プレイスタイルの違いを踏まえて求める先


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1999年11月17日

 とうとう私もプレイングに関してちょっと書いてみようと思った。包括的に一度説明したいという欲求もあってね。古今東西、インターネット上だけではなく、実際のセッションでも色々とすれ違いやらなんやらが大きい「プレイングスタイル」というもの。ここでは、その瑣末の事例はひとまず置いておき、その「良く言われるプレイスタイルの違い」の根っこの部分と「そしてそれを踏まえて更にTRPGを楽しむ」という観点から考えてみたい。

 まず始めに結論を書こう。TRPGのプレイスタイルとは、昔には存在しなかったTRPGの楽しみを追加していった事で分化したものである。基本的にプレイスタイルの差異でのいがみ合いというのは、その分化された部分の「強度」の問題に過ぎない。そして、テクニックとして追い求める物があるとすれば「各分化を踏まえた上で状況に応じて対応できる事」並びに「各種の楽しみを含んだTRPGのセッションを行える事」に落ち着くであろう。

この論考内では、インターネット上の他の論考と混乱する事を避ける為に、この論考内で使う幾つかの用語を、随時この様に別項で規定、説明します。

 という結論を説明する為に、TRPGの良く見られるプレイスタイルの違いというのを考えてみたい。普通に良く見られるプレイスタイルの衝突とは「キャラクタープレイ」と「ゲームプレイ」の衝突にあるように思われる。

キャラクタープレイ:プレイヤーの使用するキャラクターの「個性」をセッション中に表現する事。
ゲームプレイ:セッションの目的に向かってキャラクターの行動を決定する事。

 その昔、TRPGができて間もない頃は、プレイヤーにとってキャラクターは、「ある特殊な技能を持つ駒」に過ぎないとされていた時期があった。セッションはダンジョントライアルであり、キャラクターは1回のセッションで何人も作り直される事が普通であるようなセッション。そのセッションには、キャラクタープレイはまず存在しなかった。その時に存在していたのは、「ロールプレイ」と「ゲームプレイ」である。

ロールプレイ:キャラクターが独自に持っている能力、特性を利用してキャラクターの行動を決定する事。

 つまり、戦士アダムのプレイヤーは、戦士としての行動(敵と戦う等)という「ロールプレイ」、セッションの目的達成(ダンジョンを探索して最小限の被害で宝物を持ち帰る)という「ゲームプレイ」が必要とされていたわけで、それ以外には別に必要ではなかった。

 しかし、TRPGの物語の側面が見出され始めると、物語として彩りを加える「キャラクタープレイ」が価値があるものとされてきた。例えば、戦士アダムとして、同じ「ロールプレイ」と「ゲームプレイ」ならば、花を愛でる意外な一面を持つという様な「キャラクタープレイ」をセッション内で表現する事がゲームに彩りを加える事になったのである。

 だが、「キャラクタープレイ」が周囲に広まり、浸透すると「キャラクタープレイ」に目を向けるあまり、「ロールプレイ」も「ゲームプレイ」も疎かにしてしまう人が出てきた。例えば、戦士アダムが「僕は闘いは嫌だから」という「キャラクタープレイ」をして闘わないのは「ロールプレイ」としてもおかしいし(では、なぜ彼は闘う技能を今まで鍛えたのだろう?)、「ゲームプレイ」としてもおかしい(闘いが嫌だからと代案も出さなければどうしようもできないでしょ?)。

 TRPGのキャラクターを「プレイヤーがゲーム内で表現するべき一人格」とするのなら、「キャラクタープレイ」に特化してもいいかも知れない。しかし、TRPGの場合、特に短いセッションであるならば、「ロールプレイとキャラクタープレイが時にせめぎ合いながらも最終的にはゲームプレイを果たす事ができるキャラクター」をプレイヤーは作り、操るべきである。

 時としてロールプレイとキャラクタープレイがせめぎ合うのは、人間が行動を時に「論理だけでなく感情で」選択しているし、「能力だけではなく性格で」選択している場合があるからだ。例えば、戦士アダムが幽霊と戦った。彼は魔法の剣を持っているから幽霊を斬れる。しかし、アダムは「昔、村で死んだ妹を同じ状況で斬った事があった」ので、アダムは別の方法で助けたかった。これは「キャラクタープレイ」である。この場合、「キャラクタープレイ」と「ロールプレイ」は等価値でせめぎ合っているが、ここでの選択はプレイヤー次第であろう。しかし、この場合で忘れてはいけないのは、この場合でも「幽霊をどうにかする」という「ゲームプレイ」は忘れてはいないという事だ。

 上記の例の場合、特にキャラクターとしての設定が無くとも、プレイヤーの個人の気持ちとして「アダムは助けたいと思った」として幽霊を助ける行動を取る場合があるだろう。この場合の選択を「プレイヤープレイ」と呼ぶ事にする。「プレイヤープレイ」は、ある特定の状況下でのプレイヤーの選択である。その選択は、「ゲームプレイ」でも(例えば、右と左どちらの道を行く?)、「ロールプレイ」でも(長剣と片手半剣どちらを使う?)、「キャラクタープレイ」でも(苦しまない様に早く斬って救う、それともあくまで助ける道を探す)その状況下での「プレイヤーの選択の余地」として存在するものである。

