TRPG総合研究室 LOG 033

TRPG総合研究室の1999年06月20日から1999年07月09日までのログです。


1999年07月09日:18時43分04秒
異なる志向性のプレイヤー共存について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>安藤 昌季さんへ
#立て続けで恐縮ですけど、多分アタシの意見と安藤さんの意見の間にあるト思われる根本的な差異についてもふれておきたいと思います。
#[物語生成]とは関係ない話とゆーことで、[識別子]は、はずしました。
 
@安藤 昌季さんWrote
>で、僕的には「ゲーム性重視の人(TRPGのゲーム性は、物語メイク以外では他のゲームと重なるのですが)」と、
「物語生成過程を楽しみたい人」が同じ卓を囲むよりも、「ゲーム性重視の人」が「ゲーム性重視の人」とだけ、
「物語〜」が「物語〜」の人とだけ、卓を囲んだほうが、セッション成功率が高まると考えています。相互理解がしやすいですからね。
>なにもわざわざリスクをおかして、失敗する可能性の高いスタイルで遊ぶのはどうかと思うわけです。
 
 この部分が、アタシの意見と安藤さんのご意見との根本での差異であるように思えます。
 えーっと、この件はまさに思想の違いとゆー奴だと思いますので、それこそ「正さ」を議論してもはじまらない事項かと思います。
 ですので、とりあえずアタシ個人の考えとしてお聞きいただきたいのですが。
 あまり“本質的”な話ではないのですが、アタシは、異なる指向性のにんげんも同卓セッションで遊んでなおかつTRPGを楽しめるようになったほうが、現今のTRPGシーンが活性化するのではないかなー、と期待しています。
 
 ここで活性化ってゆーのは、別にプレイヤー倍増とかそーゆー景気のよい話ではありません。
 ただ、それぞれの志向性に応じて細分化して住み分けて行くよりは、交流したり、複数システムを遊ぶことが楽にできるようになった方が、少しは活気づくはずだ、とも思っています。
 
 もちろん、TRPGに割ける時間や労力は人それぞれですので、「みんなであらゆるシステムを遊ぼう」とか掛け声をかえるつもりはアタシはありません
 ただ、興味を持つ人がいたなら、異なる志向性を持つ人が同卓でセッションしてなおかつ成功させるためのノウハウや前提条件整理をしてみることは悪いことではないと思っています。
 
 「なにもわざわざリスクをおかして、失敗する可能性の高いスタイルで遊ぶのはどうかと思うわけです」とのご意見は理解は可能ですが。そーゆーのが、好きな方にしてみれば、リスクを犯すからやりがいや達成感がある(笑)とも言えるわけで、ここのところはまったく双方の立場的差異ではないかとゆー気がします。
 
 後、実践面では安藤さんが言われる、セッション前の共通認識の調整は必要だし、重要だと思います。
 ただ、共通認識も、極端に統一されると、遊べるメンツ自体が限定されると気がしますし。
 また、共通認識が「ノリ」で説明されても、やはり予め波長のあったもの同士でないと遊びづらい、という事態がおきるのではないか、懸念されます。
#この辺、安藤さんのお立場では気にならないのではないかと思われますが。アタシの立場からは懸念されるとゆーことで。
#とりあえず、いじょぉにします。
1999年07月09日:16時59分19秒
[物語生成]再度「ストーリー重視」について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>安藤昌季さんへ
 えーっと、いくつか、スレ違いが生じている気がしているのですが(?)。
 まず、「ストーリー重視」という遊びかた(の説明方法)について、ですけど。
 
 安藤さんは、「『プレイヤーとマスターが参加できる展開』というのは、演出方法と、PCの参加余地を残したストーリー展開という、技術面の問題であって、ストーリー重視という『方向性』の問題ではありません」と言われていますが、プレイングやマスタリングのノウハウも、どういう楽しみをTRPGに求めるかで必要な技術や重要度の高い技術などが整理されていくのだと思います。

 つまり、吟遊詩人GMをしちゃう人も、「TRPGはストーリーを共同創作する遊びなのだ」と勘違いをして、吟遊詩人のマスタリングテクニックを磨いちゃったのかもしれないではないですか。いや、マジでそーゆー人もいると思うんですね。

 ですので、アタシとしては方向性のもんだいと、技術のもんだい、関連させて考えてみたほうがよいと思っています(それぞれに自律したもんだい領域であると言うのは認めるのですが、それを認めたうえで関連性も考えたほうがよいと思うのですね)。

 ですので、アタシ的には「ストーリー重視」単に楽しみかたの方向性のもんだいと片づける気にならないわけです。いったい、それは、どーゆー方向性なのか? とかが、アタシの論点だったわけなのです。
 例えば、1.「『ストーリー重視』って説明方法で言われている内容はなにか」、2.「『ストーリー重視』って説明方法はわかる人にだけわかる(逆に興味の無い人には通じにくい)、自己完結した説明方法になっていないか?」、3.「『ストーリー重視』って説明方法よりももっと詳細で、誤解の余地の少ない説明方法はないか?」ってあたりが論点だったわけです。
 
 うえの1.〜3.が吟味されないで、「ストーリー重視があってもよい」、「いやダメだ」とか論じられてもあまり意味がないと思うんですね。
 
※「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」よりの自己引用.
>TRPGで「ストーリー重視」を主張する意見がセッションの「共同創作」の見解を含んでいて、さらに創作の概念が「予め予定されたプランを正確に実現してゆく行為」といった内容である場合、その場合は「ストーリー重視」はTRPGのセッションの特性に反した見解である、と言ってかまわないと思われます。
 
 で、繰り返しになるんで恐縮なんですけど、「ストーリー重視」と言われる遊びかたが「もし」「共同創作」の見解を含んでいて、「さらに」その場合の創作の概念が、「予め予定されたプランを正確に実現してゆく行為」といった内容である場合それは、TRPGの楽しみかたとして不適当だと思います。
 
 もし、安藤さんが挙げられた、『天羅万象』、『深淵』、『熱血専用』、『番長学園』などが、「予め予定されたプランを正確に実現してゆく行為」として遊ばれているのだとしたら、それはTRPGシステムを使ってTRPGとは違う遊びが遊ばれているに過ぎないと思います。

 もし、安藤さんが言われているようなことが実態なのであったら、それは、トランプカードを使ってカードゲームではなく、占いを楽しんでいるようなものだと思われます。
 
 それでも構わない、と言われてしまえばそれまでですが。しかし、挙げられたシステムの内でアタシが一番親しんでいる『深淵』では、幸いなことに、「予め予定されたプランを正確に実現してゆく行為」とか「お約束展開に終止する物語生成」としては遊ばれてはいないように思います(もちろんアタシが直接知っている範囲でのことにすぎませんけれど)。
 
 例えば『深淵』で、物語生成過程に積極的に関与してゆき、質の高い物語が生成されるように、と、思ったら、深淵カードのカードプレイに、少しずつでも構わないから慣れてゆく必要がありますよね。アタシとしては、「ダイスを振るとかそういうことは、形式にすぎない」とゆーわけにはいかないと思うわけです。

 実際、物語生成過程への関与やキャラクタープレイ(アタシの意見ではキャラクタープレイは物語生成過程への積極的関与に不可欠なのですが)はゲームプレイにも習熟しないとムダが多かったり、トラブルのもとになったりするプレイが発生しがちになります。

 アタシが「物語生成」などというこなれない言葉で、ゲームプレイの結果できてゆく物語、という面を強調するのは、TRPGセッションでできてしまう物語の生成過程を楽しもうと思ったら、ゲームプレイに習熟していかざるを得ない、ということを指摘するためなわけなのです。
 
 安藤さん曰く、「メンツはTRPGの全てのゲーム性を知りたいのではなく〔ない〕」単にあるシステムを自分たちなりに楽しみたいだけだ。

 はい、そういうプレイ人口も少なくないとは思います。そしてアタシはそうしたプレイヤー層も、常に一定割合存在するとも思っています。アタシは、そうした遊びかたを否認するつもりもないのですね。

 しかし、あるシステムから得られる楽しみを長期間に渡って引き出していくには、少しずつではあっても、ゲームプレイの習熟や、物語生成過程(そのメカニズム)の理解が必要だ、とゆうのも、また事実と思います。少しずつではあっても、TRPG独自の楽しみ(ゲーム性と物語生成)の総体をイメージしながら遊んでいかないと、長期間遊び続けることはできないと思う、とゆーのがアタシの意見なわけです。

