TRPG総合研究室 LOG 090

TRPG総合研究室の2002年02月17日から2002年02月22日までのログです。


2002年02月22日:16時22分02秒
【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面 / トモス
myrtさんが、体格が違えば違うゲームをしているようなもの、と言うのも、鍼原さんが、バンタム級だろうとヘビー級だろうと同じボクシング、と言うのもわかるし、結局それはみんな承知の上で、概念的にどう整理したものか困っているのだと思います。つまり、スポーツのゲームとしての特徴について意見の差があるというよりも、それをどう概念化するかについての意見の相違なり、迷いなりがあるという感じがします。

今のところ体格をゲーム核でどう扱うか、ということを片づけないとどうも話が先に進まない、というわけではないので、とりあえずここには厄介な問題がある、という風にしておいて必要になったらまた後から考えるというのでもいいように僕は思います。

迷いの基本的な形というのは、
1)体格をゲーム核内という風に考えると

・テニスなどで同じプレイをしている2人の選手は同じゲームをしていないにも関わらず勝敗を争っているということになるのか。

・では将棋の指し手の思考能力が違うとそれも違うゲームということになるのか。

2)体格をゲーム核外ということにすると

・スポーツの戦略はゲーム核を手がかりにしてでは決められない部分が非常に多いと言えるのではないか、少なくともプロスポーツや、実力差がつきやすいスポーツなどではそういう傾向があるのではないか。

・スポーツの戦略的思考の実態を捉え損ない、ゲーム核が扱うべき「プレイヤーが直面している選択の構造」を扱い切れていない、ということになるのではないか。

3)体格をゲーム核の外でも中でもない、境界線上にある要素とする(あるいは、内外の他にもう1領域を考えて、3層モデルにする)としたら、

・これまでゲームの同一性を判断する際にゲーム核を手がかりにしてきた議論をどう修正・継承したらよいだろうか
・スポーツだけが3層モデルを必要とするのか

などといった疑問がとりあえずは考えられますし、僕も僕なりにあれこれと回答案や更なる疑問があるのですが。

「実はTRPGについて考えたい点にスポーツのゲーム核の問題が関わってくる」とか「今までやってきた議論について考えて直していることがあるからゲーム核の概念についてもっとよく知りたい/改めて考え直したい」など話題があればもちろん議論することに賛成ですが。

より本筋の議論としてはPurpleさんがゲーム核と制御層の関係をめぐって質問されたことが直接のきっかけで、それ以前には、「スポーツで新しい手が発案された時に別ゲームへの移行が生じるか」という問題を巡ってmyrtさんと僕の間で議論があったと思います。 Purpleさんの疑問点については、答えが出ている点についてはどうやら解説が終わり、残された疑問点があるとすればmyrtさんや僕にとっても疑問になっている点だ、というところまでは行ったと思います。
もう一方の、議論は、制御層の未定義性をめぐるやや長い議論を経て、次のような結論が出ていると思います。
a)審判が新しい手に何も問題を感じずにゲームに変動が起きないと考えられる場合がある。これはゲーム核を基準にゲームの同一性を考えると、未定義だった手の一部が定義されたことで別のゲームに変動したと考えられるのですが、スポーツではむしろそうした新しい手の発案があってもそれ自体は必ずしもゲームの変質を意味しないと言えそうなある種の安定性があるので、その安定性は、「手が何であれ、反則でなければ容認する」というゲームの進行管理役の安定性のようなもので、「ゲームの制御層」と考えてみればよいのではないか。

b)TRPGより安定しているように思われるとは言え、スポーツにおいても、制御層(=ゲームの進行に関わる本質的なルールや設定)が変更される場合がある。これは、制御層を基準にした場合でも別のゲームへの移行が起こる場合だが、スポーツの場合にも、新しい手の発案がこうした反応を引き起こすと考えられる場合が確かにある。その頻度はTRPGより少ないようにも思われるが、何故なのかについては検討が続いている。これを検討する上ではゲーム核概念がスポーツにどう適用されるかは問題にならない。
2002年02月22日:15時00分32秒
【制御層とゲーム分析】Re:Re:故意の未決定の理由 / トモス
>鍼原さんへ

誤解があるような気もしますし、正当な批判だと思える部分もあるのですが、とりあえずあるかも知れない誤解を解くことをやってみます。議論の前提をあれこれ解説することで鍼原さん以外の方にもわかりやすくなることを願いつつ。

要点は2つです。「どこがシナリオの本質かはGMによって違う、という前提で議論をしているのであって、TRPGの本質を探そうとしているわけではない」ということがひとつ。その前提の上で、「あるGMがある部分を本質的と考えつつ、同時に、その部分を定義せずにおくことがあるだろうか、」という問いを扱っています。

もうひとつは、問題になっている「ゲーム性」はいわゆる「ゲーム性重視」とかいう場合の「ゲーム」つまり「シナリオのミッション達成を重視し、戦闘など戦略的要素を重視するプレイ」のことではなくて「目的を達成するために工夫をすること」です(僕の場合にはそれに「遊びであること」という条件がつき、myrtさんの場合にはその条件の代わりに「考えることを主体する」という条件が場合によりつきますがこれらの条件に抵触するようなケースはあまり議論に登場しません)。そこで、myrtさんの興味の中心にはない「物語重視のプレイ」などもそれが目的と工夫から構成されているためにゲームの候補ということになります。もしも「NPCの性格づけなどはいわゆるゲーム性重視のプレイにとっては本質的ではないし、だから制御層には入らない」というような意見を意識しているのであれば、誤解です。問題は、

鍼原さんがGMをしているゲーム(そのゲームの目的には物語内容の印象深さが含まれるものだということが鍼原さんの報告により明らかになっています)で、鍼原さんがNPCの動機づけを定義(確定)し切らないままにしておいたとしたら、それはそのゲームで鍼原さんが本質的と考える部分が未定義になっているのか、それとも「物語内容の印象深さ」などの指針のレベルでは定義(確定)済みなのでやっぱり「鍼原さんのゲームで、鍼原さんが本質的と考える部分は定義され切っている」と言えるか

なわけです。

この要旨だけで納得が行ってしまったり、そういうことは承知の上で書いているのだということであれば以下2項目は不要ですが、念のためにもう少し詳しく書いておきます。最後に、それらの前提を踏まえた上で少し議論を進めて、これまで問題にしてきたケースがTRPGのゲーム性を損なうものであるかどうかについて書いてみます。


1)制御層とゲームの本質について

あるシナリオのどこが本質的であるかは、それを使うことに決めたGMの考え方によって大きく左右される、ということが議論の前提になっています。これはゲーム全般にあてはまることで、例えば「野球」をやろうと言って集まった人の間でも、「このルールがなければ野球ではない」と考えるようなルールはそれぞれ違っている可能性があります。それら「本質」の異なるゲームが違う名前を持っていれば便利といえば便利(プレイする側にも議論する方としても)なのですが、実際には誰もが同じ野球という呼び名をゲームに与えるために混乱があります。

#それに対してゲーム核の場合には、将棋を主な事例として使ったことなどもあって、「このゲームのゲーム核はここではないのか」と、ある程度多くの人が一致するであろう部分を抽出することを前提にした概念(同じゲームをプレイする人は、同じような戦略的な選択の構造に直面するはずだ、という前提に基づいた概念)ですし、それだからこそ、「将棋のゲーム核についても人によってが違うのではないか」「スポーツのゲーム核はどこだろうか」などという議論が成り立つわけですが、「制御層」の場合にはそういう議論は成り立たず、「野球の本質がどこかについて意見が一致しないなら、それはそもそも違う野球のことを話しているだけであって、各人の意見が、各人の意識している野球の1バージョンの正しい認識なのだ」ということです。

何が本質的かは、当然人によって違う、ただそれぞれの人にとって「これはこのゲームには欠かせない」「これを変えたら自分に言わせれば別のゲームになってしまう」という部分と、「ここはまあ必要や状況に応じて変更してもいいだろう」という部分があると考えて、前者を本質的、後者を非本質的、と呼んで議論しているわけです。つまり、ゲームにとっての「本質」と「それ以外」ですね。ある人にとっては、シナリオ中に登場するNPCの性格付けはほぼ常に本質的に重要な事柄で、それがPCの巻き込まれることになるドラマの主要な構成要素だ、ということは考えられるわけですし、逆に財宝と経験値稼ぎを求めてダンジョンを探索することにだけ集中するようなプレイしかやらないGMにとってはNPCの性格づけはまずシナリオの本質的な部分にはなりえない、ということもあると思います。

