TRPG総合研究室 LOG 029

TRPG総合研究室の1999年05月25日から1999年06月03日までのログです。


1999年06月03日:00時31分10秒
[意思決定]前提条件が間違っていませんか? / 紙魚砂

TRPGで[意思決定]を重要な要素として取り上げる場合、
まず、我々のTRPGに対する認識を前提段階で切り替える必要があると思います。

Dandanさん曰く

>失われた代替案がセッションを進める上で必要不可欠なものであったり

というのは、そもそも前提条件として間違っている、と考えます。

もしプレイヤーに自由に意思を決定してもらうことで
創造的なプレイをして欲しいというのであれば、
GMが事前に考えるあらゆるすべての設定は破棄される可能性があり、
(すべてを破壊されるわけではないが)
セッションでは、実際に参加者の間で採用された材料だけを使って、ドラマを盛り上げる、
というのがゲームマスターの腕の振るいどころではないかと思うのです。

そういったプレイでゲームマスターが、ほとんど唯一、これだけは絶対だと言えるのは
「既に起きてしまったこと」
ぐらいでしょう。
(これをうまく利用しない手はありません。)
(しかしこれも魔法や、タイムマシンによって覆される場合がある)

およそ、PCが関わるすべての物事は多かれ少なかれ
予想とは違ったものになります。
その不確実さ(なるようになってしまえ!)自体を楽しむことはできませんか?
1999年06月02日:21時45分37秒
[意志決定]問題の起きるメカニズム(長文) / Dandan
意思決定のプロセスにおけるキャラクター性偏重が、なぜ問題プレイが起きるかのメカニズムを示そうと思います。

一般的な意思決定のプロセスは以下のようにあげられます。

(1)問題の定式化:目標を捉え、現在何が問題になっているかを明らかにする。
(2)情報収集・代替案の探索:必要な情報を収集し、情報からいくつかの代替案を想定する。
(3)代替案の評価:どの代替案が良いのか(属性を参照し)評価する。
(4)代替案の選択

キャラクター性偏重の場合、(1)(2)(3)のそれぞれで問題が起きる場合があります。

i)目標のすり替え
「RPG はキャラクターのロールプレイをするのが目標である」というのは既に間違えであるのは、示されているとおりです。RPG はゲームプレイヤー全員が楽しむのが目標です。ここで誤れば、以降のプロセスも歪がでます。

ii)代替案の喪失、迷走
恐らく、一番問題が起きる可能性があるのが(2)のプロセス時です。キャラクター性偏重による問題の場合、(2)で代替案を考えるときに、「このキャラはこんな奴だから」と代替案を失わせることがあります。また、逆に関係ない代替案を作ってしまいそれを選択することもあります。どちらにしろ、最初に思いついた一つの代替案を(3)の評価を無視して選択する事が多いと思います。
何が問題なのかは、失われた代替案がセッションを進める上で必要不可欠なものであったり、思いついた代替案がセッションを破壊するかもしれないからです。そして大概ここで問題を起こす場合、(1)の「みんなが楽しむ」目標を忘れています。
ex)めちゃくちゃですが、何らかの理由で「右に曲がらない」というキャラクターがいます。ダンジョンにおいてT字路に差し掛かりました。右に行かないと、目標の敵に会えません。ここで情報を得る前/後に関わらず、「俺こんなキャラだから左いくわ。」と右の選択肢を考慮しない場合、キャラクター性偏重による弊害が起きています。普通のキャラクターの設定を考慮する人なら、ここで右に行くという選択肢と左に行くという選択肢を考え(3)へ移行します。
#(3)に移行したところで「右に曲がらない」というのと「目標が右にいる」ということで葛藤が起きることでしょう。

iii)評価の偏り
i)と同様ですが、(3)でキャラクター性だけを考慮にしてしまう。ですが、このプロセスまで来たら問題が起きることは少ないでしょう。

今まで「ロールプレイは悪くない」と主張されてきたのは大体(3)における選択肢での問題でした。(3)では「馬場秀和のマスターリング講座」にあるように「プレイヤーの目標」「PC の目標」「セッションの目標」をそれぞれの属性とし、評価いたしますので問題が出ないと言う主張を聞きます。
しかし、問題は(2)における選択肢を設定する前の時点に秘められています。キャラクター性は否定しません。しかし(2)のプロセスでは考慮すべきではありません。(3)の時点で考慮にすべきです。
1999年06月02日:13時58分38秒
皆さん仲良く / Clown
はじめまして。Clownといいます。一言言わせてもらいます。

私は「意思決定」を「選択」として考えて話をすることにします。
例えばAとBという選択肢がある時、プレイヤーは大きく分けて「どちらが有利か」(どちらがより目的達成しやすいか)と「どちらがよりそのキャラらしいか」 の二点を考えます。
そのために色々な条件を検討します。これは「制限」と言うこともできますが、この時色々と悩むのがまた楽しいと言えます。
つまり、キャラクターと目的という二項目を両方重視することが大切なのではないでしょうか。

また私は、セッションとはGMとプレイヤーによる「物語製作」であると考えます。そしてその過程を「ゲーム」として楽しむのです。
出来上がる物語は、GMとプレイヤーとダイスの神の共同財産でしょう。

皆さんも極論や揚げ足取りをせず、仲良く議論してください。
1999年06月02日:13時31分27秒
GM環境論 / MAT.N
GMとプレイヤーの関係ですが、私は「川の流れ(GM)とカヌー(プレイヤー)」みたいなものだと思ってます。GMは舞台設定、NPC設定などPCのアクションする世界を作り、そこでプレイヤーがPCを動かすわけですんで。

GMお任せというのは川の流れに身を任せることでありますが、プレイヤーは自分で櫂を使って流れを乗り切ることもできます。あまりに逸脱すれば岸に激突と。(セッションの崩壊)
華麗に乗り切る人もいれば(優れたプレイヤー)、流れに翻弄される人もいます。緩やかな流れもあれば、急流(一本道でタイトなシナリオ)もあります。

個人的な経験でいえば、優れたプレイヤーはタイトで一本道な戦闘シナリオ(儂のシナリオ)(^^;でもキッチリとキャラをたてて「をを」と驚くシナリオクリアの方法を編み出します。こーいうときは「やはりゲームを進めるのはプレイヤーよのぉ」とつくづく思う次第。
1999年06月02日:11時59分54秒
追記:じゃ、プレイヤーは(もうほとんど茶々) / Dandan
舵取りが思っても見なかった寄港は、計画してたプランと違った展開により楽しい旅になるかもしれません。
舵取りにとっても漕ぎ手にとっても。
#舵取りはびっくりするでしょうが。
1999年06月02日:11時45分22秒
[イシ決定]Re:Re:意志決定の自由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ラウールさんへ
 ラウールさんが反例として挙げられた、「能力値」は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」ですけど。(「[イシ決定]Re:意志決定の自由」,当掲示板,99年05月31日:22時55分35秒)
 
 うえのテーゼは先にアタシが挙げた「よく聞く三段論法」からは導出されないと思われます。
 なぜなら、「能力値は『イシ決定論』から見ても、『ゲーム』の為のリソースの一部ですから、「能力値が非本質的」って命題自体が「イシ決定論」基本的前提に反するからです。
 
 では、なぜ、アタシの「[イシ決定]Re:意志決定の自由」(当掲示板,99年05月31日:10時00分08秒)での論理展開、ラウールさんには、強引と思われたかと言いますと。アタシが思いますに、アタシとラウールさん、それぞれの、キャラクター・プレイのイメージの微細な差違に起因するものではないかと思われます。
 
@ラウールさんWrote(「[イシ決定]:キャラクタープレイと意志決定」,当掲示板,99年05月29日:00時24分48秒)
>「キャラクタープレイ」というと,人によって受け取り方が違うので,ここではたとえば,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」ばあいを考えてみましょう。
 
@カンナWrote(「[イシ決定]Re:意志決定の自由」,当掲示板,99年05月31日:10時00分08秒)
>#ここでは、「キャラクター・プレイ」をPCの架空のにんげん性をキャラクター・ハンドリングに反映させること、の意味で使っていますが。
 
 推測で申し訳ないのですが、ラウールさんは、「意思決定に反映させるキャラクターの性格」、キャラクター・シートに記載された諸事項と、諸事項からの妥当な推測(判断)によって確定できるとお考えなのではないでしょぉか?
 ほんとに、推測で恐縮なのですが、これは、昨年「TRPG総合研究室」でおこなわれた意見交換の過程で、「イシ決定最重視」の立場のかたから提示された考えかたなものですから。勘違いでしたらごめんなさい。
 
 アタシのほぉはと言いますと、実は、「PCの架空のにんげん性」これをTRPGの物語生成に寄与させようとすると、キャラクター・シートに記載された諸事項と、諸事項を総体的に関連付ける解釈が必要で、その解釈は妥当な推論とは違って確定不能、と考えているのです。つまりあるキャラクターシートにもとづいて、プレゼンテーションされ得るPCの架空のにんげん性は、プレイヤーの解釈によって、多様である、との考えです。
 上のアタシの考えかたは、「TRPGについてのイシ決定論」でいうロール・プレイからはみ出した部分を積極的に活用しようとするものですので、ロール・プレイではないキャラクター・プレイの一類であることになります。
 
 アタシの意見としては、TRPGの物語生成要素に関与してゆくと、キャラ表現には、必ず、キャラクター・シート記載事項(及び妥当な判断)以外の要素も発生してしまう、と思っています。
 ですので、アタシとしては、(「イシ決定論」で言う)ロール・プレイ限定で表現されるキャラクターの性格は、たいへん限定された類型的なものにしかならず、それはTRPGの「ゲーム」としての側面には有効であっても、「物語生成の側面」への寄与は低い、とも思っています。
 
 で、「イシ決定論」で言われる「ロール・プレイ」に収まらない部分(アタシの言う「キャラクター・シート記載事項の解釈」)が、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」、とのテーゼを、「よく聞く三段論法」から論理的に導出してしまう根拠になるのだと思っています。
 「イシ決定論」で言われる「ロール・プレイ」に限定された範囲での「キャラクターの性格」でしたら、「能力値が非本質的とは言われない」こととと同様に、「非本質的とは言われない」と思います。これがラウールさんのご不審の理由ではないでしょぉか?
 
