TRPG総合研究室 LOG 075

TRPG総合研究室の2001年11月16日から2001年11月18日までのログです。


2001年11月18日:02時33分07秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]自由度の問題? / ログ
実の所、「箱庭型」に対する認識が甘いままなのですが、例があまり適切でない気がします。

以前の問題の時の自分のレスと同じですが、
高難易度なシナリオを対応できないPLにさせたのが原因と考え、GMのシナリオ選択ミスだと思います。
特殊なシチュエーションである「奴隷制度が成り立つ世界」を想像するのは難しく、ある程度の知識や経験、想像力がないと無理な事が多いと思うんです。

奴隷制度を理解して参加したPLは常識的に考えて、奴隷商人を殺そうとする事は善良な一般市民を殺す事と大差ない事を知っていると思います。奴隷商人を殺すという選択をする時点で、奴隷制度を理解していないPLと見なして良いと思われます。彼らが何故説明したにもかかわらず参加してきたかというと、新しい試みに対する興味から「奴隷制度くらいわかる」とハッタリをかましたのかと思うんですね。

結局、「高難易度なシナリオを対応できないPLにさせる」場合、GMの対応がどうであろうが多少の不満は残るし、言い換えれば不満が発生しやすいシナリオであるし、GMのシナリオ選択ミスというのが原因で、『f』に属するかと思われます。

最近の傾向として、「GMはPLを楽しませる義務がある」というようなものがあり、多少無茶とも言える「敵が強すぎる」「奴隷が味方しない」などはそこに関連する気がします。割と昔は実験的なシナリオでも容認されたし、強過ぎて勝てない敵もいたし、NPCに戦力を期待する事もなかったような気がします。自分がその参加者だったら、ちょっとだけ愚痴として不満は漏らしますが、GMに責任転嫁するような真似はしません。

余談ですが、最近のCMで「クリアするのに脳ミソいらねえじゃん」というのがありましたが、言いえて妙って感じがしました。考えなくても良いCRPGになれ過ぎて、同じ感覚でTRPGに興味を持つと、「出会う敵には必ず勝てる(戦えない敵とは戦闘すらできない)」とか「どんなイベントも手順通りにやれば感謝されほめたたえられる(そういう結果にならないイベントの配置に存在意義がない)」つもりで参加するので想像と違う部分に自由度などを持ち出すのではないかという気がします。
因に…、Ultimaでは人を殺す事も出来ますが、ほとんどの場合は町を出るまでに罪人として退治されてしまいます。TRPGでの自由度ってのに一番近いかなと思ったりします。

2001年11月18日:01時03分18秒
[【TRPGでの自由】自由の考え方]仮定にもとづく事例での質問への回答 / 鏡
 >鍼原神無さん(^^)/
 私が考えるものが「箱庭型」であるかどうかはともかく、必ずしも「ガチンコ」という訳ではありません。この辺も含めて回答します。
 
 私の回答は三つあります。第一に「b)GMのシナリオ構想が箱庭型にしては若干無理があった(背景設定は構わないがシナリオ設計の計算違い)」の「b-2:同じ背景設定、同じ冒険の狙いでも、導入方法などのシナリオ構成を工夫しておけば、うまくいった」です。構想は良いにしても、件の背景設定を考えればプレイヤーがそういう行動に出ることも考慮に入れておくべきでした。もっとも、予想を越えた行動が常にありえるのですが。(それが面白いところです。)
 
 第二に「c)GMの構想はよかったがマスタリング手法がまずい」です。徹底抗戦をプレイヤーが決めた時点で、「このまま戦闘を続けるとPC全滅の可能性が高いです。そうなった場合本日のプレイはそれで終了ですが、それをあなた方は望みますか?」と質問すべきでした。もし類似の質問がされ、それをプレイヤーがそれを望んだならば、勿論マスターの責任ではありません。
 
 なお、プレイヤーが「d-1:唐突に奴隷市場で暴れ出すプレイヤーの状況判断がうかつである」「d-2:官憲に捕縛されるチャンスを逃し甘い期待(奴隷の加勢)で徹底抗戦を選んだ状況判断がうかつである」というのも確かです。が、ミスも常にあるもので…。
 
 もうひとつ第三として「f)a)〜e)以外の考え方」、マスター/プレイヤー間の信頼感や意思疎通が不十分だったのではないか、という懸念があります。私が考える「無制限の責任」は三つあります。
  1. 他のプレイヤーやマスターの「無制限の自由」を受け入れる責任
  2. それらの中で生じたあらゆる結果を受け入れる責任
  3. 楽しさや面白さを他者に期待せず、(他者との協力を含めた)自力で手に入れようとする責任
 これら三点を支えるためには相互の信頼(=相手もそうしてくれるはずだ)と、意思疎通(=相手が今これをどう考えているか)が無いと、特に無制限では怖くてやってられません(^^;)。それが限界と言えば限界ですが、失敗しても笑って済ませられる関係か、それを事前に回避できる情報交換があれば問題のような状況は回避できるわけです。プレイヤーの行動の自由は認める一方、「それをやるとまずいことになるよ〜」「このまま戦いつづけると全滅しちゃうよ〜」などと伝える自由もある点で、「ガチンコ」とはちと言い難いかな、と。
 
 ところで上記三点の「責任」は自由を制限した場合でもあるわけですが、「○○の範囲内で」という但し書きが付く分だけ怖さは和らぎます(^^;)。特に3については「そのルール/設定/シナリオ/マスターの想定範囲内で行動する限りにおいて、プレイヤーは最低限の楽しさが保証される」と言うことができましょう。
2001年11月18日:00時37分22秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]鍼原さんの挙げた例は妥当じゃないと思います / 天見
鍼原さんの挙げた例は私が考える箱庭型への質問として妥当じゃないと思います。
例で挙げられている問題は、状況を把握しないで行動を起すプレイヤーと自分で処理出来ないプレイヤーの行動を認めたマスターの問題だと思うのです。
箱庭型のマスターもセッションが成り立たなくなるプレイヤーの行動は認めないと思います。
私は、箱庭型とシナリオ型(ここでは箱庭型との比較としてある程度のずれがあるとしてもシナリオ通りにセッションを進める方式とします)の差は、セッションの目標をマスターが持つかプレイヤーが持つかの差だと考えてます。
シナリオ型の場合、仮に「GMとしては、PC達が異邦人としてNPCとの接触などを通じ、奴隷制都市国家の習俗・社会制度を少しずつ理解していくことを構想した」シナリオ(鍼原さんの文を少し変えました)を作成した時、プレイヤーは奴隷制度を理解しようとしなければセッションとして成り立ちません。
箱庭型の場合は「奴隷制都市国家の習俗・社会制度」を作成してその中でプレイヤーが行動する事によってセッションを成り立たたせます。
プレイヤーは奴隷制度を理解しても良いし、利用して良いし、無視しても良いし、壊しても良いのです。
箱庭型で言う自由とは、セッションの目標をプレイヤーが決められる事にあると思います。
その目標の妨げとなるなら、突然奴隷商人を殺すなどの一回の行動選択に自由はないと考えます。
(突然奴隷商人を殺す事がプレイヤーの目標なら行動しても良いと思うけど)

自由と言っても、大前提としてマスターとプレイヤー全員で楽しもうと協力はしなければならないと思います。
2001年11月17日:23時54分15秒
Re>[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問 / 闇の鷹
 個人的に、セッションが失敗する(シナリオの崩壊から、ゲームその物崩壊も含む)原因が、一方的にGMまたはPLにあるという事はまれだと思います。
 
 今回の鍼原さんの事例において、
・GMサイドには、b)のb-1とb-2で反省すべき点があるかと思います。
・PLサイドでは、d)のd-1とd-2で反省すべき点があったのではないかとおもいます。
 ゆえに、最終的な結論はe-1。冷静な話し合いをするのがベターであると思います。
2001年11月17日:23時32分12秒
【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での回答 / カブトガニ
化石になりかけのGM改め、カブトガニです。