そもそもどうしてこういう意味での「ゲームの本質」が問題になるかと言うと、「王手飛車とりが禁止されていない将棋をやっていたのに途中でGMの判断により王手飛車とりが禁止されてしまった。結果、自分がとっていた陣形の有利さが失われてしまった。」というようなプレイヤーにとって不条理な事態がおこならないという保証がないとTRPGがゲームとして成立することは難しいのではないか、と思える一方で、TRPGではそういうことが起っているように思える、ということが念頭にあるからだと思います。(詳しくは下に書きます)

Purpleさんの問題提起のきっかけになった僕の発言ですが、
>>TRPGでは、GMがシナリオにとって本質的と考える部分を一部、わざと定義しないままにしておく場合があります。「ここでこのNPCがどう対応するかはその先の展開にとって非常に重要なのだけども、またそれはその時考えることにしよう」「ここでPCが扉を壊そうとした場合にはどういう判定を用いて決めるか、どういう結果がありうることにするか、はその後の展開に大きく影響を与えるけれども、それはまた後で決めることにしよう」などと。 <<

ここで、GMが、自分で使おうとするシナリオについて、「GM自身が本質的だと思う点」を未定義なままにしてある、という点は重要です。他の人から見たらどこが本質的か、という問題は制御層には関係ない、ということになっていますので。

そこで議論の焦点は、「NPCの性格づけは一般的に言ってシナリオの本質的な部分だろうか」ではないわけです。

むしろ、「NPCの性格づけがシナリオにとって本質的であると考えるGM・シナリオにおいて、NPCの性格づけが未定義なままに終わっている、というケースがありうるだろうか。それはもしかするとすごく少ないのではないだろうか?」というというのが議論の焦点だと思っています。ここで「NPCの性格づけ」のところは、「罠の内容」でも「最後の敵との遭遇状況」でも、任意の要素に置き換え可能です。

結論は、「NPCの性格付けはシナリオにとって本質的だろうか」という問いには何の答えも与えない予定です。少なくとも僕はそういう風に考えて議論をしてきました。

Purpleさんの場合も、「シナリオ一般にとってNPCの動機は非本質的で、プレイヤーの誘導が本質的だ」という意見ではないと思います。

鍼原さんが挙げた事例でも、鍼原さんにとっての本質的な事項は「特定の誘導」で、そうだから「NPCの動機」などが未定義になっているのではないか。そこで、「GMが本質的と考える部分は事前に定義してある」という命題が鍼原さんにとっても成り立つと言えるのではないか、

と質問したものだと思います。問題はあくまで鍼原さんが何を本質的と考えているかなのでPurpleさんにとってもそれを憶測しつつ、的を外しているのではないかと案じつつも聞いてみた、ということだったのだと思います。


2)ゲームとゲーム性

>>仮に「制御層が本質的」なのだとして、「制御層と実装、運用のリンクを円滑にすること」の方が重要って、立場もあるでしょうし、あって構わないと思います。<<

という鍼原さんの指摘は、ある保留付きでですが、妥当だと思います。保留したい部分は、制御層という用語の使い方についてですが。鍼原さんが「制御層が本質的」と言う時に、「あるゲームの制御層にあたる部分がゲームにとって本質的だと主張・前提して、TRPGの制御層にはNPCの性格付け(なり他の要素なり)が含まれないはずだからそれらの要素はセッションにとって本質的ではない、」という立場を想定しているとしたら、それは誤解だと思います。「GMがゲームの諸ルール・設定の内本質的と考えている部分を制御層と呼ぶ」ので、あるGMがあるシナリオでのNPCの性格設定が「あるゲームを他でもないそのゲームたらしめている要素のひとつ」だと考えるならそれはそのGMにとってのそのシナリオの本質部分なわけです。

例えばGMの中には「自分は一応プレイを始める前にシナリオのミッションと、その達成にまつわる本質的な部分をしっかり設定しておくけれども、プレイヤーのノリが悪かったり、放っておくと余りにも惨めな失敗をするとわかった時などにはその部分にも変更を加える」というGMはいると思います。この場合、「TRPGはゲームたりえるか」ということを考えた時には、そのようなプレイは「PCがシナリオのミッションを達成するかどうか」というゲームとしては成立しないということになると思います。

ただ、その他の場合にも「TRPGをプレイする際にはミッションの達成を目的とするゲームではなく、各PCが活躍するような物語の作成を目的とするゲームとして遊ぶ人もいるし、とにかくノリのいい展開になるようにすることを目的にする人もいる」と考えられるので、結局のところ「セッションの本質がいわゆる一般的によく言われるゲーム性(パワーゲームやシナリオのミッション達成に関連付けられることの多い、いわゆるゲーム性)にない」だけで、それはそれでゲーム、と呼べる可能性は十分あると思います。そういう「いわゆる狭い意味でのゲーム性」を重視しないゲームにとっては、また違った制御層がある(ロールプレイを重視するゲームをプレイするために経験値をロールプレイに対して与える、ダンジョンの構造は本質的ではないがNPCの性格づけは本質的、などなど)と考えるだけの違いだと思います。

そこで、「仮に、いわゆる(狭義の)ゲーム性を重視するGMの立場から見た場合の「制御層」にあたる部分が「本質的」なのだとしても、「そういう人の考える制御層」と「そういう人の考える実装、運用」の部分のリンクを円滑にすることの方が重要って、立場もあるでしょうし、あって構わないと思います。」という風に鍼原さんの指摘を言い換えれば、特に異論の余地のないところだと思います。ただ、そういう立場の人も、その人なりの目的や工夫があって、つまりその人なりのゲームをしているし、その人にとってのゲームの本質的な部分があり、(「シナリオの主題に関わるこの一族の歴史設定を変えてしまったらこれは同じゲームとは言えない」など)そこをとってくれば「そのゲームの制御層」になっていると考えるわけです。

何だかややこしい話だと思うのでもう一度言い換えてみます。

議論はTRPGがゲームとして成立するか、という可能性をめぐっていて、特に、TRPGではプレイ中に追加設定が行われることがあるけれども、それでもTRPGはゲームと呼べるのか、それとも追加設定が起こらなかったプレイだけがゲームなのか、あるいは追加設定の中にもゲーム性をだめにするものとそうでないものがあるのか、というような問いを巡っているわけです。

その問いを考える上で「シナリオのミッションをPCが達成するかどうかのゲーム」を事例として挙げがちなのは、それが考えやすいことと、もしかするとmyrtさんがそういう形でのゲームに興味があるからです。ですが、「TRPGでゲーム性が確保できるとしたらシナリオがしっかりしている場合だろう」ということではないように思います。

「NPCの性格づけはゲームの制御層には関係ないはずだ」という意見も、このような議論の文脈からは出てこないはずだと思っています。

===

3)TRPGのゲーム性が損なわれるケース

もうひとつ、別の問題ですが関連している点なので併記しておきます。

>>>解釈の仕方によっては、鍼原さんの例(を僕なりに一般化したもの)について、「NPCとPCの関係が面白いものになるようにすることだけは決っている」「そのための手段は決っていない」と考えることはできます。 <(トモス)

うーん、仮に「NPCとPCの関係が面白いものになるようにすることだけは決っている」として、TRPGセッションでは、そのための手段が決まっていないとしたら、それは制御層は未定義――TRPGだとシステムはあるんですけど、運用について部分的に未定義な部分もあるってことになりませんか? 目的の方向性は定まっているけど、手段は決まっていないってことではないでしょうか? 違うのかな?? <<(鍼原さん)

書いてあることはかなりよくわかるのですが、まずは用語法について少しだけ補足させてもらいます。myrtさんの提案以来、制御層には未定義部分はありえない、という方向で考えることにしているのでそれについて。どんなゲームであれ定義されている部分(ルールや設定)の内、ゲームにとって本質的なものだけが制御層と呼ばれる、という風に制御層という概念を定義したわけです。そこで上のようなケースでは「制御層がかなり不完全だと思われるゲーム」から「定義されるべき部分(ルールや設定)は一応それなりに定義されているゲーム」へと移行する、と考えることになるのだと思います。前者はゲームとして少し妙なところがあるので、「完結していない」、あるいは「メタ・ゲームである」などという言い方をしてみたらどうか、とこれまでの議論で提案されてきました。実際両者は別のゲームだと考えることにはそれなりに妥当性があるので、それもそれでいいような気がします。

