TRPG総合研究室 LOG 058

TRPG総合研究室の2000年11月20日から2000年11月28日までのログです。


2000年11月28日:10時54分32秒
【ゲーム中デザイン】十分に公正なマスタリング / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿はSHiNさんの次の投稿へのレスです。
#「【ゲーム中デザイン】観点の食い違いと、TRPGの魅力を支える「ゲーム性」ともう一つのもの」 (SHiNさん記,当掲示板,2000年11月27日:02時39分06秒)
#「【擬似体験】TRPGにおける擬似体験の価値と、ゲーム性やリソースデザインとの関わり」 (当掲示板,2000年11月27日:02時47分57秒)

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@SHiNさんWrote(「【擬似体験】TRPGにおける擬似体験の価値と、ゲーム性やリソースデザインとの関わり」)
>あるケースにおいて、どちらを選ぶべきか、明確な基準を設ける事は出来ません。これは既に「芸術」に類する領域であり、与える側と受けて側のセンスの問題になってくるからです。
 
■セッション中ゲームデザイン(総称)の諸相〔実践的〕
 まず最初に大まかな仮おさえをしてみます。
 TRPGではルールに明記されたことはルールで処理すべきで、ルールに明記されてないことは、GMとPLのやりとりで処理すべき、って大まかには言ってよいでしょう。
 
 次に、ちょっと詳細化して考えてみます。
 ルールに記されていないことでも、明記されたルールを参照して、既存ルールを調整すれば処理できることは、ルール調整で対応すべきと思います。

#例えば「川を竹馬で渡る」判定ルールが用意されたシステムは珍しいと思います(笑)。#でも、竹馬操作は敏捷度の目標値を調整して判定できますし、「川を渡ること」は修正値を調整できるはずですよね。
#この類は「セッション中ルール調整」(仮称)と呼ぶとよいと思います。
#水準的な出来のシステムには「セッション中ルール調整」の参照に使える「判定値の目安」が提示されていると思います。これは比較的客観度が高い目安でしょう。
 
 既存のルールにはないけれど、既存ルールを参照して、新たなルールを補完できるものは、これは「セッション中ルール調整」より優先度が落ちると思います。
 アタシが思うには「できれば行うとよい」、くらいの重みではないかと思います。アタシは、これはいわゆる、オプションルールを使用する、しない、って判断と同じ程度の重みで判断するとよいと思うんですけど。

#例えば、アタシが今廻してるシナリオですけど。基本プロットのクライマックスシーンで、「岩山を目的地に向って急ぐ途中での遭遇戦」が想定されています。
#私製のオプションルールですけど、「1ターンに移動力の1/2以上を移動する場合は敏捷力判定」「判定に失敗すると転倒のうえ1Dダメージ」ってルール補完をシナリオ作ったときから用意してます。

#なぜって、シナリオ書く人としては、物語的クライマックス(シナリオの課題)に至る所なんで、緊張感高めたいですし。それ以前の戦闘と違う環境での戦闘ってことを「演出」として強調したいからです。
#これ自体は「セッション前ルール補完」(仮称)、なんですけど。こーゆー補完が検討してあると、他の状況でも、プレイヤーさんにとっては、「セッション中ルール補完」(仮称)であるようなGM裁量を、すっきりと提示することができます。GMプライヴェートのリソースが豊富になってるわけですよね。
 
 それから、オプションルールやセッション中ルール補完の適用目安には、リソースとしてのセッション時間(残量)も考慮されないといけないですよね。(SHiNさんが「準備の手間」や「疑似体験」の角度から説明されてる件と関わります)
 
■マスタリングの十分な公正さ〔基礎論的〕
 と、ゆーわけで、アタシはSHiNさんが挙げられてる実践方法は「ゲーム中ルールデザイン」(総称)の事例として、なんのもんだいも感じません。異存もありません。
 
 ところで、セッションやマスタリングの考え方の方を見ると、(多分)アタシの考えと、SHiNさんのご意見とで微細なズレがあるようです。
 SHiNさんは、「あるケースにおいて、どちらを選ぶべきか、明確な基準を設ける事は出来ません。これは既に「芸術」に類する領域であり、与える側と受けて側のセンスの問題になってくるからです。
 ――って書いてられます。
 
 アタシはこの「あるケースにおいて、どちらを選ぶべきか」を、「ゲーム的処理手法による演出と言語コミュニケーションによる演出処理とどちらを優先すべきか」って、判断のもんだいと受け止めてるんですけど。
 
 この件、アタシは、理論上はまず、「シナリオ(与える側)とGM(受け手)のセンスのもんだい」とみなした方がよいと思っています。
 日本のTRPG事情では、「シナリオを書く人」と「マスタリングする人」とは同一人があたることが多いと思うんですけど。考え方としては、まず、ここを分けて考えてみるとよいと思います。
 「シナリオ」と「マスタリング」は、TRPGセッションで担う役割が違うからです。
 
 で、「ゲーム的処理と言語コミュニケーションとどちらによる演出処理を優先すべきか」これに客観的な判断尺度は無いと思います。特にオプションルールや、セッション中ルール補完のデザインや適用判断には、あらゆるケースに妥当する客観的な判断尺度は編み出せないと思います。
 
 けれど、シナリオを妥当に解釈してけば、妥当性の判断尺度を明瞭化できると思われます。
 この際に、ルール改変以前のセッション展開やセッション時間の残量も関与パラメータになるので、誰がやっても常に同じ判断になるわけではありません。同じGMが同じシナリオをマスタリングしても、展開が違えば判断は変わって当然です。
 
 でもGMがまったく恣意的な判断をできるわけでも、してよいわけでもないはずです。
 ここで「恣意的」と言っているのは、「勝手気侭」くらいの意味です。客観的ではないけど、勝手気侭でもない判断、とゆーのは日常的にもよくあるはずです。
 
 えーっと、アタシは、主観/客観を対照的に二つに分けない、「客観的ではないけれど、恣意的でもない判断基準」があってそれは言語化・明瞭化することはできる、って言語学的だったり文芸批評っぽい考え方だったりを前提に持ちゃってるんですけど。
 
 通例、セッション前にシナリオ内容を把握しているのはGMだけです。
 ですので、GMは自分のシナリオ解釈に基づいて、完全に客観的にはならない・けれど・恣意的ではない判断を、セッション中にしなくてはならないと思います。(シナリオが、機械的にルール適用してけば済むだけの完全閉鎖系のシナリオであった場合は例外となります。が、それはTRPGらしくない)
 
 アタシ的関心で限定するなら、「ここは、ゲーム的処理を優先した方が盛り上がる個所/言語コミュニケーションを優先した方が印象深くなる個所」って判断とかです。
 この判断、GMの主観性は拭えないと思っています(SHiNさんと同じですね)。けれど、それがGMの恣意的判断であってはいけないと思うんです。
 で、主観的(だけど恣意的であってはいけない)判断基準はシナリオ解釈の妥当性に依る(厳密には妥当なワールド解釈も関与します)、ことで提示できると思っています。
#「シナリオの解釈」はシステムコンセプトについての判断と妥当なワールド解釈が参照されて、やっと妥当な解釈が下せる、って意味です。それから「解釈」からは、主観性をゼロにすることはできません。
 
 アタシ、実際問題としては、セッション後に、プレイヤーさんの時間が許す限り時間をとって、成長処理や経験点配布とセッションの感想会を並行してやるように心がけてるんですけど。
 このときに、プレイヤーさんにGM裁量につていの疑念や質問があったら、シナリオのネタバラシを必要なだけしながら、お応えするようにしています。
 
 このときに、「どれだけ説得力のある応えを提示できるか」で、マスタリングの公正さが十分かどうか、が検証されると思っています。(この前もこのお話ちょっとしましたけれど)
#「【意思決定の評価基準】Re:個人的意義と公的意義」 (TRPG総合研究室 LOG 054,カンナ記,2000年10月30日:12時03分14秒)
#読み返してみると、うえの投稿SHiNさんの観点からは、「プレイヤーの行為選択について」と受け止められたかもしれません。アタシ的にはGMのマスタリングについても同様と思っています。
 
 そうですね、最近あった実例だと、セッション評価〜経験点配布のときに、あるプレイヤーさんに「シナリオの最初のシーンは一本道なのではないか?」って疑問を提示されたことがあります。

 アタシは「そのシーンは、かなり一本道に近くて、シナリオに想定されてない展開に持っく可能性は、a『プレイヤーさんはPCに期待される立場に沿ったとても慎重な行為選択をする』か、逆にb『とても乱暴な行為選択をする』のでないと可能性は生じない」って説明しました。
 「でも、あなたのPCは、あのときこんな装備を持っていました、それをこれこれの使い方をすると、あなたが失敗した観察判定にこれくらいボーナスがついて観察が成功する可能性はグッとあがったと思います」ともお応えしました。それでプレイヤーさんには納得してもらえたようです。
 
