TRPG総合研究室 LOG 027

TRPG総合研究室の1999年05月15日から1999年05月21日までのログです。


1999年05月21日:00時53分00秒
[TRPGと競技性]有益?有害?無益?無害? / SHiN
 でぶ猫さん、はりはらさん、早速のレスありがとうございます。
 
 (でぶ猫さん)
 >これもゲームによりますね。パラノイアとウィッチクエストを一緒に考えてはいけません。
 
 当然ですね。
 だが、みなさんにも好きなシステム、嫌いなシステムありますよね。
 シナリオやマスタリングについても。
 好き嫌いとは別に、高く評価できるものできないもの。
 
 そういったTRPGの評価基準として、競技性の有無は意味があるかどうか・・って事をお聞きしたかったんです。
 
 TRPGはゲームであるべきか否か・・ってのと同じレベルで、
 競技であるべきか否か・・ってことですね。
 もちろん、どちらでもかまわない。それぞれに楽しめるってのもひとつの解答でしょう。
 
 #ちなみに、でぶ猫さん言うところの「競合性」ってやつは、TRPGには元来内包されているものだと思います。
 でぶ猫さんご自身もおっしゃってた、「おいしいとこを持っていかれてくやしい」とか言うのは、そういったものを示すものだと思います。
 競合と競技の最大の差は、競合は人間同士が集まればたいてい自然発生するものだが、競技は、それを行うためにふさわしいシステム(ルールなど)が必要だということです。
 
 To はりはらさん
 
 別に、これまで競技性のなかったところに競技性を導入したからといってTRPGの楽しみ方がそれほど変わるとは思いません。
 逆にいうと、私の言う競技性の導入ってのはその程度のものです。
 別にTRPGをSLGにしようってんじゃないんです。
 
 ただ、たとえば戦闘という形で競技性が導入された場合は、これまで容認されてた非戦闘キャラってのが成立しなくなる可能性はあります。
 逆に、調査・交渉って形で競技性が導入されると戦闘バカなキャラは成立しなくなるでしょう。
 
 あと、ガープスとかの一芸キャラとか・・(例:テレポートで世界一周できるルナルの魔術師など)とかも行き場を失うかもしれまえん。
 
 これらをメリットと考える人もいれば、デメリットと考える人もいるはずですね。
 
 そこらへん、ちょっと聞いてみたいなあ・・と。
 
 それにマーケティングや新規ユーザー獲得のラインで話されても、私はそれを評価する能力はありませんし、マーケティングってのはそう簡単なものでもないとも思うので、あまり納得できないです。
 だから、もっと、個人的でもかまわないので、「TRPGに競技性なんかもちこまれたら、ここがたまらないわ!」ってのを中心にして書いてくださると嬉しいです。
 もちろん、無理強いはできませんが・・まあ、よしみってことで(笑)
 (今回書いてくださった他のプレイヤーに怒られるのが嫌だから・・ってのは、人間関係やマナー上の問題で、競技性とは直接関係ないですよね?ロープレのやり方で他人に怒られて、そういうのが嫌になるって人もいるわけですし。)
 
 ところで、競技性をTRPGに持ち込むのは、実はGMとしては結構面倒なんですよね。
 だからプレイヤーを極端に選ぶようなものしか出来ないんであれば、あまり意味がない。
 そういう意味で競技嫌いな人の正直な意見も貴重だと思ってます。
 (競技嫌いな人間はTRPGする資格はない!なんて方向に持っていくつもりは毛頭ありませんので(^^;)
1999年05月20日:10時07分21秒
[TRPGと物語生成]補足:「ストーリー」はもんだいではない<今回は短い(笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#えー、何人かのかたから、ご質問とご批評をいただきました。
 
 「[TRPGと物語生成]「ストーリー」はもんだいではない(長文)」,当掲示板,カンナ記,99年05月19日:10時24分59秒、より
>よく言われることですが「小説の読者は作品を好きなところから、好きなように読んで構わない」ものなのです。
 
 正確には、「小説の読者は作品を好きなところから、好きなように読み進んでいって構わない」ですね。
 下線付け部が補足個所です。
 例えば、ある小説を、こちらのはしから読んで、1章読んだら、こんどは別のはしに飛んで、といった読みかたをしても構わないわけです。
 ただし、読者の読解行為は、小説の全テクストに渡ってのプロットの錯綜性を評価しなければ、不完全なものになるでしょぉ。
 その意味で「好きなように読んで構わない」は、「好き勝手に読解して、好き勝手な評価を下して構わない」とゆー意味とは直結しませんん。
 好勝手な読解をするのも、速射の好き好きではあるのですが、ある読解に説得力がなければ、その読解は評価は低いものと見なされるはず、との意味です。
 
 それから、「『ストーリー』はもんだいではない」の題名も、やや扇情的でありました。
 「TRPGの物語生成」の観点からしますと、セッションを通じての物語生成が完結した時点で、事後的に振り返ってストーリーを「読解」することは可能ですし、軽視されてよいはずがありません。
 3327さんが、「ドラマは、作るのではない、生まれるのだ!」と題された投稿(当掲示板,99年05月19日:13時01分48秒)を公開されていますが。まさに「『ストーリー』は作るのではない、生まれるのだ!」といったところです。
1999年05月20日:08時45分23秒
【勝利条件】ことばのいみ / でぶ猫
 わたしの書きこみで競技を競合といいかえた理由は、競技のほうの単に同じ勝利条件(目標)に対して成果を競うという語感をきらっただけです。競合のほうはおたがいの勝利条件が異なっていてもかまいません。それぞれが相互作用しながら各自の勝利条件を目指す感じに近いと思ったからです。
 徒競走と国際社会の外交ゲームの違いのようなものでしょうか。(外交ゲームの場合は、関係するすべての国が目標達成する可能性もあります)
(勝利とゆうことばにゃ語へいがあるなぁ、やっぱ)
1999年05月20日:08時07分22秒
[TRPGと競技性]補足:競技性と競合性 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ウォー・SLGやアクション・ゲームだってコンピュータ通信でできますので、「競技性」の面白さをウリにしても、新規ユーザーはそぉは増えないのではないか? って気がしてます。言うまでもなく、プレイ環境・時間のもんだいがネックになるだろぉって意見です。
>#それに対して、チャット・セッションなどは、技術の進歩と共にまだ将来性があるんではないかと思うわけです。
>#ハード技術の進歩だけでなく、チャット・セッションに適合性の高いTRPGシステムの開発なども為されるとよいと思います。
 
 競技性の高いゲームに比べて、言葉によるコミュニケーションの比重が高いゲームのほぉが、例えば、チャットセッションではじめてTRPGを知った人にも、「ライブで遊ぶともっとおもしろいよ」とアピールし易い(訴求力がある)と思う、って意見なわけです。
 競技性の高いゲームは、競技の結果にゲームが収斂されますから、大方の人から結果さえできるなら、自宅からアクセスできるシステムで充分、と言われると思うのですね。
 それに対して、言葉によるコミュニケーションがウリになっていれば(ゲーム性の処理はあっても)、比較して、ライブ(現状主流のセッション形態のことです)にも興味を持つ人少なくないと思うんです。
1999年05月20日:07時54分17秒
[TRPGと競技性]競技性と競合性 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@SHiNさんWrote(「TRPGにおける競技性」,当掲示板,99年05月19日:18時36分11秒)
>ところで、みなさんにもう一度質問させて欲しいんですが、  
>(でぶ猫さん)
>>RPGでは、全員が勝利することもあれば、全員が敗北することもあります。(勝利ってのは目標の達成であることを考えれば当然ですね)
>このでぶ猫さんの書いておられる意見が、いわば、最も一般的な意見じゃないかと思います。
>でも、私としては勝者と敗者がちゃんと存在した方がいいと思うんですよね。つまり、競技性があった方がいいって事です。
>(実は、最初に勝敗があった方がいいって書いたのも、私の心情的にはこういう意味あいが強かったんです。)
>その方がゲームとしては、より面白いものになる、なりやすいと思うんですが。
>その競技性ってのは、GMvsPLでもいいし、PLvsPLでもいいんですけどね。
>(まあ、それぞれ、うまくやるためのテクニックには違いがありますが、そういう話はまた別の機会に・・)
>みなさん、TRPGのゲーム性は否定されない方ばかりだと思いますが、競技性ということになるとどうでしょう?
 
 GMvsプレイヤーの競技性
 プレイヤーvsプレイヤーの競技性
 いま、話を整理する目的で、「競技性」が、競技の結果(優劣)が、個人の“勝利条件”に直結するものだと仮定してみます。
#アタシの仮定が、SHiNさんの真意と違っていたら構わないので訂正してやってください。
 「競合性」のほうは、競合の結果(優劣)が、個人の“勝利条件”に直結しないものだと仮定してみます。
 競合性のほうには、まず「セッション内に競技性が強いminiゲームが組み込まれたもの」があると思います。「モンメカ」とか「パラフリ」とかでよくありますよね。
 それから、プレイヤー間で競合があっても、シナリオ・クリアの条件はPC集団の協力で達成できるもの、も競合性の一種とみなせるかと思います。グッと、一般的な形式のシナリオに近づくかと思いますけど。
 
 教科書的な答えとしては、TRPGのジャンルの内に上記4種の競技性・競合性のあるゲームがあっても構わない、ってことになると思います。
 ただ、個人的な意見としては、「GMvsプレイヤーの競技性」、「プレイヤーvsプレイヤーの競技性」これらは、商品ジャンルとして、これからは消費者への訴求力が弱いのではないか? って気がします。
 ウォー・SLGやアクション・ゲームだってコンピュータ通信でできますので、「競技性」の面白さをウリにしても、新規ユーザーはそぉは増えないのではないか? って気がしてます。言うまでもなく、プレイ環境・時間のもんだいがネックになるだろぉって意見です。
#それに対して、チャット・セッションなどは、技術の進歩と共にまだ将来性があるんではないかと思うわけです。
#ハード技術の進歩だけでなく、チャット・セッションに適合性の高いTRPGシステムの開発なども為されるとよいと思います。
 
 実際は、ウォー・SLGだって、対戦するプレイヤーがライブに、卓を挟んでプレイすれば、ちょっとした表情などの言語以前のコミュニケーションや、言葉のやりとりで、通信対戦では味わえない面白さが味わえる、ってゆーのはわかりますが。「競技性」がウリになった段階で、プレイのライブ性に魅力を感じる新規の消費者は少ない気がします。
 なので、競技性のTRPGと競合性のTRPGを比較すると、競合性のあるもののほぉが、TRPG内サブジャンルとしては有望な気がします。
 
