TRPG総合研究室 LOG 032

TRPG総合研究室の1999年06月12日から1999年06月20日までのログです。


1999年06月20日:14時47分40秒
Re:Re:「本質」の用語定義 / 香美単衣
 あ、返事が来た。嬉しいです。^^;
 
 そう読まれましたか。うーむ。
 えーと、おっしゃることは正しいです。自身の発言については、きっちり定義をしないといけない、賛成です。
 しかし、僕の意図とは、ずれましたね。僕の書き方が悪かったのですが。
 ラウールさん他(失礼)の方々の書き込みを、自分の定義に合わないからといって意図的に誤読するのはどうか?というのがメインのつもりでした。
 ラウールさん、YANさんとも、定義をしっかりなされています。だとすれば、その定義で読むのが正しいのでは?のつもりでした。
 
 しかし考えてみれば、過去ログを僕が読んだ時は一日ですんでも、発言の日付を見てみれば一週間以上経ってしまってますね(笑)。
 アクティブメンバーの皆さんにとっては古い話でした。蒸し返してごめんなさい。
 
 キャラクタープレイはただの例示です。どうか気になさらぬよう。
 
 建設的意見も何か書きたいのですが、皆さん相当高レベルで議論されていますね。認識が追いつくまでROM続けます。
 それでは、場を汚して失礼しました。
1999年06月20日:14時01分25秒
[物語生成]「共同解釈」と「感情移入」 / 紙魚砂

>鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん

 レスありがとうございます。
 鍼原さんの考える「TRPG独自の楽しみ」「物語の二重性」について良く分かりました。

>「では…」は内容の推測困難な題名ですよね。
>もう少しだけ、投稿の題名に工夫されるとよろしいかと思いますです。

 その通りですね。以後気をつけます。

 さて、

>#余談になりますけど、
>アタシ個人はTRPGセッションでの「感情移入」好きですし、楽しいと思います。
>でも、ジャンルとしてのTRPGを考えると
>「感情移入」は必ずしも本質的ではなくって、
>セッションにあってもなくてもどちらでもよいものかと思います。
>プレイヤーさんが上手にPCのキャラクター性をプレゼンテーションさえできるなら、
>「感情移入」はあってもなくてもよいと思う。

についてちょっと異論というか補足があるのですが、
結局「楽しい」と思うのはその「感情」なわけですよね。
例えば「自然言語でのコミュニケーション」においても
感情を交えず会話を成立させることが可能です。
(というか、日常の大半は感情を交えない会話をしているでしょう。)
でもそんな会話は楽しくないですよね。
会話に感情が付いて来て、
「感情移入」できた時
初めて「楽しい」って思えるわけです。

だからTRPGの「共同解釈」の過程においても、
「感情移入」は無くてもそれ自体成立するけれども、
TRPGが娯楽(=「人を楽しませるもの」)である以上、
その過程で「感情移入」を引き起こさせ、
「楽しい」と感じさせることが、
TRPGをわざわざやる「目的」ではないかと思うのです。
1999年06月20日:09時58分12秒
[物語生成]「TRPG独自の楽しみ」について(Re:では…) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@紙魚砂さんWrote
>TRPGによって得られるであろう本質的かつ
>独自の楽しみとは例の定義(分類)によってどのように説明されるでしょう?
 
 端的に、核心をつかれますね(笑)。
 えーっと、今の段階の意見でよければ、お応えしたく思います。
 ただ、留意していただきたいんですけれど、「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」で提案した、「本質論と類型論をそれぞれに検討しながら相補わせていくアプローチ」と、お応えするアタシの今段階の意見とは一応別問題として考えていただきたいと希望します。
 
 「A.本質を構成する要素とその関わり方」 は、「a-1.いろいろなTRPGシステムを随意に比較検討すること」、「a-2.RPGのシステムと近接したジャンルのゲームシステムなどを比較検討すること」で、詳細化、整理されてゆくべきと思われます。
 「B.TRPGジャンル内の類型整理」は、「b.色々なTRPGシステム(特にシステムの記述法)を個別に検討していくこと」で、妥当な分類基準が検討、確認されてゆくべきと思われます。
 A.のa-1.やa-2.で、これはいける、と思われた「本質を構成する要素の列挙」も、B.のb.に応用してみるとうまくいかないこともあるかもしれません。
 逆に、B.のb.を検討していくと、「本質を構成する要素とその関わり方」の新たな着眼点が発見されるかもしれません。
 
 「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」で提案しました、「0.&1.〜5.」の要素、アタシもそれなりに自信があって、提案したわけなのですが。
 同時に、「イ.本質を構成する要素を一度分解して、関わり方を再構成してみる」、「ロ.本質を構成する要素に即して、いろんなTRPGのシステムを類型に整理していく」との相補い合うアプローチの提案は、これは「構成要素」についてのアタシの意見の妥当性にかかわらず有効なはず、とも思っています。
 ですので、これから述べる「TRPG独自の楽しみ」についての現段階のアタシの意見は、「ジャンルとしてのTRPGの本質」を整理していくための方法論の妥当性、の話とは別話題として捉えていただきたいわけです。
 
■TRPG独自の楽しみ
 前説が長くなりました、
 「TRPGによって得られるであろう本質的かつ独自の楽しみ」とは、についてですね。
 今の段階でのアタシの意見です。
 
 まずTRPGのセッションを、ある程度抽象化して考えてみると、 アタシは「共同解釈行為」として考えていくのがよいのではないかと思います。
 「TRPGセッションを共同解釈行為」と見なすって言うのは、「システムに設定された仮構の世界の限定された局面で、どのような事態が起こり得るかという可能性を、ゲームプレイと自然言語によるコミュケーションとで体験的に検討していく共同解釈行為」って意味で使いたいと思います。
 
 その独自の楽しみですけど、「システムに設定された仮構世界の可能性の体験的検討・共同解釈行為によって生成される二重性を持った物語を相互了解していくこと」、と言えるかと思います。
#生成される物語の二重性/多重性について別に述べさせていただきます。
#それから、この「楽しみ」の方なんですけど、アタシの[物語生成]ではない観点からは、同じ事態に別の説明が加えられることも可能かと思います。もちろん、アタシの説明と併存不能で、批判しあわなきゃならない説明もあり得るとは思われますけれど。
 
 共同解釈される「仮構世界の可能性の体験的検討」の基底には、ゲームプレイがあります。
 ですので共同解釈の前提には、ゲームプレイも、ゲームプレイの楽しみも含まれていると捉えていただきたいと思います。
 ゲーム・プレイの体験には解釈の余地はなく、セッション参加メンバー(GMさん及びプレイヤー達)の間で共有できる体験、と見なすとよいと思います(理論上の話しですけど)。
 
 で、「ゲームプレイ」に関する解釈には、個々のセッションメンバー間で個別に異なり、共有は困難な面があると思います。共有や理解は困難でも、了解(相互了解)は可能だ、との含みですが。
  
 しかし、同時に個々のセッションメンバーの解釈行為は、「1.ゲームプレイを通じて」、「2.ゲームプレイを巡る自然言語でのコミュニケーションを通じて」、相互に関係しあい、影響しあいます。
 
 ですので、TRPGセッションでの共同解釈行為とは、必ずしも同一の解釈を共同でおこなっていく行為、とは限らないと思われます。
#上記の件は、紙魚砂さんが言われる「TRPGで生成される物語の多重性」とも関係してくると思われます。その辺のことについては、長くなりますので、「簡易長文投稿」に投稿しました、「『TRPG独自の楽しみ』についての覚え書き」で述べてみました。左記の長文投稿は、「長文投稿ログ」の00000096.htmlからもたどれます。
#TRPGで生成される物語の二重性/多重性については、上記の長文投稿の内で意見を述べてみました。
 
別件≫ところで、紙魚砂さん、TRPG.NETの簡易掲示板への投稿では、「題名は簡易ボード群の新着情報から内容の概要が理解できるように、簡潔で適切な要約になるようにお願いします」と「簡易ボード書き込み内容確認」の画面にも記されていますよね。
 この件は、「簡易掲示板利用マニュアル」にも書かれてます。
 「では…」は内容の推測困難な題名ですよね。もう少しだけ、投稿の題名に工夫されるとよろしいかと思いますです。
1999年06月18日:23時26分04秒
では… / 紙魚砂

>鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん

「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」を読ませていただきました。

で、質問なんですが、

>0.エンターティメント(娯楽)の一ジャンルである.