#後、アタシは安藤さんのご意見の内、「より面白いセッション展開を〔中略〕導くための「成功率の高い展開」を分析したものが、いわゆる『お約束』だと思います」とのご意見には強い疑念があります。ここでも、また安藤さんとアタシが「お約束プレイ」という言葉で何をイメージしているかをはっきりさせなくてはならないのですが。
#ほかにも、いくつかお尋ねしたいこともあるのですが、一遍に長くなってもよくないので、まず今回はこの辺にさせていただきます。
 
P.S.≫TRPG.Net掲示板への書込み方法などに関しましては、「簡易掲示板利用マニュアル」をお読みになることをお勧めします。
1999年07月09日:13時40分43秒
すみません、カキコの方法知らなくて / 安藤昌季
 間違えて2回カキコを(汗) ごめんなさい〜。
1999年07月09日:13時39分17秒
2点レスします / 安藤 昌季
>鍼原さん 
 返信ありがとうございます。
 えーと、『ストーリー重視』というのは遊び手の方向性なわけで、合っているも間違っているもないと、僕的には 思っております。いわゆる「演出系」TRPGシステム−−『天羅万象』『深淵』『熱血専用』『番長学園』など−− は現実に存在し、一定の支持を得られているわけですから(コンベンションで立っている卓数を見れば一目瞭然)。
 もっとも遊ばれている『ソードワールド』に超英雄ポイントを導入するのも、こうした方向性を望む人がいるから だと思うわけです(個人的に超英雄〜は好きではないのですが)。
 「演出系、ストーリー重視のゲームが僕の好みじゃない」という言い方ならわかるのですが、「TRPGとして間違って いる」は現実的には空論かと……。
 僕は「お約束プレイ」をするためのシステム(と思われる)『熱血』や『番長』も遊びますが、「やらせ」的ゲームと 思ったことはありませんし、趣旨を捉えて遊べば「吟遊詩人マスター」になることもないと思っています。
 やや極端な意見ですが、マスターの一人語りはマスターがヘタだからそうなるのであって、盛り上がっている時のTRPG は、マスターもプレイヤーもセッションに参加している時ですから、一人語りにはならないと思います。
 さて、「プレイヤーとマスターが参加できる展開」というのは、演出方法と、PCの参加余地を残したストーリー展開 という、技術面の問題であって、ストーリー重視という「方向性」の問題ではありません。
 鍼原さんの言われる通り、より面白いセッション展開を求めていくことではないでしょうか? そして、その展開 に導くための「成功率の高い展開」を分析したものが、いわゆる「お約束」だと思います。
 TRPGが価値観の異なる他人とプレイするのが前提なゲームである以上、相互理解がない状態でセッションをすれば 成功率は低くなりますよね? そのお互いを理解するための「共通認識」(今日のゲームはこういうテイストで遊ぶ ので、その方向性でセリフや行動を考えてね、という)はこうしたパーティーゲームにおいて欠かせないわけです。
 それが、前回のカキコで書いた「セリフの精度を高める」という意味なのです。「ストーリー重視」のゲームは、 プレイの「方向性」を「熱血」のように定義してやることで、
「自分のプレイが「場」の雰囲気とズレていないか」を気に することなく、お互いが理解できるロールプレイをすることが できるための遊び方を追求したものだと認識しています。
 で、僕的には「ゲーム性重視の人(TRPGのゲーム性は、物語メイク以外では他のゲームと重なるのですが)」と、
「物語生成過程を楽しみたい人」が同じ卓を囲むよりも、「ゲーム性重視の人」が「ゲーム性重視の人」とだけ、
「物語〜」が「物語〜」の人とだけ、卓を囲んだほうが、セッション成功率が高まると考えています。相互理解が しやすいですからね。
 なにもわざわざリスクをおかして、失敗する可能性の高いスタイルで遊ぶのはどうかと思うわけです。 で2点。
・「GMやプレイヤーの思いついたことが、予定よりつまらなかったら、予定は変更されないのか」
 されないでしょう。ゲームは楽しむために遊ぶわけですから、わざわざつまらないとわかっている
方向性で遊ぶ必要はないと思います。建前の「自由度」や「創造性」よりも、楽しめる確率が大事だと 思うわけです(セッションを成功させなければ、TRPG経験の少ない人は止めてしまうわけで)。
・「面白い、面白くないは何を基準に判定されるのか」
 単純ですね。「メンツがセッションを楽しんでいるか」を見ればいいのです。盛り上がっている セッションは、メンツが積極的にゲームに参加しているものですから。憮然としている顔の人がいたり、
文句をぶーたれる人がいる場合は、一部の人が盛り上がっていても、面白いセッションではないわけです。
 多少正統な?方法論とズレていても、現実に「場」を盛り上がっていれば面白いセッションなのです。
 基準は簡単ですよ。「TRPGのうまい/ヘタ」は、演技力やルールの暗記具合、精緻なシナリオ作成 能力ではなく、あくまで「今やっているプレイが、他人が感情移入できるものなのか」で判定される と思います。TRPGは「場」のみんなが楽しめるパーティーゲームですから、「カッコイイ台詞→でも他の PCが二の句もつげない」「ルールに詳しい→周囲が顰蹙してても、細かい間違いをあげつらう」「精緻 なシナリオ→やたらテンポが悪くて、プレイヤーがダレていても、素晴らしいシナリオに参加しない奴 が悪い」などは、全部「そのプレイ、オレら参加できないじゃん」でダメなわけです。
 逆にロールプレイがヘタでも、頑張ってセリフを言ったり、ルールを覚えていなくても、積極的に プレイを盛り上げようとしたり、シナリオがヘボでも、プレイヤーの“やりたいこと”を見て、柔軟に 対処したりすれば「あいつ、頑張ってるな」と思われるので、よいプレイなわけです。
 「面白い、面白くない」の視点は、絶対的なものがあるわけではありませんが、他人と遊ぶ以上は 最大の基準として「セッション参加者が納得がいくものなのか」だと思います。
 で、どうしても自分のやりたいことが、他のメンツのやりたいことと食い違うなら、「自分に趣味 が近いメンツ」を探すべきなのです。
 あ、僕は「ゲーム性だけ」でも「物語生成」だけでも、TRPGは成立すると思っています。そういうのが 好きなメンツを集めればいいのですから。『D&Amp;D』で罠の知識を集めて、智恵を絞って宝探しするのは、 キャラクター表現がなくても楽しめるので、「ゲーム性」だけでも成立すると思いますし、熱いセリフを 言うのが好きな人ばかりを集めて『熱血専用』を遊べば、「物語生成」の要素だけでゲームは成立する わけです。メンツはTRPGの全てのゲーム性を知りたいのではなく、自分が楽しみたいことを、他人と共有 したいのですから。別にダイスを振るとかそういうことは、形式にすぎないと思いますよ。

(sf:重複削除しました)


1999年07月09日:01時22分18秒
[物語生成]先の「ストーリー重視」批判について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>安藤 昌季さん
#こんにちは、はじめまして。
 申し訳ないんですけど、アタシが「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」で、[物語生成]の観点から批判を加えた「ストーリー重視」なんですけど、これがどのくらい「世の中で遊ばれている」のか、実は、アタシにはわからないです(すみません)。
 
#自己引用
>TRPGで「ストーリー重視」とゆーことを、主張されるかたがおられるようなのですが、アタシは直接そーした意見をお持ちのかたにお会いしたことはありません。Web上でも、そうした主張をされる方と交流したこと、ないと思うんですね。 
>で、この投稿では、アタシが聞いた範囲での「ストーリー重視」に批判的な論調の諸意見か ら推測した範囲で、[(TRPGでの)物語生成]の観点からコメントしてみたいと思います。
 
 つまりですね、「『ストーリー重視』ってゆーのは、TRPGとしては間違ってる」ってご意見を、アタシ的に信頼している方々からちょくちょく聞くのです。
 それで、アタシがお聞きした範囲の「『ストーリー重視批判』から判断できるセッションの在り方」を整理してみてコメントしてみたのが、先の長文なわけで。だから、アタシが批判した「ストーリー重視」、実際にどの程度の頻度で世の中で遊ばれているか、アタシにもわからないわけです。
#ただ、いわゆる「お約束プレイ」の極端なもの、これはほとんど「あらかじめ予定されたストーリー・プランを正確に再現していく」展開と大差ないのではないか、とは思っています(もちろんネガティブな評価を持っています)。
 
 例えば、「ストーリーを重視して、ゲームがやらせになったらつまらない」って意見を聞くことががあって、これはアタシも同感です。例えば、いわゆる「吟遊詩人マスター」をこれを「ストーリー重視」の一種とみれば、これは批判されるべきと思います(吟遊詩人マスターはGM主導の「やらせ」とも言えますよね)。
 それから「セッションが馴れ合いになったらつまらない」って意見もあって、アタシは、より面白いセッション展開(含む物語展開)をメンバーが求めていけば、馴れ合いにはなったりしないと思っています(その意味で、馴れ合いになるかどーかと、物語重視とは関系ないと思ってます)。
 