 ただ、アタシは個人的に、競技性の高いゲーム苦手ですので、うえの意見、意図せずにバイアスかかってるかもしれません。それはこの書込読んでくだすったかたに、判断していただくしかないのですが。
 
 TRPG.NETに来てはじめて書くんですけど、アタシも学生の頃、ボードSLG、友人に誘われてちょっとだけやったことあるんですよ。
 でもまー、アタマが数学的でないので、ちっとも上手にプレイできませんでした。んで、競技性が高いゲームだと、こっちが経ただと対戦相手の人が(性格によっては)不機嫌になったりするでしょ。アレが嫌で、競技的なゲーム、個人的趣味としては嫌いになりました。怒られながら遊びたくないやい、って感じです。
 
@3327さんWrote(「TRPGは数少ない全員協力型のゲームです」,当掲示板,99年05月19日:08時42分54秒)
>TRPGは、数少ない全員協力型のゲームです。
>他に何があるかといえば、すいか割りとかおたふくなどです。
 
 やっぱり、TRPGの特性である部分が伸ばされたゲームから優勢で増えていったほぉがよいとは思います。
 競技性の高いゲーム、TRPGのサブジャンルとしてあって構わないと思いますが。アタシはあまり積極的には期待できません。
1999年05月20日:01時42分54秒
RE:GMの勝利 / MAT.N
なるほど、イージーな障害しかださないGMが勝利者というのは確かに納得いかないかも。残されたデザイン・コンセプトの実現性あたりは良い線いく基準かもしれないとは思えまするが。
1999年05月19日:23時57分39秒
(プレイヤー間の)競技・・というより競合性は / でぶ猫
 これもゲームによりますね。パラノイアとウィッチクエストを一緒に考えてはいけません。
 
 ☆ところでストーリー重視、キャラクタ重視の視点で考察してみた短い論考をRPG日本に投稿したのだけど、なんか不調らしくてまだとーろくされとらんです(^^;
1999年05月19日:20時56分20秒
[TRPGと物語生成]「参考資料:ストーリー、物語生成に関連する諸概念」のご案内 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 何人かのかたから、アタシの[TRPGと物語生成]に関する投稿が、わかりづらいと批評していただきました。 いろいろ考えて「参考資料:ストーリー、物語に関する諸概念」を、簡易長文投稿からアップしました。
 「長文投稿ログ」の00000091.htmlからもたどれます。
#別のかたから、長いというクレームもいただいていますが、「TRPG総合研究室」は、「おおむね長文になりやすい論議についてあつかいます」とされてますのでこちらはパスさせていただきます。
 
 「参考資料:ストーリー、物語に関する諸概念」の内容は、『最新文学批評辞典』(川口喬一・岡本靖正、共編,研究社出版,Tokyo,1998.ISBN4-327-46134-2 C1598)から引用しました、「ストーリー/プロット(story/plot)」、「テクスト(text)」、「物語(narative)」の概念説明です。
 各項目の全文引用をしました。ただし、原文には、段落改行がありませんでしたので、Web上の見易さを考え、アタシ、鍼原神無が、個人の考えで適宜改行を加えたことをお断りしておきます。
 
 「TRPGは言語を用いたコミュニケーションの遊び」と言いますと、大方の人はうなずいてくださるものなのですが。個人的には、その割には、言語やコミュニケーションに関する考察は従来なおざりであるかのような印象を持っています。
 どぉか参考資料をご参照ください。
 
 なお、辞典類ではありませんので、今回引用はしませんが、読み易い参考図書も挙げておきます。
参考図書:
 土田知則・神郡悦子・伊藤直哉;共著,ワードマップ・シリーズ『現代文学理論テクスト・読み・世界』,新曜社,Tokyo,1996. ISBN4-7885-0579-7 C1090
 立川健二・山田広昭;共著,ワードマップ・シリーズ『現代言語論ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』,新曜社,Tokyo,1990. ISBN4-7885-0372-7 C1010
 
補論:「テキスト」の概念について
 「テクスト」の概念と「テキスト」の概念が異なることは間違いないのですが。テクストと比較してテキストの概念とは、日常的に理解されるテキストの概念です。
 文芸批評的に「テクスト」と対照されるのは、「作品」の概念です。
 言語論的には、あらゆる「テキスト」を「テクスト」として理解するというラディカルな立場もあり得るのですが、TRPGを論考するに際しては、さしあたりそこまでの議論は必要ない気がしています。
1999年05月19日:18時36分11秒
TRPGにおける競技性 / SHiN
 >表現の公正な評価ですが、十分に公正であることは、可能な気がしますが。セッションの後で、GMさんに対して不満を感じないとゆーのは、十分に公正に評価されたことと思っています。
 
 はりはらさん、どうも。
 おっしゃる事はよくわかるのですが、少なくとも、自分の経験では公正な評価が難しいと感じています。
 その理由は、表現というものに関しては個人の能力差が大きく、それを公正に評価するという事はGMにとってつらい場合が少なくないって事です。
 
 PL同士での評価という事を考えても、この掲示板とかでも他のプレイヤーに対する不満などが書き込まれることありますよね。
 そういうケースで客観的評価が出来るかどうか、私には疑問です。
 ただ、それらの問題点は、プレイヤー側の「評価して欲しい」という欲求を無視出来るほど大きいものではないとも考えています。
 だから、私としてはそこらへんを採点するかどうかは、プレイヤー達の総意にまかせることになるでしょう。
 
 この表現に対しての評価を行うかどうかって問題は、私にとってはカラオケに行った時、採点機能をオンにするかどうか・・ぐらいの感覚ですね。
 
 
 ところで、みなさんにもう一度質問させて欲しいんですが、
 
 (でぶ猫さん)
 >RPGでは、全員が勝利することもあれば、全員が敗北することもあります。(勝利ってのは目標の達成であることを考えれば当然ですね)
 
 このでぶ猫さんの書いておられる意見が、いわば、最も一般的な意見じゃないかと思います。
 でも、私としては勝者と敗者がちゃんと存在した方がいいと思うんですよね。つまり、競技性があった方がいいって事です。
 (実は、最初に勝敗があった方がいいって書いたのも、私の心情的にはこういう意味あいが強かったんです。)
 
 その方がゲームとしては、より面白いものになる、なりやすいと思うんですが。
 
 その競技性ってのは、GMvsPLでもいいし、PLvsPLでもいいんですけどね。
 (まあ、それぞれ、うまくやるためのテクニックには違いがありますが、そういう話はまた別の機会に・・)
 
 みなさん、TRPGのゲーム性は否定されない方ばかりだと思いますが、競技性ということになるとどうでしょう?
 
 ご意見いただけますと幸いです。
  
 #おのずと、TRPGには競技性が存在する・・て類の意見は出来れば今回はナシでお願いします。GMやPLが、競技性を意識し、そこに注力するかいなかって基準でお願いしたいです。
1999年05月19日:13時01分48秒
ドラマは、作るのではない、生まれるのだ! / 3327
題名以上の事はないです。
個人的に言えば、シロウト3文芝居は見たくも参加したくもありません。
長島監督ほどの希有な天才ならば 「メーク・ドラマ」 とか言えるんでしょうけどね。

シロウトがやっている事でも、それが真剣に取り組まれたゲームであるならば、その結果としてプロの演技者が作るよりもすばらしいドラマが生まれる事は否定しません。

願わくば、テーブルトーカーも真剣にゲームに取り組んで欲しいものです。
1999年05月19日:10時24分59秒
[TRPGと物語生成]「ストーリー」はもんだいではない(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かみなし〕
 「“意志決定”論的ゲーム論」で、「TRPGはストーリーではない」ということがよく言われます。
 そして、その命題が論理展開される形で、「セッションに物語性を求める、マスタリング・プレイング」が批判されることがあります。もしくは、もったいぶった口調で「つけたし程度に楽しむ分にはよいよ」と。
 これは“意志決定”論的ゲーム論者すべてに共通した意見ではないのですが。しかし、こうした意見は「ストーリー」に関する無知・無理解を露呈してしまうバカバカしい意見と思われます。
 
 「TRPGはストーリーではない」という、命題の例証としてよくひきあいに出される、「コスティキャンのゲーム論」を見てみたいと思います。
 
 文字どおり、「『ゲーム』は,ストーリーではない」と銘打たれたパラグラフがあります。
 「コスティキャンのゲーム論」は内容的には、プロのゲーム・デザイナーが書いた「ゲームのデザイン論」です。
 ですので「『ゲーム』は,ストーリーではない」も「『ゲーム』デザインは,ストーリー執筆とは違う作業」、ないしは「『ゲーム』システムは,ストーリーとは違う構成態」と読むべきですし、実際もんだいのパラグラフの内容も、概ねそのように読めます。
 
 ところで「『TRPG』で物語を楽しむのは非本質的でありつけたし程度に楽しむのが正しい」ですが、これを
「『ゲーム・ブック』で物語を楽しむのは非本質的でありつけたし程度に楽しむのが正しい」とか、「『アドベンチャー・ゲーム・ソフト』で物語を楽しむのは非本質的でありつけたし程度に楽しむのが正しい」とかと比較してみたらどうでしょうか?
 中には、「ゲーム・ブック」や「アドベンチャー・ゲーム・ソフト」を“意志決定”最重視でプレイし、物語生成の楽しさを省みない人もいるとは思います。
 しかし、「アドベンチャー・ゲーム・ソフト」や「ゲーム・ブック」に関しては主張としては、説得力が弱く聞こえる気がします。
 
 何がもんだいなのでしょうか?
 もんだいの根本は、「『ゲーム』は,ストーリーではない」のテキスト、少なくとも良く知られた日本語訳のテキストで見る限り、「テクスト」と「ストーリー」と「プロット」とが恣意的な混同を伴って用いられているところにあります。
#より正確にいえば、概念の恣意的な混同が認められるのは「ストーリー」と「プロット」なのですが、その混同を明白にするには「テクスト」の概念を導入するとわかり易い、という話です。
#以下をきちんとお読みいただけばご理解いただけるはずですが、念のためにお断りしておくと、「テキスト」の概念と「テクスト」の概念は異なります。「テキスト」は原則的に線状的な形態を目指すと考えられますが、「テクスト」はあらかじめ錯綜した織りかたをされた構成態です。
 