私の感覚では、箱庭型マスタリング云々の問題ではなく、単純にGMの対応ミスのように思います。
鍼原神無さんの設定で、私がGMをしていたとしてお答えします。
場面としては、PLが「奴隷商人に切りかかる。」と宣言した場面からです。

PL「奴隷商人に切りかかる。」
GM「なぜ?奴隷制度はここでは合法だよ?」
と、聞いて考え直す時間を与えます。
それでも、
PL「『〜〜(一応、筋の通る理由)〜〜』だから、攻撃します。」
と、あくまで攻撃するなら、
GM「奴隷商人にはひどい手傷を負わせたけれど、あなたたちは官憲に取り押さえられた。」
と、処理し、保釈金の代わりなどという名目で本来させたい問題を解決させるようにします。
奴隷制度などの、状況も身にしみてわかるでしょうし、シナリオを続けられます。

結果、シナリオに引きずり込んでいるだけですけど・・・
理由が理解できないものでも、基本的に攻撃したいなら認めます。
でも、あまりにもいい加減な理由なら、奴隷として売られるなど、多少本線と外れても、この世界をしっかりと理解してもらうこともありだと思います。
2001年11月17日:22時11分15秒
d-sys / 【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での回答
「結果、セッションは、GMの当初の思惑から大きく外れ、予期されていたセッション時間の1/4〜1/3、1戦闘のみで、PCの全滅で終了した。GMは想定していた冒険の思惑がはずれたので不満が生じた。一方、プレイヤー達には、官憲集団の設定が強すぎる(ゲームバランスが悪い)、奴隷達が加勢しないマスタリング裁定が納得いかない(横暴)などの不満が生じた」

という結果についての考察。
追加質問を加えての話になるわけですが、僕自身の意見としては「e-x:双方に問題がある、その他」になります。


「GMは想定していた冒険の思惑がはずれたので不満が生じた」の部分ですが、ガチンコを選択したわけですから、「想定がはずれた」レベルで、不満に思うべきではありません。「自分の手におえなくなるリスク」をふくめて箱庭型/ガチンコを選択したわけですから、その責任は取らなければならないでしょう。

一方プレイヤー達ですが

「官憲集団の設定が強すぎる」
については、データと世界設定を見てみないとなんともいえません。これに付いては議論の余地があるでしょう。まぁ、ファンタジーで言えばドラゴンより官憲集団が強いってのはちょっと、とは思います。いくら異郷でもね。
ただ、逆にいえば、データを比較検討すればそれが的外れな批判かどうかは判明するでしょう。おおむね一般人〜トロール程度の強さなら、べつにGMが横暴とはいえないんではないかと思う。つまり、プレイヤーの不満はおかしい。


「奴隷達が加勢しないマスタリング裁定が納得いかない」
これに関しては、PCに同情の余地はないように思われる。設定が異邦人で、ガイダンスが行われていて、ガチンコのプレイであるという納得があるのなら、これはPLの甘えでしょう。罠も調べないでダンジョンを歩くとか、王様を面と向かって罵倒するとか、寝てるドラゴンの鼻面を蹴飛ばすとか、そういう類の判断ミスでしょう。

僕はこの結果に関して、なんの問題もあるとは考えていません。「箱庭型/ガチンコ」のセッションを行う以上、こうなる可能性は当然あるわけで、そのことは参加者の合意がなされているのならば、何の問題も無い。問題は、むしろ、その結果を不満に思っていることのほうでしょう。

僕の感想としては、上記のプレイの結果に本気で不満があるのなら、そのグループは「箱庭型/ガチンコ」のセッションを行うべきではないというものです。TRPGには多様なプレイスタイルと多様な楽しみ方があるわけで、別のスタイルに移行するほうが建設的だと考えます。

逆に、納得できるグループであるならば、スリングなプレイ時間を過ごせる可能性があるんじゃないでしょうか。

ps.なお、上の考えは「官憲集団を襲う」というのがPLの総意であるという仮定で書きました。そうじゃない場合は当然別種の回答があるわけですが、それはまた別の問題ですよね。


2001年11月17日:21時34分10秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]Re:鍼原さんに質問 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>d-sysさんへ
 有意義なご質問、ご意見ありがとうございます。
 お応えします。
 
1)まず訂正。
>GMの思惑としては、現代の通念と異なる異文化を有する異世界での、
下線付け部分は誤入力でした。d-sysさんは、文脈から論旨を正しく推定読解してくださいましたが、他の方もよろしくお願いします。

 「設定レベルでPC達は異邦者」であったことは告げられたとします。
 異文化に関するガイダンスについては、GMは、「シティアドベンチャーで少し舞台の設定に凝ってみた。君たちは異邦人として見知らぬ都市国家で冒険してもらう」程度に匂わせ、プレイヤーに期待を持ってもらうことを狙ったとします。
 
2)「奴隷が加勢することはない」という情報について
 はい。例えばd-sys さんが挙げられた「奴隷は遠巻きにして不審そうな表情で見ている」ような表現で、説明による伝達ではなく描写で提示されたとします。
 
3)「プレイ中、PCの判断がミスれば全滅する可能性はあるよ」これはなかったとします。
 メンバーは全員、この仮定の箱庭形のセッション経験が複数回あり、「ガチンコ」である、ゆえに全滅の可能性もある、ということは暗黙の了解があると、少なくともGMは期待していた、とします。
 
補足1)「先だってのカテゴライズによれば、エンターテイナーとしての姿勢はセッション前の段階に費やし、セッション中のマスタリングではジャッジとしての態度を強く取る」は適確な認識と思います。(迷ったのですが、箱庭型のことがよくわからないので書きませんでした)。

補足2)メンバー、含む全員は、この仮定の箱庭形のセッション経験が複数回あるとします。コンベンション的にはじめてプレイしたのか、最近数回のセッションをともにするようになったかは、アタシには判断できません。こうした事態が起こりやすい方を教えていただきたいと思います。
 
別件≫ステイシー石崎さんへ
 「別件」という型で失礼します。
 
 申し訳ないです。アタシの作文能力が至りません。
 です・ます体で書きますと、アタシの場合、さらに文章量増えてしまいます。
 さらに、「強い語調は避けてほしい」なる提案もあり、体言止で一貫など文章量削減の方向も、なかなか迷うものがあります。
 また、今回投稿で最長の(長文)はこれまでの議論の迷走をみるに、これくらい詳細に書かねばならないと判断しました。(文体は一番簡潔なつもりなのですが、ダメでしょうか?)
 御期待に添えなく、申し訳なく思います。
 できましたら「おおむね長文になりやすい論議についてあつかいます」のガイドラインに免じて、ご容赦を乞えるとありがたく思います。
2001年11月17日:21時04分28秒
鍼原さんに質問 / d-sys
 【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問(長文)
 の状況下において、いくつか質問したいことがあるんで、追加質問させてください。
 # この追加質問させてくれって言う姿勢が、TRPGのPLにも必要だと思うんですが。

1)
 プレイ前の段階で「GMの思惑としては、現代の通念と文化を有する異世界での、異世界体験を織り込んだ冒険を楽しんでもらうのが目論見だった」
 という点は十分なガイダンスが行われたのでしょうか? 設定レベルでPC達は異邦者なわけですが、この点PC達は自覚があったのでしょうか?

