TRPG総合研究室 LOG 056

TRPG総合研究室の2000年11月08日から2000年11月13日までのログです。


2000年11月13日:10時18分47秒
【ゲーム中デザイン】Re:Re:ゲーム中デザインと慣れあい / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿はMyrtさんの「【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい」 (当掲示板,2000年11月09日:11時39分48秒)、を読んでの感想と質問です。
 
>Myrtさんへ 
 えっと。やっぱりMyrtさんの意見を読んでるとアタシも混乱してくるときあります。
 「【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい」 (myrtさん記,当掲示板,2000年11月09日:11時39分48秒)、を読んで、投稿単体の論旨は掴めたと思うんですけど。一連の議論でMyrtさんが何を目指してるのか? で戸惑いました。
 
 前に他の方から問い合わせがあったことは知ってるんで、悪いんですが、もう一度質問せてください。
 
 Myrtさんは、「TRPGの一般的定義」を詳細化なり検討なりしたいのでしょうか?
 それとも「TRPGを『より』ゲーム的に楽しむ為にジャンル定義を再検討」したいのでしょか? 場合によっては「一般的ジャンル定義の再定義」も射程に入れて考えてますか?
 それとも「TRPGを『より』ゲーム的に楽しむ為の実践的な工夫を検討」したいのでしょうか?
 
 Myrtさんの議論の主目的はどれでしょうか?
 アタシが興味を持ってるのは、さしあたり「TRPGジャンルの一般的定義の詳細化」です。その線でちょこちょこコメントを寄せさせてもらってるつもりです。
 
 それは、「TRPGをよりゲーム的に楽しむ為の実践的な工夫を検討」するために「TRPGの一般的定義を再検討」したい、とかいろいろなケースもあるとは思います。
 
 アタシはその辺まで含めて構わないと思います。Myrtさんの議論の目的はなんなのでしょうか? それによっては、いろいろ考えた方がよいかもしれません。
 実践論と理論上の思考実験の切り分けも、議論のステップごとに注意する、とかそうゆう工夫が必要になるかもしれません。
 
 例えば、議論の枝葉、――とゆうか仮定の部分ではあるのですが、次のような意見を読むと仮定の話としても首を傾げざるを得ません。
 >PLの発言を構文解析にかけて意味を抽出できると仮定したとき(最近では結構いいところまで来ているようです)、それに対応した反応がたまたま用意されており、それが最後まで続かなければならないのです。
#MyrtさんWrote(「【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい」,当掲示板,2000年11月09日:11時39分48秒
 
 これ、理論上の検討で思考実験なのでしたら、面白い意見と思います。
 アタシはMyrtさんの主張「ゲーム中デザインは(なんらかの意味で)TRPGの必要条件だ」にはアタシは同感なんです。もちろん位置付けには細かい差違があるかもしれません。それは当然とも言えます。
 ただ、Myrtさんのお話は、思考実験なのか、実現可能性も見込んでの意見なのか判断に戸惑うことがあります。
 
 「TRPGを『より』ゲーム的に楽しむ為の実践的な工夫を検討」これが純然たる実践論であることは言うまでもないでしょう、
 「TRPGの一般的定義を詳細化」アタシはこれはTRPGの実践論を整理する為の基礎論になると思ってます。ある程度理論上のものです。さもなければ体験的なイメージ)か「商品ジャンル」にすぎないはずです。「ジャンル」なんて実体ではあり得ませんので)。
 「TRPGを『より』ゲーム的に楽しむ為にジャンル定義を再検討」これは基礎論としての「一般的定義」と、より・ゲーム的に楽しむって実践を念頭に置いた「特殊定義」の二段階に分けて議論した方が、議論が生産的になるかと思います。

 で、とりあえず、Myrtさんは、なにをどんな段取りで議論したいのかをお尋ねしたいです。
 それによっては、実践論と理論上の思考実験の切り分けも、議論のステップごとに注意する、とかそうゆうふうにした方が議論の為によいかもしれません。
2000年11月13日:10時15分11秒
【ゲーム中デザイン】Re:Re:上位ルールの拘束 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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#この投稿は、Myrtさんの「【ゲーム中デザイン】Re:上位ルールの拘束」 (当掲示板,2000年11月08日:12時07分28秒)、へのレスです。
 
>Myrtさんへ
>気になってるのですが、「ルール改変的ゲーム」でのPLの目的はなんでしょうか。
#「【ゲーム中デザイン】Re:上位ルールの拘束」(Myrtさん記,当掲示板,2000年11月08日:12時07分28秒)
 