#日本語訳テキストから引用します 
>あるいは,こう言うことも出来る。ストーリーはまさに直線的であるが故に,人を感動させる力を持つ。
>作者は,きちんと効果を計算した上で,そのストーリーを語るのに最適な登場人物を作り出し,イベントを起こし,決断を下させ,結末を用意する。
>だからこそ,出来上がったストーリーは可能な限り最も感動的なものになる。
>もし,登場人物が作者の予定と違う行動をとったとすれば,きっと出来上がるストーリーは,予定よりつまらないものになるだろう。
 〔引用以上〕
 
 すでにうえの部分で、「ストーリーの線状性」と、「テクストの見かけの線状性」が混同されています。
 確かに、テクストの織り手(≒作者)は、効果を計算したうえで、登場人物、イベント、結末などを用意します。
 しかし、より重要な作業として、テクストの織り手(≒作者)は、「プロット」を編みます。
 テクストの受け手(≒読者)に与える効果を計算して、エピソードの時間的前後関係を入れ替える、あるエピソードはとりあえずテクストの表層から隠蔽する、あるエピソードを作中人物による言及という形式で別のエピソードの内に織り込む、といった作業をします。
 
 「ストーリーはまさに直線的であるが故に,人を感動させる力を持つ」この部分は、少なくとも二通りの読解が可能です。
1.見た目の線状性を持つテクストではあるが、実はそのプロット〔テクストの織りかた〕は錯綜している。テクストの受け手(≒読者)のおこなう読解行為とは、錯綜したプロットをテクストの線状性とは編み方の異なる、ストーリーに編みかえる。編みかえられた、ストーリーもまた線状性を持つ物だが、プロットの編み方が見事で、読解行為にやりがいがあれば、それは人を感動させる
 
2.テクストは線状性をもっているので、たんじゅんにその線状性が人を感動させる。
 
 1.の読解は、「テクスト」、「プロット」、「ストーリー」といった、文芸批評や言語論で良くられた概念を妥当に適用した読解です。それに対して、2.の読解は「テクスト」と「ストーリー」と「プロット」とが曖昧に混同されたままの読解です。
 
 ところで、1.の読解は、日本語訳版後段の、ある部分との間で齟齬をきたします
 
#日本語訳テキストから引用します 
>ハイパーテキストの作者だって,伝統的な作家と同じく実存的苦悩といったテーマを表現しようとしたりするわけだが,伝統的な作家と違うのは,それを複数の視点でとらえたり,プロットをあちこちに飛ばしたり,全体的な流れを読者に決めさせたりすることである。
 
 ここで「プロット」の概念が導入されていることは注目されるべきです。
 「『ゲーム』は,ストーリーではない」では、ハイパーテキストの作者にはプロット構成をすることを認めれれているのですが、伝統的テクストの編み手(≒作者)が編むプロットは無視されています。
 もし、先の部分で1.の読解が成り立つなら、この部分との間での論旨展開は公正なものとは言えません。
 また、先の部分で、2.の読解をしてもやはり、なぜ、“ストーリー”と呼ばれている「小説」や「映画」の類のプロットの錯綜性が無視されているのに、「ハイパーテキスト」のプロットだけが重視されているのかわかりません。
 
 なぜこうした論旨の破綻が生じているか、の可能性を推測してみると四系統の可能性が考えられます。
A.筆者は「プロット」に関する通説的な概念を知らないか、なんらかの理由で物凄く特殊な概念規定をしていながらそのことを説明していない。
B.筆者はある自分の論旨に都合のよい意図をもって、恣意的に、自分の都合のよいところと、都合の悪いところで、「ストーリー」概念と、「プロット」概念を適宜混同して論じている。もしくはおっちょこちょいで混同している。
C.筆者は単に無知・無教養で、複雑なプロットを読み解く小説作品の類を呼んだことが無い。または、そうした類のテクストを見ても、プロットの錯綜性などに気づくほど繊細ではない。
D.筆者は、伝統的テクストに見られるプロットの錯綜性より、ハイパーテキストのプロットの錯綜性が優れていると暗に主張している。
 
 まーどの系統の可能性が妥当かは断定しがたいのですが、好意的にD.であると解釈してみましょう。筆者の主張するところの、「ハイパーテキスト」にあって「伝統的なテクスト類」に無い物は、一般にインタラクティブといわれる双方向の操作性と思われます。
 この意見は真でしょうか? 残念ながら真ではありません。

 よく言われることですが「小説の読者は作品を好きなところから、好きなように読んで構わない」ものなのです。
 また、ある文学性を持ったテクストを、子供のとき、学生のとき、カイシャ勤めをはじめて、恋人ができたとき、折々によんで、理解された内容が全然違ったものだった、とゆー経験がある人も少なくないと思います。
 「伝統的なテクスト類」はメディアのジャンルとしては「インタラクティブ」なメディアには分類されませんが、その機能としては、充分インタラクティブであり得るのです。受け手(≒読者)がテクストの読解行為に能動的であるならば、ですが。
#ひとこと、補足しておくと、事実に関する言明を明確にしてゆくジャーナル文、論理を確実に展開していく論文の類は、必要性から線状性を求めますので、テクストではなくテキストです。インタラクティブな機能を持つのはプロットがある効果を伴った錯綜性を持つテクストの特性です。

 結果として、「『ゲーム』は,ストーリーではない」の最終部分の言明は、誤解まみれけのナンセンスなものになっています。
 
#日本語訳テキストから引用します 
>ともあれ,もしハイパーテキスト小説が文学的な高みに達したら(もっとも私が読んだ限りでは,そういうレベルの作品は全く無かったけど),それは新しい物語叙述手法,もはや「ストーリー」と呼ぶことは出来ない何か別のものを生み出すに違いない。
 〔引用以上〕

 ここでも、「ストーリー」が物語り叙述手法であるかのような俗説が展開されています。
 俗説が展開されるのは構わないのですが、俗説のみにもとづいて、ナンセンスな意見が、さももっともらしく主張されている点はもんだいと思います。
 この最終部分を傍証にすると、「ストーリー」、「プロット」、「テクスト」の混同理由に関する可能性は、C.が第一候補で、B.が第二候補かもしれないとゆー推測も出てくるでしょう。
 
 もしかしたら、「コスティキャンはゲーム・デザイナーなんだから、文芸批評的な通説なんかしらなくったて、当然」、的な「意見がでるかもしれませんが、アタシはそうは思いません。
 例えば、ゲームのことに詳しくない教育評論家がTVとかに出てトンチンカンなことをさも正しげに唱えても、ゲームファンはそんなばかばかしい意見は無視すると思います。同じことと思うんですね。
 
 アタシも、「『ゲーム』は,ストーリーではない」で、「伝統的作家」がどーこー、とか「文学的高み」がどーこー、とかもっともらしー間違いが言われてなければ、ここまで指摘する必要もないかって気もしますが。
 とゆーのは、最初にお断りしたよーに、「コスティキャンのゲーム論」は「ゲームのデザイン論」ですので「『ゲーム』は,ストーリーではない」も「『ゲーム』デザインは,ストーリー執筆とは違う作業」、または「『ゲーム』システムは,ストーリーとは違う構成態」といった限りの意味では正しい命題なんです。
 
 ここに、論証部分の論旨は不公正極まりなく多大な誤りを含んでいるのに、結論的命題は正しい、とゆー希有な論考文(部分ですけど、論証と命題をそなえていますので「論考文」の資格はあります)が誕生することになりました。もちろんこの正さも、見かけのものであり、実はある限定された領域を対象にしてのみ、真なのです。
 
 「ストーリーは線状性を持つ(一本道)だ」などとゆー指摘は、定義を反復しているだけど、ほとんど無意味です。
 「ストーリーは線状的だが、ゲームは線状的ではない」となるともー命題としてダメダメです。ここでは、相互に比較する対照の不適当な部分が比較されていますので。
 「ゲームの構成が線状的ではない」ことはTRPGシナリオなどを考えればよくわかることなのですが、「テクストも線状的に見えるのはうわべのことにすぎないからです。
 最初に述べましたが「『ゲーム』は,ストーリーではない」も「『ゲーム』デザインは,ストーリー執筆とは違う作業」、ないしは「『ゲーム』システムは,ストーリーとは違う構成態」と限定されて読まれるべきなのです。
  
 「TRPGはストーリーではない」の命題は真であり得ると思いますが、それが真であり得る領域をきちんと限定して論じられるべきで、むやみに対象領域が拡張適用されるべきではないと思います。少なくともまともな論考文では。
 また、「セッションに物語性を求める、マスタリング・プレイングについて、それは『ゲーム』の本質ではないのでつけたし程度に楽しむ分にはよい」ですが、この命題が主張される場合は、その論理構成は厳密に検討されるべきかと思います。
 「ストーリー」とは物語る行為の結果物語られた(TRPGの場合生成された)「物語」を、事後的に読解した構成物にすぎないからです。
 TRPGのセッションでは「ストーリー」などあまりもんだいではない、共同で物語りを語る物語行為(共同物語行為)と、プロットの生成(偶然ד意志決定”)がもんだいだからです。
 
 「セッションに物語性を求める、マスタリング・プレイングについて、それは『ゲーム』の本質ではないのでつけたし程度に楽しむ分にはよい」の命題は正しいのかもしれないし、間違ってるのかもしれない。
 しかし、従来のように、「スト−リー」、「プロット」、「テクスト」、「物語(物語生成)」などの重要概念が混同されたままでの論証では納得しがたいものがあると思います。
1999年05月19日:10時16分16秒
[TRPGの勝ち負け]トーナメント / あずま

ども、あずまです。

アメリカのGen.Con.などでは、RPGAという団体がトーナメントをやってますね。
日本には、AD&Dのシナリオなどでトーナメントシナリオが紹介されています。
もしも、勝ち負けとか競技性を求めるなら、これらが参考になるのではないでしょうか。


1999年05月19日:08時42分54秒
TRPGは数少ない全員協力型のゲームです / 3327
TRPGは、数少ない全員協力型のゲームです。
他に何があるかといえば、すいか割りとかおたふくなどです。
野球などは、協力はしていますが結局は相手チームがいるので競技です。
純粋な全員協力型のゲームは、少ないですよね。
下記で河嶋さんが言ってるのは、すいかは割って食べたいみたいな事でしょう、きっと。

おいしく楽しくすいかを食べる為のすいか割りですから、楽しめればすいかは割れなくても構わないといえますが、やはり割れたほうがより良いですよね。
割れなくていいと 「最初から」 思ってるんなら、すいか割りした意味が薄いですよね。

テーブルトークでも、楽しめれば目的を果たせなくてもいいと 「最初から」 思ってるんならなら、テーブルトークした意味が薄いですよね。

その日のゲームの意味を自分から薄くする必要はないですよね。ゲームの目的、持ってますか?
1999年05月19日:08時01分54秒
Re:俺より強い奴に会いに行く! / でぶ猫
 ゲームでは、勝利すれば、必ず敗北者がでるというわけではありません。(たいていのゲームは競技型なんでそうなってるんですが)
 RPGでは、全員が勝利することもあれば、全員が敗北することもあります。(勝利ってのは目標の達成であることを考えれば当然ですね)
1999年05月19日:07時38分38秒
Re:GMの勝利 / でぶ猫
 問題わですな、プレイヤーに勝利を与えれば・・・だと、一つにシナリオの難易度さげれば目標の一つが達成できてしまうんですな。難しいのがゲームコンセプトの実現だけになってしまふ。ある程度の試練を与えざるをえないものでなきゃいかんわけです。そこんとこが難しいかと。
1999年05月19日:05時09分57秒
俺より強い奴に会いに行く! / ぴゅうた
にゅう、ぴゅうたです。
  勝ち負けについてです。
  さて、いきなり皆さんに質問です。
  
  勝ち負けって誰(何)に対してのものなのでしょう?
  