 いかがでしょうか? アタシとしては、この件はキャラクター・プレイの概念規定に言及しないと説明しきれないと思ったのですが。推測交じりですし、少し手前勝手な論の展開ではあったかもしれません。ラウールさんのご意見お聞かせいただけると幸いです。
1999年06月02日:11時40分26秒
じゃ、プレイヤーは(Re: マスターって) / Dandan
プレイヤーの意志が負の推進力にならないようにしなければなりませんね。
しかし、目的地が灯台のようにちゃんとはっきりしているとは限りませんから、多少方向がずれてしまいますが、うまい舵取りなら多少のぶれでも修正してくれますよね。
#意地の悪い舵取りなら、蜃気楼の灯台やセイレーンが置かれたり(ちょっと違うか(^^)
1999年06月02日:09時37分43秒
[意志決定]キャラクター性偏重 / MAT.N
『キャラクターの個性や意志は尊重されるべきである。それに反するような行動は,たとえゲームを進める上で必要に見えても,とるべきではない。』

この主張はキャラクター偏重と呼べるものです。偏重を是正してもキャラクター性を考慮外にするというわけではないでしょう。
1999年06月02日:06時10分34秒
マスターって / でぶ猫
 プレイヤーの意志という左右のバランスの不確かな推進力(プレイヤーの数だけスクリューがある)のセッションという船をなんとか目的地につけようとする舵取りのよーなものではないでしょうか
1999年06月02日:01時54分25秒
テーブルトークは共同作業ですがな / 3327
ども。
どーにも納得行かないので書いてみたり。


(SHiNさん)
>実のところ、私は、ゲームを進行させるのもさせないのも、ゲームマスターだと思います。
>これって、実は当然のことでしょう?


えー、一本道の巻き込み型や、降りかかる火の粉型のシナリオ以外では、PL/PCが動かない限りゲームは進みませんよね。
あと、司会進行役ってイミでは当然そうだけど、例えばファミコンゲームしてて、レバーを動かさないのにキャラクタやゲームが動いたら、それは紙芝居ですよ。ゲームのではありません。
FFシリーズが電子紙芝居と呼ばれてるのと同じ状態になりませんか?

ゲーム世界の時間は進むでしょうし事件も起るでしょうが、PCが関わってなければゲームは進みません。年表や紙芝居はすすんでもね。

PCが何もしたがらないというのはテーブルトークでは根本的な矛盾ですが、GMが進めてしまうなら、逆説的にお地蔵さんを増やし、認め、一本道/吟遊詩人への道をたどるだけでしょう。

なんだったかの件でもちらっとこぼしましたが、ウソではないからと言って、言わなきゃいい事を言うのはやめときましょうよ。
言うと問題おこりがちな発言なんだし。

マスターが進めるってのは、ウソではありません。まぁ実際は共同作業ですから間違いですけど、そんな事より何より、間違いへ行きがちですからやめましょうよ。

ましてや、当然などと。
1999年06月01日:23時06分10秒
本当にゲームを進行させるのはゲームマスターなのですか? / 紙魚砂

はじめまして。

(SHiNさん)
>実のところ、私は、ゲームを進行させるのもさせな いのも、ゲームマスターだと思います。
>これって、実は当然のことでしょう?

いきなり揚げ足取りのようでちょっと気が引けるのですが、
上記のことはあるレベルでは正しいと思います。
しかし別のレベルでは間違っていると思います。

TRPGの中で「プレイヤーのイシ決定」を取り上げる場合、
そこには常に[責任]が付いて回ります。
TRPGのセッションでは確かにゲームマスターが司会として進行役をしてくれます。
しかし、たとえば頭の良いプレイヤーがいて、
「こういう選択をしたらきっとこのマスターは対応しきれないだろう」
という選択肢をあえてしたとします。
もちろんゲームマスターはそれに対応できません。
対処方法を考えるために時間がとられることになるでしょう。

それをそのGMの力不足として放っておくこともできますが、
プレイヤーであるあなたは「こうしたら良いんじゃない」と提案をすることもできます。
それによってプレイがスムーズに進むようになることもあるでしょう
(やりすぎるとかえって煙たがれるので気をつけたほうが良いですが
(それに気づいてない方もよくおられるようですが
(余計なお世話というやつです)))

ゲームマスターは全能の神ではありません。
もしあなたがプレイヤーとしてそのセッションに参加しているのであれば、
あなたはあなた以外のほかの参加者も気持ちよくプレイできるよう配慮すべきです。

自分が何をしようとゲームマスターが全部何とかしてくれるなどという考えは、
単なる甘えに過ぎません。
そのような甘えからは、自分勝手で独りよがりなプレイしか出てこないでしょう。

というように私は考えます。

だから、単純に

>実のところ、私は、ゲームを進行させるのもさせな いのも、ゲームマスターだと思います。
>これって、実は当然のことでしょう?

と言ってしまうのは、ちょっと待てよという感じが私はします。

>toALL
「イシ決定」についてとても厳しい見解を書いてみましたが、
皆さんはどう思われますか?
1999年06月01日:11時36分38秒
[イシ決定]意志決定の概念はTRPG愛好者共通の財産でしょぉ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>toALL
 何人かのかたから「アタシの投稿類の本題が何か不明」とのご批判をいただいていますので。
 アタシが[イシ決定]関連の話し合いで希望する方向性を再度、打ち出させていただきます。

 ただし、TRPG.NETの簡易掲示板群は議決機関の体裁は採られていませんので、アタシの希望にはなんら拘束力はないことも確認しておきます(それは意識していただけたらありがたいですが)。
 アタシの発言や、一連の話し合いに触発されて、話題が展開していっても、それはTRPG.NETではよくあることですので。
 
@カンナWrote(「[イシ決定]Re:訳語としての意志決定」,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月25日:13時50分28秒)
>アタシの論点は、「TRPGに関して言われる『意志決定』」は「ビジネス社会でも知られ、数学で言われる『意思決定』」と果たして、同じ意味内容で使われているか? です。
 
 うえの件、Dandanさん、ラウールさん、でぶ猫さん、MAT.Nさんなど、これまで話し合いにご参加くだすったみなさんにはご理解いただけていることですが。
 よろしければ、過去LOGでご参照ください。
 
 この機会に補足しますと。
 アタシはTRPGで言われる「イシ決定」の概念内容が、一般のビジネス社会でよく知れれ、数学で言われる「意志決定」と似て非なるものではないか?との疑念を持っています。
 同時に、「TRPGで言われるイシ決定」も、論者によっては、TRPGに関する重大な論点で論理の展開を招く差違を持っているのではないか、との疑念も持っています。(実はこれらの件も、これまでの[イシ決定]関連の投稿内で、言及してあることではあるのですが)
 
 アタシ自身の立場は「イシ決定最重視」ではありませんが、無視もしません。
 現状の[イシ決定]関連の話題は、上記の立場から感じられたいろいろな疑念を、「イシ決定」にお詳しいかたがたに、いろいろ質問せていただいている過程でした。

 これは、「TRPG自体に関する本質的・全体的な考察」(TRPG総合研究室、TOP文章の投稿ガイドラインより)と思われます。
 
 アタシには、「馬場講座」も含めて、「イシ決定論」に様々な分派があるように思えるのですが。もし、それが事実で、どのポイントで分派が別れているのかが、明らかになるとしたら、それは、TRPGの原理・原論(≒本質論)にとって利益であるはず、と考えています。

 それから、数学・経済で言われる「意志決定」と、「TRPGのイシ決定」にもし差違があるとしたら、それがはっきりされることも、TRPGの原理・原論(≒本質論)にとって利益であると思います。
 
 TRPGのTRPGの原理・原論(≒本質論)にとって利益は、TRPG愛好者全体にとっての利益であると思います。
 
別件≫ラウールさんへ. ラウールさんにいただきましたコメントへのお返事は、少しお待ちください。何しろいま、ご批判を頂戴している真っ最中の未決囚的身の上ですので。
1999年06月01日:10時43分01秒
【意志決定の自由】ゲーム進行に制限されない意志決定 / SHiN
 (MAT.Nさん)
 >うーん、馬場さんの講座では「目標の多重性」でPCの目標達成も目指すべきなかの一つであげられてますから
 