 うッ★
 むづかしいこと聞かれてしまったわ。(汗笑)
 
 「ルール改変的ゲームでのプレイヤーの目的」ですね。
 それは、当然ですけど、法思想の分野とコミュニケーション論の分野で違ってきます。
 抽象度を上げた義論で統合的に論じられることもあるのですが、そうすると抽象度が哲学的に高くなりすぎて、わかったようなわからないような話(笑)になっちゃいます。
 
 ご参考までに、順番にご説明します。
 
■法思想の場合
 はじめにお断り。
 アタシはコミュニケーション論の方から「ルール改変的ゲーム」の考え方に接しているので、「法思想の場合」は自分的なコミュニケーション論の勉強の参照用にしか理解していません。カヂッただけで、大ザッパな理解です。
 もっと専門的にやってられる方のご意見が聞けたら、そちらの方が信頼できます。
 
 「法思想の場合のルール改変的ゲームでのプレイヤーの目的」それは、とりあえず「上位ルールに表現された思想を、新事態に即した型で実現すること」と説明されます。
 たいてーの西欧近代型の法体系では「憲法」が上位ルールにあたりますので。
 
 ちなみに、「ルール改変的ゲーム」では、「慣習もルールに含める」のですが、法思想の場合「慣習」は一般的な習俗のことではなく「判例(判例集)」のことだそうです。特にイギリス型の法体系は憲法にあたるものがないので「判例集」が「慣習(法的慣習)」とみなされるそうです。
 ただし、判例で「一般的な習俗(習慣)」が尊重されることになってた場合は、ソレもルールに含められます。(あたりまえっちゃ、あたりまえですけど)
 
 「判例集」もルールとみなされるので、「法の補完」も、場合によっては「法の調整」も<ルール改変>に含まれます。
 新事態に応じた解釈や、新事態に応じてそれまで潜在していた内容が顕在化し限定される、みたいな理解をアタシは持ってます。
#この辺なんかMyrtさんの主張である「ゲーム中デザインは一度されたら変更されるべきでない」って件に類比されるかもしれません。
 
 で「憲法改正の場合」の目的。これは、文字通りの「ルール改変」で「法のゲーム」が別ゲーム(別の法のゲーム)に移行するとみなされます。
 この場合、合法的な別ゲームへの移行方法が「ルール改変ゲーム」で、クーデタとかは、非合法な「ルール改変(ゲームの移行)」と言われます。
 
 アタシは専門ではないので、「憲法改正の場合」の辺の議論になるともう、ある種、比ゆ的にしか理解してないです。ホントは単なる比ゆではないようにも思えますし。
 誰か詳しい方にアタシが教えていただきたいくらいです(困笑)。
 
■コミュニケーション論の場合
 「コミュニケーション論の場合のルール改変的ゲームでのプレイヤーの目的」それは、「言語の<コード体系>から新しい意味を産出して新事態を表現・説明するコミュニケーションを達成すること」です。ここで言うコミュニケーションには当然、情報伝達と相互了解の双方が含まれます。
 
 この観点で「言語コミュニケーションをルール改変的ゲーム」とみる場合。新事態についての言語コミュケーションが達成されると、その達成度に応じて、ゲーム的にもイケてたことに一応はなります。←こーゆー論じ方、コミュニケーション論で論じられてるわけではないですが。学問上で考えられてることを、ともかくゲームを軸に表現してみると、そうも言えるって話です(笑)。以降もそうした話がメインになります。
 
 副次的にコミュニケーションの流通性能みたいな尺度も達成度の評価に適用される場合もあって。この辺は社会言語学や知識社会学との学際領域になるので、統合した整理は、学者さんたちの今後の課題でしょう。
 この社会コミュニケーション論(仮称)では、仲間内でしか通じないルール改変はスラング的なものなわけですから、達成度もそこそこって評価されることもあるでしょう。
 しかし、ある特定世代には広く通じるルール改変は、特に社会言語学では、実際に「文化方言」の概念で「若者言葉/シルバー言葉」などなどの整理がされています。
 「文化方言」のカテゴリーには、他にいわゆる方言(地域文化に基づく方言)とか、職業に応じた<言語コード>の偏り、などのサブ・カテゴリーも検討されています。
#いわゆる方言を「文化方言」の一種とみなす観点とかは、そんなに一般的な考え方でもないとは言えますが。
 