  わたしゃ、自分自身に対してなんですが。
  さらなる高みに達した、ロールプレイング・ゲームが出来るように。
  つまり、ロールプレイという見地から見ても、ゲームという見地から見ても、自分が成長して見えた。
  これこそが私の勝利、さらなる勝負の出発点であります。

  ご意見お待ちしてます。
1999年05月19日:02時09分53秒
Re:手短にいきますよ / くう
>ぴゅうたさん
>ぬう、NOVAはいまいちメジャーじゃないのかな?NOVAの経験値チェックのときの評価というものは、完全に他薦にまかされています。つまり、GM(NOVAじゃ、ルーラー)やPLというのは関係なく、自分以外の人間が全員で評価を下します。
すみません。サイバーパンクなTRPGはプレイしたことがないので、NOVAもルールは知らないんです。でも、なるべく公正な評価が行われるように配慮されているシステムは既に存在してるんですね。
鍼原さん、でぶ猫さんの発言も同様の事例ですね。
#うーむ。もうちょっといろんなルールを知っておかないとダメかもしれない>私

ところで、TRPGの勝ち負けという話題からは少し離れますが、勝ち負けの判定を公正化するルールはいくつかのシステムで試みられているようですが、では、セッションの最中にGMが行う主観的な評価を公正化するシステムって存在しているんでしょうか。

例えば、プレイヤーの行動宣言に対するロールの難易度設定とか、シナリオにあらかじめ用意されていない行動をとられたときにアドリブで対応した場合の適正さとかを公正にするシステム。
そこまでやると、ゲームが進まなくなっちゃうかな。

1999年05月19日:01時38分29秒
割と一般的な判定基準(勝利条件)は…? / YAN

 河嶋さん、ども、おひさしぶりです〜。
 
> 判定基準ていうのは、やっぱ、ゲームごとに違うんじゃないでしょうか。
 
 うっ。
 いや、実は私も、先の書き込みの最後で、
 「点数の付け方は、国語とか算数とか、各教科でも違いますよね」
 …って書いてたんですが、これはちょっと話が進めにくいかなー、と思って消したのでした。
 
# 各ゲームのコンセプトに応じた”判定基準”について語る…
# のも面白いと思うけど、けっこー各論になっちゃいますしねー。
 
 だから、まずは、どのゲームでもだいたい共通して使える基準について話してみたら面白いかなー、と思いました。
 
 少なくともシナリオ作りの参考にはなるだろうし、プレイヤーは「今日のプレイでは〜を目的にしよう」って場合の参考になると思います〜。
1999年05月19日:00時44分58秒
GMの勝利 / MAT.N
プレイヤーが十分な勝利をおさめたら、そのシナリオを設計したGMの勝利つーのはどないでしょ。ただ、これだとプレイヤー次第で勝利が左右されるんですが、まあ「相手をみてナンボの勝負」でもありますし。
1999年05月18日:22時19分32秒
馬場講座では / でぶ猫
 プレイヤーのめざすべき目標を多層構造としてとらえ「全部の」達成をめざせとあります。すなわち完全勝利をめざそーとゆうことですね。
 さすがに慧眼ですなー。この話題(勝利条件)がふっとーする前からちゃんと勝利条件について結論がでとんのですから、しかも簡潔に・・・
 
 ところで、そろそろ切り出そうと思ってたんですが、これって「プレイヤー」の勝利条件です。では「マスター」の勝利条件とはなんでしょう? それを規定してみようと試みたRPGもあります(トレイダースとか)。しかし、この問題はえれーむずかしいもんで、明快な解答ゆうのはおめにかかったことがありません。
(わしの、「マスターの勝利条件はその心に輝くおてんとさんがしっている」ってのじゃあ、なっとくされないだけならともかく、勝手ななっとくされちゃいそうで・・・(^^; )
1999年05月18日:22時03分21秒
Re:じゃあ、判定基準を色々考えたらいいのかな?>アナログ化 / 河嶋陶一朗
 >じゃあ、TRPGでプレイを評価するとしたら、どんな基準で、どこに、どの位の点数をつけたら、もっと楽しくなるかなぁ…?
 
 YANさんのおっしゃられたこの疑問に関して雑感です。
 個人としての意見やゲームデザイナーとしての意見は様々ございますが。
 プレイを評価する統一的な基準はないように感じます。
 どっかの繰り返しになりますが。
 判定基準ていうのは、やっぱ、ゲームごとに違うんじゃないでしょうか。
 
 たとえば、「サタスペ」というゲームなら
 醜くともいかに生き延びることに執着するか、という点がゲームをより楽しくしたりしますし、
 「深淵」なら
 いかに美しく儚い物語を紡ぐことが楽しくすることにつながるような気もします。
 
 しかし、それすらも遊ぶメンバーの嗜好によっては、尊重されるとは限りません。
 ともすれば、もしかするとその卓についたメンバーの嗜好こそが、唯一統一的な判定基準なのかもしれません。
 
 ただ、そのゲームコンセプトやルールに反してゲームが楽しくなった時、河嶋は
 「勝負には勝ったが、試合には負けたな」
 とゆーよーな虚しさに襲われます。
 勝負にも試合にも両方負けるのは愚の骨頂ですが。
 できれば両方勝ちたいなぁ、と思うのは傲慢なのでしょうか。
1999年05月18日:21時23分51秒
じゃあ、判定基準を色々考えたらいいのかな?>アナログ化 / YAN
 
 うーん、直前の右京さんの意見を参考にすると、例えば「70点」という点数は、「どの問題にどれだけ正解したか」で決まるわけですよね。
 
 たとえば5点の問題が20問あって、そのうち14問とか。
 
 あるいは、重要な問題は点数が高くて、簡単な問題は点数が低いとか。
 
 その問題の内容も、答えの決まりきった計算問題とか、「感想を述べよ」といったファジーなものとか、色々ありますよね。
 
 じゃあ、TRPGでプレイを評価するとしたら、どんな基準で、どこに、どの位の点数をつけたら、もっと楽しくなるかなぁ…?
1999年05月18日:21時14分51秒
[TRPGと物語生成]物語の深層について / 鍼原神無〔hりはら・かんな〕
 前の書込は、いかにもはしょった感じもするのと思って、アタシが言う「物語の深層」について、TRPGに即した形で、簡単に説明したく思います。
 ゲーム・ブック、またはアドヴェンチャー・ゲーム・ソフトのプレイを考えてみてください。
 
 要所要所での選択によって、プロットが異なる物語が生成されていきます。
 プレイが終了したとき、ある物語の生成が終了しているはずです。
 このプレイ体験を事後的に想起したとき、普通は「どこで、そんな選択をしたことによって、どんなプロットが展開されたか」が意識の前面に強く想起されると思います。
 ところで、このときに、できのよいゲーム・ブック、またはアドヴェンチャー・ゲーム・ソフトの物語生成を吟味していくと、PCがある局面で、「何を選択したか」、と同時に「何を選択しなかったか」とされるかが重要な要素といて想起されると思います。
 もし、「ゲーム・ブック」の類が、芸術の一種であり得るとしたら、この「『何を選択したか』、と同時に『何を選択しなかったか』」を手がかりに、解釈される架空のキャラクターのにんげん性のイメージは、大変重要なポイントとなると思われます。
 ある人物が、「何を選択しないで」その代わりに「何を選択したか」を考えていことで、その人のにんげん性を評価すえることは、実生活でも経験されますよね。
 
 アタシが言う、「物語の深層」とは、とりあえず、あらゆる人物の、あらゆる選択の局面での、「『何を選択しないで』その代わりに『何を選択したか』」といった選択を総合的に評価していくるときに感じられる、物語の深層のことです。ですので「『物語の深層』とは、シナリオ的に可能なセッション展開のバリエーションのひとつであると同時に、“意志決定”の過程も含まれた総体的評価」との説明も出てきます。
#ここで、「総体」というアイディアを補足しておきますと、これは“ensemble〔アンサンブル〕”の訳語としてよく使われる単語です。「部分のたんじゅんな総計ではない特性が全体には表れる、その特性に注目した全体を総体という」といった含みでして。アンサンブルは、ファッションの分野や、音楽でも使われますし、「総体」も『広辞苑』の第4版などにも収録されている用語法です。
 
 ついでに、「ストーリー」と、「プロット」の相違について、「物語の深層」と関連付けて、説明しておきます。
 簡単な辞書類を見ると、「ストーリー」には「話」、とか「物語」、「プロット」には「筋」、「筋立て」といった意味が例示されていると思います。
 文芸批評の古典説としては、「ストーリー」は、「物語」や「小説」の要素にすぎない、とされるのますが、日常語の用法は、曖昧ですし曖昧で構わないと思われます。
 しかし、論考文で使われるときは、もうちょっと厳密に用語法が考えられたほうがよいと思います。
 とりあえず古典的な説明とも言われる、イギリスの作家・評論家、E.M.フォースター〔1879〜1970〕の説明を要約的に部分引用します。
 フォースターによれば、、
 「王様が死んだ、そして女王様が死んだ」がストーリー。
 「王様が死んだ。そして悲しみのあまり女王様が死んだ」がプロット。
 さらに「女王様が死んだ。理由は誰にもわからなかった。やがて試飲は王様の死を哀しんだためであることかった」は、「謎を含んだプロット」であり「ストーリーとは遠く離れたもの」とされています。
 