ただ、用語法の問題はさておくとしても、実際にこういうことが起こることは確かです。それをこれまでやってきた「別のゲームへの移行が生じるならプレイはゲームとしては成立しないのではないか」という疑問と照らし合わせて改めて整理してみます。つまり、このような事態が起きたら、「ゲームが成立していない」のか、「ゲームは成立しており、それは別のゲームへの移行が起こったにも関わらず成立している」のか、「ゲームは成立しており、それはゲームの本質的な部分が何も変わらなかった、つまり別ゲームへの移行が生じなかったからだ」というどれに当てはまるのかを考えてみます。

ゲームの定義を念頭におきつつ、ゲーム性が成立しているのはどういう場合か、ということを言い換えてみると、「プイレイヤーが目的達成のためにあれこれ工夫をし、その工夫が優れたものであれば目的が達成でき、優れたものでなければ達成できない、という遊びになっているか」が問題だと言えます。
GMが「どうやらPCは破竹の勢いで難関を突破しているからここらで強力なモンスターでも出してやれ」などと考えている場合には、「シナリオのミッション達成」についてはゲーム性は成立しないわけです。ミッションを達成できた場合であれ出来なかった場合であれ、それが「プレイヤーのとった手が優れていたため」ではなく「GMがPC達にミッションを達成させたから/させなかったから」というようなことになるからです。
プレイ後に設定資料などを見せてもらいながら振り返ってみて、「全てはGMの裁量次第」という感想を抱いたのであればプレイヤーはゲームをしたとは思わないでしょう。これを、「プレイしているゲームがGMの裁量によって、あるゲームから別のゲームに変動するならそれはゲーム性を損なう可能性がある」という一般的な形で考えてきたわけです。

(他にも、「全ては運次第だった」ということであれば、プレイには実はゲーム性はなくて賭けの要素だけがあった、などと言えます。)

GMが「このNPCの動機づけは、シナリオの本質的な部分だが、PCの性格などがはっきりしたプレイ中のどこかの時点で、それに応じて物語が面白くなるような形で決める」として実際にそうした場合はどうでしょうか。この場合、「物語内容が印象深くなったのはシナリオのあのドラマチックな展開に負うところがあるが、それを決定づけたNPCとPCの関係は実は自分のプレイングの賜物ではなくてGMがこちらの趣向をうまく察してくれただけだったのか」とプレイ後にプレイヤーが考えるようなら、その部分は、その分だけ、ゲーム性が損なわれたと言えそうです。(しつこいかも知れませんが、あくまでも、物語内容の印象深さを目的とするゲームです。)ただ、物語内容の印象深さを目指す場合には、GM対プレイヤーという図式はないと思いますので、それは単に「この部分はGMの設定がうまく功を奏したので、自分達(GMを含む遊び手)のプレイの成功した部分だと言える」と考える可能性もあると思います。

では、GMが「このNPCの動機づけは、シナリオを特定の方向に展開させて行く上で重要なので、とりあえずPCを特定の方向に誘導するとだけ決めておいて、具体的な内容はプレイ中に決める」としておいて実際にその通りにした場合にはどうでしょうか。それがミッション達成の可否をめぐるゲームであれば、あるプレイヤーが「自分は今回のセッションでは疑り深い性格のPCをやったけれども、それが功を奏して敵の罠を見破ったと思っていたのは、実はGMが自分のプレイングのパターンに合わせて心にスキがあって問い詰められると嘘をつき通すのが下手なNPCをプレイ中に設定したからだったのか」と後から考えるようなプレイになっているのなら、その部分はその分だけ、ゲーム性が損なわれたと言えそうです。

但し同時に、「いずれにせよGMはこの部分に関しては特定の結果(物語の印象深さを保証すること、パーティーを誘導すること)を出すことにしてあったのだから、それは言わばもともとゲーム性が成立しうるような部分ではなかったのだ、」と考えることが妥当だとも言えます。問題は、だから、他の部分がどれだけゲームらしく成立しているかのようにも思えます。GMが設定した部分が本当に重要で、目的達成の可否の全てを左右してしまう場合には、他のプレイヤーは、「実は自分はプレイの成功/失敗には関係がなかったのだ、ゲームをプレイしていなかったのだ」と感じることになると思います。

もうすこし考えるともう少し厳密な定式化ができそうですが、とりあえず今回はここで終わります。長文失礼しました。
2002年02月22日:08時42分18秒
【制御層とゲーム分析】Re:Re:故意の未決定の理由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>トモスさんへ
>「特定の方向に誘導することだけがシナリオにとって本質的」(よって制御層に属す)、「そのための手段であるNPCの性格などは本質的ではない」(よって制御層に属さない)という形で「本質的な部分は事前に設定(定義)されている」という命題が成り立つのではないか、ということだったと思います。
「【制御層とゲーム分析】Re:故意の未決定の理由」 (トモスさん記、当掲示板,2002年02月21日:10時05分02秒)
 
 えーと。
 アタシが思うには、前提が違う幾つかの立場の間で同じ対象領域について検討するとき、本質/非本質という観念区分は害の方が大きいと思うのですね。
 
 非本質は抹消という意味合いを含みますので。
 例えば、シナリオ作者としてのアタシはA「NPCの性格などは本質的ではない」の仮定には、かなり引っかかりを感じてしまいます。

 なぜかと言うと、実際シナリオ作製に際して「NPCの性格把握」に労力をさく事もあるからです。
 個人的な体験談にすぎませんけど、例えば誘導についても、誘導の手法は「NPCの性格を多義的に表現するキーワード」が定まらないとまとまらないことは多いです。
 また、誘導の目的を定める基本プロットの方は、シンプルなものなら簡単に決めてしまう事も多いです。
 
 また、本質/非本質という観念区分から、A命題を根拠にして、B「NPCの性格付けになどは本質的ではないのだから拘る必要はない」といった命題を“論理的”に導出する人も多いです。
 
 トモスさんやpurpleさんがB命題のような事を言っているわけではありませんし。そうした命題を導出しようとしているわけでもないでしょう。
 ここでアタシが言っているのは、本質/非本質という観念は、前提的な観点を固定してしまう価値判断を含んだ区分で、異なる立場の間での議論・検討には不適当と思います、という意見です。
 
 あるいは、重要/非重要という区分を予め定めておくことも前提に価値判断が含まれている評価です。こちらの方が明瞭でしょうか? まったく同じ性質のもんだいなんですけど。
 
 アタシにとっては、セッションの総体にどう参与してゆくか、が課題ですので。
 「制御層だけが本質的」という命題は、それは何か前提がアタシとは違うような気がします、という感触を持たざるを得ません。
 仮に「制御層が本質的」なのだとして、「制御層と実装、運用のリンクを円滑にすること」の方が重要って、立場もあるでしょうし、あって構わないと思います。
 
 「制御層」の概念が今ひとつよくわからずに意見を述べている点は申し訳ないですけど。
 
 と言うより、概念自体は、わかる気はしているのですが、分析ツールとして、どんな必要性があって整理されようとしているのか? の方がよくわかっていません。
 
 もし【制御層とゲーム分析】の話題では、何かの理由で「制御層がシナリオ=セッションの本質」との前提の下に検討をする必要があるのだとしたら−−そうした話題もあると思います、検討される領域の性質限定を伴ってもらえると助かります。
 
 例えば、前、myrtさんが「ストーリーテリングの領域は除外して考えている」−−一旦除外して考える、かな? と領域限定を表明してられた事があったはずですが。
 こうした類の限定がされるなら、理由がわからない場合でも、なにか論者の見通しに必要性が予想されていて、除外されているんだな、との判断できます。
 
 アタシの方で提案できる事柄としては……そうですね。
 ピント外れかもしれませんけど。
 一案、本質⇒基本、非本質⇒運用、といった概念=用語に置き換え可能ならば、先に記した様なA命題からのB命題導出も無いだろう、と予想されます。
 
 例えば仮に、――
≫「特定の方向に誘導することだけがシナリオにとって基本的」(よって制御層に属す)、「その運用であるNPCの性格などは基本的ではない」(よって制御層に属さない)という形で「基本的な部分は事前に設定(定義)されている」という命題が成り立つのではないか、
 ――という命題に置き換え可能だとすると、
 
 もちろん、そういうタイプのシナリオもあるでしょう。
 NPCの性格などが、基本的なものとして設定されざるを得ないシナリオもあるでしょうね、シナリオの狙い=どんなセッションを実現したいかによって違うのでしょう、と割りと簡単に判断をつけられると思います。
 
 また、出来あがったシナリオの運用にとっては、「特定の方向に誘導することだけがシナリオにとって基本的」と言えるかもしれませんけれど、シナリオを作製する行為について「特定の方向に誘導することだけが基本的」と断定すると、出来るシナリオの性質が限定されすぎませんか?
 