2)
 「GMは当初、官憲集団NPCにPC達の捕縛も試みさせたが、PC達は奴隷が加勢することを期待して徹底抗戦。奴隷による加勢などはないという、設定にもとづいた公正なマスタリング裁定もあって戦闘はPC達の全滅で終わった」
 にいたる状況下で「奴隷が加勢することはない」という情報はPC達に伝えられたのでしょうか? 例えば「奴隷は遠巻きにして不審そうな表情で見ている」など。

3)
 箱庭型セッションは、その性質上ガチンコになりますよね。つまり、PC達は自由度が高い変わりに、シナリオの成功に対する責任をおわなきゃならない。マスターは、先だってのカテゴライズによれば、エンターテイナーとしての姿勢はセッション前の段階に費やし、セッション中のマスタリングではジャッジとしての態度を強く取ることになる。
 このことについて、つまり「プレイ中、PCの判断がミスれば全滅する可能性はあるよ」ということについて、参加者へのガイダンスは、プレイ前に行われたのでしょうか?


 以上、三点について聞きたいと思います。よろしくお願いします。


2001年11月17日:20時52分17秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での回答 / 極楽大王


 私の回答
 c)GMの構想はよかったがマスタリング手法がまずい
 c-x:マスタリング手法がまずい、その他
 
 とっさの判断でここまで思い通りに実行できるか自信がありませんが、おおむね以下のような方針で場に臨みます。
 
 方針:『この行動はセッションの本筋から大幅に逸脱し、私の準備状況では対応しきれない。そこで速やかにバッドエンドの状態にし行動前の状況から再開しよう』
 
 マスタリング:
 奴隷商人を切った君たちを奴隷達は悪魔か鬼でもみるような目で見ているよ、小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、みんなちりじりに命乞いをしながら走り去っていく。遠くで衛兵を呼ぶ声が聞こえたかと思うと辻々から武器をもった衛兵が出てきて遠巻きに包囲しているよ。さぁどうするこのまま戦っても捕らえられるか全滅は必死だね。
 ところでキミは何故いきなり奴隷商人に切りかかったの?・・・・・そう。実はこの町はかくかくしかじかの町なんだ。最初に説明して無くて悪かったね。こんな風に現代の常識では考えられないけど一応理由のある設定がちりばめられているから、注意して行動してもらえると助かるな〜。じゃぁ奴隷市場の側から再開するよ。いいかな?
 「君たちの前にあるのは奴隷市場だね・・・・・・」
 
 
 箱庭型設定世界で遊ぶときの私の優先順位
 1)自分の考えた世界をセッションを通して楽しんでもらいたい
 2)制限時間いっぱいまで楽しんでもらいたい
 3)シナリオなどの達成感を味わってもらいたい
 4)参加者の自由な発想による行動を活かしたい
 
 PLの行動は尊重したいものです、ですからその行動によってインスピレーションが刺激され、とっさにシナリオを変更できるのが箱庭設定世界の醍醐味だと思います。それができない場合は自分の力量不足をすなおに認めて、自分の得意な展開に持ち込むのが定石です。
 ここで素直に「悪かった」とか「いいかな?」と言えるかどうかだと思います。ただ私はまだ出会ったことはありませんが、突然へそを曲げて破壊的な(破滅的な)ストーリー展開に発展させるPLがいるそうです。
2001年11月17日:20時24分17秒
はりはら・かんなさんへ / ステイシー石崎
>はりはら・かんなさん
ええと、テキストエディタにコピペして換算してみたら、あなたの連続投稿は原稿用紙で30枚弱、およそ18キロバイトもありました。
正直、ブラウザで読む量ではありません。内容を要約する、簡潔な文章を心がける(語尾をですますに統一する)などして文章量を減らしていただけると、掲示板の流れを追っている者としてはありがたいです。
2001年11月17日:18時50分38秒
[【TRPGでの自由】自由の考え方]質問:箱庭型での無制限自由の参照 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問」の質問の参照用も意図して、「TRPGにおける自由」についての、今現在のアタシの考えを簡単に書いておきます。
 
 まず自由には責任が伴う。
 権利行使と責任遂行の兼ね合いをとっていくのが自由の実践、と考えます。
 
 次いで、TRPGでの自由について、寺田大典さんが公開されてる「プレイスタイルの違いを踏まえて求める先」にて提案されたTRPGセッションの一般的構造モデルをふまえた整理を考えるとよいと思います。
 いろいろな事態を整理して捉え易くなると思われます。
寺田大典さんのHP≫TRPGBOX
 
 自由/権利/責任にも、セッションプレイ/ゲームプレイ/ロールプレイ/キャラクタープレイそれぞれに対応するファンクションが相互関連している、と考えられます。(以下の作文では、セッションプレイ/ゲームプレイ/ロールプレイ/キャラクタープレイ、すべての用語の規定、関連づけは寺田さんの整理に準ずるものとします)
 
 例えば、プレイヤーが行為選択を考える時間が不必要に長考になった場合、ゲームプレイのレベルでは「長考」の権利が主張できても、セッションプレイの責任のレベルでは、GMの司会権により、プレイヤーの権利は制限されることもある、と考えています。
 上記は、一連の議論では明確には出されていなかった観点の導入ですし。極、単純な事例ですが。この一時をもっても、やはり「ルールに則る限りプレイヤーの自由は制限されなくてはならない」との主張は、箱庭型を含め、TRPG全般において成り立たないように思えます。
 「無際限な自由」の主張は、ある種の極論か、真実の一面のみが強調された意見、と考えるとアタシには分かり易い。
※アタシが思うには、一連の議論の内では、鏡さんの「無際限な自由は無際限な責任を伴う」との考え方のみが、上記のような事態も説明可能な「無際限自由容認」の考え方だろうと思えます。
「【RPGにおけるPCの自由】チキン・ダイスさんの謁見についての感想」 (鏡さん記,2001年11月15日:22時18分17秒
 
 大方の無際限な自由の主張では、「GMの公正な裁量による権利の制限」との兼ね合いが無視されている。
 「ルールに則った」という規定で、ゲームプレイのレベルだけで事が主張されている。
 ――この辺が、一面的な主張だと思えます。
 
 それから、プレイヤーの自由(権利)が主張されるならば、GMも権利を主張できると思います。(こちらの件はアタシもまだ少し考えが曖昧ですが)
 例えば自分が用意した設定のディテールや、リアリティ度合に拘る権利、などはあるのではないか? (シナリオの展開に拘る権利については、これまでいろいろな議論がありました。が、どの立場の意見も大筋同じようなことを言っていると思いますし、実はその件では問題はあまりないと思っています)
 
 もちろんプレイヤーの権利が無制限ではないように、GMの権利も無制限ではない、が権利はある、とこのように考えた方が、アタシにはいろいろな問題への対処法が考え易いです。
 この辺は鏡さんの「無際限な自由は無際限な責任を伴う」の考え方とは、もう表現の違いくらいしかないかもしれない。
 ただ、アタシ的には、「寺田さんの一般的なセッションの構造モデル」と、自由は責任を伴うの考え方を活用して整理していった方が、いろいろな事態への対処策を検討し易いのではないか? と思えます。
 つまり「無際限な自由論」の考え方よりも、「自由はもともと権利と義務の兼ね合いの実践」の考え方の方が、説明理論として有用性が高いのではないか?
 異論もあるでしょうけど、今のところはそのような気がしています。
2001年11月17日:18時48分08秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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 アタシは、MOさんの言われる「箱庭型」って遊んだことがないので、バク然としかイメージできない部分があります。
「プレイングスタイルの違いによる反応の違い」 (MOさん記,2001年11月16日:00時55分57秒
 
 それで、「箱庭型」について、遊んだ経験のある方、どなたにでもご質問させてもらいたいと思います。
 MOさんの――
>マスターは、PCが行動できる範囲の設定、人物、事件等を作り、
>その中でマスターの思惑を出来るだけ介さぬように、自由にPCに行動させ、
>その行動結果の判定のみに専念するプレイスタイル。
代表的なシナリオタイプは、ダンジョンシナリオ、町での自由行動シナリオかな?
 ――と、いう規定に即します。

