TRPG総合研究室 LOG 007

TRPG総合研究室の1998年06月21日から1998年06月27日までのログです。


1998年06月27日:12時13分34秒
ゲーム性偏重。 / 建.
どなたか「ゲーム性偏重」のわかりやすい例を挙げて下さいませんか?の例はいままでくどいほど出ましたけどゲーム性偏重の例はなかったんじゃないでしょうか。
もちろん私の情報不足かもしれません。ならばどこにあるか、どんな物なのかを、どうぞ偉いかたがた、私に教えてくださいませんか。

ボールMk−2さん
単に劣ったものとしての「TRPGもどき」ではなく、TRPGから派生した別の遊びと考えることもできると思いますが・・・。
(ただそれはみなさんのおっしゃるようなものとは違うようですが)
そうなると確かに「ゲームデザイン全般」の話になってTRPGの掲示板で話すことじゃなくなりますね。

すいません、いま、かなり頭がまいってます。この文全体にかなり失礼な部分があると思いますので、ご気分を害されたかたがた、おわびいたします。素人の発言はこの辺で。


1998年06月27日:09時58分39秒
意思決定+あるふぁ / YAN/矢野 聡一郎
> 陽陰さん、でぶ猫さん
 
 ご説明、どうも有り難うございます。「TRPGの本質=意志決定+A」ということですか。うう、ごくごく簡単な話でしたね…。
 
> でぶ猫さん
> あんね じゃないっ 整理だ
 
 あはは。でわ、でぶ猫さんに「おざぶとん」をあげ…ゲフンゲフン!
 
> SHiNさん
 
 ううん、思うのですけど、SHiNさんって、「TRPGの本質=意志決定”もしくは”A」って考えておられるのかなあ。でもって、Aのほうがより大事、とか。
 
> 意思決定をTRPGの本質とすることによる『メリット』がなければ、現場のGMとしては、『トラブル防止策』にすぎないってことになると思うのです。
 
 この、『トラブル防止策』って、ゲームのルールでいうところの「制限」なんじゃないでしょうか。
 
 たとえば、サッカーの「オフサイド」というルールにしても、このルールが無いと、試合がロングパス主体の単調な内容になって(=意思決定に幅が無くなって)面白くなくなるから出来たルールですよね。
 確かにトラブル防止策といえばそうですけど、それがなければ、ゲームとして成り立たないのではないでしょうか?
 あ…でも、小学生のころは(みんなへたっぴであるが故に)、いちいちオフサイドかどうかなんて判定してたらゲームにならないんで、無視してましたっけ。ひょっとして、少し前にご質問した、
 
> たとえば、時間的制約、地理的制約のくわわった複雑な意思決定は、ゲーム的
> には面白いものですが、 疑似体験的には、それほど面白くないでしょう。
  
 というのも、それと同じ理由…?つまり、プレイヤーの力量に対して「意思決定」が複雑すぎて、面白さを感じられない状態のことを指しておられるんでしょうか?
 
 初心者の方から「”意思決定”だなんて言われたってわかんない。 それって絶対必要なの?どこが楽しいの?」と聞かれたときに、「それがゲームの本質だから」と説明するより、「『トラブル防止策』だから」と説明したほうが分かり易いんじゃないか?ってことなのでしょうか…?
 
 つまり、「意思決定をTRPGの本質とすることによる『メリット』を、分かり易く示す方法」さえ分かれば、不満はないのかなあ…。少なくとも、マスタリング研究室のSHiNさんの意見「ミッションクリア型と非ミッションクリア型」(98年06月26日:05時59分22秒)で、
 
>  まわりの状況、キャラクターの個性だけを抽出し、意思決定を行うのが、私のいう、キャラクターロールプレイ重視のセッションです
 
 と言われている以上、「意思決定」がTRPGにとって重要であることは否定されていないようですし…。
 
 それとも、「セッション目標、ゲームのデザインコンセプトから導き出される意思決定」=『トラブル防止策』だと言いたいのかなあ。ああ、混乱してきた。たしかに、ねこぱんちさんが言われるように、「TRPGの本質」っていう言葉遊びに振り回されているような気がします、私も…。
1998年06月27日:08時52分25秒
かなり揉めてますね / “葦”
 なんか難しい話になっているようですね。
 で、どうもゲーム性という言葉がしっくりこない。人によってゲーム性というものの捉えかたが違うような気がします。おがさわらさんはゲーム性を制約条件というふうに書いておられましたが、どうもそこにネガティブな意味を付ける人とポジティブな意味を付ける人の間で争っている、そういう風に感じてしまいます。
 ちょっと、マスタリング研究室で書きましたが、私はゲーム性というものを言語や文法の様なものと考えています。で、そこから導かれるシナリオやキャラクタープレイ、マスタリングなどが文章である、と考えています。
 で、ゲーム性かキャラクタープレイか、なんて2者択一がおきるというのは私には理解しづらいのです。言語のみでは意味がないし、言語がない文章なんてのも存在しない、そう思います。で、言語にはいろいろありまして、多分、これがゲームのデザインコンセプトなのです。悲劇を語るのに適した言語、喜劇を演じるのに適した言語、等々。で、最近は特にある一種類の文章をつづるのに適した言語(ゲームシステム)というのが、多くなっているなあ、とは思います。
 話がずれてしまいましたが、ゲームのデザインコンセプトが常にいかなる場合も尊重されるべし、とは思いません。仲間内で遊ぶ場合、お互いの共通認識が出来上がっている場合には、どのような遊びかたも有り得るなあ、とは思います。私も一回限りのシナリオなどでゲームのデザインコンセプトを放棄する、ないしわざと違う遊びかたをすることはあります。ただ、そういう場合というのは滅多にあるものではなく、実際には仲間内であったとしても、ゲームのデザインコンセプトをまったく無視した遊びかたをされた場合には、違和感を覚えることはありますし、そういうことをする人をそのゲームがホントに好きなわけではないんだな、と感じることはあります。要はケースバイケースなんですよね。
 どうも、話がこじれそうな気配がしているもので、ついつい書いてしまいましたが、皆さん、目指しているところは結構同じなのでは、と思いますよ。
1998年06月27日:04時14分29秒
ゲームじゃ無ければ、TRPGって何? / ボールMk−2
いきなり、話の間に入ってすいません。        
                          
 >だって、キャラクターロールプレイは、TRPGの本質じゃないって人も・・・              
 あのー、ゲームの本質が意志決定で、その意志決定が無くともTRPGが成立するということなら、ゲーム性の無いTRPGはゲームなのか?             
 それって、物語を作るための単なる話し合いじゃないのか?それは、TRPGとして成立しているとは思えないのだが。                       
 確かに、GMの都合で意志決定を無視してプレイを進める人もいるだろう。                 
 しかし、意志を軽視してRPGをするなら、それはコンピュータRPGと同レベルで、TRPGではないのではないか。                       
 それと、プレーヤーが使用するキャラクターは、ほとんどの場合「意志のないロボット」ではなく、「感情のある人間(その他類するもの)」であると思う。      
 つまり、キャラクターを操作するのではなく、キャラクターの立場なってプレイするということだと思うのだが、どうだろう。
 「意志決定+α」というのは、意志決定にさらに何かを加えて始めて成立すると解釈したのだが、私は。    
                          
 以上、私が解釈したものである。何かおかしいかなぁ。 どんなものにも、必要不可欠のことがある。この場合TRPGに必要な要素として「意志決定+α」という方程式であろうか。                    
 それと、「本質」って何?「本質」からはずれたらそれが成立するのか?
 ふーむ、難しい問題ではある。・・・これは、あくまで私の一つの考えなのだが。              
  TRPGは「意志決定」「ロールプレイ」その他いくつかの要素を加えたものである。(これは、結論ではなくあくまで一つの考え方である。一応断っておく)    
                          
 しかし、これらのものが無くても、それらしいことは出来る。「TRPGもどき」とでも言おうか。      
 私も厳密にTRPGをしているとは言い切れない。それほど、頭の回る人間ではないので。        
だから、あまり根を詰めて論議をすると、とんでもない結論が出てしまうので、ほどほどにした方がいいんじゃありません?
1998年06月27日:04時01分45秒
用語がややこしいデスね / おがさわらなるひこ
 読んでて思うのは、ベンさんがおっしゃる「ゲーム性」を「ゲーム」と混同してる人が多いんじゃないかってこと。
 
 ダイスを振らない、ルールシステムを適用しない、つまり「ゲーム性」を廃したとしても、RPG は「ゲーム」で有り得ますよね。 ゲームシステムというのは、意志決定を困難にかつ面白くするための「制約条件」の一つだからです。
 たとえば、お名前を勝手にお出ししますが、鍼原さんがときどき挙げていらっしゃるキャラクタープレイの例は、 ダイスやゲームシステムを伴わない意志決定の例になっている場合が多いように思います。 PCの置かれた状況、自分のPCの性格、他のPCやNPCの性格や立場などの制約条件から、 自分の目指す目標にふさわしい行動を選んでいるわけですよね。「なんかすげーちゃんとゲームしてるなぁ」と読むたびに思ったものです (^^)
 
#別に反ゲーム論者だけじゃなくて、「サイコロも振らないなんてゲームじゃないよ」って
#人を批判する人もいるからなぁ。結構この誤解ってまかり通っているのかも。
 
 ルールシステムやダイスを振ることを「ゲーム性」というから誤解が生じるのかもしれませんが、 他に適切な用語もないですしね。とにかく、混同しないように注意する必要があるのかも。
 
#用語ついでに「意シ決定」ですが、コスティキャンのもともとの用語は "Decision Making" であり、
#日本語訳としては「意志決定」が当てられているので、やはり「意思決定」よりもこちらが適当かと。
1998年06月27日:02時14分12秒
すみません / ベン
 え、下記長文を書いている間にちょっと話がすすんで、 まとはずれなことを書いてしまった部分もあるかとおもいます。
 
 しかし私が下記発言のような疑問を持っているのも事実でして、 よろしければその疑問を解消して欲しい。
 
 「RPGがゲームじゃなくたっていいじゃないか」という意見の 提示なんですかね? ゲームの殻をかぶったべつもんだ、と。
1998年06月27日:02時07分33秒
疑似体験と「コンセプト」 / ベン
 「意思決定は『ゲーム』の本質であって、RPGとしての本質はこれに『RPGの特徴』が加わったもの」だという点に問題があるでしょうか? そして「RPGはゲームだ」という点に。で、RPGがゲームなのは「意思決定がテーマだから」であり、ここでいわれる「ゲーム性」(これはまあ、ゲーマーが好きそうなああいうのなんでしょう)があるからではありません。頼みますから「ゲーム性(これはゲームシステムからくるジレンマのようなもの。ポーンをこう動かすと取られる、とかそういうの)」と「ゲーム(意思決定を中心としたほぼあらゆる娯楽。それぞれゲーム性が高いとは限らないが、意思決定は必ずある)」をはっきりと区別してください。
  
 さて、ゲームというものを全体としてみれば、
  

 | RPG | CCG | チェス | 将棋 | モノポリー |
 +-----------------------------------------+
 |       ゲ ー ム |