 TRPGには三審制度はありませんけど、アタシのマスタリングに不公正さが甚だしければ、誘っても応じてくれるプレイヤーさんが減ってくだろうと考えられます。
 
 要約整理します。
・「『ゲーム中デザイン』(総称)についてのマスタリングの主観的だけど恣意的であってはいけない判断」これは、判断の根拠(シナリオ・システムとセッション内物語状況の解釈)と、判断尺度(解釈の方法)を参加者に提示することで、公正さが十分か否かを検証することができます。

・TRPGセッションでは、すべての判断根拠と尺度をセッション中に開示することは不適当です。

・セッション中であっても「主観的だけど恣意的であってはいけない判断」開示説明をして差し支えないものはどんどん説明してしまった方がよいでしょう。

・基本的には、疑念があった場合、セッション後に開示して公正さを検証すればよいです。
(セッション中は「アタシのマスタリング信頼して〜」って乗り切るしかないことはあります)

・ただし、あまりに悪影響が甚だしい場合は、セッション時間残量を考慮しながら、セッション展開をキャンセルして、「もう一度処理」をした方がよいこともあるでしょう。極、例外と思いますし。GMはそうした処理が必要にならないように勤めることはできると思います。

 
 アタシは、マスタリングの公正さは、そのようにしてけば十分だったかどうか、検証されてくと思っています。
 
■仮のまとめ
 仮のまとめです。アタシはSHiNさんが提示された方法、実践論としてはなんの疑問も依存もありません。
 えーと、別にケチをつけるつもりではないですが、多くのGMさんが既に実践してることのようにも思います。
 アタシ的には「セッション中ルールデザイン」の細目として、「調整」であるとか「補完」であるとか「改変」であるとかが整理されて、それぞれのノウハウや考え方も整理されてくとよいように思います。その関連でも、ここのところの一連の議論やSHiNさんの整理は重要と思います。
 
 一方、基礎論の方では、SHiNさんのご意見に、ちょっと納得しきれない部分もあります。
「シナリオの目的をプレイヤーに悟られないようにする」のは、適したシナリオを不適当なシナリオがあるような気がしてるんですね。

 うーん、、、さもなければ、、、、、アタシ的言い方では、「シナリオの目的」はプレイヤーさんに悟られない方がよいのかもしれませんけど。

 「シナリオの課題」は、早目にプレイヤーさんにイメージしてもらえないとGMとして困ることが多いです。その為のやりとりも「TRPGならではの楽しみ」の重要構成要素だって思えるんですね。
#実は、アタシ、マスタリングするときは、愚かな行為選択にはプレイヤーさん(当該PCを担当するプレイヤーさんも含めて)に、PCの愚かさが楽しんでもらえる物語展開を提供すればよい、って考えも持ってて(←マヂです)。だからそんなにいつも困るわけでもないんですけど。
 
 結局、アタシは、TRPGのセッションでGM-プレイヤー間や、プレイヤー-プレイヤー間のやりとりをSHiNさんよりも重視してるんだと思うんですね。
 セッション中のサブゲーム(疑似閉鎖系)への影響力も含めて重視してる、ってことです。
 
 で、いろいろなやりとりSHiNさんは「政治ゲーム」と一括されてますけど。アタシは、セッション参加者間でのディプロマシー的な交渉(政治ゲーム)と、「物語的に印象を深くするコミュニケーション」はコミュニケーションの性質が違ってくると思っています。
 
 先日もちょっと書きましたけど、前者は、まだ「ゲーム」の概念を拡張すれば、ある種の“ゲーム”と呼べる、と思いますし。後者は“ゲーム”としては説明しづらいと思ってます。
#具体的には、前アキトくんが挙げてた「臨終のNPCの側でプレイヤーが歌を歌う行為選択」。あれは「物語を印象深くする行為選択」です。
#「意思決定の種類(Re:言葉の定義等の確認)」 (TRPG総合研究室 LOG 053,アキトくん記,2000年10月23日:15時15分10秒)

#これ、実はGMは判定処理を指示した方がよくって。判定結果を物語的印象に結び付けるマスタリングチップスがあるんですけど。どれだけ高い成功度で判定成功しても「ゲーム」的には無意味な判定です。そのNPCが死ぬことは規定事項になってる事例ですので。
#だからと言ってプレイヤーの自己満足か? とゆーとそーではない。セッションの物語的印象を深めるのに活用する簡単なマスタリングチップスがあります(←コレは余談になってますけど)。

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2000年11月28日:04時25分38秒
Re: 【ゲーム中デザイン】話題と識別子について / Purple
 --- 2000年11月25日:09時28分33秒の鍼原神無さんの書き込み
 >Pupleさんへ
 「信頼/馴れ合い」の話は、pupleさんにとっては「ゲーム中デザイン」とは別の話、とのことですが。困りましたね。
 --- 引用ここまで、
 
 はて、前の書き込みの時には、
 ---2000年11月23日:07時01分59秒の鍼原神無さんの書き込み
 ところで、この議論の大元は、ルール改変的ゲームとか、ゲーム中ルールデザインとかのお話です。
 ---
 
 と、「ゲーム中デザイン」の中の「"ルール"改変的ゲーム」だけにピントが当たっているかのように書いていらっしゃるから否定したのです。
 「プレイ中"リソース"デザイン」も含めた「デザイン」とかかれていたなら、その点に関してはピントはずれとは書かなかったでしょう。
 
 ただ、2000年11月24日:02時13分13秒の書き込みで2つ目に上げた理由からピントはずれであるということは重ねて書き込ませていただきます。
 そうでなければ、なぜ私の書き込みを引用する必要があったのか理解に苦しみます。私の書き込みとは無関係な話として鍼原神無さんの書き込みがなされたのならピントはずれなどとは書かなかったでしょう。
 
 ---2000年11月23日:07時01分59秒の鍼原神無さんの書き込み
 アタシもMyrtさんも「信頼/馴れ合い」のお話は、「ゲーム中デザイン」に関わる議論の一環としてお話して来ているからです。
 
 それが証拠に、関連の投稿の題名には、「【ゲーム中デザイン】」の識別子が使われてきています。
 同じ「【ゲーム中デザイン】」の識別子が使われているpupleさんのお話も、関連の一環の議論と思ってお話するのは、アタシには当然なことのように思えます。
 一方的に「ピントがはずれている」などと言われても困ります。
 --- 引用ここまで
 
 ですから、「ゲーム中デザイン」の中の「プレイ中リソースデザイン」の話です。
 「プレイ中リソースデザイン」という識別子を使わなかったのは、すみません。
2000年11月28日:03時35分41秒
Re: 【ゲーム中デザイン】観点の食い違いと、TRPGの魅力を支える「ゲーム性」ともう一つのもの / Purple
 --- 2000年11月27日:02時39分06秒のSHiNさんの書き込み
 一方、Purpleさんは「ルール改変ゲーム」は必要悪だから、議論するならこれをいかにして回避するかについて議論すべきであると考えている。
 
 違いますか?
 --- 引用ここまで
 
 ちがいます。少なくとも私は
 ・「ルール改変ゲーム」は必要悪
 ・その回避策を議論すべき
 などの意見を書き込んだつもりはありません。
 「ルール改変ゲーム」については必要悪という以前に、RPGに本当にあるのかどうかすら、疑っています。まして、その回避策を議論するつもりなどありません。(という意見を書き込むことが、この書き込みが初めてである気がします。そのぐらい何も語っていないつもりです。)
 
 
 あらためて書きますが、私が書き込みを始めた理由は、myrtさんが次のような意見を持っているように感じられ、それに疑問を感じたからです。
 
 「プレイ中リソースデザインが発生しなければ、RPGではない。」
 あるいは、
 「プレイ中リソースデザインが発生しなければ、RPGを遊んでだことにはならない。」
 あるいは、
 「あらかじめ全てがきまっているのは、RPGではない。マスターはシナリオの中にプレイ中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」
 
 これらは私の体験で得た知識には合いませんでした。しかし、「こういう意見が出てくるにはその背景になにか理由があるからかもしれない。」と思い、いろいろとmyrtさんに質問していました。
 
 ところがそれらの質問に対するmyrtさんの回答の中に、私にはプレイ中リソースデザインの話とは無関係に見える話(「信頼/なれあい」の件)があったので、それに対する質問と反論をしていました。
 また、意見に矛盾があるように見える話(「橋の無い川」の件や「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。」の件)があり、それに対する反論をしていました。
 
 それで、最近の書き込みで、ようやく、次のことが判りました。
 ・「プレイ中リソースデザインが発生しなければ、RPGではない。」という意見は、myrtさんの個人的感想の類であり、それを裏打ちする証拠は何も無い。
 ・「あらかじめ全てがきまっているのは、RPGではない。マスターはシナリオの中にプレイ中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」などとはmyrtさんは思っていない。むしろ、「マスターは出来うる限りプレイ前にリソースデザインをしておくべきである。」と思っている。
2000年11月28日:02時13分13秒
【プレイ中リソースデザイン】Re: nethackはいかが / Purple
 #識別子は変えました。
 
 --- 2000年11月24日:15時39分53秒のmyrtさんの書き込み
 私> その解決方法として、myrtさんが選んだアプローチは、
 私> 「『マスターがずるや手加減をしていない。』と信頼する」
 私> ということなんですよね。きっと。
 
