TRPG総合研究室 LOG 011

TRPG総合研究室の1998年07月07日から1998年07月27日までのログです。


1998年07月27日:01時43分14秒
「キャラクタープレイ」とか「ゲーム」とか / 鏡
 端から拝見していて、何だかよく分からないのが、表題に挙げた二つの 用語が示す内容です。本当に皆さん、同じ意味で使ってらっしゃるのでしょうか?
 
 というわけで、観客席から質問です。
 1-1、良い「キャラクタープレイ」の例を挙げてください。
 1-2、悪い「キャラクタープレイ」の例を挙げてください。
 2-1、良い「ゲーム」の適用例を挙げてください。
 2-2、悪い「ゲーム」の適用例を挙げてください。
 興味があったらお答え下さいませ。すべての設問に対してでなくても 結構ですが、例えば「悪いキャラクタープレイなどありえない」などと言う場合は、 その旨お書き添えいただけると幸いです。
 
 ちなみに、私の私的術語としての「キャラクタープレイ」とは「その条件下に自分が その立場であると思って行動すること」ですから、ちゃんとそのように考えているか どうかが良し悪しを分けます。また「ゲーム」とは「同じことを皆でやって、楽しい時間を 過ごすこと」程度に考えておりますので、集中しているか、皆で楽しんでいるか、などが 評価基準となります。
 けど、私の術語がこの掲示板の話題からズレていることは明らかで・・・それに追いつく ためにも知りたいのです。よろしくお願いします。
 (馬場講座は存じておりますが、あえてご自分の言葉で教えていただきたいのです。)
1998年07月27日:01時06分53秒
・・・では、どのようなものが基礎から離れているのでしょうか? / 3327
えーっと、別に 「いえ! 言えないなら文句言うな!」
ってワケじゃないです。
単に私がわから無いだけです。

話しは変わりますが、キャンペーンのクライマックッス 「直前」 で死んだとしたら、「キャンペーンなんだから対処すればいいのでは?」 と思いますけどね。
単発シナリオを数回に分けてやるのをキャンペーンと呼んでるなら、困ったりするでしょうけどね。

1998年07月26日:11時40分06秒
RE3:こだわりというわけではない。 / S
★ で、その他の部分
◎「できる人とできない人がいる」 を受けてSHiNさん
>わたしが話してるのは、一貫してマスタリングについての話です。 /これに関してはもう、数えきれないくらい繰り返して発言していますが。/で、GMには、ある程度の感性と知性があることが期待されます。

 
 ……つまり、ドラマ的構造上の相関的な 「立ち位置」 の把握と、その動かし方が問われるプレイスタイル……その構造的整理をマスター的立場から言ってるんですね? この場合、マスターってのは、演劇でいう演出家に近くなってますね?(この段落全体、質問5:マスターの在り方)
 
 で、プレイヤー側がそのマスタリング上でどういうプレイをするかと考えると……、
 「キャラクターの設定 (データ含む) を分析して、そのイメージや制約を尊重しながら状況に対して最適な、あるいは敢えて不利な行動を取る」、こういったキャラクターの 「動かし方」 の部分がドラマ的構造に於ける彼我の位置関係を重視した形態になってる……多分、そうですね?
 で、プレイヤーから取れる演出はともかく、架空人物の内面演技、外面演技、ってのは関係ない……って事ですか?(この段落全体、質問6:プレイヤーの在り方)
 
 ところで……馬場講座の中で 「マスターにオリジナリティーや創作性が必要ない」 っていうのは、アレは 「マスタリングは簡単ですよ」 (笑) みたいな建前上のニュアンスも多いでしょ?
 ……大体、パロディーやエピゴーネンもまた一つの創作ですしね。「真の意味での創作性」 との対比的表現ではないでしょうか? つまり、「自己満足に対する警告」 であって、それ以下でもそれ以上でもないって思ってましたが……え、そんなに攻撃的でしたか、あれ?(-.-;) (この段落全体、質問7:馬場講座・創作性)
 
◎「馬場さんが非難してるのは付加価値そのものではない」 を受けてSHiNさん
>あきらかにキャラクターロールプレイの発展など念頭にないテキストですよ、あれば。それどころか、阻害しかねない。/初心者やそれを嫌う人には、キャラクターロールプレイを要求するなとか言ってますからね。

 
 ……いやまぁ、確かに無頓着な部分はありますけど、キャラプレがどうでもいいなら、トーグなんか例に出すでしょうか? トーグって、「戦闘中のキャラ発言」 だけじゃないですよ? 「D&Dしか認めない」 みたいな人にとっては、知人カードの類いなんてパニック起こしますよ。(^.^;)
 「やる人はどうぞ」、「まず根本を養いなさい」 的な段階のテキストだと思うんですが……僕が言った 「付加価値を基盤にした形態に対して非難している」 ってのが指しているのは、「ゲームを知らないイメクラRPG」 の類いであって。(^.^;)
 馬場理論を受け入れた上で、あるいはゲームを基盤にして、その上でキャラプレとかやっちゃう人はそれはそれでよりたくさんの楽しみ方を達成している訳ですし、馬場さんが非難する権利も道理もないでしょ?(この段落全体、質問8:馬場講座・付加価値)

 そういった 「根本を持ってる人」 が、いずれは 「キャラプレの発展」 を考えたゲームシステムを生み出すんであって。あの人、日本国内には絶望してるかも知れませんが、海外ゲーマーがキャラプレを一切やらない環境にいる訳じゃない筈でしょーし、そこで生まれたゲームをやる以上は日本国内のキャラプレも発展するでしょ。
 
PS1.僕が読んだ過去ログ、まだ部分的なモノかも知れないれすー。もうちょっと逆上ってみますね。……もしかして、ドえらい前から?(^.^A)
 8個の質問は、「過去ログのこことここを読むべし」 みたいな形でも結構ですー。(^.^;)
PS2.僕、あのデザイナーズノートでカットしてる部分があって、「そここそが重要な要旨」 と思ってますから……はぅー、まだ確信に薄い段階なんで、正直、出したくはなかったんだけど (笑)、こうなりゃ出します。
 もしかしたら 「立場」 と 「見方」 が違うだけで、同じ事を言ってるかも知れません。特に 「循環」 とか。
1998年07月26日:11時36分14秒
RE2:こだわりというわけではない。 / S

★ けど……うぅむ?(-.-;)
 ……である以上、熱血も 「ゲームを基盤・前提・骨格として、その上にあるものを特化した」 っていう表現はできるのでは……でも、これは、SHiNさんにとって、「ゲームが骨格にある」 って訳じゃないんですね?(質問3:熱血の構造は)
 
◎SHiNさん
>これらの概念を理解するには、ゲームとドラマが等価値で互換可能だということを理解せねばならないのです。/ゲームのないドラマも、ドラマのないゲームも、TRPGではありえないということをご理解ください。/どちらが骨組みという言い方など不可能なのです。
>(わたしが、キャラロールプレイを骨組みにも出来るといったのは、『ゲーム』を骨格とできるのなら、って前提です。:後略)

 
 「ゲームのないドラマも、ドラマのないゲームも、TRPGではありえない」、それは大いに頷けます……僕、そういう主義ですし (笑)。内包しているポテンシャルは全部食わないと気がすまん (笑)。
 
 例えば、「(SHiNさん>) キャンペーンのクライマックス直前にPCが死んでしまったらどうしますか?」 って問題に関しては、「あーあ、死んだね。じゃ、次のラウンド」 なんてやるプレイング/マスタリング、個人的には嫌ですよ (笑)。って言うか、ウチの中でやったら蹴り殺されます (爆)。
 そこで演出しますね。ドラマの為の格好のネタですから (笑)。ええ、感動の為に死んで貰いましょう (笑)。
 ……ま、マスターとして事情があるなら、何らかの救済処置に流れるでしょうけどね。でも、毎回やってたら 「ナメられる」 でしょうし、その判断には注意します、僕は。やるとしても、演出に絡めた救済処置ですよ。
 それができてこそ、「最低限の上手さ」 って思いますから。
 まだまだ、切磋琢磨中☆ (笑)
 
 でも、それは (システム化されてでもいない限り) 「やる人間」 の技術などに依存した……つまり、TRPG自体にとっては付加価値的なものですよね。
 初心者の人がゲームとこれを一度に同時にやろうとしたら……腹壊しません?(笑)
 喩えるなら……D&Dは赤箱からやっていって、青、緑、黒、金、って発展していく訳で、赤と青の 「順序の変換」 はできないでしょ? TRPGって、まさにそーゆー構造だと思うんですけど。
 この 「段階式積み重ね」 は学習順序であると同時に、TRPGとしての前提順序的な構造論でもあって、必要不可欠だと思うんですが……僕が言ってるのは、その上で 「全部やっちまえ (笑)」 であって。
 はにゃ?
 僕が言ってるの、「ゲームを貴とし、ドラマを賎としている考え方」 でしょうか? いや、僕とSHiNさんって言ってる事は違っても、言いたい事は同じだと思うんですけど……うぅむ?(この段落全体、質問4:TRPGの構造と、それを以って行う事)
1998年07月26日:11時33分36秒
RE1:こだわりというわけではない。 / S
 (虚空をかきむしりながら) はぅぅ、僕には妻も子供も……いねぇや、ちくしょう (笑)。
 成程、了解しました (深々と礼)。陳謝、及び撤回します。(^.^i) ←血ィ出てる (笑)
 
 つまり、SHiNさんが言ってるのは、「創作行為としての価値」 について……ですね?(質問1:創作行為か)
 これは、「熱血専用はTRPGか否か」 みたいな問題を意識すると分かり易くなりますよね?(質問2:熱血と同質か)
 
★ 僕は熱血専用について、
 ……まぁ、特にファンって訳でもないです。あーゆーパロディーネタは大好きですけど (笑)。
 ファンではないけれど、「お約束を明文化する事で、プレイヤーのキャパシティーに余裕を持たせ、いわゆる付加価値とされているモノの発現の向上を図った」 という、デザイン上のコロンブスの卵的な発想は評価してます。確かに長続きはしないでしょうけどね。(^.^A)
 アレに対して、「TRPGではない」 とゆー人はいるようですが (注:連載時の筆者の発言から推定しています。実際には知りません)、僕は 「正統派からすればイビツかも知れないが、一つのTRPGとしての形である事は間違いない」 って捉えています。
 
 あっさり言っちゃえば、「創作行為としての特化」 って意味ではレレレと同じだもの。
 で、レレレに対する批判って、見た事ない。評価はあっても。(って言うか、メタ構造化が評価されてるのかな?)
 
