TRPG総合研究室 LOG 031

TRPG総合研究室の1999年06月05日から1999年06月11日までのログです。


1999年06月11日:19時10分16秒
(一行掲示板転載)[イシ決定の意味内容]「本質的」という言葉は誤解を生じ易い? / TTB
>最近の鍼原さんの書き込みからはその辺りが読み取り難く、書き込みの意図が
>わかりづらい気がしますので、もう一度明らかにした方が良いかも…。
 うーんと。TTBです。こんにちは。(^o^)
 上記の件に関して、少し一行掲示板で話があったので転載します。

 99/06/11:17:44:12 TTB@アタマ悪いです わかっている/わかってない、どちらか聞かれると、わかってない、です。私。(^o^)←胸を張るな
 99/06/11:17:49:31 カンナ(鍼原神無) んー、そっかー<とにかく、何をしたい/してるのかがわからない現状
 99/06/11:17:51:03 sf ゲーム理論における最適解とか、ゲーミングとゲーム理論とOR(TTB注:オペレーションリサーチです)の違いというか関係についてかいたら混乱しないかなぁ。……とか。(;^^)
 99/06/11:17:51:07 カンナ@質問 アタシが知りたいこと、整理したいことは何度か繰り返して、書いたつもりなんですよ<[イシ決定関係]<TRPG_LABO
 99/06/11:17:52:49 カンナ@質問 でもでも、他のみなさんが、アタシの思うように話に乗ってくれないからって、「もっとこーしてほしー」、って主張するのって掲示板らしくない気がしてるんですけど。
 99/06/11:17:57:11 カンナ(鍼原神無) 現状がわかるようにするとするれば、、「まとめ」ですね。
 99/06/11:17:58:03 カンナ(鍼原神無) んー、考えてみます<まとめ
 99/06/11:18:01:09 TTB すみません。お手数かけまして。(__)
 99/06/11:18:28:13 3327 できれば、カンナさんの分だけでもいいんで、「したい事」 をあげてもらえると助かります。
 99/06/11:18:29:20 3327 読み取りとかは自分でもっかい読んでやりますので、端的に言ってもらえると助かったりして。
 99/06/11:18:30:09 3327 私は IRC(TTB注:TRPG.NETの交流システムの中のチャットです)の方で聞いたからまだ何とかなるけど、他の人にはキツイと思うデシよ

 99/06/11:18:32:29 カンナ(鍼原神無)
 えーと1.>「学問で使われてるとき」と「TRPGについて使われてるときと」、同じキーワードの意味が違うとか、意味が同じでも位置づけが違うとかがあるんだったら、はっきり教えてほしー<「ゲーム」と「イシ決定」と「最適解」

 99/06/11:18:35:06 カンナ(鍼原神無)
それと2.>TRPGでイシ決定を言う人でも、「最適解」を大事にする人と「最適解」認めない人といるんだけど、それって、「イシ決定」の位置づけも違ってきちゃうんではないのかな?みんな同じ「イシ決定」って言ってもい、違うこと言ってることにならないのかな?<その辺はどーなってるのでしょうか?教えてほしー

 99/06/11:18:35:58 カンナ(鍼原神無) このふたつです。アタシが知りたい、整理したいこと。

 99/06/11:18:38:52 YAN …あれ。一行で話がついてたのか…。(TTB注:なかなかこのくらいで話のつく内容とは思いません、だからYANさんも書き込まれたはずです)
 99/06/11:18:51:37 Stella@ハンバーグ焼いてます うーん、その内容、そっくりそのままTRPGLABOに掲載して欲しいな(^^;
 
 ということです。参考になれば幸いです。(^o^)
1999年06月11日:19時10分02秒
[イシ決定の意味内容]馬場講座における「キャラ」と「意思決定」の関係 / YAN
  
 終章 ライフ・アズ・ア・ゲームマスター
 − 4.4 間違った考え方 4.4.2 様々な誤り − よりの引用です。
 
> 主張3:与えられたミッションの達成、経験点、報酬の獲得、といった点しか念頭
>     になく、キャラクターを単なるゲームのコマと見なすようなプレイは望ましく
>     ない。キャラクターの性格や生きがい、動機といったことや、背景世界の
>     雰囲気といった点も総合的に考慮して、キャラクターを生きた人間として
>     ロールプレイすべきである。
 
> 主張4:キャラクターのプロファイルのうち、経歴、性格、特徴といった「ロール
>     プレイを助けるためにあり、ルール上の意味はない」ような情報を軽視
>     してはいけない。例えば、ルール的に有利だからというだけで、そのキャラ
>     クターの性格や美学や信念に反する行動をとらせるというのでは、ロール
>     プレイしていることにならない。
 
> 主張7:キャラクターの個性や意志は尊重されるべきである。それに反するような
>     行動は、たとえゲームを進める上で必要に見えても、とるべきではない。
 
   このあとの馬場さんのコメントを要約させて頂きますと、
 
 ・ 主張3や主張4は正しく、主張7は間違っている。両者をはっきり区別することが大切。
 
 ・ キャラクターの個性は、ゲーム要素である「制限」として機能し、意志決定を
   複雑で面白いものにするが、ゲーム進行を妨害する理由にはならない。
 
 ・ キャラクターの性格が、ゲームを進める上で必要な行動とうまく整合しない場合には、
   プレーヤーは「いかにして、キャラクターの性格を守りつつ、かつゲームを進行させるか」
   という興味深い課題に直面しているのであり、これは優れた意志決定を下すチャンス。
 
 ・ 上のような場合に、「このキャラクターはこういう性格なので、そういう行動はとりません」
   などと言い張り、ゲーム進行を妨害するというのは、ゲームをプレイする態度ではない。

 
   …という感じになります。これは、TRPG総合研究室 LOG 029(99年05月29日:00時24分48秒)、
 「[イシ決定]:キャラクタープレイと意志決定」でラウールさんが書かれたこととほぼ同じですね…。
 また、これに準拠すれば、同ログ(99年05月31日:09時11分41秒)「意志決定の自由」でMAT.Nさんが言われるように、
 『意志決定は「諸要素を判断して行動の決断を下す」事なので、大抵なんらかの「制限」を含む』…という事になりますから、
 
 「ゲームでは意志決定は制限されるべきではない」という主張は正確ではなく、
 「ゲームでは意志決定は無視/軽視/固定化されるべきではない」…という方が、
 本来の意味合いとして適当ではないかと思います。
1999年06月11日:19時04分37秒
システム工学における意思決定と意思決定支援 / sf

 そもそも(システム工学的な)意思決定においては、最適解は必ず得られるものではない、そもそも意志決定者の価値基準にもとづいた判断で、一番良さそうなものを選ぶだけである、という趣旨の投稿です。

 とりあえず最適解が得られるのは、ゲーム理論では、二人ゼロ和ゲームなどの単純なものなどの『非常に特殊な問題に限られる変わった現象』です。

 そのためオペレーションズリサーチに代表される意思決定支援では、問題をモデル化して分析・分類して、代替案(選択肢)を意志決定者に提示することを目的としています。それはまあ、最適解を得られれば良いに越したことはないわけですが……。

 一般に意思決定においては、最適の決定が困難であるとされています。理由は、以下の三つだそうです。

 んでいちおう、ゲーミングとゲーム理論とオペレーションズリサーチ、意思決定とはなにかについて、私の解釈を。システム工学の見地からになるかな。基本的には、教科書を見て書いてますけど。

ゲーミング
特定シナリオにおいて、(複数のプレイヤーが)意思決定を実践することで、疑似体験や訓練、解析的分析の穴を調査するなどの効果を得ること。ホビーとしてはそれを楽しむこと。
オペレーションリサーチ
意思決定支援のひとつ。数量モデル化できる問題について分析して代替案を提示することで、意思決定の判断材料とすること、およびその手法。ゲーム理論はそのための分析手法の一つ。
ゲーム理論
複数の決定能力をもつ主体(プレイヤー)による競争(と)の採択する戦略をモデル化して分析する理論の総称。
シナリオ
意思決定支援業界(ORとかシミュレーションとかその手の)では初期状況や前提条件、時系列的な変化やなどをあらかじめ提示したもの。地球環境汚染シミュレーションモデルによる意思決定支援なら、環境対策の重点の置き方や、経済成長の程度などを変えることを、シナリオを変えると称する。
意思決定
目的達成のために役立つ代替的行動群のなかから実施するものをひとつ選ぶこと。一般に複雑な問題では、目的の選択や価値体系を経験的な満足化条件により選択により絞り込み、主観的にもっとも望ましいと思われることを選択することになる。なお、満足化条件は固定的でなく、ふつうは認識の変化によって容易に変化する。