 
 「TRPGはゲームである」として主張する人の多くが、馬場講座をベースとしているので、馬場講座から直接引用するのが良いでしょう。
 馬場講座において馬場氏は、実際のTRPGファンの間で行われているであろういくつかの主張を具体例として示し、その主張の是非を評論するという形で、持論をまとめてあります。
 その主張例のひとつを引用します。
 
 『馬場秀和のマスターリング講座・終章』より引用
 
 『キャラクターの個性や意志は尊重されるべきである。それに反するような行動は,たとえゲームを進める上で必要に見えても,とるべきではない。』
 
 読んでいただければわかりますが、馬場講座ではこの主張は間違いである・・とされています。
 
 これは、
 「TRPGはゲームである。」
 「プレイヤーの意志決定はゲームを進行させるものでなければならない。」
 「よって、上記の主張はまちがいである。」
 
 という三段論法によるものです。
 この「ゲームを進行させるものでなければならない」ってのが、はりはらさんの指摘したい問題点じゃないかと思います。
 
 はりはらさんの書き込みの「意志決定を制限する」って部分が、ちょっと変な表現のようになってる気がします。
 実際には、「ゲーム進行とキャラクター設定などの多方面から意志決定は制限されるべき」と主張しているのが、「TRPGはゲームである」派の方で、「ゲーム進行というものに、プレイヤーの決定するPCの行動が制限されてはならない」ってのがはりはらさんの主張なんじゃないかなと思うわけです。
 (おそらく、はりはらさんの中で、「意志決定」イコール「ゲーム進行のための意志決定」になっているんじゃないでしょうか?だから、『ゲームではイシ決定は制限されるべきでない」といった主張をよく聞くと思います』というはりはらさんの書き込みは『ゲームを進行させるための意思決定を、キャラクターの性格などの設定のせいで下せないようにしてはいけない・・という主張をよく聞くと思います。』って意味になるんじゃないかと思います。違ったらすいません。)
 
 実際、この私の示した三段論法を、はりはらさんの書き込みにある「三段論法」に対応させると、わかりやすくなるんじゃないかと。
 
 (はりはらさん)
 >うえの三段論法からは、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」、とのテーゼが論理的には導出されざるを得ないと思いますし。少なくとも、そのよぉに採られても仕方ない表現と思うのですが。
 
 
 #ちなみに、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリー・・」って言ったものは、「TRPGはゲームであり、創作活動ではない」といった主張が「TRPGはゲームである。」という部分に含まれているのという事を念頭においてください。でないと、話が飛躍しているように見えます。
 
 ところで、馬場講座、及び私が目にした「TRPGはゲームである」という事をベースにした主張は、一環して「ゲームを進行させるのはプレイヤーである」という前提にたっていると最近、気づきました。
 
 だから、「プレイヤーの意志決定はゲームを進行させるものであるべき」という主張が平然と飛び出てくるのでしょう。
 
 実のところ、私は、ゲームを進行させるのもさせないのも、ゲームマスターだと思います。
 
 これって、実は当然のことでしょう?
 
 GMはよく、セッションの進行役と言われることもあるわけですし。
 
 たとえば、「私のキャラは、そんなことしない。絶対しない。」というプレイヤーの発言を、「ゲームの放棄」とみなすか、「『なにもしない』というコマンドの選択」とみなすかはGM次第だと思います。
 
 ちょとした発想の転換なわけですが、こちらの方が実際のセッションに即してるんじゃないでしょうか。
 
1999年05月31日:22時55分35秒
[イシ決定]Re:意志決定の自由 / ラウール

 「TRPGは『ゲーム』である」、「『ゲーム』の本質はイシ決定過程を楽しむものである」、「キャラクター・プレイは『ゲーム』では非本質的である」。「だから〜」。右の三段論法、よく聞きませんでしょーか? アタシは「イシ決定最重視のTRPG論」としてよく聞くと思うのですが。
 
 うえの三段論法からは、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」、とのテーゼが論理的には導出されざるを得ないと思いますし。少なくとも、そのよぉに採られても仕方ない表現と思うのですが。


 うーん,鍼原さんの今回の論理展開はいささか強引なような気がします。
 たとえば,能力値というのはRPGにとって本質的なものではありませんが,意志決定の際にはよく考慮に入れます。鍼原さんの論理だと,

「能力値」は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」
ってことになりませんか?
 「ゲームにとって本質的であるか否か」と「意志決定に反映させるか否か」というのはちょっと別の問題ではないですか?
1999年05月31日:13時40分14秒
Re:意志決定の自由 / MAT.N
うーん、馬場さんの講座では「目標の多重性」でPCの目標達成も目指すべきなかの一つであげられてますから、これを無視した主張をしている人は、ちょっと主張の展開が雑かなと思います。
で、私は「どーも雑だな」と思う書き込みは読み飛ばすクセがありますんで、見落としているかもしれません(^^;
1999年05月31日:10時00分08秒
[イシ決定]Re:意志決定の自由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@MAT.NさんWrote
>「ゲームでは意志決定は制限されるべきではない」
>私はこの主張を見かけたことが無いんですが、主張されている人がいるとすれば、そもそも矛盾をはらんだものであるといえます。
 
 そーですねー。
@カンナWrote
> ところで、TRPGでの「イシ決定」に関して、「ゲームではイシ決定は制限されるべきでない」といった主張をよく聞くと思います。
> 例えば、「キャラクター・プレイは、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」、「ストーリー重視は、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」といった類のテーゼです。
> 必ずしも「TRPGでのイシ決定を最重視」するかたのすべてのご意見ではないかもしれませんが。
 
 「TRPGは『ゲーム』である」、「『ゲーム』の本質はイシ決定過程を楽しむものである」、「キャラクター・プレイは『ゲーム』では非本質的である」。「だから〜」。右の三段論法、よく聞きませんでしょーか? アタシは「イシ決定最重視のTRPG論」としてよく聞くと思うのですが。
 
 うえの三段論法からは、「キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」、とのテーゼが論理的には導出されざるを得ないと思いますし。少なくとも、そのよぉに採られても仕方ない表現と思うのですが。
 これは、単なる言い回しのもんだいや、深読みとかの話ではなく、「本質/非本質」って判断を踏まえた論理として主張されるのならば、それこそ論理的には、そぉならざるを得ない、って性質のもんだいと思うのですが。「そんな意図はなかった」とか言っても認めがたいですって意味です、もちろん。
 
 違うでしょぉか?
#ここでは、「キャラクター・プレイ」をPCの架空のにんげん性をキャラクター・ハンドリングに反映させること、の意味で使っていますが。
 
 アタシは、ラウールさんが言われている、「私のキャラクターはこういう性格だからそれはやらないよ。とにかくしない,絶対しない」という態度の場合は,『葛藤』は生じませんから,『意志決定』には何も貢献しない,ということになります。」のご意見は、理解可能ですし、了解可能です。
 
 また、MAT.Nさんが言われる、「他の要素と総合判断しろということで、安易にキャラクター性だけで判断するな」、というご意見も理解可能ですし、了解可能です。
 
 また、ラウールさんが言われている、「『セッションを円滑に進める』といった面から考えると,『意志決定に,キャラクターの性格を反映させる』と問題が生じる可能性が多々ありまして」、にも賛成です。
 ラウールさんも言われているよぉに、それは、「とりあえず,意志決定とは別の話」と思いますし。アタシなりの言いかたでは「実践論」レベルの話題と思います。
1999年05月31日:09時11分41秒
意志決定の自由 / MAT.N
「ゲームでは意志決定は制限されるべきではない」
私はこの主張を見かけたことが無いんですが、主張されている人がいるとすれば、そもそも矛盾をはらんだものであるといえます。

意志決定は「諸要素を判断して行動の決断を下す」事ですので大抵なんらかの「制限」を含みます。
キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質も「考慮されるべき諸要素」です。ただ、それらを特別視するなという主張が一般的だと思いますが。
(キャラクター性でいえば「このPCはこういう性格なので**するだろう」と考えたうえで、「シナリオクリアに寄与出来るのか?」「他のPCと連繋はとれているのか?」「プレイヤーとしての目的はクリアできるのか?」などという他の要素と総合判断しろということで、安易にキャラクター性だけで判断するなというのが一般的な主張なのでわ)
1999年05月29日:00時24分48秒
[イシ決定]:キャラクタープレイと意志決定 / ラウール
 
 ところで、TRPGでの「イシ決定」に関して、「ゲームではイシ決定は制限されるべきでない」といった主張をよく聞くと思います。
 例えば、「キャラクター・プレイは、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」、「ストーリー重視は、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」といった類のテーゼです。
 必ずしも「TRPGでのイシ決定を最重視」するかたのすべてのご意見ではないかもしれませんが。