 で、コミュニケーションの流通可能性を尺度にした評価は、プレイヤーの立場とコミュニケーションの目的によっても違ってきます。
 
 プレイヤーの立場が法律家や弁護士なら流通性能は、ある程度幅広くないといけません。
 プレイヤーの立場が詩人とか、コピーライターとかだと流通性能はある程度狭くても、長く流通すればよい、って戦略もあり得ます。
 法律家・弁護士〜詩人まで、とゆうのは、これはコミュケーション論が取り扱う言語コミュニケーション様態の両端を示すために採用しました。コミュニケーション論でも、大多数のコミュニケーションは中間領域で<コードコミュニケーション>と<メッセージコミュニケーション>が混在してるとみなされます。
 その場合でも、「新事態を説明・表現しコミュニケーションを成り立たせること」がコミュニケーション論的ルール改変ゲームの目的であることは変わりません。
 
 例えば「社会コミュニケーション論的ルール改変ゲーム」(仮称)で、単語の新しい用法やシャレた言い回しや造語が使われた場合、全然流布しなかったり、一時はやってもすぐにすたれたりした場合は、ゲーム的に失敗とみなすことができるでしょう。
 用法が広まっても、どんどん意味が変わって流布してしまう場合など、達成なんだか失敗なんだかの評価はプレイヤーの立場によって変わるはずです。例えば「ヲタク」とか「ハッカー」とか「パラダイム」なんて言葉の流布過程が、プレイヤーの立場によって評価が違っている(事実として異なる立場の併存が観察される)事例として挙げることができます。
 ゲームフィールドが「社会」ですし“トークン”にあたるものも多義的なのですから、異なる評価が併存することになります。
 
 コミュニケーション論の場合、慣習がルールに含まれるのは、特に疑問もないと思います。
 新しい用法(<補完>や<調整>)も、それが定着したなら定着の度合いに応じて<ルール改変>とみなされます。
 この部分は、例えば社会言語学的な統計調査や、特定辞書のエディッションを追跡調査する手法などで検証されます。それから、言語の意味生成のメカニズムは記号論、意味論のそれと20世紀的な文法研究や認知言語学などの分野で研究されています。社会的流布と定着のメカニズムは社会言語学、知識社会学でそれぞれのスタンスから研究されています。
 
 アタシは「言語コミュニケーション的な意味での『ルール改変的ゲーム』」の考え方、TRPG論で参考にはなると思うのですが。よっぽど「ゲーム」の概念を再整理しないと適用がむづかしいと思っています。
 特に「ゲームの理論のゲーム」は行為選択の判断尺度が数値的・論理的なものですが、言語コミュニケーションの判断尺度は、示差的で文脈依存的で同時に状況依存的なもの、です。
 一方、法思想的な「ルール改変ゲーム」は、自然言語の範疇での論理性はあるので、コミュケーション論でのものよりは参考になるように思います。が、アタシは詳しくないです。(って、ゆーかコミュニケーション論とか物語論とかを勉強する路線を選んでます)
 
 コミュニケーション論の場合は「ゲームとは『妥当な解釈による<言語コード>(ルール)の適用とその運用』」であり、ルール改変的ゲームの目的は「言語の<コード体系>から新しい意味を産出して新自体を説明・表現してゆくこと」で充分なんですよ。自然言語の意味生成メカニズムも複数の角度から探求されてますし。
 
 なので、今のところアタシ的には「TRPGではゲーム的な意志決定と物語的な行為選択が混在し、相互に影響しあってセッションが進む」の前提をとってるわけです。
 幸いにして、個別論・具体論の場合は「ルールブック」や「サプリメント」がテクストとして限定されてるので、その辺でなんとかなるかな、って見通し持ってます。
 
■高い抽象度の場合
 高い抽象度でみた場合の「ルール改変的ゲームの目的」これはTRPG論には今のとこ直接役に立たないのではないかな、と思います。
 一応。
 「旧来の<コード系>から新しい意味を産出し、<生活世界像>の分節<構造>を刷新してゆくこと」とか論じられています。
 
 言語明瞭ですけど意味不明です(笑)。濃密な(笑)概念しか入ってませんし。
 ほんとは、もとの文脈に即せばそんなに意味不明でもないんですけど。この場合「ルール改変ゲーム」とは「人が社会・文化的存在として生きるうえで重要な行為」とほとんど同じレベルで考えられざるを得ないので(哲学的抽象ですのでしかたありません:苦笑)、部分を取り出すと、やっぱり意味不明です。
 