 うーむ。TRPGにおける意思決定とシステム工学における意思決定とのあいだには、違いがあるようには思えませんね。

参考:
オーム社『現代システム工学の基礎』浅井喜代治 ISBN4-274-12734-6 (正直、かなり分かりにくい本だと思う……)
ホビージャパン『無血戦争(原題:Art of Wargaming)』ピーター.P.パーラ著/井川宏訳 ISBN4-89425-013-6(個々を読むような人なら読んどく価値があります)


1999年06月11日:19時04分36秒
[イシ決定]Re:「本質的」という言葉は誤解を生じ易い? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>YANさん
 どーも。
 「イシ決定」と「TRPG(ジャンルとしてのTRPG)」の関係についてのアタシの意見は、YANさんの言われる通り、「『意思決定がTRPGの本質』という言葉の使い方がおかしい、という主張」に近いです。
 
 もっと正確に言うと、これまでの投稿でも主張してるように、「誤読をされても仕方ない曖昧な使い方だ」って指摘です。
 ですので、もっと別の表現が使われるべきと思います。
 「TRPGのゲーム的側面の本質はイシ決定」とか、
 「ゲームの一類であるTRPGの必要条件はイシ決定」とかです。
 
 YANさんは、三省堂の辞典をお調べくだすったそうですね。
 アタシが紹介しました、「本質」の定義、「そのものをそのものたらしめている独自の性質」は、広辞苑の第二版の第一項の引用です。
 それから「一定の事物またはその概念にとって必要かくべからざる属性の総体」は、同じく、広辞苑第二版の「本質的属性」の項目の全引用です。
 
 三省堂の辞典と広辞苑を比べるだけでは、「本質」の語、どちらの解釈が妥当、とは言えないと思われるかたもいるかもしれませんが。ここで、「本質的属性」の対照語である「偶有的属性」との対照関係が重視されるべきと思います。
 
 三省堂の辞典の説明文をラウールさんや、YANさんが言われるように解釈するとですね、「本質的属性」と「偶有的属性」の対照関係が曖昧化して、成り立たち難くなってしまいますよね。
 これは、言葉の使用法としても解釈としても、妥当でないと思う次第です。
1999年06月11日:18時31分45秒
[イシ決定の意味内容]「本質的」という言葉は誤解を生じ易い? / YAN
  
 先ほど、三省堂の辞典で「本質的」の意味を調べてみたところ、「本来の性質」「その事柄を構成する要素」ということでした。
 (もちろん他の受け取り方も出来るでしょうけど、少なくとも、辞書に載るくらいには一般的な解釈ということですね)
 
 そうすると、一つの物事に「本質的」なものが複数あっても、構わないのでは…?
 もっとも、実際には複数ある構成要素の内、一番重要なものを「本質」と呼ぶのでしょうけど。
 それも割合問題で、重要度が40%のものを「本質的」とした場合に、残りの30%や20%のものを
 「非本質的」とするのも、なんだか変な気がします。
  
 少なくとも「意思決定がTRPGの本質だから、他のものはつけたし」という解釈は、ちょっと…。
 
 結局のところ、その「他のものはつけたし」という考え方が問題であって
 「意思決定はゲーム(TRPG)の本質」という言葉自体は、さほど問題ないと思います。
 
# つまり、「”意思決定”は、TRPGの構成要素(必要条件)の中でも特に重要」、 
# ただし、他の構成要素(必要条件)の重要性を否定するものではない…
# という受け取り方をすれば良いわけで…。 
 
 確かに、「意思決定がTRPGの”本質”」という言い方は、誤解を招く可能性が
 高いとは思いますから、だからもっと別の言葉を使おう、という主旨なら賛成です。
 
 鍼原さんの主張は、その点…つまり言葉の使い方の問題なのでしょうか…?
 つまり、「意思決定がTRPGの本質」というのはおかしい、という主張ではなく、
 「意思決定がTRPGの本質」という言葉の使い方がおかしい、という主張…?
 
 「意思決定はTRPGの構成要素(必要条件)であり特に重要」という点は踏まえ、
 その上で、「意思決定以外の構成要素も、つけたしではない」という事を証明する
 …というのが、鍼原さんの一連の書き込みの目的なのですよね。
 (TRPG総合研究室 LOG 029、99年05月31日:10時00分08秒、
 [イシ決定]Re:意志決定の自由より判断しました。)
   
 最近の鍼原さんの書き込みからはその辺りが読み取り難く、書き込みの意図が
 わかりづらい気がしますので、もう一度明らかにした方が良いかも…。
1999年06月11日:14時12分48秒
最適解の無いゲーム / MAT.N
ゲーム理論でも最適解の無いゲームの事例はわりとあります。(例えば有名な囚人のジレンマ)それでも諸条件とその結果を考えて「意思決定」は可能です。
カレの喜ぶ献立ゲームも「彼と自分には好みの違いがある。だが、別々の献立で別々に食事をとるよりも一緒の方が嬉しい」などとすると「ジレンマを持ったゲームの事例」になりえます。
TRPGでも最適解をもった構造よりジレンマを持った構造のほうが面白いと思います。(決定を下すのに葛藤も出来るし)
1999年06月11日:07時31分42秒
[イシ決定の意味内容]「最適解」についての本筋でない(?)質問 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Dandanさんへ
 Dandanさんにばかり頼るようで恐縮なんですが、また別の質問をさせてください。
 アタシも「意思決定」や「ゲームの理論」、一般向けの概説書のようなものは読んでみてるのですが。 やっぱりシロートはシロートらしい疑問にとりつかれるものでして(苦笑)。
#あまりにトンチンカンな質問でしたら、ほうっておいていただいて構いません。
#もちろん、Dadanさん以外のかたにお教えいただけてもありがたく思います。
 
 今回の質問は、ちょっと話しの流れからずれるものかもしれません。
 
 例の、異なる政党間の政策ディベートの事例ですが、ある政党(プレイヤー)が、ゲームの目標達成のための有限個の選択肢の内いくつかを選択不能、との個性を持っている場合でも、その事例は「ゲーム」として処理できるわけですよね。
 
 ところで、Dandaさんが、「[イシ決定の意味内容]回答:TRPGのイシ決定論で言われる最適解」(当掲示板,99年06月07日:09時05分38秒)で挙げられた、夕飯の買い物をしようと考えたときの事例ですが、「何を目標にするか」によって、「何の属性を最重視しなくてはならないか」が変わって、それによって「最適解」の具体的内容も変わるって、理解でよいのですよね(ちょっと、違うのかな?)
 勘違いがあるかもしれないけど、ご質問します。
 
 買い物の目的に「カレに喜んでもらえる献立にしよう」って目的が入った場合、それでも「ゲーム」として処理して「最適解」を算出できるものでしょうか?
 素人考えですけど、ある程度はゲーム的に処理できて、「最適解」らしきものが複数絞り込めても、最後は主体の直感でしか選択できない気がするんですけど。なぜかと言うと、「何をすればカレが喜んでくれるか」は、ある程度絞り込めても、最終的には不確定になる気がするからです。
 「最適解」って、目標が定まって、妥当な方法を採れば、きちんと採るべき戦術がひとつに算出できるから「最適解」なんですよね?(違います?)
 