 違います。「どのあたりが妥当かという基準を共有する」ことです。
 --- 引用ここまで
  
 なるほど。それが(myrtさんの)「信頼(なれあい)」だったんですか。
 それなら、別に異論はありません。
 
 個人的には、「基準の共有」のことを「信頼」とは呼んでいませんので、そういう意味にだと全く思いませんでした。
 だって、「信頼」とは「信じて頼ること」ですから。「基準を共有すること無しに、相手を信じること」だと思っていました。つまり、上でmyrtさんが述べているのとは反対の意味にとっていました。
 
 --- 引用再開
 私> その解決方法として私のアプローチは、
 私> 「マスターは出来うる限りプレイ前にリソースデザインをしておくべきである。」
 
 それには依存ありませんが、
 --- 引用ここまで
 
 なあんだ。それならば、私が最初のころに書き込んだ次の意見の中の、「マスターはRPGを遊ぶためには、シナリオの中にゲーム中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」という部分には反対の意見をもっているということですね。そのように反論していただければ、話が早かったのですが。
 
 --- 2000年10月29日:03時44分47秒の私の書き込み
 私がmyrtさんの意見に対して気になっている/納得できない点は、myrtさんの意見が、「ゲーム中デザインが起きなければTRPGをあそんだことにならない」と受け取れることです。
 これは極論すると、「あらかじめ全てがきまっているのは、RPGではない。マスターはRPGを遊ぶためには、シナリオの中にゲーム中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」というふうにも受け取れます。そのあたりが私の感性や経験から得た知識にあいません。
 --- 引用ここまで
 
 全く、反論がなかったので、myrtさんが「マスターはRPGを遊ぶためには、シナリオの中にゲーム中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」という考えの持ち主だと思って、様々な質問を浴びせていました。
 #おまけに「信頼」の意味でお互いに取り違えているので、泥沼化したみたいですね。
2000年11月27日:02時47分57秒
【擬似体験】TRPGにおける擬似体験の価値と、ゲーム性やリソースデザインとの関わり / SHiN

 (これは直前の私の書き込みの続きです。できれば続けてお読み下さい。) 
 
 さて、シミュレーションの要素を持つ多くのゲームは多かれ少なかれ、何らかの「擬似体験」を得る事を目的としてプレイされます。
 ウォーシミュレーションにおいては、時にプレイヤーは一軍の将という立場を擬似体験します。電車でGO!なら、電車の運転を、人生ゲームなら人生の縮図としてのサクセスストーリー(サクセスするとは限らないが)を擬似体験するのです。
 
 そして、ゲームトークンとしてプレイヤーの分身……というより、異世界におけるプレイヤーそのものである「キャラクター」を用いて、「仮想現実」とも言える架空世界を舞台にプレイするTRPGは、あらゆるゲームの中でも、最高レベルでこの擬似体験を重視した作りになっています。
 
 ですから、TRPGのセッションを評価する際には、「それが良い擬似体験になっているか。良い擬似体験を生み出し得るか。」という観点が必要になってきます。非TRPGのゲームの本質を「意思決定」とするならTRPGの本質は「擬似体験」であると言うこともできるかもしれません。
 
 たとえば、「川を渡る」というシーン。
 単に、ジャブジャブと歩いて渡ったとしても、プレイヤーは何の感銘も受けません。それらは現実の体験としても平凡な体験であり、ことさらそれらの事を「擬似体験」したとしても面白くもなんとも無いのです。
 
 ここで、川は少々深く、その上流れがきつい……という状況設定をGMは行います。そうなると、プレイヤーは普通の方法で川を渡る事は出来ません。そこでプレイヤーは、「いかだを作る」とかアイデアを出し始めるわけです。「知恵と工夫で、困難を乗り越え冒険を成し遂げる」という擬似体験を得るために……。
 
 そのための方法として、例えば「木でいかだを作って激流を渡る」というアイデアが出される事があります。この擬似体験は、少々非凡であり、たとえゲーム性がなくてもプレイヤーを楽しませるものです。
 が、TRPGではテレビゲームのようにムービーが流れるわけでも水音が聞こえるわけでもありません。なんらかの形で擬似体験を高めねばなりません。そこで、「いかだを作るためには<工作>技能による判定が必要だ」とか、「進行方向に岩がある。<操船>技能で回避判定を行ってくれ」っていう具合に、臨場感を演出するわけです。
 
 また、別のパターンとして「ウォーターウォークの呪文で川を渡る」という場合。これは、前述の方法に比べると、あまりに非凡な擬似体験です。この場合、前述したような演出をGMは加える必要はあまりありません。「本来なら渡るのに一苦労なはずの激流を、何のチェックもなく簡単に渡る事が出来た」という事実そのものが、プレイヤーに「魔法使いとして、魔法を行使した」という擬似体験を感じさせ、満足を与えるのです。(GMは、時にその満足感を増大させてあげるために、あたかも自分の仕掛けた重要な罠があっけなく解除されたかのごとく悔しがったりする場合もありますね(笑)が、出来ればもっと「実」のある形で評価を与えた方が喜ばれます。理由は後述。)
 
 さて、この「ゲーム性」と「擬似体験」というのは、TRPGの面白みを支える両輪です。
 双方は密接に関わりあったり、補い合ったり、そして時には排斥しあったりしてTRPGのセッションを複雑な面白味を持った物としているのです。
 
 で、「ゲーム中デザイン」として語られて来た、「プレイ中におけるリソースデザイン」は、「ゲーム性」を生み出すためにももちろん使われるのですが、むしろ「ゲーム性」よりも、それが支えるべきものは基本的には「擬似体験」であると、私は考えています。(ゲーム性を生む事で擬似体験を支えるという事です)
 
 また、アキトさんがおっしゃった「開放系」のゲームというのも、実は、この「擬似体験」を支えるための仕組みであると言えるでしょう。
 
 擬似体験において重要なのは、「実感」です。ゲームバランスではありません。
 たとえ、「戦闘開始前」のさまざまな行動によって、「戦闘」におけるゲームバランスが狂ってしまいゲーム性が少々失われても、その「ゲームバランスの消失」こそが、『戦闘開始前に行われたさまざまな行動』に意味を与え、その意義をプレイヤーに『実感』させるのです。
 
 一方で、ゲーム性そのものが擬似体験を支えるケースもあります。冒険のクライマックスにおけるボス敵との知略と運を尽くした戦闘は、冒険の達成を「実感」させてくれることでしょう。(勝利できれば、の話ですが)
 
 その意味で、たとえ「川を渡る」というイベントの発生が予想されていたとしても、必ずしも「綿密にリソースデザインをしておき、ゲーム性を高める努力をする」必要があるかどうかという問題には、一概に答えを出す事は出来ません。
 
 もちろん、ゲームマスターがシナリオ作成に費やせる労力には限りがあるという事がなによりの理由ですが、それ意外にも理由はあります。
 
 たとえば、複雑すぎるゲーム性は、時に擬似体験という観点からは「害になる」ケースもあるからです。
 例を挙げると、「激しい怒りをぶつけて相手をひるませる」というシーンを再現するためには、必ずしもそこに「交渉ルール」を導入して「成功したら相手の戦闘力がダウンする」というやり方が最良とは限りません。
 時には「アドリブとノリ」で、「じゃあ、このラウンドだけ回避にペナルティをつけるよ」なんてやり方の方が、より良い擬似体験を与えるケースだってあるのです。(もちろん、その逆もまた然りです)
 
 あるケースにおいて、どちらを選ぶべきか、明確な基準を設ける事は出来ません。これは既に「芸術」に類する領域であり、与える側と受けて側のセンスの問題になってくるからです。
 
 ただ、既に述べたように、「重要なもの」を賭けてる場合、ゲーム性を高くした方が比較的良い、とか「ゲームバランスを崩す事で、その前に行った行動の結果や意義を『実感』できる」などという「一般論」を意識して考量するという事は、最低限必要なように思われます。
 
 そしてシナリオを作成する場合も、いったいそのイベントにおいて自分はプレイヤーに何を与えたいのか?優れたゲーム性を提供することによる知的興奮か?それとも擬似体験による満足感か?擬似体験を高めるためのゲーム性か?ゲーム性を高めるための擬似体験か?
 
 そういう事をきっちり意識し、それに相応しいリソースをデザイン(そしてマスタリングによる運用)をするという事が肝要に思われます。
2000年11月27日:02時39分06秒
【ゲーム中デザイン】観点の食い違いと、TRPGの魅力を支える「ゲーム性」ともう一つのもの / SHiN
 myrtさんと、Purpleさんの意見の違いの最大のものは、TRPGにおけるルール改変ゲーム…つまり、「参加者間の政治ゲーム」の是非に関してのものでしょう。
 
 myrtさんは(そして鍼原さんも)、セッション中のリソース作成の際にはかならず「ルール改変ゲーム」が生じるはずだから、その用い方について議論したいと考えている。
 一方、Purpleさんは「ルール改変ゲーム」は必要悪だから、議論するならこれをいかにして回避するかについて議論すべきであると考えている。
 
 違いますか?
 
