今回の投稿はそのような例だと言えるわけですが、こうしたゲーム性の確保の仕方にはある危うさが伴っていると僕には思えます。

2)解決案1の問題点:制御層外のルールが恣意的に変更されうること

もしもGMが、「戦闘ルールの細かい点や技能判定はおれはこのゲームをこのゲームたらしめている(必須の)要素だとは思わない」という形でゲームをデザインした場合には、例えばGMがモンスターのダメージ判定に使うダイスの数を倍増させても、シナリオのあちこちをプレイ中に変更しても、「制御層は変っていないのだからゲームとしては成り立っている」とGMは主張できることになります。そういう主張ができる理由はちょうど、野球でプレイ中に怪我人が出た時にプレイを中断するかどうかについて審判が判断を下す場合と同じく、「ゲーム中に行われるある種の処理はゲームにとっては周縁的な問題だ」と言えるからです。ダメージの量を計算する方法やシナリオなどを「周縁的な問題」とするのは妙と言えば妙ですが、制御層はあくまでも個々人が定義するものとされているので、そういう考え方を持つこと自体は自由です。但し、多くのゲームではダメージの算出方法はルールブックに決められており、平均ダメージ量が倍増するようなことは「明らかなルール違反」つまり制御層からの逸脱と見なされるのが普通だと言っていいと思います。特に何も事前の通達がなければ、多くのプレイヤーはそういうものと思い込んでプレイに臨むと思います。

例えば「野球」をやろうと言っておきながら2ストライクでアウトにしてしまったり、4ストライクまでアウトにしなかったりといったことを審判が行えば、選手から抗議が来ると思います。その審判の考える「野球の制御層」にはストライク数とアウト判定の関係についてのルールが含まれていないため、審判にしてみればそれはゲームにとって周縁的な話なのですが。

3)解決案2:事前協議

そこで、「野球」をやろうと言う時に、ある程度の合意を形成しておくことが重要になります。「野球」というゲーム名でどのような制御層を意味しているのか、どのようなルールがあり、何が変更されてもよく、何が変更されてはいけないか、などについてどの程度きちんと取り決めができるか、が野球をスムーズにプレイするための一つの条件となります。

4)解決案2の問題点:制御層の公開不可能性

ところが、TRPGでは制御層の一部はプレイヤーに事前公開されていないのが普通です。合意をとるために「こういうシナリオでやります。この場面では特にこういう判定を使います」というような説明をしてしまうことは、野球のルールと違って、非常に稀だと言えます。少なからぬプレイヤーは、それではゲームが面白くない、と考えることになると思います。ただ、「どのようにしたら公開型の制御層をデザインできるか」を考えると、TRPGをゲームとして成立させるひとつの方法が見つかることになるかも知れません。

5)解決案3:リソースの廃止

もうひとつ考えられる解決案は、GMがどんな変更をしようと、プレイヤーの戦略に影響を及ぼさないようなゲームをデザイン、プレイすることです。これならGMが
myrtさんが今回の例に「状態の持ち越しの禁止」というのを挙げたのはこれに近いものだと感じました。myrtさんは単に「フェーズ」の間を区切るためにそういう条件をつけただけかも知れませんが。例えばマジック・アイテムをどれだけ獲得しても、それがゲームの戦略に何の影響も与えないことにしてあれば、マジック・アイテムの扱いにまつわるルールについては恣意的に変更しても平気ではあります。使わない内に消えてなくなるスクロールについてプレイヤーから文句が出ても、GMは「いや、どっちみち何も役に立たないアイテムなんだ」と言って済ますことが可能です。

例えば全ての戦闘は十分なインターバルを置いて行われるため、ダメージの量は次の戦闘に持ち越さない、というゲームにおいても、HPの量は一度の戦闘で受けることができるダメージの量を左右します。そこで「一度に6以上のダメージを受けたら次のラウンド以降も引き続き1ポイントのダメージを被ることになる」というようなルールをGMが発案・導入した場合には、「それはルールにないじゃないか」という抗議を受ける可能性が大きいです。