 ただし、基本的に19世紀末に人格形成をおこなったフォースターの思想は、今から見るとやや古風な面が目立ちます。
 現在の文芸批評での、「ストーリー」概念の最大公約数的内容は、あるテクスト内で意味された事象が、順序、経過時間などを手がかりとして、読解とともに再構成された結果である、一連の事象の連なり、でしょうか。
 それに対して「プロット」概念の最大公約数的内容は、テクスト内で個別の事象を意味する部分が、テクスト上、特定の順序に編成されている、その編成形式のこと、と言えるでしょうか。
 
 やや不正確になりますが、イメージし易い例を挙げるなら、ある推理小説の末尾で、名探偵が解き明かす事件の真相は多くの場合「ストーリー」に、ごく近く、なぞ解きのおもしろみ、やサスペンスなどの効果や狙いを持って、事象の欠落や、隠蔽が為されたテクストの編成が、「プロット」になります。
 そして、読者が、プロットとストーリーに、作中人物の言動の動機の解釈など、にんげん性の評価なども加えた内容が、アタシのいう「物語の深層」にあたると思います。この場合、「プロット」は「物語の深層」に対して「物語の表層」または「テクストの見た目」の位置になります。
 
 TRPGっておもしろくって。アタシのオフの知人に「オレって善い人のPCしかプレイできないんだよね」ってゆーのが口癖の人がいます。で、おもしろいと思うのは、その人と一緒にセッションやってると、「あー、カレ(プレイヤー)は、こーゆーことをする人(PC)を“善い人”って考えてるのね」ってのがわかったりすることがあります。日常的なコミュニケーションではなかなかわかりにくいことまで、パッとわかって、すごく興味深い〔おもしろい〕経験です。
 ちょっと突飛な例かもしれませんけど、アタシは、こーゆーのも「TRPGで生成される物語の深層」に含めてもよいかな、って思ってます。小説とか読んでて、「あー、この作者、ここでこーゆー効果狙ってるよね」と確信されることありますでしょ。深層はどーであれ、読者は作品テクストの評価に、そーした確信も含めます。ですから、「読者が確信する作者の意図」も物語の深層に、一応含めてよいと思います。ある読者が主張する「物語の深層」が丁寧に読まれて、よく考えらえられた「深層」になっているか、どの程度のものかは、次のステップの話になるわけです。
#もーひとつのもんだいは、テクストの概念と、作者の概念は相性がよくないって辺りなんですけど。とりあえず、それはまた別の論点にしておきたいと思います。
 
参考図書≫E.M.フォースター:著、『新訳 小説とは何か』,ダヴィッド社,Tokyo,1969.ISBN4-8048-0131-6 C0098
1999年05月18日:21時10分05秒
[TRPGと物語生成]PCの安易な死もんだいと対処の可能性(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿は、「キャラクターの生死」(「シナリオ雑談所」,右京さん記,99年05月17日:19時41分03秒)へのResです。
#詳細は本文に書きますが、ある意図があって、再び「TRPG総合研究室」に持ってきました。
#判断は読者のかたにお任せしますが、アタシとしては[TRPGと物語生成]と、[TRPGの勝ち負け]はとりあえず、別系統の話題としておいたほぉがよいかと思います。
#「去年の総研」みたいな、議論の迷走に歯止をかけれるこもしれません(←“歯止”とかゆーあたりが、もはや、負けてるかもしれないけど:苦笑)。
 
@右京さんWrote
>前の書き込みでキャラが死んだら負けだ。
>っていうような極端な意見を書きました。
>確かに、自分でも少し行き過ぎかなとは思いますが、あえてそう書いたのは、どうも最近、死を軽く考えてる人が多いんじゃないか?と、感じたからです。
>コンベンション等の経験でかっこいい死に場を求めたり、明らかに負けそうな戦いに正面から突っ込んでいったり、それがもし、自分だったら本当にそうするのか?って言いたくなりました。
 
 なるほど。
 それで、TRPGのゲームとしての要素に重点をおいた対処法を提案、ないしは考えてられるのですね。
 よくわかります。
 アタシも右京さんの指摘されるもんだいは、ままある見受けるもんだいかと思います。
 ただアタシの考えとしましては、このもんだいに対する対処法としては、−−少なくとも対処法の検討としては、「ゲームとしての要素」に重点を置くものと別に、「物語生成の要素」に重点をおく方法もあり、両方考えられて良いと思います。
 
 ここで、お断りしておいたほぉがよいのは、アタシの場合「物語生成」での「物語」は、厳密には「物語の深層」を含みとして意図していて、「意志決定最重視のTRPG論」でよく言われる、「一本道のストーリー」とは別概念だということです。 それと「生成」についてですが、一般に「おのずから成る」といった含みで用いられることが多い点にも注意していただきたいです。
 日本語として「物語が生成される」、「物語が生成する」は、一応どちらも「物語」が主語の文として成り立つと思います。実は、後者にやや奇妙な感じがするはずなのですが、その点に気づかれたかたは日本語の言語センスのあるかたと思います。
 しかし「私は、物語を作成させる」と、「私は、物語を生成する」を比較すると、後者の文としてのおかしさは顕著になります。
 これが、「私が、物語を生成させる」とか、「TRPGではプレイヤーが、物語を生成させる」となると文としてのおかしさは随分薄れてしまします。
 最後の場合、「TRPGではプレイヤーが〔システム、世界設定、シナリオなどから〕、物語を生成させる」、と〔 〕の個所にに物語生成の原基が隠されていると考えられ、「プレイヤー『が』」の、「が」は、たんじゅんな主語に接辞される「は」の類とは違って、強調を意味する「が」、であると考えられます。
 ですので、「TRPGではプレイヤーが、システム、世界設定、シナリオなどから物語を生成させる」の文は、「TRPGではシステム、世界設定、シナリオなどから物語が生成されるのだけど、その生成にはプレイヤーの関与が重要」といった意味合いと、ほぼ同様な意味合いを、暗に意味しています。、
 
 言い換えますと、アタシが言います「物語生成」とは、「TRPGのセッションでは、誰かひとりのメンバーの、または全員の明瞭な目論見(事前合意)の通りにではなく、偶然や、インタラクション〔相互作用〕や、“意志決定”の要素を含んで、予めの目論見外の物語の深層が、おのずから成るかのように生成される。そして、この場合の「物語の深層」とは、「一本道のストーリー」とは性格が異なる」ということになります。
 なお補足すると、「一本道のストーリー」を基準に、アタシがいう「物語の深層」を説明すると、シナリオ的に可能なセッション展開のバリエーションのひとつであると同時に、“意志決定”の経過も含まれた総体的評価、となります。
 文芸批評的な用語説明では、「ストーリー」は「物語の深層」が要約されたものにすぎない、とも言えます。ですので、「ストーリー」が一本道であることは、はじめからあきらかなのですが。「物語の深層」が「一本道ストーリー」とも「プロット」とも違うことは大変重要な論点になります。
#世間一般の通念的には、「ストーリー」と「プロット」の差違など、やや曖昧かとも思われますが、映画評論、TV評論でなどで知られてないわけでもないと思いますので、特殊な思考法、とも言えないのではないかなー(?)。
#特に強調したいのは、「物語生成」と「物語再現」はまったく違うアイディアであるはず、ということです。
#「物語再現」というのは、単語を文字どうりに意味をとって、厳密につめて考えるとおかしな考えである、とも言えます。
 
 前説が長かったです。「物語生成」を重視してくと、なぜ、「PCの死を軽く考えるプレイ」に対処できるのか、−−もしくはできるかもしれないのか? これに関しては、以前アタシが公開しました、「キャラクタープレイとキャラクターの実在感〔アクチュアリティ〕」をご残照いただけると幸いです。
 アタシが可能性を考えている、安直なPCの死もんだいへの対処法を、簡単に素描しておくと、TRPGの世界設定/社会関係の設定/PCの設定/パーソナルなにんげん関係の設定の、インタラクション〔相互作用〕を、“意志決定”と兼ねあわせて重視していけば、あまりに安直な「PCの死の選択は、「不自然なもの」として低い評価が与えられる、−−のではないか(?)といった方向の対処法です。
 
 まー、理論的うらづけをちゃんとしたいなー、とか大それたことを考えますと、どーしてもメンドーな言いまわしになっちゃうので恐縮なのですが。
 うんと大雑把にゆっちゃえば、「PCの安直な死の選択は、システムのコンセプトと、シナリオのテーマと、生成される物語の実在感〔アクチュアリティ〕から考えると、不自然なことが多くって、その場合の評価は低くて当然」ってことです。
 より精密に言えば、「システム・コンセプト、シナリオ・テーマ、生成される物語の実在感〔アクチュアリティ〕」から判断して、不自然な感じがするキャラの言動は(死の選択とは限らないし、PCに限らず、NPCの言動でも)、考えの足りない安直なキャラ・ハンドリングなのだ、と言ってもよいかと思います。
 
 とゆーわけで、「シナリオの話」とは別側面の話題として、とりあえず「TRPG総合研究室」に再度持ってきました。
 
補足≫本文中で言及しています、「キャラクタープレイとキャラクターの実在感〔アクチュアリティ〕」で言っている「キャラクタープレイ」とは、、「“意志決定”最重視のTRPG論」でいわれるキャラクタープレイより広義”のとの含みで「広義のキャラクタープレイ」といわれるべきものかもしれません。
 アタシがいう「(広義)のキャラクタープレイ」の観点からは、「“意志決定”最重視のTRPG論」で否定的に言及される「(狭義)のキャラクタープレイ」は、「演技最重視のキャラクタープレイ」、ないしは「なりきりオンリーのキャラクタープレイ」ということになるかと思います。
 また、「“意志決定”最重視のTRPG論」では、「(狭義の)キャラクタープレイ」とは別物とされる「ロールプレイ」は「役割演技」とも祝えているようですが。アタシなりの「物語生成重視」の観点からしますと、それは「役割分担」と言われるほうが相応しいのではないか? と強く疑われます。
1999年05月18日:20時53分04秒
RE:デジタルとアナログ / 右京
>鍼原神無さんへ、もう少し長く説明します。