  
 とまあ、大前提として、「RPGは『ゲーム』の一分野である」という定義があるわけです(もしかしてこの定義自体が気に入らないのかなあ)。で、RPGもCCGもチェスも将棋もモノポリーもゲームだから、本質的に「意思決定自体を楽しむ」という楽しみ方がある。でも、だれも「RPGとチェスはおんなじ」とはいわない。これらは違うゲームで、チェスにはチェスの本質が、RPGにはRPGの本質があるからですね。
  
 で、チェスをチェスとして特徴づけているのは、「キングと取ると勝ち」とか「相手の駒は使えない」とか「目の前のポーンは取れない」とかいう、チェスのゲームシステムにあるわけ。チェスのゲームシステムの狭間でうんうん悩むのが、チェスの楽しみの本質、というわけ。
  
 で、RPGの場合にも、やはり他のゲームとRPGを区別する特徴があって、「意思決定+それ」でRPGの特徴的性質が成り立っているわけですよ。「それ」だけじゃない。ゲームだから「意思決定+」それ、なの。もちろん「意思決定」だけでは「ゲームの本質」であり、RPGの本質とはいえない。「それ」だけでもだめ。「意思決定+それ」なんです。
 逆に言えば、「それ」はゲームゲームしてなくたってかまわない。だから「RPGの特徴的性質」について論じるのに「意思決定」だけを取って本質とするのは、日本純文学を論ずるのに「日本純文学の本質は、日本語で書かれていることだ!」とかいうのと同じわけですね。意味がない。そりゃ大前提だからです。日本語でかかれていて、「なおかつ」プラスアルファを足した合計が、日本純文学の本質なわけでしょう。
   # RPGはゲームではない、というのなら、意思決定を放棄する考え方も出てく #るでしょうけど、しないようですし。
    SHiNさん
>  つまり、でぶ猫さんが、
>『TRPGの本質はゲームである』
>『ゲームの本質は意思決定である』 とおっしゃる場合、
> わたしのいうところの『疑似体験としての意思決定』は ふくまれてないわけですよね?
  
 でぶ猫氏あての発言であることは承知していますが、すみませんが僕の意見もいわせてください。
  
 正直、「なんでそうなるの?」と思います。
  
 RPGの意思決定のファクターにはいろんな要素があります。それはゲームシステムが提供する課題であったり、セッションが提供する課題であったり、キャラクターの設定が提供する課題だったりします。RPGの特徴的部分はこれほど豊富な課題があり、しかも同時に果たしていこうとする点にあるわけです。あらゆる課題はほぼ等価のものとして配置されていて、デザインのコンセプトにより価値判断は上下します。「キャラクターに『らしく』行動させる」という目標もあるわけです。これが『疑似体験』といっていいですよね。これは意思決定のための課題であり、しっかりと「RPG」というゲームに含まれています。疑似体験をすることは、RPGにおける重要な楽しみの一つです。
  
 みな「RPGはゲームだから、根底として意思決定が大事だ」とは言っていても、「RPGはゲームだから、最も重要なのは『ゲーム性』であって、疑似体験ではない」なんていってないんですけど、このあたりは理解しているのでしょうか。
 
 ここから疑問。SHiN氏の発言を見ると、なんで「ゲームを放棄しても」とか出てくるのかが良く分からない。僕は意思決定の楽しみを持っている限り、たとえキャラクターに「らしく」行動させる方向に特化したとしても、ゲームコンセプトがあってそうデザインされていれば、それは「ゲーム」であるし、RPG(という分野の一ゲーム)として成立すると思ってるんですね。「ゲーム性が高いからゲーム」なんではなく、「意思決定が中心だからゲーム」なんです。多くの人がただそう言っているはずなんですけど、いまだに「RPGはゲームである」ということばから「RPGの本質はゲーム性である」というような誤解を自分で生み出していませんか?(そう見えます)
 
 いろいろ読んでいると、RPGから「G」をなくしたい、でも意思決定は残す、ということらしい。でもジレンマのなかで意思決定を楽しむ遊びなら、それってゲームでしょ。それじゃ良くないんですか? なんで「ゲームを放棄しても」とかいう必要があるのかわからない。放棄したいのは「ゲーム性」いやなんというか、ゲームゲームしたゲームシステム(分かりにくい)なんでは?
 
 で、こっからあいかわらずな僕の論旨。意思決定の要素として、キャラクタープレイだけを突出させるべきか、ゲームシステムとセッションとキャラクタープレイの多重構造のなかで楽しむべきかってのは、何度も書いているとは思うのですが、「RPGの本質」とかいう問題じゃなくて、個々のゲームの「デザインコンセプト」の問題です。世の中にはルールが恐ろしく稀薄なRPGも存在しますが、それはそうデザインされたからそうなだけで、相変わらず「キャラクターおよびそれを取り巻く環境、およびプレイヤーの環境」を考慮に入れて意思決定する、という部分は変わっていないから、やはり「RPG」と呼ばれる。
  
 思うのですが、SHiNさんは「疑似体験を突出させたプレイング」というひとつのデザインコンセプトに全ゲームが当てはめられる、マスタリングを駆使すればそれが可能だ、と考えているんでしょうか。
  
>この疑似体験の本質も、ゲームと同じく、『意思決定』だと思います。
 
 と書かれていますが、僕からみると、この場合の疑似体験も「意思決定を組み込んだ『ゲーム』として成立しうる」と言っているだけのように見えます(そうなら正しいですよ。そして誰もそれを否定していないように見える、僕には)。
 
 こう、「ゲーム性を破棄したとしても、 以前、意思決定の重要さは残る」と言っているときの「ゲーム性」の部分に入ることばは、実は「ゲーム性」じゃなくて「コンセプト」なのか?とも思えます。「デザインコンセプトを放棄しても、意思決定は残る」と。なぜなら、個々のゲームでどの要素が重視されているかは「コンセプト」の問題なのに、それを考慮しているようには見えず、もしゲーム性の高さをコンセプトとして備えているRPGであっても、キャラプレイが発展するに従って自然に疑似体験に移行するに違いない、それは必然だ。と言っているように見えます。僕からみると、これはそのゲームのデザインコンセプトの放棄なんですよ。
 むろん、私は個々のゲームのコンセプトは尊重すべきものだと考えているので、キャラクターの個性を重視したゲームならそうすればいいし、(歴然と存在する)そうでないゲームではそうすべきではない、と考えています。だから「どのシステムを選ぶか」が非常に重要なんです。
 
 思うに、この問題って「RPGの本質」の問題ではなく、マスタリングの問題ですらなく「どうデザインするか、どうデザインできるか」という話なんじゃないでしょうか? どうマスタリングするかって、そのゲームのデザインコンセプトに沿ってするに決まってるからです。そのゲームがキャラクタプレイなゲームならそうするし、ばりばりゲーム性重視だったそうする。マスタリングはゲームのコンセプトによって変わるもんです。
  # 余談。RPGの本質より、個々のゲームの本質のほうが重要だと思わないかなあ、プレイする上では。僕らデザイナーじゃないしさあ。
 
 どうでしょうか。SHiNさんがしきりに放棄しようとしているものは、次のどれでしょうか。
 
 「個々のゲームのデザインコンセプト」(つまり一つのスタイルで全ゲームがプレイ可能だと)
 「ゲームの『ゲーム性』と言われる部分」(つまりゲーマーが好みそうな、計算とかそういうの)
 「RPGがゲームであること」
  
 どれなんでしょうか。「デザインコンセプトを無視してこういう遊び方するのも、ありじゃん」といっているのか?とか思えてきました。いやほんとに何を捨てようとしているのか分からない。キャラクタープレイを重視する上で弊害になるものを取り除こうとしているってことだけは分かるんですが、それって「ゲーム」の枠内でできることじゃないんですか? こう、RPGからゲームくさいシステムを取り除いてキャラクタープレイをしやすくするっていうなら、それはマスタリングの問題じゃなくてゲームデザインの問題ですよね?
 
1998年06月27日:01時45分11秒
Re:別に結論をいそぐわけではないですが・・・(追伸) / でぶ猫
SHiNさんwrote
 >だって、キャラクターロールプレイは、TRPGの本質じゃないって人も それをTRPGに導入して魅力のひとつにすることは認めてますよ
 >ね? 同様に、意思決定を本質とせずとも、導入して 魅力の一つとすることは可能です。
 やはりTRPGをゲームではないと考えているようですね。 正確にはゲームと一部共通点があるだけと。
 (ゲームであるということはゲームの本質は必要条件として存在するということです。あなたはゲームの本質をただの付加価値のように あつかってますね? つまり、あったほうがいいがなくても困らない、ちゃんとTRPGとして成立すると)
 
 >『本質』として定義することに、ポリシー以外の、メリットが あるのかどうか、おききしたいんです。 もし、『トラブルがおきない』ってこと
 >だけだとしたら、 いわば、私の言ったとおりということになるんじゃないでしょうか?
 メリットではありません。本質をはずすことはいわば健康を害したようなもので、そこで発生するトラブルは病的なものです。
 これはは健康管理(本質の優先)と風邪薬の服用(トラブル対策)を混同しているようなものです。
1998年06月27日:01時32分14秒
Re:別に結論をいそぐわけではないですが・・・ / でぶ猫
 ちゃんとその前の私の発言をよんでください。
 単なるトラブル防止策などではなく、意思決定(つまりゲームの本質)を軽視する、あるいは無視することが トラブルの原因だといってるのです。
 本末転倒ですね。
(でないと、本質はすべからく単なるトラブル防止策にすぎないということになりますね)
1998年06月27日:00時31分14秒
別に結論をいそぐわけではないですが・・・ / SHiN
でぶ猫さん
>でないとおかしなことにな っちゃうよん。(普通より困ったちゃんがハバきかせたり、つまんなくなったりいろい ろね)
 
 
 一応、このことをさして、トラブル防止策っていったんですよね。 で、意思決定をTRPGの本質とすることによる『メリット』が なければ、現場のGMとしては、『トラブル防止策』にすぎないってことになると思うのです。
 
 だって、キャラクターロールプレイは、TRPGの本質じゃないって人も それをTRPGに導入して魅力のひとつにすることは認めてますよね? 同様に、意思決定を本質とせずとも、導入して 魅力の一つとすることは可能です。
  
 『本質』として定義することに、ポリシー以外の、メリットが あるのかどうか、おききしたいんです。 もし、『トラブルがおきない』ってことだけだとしたら、 いわば、私の言ったとおりということになるんじゃないでしょうか?
1998年06月27日:00時16分12秒
ご、ゴメン(^^; / SHiN
>でぶ猫さんじゃありませんが、類するものとしてまとめられてしまった私が答えまし ょう。

うわあ〜、陽陰さん、すいません.