6)解決案3の問題点:ゲーム性の欠如

上の解決案は、ある要素がゲームに関わらないことにすれば、それをめぐるルールに、事前協議なしでどのような変更を加えても、プレイヤーのゲーム性を損なうことはない、というものです。そこで、プレイにPCの知識や装備や体力などが意味のある形で関わることが望ましい場合には、それらについては上のような解決策をとれないという問題があります。

7)まとめ

TRPGでは制御層を狭くとってしまうと、プレイヤーの予想と食い違うことになる場合があります。これを防ぐためには、制御層に含まれないあれこれの要素について「これはゲームにとって必須の要素ではないからこちらの判断で適宜ルールを変更することもあります」と宣言しておくか、実際にそれらをゲームに全く関係のない要素にしてしまうかのどちらかです。前者については確かにある程度の可能性があるものの、あまり一般的な例とは言えません。可能性を追求することはできますが。
以上から、制御層を小さくとることでTRPGをゲームとして成立させることにはある程度の可能性はあるものの、もしも広く一般的に行われているTRPGのプレイスタイル上の工夫の中に、ゲーム性が確保するのに役立っている工夫があるとしたら、それはTRPGの制御層を小さくとることではないような気がします。

最近のmyrtさんの投稿では、「当人達は意識していないかも知れないが、ある特定の制御層を持つゲームとしては成り立っているのだと観察者の立場から見なすことができる」というニュアンスもあるような気がします。

それから、「別ゲームへの移行」が起こってもゲーム性が損なわれない場合があるような気もします。まだ言葉になりませんが。
2002年02月24日:14時26分57秒
【実装とゲーム分析】Re:スポーツとGMにおけるgame / トモス
tomyさんはじめまして。

この件については議論を中断して他の話題に専念しよう、と提案したのですが、その発言は取り消してコメントさせて頂きます。

以前の投稿*1 で述べたように、基本的な問題は次のようなものだと思います:
1)スポーツについて、違うプレイヤーが「同じゲームをしている」と言えるのはどんな時か、(特に体格が違っていてもいいのかどうか)
2)それを他のゲームで「同じゲームをしている」と考える場合の判断基準とどうすり合わせるか

トレーニングの段階がゲームになっている、という点は賛成です。それをメインゲーム、試合をその内に含まれるサブゲームと考えるという考え方もです。こう考える場合、確かにある程度「体力差」にあたるものが解消される可能性が確保できると思います。
と同時に、このメインゲームの内容は、個々人によって非常に違ったものなっているということを感じます。トレーニング用の器材へのアクセス、時間や資金やトレーニング・コーチなど、資源面でかなり個人差があるだろうと思います。

そこで、サブゲームではある程度同じようなゲームをプレイしていると見なすことができるけれどもメインゲームのレベルではそれぞれのプレイヤーが全然違うゲームをプレイしている、ということになるでしょうか。
でも、オリンピックのようにいろいろな国から人が集まって競技する場合や、町内会でいろいろな職業・年齢の人が一緒にプレイする場合にはメインゲームが違い過ぎるためにサブゲームとしてもやっぱり大きな実力差が出る、というようなことになりませんか?

膨大な知識や長いトレーニングなどが習熟度を大きく左右することのないゲームであれば、かなり有効な図式だとは思うのですが。例えば、スポーツのような側面を持っているアクション、シューティング系のコンピュータゲームです。反射神経、動体視力、指の筋力などは個人差があるわけですが、ある程度プレイする内に操作に慣れ、そのゲームに通用する戦略的な知識も蓄積されることになります。そこで、初心者が熟練者と対戦するのは無茶なのです が、「そのリスクを承知で対戦を始めたわけだし」というような考え方で、両者が対等の地平に立っていると見なすことはできるように思います。

あと、スポーツについて「練習段階がメインゲーム」という枠組みを採用するなら将棋やコンピュータゲームなどについてもそれを採用した方がいいだろうか、という点についても迷います。

TRPGの方についてはなるほど、と思いました。シナリオの準備の段階から含めるとミッション達成型でも、「面白いゲームを楽しめるようにシステムやシナリオや背景世界や小道具を準備する」という形でGMはあるゲームをしている(目的に向けていろいろな工夫をしているし、恐らくそれを楽しんでもいる)、確かに「物語重視」の場合とGMの役割が似ています。