>アナログとデジタルの違いなんですが、
>今回のプレイは合格/不合格
>今回のプレイは70点

この例で合格基準を60点とします。そうすると今回のプレイは合格というデジタルな結論が出ます。でも、その結論の前に70点というアナログな結果があるからそうなったわけです。
一方、70点という点数はどうやって出したのでしょうか?
突き詰めて考えていくと あのプレイが 良かった/悪かった、シナリオが良かった/悪かった、等というデジタルな考えから点数を出しているはずです。
「いや、シナリオ自体に30点というアナログな点数を出した」というかもしれませんが、それもさらに細かく考えていくと シナリオのあのNPCとの会話が良かった/悪かった、全体の整合性が良かった/悪かった 等という考えから点を出しているはずです。
しかし、その 良かった/悪かった という判定も基準点を元に判定してるわけで、80点だから良かった・・・。

という風に、アナログからデジタル、デジタルからアナログと、ぐるぐる回ってしまいます。
前はここまで書こうと思ったんですが、長いんで手抜きの文章を書いてしまったんです。
普通はアナログ、デジタルというと最後の部分でしか見ていませんが、そういう事です。
ちなみにデジタルなON/OFFの機械もその一つ前はアナログです。100VでON/OFFなら普通、75V以上ならON、それ以下ならOFFという風にしていますから。

ああ、あまり本題に関係ないことを長々書いてしまった・・・。許してね(^^;
1999年05月18日:18時47分17秒
ぽっぺけぷぅぷぅ / でぶ猫
 デジタルはアナログに漸近し
 アナログはデジタルに劣化する
 どぅーゆーあんだすたん?
1999年05月18日:16時28分16秒
デジタルとアナログ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#とりあえず、[識別子]はナシにしときます。
 なんか引っかかてたので、よーく考えてみたら、アタシがよくわかんないのは、「デジタルが集まってアナログに」ではなくって、「アナログが集まってデジタルに」のほーでした(笑)。
 
>右京さん
 根っから文科系のアタシも、さすがに合格/不合格と、70点のほぉは、わかりました(笑)。
 にんげんの脳の話しは、−−マジメな話しとして聞いてほしーんですけど、イメージはわきましたけど、実感がわきませんでした。
 アタシはTRPGを言語コミュニケーションを基軸にしたゲームと思ってもいるんで、これはアタシ的には重要なことなのです。
 多分アタシの脳もデジタルに構成されているはず、とは思いますが。普段はそのシステムを意識して、思考しているわけではありません。
 アタシの場合、思考もコミュニケーションも、言語と言語以前のもの(感情、とか、下意識とか、無意識とか)を実感しながらやっていますので。ってゆーか、思考とか、コミュニケーションってのは、それら言語以前の諸々を言語化してく行為ではないか、って気もしてますです。
1999年05月18日:08時41分52秒
[TRPGの勝ち負け]Re:ゲームの勝敗と表現の評価 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@SHiNさんWrote
>はりはらさんがおしゃりたいのは、「オン/オフで評価されるのは嫌い」というよりも、むしろ、「オン/オフで評価できない部分を評価して欲しい」ってことなのでは?
>それならば、私もわかります。(先に書いたように、全面賛成はしませんが。)
>が、デジタルな評価、つまりオン/オフで決せられる勝敗を拒否するってのは、ゲーム性の拒否ではないかと思います。
>で、去年の総研でもやったように、私は、この方向を否定はしないんですけどね。(笑)〔下線付,カンナ〕
>ただ、アンケート的な意義を考えて、ここらへん、はっきりさせたいなあと思うわけです。
>(特に、はりはらさん、去年の総研では確かゲーム性を否定しないっておっしゃってたから。ゲームっていっても、いろいろありますからね。単に、他人と能力を競い合うこと全てをゲームとする場合もあるし。もし、そういうのも含むなら、ルールいらない派とかも、ゲーム派たりえることになってしまう。)
 
 最初に参照情報を書いとくと、SHiNさんがうえで、「去年の総研でもやった」と言ってられるのは、「TRPG総合研究室 LOG 007」から始まってる、長くて迷走したやりとりのことですね。ホントは、あのやりとりは、「総合研究室」に来る前に、「マスタリング研究室」からはじまっているんですけど。
 
 まず、「アタシが言いたいこと」、はSHiNさんが言われるよぉに、「オン/オフで評価できない部分を評価して欲しい」って言ったほぉが、わかりがよいのかもしれません。
 これが、「ゲーム性の拒否」なのか、とゆーと、うーん、どーなんでしょーか。そーなっちゃうのかな? アタシとしてはゲーム性否定してないつもりなんですが、別の立場のかたから見ると拒否してるとしか採れないのかもしれない。
 これは、「去年の総研」の内で、アタシがベンさんとやり取りした議論に関係してる気がします。
 今のアタシの言葉で言ってみると、アタシが好きなTRPGの楽しみかたは、「ゲーム的やりとりをセッション表現に不可欠な基礎として認める」もので、「ゲーム的やりとりがなければ、TRPGセッションはありえず、セッションがなければ、セッション表現もない」だから、「ゲーム性は否定してない」って理屈になります。
 
 それから、TRPGってジャンルの内には、アタシがうえに言うようなものより、もっと積極的に「ゲーム的」なTRPGシステムってあってよいのだと思います。その意味でも否定はしてない。
 
 もっと具体的に言いますと、アタシはコンベンションプレイヤーですので、「オン/オフで評価できない部分を評価してくれそーなGMさん」を狙ってセッションばかりしてます。ですので、「ゲーム性は否定してない」けれど、「オン/オフでの評価(勝敗)」にはあまりこだわらない(無視はしないけど)ってことになります。
 
 この、「オン/オフで評価できない部分を評価」してもらう、ってのは案外重要な気がしまして。そこを評価して貰えないと、同一シナリオの繰り返しプレイ(アタシは好きですし、面白いと思いますし、シナリオやGMさんによっては人様にお勧めもするのですが)のやる気が大分削がれたりもすると思います。
 
 表現の公正な評価ですが、十分に公正であることは、可能な気がしますが。セッションの後で、GMさんに対して不満を感じないとゆーのは、十分に公正に評価されたことと思っています。
 
 P.S.>ぴゅうたさんへ
 なるほど、「デジタルが集まって、アナログになる」概念はわかりましたです(わかった気がしました)。えーっと、感覚的に納得するのは、アタシには難しいんですけど、点描で画を描くよーなことでよいのですよね(?)。
 もし、そーだとすると、アタシがTRPGでこだわりたいのは、デジタル/アナログとの類比ではないことになります。評価の尺度が単系(リニア)か複数の尺度系の総合か、とゆーことです。複数の尺度系が、何かの操作によって完全に一つの尺度に還元されるとしたら、それも単系(リニア) として捉えます。
 しかし、評価の手法として、「複数の尺度系の総合」を、「単系(リニア)」で近似されるのなら、それは考えかた、としては「単系(リニア)」でないもの、が尊重されているのだと思います。
 この、評価の尺度が「単系(リニア)」かどーか? ってことは、たんじゅんに、アタシの趣味的なもんだいとも言いがたくって、根本的には、TRPGセッションの背景になる架空世界の設定をどー取り扱ってセッションするのか? って辺りがポイントになる気がしています。
1999年05月18日:03時29分52秒
[TRPGの勝ち負け]ゲームの勝敗と表現の評価 / SHiN
 プレイヤーが参加すれば、主観的評価の公正化が図れると考える方もいらっしゃるようですが、私としては不充分だと思います。
 ルールがきっちりとしてて、主観的要素の入りこむ余地が少ないバレーボールなどのスポーツ競技の審判でさえ、参加選手が審判を兼ねるのは、アマチュアの地方予選や練習試合程度でしょう。(それも、なるべく利害関係の無い、第三者チームが行うはず。)
 
 なぜなら、十分に公正ではないからです。
 
 それに、主観を用いた審査員制度ってのは、ゲームの勝敗より演技などの表現の優劣を決定するときによく使われるものですし、そういうものに適していると思います。
 
 もっとも、TRPGは、ゲームという側面の他に、表現の場という側面もありますから・・・そういったモノに関してはアナログな判定が加わってもいいのかもしれませんがね。
 
 ただ、わたしとしては、最初に書いた通り、ゲーム性の向上とセッション進行をスムーズにするためデジタルな勝敗は必要だと思いますが、アナログな評価をデジタル化することが必ずしも必要とは思いません。
 アナログな評価は、それこそアナログなままで、各人が批判したり満足したりする範囲に留めておいた方が無難だと思います。
 すくなくとも、通常のセッション条件では、十分に公正な「評価」というものは不可能なわけだから、公正である事をGMが期待される以上、GM主導でそれを行うという事については手放しには賛成できないです。(もっとも絶対反対ってわけでもないです。TRPGセッションが、ゲームの場としてだけでなく、表現の場でもある以上、そういうものを洗練させるために評価・競争を行いたい時もあるでしょうし・・ケースバイケースですね。)
 
 (鍼原神無さん)
 >アタシの意見ですけど「“デジタル”は嫌い」ってゆーよりは「オン/オフで評価されるのは嫌い」とか言ったらわかり易いですかね(?)。
 
 私は、デジタルな、つまり完全に客観的な勝敗を決することと、オン/オフで「評価」されるというのとは、ちょっと意味あいが違うと思います。
 客観的に判断可能な勝敗というのは、だれも「評価」しません。
 ルールがあり、それに基づいた勝敗があるだけです。
 将棋やオセロ、人生ゲームなどと同じレベルのものです。
 で、GMがシナリオを組むというのは、ゲームを作るという事なわけです。
 だから、GMが、「○○を倒せば、勝利」と宣言することは、一見、GMが、オン/オフで評価しているように見えますが、それは単にルール説明を行うだけなわけです。
 
 でも、GMが、ゲーム終了後に「○○を倒したから経験ボーナス何点」と発表するのは、オン/オフで評価してるようなものかもしれません。
 私が最初に言った「シナリオの謎を保ちつつプレイヤーに勝利条件を提示するのが難しい」と言ったのは、実際この点でして。
 
 ゲームとして考えた場合、○○を説得すれば経験点いくらと宣言するのは、非常に意義があることなのです。
 が、物語的には、○○が説得可能な敵ってことが確定してしまい、ネタばれに通じることもあるわけです。
 だから、たいていのGMは、全てが終了してから配点を発表するわけで・・
 これを問題視したかったわけです。
 
 提示されない勝利条件は、無いも同じですから・・・
 
 はりはらさんがおしゃりたいのは、「オン/オフで評価されるのは嫌い」というよりも、むしろ、「オン/オフで評価できない部分を評価して欲しい」ってことなのでは?
 