 えーっと、別にふざけて変な質問してるつもりではなくって、TRPGのセッション展開上でも、「カレに喜んでもらえる献立にしよう」的な目標が避けられない局面、決してめずらしくないと思うんです。「情報を持っていそうなアイツが納得しそうな交換条件を考えなくっちゃ」とかそう言うののことですけど。
1999年06月11日:07時25分39秒
[イシ決定] re:re:「本質」の語から読み取れてしまうもの / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 いえ、別に論点は、ずれていないと思えますが。
 
◎アタシの意見
・本質とは「そのものをそのものたらしめている独自の性質」である。だから
・仮に、「ゲームの本質はイシ決定である」、「TRPGの本質はゲームである」と言ったら、
・「『ゲーム』の本質であるイシ決定以外の要素はTRPGでも非本質的な要素である」となる
・非本質的なものは、「あってもなくてもどちらでも構わないもの、その意味で付け足しである」、、とならざるを得ない。
#もちろんアタシは、普段この立場でTRPGを論じているわけではないです。
 
 「本質」の別の定義をご紹介しましょう。「一定の事物またはその概念にとって必要かくべからざる属性の総体」です。
 ですので、アタシは、「非本質的なもの」を「つけたし,どちらでも構わないもの」と言い替えているだけのことです、「必要かくべからざる属性の総体」以外のもの、ですので。

◎ラウールさんのご意見(うえのアタシの意見と対照してみたラウールさんのご意見)
・本質とは「そのものをそのもの足らしめている性質」である。だから
・「ゲームの本質はイシ決定である」、「TRPGの本質はゲームである」と言っても、
・「『ゲーム』の本質であるイシ決定以外の要素はTRPGでも非本質的な要素である」となるが、
・しかし、非本質的なものが「あってもなくてもどちらでも構わないもの、その意味で付け足しである」、、とは限らない。「非本質的」なものにも重要で不可欠なものもある。
 
 アタシの「見解」は、「非本質的なもの」が、「つけたしではない」とか、「あってもなくても構わないわけではない(無くてはならない)」とされるのは奇妙だ、との指摘を含んでもいるわけです。
 本質とは「必要かくべからざる属性の総体」とされるのですから、その否定は「あってもなくても構わないもの」にしかならないのですから。
 
 少し単純化していえば、「本質」の語は、ある事物、またはその概念を成り立たせている必要充分条件を意味するのに、ラウールさんのご意見では、あたかも必要条件に限定して使われているように見える、との奇妙さの指摘でもあります。
 
 例えば「本質的属性」の対象語は「偶有的属性」なわけです。
 偶有的属性は、類的特性(類に共有される特性)ではないですね。
 偶有的属性も、ある類(ジャンル)に含まれる構成要素が、必ずしも持っている必要のない(持っていても、持っていなくても構わない)性質、を意味します。
1999年06月11日:00時13分09秒
[イシ決定] re:「本質」の語から読み取れてしまうもの / ラウール
 む,なんだか論点がずれているぞ。
 私が疑問を呈しているのは,

「「ゲーム(or RPG)」にとって本質的ではない」=「つけたし,どちらでも構わないもの」という論理展開
です。

「ジャンルとしてのTRPGの『本質』」と言いますと、「ジャンルとしてのTRPGをTRPG足らしめている『類的特性』」
といったあたりについては,元より特に異論はありません。
1999年06月10日:19時58分15秒
各々の考える「TRPGの本質」とは? / ToTo
 このところの議論の中で「TRPGの本質」というタームが使用されていますね。
 ラウールさんの意見の中で、「TRPGの本質」に関する定義らしきものがでてきていますが。
 他の人はどんな定義こそが、「TRPGの本質」に相応しいと考えているのでしょうか?
 ラウールさんの定義を批判するヒトも含めて、みなさんが思う「TRPGの本質」を訊いてみたいように思います。
 
 たとえば、「キャラクターシートを使って遊ぶところにその本質がある」とか、
 「ルールではなく、その場にいるメンバーのコンセンサスによって運営される点に本質がある」とか。
 視点や立場によって色々な意見があると思います。
 多くのヒトが考える「自分はこれがTRPGの本質だと思う」という意見を分析することで、
 案外客観的な「TRPGの本質」が見えてくるかもしれませんし。
 よければお聞かせください。
 
 ちなみにぼくは「TRPGの本質」を
 「各々の参加者のもちよった『個人の物語(キャラクターやシチュエーションなど物語の断片といってもよい)』が、
 『ゲーム(その場やルールを含む)』を通じて、
 『みんな(参加者全員)』のものになる」
 ところにあると考えています。
 本来、一部のクリエイターをのぞき、「個人の物語」が他人に影響を与えることはありません。
 (それにその場合、ほとんど、創り手の「個人の物語」を一方的に受け入れるだけで、
 読み手側からのリアクションは創り手に届きません。
 読み手側の物語は時として、同人誌という形をとったりもします)
 しかし、TRPGを遊んだ場合、わずかな労力で、数こそ少ないですが、各々の創作した物語を共有することができるのです。
 しかも、共有する人物というのは自分にとってかけがえのない友人……であるケースが多いです。
 ぼくは、そこに一番の魅力を感じているし、
 他にこの魅力を味わうことのできる「娯楽」も知らないので、
 ぼくにとっての「TRPGの本質」はそこにあるように思います。
 
 蛇足
 メールゲームやウルティマ・オンラインだと、ぼくの物語を「みんな」に届けるためにはちょっと世界が広すぎるしね。
 そう考えるとTRPGの持つ「距離」ってゆーのも、大事なんだなぁ。
1999年06月10日:18時53分09秒
[イシ決定の意味内容]何が問題なのか / 匿名希・望

まず、本論の前にDandanさんに再質問を。

>ただ、前のプロセスでは、GM は問題がないマスタリングを行っているという前提条件で見てください。

実はその「問題の無いマスタリングとはそもそも何なのか?」というのが一番伺ってみたい事なんですが。

>プレイヤーも問題、GM も問題だと、プロセスを掲げてもどちらに問題があるのかがわからないので。

わからないということは無いと思いますがそれはさて置き、単なる問題プレイヤーの話をするならわざわざここを使う意味が無いでしょう。

Dandanさんはその話題からRPGの構造の方へ話を持っていこうとしてらっしゃる(様に俺には見える)ので、俺の方では逆にGMの問題を扱う視点から持っていこうとしているだけです。

・・・・・というわけで本論を書こうと思ったら時間が無くなったので、また今度(^^;
1999年06月10日:17時40分44秒
[イシ決定の意味内容]性格変化のゲーム性 / らむだ
  
  >鍼原さん
  >でも、プレイヤーの個性の変動や、インタラクション〔相互作用〕が認められた場合、どこまで「ゲーム」として捉え得るのか。
  
  ここなのですが。私の場合、「シナリオの目標」というものを、まず動かしにくい第1のものとして考えます。
  #GMなので。
  どのような経緯によるにせよ、これを達成するかどうかは、そのセッションが成功かどうかの一つの基準です。
  そして、与えられた条件で、もっとも小さな危険性で、もっとも確実に能率良く達成できるみちすじがあれば、それが「ゲーム的な最適解」です。
  
  しかし、参加PCの性格によっては、その「ゲーム的な最適解」へのみちすじに抵触する場合があります。
  #どうしても必要なことなのに、「俺のPCはこんなことしない」というケース。
  このとき、キャラクターのロールプレイとシナリオとが衝突するわけですが、
  この衝突を乗り越える方法もまたロールプレイにほかならないと考えます。
  
  あるPCがその性格上、甲という行動を受け入れないとしたら、
  他のPCたちの働きかけにより、甲を受容しうるような性格(ないし性格表現)変化のきっかけを作ってやる。
  あるいは、その性格のPCならばこそ可能な、乙という別の(解決にとって有意な)行動を可能にしてやる。
  甲や乙を受け入れることが、たんなる利害的転向や一時的豹変でなく、そのPCの「成長」、深みや厚みが増すこと、につながれば、
  それこそロールプレイの醍醐味だと思うわけです。
  
  この結果、シナリオの目標は達成されますが、その経緯は、「ゲーム的最適解」とは異なっているはずです。
  その異なり方も、参加PCの性格によって無限に様々でしょう。
  そして、これがTRPGにおける最適解の特性であり、
  じつは、この「性格変化によるシナリオ目標の達成」とは、一面非常にゲーム的なものではないか?というのが、
  いまの私の考えです。
1999年06月10日:16時07分00秒
[イシ決定の意味内容]「最適解」関係のマルチレス / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@らむださんWrote(「【イシ決定】性格変化による最適解の可能性」,当掲示板,99年06月06日:14時33分08秒)
>問題状況に対して、たんに論理的・合理的にのみ解決を図るという意味での、最適解(模範例と同義ですかね、やはり)とは異なります。
 
 うん、TRPGではその「異なる」部分がもんだいになると思うんですよね。
 政党間の政策ディベート大会で、プレイヤー(政党)が有限個の選択肢の内、いくつかの選択肢を選択不能、って事例は「ゲーム」として処理し得ると思うんですよね。
 でも、プレイヤーの個性の変動や、インタラクション〔相互作用〕が認められた場合、どこまで「ゲーム」として捉え得るのか。SF小説の「バーサーカー」のシリーズに、プレイヤーの個性をちょっとした仕掛けで変動させる「ゲーム」的処理をガジェットにしたストーリーがありましたけどね。ちょっとその辺アタシも新たな疑問を抱き始めたところなんです。
 