ということは、TRPGをすることで人は楽しめるということだと思います。
だとすると、TRPGによって得られるであろう本質的かつ
独自の楽しみとは例の定義(分類)によってどのように説明されるでしょう?

あと、細かい話ですが

>生成される物語に必ず二重性があること

というのはあくまで「マスター対プレイヤー(PC)」の図式でTRPGを見た場合の話であって、
最近ではさらに

「プレイヤーから見たストーリー」
「PCから見たストーリー」

と分かれ、もっと細かく見ると

「プレイヤー一人一人から見たストーリー」
「PC一人一人から見たストーリー」

と分化します。
キャラクタープレイを認めるようになると、この分化はますます明確になっていって、
少なくともプレイヤーの視点からは

「自分から見たストーリー」
「自分のPCから見たストーリー」
「GMから見たストーリー」
「他のプレイヤーから見たストーリー」

を区別しなくてはならなくなるかと思います。

長々と書きましたが、結局

>生成される物語に必ず二重性があること

と言うよりは

>生成される物語に必ず多重性があること

と言った方が正しくなってきているのではないだろうかと言いたかったのです。

この辺りの話は、TRPGのスタイルが
GMを単なる判定装置として使っていた
かつての戦闘級(?)シミュレーションゲーム的スタイルの名残のようなものから
(この頃はパーティー全体で一つのストーリを共有していた)
PC一人一人のストーリーをゲームに取り込むようなスタイルに
だんだんと変化してきたことと関係あるのではないかと思いますけれども。
1999年06月18日:16時11分09秒
Re:「本質」の用語定義 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>香美単衣さん
 こんにちは。はじめまして。
 アタシは香美さんに頂戴したご意見、多分ほとんど同意できます。
 アタシが自分の用語法を人に押し付けているように見えたのでしたら、多分アタシの作文の書き方にまずいところがあったのでしょう。
 
 ただですね、アタシとしましては「TRPGの本質とは何か?」みたいな主題を論述するときに、果たして、日常語と同質の曖昧な用語法でやってっちゃって良いのか? については、かなり疑問なんです。
 
 論述文の場合は、ある用語法を採用することで、何が明確に論じられるようになるか?が評価されるべきと思います。
 アタシも「本質」の語の概念規定にいろんなバリエーションがあり得ることは理解しています。ただ、「TRPGの本質」を論じるに際しては、一連の投稿で述べているような概念規定を採用しないと、いろいろな重要もんだいが曖昧なまま放置されて、明確化されない、と思っていますし。そのようなことを主張しているつもりです。
 そして、その点では、自分が採用した用語法には、かなりの自信を持って提案はしています(イシ決定では考えが足らずに失敗しましたけれど)。
 
 論述文の場合は、用語の概念規定というのは「どの概念規定が正しいか」よりは、「どの概念規定が妥当か、有効か」の方が、より重大な評価ポイントだと思うわけです。
 
 この掲示板での最近の一連の話題でアタシがもんだいにしてきましたのは、常に、うえに述べたような意味で、「TRPGが論考される場合の用語法(言葉づかい)」の妥当性についてなんです。ここのところの一連の話題で、アタシが特に「馬場講座」に限定して何かをコメントしたことは無いはずと思います。
 
#もちろん、アタシも日常会話や雑談のときには、こんな堅っ苦しいこと言ってはいないわけです。
#雑談なら、「美少女ゲームのホンシツは萌え萌えだよねー」(笑)で全然オッケーと思います。
#誰でも、その辺は状況や文脈を判断して使いわけるのですよね。
#ただ、論述文の場合はタイトに行ってほーがよいだろーな、とも思うわけです。
1999年06月18日:15時07分08秒
「本質」の用語定義 / 香美単衣
 一月かかって読んでようやく追いついた者です。
 初発言となるのにこんなこと書いて良いものかどうか迷いましたが。
 
 鍼原神無さん
 >#アタシが「本質」の概念規定として採っているのは「そのものをそのものたらしめている独自の性質」であり、
 >「一定の事物またはその概念にとって必要かくべからざる属性の総体」ですので。
 (改行位置変更しました)
 
 この定義は正しいと思います。
 しかし、我々は日常、次のような言葉の使い方をするはずです。
 哺乳類は定温動物だ。犬は哺乳類だ。犬は定温動物だ。
 犬は哺乳類のサブクラス(一種)であり、哺乳類に該当することはすべて犬にも該当するものとします。
 本質は、必要な要素と定義した方が、
 哺乳類の本質は定温だ。犬は哺乳類だ。犬の本質は定温だ。
 と、サブクラスに概念を引き継げて便利です。
 まあ、これは単なる参考。
 
 言葉の定義は、断り書きがなされていれば人それぞれでいいと思っていますが、
 意味が文中から特定できるにもかかわらず、意図的に誤読する必要はないと思います。
 自分の定義を人に押しつけているようにしか読めませんでした。
 その人の文章はその人の定義で読まないと、意図が通じません。
 たとえば、ここでの用途と、馬場さんのキャラクタープレイは、定義が違いますが、どちらも誤読されることなく通じています。

 駄文失礼いたしました。
1999年06月18日:07時06分36秒
TRPGの構成要素]「本質論」と「類型論〔タイポロジー〕」の違いについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>蒼空かけるさんへ
 ども。
 ご質問、ありがとうございます。
 
 「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」でアタシが述べているのは、「ジャンルとしてのTRPGの本質論」と「ジャンルとしてのTRPGの類型論〔タイポロジー〕」です。
 
 まず、「ジャンルとしてのTRPG」に含まれる様々なシステムに共通する要素は、複数ある、と考えています。
 
 次に、「TRPGをTRPGたらしめ、同時に、TRPGのジャンルを他のいろんなジャンルから区別する独自の特徴の総体」を「ジャンルとしてのTRPGの本質」と考えています。
#アタシが「本質」の概念規定として採っているのは「そのものをそのものたらしめている独自の性質」であり、「一定の事物またはその概念にとって必要かくべからざる属性の総体」ですので。
#ここで「総体」というのは、「要素の独特の関わり方ゆえに、たんじゅんな総計以上の特性を示している『総体』という意味です」
 
 んで、「ジャンルとしてのTRPG」に共通する要素は、それこそたくさんあると思われるのですが、それらの関連の仕方を考えていくと、「TRPGをTRPGたらしめ、同時に、TRPGのジャンルを他のいろんなジャンルから区別する特徴の総体」を説明するために必要不可欠の要素は、比較的少数のものに絞り込めると思います。
 
 つまり、いろんな特性を、少数の要素の関わり方に根拠づけて、説明してゆくことができると思うんですね。
 
 「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」では、そうした絞り込んだ共通要素として、「0.&1.〜5.」の6つの要素を提案しているわけです。
 
 将来検討してていって、いろいろ修正の必要が出るかもしれないけれど、「ジャンルとしてのTRPG」に含まれる諸システムが共通して持つ、TRPGならではの特性はみんな、6つの要素の関わり方から説明できるのではないか(?)って見通しの提案でもあるわけです。
 
 ですので、アタシが提案してる「ジャンルとしてのTRPGの本質論」は、「本質を構成する要素の関わり方にもTRPGに独自のものがあるはず」との考えにもとづいています。「総体の構成形態にも独自性が見出される」って言ったら、わかり易くなるでしょうか?
 