 その理由として、「熱血専用は意志決定や判断の入る余地、その集約としての結果、この流れがないからだ」 っていう意見があったとして……でも、それはSHiNさん曰くの因果律の逆転と言うか、演繹と帰納の逆転と言うか、と言うより 「解答のみ分かってて、その過程の数式は不明のまま」 ってのに近いモノで。そこに至るまでに意志決定や判断は十分にあるでしょ。
 とゆーか、普通にTRPGやってても、プレイヤーからしてみれば 「この状況からすると、おそらくこーゆー展開になって、ここでこう引っ繰り返して……」 みたいな 「読み」 ってやっちゃうし、それはより深く楽しむには必要な事だし。
 単に、それを 「バラしちゃう」 訳ですよね。だからこそ、「その分、キャパシティーに余裕が出る」 訳でしょうから。
 つまり、熱血は 「ゲーム」 として機能すると思います。薄弱かも知れないけれど。(^.^;)
 
 確かに、その適確性の是非は問われずに 「カッコいいか悪いか、ノリがいいか悪いか」 ってだけの判断に流れがちでしょうし、批判する人にとってはそこが問題なんだと思います。
 でも、逆に言えば、批判するような人にこそやって欲しいですね。戦闘に限っても、タクティクス性に乏しい歴戦の戦士を 「カッコよく演じ、演出する」 なんて不可能っしょ。やっても浅薄なだけ。
 ……そりゃ、批判する人が演技下手なら、やっぱり浅薄かも知れませんが。(^.^A)
1998年07月26日:08時14分33秒
SHiNさんえ / でぶ猫
説明不足だったかも知れません。おそらく、いちばん大きいのが言葉の行き違いでしょう。
(ゲームという言葉についての説明とか、よく考えるとコスティキャン氏の名前を出しただけで、ちゃんと自分の言葉で説明してませんでしたからね。同様にtRPgの大文字小文字の差とかもちゃんと説明されてないようなので、私にはわかりません)
 
 私が「ゲームの要素」とか「ゲーム」と呼んでいるものは、以下のもので構成されています。
 
 ○ハードウェア的なもの
  ルール
  小道具
 ○ソフトウェア的なもの
  ハードウェア的なものを駆使したプレイヤー(マスター含む)の意志決定(達成目標と、達成および失敗の可能性の存在)
 
 そしてゲームとしての面白さは意思決定における葛藤のありようで決まると考えています。
 では、キャラクタープレイなどはどこに属するのでしょう?
 キャラクタープレイ的要素(長所、欠点、呪われた運命など)がルールに組み込まれているのなら、そのかぎりにおいてゲームに含まれます。それはゲームを行なう上の制限や特権、目標といったものとして機能します。
 そうでないものはどこにあるのでしょう?
 挑発的な表現をつかっていえば「妄想」です。
 プレイヤーが勝手に思い込んでいるだけなのです。
 想像力というものは刺激があって、はじめてかきたてられるものです。また、だからこそ想像したものを共有(このへん、PLAYLABOに出てきた「共有感覚」ですね)することができるわけです。その刺激というのは言うまでもなくゲームです。過去、CRPGのWizardry Iがいかにプレイする人の想像力を刺激したかを思い出してください。
 ゲームをして「骨格」と呼んだのはこのような事情があるからです。もし、ゲームを2の次にしてまず想像ありきでゆかんとすれば(つまり、キャラプレ先行)、刺激は世界設定と自分自身の内面にあるものにもとめることになります。そしてルールによって出された結果よりイメージ的に好ましい結果、つまり願望を優先させることになるでしょう。なぜなら、まずキャラクターありきだからです。キャラクターにそぐわない結果はダイス判定の結果といえど、調整の対象となり得ます。逆に好ましい結果ならおおいに受け入れられるでしょう。
(まずゲームありきなら、判定の結果を見て「うーん、これってどういう状況だろう」と頭を捻る楽しみがあります)
 これはストレス解消にはなっても、面白いとは言えません。だいたい、まずゲームですらなくなっています。(ルール軽視によって)
 ゆえ、(ルール的な仕掛けに裏付けられない)キャラプレが主でゲームがおまけのTRPGはありえません。かならずTRPになってしまいます。
(長持ちしないというのは、TRPとしてであって、TRPGではありません。ストレスが解消されてしまえば、そこまでのものです。なんといっても挑戦的要素が弱くて飽きてしまいます)
 
 しかし、これは大事なことですが、感情移入できること(キャラプレなど)はTRPGの大きな魅力です。とうていはずすことはできないでしょう。(なかったら、あたしゃロボラリーでもやってます) ただし、それはゲームという枠内でこそ、共有も活性も容易なのであって、もしゲームと感情移入がぶつかることがあれば、犠牲にすべきは原則として感情移入(思い込み)にあるのです。プレイヤーはそうならないようにPCの行動などを慎重に考えるべきでしょう。
1998年07月26日:07時58分59秒
re:シナリオが基礎を離れてない。に関して / MARS
 エー……やはり基礎から離れないと思います。
 自分で目的を見つけて努力して目的を達成するでも
 基本的には基礎です。
 違うと言えばマスターのアプローチが必要なくなってくることだと思います。
 
 実際のキャラプレイ推奨派の皆さんはこれをやりたいんじゃないでしょうか?
 私もやりたいですね(笑)
 
 最近の私の意見としてはキャラプレイ推奨派もゲーム性重視派も
 結局はやりたいことは同じなんではないでしょうか?
 そんな気がします。
1998年07月26日:01時12分21秒
シナリオが基礎を離れてない。に関して / 3327
シナリオが基礎を離れてないって、そりゃ表面しか見ないキャラクターロールプレイとやらがはびこってるせいでしょう。
こないだちょっと書きましたが、シナリオなんてそれ用でよければ億でも創れますよ。

xxがyyした。xxをzzした。
ゴブリンが旅人を襲った。ゴブリンを倒した。

名詞と動詞入れ替えて、修飾語を付ければ出来上がり。
一回目の名詞と二回目の名詞を変えればひねったシナリオの出来上がり。
接続詞を変えて例えば疑問文にすれば調査型シナリオの出来上がり。
名詞の在庫が1000くらい有れば組み合わせで億とかにならないかな?

こんな、モナカみたいな上っ面だけ違うシナリオをキャラクターを楽しむなんてお題目でやってればなんの変化も起るワケ無いでしょう。

プレイヤーのやる気っていうガソリンが無いと、ゲームって車は一ミリだって動かないんです。
クルマがあれば自由にどこへでも行けます。行く気が有ればね。
RPGでは自由に何だって出来ます。やる気が有ればね。
上っ面だけ違う箱庭周回コースをキャラクターロールなんて美名で無限ループさせてないで、いい加減自由な世界へ放り出せばいいんじゃないですか?
緑のメガネを外せば、エメラルドの都がニセモノだって分かるはずですよ。

キャラクター自身が目的を自分でつくり、それに向かって自分のやり方で努力する。
TORGだってD&DだってRQだってトラベラだって、
プレイヤーが自分自身で何かやっていこうとした時にそれに応えられる世界を持っているから長寿ゲームになれたんです。

熱いセリフ回しとかじゃなくて、目的とそれに至る過程で自分を表現する。
これでシナリオは基礎を離れます。
この時こそ、キャラクターロールが最重要視されます。
これやってれば一生シナリオ不足になりませんよね?
やる気とシナリオが同レベルなんだから、シナリオが無い時はやる気がない時です。絶対に不足しません (笑) これでだれも文句無いでしょう?

P.S.
国産システムにこれに耐えうるモノは有るだろうか?
1998年07月26日:01時11分12秒
キャラクターを、プレイヤーと同じに見てるからでは? / 3327
キャラクターはプレイヤーじゃないですよね。逆も。
さて、
キャラクターがどう考えたかをまず考える。
次に、それをゲームのルール内でどう表現するかをプレイヤーが考える。
キャラクターはルールなんて知ったこっちゃ無いですからね。
そしてキャラクターが思った事を的確に、つまり言動が一致するようにプレイヤーがルール適用を申し入れる。
このさいに色々なルール適用を選べると、プレイはより楽しくなる。
以上です、
キャラクターの個性がある。
プレイするゲーマーも個性がある。
キャラクターの個性、どうぞ考慮して下さい。
自軍の配置や装備という個性を無視した作戦を立てる指揮官がいるでしょうか?
キャラクターシートのように莫大な種類の数値が立てられた情報をみれば、あるいは一匹の動物のように有機的に連動する部隊をみたならば、あるいは莫大なプログラムの集積体 (AI) を見たならば、

それを擬人化し、個性 (キャラクタ) と見る事は出来ないでしょうか?

って、このへんは士郎正宗の 「攻殻機動隊」 とか読んでフォローして下さい。
士郎正宗いわく、情報が一定以上あつまると、それが生命になると個人的に思い込んでいるんです。個人的に、根拠も無しにね。だったかな?
私も同感です。
私はキャラクターを生き物としてみています。人間、じゃなくて。だってAPAとかやるから(笑)

キャラクターの個性に沿って方針決定。
どのルールを使って方針に向かうかはプレイヤーの自由。
私はワタシ、キャラ(あなた)はキャラ(あなた)。
お互い上手く付き合っていきましょう(笑)

うーん、答えになってないけど、なんとか汲み取って下さい。
1998年07月26日:00時10分59秒
Re:意思決定とキャラプレ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>まぁ、わからんひとにはわかって貰えんかなぁ。
 
 ごめん、3327さん、アタシとかわかんないです。
 例えば、攻撃的、だけしかないのって、人間らしさ、を感じられないのです。アタシとか。
 違うのかな?? 将棋を指す人の、「指しかた」に個性があるのはわかります。SLGでもPLのプレイスタイルは個性だってのもはわかります。
 でも、王将、とか、桂馬とかのコマには機能があるだけで、人間らしい個性は、アタシは感じられません。
 SLGのユニットに、感情移入して、プレイするPLさんがいるのも、(知人にもいるし)わかります。そぉゆぅ人とSLGプレイして、楽しくないわけじゃない(アタシゲームヘタだからすぐまけるけど;汗)。でも、それって、アタシがTRPGプレイして味わう楽しみと決定的に違う。
 SLGだとPLとPLの関わりしかないけど、SLGだと、間にPCたちの個性が入るぶん全然違う、、けどなぁ。<これってアタシがつまんないSLGしかしたことないってことなのかしらん? 
 う〜ん、SLGのPLとPLの間にも、盤面はあるけど、PLはあくまで、大局の観点からだけ、ゲーム状況の変化を見るでしょ? TRPGでも、ゲーム状況の大局って、もちろん見るけど、それより、セッションの世界の内にいるPCの視点で、内側から架空世界を見る感じが楽しくって、アタシはTRPGやってます。←も・ち・ろ・ん、疑似体験ってことなのですけれど。←SLGの面白みはよくわかんないから、ちょっと自信ないけど。
#明日は、コンベンションなんで、アクセスできるかどぉか、ちょっとわかんないですぅ。できれだけ、“言い逃げ”みたいなマネはしたくないとは思ってますぅ。
1998年07月25日:23時43分49秒
意思決定とキャラプレ / 3327
意思決定でキャラクターロールプレイできますけど?
シュミレーション・ゲームやったって、将棋だって個性を演じられますし。
彼は攻撃的だ。
彼は策士だ。
彼は保守的だ・・・
ほらね。駒を動かすだけで、つまり意思決定だけで充分以上に個性を、つまりキャラクターロールプレイを実現できますよ。
まぁ、わからんひとにはわかって貰えんかなぁ。

1998年07月25日:22時53分46秒
RE:変化無し… / SHiN
 MARSさん 
 >極端な話になりますが、私は現在までに行われている全てのシナリオは
 ほとんど基礎を離れていないと思います。
 
 ごもっともです。・・とはいっても、他人にシナリオはあまり知らないし、最近の市販のシナリオ集とかあまり目を通してないので全体的にどうかとういう意見はできませんが・・
 MARSさんがそうおっしゃるのなら鵜呑みにしておきます(^^)

>一番基礎の基礎は
 >敵がいる…倒せ…倒した成功/負けたから失敗
 >こんなもんではないでしょうか?
 