*1 【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面,トモス,2002年02月22日:16時22分02秒, TRPGLABO LOG 090.
2002年02月24日:10時30分03秒
スポーツとGMにおけるgame / tomy
 myrtさんは保留なさっているようですが、ここでは数少ない口が挟めそうなスポーツなどの話題を書き込ませていただきます。と言っても、分析や論旨をまとめる事を苦手としているので、おそらくスポット参戦になります。
 
 スポーツについてですが、試合開始から試合終了までを一つのgameとして見るのではなく、それ以前のトレーニングなども含めて、スポーツの練習開始から試合終了までを一つのgameとして見てはどうでしょうか? 試合はその中でのsubgameと考えます。
 こう見れば、体格の中でも身長以外の筋肉の付き方などはトレーニングでどうにかなりそうですので、プレイヤーの選ぶ『手』によって得られる要素として見る事ができそうですが。
 
 同様にGMについても、セッションの開始からセッションの終了までを一つのgameとして見るのではなく、シナリオを作り始めた時点からセッション終了までをgameとして見れば、一見ただの審判役に見える「ミッション達成重視」のGMも、実はそれ以前の準備において、物語生成的なgameをしている事になると思います。
2002年02月23日:17時25分03秒
【制御層とゲーム分析】物語重視の場合 / トモス
#【「物語重視」のゲーム分析】の識別子に属する話題でもあります。

鍼原さんの投稿を僕なりに再整理・解釈して、どこがどうゲームになっているのか、何が未定義になっているのか、を考えてみました。

鍼原さんの挙げられた「物語重視」のプレイングの一種が、ゲームとしてどういう構造になっているのかを、いわゆる「ミッション達成重視」のゲームとの比較で書いてみます。これまでの議論と一部論点は重なりますが。

1)目的

鍼原さんの「物語重視」のケースでは、印象深い物語が生成されることが目的になっていると思います。ここで、印象深さは、少なくとも2つの要素と区別されています。ひとつは、 印象の内容で、プレイヤーやGMが物語について抱いた感想です。印象の内容は、当然ながら、印象深さとは別のものだと思います。もうひとつは物語で、これは印象を与える元になるような、架空世界での出来事や、人物や、それらの描写・表現、などです。物語でもなく、物語の印象でもなく、物語の印象深さを目的とする、ゲームになっていると考えます。

例えば「高貴な精神を持つ者が現実離れした古い道徳観念に固執しているためにトラブルに見舞われているのを、より現実的なPC達が助ける」という印象なのか、「頭の固いわからず屋にPC達が世間の変遷を突きつける」のか、「権力を握っているが故に批判を耳にすることのない人間に、PC達が感情を逆なでしないように進言をし、起こりつつある危機を解決する」のか、といった印象の内容は、同じ冒険をしたPCやプレイヤーの間でも分かれる可能性もあるわけで、そこの部分にまで立ち入って特定の印象を与えることを目的にはしないということになると思います。異なる印象内容を持った各プレイヤーが、いずれも物語を印象深いと感じたとしたら、それでゲームの目的が達成されるわけです。

「ミッション達成重視」のケースでは、何であれミッションの目的をPC達が達成することが目的だとしておきます。

2)GMの役割の違い

制御層を議論する時には、審判役を想定して、TRPGであればGMがそれにあたる、という風に前提してこれまで議論をして来ましたが、鍼原さんの例から、少し違う自体があるということを感じました。

ミッション達成重視型だと、a)ゲームの目的達成を目指すのはプレイヤーで、それが成功したかどうかを判定するのがGMという分担があります。この分担の構図では、b)GMは成功失敗に関わらず的確な判断を下すことが要求される、と安直には考えられます。c)その判断に必要な判断基準やルールなどは一切、GMが知っており、その運用についても相当の権限があります。 また、d)シナリオのミッションが達成されなかったとしても、「ゲームとしてはいろいろ戦略的工夫を楽しめたのでよかった」という感想がプレイヤーから出される可能性があり、(逆にミッションが達成できた場合でも、余り工夫の余地がなかったので楽しくなかったと言われる可能性があり)、ゲームを楽しむことの成功・失敗と、ゲームの目的達成の成功・失敗は別問題ということになります。セッションの成功・失敗と、ゲームの勝敗は別、と言ったらわかりやすいでしょうか。(不正確な言い方ですが。)