 とりあえずは、置いといた方がよいのではないでしょうか。
 TRPGに適用するなら限定の作業が必要でしょう。
 
追記:えっと、「上位ルールの分類」のご提案については、アタシは意見保留します。
 具体論・個別論のレベルでの「システムはPARANOIA、裏切りゲームです。またPCは頻繁に犬死にします」的な提案は特に異論もないのですが。
 実は、その辺は過去に「TRPG総合研究室」でも「TRPGシステムのテーマとは何か(どのように抽出したらよいか)」的なアプローチで議論されたことがありまして。
 具体的チップスも「セッション運営研究室」での提言(もしかしたら「マスタリング研究室」だったかも?)もありましたし。
 ですので、アタシ的にはやっぱり、今の議論では、ジャンル論のレベルで、「TRPGシステムにとっての上位ルールとは何か、その位置付けは?」的な方向が、「TRPGの一般的定義、その詳細化」との関連で検討されることが希望です。
 で、そっちの論旨での、「上位ルールの分類」については、ちょっと意見保留です。アタシは、ジャンル論ではもうちょっと別路線を追求したい気もしていますし。

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2000年11月13日:10時11分04秒
【TRPGの定義】Re:TRPGと自然言語の関わり / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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#この投稿は、Myrtさんの「【TRPGの定義】Re:TRPGと自然言語の関わり」 (当掲示板,2000年11月08日:11時40分11秒)、へのレスです。
 
>Myrtさんへ
 えーっと。話が噛み合っるような噛み合ってないような、妙な感じと思います。
 
 アタシは「言語コミュニケーション(自然言語のコミュニケーション)の性質が、他のTRPG固有の性質、例えば『ゲーム中デザイン』(“ルール改変ゲーム”でも、リソースデザインでも)や『ワールドコンセプトの解釈』に関わるときにTRPGセッション固有の事象がたくさん生じる」と言っていて。(「【TRPGの定義】TRPGと自然言語の関わり」,当掲示板,カンナ記,2000年11月08日:01時40分47秒)
 一方、Myrtさんは「リソースをデザインしない自然言語要素は、大抵のマルチプレーヤーゲームに存在するのではないでしょうか」と言ってられるので、話はそこでは一致しているはずなのですが。(【ゲーム中デザイン】上位ルールの拘束,TRPG総合研究室 LOG 055,Myrtさん記,2000年11月06日:14時40分56秒)
 
 これは、やっぱり、「(TRPG)でのゲーム中デザイン」の評価や位置付けがどこかで、違ってるので、それが影響してるのでしょうか??
 
 「ババ抜き」の例示は、興味深い指摘でした。Myrtさんにとっては、一例示にすぎないかもしれませんけど。あえてババ抜きの事例からお話をはじめます。
 
 ババ抜きはコスティキャン定義の「ゲーム」ではないですね。
 ルールから判断すれば“ギャンブル”か「遊戯」ですし。プレイの実態も、疑似ゲームと呼ぶべきものです。行為選択はあっても厳密な意味での意志決定ではないからです。
 
 しかし、ババ抜きで自然言語のコミュニケーションが、ある種、ゲーム的な面白味に極似たプレイ感覚(それはアタシにもわかります)を生成してる、ってMyrtさんの指摘は興味深い事例です。
 ただ、議論の流れで言うと、「ババ抜きプレイでの疑似ゲーム性」は「ゲーム中リソースデザイン」とも「無限の選択肢産出」とも「理論上の上位ルールであるワールドコンセプトの多義性」とも違う機能であり、おもしろみですので。TRPGジャンルの定義詳細化とは関係しないと思われます。
 
 ババ抜きのプレイはルールからだけ判断すれば、意志決定は介在しません。
 
 でも、プレイの実態としてはルールの運用に、言語コミュニケーションが介在するので、その為に、疑似ゲーム性(行為選択の結果を確かめるときの面白味)も生じてるわけですね。
 しかも、それは、ババ抜きプレイの終盤へ向うに従って濃厚になる感覚なので「微細な」疑似ゲーム性と呼んでも構わないはずです。
 
#余談になりますけど。ババ抜きプレイの最終局面に演技が介在すると「ズルイ」って感じる人はいるかもしれない。
#でも、ババ抜きのルールからすれば、ルール違反ではない、と言わざるを得ないです(笑)。

 「自然言語のコミュニケーションを使用しなくてはプレイが不可能か?/使用しなくてもプレイすることは可能か?」
 これはTRPGとTRPGでないものを区別するための判断尺度です。
 正確に言うなら、「第一段階の選別尺度」と、考えてほしいです。
 TRPGジャンルの定義を考えるときには、定義の部分を構成する要素にすぎません。
 