 そうですね。
 わたしが以前ミッションクリア型と呼ばせていただいたゲーム形態も、これとほぼ同じです。
 ある意味、ゲームブックの頃からさえ変ってないかもしれませんね。
 
 
 >それはひとえにオープンをやることに対して多くの人が技術を軽視しているからに他 ならないのかもしれません。
 >つまりダンジョンをやらなくなったからマスターが増えないのではなくオープンをや る環境にないためにマスターが増えないのだと私は考えています。
 
 これは・・・正直、認めたくない意見ではありますが、説得力がある事もまた認めます。
 これは私が馬場講座における馬場氏の態度や姿勢に批判的なのにもかかわらず馬場講座の価値を認めざるを得ない理由にもなっています。
1998年07月25日:22時51分26秒
平行線ってわけでもなさそうですが・・ / SHiN
 でぶ猫さん 
 >理解してくれないなぁ、とぼやいているのは一重にここです。
 
 逆に、わたしにすれば、『理解させてくれないなあ』ってところでしょか。
 でぶ猫さんの主張内容は理解してますし、その動機的なものもだいたい想像がつきます。
 過去ログにいっちゃいましたが、『残務整理かな』も読ませていただいたので。
 
 が、裏づけとしては『TRPGの本質は意思決定である』という概念だけしか示していただいてません。
 健康の話にしてもなんにしても、全てこの概念をかみくだいて説明しようとしているだけで、この概念を証明する材料にはなっていません。
 それに、たとえこれが証明されたとしても、ここから即、でぶ猫さんの主張を導きだすのは論理に飛躍がありすぎます。
 本質であるということと、尊重すべきものといういことは全然違うのです。
 (性悪説では、人間の本質は悪ですが、性悪説を唱える人が悪行を推奨しているわけではないですよね?)
 
 だから、
 
 >これはありえません。
 
 という、理由を教えていただきたいのです。
 馬場講座に同じ、でもかまいませんが。
 どちらにしても、でぶ猫さん自身の言葉でお聞きしたいです。
 
 が、
 
 >というより、これは長持ちできない形態です。 
 
 この一言をお聞きできたのは非常に私にとっては嬉しいことです。
 『ありえない』と、『長持ちできない』とでは天地の開きがあるからです。
 あくまででぶ猫さんが『ありえない』を主張するならそれは平行線でしたが・・ね。
 
 で、ならば、なぜ、長持ちできないか?を書いて欲しいのです。
 そして、この『ナゼ?』を考察することこそが意味のあることのはずです。
 
 もしかして適切な方法をとれば長持ちさせることができるかもしれない。
 健全な『RPg』を形成できるのかもしれない。
 
 いや、たとえRPgを形成できなくとも、
 rpGを、RPGRPGに出来るかもしれないでしょう?
 
 もっとも、これでは、
 わたしの主張(各要素は等価値で互換可能)が証明されるわけではないですが、私としては喜んでその議論にも参加いたします。
 (RPgよりもRPGRPGの方が私にとっても価値があるからです。)
 
 で、わたしとしては、tRPgプレイヤーが長持ちしないとしたら、彼等が
 tRPgからTRPG(もしくはtRPg)への発展を達成出来なかったからだと思います。
 
 別に、ロールプレイを骨組としてしまったからではないと思いますよ。
 馬場講座などでは、まるでtRPgは飽きやすいがtrpGは飽きにくいみたいな言い方されてますが、 それはナンセンス!
 
 trpGをやってた人だってtRPGやtrpGに発展できなかった人たちは飽きていったはずですよ。
 実際、MtGに河岸を移した人達って、そいういう人たちだったんじゃないかな?
 
 馬場講座よんでるとtRPg派が悪者みたいに聞こえるけど、TRPGを見限ってMtGに移っていったのは当然trpG派、つまりゲーム派なんじゃないでしょうか?
 (それとも、tRPg派にtrpG派が追い出されたって言いたいのかなあ?)
 
 また、MtGのヒットからGMはゲーム性を重視したセッションを目指すべきということに気付くべきだ!などと言われてるけど、あれも大間違いですよね。
 TRPGのゲームシチュエーションのバリエーションは確かに多彩だけどゲーム性そのものは、将棋やMtGのようなものに比べあまり高くない。(もともと、GMという存在が、ゲーム性を低くしている。)
 MtGのヒットは、ゲームのバリエーションの多彩さより(というか、基本的に1種類ですよね?)ゲーム性の高さによるものが大きいから、それこそ、そっち方面だけで対抗しようというのは間違ってると思うのですけどね。
 
 まだ、ハリウッド映画より面白いシナリオを素人が自作する方が簡単な気さえしますね(^^;)
 
 わたしは、MtGや、その他の伝統ある娯楽、そしてコンピューターゲームのようなハイテクと大金をつぎ込んだ娯楽にTRPGが対抗するためには、その最大の特性である、
 キャラクターロールプレイを生かすべきだと思うのですが。
 
 さらにつっこんだ言い方をすると、ゲームへの感情移入を高めるために生まれたロールプレイが、逆にゲームによって高められ、その高められたロールプレイが再びゲームをより面白くするという循環・・
 
 これが大事なんだと思うのです。(そのためには、等価値、かつ互換可能でなくてはならないのです。)
1998年07月25日:21時48分13秒
SHiN / こだわりというわけではない。
 Sさん
 >この「付加価値」という表現にこだわり過ぎているんじゃ?
 
 バキューン!!(笑)
 まことに失礼ですね、万死に値します。って、ウソウソ(^^;
 
 まあ、そう見えるなら仕方ないけど、わたしにとっては逆に でぶ猫さんや他のみなさんがこだわってるようにみえる。
 たぶん、お互い様ってことでしょう。
 
 双方がこだわらなければ議論になるはずないですから。
 
 ただ、わたしは実利的な主張しかしませんよ。
 
 わたしが『等価値、それも互換可能な意味での等価値』というならば、 それはそうすべき理由があるからです。
 
 こだわりとかじゃなくね。
 
 これをきっちり書けといわれると難しいんだけど、
 TRPGのような架空世界はいわば、人間原理の宇宙なんですよ。
 
 そこでは、因果律が逆転することが可能な世界なんです。
 
 以前、わたしと似たハンドルのSinさんって方がルーンクエストの背景世界であるグローランサの歴史を TRPGで再現しようという試みをプレイしているって紹介がありました。
 
 何名かの方から、「結果がきまってて面白いのか?」という疑問を投げかけられてたのですが・・
 
 おせっかいながら、その時は、わたしなりにいろいろSinさんの説明のお手伝いさせていただいたんですけど、 その中でひとつ言い忘れたことがありました。
 
 それが、さきほどの因果律の逆転現象です。
 
 結果を決定しても、その原因(というか過程)が決定されていなければ、 それは結果が決定してない時と同じくゲームとして楽しめるのです。
 
 逆にいえば、ミッションクリア型では楽しむことのできない
『一本道シナリオ』も、この概念をとりいれることで楽しむことができるのです。
 
 ゲームは、この過程としてしか存在できませんが、
 ドラマ(疑似体験、キャラクターロールプレイ)は、結果としても発端・原因としても存在できるのです。
 
 これらの概念を理解するには、ゲームとドラマが等価値で互換可能だということを理解せねばならないのです。
 
 ゲームのないドラマも、ドラマのないゲームも、TRPGではありえないということをご理解ください。
 
 どちらが骨組みという言い方など不可能なのです。
 (わたしが、キャラロールプレイを骨組みにも出来るといったのは、『ゲーム』を骨格とできるのなら、って前提です。
 でぶ猫さんへのレスではなく、私が最初からこの論法を使ったなら骨格をドラマ(キャラロープレ、疑似体験)、筋肉をゲームと例えたでしょうね。
 ドラマがなければ、ゲームは意義をうしなうし、ゲームがなければドラマは動き出さない。もっとも、こういう例えは常に不完全なものにしかならないのであまり好きじゃないんですが。)
 
 事実、ひとつのセッションは 無数のドラマ部分とゲーム部分で構成されているといえますしね。
 
 そして、これらの関係は、相互に絡み合っているのです。
 たとえば、戦闘に負けてキャラクターが死んでもストーリーがかわらないなら それは、ゲーム性の低いセッションとなるでしょう。
 が、キャラクターが死んだらストーリーが崩れてしまうのならそれはドラマ性のうすいシナリオとなるでしょう。
 
 でも、だからってキャラクターが死んだりストーリーが崩れても楽しいって人はいない。
 
 だから、理想をいえば、
 キャラクターが死んでもストーリーが崩れず、それでいて キャラクターが死んだ場合と生き残った場合に達成感の差が得られれば、ベストですよね。
 が、これを実現するには、やはりドラマ(キャラクターロールプレイ、疑似体験)とゲームが等価値と考えないと うまく実現できないのです。
 
 キャンペーンのクライマックス直前にPCが死んでしまったらどうしますか?
 
 これに適切な答えを与えてくれるのが、ドラマ性とゲーム性を等価値とする考え方なのです。
 
 >ぶっちゃけた話、「できる人とできない人」がいるからなんですよ。多分に感性に左 右されるでしょ?
 
 わたしが話してるのは、一貫してマスタリングについての話です。
 これに関してはもう、数えきれないくらい繰り返して発言していますが。
 で、GMには、ある程度の感性と知性があることが期待されます。
 
 これは基本前提です。
 
 GMの人口を増やす必要性は認めますが、粗悪なGMを増やすことに意味は ありません。
 
 が、なにも、鳥山明や堀井雄二になる必要はないのですから、 たいていの人は、ちょっとがんばればGMに必要な感性と知性くらいは鍛えられるはずです。
 
 無能なプレイヤーはまだ(邪魔にならなければ)許されますが、無能なGMは許されないのです。
 
 あと、TRPGのマニュアル化に関しては、感性のマニュアル化はできなくて知性のマニュアル化はできるってのは 間違いだと思いますよ。ゲームマスターに要求される知性というのは、多分に感性を含めてのものですし。
 
 馬場講座で、シナリオを作るという作業はゲームをデザインする作業でもあるって言葉がでてきますが、まったく賛成です。
 で、ゲームデザインには、かなりの感性が必要だってのは、だれにでも理解できる話だと思うのですが・・・
 
 さらに、実際のセッションハンドリングはさらに感性を必要とします。
 
 さて、かつてATARIというTVゲーム機は、大ヒットし、無数のゲームが開発されましたが、 それによって市場は崩壊してしまいました。
 つまらないゲームが大量に出回ったため、ゲームをしようって人が激減したのだそうです。
 
 この例にならって・・ってわけじゃないけど、TRPGシーンの活性化のためにGMを増やそう!って考え方には賛同できますが、どんなGMでもいいから数をそろえようって考えには反対です。
 
 ただね、こんなこといってると、非常に傲慢な人間に思われるだろうけど、そういうわけじゃないんです。

 たとえば、うちのサークルには、GMできないやつなんてほとんどいない。
 一人いたけど、さんざんけなしまくったあげく、つい先日4度目のチャレンジをさせたら結構うまくやった。
 
 そんなものです。ほかのGM連中でさえ、7年前は『NPC出すの苦手で・・』なんて言ってましたしね。
 それが、いまじゃ、私よりもたくさん出したりする時さえある。(くやしいから、今回、それよりたくさん出したら失敗した(笑))わたしは、キャラクターロールプレイを尊重したマスタリングくらいこなせないGMがたくさんいるとは、まず考えられないです。
 まだ、ルールブックを十分理解できない人の方が存在確率は高いでしょう。
 
 >馬場さんが非難してるのは「付加価値そのもの」ではなく、「付加価値を基盤にした 形態」でしょ?
 