 とか、
 
 シナリオによってはNPCの性格付けをよく掴まないと、不適当な誘導をしてしまうようなシナリオもありませんか? 
 とかの疑問を提起することも容易です。
 
>解釈の仕方によっては、鍼原さんの例(を僕なりに一般化したもの)について、「NPCとPCの関係が面白いものになるようにすることだけは決っている」「そのための手段は決っていない」と考えることはできます。
 
 うーん、仮に「NPCとPCの関係が面白いものになるようにすることだけは決っている」として、TRPGセッションでは、そのための手段が決まっていないとしたら、それは制御層は未定義――TRPGだとシステムはあるんですけど、運用について部分的に未定義な部分もあるってことになりませんか? 目的の方向性は定まっているけど、手段は決まっていないってことではないでしょうか? 違うのかな??
2002年02月21日:17時18分37秒
【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面 / myrt
(Re:【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面 / トモスさん)

>>僕は「体格が違う場合には、そもそもコートの同じ位置に立っていても違う ゲームの構造に直面することになる」というのが体格をゲーム核に含める場合 の帰結のように思います。<<

 まさしくそうではないでしょうか。テニスにおいて同じ位置に立っていたと しても、体格によって打ち返せるパワーや狙える場所が違うのであれば、直面 しているゲームの構造が違うように思えます。取るべき戦略が変わってきます から。そもそも体格が違うと、足の位置が同じでもラケットや頭の位置が変わ ってきそうなので「位置が同じって何??」という疑問もあります。

 ここで体格が違っても他の条件が同じならば局面が同じであるとするならば、 ある局面から選べる次の局面を特定できなくなってしまいます。そうすると ゲーム核のネットワークをたどっても、どの戦略が有効かを知ることができ ません。

 また、対戦ゲームでお互いの初期条件が違うことは良くあります。 先手と後手の区別がないゲームのほうが珍しいと思いますし(スポーツ でも下手したらバスケットボールくらいでは??)、ディプロマシーのよ うに極端に差別化するものもあります。このことから、 初期条件が違っても同じゲームをしている、と言っていい場合があるの ではないでしょうか。

 そしてゲームの初期状態が有利になるようにリソースを多く持ち込めること 自体が、そのゲームに対するプレーヤーの強さに換算できる場合があると思い ます。スポーツに顕著ですね。

 ただ、体格が含まれる含まれないにかかわらず、ゲーム核の特定の局面を 完全に記述することは不可能であるように思えます。だから、「サッカーで フォワードがキーパーとディフェンダーを抜いた局面は得点チャンス(天候その 他の要素がとんでもない場合でなければ)」程度の記述ができて、ゲーム核の ネットワークではそのような局面集合がフォローされているとするならば、 議論に用いるには十分な概念であるようにも思えます。
2002年02月21日:10時05分02秒
【制御層とゲーム分析】Re:故意の未決定の理由 / トモス
>>#「制御層とゲーム分析」の話題に、今このタイミングで「TRPGの物語的側面」の話題をリンクさせてく事がよいことか、どうか、ちょっとアタシには判断がつきません。<<(鍼原さん)

Purpleさんやmyrtさんにわかりづらいのでもない限りは問題ないと思います。

個人的には僕が自問自答した時に思い当たった答えも鍼原さんの書かれたことと近いものでした。ですが、それが答えになっているのかどうかで少し迷っています。

Purpleさんの質問は「特定の方向に誘導することだけがシナリオにとって本質的」(よって制御層に属す)、「そのための手段であるNPCの性格などは本質的ではない」(よって制御層に属さない)という形で「本質的な部分は事前に設定(定義)されている」という命題が成り立つのではないか、ということだったと思います。
解釈の仕方によっては、鍼原さんの例(を僕なりに一般化したもの)について、「NPCとPCの関係が面白いものになるようにすることだけは決っている」「そのための手段は決っていない」と考えることはできます。つまりPurpleさんの命題は成り立っているとも考えられます。 そうすると、実は「GMがシナリオの本質的だと考える部分を意図的に未定義にしておく」というようなことはPurpleさんの言うように稀なのではないかという気もして来ます。

ただ、「面白いゲームをする」ことだけが決っていて他は全てアドリブでやるセッションも「シナリオの本質的な部分は決っている」と言えば言えないことはないので、どう考えたらいいか迷っています。

参考になればと思い、他の例を考えてみます。

・NPCがPC達のミッションに必要なマジック・アイテムをあっさり渡すか、マジック・アイテムを自分が管理すると主張してPCに同行するか、ある時点で裏切るかどうか、などによってシナリオの展開は大きく違う。いずれの展開もそれなりに面白そうに思えるが、決定打にかける感じがするのでとりあえずは保留にしておいて、プレイしながら考えることにする。何か新しいアイディアが思い付くかもしれないし、どれか事前に考えていた展開のひとつを選ぶかも知れない。

これは、「GMが自分のシナリオの本質と考えている部分を一部決めずにおく」という例にはなっているでしょうか? もしも、「プレイを始めてから、一番面白そうな展開を考えてみて、それに決める」と決めてあった場合はどうでしょうか?>Purpleさん
2002年02月21日:08時32分49秒
【制御層とゲーム分析?】Re:故意の未決定の理由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさんへ
>もしそうなら、それは
>・「PCの行動を(シナリオの)ある方向に誘導したい。」ということが重要事項として決定している。
>・PCの誘導に比べれば、NPCの動機付けは重要ではない。
>ということになるのではないかと思います。
 
 なるほど。
 えーと、アタシ自身のつもりとしては、
 「主要NPC(がいる場合)その行為の動機付けを出来るだけ多義的にしておきたい」のは、
 「セッションを通じて生成される物語内容の印象をプレイヤーにとってもGMであるアタシにとってもできるだけ印象深くしたいから」、
 と考えています。
 
 これは自己判断、努力目標の類ですので、実際プレイヤーの方から観てどう思われるかは、曖昧な部分があります。セッション後の会話を通じて得た一応の自己評価があるだけです。
 また、アタシは、リプレイでも起さない限りセッションで生成される物語内容はセッション・メンバーの共有物と考えていますので、第三者いとって印象がどうか? は、ほとんど意味が無い、とも考えています。
 
 主要NPCの動機付けについては、物語の構成要素として重視しているつもりです。
 いわゆる誘導、これは、「プロット展開を統御するためにプレイヤーに明示・暗示する情報とその伝達・表現のテクニック」の一種ですが、こちらは、どちらかと言うと、シナリオ作製時から、確定されている事項(論理的かどうかはとも書く定義されたもの)を多用することの方が多いと思います。
 
 そうですね、現代冒険TRPG「ブルーローズ」での個別事例なんですけど。
 アフガン難民の少女(NPC)が、PCに国境を越える案内をする、という状況での事ですが。
 山道を越える国境超えで密出入国をするため、初めて、民族衣装から軽装に着替えてPCの前に登場しました。
 このシナリオは4、5回は廻したと思うんですけど。
 一度だけ、フランス国籍の黒人で傭兵の経歴を持つイスラム教徒という設定のPCが「意外だな」と言いまして。

 この一言がきっかけで、NPCの設定や動機付けで保留にしていた部分がかなり明確化されました。そのセッション・オンリーのリソースが幾つか確定されたわけです。
 このシナリオは「ブルーローズ」商品版に併せて再調整して、また遊ぶつもりなので、あまり詳細な話は堪忍してください。
 
 「NPCの動機付けを多義的にしておきたい理由」「物語内容を印象深くしたいから」と、アタシは言うのは、例えば、この類の事態で。
 プレイヤーが、こちらのプレゼンについて、興味深い解釈を返してくれたとき、「あ、それおもしろい、いただき」(←とは、口にこそ出しませんけど)、って感じでセッションに取り込んでいくために多義的にしておきたいです。
 