 どーも、「ストーリー重視」を主張される方にも、批判をされる方にも「ストーリー」とか「創作」とか(ほかにもあるかもしれません)キーワードが指してる意味内容にズレがあるのではないか?とか思って書いたのが先の長文なんです。
 
 アタシはTRPGってゆーのは、ゲームプレイの結果物語ができてゆく過程「も」楽しむ遊びだと思っています。
 TRPGでは、ゲームだけを楽しむことも、物語(物語生成過程)だけを楽しむことも不可能だと思うんですね(←私見)。
 
 それから、アタシ的にはポイントなんですけど。「ゲームだけを楽しむことも、物語(物語生成過程)だけを楽しむことも不可能」だからこそ、TRPGのゲーム的側面を楽しむことも、物語(物語生成過程)を楽しむこともこれは同じTRPGを楽しむ場合の重点の置き方が人によって異なってるだけだと思っています。
 なので、いろいろな調整をすれば、「ゲーム重視」の人も、「物語(物語生成過程)重視」の人も、同一セッションでインタラクション〔相互了解〕を楽しむこと−−えぇっと、つまり、お互いの楽しみかたの重点を歩み寄らせる交渉過程自体を楽しむこと、も可能だと考えています。
 
 実は、アタシは安藤さんがお考えのことと、そう違ったことを考えているわけではないのではないかな、と言う気はしています。
 ただ、まー、従来は「ストーリー重視」って説明の方にも、いろいろ説明の仕方に不備があったかもしれないな、って気もしてはいます。
 例えばですね、失礼かもしれませんが、アタシは安藤さんの言われる「ノリ」とゆーのは、実はよくわかりません。
 なんとなく雰囲気で想像するものはある反面、「『ノリ』があわなければ同卓では楽しめないのかな?」とかの懸念も抱かざるを得ない説明だと思いますし。
 それとか、「もしプレイヤーやGMがおもいつきたことが、予定されたシナリオより面白くなかったら予定は変更されないのか?」とか、その場合「面白い、面白くないは誰によって、何を基準に判断されるのか??」とかアレコレ懸念されてしまう、そーした説明方なんだとゆー気もしちゃいます。
 
 ほかにもあって、ストーリー重視を批判する意見の共通項のひとつは、「ストーリーは一本道だけど、ゲームの展開はそうではない(一般道であるべきではない)」ってゆーのがあると思うんですね(批判ポイン、まだまだ出てくるかもしれないんですけど)。
 実は「ストーリーが一本道」ってゆーのは、コレはあたりまえのことなので、つまり、「ストーリー重視」って言ってしまうと、その途端に「一本道展開重視」みたいに採られかねない面があるわけです。
 それから「創作」に関しても言葉の選択が悪いか、もしくは、説明が不十分か(はたまたその両方か)という面があった(ある)気がしています(私見)。
 
 で、まー、その辺の誤解(とアタシには思えるのですが)をひとつ、ひとつ解消していきたい、とか思っているので、勢いアタシの作文は回りくどくなっちゃってるきらいはあります。
 自分では自分の作文めんどくさいだけで、内容的には、そんな“難しい”話とかしてるわけではないってゆー気もしているのですが。
 えーっと、今のままの“めんどくささ”でよいとか思っているわけでもありません。少しづつ、こなれた表現を開発していきたいとも思ってはいます。例えば、「物語生成過程」なんて言いまわしはなんとかならないかなー、とかも思うんですけど「(ゲーム展開につれて)物語ができていっちゃう様子」とか毎回書いてたらこれはこれでタルイし(苦笑)みたいなところがアタシ的悩みどころです。
1999年07月08日:23時00分10秒
うーん、話が難しくてわからないのですが…… / 安藤 昌季
 初めまして、安藤と申します。えーと、鍼原さんの 言われる「ストーリー重視RPG」というものは、世の中で 遊ばれているのですね? 「あらかじめ予定されたストー リー・プランを正確に再現していく」趣旨のTRPGを遊んで おられる方がいるとは、いささか信じがたいので……。
 あ、別に悪い意味で言ったわけではなく、感想なのですが。
 「予約シナリオ」のある熱血専用!ですら、「今日遊ぶ こと」の共通認識を全員が持つために、シナリオを公開して セリフやシーンの精度を高めているわけで「プレイヤーや GMが思いついたこと」が、予定していたシナリオよりも 面白いのなら、普通はシナリオを変更するものだと思うわけです。
 それが「ノリ」と称されるものだと思うわけですし、それ を禁じているTRPGというものは見たことがないのです。
 というか、「プレイヤーの反応を見て、物語の流れを創造 していく」ことが、TRPGのみにあるゲーム性(みんなでワイ ワイしたいなら、ボードゲームでもいいし、ダイスを振って リアルに戦闘がしたいなら、シミュレーションゲームでも いいわけですし、駆け引きの妙を楽しみたいなら、マジック の方が優れているでしょう)だと思うのですが……。
 「場」のライブ感を考慮しないで遊ぶのであれば、顔を つき合わせて遊ぶ必然性はないわけで、それなら家でディ アブロとかウェルトオブイストリアでも(※二つともコン ピューターRPGです)遊んだほうが、楽しいと思うのですが。
 TRPGの「うまい/ヘタ」と呼ばれる人を見るにつけ、
「他人を感情移入させるプレイ」をする人がうまい人なの だと思いますし。↑の基準に引っかかる人が問題プレイヤー と呼ばれる人なのだと、僕的には思っているのですが。 
 
 
1999年07月05日:11時49分00秒
[物語生成]長文投稿「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 先週末、「スペオペ・ヒーローズ」のセッションをしたんですけど、セッション後、オフの会話で、「カンナが言ってる[物語生成]って『ストーリー重視』とどー違うんだ??」って話がでました。
 んで、さっそく、「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」とゆー論述文を簡易長文投稿からアップyしました。
 
 ここで、要約的に述べておくと、「ストーリー重視」では往々にしてTRPGセッションが、「予め予定されたストーリー・プランを正確に実現してゆく創作行為」とみなされるらしーのですが(←推測)、一方[物語生成]では、TRPGセッションは、「セッションの結果できてしまう物語の生成過程に関与するために、セッションメンバーは予め抱いている予見を常にインタラクション〔相互作用〕を通じて修正してゆく解釈行為」とみなされます。
 「創作」と「解釈」、「ストーリー」と「物語(生成)」といったキーワードの概念規定がポイントになるかと思います。
 
簡易長文投稿からアップしました、「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」は、「長文投稿ログ」の00000098.htmlからもたどれます。
1999年07月03日:02時17分43秒
[TRPG独自の楽しみ]キャラクターの内面を表現するシステム / 紙魚砂

>ゲームユニットの仮想の感情をシミュレート

ペンドラゴン・Fローズ・深淵・天羅などに
これを再現しようとしたシステムがありますが、
これは何のためにあるんでしょうね?
1999年07月01日:07時44分37秒
[TRPG独自の楽しみ]Re:展開に対する「思い入れ」を再現するシステム / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 ヒーローポイントの採用されたTRPGシステムについては、以下の投稿からはじまった意見交換が参考になるのではないかと思われます。
 
 「GMのサイコロでPC死亡」(TRPG総合研究室 LOG 023,まこさん記,98年11月11日:03時40分43秒)
 
 アタシ的にも、「TRPG独自の楽しみは、シミュレーションゲームの楽しみとは性質が違うもの」ってゆーのは事実だと思います(少しはダブるとこあるのかもしれませんけど、トータルでみたらぜんぜん違うでしょー)。

 ただ、まー、ゲームユニットの仮想の感情をシミュレートするとしても、それはシミュレーションゲームの楽しみではなかったよぉに思えますが。
#シミュレーションゲーム風のタクティカルRPGで、指揮官の個性が指し手で表現される、というのと、TRPGで仮構のキャラの仮構の個性が表現されるというのは、これは表現過程のメカニズムが違うので、表現される事柄も質的に違っています(もちろんTRPG特有の「生成される物語の二重性」が主因になって異なってくるわけです)。

 ヒーローポイントを採用したシステムについても、TRPG独自の面白さが追及され、分化した方向性の一つであることは紙砂魚さんの言われるとおりかと思われます。
1999年07月01日:03時51分48秒
[TRPG独自の楽しみ]展開に対する「思い入れ」を再現するシステム / 紙魚砂