鍼原さんの提示された物語重視では、a)GMはプレイヤーと共にゲームの目的の達成を目指します。つまり、b)ミッション達成重視型のような中立的な審判の立場ではなく、むしろ共同作業をする立場にあると感じました。そして、印象深い物語が目的通り生成されたかどうかは、GMではなく参加者がそれぞれ感想を持つということになっているようです。つまり、c)ゲームの制御層がそもそもGMだけの管轄になっていないわけです。それからもうひとつ、d)このゲームの目的達成に失敗した場合、つまり「印象深い物語が生成されなかった」と誰もが考えた場合には、それをもってセッション自体が失敗だった、という風に考えるのかな、と思いました。あるいは、ミッション達成重視型と同じように、「印象深い物語はできなかったけれども、その目的を目指していろいろな工夫をしたことは楽しかった」という形になる可能性もあるのかも知れませんが。鍼原さんの話からだけだと、鍼原さんがどう考えているかは何とも言えませんが、一般的には、両方のタイプの人がいるのではないか、という感じを受けました。

これは少しややこしい話かも知れませんが、「目的を達成するために工夫する」だけの人と、「目的を達成するために工夫することを楽しむ」人とがいるということです。myrtさんはゲーム理論などを念頭においているのでゲームという概念を広くとって前者をゲームと呼んでいい、という立場ですが、僕は遊びの一種としてのゲームのことを考えているので後者だけがゲーム、という風に考えがちです。鍼原さんの挙げられた物語重視のプレイは、「遊びの一種ではなくて単に目的達成のための取り組み、という意味でのゲーム」として行っている人がいるかも知れないな、と思いました。

3)ゲーム性と制御層

ゲームには、目的の他に、「局面変動規則」「手とその影響、手以外の影響要因」「障害とリソース」などと呼ばれてきた要素が備わっています。どういう順に何をしたら目的が達成できるか、達成できないか、を左右するようなゲームの構造ですね。TRPGやスポーツのように手の全貌が複雑で事前に定義しきれないゲームについては、ゲームの構造という緻密なレベルではなくて、制御層という形で、例えば「この場面では次の7つの行動の内どれかをとるのでない限りは基本的には特に変わったことは起こらない」とゲームの構造を一部省略して準備することが行われるけれども、それでも必ずしもゲーム性は損なわれない、ということになっています。

ミッション達成重視型では、PCの行動への制約条件や有効な行動のパターンがいろいろあり、シナリオやルールを通じてある程度絞り込まれていると思います。誰か助けてくれる人(や裏切り者)はいるのか。どういう調査をかけたらどういう有益な情報(や虚偽の情報)を入手することになるのか、などなど。制約条件の中には、場合によってはPC達の信念(自分は奇襲はしないというポリシーがある、とか、無益な殺生をする位なら依頼を断るとか)が含まれていることもあるだろうと思います。

プレイヤーがこうした制約の中で、「どうやったらPCはミッションを達成できそうか」を考えてそれを試行錯誤していくのがゲームになっていると言えます。これまで議論したように、何をやったら達成が不可能になるか、何をやったらある条件がPC達に有利な形で変動するか、などがゲーム中に不当に変更されたり、PCやプレイヤーの振る舞いに応じて追加設定が行われたりするとゲーム性を損なう可能性があります。

これに対して、鍼原さんの例示した物語重視型では、ゲームの目的である「物語の印象深さ」はプレイヤーが(GMと共に)いろいろな工夫をして何とか達成しようとする目的ではあるのですが、各プレイヤーが何をしたらどう有利になるのか、といった見通しを立てることが難しいように思えます。そして、ここでゲームの構造にあたるものは、「どういう人物を登場させ、どう演出し、どういう形で他の人物と関わらせたらどんな風に物語の印象深さに影響が出るか」といった制約条件や可能性ですので、シナリオやルールには全く収まりきらない様々な要素が含まれます。大雑把に言えば、「物語をつくること=PCやNPCの言動を描写し、風景や出来事を描写すること」をプレイヤーとGMが行うわけですが、それが「手」にあたり、その手が 目的達成にどう影響するかは、ドラマについての人間の感受性だとか、「プレイヤーの感受性」という要素によって決ってくるのだと思います。