 で、この第一段階選別は、誰でもが、具体に即して判断できます。
 とりあえずルール記述からの判断がくだせますから。
 妥当な作業手順として、ルール記述から判断を下すことはできます。
 
 「TRPGは自然言語のコミュニケーションを使用しなくてはプレイ不可能」としても、「非TRPGに自然言語のコミュニケーションを使用してもおもしろいもの」があっても矛盾しません。
 「『使用しなくてもプレイは可能』だけど『使用すればもっと面白い』」は「使用しないとプレイが不可能」とは、ルール記述から明瞭に別カテゴリー分別ができます。
 
 方法として、あくまでTRPG中心に考えます。
 目的はTRPGのゲーム性、プレイの実態メカニズムと他ジャンルのゲームのゲーム性、プレイの実態メカニズムがどう違うかを検討すること、です。
 
 ババ抜きのように「使わなくてもプレイできる」が「使ったほうがおもしろい」ものはともかく非TRPGとして分別します。
 少しでも言語コミュケーションを使わないとプレイ不能なものは「TRPGかもしれないもの」にまずは選別します。
 ただし、「ダウト」コールのような信号発信にたんじゅんに置き換え可能なものは、ここでは言語コミュニケーションとみなしません。
 これが第一段階です。「TRPGかもしれないものの絞り込み」です。

注)ここでアタシが「信号」と呼んでるのは、おそらくMyrtさんが「記号」と呼んでるものにほぼ等しいはずです(詳細で差違はあるかもしれませんがその辺は現在のところアタシには不明です)。
 逆にアタシが関連投稿で「言語記号」と呼んでいるものは、Myrtさんが「記号」と呼んでいるものとは別概念です。
 用語は思想を背景に背負っているので、用語系の強制のようなことは言いたくないのですが。
 しかし、自然言語と人工言語・論理言語の差違を検討するのならば、関連研究(この場合、言語学などを指しています)で理論的な裏付けのある用語系を導入した方が、整理の信頼性があがるはずです、って指摘はしておきます。
#アタシはTRPGのジャンル特性を理解するには、自然言語コミュニケーションの性質を理解することはとても重要と考えています。
 
 次いで、「TRPGジャンルの一般的定義(の詳細化)」では「ゲーム中デザイン⊃(ルール改変ゲーム∪ゲーム中リソースデザイン)」を組み込む必要がある、とみなします。←この検討が今の議論の本筋なんですよね(?)。
 
 何度か書いていますが、アタシ的興味、さしあたりは「ゲーム中デザイン(特にゲーム中リソースデザイン)と、『プレイヤーがゲームの目的を策定することもゲーム過程に含まれる』ってTRPGジャンル独自のゲーム性との関連」です。
 
 関連で、「ゲーム中リソースデザイン」は「プレイヤーがゲームの目的を策定すること」を支えてるって指摘しています。
 さらに「ゲーム中リソースデザイン」は、その実態が「自然言語のコミュニケーション(のTRPG独自の使用法)」のメカニズムに拠ってる、ってコメントもしています。
 言い換えれば、TRPGは自然言語のコミュケーションを使用しないとプレイ不可能・だから・ゲーム中リソースデザインも独特の融通が効く、と言っているわけです。
 支えてるのは自然言語的な連想などの意味生成機能によるし、実態も自然言語のコミュニケーションメカニズムに依存し拘束されています。拘束のされ方にもTRPGジャンル独自のものがあるはず、と考えられます。
 
 同時に、「ワールドコンセプト」が「上位ルール」のように機能するのも、TRPGのワールドが形式論理で構成された構成態ではなく、自然言語の多義性と示差性に基づいた構成態・だから・「“無限”の選択肢を産出しつつ、一定の拘束のもとで多義的な解釈の妥当/非妥当が判断可能」とのコメントもしています。
 これも言い換えれば、TRPGは上位ルールが自然言語言語<構造>態に基づいている・だから・ゲーム中リソースデザインも独特の融通が効く、ってことです。
 
 そして「ワールドコンセプトを理論上の上位ルールとみなせること」もゲーム中リソースデザインのスムースな運用を支えています。
 逆にシステムコンセプト「だけ」を上位ルールとみなすと、リソースデザインも機能不然をおこすことがあると思います(←この意見はここで新しく出しました)。
#もちろんシステムコンセプトは、多義性なんかがあっては困る論理構成態であることが期待されるものです。
 