なんか、前回の書き込みにもレス保留にしたり、わたしが 陽陰さんを軽視してるみたいですが、決して、そんなことないです。

皮肉なもので、共感できる部分の多い意見には、自分の意見に 対する反論でも、あとまわしにしてしまうんですよね・・(こういう考え方もあるよなあって・・)
 
 でも、けっして軽視してるわけではないので、誤解しないでくださいね。 わたしのつたない書き込みに、いつも、ちゃんと応じてくださって 感謝しております。 今回は、たまたま、でぶ猫さんの方がレスポンスはやかったから・・
 
 
(陽陰さん)
 >まあ、つまり、TRPGの本質は「意志決定+A」と言うことです。
 

 この場合、意思決定とAは、同等なのでしょうか? もし、その通りなら、賛成です。
 
 わたしが、まず、確認したい、そして、広く認知させたいのは、 意思決定と同等の価値を持つものが観念の上のTRPGでなく、 現実のTRPGセッションには存在するのでは?と、いうことなのです。

また、わたしが(たぶん、はりはらさんもだと思うけど)いやなのは この『意思決定』が本質をであるという理由で、その他の要素(キャラクターロールプレイを楽しむことやロールプレイ表現など)が駆逐されてしまうって 発想なわけです。
1998年06月26日:22時50分50秒
れ:数学記号、いやーん / でぶ猫
まあ、必要条件というと「いや〜ん」な感じかも知れないので簡単にゆうと
 
 TRPGであることを決定するのは意思決定だけじゃないけど、 意志決定はなくてはならないものだよん。ゆめゆめかろんじちゃなんないよん。でないと おかしなことになっちゃうよん。(普通より困ったちゃんがハバきかせたり、 つまんなくなったりいろいろね)
 
 ちゅうことやね。
1998年06月26日:22時46分46秒
あんね / でぶ猫
 じゃないっ
 整理だ(国際標準オヤヂギャグ おいらってとっても下品でえっちだなぁ)
 
 To SHiNさん(Reply to もうすこし、整理につきあってください(^^; )
 
 あー、なんか、私がおかしいと思う点が見えてきました。
 
 まず、
 > 理解してます。わたしも、意思決定、ゲーム要素のないTRPGは、『分化』して
 >別のものとなってしまうと思います。
 より、
 ゲームの本質=意志決定、TRPGはゲームの部分集合であるという点は意見の一致を見たと 判断してよいでしょう。
 また
 >でぶ猫さんにとって、『本質』ってなんです? わたしにとっては、それが欠けると、違うものになってしまうようなものの事で
 >す。 わかりやすくいえば、 TRPGしよう!って人集まった場合、その本質部分が欠けたものを 提示するとがっかりされるって
 >いうようなものです。
 もまた同意できる意見です。
 だからこそ
 >『ゲームのための意思決定を最優先・最重要視するのは、トラブル対策にすぎない』
 という考えがおかしいと思うのです。
 なぜかって? これって本末転倒じゃないですか。ゲームの本質である意志決定を無視すれば、もちろんそれはゲームでは ありませんし、TRPGでもありません。さらに、軽視すればゲームから遠ざかり、他のものを優先して棚あげしたりすれば、 その間だけゲームでなくなるのです。必要条件は最優先で満たさなければならないものなのです。そうでなければ、トラブル が発生するのはあたりまえじゃないでしょうか?
 つまり、ここは『ゲームのための意思決定を最優先・最重要視するのは、あたりまえのことだ』
 となるのが筋だと思うのです。
 SHiNさんの表現をかりれば
 >『本質』を最重要視するという意識
 こそが私に異論をいわしめているわけですね。
  
 言葉の問題ですが、「ゲームの本質は意志決定」といいながら「ゲーム的な意志決定」を他の概念より 軽いものとされては、自己矛盾と見えてもしかたないでしょう。
 ただし、ゲームの本質としての意志決定と、ゲーム的な意志決定の違い、ゲーム的な意志決定とやらは いったいなにかという点はまだ不明瞭ですが。
(説明と、適切な表現への変更が必要と思われます。もし違うものなら)
 
 ところで、SHiNさんのいう「擬似体験のための意志決定」というのはプレイヤーの目指すべき 目標層のうち、「PCの目的」をさしているのでしょうか? それとも、感情移入をもっとすすめることを目標とした(馬場氏のマスタリング講座にはない) 目標階層を新たに設定したのでしょうか?
 いずれにしろ、目標として設定され、意志決定していく以上これも「ゲームのための意志決定」でしょうね。
 むしろ、意思決定うんぬんよりも、意思決定でめざすゴールである目標の優先順位論ではないかと思うのですがいかがでしょう?
 
 なお、今回は混乱を避けるため、疑似体験についてのコメントは控えます。
1998年06月26日:22時28分43秒
RE:数学記号、いやーん / 陽陰
 どうも、夜しか書けない陽陰です。
 
 でぶ猫さんじゃありませんが、類するものとしてまとめられてしまった私が答えましょう。
 
 >(ゲームの本質∋TRPGの本質)=意思決定
 
 これは、
 ・TRPGの本質は、ゲームの本質に含まれる。
 ・TRPGの本質は意志決定である
 ・ゲームの本質は意志決定である
 
 >意思決定=ゲームの本質∋TRPGの本質
 
 これは
 ・ゲームの本質は意志決定である
 ・TRPGの本質は、ゲームの本質に含まれる。
 
 つまり、これらの相違点は、
 ・TRPGの本質は、意志決定に含まれるが、意志決定とはかぎらない。
 
 うーん、さらに難しい説明かも。
 まあ、つまり、TRPGの本質は「意志決定+A」と言うことです。
1998年06月26日:21時48分26秒
数学記号、いやーん / YAN/矢野 聡一郎
>  でぶ猫さん
 
> えー、少し修正をば
> (ゲームの本質∋TRPGの本質)=意思決定
> はなく
> 意思決定=ゲームの本質∋TRPGの本質
> です。
 
 うひゃあ、どうちがうのかわかんないです。(調べようにも、数学の教科書、実家にあるし)
 
 よろしかったら、ふつうのことばでせつめいしていただけるとありがたいです〜。
1998年06月26日:21時45分16秒
もうすこし、整理につきあってください(^^; / SHiN
To 宇津見さん、YANさん、おっしゃることはわかりました。 反論はありません。
 が、わたしは、この議論に、「プレイヤー」としての視点を ふくめたかってこともあります。
 特別、知識のあるプレイヤーでなく、普通われわれが相手にするプレイヤーです。 または、馬場講座を読んでない、『一般的な』GMです。
 
 そういう人の素直な意見は、非常に貴重だと思うのです。
 また、かれらに対する疑問にこたえることは、自分たちが相手にする プレイヤー、GMに対し、答えることにもなるのだと思うのです。
 それらは、価値のあることだと思いませんか? 馬場講座の読者同士だけでTRPGをするという前提ならかまわないのでしょうが・・・。
 
 では、本題。
  でぶ猫さん
 
 あー、ものわかり悪くてすいません。 もうすこし、整理につきあっていただけますでしょうか?
 
 
>意思決定はTRPG(ロールプレイングゲームの必要条件であるわけです。
 つまり、意思決定がなければTRPGではないのです。
 しかし、意志決定があればTRPGであるとは限りません。
 
 
 理解してます。わたしも、意思決定、ゲーム要素のないTRPGは、『分化』して
別のものとなってしまうと思います。
 
 そして、わたしの主張も、意思決定があれば、TRPGというわけでは ないはずだということです。
 
 ここまでは、同じと思っていいんでしょうか?
 
>おそらく、SHiNさんがつかっておられる「意思決定」というのはこれとは別物では ありませんか?
 
 『意思決定』の言葉の中に、『権利』までふくまれるというのは、 よくわからない感じがしますが、後者の、
 
 >「目標達成のための選択肢を作り出し、最適と判断されるものを選び、実行 する」という行為
 
 ってのは理解できます。 わたしの使った『ゲームのための意思決定』は、これに あたります。
 が、『疑似体験のための意思決定』は、たしかに、これとは 違います。いわば、架空の人物が、その人生というゲームの中で 意思決定を行うということを味あうのが、疑似体験における意思決定の楽しさだからです、
『意思決定』という表現は同じでも、でぶ猫さんが おっしゃるところの意思決定(つまり、わたしがいうところの
『ゲームのための意思決定』)と、この『疑似体験のための意思決定』はあきらかに、違いますね。
 
 つまり、でぶ猫さんが、
『TRPGの本質はゲームである』
『ゲームの本質は意思決定である』 とおっしゃる場合、
 わたしのいうところの『疑似体験としての意思決定』は ふくまれてないわけですよね?
 
 
 >ですから、おさまってしまうのです。えてして基本というのはシンプルなものでなん ですよ。
 
 
 でぶ猫さんにとって、『本質』ってなんです? わたしにとっては、それが欠けると、違うものになってしまうようなものの事です。 わかりやすくいえば、 TRPGしよう!って人集まった場合、その本質部分が欠けたものを 提示するとがっかりされるっていうようなものです。
 
 
 今度はわたしからお聞きしますが、でぶ猫さんにとって、 TRPGの本質的価値に、共有体験、疑似体験の価値ははいっていないのでしょうか?
 
 たとえば、共有体験を必要としないなら、 コンピューターTRPGでも、ソロプレイのゲームブックでも いいということになりませんか? 疑似体験の価値は、初期のTRPGでは、ほとんど重視されなかったと 思いますが、現在のTRPGで、疑似体験を無視しても、満足できるでしょうか?
 どちらがかけても、テーブルトークロールプレイングゲームには ならないと思いませんか?
 
 でぶ猫さん個人は、もしかしたら満足できるかもしれません。 が、GMという立場は、自分さえ面白ければいいという立場ではないですよね? GMとして、でぶ猫さんは、疑似体験の楽しさ、共有体験の楽しさを プレイヤーに十分あたえなくてもかまわないという考え方なのでしょうか?
 
 わたしの聞きたいのは、そこです。 ゲームシステムとしての意義、疑似体験メディアとしての意義、共有体験の媒体としての意義・・
これらは、
 『等価』なのではないだろうか? って意味です。別に、原理主義的に本質がゲームというならそれでもいいです。 が、実際のセッションにおいて、この(とりあえず)3つが
『等価』としてあつかわれるべきかどうか?ってことなのです。
 
 
>ところで、意志決定はトラブル対策にすぎない、という論旨が見えなくなりましたが
、あれは撤回ですか?(私が一番異論があったのがそこなんですけどね)
 
 いいえ。
 現在では、用語の関係上、
『ゲームのための意思決定を最優先・最重要視するのは、トラブル対策にすぎない』 という風になってしまいますが、依然、撤回ではないです。 それとも、こういう表現にすれば、でぶ猫さんも、 異論なくなるのでしょうか?
 