 一度実現されたリソースは、その汎用度によるのですが、例えば民族衣装お着替えが誘因で、新たに生成された設定類の多くは、その後同じシナリオを別プレイヤーと遊ぶ場合は「未決定=保留事項リソース」として扱います。比ユ的に言って「未決定フォルダ」の内にストックしておく感じです。
 
 アタシの立場としては、セッションの物語生成過程は、特に「ルール核」関連で考えられているような「かっちりしたゲーム」とは似て非なる何か、と考える立場です。
 ですから、アタシの立場としては、「NPCの動機付けの多義化」は「非ゲームにとって重要なことの決定」ではあります。(アタシ個人は、本質/非本質という観念を好みませんので使用は避けています)
#それ以前に「かっちりしたゲーム」にとって、“本質的”な要素に多義性などは無いはず。なぜなら、ゲーム核とは論理構造態であり、A=Bとでも言える多義的な要素の導入は、論理構造に機能不全をもたらすから、と言うのが、アタシの立場のかなり前提に近い部分にある判断なでもあります。
 
#「制御層とゲーム分析」の話題に、今このタイミングで「TRPGの物語的側面」の話題をリンクさせてく事がよいことか、どうか、ちょっとアタシには判断がつきません。
#その辺は関連議論をリードされてるトモスさんmyrtさんにご意向があれば、お聞きしたいと思います。
#が、アタシ本人としては、「なぜ、多義的にしておかねばならないのか?」についてはこのように考えています。
2002年02月21日:02時41分23秒
【制御層とゲーム分析】故意の未決定の理由 / Purple
 むう。やっぱり私のほうが少数派なのかなあ。
 とりあえず、もう少しだけ、食い下がって見ます。
 
 鍼原さんの
 >アタシは重要NPCの動機付けを多義的にしておきたい、と考えてそのように心掛けて準備することはあります。
 という意見についてですが、これはある程度は納得できるのですが、追加の疑問として
 
 Q1「なぜ、多義的にしておかねばならないのか?」
 
 という疑問が湧いてきます。で、この問いに対しては、
 
 >「プレイヤーがPCを通じて表現してくるものに応じてこちらもNPCハンドリングを代えられるようににしておく」
 
 という説明があり、これが回答になっています。
 
 ---
 
 そこで、それを踏まえた疑問として、
 
 Q2「なぜ、NPCハンドリングを代えられるようにしておく必要があるのか?」
 
 という疑問が湧いてきます。
 この問いについては、説明となる文章を見つけられなかったので、考えてみたのですが、鍼原さんがNPCハンドリングを代えられるようにしているのは、
 
 「PCの行動を(シナリオの)ある方向に誘導したいのだが、上手に誘導するのに適切なNPCハンドリングを決められない。NPCの動機付け設定を誤り、それに固執すればPCの行動を誘導できなくなる可能性が高いと判断できる。そのため、いくつかの候補を考えるにとどめ、PCがNPCに出会うまで決定を保留にしている。」
 
 という理由があるからなのではないでしょうか?
 
 もしそうなら、それは
 ・「PCの行動を(シナリオの)ある方向に誘導したい。」ということが重要事項として決定している。
 ・PCの誘導に比べれば、NPCの動機付けは重要ではない。
 ということになるのではないかと思います。
 
 仮定の上の説なので、的を外している可能性は高いのですが、そんな風に思いました。
2002年02月20日:21時24分33秒
【実装とゲーム分析】修正>Re:体格とゲーム核における局面 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「訂正」ではなく、前言撤回のうえ意見修正をさせてもらいます。
>アタシが思うに、スポーツに関しては、「体格はゲーム核に対して外縁上に位置づける」ことができれば、すっきりするのではないかと思います。
 
 違いますね。「周縁」が正しいですね。
 なぜなら、ボクシングを例にとれば、選手はプレイヤーであると同時に、選手の肉体的スタミナなどは、ゲームのリソースにもあたるから。
 
 「スポーツでは、選手の肉体(従って体格や体質etc)は、ゲーム核を構成するリソースであり、同時にプレイヤーでもある。ゆえに、周縁=領域を区切る境界線上に位置づけられる。
 −−、だと思います。
 
 この整理に、制御層の概念が加味されると、どのような整理がなされるのか、相変わらず皆目わからないでいますが。
#だから何かピント外れな事を言っているかもしれません(そのときはご容赦を)
2002年02月20日:16時10分03秒
鍼原神無〔はりはら・かんな〕 / 【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面
 えーっと。
 
 アタシが思うに、スポーツに関しては、「体格はゲーム核に対して外縁上に位置づける」ことができれば、すっきりするのではないかと思います。
#制御層の概念はよくわかっていません。すいません。
 
 「周縁」は、ある領域を区切る輪郭線の直上を意味しますが、「外縁」は「輪郭線のすぐ外」を意味します。
#たんじゅん化して考えて「実装領域のゲーム核に密着している位置で、ゲーム核の外部」の位置付けは、どうかなと思うんですけど。
 
 ボクシングなどの競技には、体重別の制度がありますよね。
 これは、あまりに、競技者の体格差が大きいと場合ゲーム核の論理構造が十全に機能しないから、と考えられないでしょうか?
 
 「バンタム級のボクシングとフライ級のボクシング」、もし「別のゲーム」と言われると、やはりどこかに無理がある気がします。
#普通のボクシング」と「ボクサー対レスラー、異種挌闘技戦」これは別のゲームと言われても納得できます。
 
 普通に考えれば、ゲームに期待される公正さが、不充分になると考えられる場合に体重制が制度化されるのだと思います。端的には、ゲームバランスが悪くなえい過ぎるから、と言ってよいのかな(?)。
 ゲーム核の論理構造のキャパのもんだいと整理できないでしょうか。(キャパと表現しても、耐久度と表現してもよいですが)
 
 純然たるゲームでも、飛車角落しとか、そーゆーのありますよね。
 
 「スポーツの体重制」と「飛車角落し」同質とみなして論じられない気がしますけど。どこかに同型性が観られるような気もします。
2002年02月20日:15時49分11秒
【実装とゲーム分析】Re:体格とゲーム核における局面 / トモス
(myrtさんの【実装とゲーム分析】体格とゲーム核における局面,2002年02月18日:18時36分27秒へのレスです。)

1)体格をゲーム核に含めることの難点

初期局面が違うのだ、というのはぼんやりとながら想像できます。(まだぼんやりとしか想像できませんが。)

ただ、僕としては気になっている難点がその考え方によっても解決できずに終わってしまうような気がしています。
例えば100m走の「自己ベストを目指す」という一人プレイ型のゲームを考えた場合には、そもそも体格によって最適な走行フォームが違ってくる、という難点がありませんか? つまり、体格をゲーム核内の要素だと考えると、体格が違う人はそもそも同じゲームをプレイしていない、同じ「ゲームの構造に直面していない」という立場に行かざるを得ないような気がします。

>>これは、テニスなんかで「スタート時の立ち位置はプレイに影響を与えるが、一定の範囲内であればどの立ち位置から始めても同じテニスである」に相当するのではないかと思います。 <<
という例ですが、これは「軍人将棋では自分の駒を自分の好きなように並べてよいことになっているが、どのように並べても初期局面が違うだけで同じゲーム」、ということと同じだと考えられるでしょうか?
僕は「体格が違う場合には、そもそもコートの同じ位置に立っていても違うゲームの構造に直面することになる」というのが体格をゲーム核に含める場合の帰結のように思います。軍人将棋の場合には、たまたま同じ駒の配置で勝負を始めた2人のプレイヤーは同じゲームの構造に直面していると言えるわけですし、そもそも配置が違うプレイヤーであっても、「配置は最初にプレイヤーが各自で決めるものなので、望むなら他のどの配置もとりえた」という形での同等性があるのですが、体格の場合にはそれもないと思います。