 とゆうわけで、「ゲーム中リソースデザイン」と「理論上の上位ルール」についての説連が充分整理されれば、第一段階で選別した「TRPGかもしれないもの」から「TRPGとしか呼べないもの」の集合を選別できると考えています。少なくともこれまでよりは「TRPG・ならではのゲーム性」がはっきりするでしょう。TRPGのジャンル定義とは、「ならではの〜」がはっきりする概念、として考えられなければならないと思われます。
 
 同時に、「人間がGMをするものをTRPGとみなす」って部分的定義(定義候補を構成する部分)の詳細化でも、「自然言語コミュニケーションの(TRPG的)活用」って再定義をすることが妥当とみなせるようになるでしょう。
 
 ディプロマシーのようなゲームとTRPGとの差違は、SHiNさんが整理された、「異なる性質のゲームの混在」がさらに詳細検討されていって、相互作用まで明瞭化すれば、はっきり論じることができるようになるでしょう。(その場合のキーは、やっぱりさしあたりは「プレイヤーがセッション中にゲームの目的を策定してくこと」だと思います)
 
 多分、リソースの定義のされ方(定義の性質)がTRPGと他のゲームでは違うって観点が、議論を通じて、徐々に明瞭になって来ているところだろうなとも思ってます。これも、ディプロマシーのようなゲームとTRPGの差違を整理する面で期待をしてよいでしょう。
 
 TRPGLABOの過去LOGに書いたことがあるのですが(今回の一連の議論の関係ではありません)。例えばチェスのルールは自律した文章論理として書く事が可能です。TRPGのルールでも、判定系は論理的に書く事が期待されますし、例外を除けば、論理的に書かれていると思います。しかし、ワールド記述は連想の余地を(連想の方向性を示差コントロールしながら)書かれる必要があります。このため、ワールド記述は、システム外の言語要因を参照せざるを得なくなっています。チェスやババ抜きのルールのようには(あるいは三角形の定義のようには)、自律した文章論理として書かれてはいません。
 
 TRPGのルールテクストの内、ワールド記述は、たとえ個々の文には論理的に完結しているかに書かれたものがあっても、文章全体では、<メッセージ>性がどこかで生じるように構成されなければならないのです。
 <メッセージ>が生じるってのは、解釈の余地があるってことです。文章論理を追求された文には本来解釈の余地はありません。そして、チェスのルールなどはそのように書くことが可能です。
 
 TRPGのワールド記述での解釈の余地は、レトリックのテクニックで達成されるかもしれないし、文章構成の工夫(意味の余白を作る、など)で達成されるかもしれない。その辺は個別システムで違うでしょう。
 「定義の仕方が違う」、とはこうした事態を指しています。これはたんじゅんに根本解析で抽出できる意味(文意)とは違う性質の話なんです。
 構文解析をしても、意味が無決定になる(複数の解釈が同等に並立する)ような文章が、全体の構成やレトリックで、一定の方向に制限された連想-解釈の余地を生む。「自然言語の多義性に基づいたワールド設定記述」とはそうした特徴を指しています。
 繰り返しますがチェスのようなゲームのルールは(そしてTRPGでも判定系のルール記述は)、解釈の余地のある書き方をされては・ならない・のです。(←コレは、ババ抜きでも一緒です)

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2000年11月12日:02時44分38秒
【ゲーム中デザイン】Re: ゲーム中デザインと慣れあい / Purple
 すみません。2000年11月09日:11時39分48秒のmyrtさんの書き込み後半部の「慣れあい」とか「信頼」の話を進める前に、お願いしたいことがあるのですけど。
 この話は、もともと、2000年11月04日:14時54分28秒のmyrtさんの書き込みに対し、2000年11月06日:01時31分29秒に私が書き込んだことにより始まった話なのですが、本来、私が尋ねたかったことからずれてきてしまってました。

 --- 2000年11月04日:14時54分28秒のmyrtさんの書き込み
 GMはゲームバランスを考えて妥当なデザインをしようと試みています。そして、一度デザインすると滅多なことでは変えてはいけません。 PLはそのことを知っているので、妥当性の考えを左右したり、PCの意図を説明することによってGMのゲームバランスについての考えを左右することができます。

 いや、元はもっと単純な話なのです。よほどの理由がなければ、GMはPC を虐殺しませんし、PLは依頼シナリオで断りません。つまり、ある程度のなれ合いがあって初めてTRPGは成立します。だからGMは「ゲーム中リソースデザイン」をするときにそのなれ合い基準に従い、PLはその基準にそって不服を申し立てることができます。
 --- 引用ここまで