 あきらかにキャラクターロールプレイの発展など念頭にないテキストですよ、あれば。 それどころか、阻害しかねない。
 
 初心者やそれを嫌う人には、キャラクターロールプレイを要求するなとか言ってますからね。
 それでは、どうやってその魅力を伝えればいいのでしょう?
 また、この人が将来GMをやる立場になったら、どんなGMになるのでしょう?
 (うちの周囲では、無理ない努力の範囲でなんとかなる程度はきっちり強要してきました。 だって、その方が、本人も周囲も楽しめるのですから。違いますか?現に、この話し初めてからこっち、『キャラクターロールプレイ』はつまらないから無視してもいいって意見は、一言も聞いてませんよ?)
 
 さて、例のデザイナーズノートに関する本レスは、また後日。(笑)
1998年07月25日:21時34分19秒
もう完全に分けちゃえば良いのに / 狂兵
 とか思ったりしません?
 うんと、TRPGにはいろいろジャンルがありますよね?SFとか、サイバーパンクとか、伝奇とか、ファンタジーとか、ホラーとか。
 同じように、キャラクターのロール重視と、ルールのシステム重視の二種も、
 全くの別ものとして区分しちゃえば良いと思うのね。
 この二つを同じ土俵にあげて、両者の良い点と悪い点を考察しても、絶対折り合いが付かないと思うし、
 もしも両者を統合して、理想と思われるプレイスタイルを考案しても、
 それって結局、第三のスタイルを生み出しただけだと思うのね。
 根本的な解決じゃないわな?
 
 ・・・・・・とか書いてるけど、私って、単に足を引っ張ってるだけだね〜。
 まあ、私はそれ程難しく考えられないんで、出来るだけ構造を単純にしたかっただけなのね。
 おこんないでね(笑)
1998年07月25日:16時06分40秒
キャラプレ派な人に捧げる、「ピラミッドの頂点は何処にある」 (長文、覚悟必要) / S
 はぅ、3連続すみません。
 でも、レス貰っちゃう前に、こっちがSHiNさんの求めているものにレスするのが礼儀ですよね。(^.^;)
 勿論、僕に対しては 「持論に絡める」 形で付加的にレスして下さって結構です。元々、SHiNさんに対してはそのつもりでしたから。(^-^)
 
★ まず、パッと思った感想を言っちゃうと、
 んー……SHiNさん、でぶ猫さんが言う 「キャラプレと、それから派生する付加価値的な要素」、この 「付加価値」 という表現にこだわり過ぎているんじゃ?
 その、失礼な言い方かも知れないですけど……ネガティヴな意味で。いや、ホントに失礼ですけど。(-.-;) ←命乞い。撃っちゃって下さい
 
★ それは何故かって言うと、
 でぶ猫さん (い、引用ぐらいはいいですよね? どきどき) が 「プレイング研究室 LOG 015」 中で言った事ですけど、
 
 ・RPGはゲームである。
 ・キャラクターへの感情移入や、ルール的に表現されないキャラクターの表現は付加価値である。(付加価値:なくてもいいのだが、あったほうがよいもの。そして、しばしば選択の決定打になるもの。例えば、マルチプレイボードゲームとRPGという「ゲーム」のどちらを選ぶかというとき、RPGをやりたいと決定させるものであったりします。早い話がキャラクタプレイやりたいからRPGという場合がそうですね)
 ・しかし、上記二つはゲームコンセプトという緩い制約にしばられなければならない。
 
 という構造論があります。
 この、「3:しかし〜」 という部分によって、RPGに於けるどんな要素が特化されても対応できる理論です。僕、この 「簡潔にして完結している」 理論にはマジで一目惚れしました (笑)。だって、僕なんかだと長々と言わないと説明できない事を、たったこれでけであっさり片付けてるんですから、もう。
 その後、でぶ猫さんを追っかけ回して迷惑掛けましたけど。はうー。(-。-;) ←やっぱり撃っちゃって下さい、でぶ猫さん
 
 えっとですね、SHiNさんが言っている、「T」、「RP」、「G」 のバランスについては、やっぱりでぶ猫さんも同じような事を言ってると思うんですよ。でぶ猫さんにとっては、 要は 「3」 次第なんですよね。実際のプレイの有り方は。
 SHiNさん的な価値観を重視してる作品があったとして、それがゲームコンセプト、あるいはシステムで明確化されているなら、でぶ猫さん、ちゃんとSHiNさんが望む通りのプレイをしてくれると思います。
 
 ただ、でぶ猫さんはあくまで 「RPGそのもの」 としての前提順序の必要性を言ってるんであって、どうしても 「ゲームが本質、それ以外は付加価値」 となっちゃう。
 SHiNさん、「この表現が受け入れられない」 だけなんじゃ……見当外れでしょうか?
 僕の場合、「副産物的な報酬」 と表現してますけど、「付加価値」 と同じ事です。でも、ちょっと感じは柔らかいですよね?(誤解も生み易いけど (苦笑)) SHiNさん、これならどうです?
 
★ 大体、何故、それが付加価値なり副産物的な報酬なりであるかと言えば、
 ぶっちゃけた話、「できる人とできない人」 がいるからなんですよ。多分に感性に左右されるでしょ? そして、感性に被っている以上はマニュアル化ができない。(少なくとも難しい)
 対して、より根本的なゲームとしての部分については、これは知性の部分ですから。確かに 「できる人とできない人」 はいると思いますけど、でもマニュアル化は容易ですよね。上達もし易いです。(注:確かに、いつまで経っても頼りにされるブレインと、頼りにしちゃう人……っていう差はあるでしょうけど (笑)。クトゥルフなんかその差を生む傾向、強い感じが (笑)
 
 上達と言いましたけど。
 単純な反復練習で実理的な経験則が養われる……ってのは、何事もありますよね。
 多分に感性に頼っている絵だって、「プロセスはともかく、結果がデジタル化して伝えられる」 訳ですから、マニュアル化もある程度なら可能です。誰にも見せずに一人で描き続けても巧くはなれます。ええ、絵は描き続けるのが肥やしですとも (苦笑)。
 
 「演技だってテレビや映画で参考にできるし、結果として目に見えるじゃないか」、こういう意見はあると思います。
 でも、演技は一人でやっててもまず無理です。客観性がないですから。
 勿論、内輪でやってても無理です。「より外の客観性」 がないですから。
 外に出ても無理です。当然的に生ずる演技の巧拙の差はリアルタイムではフォローし難いですし、何よりも 「演技は 『外面に向けて形にする』 ものである為、その差は目に露骨に付き過ぎる」 ってのが問題ですから。
 ルールブックに事例を載せても無理です。そこには 「再現」 がないですから。(注:システムに心理的なガイドや、その為の環境を作り出す構造を加味させる方法論は除きます。可能性がないとは思いません。でも、それはやっぱり、「ゲームを根本にしている」 んですよね。ちなみに、現状のルールではしかるべき上級者の元でない限り、破綻しがちなようですね。聞きかじり、読みかじりですけど
 
 連続する無理……これを突破するには、体系化された演技のコーチでも連れて来るか、あるいは仲間内の中に才能を持つ人が必要です。彼らは、こういった無理を克服できるから 「役者」、あるいは 「役者としての適格者」 なんですよ。こういう人がいないと上達できません。これは僕、自信を持って言えます。
 で、ここで既に 「RPGをやる為に想定している状況」 として異常でしょ?
 
 こう考えた時、「どちらが前提であるべきか」 ってのは、安定性の問題からも自明の理だと思うんです。
 付加価値としての、演技、描写、演出、空気のコントロール、ノリ、感動と感激、それらの総体としてのドラマ作成……これらは、システムが後押ししてくれてでもない限り、ホビーとして全員がやるにはあまりにも難しいんですよ。「時代の問題」 ではなく。
 だから、「いつの世代でも、まず先にゲームが来るべき」 なんでしょお。大きなスパンで見た時の問題では?
 
 馬場理論は付加価値について無頓着?……いや、その、後から付け足しゃいいじゃないですか。
 キャラプレしたい?……いや、その、後から付け足しゃいいじゃないですか。
 ノリ重視で盛り上がりたい?……いや、その、後から付け足しゃいいじゃないですか。
 
 全部、それですよ。でも、だからと言って、「そこに優劣や貴賎の差がある訳ではない」 でしょ? 単なるレトリカルな問題……って言ったら怒られるかも知れませんけど、そう考えていったん受け入れて、その上でやろうと考えるのもいいと思いますよ?
 それだって、同じような事はできるハズです。……と言うより、そうじゃないと、「歪み」 が生まれません? ピラミッドの頂点は 「頂点だからこそ尊い」 と言えますが、それを基盤にしてもピラミッドは崩れるでしょ?
 馬場さんが非難してるのは 「付加価値そのもの」 ではなく、「付加価値を基盤にした形態」 でしょ?
 じゃないと、僕なんか速攻でアンチ馬場主義者になってますよ (苦笑)。
 何せ、受け入れるのは自分の問題でも、相手に受け入れられないってのは辛いっすからね……SHiNさん、そこで格闘してるんじゃ?(^.^A)
 
★ ぶっちゃけて言っちゃえば、SHiNさんのやりたい事は、
 「全体を緩やかに見れば」、別に特殊な事でも異端でもないんじゃ?(部分部分、皆さんと意見が異なるような感じがあるにしても)
 だって、僕が異端じゃないんですから (苦笑)。
 僕にはそう思えるから……むしろ共感さえ抱きますけど。
 
★ 最後に
 えーっと、どうでしょうか? ちょっと居丈高な文章になっちゃって申し訳ないんですけど、僕の言ってる事、伝われば幸いです。(^.^A)
 何せ僕は、「等価値である」 って堂々と言っちゃうSHiNさんの意志に、スゴいな、って思ったんです。僕だって、そこから得られる享楽は 「等価値」 と思ってますから。(^-^)
 そしてあるいは、誰だってそう思ってると思いますよ。ただ、それを言葉にした時に行き違いが起こるだけで。
 