 さらにこの質問では「オフィシャルなワールド設定が無い『箱庭型』を想定し、冒険の舞台背景の設定、データ類はすべてGMがオリジナルに用意したもの(当然ルールで提供されたパラメータ体系などは妥当に参照されている)」とします。
 
 以上のような想定で以下のような事態が生じた場合、どんな考えでどんな判断がされるべき、と考えられるかお聞きしたいと思います。
 
■仮定事例(創作)
 「GMは冒険の背景に奴隷制度の上に成り立っている社会を設定した。たとえば古代ギリアの都市国家のように、奴隷の所有・使役・人身売買が罪悪視されていない都市国家を設定。この都市国家では、奴隷の間でも大勢としては奴隷制度が当然視されている。解放奴隷の制度もあれば、動物愛護精神に類した奴隷虐待は恥ずべきこと、とする精神もある(しかし奴隷所有自体には罪悪感はない)ため、奴隷制のうえに安定した社会が成り立つというリアリティ重視の異世界を設定した」
 
 「GMの思惑としては、現代の通念と文化を有する異世界での、異世界体験を織り込んだ冒険を楽しんでもらうのが目論見だった」
 
 「PC達はこの町の外部遠方から来た異邦人として設定される」
 
 「GMとしては、PC達が異邦人としてNPCとの接触などを通じ、奴隷制都市国家の習俗・社会制度を少しずつ理解していくことも冒険の一部として構想した。そのため初期情報としては『PC達は旅の途中で、背景となる都市国家は奴隷制のうえに成り立っていると聞いた』程度の情報しか与えないことにした(GMとしてはプレイヤーからGMへ、PCからNPCへの質問があれば、その質問主旨と質問の出来不出来に応じて奴隷制都市国家の仕組みを少しずつ伝える予定だった)」
 
 「ところが、都市に入り、奴隷売買の市場近くで、プレイヤーの一人がPCに突発的に奴隷商人を殺させる行為を申告した、この行為はルールだけに則って判定され、奴隷商人は殺害されてしまった」
 
 「奴隷商人殺害がきっかけとなり、PC達は都市国家の官憲(にあたる)集団となし崩し的に集団戦闘にもつれこんだ、この戦闘もルールだけに則って処理された(官憲集団の員数、装備、強さなどは、あらかじめリアルに設定準備されていたものとする)」
 
 「GMは当初、官憲集団NPCにPC達の捕縛も試みさせたが、PC達は奴隷が加勢することを期待して徹底抗戦。奴隷による加勢などはないという、設定にもとづいた公正なマスタリング裁定もあって戦闘はPC達の全滅で終わった」
 
 「結果、セッションは、GMの当初の思惑から大きく外れ、予期されていたセッション時間の1/4〜1/3、1戦闘のみで、PCの全滅で終了した」
 
 「結果、GMは想定していた冒険の思惑がはずれたので不満が生じた。一方、プレイヤー達には、官憲集団の設定が強すぎる(ゲームバランスが悪い)、奴隷達が加勢しないマスタリング裁定が納得いかない(横暴)などの不満が生じた」
 
※お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。上記創作事例は少し前に、TRPG.NET内の別掲示板で質問・相談の主旨で公開された投稿を下敷きとして参考にしています。
※が、ご存知の方が、もし細部を比較していただけば、この事例は細かい部分をカンナが調整・創作した架空の事例だと、理解していただけると思います。
※アタシが参考にした類似内容の投稿とは無関係な、仮定のケース・スタディとみなしてください。
 
■質問と質問主旨、質問の狙い
質問:こうした事態がおこった場合、「GMの不満」「プレイヤーの不満」双方についてどのような根拠でいか様に評価されるべき、と思われるでしょうか?
 
質問意図:「無制限な自由タイプのプレイとマスタリング」は「TRPG全般にではなく、箱庭型のシステムと、そのシステムに適合したシナリオ・マスタリングに向いている」と仮定します。
 この質問では「プレイヤーの一人がPCに突発的に奴隷商人を殺させる行為を申告した」の部分が、「プレイヤーの自由もセッション全体の成功のために制限されて仕方ない場合もある」意見で主張されていた迷惑行動の一種だとみなすことにします。
 必ずしもあらゆるGMが却下するとも思えませんが、GMのマスタリングスタイルによっては却下や「シナリオの都合による行為選択変更」の説得をするかもしれません。
 「無制限な自由」タイプの遊び方では、ルールに則っている限り、プレイヤーの行動選択の権利は否定されてはならない、と主張されています。
 一方、アタシの考えでは、シナリオを用意したGMには、自分が造った背景世界のディテール、リアリティなどを大事にする権利もあると思います。
 「無制限な自由」タイプの遊び方では、この2種類の権利が妥協点を探せないまま、「仮定事例(創作)」のような事態も起きるのではないか? と想像しました。
 アタシ自身は「箱庭型」タイプのTRPGはまったく遊んだことがありません。ですから上記想像が間違っているかもしれません。また、いろいろな意味で仮定事例(創作)」自体が間違っている(不適当とか、そもそも成り立たないとか、いろいろ)ということもあるかもしれません。
 そうしたご指摘があればいただきたいです。
 
 が、質問主旨としては「仮にこのような事態がおき(得るとして)、GM、プレイヤーの双方にそれぞれ不満が生じてしまった場合、その不満はどのように評価されるべきと考えられるか?」をお聞きしたいと思います。
 このような事態はどうしたら回避できるか、は質問主旨ではありません(お返事の内容によっては、どのように回避できるかにも福次的に言及されるとは思います)。
 
質問の狙い:いろいろ異論はあるかと思いますが、アタシとしてはまだ、「無制限な自由」「ルールに則ってさえいれば、プレイヤーの行為申告は常に却下されるべきではない」の主張は、「自由絶対視幻想」とでもいった考え方のうえに成り立っているのではないかな、という疑問が拭えません。
 今でも、TRPG全般で「ルールに則ってさえいれば無制限な自由」との考え方には無理があるのではないか? との疑問を強く持っています。
 ただ、「箱庭型」に適してるという指摘は、理解できる気がします。そこで、とりあえず箱庭型セッションの傾向を、もう少しイメージしたくてご質問することにしました。

 
 以下に、アタシが推測してみた「評価の方向性」をa)〜f)整理してみました。a)〜e)の考え方を複合や、中間的な評価でも構いません。お考えをお聞かせいただけると幸いです。
 また、f)その他という事で、アタシの推測以外の考え方もあれば、お教えいただきたく思います。
 
a)箱庭型では、ここまで凝った背景設定では遊ばれないので、そもそも想定はなりたたない(背景設定の無理)
 
b)GMのシナリオ構想が箱庭型にしては若干無理があった(背景設定は構わないがシナリオ設計の計算違い)
b-1:オフィシャルなワールド設定が無い箱庭型ではGMが設定を作るのだから、最初から詳細に奴隷都市国家のシステムをプレイヤーに(PCにではなく)伝えるシナリオとすべきだった。
b-2:同じ背景設定、同じ冒険の狙いでも、導入方法などのシナリオ構成を工夫しておけば、うまくいった
b-X:シナリオ設計の計算違い、その他
 
c)GMの構想はよかったがマスタリング手法がまずい
c-1:初期に用意した設定のオリジナリティに拘らず、その場判断で官憲を弱くする、奴隷達がPCに加勢するなどの展開を選ぶべきだった
c-x:マスタリング手法がまずい、その他
 
d)プレイヤーのプレイングがまずい、「ゲームバランス云々、GM横暴」の判断は不当
d-1:唐突に奴隷市場で暴れ出すプレイヤーの状況判断がうかつである
d-2:官憲に捕縛されるチャンスを逃し甘い期待(奴隷の加勢)で徹底抗戦を選んだ状況判断がうかつである
d-x:プレイングがまずいその他
 