 「キャラクタープレイ」というと,人によって受け取り方が違うので,ここではたとえば,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」ばあいを考えてみましょう。
 「意志決定」の面から考えたばあい,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」のは,決して否定的に捉えられるべきものではないと考えます。
 なぜなら,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」ことによって「意志決定」の要素の一つである「葛藤」が生じやすくなるからです。たとえば,金と義理とどっちを取るか,とか,手を結べば話は早いけどその相手が気に食わない奴だ,といった場合です。つまり,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」のは,意志決定の楽しみを強化する,という重要な役割を持っている,と考えます。
 ただし,「私のキャラクターはこういう性格だからそれはやらないよ。とにかくしない,絶対しない」という態度の場合は,「葛藤」は生じませんから,「意志決定」には何も貢献しない,ということになります。

 ところで,「セッションを円滑に進める」といった面から考えると,「意志決定に,キャラクターの性格を反映させる」と問題が生じる可能性が多々ありまして,どっちかというと「キャラクタープレイ」が問題になるのはこちらではないかとおもいます。とりあえず,意志決定とは別の話になるので,これについては今回は述べません。
1999年05月28日:21時07分15秒
[TRPGと物語生成]「定量要素/定性的要素」と「符丁的コードの体系」、「文脈依存的な系」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシは最近のTRPG総合研究室への投稿で、何度か、「TRPGシステムに含まれる定量的要素、と定性的要素」について言及しています。
 
 「TRPGシステムに含まれる定量的要素、と定性的要素」に関する、アタシの主張とは主に、「一般に、TRPGシステムの判定系の運用には『判断』はあっても解釈はない」、しかし「例えば世界設定などの適用については『解釈』が避け難く客観的な判断は特定不可能」、「TRPGのシステムとはこの二要素が混在したもの」といった内容でした。
 これまでの言及では、「『判断』があって、解釈の不要な系」を定量的要素、と「『解釈』が必要で、客観的な判断の不能な系」を定性的要素と表現してきたわけです。
 
 しかし、実は、「定量的要素/定性的要素」という概念区分では、アタシの主張に関して不充分なある曖昧な面があります。
 例えば、交通信号の「緑=ススメ/赤=止まれ」といったシグナルは、これを定性的要素のルール的規定とみなすことができる「一意な判断のみがあって、解釈不要の系」です。このように、「定性的要素だから解釈が必要」とも限らないわけです。
 
 これは、申しわけないのですが、一度に多量の論点を導入することを避けたく思ったための窮余の策だったとご理解いただけると幸いです。
 
 さて、アタシが長文投稿として公開しました「『物語の深層』の概念」の文中で「符丁的コード体系」と、「文脈依存性」の概念を提出しました。
 先にふれたアタシの主張は、これらの概念を適用したほうが、より正確になります。
 TRPGの判定系は、一般に「符丁的コードの体系」なので、それを適用すべき架空の状況が特定されさえすれば、理想的には「判断」があるのみで、解釈の余地はない。
 しかし、世界設定的要素など、もともと「文脈依存性の高いテクスト」の形式で提出されているシステム内の要素は、どうしても解釈の多様性が発生せざるを得ない。
 TRPGのシステムとはこれら、「符丁的コード体系」と「文脈依存性の系」との複合を前提として遊ばれる遊びである。
 
 うえの二要素の混在は、TRPGが自然言語によるコミュニケーションを活用した「語り・語られる行為」の連鎖による「ゲーム」である以上、自然なものであるし、活用されて構わないTRPGの特性であると思われる。
 
 なお議論を精密化する余地も、必要もあるかと思われますが、さしあたり、ここまでの主張を公開させていただくことにします。
1999年05月28日:21時03分09秒
[TRPGと物語生成]長文投稿「『物語の深層』の概念」のご案内 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシが「[TRPGと物語生成]物語の深層について」(TRPG総合研究室 LOG 027,99年05月18日:21時14分51秒)で、提出しました、「物語の深層」の概念について、理論的裏付けをともなって、より明快化した概念説明を提出しました。
 簡易長文投稿からアップしました、「[TRPGと物語生成]『物語の深層』の概念」で、「長文投稿ログ」の00000092.htmlからもたどれます。

 「TRPGは言語を用いたコミュニケーションの遊び」と言いますと、大方の人はうなずいてくださるものなのですが。個人的には、その割には、言語やコミュニケーションに関する考察は従来なおざりであるかのような印象を持っています。
 どぉか「『物語の深層』の概念」をご検討いただけると幸いです。
 
 なお「『物語の深層』の概念」の内容に関しては、やはり簡易長文投稿にアップしてあります、「参考資料:ストーリー、物語生成に関連する諸概念」でご紹介した内容もご参照いただけると幸いです。
1999年05月28日:20時57分10秒
[イシ決定]質問:「意思決定」の「自由」について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 数学・経済学でいわれる「意思決定」では、必ずしもプレイヤーが自由とは言いきれない目標達成においても、その過程を「ゲーム」とみなし、戦略の選択が検討されることがあると思います。
 
 例えば、「対立する政党の政策ディベートでの言表戦略が、各党の得票率にどう影響するか?」といったケースで、より多くの得票獲得の目標達成をモデル化して「ゲーム」として捉える、といった事例です。
 この場合、政党には、それまでの政策の歴史であるとか、ポリシーであるとかがあるため、例え、有利であると判断されても、言表戦略として採択不能な戦略もありうると考えられます。これが、プレイヤーの意思決定が制限された「ゲーム」の1ケースです。他にもいくつものケースを挙げることはできるのですが、いまは不要でしょう。
 こうした事例でも、「ゲーム」として捉えるのが「意思決定」(数学・経済学でいわれる「意思決定」)であると思います。
 
 ところで、TRPGでの「イシ決定」に関して、「ゲームではイシ決定は制限されるべきでない」といった主張をよく聞くと思います。
 例えば、「キャラクター・プレイは、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」、「ストーリー重視は、イシ決定を制限するので『ゲーム』では非本質的」といった類のテーゼです。
 必ずしも「TRPGでのイシ決定を最重視」するかたのすべてのご意見ではないかもしれませんが。
 アタシには、少なくともうえのTRPGに関するテーゼを含む、「イシ決定」は、数学・経済学でいわれる「意思決定」とは異なるように思えるのですが。違うでしょうか?
 
 アタシは「TRPGのイシ決定、必要条件として無視はしないけど、最重視はしません」とゆースタンスなんですけど、それは、例えば、キャラクター・プレイや、よりよい物語生成の目論見で、イシ決定の選択肢を多少狭めても、構わないと思ってる(一本道の展開は否認するけど)って意味です。左記が、(アタシが理解するところの)「TRPGでよく言われるイシ決定」に対するスタンスでもあります。
 
 上記のポイントは、当掲示板で、Dandaさんによってで説明されている「TRPGのイシ決定」(「【意志決定】意思決定論について」(TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月24日:10時58分41秒 )や、「[意志決定]Re^2:意思決定論について」(TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月24日:15時17分20秒)、および、ラウールさんやでぶ猫さんが説明されている「TRPGのイシ決定」についての説明で言及されていないポイントと思えるのですが、いかがでしょぉか??
#ラウールさんによる「TRPGのイシ決定」についてのご説明とは、「ビジネスの意志決定とゲームの意志決定 」(当掲示板,99年05月26日:22時09分56秒)を指します。
#でぶ猫さんによる「TRPGのイシ決定」についてのご説明とは、「ビジネスと遊びの違い」(当掲示板,99年05月27日:07時25分48秒) を指します。
 
 アタシとしましては、数学・経済学で言われる、「意思決定」と、「TRPGでのイシ決定」アタシは他にも、重要な論点を左右し得る微妙な差違があるのではないか? と思えるのですけれど。とりあえずこの辺からご意見を求めたく思います。
1999年05月27日:20時53分27秒
RE:[キャンペーンの面白さと意義]記憶に残るのは… / 右京
>GMNさんへ
私の所でもたまにそういう話で盛り上がります。
でも、私の所ではたいてい、「肝心のところであんな目が出るなんて」とか「今考えると、なぜあんなことをやったんだろう」とか、そんなひどい目にあった時や、失敗談の話が一番盛り上がります。
・・・ただ単にひどい目に会う(あわせる)回数が多いだけかな。(^^;

具体例はまた失敗談の部屋に書き込むかも

1999年05月27日:15時16分10秒
[キャンペーン・プレイの諸類型]訂正≫“疑似キャンペーン”の位置付けの試み / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシの投稿、「[キャンペーン・プレイの諸類型]“疑似キャンペーン”の位置付けの試み」(当掲示板,99年05月27日:09時41分54秒) の内、
 ■分類β:キャンペーンの内容での分類
 、、の、「ヘ.PL/PCの担当は固定されているが背景世界には連続性が認められない.」の説明文内に訂正があります。
 
> また、二種の時間がズレているなら、それは、「ホ」の類とあまり大差がない。「ホ」の類では、背景世界の時間が、PCの個的時間より長いことが通例なので、その背景世界の時間の変化がきちんと表現されれば、実質上、背景世界は別種のもの、とも言えるからである。
#下線付け個所が訂正部分です。原文「ハ」は「ホ」の間違いでした。致命的な間違いでした。
1999年05月27日:14時59分27秒
【TRPGの競技性】主観によるトラブルの回避 / SHiN
 はりはらさん、どうも。
 はりはらさんが懸念されてる部分は、参考にさせていただきます。
 