 PS.甚だしい長文、すみません。(←って言うか、仕事しろ、僕は)
1998年07月25日:12時59分48秒
ちゃちゃレス / S
 陽陰さん>それに、ダンジョン物はものすごく奥が深いですよ。
 
 いくらキャラプレだ、演技だ、っていう風潮があっても、
 いくら演出だ、ドラマだっていう風潮があっても、
 ……やりたくなるんですよねぇ (苦笑)。
 
 魂の苗床と言うか、
 胎内回帰願望と言うか、
 ……サガみたいなもんでしょうか? (苦笑)
1998年07月25日:12時25分06秒
レスと、SHiNさんに聞きたい事 / S
>でぶ猫さんへ
 すっ、すみませーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!!!!!(T.T)
 T・K代表の言う通り、食いしん坊の度が過ぎてました……ホントに申し訳ありません。(-.-;;)
 
>T・K代表へ
 僕の事に気は使わんでもええから……そんなの、今は勿体ないって事ぐらい分かるだろが。(-_-;)
 休みやがれ。真面目ぶるな。出て来るな。僕はもう知らん。
 
>寺田さんへ
 僕と近い考え方だそうで、それなら友達になりましょお (笑)。
 
 以上、私信でした。(^.^A)
 
>SHiNさんへ
 レスくれるそうで、有り難うございまーす。(^-^)
 SHiNさんの考え方は興味あるもんで……楽しみにしてます。(^.^A)
 
 で、その前に、ちょっと気になったんですけど……、
 「骨格にする」 (あるいは前提にする) のと、「特化する」 (あるいは突出化・先鋭化する)、これは全く違う問題ですよね……。(-.-;)
 
 SHiNさんが言ってる 「キャラプレ重視を骨格にしたRPG」 は、わざわざ骨格に持って来なくともそこを特化する事で……つまり、天羅とか番長とか深淵、あるいはそういったプレイスタイルでも、果たせないでしょうか?
 これらはあくまで 「ゲームとしての骨格」 があって、その上でキャラプレイとかノリとかドラマが特化されている訳ですよね。システム的、コンセプト的に。
 これらと、「キャラクターロールプレイ(疑似体験)を骨格とし、ゲーム性を付加価値としたTRPG」 というのは、ビジョンとしてどう違うんでしょーか?
 
 ええと、「全員で世界の中に浸る」 とか……? そういったイマジネーションの構築を第一義としたプレイですか?
 例えば、「この危機的状況をどう越えるか!」 っていう問題に対するタクティカルな対応、自分のキャラの設定とイメージを尊重する対応、この両者の折り合いを付けるやり方ではなく、「キャラクターのイメージを提示できたるかどうか」 という観点で推し進めていくとゆー? いわゆるゲーム的な障害は攻略対象ではなく、「自分のキャラに絡めて演出する為のソース」 にするとゆー?
 ……どうでしょうね?
 いや、そういうプレイスタイルならあると思いますよ。ウチでも追求していた事はありますし、今のプレイスタイルでもそれもまた等価値として認めてますから。
 しかし、それが骨格になっているというのは、具体的にどういう事を指すのか……比重の差ではなく、あくまでも前提の差なんですね?
 
 これ、ちょっと分からないんで、突っ込んだ説明とかして貰えると嬉しいです。
1998年07月25日:11時43分19秒
前述の図の再録 / 寺田大典

)      −キャラプレイ(2)−キャラプレイ(4)
)ゲーム−|
)(1)    −ゲーム(3)−−−ロール(5)
)                 |
)                 −数値マネージメント(6)

 これでも、レイアウト狂っちゃうかなぁ(^_^;)。
(1)遊犠牲。意思決定ともされている部分。
(2)キャラプレイ(別の存在になりきって演じる様な事柄、比較的、意思決定との関連が薄い)
  (3)のゲーム部分と並列で扱っても良いと思われる部分。
(3)一般にゲーム性と呼ばれている物、システムを利用した運営法みたいな物、またはシステムその物
(4)一般的に(5)のロールプレイ(役割演技)と並列で扱われる際の「キャラプレイ」。実際のプレイでは、
  キャラプレイとロールプレイが混合して行われる事が多い。
(5)役割演技といわれる、システムやゲームサイドからのデータから構築されたセッション内での行動決
  定方法。
(6)「どうやったらもっと多くのダメージを与えられるか?」「どうしたらもっとデータ的に有利になるか?」と
  いう行動を現す部分。
1998年07月25日:09時21分23秒
変化無し… / MARS
 極端な話になりますが、私は現在までに行われている全てのシナリオは
 ほとんど基礎を離れていないと思います。
 
 目的を与えられる…障害解決のために行動する…障害を除去すれば成功でしなければ失敗
 
 要はその問題が目に見えるものかいなかや個人個人で違うなどの変化に過ぎないと思っています。
 一番基礎の基礎は
  
 敵がいる…倒せ…倒した成功/負けたから失敗
 
 こんなもんではないでしょうか?
 
 ダンジョンがやりやすいのはひとえにプレイヤーの管理が楽だからと言えます。
 それ以上でもそれ以下でもないと考えています。
 
 正直な話ダンジョンに慣れたマスターはおのずとオープンシナリオへ変化をたどり、
 そしてそれが落ち着いた後にダンジョンとオープンの2つのバリエーションを獲得できると私は考えています。
 
 しかしながら現在オープンに対する技術の蓄積は非常に希薄だと思われます。
 ダンジョンが技術として確立するのが容易だったというわけではないはずです。
 それはひとえにオープンをやることに対して多くの人が技術を軽視しているからに他ならないのかもしれません。
 つまりダンジョンをやらなくなったからマスターが増えないのではなくオープンをやる環境にないためにマスターが増えないのだと私は考えています。
 
 本来ならばサポート誌はこれらのオープンシナリオの技術を確立する記事を掲載すべきなのでしょうが…
1998年07月25日:07時57分44秒
T・K代表さんえ / でぶ猫
なんか私信の応酬めいてきましたが、だいぶ気にされとるようなので回答を。
 
 えー、謙虚に外の意見を求めておられるのはわかります。
 ですが、その際に「自分の考えをどう思うか」「あなたはどう思っておられるのか」といった ことをきくならともかく「自分たちは異端か」ときくのはどうかと思っています。
 ・・・
 そんなこと、答えられるわけないじゃないですか(苦笑)
 わたしゃ人を異端と決め付けられるようなセンセイ族(権威)じゃありませんって。 
1998年07月25日:01時17分36秒
じゃあ、私論で行きます / 陽陰
 それでは、SHiN氏に言われたとおり、あくまで個人的な話をします。
 
 >GMの目標
 
 まあ、先の発言どおりです。
 「人とは違う」マスターですか。後、出来るだけ、ポケットの多いマスターになりたいと思います。
 綺麗事・・・ですがね。
 でないと意味がないと思うんですよ。人と同じじゃあね。
 この考えに至る理由っていうのは、性格、ですか。
 
 >シティアドベンチャ
 
 私がシティアドベンチャをやったときのRPGとしての基礎は、「城砦都市カーレ」ですし、ダンジョン物のRPGとしての基礎は「火吹き山の魔法使い」ですから、どちらも殆ど一緒なんです。
 第一、シティアドベンチャーから始めた人ってのは、あまり見たことがありませんので。
数少ないいくつか見た人ってのは、SNEのリプレイやそれ系の創作の粗悪なコピー(おもんないほう)か、ダンジョン物のノウハウをそのままシティに使用する人(面白いほう)のどちらかです。
 
 つまりは、シティがメインになったといっても、殆どのそれは、ダンジョン物と変わんないと思います。
 大体、ダンジョンの住人と会話しないダンジョン物なんて、本当の初心者しか作らないのでは?
 
 ちなみに、ダンジョンは全ての基礎、っていうと眉をしかめる若い人が多いと思われますが、シナリオを作り、マスタリングをする際に、ダンジョン物といういわばシンプルな手法自体が、シナリオ作りの基礎になるんです。
 自由度が少ないとか色々批判したくなる気も判りますが、「貴方がマスターをやるとき」には、出来るだけ、不確定に流れる条件を絞り込みたいとは思いませんか?
 それに、ダンジョン物はものすごく奥が深いですよ。
 
 >キャラクターロールに対して適切な反応はGMの上達として意味があるか
 
 当然あります。
 というか、それに意味を持たないGMなんて、吟遊詩人かオーバーキルしかいないんでは?
 
 相手のしてくる反応に適切な反応が返せないんじゃ、吟遊詩人になるしかないでしょう?
 
 >キャラクターロールを制限とするか目的とするか
 
 SHiN氏の「制限とは何か」という意見を見る限り、等価なんじゃないでしょうか?
 キャラクターロールを目的とする限り、それは逆に制限となるのであり、それすら縛られないっていうのは既にただの我が侭でしかないんじゃないんですか?
 それは既に、RPGじゃなくて、酒飲みながらするほら話と変わらないような気が・・・
 (俺は学生時代になぁ・・・ってやつ)
 
1998年07月25日:01時09分19秒
本人に代わって / T・K代表
 私が陳謝致します。>でぶ猫様へ
 
 しかし、考えてはいるでしょう。
 何せ内輪で閉じ篭ったまま、「何が正しいか、何が望ましいか」 をさんざん煮詰めて来た訳ですから……外の、しかも見識ある方の、客観的な意見を貪欲に求めている状態なのでしょう。私にしろそうでありました。
 
 ……ただ、それがでぶ猫様にとって億劫な事でしたら、申し訳ございません。
 私ともども配慮が足らなかったようであります。
 
 あるいは、これもまた配慮が足りない発言かも知れません。自主的な考察の必要性を説いておられるだけならば、やはりまた申し訳ございません。
1998年07月25日:01時04分58秒
ちょっと思うこと。 / Karma
 少し思う事があるので記します。
 
 SHiNさんいわく
 >が、では10年前、オープンアドベンチャー(シティアドベンチャー)は、 当時の初心者GMにとって容易いもの
 >だったでしょうか?
 >ダンジョンオンリーのときは必要なかった多彩なNPCをあやつったり、 政治形態やそこに済む人々の営みを考
 >慮したり、プレイヤーをシナリオの道筋に誘導したり・・・
 >
 >そういった事は、とんでもなく難しく思えたのではないでしょうか?
 >
 >が、いまじゃ結構あたりまえに要求されますよね。
 >そして、たいていのGMは、初心者だろうと、その要求に(あるていど)答えられる。
 >
 >キャラクターロールプレイに関し、わたしが述べてきたことも、 今という時代では難しく感じるかもしれませ
 >んが、 多くの人がやるようになれば決して難しいものではなくなるでしょう。
 >
 
 果たしてそうでしょうか?
 俺にはここのところが根本的な違いがあるような気がしてなりません。
 うまくキャラクターロールプレイをすることと生活の営みを考慮することはある意味別種のようなものであると思いますんで。
 
 
 現在のところマスター人口は増えていません(たぶん)
 これにはマスターというものが"多くの"キャラクターを演じ分けなくてはいけないという《難しさ》が先に歩いていることも考えられるのではないしょうか?
 事実難しいんですが。
 キャラクターロールプレイを積極的に推し進めていく方向ではこの重圧が更に増すのではないでしょうか?
 