私の立場としては、かつての「シミュレーションゲーム」と
「TRPG」とを分けて考えたいんです(じつわ)。

>最低限、キャラクター表現の一貫性に留意しつつゲームプレイをしてもらえれば構わない、
ってことかと思います。

というのは、キャラクターの性格を表面的にシミュレートしているように見えるのです。

>>「感情移入が目的」って表現になると、ちょっと変になりますが、
>>「感情移入」が「TRPGを楽しむ」ための手段となりえるっていう点では、万人共通
>>「手段となりえる。」のと「唯一無二の手段である。」ってのは、また別の意味

っていうのが結局私も正しいと思うのですが、
プレイする人間の感情を(良くも悪くも)実際のプレイに反映できるし、
これが実に面白い!
というのがこれまでTRPGのシステムがその独自の面白さを模索し展開してきた
大きな方向性のひとつだと思います。

で、それを放っておくと限りなく脱線していってしまうので、
何とかそれをコントロールできないだろうか、
あるいは逆にそういうシステムによってプレイする人間の
「思い入れ」「想像力」を引き出せないだろうか
という思想のもとに、
最近のいくつかのシステムはできていると思います。
(実際その通りにやるかどうかは別にして)

さて、

「ゲーム展開に対する思い入れ」
を再現しようとした、もっとも単純かつ明確なルールは

「ヒーローポイント」です。

TORGの「ポッシビリティ」、深淵の「寿命」、天羅の「気合」、Bローズの「潜在点」、NOVAの「神業」などなど、
バリエーションは多々あります。
ストーリー自体をゲームボードと考え、その展開に対する思い入れを
システマチックに管理し、現実化させる。

これは、TRPGがその独自の面白さを模索する中で見つけ出した
ひとつの結論(通過点?)だと思うのですが、どうでしょう?
1999年06月30日:09時40分02秒
[TRPG独自の楽しみ、面白さ]感情移入の位置付け / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 えーっと、アタシとしましては、TRPGセッションでの感情移入の位置付けは、やっぱりSHiNさんが言われた、
>「感情移入が目的」って表現になると、ちょっと変になりますが、「感情移入」が「TRPGを楽しむ」ための手段となりえるっていう点では、万人共通
>「手段となりえる。」のと「唯一無二の手段である。」ってのは、また別の意味
 
 って見なすのがよいかなと思います。
 
 ただ、この件アレコレ考えてみたんですけど、紙砂魚さんがされたように、プレイヤーやGMが「何に対して感情移入するか」を整理して、そのうえで、それぞれの感情移入のメカニズムとか、前提条件とかも整理しないと、うまく位置付けが考えられない気がします。
 
a.ゲームトークンに対する感情移入
b.ゲーム展開に対する感情移入
c.仮構の担当PCに対する感情移入
d.物語展開に対する感情移入
 それから、うえのそれぞれにも相互関係はあるかもしれないし。

 ただ、まぁ、「d.物語展開に対する感情移入」とは別の、「b.ゲーム展開に対する感情移入」ってゆーのは、アタシはちょっと、「感情移入」って言葉でくくるのは適当なのか、どーなのか、少し疑問も感じていますですが。「ゲームプレイに入れ込む」って感じのことですよね?
 いや、表現する言葉は別になんでもよいのですけど、特に「b.ゲーム展開に対する感情移入」はa.c.d.と性格が違う気がするんで(私見)、同じ「感情移入」の言葉で説明すると、その性格の違いがうまく説明できない気がするんですよ。
 
 もし、「b.ゲーム展開に対する感情移入」が「ゲームプレイに入れ込む」って感じの情動だとしたら、例えば「ゲーム目的を達成していく楽しみ」とか「ゲームの課題を克服・解消していく楽しみ」と説明したほうがわかり易くて、あえて「感情移入」の語を使わない方が説明としてはよいのではないかなーって気がします。
#これは、アタシの論点からすると、その辺が気になるってことですので、もし別の観点から、「ゲーム展開に対する感情移入」を論じると結果として生じるメリットがあるのでしたら、お聞かせいただけるとありがたいです。
 
@彬兄さんWrote(re:[TRPG独自の楽しみ、面白さ]特筆すべき特徴と「感情移入」のためのシステム,当掲示板,99年06月26日:09時31分02秒)
>どう言うルールを作ると世界観にそう行動をとり易くなるかってことを第一に考えます
 
 はい、アタシはルールは作らないですけど、彬兄さんの言われることはわかります。
 ただ、そのようにつくられたルールって、「ゲームトークンへの感情移入」や、「仮構のPCへの感情移入」が楽にできるシステムであると同時に、「感情移入」ってステップを経由しないでも、楽のゲームプレイに参加できたり、キャラクター性の表現ができたりするシステムでもありますよね。
 
 やっぱり「ゲームトークンへの感情移入」や、「仮構のPCへの感情移入」がめんどくさい、とか疲れるとか思う人は、セッションであえてそれをしなくても構わないと思うんですが。
 最低限、キャラクター表現の一貫性に留意しつつゲームプレイをしてもらえれば構わない、ってことかと思います。

 えーっと、
>「仮想の現実感を損なわず、人間の感性に従うように、
>でも人によってその感性は異なっているので、
>それを共通化するためにシステムが作られているのでは?」

 、については、これは、従来のTRPG論で言われてる「疑似体験の楽しみ」に近い内容を意味してると採れるように思われます。
 もし、そーだとすると「TRPGのシステムは疑似体験の楽しみを目的として作られてる」とも採れる表現は、これは説明としては、曖昧な部分があると思われ、気になります。

 TRPGの楽しみは、アミューズメントパークとかにある、疑似体験型アミューズメントの楽しみとはやっぱり違うと思うからなのですが。
#紙砂魚さんや、彬兄さんが、「TRPGの楽しみはアミューズメントパークに類似」とか主張されているわけではないことは承知しています。えーっと、そのように誤読され易い説明の仕方が懸念される、とゆーことなのです。
1999年06月26日:09時31分02秒
re:[TRPG独自の楽しみ、面白さ]特筆すべき特徴と「感情移入」のためのシステム / 彬兄
>紙魚砂さん曰く

>「仮想の現実感を損なわず、人間の感性に従うように、
> でも人によってその感性は異なっているので、
> それを共通化するためにシステムが作られているのでは?」

 デザインするときの考え方を照らし合わせてみるとまさにその通り ですね。彬兄もたまにルール作ったりするんですが、大抵どう言うルールを 作ると世界観にそう行動をとり易くなるかってことを第一に考えますから。


 あと、関係ないですが丸付数字は機種依存文字ですからUNIXなど 環境によっては文字が化けて読めないことがあります。簡易掲示板利用マニュアルに 詳しいことがかいてありますので詳しくはそちらを参照してみてください。
1999年06月26日:03時21分06秒
[TRPG独自の楽しみ、面白さ]特筆すべき特徴と「感情移入」のためのシステム / 紙魚砂

私の頭の中でそんなに体系化されているわけではないので、
端的にいくつかポイントと言えそうなところを挙げてみたいと思います。

1.TRPGでは、いわゆるゲームにするための
 「世界の抽象化」をそれほど積極的には行っておらず、
 どちらかというと
 その仮想の現実をリアルに描くためにルールが作られている。

2.かと言って、シミュレーションゲームほど数字的厳密さを守っている訳でもなく、
 最終的にはGM,PLのノリ・直感・感性に合うよう
 融通をきかせている場合が多い。

3.インタラクション・意思決定、
 自分がやったことによってその展開がある程度変化する。

4.勝利条件が明確でなく、
 どちらかと言うと過程を楽しむ要素が強い。

5.現実(的)世界の構築と、
 PCらの行動によってその世界に彼らの物語ができてゆく過程。

…以上の特徴から見えることの一つ(?)は、

「仮想の現実感を損なわず、人間の感性に従うように、
 でも人によってその感性は異なっているので、
 それを共通化するためにシステムが作られているのでは?」

ではないでしょうか?

話が飛びますが、
古典的なハイ・ファンタジーを読む過程では

1.キャラクターを知る
2.キャラクターを取り巻く“決まり”を知る
3.広い世界を知る
4.キャラクターの物語を感じる。

というのがあって、
読み手を、初めて見る新しい世界の物語に
「感情移入」させるため、
このような手順を踏むのですが、
TRPGのルール・世界を理解していく過程によく似ていますね?