 ただ、PLvsPLで行う競技性の導入ってのは、実は比較的簡単なんです。
 だから、この際、GMvsPLって形で考えていこうと思います。
 
 ところで、GMが想定しているタイプ以外のキャラクターをプレイできなくなる事が問題であるという考え方は、私としてはどうかと思います。
 もちろん、プレイヤー側にそういう欲求があるのなら、GMとしてはなるだけ尊重するべきなのかもしれません。
 が、同時に、GMがオフィシャルで想定したパターンをプレイヤーがプレイする方が、実際のセッションが面白くなるケースが多いのも、また事実だと思うのです。
 
 実際、私が「自由なキャラタイプでプレイしたい」と思うのは、そのゲームシステムの世界や、GMのキャンペーンシナリオがつまらなさそうな時ですね。
 自分の好みのキャラでプレイできるなら、シナリオが少々つまんなくても、最低限の楽しさは維持できますから。
 が、それが良いことだとは思えない。
 プレイヤーにそう思わせた時点で、セッションは半分失敗してるのかもしれませんね。
 逆にいえば、GMとして、プレイヤーに「こういうキャラをプレイして欲しい」と言えないまでも、「こういうキャラはプレイしないで欲しい」と言えないってのは、キャンペーンの練り込みが足りないんじゃないかな?とさえ思えます。
 もっとも、事前に練り込めば良い結果が出るってほど単純なものではないですが(笑)
 ここらへんは、本当に難しい部分で・・
 
 それと、少し気になったのが、
 『システムの定性的要素(主に世界設定類)の解釈の幅に限定をかけられる』
 ってことが、果たしてデメリットなのか?って事です。
 もちろん、現実的に考えて、全ての世界設定を定量化することはできません。
 ただし、ある世界設定が、「ゲーム(競技)」に関連する部分であるならば定量化します。
 そして、それ意外の定量化されなかった世界設定は、ゲーム上は無視されます。
 ほぼ、はりはらさんがご推察の通りです。
 
 これは、プレイヤーが、自らの主観で行動した結果が、GMの主観とそぐわなかったという悲劇を回避するためです。
 
 初心者間でよくある例としては、治安レベルなどに対する主観の違いから、プレイヤーが無防備すぎて不意討ちで倒される・・ってパターン。
 この主観の違いによるトラブルは、いくら熟練しようが、微妙なところで必ず起こってくるわけです。
 困ったことに、GMがゲーム世界にリアリティをもたらすことに成功すればするほど、こういう事が問題となってくるようです。
 
 この問題を回避するひとつの方法が、
 ゲームに関連する部分は定量化し、関係ない部分はゲーム上無視するということです。
 
 本来、競技性の有無にかかわらず、普段から、こういう事は行っておくべきだと考えています。
 
 ところで、注意して欲しいのは、ゲーム上無視はしても、TRPGにおいて無視するわけではないという事です。
 
 TRPGには、物語を創作するという部分とゲームを楽しむという部分が存在し、定量化されない部分、つまりプレイヤーもしくはゲームマスターの主観により左右される部分ってのは、物語創作部分として生かされるって事です。
 はりはらさんのよくおっしゃるインタラクションってのは、私の解釈では、ゲームではなく集団創作、共同創作の類だと思うのです。
 
 公正かどうかという問題ではなく、個人の主観、もしくは複数の主観のせめぎあいによって決せられる部分は、物語の創作を行ってる部分であり、ゲームが行われてる部分ではないのではないでしょうか。
 (私が「TRPGはゲームである」というフレーズを好まないのは、ここらへんがごっちゃにされる事が嫌だからです。)
 以前、TRPGの勝敗という部分で、客観的でない判定が加えられるのは間違いと書きましたが、逆にいえば、主観的判断によらねばならない部分は「ゲームではない」という言い方もできるわけです。
 
 そして、私が競技性を導入した方が良いと思うのは、ゲーム部分に・・なのです。
 
 実際のTRPGセッションでは、競技かどうか以前に、本来ゲームであるべき部分がゲームでない・・・ってケースが結構あると思います。
 しかし、同時に、それらを無理やりゲーム的に行おうとして、セッション自体が失敗してしまうというケースもある。
 一番多い例は、手加減なしでパーティ全滅ってやつですね。
 
 私が競技性を導入した方がいいなと思う理由は、そこらへんをクリアにしたいという意識が強いからかもしれません。
 
 ミッションに失敗しても面白かったと思えるTRPG。
 個人的勝利条件で、敗北をごまかさなくても、楽しかったと思えるTRPG。
 
 理想論に終わらせず、そういうものを実現するための最短が、競技性の導入のような気がしてます。
 結局、競技性の導入ってのは、単に導入するだけでなく、導入してもセッションが破綻しない・・って事なわけですから。
 もし、競技性を導入しても破綻しないだけのゲームデザインなり、シナリオメイクなり、マスタリングなりの技術が獲得できれば、別に競技性を意識せずとも、面白いセッションが可能になるとも思えるのです。
1999年05月27日:13時01分53秒
キャンペーン関連の話題移動、または新掲示板設置のご相談 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>toALL
 アタシが話題提案させていただいて、多くのかたにご参加いただいている、キャンペーン・プレイ関連の一連の話題について(「[話題提案]キャンペーンプレイとシステム」,TRPG総合研究室 LOG 028,カンナ記,99年05月21日:08時06分37秒 )、話題を移動するか、新掲示板の設置をsfさんにお願いするかをご相談したく思います。
 みなさんのご意見をお願いしたく思いますので、「簡易掲示板の活用法」に投稿しました、「ご意見求めます『TRPG_LABO』のキャンペーン関連の話題」(カンナ記,99年05月27日:12時59分11秒)に、ご意見をお願いいたします。
1999年05月27日:10時00分03秒
[キャンペーンの面白さと意義]記憶に残るのは… / GMN
 サークルに何年もいるとメンバーと飲みに行ったりもするわけですが、そういう席で話題になる(いつまでも覚えている)のは圧倒的にキャンペーンですな。1話1話の内容はほとんど覚えてないのですが、名場面ダイジェストのような形で「あんなこともあった、こんなこともあった」と結構覚えているものです(覚えている箇所がまた皆同じ)。それが全6話完結のOVA並みに短いキャンペーンでもです。
 
 逆に単発はよっぽどのモノでない限り覚えてませんね(特にプレイヤーとして参加したものは)。
 
#相変わらずヨタでスマヌ
1999年05月27日:09時41分54秒
[キャンペーン・プレイの諸類型]“疑似キャンペーン”の位置付けの試み / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「疑似キャンペーン」って言葉を持ち出したのはアタシですが、みなさんからいろいろなご意見をいただきましたので、そろそろ、“疑似キャンペーン”の位置付けを考えてみたいと思います。
#だいたい、“疑似キャンペーン”って雑誌か何かでみた言葉で、曖昧語だったとは思います。
#とりあえず、「原理・原論」レベルをめざした類型論〔タイポロジー〕でアプローチしたいと思います。
 
■分類α:キャンペーン運営の形態での分類
 A.GM&プレイヤー(以下PLと略記)のメンバーが固定した運営形態.

  A-1.GMも固定され、PLメンバーも固定されている運営形態.
  A-2.GMはメンバー内の持ち回りで運営される形態.

 B.GMは固定されていてPLの面子が変動する運営形態.
  オ−プン・キャンペーンの類

 C.複数のGMが変動するPL面子と運営する形態.
  大規模なオープン・キャンペーン

 D.複数の変動するGMが固定されたPL面子と運営する形態.
  実際問題としては現状では考えづらい。商業的なPBeMでは、近似のことが起こり得るだろぉか?
 
■分類β:キャンペーンの内容での分類
 イ.PL/PCの担当が基本的に固定され、緊密なプロットが、連続性の高い物語内時間と背景世界で展開される.
  一般的にイメージされるキャンペーン(フル・キャンペーン)

 ロ.PL/PCの担当のみが基本的に固定され、プロットの連関はマスタリングに委ねられるが緩く求められうこともある.背景世界には連続性は顕著に認められる.物語内時間にも連続性が認められる.
  完結したエピソードが断続するタイプのキャンペーン

 ハ.PL/PCの担当はあまり固定されないが、連続性の高い物語内時間で展開される.背景世界には連続性が認められる.プロットの緊密さが目指される.
  限定された時間内で、関連したプロットが展開され、キャンペーン全体では、各セッションの内容がサブ・プロットになる形のキャンペーン。大規模なライブRPGに近い内容を、キャンペーンの形式で運営することをイメージされたし。典型的には、「メガテンTRPG」などで企画が可能。

 ニ.PL/PCの担当はあまり固定されず、物語内時間も連続性より,断続性がめだつ.背景世界には連続性が認められる.プロットの連関はマスタリングに委ねられるが,緩く求められることもある.
  いわゆる、年代記型キャンペーン