 これに対し、

 --- 2000年11月06日:01時31分29秒の私の書き込み
 それは、未定義リソースの話とは全く関係のないはなしです。
 ---

 と書きました。未だに、「プレイ中リソースデザイン」の話の途中で『いや、元はもっと単純な話なのです。』と述べて、「マスターによる無意味なPC虐殺」や「プレイヤーが依頼シナリオを断らない」という話が出てきたのか理解できていません。まして、「プレイ中リソースデザイン」の話と「慣れあい」の話に何の因果関係があるのか理解できません。
 myrtさんの頭の中では因果関係が構築されているのだと思うのですが、私には、これまで書かれてきた文章からは読み取れていないので、もう少し詳しく説明していただけませんか。
2000年11月12日:01時39分10秒
【TRPGの定義】マスターの手のひらで踊ってしまうことに何の問題があるのでしょう? / Purple
 --- 2000年11月09日:11時39分48秒のmyrtさんの書き込みより
 かなり前にゲームブックの例で上げたように、そのような状況は発生しえます。もう一度、その状況に対する私の主張を整理してみます。
 1.カバーできるようにGMがPLの行動を終始制限するなら、それはTRPGではない。これは一部の大まかな(最終的には必ず決戦に持っていくとか)、あるいは細かな(落し穴だ!!飛ぶか、ふちにつかまるか瞬時に選べ!!とか) 制限を指すのではなく、選択肢すべてをゲームブック的に制限することを指す。
 2.制限がなくとも終始GMの手のひらの上で踊っていたのなら、それはTRPGっぽくないと感じる。
#これは私の趣味であり、異論があって当然だと思います。
 3.TRPGの性質上、1.のような制限なしに「用意したリソースのみで完全対応した」というのは「用意したリソースと常識を用いてゲーム中リソースデザインがほぼ一意に、かつ即座にできた」場合を錯覚してるおそれがある。
 --- 引用ここまで
 1は私もRPGとは思っていません。私とmyrtさんのRPG観の最大の相違は2ですね。3の話はとりあえず、置いておきましょう。
 それで、「2の違いがあることによって、様々な意見の食い違いが生じている。」ということですね。そしてこの違いがある限り、やはり私の遊んできたRPGとmyrtさんのRPGは違う遊びなのだと思うのが正解のようです。
 それでも、謎は残ります。なぜ「マスターの手のひらの上で踊っているだけだとRPGらしくないと感じるのか?」
 私自身のプレイヤー経験では、「マスターの手のひらで踊っているのでRPGらしくない。」と感じたことはありませんし、「マスターの手のひらから飛び出そう。」とか、「マスターの想像の上の狙ってやろう。」とか「マスターを出し抜こう。」などと考えてプレイしていたことはありません。(「マスターが用意した敵を出し抜こう。」と考えてプレイすることはありますが。)
 また、「マスターの手のひらから飛び出さなければRPGらしくない。」という説や、「マスターを出し抜くために○○しましょう。」と言った遊び方を説明した文章を、RPG雑誌で読んだこともありません。
2000年11月09日:20時19分07秒
【GMのゲーム】Re:ゲームマスターは、ゲームデザイナーとゲームプレイヤーを兼任している / 匿名希・望

とりあえず、こっちの方にお答えします。

>>この立場から言えばシナリオを作る行為は「世界観・システムコンセプトの枠内で製作する」という「ルール」を守りながら、
>>NPCや舞台、といった「トークン」を操作(シナリオ段階では初期配置のみだが)しつつ、
>>話を面白くするという「目標」達成を目指す「意思決定行為」です。
> 
>という話も別に納得できないものじゃありません。
>が、その逆に、なぜこれを「ゲームデザイン」として匿名希・望さんが納得することが出来ないのか?というのが私にとっては謎です。
>もし、ゲームデザインが「創作」であり、ゲームをプレイするという事は「創作」ではない、と考えてらっしゃるのであれば、それは違うと指摘したい。
>(似た様な主張として、TRPGはゲームであり、物語創作ではないという主張もよく聞くので、匿名希・望さんの主張がそうでなくても無駄な書き込みにはならないでしょうし)

え〜と、こういう比喩でわかって頂けるどうかわかりませんが、「ボクシングと殴り合いの喧嘩は違う」というレベルでの「違い」です。
「殴る」という行為そのものでの話なら問題なく通じるんですよ。
#この場合、SHiNさんの言うところの「ゲームデザイン」が「殴る」にあたりますが