 
 追記
 馬場さんのコラム(ベンさんのHPにおいてある)を読みました。
 洒落になりませんね(笑)
 
1998年07月25日:00時41分43秒
Sさんえ / でぶ猫
 ちょっと回答遅れましたが・・・
 
 異端かどうか、ということを気にされるより、正しいかどうか を考えてはいかがでしょうか?
 なお、大要としては私の考えと相違ないと思います。
1998年07月25日:00時31分13秒
平行線 / でぶ猫
あいかわらず平行線ですね。
 
 >キャラクターロールプレイ(疑似体験)を骨格とし、
 >ゲーム性を付加価値としたTRPGもありえるという事なんです。
 
 これはありえません。というより、これは長持ちできない形態です。
 キャラクタープレイは骨格たりえないというのが一貫した私の主張です。
(なお、ゲーム性のところはゲームと読み替えることを前提とします。どうも ゲーム性というとダイスふりやパズルを連想させるようなので)
 理解してくれないなぁ、とぼやいているのは一重にここです。
 ☆なお、キャラクタープレイとゲームを対置させていますが、キャラクタープレイが システムにくみこまれてゲームとなっているものもありますね。
1998年07月25日:00時23分16秒
RE:GMの目差すべき正しい方向? / SHiN
 陽陰さん
 >いや、それは個々人の自由だと思いますが。
 
 ええ。承知してます。その上で、陽陰さん個人の意見を聞きたいってだけです。
 そして、その考えに至った理由とかも。
 
 >私が言いたかったことは、「初心者マスターが出来ないような方向」がシステムや遊 び方の本流となることは、間違っている、ということです。
 理由は判っていただけますよね。
 
 わかります。
 が、では10年前、オープンアドベンチャー(シティアドベンチャー)は、 当時の初心者GMにとって容易いものだったでしょうか?
 ダンジョンオンリーのときは必要なかった多彩なNPCをあやつったり、 政治形態やそこに済む人々の営みを考慮したり、プレイヤーをシナリオの道筋に誘導したり・・・
 
 そういった事は、とんでもなく難しく思えたのではないでしょうか?
 
 が、いまじゃ結構あたりまえに要求されますよね。
 そして、たいていのGMは、初心者だろうと、その要求に(あるていど)答えられる。
 
 キャラクターロールプレイに関し、わたしが述べてきたことも、 今という時代では難しく感じるかもしれませんが、 多くの人がやるようになれば決して難しいものではなくなるでしょう。
 
 が、そのためには、初心者でなく現在そういうマスタリングをこなせる『上級者』の賛同と研究と努力が必要なのです。
 
 そういう意味で、『マスタリングを上達するための』努力目標として意味を感じるかどうか?を お訪ねしているのです。
 
 これは、陽陰さんだけでなく、関連した話題でわたしに疑問や質問、反論をなげかけたことのある人、全てに問いたいところなのですが・・・
 
 >>キャラクターロールプレイを『ゲーム上の制限』と考える
 >というのは、具体的にどのようなことでしょうか。
 
 シナリオ上の障害と同等の扱いということです。
 たとえば、テレポートの使える超能力者なら空き巣に入ることくらい簡単です。
 
 が、ここに『超能力関知装置』があば、そう簡単にはいきません。
 
 同様に、『軽々しく超能力をつかわない』という性格のキャラクターだとしたら やはり侵入は簡単にはいかないでしょう。
 
 そういう意味での『キャラクターロールプレイによる』制限です。
 GURPSでいうところの『不利な精神的特徴』ってやつですね。
 ちなみに、ついてに言ってしまうと、
 馬場講座においてもキャラクターロールプレイが制限として働く場合に関する記述はありますが、 それははなはだ不十分なものです。
 
 たとえば、先ほどの例でいうと超能力感知装置があるのに テレポートで飛び込めば、ゲーム的に困った事態がひきおこされます。
 
 もし、キャラクターロールプレイをゲーム的な障害として扱おうというならば当然、キャラクターロールプレイを無視して飛び込んだ場合も ゲーム的デメリットが生じなければならないハズなのですが・・
 
 馬場講座にはこれに関する記述がありません。
 
 たしかに、簡単な話ではないのですが・・
 
 が、キャラクターロールプレイの扱いに上達しようと思うのなら避けて通れない話題のはず。 そういう意味で馬場講座においてはキャラプレってのはかなり『軽視』されてるといえるでしょうね。
(すくなくとも現状の馬場講座ではTrpG、良くてTrpGにしか達せないですね。)


 P.S. Sさんへのレスはまた明日にさせてください。m(_ _)m

 P.S.2 寺田さんの書き込み、私の環境ではレイアウトが崩れて、 頭の箇条書きがよく良めません。
1998年07月24日:21時02分24秒
TRPG上達の道 / SHiN
 >SHiNさんは、キャラプレイ(2)とゲーム(3)を理論上とは等価と認めながらも、 個人的に重きを置かれているのは、キャラプレイ(2)と思っています(私にはShiNさんの
文章はそう読めてしまうのですが)
 
 
 確かにそうでしょうね。が、
 それは、これらを等価値と認めない人に対し議論を行ってるからであり、 本来私自身は、完全に等価値としてあつかってます。が、あまりに早いタイミングでうかつにそれを押し出すと私の発言意図とズレが生じてくる可能性があったので。
 
 
 でぶ猫さん
 >つまり、上記スタンスにも記したRPGの構造(R PGを人間でたとえればゲームとしての要素を骨格や筋肉とすれば、キャラクタープレ イは衣服や化粧、そして顔立ちに相当するわけです)を理解してほしいなぁという点だ けです。
 
 でぶ猫さんの主張は理解しています。
 が、私が等価値といったのは、
 キャラクターロールプレイ(疑似体験)を骨格とし、
 ゲーム性を付加価値としたTRPGもありえるという事なんです。
 
 実際、TRPGのセッションはいくつものシーンから成り立っており、
 各シーンにおいて骨格と衣装の役割はいれかわってるハズだと思います。
 
 たとえば、ヒーローたるPCがNPCの少女をいたわるというシーンは、 基本的に『キャラクターロールプレイ』を骨格とすべきでしょう。
 (でないと、少女が奴隷商人にうられてしまったりします(笑)まあ、たまにそういういう 病んだプレイを楽しいと思う人もいるかもしれませんが(爆))
 
 が、それだけではいまひとつ、つまらない。
 少女をいたわる場合、いくつかの方法が考えられる。
 単に言葉で慰めるのか。それとも、その身を危険にさらしてまでも
 少女のために尽くすのか・・そういった選択の余地がGMによって作られれば・・
 
 これは、『ゲーム』です。そして、キャラクターロールプレイを盛り上げるための『化粧』でもあるのです。
 
 TRPGがSLGから派生したという事ともってTRPGはゲームだという人も たまにいます。それは、一理あります。
 が、SLG自体は、『物語』の再現にゲーム性を与えたものであるという事実を 忘れてはいけません。
 
 物語は、ゲームを支え、ゲームもまた物語を支えているのです。
 
 MtGやSLGの場合、このうちゲームの度合が高いといえます。
 かつてのインベーダーゲームをはじめとするTVゲームもそうでした。
 
 一方、パソコンゲームなどで古くからあるアドベンチャーゲームや、最近のファイナルファンタジーなどは、物語の度合が強いといえます。
 
 で、わたしはTRPGファンが、TVGAMEでもなく、カードゲームやSLGでもなく、またカラオケでもマージャンでもチェスでもなく
 『TRPG』をやるのは、この物語とゲームが互いに支えあってるって点が 独特の魅力をかもしだしてるからじゃないかな?と思うのですが。
 
 もちろん、プレイスタイルによって『偏る』ことはあります。
 が、(たまに間違えて指摘されてるように)TRPGがRPになったりはしないのです。
 せいぜい、tRPgになるくらいでしょう。
 このtRPgと、RPの間には大きな開きがあるし、GとtrpGの間にも 大きな開きがあります。
 が、tRPgと、trpGならば、GMさえ適切なシナリオとマスタリングを行えば『同居』できるのです。
 
 そういう意味で、trpGは許せても、tRPgは認められないみたいな意見はナンセンスだと思うわけです。
 
 それらは、どちらも似たり寄ったりの存在です。
 
 全て大文字の『TRPG』からみれば、どちらも不十分なできそこないといえます。
 
 が、これがtrpGとかtRPgになってくると、 話がかわってきます。
 
 これは、TRPGと同等の存在です。
 
 太字部分が小文字部分を補っているからです。
 
 そして、trpGを支持する人には、
 trpGこそTRPGに見え、tRPgはRPに見えたりするのかもしれません。
 
 が、それは、自己中心的な考え方なのです。
 
 そして、わたしはTRPGに上達するということは、
 tRPgをtrpGにするというような
 単に、小文字と太字をいれかえる事ではなく、
 tRPgをTRPGに、
 TRPGTRPGにすることだと考えているわけです。
 そして、その上には、TRPGが、 さらには?TRPG、そして???TRPG があるはずだと思うのです。
 

(sf:BRINKは禁止です。BRINKタグは削除しました)


1998年07月24日:14時33分21秒
TRPGにて重きを置いている部分 / 寺田大典
 SHiNさん、私の提案(偉そうな(^^;))を活用して意見を纏めてUPして頂いて
 ありがとうございます。解りやすくまとまっていると思います。

 TRPGに関しては、以下の図が成り立つのではないかと思っています。

         ゲーム<遊犠牲と言い替えても良い?>(1)
 キャラプレイ(2)   ゲーム<一般にゲーム性と呼ばれている物、システムも含むかな>(3)
 キャラプレイ    ロール 数値マネージメント

 上記の図は、より上の方が基幹となる考え方を表わします。
 で、今まででぶ猫さんが主張しているゲーム要素とは(1)を指していると考えています。
 で、ShiNさんがゲームとキャラクタープレイが等価であると差し示している時のゲームとは、
 (3)を指しているのではないかと思いました。この擦れ違いが、あるのが意見が噛み合っ
 ていない理由かな?とか考えたのですが、いかがでしょう。

 また、上図を利用してSさんとSHiNさんの違いで私の思う事を書かせていただければ、
 SHiNさんは、キャラプレイ(2)とゲーム(3)を理論上とは等価と認めながらも、個人的
 に重きを置かれているのは、キャラプレイ(2)と思っています(私にはShiNさんの文章は
 そう読めてしまうのですが)
 一方、Sさんは、理論上(実践的にも)、キャラプレイ(2)とゲーム(3)が等価値と認め、
 同時に平行して均等に両方に重きを置いてセッションをしようとしているように読めます。
 可能性としては、ゲーム(3)に重きを置くタイプの人もいるはずです。(私の回りには、そ
 うした友人もいますね。私はどちらかというと、Sさんに近いです)