@紙魚砂さんWrote(「【TRPGのイシ決定論で言われる最適解】」,当掲示板,99年06月06日:19時05分19秒)
>…ちょっと「最適解」と「模範例」の間の過程が明確でない(というかそれ自体を質問されている)ようなので
 
 えーっと、と言うかですね、アタシが理解するところでは、数学や経済学で言われるところの「意思決定」は、「『ゲーム』の目標達成のための、『最適解』を算出するための『意思決定』の手法の明確化」、って理論上の関連を持った概念だと思うんですよ。「意思決定」と「ゲーム」(及びゲームの目標)と、「最適解」の三つの概念がです。
 
 アタシは、「TRPGに関するイシ決定、数学や経済学で言われる『意思決定』と同じ意味内容である必要はない」と言ってはいますが。しかし、密接に関連する(はずの)三つの用語が、ある理論に揃って出て来てしまうと、これは、「きっと、同じ意味内容だ」って思われても仕方ないと思うんですね。違うかなー。
 なんで、もし、意味内容が違うんだとしたら、これはもー、どこがどー違うと明確化されないとまずいよーな気がします、って、もんだい関心なんです。アタシの場合、はい。
 
@ラウールさんWrote(「[イシ決定の意味内容]『最適解』と『模範例」』,当掲示板,99年06月06日:23時30分33秒)
>ここで鍼原さんが上げられているのは「シナリオの目標」を達成するためのものなので,「シナリオの目標」=「キャラクターの目標」=「プレイヤーの目標」のばあいには「最適解」=「模範例」といえるかもしれません。
>RPGのばあい,「目標」が一つにしっかりと定まっていない,というのはこの手の話題において重要なポイントのひとつだと思います。
 
 え、えーと。ラウールさん、すみません、うえのご意見、アタシにはよくわかりませんでした。
 確認させてください。
 「ゲーム」では、目標が一種類に定まっていない場合、「最適解」は算出できない、って意味ですか? 違いますでしょうか??
#別件ですけど。「プレイヤーにとっての最適解〈の意味,位置付け〉」に話題の重点が集まってるのは、確かにそうかもしれません。ただ、GMやシナリオを書く人には「最適解」に関して、プレイヤーとは異なる立場からの別の「位置づけ」があるのでしたら、それもゼヒ論じていただけるとありがたく思います。
1999年06月10日:08時53分35秒
[イシ決定の意味内容]Re:回答:TRPGのイシ決定論で言われる最適解 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Dandanさんへ
 回答ありがとうございます。(「[イシ決定の意味内容]回答:TRPGのイシ決定論で言われる最適解」,当掲示板,99年06月07日:09時05分38秒)
 うん、アタシも、理屈はわかるんです。
 でも、Dandanさんも言ってられますよね、「このような複雑な属性が入ってきた場合、人間が何秒かの間に最適解を求めるのは不可能です」って。ここがアタシのひっかかるところなんです。
 
 つまりですね、「意思決定」の場合ですと、アタシが、「[意志決定]キャラクタープレイと意思決定への異論」(TRPG総合研究室 LOG 030,カンナ記,99年06月05日:01時21分05秒)で言いましたように、理論のうえでの“錯誤”をおかしたとしても、場合によっては、意志決定的に機能して楽しめる選択行為をすることはできると思うんです。
 
 で、ここ、ポイントと思うんですが、もし、錯誤に基づいた選択肢を構想して、「どうも、どの選択肢を選んでもマズそうって」予想が出たとき、このとき、Dandanさんが言われるプロセスの、「(1)問題の定式化:目標を捉え、現在何が問題になっているかを明らかにする。」、ないし、「(2)情報収集・代替案の探索:必要な情報を収集し、情報からいくつかの代替案を想定する。」に戻って再検討をすることってセッション中でも充分可能ですよね。よくやると思います。
 理論が単なる理屈ではなくって、実践の役にも立つのはこういうケースですよね。
 
 アタシは「最適解」に関しては、この辺が疑問なんですよ。
 数学や経済学では、TRPGのプレイよりは、時間を潤沢に使えますし、補助手段もたくさん動員できますから、「最適解」を論じることに意味があると思います。
 果たして、TRPGで「最適解」を論じることに意味があるのでしょうか?
 
 それとも、実践(TRPGのプレイの現場)では「最適解」の算出なんて不可能だけど、理論のうえでは「最適解」の概念を導入することで、整理・明確化できるもんだい領域がある、とかなのでしょうか? それでしたら、TRPGの理論のうえでは、「最適解」論じる意味もありますよね。
 
 シナリオに関しては、GM、といゆーか、シナリオを書いた人が思うところの「最適解」ってゆーのは、あり得るのかもしれない、とは思いました。
 
#それから、「最適解」に関して、TRPGに直接関係するかどうか、ちょっとわからない疑問を思い付きました、これは本筋とは関係ない話になるかもしれないので、改めさせていただきますね。
1999年06月10日:08時22分11秒
[イシ決定] 「本質」の語から読み取れてしまうもの / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ラウールさんへ
 なるほど、ラウールさんが「[イシ決定] Re:ゲームの本質的要素と意志決定時の要素」(当掲示板,99年06月07日:22時43分09秒)で言われたことは、ラウールさんのご意見として理解できました。
 しかし、それが、アタシの意見とラウールさんのご意見との「見解の相違」として済まされてよいことかどうか? アタシにはまだ疑問です。
 
 ラウールさんがおっしゃるような、内容でしたら、それは「ジャンルとしてのTRPGでのゲームの側面の類的特性」とでも言われれば充分なはずです。誤解も生じませんし。
 
 「本質」の語は、「そのものをそのものたらしめている独自の特性」の意味ですので、「ジャンルとしてのTRPGの『本質』」と言いますと、「ジャンルとしてのTRPGをTRPG足らしめている『類的特性』」と読まれてもしかたないかと思います。
 
 論者の意図がどうであれ、「本質」の語が、限定無しに、「○○が本質」と使われた場合、「『○○』が、『○○』の本質(または類的本質)」との“誤読”を避けることはできない。
 
 と言うか、アタシはうえの読みを“誤読”と思いませんというのが、アタシの「見解」です。
 ラウールさんの主張される、「読み」とのどちらが“誤読”とも言えない、意味の確定不能状態になっている表現かと思います。
 しかし、ご存知のように「本質」は英語で言ったら、“essennce”の翻訳語ですが、翻訳された時点では、第一義的に哲学の用語ですので、日常語よりは比較的厳密な意味を持っています。
 例えば、日常語の辞書類にも、第一項に「あるものを在るもの足らしめている独自の性質」といったように定義を挙げているものがありますね(いくつかある「本質」の定義のひとつにすぎませんが)。
 ですので、仮にうえの定義を適用したなら、「独自の」の部分でラウールさんの主張される「読み」の妥当性のほうがやや分が悪い気もします(私見)。
 
 アタシが「イシ決定+α」の議論を提案していますのは(「[意志決定]意思決定+α」,TRPG総合研究室 LOG 028,カンナ記,99年05月24日:13時09分02秒)、“本質論”のレベルで、うえの定義の「独自の」部分がおろそかにされたまま進んでいる議論が多いからです。
 そうした議論では、ジャンルとしてのTRPGが、諸ゲームジャンルの内で持つ特質が見失われがちにならざるを得ませんよね。
 これはTRPG愛好者にとっても、イシ決定論にとっても好ましいことではないと思います。
 
 「ゲームの側面の特質」が議論されるならば、従来の「イシ決定論」でも、充分やもしれませんが。それは「ジャンルとしてのTRPGの本質」とは異なる内容だと思います。
 
#ラウールさんの、「『イシ決定+α』の「α」が存在していない,と主張しているわけではありません」とのメッセージは了解しております。最後のパラグラフは、この投稿での、アタシの「見解」を明確にするための補強として記しただけです。
1999年06月09日:08時33分35秒
[イシ決定の意味内容]Re:「目的」の差は? / Dandan
匿名希・望さん:
> この部分を読む限りでは、キャラプレイそれ自体はこういったRPGの楽しみを阻害するとは思えないのですが?