 ホ.PL/PCの担当は固定されているが、物語内時間も連続性より,断続性がめだつ.背景世界には連続性が認められる.プロットの連関は緊密.
  特殊なコンセプトを持つシステムのみで起き得る特殊な内容。例えば、一般人より圧倒的に長命なPCが扱われる「央華封神」でのキャンペーン。

 ヘ.PL/PCの担当は固定されているが背景世界には連続性が認められない.
  特殊なコンセプトを持つシステムのみで起き得る特殊な内容。例えば、「リングバース」などの“異次元超時空モノ(仮称)”。
  実は、「物語的時間の連続性」は主要人物であるPC達の個的時間と、背景世界の時間の、シンクロ/ズレのバリエーションで捉えられる。
  「ニ」の類は二種の時間がシンクロするなら、「イ」、「ロ」の類に特殊な背景世界設定が導入されて変質したものと認められる(「TORG」の事例を考えてみるとよい)。
  また、二種の時間がズレているなら、それは、「ハ」の類とあまり大差がない。「ハ」の類では、背景世界の時間が、PCの個的時間より長いことが通例なので、その背景世界の時間の変化がきちんと表現されれば、実質上、背景世界は別種のもの、とも言えるからである。
  「ニ」の類の分類は、プロットが緊密であろぉと、緩いものであろぉと、現状では理屈のうえ以外ではあまり分類として意味を為さないと思われる(他の、より一般的な分類項で近似できるため)。
 
#なお、背景世界に含まれる“一般人”のNPCに比較して、たいへん短命なPCが設定されたシステムを想像してみることもできる。例えば現代社会に近似の背景世界を舞台に、PCは短命な妖精をプレイするといったシステム。この架空のシステムでのキャンペーンは、「PL/PCの担当は変動し」「背景世界の連続性は認められ」「物語時間も連続性が高く」「プロットの緊密さは、マスタリング次第」ということになる。ほとんど、「ロ」の類で近似されるので、分類項をたてる意味は認められない。
 
#なお、上記の分類βでいう「PL/PCの担当」は、通念に従って、あるPCを別PLが担当することは、例外的事態と捉え考慮に入れていない。「担当の固定」は、主に、キャンペーン・プレイ一般と、いわゆる「年代記型」との位置づけを検討するために導入されたポイントである。
 
 
 ついで、「分類α」と「分類β」を関係づけていきたいのですが。長くなったので、改めたいと思います。
 「TRPGは、システム・コンセプトに沿った遊びかたをすることが好ましい」というテーゼがあります。このテーゼは信と思われます。
 また「大多数のTRPGシステムは、キャンペーン・プレイを前提として構築され、その為に、システム内に成長ルールがある」ともいわれます。このテーゼもおそらく信と思われます。
 そぉすると、「大多数のTRPGシステムはキャンペーン・プレイを楽しむことが好ましい」との理論的帰結が自動的に出ます。
 うえの“理論的帰結”は、原理・原論レベルでは信、なのだと思われます。
 ところで、実践論のレベルで考えると、少ない数とはいえない、コンベンション・プレイヤーにとって、「A」で「イ」である、一般的なフル・キャンペーンを体験することは、たいへん困難になります。
 ここで、“本質論”的に、「コンベンション・プレイヤーはTRPGの本質的な遊びをできないからダメだ」とかの原理主義的なテーゼを展開される人はいないと思いますが。
 アタシの狙いとしては、分類αと分類βを関係づけて、例えば、「『背景世界の理解を深めたいなら』、『C』で『ハ』から遊んでみるとよい」、とか、「『PC&NPC間のにんげん関係を充実させていきたいなら』、『A』で『ロ』から遊んでみるとよい」とか、そーゆー整理を試みてみたいと思います(←左記の例示はまだ、あまりきちんと考えてない思いつきにすぎませんが:苦笑)。
 
#上記の整理のための話題を[キャンペーン・プレイの諸類型]として、[識別子]分離することを提案します。
#例えば、アタシの分類の試みの見落とし指摘とか。別に有意な分類方法がある、などのご指摘私[キャンペーン・プレイの諸類型]でお願いしたいと思います。
#あるタイプ(類型)のキャンペーン運営での、メリット/デメリット、運営ノウハウなどは、従来どおり[疑似キャンペーン]でお願いしたいと思います。

1999年05月27日:08時08分34秒
[キャンペーンの面白さと意義]中間まとめ:みなさんの意見の要約2 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシが、「[話題提案]キャンペーンプレイとシステム」(TRPG総合研究室 LOG 028,カンナ記,99年05月21日:08時06分37秒) で、提案させていただいた話題に関連すると思われるご意見を、要約的に中間まとめさせていただきます。
#この投稿では、[キャンペーンの面白さと意義]の話題に関する中間まとめをさせていただきます。
#●を頭につけたまとめ文は、もとの投稿が[キャンペーンのおもしろさと意義]の話題として投稿されたものの要約的引用です。
#◎を頭につけたまとめ文は、もとの投稿が[キャンペーンのおもしろさと意義]以外の話題(特に[識別子]がふられていなかったものも含む)を、アタシの個人的判断で引用させていただいたものです。
 
◎キャラプレイは、単発のセッションより、圧倒的にキャンペーンの方が面白いです。
 理由いち キャラが自分に「馴染む」から。
 理由に 自分だけでなく、周りのプレイヤーにもキャラが「馴染む」から 。
 (「キャンペーンとキャラプレイとの関連」河嶋陶1朗さん記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月23日:23時37分53秒)
 
●キャンペーンでは、PCが成長してきた事を実感できる。PLが自分のPCの為に考えたどっかで聞いたような設定ではなく、文字どおり(?)血肉を持った過去をPCに与えてくれます。「アクチュアリティを持った」と言っても良いのかな? (「こなれる」ともいいます) 
 同じ技量を持つ人間ではキャンペーンの方がクオリティの高いTRPGを楽しみやすい。 また、上達もしやすい。単発セッションでは難しい問題を解く時間を与えてくれる。
・PCの判断基準や性格がハッキリする
・状況やキャラクター間の関係もどんどんと変わって行くでしょう。その状況変化に対してリアルタイムにPCの判断基準や性格を変化させるのは、当たり前ですが難しい。セッションとセッションの間の時間は、それを整理し理解する時間を与えてくれます。いわゆるPCの暴走を防ぐ事が出来る。
・セッションとセッションの間にGMの行うディスカッションにも同様の効果がある
・動きの悪いPCのサポートも考えることができる。
・キャンペーンを続けたければ、上手くいく工夫をするしかない。
・間関係についても、キャンペーンを続ける為には、同じ人間たちと長い時間を付き合って行く必要がある。
 
 単発シナリオは,バラエティに富んだ状況設定と意思決定を楽しむ事ができる。それに対して,キャンペーンでは時間的な問題で状況設定や意思決定のバラエティに劣るものの最終的にアクチュアリティを持ったPCを楽しむ事ができる。
 これを単発シナリオで再現することは、とても難しい。自分とは違う人生を創造していき,理解していく楽しみです。
 (「[キャンペーンの面白さと意義]キャンペーンを行う効果について(長文)」,PALM-12さん記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月25日:11時26分47秒)
 
◎キャンペーンは、テーブルトークの楽しさをより大きく引き出せる遊び方です。
 (「[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです(超長文)」,3327さん記,当掲示板,99年05月26日:03時59分00秒)
1999年05月27日:08時04分41秒
[疑似キャンペーン]中間まとめ:みなさんの意見の要約2 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシが、「[話題提案]キャンペーンプレイとシステム」(TRPG総合研究室 LOG 028,カンナ記,99年05月21日:08時06分37秒) で、提案させていただいた話題に関連すると思われるご意見を、要約的に中間まとめさせていただきます。
#この投稿では、[疑似キャンペーン]の話題に関する中間まとめをさせていただきます。
#●を頭につけたまとめ文は、もとの投稿が[疑似キャンペーン]の話題として投稿されたものの要約的引用です。
#◎を頭につけたまとめ文は、もとの投稿が[疑似キャンペーン]以外の話題(特に[識別子]がふられていなかったものも含む)を、アタシの個人的判断で引用させていただいたものです。
 
[疑似キャンペーン]の話題:「ちゃんとしたキャンペーンみたいに、全体を通じての敵、とか陰謀とかがない」、 「ちゃんとしたキャンペーンみたいに、毎回同じPCの面子が連続して登場しなくてもへーき」、そーした「疑似キャンペーン」で、ちゃんとしたキャンペーンの楽しみの一部でも楽しめる遊びかたのアイディア、運営方法のポイントなどは?
 