ただ、TRPGと小説などとの違いはやはり、インタラクション性。
自分で、先の展開を選べるというところ。

-------------------------

まとめますと(ちょっと飛躍しますが)、
TRPGのシステムがやろうとしていると思われることは、

1.仮想の現実を実感させようとしている
2.プレイする人間の感性を尊重する
3.プレイする人間の(選択の)意思・希望に対応しようとする
4.過程も楽しむ
5.物語性
 シナリオが何か明確な物語をベースにしていたり、
 あるいはPCらの行動の結果そのものが
 プレイする人間に
 仮想の現実の中での、ひとつの「物語として認識される」。

TRPGのシステムには以上のことを実現しようという方向性があって、
それは、
「積極的に」、その世界・キャラクター・物語にプレイする人間を「感情移入」させようとして
作られているのではないかと、私には思われるわけです。

(sf:丸数字は修正しました)


1999年06月23日:11時19分37秒
[TRPG独自の楽しみ、面白さ]訂正≫Re:「感情移入」に関する補足 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>紙魚砂さんへ
 
 すみません、ミスってちょっと変な題名つけちゃいました。
 
 もしよければ、この件についての[識別子]は、[TRPG独自の楽しみ、面白さ]ってことでお願いできますか?
 
 何も、[物語生成]に限った話ではないように思えますので。
1999年06月23日:11時15分36秒
[TRPG独自の楽しみ、面白さ][物語生成]Re:「感情移入」に関する補足 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>紙魚砂さんへ
 
>どーも言葉の定義と認識の違いが誤解を生んでますね。(私自身も含めて。)
 
 なるほど。
 
>>「あった方がよいけど」「『なければならない』ではない」
>という説明が一番近くて(遠くて)、
 
 えーと、紙魚砂さんはSHiNさんが提示された、、
 「感情移入」が「TRPGを楽しむ」ための手段となりえるっていう点では、万人共通(ただし、唯一無二の手段ではない)。
 
 、、って説明にはどんなご意見でしょーか?
 
 ジャンルとしてのTRPG独自の楽しみ、または面白さについての説明ってことで、よければ、ご意見お聞かせいただきたいのですけれど。
 
#TRPGでの感情移入、一応アタシの意見は述べてみたんですけど。もしかしたら、考え直したほうがよいのかもしれないので、よければお聞きしたいのですが。
1999年06月23日:02時27分54秒
[物語生成]「感情移入」に関する補足 / 紙魚砂

 どーも言葉の定義と認識の違いが誤解を生んでますね。
(私自身も含めて。)
 私が言っているのはもう少し広い意味での「感情移入」なんですが、
(例えばストーリ全体に対する感情移入。『こうなってほしいな』とか)

で、

>「あった方がよいけど」「『なければならない』ではない」

という説明が一番近くて(遠くて)、
私の場合はもっと積極的に

・うまくいくかどうか分からないけれども、
 最終的に(可能であれば必ず)そういうところに持ってきたい。

という意味での「目的」と考えています。
また、TRPGでは、やり方次第で実際それが可能である
というのが私の実感です。
が、ここまで来るともはや一般的ではなくなってしまっていますね(笑)。

ということで。
1999年06月22日:22時38分00秒
「[物語生成]キャラクタープレイのもんだい点と対処策、他 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#当掲示板への投稿、「[物語生成]価値基準のズレとキャラクタープレイの実在感〔アクチュアリティ〕」からの続きです.
 
■キャラクタープレイのもんだい点と対処策
 今回ご紹介したようなキャラクタープレイがセッションで実際おこなわれる場合のもんだい点は、まず、そうしたプレイばかりが暴走、肥大することで「1.セッションの時間配分を狂わせる」、「2.シナリオの目標を達成するためのプレイ時間を圧迫する」といった事態が起きる場合ではないかと思われます。
 
 実践のもんだいとしては、「1.セッションの時間配分を狂わせる」についても、「2.シナリオの目標を達成するためのプレイ時間を圧迫する」についても、GMを含めたセッションメンバーが各自に時間配分を意識することが具体的対応だと思われます。特にGMさんなんですけど、「少しマキましょう(ペース・アップしましょう)」とか、「このシーン、いったん切ります」とか「はしょります」とかの指示を出されて構わないと思いますし、場合によっては積極的に指示を出されるべきかとも思います。
 
 また、今回ご紹介した事例のように、間接的にではあっても、シナリオの目標達成にそう形でキャラクタープレイを構想していくことは可能です。シナリオの目標達成にまったく関与しないキャラクタープレイ「しか」発想できないプレイヤーがいるのだとしたら、それは、未熟なキャラクタープレイなのだと思われます。
#ルール的に無理のありすぎる言動をPCにとらせたがるキャラクター・ハンドリング、及び、PCのキャラクター表現の一貫性を度外視したキャラクター・ハンドリングはキャラクタープレイ以前のもんだいと思われます。
 
 あと、「3.プレイヤーによっては、いわゆる『お約束プレイ』的に、自分のPCの言動に対して、関わるキャラクター(含むNPC)に定型的な反応を過度に期待する」といったもんだいもあるようです。
 この「お約束プレイ(への過度の期待)」のもんだいについては、いずれ別途論述したいと思います。
 
 しかし、いわゆる「お約束」は、多くの場合、単一の価値基準への固着、視野狭窄ではないか、との指摘はしておきます。
 だとしたら、そうしたものを多用したプレイは、決してTRPGで生成される物語の質を高めない、ということも指摘できるでしょう。
 アタシの意見としては、単一の価値基準に固着したキャラクター表現は、それがキャラクタープレイであるとしても、程度の低いキャラクタープレイではないか、と思います。
 
 後は、シナリオ作成、及び、マスタリングのもんだいかと思われます。
 この件も、簡単には論じられないと思うのですが、セッション前、キャラメーク時のブレーンストーミング風のセッションメンバー間コミュニケーションや、GMによるキャラシートチェックを柔軟におこなうことで、ある程度の対処はできるかと思われます。
 いわゆるキャラクター・プレイヤーの内には、コンベンションへのキャラクター・シート持ち込みなどにこだわる人もいるようなのですが、こうした持ち込みキャラシートなどへの制限は、GMさんのシナリオ評価に応じておこなわれて、当然構わないもの、とアタシは思います。ゲーム的な思想から抵抗をお持ちのGMさんもいらっしゃるかと思いますし、その思想、尊重もするのですが。「物語生成」の観点から言うと、よりよい物語生成過程に関与しづらいキャラクターシート、プレイヤーも好まないはず、とは思われます(世の中、なかなかそー、理屈が通じるプレイヤーさんばかりではない、とも思いますけど)。
#まー実践のもんだいとしては、たんじゅんにいろいろを禁止するだけでもマズイかもしれませんので、いろいろな駆け引きが必要になること、多いとも思われますが。
 
■キャラクタープレイに関する覚え書き
 事例をひとつ紹介しただけでは、説得力が乏しいかもしれませんが、アタシとしては「TRPGセッションで生成される物語の質に関与するためのプレイとして、実在感〔アクチュアリティ〕のあるキャラクタープレイは有意なテクニックのひとつである」との位置付けを考えることを提案したいと思います。
 
■補足:システムについて、他
 この論述の公正さを保つために記しておきますと、今回セッション内エピソードをご紹介した、ゲームのシステムは、寺田大典さん創っておられる同人システム「Alice the fairly world 〜心を持った世界〜」です。ご紹介したエピソードを含んだセッションのGMさんも寺田さんご本人でした。
#今回のエピソード紹介、寺田さんご本人にご了承を得ていることは特にお断りしておきます。
 
 「Alice」はそのルール内で、「楽しい物語を全てのプレイヤーとゲームマスターで共感」するためのTRPGとも示唆されているようです。
 また現状では、システム上、PCの職業(生業)についてのゲーム的規定は、意図的にたいへん流動的に、GMとPCとの合議で裁量されるように設計されています。
 
 私見ですが、アタシなりの言い方で言わせていただくと、「Alice」のシステムは、「自然言語によるコミュニケーション(相互了解のコミュニケーション)の要素がたいへん優勢なシステム」と言ってよいものかと思います。
 ですので、一般に言われる「ルールに記載された立場に期待される役割分担をPCに採らせ、シナリオの目的達成に貢献する、ロールプレイ」と、「ルール記述から期待される役割以外の言動をPCに採らせるキャラクタープレイ」の概念区別自体、Aliceシステムへの適用は、やや難いのですね。
 
 それでもやはり、今回ご紹介したような、「物語の質」を左右するようなキャラクターハンドリングは、多くのTRPGシステムでは、キャラクタープレイと呼ばれざるを得ない類のプレイだと思われます。仮にご紹介した個所のキャラクター・ハンドリングが、シナリオの目的達成に関連するとしても、その関連の仕方は間接的で不確かですし。
 
 なお、TRPGで生成される物語の質で、物語内容の実在感〔アクチュアリティ〕を重視するのは、アタシの理論的立場とお考えいただけると幸いです。TRPGでの「物語生成」に関する論考や、「ジャンルとしてのTRPGに独自な類的特質(本質)を構成する諸要素・諸要素間独自の構成形態」に関する論考には、他にもいろいろな理論的立場は成立可能であると思われます。
#また、いつも書くことですが、アタシの理論的立場からは通念的にイメージされている「キャラクタープレイヤー」は「演技最重視、または演技偏重タイプ」のキャラクタープレイヤー、と見なされることもお断りしておきます。
#演技にこだわらずに、「間接話法」と「直接話法」を混在させても、実在感〔アクチュアリティ〕のあるキャラクター表現は充分可能で、それはキャラクタープレイと呼ばれて構わない、ってゆーのがアタシの主張なわけです。今回ご紹介したエピソードもそうした演技偏重ではないキャラクタープレイと思いますが、いかがでしょーか?
#実は、アタシ、セッションメンバーのタイプや反応によって、演技に熱中したりしなかったりするんで、「カンナさんの自称キャラクタープレイヤーって、ウソでないの?(笑)」みたいに言われるかたいるものですから(苦笑)。
 
#さしあたり、以上にします.
1999年06月22日:22時33分52秒
[物語生成]価値基準のズレとキャラクタープレイの実在感〔アクチュアリティ〕 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#当掲示板への投稿、「[物語生成]生成される物語の質とキャラクタープレイの実在感〔アクチュアリティ〕」の続きです.
 