ええ、僕はキャラクタープレイが駄目とか、つまらんとか言っていません。
ただ、キャラプレイに固執して(他人の)楽しみを奪ったなら本末転倒と言ってるだけです(夕飯の買い物で安さにこだわるあまり、何も考えず「今日抜き」とするのと同じ)。

> この場合、Dandanさんが問題視しているのは、
>
> 1:「キャラクターの目標」(=A)と「セッションの目標」(=B)が異なり、
> 2:プレイヤーがAを重視してBをないがしろにし、
> 結果:マスターが楽しめない。(他のプレイヤーはこの際、無視します)
>
> という場合で、この事をいわゆる「キャラクター性偏重」と呼んでいるわけですよね?


匿名希・望さんの(多分)おっしゃりたいことはわかります。ただ、前のプロセスでは、GM は問題がないマスタリングを行っているという前提条件で見てください。プレイヤーも問題、GM も問題だと、プロセスを掲げてもどちらに問題があるのかがわからないので。

そもそも、遊戯というのはみんなで楽しむもの。その目的を忘れ、個々のプロセスでキャラクターの性格のみを考えてしまう。セッションの進みとか、他のキャラクターの目標を忘れてしまう。多分、ご提示の件であってるかな。

ゲームが熱中して行くうちに、(セッションの目標等を忘れ)視界が狭まってくる…と言ったことで起きるような気がします。
1999年06月07日:22時43分09秒
[イシ決定] Re:ゲームの本質的要素と意志決定時の要素 / ラウール
 どうも今回の鍼原さんとの見解の相違は,「本質」ということばにあるような気がします。
 「AにとってBは本質的である」と言ったばあい,「Bが失われた状態ではAはAたり得ない,Aとは呼べない」,といった意味だと思います。今回の例ですと「ゲームにとって意志決定は本質的である」と言ったばあい,「意志決定がないものはゲームとは呼べない」ということになります。
 しかしだからといって,そのほかの部分を無くてもいいもの,とかつけたし程度のもの,という様に考えるのはどうにも私には理解できません。とりわけ今回は,ゲームとかTRPGとかカテゴリについて本質を論じているのです。
 我々は,「ゲーム」というものや「TRPG」というものをプレイすることは決してありません。我々がプレイするのは,あくまでも『D&Amp;D』であり『深淵』であり,『モノポリー』であるといった,個々のゲームです。
 「TRPGの本質」というのは,こうした個々のRPGの持つ固有の特徴を捨て去り,すべてのRPGに共通して存在するものを取り出して言っているものです。ここで捨てられたここのRPGの特徴は,「つけたし」でも「どちらでも構わないもの」でもありません。単に,「全てのRPGが備えている必要は無いもの」にすぎません。

**

 なお,『イシ決定+α』の「α」が存在していない,と主張しているわけではありません。念のため。
 「「ゲーム(or RPG)」にとって本質的ではない」=「つけたし,どちらでも構わないもの」という論理展開に疑問がある,というのが言いたいことです。


1999年06月07日:17時50分47秒
[イシ決定の意味内容]「目的」の差は? / 匿名希・望

しばらくROMしてて疑問がわいたので一つ。

・Dandanさん

まず引用させて頂きますが、

>「最適解」とは、「何を目標にして、何の属性を重視して」の「最適解」です。
>例えば、夕飯の買い物をしようと考えたとき、ここでいろいろな考えの「最適解」が思いつきます。〜
>(中略)〜?このような複雑な属性が入ってきた場合、人間が何秒かの間に最適解を求めるのは不可能です。その中で、自分が良いと思う行動を起こす、これが RPG の面白いところであり、夕飯の買い物でも面白いところかもしれないと思うわけです。

この部分を読む限りでは、キャラプレイそれ自体はこういったRPGの楽しみを阻害するとは思えないのですが?
#勿論、Dandanさんがそんな極論を言ってない事は承知してますが、単なる確認として受け取って下さい

もう一つ引用ですが、

>「セッションの目標」というのも、かなえるべき目標だと思うからです。そしてセッションの目標とはシナリオに書いてあるようなことだと思います。

この場合、Dandanさんが問題視しているのは、

1:「キャラクターの目標」(=A)と「セッションの目標」(=B)が異なり、
2:プレイヤーがAを重視してBをないがしろにし、
結果:マスターが楽しめない。(他のプレイヤーはこの際、無視します)

という場合で、この事をいわゆる「キャラクター性偏重」と呼んでいるわけですよね?

で、ここで本題なんですが、そもそもなぜこのような事態が生じるのでしょうか?
#単にプレイヤーが我侭なだけという場合は除外します。
#単に他人への配慮が無い人間はどんなプレイスタイルだろーが問題だからです。

ちょっと時間が無くなったので続きはまた今度。
#勿論、「なぜこうなるのか?」という問題への意見はいつでもOKです
1999年06月07日:12時11分25秒
[イシ決定] Re:ゲームの本質的要素と意志決定時の要素 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ラウールさんへ、
 Resありがとうございます。
 ちょっとアタシの方の都合で、まずは取り急ぎ、端的にお応えさせていただきます。
 お問いあわせの件ですけれど。
 
 大前提:「ゲーム」の本質はイシ決定である
 前提:TRPGは「ゲーム」である
 
 ときたら、「ゲーム」のイシ決定にとって非本質的なものは、TRPGのイシ決定に際しても非本質的なもの、つけたし程度のもの、−−つまりは考慮してもしなくても、どちらでも構わないもの、TRPGの進行に無関係なもの、とならざるを得ないと思います。アタシはその立場は採らないのですが、仮に、上記の前提・大前提を了承するならば、論理としてはそーならざるを得ないと思います。
 
 例えば、ボード・ウォー・SLGをプレイしていて、コマを進めるときに、プレイヤーが「突撃ぃ〜」とか言いながらコマを進めましても、ゲームには無関係ですよね。左記のように取り扱われる用度が非本質的な要素にふさわしい取り扱いと思われます。意思決定にも関係していませんし。
 上記の前提・大前提を了承し、なおかつ本質論の論理を遵守するならば、ですが。
 
 ちょっと間をおいて改めさせていただきたいのですが。アタシは上記のような判断(他にもあるのですが)は、とてもTRPGプレイの実態とかけ離れていると思いますし、いくつかの不都合を生じさせると思います。
 原理・原論(≒本質論)としましては、「TRPGの本質は『イシ決定+α』」である(「+α」がなんだかはよく考えなきゃいけないけれど)とかを、大前提にしたほうがよいのではないかと思うんです。
 
#[イシ決定]の話題系統、「キャラクター性偏重」のもんだいにシフトしてたみたいだから、丁度よいかもしれません。
 
P.S.アタシの前の書込での推測の件は了解いたしました。どうもすみませんでした。お教えいただいて助かりました。
1999年06月07日:09時05分38秒
[イシ決定の意味内容]回答:TRPGのイシ決定論で言われる最適解 / Dandan
鍼原さん:
まず、簡単なところで。

「最適解」とは、「何を目標にして、何の属性を重視して」の「最適解」です。
例えば、夕飯の買い物をしようと考えたとき、ここでいろいろな考えの「最適解」が思いつきます。
(1) とりあえず安いものを買う
(2) とりあえず簡単なものを買う
(3) 早くできるものを買う
(4) 栄養のあるものを買う
(5) ダイエットができるものを買う
(6) 安くて簡単なものを買う

(24) やっぱりダイエット重視したいけど、今月お金ないから安めで簡単なのがいいな。もちろん、栄養の偏りは体を崩しちゃうし。


ある一つの属性の最適解を求めるのは簡単です。RPG だって、「依頼を果たす」という属性だけを考える最適解って簡単。だけど、依頼が荷物を盗むって行為で、「依頼」と「良心」で迷ったら?女好きのキャラクターで荷物の持ち主が美人だったら?さらに、他のキャラクターが別なことを言い張ったら?このような複雑な属性が入ってきた場合、人間が何秒かの間に最適解を求めるのは不可能です。その中で、自分が良いと思う行動を起こす、これが RPG の面白いところであり、夕飯の買い物でも面白いところかもしれないと思うわけです。