 ですので今回の長文で述べている「ジャンルとしてのTRPGの本質論」とは、「本質を構成する要素の、ジャンルに独自な関わり方(総体の構成形態)を整理して説明する論」であるべき、との主張と採っていただけると幸いです。要素間の独自の関わり方もジャンルとしてのTRPGに共通ではないか、との見通しも述べているわけです。
 
 えーっと、ですね、批判がましくとられるかもしれませんが、「本質は複数あるのではないか」といった意見にはアタシ否定的なんです。
 
 「本質を構成する要素」は複数あるでしょうけど、「本質」自体はあくまで、「独自の総体」として、ひとまとまりみなされるべき、との意見なわけです。
#ちょっとアバウトな例を出しますと、、仮に「ジャンルとしての自動車の本質」を構成する要素を考えるとして、仮に「機関、走行系、操作系、車体」って要素に分解できるとしてみます。
#で、「これらの要素が運転手の運転どおりに走行するような関わり方で構成されていること」が「ジャンルとしての自動車の本質」なんだとゆー感じです(アバウトな例ですけど)。
 
 これに対して、長文で述べている「ジャンルとしてのTRPGの類型論〔タイポロジー〕」は、「本質を構成する要素の、独自の関わり方」は共通であっても、それぞれの要素の比重が違う諸類型、をサブ・ジャンルとして論じるものを考えています
 
 アタシが長文の冒頭のセクションで述べているのは、上記の「類型論」と先に延べた「本質論」が相補い合っていくことが重要って主張ですね。(ってゆーか、「共通な構成要素の関わり方」が前提になってるってことは、最初から相補いあってるわけなんで、その辺、混乱のもとかもしれませんが)
#再びアバウトな例を出しますと、「ジャンルとしての自動車」の下位のサブジャンルに、「機関の性能最重視」、「操作系のレスポンス最重視」「車体の堅牢さ最重視」etc、といった、諸類型を整理していく論が「類型論」として重要、って意見です。
 
 そうした方法で、サブ・ジャンルの類型を整理すていかないと「物語生成に適性の高いシステム」、とか「タクティカル・コンバットに適性の高いシステム」とかを判断する目安はいつまでたってもちゃんと整理できないと思うんですね。
 
「ジャンルとしてのTRPGの本質論」:「本質を構成する要素の、ジャンルに独自な関わり方(総体の構成形態)を整理して説明する論」
「ジャンルとしてのTRPGの類型論〔タイポロジー〕」(うえの「本質論」と相補い合っていく「類型論」)「本質を構成する要素の、独自の関わり方」は共通であっても、それぞれの要素の比重が違う諸類型、をサブ・ジャンルとして論じるもの。
 、、が、ご質問へのお応えになります。もちろん、「類型論」にはもっといろんなアプローチがあって構わないんですけど、「本質論」と相補い合うには、うえのような「類型論」が重要、ってことですね。 
1999年06月18日:01時54分44秒
[TRPGの構成要素]「本質論」と「類型論〔タイポロジー〕」の違いを教えていただけませんでしょうか(RE:構成要素の提案 ) / 蒼空かける
>鍼原神無さん

下記論述文、「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」において「本質論」と「類型論〔タイポロジー〕」の違いが分かりません。
どうか説明していだだけないでしょうか。

付記。IRCにおけるこの件についての対話。

**********************************************

蒼空かける: ねぇねぇ。「類型論〔タイポロジー〕」って、どんなのだかわかる?

sfこと古谷俊一:

類型論
: 類型(タイプ)に基づく分類記述を主とする科学で,個々の存在あるいは現象の間に類型を設定することによって,本質を理解しようとするもの。類型とはそれ自身の内部に多数の個体を包括し,各個体に対して普遍性をもつと同時に,他の同位のものに対して特異性をもつ類概念の一種。アポロン型とディオニソス型,内向型と外向型などはその例。類型の概念は元来,生物学における動・植物の分類に使用されたものであるが,のち精神科学に採用され,特に類型の問題を精神科学の中心に置いたのはディルタイであった。彼の影響のもとに,比較心理学,性格学,美術史,経済史など多くの領域にわたって,文化の類型学的研究が重要な課題となるに至った。(マイペディアより)

sf: # うーむ、分かりにくいな<マイペディア

かける: がふっ

sf: 類型論ってのは要するに、いくつもの例から抽象的な共通部分をくくり出して、それに基づいて幾つかの類型に分けて物事を考えるってことかのう

かける: つまり、脊椎動物の分類で例を挙げると

かける: 胎盤で生まれるから哺乳類〜

かける: たまごで生まれて空を飛ぶから鳥類〜

かける: とか特徴で分類するのかな?

sf: まあ、そういった分類のしかたのことだわな。本質論との違いが良くわからんが(あはは)

かける: うーむ。掲示板で聞いてみようか(^^;

sf: んー。分類するための共通部分とそれ無しには成立しないなにかってか

かける:うい? 違うの?

sf: たぶん微妙に違う。考えかかたの方向性が違う……

原罪@元の名をS:前者は、TRPGとシミュレーションとコンピュータゲームに共通する要素で、後者は、要するに例えばTRPGの「定義」なのか

sf: いろいろなものを分析して、多数のものを分析して、その中から類型を見いだすのと。ひとつの存在を分析して、構成要素を取り除いていき、取り除いたらそれの違いかなぁとでなくなるものを探すのと。

原罪:システム別に類型論で考えるのと、TRPG自体での本質論の違いとなると、僕はもぅワケわからんぞ

sf: 多分システム別ではなくて、RPGと似た要素のあるゲームも含めて分析して、類型としてのTRPGの条件を見いだしたいって事なのではないかと思った

原罪:そうだね。それとは別に、まぁ、システム別に類型論で考えるのと、TRPG自体での本質論の違いを考えるとワケわからん、と (滅)。

sf: んー。まあ、分類することが役にたてばいいんだが。どうやくにたてるのだろう

**********************************************


1999年06月17日:19時13分51秒
[TRPGの構成要素]構成要素の提案 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシが当掲示板に投稿しました「Re:TRPGの本質的要素」(99年06月14日:06時19分04秒)で、提出しました、「ジャンルとしてのTRPGの構成要素」について、各構成要素の説明などを補強した論述文を、簡易長文投稿からアップしました、「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」で、「長文投稿ログ」の00000095.htmlからもたどれます。

 うえの長文投稿は、MAT.Nさんが、「わかりやすい文章と思います」と言ってくだすった、論述文を改訂しましたものです。(「[TRPGの構成要素]キャラプレイ」,当掲示板,99年06月17日:08時39分37秒)
 構成要素に関しては、旧版にいくつかの細かい修正を加えましたけれど、大筋の論旨には変更はありません。

 今回の長文投稿の論旨を要約するなら、「ジャンルとしてのTRPGの本質論」は「類型論〔タイポロジー〕」と相補い合うことで、以下の課題が期待されると思われる、との主張です。
 「本質論」と「類型論」が相補い合って論じられてゆけば、次のような効果を期待することができると思います。
A.TRPGを他のジャンルと区別する目安をつくる.
A’.特に類縁の近接した諸ジャンルとの差違を明白にする目安をつくる.
B.ジャンルとしてのTRPGに含まれる諸元(諸システム)の関係(相互の位置付け)や諸類型を整理する目安を作る.
 後、副次的に、
C.「本質」をいったん構成要素に分解したうえで整理してゆくことで、TRPGならではの楽しみが発生するメカニズムを解明する。
 ことも期待されると思います。
 それから、理論的には可能でも、技術的には困難なシステムも構想してゆくことは、本質論ならではの機能として期待されるべきかと思います。
  
 詳細は「ジャンルとしてのTRPGの構成要素と本質〔改訂版〕」をお読みいただけると幸いですが、とりあえず、「ジャンルとしてのTRPGの本質」を構成する要素として以下の5、6、の要素を提案しました。
 
0.エンターティメント(娯楽)の一ジャンルである.
 
1.ゲームであること.(これはジャンルとしてのTRPGを含んだエンターティメント「ゲーム」の諸ジャンル全般に共有される性質)

2.(「ゲーム」であるにもかかわらず)そのルール(システム)からは解釈の必要性が拭えないこと.
 
3.(「ゲーム」であるにもかかわらず)そのプレイでは複数のにんげんの間での自然言語によるコミュニケーションを排除しきれないこと.(これはTRPG以外に、P.B.M.でも認められる性質)
 
4.TRPGでは仮構の世界を背景にして仮構のキャラクターたちの、課題への挑戦がゲームとして扱われること.(これはTRPG以外のエンターティメント「ゲーム」ジャンルでも認められる性質)
 
5.(一般のエンターティメント「ゲーム」とは異なり)プレイによって生成される物語に必ず二重性があること. 
 
 「0.エンターティメント(娯楽)の一ジャンルである.」は、論述の便宜のための限定です。
 「本質論」の課題は、うえの1.〜5.の要素の複合の仕方(関連の仕方)をどう捉えるか、だと思います。
 構成要素の「独自の関連の仕方とその結果生じる特性」が「ジャンルとしてのTRPGの本質」であると思います。

 「本質論」と「類型論」は相補い合って論じられてゆくべきと思われますので、いったん構成要素に分解して、それらの関連の在り方を検討してゆく方法は効果的だと思われます。
1999年06月17日:15時46分52秒
RE:キャラプレ&物語生成に関する具体的な抽象論 / YAN
 
> 紙魚砂さんwrote
> 《疑問》
> TRPGはストーリーを組み立てるゲームなのですか?
 