■価値基準のズレとキャラクタープレイ
 さて、先にご紹介したエピソード#1、#2、#3、では、A、B、CのそれぞれのPCの価値基準(判断基準)のズレが比較的スムースに表現されていたと思います。
 特にA-2-1、C-2-2、B-2-2、それから、B-3-1、A-3-2の会話から読み取れるすれ違いに、PCの価値基準のズレがよく表現されていたと言えます。
 
 もしTRPGセッションがシナリオの目的達成をすること「だけ」が目的だとしたら、うえに記述したようなセッション展開は、ほとんどがあってもなくても構わないもの、と見なされると思います。
 シナリオの目的達成に直結するコメントは、わずかにB-2-1、とB-3-2、のみです。評価のレベルを深くすると、「#1と#2で、Cが、Aの帰還をBに告げ、それをうけたBが#3でAを事件調査に誘った展開」にも、シナリオ達成目的への貢献を観ることはできますが。
 しかし、少なくとも、もっと別の展開を演出したほうが、シナリオの目的達成に関しては効率的とは言えます。
 その意味で今回ご紹介したようなプレイはキャラクタープレイの一類であるとみなされます。
 
 さて、#1、#2、#3のエピソード展開によって、仮稿の物語上でPC、A、B間の仮構のにんげん関係に、ある変容が生じていると評価することは妥当と思われます。
 実際は、このセッションでは、A、B間の、にんげん関係に決定的な変化は発生しなかったと思うのですが(私見)。しかし、それでも、将来の決定的なにんげん関係の変化につながるかもしれない(つながらないかもしれない)ある微妙な変容は認められますし、その件はセッション参加メンバー全員に認知されていたと思います。
 同時に、この「にんげん関係の微妙な変容」の評価(受け止め方)自体は、各PCを担当するプレイヤーごとに違いますし、同じ変容についての各PCの対応の構想もプレイヤーごとに違うはずと思われます。
 
 実生活でもありがちな、「1.個人の価値基準のズレの存在」が「2.あるキャラクターの言動に関する評価に差違を生じ」、その「3.評価の微妙な差違が影響して仮構のにんげん間系に変容を生じさている」、これは実在感〔アクチュアリティ〕を持ったキャラクタープレイの一類です。
#この論述文で、「実在感〔アクチュアリティ〕」と言っているのは、「現実感〔リアリティ〕」とは異なるもっともらしさ、のことと思ってください。
 
 こうした類の、架空のにんげん関係の変容が、その後のセッション展開に影響を与えない、とは断定できないと思います。影響を与えるかもしれませんし、与えないかもしれません。
 また、その影響が、シナリオの目標達成にプラスに作用するか、マイナスに作用するかも断定不能であるはずです。
 その辺はセッション参加メンバー(GM、及びプレイヤーたち)の「仮構の世界を背景にしたゲームプレイでのコミュニケーション」と「ゲームプレイを巡っての自然言語によるコミュニケーション」の二重のやりとりの内容や質によって違っていくはずと思われます。
 
■にんげん関係の実在感〔アクチュアリティ〕と生成される物語の質
 例えば、細かく見ると、A-2-1、C-3-1、のシーンにPC不在のプレイヤーを起点としたプレイヤー間コミュニケーションはセッションの展開には直接影響を与えていません。
 しかし、このプレイヤー間コミュニケーションも、間接的に、他プレイヤーのPCハンドリングに影響を与えたと思われます。特に、A-2-1の発話は、C-2-2のキャラクターハンドリングの直接的なきっかけになっています(Cのプレイヤー、アタシでした:笑)。
 
 ちょっと手前味噌かもしれませんけれど、アタシは、うえで記述したPC、A、B、C間のやりとりに見出される(解釈される)価値基準(判断基準)のズレに、ささやかではあっても、「実在感〔アクチュアリティ〕」、この場合、にんげん関係の実在感〔アクチュアリティ〕を観ることができると思います。
 
 特に、PC,Aと、PC,B&PC,Cとの間に顕著な価値基準(判断基準)のズレには仮構の物語(エピソード)の形で、「男性/女性の価値基準(判断基準)のズレ」の一例がよく表現されていると思っています(プレイヤーは全員男性ですけど)。
 この場合、仮構のキャラクター間の価値基準のズレが比較的うまく演出・プレゼンテーションされたことが、物語に実在感〔アクチュアリティ〕を増しているとも言えます。
 
 このように、「実在感〔アクチュアリティ〕」の質は、「TRPGのセッションで生成される物語(ゲームプレイの結果できてしまう物語)」の質を左右します。このエピソードがあった場合と無かった場合とでは、仮にシナリオの目的達成度が同じであったとしてもセッションで生成される物語の質は、違ってしまうと言えます。
 
 ここで述べたような、「物語の質」は、「シナリオの目的」の達成度で評価されるゲーム的な評価とは別種の評価基準です。ゲーム的な評価基準は客観的ですけれど、物語の質の評価基準は間主観的なものではあります。けれども、ゲーム的な評価基準と物語の質の評価基準とは、TRPGセッション内で共存し得る評価基準であり、どちらも、TRPGの類的特性を構成する要素の活用で達成されるものであると思われます。
 
 こうした、仮構のにんげん関係の実在感〔アクチュアリティ〕があると無いとでは、同じように、シナリオの目的を達成したとしても、体験として残るセッションの内容は随分異なったものになると思われます。
 よく、「セッションに深みが出た」などの表現で言われる事態を、[物語生成]の観点から論述すると、このような、「実在感〔アクチュアリティ〕を持ったキャラクタープレイの影響で、生成される物語の質が実在感〔アクチュアリティ〕を増す方向にシフトした」ということになります。
 
 アタシ的には、この辺から、TRPGの楽しみの内でのキャラクタープレイの楽しみの位置付け、と在り方を考え直していくことができるのではないか、とか考えています。
 検討によっては、「キャラクタープレイ」の概念規定自体修正が必要になるかもしれません。
 いまのところ、この論述文で述べているキャラクタープレイは、ルールの規定で期待されるPCの役割(ロールプレイ)とは異なる、PCの個性・にんげん性の表現です。
 アタシの見通しでは、TRPGの楽しみの一環としてのキャラクタープレイは、その妥当な在り方も含めて、TRPG独自の物語生成過程と、生成される物語の質、に関連して考察されるのがよいのではないかと思います。
 
#長くなりますので、「[物語生成]キャラクタープレイのもんだい点と対処策、他」に続きます.
1999年06月22日:22時30分37秒
[物語生成]生成される物語の質とキャラクタープレイの実在感〔アクチュアリティ〕 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

#TRPGでの「物語生成」関連、抽象的なのーが多いんで、少しウケが悪いようです(困)。
#たまには具体的な事例もご紹介しつつ論じてみようかと思います。
 
■この投稿の概要
 今回の投稿では、「TRPGでの物語生成過程」を重視する立場の内で、さらに限定して物語生成過程に関与して生成される物語の質に影響を与えるプレイについて、その手段としての、実在感〔アクチュアリティ〕をもったキャラクタープレイについて、事例をご紹介して論述してみたいと思います(長くんさりそうですので、いくつかに分載しますけれど)。
 
■前説
 ご紹介するのは、アタシが実際体験したセッション展開の一部(セッション内エピソード)を、アタシなりの記憶と、判断とでリプレイ風にまとめ直してみたものです。
 プレイヤー発話の細部などは、実際あったセッションの事実と異なる部分が多いと思います(何しろ記憶にもとづいた整理ですし)。
 また、関連した論術の便宜のために、整理したエピソードからはGMさんのマスタリングに関連した発話は省略させていただいています。
 