e)GMの準備・マスタリング、プレイヤーのプレイング双方に問題がある
e-1:セッション後に冷静に話し合って双方の不満は解消すべき。セッションとしては失敗だったと認められるべき(ゲームなのだから失敗もあり得る)。
e-x:双方に問題がある、その他
 
f)a)〜e)以外の考え方
 
 以上、よろしくお願いしたいと思います。

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2001年11月17日:18時41分40秒
【意見整理】[セッションタイプの比較検討]による[GMのプレイ却下問題]の解決案 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
前提:解決したい問題の認識
 「TRPG一般では、プレイヤーのプレイはルールに則る限り無制限に自由でGMには却下する権利はない」 の意見は、「TRPG一般では」との前提で主張される限り、「TRPGでも場合によりGMがルール的にOKなプレイでも積極的に却下されるべきこともある」の意見との接点、共存可能性が見出され難い。
 状況などに充分な必要性があるGMの却下裁量も、不公正な却下裁量とクソミソに「GMの横暴」などと言われるに至っては誹謗・中傷と受けとめる人もいて当然と思われる。
 また、状況などに充分な必要性があるGMの却下裁量を、最近のシステムの質的低下の根拠に据える意見などは、根拠薄弱で有害な憶断にすぎない。
 この辺が「無制限な自由」論の欠陥だろう。
提案:自分の解決案
 とりあえず議論の一旦分離を提案しました。
「感想:私の出した例がまずかったかな?+提案」 (カンナ記,2001年11月15日:10時39分23秒)
 もし、「TRPG一般」では、との前提ではなく「あるタイプのTRPGシステム」で「あるタイプのシナリオ」を「あるいタイプのセッションスタイル(この場合プレイスタイルとマスタリングスタイルの複合を意味する)」で遊ぶ場合には、「プレイヤーのプレイはルールに則る限り無制限に自由でGMには却下する権利はない」という整理ができれば、前記の二つの意見は相対化されつつ共存も可能になる、かもしれない。
 けれど、どんなタイプの、システム・シナリオ・セッションスタイルに適合するかは、意見を主張する方の人から整理をはじめてくれないとわけわかんないです。
 一方、「場合によりGMがルール的にOKなプレイでも積極的に却下されるべきこともある」の意見の方では、「プレイ却下」が避けられないプレイの性質の明確化(限定)や、「却下に至る前の段階的処理」(代替案や修正案提示の考え方や方法)も「公正なマスタリング」と関係づけて整理されてくといいと思います。意見の、説得力が増すと思われますから。
 たしかに「マナーに反するから」って理由付けだけでは、暗黙の了解的になってる部分が多きすぎるかもしれない
 それやこれやで議論の一旦分離を提案しました。
制約条件:類似するが駄目なこと
 よくわかりません。
 「TRPGでは場合によりGMがルール的にOKなプレイでも却下することが許される場合がある」の意見は「場合により」の前提で、すでに相対化されています。
 「どんな場合が却下やむをえず」であるかの限定は「マナーに反した場合」なんて曖昧すぎるものから、もう少し詳細に性格限定されていった方がよいとは思います。
 しかし、却下が必要な場合もあるのは事実と思われます。マスタリングの公正さとの両立もそれなりには考えられていると思います。(“無制限自由論”の立場からみれば、もっと精密化してほしいのかもしれませんけど)
 とりあえず、“無制限自由論”の意見の方から、何らかの相対化がされる必要があるはず、と考えています。でないと議論をしようにも釣り合いがとれていません。
 ここのところの「TRPG総合研究室」の議論が、何でこんなに迷走してるのか、“無制限自由論”なぜそんなに絶対視されるのかもアタシにはよくわかりません。
 わかりませんし、不合理な点も目立つように思ってます。
 今のところ、“無制限自由論”の前提になってるシステム・シナリオ・セッションスタイルが相対化されてないことが障害になってるようにも思ってます。
 なので、議論の一端分割が最善かと考えました。
参考投稿≫
「【RPGにおける自由】Re:再整理試案」 (カンナ記,2001年11月14日:19時46分43秒)
「プレイングスタイルの違いによる反応の違い」 (MOさん記,2001年11月16日:00時55分57秒
論拠:体験した事例
 ここのところの「TRPG総合研究室」での議論の迷走。
 特に、TRPG総合研究室 LOG 071〜現在に至る部分。

2001年11月17日:18時38分09秒
【TRPGに関する議論の場】訂正:補足意見 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 あぁ、下の投稿は「石頭さん」と書かれた部分を全部「ログ氏」と置き換えてください。
 
 ご両者には大変失礼いたしました。
 陳謝させていただきます。

 宛て先を間違えてはしまいました、アタシが公開しました意見の内容には、なんら変更の必要はありません。
2001年11月17日:18時33分12秒
【TRPGに関する議論の場】補足意見 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>石頭さんへ
 提案の主旨には賛同できます。
 が、一部違うのではないかな、もしくは曖昧なのではないかなと、思える点があるので、補足を意図してアタシの意見を述べます。
 
 まず、石頭さんの提案、次の点に賛同します。
 「頭ごなしに別の人の意見を徹底的に叩き潰し議論から排除しようとする姿勢ではいけない」「議論をするために来るのであれば、参加しやすい状況を作るとか、攻撃的な発言を控えるとか、読む相手の事を考えて発言するなど、みんなでいい場を作る努力をしてもいい」
 
 しかし、あたりまえですけど、議論の場とTRPGの場は違うでしょう。
 コンベンションやサークルの例会には議論をしに行く人はいないはずと思います。
 議論には議論の慣習的なマナーがある。
 
 大まかな言い方になりますが、石頭さんの提案はそれだけでは、「TRPG FreeTalk」のような雑談所系の場には最適と思いますが、この掲示板のように議論専用の場には、やや甘いように思われます。
 
 実は「頭ごなしに別の人の意見を徹底的に叩き潰し議論から排除しようとする姿勢ではいけない」の件は賛成ではあるのですが。現状の文言のままでは一面的と思われます。
 
 例えば、名指しであろうと無かろうと、意見への批判や反論をまるで人格攻撃をされたように「不快だ」「意見を潰す」などと言いたてる情緒的な反応は、議論の場に相応しくなく、かえって議論を阻害します。

 簡単な批判コメントや反論にまで過剰反応で「意見を叩き潰す封殺だ」などと反応する例は、最近の一連の議論のなかで幾つもみられました。

 これでは、議論が迷走するのもあたりまえと思われます。「意見を叩き潰す封殺だ」と言いたてる事自体が、対抗意見を封殺するものとして機能しますし、議論を混乱させます。
 
 この件のポイントは、発言する方も、発言を読む方も、意見への批判・反論・疑問などなどなどと、個人攻撃・人格攻撃とを混同・短絡させないことにあります。
 
 人格攻撃が含まれないのならば、論点を明確にしつつ、意見には意見で対応するのが議論であるはずです。
 
 また、自分と異なる立場の意見を一方的に批判していた発言者が、意見の根拠・論旨の曖昧さを指摘されると「個人的意見にすぎないですから認めてください」などと述べていたことがありました。
 この類の姿勢は、議論に臨む姿勢としてアン・フェアなものですし。指摘への対応がなされない場合(別に指摘に同意や反論をする必要すらないんです、前言撤回でも、意見保留のうえ再検討でも、選択肢は無数にあるのですから)は、無責任な放言にもなります。
 
 次に、たいへん微妙なもんだいではあるのですが、単なる意見を個人攻撃・人格攻撃と受け止めての発言自体が、往々にして別の誹謗中傷を構成する事もあります。批判意見を人格攻撃であるかに扱う事自体、誹謗・中傷を構成する可能性が濃厚だからです。
 