 どんなもんでしょうか?違っているかな?
1998年07月24日:03時54分10秒
「疑似体験とゲーム性は等価値」について(>SHiNさん、でぶ猫さん) / S
 はじめまして、SHiNさん。(^-^)/
 「いまさらですが、以前行ってた主張のまとめ」、「先に挙げた主張と、わたしのこれまでの発言の関連」、更にその前の論議、先ほど読ませて貰いました。
 
 僕は、自分で掲示板に参加した訳ではなくて、マコちゃんって子に半ば引きずり出される形だったんですが (笑)、その過程で事情あって 「ウチのプレイスタイル」 を、長々長々、延々延々、「ちょっと待て、コラ」 ってぐらい紹介してる訳ですね。(^_^A)
 
 詳しくは、「プレイング研究室LOG 014」 の 「殺して欲しいんです」 (98年06月22日:02時13分48秒/まこ記) 以降のログを読んで貰えれば分かると思いますけど……まぁ、アレを全部追うにはちょっと完全燃焼しちゃう量なんで、お勧めはしません (爆笑)。
 
 で、端的に言うと、ウチのやり方では 「RPGはゲームである」 と基盤にしながら、その上に乗っ掛かっている 「キャラクタープレイ派」 なんですね。って言うか、もっと端的に言うと 「いっそ全部やっちまえ (笑)」 って考え方なんですが (笑)。
 勿論、個人個人で微妙にスタンスは違いますけど、例えば僕は、「ゲームとドラマは両立させてこそRPG!」 というスタンスなんですよ。(^.^;)
 
 で、SHiNさんの 「TRPGにおいてキャクターロールプレイ (疑似体験) の価値とゲーム性の価値はまったく等価値である」 という主張を見て、「何か、僕の (そして、ウチのサークルの) 考え方に似てるなぁ……」 と思ったんですが、「でも、ちょっと違うなぁ」 と思って。微妙なだけに、かなり興味あるんですね。
 
 で、以下に、僕が製作しているオリジナルRPGのデザイナーズノートにある文章を、一部記載します。これに対し、もし宜しければ、意見を下さい。(あ、ちなみにそのままペーストしてるんで、文体は許して。(^_^A))
 
 (前略) ……それは、特にプレイヤー間の意識的な問題について指すものである。つまり、システム的な部分でもなければ、ゲームの本質論的な部分でもない、更にその前提的な 「モラルやマナー、コミュニケーションとしてのルール」 の事だ。スポーツマンシップならぬ、ゲーマーシップに則った部分。
 ゲームの本質が意志決定であるのはいい、しかし、だからと言ってそこで 「もはや前提はない」 とするのは短絡だ。ゲームとしての本質には関係ないが、「より前提的な部分」 は確かに存在するのである。
 
 ここで、ゲームの構造を 「球」 に喩えて、それを貴方が手に持って見つめているところを想像して欲しい。
 
 そうした時、先に言ったマナーなどは、「球の外側」 にあって球を包み込む形にある。それは最低限の精神論的なヒューマニティーと言い換えてもいいが、同時に形として把握しにくいものだ。言うならば、無味無臭の透明な存在である。貴方にとって、目には見えず、直接見えているのは 「球そのもの」 という位置関係にある。
 そして、その内側の 「球そのもの」 が、「ゲーム的な性質」 である。つまり、野球に喩えれば、ボールを投げて打って走って……という 「やり方」 と、そこに込められた 「駆け引き」 であり、それを決定する 「意志と判断のありよう」 である。これは、貴方にとってダイレクトに目に見えるものだ。
 更に、「球の内側」 に、「本来はルールやゲームそのものとは関係ない副産物としての、でありながら人を感動させるドラマ」 がある。これは、何もRPGだけにあるものではない。勿論、RPGにはより強い形で存在する。例えば、その為の一助が 「キャラクタープレイ」 であり、「ストーリーの作成」 である。が、あくまで 「球の内側」 にあるもので、貴方にとっては 「球そのもの」 が邪魔をして直接見る事はできない。
 
 目に見える 「球そのもの」 が、目に見えない 「何か」 に内外から挟まれている……それがゲームであり、RPGである。分かり易く言えば、より外側が 「前提的な基盤」 であり、より内側が 「副産的な報酬」 である。
 本質的意味に於いてゲームである為には、この 「目に見えないだけに把握し難い構造」 を踏まえた上で、「外側の立脚点から中心に対して集約する」 事が不可欠である。そして、中心に到達するまでの過程に優劣や貴賎はなく、何か一つに執着し過ぎたり、あるいは何かを忘れてはならないのだ。
 全てを手の内に置いて、全てを観照し、全てを等価値として捉える者でなければ、本当の意味での楽しさと面白さを理解しているとは言えず、本当の意味での楽しさと面白さに到達できない。断言しよう。
 そして、それはRPGに於いても同様である。それどころか、「全てはより等価値である」 と言える。
 何故なら、「RPGはその構造自体にこそ楽しさがあり、ゆえに複雑かつ玄妙なゲームである為、面白さは高度に複合化する」 からだ。
 
 だが、忘れてはならない。「全てを等価値と言える」 のは、あくまでも全体の構造を正しく把握していればこそだ。ゲームによって生まれるドラマはゲームがなければ成立し得ない、ゲームはそれを 「正しく扱う人間」 がいなければ成立し得ない。優劣や貴賎はない、だが、この前提順序は不可欠なのだ。
 それは、「1:通電環境」 と 「2:パソコン」 と 「3:ソフト」 という前提順序と同様であり、またこれに優劣や貴賎がないのも同様である。(後略)
 
 ……どうでしょ?
 SHiNさんの意見全体とは確かに異なるんですが、「全ては等価値だよ」 という要旨については同じような事を言ってると思うんですが。(^.^;)
 
 あうー、それとちょっと怖いんですけど (笑)、でぶ猫さんにも意見を貰いたいっす。これって、異端っすか? 個人的には、でぶ猫さんの 「名前が出たので」 で述べられている 「構造」 と同じ事だと思うんすけど……。(^_^A)
 やっぱ、キャラプレ系に傾き過ぎ?(苦笑)
 
 PS.また徹夜。(T.T)
1998年07月24日:02時17分25秒
GMの目差すべき正しい方向? / 陽陰
>>SHiN氏
 >GMとして目指すべき上達の方向として正しい方向かどうか
 
 いや、それは個々人の自由だと思いますが。
 強いて挙げれば、個性を持ち、失敗を少なくして、なおかつ面白くっていうのがそれなんでしょうけど・・・
 それこそ、個々人によって違う方向になるもんですし・・・
 
 私が言いたかったことは、「初心者マスターが出来ないような方向」がシステムや遊び方の本流となることは、間違っている、ということです。
 理由は判っていただけますよね。
 
 「主張2」に対する意見ですが、少し判らない点がありますので、説明していただけませんでしょうか。
 
 >キャラクターロールプレイを『ゲーム上の制限』と考える
 
 というのは、具体的にどのようなことでしょうか。
 ちょっと、最近脳味噌が死んでますんで、説明していただけると幸いです。
1998年07月24日:01時00分23秒
名前が出たので / でぶ猫
主張1に関するスタンスだけいえば。
 
 キャラクタープレイの魅力は付加価値に過ぎないが、 RPGへの魅力という意味ではしばしば大きな効果を持つ。
 しかしゲームであること(単純にダイスをふることではなく、しばしば葛藤をともなう意志 決定によって異なる結果が得られる要素のこと)を抜きにしてはそれも砂上の楼閣、基礎のない 建築にすぎない。
 したがって、ことさらに前面におしたてる必要はないが、RPGプレイにはゲームの要素が 骨格として通ってなければならない。
 つまり、SHiNさんの主張を支持しているわけでもありませんが、否定している わけでもありません。それは、ゲーム次第だと思います。
 
 むしろ、繰り返し主張していたのは、ゲームとしての要素とキャラクタープレイを同じレベルで 評価していることです。つまり、上記スタンスにも記したRPGの構造(RPGを人間でたとえれば ゲームとしての要素を骨格や筋肉とすれば、キャラクタープレイは衣服や化粧、そして顔立ち に相当するわけです)を理解してほしいなぁという点だけです。
(たぶん、異論があると思いますが)
 骨格と衣服の価値を比較するなんて、ばかばかしいですね。
1998年07月24日:00時09分17秒
先に挙げた主張と、わたしのこれまでの発言の関連 / SHiN
ここまでの私の発言のまとめとして、下の主張と関連づけて挙げていきます。
 まず、でぶ猫さんや陽陰さんとの『TRPGの本質』に関する議論は先に挙げた主張のうち、主張1にもとづいたものです。
 
 
 次に、主張2。これは、主に陽陰さんとのやりとりにおいての私のメインの主張でしょうか。
 で、過去に行っていた『初心者でも可能』『GMに負担なく出来る』という主張は、一度、とりさげさせていただきます。
 (有意義な証明が不可能なので。)
 その上で、あらためて上記の主張の持つ価値についての陽陰さんの意見をお聞きしたいと思います。
 つまり、GMとして目指すべき上達の方向として正しい方向かどうかということです。
 
 ええと、主張3に関しては、これまで私の中でいまひとつ整理できてなかったことかもしれません。
 速見さんとの議論の中で明確にすることができました。
 これまで私は、ゲーム性重視の考え方への反論を急ぐあまり、キャラクターロールプレイ重視と
 『ゲーム性非重視』を結び付けたまま主張してしまっていた部分があります。
 これは間違いでした。
 ここでもひとつ、わたしは主張をとりさげます。
 『ゲーム性を重視しないセッションも是とすべき』という主張です。
 これは、『キャラクターロールプレイ(つまり疑似体験)の価値』を高めることが出来て、初めて意味をなす主張だからです。
 (つまり、何度か指摘されたように『性急』すぎたわけです。)
 だから、次のような主張に切り替えます。
 『TRPGにおいてキャクターロールプレイ(疑似体験)の価値とゲーム性の価値はまったく等価値である。』
 わたしが、馬場講座に否定的なのは、これらが等価値として扱われていないという点が大きいです。
 (その他、排他的な表現、MtGのヒット要因などに対する短絡的な考察など、ほかにもいろいろ理由はありますが。)
 
 さて、主張4ですが、これはベンさんの一連のゲームコンセプトに関する意見への賛成と、ベンさんの私の主張に対するご意見への反論といえます。
 
 
 まあ、ここまでが寺田さんのいうところの
 
(1)GMの立場でのSHiNさんの理想論
(2)プレイヤーの立場でのSHiNさんの理想論
(3)(1)と(2)でのSHiNさんの妥協案
(4)SHiNさんの考える「どんな時でも(コンベでもサークルでも内輪でも)使える TRPGテクニック論」
(5)SHiNさんの考える「SHiNさんの仲間内で特化したTRPGテクニック論」
(6)SHiNさんの考える「SHiNさんがどうしても譲れないTRPGに対する個人的ポ リシー」
 