この意味で、GMは、プレイヤーやGM自身が目的達成のためにどのような手を打てるかをおおまかに決める、という側面でのゲームデザインはやるわけですが、最終目的である「印象深さ」になると、判定はプレイヤー各人の感受性が関わってくるので事前にGMがデザインすることはできない、と言えそうです。

言い換えると、鍼原さんの説明している、いろいろな重要部分を確定させずに保留状態にしておくという方法は、「物語重視の場合には、ゲームの構造に参加者の感受性が含まれるのでGMはその様々な可能性を予測してあれこれアイディアを準備しておく」ということだと言えそうです。こういって通じるかどうかわかりませんが、これは「目的を達成するための手をいくつも事前に考えておく」という類のことであって、ゲームデザインとかゲームの準備ということとは違う、というような印象すら受けました(それで全部ではないのですが)。全く準備をしていなかったら、打つ手がないままにゲームの目的を達成できないということになる。そこで、いろいろ準備していろいろな局面に対応できるようにしておく。

ここでは制御層は完結していて追加設定を必要としないような状態になっているか、という問いを一応問うてみると、GMによっては定義されていないし、そもそも「シナリオの本質部分とGMが考える箇所を未定義にしておくかどうか」は必ずしも制御層の完結性に関係がない、という感じがします。

4)まとめ

他にも考えていることや考えたいことはあるのですが、一度に新しいアイディアをたくさん書いてもわかりづらくなると思われる上、僕自信この視点に慣れていないのでひとまずはまとめておきます。

ミッション達成重視型のTRPGはこれまで議論してきたゲームの枠組みにきれいにあてはまるようなプレイだと考えることができますが、鍼原さんの投稿から考えた「物語重視」の方は、どうやらそうではないようです。大きな違いはGMがプレイヤーと同じ目的を共有し、それを達成すべくGMとしても工夫をする、という点で、GMはデザイナー+審判という役割に収まっていません。「物語の印象深さ」という、受け手(プレイヤー)の感受性に大きく左右されるような要素が、ゲームの目的になっているため、GMが決してデザインできない部分がゲームの制御層を構成しています。そこで、GMにできることは、一定以上予測できない、未知の部分に対応できるように手をいろいろ考えておくことだ、という風に言えそうです。
2002年02月23日:13時00分27秒
Re:トモスさんの説明を読んで / トモス
>>ただ、本質/非本質の観念は、論者が意図しない内容を表現してしまいがちな、危険な観念=用語です、との指摘は留保させてもらいたいと思います。<<(鍼原さん)

そうですね。この点については鍼原さんの指摘には同感できる部分があります。
誤解の可能性も限られているとは思いますが、別に念を入れて悪いこともないし、代案として「不可欠の要素」「必須の部分」などという言い方が思い付くのでやってみます。実質的には変りませんが、多少は鍼原さんの懸念されるような事態を防げると期待できるように思います。考えてみれば「本質」という言葉を使っているのは僕だけのようですし。
当然ながら、用語を変えても「あるゲームがそのゲームであるために不可欠な諸要素」と「それ以外の、変更されても構わない部分」とを分けて考えているということには変りがなく、手荒な2分法の持つ限界はつきまとうことになると思います。
鍼原さんの「基本」と「運用」は、特に「運用」についてはいい表現だと思ったのですが、「基本」については「この部分を変えてしまったらそのゲームが他ならぬそのゲームであるために不可欠な部分が変更され、別のゲームになってしまう」(従ってゲーム性が損なわれる可能性がある)というニュアンスが落ちてしまうのがひっかかっています。僕の知る限り鍼原さんもそういう「本質主義」的な考え方には抵抗があるとは思いますが、それは用語法を変えることよりも(3層モデルのように)概念枠組自体を変える形で解決すべき、別の問題だと思うので、用語としては本質主義的なままがよいのだと思います。