> 実際には、それだけではないという気がしますが

 
 もちろん、そうですよー。
 
 「TRPGはストーリーを組み立てるゲーム」とは限らないし、そういう楽しみ方しか出来ないわけじゃないです。
 そして逆に、そういう楽しみ方も出来る、懐の広いゲームなんですよねー。
 
 そして、ストーリーを「組み立てる」事を楽しみとするなら、
 「シナリオの段階でストーリーとして完成していてはいけない」
 というのも、もちろんです。
 
 という訳で、「それが正しい」というより、そういう楽しみ方を目的にする場合…
 という前提で、ご意見を読ませて頂きますね。
 
 で、読ませて頂いた感じ、非常に興味深いです。
 
 ええと…馬場秀和のマスターリング講座 第2章 シナリオ作成
  2.2 ゲーム要素の明確化(ステップ2)2.2.3 目標に、
   
 目標A. シナリオの目標(いわゆる「ミッション」。セッションの進行と関係)
 目標B. PCの個人目標(キャラクタープレイと関係)
 目標C. プレイヤーの目標(様々)

  
 この全てを目標にした方がより楽しめる、という意見が出されています。
 
 「ストーリーを組み立てる」というのは、目標Cの、一つの例であると思いますが、
 実際にはA、Bを無視して、良いストーリーは生まれないのではないかと思います。
 というより、A〜Cの目標が、相反する時に生じる葛藤状態が、美しいストーリーを
 生み出すというか…。
 
 ですから、良いストーリーを作り出すのが難しいのは確かなんですよね。
 特に、GMが用意した目標Aに対し、B、Cの目標を敢えて相反するようにした場合、
 (セッション自体の)難易度が一気に跳ね上がります。
 
 が、参加者全員がそれを認識した上で、そういう楽しみ方を望むなら、「難しさ」は
 「やりがい」に感じる事ができると思います。
 (どうなるか分からない「不確実さ」を楽しむわけですね)
  
# もっとも実際には、参加者”全員”が「認識」すること自体難しいし、
# 「望む」とも限らないし、また、実際にどのくらいの難易度か図れず、
# 敬遠したり、あるいは軽く見過ぎて、結局楽しめなかったり…。
# このあたりは、シナリオの自由度の問題と共通してますね。
 
 というわけで、一般的に気をつけるべき事は、参加者全員の「目標」の確認(どの目的を重視するか)、
 目標の複雑化による、難易度の認識を。
 
 参加者の目標にズレがある場合は、難易度の高い望みを持つ側が妥協をするか、あるいは頑張る。
 (もちろん、処理できる実力があるとして)。
 出来れば、セッション中でも「難易度の調整」が出来るといいのですけど。
 
 …うーん、ちょっと本論からはずれてきちゃったかな…。
 
 とりあえずは、「参加者全員がストーリー生成を第一目標にしている」とした上で、
 A〜Cの目標が大きくはずれないようにするパターンと、A〜Cが複雑に絡みあった、
 難易度の高いパターンに分けて考えるべきかなー。
1999年06月17日:08時39分37秒
[TRPGの構成要素]キャラプレイ / MAT.N
LONG POSTも読みました。わかりやすい文章と思います。
「個人芸でも上達向上の一般論は構成しうる」とは私も思ってます。ただ今までコレだと思えるものに出会ってないので「キャラプレイ(即興演劇でもOKですが)に関してはどーなのかな」とも思ってます。
このことと「キャラプレイ」を構成要素からどう位置づけるかあたりに興味がありまする。頑張ってくだされ。(個別具体論は別会議室が宜しいのですかのぉ)
1999年06月17日:05時17分36秒
ストーリー? / 女番長
>TRPGはストーリーを組み立てるゲームなのですか?

難しい事はよく分からないけど、即興性が高い分、意志決定しながら物語りを作っていくのは重要だってのは分かります。およびでない意見かもしれませんが一言。

「あの時あの武器を選んでいれば」「あそこであの技を使っていれば」とか、「Yes/No」「逃げてれば..」「熟考すれば..」とか
どちらを選択しても後悔する事が多いかもしれない。
でもフィクションなら、状況を楽しむ事ができる。 印象の強い状況だったら、小説や映画よりずっとリアルに体験できる。
それは、物語性がなくても選択した状況を楽しむのであればシュミレーション?ゲームゲームしたやつ?でも構わないと思う。

物語りを組み立てる時、印象を強く残すように面白くしようとする。
そのやり方は、アドリブが自分の限界値を超えないように調節する人もいるかも。
楽しい、気持ちいい印象を残す為に、ハッピーエンドへ持っていこうとする人もいるかも。逆に暗い結末が好きな人もいるかも。
「愛」とか「社会問題」とかテーマ性のあるメッセージを残したくて、自分の主張を曲げない人もいるかも。
物語を組み立てるにも人は、千差万別だと思うから、「こういう物語を作ろう」って組み立てるのはつまらないと思う。
客観的にお粗末な物語り?結末?になっても、ゲーム的に印象深くて面白ければいいってのもあるし。
私は「選択状況を疑似体験する」ゲームだと意識してます。
1999年06月17日:04時20分32秒
【TRPGの構成要素】プレイヤーにとってのTRPG / SHiN
 TRPGの構成要素というと、PLとGMとでは捕らえ方が変わってくるんじゃないかと思いますんで・・とりあえずPL側からってことで。
 
 PL視点から書くと、主要素として
 
 「感情移入」
 「擬似体験」
 「ゲーム」
 があげられるでしょうか。
 
 そして、これらの要素は密接にからみあい、互いに影響を与え合うことでTRPGを非常にエキサイティングなものにしてると思います。
 
 プレイヤーは、自分の分身たるPCをゲーム世界に送り込むことで擬似体験を味わいます。
 
 擬似体験を通し、キャラクターへの感情移入が深まります。
 
 感情移入されたキャラクターを用いて遊ぶゲームは、そうでないものに比べ、はるかに本気になれ、楽しめます。
 
 プレイヤーは、ゲームの報酬として、よりよい擬似体験を味合う権利を得ます。
 
 そういった経験を通し、キャラクターへの感情移入はますます深まります・・・そしてゲームもより楽しいものとなる・・
 
 ・・って具合に。(ほんとは、もっとそれぞれ密接に、色々な形でかかわりあってますが、全部の関わり合いのパターンを書ききることは出来ませんので・・一例としてだけ挙げさせていただきました。)
 
 
 さて、さらにこれらの要素を補強するための副要素として、
 
 「仲間」と「演出(キャラクタープレイ)」を挙げたいと思います。
 
 仲間とともに楽しむ擬似体験やゲームは、その楽しさを数倍にアップしてくれますし思いで深いものにしてくれます。自ら演出を加えたキャラクターへの感情移入度は、そうでないものに比べてずっと高くなるでしょう。
 
 先に挙げた、3つの主要素はTRPGもコンピューターRPGやRPGっぽいアドベンチャーゲームなども含めた、全RPG共通のものでしょう。
 
 しかし、これらの主要素のうち、「ゲーム」と「擬似体験」の質において、たいていの場合、TRPGはコンピューターゲームに敗北してしまいます。プロ作品と素人作品の差ってやつでしょうか。金のかけ方も時間のかけ方も圧倒的に違いますので、当然でしょうが・・
 
 だから、プレイヤーが、CRPGよりTRPGを選ぶ決め手は、感情移入と副要素ということになります。
 その意味で、重要性に関しては、主要素・副要素の間に貴賎は無いと考えます。
 
 
1999年06月17日:04時17分29秒
【PLのセッションの進行への寄与】いらぬおせっかいになることもある。 / SHiN
二週間ほど前のYANさんの書き込みに対するレスを簡単に。(ほったらかしは気持ち悪いので書いただけですんで、とっくに時流はずれなんで、無視してくださっても良いです〜)
 
 >SHiNさんは、あくまでGM側が工夫することに傾倒されているようですが、当日シナリオの調整を行うのが難しい以上、プレイヤー自身が考え、PCの性格とシナリオの目的とが整合性を持ちながら、シナリオの進行にも寄与するような行動をとる方が望ましいとは思いませんか?
 