 それならば、私もわかります。(先に書いたように、全面賛成はしませんが。)
 が、デジタルな評価、つまりオン/オフで決せられる勝敗を拒否するってのは、ゲーム性の拒否ではないかと思います。
 
 で、去年の総研でもやったように、私は、この方向を否定はしないんですけどね。(笑)
 
 ただ、アンケート的な意義を考えて、ここらへん、はっきりさせたいなあと思うわけです。
 (特に、はりはらさん、去年の総研では確かゲーム性を否定しないっておっしゃってたから。ゲームっていっても、いろいろありますからね。単に、他人と能力を競い合うこと全てをゲームとする場合もあるし。もし、そういうのも含むなら、ルールいらない派とかも、ゲーム派たりえることになってしまう。)
1999年05月18日:03時03分10秒
手短にいきますよ / ぴゅうた
にゅう、ぴゅうたです。
  まずは、鍼原神無さんに。
  
  デジタルが集まって、アナログになる好例をしめしましょ。
  そいつは、2進法です。
  0001 =  1
  0010 =  2
  0011 =  3
  0100 =  4
       ・
       ・
       ・
  1001 =  9
  1010 = 10
  と、その移り変わりを沢山並べてみると、2進法という究極のデジタルなもので、アナログ以上にアナログらしく見せることができます。
  だいたい、コンピュータというものは深く知れば知るほど、アナログ的なところを見出だすことが出来ます。パーツの相性とかね。(パソコンのパーツ等には理由の不明な相性があったりします。プログラムにさえも。)
  よろしいでしょうか?
  
  で、次はくうさんです。
  >そして、TRPGのGMは主観的な評価を行う立場にいるのに、ゲームに1人しか存在しないのです。
  そこで極端な発想かもしれませんが、主観的な評価をTRPGの勝ち負けにするためには、GMを3人以上にする必要があるのではないかと考えたのですが、どうでしょうか。
  ぬう、NOVAはいまいちメジャーじゃないのかな?NOVAの経験値チェックのときの評価というものは、完全に他薦にまかされています。つまり、GM(NOVAじゃ、ルーラー)やPLというのは関係なく、自分以外の人間が全員で評価を下します。
  評価は、プレイに最後まで参加したかどうか、他のPCを助けたかどうか、ルーラーの進行を助けたかどうか、よいロールプレイをしたかどうか、等々(まだあるが、説明が難しいし、めんどくさい)になっております。
  この評価の基準が、良いかどうかはさておくとして、こういう方法は良いのでわ?
  
  参考になりましたか?鍼原神無さん、くうさん。(なんか偉そげ。にゅう、偉そうにするつもりは別にないよ)
1999年05月17日:23時29分24秒
[TRPGの勝ち負け]Re: 主観的評価の公正化 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 同人TRPG、アジアン・パンク『サタスペ』では、セッション終了時まで生き延びたPCは、「カルマ・パッケージ」ってゆー、「特殊能力」と「特殊な弱点」のセットを貰えます。これがPCの成長なのです。
 どのPCがどんな種類の「カルマ・パッケージ」をゲットできるか? は、セッションの最後に、全プレイヤーが専用シートにメモで提出した意見を聞いて、GMが裁定することになっています。
 アタシは優れたルールと思いますし、好きです。
#とか書いてたら、でぶ猫さんが、同系統のことを書いてられた(汗)。
 
P.S.右京さんへ>解説サンキューです☆ アタシの意見ですけど「“デジタル”は嫌い」ってゆーよりは「オン/オフで評価されるのは嫌い」とか言ったらわかり易いですかね(?)。
1999年05月17日:23時07分00秒
Re:【TRPGの勝利条件】評価のしかた:SRの場合 / でぶ猫
 自己レスです。ちなみに友人がマスターをするときは個人評価は自薦他薦してもらってマスターが判断していました。これを全員の同意を問うようにすることも可能ですね。(パールシード方式なのは秘密だっ)
1999年05月17日:23時03分17秒
[TRPGの勝ち負け] 主観的評価の公正化 / くう
>ぴゅうたさん
>にゅう、そのデジタルな順位を決めているのが、アナログな「楽しさ」や「気持ちよさ」なんですから、今のTRPGにデジタルの部分を大きくしていくことは、大いに意味のあることなのでわ。

アナログな「楽しさ」や「気持ちよさ」がデジタルな順位を決めているというのは、私もその通りだと思います。
しかし、優劣の判定にアナログな要素を評価しなければならない競技では、審査員が複数人いてそれぞれが採点をし、その合計や平均で順位をつけるというのが普通です。
もし、これが一人の人物によって採点、順位付けが行われれば、どうしてもその人の主観的な評価(好み、趣向)が入り込んで、公正で妥当なゲームとは言えなくなると思います。
そして、TRPGのGMは主観的な評価を行う立場にいるのに、ゲームに1人しか存在しないのです。

そこで極端な発想かもしれませんが、主観的な評価をTRPGの勝ち負けにするためには、GMを3人以上にする必要があるのではないかと考えたのですが、どうでしょうか。
#あぁ、とても賛同が得られるとは思えない…。
GMを3人以上にしてしまってどんな風にプレイをするかというは私にも分かりませんが(そんな、無責任な(^^;)、理屈で考えればそうなるのではないかと思うのです。

決して、GMは3人以上でなければならないと主張するものではないのですが、アナログで主観的な評価をゲームの勝ち負けに設定するとそのような問題も出てくるのでは、ということです。

1999年05月17日:23時00分42秒
【TRPGの勝利条件】評価のしかた:SRの場合 / でぶ猫
 大抵のRPGは受け取る経験点が勝利の度合いを示しているといえるでしょう。
 このような評価方法をきっちり打ち出しているのがシャドウランです。全員については生存(シャドウランでは死は敗北です)、目標達成の数、乗り越えた脅威の高さによってカルマ(経験点)を与え、個人についてはロールプレイ、闘志(適切なタイミングでふるわれた勇敢さですね)、賢明さ、適切な時に適切な行動をとれたか、マスターの意表をつく創意工夫など、ユーモア、ドラマといった評価点が用意されています。
 大変わかりやすく、示唆に富んでいると思いませんか?
1999年05月17日:22時52分53秒
アナログからデジタルになるということ / 右京
>鍼原神無さんへ
アナログとデジタルの違いなんですが、
今回のプレイは合格/不合格
今回のプレイは70点

ってこれはわかってますね。書く必要なかったですか。

>アナログはさらに集まることによってデジタルになっていく。

私が勝手に説明させてもらうと、人間の脳はアナログで考えていますよね? で、ずうっと考えていった結果、ある事を する/しない という結論に達したとします。
する/しない の2つしかないからデジタル的結論ってわけです。
以上の説明でわかってもらえますか?

PS:ぴゅうたさんへ
もし、この説明が違ってるようでしたら「違う!」って言ってくださいね。
1999年05月17日:22時24分08秒
[TRPGのテーマ論]システムのコンセプト、中間纏め / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 TRPGで特にシステムを論じる際に、「一言で表せるテーマ」を用いるのはあまり適当ではないと思われる。
 なぜならばTRPGのシステムは、その性格からして、システムを補完するシナリオのバラエティーを保証しつつ、一定の幅を持った向性に規定する必要があるからである。
 「一言で表せるテーマ」は、そこからの連想は多方向に渡り得るので、方向性の規定力が弱いと思われる。
 また逆に、TRPGに馴染みのない人にとっては、「一言で表せるテーマ」によって、あるシステムのイメージが極端に限定されたものとして受け止められることもあり得る。
 
 TRPGシステムのテーマにあたるものを論じるに際しては、「一言で言い表せるテーマ」以外に今のところ、二種類の手法が提案されている。
 1.「どんな立場のPCが、どんな世界設定を背景にどんな行為を、どんな調子で試みることが期待されるのかってシステム的特色」を文、または文章の形で表現する手法。
 2.「だれが(PCの立場)どこで(世界設定1 地理的社会的等)なにを(ゲームの目的)いつ(歴史とか時代背景とか、ま、どこ と関連してますな)どうやって(PCの能力)やらかすか」を、5W1Hのようなワードの併記で現す手法。
 
 1.と2.とを比較すると、TRPGシステムについての評論やレビューを、TRPGに馴染みの薄い読者を含む一般に向けて書く際には、1.の手法を発展させたもののほうがより馴染む手法かと思われる。
 2.の手法で、評論や、レビューを書いても構わないのだが、結局はキーワード類を補完する文章が必要になるかと思われる。
 2.の手法は、TRPGに馴染みのある限定された読者に向けて、コンパクトな論考文を書く場合には、1.より適しているかもしれなし。ただし、論じられるシステムに馴染みのない読者にとって、誤解が生じないかは、若干懸念される。
 また、あるシステムのオリジナル・シナリオを製作しようとするユーザーにとっては、2.の手法のほうが優れていると思われる。
 1.より簡便であるし、連想を刺激する力は2.の手法のほうが勝っていると思われるからである。
 
 上記、1.、2.、の手法で論じられる内容に関しては、「TRPGシステムのテーマ」と呼ぶよりは、「TRPGシステムのコンセプト」と呼ばれたほうが、誤解も少なく、好ましい。
 世間一般的にも、「テーマとは一言で表せるもの」との通念は強いからである。
 文芸批評的にも「テーマとは一言で表せるもの」との理解はなお残存しているが、旧弊な意見として批判する強力な理論もある。
 
 なお、念のため書き記しておきますと、TRPGシステムに関して「一言で表せるテーマ」を論じることは、あるシステムに関して、一定レベル以上の理解を共有している人の間で為される分には、効率的ですし、あまり批判されるようなものでもありません。
 ただ、あるシステムに馴染みの薄い読者を想定したり、複数のシステムの比較検討をする際に「一言で言い表せるテーマ」の手法を用いて論じることは、いろいろもんだいも多く、適さなかろう、ってことにすぎません。
1999年05月17日:21時14分41秒
Re:Re:TRPGの勝ち負け / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@ぴゅうたさんWrote
>デジタルは集まることによってアナログになっていくが、
>アナログはさらに集まることによってデジタルになっていく。
>そこにデジタルとアナログの境界線をひくことは出来ない。
 