 のうち、(3)番にあたるものです。
 (1)に含まれるもののうち、誰もが即、実行可能ではない、と思えるものは、上記の通り主張から除外しました。
 (2)は以前簡単にお話したとおりです。プレイヤーはGMの負担が最小限で済むように、かつセッションが盛り上がるようなプレイを目指すべき。・・という、まあ、一般的なものです。ただ、これは、テクニック論だって気もしてますが。
 (4)(5)は、ラウールさんへのレスの中で書かせていただいたことがこれの一部にあたるのですが、
 まあ、これは、機会があればおいおい・・ってとこでしょうか。(このような場で語られるテクニック論ってのはQ&A形式でこそ意味があるって気がします。)
 
 
 で、(6)の個人的ポリシーについては、次の通りです。理由はそれが一番、自分のTRPGに対する認識を記述するのにピッタリだからです。
 ●TRPGファンがTRPGシステムを使って行う遊び方で『面白い』と思えるものは、全てTRPGである。
 ●つまり、これらは時流というものに左右され、また各ゲーマー間の認識や好みに左右される。
 ●たとえば、最近TRPGを始めたばかりの人にとって、初期のダンジョンオンリーのD&Amp;DはTRPGとは呼べない代物かもしれないのだ。
 ●これらは『相対主義』ではなく、個々人の意識差を考慮した正しい物の見方である。
 ●もし、議論において相対主義におちいるのを防ぎたいのなら自分の発言においてのTRPGが、どのようなスタイルで何を目的としているかをしっかり示す必要がある。『あくまでこのスタイルが正しいTRPGである。・・が、他のスタイルも疑似TRPGとして認め、否定はしない』という考え方もいけない。TRPGの各プレイスタイルに貴賎や上下はないからである。参加者が楽しめるならば、それらの全てが正しいTRPGであり、また全てが互いのプレイスタイルのバリエーションの一つである。
 ●『これが正しいTRPGだ。』という考え方はTRPGの発展において(業界レベルでも、サークルレベルでも、個人の技量の上達においても)有害な考え方であると思う。
 以上
1998年07月23日:23時28分49秒
いまさらですが、以前行ってた主張のまとめ / SHiN
 忙しかったんで、ROMになってました。
 ここでの話も尻切れトンボになってしまいましたが、一応いいたいことは一通り言ってしまってましたし。が、
 うまく書けなかったとこも多かったので、寺田さんやベンさんの勧めに従って箇条書きでまとめておきます。
  
 
 主張1:
 TRPGの本質がゲームだったとしても、その最大の魅力が常にゲーム性だとは限らない。
 それゆえ、ゲーム性を強調するために他の要素を犠牲にしようという考え方は排他主義以外のなにものでもない。
 
 主張2:
 キャラクターロールプレイを『ゲーム上の制限』と考える場合の『遊び方』と、
 キャラクターロールプレイを『目的』とした『遊び方』には、おのずと差が生じるはずである。
 が、同じルールブックを使って、両方の遊び方ができてしまったり、一つのセッションの中で同居させたりもできてしまうため、現在、これらの遊び方が混沌としていると感じる。
 別に、ひとつのセッションや一つのシステムの中に、それぞれを同居させる事自体は悪いことではないのだが、GMがキチンとこの事を理解していないと、
 ●プレイヤーの行動を正しく評価できない
 ●適切なシナリオ作成やマスタリングができない
 ●GMとして意義ある努力方向を認識できない
 などの問題が生じてしまう。
 
 その意味でGMは、常に、自分がプレイヤーに提示した材料が、
 『どちらの遊び方』に対し『どのように作用するか』を考慮する必要がある。
 また、プレイヤーの行動選択が、どちらを求めた結果のものであるのかも考慮する必要がある。
 
 主張3:
 キャラクターロールプレイを重視するという事は、決してゲーム性を損なうものではない。
 むしろ、プレイヤーの感情移入を促進し、行動選択のための障害にもなりえるというその性質ゆえに、ゲーム性をさらに強調することもできるのだから。
 ・・ただ、プレイヤーの目的そのものともなりえるその魅力ゆえに、ゲーム性をほとんど破棄したセッションさえ成り立たせることもできるというだけのことだ。
 
 主張4:
 ゲームシステムを不要とするようなキャラクターロールプレイ重視の方向性は、ある意味間違っている。正しいかどうかではなく、効率という面で間違ってるのだ。
 なぜなら、現在、よく遊ばれているTRPGの場合、たいていのゲームシステムはプレイヤーの感情移入を誘発する方向でデザインされているからだ。プレイヤーの想像力を刺激する背景世界や、人間の主な能力を抽出した複数項目からなる能力値、架空世界の法則をリアリティを損なわない程度に簡略化した、効率的かつ再現性の高い判定ルールなど・・
 これらは全て、プレイヤーの感情移入を促進し、良い疑似体験を得るための役にたってくれるはず。
 キャラクターロールプレイがプレイヤーの感情移入を高め、強力な疑似体験をプレイヤーにもたらすことを目的として発展してきたものならば、これらは互いに協力関係を築くことが出来るはずである。
 
 よって、しばしば混同される、
 『プレイヤーの刹那的な希望を実現させるための「ルールの無視」』と、
 『キャラクターロールプレイを有効に機能させるための「ルールの変更・調整」』は、まったく別のものである。
 
 前者が、単に『ゲームシステムの持つゲーム性を(ときには、疑似体験の価値さえも)破棄』する行為であるのに対し、
 後者は『ゲーム性(を支えるルールの整合性)』と『疑似体験』の価値を秤にかけて後者を選んだだけにすぎないからである。
 つまり、前者は『キャラクターロールプレイ重視』のGMとして間違った手段だが、後者は時に必要となる手段だったといえる。
 
 言い直すと、『GMの再現したい疑似体験世界』と、『ゲームシステムの再現しようとする疑似体験世界』がまったく同じであり、そのゲームシステムが調整の必要のない優れたものであるならばベストなのだ。が、そういったことは稀であるため、GMにはある程度のゲームデザイン技術が必要とされるともいえる。
 
 まあ、主な主張はこれくらいでしょうか。
1998年07月17日:11時15分58秒
補足:「妖魔夜行」セッションについて(>伊吹童子様) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>伊吹童子様へ
 昨晩考え直したのですけれど。
 もし、伊吹童子さんが、GMさんとして、中立PCと善良PCが混在したセッションハンドリングについて、対策をお考えになりたいってお気持ちでしたら、「マスタリング研究室」、のほぉが適当かも知れませんね、「セッション運営研究室」、って手もあります。
 もちろんこの「TRPG総合研究室」、でもオッケーですし。「ガープス妖魔夜行研究室」、でも、もんだいないです。
 え〜と、「どこが適当か?」ってことよりも、伊吹童子さんが、何を中心にした対応策をお考えになりたいか、−−GMさんとしての対応をお考えなら、「マスタリング研究室」とか、コンベンション主催団体のほうでの対応をお考えなら、「セッション運営研究室」。と、まぁそんな感じで、、適当な場所があるかと思います。
 よろしかったら、他の方もまじえてお話をいたしませんか?
 しつこくお誘いするよぉで、ごめんなさい。「妖魔」好きなもので、大目に見てくださいね。
1998年07月16日:19時09分01秒
「妖魔夜行」セッションについての書込みは、 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>伊吹童子様へ、
 はじめましてぇ、こんにちわぁ。
 お問い合わせをいただきました、アタシの書き込みは、「TRPG改善委員会 LOG 005」」、にあります。「Re:初心者・上級者ってなに? 」(カンナ記,98年04月13日:13時52分39秒)です。
 ホントにちょっと触れてるだけ、ですので、あまりご参考にはならないかと思うのですけれど。
 もしよろしかったら、「ガープス妖魔夜行雑談所」、のボードとかで、他のかたもまじえてお話いたしませんか。
 
#とても、かっこよくて由緒ありげなお名前ですね。「炎の体」ですか? それとも、「鬼」? もし、本名でしたらごめんなさい(礼)。
1998年07月16日:18時24分55秒
教えて、 鍼原さん / 伊吹童子
 始めまして。伊吹童子というものです。
> 鍼原さんへ
>アタシの実体験でもありました。コンベンションで「妖魔」をプレイしたとき、
>「『中立』の妖怪(担当)Aの言動」が「『善良』の妖怪(担当)B」からみて「勝手気まま」にみえたらしく、
>B氏はいらつく、GMに不必要(とアタシには思えました)ルール的講義をする、etc.
>(この件は以前別掲示板に書いた体験談です)
  この件をどこに書かれているのか教えていただきたいのですが。  
  同様の事がありましたので。
  私信同様で申し訳有りません。
1998年07月08日:12時14分01秒
単独行動について(SHiNさんへ) / ラウール
(改行位置は適当に変えさせていただきました)
>ラウールさん あれ?読めましたか? わたしの環境では、改行きいてなくて・・・
>最投稿したんですけれど。
 改行できていませんでしたが,何とか読みました(^^;


> で、ホームページ拝見しましたが、私とラウールさんの決定的な差ってのは、
>ほぼ、『単独行動』に関するものだけのようですね。
 これについてはノーコメント。SHiNさんの文章は全部読んでいないんです。
 というか,分離行動の部分以外は拾い読みしているだけです。SHiNさんの掲示板への書き込みは,私には追跡不可能な量なもので(^^;。


> 単独行動が単なる『プレイ時間の減少かどうか』は、 マスタリング次第
>ということになるでしょうが..
 これは当初の議論とややずれています。
 私が言っていたのは,単独行動によって,プレイヤーのプレイ時間がちょっと我慢できないほどに減ってしまうことが往々にして起きると思うけど,これにはどう対処できるのか,ということです。たぶん全プレイ時間のうちの 20% - 30% が減る程度ならさほど文句は出ないでしょうが,全プレイ時間の 30% くらいしか行動ができないとすれば(PCが3つに分裂すればこのくらいですね),マスタリング次第でどうこうできるものではないと考えます。


> それ以前の問題として、今度は私からラウールさんへ質問なのですが、
> ●盗賊系技能など、特殊技能を持ったPCなどの単独行動はどう処理するのか?
> ●プレイヤーの意見の対立によるパーティの分離はどのように処理するのか?
> ●それとも、PC間の意見の分裂というものさえ認めないのか?


 1番目は,特にこれといった処理はありません。普通に単独行動として処理します。
 2番目は,あまり起きにくいと考えています(そのようにキャラクターを作らせているわけですから)。起きてしまった場合は仕方ないのでそのまま分離して処理します。キャラクターが目指している所は基本的に同じなので,PC間に対立が起きるとすればある問題をどういう方法で解決するか,という部分ではないでしょうか。これは最終的には誰かの意見にまとまる(妥協する)と考えています。
 3番目は明らかに違いますね。PC間の意見の分裂はマスターがどうこう言うべき事ではありません。

 前の書き込みにも書きましたが,私の手法は分裂の予防策です。
 実際に分裂が起きてしまったらどうにもなりません。

 それから,私は単独行動そのものを問題視しているわけではありません。単独行動によって過度にプレイ時間が減ってしまう事を問題視しています。


1998年07月07日:02時28分36秒
LOG 010 / sf
 TRPG総合研究室 LOG 010として1998年07月03日から1998年07月07日までのログを切り出しました。

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