 それなら、撤回し、そのようにあらためますが。

わたしの論旨は、かみくだいていうと、でぶ猫さんのおっしゃる意思決定と 同じくらい大事なものがTRPGにはある。が、多くのGMが、 意思決定を最重要として扱うのは、トラブル対策としての価値がいまげんざい、 一番高いからだ。というものです。
 
 『本質』を最重要視するという意識がでぶ猫さんにないなら、 わたしとしては、反論ないのですが。
(この、最重要視というのは、以前、宇津見さんがおっしゃってた 言葉なので、でぶ猫さんが別意見ということは、十分考えられます。)
1998年06月26日:20時24分23秒
整理、整理と / でぶ猫
to 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
 えー、少し修正をば
(ゲームの本質∋TRPGの本質)=意思決定
 はなく
 意思決定=ゲームの本質∋TRPGの本質
 です。
 
 to SHiNさん
 
 まだ意味が十分に通ってないように思えます。
 意思決定はTRPG(ロールプレイングゲームの必要条件であるわけです。
 つまり、意思決定がなければTRPGではないのです。
 しかし、意志決定があればTRPGであるとは限りません。(十分条件ではありませんから。 しかし必要条件である以上、意志決定の存在は必要十分条件を構成する一要素であるわけです)
 
 さて、意思決定という言葉について確認ですが、これは
「目標達成のために最適と思われる選択を行なう権利」にすぎません。付帯する要素をくわえれば「目標達成のための選択肢を作り出し、最適と判断されるものを選び、実行する」という 行為といったほうがわかりやすいでしょう。(選択肢をつくりだす、という要素は必ず存在するわけではありませんが、 多くのすぐれたゲームはこれを備えています)
 
 これはいたってあたりまえのことだと思うのですがいかがでしょう?
 おそらく、SHiNさんがつかっておられる「意思決定」というのはこれとは別物ではありませんか?
 
 > つまり、TRPGに、他のものと共通で適用できる本質を 設定しようとするなら、それは、一つの単語ではおさまらないという ことなのです。
 
 ですから、おさまってしまうのです。えてして基本というのはシンプルなものでなんですよ。これにいろいろな要素がからめば(目標の多層構造とかですね)、だんだんに ややこしくなっていくわけです。
 ところで、意志決定はトラブル対策にすぎない、という論旨が見えなくなりましたが、 あれは撤回ですか?(私が一番異論があったのがそこなんですけどね)
 
 ☆ちなみに、ゲームの本質は意志決定であるというのはグレッグ・コスティキャン氏のゲーム小論であり、馬場秀和氏はそれを踏襲しているだけなんですけどね(^^;
1998年06月26日:19時55分16秒
あれ?蛇足だったかな… / YAN/矢野 聡一郎
 うーん、先に宇津見さんの書き込みが入っちゃったかぁ。
 
 なんだか蛇足になってしまった感もありますが、リンクを張った分で御愛敬として下さいませ。
1998年06月26日:19時44分54秒
RE:上級者問題をおもいだしてください。 / YAN/矢野 聡一郎
> SHiNさんへ
 
 ええと、宇津見さんが言われているのは、「議論の場において本格的に発言しようと思うものは」、最低限、関連する資料については目を通しておくべき、という事だと思いますよ〜?
 鍼原さんの場合、その発言量から鑑みると(笑)、確かに読んでおいた方が良さそうだと思いますしぃ〜。
 
> わたしに文章の長さをとやかくいったわりに、
 
 この発言は、ちと問題ありかと。
 馬場さんの講座は、読み物としてきちんと纏められているもので…ええと、喩えるなら「公演」みたいな感じ。
 それに対して、ここは公共の場、「会議室」みたいなものですから、ここでの発言は、読みやすく纏めるべきでしょう。 (実際、SHiNさんの意見って、プリントアウトしないと、前の発言との関連が分からなくって、読むのがつらいです…)
 
 ただ、「ここは、馬場理論研究所ではないので、馬場講座よんでなくても わかるように書こう」という点には同意します。
 
> 自分の言葉で、最低限、責任をもてるだけの
> 意見内容を表現して参考資料として提示する
 
 確かに、馬場氏の定義における「キャラクタープレイ」「意思決定」については、文章を引用するなり、リンクを張って該当個所を指示しておくなりしておけば、混乱は無かったかも知れませんね。(初心者の方にも優しいし)
 
 ええっと、「キャラクタープレイ」については、馬場さんの講座の第1章:システム選択「1.2 役割分担」の所にあります。(…まあ、確かに、「そこまで言わなくても…」って感じはしますなぁ。)
  意思決定については、馬場氏の文章ではなく、コスティキャンのゲーム論の、「−意志決定」の部分にあります。
 
 いずれにしても、語感からすると様々な解釈が出来そうな言葉ではあるし、説明は必要であったかもしれませんね。
 
 なお、意思決定については、マスタリング研究室のベンさんの意見、「ミッションクリア型」と「意思決定」(98年06月26日:04時13分02秒)の説明が、分かりやすくって良いと思いました。
1998年06月26日:19時04分21秒
RE:上級者問題をおもいだしてください / 宇津見
 SHiN氏へ
 > TRPGをよりよく楽しむ上で大事なこと、必要なこと、
 >いろいろありますよね。 でも、そういう事を強制する
 >ことが正しい態度かどうか?
 議論の際にに基本的な資料を調べておくことは、マナーと考えております。引き合いに出して申し訳ありませんが、鍼原神無氏にはそのための時間が充分にあったはずですから(正直言って、今さら「要約して教えてください」といわれても)。

 > わたしに文章の長さをとやかくいったわりに、
 >「馬場講座を読んでください」とレスをかえすの
 >は、 あの長文をそのまま書き込み、全部読め
 >ってのと同じですよ。
 違いますよ。
 発言の文章を的確にまとめるということと、議論のための資料を調べておくということを混同しないでください。

 あなたはどうかしりませんが、私は調べるべき事、調べられる事を、充分な時間と示唆があるはずなのに、それをしないまま話を進める人の相手は遠慮願いたいですし、現に最近は(忙しいこともありましたが)そうしてきました。そうした人の相手をする羽目になって、迷惑した経験もありますので、


1998年06月26日:18時37分21秒
なんとなーく解ってきた / ねこぱんち
 たぶん、SHiNさんのおっしゃりたいことと、表現がうまくかみ合っていないんだと思う。
 
 「意志決定」が物事の本質の一つであることは否定されていないわけだから、その「意志決定」の基準となる目的と、それによって適用されるべきルール(もしくは共有意識でも可)の話しなのだと思うの。
 
 いわゆる「ミッション・クリア(とその過程)」を目的としたシステムでは、「意志決定」の先にある目標(目的)が「ミッションの達成」にあるわけで、それに反する行動は「ゲームの趣旨」そのものに反する訳です。
 この場合のキャラクタープレイは「ミッション・クリア」への(過剰な)障害にならない事を前提に許されるわけ(ここをはずすと、単なるはた迷惑なキャラクターになる)。
 で、例えば「個々のキャラクターから(自然に)紡ぎだされる物語を楽しむこと」がゲームの目標であれば、「物語を促進する」行動こそが「ゲームの趣旨」に合致する事になり、「意志決定」において考慮すべき「選択肢」を規定するわけ。
 まあ、上記の例でもそれなりにお互いの比率が混ざるの普通ですよね?
 で、現在SHiNさんがおっしゃりたいのは、下のケースの場合のゲームを「円滑に進められるような」ノウハウとかセオリーとか、いままで個々のマスターの経験でフォローされていた部分を、共通認識として確立できないか?と提言したいのだと思いました。
 
 でも、実際には「TRPGの本質」っていう言葉遊びに振り回されているのではないかしら?そう感じました。
 どうでしょう?>SHiNさん
 
1998年06月26日:16時57分15秒
RE:意思決定の『意義』 / YAN/矢野 聡一郎
 最近、長文を読む気力も、書き込む余力も無い状態ですので、手短に感想をかかせて頂きます〜。
 
> SHiNさんWROTE 
> つまり、ゲームを破棄したとしても、 意思決定を必要とするゲーム以外の『何か』
> の要素が TRPGに残っていれば意思決定は、依然、重要なわけです。
  
> さきほどわたしがあげた例では、TRPGに残った本質のうち、
> 『疑似体験』がそれにあたります。
> この疑似体験の本質も、ゲームと同じく、『意思決定』だと思います。
 
 なるほど、『疑似体験』ですかあ。ようやく、SHiNさんの言いたかったことがわかったような気がする。
 
 しかし、『疑似体験』重視のプレイって、具体的に「ゲーム性」重視のプレイと、どう違うんでしょう?根っこの部分は、全く同じだと思うのですけど。(「なりきり度」の違い…?)
 
> たとえば、時間的制約、地理的制約のくわわった複雑な意思決定は、ゲーム的
> には面白いものですが、 疑似体験的には、それほど面白くないでしょう。
 
 これ、良くわかんないです。プレイヤーの立場では面白くても、PCの立場からすると面白くない、ってことでしょうか…?(確かに、「悩むのが楽しい」ってPCは少ないでしょうけど。)
 
 この点、もう少し詳しくお願いします。
1998年06月26日:16時46分24秒
上級者問題をおもいだしてください。 / SHiN
宇津見さん
   
 馬場講座の価値については、こないだTRPGFREEの方で おこなわれたばかりなので、むしかえして議論するつもりは ありませんが、このあいだのマスタリング研究室での 発言も含めて、ひとこと。
 
 TRPGをよりよく楽しむ上で大事なこと、必要なこと、 いろいろありますよね。 でも、そういう事を強制することが正しい態度かどうか?
  
 まだ、勧めるだけならかまいませんが、こないだのように、 他人の書き込みへの返事のかわりとして用いるのはおやめください。
  
 わたしに文章の長さをとやかくいったわりに、
「馬場講座を読んでください」とレスをかえすのは、 あの長文をそのまま書き込み、全部読めってのと同じですよ。
(一部だけ読むと誤解が生じます。)
 
 せめて自分の言葉で、最低限、責任をもてるだけの意見内容を表現して 参考資料として提示するという姿勢をとるように していただけませんでしょうか?
1998年06月26日:15時31分30秒
読むべきでしょう / 宇津見
 SHiN氏へ
 > でも、ここは、馬場理論研究所ではないので、馬場講座よ
 >んでなくても わかるように書こうと思うし、また、そうするべき
 >だと思うしね。
 私は、こうした議論に本格的、長期的に参加するには(二言三言意見を言うだけならとも各)、入手が容易な物であるなら資料を調べておくのは当然と思っていましたが。その上で、同時に発言の文章単体で理解できるような文章を書くべきでしょう。両方同時にやるべきなのです。
 そもそも、こうした大きな議論で、明らかに問題になっている資料があり、しかもそれを容易に入手できるのに調べなくても問題ないというのは、私には信じがたいのですが。私の経験上(NIFTYのRPG関連以外でのことです)、そうした事をやれば間違いなく、理解と説明の両方に怠慢であるとみなされましたが。
 > 今回の議論、すくなとも、今参加してくださってるかたは、
 > 馬場講座からは、自由だと思うので、 たとえ読んでなく
 >ても参加できると思いますよ。
 現実の現状は、全く逆に見えますよ。
 >読んだとしても、聞いた話じゃ、反論してくる人は、 みんな
 >的はずれな意見を言うそうだし(笑)
(つまり、馬場氏
 >とかけはなれた立場にたつ人には理解しづらい。)
 わたしには、読解力に問題のある人が的外れな文句を言うのが、決まって大声なので、目立っているだけにしか見えませんが。「トンデモ本の世界」「トンデモ本の逆襲」には、そういう本がいろいろ紹介されているので、ネット上の議論のための反面教師にお勧めします。
1998年06月26日:15時11分40秒
意思決定の『意義』 / SHiN
TTBさん
>>ゲーム性を破棄しても意思決定の重用性はかわらないというのが私の見解です。
>はい。でも、上述の通り、SHiNさんはゲーム性の本質が意思決定ですからとも言わ
>れてまして、私にはちょっとわかりにくいです。
 
 たしかにわかりにくい概念ですが・・実は、わたしの今回の提言の目玉の一つです。
 
 はっきり書かなかったのは、わたしばかり、一方的に問題提起をくりかえすと、 話題が処理不可能なくらいにふくれあがる可能性があると思ったからですが・・ ひとつずつ処理していきたいな・・と。
 
 で、ご質問の件ですが、
 
 ゲームの本質が(狭義の)意思決定であったとしても、 意思決定の本質はゲームってわけではないですよね?
 