 で、両方ともそれぞれに議論する価値はあると思うんですけどね。
 
 これまで「TRPGにおけるリソースの未定義性」に主眼を置いて話てきましたが、一方で、TRPGには一般のゲームのように「定義済みリソース」を使う局面も出てくる。
 たとえば、戦闘シーンなんてのは、普通、「未定義リソース」も「ルール改変ゲーム」も使用しませんよね。戦闘シーンだってTRPGなのに。(アキトさんの「開放系ゲーム」の例では、突撃してきてダメージにボーナスなんて例があったけど、実際にはそういう「戦闘オプション」の無いゲームで、そのような行為が認められる事はあまり無いはずです)
 
 これはまさに、戦闘シーンにおいては「ゲーム性」が優先されているという事です。
 
 一方で、単に川を渡ったりするのに、川の流れの威力や、川の深さ。そこを泳いだ場合の重量バランスとの制約……そんな事をこと細かに決めてプレイする事はめったにない。つまり、「ゲーム性は優先されない」という事です。
 
 さて、何故TRPGにはゲーム性を優先するケースと、優先しないケースがあるのか?
 
 ひとつには単純に「準備の手間」の問題があります。
 ゲーム性の高いプレイを行うには、十分に練られたゲームリソース(ルール等も含む)が必要とされるのです。(即興のリソースデザインによって同等のゲーム性を得るのはほぼ不可能でしょう)
 他のシーンに比べて戦闘シーンは、TRPGシステムに付属しているルールがこの負担を肩代わりしてくれるケースが多い。だから戦闘シーンにおいては、ゲーム性が優先されるのです。
 
 次に、「賭けている物の重さ」が挙げられます。
 なぜ、TRPGシステムにおいて、戦闘シーンが重視されるかと言えば、それは大抵の冒険物語のフォーマットでは、敵との闘いというのは、「キャラクターの命」と、「最終的な勝利」が賭けられているケースが多い。
 もし、「うまく木に登る事が出来るかどうか」「うまく罠を見つける事が出来たかどうか」というのと同じレベルの技能判定や能力値判定で、この「キャラクターの命」や「最終的な勝利」がやりとりされるとすれば、勝っても負けても、参加者には不満が残るでしょう。
 こういった「重要な物」は、努力の結果勝ちとってこそ意味があるし、ちょっとした不運だけで失われるべきでは無いのです。
  
 ゲーム性を支えるに十分なルールとリソースが存在し、なおかつ手間をかけるに値する重要な目的が賭けられている場合、比較的、ゲーム性が優先される……と考えて良いでしょう。
 
 さて、では、ゲーム性が優先されないケースでは、いったい「何が」優先されてるのでしょう?
 
 結論からいうと、それは擬似体験です。
 
 詳しくは識別子を変えて書き込む事にしましょう。
2000年11月25日:09時28分33秒
【ゲーム中デザイン】話題と識別子について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿はpupleさんの以下の投稿へのレスです
 【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい)
 (pupleさん記,当掲示板,2000年11月24日:01時07分41秒,2000年11月24日:02時13分13秒)

>Pupleさんへ
 「信頼/馴れ合い」の話は、pupleさんにとっては「ゲーム中デザイン」とは別の話、とのことですが。困りましたね。
 
 アタシもMyrtさんも「信頼/馴れ合い」のお話は、「ゲーム中デザイン」に関わる議論の一環としてお話して来ているからです。
 
 それが証拠に、関連の投稿の題名には、「【ゲーム中デザイン】」の識別子が使われてきています。
 同じ「【ゲーム中デザイン】」の識別子が使われているpupleさんのお話も、関連の一環の議論と思ってお話するのは、アタシには当然なことのように思えます。
 一方的に「ピントがはずれている」などと言われても困ります。
 
 アタシは、前提の違う者同志が意思疎通をするには議論が必要、と考えています。
 しかし、何について話ているのか、話題の認識が違う者の間では議論は成り立たないと思います。意味のない、言い合いにしかならないでしょう。
 
 ですので、アタシはこの話題については、やりとりをpupleさんと続けることは止めたいと思います。
 悪しからず。
2000年11月24日:17時16分20秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】達成可能性と挑戦的性 / myrt
追加です。

良い「目標」は、達成可能で、挑戦的なものであると思います。

(Re:2000年11月24日:14時48分16秒【GMの主観的判断のもた らす影響】GMの客観性とゲーム性 / myrt)
>しかしPLにとっては、「目標を決めよ」と いうことは「この背景を用いて、
>この場でゲームをまるまるひとつデザインせよ」 と言われていることと同じ
>です。

しかも、それで「目標」を決めようとしても、その「達成可能性」と「挑戦的性」 を計る指標は不正確です。終ってみて「実は駄目でした」でも、「プレイ開始後 5分で達成」でも悲しいものがあります。しかしそれを左右するために「GMの見え にくい手」を使うと、今度は「GMが恣意的にならない」に抵触します。

やはり、セッション単位では困難なのではないでしょうか??
2000年11月24日:15時39分53秒
【ゲーム中デザイン】nethackはいかが / myrt
(Re:2000年11月24日:02時13分13秒【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / Purpleさん)
> その解決方法として、myrtさんが選んだアプローチは、
> 「『マスターがずるや手加減をしていない。』と信頼する」
> ということなんですよね。きっと。

違います。「どのあたりが妥当かという基準を共有する」ことです。

まず、TRPGでは「ずるや手加減をして、PLに有利にしてくれている」という「なれあ い」が可能です(面白いかどうかは別にして)。私は、それがTRPGでないとは 言いません。

しかし、この「どのあたりが妥当かという基準」が共有できないということは、 GMが挙げるリソースとPLの想定するリソースが共有できないということです。 確実に共有できるのは、それぞれのリソースや状況を示す自然言語と、 机の上に展開されたデータ類だけです。そこから一意に状況を決定するた めに、「どのあたりが妥当かという基準の共有」なくしてどうすればいいの でしょうか。

それの例示が「いや、元はもっと単純な話」なのです。

> その解決方法として私のアプローチは、
> 「マスターは出来うる限りプレイ前にリソースデザインをしておくべきである。」

それには依存ありませんが、

>プレイ中にリソースデザインが発生することは、ゲームを面白くないものに変えて
>しまうことであり、無くすべきことと思っています。

私は「変えうる」ものであり、また無くすことは(attachゲームにでもしない限り) 不可能であると思います。だから、「変えない」ようなゲーム中リソースデザイン について議論しているつもりです。

Purpleさんはnethack(日本語版はjnethack)をご存知ですか??CRPGなんですが、 これをやれば「一般のゲームでは、信頼より先にルールが来ること」がわかる のではないでしょうか(容赦ないから)。それを乗り越えて熟達されれば、ゲーム前リソースデザインの一つの到達点と限界点(豊富なコマンドとリ アクション)を見ることができると思います。フリーソフトで、大抵のOSの 上で動くと思います。yahooなどで探せるでしょう。
2000年11月24日:14時48分16秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】GMの客観性とゲーム性 / myrt
「神のロールプレイ」は、「目標」をがっちり設定したシナリオでも同様に 必要であると思います。というかこの2要素がしっかり働いたとき、 まさに「ゲーム」的にTRPGを楽しむことができると考えています。 ただ、

(2000年11月24日:02時37分47秒【GMの主観的判断のもたら す影響】 GMは「神」をロールプレイする。(関連話題:プレイヤー としてのGM、馴れ合い) / SHiNさん)
>が、この「神のロールプレイ」のルールを守れば「セッションの成功」(もしく
>は「参加者にとって面白い物語」の成立)はとりあえず最低限約束されるので、

それはどうかと思います。「参加者にとって公平である」とは思います が、「参加者にとって面白い」かどうかはまた別次元の問題であると思います。 例えば最初から最後まで「冒険者のなにげない日常」をプレイした場合、PLは それが公平であっても楽しくないと思います。

(2000年11月24日:02時58分40秒【TRPGのゲーム性】良い意 思決定を行うための『良い目的』とは? / SHiNさん)
>でも、『良い目的』とは一体なんでしょう?具体的には?
ゲームの舞台にあった、達成可能な、しかし挑戦的なものであればな んでも良いです。具体的なものがなければ「富」「名声」「力」でか まいませんし、それ以前に「とりあえず生き残る」でも良いと思います。

もちろんPL自身が見い出した目的がそれら条件を満たしていれば問題ないと 思いますが、最後まで目的を見い出せない危険性を考えればそれだけに 頼ることは危険すぎると思います。TRPGはただでさえ手間がかかり、 頻繁にできない遊びなのですから。

一般的なゲームのほとんどがくだらないことを忘れてはいけないと思います。 我々が手にしているボードゲームやコンピュータゲームは「あるアイデア を元に、長時間の試行錯誤をへてたくさんのゲーム内から厳選された」ごく 一部の「比較的面白いゲーム」です。幸いGMにはシナリオ作成時間があります ので、その間に試行錯誤をすることができます。