 「みんなで議論のためのいい場を作る努力」はアタシも賛成です。
 そのためには、発言する方も、発言を読む方も、「意見への批判・反論・疑問などなどと、個人への人格攻撃を混同・短絡させない」という点も重要ポイントのひとつになります。
 石頭さんの提案への補足意見としたいと思います。 
 
 なお、この発言の目的、意図はあくまで石頭さんの「場を良くするための提案」の主旨には賛同したうえでのものです。
 「議論がし易い場を良くするための提案」を意図しています。
 一部の文章が特定個人への批判に思えるかもしれませんが、よく文章を吟味していただければ、個人攻撃ではなく、議論に参加する姿勢のあり方を論じているだけ、と理解されるはずです。誤解される前に書いておきます。
 
#題名と識別子のご意見も承りました。
#言われていることは理解できますし。アタシも思い当たるふしはあるのですが、この関連は、むづかしいですね。少し考えさせてください。
#「『自己紹介するかどうか』などはややこじつけ」と言われるとタイヘン困るのですが。
#アタシに限って言えば、丁度話題の流れだった「マナーと社交技術の区別の具体例」と考え識別子を用いたと言う意図があったことは、知っておいてください。
#あたりまえのことを言うようですが、当面、投稿者各位の判断に任せざるを得ないのではないでしょうか。
2001年11月17日:18時09分37秒
Re:【TRPGに関する議論の場】 / SOW
>ログさん
 諒解しました。
 議論の場はそうあるべきです。

 蛇足ですが、既にカンナさんの「[その他]Re:言葉の定義はすべきか?(2001年11月17日:01時58分07秒)」で述べられているとおり、カンナさんは反論において必ず相手を特定して論陣を張られるので、先のログさんの懸念は誤解であろうと思います(私見)。
 また、カンナさんも前述の投稿で謝罪も表明されていますし、ログさんも謝罪を受け入れた旨、表明されてはいかがでしょう?
 誤解の上でのことですし、今後の議論においても有益だと思います。

2001年11月17日:16時21分46秒
RE:【TRPGに関する議論の場】 / 石頭
> 最後にフォローを少々。発言の目的、意図はあくまで「場を良くするための提案」です。しかしながら、一部の文章は特定人物への文に見える可能性を充分に含んでいます。誤解される前に書きますが、そういう意図ではありません。

sf殿も、同じ意図で「管理者よりの警告」を書いた、とは考えられませんか?(別あれはログ殿を名指ししたわけでも貶めたものでもないと思うのですが)


2001年11月17日:15時53分15秒
【TRPGに関する議論の場】 / ログ
 結果的に誤解されやすい(可能性が高い)文を書いた時は、sfさん的に言えば「誤解をさせ、場を混乱させる事を目的とした」と見なされ非難されるに値するようです。発言を読むのは自分だけではなく、多くは別の人でしょうから、読む側の事を多少は考慮すべきだとは思います。伏せ字であっても発言の責任は発生するというような記述がありましたが、同様に特定の人物と限定できる相手への文は名指しで言ったのとなんらかわりはありません。

 ここには語調が非常に強い人がおり、そう言う人が頭ごなしに別の人の意見を徹底的に叩き潰し議論から排除しようとする姿勢ではいけないと思っています。結果的に一部の常連のみしか発言できないような環境になっています。

 議論をするために来るのであれば、参加しやすい状況を作るとか、攻撃的な発言を控えるとか、読む相手の事を考えて発言するなど、みんなでいい場を作る努力をしてもいいかと思います。TRPG仲間とテーブルを囲んだ時と同じように、仲間の一人として扱って欲しいと思います。同様の内容を発言した人もいたと思いますが。

 また、【TRPGにおける自由】という題名ですが、「自己紹介するかどうか」などはややこじつけ的に感じられ、簡潔で適切な要約とは思えなくなって来ました。また、特定の書き込みに対してのレスという形を取る場合は、題名を編集する事で誰のどの意見へのレスかわからなくなる事を避けるためそのままの題名に「Re:」を加えるだけにした方が良いと思います。書き手と受け手は困らないのですが、第三者が見る時に混乱を招く可能性があると思います。

 最後にフォローを少々。発言の目的、意図はあくまで「場を良くするための提案」です。しかしながら、一部の文章は特定人物への文に見える可能性を充分に含んでいます。誤解される前に書きますが、そういう意図ではありません。

2001年11月17日:07時01分25秒
【「世代」と「カテゴリ」の関係】Re:対応づけ方向が逆なのでは? / SOW
 SOWです。
 ‘M’さんのご質問に取り急ぎ、レスだけさせていただきます。

 まず、SOWへのご確認の前に匿名希・望さんへのレス中の各カテゴリの認知は、ほぼSOWの認知と同じです。
 ただ、世代とカテゴリの対応については、匿名希・望さん、‘M’さんのいずれの対応でも了解できます。
 さて、本題です。
カテゴリ4)5)のどちらにせよ、その「制限」は絶対的な物ではありませんよね?
カテゴリ5)についてはSOWの認知では次のようになります。
達成目標の達成を意図した行動を行なうのは必須ですが、その行動は必ずしも一通りしかないわけではありません

 これは「制限」がどこまでPCの行動を抑制するかということですから、達成目標の達成を意図するのは「絶対」と読み替えてもいいと考えます。が、行動の細目、具体的に何をするか、はPCの自由裁量に任せられる、と考えます。
 もちろん、カテゴリ4)については‘M’さんがお書きのように絶対的な「制限」ではないでしょう。
 SOWとしてはカテゴリの初期定義を曖昧にしておいた方が、議論上、有効であろうと考えていました。
 とりあえず、このカテゴライズは一定の効果があったようです。
 今後の議論が【RPGにおける自由】に関するものであれば、まだ、効果的でしょう。ただし、常に有効であるわけではないでしょうから、あまり、SOWの提案したカテゴライズに拘泥しない方が良さそうです。
 むしろ、【RPGにおける自由】論議は収束方向に向かうべきでしょう。
 カテゴライズを踏まえた上で、各カテゴリの立場・視点の相互了解というのが理想的な結論になるかと思います。
2001年11月17日:02時08分48秒
【「世代」と「カテゴリ」の関係】対応づけ方向が逆なのでは? / ’M’
まず最初に。
私のカテゴリですが、GMとしては使うゲーム次第で2)3)、PLとしては3)〜5)を状況に応じて使い分けます。

>匿名希・望さん
>・第1世代・・・・・・(D&D、T&T等)キャラを中心として、その行動を表現するためにルールが作られていったもの(大意)
>・第2世代・・・・・・(トラベラー、RQ等)世界があってその中でキャラが居るもの。
>・第3世代・・・・・・(スターウォーズ、007RPG等)あるストーリーがあってその為にキャラと世界を作るもの
>という分類が為されており、プレイスタイルの(第1世代)〜1)2)、(第二世代)〜3)、(第三世代)〜4)5)という感じの対応が見られて興味深いものがあります。

この対応づけ、方向が逆ではないですか?
各世代にプレイスタイルが当てはまるのではなく、元々色々なプレイスタイルがあり、それに対応するようにルールが作られていったのではないでしょうか?
この観点で対応づけすると以下のようになると思いますが。
1)ルールなど不要
制限はありませんから、わざわざルールを用意する必要がありません。
2)第1世代
制限の基礎となるルール(システムのみ)は必要です。
3)第2世代/第3世代
制限要素に世界観が含まれているからです。
4)第1〜3世代どれでも。適性順は第2,第3>第1世代
ルールに加え、シナリオからも制限されるということは、どのルールも同じことです。
ただし、シナリオ上の制限がより明確に設定できるという点で、世界観があるものの方が適しています。
なお、目標達成は期待されないのでPCの行動指針等の有無は影響しません。
5)第1〜3世代どれでも。適性順は第3>第2>第1世代
4)に加え、制限の基準となる「シナリオ内の達成目標」を決める指針として、推奨シナリオ傾向等が示されているものの方がより適しています。
*:第1世代ゲームには世界観(背景世界の設定)が無いことを前提とする。