 つまり、ゲームを破棄したとしても、 意思決定を必要とするゲーム以外の『何か』の要素が TRPGに残っていれば意思決定は、依然、重要なわけです。
  
 さきほどわたしがあげた例では、TRPGに残った本質のうち、
『疑似体験』がそれにあたります。
 この疑似体験の本質も、ゲームと同じく、『意思決定』だと思います。
 
 疑似体験は、いわば、架空の人物の人生を体験することです。
 SinさんのところのRQでは、主人公は、グローランサ史に残る英雄の 人生を追体験するわけですから、人生の本質が意思決定であるという 前提が正しければ、このSinさんのプレイにおける疑似体験も、
『意思決定』が重要になってくるわけです。
 ただし、人生の本質が広義の意思決定であるのに対し、 このTRPG上の疑似体験は、ルール及びその他イロイロの枠内の範囲のものですから、 当然、本質は狭義の意思決定になるわけです。
 
 また、このルールはTRPGにおけるゲーム部分を楽しむときのものと、 ほぼ同一(あたりまえか。)であるため、ゲーム性を破棄したとしても、
 以前、意思決定の重要さは残る・・というわけです。
 
 
 と、まあ、こんな説明でいかがでしょうか?
 
 ただ、もっと重要なことに、
 この同じ『狭義の意思決定』でも、 また、制限としてくわわってくるのが、同じルールだったとしても、 それぞれの意思決定は、質が違ってくるということに注目すべきだと思います。
 
 これまで『ゲーム性重視派』によってとなえられてきた
『意思決定』は、この狭義の意思決定のうち、
『ゲームのための意思決定』と呼ぶべきものだと思います。
 
 そして、はりはらさんのような、 ロールプレイ大好き!って人が楽しんでいるのは、
『疑似体験としての意思決定』なのではないでしょうか。
 
 つまり、前者は、
 『ゲームを進める(変化させる/影響を与える)ために、意思決定を下し、 その結果(成果/反応)を楽しむ』わけです。
 
 一方、後者は、
 『架空の人物としての意思決定』を楽しむわけです。 ある状況において、自分の設定した性格のキャラクターが、王としての立場になったら、どうするだろうか? 孤独な戦士だったら、どうするだろうか? それを楽しむのが、ロールプレイを楽しむってことなのではないでしょうか?
 
 (いかがですか?はりはらさん?)
 
 これまでの議論では、これらが、ごっちゃにされすぎていたと思います。
 
 例にあげた『王』という立場は、どちらの意思決定にも影響をあたえますが、 それぞれの意思決定を行う上での楽しみの質は、それぞれ別のものなのです。
 
 たとえば、時間的制約、地理的制約のくわわった複雑な意思決定は、ゲーム的には面白いものですが、 疑似体験的には、それほど面白くないでしょう。
 
 が、自分のキャラクターの性格やパーソナルな事情が深くからんだ意思決定は、周囲からの評価を得にくいって意味ではゲーム的には、達成感にかけますが、疑似体験的には、楽しいもののはずです。
 
 そのどちらを重視して、シナリオを組むか?ってことも、
 ゲーム重視マスタリング、キャラクターロールプレイ重視マスタリングの方法論の差としてあらわれてくるだろうと思います。
 と、まあ、今回はこれぐらいってことで。
1998年06月26日:13時51分20秒
たとえ読んでなくても / SHiN
はりはらさん
>で、この先はアタシも、SHiNさん、またも性急って思っちゃいました(笑)。
 
 こらこら、悪い先入観をうえつけないでくれ(笑) これでも、今回はかなりこまぎれにして我慢してます。
 
 >アタシの憶測を書いてみます。間違ってたらSHiNさんに訂正していただきましょ う(←身勝手ぇ〜;苦笑)
 
 OKですよ。
 わたし、最近、書き込みに自信なくって・・ わたしの文章が悪すぎるのか、それとも、感覚の違いがひどすぎて 理解しあえないのか、わからないとき、
 そうやって、誰かがまとめなおしてくれれば、
「ああ、ギリギリ大丈夫」って思えて安心できます。助かります。
 
 今回の議論、すくなとも、今参加してくださってるかたは、 馬場講座からは、自由だと思うので、 たとえ読んでなくても参加できると思いますよ。
 でも、たしかに馬場講座は、アイデア集、用語集、その他いろいろな意見がつまってて、辞典としてだけでも、 かなり価値があるので、我慢して読めば、それだけのものは 得られますけどね。
 でも、ここは、馬場理論研究所ではないので、馬場講座よんでなくても わかるように書こうと思うし、また、そうするべきだと思うしね。
 
 それに、マスタリング研究所での意見、わたしは的はずれでは なかったと思うしね。読んだとしても、聞いた話じゃ、反論してくる人は、 みんな的はずれな意見を言うそうだし(笑)
(つまり、馬場氏とかけはなれた立場にたつ人には理解しづらい。)
1998年06月26日:13時25分03秒
Sinさんへ / 速水螺旋人
>意外に思われるかも知れませんが、僕がここで発言しているのはあくまでうちの総意を代表してという感じなので(インターネットへの接続環境がないメンバーが多いもので)、個人的意見とは違う部分もあるのです。
 ああ、なるほど。了解しました。
 
 てなわけで、TTBさんの
>ある程度、ゲームの当事者が皆さん納得の上で、結論づけられたことなのですべからく尊重すべきです。もうやっていると思いますけれど、そのスタイルでやってみてください。また、新たな疑問ができた時には、今回と同様話し合えば良いのです。
 という意見に、おいらも賛成です。がんばってくださいね。
 
 で、まあ、「不快感を抱くようなことを敢えて実践する必要はない 」というのはたしかに大事ですね。 でも、Sinさんが「死亡賛成派」なら、不快感を抱かれない程度で、「PCが殺されるのも悪くないよ……?」と少しずつ「布教」していってほしいなあ、とも速水個人としては思ってしまうのです(笑)。だめ?
1998年06月26日:11時47分14秒
Gだけじゃたりない / SHiN
TTBさんのおっしゃられるように、
 言葉の擦れ違いだけは、気をつけたいものです。
 って、わたしが一番、変な言葉使うのかも(笑)
 
 たぶん、常識的なところでは、みなさんがまったく納得いかないっって 話はしないと思うので、『いくらなんでも、それは変だぞ?』って 感じる部分があったら、私の用語選択のミスの可能性もあります。 よろしければ、逐一、確認してくださるとありがたいです。
 
 もっとも、なるべく、そんなことのおこらないよう努力するつもりではありますが。
  でぶ猫さん
>はい、ただし、当然TRPGの本質でもあります。TRPG「だけ」の本質でないだ けです。
 
 なるほど。ということは、ですね。
 TRPGを形作る本質は、ほかにも存在する・・ということに ならないでしょうか?
 なぜなら、そうでなければ、 TRPGを他のゲームと差別化できなくなるからです。
 
 わたしが最初、TRPGの本質はゲーム性(ゲームでも可)ではないといったのは、 本質というものは一つかな?って概念があったのですが、
(わたしがそういう概念を持ってるってのではなく、みなさんのいう『本質』の意味がってことです。) 上のでぶ猫さんのお話しを聞くと、 でぶ猫さんも、わたしと同じく、多層化した本質という意識を持ってらっしゃるのではないか? って思います。
 
 つまり、これまでの所では、 ゲームは人生の一部であり、人生の本質である 広義の『意思決定』の影響下にある。
 そして、ゲームの本質は、狭義の『意思決定』
(つまり、ここでは『ルール』という『制約』内での意思決定って意味です。) であり、
 TRPGもゲームの一つとして、狭義の『意思決定』の影響下にある。
 
 が、これでは、まだ他のゲームとTRPGの見分けがつかないのではないでしょうか?
 
 つまり、TRPGに、他のものと共通で適用できる本質を 設定しようとするなら、それは、一つの単語ではおさまらないという ことなのです。
 
 これは、TRPGのGの説明だけでは だめってことです、T、RP、Gなのですから。
 
 というわけで、
 私の意見は次のように修正されます。
 
 TRPGの本質はゲーム『だけ』ではないとは思います。
 
 で、わたしにいわせれば、でぶ猫さんたちの意見は、 次のように修正されるべきです。
 
 TRPGの本質『の一つ』はゲームである。
 
(TTBさん)
>これに関してなんですが、SHiNさんのTRPGの本質は、ってのがわからないと、みな さんリプライつけられないんじゃないでしょうか。
 
 以上のことにもとづき、 わたしは(現時点ではとりあえず)、共有体験、疑似体験、ゲームをあげます。 もちろん、それぞれTとRPを意味するものといってもいいかもしれません。
(直訳はしてないです。それぞれ、TRPGのセッションにかかせないと思われる要素を
分析し、それを割りふっただけですから(笑))
1998年06月26日:11時05分48秒
「意志決定」についての行き違い(?) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「馬場講座」読んでないカンナです(ここで笑うと宇津見さんに怒られちゃうわ、きっと)。今日は午後休とって、美容院行って、明日は、ひ・さ・び・さ、のTRPGプレイなので、多分あさってか、しあさってに「馬場講座」プリントアウトしようと思います。
 
 それは、それとして、端から見てると、既に、ボタンの掛け違いがあるようにみえますわ。←勘違いかもしれませんけど。モノを知らないからみえることも、マレにあるのかもしれません(?)。
 ちょっとしゃしゃり出てしまいます。
 
 でぶ猫さんと陽陰さんがゆわれてるのは、
 (ゲームの本質∋TRPGの本質)=意思決定
 
 SHiNさんがゆわれてるのは、
 (TRPGの本質=架空世界のルールの枠内での意思決定)⊂(意志決定=ゲームの本質)
 
 #えぇ〜と、論理記号うろ覚えですわ(汗)。何しろ学生のときにちょこちょこっとかじっただけですので……。うえのふたつの記述、「⊂」は「含まれる」と、「∋」は「含む、または等しい」と読んでくださいませ。
 
 両サイドとも、ここまではよろしいですか?
 SHiNさんがお話しようとしているのは、諸々のゲームの内で、TRPGとゆぅタイプのゲームに固有な意志決定の仕方、ってお話なんだと思われます。
 