#「中間まとめ」ですが、鍼原さんにすらわかりにくいようではまとめとしては失敗なので、それを補うためにも、あれこれ質問を頂けたらありがたいです。ブルーローズの方でお忙しいようではありますが。。
2002年02月23日:07時07分12秒
【制御層とゲーム分析】Re:故意の未決定の理由(再) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 さて、トモスさんにいただいた説明では、いろいろ考えることが多いのですが。
 とりあえず、トモスさんの整理を踏まえてpurpleさんの疑問提起にもう一度応えてみようと思います。

@トモスさん記 
>鍼原さんがGMをしているゲーム(そのゲームの目的には物語内容の印象深さが含まれるものだということが鍼原さんの報告により明らかになっています)で、鍼原さんがNPCの動機づけを定義(確定)し切らないままにしておいたとしたら、それはそのゲームで鍼原さんが本質的と考える部分が未定義になっているのか、それとも「物語内容の印象深さ」などの指針のレベルでは定義(確定)済みなのでやっぱり「鍼原さんのゲームで、鍼原さんが本質的と考える部分は定義され切っている」と言えるか
 
 アタシが個別事例で挙げたシナリオは、「物語内容を印象深くすること」を目的にしたセッション用です。少なくともシナリオ作者としての意図はそうです。
 で、仮にこれを“本質”としますと、これに関連する様々な要素には、厳密に言えば未定義な要素――、意図的に多義性を確保している要素は多いです。PCの動機付けや背景設定にしても大枠やポイントは決めてありますが、保留事項は要所要所で意図的に設けてあります。
 
 重要NPCの運命に関る、ある重大な選択について、PCに影響力を行使ししてもらうのが、このシナリオの基本プロットで想定されているクライマックスなのですが。
 (カッチリしたゲーム面のいわゆるミッション達成度は、この説得の結果に応じて――必ずしもクライマックス想定シーンに到達しなくとも、説得に応じて変動するように仕掛けてあります)
 
 クライマックス・シーン用には、ゲーム的処理を活用した説得場面を用意しています。 この場面に誘導していく仕掛が、“本質”的制御層と言えばそうなのでしょう。
#purpleさんとの応答で、少し行き違いがあったとしたら、この「誘導」は、ストーリー進行上のそれだと言う事です。重要な制御層ではあると思うのですが、物語内容との関連で言えば、決して本質とは言えない――正確に言えば、「誘導」に関るコミュニケーションだけが“本質”なのではない、と言う点だと思います。
 
 ポイントは、このシナリオでの「重要NPCの運命に関る、ある重大な選択」について、プレイヤーにはそれぞれの担当PCの観点に応じた解釈をプレゼンテーションしてもらうべく、シナリオを組んでいる事です。
 
 「重要NPCの運命」の内容がどんなものであるのか、シナリオ作者であるアタシが語ることもできるのですが。仮に語ったとしても、それが唯一の正解であるわけではありません。
 このシナリオの作者としては、「このシナリオを用いた“ゲーム”で、シナリオ作者が“本質”的と考える部分は、要所要所で慎重に多義性を残してあるので、厳密な意味では定義されているとは言えない」と主張したいと思います。
 
 わかりづらい補足になるかもしれませんが、一言、補足しておくと。物語内で起きる出来事の連鎖(myrtさんなら仮想物理層と言うのでしょうか?)の総体を「意味するもの」とみなすと、「物語内容の印象」とは、「出来事の総体に『意味されるもの』」にあたる関係になります。ですので、“本質”的な面は定義されきってはならないのです。(物語内容の印象を重視する場合は、解釈の自由は保障されるべきだからです)
 
 次は、トモスさんの説明の方にあって、purpleさんの疑問の方では直接は提起されていない件についてですけど、今の意見は次の様です。
 「別のゲームへの移行が生じるならプレイはゲームとしては成立しないのではないか」について。
 
 例えば、
 物語内容の印象度を達成度とみなす類のセッションでは、「種々の要素に『意味されたもの』に曖昧性がみられる状態」から「様々な要素の意味が確定されていく状態」へと移行する、“ゲーム”にならざるを得ない。これは、たとえば従来TRPGの疑似体験要素と呼ばれる側面について一般的に言える事だろう、と推定される(多様なコミュニケーション様態が動員されるTRPGの疑似体験要素は、実体的な仕掛を持つアミューズメント・パーク類の疑似体験とはメカニズムが異なる)
 より効果的と予想される意味を確定していくプレゼンテーションの工夫、布石が、セッションの推移とともに暫時評価されてゆく。理想的には、評価を下すのは各セッション・メンバーの全員であり、GMが総合的な判断を取りまとめ最終評価を下す。
 