>SOWさん
一応、確認しておきますが、カテゴリ4)5)のどちらにせよ、その「制限」は絶対的な物ではありませんよね?
シナリオ(や達成目標)に従うことが絶対であるというならその「制限」も絶対になるでしょうが、そういう風に与えられたシナリオに唯々諾々と従うことだけがRPGの遊び方ではないはずですから。
2001年11月17日:01時58分07秒
[その他]Re:言葉の定義はすべきか? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ログ氏へ
 あぁ、なるほど。
 
 そのような読解であなたへの反論ととられたわけですね。あなたの読み取りはわかりました。
 
 アタシは言葉の定義に拘ってるつもりはありません。
 どんなふうに言葉を用いるかも発言者の自己選択・自己責任と考えます。読み違いを招くリスクも認識したうえでの自己責任という意味です。
 
 くり返しになりますが、「日常会話ではマナーとモラルは曖昧になってるので、議論の必要に応じて意識した方がよいだろう」という注意の意見を述べたつもりです。どんなふうに混乱しているかを併記しなければ、意見の表明になりませんし、そのためには言葉の由来についての一般知識を記す必要があると考えました。(たまたま、ログ氏の投稿も目に入ってたので、モラルとマナーの混乱への言及を思いついたという事情はあります) 
 
 アタシの方は、[【TRPGにおける自由】技術? マナー?]の話題の以前からの流れで、匿名希・望さんのご意見、「この技術の問題かマナーの問題かが曖昧なままで議論される事が私には非常に気になる」「『悪いプレイ』として批判するのは良いが、『マナーがなってない』でなく『技術的に稚拙である』とするべき」といった問題意識に共感を持っていますので、モラルのことに道徳のことにも関連事項という意味あいで言及しました。
「【TRPGにとっての自由】一体全体、技術論なのかマナー論なのか」 (匿名希・望さん記,2001年11月15日:17時04分33秒)

 
 同時に、アタシが「モラルやマナーを過剰に期待・要求」する意見全般に問題意識を抱いているのも確かです。意図としては「先々の議論の混乱可能性への一般的注意」を意図したのですが、読み直すと、上記のような意見全般への異論表明にもなっていますね。
 
 アタシは、個別意見への反論を意図した場合は、名指しで、引用をして反論をします。
 が、特にはログ氏の特定意見への反論を意図したわけではなかったので、引用などの形式はとりませんでした。
 そのことが気に障ったのでしたら謝罪しておきましょう。
 
 この件は、アタシとしては、先々、大事な議論の主題に関ってきたときにとっておきたいと思います。
 例えば、「コンベンションでGMがプレイヤーに、どんなモラルを要求したら押し付けになるか?」みたいな話題が浮上してきた場合ですね。ケース・スタディのような具体事例(説得力をともなった創作でも可)を検討するようなことがあれば、基本的な考え方について議論するのも有益になると思います。
 
 アタシ的には、今現在は、[TRPGにおける自由]でも、別の関連の話題を振りたいと思ってますので。
 当面は、自分から上記のような話題をふるつもりはありませんので、無期延期といった型が希望です。
2001年11月17日:00時49分07秒
【TRPGにおける自由】言葉の定義はすべきか? / ログ
鍼原神無さん>
自分の言語感覚は「国語辞典に載っている程度」のレベルしかありません。言葉の由来を一般知識と見なすのもあなたの自由です。議論の前に言葉の定義を決めた方が良かったのでしょうか?

ついでにあなたの「感想」の読み違いを一応指摘しておきますが、先日のチキン・ダイスさんが例に対して「感想」を求めていたのを知っていると思いますが、それに対しての「感想」です。

余計な事ですが、鍼原さんはたまに誤解で悪い方向に解釈したり、熱くなって冷静さを欠いているのではないかと思う事があります。揚げ足取りと見えるのはそのタイミングと口調による物で、原因はあなたにもあります。多少考慮してください。勿論こちらも同様に対応します。

闇の鷹さん>
鍼原さんの発言ですが、発言時点で「モラル」という言葉を出したのは自分だけです。「モラルとマナーをごっちゃにしている人」というのは文脈から自分と取るのが自然で、その後も「普通な」モラルという言い方に対しても同様に、「自分より語学においてレベルが低い相手に接するように」間違いを指摘し続け、過剰で堅苦しく必要ないとモラルという言葉自体を否定するような発言をしています。加えて連続投稿の最後にもモラルという言葉の否定をコメントしました。
一つの考えをここまで意欲的に潰そうとする行為は反論に値すると思います。

また、モラルを期待する、押し付ける、などという表現は現時点では誰もしていませんが、モラルという言葉を使った人間が自分しかいないとなると、一方的な勝手な解釈で「モラルを押し付ける過剰で堅苦しい要求をする人間」にされてしまっています。
してもいない事をしたと誤解されかねない発言を言い掛かりと表現させて頂きました。

結局の所、特定の人物だけが使ったキーワードを込める事で、その人物だけが不快に思うような発言をされています。
一応、脱線が長くならないようにそろそろ終わらせましょう。

(問題があれば、別の掲示板に移動しても構いません)
2001年11月16日:23時56分53秒
横槍ですが / 闇の鷹
Re>ログさん
 前後の文脈からして鍼原さんの「2001年11月16日:10時02分55秒」の発言のS・Aさんへのレスの部分を指していると思いますが、どの辺りが「いいがかりで反論」に当たるのでしょうか?

 私には、今回の一連の議論の中で「マナー」や「社交技術」や「モラル」などの言葉を、各投稿者が入り乱れて使っており、なおかつ投稿者によってニュアンスが微妙に違いますから、その辺りの整理として非常に有益な発言だと思いますけど。

 客観的にみて言い掛りをつけているようにも、反論しているようにも見えないのですが?
2001年11月16日:23時36分40秒
【自己紹介】 / ログ
コンベンションはあまり出かけないのですが、No666さんの例にある人は多少理解できます。演技派というか役者タイプの人にとってはそれなりにいそうなタイプな気がします。自分の事を語るのが嫌いな人っていますし、ゲームに必要かどうかというと必須という程ではなく、しておいた方がいいというレベルかと思います。
普通に挨拶はするし、会話もするし、和気あいあいと遊んでいますが、特に支障はなかったように思います。名前を名乗るかどうかはそれ程重要ではないと思うんですよね。コミュニケーションを拒否する事は肯定はしませんが。
まあ、たまに自分の素性を一切明かしたくないような人が同じテーブルにいることもあるので、ノーコメントにした方が無難だと思う事もあります。
それとは別にセッション終了後にもう一度遊びたい人とかがいれば個人的に近付いてもいいかなと思ったりもします。

追記で思った事ですが、本名を言いたくない人にニックネームを訊ねる場合、恥ずかしいニックネームとか本名よりも言いたくないニックネームの人もいる可能性はある訳で、何が言いたいかと言うとコンベンションに行く前に自己紹介用の名前を考えてから出かけるというのもいいんじゃないかなと思いました。
2001年11月16日:23時32分05秒
Re:モラルと議論と感想 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ログ氏へ
 
 アタシが書いたのは「先々〔議論が〕混乱する可能性があるから」「議論の必要に応じて注意してもよいかもしれない」って一般的注意の意見にすぎません。

 本来は「感想」にお返事を書く必要もないと思いますが。
 不要な誤解は困りますので釈明しておきます。

 あなたが「モラル」を「道徳」の意味で使われるのは、あなたの言語感覚ですので。あなたの自己選択の問題と考えています。議論の主題と必要に応じて確認し合えばよいことでしょう。(こんなことを主題に議論するのはこの掲示板の主旨とは違うと思いますしアタシも望んでいません)
 