 で、この先はアタシも、SHiNさん、またも性急って思っちゃいました(笑)。
 TTBさんもおっしゃてる「ゲーム性」のことですけど。
 アタシの憶測を書いてみます。間違ってたらSHiNさんに訂正していただきましょう(←身勝手ぇ〜;苦笑)。
 
 1.「意志決定はあらゆるゲームに共通する本質だ」
 2.「けれど、SLG、アブストラクトゲーム、Etc、様々なゲームには、ゲームのタイプに応じて『ゲームの本質』の固有の現れかたがあるはずだ」
 3.「TRPGに固有な『ゲームの本質の現れかた』は『架空世界おルールの枠内での意志決定』ではないかと思われる」
 4.「ところでTRPGの本質をただ、ゲーム一般の本質と同じ『意志決定』とのみ行っていては、『TRPGの本質』を言い表したことにならない」
 5.「TRPGの本質をゲーム一般の本質で現している人たちが『TRPG固有の本質』をどぉ思っているかはわからないから、とりあえず『ゲーム性』って呼んでみよう、中には自称してる人もいるようだし」
 
 SHiNさん、どぉですか? 当たらずといえども遠からずなのでは?
1998年06月26日:08時27分39秒
re:速水螺旋人さんへ / TTB
こんにちは。TTBです。(^o^)
 速水さんじゃないのにかいてます。速水さんごめんなさい。
 
>TRPGも遊びであり不快感を抱くようなことを敢えて実践する必要はない
 はい。そのとおりだと思います。
 ある程度、ゲームの当事者が皆さん納得の上で、結論づけられたことなのですべからく尊重すべきです。もうやっていると思いますけれど、そのスタイルでやってみてください。また、新たな疑問ができた時には、今回と同様話し合えば良いのです。
 
 この話し合える土壌のある所が、私には羨ましい部分です。この土壌がないと話し合いの前に袂を分かつことになりますから。よいゲームの仲間をお持ちでいいですね。楽しんでください。
1998年06月26日:08時19分40秒
回答>SHiNさん / でぶ猫
 >つまり、おふたりのおっしゃってたのは、 TRPGでなく、ゲームの本質であるわけですね。
 
 はい、ただし、当然TRPGの本質でもあります。TRPG「だけ」の本質でないだけです。
 ☆ゲームの中でもTRPGを特徴づけるものを含んだものが先の私の発言での「TRPGの本質」です。
 
 >ちなみに、わたしは、ゲーム性の本質が意思決定って ことに、反対をとなえる気はないです。 が、TRPGの本質はゲーム性 ではないとは思います。
 
 SHiNさんは、TRPGはゲームではないと思っているのですね?
(ゲーム性の、ではなく、ゲームの、と言っていることに注意してください。TRPGがゲームの一分野であるかぎり、ゲームの本質は適用 されます。しかしそうでないなら、必ずしも含む必要がありません。ただし、後者の場合はコスティキャン氏の小論ではおもちゃと表現されて いますし、私もTRPG「G」のG[ゲーム]を取ったものだと思います)
1998年06月26日:08時19分20秒
TRPGの本質=ゲーム性=意思決定? / TTB
こんにちは。TTBです。(^o^) 数学苦手です。
 まあ、これだけ等式がありますと、単純に8通りもあって、また行き違いが起きるかもしれませんね。
 
>ゲーム性の本質が意思決定って ことに、反対をとなえる気はないです
 それじゃ、問題はTRPGの本質=(ゲーム性と意思決定)ですね。
 
>TRPGの本質はゲーム性ではないとは思います。
 はい。これがSHiNさんの主張ですね。
 
>おふたり、もしくは、ゲーム性重視派にとっての TRPGの本質とはなんなのでしょう?
 これに関してなんですが、SHiNさんのTRPGの本質は、ってのがわからないと、みなさんリプライつけられないんじゃないでしょうか。
 
>ゲーム性を破棄しても 意思決定の重用性はかわらないというのが私の見解です。
 はい。でも、上述の通り、SHiNさんはゲーム性の本質が意思決定ですからとも言われてまして、私にはちょっとわかりにくいです。
 
>その本質は、すでに意思決定ではなくなってる、ってのが、TRPGの本質=ゲームの本質=意思決定派の
>意見と考えてもよろしいのでしょうか?
 この文章も理解しにくいです。相手の状態を一種の推量で、自分の単語(TRPGの本質=ゲームの本質=意思決定派)に当てはめられようとなさってますので。
 
 SHiNさんはゲーム性重視派の方に問いかけをなさっておられますが、例えば私はそれに該当するのかどうかわかりません。したがってボードに参加しようにも、参加できないのが実状です。立場と術語の定義を、もう少し明確化していただけませんか。勝手なお願いで申し訳ありません。よろしくお願いします。
1998年06月26日:06時06分32秒
速水螺旋人さんへ / Sin
>だから、「天羅万象」のような、「プレイヤーがPCを殺
す」システムは「むう」、と思ってしまうのですが。

 実は「天羅」のルールって見たことないんです。勉強になりました。
>てなわけで、質問です。なぜ、「プレイヤーの意志による
>他は、PCが永続的にロストされることはない」という取り
決めをしたのですか?PCの不慮の死があってはなぜいけな
いのですか?

 ええと、せっかくのご質問ですから、何とかご期待に添えるような解答をしたいところなのですが、実は僕にも良く分からないのです。ああ、怒らないで下さいませ。うちがこのような取り決めをする以前には、結構バンバンとPCが死んでいて「死亡賛成派」と「死亡反対派」が議論していた時期があったのです。僕はTRPG一般に対しては、今も昔も変わらず「死亡賛成派」です。意外に思われるかも知れませんが、僕がここで発言しているのはあくまでうちの総意を代表してという感じなので(インターネットへの接続環境がないメンバーが多いもので)、個人的意見とは違う部分もあるのです。で、何故、サークルの方針としては「死亡反対派」に折れたのかと言うと、その頃僕はマスター専門でプレイヤー経験がなく、「死亡反対派」の仲間から「あんたはPCを殺してそんなに楽しいのか」と詰め寄られると感情的にはPCが死んだプレイヤーの気持ちは全く分からないので「僕はルールに従ってジャッジをしているだけでありそれに何らの快感も不快感もない、それに対して彼らは明らかに不快感を抱いている」という理屈で考えた結果、TRPGも遊びであり不快感を抱くようなことを敢えて実践する必要はないという結論に辿り着いた訳なのです。
 この文章は、マスタリング研究室から移動してきた話題です。
1998年06月26日:03時18分28秒
すみません。意思決定について、もう一つだけ確認。 / SHiN
To でぶ猫さん、陽陰さん
 
 >まず、言葉の微妙な行き違いを補正しましょう>SHiNさん
 
 了解しました。
 つまり、おふたりのおっしゃってたのは、 TRPGでなく、ゲームの本質であるわけですね。
 わたしは、『TRPGの本質は意思決定ではない』と発言したのに対し、 反論をうけたので、おふたりがTRPGの本質=意思決定と おっしゃってるのかと思いました。
 でも、まってください。 やはり、おふたりの、考えには、
 TRPGの本質=ゲーム性=意思決定という構図が 存在してるのでしょうか?
 
 ちなみに、わたしは、ゲーム性の本質が意思決定って ことに、反対をとなえる気はないです。 が、TRPGの本質はゲーム性ではないとは思います。
 
 おふたり、もしくは、ゲーム性重視派にとっての TRPGの本質とはなんなのでしょう?
 
(でぶ猫さん)
 >単純な言葉のとらえかたの違い方などによって、実はおたがいに納得できる意見 を違う言葉で語っているだけだと判明するかもしれません。
 
 いや、まったくですね。 いきなり、一つ、壁がくずれた思いです(笑)
 ゲーム性の本質が意思決定だってのは、わたしも 明白な定義だと思います。問題は、これが しばしばTRPGの本質とされてしまってることだと思うのです。
 たとえば、マスタリング研究室の方で紹介のあった Sinさんのとこのように、ゲーム性を破棄してしまったと いう(競技性でしたっけ。正確な表現は。)ものは、 その本質は、すでに意思決定ではなくなってる、ってのが、TRPGの本質=ゲームの本質=意思決定派の 意見と考えてもよろしいのでしょうか?
(ちなみに、下でも書いたとおり、ゲーム性を破棄しても 意思決定の重用性はかわらないというのが私の見解です。)
1998年06月26日:02時00分35秒
表現と内容 / 陽陰
 いや、まあ、だから、これらは「マスターとしては切り離すべきなんじゃないんでしょうか」ってことだけなんですが。
 
 >>鍼原氏
 >陽陰さんが、「声の大きい人が勝ちのゲームになります」ってゆってらっしゃるのは、比ユなんだと思ってるんですけど
 
 はい、その通りです。
 でもまあ、表現的にはマスタリング研(だったと思いますが)の過去ログでYAN氏と話してることの中から引っ張ってますので、興味があればそちらを。
 
>>速水氏
 >でも、RPGって、そもそもその「過程」が大事なゲームなわけで、ときとして表現方法の方が優先されることもありますよね。面白ければ。
 >声の大きい人に勝たせることはないですが、面白い人に勝たせるのはアリかなあとは思います。最適な方法でなくても、意外でみんなが楽しめる選択なら、そっち優先にしてもいいのがRPGの醍醐味では。
 
 表現が面白い人と、内容が面白い人、どちらを優先しますか?
 私なら内容が面白い人なんですが・・・(表現に惑わされるときもありますけどね)
 
 >>MARS氏
 >はっきり言えばカードゲームやウォーゲームの方が旨い布陣やデッキを作るならボーナスはつきますよね。
 
 はい、その通りです。
 では、臨場感たっぷりと、「ライトニングボルト」をうてば追加ダメージが入ったりしますか?しませんよね。
 別に気合いを入れて引いたからって、カタベラスドレインセットを手札に引き入れられる可能性は変わりませんね。(このへんM:TGネタです)
 
 だから、RPGだって良い布陣や戦術を、表現に惑わされずくみ取るべきでしょう?
 