…つまり(学問とゲーム)両方同じじゃないかなと。

こう、考えると「最適解」と「模範例」って若干違いそう。
#模範例は GM の思う最適解と言う感じ。でも GM の思いつかない属性により別の最適解が考えられる場合って多いような。
1999年06月07日:09時02分37秒
[イシ決定]なにを主眼に置くか / Dandan
二つのリプライをしますが、紙魚砂さん:
> 実際、ある程度「プレイヤーの自由の領域」を広げることができるし、
> セッション崩壊も免れ得るようになるということを言いたかっただけです。
> そのために敢えて一面的な論を展開させていただきました。


確かに、セッション崩壊を免れる一つの方法だと思います。それは納得です。

> ですが、Dandanさんの言葉をもうちょっと掘り下げて捉えると、
> そこで言われている「問題プレイ」というのは、(以下略)


そのとおりです。一番下のレベルで述べただけですので、紙魚砂さんのプレイを認める/認めないではなく、考慮に入れていないと言うだけです。
---
> 脱線によってGMの持ってきたシナリオそのものが書き変えられても、
面白ければ、私がアドリブで対処できると判断できる限り、許す。」


うーん、これもどこまでの程度がわからないですが、一応どちらかと言えば、私はそのマスタリングはしない立場です。というのは、「馬場秀和のマスタリング講座」で述べられているとおり、「セッションの目標」というのも、かなえるべき目標だと思うからです。そしてセッションの目標とはシナリオに書いてあるようなことだと思います。

> 時には
> 「いつもやってるところだと、
> 自分のこういう(脱線した)プレイは止められたり迷惑がられるけれども、
> ここでは好きにプレイできて面白かった。」
> と言われることもあるのですが、


それは、GM とプレイヤーのプレイスタイルが合致したと言うことだと思います。それは GM としてプレイヤーと相性がよく、非常に楽しいことですよね。しかし、紙魚砂さんと私のプレイスタイルは会わないようです。そう言うときはお互い譲歩することが必要かな、と思うわけです。
1999年06月07日:06時46分24秒
[意思決定の意味内容]Re:GMは「最適解」を知ることができるのか? / ラウール
とすると、「セッションの方向を「最適解」に導くように…」 とかいう議論は(仮にあったとしても)無効になって、 代わりに
「セッションを、「最適解を求めようとする方向」に導くには…」 という議論に進む気がするんですが。

 ここで今議論になっているのは,「プレイヤーにとっての最適解〈の意味,位置付け〉」だと思います。
 ですから,「プレイヤーにとって最適解とは何を指して言うのか」とか,「プレイヤーにとって最適解を求めることにはどんな意味があるのか,重要か」といった方向に議論は進んでいると思います。
1999年06月07日:06時36分09秒
[意思決定の意味内容]Re:「目標」と「結果」 / ラウール
紙魚砂さんへ。 すいません,言いたい事が良く分からないので,もう少し噛み砕いて説明していただけないでしょうか。
1999年06月07日:02時32分35秒
[意思決定の意味内容]GMは「最適解」を知ることができるのか? / 紙魚砂

「最適解」とは、事前に知ることはできず、
ただ予見することしかできないのではありませんか?
(だとしたら、いつもやってることだけど)

とすると、「セッションの方向を「最適解」に導くように…」
とかいう議論は(仮にあったとしても)無効になって、
代わりに
「セッションを、「最適解を求めようとする方向」に導くには…」
という議論に進む気がするんですが。
1999年06月07日:01時17分26秒
[意思決定の意味内容]「目標」と「結果」 / 紙魚砂

>ラウールさん

つまり、
「目的」に添った「結果」を求めようという動きと
そのすり合わせの過程そのものが
「最適解」を求めようとする動きではなかろうか
ということでしょうか?

だとすると、TRPGのセッションでもたらされる結果は
すべて「最適解」であるということになりませんか?

それとも、それぞれの目標のすり合わせによる希望観測的結果と
ゲーム中の"現実"的結果の間には
差異ができてしまうことがあるということでしょうか?

あるいは単に、すり合わせ自体がうまくいかない
場合がある(こちらのほうが現実的だとは思いますが)
ということでしょうか?
1999年06月06日:23時30分33秒
[イシ決定の意味内容] 「最適解」と「模範例」 / ラウール
> ところで、「最適解」ですけど、この用語についてはどうでしょうか?
> もし、「最適解」が「模範例」で置き換え可能なのでしたら、その
>場合の用語としては「模範例」が用いられたほうが、混乱も少なく、
>不要な議論も生じないと思うのですが。
>#文字数も同じ三文字ですし。
> 違うでしょうか?
 RPGにおいては,馬場講座で述べられているように,「シナリオの目標」「キャラクターの目標」「プレイヤーの目標」というように「目標」が多層構造になっています。ここで鍼原さんが上げられているのは「シナリオの目標」を達成するためのものなので,「シナリオの目標」=「キャラクターの目標」=「プレイヤーの目標」のばあいには「最適解」=「模範例」といえるかもしれません。


 RPGのばあい,「目標」が一つにしっかりと定まっていない,というのはこの手の話題において重要なポイントのひとつだと思います。


1999年06月06日:23時28分21秒
[イシ決定] ゲームの本質的要素と意志決定時の要素 / ラウール
>99年05月31日:10時00分08秒
>[イシ決定]Re:意志決定の自由 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
へのレスです。


 ちょっと前(ログで見ると結構前だけど)の書き込みへのお返事ですが,端的に述べることにします。この件はもういい,のでしたらほかって置いてくださって結構です(他にもたくさん議題はありますからねぇ)。


 今回の鍼原さんの論理で私が引っかかったのは,


(キャラクターの一貫性や生み出されるストーリーの質は)非本質的なので『考慮されるべき諸要素』」ではない、または、「『考慮』されるにしても、非本質的なので重要度が低い」、とのテーゼが論理的には導出されざるを得ない
という部分です。
 「ゲームにとって本質的か否か」と「意志決定に際して考慮すべきか否か」というのは関係があるのでしょうか?
「ゲームにとって本質的でない」→「意志決定において考慮すべきものでない」

「ゲームにとって本質的である」→「意志決定において考慮すべきものである」
となりますでしょうか?私はちょっと違うと思うのですが。

p.s.
> 推測で申し訳ないのですが、ラウールさんは、「意思決定に反映させ
>るキャラクターの性格」、キャラクター・シートに記載された諸事項と、
>諸事項からの妥当な推測(判断)によって確定できるとお考えなのでは
>ないでしょぉか?
っていうのは違います。どっちかというと,後で述べられている鍼原さんの考えに圧倒的に近いです。


1999年06月06日:19時05分19秒
【TRPGのイシ決定論で言われる最適解 】 / 紙魚砂

>鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん

…ちょっと「最適解」と「模範例」の間の過程が明確でない
(というかそれ自体を質問されている)
ようなので、状況を整理しつつ私の意見を述べたいと思います。

一つ新しいシナリオを作るとしましょう。

(1)まず最初に、大体こんな感じに展開してこんな結末になるだろうなあという
  GMの予想と希望的観測に基いた青写真を作ります。
  これを「青写真1」とします。

(2)次に、その青写真に基づいてシナリオの詳細を決めるときに現れる、
  さまざまな分岐点を抽出します。
  抽出した分岐点で、最初に想定した結末に高い確率でたどり着けるよう、
  条件設定していきます。
  どうしても条件設定がうまくいかず、
  うまく最初に考えた結末に導けない場合には
  (これは最初の「青写真1」自体に矛盾があるために起こります)、
  結末そのものに修正を加えます。
  こうして最終的に出来上がったものを「青写真2」とします。

ここからは余談ですが
(3)こうして条件が明確にされれば、
  それによって導かれる他の結末が有限個、明らかになります。
  この中で面白いものがあれば、それもありうる結末としてアウトラインを設定します。
  こうしてできる青写真を「青写真2'」「青写真2''」…などとします。
  これを増やして論理的に補強していけば、
  それは自由度の高いシナリオとなっていくと思います。

さて、上記で言う「青写真2」は、論理的に裏打ちされていて、
【数学・経済学で言われる「最適解」】にかなり近いものだと思います。

問題は「模範例」で、これは

「青写真1」≦「模範例」≦「青写真2」

というところに位置しているように思われます。
もしここで言われている「最適解」=「模範例」で、
それが論理的に裏打ちされていない「青写真1」に近いものであれば、
それは最初から矛盾をはらんでいる可能性が高いので、
その矛盾自体を突かれれば
当然そのシナリオは崩壊の憂き目に遭うということになるでしょう。

ここから先は私自身の考え/方法論なのですが、
上記の(1)(2)の過程を逆にしたらどうでしょう。

1.まずメインとなるPL/PCが悩みそうな問題だけを決める。
 (とりあえず結末についてはまだ考えない。)
2.条件設定を可能な限り厳密にして、
 それによって導かれる有限個の結末を洗い出す。
3.その中で面白そうな結末をいくつか選び出し、
 それが可能性として起こりやすくなるよう確率操作して状況設定をする。

…こうするとあっという間に「意思決定」それ自体を目的にしたシナリオができます。
(しかもそれは最初から、論理的矛盾が少ないことがわかっている。)
どうでしょうね?