◎キャンペーンの分類について
「キャンペーン運営形態による分類」
・サークルなど特定のプレイヤーを相手に一人の人間がGMを行う
 メリット:ストーリーに連続性を持たせるのに一番無理のない形
 デメリット:GM個人の力量に大きく左右され、毎回面子が同じでGMも同じだとマンネリに陥り易い
・コンベンションなど不特定のプレイヤーを相手にで一人の人間がGMを行う(擬似キャンペーン?)
 たいがいは1話完結型キャンペーンになる
 メリット:「プレイヤーの時間的都合をさほど考慮しなくてよい」
 デメリット:運営そのものはもっとも難しいですね。特に、参加プレイヤーがシナリオ作成までに決定しない場合は。結果として無難な1話完結型のシナリオばかりになり、バリエーションに欠けます。
・設定ノートを用意してGMをメンバー持ちまわりで担当する(SHiNさん提唱)
 メリット:GMが毎回変わるので自然とセッションにバリエーションがでる。飽きのこない形。GMの負担が一人に集中せず分散するので一回一回のセッションが凝ったものにできる。サークルのGM育成になる。
 デメリット:ストーリーに連続性を持たせるのが困難。設定ノートなどを使用すれば多少は関連を持たせることができるでしょうが、GMのだけの裏設定というものが作れなくなる。複数回数のセッションに渡る伏線などがどうしても張りづらい。(GM全員が上級者になれば無責任に伏線を張るだけ張って次のGMにまかせるなどという方法もあり)
 
「プレイヤーの設定による分類」
・PCがパーティーを作ってグループ行動をしている
・PCは基本的に独立で毎回諸般の都合で誰かとチームを組む
・毎回異なるPCでセッションを行う
 (「[キャンペーンの面白さと意義]キャンペーンの分類(長文注意)」,彬兄さん記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月24日:23時36分21秒)

●ゲームマスターガイド2『キャンペーンガイド』より(新紀元社・刊、山北篤と怪兵隊・著/ISBN4-915146-10-3)
 この本ではキャンペーンの連続性を「PC」「世界」「ストーリー」でわけている。
・PCだけが連続するものを「タイムボカン型」
・PCと世界が連続するものを「水戸黄門型」
・PCと世界とストーリーが連続するものを「スターウォーズ型」としています(これが、フル・キャンペーンとなる)。
●PCの成長と連続性こそがプレイヤーがキャンペーンを続ける重要なモチベーションという位置づけですので、世界だけが連続していてもキャンペーンとしては魅力に乏しいとしています。深淵の年代記キャンペーンはこれからすると疑似キャンペーンとなりましょうか。個人的には魅力的な背景世界なら引きになるんではなかろうかと思えますが
 (「[疑似キャンペーンかの?]キャンペーンの参考文献」,MAT.Nさん記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月25日:12時43分02秒)
1999年05月27日:07時57分24秒
[キャンペーン適合システム]中間まとめ:みなさんの意見の要約2 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシが、「[話題提案]キャンペーンプレイとシステム」(TRPG総合研究室 LOG 028,カンナ記,99年05月21日:08時06分37秒) で、提案させていただいた話題に関連すると思われるご意見を、要約的に中間まとめさせていただきます。
#この投稿では、[キャンペーン適合システム]の話題に関する中間まとめをさせていただきます。
 
[キャンペーン適合システム]の話題:キャンペーンに適合性の高いシステムの見分けかたは?
 
●>成長ルールがあるからといって、成長したPCがキャンペーンに参加する「べき」と言えるものでしょぉか?(「[キャンペーン適合システム]質問:システムのもんだいではなくシナリオ・メークのもんだいでしょーか?」,カンナ記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月22日:08時55分06秒)
 「キャンペーンに参加したPCは,成長していくべきです」 。成長したPCは要らないんです。 むしろ捨て時って感じです。 要るのは,「まだ成長していないPC」,もしくは「今まさに成長中のPC」です。キャラクターがこなれて,成長していくからキャンペーンは面白いんです。
●キャンペーンプレイは、「システムとシナリオ・メークのもんだいです」 。付け加えるなら,マスタリングとPCのハンドリングとか色々全部の問題です。
 例えば,生き返れないシステムにおいて,即死して構わんと思っていうPL&PCはキャンペーン参加が難しかったりするわけです。
 (「[キャンペーン適合システム]Re:質問:システムのもんだいではなくシナリオ・メークのもんだいでしょーか?」,PALM-12さん記,TRPG総合研究室 LOG 028,99年05月25日:14時27分19秒)
 
●背景世界が充実したゲームが、キャンペーンに向いたゲームと言えるでしょう。
 ゲームをより楽しみたい(ゲームにより多くの情報を持たせたい)と思った場合、ゲームに即したワールドガイドが必要
 独立(正確には孤立だよね)したゲーマーがハウスルールやハウスワールドで遊ぶのは別ね。他人に関係しない部分でなにしても分からないし関係もしないし
 これは、そのゲームを知る誰に話しても伝わるレベルの話し
●「テーブルトークならではの楽しさ」 の部分を支えるのは、結局は充実した世界背景です。
 ちなみに、小説はゲーム資料になりません。「小説」 と言う物を参考にしろといわれても、したくてもできないんですよ、本当は。
 (「[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです(超長文)」,3327さん記,当掲示板,99年05月26日:03時59分00秒)
 
〔以下の引用部分は3327さんの「[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです(超長文)」より為されたもの,カンナ補記〕
●>ゲームをより楽しみたい(ゲームにより多くの情報を持たせたい)と思った場合、ゲームに即したワールドガイドが必要になるのですが、残念ながら国産のゲームにはこれがありません。
 “国産には少ない” くらいなら分かりますが、ないって断言しちゃっていいんですか? 
●>少数の人間関係しか扱わないとか、社会や世界との相互作用を生まないキャンペーンもこの話しの中では無視ね。非現実的かつ無意味だから。
 “少数の人間関係” でも情報は蓄積されると思いますが。
●>ちなみに、小説はゲーム資料になりませんよ。
>できるというなら小説とゲームというメディア間の変換の仕方を提示して下さい。メディアトランス(変換のコトね)が誰にも通じるようにできるなら、もちろん意見を訂正いたします。
 『できない』 ということを示して頂きたいですね(苦笑)。 “資料になる” という言い方ならその小説内での様々な描写(市井の人々や気候風土)を参考に使うのは当然アリでしょ?
 それに小説を原作にした数多のRPGはどう捉えれば良いのでしょう。クトゥルーとか。
 (「Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」,NiKeさん記,当掲示板,99年05月26日:05時28分51秒)
 
〔Nikeさんの「Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」に対して,カンナ補記〕
●タコツボにはいろんな入りかたがあるということじゃないでしょうか。
 (「Re:Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」ディアス・ダロさん記,99年05月26日:12時52分12秒)
 
〔ディアス・ダロさんの「Re:Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」に対して:カンナ補記〕
●>タコツボにはいろんな入りかたがあるということじゃないでしょうか。
 Scoops RPGのコラムのことを指していると思いますが、ここの読者が必ずしもその記事を読んでいるとは限りませんので、このような書き方は無用の混乱を招く可能性があると考えます。
 (「Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」TTBさん記,99年05月26日:13時55分23秒)
 
〔Nikeさんの「Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです」に対して:カンナ補記〕
●反論ということで、何か具体的な例示をしてくれれば分かりやすいと思います。
●>“資料になる” という言い方ならその小説内での様々な描写 (市井の人々や気候風土)を参考に使うのは当然アリでしょ?
>それに小説を原作にした数多のRPGはどう捉えれば良いのでしょう。クトゥルーとか。
 確かに、「参考」にはなるでしょう。
 でも、「それをオフィシャルの場に持ち込むのはいかがなものか」という意味合いで3327さんが発言している部分がありますよね?
 そこを読みましたか?
 「そのゲームを知る誰に話しても伝わるレベルの話」と3327さんは言っていませんか?
 (「[適合システム]敢えて反論する場合」あずまさん記,当掲示板,99年05月26日:20時24分51秒)
 
〔あずまさんの「[適合システム]敢えて反論する場合」に対して:カンナ補記〕
●>でも、「それをオフィシャルの場に持ち込むのはいかがなものか」という意味合いで3327さんが発言している部分がありますよね?
 どの部分のことでしょう?
 (「Re: [適合システム]敢えて反論する場合」Hasさん記,99年05月26日:22時12分46秒)
1999年05月27日:07時25分48秒
ビジネスと遊びの違い / でぶ猫
 ゲームでもより望ましい結果を目指すという点ではビジネスと一緒ですね。ビジネスだって、あまりもうからないけど楽しい仕事ともうかるけどイヤな仕事ってのはあります。
 原則的にこの二つに違いはありません。(ゲーム理論とゆうやつです)
 では違いはどこで発生するかというと・・・
 ・目標とされる利害が現実のものか、架空のものか
 ・仕事/ゲームを選ぶ動機がどこにあるか
 という点ですね。
 ゲームでは利害が架空のものであるため、過程を楽しむ余裕ができます。負けても実際に失うものはないのです。
 逆に過程重視になるため、勝つことにあまり熱心になれない場合もあります。こういう場合は、多少の何かを賭けてささやかな現実の利害(小遣いの範囲でおさまる小額が適当)を作り出したりします。
 ゲームはゲームそのものを楽しむか、結果に対してささやかな利害をからめるため、選択の動機は「おもしろい」ゲーム、つまり過程を重視したものを選べます。
 ビジネスでは、現実に食うためのものであるため、「なるべきもうかる」仕事、つまり結果重視の選択となります。
 意志決定的に考えれば、ビジネスは「もうける」ことが目標であり、ゲームは「楽しむ」ことが目標であるわけですね。これに基づいてどれをやるか意志決定していると・・・
 
 って、結局ラウールさんのと同じ内容になったな(^^;
(違うのは言葉だけだわ)
1999年05月26日:22時12分46秒
Re: [適合システム]敢えて反論する場合 / Has
でも、「それをオフィシャルの場に持ち込むのはいかがなものか」 という意味合いで3327さんが発言している部分がありますよね?