 >>鍼原さん
 >PLの創意・工夫が上乗せされるのだと思うのですけど。
 >アタシがこれまで遊ばせてもらった、GMさんはみなさん、
 >、そのようにマスタリングされてたって見受けてるんですけど。それって変なのですか? 
 >客観的ではないかもしれないけど、決して不公正ってことはないと思ってるのですけど。
 
 変じゃないですよ。
 内容は、「ある程度」は加味されるべきだし、そうでないと意味がないでしょう。
 ただ、「ある程度」以上は加味すべきじゃないと思うんですよ。
 でもないと、システムに「交渉ルール」がある意味は失せますし、システムを適当に無視するんなら、それはゲームじゃありませんから。
 
 また、RPGの判定結果の適用は、すべてGMの「主観」です。
 客観性などは存在しません。
 ただ、GMが、客観的であろうとする、っていうのが、GMのモラルの一つだと思っています。
 
 P.S.
 「わいせつ」問題は裁判記録を読むと面白いですよね。
 サド裁判とか、結構馬鹿で好き。
 
 P.S.2
 >SHiN氏
 私の意見もでぶ猫氏と同じです。
 付和雷同みたいで気が引けますが、、、
1998年06月26日:01時16分27秒
意思決定関連 / でぶ猫
 まず、言葉の微妙な行き違いを補正しましょう>SHiNさん
 
「ゲームの本質は意思決定である」のであって「TRPGの本質は意志決定である」というのとは違います。
 意志決定が本質であるのは、TRPG以前にゲームの本質であるということです。
 そして馬場講座に語られた階層化された目標構造はTRPGの特徴であって、ゲームにおいては目標は単一でも かまわないわけです。(将棋やチェスなら相手の王を先にとることですね)
 
 ゲームというのは、意志決定とその結果を楽しむものです。
 TRPGとは? これはまた意志決定の問題とは別次元の問題でしょう。(意思決定は日本語で、TRPGは文学の分野のようなものです)
 しかし、ゲームである以上、そこには意志決定と結果を楽しむ過程が厳然としてあるのです。
 これがマスタリング会議室にかいた「確信」です。
(もうしわけありませんが、この言葉をはずす気はありません>SHiNさん。プライドだのなんだのの問題ではなく、 ゲーマーとしての信念の問題だからです。議論にならないとおっしゃいましたが、そんなことはありません。意見の違いを確認するのも有意義ですし、 単純な言葉のとらえかたの違い方などによって、実はおたがいに納得できる意見を違う言葉で語っているだけだと判明するかも しれません。要はおたがいの考え方を理解することです。そうでなければ、決着のつくものもつかないでしょう。[まあ、つかない場合がほとんどですけど])
1998年06月26日:00時41分57秒
しまった! / SHiN
かきわすれました。
 下の文章は、
 マスタリング研究室から移動してきた話題です。
1998年06月26日:00時38分40秒
意思決定という言葉への認識 / SHiN
(陽陰さん)
>違うという方に質問したいです。
 他の回答ってあるのかなぁ。
 ないですよ。
 『意思決定』に匹敵するようなものは。
 いや、別に、TRPGに本質が存在しないって言うわけではないです。 ただ、意思決定に重要度の差があるように、
 この『本質』ってのも、階層構造を持っているわけです。
 
 まず、意思決定ですが、これは、頂点に 位置する本質です。なぜなら、
『人生』の本質だからです。
 
 馬場講座の『目標の階層構造』のところを思いだしてください。 あそこで語られてるような内容を、いくらか変更して、 ご自分の人生にあてはめてみてください。
 
 どうです?あてはまるでしょう?
 
 つまり、『意思決定』とは、人間が生きることの本質であるわけです。 TRPGといえど、当然、意思決定が重用になってくるわけです。
 (厳密な意味で意思決定がまったくかかわらないものなど存在しません。すごろくにしたって、 どの程度の力でダイスをふるかという意思決定が存在しないともいいきれません。)
 そういう意味で、意思決定は、TRPGでも重要であるが、 TRPGの本質という表現は、ふさわしくないわけです。
 
 本質というのは、それを他の存在と差別化するための もっとも基礎となるものなわけですから、 意思決定という広範囲をフォローする言葉を本質としてしまうと TRPGの定義が非常にあいまいになってしまいます。
 
 そこで、TRPGの本質を意思決定として定義したいのでしたら、 もっと、意味をせばめてやる必要があります。
 たとえば、「架空世界のルールの枠内での意思決定」という具合にです。
 
 この認識は、わたしとしては今回議論をする上での最低の共通認識とすべきだと 思いますので、みなさんの意見をうかがってから、次へすすみたく思います。
1998年06月24日:12時24分23秒
補足:キャラクタープレイはハイリスク(短いです;苦笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
ひとつだけ補足させてくださいね。
 
>厳密さが要求されるルール、法律には実は解釈の部分って少なくない
 
 アタシがイメージしてるのは、例えば、「公然猥褻物陳列罪」とかです。正式な名称は違うかもしれませんけれど。
 何が「公衆の劣情を刺激」して、何が刺激しないのか。その判断が客観的であるはずがないと思います。→判断基準は、ゆぅならば「共同主観的」、とか、「間主観的」とか、呼ばれる類のもののはずです。

 さしあたり、用語はどうでもいいです。「文字であらわされたルール」でもチェス、とかのルールは充分、客観的といえるんじゃないかと思います。けれど、これがTRPGのように「文章であらわされたルール」になると、どうしても客観的ではない、解釈を必要とする部分が出てくる、と指摘したいです。←もちろん、それがすべてではありませんけれど、切り捨てることもできない、のではないでしょうか。
1998年06月23日:23時42分36秒
キャラクタープレイはハイリスクだと思います / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 え〜と、アタシも結構ガンコ者なところありまして(苦笑)。みなさまの書込み読んで、考えるところは、もちろんあるのですけれど。ちょっと、お尋ねさせてくださいね。
 
 きっかけは、asukaさんのもんだい提起でしたよね。(「交渉判定について」,「プレイング研究室LOG013」,asukaさん記,98年06月18日:20時13分18秒)
 
>「実際に交渉技能があるゲームでもロールプレイでカバーするから交渉技能を取らないという人を知っています」と このような人を良く見る
 
 これって、ルール的に「交渉技能」が定められてるのに、それを取得してないPCのキャラプレによる交渉を、採用するのは、不公正かもしれない? ってお話ですよね。
 そこからお話が発展するのは歓迎なんですけど。ちょっと展開のスピードが早すぎる気がして。お尋ねしたいです。
 
 お尋ねしたいのは、「キャラプレによる交渉って、ホントにそんなに万能に有利でしょうか?」、ってことです。
 GMさんさえ、その気になれば、キャラプレのみに頼った交渉なんて、いくらでも突っ込めるって思うんです、それも公正に。例えば、陽陰さんが以前紹介されてた、「クトゥルフのシナリオに社会階層を設定する」しかけ、(「古い考え?そうかもしれませんけどね。」「プレイング研究室 LOG 011」, 陽陰さん記,98年05月27日:22時28分37秒)、のような設定がきちんとあれば、いくらでも、キャラプレイなんて足をすくえると思います。だって、キャラプレによる交渉のほうが制約多いんですもの、出身とか、履歴とか、性格とか。

 とゆぅわけで、キャラクタープレイに頼った交渉って、ハイリターンを狙ったハイリスクな選択なんじゃないかな、って思うんです。←このハイリターンって、主にPL間でウケをとれて、セッションを盛り上げる、ってことではないのかな? それはもちろん活躍のチャンスとか、経験点とかってことに結びつくけれど。
 有利/不利、公正/不公正の話だと思うのですけど、なんで勝ち/負けの話になるのか、アタシには、?、なところなんです。
 陽陰さんが、「声の大きい人が勝ちのゲームになります」ってゆってらっしゃるのは、比ユなんだと思ってるんですけど(違うのかしら?)。
 で、キャラプレによる交渉が、ハイリスクだとしたら、陽陰さんが言われるような、「常に声の大きい人が勝ち(有利;?)」ってことはないはずって思うのです。
 アタシはPC間の有利/不利、公正/不公正のこと考えてたんですけど、もしかして勝ち/負け、ってPCとGM間のことなのかな? それは別の話ですよね??
 
 で、ルールに基づいた公正のことなんですけど。例えば、GURPSの「妖魔夜行」では(ごめんなさいとりあえず多少は知ってるシステムでお話しさせてください)、たいていのPCは「日本語」なんて、技能はとらないけど、当然、日本語話します。日本語話せるなら、交渉ってできないほうが不自然だと思います。もちろん、交渉技能を持ってるPCのほうが有利に処理されて当然だって思います。
 そこで、PLの創意・工夫が上乗せされるのだと思うのですけど。アタシがこれまで遊ばせてもらった、GMさんはみなさん、、そのようにマスタリングされてたって見受けてるんですけど。それって変なのですか? 客観的ではないかもしれないけど、決して不公正ってことはないと思ってるのですけど。
 う〜ん、この書込み、第三者的に見たら屁理屈っぽいかしら? アタシは、TRPGのルールって、TCGや、SLGのように客観的ではありえない、つまり、解釈の部分がすごく大きいものって、本気で思ってるんですけど。前も、どこかに書きましたけど、厳密さが要求されるルール、法律には実は解釈の部分って少なくないですよね。だから、「TRPGのルールに解釈の要素がある」ってゆっても、変じゃないと思うんだけどなぁ。
 もちろん判定ルールとか、客観的な部分がシステムの背骨だってゆぅのはわかります。だからこそ、この「交渉(技能判定)」の件ってお話するかいがあるんだと思ってます。
 で、本来解釈の要素が多いルールの運用で、無理に客観性だけを突きつめると、悪平等が生じるんじゃないかって気もしてます。←みなさまのご批評をいただきたいところです。
 
#ちょっと急速に話題が移りすぎではないでしょうか? 話題が展開すること自体には反対でないですけど。
#アタシのせいかな。一応警戒して、「次のステップの話だと思います」って書いといたんだけど。やぶ蛇ってやつかしら?
1998年06月23日:09時58分21秒
RPGよりも… / MARStoM:TG
 はっきり言えばカードゲームやウォーゲームの方が
 旨い布陣やデッキを作るならボーナスはつきますよね。
 もちろん数値的でない場合もありますけど…
 M:TGでいうならコンボってのは一種のボーナスやないかな?
1998年06月23日:02時44分10秒
Re:カード/シュミレーションゲーマーな方に質問です / 速水「フンタ」螺旋人
 はい、シミュレーションゲーマーから答えさせていただきます。
 ……ウォーゲーマーって言った方がしっくりくるなあ(笑)。
 
 まあ、当然セットアップの時は作戦組んで考えますよね。はっきりしたコンセプトがないと、勝てませんから。で、まあプレイに移る、と。
 
>TRPG的に言うなら、キャラクタの個性にしたがって意思決定し、キャラクタの知力にしたがって知力判定する訳ですよね。
 え?
 いや、おいらの誤解かもしれませんが、そんなことはありません。
 RPGの場合ですと、プレイヤーと判定の間には「キャラクター」という存在が挟まれますが、ウォーゲームの場合、プレイヤーと判定の間はダイレクトですから。
 プレイヤーの作戦にしたがって意思決定し、その結果による状況で判定します。
 
>それに、上手いカード展開や部隊配置をしたからって、それに付け加えてボーナスがついちゃったらおかしいでしょう?
 でもウォーゲームの場合なら、上手い部隊配置や行動の結果、様々なボーナスがつくことはあり得ますよ。増援部隊とか、補給とか。
 
 はてはて。
>表現方法に惑わされずに、提案内容を検討するには、カード/シュミレーション・ゲーマーのような、結果最重要視の視点を持てばいいのではないか。
 まあ、そうですね。
 でも、RPGって、そもそもその「過程」が大事なゲームなわけで、ときとして表現方法の方が優先されることもありますよね。面白ければ。
 声の大きい人に勝たせることはないですが、面白い人に勝たせるのはアリかなあとは思います。最適な方法でなくても、意外でみんなが楽しめる選択なら、そっち優先にしてもいいのがRPGの醍醐味では。
 