しかしPLにとっては、「目標を決めよ」と いうことは「この背景を用いて、この場でゲームをまるまるひとつデザインせよ」 と言われていることと同じです。

せめて、「暫定目標」を設定したほうが良いのではないでしょうか。
2000年11月24日:02時58分40秒
【TRPGのゲーム性】良い意思決定を行うための『良い目的』とは? / SHiN
 (myrtさん)
 >まず、良い目的がないと良い意思決定はできません。状況を見てPLが即座に面白い目的を設定できれば良いですが、それが苦手なPLにとっては目の前の目的(とりあえずなりゆきに任せて、危害を加えられないことだけに気をつけようとか)しか持たないままセッションが終了しかねません。
 
 おっしゃる事はそのとおりです。
 でも、『良い目的』とは一体なんでしょう?具体的には?
 私にはTRPGにおいて、プレイヤーが自分自身で見出したものほど「良い目的」と呼ぶに相応しいモノはないんじゃないと思えるのです。
 
 つまり、TRPGに必要なのは「目標」ではなく、「目標たりえる可能性を持った要素」だと思うわけです。
 
 結局、コスティキャン的なゲーム概念を「評価基準」でなく、「デザイン手法」としてTRPGに導入する事の限界が見えてきているのではないかと言うことです。
 「目標」「障害」「資産」を設定せよ、というシナリオ作成方法はダンジョン作りにこそ有効でも、TRPGのシナリオ作成方法としては向かないんじゃないかと思うわけです。(逆に、こういうデザイン方法で面白いTRPGを作る方がよほど難しいし、才能や労力も必要でしょうね。)
 
 現代的なTRPGのシナリオとは、「目標たりえそうな要素」「障害たりえそうな要素」「目的達成のために活用できそうな要素」を設定することではないかと思うわけです。これらの要素が溶け込んだ『スープ』が、いわばシナリオでありゲームの舞台です。
 「未定義リソース」とは、実はこれらの総称なのです。
 潜在的に「多定義」であり、その定義はPLの意思決定やGMのリソースデザインに左右され、無限の定義を持ちうる。これが「未定義リソース」です。
 
 極端な話、そのような「目標」にも「障害」にも「資産」にも成り得る要素を「強く」持った存在を一つでも設定できれば、それでTRPGのシナリオは成立する、という事なのです。(フルアドリブのセッションが成立するのは、TRPGの舞台が未定義リソースに満ちているからです。そしてフルアドリブのセッションがつまらないのは、それらが潜在的に持っている「目標」「障害」「資産」といったゲーム的要素が「弱い」からです)
 
 (myrtさん)
 >次に、GMに要求される資質が大きく感じられます。PLがそれぞれ目的を設定して、それぞれに向かって走り出したときに「どこまで想定内か悟られない」ように事前に準備し、対応するにはかなり精進が必要だと思います。
 
 確かに「技術」は必要です。そして技術を必要とする以上、資質が影響するというのも確かです。
 が、それは決して大きすぎる物はありません。
 技術的には、「未定義リソース」の扱い方さえ心得ていれば十分だからです。そしてこれはGMの「最低必要な技術」であると言えます。(つまり「ゲーム中デザイン」の仕方さえ理解してれば、ほぼ十分であるという事です。逆にこれを行えないGMを認める気にはなれない出来ないでしょう?)
 
 そしてむしろ、このテクニックはプレイヤーがゲームの舞台(シナリオ)の外へ遠く飛び出したくなるのを防ぐためにも役に立つでしょう。よって、準備も最小ですむはずです。
 
 プレイヤーがゲームの舞台の外に遠く飛び出したくなるのは、結局のところシナリオによって想定された中に、自らの目標を見出せない場合です。
 
 以前にも使った例えですが、プレイヤーは無限のバリエーションの「目的」を自ら設定できるが、その範囲は1から10までの間から選ばれる実数でなければならない。と言う事です。逆に言えば、実数を選ばせる事で、GMが管理できる範囲内で、可能な限り無限のバリエーションを生み出そうという事なのです。
 
 「困ったちゃんプレイヤー」を生み出してしまうGMの多くは、同じ1から10でも整数しか選ばせないため、バリエーションにとぼしく、プレイヤーは自らの意思決定の意義を感じにくい。それゆえ、11とかー4とかを選びたくなるんじゃないでしょうか。
 また、シナリオ作成法〜つまりプレイヤーの行動に対する想定の仕方〜が根本的に間違っている可能性もありえると推測しています。
2000年11月24日:02時37分47秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】 GMは「神」をロールプレイする。(関連話題:プレイヤーとしてのGM、馴れ合い) / SHiN
>>プレイヤーにGMのシナリオに設定された真の目標を悟られないこと……
 
(myrtさん)
>うぅむ、一つの理想なのですが、万人にアピールするにはちょっと高すぎる理想ではないでしょうか。
 
 
 高すぎる理想ですか……なんか、数年前にもこの掲示板で同じような事を言われた気がします。
 
 が、私は別に理想主義者じゃないです。
 今回の、『プレイヤーにGMのシナリオの目標を悟られない』というフレーズは、私としては、考えうる限り、もっとも実践的で簡潔なマスタリングテクニックについて語ったつもりです。
 
 もし難しいと感じる人がいるならば、別に、いきなり完全達成する必要はないと思います。「なるべく」悟られないようにしてみるだけでも、そうで無い場合に比べてセッションにおけるPLの自由度や目的意識は高くなります。また、そのために行われる様々な工夫や努力は、きっとセッションをよりTRPGならではの魅力にあふれたものにしてくれるはずじゃないかと思えます。
 
 TRPGにおいてGMは「神」のような存在である、とは良く言われてきたことです。
 では、いったい「神」とはどのような存在なのでしょう?
 
 TRPGに「登場」する神様は、ギリシャ神話の神々みたいに比較的人格があったり目的意識なんかもはっきりしてたりしてて人間と変わらない事もありますが、ここで言う「神」とは、我々の現実世界における「神」の事ですね。
 
 我々の世界にもし神がいるとすれば、それは、不確定原理やカオス理論を陰で操り、偶然性を司る存在でありましょう。但し日常的なマクロな事象において、ニュートン物理学を無視するような事は出来ません。
 これはGMが「その世界の常識やゲームシステム上の基本的なルール」を破らない範囲で「未定義リソース」の決定権を持つのに似ています。
 
 また、偶然を操る力を持つ「神」も、因果律に干渉することは出来ません。既に「あった」ことを「なかった」事には出来ません。(少なくとも我々にはそう見える)
 これは、GMと言えども、既に定義されてしまったリソース(事象)は自由に変更することが出来ない、という事に似ています。
 
 そして「神」は、人が生きていくための「運命」や「舞台」を提供しますが、人の営み…つまり意思決定に直接的な干渉は行いません。(少なくとも我々は自由意思に基づいて生きていると感じている)
 これは、GMがシナリオや世界設定を作成し、PLの意思決定を尊重するのに似ています。
 
 つまり、「神」とはある意味で理想的なGMであるという事です。
 そして「神」を理想的なGMたらしめているのは、自分の存在や目的を、決して人間に気付かせないと言う点でしょう。だからこそ、我々は自分の運命には自分で責任を持ち、あらゆる可能性やチャンスを信じて、自由意思を行使できるというわけです。
 
 『プレイヤーにGMの目的を悟られないこと』
 
 これは、「理想」というより、マスタリング技術の研究や開発のための「指針」として捉えてもらえればな、と思うのです。
 その目的はGMの「恣意」がPLの「意思決定の意義や自由」を損なう事が無いように、という事なのです。(※GMは「恣意」を持ってはならない、という事ではありません。ご注意下さい。詳しくは後述)
 
 そしてもし、これが「理想」足り得ると思う人がいるならば、今は「高すぎる理想」とも思われるこれを、誰もが容易に達成しうるようにするための「技術」について、共に考えていただきたいな、と思うわけです。
 
 特に今回話題に上った一連のもの。特に「未定義リソース(ゲーム中デザイン)」、「プレイヤーとしてのGM」という概念などは、この「神のロールプレイ」をGMが達成するための有効な手段として持ち入る事が出来るものばかりですし、また逆に、それらの概念の運用具合を評価・検討する上で「神のロールプレイ」が達成されてるか否かを基準とすることも出来るからです。
 
 特に『TRPGにおいてGMはプレイヤーの一人でもあり、その目的はセッションを成功させることである』というような概念を『比喩』以上のものにするには、この「神のロールプレイ」のルールを適用せねばなりません。
 でなければ、それは「セッションを成功させる」とか「面白い物語をつくること」などという抽象的な目的しかもちえず『比喩』以上のものにはなりえません。
 
 が、この「神のロールプレイ」のルールを守れば「セッションの成功」(もしくは「参加者にとって面白い物語」の成立)はとりあえず最低限約束されるので、その上でGMがどのような目的…つまり「恣意」を持とうとも自由なのです。
 
 そして、当然のごとく「馴れ合い」などもおこりません(少なくとも一般のゲームのレベルまで減少します)。プレイヤーもGMも、適切なロールプレイ・ルールのもとで、全力でセッションに取り組む事が可能となるからです。
 あとは、それぞれの参加者の技量と運によって、おのおのの個人的な「成功度」が決定される、というわけです。それはまさに「ゲーム」と呼ばれるに相応しい姿でしょう。
2000年11月24日:02時13分13秒
【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / Purple
 #もう1つおまけに。
 
 --- 2000年11月23日:07時01分59秒の鍼原神無さんの書き込み
 それは、pupleさんのマルチゲームの事例も将棋の事例も、本来の話題である「ルール改変ゲーム」や「ゲーム中ルールデザイン」と無関係な面がTRPGと対比されているからです。
 --- 引用ここまで、
 
 鍼原神無さんが書き込みの中で伝えようとしている内容は理解できますが、はなはだピントがずれているといわざるを得ません。それには2つ理由があります。
 
 1つは、前の書き込みに書きましたが、
 ***
 この話は「ルール改変的ゲーム」の話として進んできたことではない。
 ***
 
 ということです。
 
 もう1つは、2000年11月23日:02時37分44秒の私の書き込みで示したように、
 ***
 「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。」 というmyrtさんの意見を否定するために、「将棋やマルチゲームでも無茶を行なえばバランスが崩れる」という例を持ち出してきたのであり、RPGと比較することを目的とした意見ではない。
 ***
 
 ということです。
 
 それで、どうなんでしょうか?
 「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。」という一文は鍼原神無さんから見ても正しい意見に見えるのでしょうか?
 