2)体格をゲーム核に含め、ゲームの同一性をあきらめる立場

いっそこれを解決せずに、「スポーツでは体格が違えばゲーム核も違うことになる。そこで厳密には同じゲームをプレイしていないと言えるのだが、慣用では制御層さえ同じなら(=本質的なルールや設定が共通であれば)同じゲームをプレイしていると呼ぶことになっているし、それはそれで理にかなった考え方(またはゲームの同一性の判定の仕方)だ」と言う方がいいような気もします。
これにより、「自分の体格や体調がそれほど変わらない限りは、自分がプレイする100m走や円盤投げなど、一人で記録を追求するタイプのゲームなら、同じゲームのままです。
対戦相手がいるゲームの場合には、相手の体格もゲーム核に含めるのが妥当だと思いますが、すると、相手と同じゲームをプレイしていないばかりか、違う相手とプレイする度に違うゲームをプレイしているということになりそうです。結果、その戦績を他人と比較することの意義は薄れます。実際これはスポーツの実態に合っていなくもないような気もします。「あの投手は完封だよ」「それは相手があの弱小チームだからだろ」などという会話はありふれているので。

ただ、スポーツで体格を考慮に入れるとしたら、将棋でも知能の資質などを考慮に入れるべきでしょうか。そこも迷う点です。

まあ解釈や定義だけならいろいろな立場が考えられるのですが、TRPGのゲーム性を考える上では「ゲームの構造が安定しているかどうか」が当面重要で、「同じシナリオをプレイしていてもPCやPLの組み合わせが違えばそれは同じゲームとは呼べない」とするような立場であっても、逆に「PCやPLが違ってもシナリオが同じなら同じゲームだ」とする立場であっても、余り関係がないような気がします。

#もちろん、「TRPGでもセッション間の比較をして、そこから見えてくる優劣をゲームの目的の一部にしたい、」と考えるなら違ってくるわけですが。myrtさんの関心はそうした「比較・反復可能なゲーム」というよりも「一回性があってもいいから、終始一貫している、安定したゲーム」としてTRPGを遊ぶことにあるように思います。また、議論する上でもそちらの方が簡単かな、とも。
2002年02月19日:07時51分05秒
【制御層とゲーム分析】Re:シナリオ重要部分の故意の未定義 / トモス
Purpleさんの提起された論点について、僕も考えてみました。

1)事実判断として
まず、「シナリオの重要部分をわざと未定義にすること」が行われているかどうか、つまり事実判断としては、行われていると思います。どの程度広範に行われているかについてはちょっと推測が困難で何とも言えませんが、
僕の個人的な経験
あれこれの過去ログでの議論
ウェブ上で読めるTRPGについての文章
などの印象を総合して、たぶん少なからぬ人がやっているのではないか、と思います。ただ、意識的に吟味したわけではなく、「他の人もシナリオの本質的な部分は事前に決定せずにおく場合があるだろう」という前提を持って読んできて、これまで何かその前提を問い直すきっかけになるような経験がなかった、という程度のものです。全く反対の「他の人もシナリオの本質的な部分は決定しないでおくことはないだろう」という前提で読んでいたらそれを考え直させるようなきっかけに出会わなかった、というようなことがあるかも知れません。そういう、何も手がかりがないよりはましかも知れないが余り参考にならない程度の印象ですが。

もうひとつ、理論的に考えて、鍼原さんやmyrtさんが書いたような理由で、「最終決定をせずに保留状態にしておく」というようなことはとてもありそうに思えます。これも憶測には変わりありませんが、一応同じ結論を支持している感じです。

ただ、以上から考えてみるに、自分の前提が間違っている可能性はある気がします。Purpleさんの意見には、そういう意味では賛成です。

あと残る可能性は、「アドリブ中心で、ゲーム性の乏しいセッションはTRPGとは呼べないから、そういうTRPGではないプレイを除外すれば実際には「本質部分は意図的に未定義にされることはない」と言える」「今の日本のTRPGはごっこ遊びやストーリーテリングや人物ドラマの要素が強いがこれをTRPGと呼ぶのは間違いで、本来TRPGはキャラクターの性格すらなかったようなゲームなのだ。この本来のTRPGを考えればシナリオの本質的な部分に意図的に未定義性が残されることはない」という議論でしょうか。Purpleさんの投稿の主旨に含まれているのかどうかはわかりませんが。

こういう「何をTRPGと呼ぶか」についての論争はやりたくないのですが、これまでのところ上のような立場をとらず、差し当たり「プレイヤー達がTRPGの名の下に行うであろうプレイ」であればそれを考えに入れる、という程度にやってきました。「TRPGは、定義により、シナリオの本質部分に意図的に未定義性を残すことがないゲームだ」という主張に対しては、だから、僕が論じているのとは違う、より狭い事象についての議論で、僕の論じている事象には当てはまらないように思う、ということになります。「ならTRPGの名前を使うな」という強硬な意見を持っている方もいるようですが。

一応、ここ10本ほどの過去ログに渡って僕が関与してきた議論はTRPGがどのようにゲームたりえているのか、という議論にもなっているので、それを手がかりに言えば「勝利条件(=目的)についてはTRPGはゲームらしくない面があるが、それを無視してゲームのようなものとして遊ぶことができる」「ゲーム核部分の未定義性はもしかするとゲームの成立を妨げる要因かも知れない」「物語重視のプレイの中にもゲーム性を見出すことができる」という論点も出ているので、いわゆる「ゲーム性」が厳密に成立していなくてもTRPGと呼ぶのはある程度妥当だとは思います。歴史的な背景を根拠に「正しいTRPGとそうでないTRPG」を区別する考え方については、以前初期TRPGについての報告の考察部分に書いた通りです。

2)価値判断として
これもPurpleさんの挙げられた論点とは少し違う気がしますし、ここで議論に携わっている人の間では了解事項なのかも知れませんが、一応、この未定義性が「望ましい」かどうかについても書いておきます。僕はmyrtさん(Purpleさんもでしょうか)が追求しているような「いわゆる「ゲーム」としてTRPGを楽しむこと」にはそれほど興味がないのですが、(それを追求しようとする時に見えてくるTRPGのゲームとしての特性には興味がありますが)そういうプレイを楽しもうと思ったらやっぱり未定義性を残さないことが望ましいのではないか、とは思います。GMとPLの対戦のようなプレイを考えると特に、公正を期すためにGMは事前にできるだけ多くを設定し、それを変えないべきだ、という原則があるように思います。絶対そうしなければいけないかどうか、他の原則とどちらかをとらなければならないような場合がどの程度考えられるか、という点についてはちょっとわかりませんが。

それとは別に、いわゆる「ゲーム性」を重視するプレイに限らず、他のスタイルのTRPGのプレイでも、事前にしっかり設定をしておくことのメリットはあると思います。GMがプレイ中に先の展開を考えていたり、どう反応しようか迷っていたりするのを見ると、「そこに世界があってPCはその世界を冒険しているのだ」という感覚、虚構への没入感とか、疑似体験の度合いが減る傾向があると思います。そこでシナリオの本質的な部分や世界設定の重要な部分、印象的な情景など、プレイ中に必要になりそうな部分がしっかり準備してあることにはメリットがあると思います。もちろん、アドリブの多いプレイやあれこれの設定を「保留」しておいてプレイ中に追加設定をしておくようなプレイにも、鍼原さんやmyrtさんの指摘にもあるように、それはそれでメリットはあると思いますが。

で、繰り返しになりますが、こうした多様なプレイスタイルをTRPGと呼ぶことが望ましいか、という点に関しては、今のところ議論は避けたい感じです。どなたかに「それはTRPGについて初心者に誤解を与え、TRPGの未来に非常に悪い影響を与えることになるから、何か別の名称を考えてくれ」という意見を頂いたらまたその時にでも考えようと思います。

3)「未定義」と「定義済」の中間地帯としての「保留状態」
もうひとつ、鍼原さんの投稿を読んでいて思ったのですが、確かに「何も決めていない」というのとはちょっと違う、「保留してあるけれど、一応あれこれアイディアがある。でも最終的な詰めはしていない」「NPCの行動を通じて特定の方向に話を持っていきたいのだけれども、他の諸要素がNPCの出番が来た時にどうなっているかがわからない上、どういう行動をどういう風に描写したらPCやプレイヤー達をうまく説得・誘導できるかもわからないから、少しプレイをやってみて考えることにする。」というような場合は、単に何も決めていない場合よりも多くありそうな気がします。これは僕の書いた「未定義性」とPurpleさんが想定しているであろう「(本質的な部分は)事前に全てを決めておく」というのとの中間にある感じがします。