 まあ、ナニゴトもバランス感覚なんですが(笑)。
# カンケーないですが、最近ウォーゲームしてないなあ。やりたいゲームはたまってるんですがねえ。「1918:Storm in the West」もまたやりたいしなあ。めざせパリなのじゃよ。
1998年06月23日:01時54分33秒
キャラクタープレイね / 骨喰藤四郎吉光
俺はファンタズムアドベンチャーを特に気に入ってマスタリングしていましたから、逆にキャラクタープレイがうまくできるかどうかはプレイヤーの自己満足で十分だと思っています。
もちろんプレイヤーのリアクションに対して無関心なマスターではありませんから、プレイヤーが何かした場合は、それを何倍にも膨らませてあげています。
判定に失敗した、しなかったに関わらず、それをやって面白くなったという反応を返せないのならプレイヤーは何もしなくなるでしょうし。
宇宙生命体タフィボーゼのキャラクターが、バルーン生物エアリアルスリッジのキャラクターとどんなにがんばって交渉したところで、普通はギャグにしかなりません。
でも何かすることに対しては最大限答えるべきだし、逆にそれが一部のプレイヤーの独占にならないように、参加者全員に返してあげることも必要だと思います。
結局、キャラクタープレイ自体はプレイヤーの自己満足でありますが、それをルールの判定の修正として用いるのはどうかと思います。ストーリーやお話をより魅力的に演出するために使う分には差し支えないと思いますが。
1998年06月23日:01時26分17秒
カード/シュミレーションゲーマーな方に質問です (実は交渉関係の書き込み) / 3327
え〜、例によって長い前振りをさせていただきます〜〜
陽陰さんのおっしゃる 「表現方法に惑わされずに、提案内容を検討する必要がある」 を私なりに説明しようとするとこうなります。 ( <我ながら、説明下手だと思いますけどね。サガなんです)。

題名通りカード/シュミレーション・ゲーマーな方に質問です。みなさんは対戦相手に対して、「彼は攻撃的なプレイヤーだ」とか、「慎重派だなぁ」とか、「スロースターターだなぁ」とか、そう言う事を感じたことは有りませんか?
あるいは自分でデッキを組む時/布陣を整える時 「今日は攻撃的に行こう」とか、「慎重に行こう」とか、そう思った事は有りませんか?

思っただけで何もしないなら、それって何でもないですよね? まぁ、何も無いデッキ/布陣なんてありえないんですけど、例示が悪いってことでここは見えないことにしてね。
で、思って何かするなら、それが失敗するか成功するかは別にして、あなたなりの個性でデッキ構築/布陣する訳です。TRPG的に言うなら、キャラクタの個性にしたがって意思決定し、キャラクタの知力にしたがって知力判定する訳ですよね。
奥歯にモノが挟まったような言い方で悪いんですが、TRPGのプレイヤは、行動の方針を決めることは出来ても、 キャラ (と言う能力/技能の集積体) にはなれないし、地形や情勢 (ボーナス/ペナルティの要因) になってはいけないと思う訳です。
それに、上手いカード展開や部隊配置をしたからって、それに付け加えてボーナスがついちゃったらおかしいでしょう?

ここまでで何を言いたいか分かってもらえましたでしょうか?
要するに、「ちょうつがいに油を差す」 などのような行動結果や判定に修正が入るようなことは、厳密に言えば判定を要する 「有意義な行動」 であり、プレイヤが言ってはいけないことだ。こう言いたい訳です。

で、やっと本題です。
表現方法に惑わされずに、提案内容を検討するには、カード/シュミレーション・ゲーマーのような、結果最重要視の視点を持てばいいのではないか。

これっぽちを言うためにこんな長い文章かくって、馬鹿っぽいなぁ、我ながら。

1998年06月22日:20時44分46秒
RE:キャラプレレスな交渉判定ってぶ・な・ん / 陽陰
 >>鍼原氏
 >キャラプレ反対のみなさんが、気にされるのは、「キャラプレの判定はルール上客観的に判断しがたい、のがもんだい」、ってことなのですよね? 違いますか?
 
 まあ、その通りです。
 マスターは、プレイヤーに対して平等でなくてはありません。
 そう、この「平等」の取り方が各人で違いが出てるんです。
 
 例えば、「臨場感たっぷりに余計なことまで含めて死ぬほど喋る人」Aと、「必要な行動だけ淡々と喋る基本的に無口な人」Bが居るとします。
 彼等が、それぞれ行動した際に、どちらをどれだけ優遇するか、ってことに集約されると思います。
 これで、仮に両者の提案内容が等しければ、どちらを優先しますか?
 
 もし、AよりもBの人の方が提案内容が優れていたら?
 
 もし、常にAが優遇されるならば、RPGっていうのは、声の大きい人が勝ちのゲームになります。
 
 だからこそ、GMは表現方法に惑わされずに、提案内容を検討する必要があると思うのです。
1998年06月22日:18時17分00秒
蛇足に追加 / ねこぱんち
 えーと、正確にはですね、「プレイヤーの(状況に関する)勘違いがロール(キャラクター)プレイによって増幅される事がある」ということです。
 自分は、プレイングのうまい下手に関わらず、プレイヤーの「○○したいっ!」と言う「意図」はくんであげているつもりです。
 別にペナルティーを与えているわけではなく、「マスターに提示されたプレイヤーの意図」から「結果」を導き出しているだけです。
 それに、なれていないプレイヤー(やあまりにもまずい状況)であれば「その返事だと○○な状況になるけどいいの?」と確認する事もあります
 
 >有須川紅麗さん
 ちなみに、自分は主に「深淵」マスターです。
 ここらへん、環境/指向の違いかもしれませんね。
1998年06月22日:17時05分32秒
Re:キャラプレレスな交渉判定ってぶ・な・ん / asuka
鍼原さんが書きました。
>キャラプレ反対のみなさんが、気にされるのは、「キャラプレの判定はルール上客観的に判断
>しがたい、のがもんだい」、ってことなのですよね? 違いますか?
確かにそうだと思います。
キャラクターの性格・行動指針などについては、実際にそのPCを使われているプレイヤーにしか完全に分からないわけである訳ですし、事前にGMや他のプレイヤーさんに完璧に伝えていたにしても、受け取り方などは個人的に異なる訳であるのですから、それを客観的に問題が起きないように判定するのは難しいと思います。
簡単にいえば、「そのPCがどのようなPC(行動方針、性格)なのかが、GMや他のPCに明確である」場合ならまだわかりやすいのですが、そうでないならばルールどおりに判定した方が問題は起こりにくいように思えます(味気ないのかもしれませんが)。
1998年06月22日:16時41分05秒
キャラクタープレイに対するボーナスまたはペナルティについて / 有須川紅麗
>ねこぱんちさん
>>蛇足
>自分がマスターの時、
>よけいな”ロールプレイ(?)”を試みた故に、NPCに誤解を与えて交渉失敗。
>ってパターンを良く見かけます。
>あと、巧妙に聞き出そうとして、表現に無理が出て警戒されてかえって失敗、、。
>とか、、。
私はD&Dのマスターをやっていますが、上記のような『キャラクタープレイ』
の失敗に対してはペナルティを与えないようにしています。
プレイヤーの中には上手く言葉に出来ない人もいますから。
但し、「***だから−−−します」といった時はペナルティを与えてますけどね。
まぁ、キャラクタープレイがルールで記載されていないD&Dだからかもしれませんが...
簡単に言ってしまうと、『表現が上手くできなかった時にはペナルティは与えないが、行動がおかしかった場合は
ペナルティを与える』『行動が理に適っていればボーナスを与えるし、表現が上手くてもボーナスを与える』
ってことです。こうするとプレイヤーたちはキャラクタープレイをやりますし、セッションが盛り上がりますから。

1998年06月22日:14時15分55秒
キャラプレレスな交渉判定ってぶ・な・ん / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ねこぱんちさんWrote
>よけいな”ロールプレイ(?)”を試みた故に、NPCに誤解を与えて交渉失敗。
>ってパターンを良く見かけます。
 
 そぉそぉ、そぉゆぅこと、よくありますよね(笑)。
 セッションの展開(←あえてゲームとゆぅのは控えましょう)ってことでゆったら、キャラプレ、入れないで、交渉判定だけで処理してったほうが、「PL/PCが判断してる状況」のディテールがふっとんで漠然と表現されてるぶん、無難なんだ、ともいえますわよね。
 
 キャラプレ反対のみなさんが、気にされるのは、「キャラプレの判定はルール上客観的に判断しがたい、のがもんだい」、ってことなのですよね? 違いますか?
 ちょっと、意地悪な突っ込みしてみましょうか(笑)? 確か「文字で既述されててもルールはルール」って主張がありましたよね。
 だとしたら「セリフで表現されてても状況判断は状況判断」とはゆえないのでしょうか? ←ちょっとこじつけ?
 
 え〜と、念のために書いといたほうがよいかと思うのですけれど。
 アタシは、キャラプレって「演技しなきゃいけない」とか思ってないですよ。キャラプレも、交渉描写も、価値としては同値だって思ってます。アタシだけでなくってSHiNさんやほかのかたもそぉゆってるはず。
 もし、「PLは全員演技しなきゃだめだ」的な、わがままキャラプレイヤーに困ってるかたがいらしたら、アタシを呼んでください。アタシは、今のトコGMやんないけど(汗)、サブマスさせてくれたら、セッション上で合法的に成敗してさいあげます(笑)。←え〜と、努力します、100%“成敗”できる自信はさすがにないです(苦笑)。
 
 キャラプレによる「状況判断(→交渉方法)の表現」と、描写による「状況判断(→交渉方法)の表現」と、ダイスロールのみによる「状況判断(→交渉方法)の表現」を比較したら、キャラプレ>描写(オンリー)>ダイスロール(オンリー)、の順で、表現される内容が密で、その分PLの状況判断が特定される、そのかわり、解釈の要素がはいってくる、って整理が成り立つのではないでしょうか? ←「キャラプレによる表現」のほうぉ、「描写による表現」よりわかりが早い、ってことです。PLの勘違いも含めて(笑)わかりが早い。逆をゆえば、「描写オンリー」とかだとPLが、多少状況判断を曖昧にしてても、それもオッケーになっちゃうことがある。←ここで、ゆぅ状況判断には敵対NPCの行為の動機付け、とかも含めちゃってることもおことわりしておきますね。

 解釈が入る分、“客観的ではない”って主張が出てきそうな気がしますけど。←そぉでもないですよ、ってアタシは思いますけど。まぁ、それは次のステップのお話かもしれません。とりあえず、いじょぉにしておきます。
1998年06月22日:12時55分58秒
Re:交渉判定について / ねこぱんち
 >蛇足
 自分がマスターの時、
 よけいな”ロールプレイ(?)”を試みた故に、NPCに誤解を与えて交渉失敗。
 ってパターンを良く見かけます。
 あと、巧妙に聞き出そうとして、表現に無理が出て警戒されてかえって失敗、、。
 とか、、。
1998年06月21日:14時07分38秒
LOG 006 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 006として1998年06月09日から1998年06月21日までのログを切り出しました。

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