(sf:丸数字はシステム外字です。使用しないで下さい。数字に変えときました)


1999年06月06日:14時51分22秒
【イシ決定】補足:性格変化による最適解の可能性 / らむだ
  
  先の私の書き込みは、鍼原さんが提起されている「最適解」の問題と密接にかかわるはずですが、
  
  >原理・原論(≒本質論)レベル
  
  でのとらえ方を自分ができているとは思えなかったので(個人的な経験や感じ方に依拠してますので)、
  鍼原さんのご質問への応答とはあえてしませんでした。
1999年06月06日:14時33分08秒
【イシ決定】性格変化による最適解の可能性 / らむだ
  
  らむだです。こんにちは。
  
  プレイヤーが自分のPCの性格に拘泥する行動をとるあまり、悲惨な結果を招く、というケースですが。2つの場合があると思います。
  
 (1)プレイヤーがその行動の結果を考えていなかった場合
  
  この場合、問題は、プレイヤーが無判断すぎたか、GMからの情報提供が不足した・判断する機会をあまり与えなかった、という点にあるでしょう。
  ですから、これは、きわめてゲーム的・テクニック的な問題でしかないと思います。
  
 (2)プレイヤーがその悲惨な結果を覚悟の上で行った場合
  
  これ、困るんですよね。とくにGMが。
  プレイヤーにしてみれば、自分のPCの性格が満足に表現できたのだから、それはそれでいいわけです。
  ただ、それで本当に面白いのか、ということになると、一概にそうはいえないと思うのです。
  #馬場理論の、目的の重層構造からも、この問題性は明らかです。
  
  しかし、そのPCの性格をGMがいったん認めた以上は、そのような結末を迎えることは避けがたいわけですし、
  だからといってその場だけ性格を変えてしまっては、何のための性格設定だか分かりません。
  そういう状況をつくらない、というのも、GMのシナリオに大きな制約を課すものですので、首肯しがたい。
  となれば、周りのプレイヤーのPCたちや、NPCたちが、問題のPCの性格がいくぶん変容しうるきっかけを、
  人間関係の面でこしらえてやるというのがいいのではないか、と思います。
  例1:「馬鹿野郎!」と叫んで、そのPCの横っ面をひっぱたく。
  例2:「どうしてあなたはいつもそうなの?」と、震え声で涙ぐむ。
  
  これは、問題状況に対して、たんに論理的・合理的にのみ解決を図るという意味での、最適解(模範例と同義ですかね、やはり)とは異なります。
  しかし、PCが、自分の性格と問題状況の間で葛藤し、性格を徐々に変化させていく中で解決をさぐるといった展開の方が、そのような無感情な最適解よりも、展開においてはるかにダイナミックであり、「より面白い」と、私個人は考えます。
  より面白いのだから、これこそ真の最適解では?と思いたくなりますが、その現れ方は、たぶんメンバーによって様々でしょうね。
  
  #実際にうまくいくかどうかは別問題です。性格を「固定的判断基準」として位置づけた方が、はるかにイシ決定が楽だとは思います。
   ただ、その場合、上記の「より面白い」部分は消失するでしょう。
  
  #自分のPCの性格にまったく責任を負わないのはお子様プレイヤーなので、論外。
1999年06月06日:07時24分45秒
[イシ決定の意味内容]質問:TRPGのイシ決定論で言われる最適解 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#識別子[イシ決定]の話題が、キャラクター性偏重のもんだいなどにシフトしているようですので、この投稿ではそれとは別の話題の流れとゆーことで、[識別子]を[イシ決定]から[イシ決定の意味内容]と分けてみます。
 
@DandanさんWrote(「[意志決定]Re^2: 問題の起きるメカニズム(長文)」,TRPG総合研究室 LOG 030,99年06月03日:12時18分54秒)
>>えーっと、「意思決定の自由」の疑念が理解できたところで、次は「最適解」、及び、「イシ決定と最適解」の関係づけについての質問を、公開させていただきたいのですが。
>> 構いませんでしょーか?
>私が答えていいのかわかりませんが、いいんじゃないんですか?
>#ただし私の回答は「物理的に」不可能になるかもしれません。
>#そろそろ Web を見れる環境が失われてしまうかもしれないので。
 
 あ、そぉなのですか。では、お応えをいただけることを期待しつつとゆーことで、質問を公開させていただきます。
#もちろん、どなたからのご意見でも期待していますです。
 
 原理・原論(≒本質論)レベルでの質問をします。
 
●「TRPGについてのイシ決定論」で言われるところの「最適解」の内容は、必ずしも「数学・経済学で言われる意思決定論」でいわれる「最適解」とイコールでないような気がするのですが。違うでしょうか?
●TRPG論で言われる「最適解」は、アタシのみるところ「TRPGについて言われるイシ決定」よりも、バラつきがある気がするのですが違うでしょうか?
●もし、「数学・経済学で言われる意思決定論」での「最適解」と、「TRPGでいわれるイシ決定論」でいわれる「最適解」の内容に差違が認められるなら、どこがどー違うのか、はっきりさせられたほーがよいかと思うのですが。その差違を、どのよーに理解するとよいでしょうか?
 
 まず、数学・経済学で「意思決定論」に付随していわれる「最適解」についてアタシの理解を書いてみます。
 政党A.と政党B.が選挙に際して、公開の政策討論会をおこなうとします。
 この場合、政策討論会での言表戦略が、選挙での得票率を左右する「ゲーム」であるとみなされます。
 「ア」という政策に関する指示表明が、「ア」という論点では、得票率獲得に関する「最適解」だったとします。
 しかし、政党A.はこれまでの政策の歴史と矛盾する為、政策「ア」の支持を表明できない事情があるとします。
 政党B.には政党A.のような事情がなく、政策「ア」の支持を表明できるとします。
 
 この場合政党A.は、政策「ア」に関して、言及しない、政党B.に政策支持について問いただされても否認する、論点をはぐらかす、政党Bの支持する諸政策関連の矛盾をつく、などなどの選択肢があります。
 政策「ア」の支持を含んだ言表戦略が最適解であったとしても、その「最適解」を選択しなくても、「ゲーム」のプレイはおこなえ、戦術展開によっては「ゲーム」の目的(勝利条件)を達成できる可能性もあります。
 
 ゲームのプレイ全体に渡っての総合的な最適解とゆうレベルもあるけれど。まずは、ひとつひつとの選択肢に関して、採りえる選択肢のすべてを妥当に評価して最適解がきちんと算出できて、そのうえで、はじめて総合的な最適解も算出できる、とゆうのが、数学・経済学でゆう最適解をこのように理解しているのですが。
 
 
 さて、アタシが思うに、TRPGに関するイシ決定論では、「最適解」ということが言われる場合、意味内容上少なくとも二種類のタイプが認められると思います。実際は、「イシ決定」を論じても「最適解」の存在を認めないタイプの論もあるので、三種類と思われるのですが。議論の性格上、ここでは第三のタイプにはふれません。
#私見では、数学・経済学で言われる、「意思決定」と、TRPGについて言われる「イシ決定」、必ずしもまったく異なる系統の概念ではない可能性もあるとは思っています。
#類縁の概念で、いわばアレンジが違う程度の差違なのかもしれない、との可能性はアタシ的にも保留しています。
 
 まず、TRPGのプレイでは、勝利条件の達成にむけて「最適解」を選びつづけるのがゲーム的に正しく、TRPGのプレイヤーは常にそうした最適解を選択しつでけるべきだ、との論を聞くことがあります。(例は多くないと思いますが、アタシの記憶が正しければ、TRPG.NETの過去Log内でもこのタイプの論を見受けることできるはずです)。
 この場合、「最適解」の内容は、数学・経済学での意思決定で言われる「最適解」に近い内容が主張されていると見受けられます。
 しかし、この場合の「最適解」と「ゲーム」及び「ゲーム的なイシ決定」の関連付けは、数学・経済学で言われる意思決定とは異なるように思えます(違うでしょうか?)。
 