 “うんちく”と言われた一般知識を書いたのは、注意の根拠が併記されなければ、ただの私見の押し付けにしかならないからです。意見を述べるときのあたりまえのなすべきことと考えています。

 「マナーとモラルが混同されると議論が混乱する可能性もあるでしょう」という「先々の議論への注意」を書いただけでですの、「揚足取り」と言うのは少し思いすごしをされているように感じました。
 悪しからず。
2001年11月16日:23時19分45秒
[【TRPGにおける自由】技術?マナー?]Re:Re:自己紹介は本当に必要なのか / PALM-12
 ども、お久しぶりです。
 本題からはずれたマスタリング技術のコトなのですが、一言だけ。
 
◆[【TRPGにおける自由】技術?マナー?]Re:自己紹介は本当に必要なのか / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
>#セッションの時間管理能力が凄く高いGMさんで、自己紹介にあたることをセッション前の雑談でプレイヤーをリラックスさせながら処理する方をしっています。
>#それは優れた方法と思います。アタシはまだセッションが長引く傾向にあるので、自己紹介の形式をとっている面もあります。
 
 個人的には自己紹介の方が優れていると考えています。
#ボクも雑談方式の方がいいかなと思っていた時期もあったのですが、、
 
 理由は、自己紹介のほうが、全PLに情報が明確に伝わるという点です。
 
 雑談形式の場合、当たり前なのですが”上手い”PLは問題ありません。 しかし、初心者やそういうことに気の向かないPLは、情報を価値のあるものとして受け取れないことが多くなります。
 もちろん、鍼原さんの言われている自己紹介という儀式が持つ効果も含め、PL各人がセッションを開始する為の通過儀礼としては効果的でしょう。
 
 総合的に見て、雑談で情報を引き出した場合でも情報の平等化と確認の為に自己紹介はした方が良いと思います。
 以上です。
#ちなみに”純粋にTRPGを遊びたい人”の例は、TRPGをCRPGかなんかと勘違いしてるだけでは?とか思ったりして。。。
 
 ではでは。
2001年11月16日:23時10分39秒
【TRPGにおける自由】モラルと議論と感想 / ログ
鍼原神無さん>
あなたは言葉の使い方について議論をしたいのでしょうか?伝えたい事を伝えることには成功しており、その上であえて揚げ足をとったように見えます。「言葉の本当の意味を知っているから私の言い分が正しい」というような話の持って行きかたは何のためにもなりません。なお、自分が発言したのは日本語のマナーやモラルであって、その語源が何であろうが、うんちくを語られようが一向に構いません(ただ、うんちくを語るテーマではなかったと思いました)。
モラルと言う言葉と普通と言う言葉に過剰に反応しているようですが、何か悪い思い出でもあるのでしょうか?また、モラルを押し付けるなど誰が言ったんでしょう?いいがかりで反論するのは愚の骨頂です。

とは言え、ここまで過剰反応される方はいないかと思い、簡潔に書いたため、説明不足であったのも事実です。
まず前提として自分はマナーは作法、モラルは道徳と言う意味で使っています。道に迷ったよぼよぼの老人を見て、邪魔だから消えてしまえと蹴りとばそうと思う人もいれば、親切に声をかけて荷物を持ち案内をしたい人もいる訳です。さて、この二人が同じセッションにいて、道によぼよぼの老人がいた場合、二人共満足できる場面になるでしょうか? GMは両方が満足できるように演出できるでしょうか? それは全員が楽しむと言う意味で、非常に厄介な状況です。故にモラルが著しく異なる者同士では相互理解を得る事が難しく、全員が楽しむ事が難しいと言っているのです。同程度のモラルがあるならば、マナーを知りさえすれば解決するかと思います。しかし、モラルが異なる者同士がお互いのマナーを知っていても、理解できないし相手のマナーは守れないと思います。だから、マナーが悪い中でもモラルの違いがより解決しずらい問題だと発言しました。
なお、実体験を多少含んでおり、モラルが低い方に困らされた事はあるが、モラルが高い(高過ぎ)人に困らされた事は一度しかなく、対処に困るという意味も兼ねて「自分は苦手」という意味も込めて厄介と表現しました。

表現的にここまで書いた全てを見抜けとはいいませんし期待もしてませんが、自分の思う悪い方に考えて決めつけ反論を述べ、正統性を訴えるという手法は好きではありませんし、議論としては優れた方法ではないと思います。勿論、議論に勝つ事を目的にしており、結果が全てな人ならば止めはしませんが、自分は面白いとは思いません。


チキン・ダイスさん>
一日遅れですが、感想を言ってみます。立場ごとに分類します。

自分がGMで参加していた場合
シナリオを途中で変えないタイプのGMなので、用意していなければ幼帝が殺されるのはしょうがないでしょう。しかし、幼帝が傀儡のようなものということなら、偽者を用意し「帝王は健在だ」と触れ回ればすむような気がします。国としては偽者が死のうが本物が死のうが情報操作でどうにでもなるし、主犯であるPC達はほぼその場で死ぬだろうし、生き残ったとして、本物を殺したと証明できる手段はないように思うからです。まあ、自分で作ったシナリオだった場合、トラブル対策のために予めいろいろ潜ませておく方ですが。

自分がPL(主犯以外)で参加していた場合
そのPLが事情を話していない場合、咄嗟の行動として幼帝を守る側につくと思います。主犯の部族はその後、戦に巻き込まれそうなので、事前に相談があれば止めていたでしょうし、もっと有効な手段を考えたかもしれません。GM編にも書きましたが、幼帝を殺しても情報操作で揉み消される事も考えられますし、あまり有効な手段とは思えません。もっとも、その幼帝に対して個人的な恨みがあったのであれば話は違いますが、殺したところで国に打撃を与えられなければ犬死にですからねぇ。

と、こんな感じです。
多分、PLの自由度は守られていると思いますが、PC全員が死んで幼帝も死に、陰謀家だけがいい目を見るような結果は多分、楽しくない気がするんですよね。最近は、自業自得で悪い結果に結びついたにもかかわらず、バッドエンドだとGMの誘導だとか別のPLのせいだとか「自分は悪くない」から「別の奴が悪い」と仰る方もいたりするんですよね。「どんなに無茶苦茶な事をしても、ハッピーエンドにさせるのがGMで、それができないGMは無能だ」と主張した方もいました。いろんな意味で楽しいエンディングを迎えたいと思うので、無茶や我侭もほどほどにしようね、って思う今日この頃です。


余談ですが、古参マスター良さんの件については、第三者的に見れば「糾弾」と見えたと思います。妙な正義感から「みんな、イジメは良くないよ!」などと叫びたいくらい、それっぽい光景でした。主観的に見れば多対一の議論でしたが、客観的に見れば糾弾のように見えてもおかしくないと思いました。実際がどうかは別として、そういう風に見える事もあると思います。

2001年11月16日:22時33分53秒
Re:自己紹介は本当に必要なのか / 化石になりかけのGM
私も鍼原神無さんの意見に賛成です。
ニックネームでも十分だと思います。GMとしてもそうですし、同じPLとして参加した際にも、一緒のパーティを組むPLの経験は知っておきたいですから・・・
個人的には、この程度の挨拶は、人と人が接するマナーだと思います。少なくても2,3時間は一緒に楽しもうという中ですから。

#ちょっと一言
私がどなたかと同一人物だと思われている人がいるかも知れませんが、誤解です。私は他のハンドル名は使っていません。ログを見ることができるsfさんならわかりますよね。
箱庭型経験者が複数(私、流れ流されマスターJJさん、もしかしたら、古参マスター良さんもでしょうか?)いるのがわかって嬉しいです。とは言っても古いスタイルに固執せず、新しいスタイルにも慣れていかないといけないですね。

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