 シナリオのミッション達成を重視し、戦闘など戦略的要素を重視する類のセッションでは、「ミッションの障害を構成する要素」には未定義性はできるだけ少ない方が好ましい。(要素に未定義性が残る場合は、障害との関連性がシナリオ構成上密な要素から優先度が考えられるべきで、より重要な要素はより詳細に定義が確定されているべきだろう)
 
 典型例として「物語内容の印象度を達成度とみなす類のセッション」「ミッション達成を重視し、戦闘など戦略的要素を重視する類のセッション」を挙げてみました。
 
 この件は、どのような目的をセッションの目的(シナリオの目的ではない)とするかに応じて、妥当な考え方=手法が見出されるはずと思われます。
 
 アタシが思うに、それを検討し実現を図るのは、まず、セッションの目的を定めるシナリオ作者の責任で。その場合にはシステム(=ルール系&ワールド設定)の特性が尊重されるべきで。次いで、シナリオの意図を読み取り、運用を図るGMの責任もあるだろう、と思われます。
#「パン屋をやりたい」もんだいの類については、「セッションの目的」についてセッション開始前にできる限り、合意調整や擦りあわせ処理をしておくべきもんだい、と言うのが、以前からのアタシの立場ですので。
 
 とりあえずは以上の様に考えています。
#一端、上のように考えて、なおかつ、TRPGでは言語コミュニケーションを多用する比重に応じて、「意味されるもの」の解釈の幅が結局出てしまう、事がある。その場合はどう対応するのか? という問題は、TRPGでは決して無くならないだろう、と推測されます。
#アタシ個人に関しては、もし、「物語要素よりゲーム性を重視します」と事前告知して了承して参加した場合は、解釈妥当性を普段より細かく確認する、など心掛けるかな、――とこれは予想です。まず、「物語要素の解釈の幅が許容」されそうなシステムを優先的にチョイスしますので。
2002年02月23日:06時50分15秒
トモスさんの説明を読んで / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>トモスさんへ
 「【制御層とゲーム分析】Re:Re:故意の未決定の理由」 (トモスさん記,TRPG総合研究室 LOG 090,2002年02月22日:15時00分32秒)、では丁寧な説明ありがとうございます。
 考えさせられる点は多いですし。
 新たな疑問も生じてはいるのですが、まず、トモスさん指摘の誤解の関連について。
 特にpurpleさんには、釈明しておく必要があるのかもしれません。
 
>問題はあくまで鍼原さんが何を本質的と考えているかなのでPurpleさんにとってもそれを憶測しつつ、的を外しているのではないかと案じつつも聞いてみた、ということだったのだと思います。
 
 Purpleさんにいただいた質問につていは、アタシもトモスさんの言われたような線で理解しています。
 
 ですので、
 purpleさん宛の「【制御層とゲーム分析?】Re:故意の未決定の理由」 (カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 090,2002年02月21日:08時32分49秒)、と、
 トモスさん宛の「【制御層とゲーム分析】Re:Re:故意の未決定の理由」 (カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 090,2002年02月22日:08時42分18秒)
 とは分けて別内容を書いてみました。
 
 もし、トモスさんが懸念を示唆されているように、アタシが投稿を通じて、purpleさんの発言にあらぬ誤解を投げかけているかにとられた場合は、お詫び申し上げます。
 ことにpupleさんには謝意を表明しておきたいと思います。
 
 アタシもpurpleさんやトモスさんが、「シナリオ一般にとってNPCの動機は非本質的で、プレイヤーの誘導が本質的だ」と主張しているとは採っていません。
 
 トモスさんが説明で、議論の文脈に読み外していた点があったのも理解しました。
 この件は改めてお礼申し上げます。
 
 ただ、本質/非本質の観念は、論者が意図しない内容を表現してしまいがちな、危険な観念=用語です、との指摘は留保させてもらいたいと思います。
 
 アタシとしては、今でも「どこがシナリオの本質かはGMによって違う、という前提」で議論・検討するなら、なおさら、本質/非本質の区分は避けて、もっと機能面を重視した分析にシフトできるといいな、とは思います。
 本質/非本質の観念は、それを用いないことには検討しようがない(と思われる)領域に限定された方が、議論が楽な様にも思います。
 