 ご紹介するセッション内エピソードは、単発キャンペーン(1回ごとに完結したセッションの連続したプレイ)の第二回での、導入部分のラストでのものです。
 セッション参加メンバーはGMさんとプレイヤー4名。第一回と第二回ではセッション参加メンバーはまったく同一です。
 
 以下のエピソード紹介では、仮にプレイヤー/PCを、A、B、C、Dで表記しました。
 いわゆる、プレイヤー発言とPC発言の区別などは、よくあるリプレイの記述法を踏まえて判断していただけるように整理したつもりです。
 
 プレイヤーは4名全員が男性。
 PCは、Aが男性で旅人(ツアー・コンダクター的な職業)、Bが女性でもと占い師でこのセッション(第二回)の時点では神殿所属の神官に転職済み、Cは女性で職業は馬子、Dは神殿づきの衛兵です。
 PCの年齢設定は、D>(または=)A>B>C、であったように記憶しています。
 
■リプレイ風に整理した、セッション内エピソードの具体例
 第一回のセッションでは、PC,AとPC,Bの間に恋愛感情直前的な、“いい感じ”のにんげん関係が生成されていた、とセッション参加メンバー全員に認識されていました。それから、これ重要なんですけど、PC,AとPC,Bの“いい感じ”のにんげん関係、PC,A、PC,BとPC,Cはなんとなく感知していたけど、PC,Dは感知していなかった、とセッションメンバー間で了解されていたと理解しています(この辺が、アタシがTRPGセッションで生成される物語体験はメンバーごとに相違すると見なす点なんです)。
 第一回のセッション終了後、物語内で数ヶ月後の時点でのできごととしてお読みください。
 
#1≫セッションの導入がほぼ終了するタイミングで、Aが旅から街に戻って来たところに、Cが偶然行きあわせた.
C-1-1:「あー、Aさんお久ぶりぃ、いつ帰って来たの?」
A-1-1:「や、やは。ついさっ戻ってきたところだよ」
C-1-2:「Bさんと、もー会ったの?」
A-1-2:「……、い、いや、ついさっき戻って来たところだからね」
C-1-3:「ふーん(?)。早く会いに行ってあげなきゃ。Bさん喜ぶと思うわ」
A-1-3:「……。あのね、Cちゃん、ボクが旅から帰って来たこと、誰にも言わないでおいてくれる?」
C-1-4:「そう、ナイショなのね(?)。うん、わかったわ」
A-1-4:「じゃ、じゃぁ、またね」と、Aは雑踏の内へそそくさと……
C-1-5:立ち去るAに声をかけます「Bさんに会いに行くときはお土産持っていったほーがいーわよー」
A-1-5:ずっこけます(苦笑)
 
#2≫#1の直後Cは速攻でBのもとに向かいました
C-2-1:「ねーねー、Aさんが旅から帰って来たのよー。アタシ、街の入り口のところで偶然会っちゃった」
A-2-1:〔このシーンにはPC不在〕誰にも言うなと言ったろーがー(笑)
B-2-1:「そうなの……、いまちょっとした事件を調べているから、手伝ってもらえないかしら」
C-2-2:ナイショ話ふうに「あのネ、Aさん、街にかえって来たこと、アタシたち仲間の他の人にはナイショにしてほしーんだって」
B-2-2:(笑)「そうなんだぁ」
A-2-2:〔このシーンにはPC不在〕違ぁーう(笑)
 
#3≫#2の後、BはAが宿泊してる宿屋を探して尋ねた.
A-3-1:「や、やぁ、久ぶり、よくここがわかったね」
B-3-1:「Cちゃんがね、旅から帰って来たこと、わたしの他の人にはナイショってAさんが言ってたの、伝えてくれたの」(笑)
A-3-2:「えーっと……」(苦笑)
C-3-1:〔このシーンにはPC不在〕うっわーっ、やるやる、Bさん(爆笑)
D-3-1:すでに話しが変わってる(苦笑)
B-3-2:「実はね、またちょっとした事件の調査をしていて、できたら手伝ってほしいんだけど」
A-3-3:(話は)聞いてますが(苦笑)
B-3-3:「実はその事件っていうのはね〜」これこれしかじかです
 
 この後、BはC、Dも誘い、「ちょっとした事件」の調査にのぞむことになります。
 もちろん、この「ちょっとした事件」の調査がシナリオの目的につながっていきました。
 けれど、この事例紹介のポイントは、AがCの発言「旅から帰って来たこと、わたしの他の人にはナイショってAさんが言ってた」(B-3-1)を否認するタイミングを逸したまま、事態が推移した点にあります(笑)。
 
#長くなりますので、ご紹介したエピソードにもとづく論述は、「[物語生成]価値基準のズレとキャラクタープレイの実在感〔アクチュアリティ〕」に続きます.
1999年06月22日:11時01分38秒
TRPG定義の目的について / らむだ
  
  らむだです。横から失礼します。
  
  SHiNさんの立場は、「共通理解というテーブルについてからどうするか」であり、
  鍼原さんの立場は、「共通理解というテーブルにつくのにどうするか」なのでしょうか。
  
  SHiNさんが、定義の多様性とそれについての共通理解を、すでに前提とされているのに対して、
  鍼原さんは、定義の多様性についての「共通理解」とはそもそもどういうものなのかという、メタ的枠組みを提示しようとされているのかな、と。
1999年06月22日:04時40分16秒
Re:『TRPGを定義することの意味と意義』 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>SHiNさんへ

 うん、SHiNさんの言われることわかります。

 でも、感情移入に限らないけど「あった方がよいけど」「『なければならない』ではない」って言うあたりは、ほんと微妙ですよね。どう書き表すか、にしても微妙と思います。
  
>「よりよいTRPG」を目指すなら、「TRPG」とはどういうものか定義せねばなりません。
>が、TRPGの定義方法は、人によって、それこそ幾通りも存在します。これは、動かしようのない事実です。
 TRPGやその楽しさを説明する方法、確かに複数あると思います。
 
 かつ、それぞれの説明の説得力とか、ある説明がフォローできる範囲ってゆーのもあると思うんですね。やっぱ、どんな説明でもアリアリってわけにはいかないとは思うんですけど。
 
>TRPGを定義して語る・・っていうのは、あくまで「上達のための手段」であり、TRPGを定義してしまうことが目的ではないはずだ、それが「上級者」ではないはずだ・・って事は確かなんじゃないでしょうか。
 
 、、ってゆーのも賛成です。
 
 ただ、「定義して語る」ことの目的、直接「上達のための手段」になるとは限らない気もするのです。
 
 『TRPGを定義することの意味と意義』 、個人の上達、以外に、「いろんな嗜好のプレイヤー」さんや、GMさんが、自分と違う嗜好性の人の欲求や発想を了解してくときの補助になるかどーか? ってあたりも 「TRPGを定義することの意味と意義」だと思う次第です。
 
#SHiNさんの場合、「上達するにつれて、いろんな楽しみ方ができるようになる」って言われてるんで、「他人の嗜好性の理解」も「上達」に関わってくると思います。けれど、必ずしもSHiNさんのように考えてられるかたばかりではないですし。
 
 結局、「TRPGの概念規定(説明)」、どんな説明でもアリアリってわけにはいかないけれど、それでも、望遠鏡と、虫眼鏡、と顕微鏡と、それぞれによって観えるもの(理解できる範囲)が違う、ってゆーくらいは、いろんな説明(TRPGについての定義)が併存してたほーが、ジャンルが豊かになる、と思います、、ってあたりがアタシの意見です。

 TRPG「上達するにつれて、いろんな楽しみ方ができるようになる」、「他人が楽しめることを楽しめる」基本的に賛成です。
 もちろん、アタシもそんな究極のプレイヤーではないですけれど。
 
 「他人が楽しんでる様子を同じセッションで楽しめる」ってあたりも、結構重要と思います。

 その辺を硬苦しく言うと「異なる嗜好性の人が同一セッションに併存して、TRPGを楽しめる可能性」とかって言い方になったり、ですね。
1999年06月22日:03時05分07秒
『TRPGを定義することの意味と意義』 / SHiN
 (はりはらさん)
 >だからと言って「感情移入」が、TRPGを遊ぶ人全員に共通した目的と言えるか? ってゆーと、それは違うと思われるわけなのです。
 