 
 結局ゲームに限らず、他のどんな遊びであっても、その遊び固有の暗黙的な(明文化されない)約束事があって、それを守らないと面白くないと思います。
 
 そして、「リソースデザイン」という点では、プレイ中にデザインされるよりも、プレイ前にされていたほうが面白いと思います。
 なぜなら、もしプレイ中にデザインされたことがPCに不利に働く内容だとプレイヤーの視点では「ずるをされた。」と思える時があるからです。逆に、PCに有利に働く内容だとプレイヤーはの視点では「手加減された。」と思える時があるからです。
 「ずるをされた。」とか「手加減された。」というのはゲームから面白さを減らしてしまう要因だと思います。ゆえに、そういったことが発生しないようにしたほうが良いのです。(ゲームを楽しもうとするならば。)
 
 その解決方法として、myrtさんが選んだアプローチは、
 「『マスターがずるや手加減をしていない。』と信頼する」
 ということなんですよね。きっと。
 
 その解決方法として私のアプローチは、
 「マスターは出来うる限りプレイ前にリソースデザインをしておくべきである。」
 ということになります。プレイ中にリソースデザインが発生することは、ゲームを面白くないものに変えてしまうことであり、無くすべきことと思っています。
 
 たしかに、全てのリソースを完全に用意することは現実的に難しく不可能であることは認めます。しかし、目標としては、「少なくとも、自分が予想しえるPCの行動に対応するリソースについては用意する。」という目標を持つべきであり、「マスターとプレイヤー間の信頼があるから用意しなくてもよい。」という考え方をするのは間違いだと思います。
 
2000年11月24日:01時07分41秒
【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / Purple
 はじめに。
 私は「ルール改変的ゲーム」の話題には触れていません。鍼原神無さんによる私の書き込みへのレスはピントがずれていると思います。

 --- 2000年11月23日:07時01分59秒の鍼原神無の書き込み
 ところで、この議論の大元は、ルール改変的ゲームとか、ゲーム中ルールデザインとかのお話です。
 --- 引用ここまで

 ちがいます。

 現在この掲示板で書き込まれている「なれあい」という話の始まりは、TRPG総合研究室 LOG 055の2000年11月04日:14時54分28秒のmyrtさんの書き込みが出発点です。
 
 --- 2000年11月04日:14時54分28秒のmyrtさんの書き込み
 いや、元はもっと単純な話なのです。よほどの理由がなければ、GMはPC を虐殺しませんし、PLは依頼シナリオで断りません。つまり、ある程度のなれ合いがあって初めてTRPGは成立します。だからGMは「ゲーム中リソースデザイン」をするときにそのなれ合い基準に従い、PLはその基準にそって不服を申し立てることができます。
 --- 引用ここまで

 上記引用文中にも書かれているように、「ゲーム中リソースデザイン」の話の中で出てきたことであり、「ルール改変的ゲーム」の話ではありません。
 私が今まで書き込んできた信頼(なれあい)の話は、「ゲーム中リソースデザイン」のことしか念頭においていません。

 (なお、RPGはゲームではないという説あるので、これまでの私の書き込みでは、「ゲーム中リソースデザイン」ではなく、「プレイ中リソースデザイン」と書いています。)
2000年11月23日:07時01分59秒
【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Pupleさんへ
 えぇとですね。 麻雀の例は、もちろんTRPGの例とは違います。
 アタシももともとその旨書いていますよね。
>麻雀の例は、TRPGでのゲーム中リソースデザインとまた違う性質の事例なわけですけど
 
 そしてこれは、「システム自体」に対する信頼感なわけです。
 では、なんで、アタシはわざわざ麻雀の事例を書いたのでしょうか?

 それは、pupleさんのマルチゲームの事例も将棋の事例も、本来の話題である「ルール改変ゲーム」や「ゲーム中ルールデザイン」と無関係な面がTRPGと対比されているからです。

 ところで、麻雀の事例、仮に・「ゲームではプレイヤーは『常に』TOPを目指して競うものだ」って慣習を“ルール”とみなす人がいるとします。面倒ですから、ここでは仮に“慣習法”と呼びます。
 この“慣習法”を信じている人の観点からみれば、「1位落し」は、“ルール”違反であり、信頼感をそこねる行為に思えます。
 
 もちろん、麻雀ゲームでは本来そうした“慣習法”は共有ではないので、「1位落し」も「ルール」違反視されません。ですので1位落しをしても、されても、それだけでは、もんだいにはなりません。しかし、“慣習法”を重んじている人が「ズルイ」と感じることはあるでしょう。
 
 ところで、この議論の大元は、ルール改変的ゲームとか、ゲーム中ルールデザインとかのお話です。
 TRPGでは、ゲーム中ルールデザイン本来許容される、と考える立場からは(pupleさんがその立場はとっていませんが、Myrtさんもアタシもその立場を採っています)、TRPGでの信頼感の在り方は、他のゲームと違う独特のものに思えます。
 
 どこが違うかと言えば、すでに書いたことのくり返しですが、アタシには、TRPGは「ルールの運用・解釈についての信頼感」が必要と思えます。(ここでは「改変」も運用の一種に含まれます)
 この事例は「ゲーム・前・ルール改変」の事例です。しかし、TRPG独特の信頼感の在り方を他のゲームと比較するにはよいでしょう。
#紙魚砂さんは「ルール改変ゲーム」や「ゲーム中ルールデザイン」のことをさらに分かり易く大胆に「GMはルールを破ることが許されています」と書いてられますが。
#アタシの立場からも、それは上位ルールの妥当な範囲内で許容されると思えます。ですのでルールを文字どおり“破る”わけではないと思えます。しかし、そこには、TRPG独特の信頼感が必要とも思われます。

 麻雀の事例では「システム自体」を信頼していればよいので、「解釈」などは(ゲーム中には)不要です。
#ローカルルールの確認はゲーム前ですし、アレは解釈ではありません。ルールの選択と確認に過ぎません。

 麻雀の事例はシステム自体に対する信頼感の在り方を示す事例として書きました。繰り返しますが、TRPGで必要なのは「システムの運用・解釈についての信頼感」です。
 
 Pupleさんの挙げているマルチゲームの事例は、マルチゲームの事例としては異例と思われます。
 どんなシステムかが特定されていないので断定はしませんが。普通は起きないでしょう。
 けれど、近似のことは、TRPGではあり得ます。
 
 キャンペーンで、GMさんが、「最近あのプレイヤーはPCを活躍させるチャンスを逸しているから、次回はあのPCが活躍し易いシナリを組もう(他のPCの成長ペースに追いついてもらいたいし)」と思ったりすることはあるはずです。(うまく行くかマズクいくかは、まず、シナリオを書くGMさんのシステム解釈の妥当性に左右されます)
 このとき、当該のセッションだけは、他のキャンペーンとはバランスが違ってると、言えます。そしてこの事態は、pupleさんが挙げたマルチゲームの事例とは違う性質の信頼感があって許容されることなわけです。
 
 アタシはTRPGでの信頼感が常になれあいになるとは思っていません。ただし、信頼感がなれあいに堕し易いとは思っています。それを防ぐ防ぎ方を整理して考えるためには「ゲーム中ルールデザイン」が許容するメカニズムを整理した方がよいと思えます。
2000年11月23日:03時43分35秒
TRPGのなれあい / 紙魚砂
 プレイヤー同士のなれあいはどんなゲームでもありえます。
 TRPGではGM≒ルールなので、GMとのなれあいはルールとのなれあいと言ってもいいかも知れません。ブラックジャックなどのゲームのディーラーとゲームプレイヤーの間のなれあいに似ています。
 違うのは、あくまでディーラーはルールに従う(表向き)ことが決まっているのに対し、GMはルールを破ることが許されています。その領域ではGMの私情が入りますし、それにPLが干渉することもできます。