 傾倒してるっていうか・・
 GMもPLも、それぞれに工夫すべきだとは思いますよ。
 が、GMはセッションのキーとなる存在ですし、工夫できる事も、工夫のやりがいも、PLより大きいと思うので、GM関連の書き込みが多くなってるって面はあると思います。
 
 また、PLの「シナリオ進行に寄与するような行動」ですが、これってキャラクター性偏重のプレイヤーがセッションを妨害するのと同じくらいの確立で、いらぬおせっかい、大きなお世話・・になる危険性もあると思うんですよね。
 だから、「キャラクター性重視」の価値と天秤にかけた時、全面的に賛成することには抵抗を感じます。
 もちろん、有効に働くケースも多いと思いますよ。
 でもそれは、キャラクター性偏重プレイも同じで。崩壊ではなく、セッションをより味わい深いものにするケースも決して少なくないです。
 
 そういう意味で、難しいかもしれないけどGMが両方のケースに対応できるってのが理想かなーなんて思っちゃうんですが・・まあ、とりあえず、あくまで理想ってことで。
 
 >できれば、該当する部分を教えて頂けますか? 
 
 029.html
 過去ログ29番の99年06月01日:10時43分01秒
 【意志決定の自由】ゲーム進行に制限されない意志決定
 が、それです。
 例によって長文なんで(笑)後半あたりを重点的に確認してくだせえ。
 
 >「基本はプレイヤーの負担だが、GMに能力と余裕がある場合は、GMがリアクションを用意するとよりプレイが楽しめる」、という流れのほうが、皆さん得心が行くのではないかと思います。
 
 うーん、おっしゃりたいことはなんとなくわかります・・その方がいいのかもしれません。
 でも、わたしの本音は、「基本はGMの負担だが、GMの能力の不足を補うために、プレイヤーに協力をもとめるのは正当なことである。」って形なんです。
 
 こういう言い方するとGMやってる人は、「かちん」と来ちゃうってのは判るんですが・・理想論って認識の仕方で折り合いつけてもらえんでしょうか。
 それに、こういう表現をする理由もちゃんとあるんです。
 先にも挙げた、「いらぬおせっかい」ってやつです。
 
 ちゃんと、依頼を断られた時の展開も用意してるのに、
 「仕方ない。依頼をうけないとゲームにならないもんね。」って考え方されると、たまんないでしょう?
  
 それに、自由には義務が伴うのと同じく、権力には責務が伴うはずだと思います。
 
 GMは、セッションを楽しいものにするために、さまざまな決定権を与えられています。ならば、参加者を楽しませる責任ってのもあるんじゃないかなーって気がするんですけど・・そんなに受け入れ難いことなのかなあ?
 去年も似たような事いって、「GMは奴隷ではない」って怒られちゃったんですが・・。
 こないだのチャットでも、「そりゃ、あんたの言い方が悪い」って言われました(笑)
 やはり書き方が悪かったんでしょうかね。実際には、別に、プレイヤーの我侭を全部聞けって思ってるわけじゃないんですけど。
 それどころか、プレイヤーに協力を依頼する権利だってGMにはあると思うし、GMに協力するのはプレイヤーの義務であるとも思ってるんですよ。
 
 但し、GMは、はっきりと依頼するべきなんです。
 
 自分の周囲や、こういう場の書き込みをみてると、多くのGMは、こういう事を一種の屈辱として感じるみたいで・・・そこらへんも問題だと思ってます。 
 
 
1999年06月17日:04時03分31秒
キャラプレ&物語生成 妥協例 / 女番長



紙魚砂さんの「キャラプレ&物語生成」分かりやすかったです〜。
あちらが立てば、こちらが立たずって事よくあります。
初心者もベテランも皆が好き勝手やってたら絶対意思衝突して面白くないもの。
意志が強い方に合わせるのも、弱い方に合わせるのも、妥協点って難しいですよね〜。
だからって「じゃあいいよ。そっちに合わせてやるよ」とか拗ねられても困るしぃ。 (^_^;;;

妥協例>
セッションを崩壊しようとする人がいたら、
「これこれこういう事したら、こういう結果になっちゃうよ」
と、周りの人が警告してあげると親切だと思います。
たとえその人が結果を分かってても、言葉にすると「気まずさ」が伝わって、もっといい方法を思いつくかもしれないから。いい方法(行動)が見つからなくて
「このキャラ(orシナリオ)は、これでい〜の!」と主張されたら
初心者なら有る程度フォロー、初心者でないなら「こういう結果」で「痛い目」にあわす。問題的行動者ならハブ(無視)が最良策なんでしょうかねえ。

私も我がままな初心者プレイをしていた時は、ずいぶん「痛い目」にあわされて鍛えられました。 (^_^;;; 内輪だけとか、コンベしか知らない人は、「痛い目」にあいづらいので困ったPC、GMが多い?という話を聞いた事があります。
妥協法って経験しないと身に付かないモノだと思います。

>プレイヤー・PCが介入してその展開・結末が決められる・変更されることを前 提としていないシナリオは、
>そもそもTRPGのシナリオとして不向き(あるいはふさわしくない)ではない ですか?

こ〜ゆう話をした時、友人は「一本道しかないシナリオをプレイしたいなら(そういうシステムを選ぶか)、小説でも書いたら?」と言ってました。
TRPGは予期せぬ「ドキドキ」があるからGMもPCも楽しいのでは?
1999年06月17日:02時27分49秒
キャラプレ&物語生成に関する具体的な抽象論 / 紙魚砂

《疑問》
 TRPGはストーリーを組み立てるゲームなのですか?

 実際には、それだけではないという気がしますが、
それが正しいとして「キャラプレ&物語生成」を分析すると
こんな感じになるのではないでしょうか。

◆キャラプレ
・物語の1要素である。
・物語を引き立てることもあるし、妨げることもある。
・物語の流れとキャラクター性が対立した場合には、
 どこかで妥協点を見つけなくてはならない。
・どこに妥協点を持ってくるか、
 どう自分の思惑の方向に誘導するか、
 という点の駆け引きが、ゲーム性につながるかもしれない。
・しかし「キャラクター性」は、
 シナリオ製作の段階でGMが把握できることが少ないようなので、
 極端な方向に行ってしまうと対応しきれないという危険性がある。
・事前にキャラクター性を把握できていれば、
 ストーリー構成の1要素としてかなり効果的に活用できるはずである。
(キャラクターの「やりたいこと」を、
 シナリオの重要な要素として持ってくるだけで良い。)

…というか、キャラクターをその場で即興で作って、
しかもそのキャラクター性の生かされたセッションをしたいと言うこと自体、
かなり無理のある話ではないかと思うんですけど。
あらかじめシナリオの方向性を言っておいて、
それに合わせて作ってもらうか、プレロールドにした方が良いのでは?
本当にやりたいなら。

◆物語生成
《消極的物語生成論》
・普通はシナリオ上のストーリーの分岐点を見切って、
 そこでどの道を選ぶかというのが、
 プレイヤーが物語生成に介入するための方法である。

《半(反)積極的物語生成論》
・GMが事前に掌握しきれなかったストーリーの分岐点を見切って、
 予想だにしなかった選択肢を提議する。
 GMやPLが《その先》を想像できるなら、やってみてもいいかもしれない。
(その先を創造できそうもないGM相手に、
 自分でフォローするつもりもなくやれば、セッションが滞るか、
 ひどい場合には崩壊することもあるので気を付けよう。)
 GMがどれだけ《世界》を把握して柔軟に対応できるかという技量が問われる。
(要するにアドリブ能力)

《積極的物語生成論》
・その場でプレイヤーが思いついたストーリー/シチュエーションを、
 その場のセッション・シナリオにうまく当てはめられないか画策し、提案する。
具体例>
「もうシナリオも終わりそうだし、寿命も尽きかけているんで、
 ラスボスに死に際の一撃を喰らっていっしょに滅んでみたいんですけど」(実話)

…こんな感じにゲーム的にストーリー生成をやろうとするためには、
GMが、ゲーム的かつシステマチックに、
シナリオ及び、シチュエーションの相互関係を把握している必要があると思いますけど。

TRPGとストーリーの関連を考えた場合、
シナリオの段階で、
それがストーリーとして完成していてはいけないと思うんですが。
セッションが終わった時にそれがストーリーとして完成している、
というのが理想ではないですか?