 「感情移入が目的」って表現になると、ちょっと変になりますが、「感情移入」が「TRPGを楽しむ」ための手段となりえるっていう点では、万人共通だと思います。
 
 
 >でも、感情移入がなくては「楽しい」とか「面白い」とか感じられないか? とゆーと、そー限ったもんではないですよね。人は、「シナリオ目標の達成感」とか、「ナイスなゲームプレイ」に対しても、「楽しい」とか「面白い」とか思えるわけです。
 
 
 そうですね。
 「手段となりえる。」のと「唯一無二の手段である。」ってのは、また別の意味で。
 
 
 >TRPGのゲームプレイの側面に重点をおくのも、生成される物語の生成過程への関与に重点をおくのも、どちらも、同じTRPGへの重点の置き方が違うだけ、って思うんで、その辺の説明原理をなんとか構築したいんですね。
 
 
 TRPGには、さまざまな要素・・いろんなタイプのプレイヤーを引きつける様々な要素が存在するのは周知の事実ですが、結局、それらの要素の楽しさと「TRPGの楽しさ」ってのは、基本を1として、全部『正比例』するんじゃないでしょうか。
 
 そういう意味で、感情移入とはTRPGにとって、
 『あってもなくても良い』ものでは決してなく、
 『あった方が良い』ものです。
 「シナリオ目標の達成感」を楽しいと思える人が
「感情移入」を行う事で、より楽しめることも当然あるでしょうから。
 ただし、『なければならない』ものではありませんので、「私は感情移入しなくても楽しめる」ってTRPGファンもいるし、いても良いわけです。
 彼は、感情移入を楽しむプレイヤーの2倍、ゲーム性を楽しんでいるかもしれないわけですし。
 
 が、逆に、他人の感情移入を「気持ち悪い」とか、他人の「ゲーム性へのアプローチ」を鬱陶しく思う人は、不特定多数の人間とTRPGするには残念ながら向かないとは思います。
 彼にとって、感情移入(またはゲーム性)という要素は、『1』でなく、『0』もしくはマイナスになるので、TRPG自体が『気持ち悪い遊び』『面倒くさい遊び』・・・つまり『楽しくない遊び』となるでしょう。
 
 わたしが、TRPGをちゃんとやりこんでるな・・と思う人は、たいていTRPGの上達方向を円錐状に捉えててるように感じます。
 
 これは「上達するにつれて、いろんな楽しみ方ができるようになる状態」を示すようです。
 
 私としては、また、「他人が楽しめることを楽しめる」状態と考えてもいいんじゃないかと思います。
 
 この意識は、プレイヤーだけをするならまだしも、いろんな嗜好のプレイヤーを相手にゲームマスターをする人間にとっては必須の物じゃないかなあとも思います。
 
 「よりよいTRPG」を目指すなら、「TRPG」とはどういうものか定義せねばなりません。
 が、TRPGの定義方法は、人によって、それこそ幾通りも存在します。これは、動かしようのない事実です。
 
 TRPGとは何か?この答えを定義せねば、成長の道は確かにありません。
 が、究極的に成長したTRPGプレイヤーというのは、TRPGを「無定義」の状態で楽しめるものなんじゃないかと思います。
 
 なぜなら、彼は、TRPGを無数の定義の仕方で上達方向を模索した結果、どのような定義のTRPGをも楽しめるようになったからです。
 
 私自身は、そんな究極プレイヤーではないので、実際にそのような存在がありえるのかどうか確信はありませんが・・少なくとも次のように考えます。
 
 TRPGを定義して語る・・っていうのは、あくまで「上達のための手段」であり、TRPGを定義してしまうことが目的ではないはずだ、それが「上級者」ではないはずだ・・って事は確かなんじゃないでしょうか。
 
1999年06月21日:09時51分13秒
[物語生成]Re:「共同解釈」と「感情移入」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@紙魚砂さんWrote(「[物語生成]『共同解釈』と『感情移入』」,TRPG総合研究室 LOG 032,99年06月20日:14時01分25秒 )
>TRPGが娯楽(=「人を楽しませるもの」)である以上、
>その過程で「感情移入」を引き起こさせ、
>「楽しい」と感じさせることが、
>TRPGをわざわざやる「目的」ではないかと思うのです。
 
 えーっと、確かに、娯楽は楽しいか、面白いかしなくっちゃダメだと思われますよね。
 そーゆー意味では「楽しい(とか面白いとか)」はTRPGを遊ぶ目的と言ってよいかもしれません。
 
 でも、感情移入がなくては「楽しい」とか「面白い」とか感じられないか? とゆーと、そー限ったもんではないですよね。 人は、「シナリオ目標の達成感」とか、「ナイスなゲームプレイ」に対しても、「楽しい」とか「面白い」とか思えるわけです。
 
 あと、「感情移入」といっても、割と幅があって、以前、TRPG.NetのIRCチャットで、銅大さんとこんなお話をしたことがあるんですけど、
「 #TRPG 1998/08/19 編集ログ」より引用.
銅大:感情移入っていう点ではウォー・ゲームほどに切実なRPGはプレイした事ないなぁ(笑)。
鍼原神無:ウォーSLGですか?>銅大さん
銅大:そーです。カンナさん。「ここで老親衛隊を投入!」、「全滅かぁ!!」。
鍼原神無:それはキャラプレ的には思い入れであって、キャラプレイヤーは感情移入とは分ける。
 〔中略:カンナ〕
銅大:感情移入と思い入れの違い……成る程。>カンナさん
 
 んで、アタシは、「生成される物語や、ゲームプレイのトークンに感情移入しない人」、「ゲームプレイのトークンには感情移入する人」「仮構のキャラクター(にんげん性)にも感情移入する人」これらの人が同一セッションに混在してても、セッションはつつがなく成立し得ると思うんです。
 
 実践的には、セッション前のシナリオ傾向、マスタリング傾向の予告とかが、整理された形でわかり易く行われる、とか。
 セッション参加メンバー(GMとプレイヤー)はキャラクター表現の一貫性には最低限留意する、とか。
 セッション参加メンバーが「ゲームプレイでのやりとり」と「ゲーム展開で生成される物語を巡るコミュニケーション」の両方で、「インタラクション〔相互作用〕」意識的にやって、そのシステム、セッションでの妥当な配分(「ゲームプレイ」と「感情移入」と「キャラクター表現」とかの配分とか)へ向けて歩み寄る、とか。
 その辺が為されていけば可能だと思っています。
#この場合「歩み寄り」ってゆーのは、原則、全セッションメンバーがそれぞれに多寡はあってもそのセッションでの落とし所(配分)に向かって「歩み寄る」べきとアタシは思ってまして。いわゆる「キャラクタープレイヤー」だけが「妥協」とかをすべき、ともとれる論調には割と反発を感じてしまうのですが
 
 えーっと、例えば、過去にこの掲示板でも「『TRPG』と『TCPG』の分離、住みわけ」って極論(一種の思考実験だったと思うんですけど)が唱えられたこととかもあります(TRPG総合研究室 LOG 019)。
 どーも、アタシ個人には、TRPG/TCPGって発想はナンセンスに思えるんですけれど。TRPGに世界設定があり、PCが個人名を有し、履歴が想像される限りTRPGからは、どーしても、「物語生成過程への参与を重視する楽しみかた」や「キャラクター表現を楽しむ遊びかた」が発生してこざるを得ないと思っています。
 それに、もし、TRPGから世界設定とPCの個人名、履歴を完全に排除したら、それはなんてゆーか、ややこしーシミュレーション・ゲームのようなものであって、TRPGとはプレイ感覚大分ズレたものになっちゃうのではないかと、想像しますし。
 
 んで、なんで、アタシが「ジャンルとしてのTRPGの類的特性(本質)」とか「物語生成」とかの論述をネチネチ(苦笑)やってるかとゆ−とですね。
 TRPGのゲームプレイの側面に重点をおくのも、生成される物語の生成過程への関与に重点をおくのも、どちらも、同じTRPGへの重点の置き方が違うだけ、って思うんで、その辺の説明原理をなんとか構築したいんですね。
 TRPGのゲームプレイからは二重に生成される物語、どーしてもできちゃいますし。
 TRPGで生成される二重の物語はゲームプレイがなければ生成されないのですし。
 だったら、重点の置き方が違うだけで、100%どっちか片方って、態度は現実にはあり得ないのではないか? って思うんです。
 
 まー、そーゆーわけで、「楽しい(もしくは面白い)と感じること」はたしかに感情(ってゆーか情動)の一種なんですけど。だからと言って「感情移入」が、TRPGを遊ぶ人全員に共通した目的と言えるか? ってゆーと、それは違うと思われるわけなのです。
 いかがでしょーか?
1999年06月20日:19時36分12秒
TRPG総合研究室 LOG 032 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 032として1999年06月12日から1999年06月20日までのログを切り出しました。

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