 …てなところが独特ではないですかね?
2000年11月23日:02時37分44秒
【ゲーム中デザイン】Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / Purple
 --- 2000年11月20日:10時21分59秒の鍼原神無さんの書き込み
 Myrtさんが言おうとしてるのは「TRPGにおける信頼は〔ゲーム中リソースデザインが関わる場合〕独特な〔性質を持つ〕ものだ」って意味だと思えるんですが。
 --- 引用ここまで

 もしそうだとして、「○○における信頼は独特なものだ」って言う文自体は何の値打ちもありません。
 「マルチゲームにおける信頼は独特なものだ。」
 「戦争における信頼は独特なものだ。」
 など、当たり前のことを述べているに過ぎず、何の値打ちもありません。(何の主張もしていない。)

 私としては、それならば、「なにが、どのように独特で、RPGに特徴的に見られる信頼なのか?」って話が聞きたいのです。

 --- 引用再開
 マルチプレイヤー・ゲームでも、例えば麻雀だと「トップのやつをへこませる」プレイの仕方で、暗黙の内に合意が成り立つ局面はありますよね。
 3位と4位が、2位に有利になるような行為選択を試みることはありますでしょ。
 こうなると各プレイヤーにとってのゲームバランスは変わるんですけど、ゲームプレイは崩れはしないですよね。
 --- 引用ここまで

 崩れはしないでしょうねえ。

 ところで、もういちど、私の書き込みをよく見てください。
 myrtさんがまず、Aという命題を提示しました。
 A:「GMはPCを無意味に虐殺しないだろう」ということ自体が信頼に基づく

 私は、次のように答えました。
 B:信頼など必要ない。「マスターが異常者でないはずだ。」という信頼が必要かもしれないが、それはRPG独特の信頼ではない。

 それに対し、myrtさんが次のように答えました。
 C:すでに一度主張しましたが、これはTRPG独特です。

 #なお、改めて読み返してみると、「これはTRPG独特です。」の「これ」が指しているものが判りにくいですねえ。

 そして、myrtさんがCが正しいことの理由として、次のように述べています。
 D:他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。

 それに対し、私はDが成り立たないものがRPG以外にも存在することを示しました。
 E:さらにもう一例を示します。7人(A氏、B氏、・・・、G氏)でマルチプレイヤーゲームを遊んでいたとします。(以下略)

 Eで示したことが正しいのなら、Dは正しくありません。そしてDが正しくないのなら、Cが正しいことの理由がなくなります。

 鍼原神無さんの麻雀の例は、Eの主張の正当性に何ら影響を与えません。同様に、「TRPGは将棋と違う性質のメカニズムで遊ぶゲームですし。」という話もEの主張の正当性に影響を与えません。
 なぜなら、Dの話を否定するためにEを書いたのであり、もともとDではRPGではなく、別のゲームの話を語っています。

 なお、そもそもの私のEの主張で述べた例はゲーム開始時の話です。ゲーム途中に、そこまでの結果を考慮して、勝っているプレイヤーを負けているプレイヤーが団結して追い落とそうとする話ではないことに注意してください。
2000年11月21日:20時19分58秒
【TRPGの定義】ちょっと補足(Re:ここのところの議論の要点(?)) / 匿名希・望

・鍼原神無さん
>TRPGのセッションで遊ばれる“ゲーム”は「コスティキャン定義のゲーム」だけではない、ってことがそれぞれの観点から検討されています。
> 
>実はTRPG.NET、特に「総合研究室」では「TRPGのプレイにはキチンとした意味での最適解はない」ってことが随分前から言われています。
>「キチンとした最適解がない」ってことは、セッションでの“ゲーム”は、トータルでは「コスティキャン定義のゲーム」でもない、ってことです。
>(「ゲームの理論のゲーム」は、「非・情報完全公開型ゲーム」で「キチンとした最適解」があり得ないものについても扱おうとします)

俺の主張は「コスティキャン定義のゲームって、そんなキチンとしたものである必要性があるのか?」って事なんですが。
元の「コスティキャンのゲーム論」のどこをどう読んでも、そういう結論が浮かんでこないわけです。
コスティキャン自身が内心どう考えているかは別にして、文面を読む限りでは。

と言う訳で、

>関連で匿名希さんは「フィギュアスケートや新体操の競技を“ゲーム”とみなせるなら『話をおもしろくするって』ことも“ゲーム”とみなせる」って見解も述べてます。
>この“ゲーム”は、「もちろん『コスティキャン的定義のゲーム』ではないが」と読んでよいはずです。

これは違います。
ちょっと時間が無いので続きは来週。

(sf:重複削除しました)


2000年11月21日:13時08分34秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】PLとPC情報の一致 / myrt
「GMの顔色を、独特のファクターとして意思決定に組み込む」ことは それを悪用する場合も、その必要性にかられる場合も、ゲームプレイと ロールプレイの両面からあまり好ましくないと思います。 だから、「GMがそんな羽目に陥らないよう努力する」と「PLは 悪用しないよう心がける」は両方大事なことであると考えます。

さて、そのためのGMのTipsとしてもSHiNさんの

(Re:2000年11月18日:04時44分49秒【GMの主観的判断の もたらす影響】PLと PCの行動の自由を保つために / SHiNさん)
> プレイヤーにGMのシナリオに設定された真の目標を悟られないこと……

は有効であると思いますが、この場合にはもう一つの方法があると思います。

「ある意思決定に対する、PLの入手可能な情報(GMの顔色含む)と、PCの入手可能な 情報と一致させるよう努力すること」

例えば、ある騎士のPCに対して「さらわれた姫君を助けること」というクエストを 課したとします。そのとき、GMの顔色から「姫君を助けると良い」以上の情報が 得られなければ、悪影響はないと思います。 また、このときには以下の、よく似たTipsが有効に働くと思います。

「GMが用意した、サブ目的を悟られないよう努力すること」

真の目的を達成するためには、サブ目的をいくつも達成していくことがよく あります。このサブ目的を悟られないようにすることにより、「次にGMとしては こうしてほしい」をわかりにくくし、 顔色の影響を削減できるのではないでしょうか。

TRPGでは、「何をやったらよいか」はわかっており、「どうやったらよいか」が わからないときにゲーム性を感じることができます。また、そのときに「自分 がその身になったら、どうするかを考えること」によって、古い意味でのロー ルプレイが生まれると思います。

この場合においても、PLが途中でGMの設定したものを上回る目的を思いつき、 GMがそれに対応できるならそれに越したことはないと思います。
2000年11月21日:12時33分18秒
myrt / 【ゲーム中デザイン】何がどうなったら馴れ合いなのか
最初「信頼」、悪く言えば「なれあい」だと書いたんですが、いつのまに か「なれあい」で定着してしまいました。

(Re:2000年11月20日:16時27分05秒 なれあいに関して / LISTさん)

>つまり、不公平な提案とその容認があった場合。これが馴れ合いです。

違います。一般のゲームと違い、「公平な提案を心がける必要がある」、 つまり「不公平な提案が受理されうる」からそれを防ぐための基準、あるいは 現象をそう呼んでいます。だから、悪用することもできるのです。ないものは、 悪用もできません。

>PLがPCを囲む状況を良くするように行動する。コレ自体は何の不思議
>もありませんし、自然な流れです。その際にズル臭い流れがあるから
>「馴れ合い」 になるワケですよね?

ちょっと違います。「PLがPCをトークンとして扱い、TRPGのゲーム的に遊ぶとする。 このとき、このサブゲームを遊ぶ以外のPL活動を縛る基準、現象のひとつ」です。 これがズル臭く用いられることがあり、そのときのことを念頭において、悪く 言えば「なれあい」である、と表現しました。

鍼原神無さんが(2000年11月20日:10時21分59秒【ゲーム中デ ザイン】Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん) で述べられたように、「なれあい」全体はTRPG特有のものではありません。 しかし、「ゲーム中リソースデザイン」時に 独特の「なれあい」が見られること、またそれが必須である(少なくともその余地が たえずある)ことがTRPGの特徴であると主張しています(ゲーム中リソースデザイン関連の 議論参照)。

>注意しなければならないのは、例えば、マンガ 「美味しんぼ」 において
>問題が料理によって解決される事はなれ合いではありません。

ところが、例えば問題が殴りあいによって解決できることがPLにとって明らかであり、 それが料理による解決法よりもすべての面において優れている(少なくともそう 見える)ならば、料理による解決法を選ぶことは「ゲーム」的には不誠実です。

だから「ゲーム」的に料理勝負に持ち込むには、ゲームデザイン(プレイ中、外 問わず)の部分で料理勝負が殴りあいよりも妥当な選択肢であるようにしなければ なりません。このような過程において「なれあい」は有効に働くことが多いと考えて います。

現在、「なれあい」が「基準」なのか「現象」なのかまとまっていないので 読みづらくなっています。申し訳ありません。
2000年11月20日:22時29分32秒
TRPG総合研究室 LOG 057 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 057として2000年11月13日から2000年11月20日までのログを切り出しました。


2000年11月20日:16時27分05秒
なれあいに関して / LIST

何がどうなったら馴れ合いなのか、また、馴れ合いだと言い出すとしたら、どのような経験があってのコトなのか。この辺を考えてみました。

PLがPCを囲む状況を良くするように行動する。この際にPCにばかり都合がよく、敵などには不都合ばかりである。

つまり、不公平な提案とその容認があった場合。これが馴れ合いです。

PLがPCを囲む状況を良くするように行動する。コレ自体は何の不思議もありませんし、自然な流れです。
その際にズル臭い流れがあるから 「馴れ合い」 になるワケですよね?