もっとはっきり言いましょう。
プレイヤー・PCが介入してその展開・結末が決められる・変更されることを前提としていないシナリオは、
そもそもTRPGのシナリオとして不向き(あるいはふさわしくない)ではないですか?
1999年06月16日:20時11分17秒
キャラプレ&物語生成関連のマルチレス(長文です) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>YANさんへ
#新議題、[TRPGの構成要素]のご提案、ありがとうございました。
#えーっと、新議題が本格化する前に、「キャラクタープレイや物語生成」についてのマルチレスをさせてください。

■具体論ではないのーがき
 確かにYANさんが言われるように、「(素晴らしい)キャラプレイ、(良い)ストーリー生成を一般化する方法」、の具体論は、「プレイング研究室」や「マスタリング研究室」、向きかと思われます。
 ただ、アタシには、何故、これまでそうした具体論がきちんと整備されてこなかったか、原理・原論レベルでの理由に思い当たるものがあるんで、書かせていただきたいと思います。
 重要な理由のひとつとして、TRPGで使われる、自然言語やコミュニケーションの性質が、これまできちんと論じられてないからではないかって思えるんですね(アタシが不勉強で知らないだけで、そうした論もあるのでしたらぜひお教えいただきたいと思います)。
 
 TRPGに意思決定論やゲームの理論が応用されて構わないのでしたら(もちろんアタシも構わないと思ってます)。同様にTRPGに、言語論、コミュニケーション論、物語論、記号論、批評理論、などなどが応用されても構わないと思いますし。それなりに貢献すると思うんです。

≪余談です≫
#余談になりますけど、一連の[イシ決定]の議論では、みな様、お騒がせをしました。あの関連でアタシが主張した意見には、撤回しなくてはいけないものが多々あります。
#今は「イシ決定=意志決定=意思決定」(ただしTRPGでは最適解は、単に、それっぽいヤツしかない)って方向で理解してます。
#よければ、今の話の腰を折らない頃合いをみて、アレコレの意見撤回宣言も投稿しておきたいのですが。
#[イシ決定]の関連で、いろいろお教えくだすったみな様、ありがとーございました。
≪余談終わりです≫
 
 数学の一分野でもある意思決定論に比べると、言語論とかには、異論の併存もあるので、へたな導入の仕方をすると混乱が生じることもあるかもしれません。
 そこんとこは要注意ですけど、それでも大学の一般教養過程程度や、一般向けの概説書程度のレベルでしたら、いろいろな異論に共通した基本的な前提や、共有された知見とゆーのもありますので、その辺はTRPG論に応用されていくべきだと思います。
 
■>MAT.Nさんへ、>石頭さんへ
 アタシも「物語生成」や、「キャラクタープレイ」は、どちらかと言うと、個人芸に帰着すると思います。
 ただ、「個人芸に帰着するものは理論化できない」ってことは、必ずしも言えない気がしますが、どうでしょうか?
 特に、上達の方法論についてなのですが。
 個人芸に帰着するっていうことは、個人の個性と相関するってことですよね。
 例えば、野球選手でも、守備位置によって、細かい練習方法は違うのが理想なのではないでしょうか? でも基礎体力みたいな部分のトレーニングには、守備位置が違ってても共通なもの、少なくないですすよね。
 それとか、歌手の上達法訓練も、音楽ジャンルによっても違うし、歌手の身体的個性(肺活量とか、喉の特性とか、etc)によっても違いますけれど、共通した面も少なくないですよね。
 
 キャラクター・プレイや物語生成、万人に共通して、有効な上達の方法論はないだろう、って気はするんですけど、個人の指向性やタイプに応じた方法論ってゆーのは考えられると思うんですけど。いかがでしょーか?
 それから、いろんなプレイヤーのタイプに応じたいろんな上達方法に共通する要素ってゆーのは、これはあると思いますし。かなり整理できると思います。
#実は、アタシ一度その辺整理しかけたことあるんですけど、ちょっと中断したままになっています。
 
■物語生成とストーリー
 アタシが思うに、意思決定論で「キャラクタ性偏重」といわれるタイプのプレイヤーさんと、「吟遊詩人」などといわれるタイプのGMさんに、共通した勘違いがあるんだと思います。
 もちろんそれらは、ゲーム的に言うなら、「意思決定過程の無視」なんですけど。
 物語論的に言うなら「TRPGのセッションでは、生成される物語のプロットをセッションメンバーが選択していけるって機能の無視、または軽視」がまず指摘できると思います(あと、自己の表現能力の過大評価がある場合もあるのですが、今はそれはおいておきます)。
 例えばこーゆー具合に、「物語論」または「批評理論」の基本的知見である「ストーリー/プロット」の区分とかをTRPG論に導入していくとよいと思うんです。
#ここで論じてる「ストーリー/プロット」の概念規定については、「参考資料:ストーリー、物語生成に関する諸概念」をご参照ください。
 
 TRPGの場合、「ゲーム的に言われる意志決定」を、物語生成の観点から見ると、「行為描写」である場合、と「プロット選択」である場合、とがあると思われます。
 上記は、「意思決定論」と「物語生成論」、どちらが正しい/正しくない、って類の話ではなくって、同じ事態を異なる観点から論じたときの評価の仕方、説明の仕方の違い、にすぎないと思います。
 
 個々の「キャラクター性偏重プレイヤー」、「吟遊詩人プレイヤー」人に聞いてゆかないとわかりませんけれど、「ストーリー」と「プロット」の区別がつけられないままで、「ストーリー」を求めちゃう人が多いのではないかと思います。
 
 で、「TRPGで生成される物語」に魅力を感じてるタイプの人には、もしかしたら「意志決定論」の論法で語りかけるよりも、「ストーリーとプロットの区別を論じる物語論」の論法で語り掛けた方が説得効果があるかもしれない、とか思っています。
 あらゆる「キャラクター性偏重プレイヤー」、「吟遊詩人プレイヤー」に有効と主張する気はさらさらないんですけど。
 それでも、TRPGで生成される物語が好きな人に対しては、「物語論」の説明の方が「意思決定論」の説明よりわかり易いことはあると思うんです。
#コミュニケーション・センスに疑問が持たれるタイプの、演技過剰系の人(プレイヤーさんもGMさんも)には、また別の説得論理が必要かと思いますけれど。
 
 多分、吟遊詩人型のGMさんは、シナリオでプロットの可変性を構想すべきところで、ストーリーを構想しちゃってるのではないかと思います。
 それから「キャラクター性偏重」の人は、特定キャラクターのプロットの選択によって、表現されるキャラクター性(他人に解釈されるキャラクター性)についての考えが足りないのだと思います。キャラクターの表層的なイメージが固定されちゃってる場合と、キャラクター性が特定のストーリー(プロットではなく)傾向と短絡しちゃったイメージに縛られてる場合とがあると思います(もちろん、左記のもんだい点を両方とも抱えちゃってるプレイヤーさんもいるかもしれません)。
 
■ちょっとだけ具体論
 うえに挙げたタイプの人々は、自分が好むタイプのストーリーを再編集してみると、キャラクター性の表現がどれだけ違って見えるか、をいろいろ試してみるとよいんだと思うんですね。
 小説の抜書きをしてみるとか、映画やTVドラマの脚本と、ビデオを見比べてみるとか、マンガのコピーをとって、コマ割分解して並べ換えてみるとか。一番よいのは、8ミリビデオとかで、簡単な素人映画とか撮ってみて、編集作業で苦労してみるとか(タイヘンだけど:苦笑)。
#楽なところでは、映画の予告編CMをたくさん集めて、相互に比較して観てくって手もあります。
#編集が上手な人が作った予告編は、うまく本編の内容を「期待させる」ように編集してありますよね。実際、その辺のテクやセンスは参考になるんですよね、キャラクタープレイとかの。キャラクター性を印象づける「セリフの見せ方」なんて、予告編と本編比較するといろんなノウハウが見えてきますよね。
#クリエイターにも方法論ありますし。方法論、盗むつもりで、その辺試みてくとよいと思います。

 TRPG愛好する人一般にうえのような「上達法」勧めるつもりではないんです。
 でも、「物語」が好き、って自覚がある人で、うまくできない人は、ゼヒやってみるべきだと思うな。タイヘンでも得るものあると思うもん。
 桂令夫さんとか、よく、「いろんな物語(小説、マンガ、映画etc)をみるとよい」的なこと雑誌記事とかで書いてられますよね。んで、アタシの意見は、ただ漫然と見てても効果は薄いと思うって意見なわけです。「プロの編集テクを盗もうッ」って意識で観ると、有益な発見がたくさんあるはず、って意見なわけです。
#最後に「具体論」書いてしまいました。この具体論へのご意見ご感想は、「プレイング研究室」に頂戴できますと幸いです。
1999年06月16日:13時27分10秒
[ボード移動のススメ]キャラプレイ、ストーリー生成の具体論について / YAN