 わざと改行入れさせていただいたんですけど(失礼)。1行目はよくわかるんですけど、2行目はよくわかんなかったです(困)。んで、3行目は、、なんとなくわかったつもりです。それはそれとして、、
>>でも、ものがゲームであるのならば、デジタルになってしまうのは仕方がないのかな、とも思いますが。歌や踊りだって、競技(ゲーム)にした時点で順位というデジタルなものになってしまいますからねぇ。
>にゅう、そのデジタルな順位を決めているのが、アナログな「楽しさ」や「気持ちよさ」なんですから、今のTRPGにデジタルの部分を大きくしていくことは、大いに意味のあることなのでわ。(ん、言いたいことは、これだった。)
 
 うーんと、「N◎VA」のことはよくしらないんですけど。「央華封神」だと、「シナリオの成功度」を基本にして、「師匠の一筆(強力アイテム)を使ったか」、「戒律に反したか(ロールプレイ関係)」、「目に余る悪い行動(その他)」で修正が加わって経験点が決められますよね。
 そーゆー話だったら、まーいーかなー。って“デジタル”嫌、なアタシも思います。
 「“デジタル”に変換しきれないものがあるけど、評価のための手法として、デジタル化する」ってゆーのはわかるんです。
 でも、「ゲームなんだから、どんどんデジタルで割り切れば良いのよ」、ってゆーのはちょっと困ります(あ、ぴゅうたさんがそー言ってられるわけでないことは承知してますです)。まー、ほんとは、そーゆーゲームは個人的に買わない、遊ばないするだけなので、大したこっちゃないとも言えるのですが。 実際は、どーゆーチェック項目がどんなバランスで評価されるのかをみないと、良い/悪いの判断なんかできませんよね。
 記憶は曖昧なんですけど、フィギュア・スケートでも「技術点」とか「芸術的印象点」、とか(まだありましたよね?)得点項目複数種類ですよね。それの総計がデジタル、ってゆーのは、手法としては、しかたないんじゃないかなーって思います。
 
 ここのところのお話は、「PCの生死〔のみ〕が勝ち負け」と常にイコールみたいに聞こえたり、「シナリオの目的達成〔のみ〕が勝ち負けと」と常にイコールって主張にとれちゃうとこがあったから、そーゆーのは「論」としては、ちょっと待ってって思います。個人の趣味としては、そんなに極端ではないし、人それぞれですよね。
 うえの読解の、アタシがわざと〔のみ〕って入れたとこ、筆者のみなさん、ホントは、そんな意図でもないんだろーと想像はしてるんですが。システムに多項目の評価基準があったら、そのうえでさらに「勝ち負け」や「シナリオの目的達成」が考慮されるってことなんだよねー、きっと、とか想像しながら読んではいます。
 
 ですんで、ぴゅうたさんの言われる「デジタルな順位を決めているのが、アナログな『楽しさ』や『気持ちよさ』なんですから、今のTRPGにデジタルの部分を大きくしていくことは、大いに意味のあることなのでわ」は、アタシみたいなタイプできてるとしたら、賛成できることと思います。
#それでもアタシは、デジタルになりきらない部分を大事にプレイしたいと思いますが、それはまた別の話しと思いますです。
#アタシ個人は、TRPGのプレイで勝ち負けには拘らないタチなんですよ。「央華」の事例みたいにルールに評価基準があったら、それは意識はしますけどね。別に評点ほしさから、「戒律守るロープレ」するわけではないです、ってことです。
#「央華」で、もし、人から「経験点に関わるから、もっと戒律意識してロープレしなきゃダメじゃん」とか言われたら「うるさいなー」、って思うかもしれないです。でも、もし「全員の経験点に響くから『師匠の一筆』には頼んないで」って言われたら、「そりゃそーだよねー」、って思うでしょーし。
1999年05月17日:16時43分48秒
Re:勝利条件 / PALM-12
>SHiNさん
> (PALM-12)
> >ただ,それはミッション達成したから勝ちだとか,失敗したから負けだというデジタルなものではないと思いま す。 もちろん,それもあります(この前,2本連続でミッションクリア失敗したヤツを2時間くらい説教しましたし(笑)) ただ,どれくらいセッションに貢献できたかとか,ゲーム中にどれだけのアドバンテージを取れるかとかもTRPGの 勝ち負けの条件に入ると思います。
>  要するに本人がどう思うかってことでしょうか? [多分SHiNさんのコピー漏れ。PALM-12が追加]
> 
> 私もこの意見に基本的には賛成です。
> ただ、自戒の意味も込めて書かせていただくと、この考えの危険なところは、いわゆる(いわないか?(笑))シナリ オブレイカーなプレイヤーを生む可能性があることでしょう。

 ギャフン!
 ういっす,まったくの失言ですね。 特に「要するに本人がどう思うかってことでしょうか?」が

> 個人的な勝利条件は重要ですが、あくまでシナリオに設定された勝利条件(言い方を変えればプレイヤーにとっての勝利ではなく、PCにとっての勝利。GMの想定する勝利条件とPCにとっての勝利が相反するケースは論外なのでここでは無視します。)を満たした上で考慮される・・って形が理想じゃないかなと思います。

 PALMもそう思います。
 ボクもシナリオ(時にシステム)と個人の勝利条件を整合させながら,キャラのハンドリングをする事が基本だと思います。
 また,不整合が出る場合(言葉が悪いですが)は,シナリオの勝利条件を重視するという意見についても同様です。 理由付けとしては,「セッション全体を成功させる事」が最優先だからですね(恨むんなら,整合させる事の出来ない自分の能力を恨めって感じですか?)。

 この文章でいいたかった事は,「ミッションクリアだけがTRPGの勝ち負けではなく,PL・GM問わずに「セッション全体を成功させる」という事も勝利条件である」って事です。 ルールの運用に問題があった時もあえて自分が折れて,セッションを中断させないぐらいの心意気とでもいいましょうか……
#何いってんだろ? オレ。
 ぬぅぅ,とりあえず,もう一回言っときます。

 ギャフン!

 ではでは
1999年05月17日:03時39分18秒
Re:TRPGの勝ち負け / ぴゅうた
おひさしぶりのぴゅうたくんです。
  しばらく忙しくて(今も)書けないのですが、短く一言。
  くうさんが書かれてます。
  >TRPGがゲームであるのならば、やはり客観的な勝ち負けは必要であると思います。
  (中略)
  審査員に点数をつけてもらって順位を決めれば、ゲームにすることができるでしょう。
  
  にゅう、まったくですな。NOVAなどは近いシステムなのでわ。
  レコードシートの経験値の所には、一定の基準が示してあり、まさに点数をつけているような感じがします。直接的な勝ち負けにつながったりはしないでしょうが。
  
  >そして、気持ちよく歌えたかどうかというのは、全体のゲームとしての枠組みとは別な、個人的な目標になると思うのですがどうでしょうか。
  
  にゅう、それもTRPGのゲームとしての枠組みの中の目的の一つなのでわ。ロールプレイング・ゲームなんですから。
  ま、それだけが要素として取り上げられてはいけないが、ゲームとしての勝ち負けのみが求められてもいけないのでわ。
  ほどほどがよいのです。気持ちよく歌い、ほどよい点数がついて、人と競うために勝ち負けを決めていくのではなく、よりよいTRPGをするための勝敗が決する。
  んー、なんか意見がまとまっていないようだけど、そんなとこです。
  
  最後にどーでもいいんですが、最近よく聞く言葉に「デジタル」つうもんがあり、なーんか「アナログ」とは違う世界が広がっているように言われているようなんですが、どちらも同じものを指しているのを知っていますか?
  んー、同じものと言うのは言い過ぎか?ま、いい。
  デジタルは集まることによってアナログになっていくが、アナログはさらに集まることによってデジタルになっていく。そこにデジタルとアナログの境界線をひくことは出来ない。
  
  言いたいことはただひとつ。
  
  >うーん。私はTRPGをデジタルに考え過ぎなんでしょうかねぇ。
  
  別にそんなことはないんじゃないんですか。
  
  あ、もうひとつ。
  
  >でも、ものがゲームであるのならば、デジタルになってしまうのは仕方がないのかな、とも思いますが。歌や踊りだって、競技(ゲーム)にした時点で順位というデジタルなものになってしまいますからねぇ。
  
  にゅう、そのデジタルな順位を決めているのが、アナログな「楽しさ」や「気持ちよさ」なんですから、今のTRPGにデジタルの部分を大きくしていくことは、大いに意味のあることなのでわ。(ん、言いたいことは、これだった。)
1999年05月16日:23時23分07秒
TRPGの勝ち負け / くう
シナリオ関係の話は出てこないので、こっちに書いちゃいますね。
---

TRPGがゲームであるのならば、やはり客観的な勝ち負けは必要であると思います。

プレイヤーの満足度とか、うまくロールプレイができたかということを勝ち負けにすると、例えば、カラオケで自分が気持ちよく歌えたかとか、歌の主人公の気持ちをうまく表現して歌えたかというのと同じになってしまう(つまり、ゲームではない)からです。

気持ちよく歌うだけではゲームにはなりません。
では、どうするか。

審査員に点数をつけてもらって順位を決めれば、ゲームにすることができるでしょう。
そして、気持ちよく歌えたかどうかというのは、全体のゲームとしての枠組みとは別な、個人的な目標になると思うのですがどうでしょうか。

この個人的な目標を、まるでゲームの目標であるかのようにしてしまうところに問題があるのだと思います。

個人的な目標をたてることは悪いことではないし、とても大事なことだと思いますが、それだけではゲームとしては成立たないでしょう。ただし、TRPGをゲームとして遊ぶのでなければ、この限りではありません。そっちの方向性を考えるのもそれはそれで興味深いと思います。


うーん。私はTRPGをデジタルに考え過ぎなんでしょうかねぇ。
でも、ものがゲームであるのならば、デジタルになってしまうのは仕方がないのかな、とも思いますが。歌や踊りだって、競技(ゲーム)にした時点で順位というデジタルなものになってしまいますからねぇ。
1999年05月16日:03時36分01秒
シナリオ関係の話題はシナリオ雑談所へ / sf
 ログも切れましたし、繰り返しプレイ可能なシナリオ関連の話題はシナリオ雑談所へ移動するということでよろしくお願いします。
1999年05月15日:23時08分36秒
TRPG総合研究室 LOG 026 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 026として1999年04月27日から1999年05月15日までのログを切り出しました。

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