プレイヤープレイ:特定のキャラクターの特性、性格等の条件下にてキャラクターの発言、行動を選択する行為。

 TRPGをゲームとして遊ぶ為にまずゲームプレイが土台となると書いたが、それは「キャラクタープレイ」が無意味で無価値だという意味では無い。単純に「キャラクタープレイが無くゲームプレイ」だけでもゲームとして可能だというだけの話だ。逆の「ゲームプレイが無くキャラクタープレイ」だけの場合は、私は「ゲームとしての目的が無くキャラクタープレイだけを行う」のは、可能であってもそれは既に「ゲーム」では無いと考えている。

 しかし、現在のTRPGにおいて、既に「キャラクタープレイ」無しというのは考えられない。それはなぜならば、「ゲームプレイ」と「ロールプレイ」だけでは享受し得ない「物語の幅」と「選択を考えるとしての側面のプレイヤープレイの楽しみ」があるからである。つまり、そう考えれば、「キャラクタープレイ」と「ゲームプレイ」のいがみ合いというのは、本来馬鹿馬鹿しく、「両方押さえて遊ぶ」というのが一歩先として見えないだろうか?


Diagram:A

 上の図 [Diagram:A] を見てもらいたい。これは前述のプレイスタイルを1セッションの中で図式化したものである。

 X軸は1セッション内での時間進行、シナリオの進行を示したものである。aがシナリオの開始時で、bがシナリオの終了時を表している。Y軸は、「キャラクタープレイ」+「プレイヤープレイ」として「キャラクターの表現」の度合いの強度を示した物である。Z軸は、「ゲームプレイ」+「プレイヤープレイ」として「ゲームの達成度」の度合いの強度を示した物である。「ロールプレイ」は、Y軸とZ軸を両方とも行う場合にキャラクターの特性として「考慮に入れるもの」であるので、特に強度としては書かなかった。

 この図においてY軸の強度が強いとは「キャラクタープレイ」が行えていて、「キャラクターが豊かに表現されている事」を意味する。Z軸の強度が強いとは「ゲームプレイ」が行えていて、「ゲームとして目的を達成を果たしている事」を意味する。これはセッションを通じて、両方とも度合いが強い事が望ましいものなのである。

 ちなみに、X軸というものは、セッションに於いて自動的に進行するものであるが(それじゃなきゃセッションが終わらない)、X軸を規定時間内にプレイヤー側から進めるテクニックというのは存在する。これは、そうセッションプレイとでも名づけようか(笑)。セッション内での人間関係の留意と把握なども含めて規定しとこう。

セッションプレイ:セッションを時間内に終わるように考えたり、プレイヤー同志の人間関係などに留意したゲーム世界とキャラクターに関係無く、現実世界を念頭に於いてセッションを円滑に進めようとする事。

 ちなみに、例えば良く言われる「セッション中にキャラクターの演出にこだわるあまり一人で突っ走ってしまった」という状態は、そのキャラクターのプレイヤーがY軸の度合いは高いが、X軸とZ軸に関して頭が回らなかった(極端に度合いが低い)という事も言えるんじゃなかろうか?

 Y軸とZ軸の度合いを高く遊ぶ事が出来、X軸にも注意を払える。私は、そういうプレイヤーは素直に「上手い」プレイヤーだと思う。自分はそうありたいし、そういうプレイヤーと遊んでみたいと思う次第である。

 さて、ちょっと別の話に移ろう。プレイスタイルの話題として「演技」の話が出てくるが、これは実は上記のY軸に関する事柄でもある。演劇としての演技の話は別として、ここではTRPGにおける「演技」とは以下のように考えます。

演技:キャラクターの表現を、キャラクターの口調や身振り手振りを交えて表現する事。

 演技を行う事にはメリットがある。それは、プレイヤーのキャラクターへの感情移入を容易に高め、感情や行動を細かく口頭説明しなくとも時として伝える事が可能という点である。これは、Y軸の「キャラクタープレイ」を補足する「行為」である。また、「演じる」という行為自体がある種の楽しさを含んでいる事も否定できない。

 しかし、演技にはデメリットも存在する。TRPGの演技は「純粋な表現」としての演技で無い事が多い為、演じる行為が楽しくなった人間の中には、他人に行動内容等を伝えきれていない人間が出る点。そして、純粋に「演じるという行為自体を受け入れがたいと感じる」人がいる点である。

 「純粋な表現」として他の人にキャラクターの行為/感情を伝達する為に演技をしており、それがかなりのレベルにあるのでなければ、Y軸の度合いを強めるにはプレイヤーとしてキャラクターを演技無しで語るのでも十分同じ度合いを手に入れられる。ただ、人によっては「演技」をする事、見る事を楽しくなってしまった人も居る。そういうプレイも否定はしないが、それが一般的な普通とも思わないので参加者全員の理解と納得をセッション前に得る事は必要だろう。

 現在のTRPGでは、前述したような要素が絡まってプレイスタイルが存在する。人によって好みの偏差があり、それぞれが楽しみを持ちえる。重要なのは、自分の中で各楽しみを理解し、生理的な部分を除き(演技以外は生理的反発を呼ぶような事は無いと思うが)それらが高いレベルで組み合わさって行えれば、その時、あなたのセッションは更に楽しくなるに違いない。