 先に挙げた議題とは別に、直下でMAT.Nさんや石頭さんが書かれているような
 
> (素晴らしい)キャラプレイ、(良い)ストーリー生成を一般化する方法」

 TRPG総合研究室 LOG 029(99年05月29日:00時24分48秒)、
 <[イシ決定]:キャラクタープレイと意志決定>でラウールさんが書かれた
 
 ところで「セッションを円滑に進める」といった面から考えると,「意志決定に,
> キャラクターの性格を反映させる」と問題が生じる可能性が多々ありまして,
> どっちかというと「キャラクタープレイ」が問題になるのはこちらではないかとおもいます。

 
 といった、非常に興味深い議題もあるのですが、こちらはプレイング研究室
 マスタリング研究室で、具体論として続けていく方が良いかなー、と思います。
 (特に、ラウールさんの挙げられた事例については、既に考えがあるような
  書きぶりですし、非常に興味があります。ぜひ続けて欲しいところですねー)
1999年06月16日:13時07分47秒
[TRPGの構成要素] 議題提示:各構成要素の重要度と関わり合い / YAN

 今までの[意思決定の意味内容]に関する議論は、「既存のTRPG本質論」の是非を問う内容であったため、
 なかなか皆さん参加しづらかったのではないかと思います。
 
 実際、ラウールさんも撤退されちゃったし、鍼原さんも「これ以上何の説明が期待されるのか分からない」
 って書かれてますし、この話はとりあえず落着したってことで、次の話題に移りたいなー、と思います。
 
 いちおう、今までの話の流れは受け継いで、「TRPGの構成要素」について話してみるのは如何でしょう?
 (99年06月14日:06時19分04秒<Re:TRPGの本質的要素>で鍼原さんが書かれているような感じで)
 
 とりあえずのところは必要条件/十分条件等の話はおいといて、皆さんが、「TRPGを構成する要素」だと
 思うものを挙げて、それがTRPGにとって、どれだけ重要な位置を占めるか(本質的なものに近いか)を
 検討していき、また相互の関わり合いなどを詰めていけば、なかなかに面白い話になるのではないかと思います。
1999年06月16日:12時59分57秒
彼の地アメリカでのストーリー重視派 / MAT.N
少なくともストーリー重視をうたうRPGシステムが出版されるくらいにはメジャーみたいです。
1999年06月16日:12時32分21秒
Re:素朴な疑問 / くう
もし、即興演劇に上達のための方法論が存在するのならば、
(素晴らしい)キャラプレイ、(良い)ストーリー生成を一般化する方法も存在するはずだと思います。

ただ、そのような方法に従ってプレイをしたTRPGが、果たしてゲームと呼べるものになるかは、疑問ではないかと思います。

1999年06月16日:12時12分55秒
Re:期待したい内容 / NiKe

 一行掲示板では建設的に会話が進んでいるようなので、こんなところで口を挟むのは喜ばれないでしょうが……しょうがないかぁ。(^^;

>実際に馬場さんの講座にしろコスティキャンの小論にしろ、それ以前に巷間に流布していた「TRPGはキャラクターになりきってストーリーを作り出すものです」という説に対する疑義になっているわけですし。

 ああ、またしても。確かに 『マスターリング講座』 はそういう主張をしています。しかし、コスティキアンの小論は違います。

 “ゲームはストーリーではない”。なるほど、そう言っていますね。でも一方でゲームにおける物語性を重視してもいます。いや、それ以前にこの小論はRPGとは何かを論じているわけではありません。

 なんていうか、コスティキアンの小論って “評価” している人たちに誤解されてるような気がしてしょうがないです。不思議な話だ。


>(彼の地アメリカでもTRPGはキャラプレイやストーリーに重きをおくものという人は結構いたようです。今でもいるし)

 ……本当のところ、どっちが多いんでしょうかねえ。私には、ストーリー重視の人が少数派であるようには見えないんですが。別に証拠があるってわけでもないですけど。

1999年06月16日:09時45分50秒
素朴な疑問 / 石頭
(素晴らしい)キャラプレイ、(良い)ストーリー生成を 一般化する方法ってないもんですかねぇ。
1999年06月16日:08時48分49秒
期待したい内容 / MAT.N
「ゲームの本質は意志決定である」とした既存の論がストーリー生成やキャラクタープレイを否定しているかどうかは果たしてそれほど問題なのかと思ってます。個人的には「そんなことはないだろう」とは思ってますがよしんば「否定している」と証明したところでそこまでなのでわ。

実際に馬場さんの講座にしろコスティキャンの小論にしろ、それ以前に巷間に流布していた「TRPGはキャラクターになりきってストーリーを作り出すものです」という説に対する疑義になっているわけですし。(彼の地アメリカでもTRPGはキャラプレイやストーリーに重きをおくものという人は結構いたようです。今でもいるし)

私としてはストーリー生成やキャラクタープレイを取り込んだ「上達の為の方法論」や「RPG拡販の道筋」が知りたいところです。

ストーリー生成に関しては大昔に朱鷺田さんが深淵を作るにあたって別の人と議論された内容から、「美しい(良い)ストーリー生成を目指すことは可能だが、それは結局属人的な芸に帰結してしまい、一般化出来ない」と個人的には思ってます。キャラプレイもそうみたいですが。
「いや、そうではないのだ」という論の展開を私としては強く望んでます。
そうして理論が出ないということは「キャラプレイもストーリー生成も属人的な芸であり、一般化出来ないものだ」という結論が正しいのかもしれないと考えています。
1999年06月15日:23時22分13秒
RE:Re:ちゃちゃ(「本質」の言葉とか) / YAN
> 鍼原さんWROTE
> えーっとですね、確かに一種類の辞書の意味でどーこーゆーのは、アレなんですよ。
> でも、それってアタシだけのことではないですよね。

 
 う、私ですか?(汗) 申し訳ない。不愉快に思ったらお詫びします。
 …ええっと、TRPG総合研究室 LOG 031(99年06月11日:18時31分45秒)、<[イシ決定の意味内容]「本質的」という言葉は誤解を生じ易い?>で、三省堂辞典の解釈(「本質」=「本来の性質」「その事柄を構成する要素」)を載せたのは、「他の受け取り方も出来るけど、少なくとも辞書に載るくらいには一般的な解釈」だから、そういう意図で使っている人も、解釈している人も少なくない、だから、「本質的」という言葉がかならずしも誤解を招くとは限らないのでは? …ということを言いたかったのです。
 
 だから、「TRPGの本質は意思決定である」→「それ以外は非本質的(つけたし)」…という理論展開自体が問題であって、それを根拠に、「キャラクタープレイ」や「ストーリーの創造」を非難する理由にはならない、と言いたかったわけです。
 
 なお、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は非本質的」だとか、「ゲームでは意志決定は制限されるべきではない」とかいう主張が正しくない理由については、TRPG総合研究室 LOG 028(99年05月24日:05時31分21秒)<RE:コスティキャンの文学論!?>及び、TRPG総合研究室 LOG 031(99年06月11日:19時10分02秒)<[イシ決定の意味内容]馬場講座における「キャラ」と「意思決定」の関係>の中で述べています。
  
 そもそも、そのことは原点であるコスティキャンのゲーム論馬場講座をきちんと読めば分かることで、そういう主張をする人たちは、文章のごく一部だけを読んで誤解しているか、あるいは伝え聞いた時点で妙な解釈が入ったか、そこからの理論展開を間違っているだけでしょう。
 
 もっとも、「TRPGはストーリーではない」とか「意思決定はTRPGの本質である」といった言い回しが、誤解を生みやすいというのはあると思います。ですから、これらの言葉を使うときには慎重を期し、妙な誤解をされないよう、十分に留意して運用すべきです。また、これらの語を含む文章を引用する際には、妙な引用の仕方をしないように注意すべきでしょう。そして、原典から離れたところで同様の主張をする時は、誤解を防ぐ意味でも、自分なりの言葉に言い換えたほうが良いと思います。
 