「一応今の時点で設定しておくこともできるが、明らかに後でその設定を変えたくなる可能性が高い。プレイを始めるといろいろプレイ前にはわからなかったことがわかるからだ。つまり、事前考え抜くのが大変だったことが、物語が実際に動き出すとリアリティが出てきて先まで考えられるようになったり、絞れなかった条件が絞れてくるからだ。」と考えるともなく考えて判断を保留するGMがいたとしたら、その人のマスタリングを「結局本質的な部分を一部未定義なままに残してプレイ中に追加設定を行った」と形容することも、「一応決めておいたけれども、予感通り読み間違いに気づくことになり、プレイ中に設定の変更を余儀なくされた」と形容することもできそうです。これをPurpleさんが「こういう形での設定はあるし、あってよい」と考えるなら「シナリオの本質的な部分をわざと未定義にしておく」という僕の問題の記述と、表現の差はあれ、扱っている事柄についてはかなり重複があると思い ます。(保留でも何でもない、本当に何も決めていない未定義性がどういうものであるかについては次の項で書いてみます。)

少し本題を外れますが、いわゆる「ゲーム性重視」の立場からは、上の保留の理由のうちのある特定のものが気になるのではないかと思います。「事実として矛盾する複数の設定を候補にして、保留しておきたい」というものです。「NPCはもしもPC達に尋ねられたらこのマジック・アイテムを持っていないことにする。もしも尋ねられなかったら持っていることにする。」という設定を事前にやるのは少数派だと思います。ですが、それを「保留」という形で行う(プレイ中にどちらかを選ぶ。それまでは決めないでおく)ことは、少ないと言えない気がします。(憶測を重ねた、曖昧な議論で申し訳ありませんが。)これは「PC対ミッションの障害」という構図でのプレイを考えると「望ましくない」とも僕は思います。物語の展開についてプレイヤーからのインプットを受け入れるシステム/プレイスタイルなど、そうした保留が「望ましい」と言えるプレイもあると思います。が、もしかすると少数派かも知れません。

4)未定義性は白紙状態ではないこと
最後にもう一点。未定義性がある、という場合には何も決めておらず、一切の白紙状態にある、ということではないと思います。鍼原さんの投稿を読んでから僕も「未定義」という用語にそういう白紙状態を連想したのですが、実際には、何の設定もなされていないところにも、あれこれの制約条件やガイドラインや手がかりがあると思います。これは例の2000年末の議論の際には「メタ・ルール」などと呼ばれていたと記憶しています。世界観やセッションの方針やシステムのデザイン・コンセプトやシナリオの狙いなどから、設定がない状態でも設定の際の手がかり、「どれがよい設定でどれがそれほどよくない設定か」を考える手がかりがいろいろあると思います。言い換えれば、何も決まっていなくても、「とりあえずこれかこれかあれのどれかに決めることになりそうだ」という類の感触は、GMが少し時間を使えば得られるだろうと思います。これは「いろいろな可能性を考えてはあるが、絞り込んでいない」といういわゆる「保留」と「それらの候補を意識しているか否か」の点で違っています。おそらくPurpleさんはこの意味での未定義性がシナリオの本質的な部分に残されていることは「少ないかもしれない」と考えているのだろうと思うのですが。僕の意見も「少なくもないのではないだろうか」程度ですが。

どうも鍼原さんとmyrtさんの論旨を繰り返してしまった点が多いような気がしますが、以上です。
2002年02月18日:18時40分55秒
【制御層とゲーム分析】Re:シナリオ重要部分の故意の未定義 / myrt
(Re:2002年02月18日:02時14分21秒【制御層とゲーム分析】シナリオ重 要部分の故意の未定義 / Purpleさん)

>>(特に議論の中心にいるmyrtさん、どうでしょう?2000年11〜12 月の書き込みから推定すると、myrtさんも、シナリオの本質的部分をわざと 未定義にすることは認めていないと思っているのですが。) <<

 あれからかなり論議をしたのである程度は意見が変わっておりま す...私の意見は「シナリオの本質」が何か、という点に依存します。

 私の未だ変わらぬ意見は、「ゲームのうち本質的な部分を変えてしまえば それは本質的に違うゲームである」というものです。私はプレイされる ゲームの一貫性の高いプレイスタイルを好みますが、絶対に「プレイしているゲームを気分などの要素によりころころ変えること」をあらかじめ決めてお いてはいけないとは思いません--私は運用しきる自信がないですが、そ のほうが得意な人もいると思います。

 同様なことをシナリオにおいて行なうプレイスタイルがある かもしれません。例えば重要NPCのクライマックスにおける 行動が、話の結末に大きな影響を与えるとします。 このときあらかじめ行動表を用意せずに「重要NPCは立場的に妥当な行動を取る。 何が妥当かはそのときになって考える」と決めておく方法が考えられます。 後知恵の賢さと蓄積データの利用、労力の節約を考えると、 この方法をわざと取ることが好ましい場合があるように思えます。
#ただし常に好ましいわけではない。例えば妥当性の認識問題。

 この方法について「シナリオの重要部位をわざと未定義にする」と表現 しているのがトモスさんの主張なんじゃないかと思います。 他に「妥当な 行動を取ると決めてあるから、重要部位はきちんと定義されている」と いう表現方法もあると思います。こちらがPurpleさんの立場ではないか と思っているのですが...

 うーん、「何か定義せねばならないことはわかっており、それが重要な 要素だとわかっているのだが、予想される何かの数が多すぎてどの予想 に対するリソースの用意も経済的ではない」ということで「読み間違 い」に当たるのでしょうか??
2002年02月18日:18時38分45秒
【制御層とゲーム分析】TRPGにおける未定義性の利点 / myrt
(Re:2002年02月17日:16時27分51秒【制御層とゲーム分析】TRPGにお けるゲームの同一性 / トモスさん)

>>ひとつ重要に思えるのが、「その部分定義しないということ 自体は決定済」という点です。<<

 同意します。この行為は「我々はどんなゲームをプレイするの か」という問題を先送りにするものであると思います。 問題点もありますが、利点も大きいです。

・往々にして後知恵のほうが賢いこと。また、先送りにされていた間の データ蓄積が利用できること。繰り返しテストと修正をされたシミュレーション の完成度が高いように、プレイ前に作った仮想物理層モデルよりもプレイ中の経験を 生かして作った仮想物理層モデルのほうが完成度が高いことが期待できること。
・「野球をやっていたが、飽きたので中断してサッカーを始める」ような プレイをフォローする運用が可能であること。
・問題を先送りにしきることができる可能性があること。プレイ終了まで ある部分の定義問題を先送りしきれば、その部分の定義方法につ いて意見を異にするプレーヤー同士でプレイしても問題が発生しないこと。
・未定義部分の設定のための労力が節約できること。そのためTRPGでは通 常のゲームとは比較できないほどの規模(ただし中はスカスカ)のシナリオを 短時間で構築できること(TRPGの複雑性)。
・そのときだけ正しい定義で良いこと。事前に製作する定義は、プレイ中に どのような展開になっても不整合がないことを心がけなければならないが、 プレイ中の定義はそうとは限らない。

 これらの利点を何一つ生かせないならば、TRPGなんぞやらずにボードゲームを やるべきだと言えるかもしれません(今一つ自信なし)。
2002年02月18日:18時36分27秒
【実装とゲーム分析】体格とゲーム核における局面 / myrt
(Re:2002年02月17日:17時19分58秒【実装とゲーム分析】スポーツ とゲーム / トモスさん)

>>ただ、それを理由に体格をゲーム核の一部として認めようとすると、 今度は、「100m走はプレイヤーが違えば違うゲームだ」とか、「将棋 は指し手の実力や相手の実力によって違うゲームとしてプレイされることにな る」などということになってしまう気がします。<<

 しかし、体格がどう違うとどう有利になるかという点は、まさにその ゲームの性質であるように思えます。上半身をどう鍛えるとどう有利になるかは ボクシングとサッカーでは違うでしょうから。

 それを解決する考えが「初期局面の相違」です。ゲーム核という巨大な 一つのネットワークを考え、体格や相手の違いは局面の違いにすぎないと します(得点や立ち位置によって、同じゲーム内での局面が変わるように)。 同じゲームをする限りどんな体格だろうと同じネットワークで 扱われるが、スタート地点が違うのでたどり着ける点も違うかもしれない、 という考えです。これは、テニスなんかで「スタート時の立ち位置はプレイ に影響を与えるが、一定の範囲内であればどの立ち位置から始めても同じ テニスである」に相当するのではないかと思います。