 が、もちろん、用語の選択は思想・表現の自由の一環ですので、上のアタシの意見を強制することはできません。検討してみていただけると幸いです。
#それからトモスさんへ、凄く遅くなりましたけど「簡易長文投稿」での中間まとめ、ありがとうございました。リクエストさせてもらったのですが、実は自分の内容理解に自信がなくてお礼申し上げるのが遅くなりました。(やっぱり、質問(?)してお返事いただいた方がわかりはよかったです:汗)
2002年02月23日:02時25分05秒
【制御層とゲーム分析】ある制御層から逸脱しないとする限定TRPG / myrt
 ゲーム核と体格の問題については「とりあえず後回しにして良さそうだ」との感触を 得たので、次の考察を出してみます。

 一般的なTRPGでは、シナリオ制作時に従うべきゲームを定義していても最後までそれが用 いられるとは限りません--プレイ中でより面白いゲームを思いつき、採用するかもしれない からです。この行為の利点と欠点については一応の決着を見たように思えます。

 ここで逆に、シナリオ制作時に定義した制御層を決して逸脱しない プレイに限定したTRPGを考えたとき、その限定TRPGがどれだけの可能性を持つかについて 考えてみます。

 依頼フェイズ(初期状態)、調査フェイズ、決戦フェイズ、報酬フェイズ(終了状態)の各 フェイズを状態とし、それに失敗状態を加えたの5状態を持つ制御層を定義します。 GMはこの制御層に従ってセッションを運営し、プレーヤーはそれに従うとします。

 報酬フェイズを除いた各フェイズでは、プレーヤーの宣言などの諸要素に対してGMが 判定を行います。判定結果は「そのフェイズに留まる」「次のフェイズへ遷 移」「失敗状態へ遷移」のいずれかで与えられるとします。この制御層上ではフェイズ以外 の状態は保持されません--例えば調査フェイズで「敵の弱点を調べる」宣言があったかどう かの状態は保持されないわけです。しかしスポーツにおいて疲労度などが ルールで管理されなくても勝手に持ち越されるように、次のフェイズでの判定に影響を与 える要素がプレイ中に持ち越されることがありえます。

 この制御層に従うとしてもかなり柔軟なプレイが可能であることがわかります--「調査フ ェイズで敵の弱点を見つけたため、決戦フェイズではその 弱点をつく宣言だけで報酬フェイズに遷移すると判定される」のようなプレイも「GMの 機嫌を損ねる発言があったので決戦フェイズから問答無用で失敗状態に遷移すると判定 される」ようなプレイも可能です。

 しかし、「依頼を断る」ようなプレイをすると失敗状態にたどり着きそうですし、「決 戦を避けて和解する」ようなプレイは不可能です(和解のための説得を決戦扱いする 曲解は可能かもしれないが)。このような制御層を定義しその存在を示唆すれば、プ レーヤーの行動に指針を与えることができます。ここではゲームを勝利することだけに プレーヤーの目的を絞っているので、「和解したほうが話が面白い」ような要素は無視 しています。

 しかし、この制御層 だけからでは結局「GMに失敗状態に遷移させられないように振る舞え」以上の指針は 得られません。下手すればGMのご機嫌取りゲームのプレイになってしまいます。

 次は、得点のような形でフェイズ間の持ち越しリソースを制御層で管理することに ついて考えてみたいと思っています。
2002年02月22日:23時08分40秒
TRPG総合研究室 LOG 090 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 090として2002年02月17日から2002年02月22日までのログを切り出しました。

 CM:なおTRPG.NETでは各種の有料・無料サービスを展開しております。他のサービスもご活用いただければ幸いです。



TRPG総合研究室ログ / TRPG論考掲示板ログ / TRPG論考
TRPG.NETホームページ / Web管理者連絡先