どの部分のことでしょう?


1999年05月26日:22時09分56秒
ビジネスの意志決定とゲームの意志決定 / ラウール
 ビジネス分野でいうところの意志決定とゲームにおける意志決定とで,明らかに違っているのは,前者では結果が重視されるが,後者ではプロセスが重視される,というところです。

 ビジネスにおける意志決定は,それによって良い結果(業績が上がるとか,企業イメージがアップするとか)を出せるか出せないかが重要視されます。良い結果を出せるのであれば,コンピュータに計算させて答えを出そうが,コンサルタントを雇おうが,占いに基づいて決めようが,問題ないわけです(ちゃんと結果が出せるならね)。

 ところが,ゲームにおける意志決定はそうではありません。ゲームにおいては,どんなに状況を有利に進める一手を指したとしても,それがコンピュータに計算させたとか,人の勧めるまましたのでは「意志決定をしている」とはみなされません。取りうる行動の中から,あっちにしようか,こっちにしようかと,悩んで考えるというプロセスの方がゲームでは重要視されるのです。
 このプロセスが楽しいものであるための条件というのが,前回ご紹介した,

1)葛藤:意思決定する際の選択肢が複数あって,そのどれもがもっともらしい(迷う要素がある)
2)アカウンタビリティ:自分がなぜ,どんな理由でその意志決定を行ったのかを,明確な言葉で説明できること
3)結果に対する責任:その意志決定によって生ずる言動や結果に対して自分で責任を持つこと

の三点なわけです。


・・・というのが私の理解です。


1999年05月26日:20時24分51秒
[適合システム]敢えて反論する場合 / あずま

ども、あずまです。
普段はこういうことを滅多にしないのですが、なんだか如何にも揚げ足取りで、
非常に気になったので反論してみます。

>Nikeさん

>“国産には少ない” くらいなら分かりますが、ないって断言しちゃっていいんですか?
>ついでながら、国産か海外かはこの話題と余り関係ないんでないですかね。

3327さんの個人的な感想や、国産とか海外「産」とかの単純な例示に、
なぜそこまで敏感に反応するのでしょうか?
反論ということで、何か具体的な例示をしてくれれば分かりやすいと思います。

>“少数の人間関係” でも情報は蓄積されると思いますが。例えPC数名と敵役1人であっても、
>継続による効果はあるでしょう。
>PC1人だけに注目しても、プレイヤーの理解が深まってロールプレイが向上するということがあります。

3327さんは話の中で、「非現実的かつ無意味だから」と断定しています。
なぜ「非現実的」なのか? とか、「私は過去に少数人数でこういうプレイをした」という、
論拠を求めたり、具体例を挙げたりするならともかく、如何にも揚げ足取りに見えます。
Nikeさんは少数の人間関係でキャンペーンに成功した例が有るのでしょうか?
できるのでしょうか? もし、例があるなら御教示下さい。

>『できない』 ということを示して頂きたいですね(苦笑)。

物凄い詭弁ですね。
どうしても水掛け論に誘いたいのでしょうか?

>“資料になる” という言い方ならその小説内での様々な描写
>(市井の人々や気候風土)を参考に使うのは当然アリでしょ?
>それに小説を原作にした数多のRPGはどう捉えれば良いのでしょう。クトゥルーとか。

確かに、「参考」にはなるでしょう。
でも、「それをオフィシャルの場に持ち込むのはいかがなものか」
という意味合いで3327さんが発言している部分がありますよね?
そこを読みましたか?
「そのゲームを知る誰に話しても伝わるレベルの話」と3327さんは言っていませんか?
小説を引き合いに出している部分の真意を読みとろうとしましたか?

文章の上っ面だけでリプライを書いていませんか?
3327さんの導きたい結論に賛同しているにしては、ちとみみっちいようです。


1999年05月26日:13時55分23秒
Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです / TTB
>>ディアス・ダロさんへ
>タコツボにはいろんな入りかたがあるということじゃないでしょうか。
 Scoops RPGのコラムのことを指していると思いますが、ここの読者が必ずしもその記事を読んでいるとは限りませんので、このような書き方は無用の混乱を招く可能性があると考えます。
1999年05月26日:12時52分12秒
Re:Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです / ディアス・ダロ
 >NiKeさん
 タコツボにはいろんな入りかたがあるということじゃないでしょうか。
1999年05月26日:05時28分51秒
Re:[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです / NiKe

>背景世界が充実したゲームが、キャンペーンに向いたゲームと言えるでしょう。

というのはなるほどもっともだと思います。主旨に反対はしません。

 でも文中になんか妙な極論があるので、ちょっとね。


>こう言った点から、ゲームをより楽しみたい(ゲームにより多くの情報を持たせたい)と思った場合、ゲームに即したワールドガイドが必要になるのですが、残念ながら国産のゲームにはこれがありません。

 “国産には少ない” くらいなら分かりますが、ないって断言しちゃっていいんですか? ついでながら、国産か海外かはこの話題と余り関係ないんでないですかね。


>あと、少数の人間関係しか扱わないとか、社会や世界との相互作用を生まないキャンペーンもこの話しの中では無視ね。非現実的かつ無意味だから。

 “少数の人間関係” でも情報は蓄積されると思いますが。例えPC数名と敵役1人であっても、継続による効果はあるでしょう。
 PC1人だけに注目しても、プレイヤーの理解が深まってロールプレイが向上するということがあります。


>ちなみに、小説はゲーム資料になりませんよ。
>できるというなら小説とゲームというメディア間の変換の仕方を提示して下さい。メディアトランス(変換のコトね)が誰にも通じるようにできるなら、もちろん意見を訂正いたします。

 『できない』 ということを示して頂きたいですね(苦笑)。 “資料になる” という言い方ならその小説内での様々な描写(市井の人々や気候風土)を参考に使うのは当然アリでしょ?
 それに小説を原作にした数多のRPGはどう捉えれば良いのでしょう。クトゥルーとか。


 ところで 「キャンペーンとは要するに情報量が増える形態の一種」 というのが良く分からないんですが、これは “プレイ形態の一種” という意味でしょうか。

1999年05月26日:03時59分00秒
[キャンペーン適合システム] 世界背景の充実したシステムです(超長文) / 3327
題名通りです。
キャンペーンとは要するに情報量が増える形態の一種です。であれば受け皿の充実が必要でしょう。

こう言った点から、ゲームをより楽しみたい(ゲームにより多くの情報を持たせたい)と思った場合、ゲームに即したワールドガイドが必要になるのですが、残念ながら国産のゲームにはこれがありません。

あ、念の為にいっておきますけど、キャンペーンをするにもかかわらず情報が増えない(様々な展開が巻き起こらない)なんて、言いませんよね。
あと、少数の人間関係しか扱わないとか、社会や世界との相互作用を生まないキャンペーンもこの話しの中では無視ね。非現実的かつ無意味だから。
あと、独立(正確には孤立だよね)したゲーマーがハウスルールやハウスワールドで遊ぶのは別ね。他人に関係しない部分でなにしても分からないし関係もしないしね。

そのゲームを知る誰に話しても伝わるレベルの話しね、ここで言ってるのは。


はてさて。
情報というとルールとか設定って思うかも知れませんけど、そうじゃなくてキャラクターを楽しむ時にこそ情報は増えるんです。
キャラクターにより多くの経験や判断材料があってこそ、次に起った何かに対して深い(あるいは高度な)反応が返せるじゃないですか。

思い付きや 何かのパクリで好き勝手な事を言うのではなく、きちんとそのゲームの世界に即した物言いをする事って、楽しいし、重要ですよね?
でも 「セリフがそれらしい」 なんて事は、シミュレーション的(この掲示板群でいうとゲーム的?)な部分からすれば、無価値無意味の筆頭ですよね。
例えばRQでイエルマリオン(太陽神の信者)が別れ際に 「光があなたの旅路を照らしますように」 なんていうのは、それっぽいし楽しいですよね。
こういった 「テーブルトークならではの楽しさ」 の部分を支えるのは、結局は充実した世界背景です。

ちなみに、小説はゲーム資料になりませんよ。
ドラマチックに演出された描写、世界のかなで特別な位置に居る(置かれてしまう)登場人物…
つまり、金出して買うほど面白い 「小説」 と言う物を参考にしろといわれても、したくてもできないんですよ、本当は。
できるというなら小説とゲームというメディア間の変換の仕方を提示して下さい。メディアトランス(変換のコトね)が誰にも通じるようにできるなら、もちろん意見を訂正いたします。

キャンペーンは、テーブルトークの楽しさをより大きく引き出せる遊び方です。
ですからゲームにもそれを受け入れる器が必要です。
背景世界が充実したゲームが、キャンペーンに向いたゲームと言えるでしょう。
1999年05月25日:17時27分50秒
TRPG総合研究室 LOG 028 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 028として1999年05月21日から1999年05月25日までのログを切り出しました。

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