 この考えの難点は、「そうすると初期局面は体格なんかで決まる んだから、結局は体格ごとにゲームの核内でたどりつける局面がどうなるかは ユニークだということになるじゃないか!!」という点です。でも、それ って案外真理をついてるような気がします。
2002年02月18日:04時21分28秒
【制御層とゲーム分析】Re:シナリオ重要部分の故意の未定義 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 こんにちは。
 Purpleさんの疑問提起に、参考意見を述べてみます。
 
>ここまでは私の考えにすぎないので、私の意見が少数派ならそれでいいのですが、そうでないのなら議論が誤った結論に向かってしまいます。
>というわけで、他の方はどう考えているのでしょうか?果たして、そのレベルでの未定義について合意は得られているのでしょうか?
 
 purpleさんのお立場が少数派かどうかはアタシにはわかりません。
 が、シナリオの重要部分を“未定義”にしておく、ということなら、
 アタシは重要NPCの動機付けを多義的にしておきたい、と考えてそのように心掛けて準備することはあります。
 
 @トモスさんWrote (「【制御層とゲーム分析】TRPGにおけるゲームの同一性」,TRPG総合研究室 LOG 089,2002年02月17日:16時27分51秒)
>「ここでこのNPCがどう対応するかはその先の展開にとって非常に重要なのだけども、またそれはその時考えることにしよう」
 
 アタシの方では。NPCの動機付け設定などは、重要なリソースデザインと思っています。(もちろんNPCのデータ面は、「多義的」などであってはいけないと思います、ルールに従って「一意に定義」されるべきと考えています)
 ここでアタシが言う動機付け設定に関する「多義的」は、「何も決めていない、考えていない」ではありません。

 上記引用文でトモスさんが書いてられるのに近い線で、「プレイヤーがPCを通じて表現してくるものに応じてこちらもNPCハンドリングを代えられるようににしておく」の意味です。
 
 アタシとしては、これはゲーム核関連の話題で言われるような「定義(一意に定義)」とは性質が違うと思っています。また「未定義」というわけではないとも思っています。
 ので、自分では「多義的」にしておく(できるだけしておきたい?)んだと考えています。
2002年02月18日:02時14分21秒
【制御層とゲーム分析】シナリオ重要部分の故意の未定義 / Purple
 2002年02月17日:16時27分51秒の以下の書きこみの件で、ちょっと意見があります。
 
 >TRPGでは、GMがシナリオにとって本質的と考える部分を一部、わざと定義しないままにしておく場合があります。「ここでこのNPCがどう対応するかはその先の展開にとって非常に重要なのだけども、またそれはその時考えることにしよう」「ここでPCが扉を壊そうとした場合にはどういう判定を用いて決めるか、どういう結果がありうることにするか、はその後の展開に大きく影響を与えるけれども、それはまた後で決めることにしよう」などと。
 >未定義な部分がゲームにとって本質的な部分でないならば、それを定義する作業はまあゲームのプレイ中にやってもいい「実装」の一種だろう、ということになります。少なくとも今までの議論ではそういう前提でやってきたので今はこの点については考えないことにします。
 
 トモスさんは1年前の私とmyrtさんの書き込みを読んでいらっしゃるので、ご存知とは思いますが、私はこの立場を取っていません。
 
 たしかに、「ルールやリソースの一部が未定義な状態でプレイが開始され、ゲーム中リソースデザインなどが頻発しやすい」とうことがRPGの特徴であることは認めます。
 そのため、「RPGに未定義性がある。」という意見には、これまで特に反論しませんでした。
 
 しかし、それはあくまでも、シナリオ作成者のいくつかの不注意と読み間違い(詳細後述)によって起こるものであり、「本質的と考える部分を一部、わざと」というレベルで起こすものではないと考えています。
#1つ目の例である、「NPCがどう対応するかは〜」については、特に。
 
 ここまでは私の考えにすぎないので、私の意見が少数派ならそれでいいのですが、そうでないのなら議論が誤った結論に向かってしまいます。
 というわけで、他の方はどう考えているのでしょうか?果たして、そのレベルでの未定義について合意は得られているのでしょうか?
 (特に議論の中心にいるmyrtさん、どうでしょう?2000年11〜12月の書き込みから推定すると、myrtさんも、シナリオの本質的部分をわざと未定義にすることは認めていないと思っているのですが。)
 
 ○備考(「不注意と読み間違い」について)
 不注意としては、
 ・世界観、既存ルールへの理解不足。
 ・プレイヤー、PCへの理解不足。
 ということがあげられます。これらが原因となり、リソース・ルールの必要性をシナリオ作成者が認識できない。あるいは誤った定義を行ってしまい、リソース・ルールをプレイ中にデザインしたり改変したりすることが発生します。
 
 読み間違いとしては、
 ・PCの行動によって必要になる可能性は考慮したが、可能性は低いと判断し、リソース・ルールを用意しなかった。
 ということがあげられます。こちらは故意に未定義にしているのですが、可能性が低いと考えているのですからシナリオの重要部分の未定義ではありません。
2002年02月17日:18時14分25秒
TRPG総合研究室 LOG 089 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 089として2002年02月10日から2002年02月17日までのログを切り出しました。

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2002年02月17日:17時19分58秒
【実装とゲーム分析】スポーツとゲーム / トモス
先の投稿【実装とゲーム分析】ゲーム核とゲームの局面、2002年02月17日:16時28分50秒で、腕相撲がゲームの定義に抵触する、と書きましたが、これはPurpleさんが以前ほぼ同様の指摘をした点です。
【比較ゲーム分析】スポーツとゲームを同じ土俵で語るのは、わかりにくいです。2002年01月09日:02時22分14秒)
その時に問題になっていたのは100m走で、僕はこれは対戦型のゲームとは呼べないのではないかとは思うのですが、一人用ゲームだと考えると、一応走行フォームなどの工夫を通じてタイムを伸ばす取り組みが考えられるので、問題がないような気もします。但しこの場合、「頭で考えて工夫する」というよりも身体感覚を手がかりに工夫の仕方を摸索する、いわば「身体で考える」ような工夫なので、ゲームとは呼びがたい、という考え方もあるとは思いますが。(これも以前Purpleの上記の投稿をきっかけに議論された点ですが)

いずれにせよ、先に示した難点(ゲーム核の概念をスポーツに適用する際の難点)は、「ある種のスポーツはゲームっぽくない」「だからゲーム核の概念が適用しづらいのだ」という言い方をすることもできるわけです。もちろん、myrtさんはゲームの別の定義の仕方について考えている部分があるので、そこからまた違った意見が出るかも知れませんが。
もうひとつ厄介なことは、100m走を一人遊び用のゲームだと考えた場合でも、最適の戦略(走行フォーム)が、ゲーム核の構造によってではなく、プレイヤーの体格によって大きく左右される点です。
myrtさんはあるいはこれを考えているから、ゲーム核の概念の定義を変更した方がいいのではないか、と提案しているのかも知れません。以前スポーツにおける「体格」はプレイヤーが「プレイに持ち込むリソース」という言い方をされていましたが、それは確かに「体格は周縁領域に属する要素」という考え方よりもうまく言い当てている感じがします。
ただ、それを理由に体格をゲーム核の一部として認めようとすると、今度は、「100m走はプレイヤーが違えば違うゲームだ」とか、「将棋は指し手の実力や相手の実力によって違うゲームとしてプレイされることになる」などということになってしまう気がします。ゲーム核の概念はもともと「TRPGにあって他のゲームにはないもの」としての未定義性を議論する際に、「どんなゲームにも周縁(実装)領域には未定義性はあるがTRPGの場合ゲーム核にまで未定義性があり、それがTRPGの独自性の大きな原因と言えるのではないか」という形で導入されたものです。そこであるゲーム(将棋なら将棋、TRPGなら特定のシナリオとシステムのセット)を同一のゲームとして判断する根拠を考える時につかう概念であるためには、「プレイヤーの資質や実力」などは排除して考えた方がいいだろう、という判断をしたわけです。これはやっぱり適切だという気がします。

言い方を換えると、「100m走のようにゲームの構造(=ゲーム核)だけでは手のよしあしがほとんど決らないスポーツは、やっぱりゲームとは呼びがたいのではないか」と考えるか、そうでなければ、「スポーツにおいては、ゲーム核にプレイヤーの体力や体格やその他の身体能力も含めて考えて、同じ100m走でもプレイヤーの状態が違えば別のゲームだ、と呼ぶことにするのがいいのではないか」と考えるか、という可能性で迷います。

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