 次にTRPGのプレイでGMさんが用意された「シナリオクリアの模範的選択肢系統」が「最適解」と呼ばれることがあると思います。先の、「最適解を選びつづけるのが正しい『ゲーム』」論より、こちらの「最適解=模範的選択」論のほうがよく聞く論であるように思われます。
 しかし、こちらのタイプの論で言われる「最適解(=模範的事例)は、少なくとも数学・経済学で言われる「最適解」とは別の概念だと思われます。
 
 TRPGで言われる「イシ決定(意志決定)」、アタシは必ずしも、数学・経済学で言われる「意思決定」と100%同じ内容である必要はないと思います。もし差違が認められるなら、どこがどう違うかははっきりさせられたほうがよいとは思いますが。
 TRPGでのイシ決定は、充分複雑な概念と思いますので、用語が用いられることも妥当と思います。
 
 ところで、「最適解」ですけど、この用語についてはどうでしょうか?
 もし、「最適解」が「模範例」で置き換え可能なのでしたら、その場合の用語としては「模範例」が用いられたほうが、混乱も少なく、不要な議論も生じないと思うのですが。
#文字数も同じ三文字ですし。
 違うでしょうか?
 
●それから、もし「最適解」の理解が違うなら、「最適解」と結びついた「イシ決定」も「ゲーム」も、同じ用語を使いながら、その意味内容に重要な点で差違が生じてこざるを得ない気がするのですが。違うでしょうか?
1999年06月06日:04時16分20秒
TOLさんにレス / 紙魚砂

私が言いたかったのは

>…いづれにせよ責任の範囲内で選択してもらわねば、

…と言っているところの「責任の範囲」を決めるのはいったい誰か?
が、明確でなかったので、
そこでもし、
GMひとりが、個人的な見解だけで「責任の範囲」
決めているのだとしたら嫌だなあと思って、
先読み(というか早とちり?)して書きました。
ということでよろしいでしょうか?
1999年06月06日:02時31分49秒
【イシ決定】なぜ偏重?価値の押しつけ?といったレス / TOL
 >キャラクター性偏重なんですが、妥協はキャラクター性の崩壊に繋がるんでしょうか?
 
 たぶん誰も主張してないです。
 ただ、結果もかえりみず(自殺行為であってすら)あくまで固執するといった偏重の理由は、
 妥協はキャラクター性(の整合性?)が弱まる、薄まる、崩壊すると考えるからかなあ、
 それがとても耐えられないことなのかなあと漠然と思ったからです。
 (もちろんただ単に無責任かつ無頓着な場合を除いてですが)
 逆に考えれば、キャラクター性のある部分に固執すれば、それは確かにキャラクター性が強化されるだろうと思うし、
 それは極まった状況であればあるほど、さらに先鋭強化されるだろうとも思いました。
 ただそれが許される状況とそうでない状況があると思うし、
 おっしゃるようなもっと幅の広いキャラクター性というのもあるでしょうというのが言いたかったところです。
 
 >「これはやっちゃいけないよ」と最初から宣言してしまうのは、
 >あなたのモラルや限界を相手に押し付けることになるのでちょっと違うと思います。  
 
 これはよくわかりません。何も宣言はしませんし、
 押しつける気もなくて、あまりに結果にたいして、無責任なやりっぱなしは止めましょうという、
 ひねった蛇口は自分で閉めるとか、つけた灯りは自分で消すとか、トイレの水は自分で流すとか
 そういった類のことがいいたかったのです。
 それ以外はその通りだと思うッス。   
  
  どうも不明瞭で申し訳ございません。これで返答になっておりますでしょうか。
1999年06月06日:02時17分23秒
[イシ決定]レ・レ・レ・レ前提条件が間違っていませんか?1+ / 紙魚砂

ひとつ書き忘れました。
(長くなって申し訳ありません)

>Dandanさん曰く
>…が、これは好み/(脱線の)程度が違うというだけです。

…というところでちょっと誤解があるようなので質問します。
私はここで、

「脱線によってGMの持ってきたシナリオそのものが書き変えられても、
 面白ければ、私がアドリブで対処できると判断できる限り、許す。」

とまで思っているんですが、Dandanさんはどう思われますか?
(聞くまでもないかな?)

>toALL
 他の方はどう思われますか?

もうひとつ

>なぜ、主観的な思想を一般的(かつ経験的)な概論に持ち込むんでしょう?

うむ、やはりこういう考え方は、
まだ世間では一般的にはなっていなかったのですね。
納得しました。

少なくとも私はこうやって遊んで、実際楽しめています。
時には
「いつもやってるところだと、
 自分のこういう(脱線した)プレイは止められたり迷惑がられるけれども、
 ここでは好きにプレイできて面白かった。」
と言われることもあるのですが、
どう思われますか?
1999年06月06日:01時33分48秒
[イシ決定]レ・レ・レ・レ前提条件が間違っていませんか?2 / 紙魚砂

>くうさん曰く

>選択肢以外の行動をプレイヤーが選ぶことは禁止するのでしょうか。
>それとも、選択肢以外の行動にはアドリブで対応するのでしょうか。

基本的に私が言っている「選択肢」というのは、
境界条件が明確なもの(結果がいくつに分かれるか明確に分かるもの)だけを言っています。
もう少し具体的に言うと、

「あるPCはAを獲得したいと思っている」

というきわめて単純な条件があったとします。
その結果は

「あるPCはAを獲得する」
「あるPCはAを獲得しない」

の二つしか存在しません。
だからその結果自体については、まったくアドリブをする必要はありません。

あと、条件に対する分岐を全部チェックしていないというポカをやってしまった時には、
しょうがないからその場で考えてアドリブで対処します。
これは、前提条件があいまいな場合にときおり起こることです。

結局のところ、選択すべき「条件」が明確に決まれば、
おのずとその選択肢も決まってきます。

そういった条件の元では選択肢以外の行動というのはそもそも存在し得ず、
そこには、ただ、

「GMが考慮し忘れた/考慮しきれなかった」
「GMが考慮したくなかった」

という、GM自身の人間的限界があるだけだと思います。
1999年06月06日:00時21分22秒
[イシ決定]レ・レ・レ・レ前提条件が間違っていませんか?1 / 紙魚砂

>Dandanさん曰く
>…ですが、紙魚砂さんは「私はこのような考えの元にマスタリングをやっている、
>だから、メカニズムがおかしい」としか聞こえません。
>なぜ、主観的な思想を一般的(かつ経験的)な概論に持ち込むんでしょう?

実はその通りです。
これは私自身の経験にもとづいて発言していることですが、
それ自体一般的なものだとは思っていません。
しかしこういう根本的な思考の切り替えによって
実際、ある程度「プレイヤーの自由の領域」を広げることができるし、
セッション崩壊も免れ得るようになるということを言いたかっただけです。
そのために敢えて一面的な論を展開させていただきました。

>問題プレイを起こすキャラクターを出すのは GM の責任なんでしょうか?
>GM の責任ではなく、
>プレイヤーの責任でセッションが崩壊した事例をいくつか見てきています。

だから、これについては、

・問題プレイを問題プレイだと“判断する”のはGMである。
・別のGMの元では、それは問題プレイと見なされないかも知れない。
・その差は、GMがそのプレイを受け止めてリアクションできるかどうかという能力に関わってくる。
・GMがリアクション能力を向上させれば、ある程度シナリオの崩壊を回避できるようになる

と、私は考えます。(当たり前の話ですね)

ですが、Dandanさんの言葉をもうちょっと掘り下げて捉えると、
そこで言われている「問題プレイ」というのは、
ある特定のシステムの根幹やTRPGというゲームの概念そのものを
成り立たなくさせてしまうたぐいの「問題プレイ」のことを指しているのかもしれません。
もしそうだとすれば、
私の言っている“前提”以前のところで
ゲームそのものが成り立たなくなってしまうわけですから、
そりゃあ、私でもそのプレイは認められないですね。
(というか、このあたりの例外については
 私はこれまで一言も語ってきていません。)
1999年06月05日:17時55分07秒
TRPG総合研究室 LOG 030 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 030として1999年06月03日から1999年06月05日までのログを切り出しました。

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