 ただ…そのことを主張するのに、
 
> ・仮に、「ゲームの本質はイシ決定である」、「TRPGの本質はゲームである」と言ったら、
> ・「『ゲーム』の本質であるイシ決定以外の要素はTRPGでも非本質的な要素である」となる
> ・非本質的なものは、「あってもなくてもどちらでも構わないもの、その意味で付け足しである」、、とならざるを得ない。
 
 という論法を持ち出すまでも無く、「紛らわしいからやめよう」の一言で十分な気がするんですけど…如何でしょう?(少なくとも、「ならざるを得ない」 「論理的には導出されざるを得ない」とまで言わなくても…という気はしますです)
1999年06月15日:08時04分25秒
Re:ちゃちゃ(「本質」の言葉とか) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@でぶ猫さんWrote
>えーと、これってたぶん「十分条件」のことじゃないかなと。(だからいきなり間違いはちょっと・・・)
 
 アタシ、「不正確(間違い)」って書いてますよー☆
 
>※辞書の意味の一つだけをもって論拠するのはどーかなーと
  
 えーっとですね、確かに一種類の辞書の意味でどーこーゆーのは、アレなんですよ。でも、それってアタシだけのことではないですよね。
 んで、アタシが重視すべきと指摘してるのは、本質的属性/偶有的属性の対照関係です。

#できたら「本質」なんて言葉をTRPG論じる際には使うのを避けたほーがよいと思うんですね。<コレは個人的意見なんで、他人様に強制はしませんけど。
#「雑談」だったら、よいと思うんですよ。「美少女ゲームのホンシツは萌え萌えだよねー」(苦笑)とか、何言ってたって、雰囲気通じればよいと思うんですね、雑談だったら。
1999年06月15日:07時49分26秒
ちゃちゃ / でぶ猫
鍼原神無〔はりはら・かんな〕さんwrote

>広辞苑(第二版)の「本質」の説明:「そのものをそのものたらしめている独自の性質」を採る場合は、「意志決定」はTRPGだけでなくって、いろ
>んなジャンルのゲームに共通した本質ですので、「TRPGの本質は意志決定」は、不正確な言いかた(間違い)になりますよね。
 
 えーと、これってたぶん「十分条件」のことじゃないかなと。(だからいきなり間違いはちょっと・・・)
 それと、広辞苑二版は知りませんが三版(これもいい加減古い)ほかにもみっつほどありまして、どっちかつうと2の
 「変化常ない現象的存在に対し、このような現象として自らを現しつつ・・・(略 むずかしいですね。哲学用語なんで)」
 よーするに、切っても切れない関係で、RPGに限らないけどゲームというのは意志決定として表出し、あるいは常に意志決定が背後にひそんでいる、ってわけですね。
 こっちとかのほうがより適正なんじゃないかと。
 
 ※辞書の意味の一つだけをもって論拠するのはどーかなーと
1999年06月15日:04時10分18秒
レ・レ[意思決定の意味内容]Re:「目標」と「結果」 / 紙魚砂

>ラウールさん
 ずいぶん前になりましたが、

 まず複数の「目的」があって、それと周りの状況によって結果を模索しようとする場合には、
その結果がどんなものであろうと
その場、全体としては、必ずそれは実践によって裏づけされた
「最適解」と見なせるのではないかということです。
 さらに言うなら、TRPGのゲームのプロセスそのものが
常にその場のセッション上での最適解を求めるべく動いているものであれば、
当然その結果は、その時、その場での最適解になるはずであるという。
 で、そう考えるのも面白いなと。

 ただ実際のところ
>TRPGのゲームのプロセスそのものが
>常にその場のセッション上での最適解を求めるべく
>動いているものであれば、
 という部分でうまくいっていないことがよくあって
(つまり、プレイヤー・PC・シナリオetc..の向かおうとしている「目標」を
 実際のセッションでうまく抽出できず、
 また相互間の調整もうまく行かず、などなど)
結果、納得できない人も出てくる。

で、そんな時どうしたらいいのかな…という展開が私の頭の中でしたわけです。
1999年06月14日:06時19分04秒
Re:TRPGの本質的要素 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@右京さん
>私、もうちょっとこの辺読みたかったなあ。
 
 では、続けましょう。
 
 広辞苑(第二版)の「本質」の説明:「そのものをそのものたらしめている独自の性質」を採る場合は、「意志決定」はTRPGだけでなくって、いろんなジャンルのゲームに共通した本質ですので、「TRPGの本質は意志決定」は、不正確な言いかた(間違い)になりますよね。
 
 それから、広辞苑(第二版)の「本質的属性」の説明:「一定の事物またはその概念にとって必要かくべからざる属性の総体」を採る場合は、「意思決定+αの総体」を説明できない限り、本質は語れないことになりますよね。
 仮に、「意思決定」が、「必要かくべからざる属性の総体」だとされるならば、「意思決定」以外は「たまたま、あってもなくてもよい属性(偶有的属性)」でしかあり得ないです。
#アタシは別にうえの論理展開、強引だとは思えないんですけど。(YANさんが指摘されてますけど)「本質」の定義を、広辞苑でとった場合の必然ですよね。正直、二言、三言しか説明してないって言われても、うえの説明以上に、なにの説明が期待されるのかがわかんないんですが。戸惑うなー。
 
>鍼原さんのなかにあった言葉だけどTRPGってTalk・Role・Gameの3つが融合してるんじゃないかな?
 
 これは「+α」のことを右京さんが言われてるのだと思います。
 
 アタシは、まだ「TRPGの本質」ちゃんと説明できないんですけど。「TRPGの本質」を構成する要素は、以下の5つではないかと思っています(将来考えて、変更する可能性アリ、ですけど)。
 
1.ゲームであること.
2.(ゲームであるにもかかわらず)そのルール(システム)からは解釈の必要性が拭えないこと.
3.(ゲームであるにもかかわらず)そのプレイではプレイに参加する複数のメンバー間で自然言語によるコミュニケーションを排除しきれないこと.
4.TRPGでは架空世界を背景にした課題への挑戦がゲームとして扱われること(これはTRPGだけの属性ではない).
5.(一般のゲームとは異なり)TRPGプレイによって生成される物語に必ず二重性があること(これはプレイヤーとPCの分離の延長線上に起こる事態です).
 
 うえの、2.〜5.の「属性」は少し補足説明をしないと、意味がわかりにくい項目もあるかもしれませんけれど(でも一度に書こうとするとまた、長くなるから今回は説明をはぶきますけれど)。もし、「TRPGの本質」を語るなら「TRPGのジャンルが他のジャンルのゲームとどう違うか」が語られなくちゃいけないはずと思います。
 だったら、少なくともうえの5つの要素の関わりかた、がうまく説明されなくっちゃ、「TRPGの本質」語ったことにならないよぉに思えます。
 だいじなのは、TRPGに他のジャンルにはない独特な性質を与えてる要素(諸要素)とその要素間の関連の仕方であるはずです。多分、関連の仕方が独特だから、TRPGにも独特の性質が現れるはずですよね。
1999年06月13日:22時50分38秒
TRPGの本質的要素 / 右京
あれ、ラウールさん終わっちゃうの。
私、もうちょっとこの辺読みたかったなあ。

とりあえず、私が思ったこと

>大前提:「ゲーム」の本質はイシ決定である
>前提:TRPGは「ゲーム」である
鍼原さんのなかにあった言葉だけどTRPGってTalk・Role・Gameの3つが融合してるんじゃないかな?
だから、「TRPGの本質はイシ決定だけである」
わけじゃないですよね?
イシ決定はあくまで、Gameの本質にすぎないと思います。だから、イシ決定が無い物はTRPになっちゃうんじゃないかな?
この辺が誤解の元かも。

もっと早く書けよ、って突っ込まれそうだけど、今気づいたんです。駄目ですね。(^^;

1999年06月13日:21時51分30秒
re:「本質」の語から読み取れてしまうもの / ラウール
鍼原さんへ。
 やっぱりずれているぞ。
 すくなくとも,私が問題にしている部分はいつも一言二言触れただけで済まされてしまっています。
 しかしまぁ,これ以上議論を続けても労多く益少なしという感じなので,この件については私からはこの辺で終わりにしておきます。
1999年06月12日:08時28分01秒
TRPG総合研究室 LOG 031 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 031として1999年06月05日から1999年06月11日までのログを切り出しました。

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