そして、それを論拠にゲーム本体にまでさかのぼって問題があると発言するからには、その人物の周囲ではこの 「なれ合い」 がフツーで、誰も疑問に思わず、否定される事も無い状態でなければなりません。

一人や二人、一度や二度の例外に出会ったのではなく、それが普通に扱われている判断するのでなければ、テーブルトーク全体に対して 「なれ合い」 だなどとは言えません。

ところで、
注意しなければならないのは、例えば、マンガ 「美味しんぼ」 において問題が料理によって解決される事はなれ合いではありません。

何であれ、その主題に沿った扱いをする事はなれ合いではないのです。

ときメモの戦闘 (ケンカ) で死なないのがなれ合いだとでもいうのでしょうか?
主題に沿わない部分で、しかもゲーム終了を招くのが正しい事でしょうか?

myrtさんはちょっと考え直してくれませんか?
バランスを探すのもけっこうですが、もっと根っこのトコに、先に解決しなきゃいけない問題があるとおもいますよ。
2000年11月20日:14時35分00秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】自由の問題点 / myrt
(Re:2000年11月18日:04時44分49秒【GMの主観的判断の もたらす影響】PLとPCの行動の自由を保つために / SHiNさん)
>これは明らかな矛盾です。シナリオに反する展開を否定するくせにシナリオ
>通りに展開することも否定する。
>結局、かれらの言う「シナリオ」とは、明確な「ストーリー」の事ではなく、
>GMの想定内の展開、という曖昧なものなのです。

この部分、ちょっと表現がおかしくないでしょうか。「一本道シナリオ」に文句をつけるは、「GMがそれ以外の展開を想定していない」から文句を言っ ているのだと思います...つまり、GMに関して「ここまで対応すべき」「ここから は対応する必要がない」項目を具体的(??)にイメージしており、そこから 逸脱した場合に文句を言うのだと思います。 それ以降の、「GMの顔色をうかがうプレイスタイル」とはまた異なったスタンス ではないでしょうか。

>その逆に、強引にGMの想定を広げて、自らの望む展開に持ち込もうとするプ
>レイヤーも出始めます。

特定のPLとGMの間で仲良し同盟が成立する場合も深刻だと思います。PL全員と 仲良し同盟が成立するならば--そういうプレイスタイルも良いかと。

> プレイヤーにGMのシナリオに設定された真の目標を悟られないこと……

うぅむ、一つの理想なのですが、万人にアピールするにはちょっと高すぎる 理想ではないでしょうか。

まず、良い目的がないと良い意思決定はできません。状況を見てPLが即座に 面白い目的を 設定できれば良いですが、それが苦手なPLにとっては目の前の目的(とりあえず なりゆきに任せて、危害を加えられないことだけに気をつけようとか)しか 持たないままセッションが終了しかねません。「なんでもできる」と「なんにも できない」は、意思決定の対象としてはほぼ同義です。

次に、GMに要求される資質が大きく感じられます。PLがそれぞれ目的を設定して、 それぞれに向かって走り出したときに「どこまで想定内か悟られない」ように 事前に準備し、対応するにはかなり精進が必要だと思います。

例えば私がGMをするときは、展開を変えかねない大目標はキャンペーンのセッション 間に設定してほしいと思います。対応しきる自信がないので。

しかし、目的をがっちり固定したシナリオでも「GMの顔色をうかがうプレイ スタイル」の影響を排除する必要性があり、そのための方法論として有効な理想 だと思います。
2000年11月20日:10時21分59秒
【ゲーム中デザイン】Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさんへ
 >上の理由から「RPGにおける信頼が独特なものだ」と判断すること自体が間違っていると思います。
#「【ゲーム中デザイン】RPGに独特な信頼(なれあい)」 (Purpleさん記,当掲示板,2000年11月20日:03時30分07秒)
 
 また、横やりからで悪いんですけど。
 Myrtさんが言おうとしてるのは「TRPGにおける信頼は〔ゲーム中リソースデザインが関わる場合〕独特な〔性質を持つ〕ものだ」って意味だと思えるんですが。
 アタシはTRPGでの信頼感は、馴れ合いとは別物とわけて考えますけど。Myrtさん的観点からは馴れ合いに見えるものが多いだろうなってゆーのは、理解可能です。
 
 TRPGは将棋と違う性質のメカニズムで遊ぶゲームですし。コンピュータゲームソフトとも違う性質のメカニズムで遊ぶゲームです。
 
 マルチプレイヤー・ゲームでも、例えば麻雀だと「トップのやつをへこませる」プレイの仕方で、暗黙の内に合意が成り立つ局面はありますよね。
 3位と4位が、2位に有利になるような行為選択を試みることはありますでしょ。
 こうなると各プレイヤーにとってのゲームバランスは変わるんですけど、ゲームプレイは崩れはしないですよね。
 
 麻雀の例は、TRPGでのゲーム中リソースデザインとまた違う性質の事例なわけですけど。「全員が常にTOPをめざし続ける」わけでもないわけです。ある種政治ゲーム的な駆け引きが、麻雀のゲーム・システムの内にはじめから含まれてるとも言えるわけです。
#えーっと麻雀はゼロ和ゲームですので、連続したキャンペーンの内、ある局面では「TOP狙いを放棄すること」が、トータルでは有利な行為選択と判断される、ってことにすぎないんですけど。
 
 アタシも、TRPGだと、サブ・ゲームが複合・連続した全体ゲーム性には、やはり独特な信頼感が前提されざるを得ないと思います。
 その前提的信頼感はある程度は、「システムコンセプトの解釈了解」を「ルール改変ゲーム」的の一種とみなす事で説明はできるんですけど。
 でもこの信頼感の在り方は、麻雀のゲームシステムに持たれる信頼感とも違う独特の性質がみられます。
 
 例えば麻雀はシステム自体に対する信頼感があるから、アタシが例に挙げたような意思決定・も・できるわけです。
 コンピュータソフトも、ユーザーが「あるメーカーが創るシステムは信頼できる」って信頼の持ち方をすることはあるでしょう。
 Myrtさんが言ってる、TRPGの場合のGM-プレイヤー間の信頼関係は、それらとは違いますでしょ。一言で言えば「システムの解釈・運用法」についての信頼感のことです。
2000年11月20日:09時36分12秒
【TRPGの定義】議論についての意見 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 ここのところの議論の進み方について。アタシの意見をのべておきます。
 当掲示板での関連の議論について、いろいろなコメントを目にすることがあるからです。
 
 「もっと前提を絞った方がよいのではないか?」について
 アタシには「コスティキャンのゲーム概念」の批判的検討、って前提があるだけでとりあえず充分ではないかと思えます。特にその全否定ではなく、妥当な適用範囲が検討されているのですから、充分と思います。
 
 ここで今議論されてることは「コンベンションでのストーカー的行為」とか「コンベンションでのゴミの捨て方」といった具体的もんだいの検討とは性質が違います。アタシ的に言えば、実践論の基礎論が理論的に検討されていて、目的としてはより多くのタイプのセッション実態を包含的に説明できる定義の詳細化が目的になってるように思います。
 
 ですので、合意や結論は、その内出れば、ぐらいのつもりで気長にやった方がよいように思います。
 理論上でも、どれだけ異なる観点が成り立ちそうか、どの理論とどの理論は>構造<的に同型で、観点が違うだけだとか。はたまた、>構造<的に同型ではなくても、それぞれの観点の向き・不向きが検討されるくらいでも、合意や結論がでなくても、議論の価値はあると思います。理論上の検討とはそうした面もあるはずです。
 
 また、合意や結論を出すために前提を制限するよりは、異なる観点の意見がが、何かのポイントを接点にして相互検討された方が新しい発見も期待できるように思えます。
 注意すべきは、理論上の検討と実践論に切り分け(関連付けるにしても一度切り分ける)、とか、いくら理論上でも薄弱な根拠や偏った定義でジャンルの可能性を否認しない、とか、そーゆーことの方だと思います。

「期間を限定した方がよいのではないか?」について
 アタシは、ここで今議論されてることは具体的もんだいの検討とは性質が違うと思っています。ですので、いついつまでに、とか、できるだけすみやかにとか、議論の期間を限定する必要は乏しいと思います。
 ただ、議論が収束するときに「(議論を通じて明らかになった)もんだい点の整理」くらいがなされると、その方がよいとは思います。
 けれど、自然発生的にはじまってる議論ですので、誰かが、そこまでしなくてはいけない、とゆーよーなわけでもないように思っています。

「議論が混乱していないか?」について
 迷走している部分はあるかと思いますが、それは主に各論(アタシ的整理ですが)の部分と思います。大筋ではそれなりに進展があったようにみています。
 【識別子】の活用で各論がわけられているので、興味のある読者はそれぞれの関心に従って【識別子】を手掛かりに議論を追うとよいように思います。

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