いってみれば、「GMはゲームデザインに類する行為を行っているが、TRPGの枠(俺の定義するところで、ですよ)の中でゲームデザイナーである訳ではない」ということです。
ゲームデザイン行為をしていないというわけではありませんよ。
ただその「ゲーム」は「TRPG」というゲームそのものではなく「TRPG内ゲーム」であるという事です。

俺の立場からの具体例を挙げればGMがSWのシナリオで山賊退治ものを作ったとします。
この時「山賊退治」そのものは「(T)RPG内ゲーム」な訳です。
でも「(T)RPG」そのものの目標は「冒険物語(まあ他のタイプのお話の可能性もあるがSWではこれが基本でしょう)」を面白い形で生成させる事です。

単に「バカな行動をして山賊に負けました」じゃ「話が面白くない」から「負け」なのです。
「山賊退治に失敗したから負け」ではないんですね。
同様に「山賊がバカでよわっちいので勝ちました」でも「負け」です。
#それでも「冒険物語」として面白ければ別ですが・・・
それはゲームとしてつまらないから駄目というのではなくて、TRPGの勝利条件を満たせなかったから「負け」なのです。
#ただこの「面白い」というのは「ゲームシステムが想定し、かつ参加者が想定している物語のタイプにおいて」の「面白さ」です

大抵の物語において主人公達が向かい合う課題は、それ自体が物語世界の世界法則をルールとしたゲームと見立てても面白いものであれば、物語も面白いと感じられるものではないでしょうか?
#逆は真ではないが

そういう意味でGMにゲームデザイナーの技能が有ればそれに越した事はないですが、GMはゲームデザイナーではないという訳です。
2000年11月09日:11時39分48秒
【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい / myrt
(Re:2000年11月09日:01時31分55秒【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい / Purpleさん)
> そうして、精度が高くなった結果として、「ある日のプレイで、予測に基
>づいて用意していたリソースのみでプレイヤーの行動をカバーできた。」と
>いうことは十分発生します。

かなり前にゲームブックの例で上げたように、そのような状況は発生しえます。 もう一度、その状況に対する私の主張を整理してみます。

1.カバーできるようにGMがPLの行動を終始制限するなら、それはTRPGでは ない。これは一部の大まかな(最終的には必ず決戦に持っていく とか)、あるいは細かな(落し穴だ!!飛ぶか、ふちにつかまるか瞬時に選べ!!とか) 制限を指すのではなく、選択肢すべてをゲームブック的に制限することを指す。

2.制限がなくとも終始GMの手のひらの上で踊っていたのなら、 それはTRPGっぽくないと感じる。
#これは私の趣味であり、異論があって当然だと思います。

3.TRPGの性質上、1.のような制限なしに「用意したリソースのみで完全対応した」 というのは「用意したリソースと常識を用いてゲーム中リソースデザイ ンがほぼ一意に、かつ即座にできた」場合を錯覚してるおそれがある。

TRPGを楽しむ、という観点からだけなら1.と2.で十分なのですが、TRPGの定義 につっこむなら3.の観点が必要です。

「用意したリソースのみで完全対応」という場合、「交渉がうまかったら 200goldまでまける」などのアバウトな記述は許されません。「宿屋の親父 は気のいい親父だが、騒動がおきれば剛腕で収めてしまう」なんてのも 駄目です。前者では「交渉セリフに以下リストの文字列が含まれていれば 10gpずつまけ、上限は200gp」のように記述しなければいけませんし、 騒動の開始判定、収める手段それぞれのトリガ、終了判定などが必要です。

PLの発言を構文解析にかけて意味を抽出できると仮定したとき(最近では結構いい ところまで来ているようです)、それに対応した反応がたまたま用意されており、 それが最後まで続かなければならないのです。

さらにつっこむならば、確率が低いが起こりえることを起こらないと決定した とき(思いもつかなかった場合も含む)、それさえデザインしていると言えるかも しれません。例えば重戦士が桟橋に乗ったとき、体重で底が抜ける可能性につい て誰も思い当たらなかった場合と、戦闘が発生して思い当たった場合を比較して みましょう。このとき、前者が無意識に「この場合桟橋は底が抜けない」とデ ザインしているとは言えないでしょうか。
#このあたりは、鍼原神無さんが「潜在的にデザインの機会は存在する」の ように表現されていたかと。

CRPGと比較すればよくわかります。CRPGでは製作時に、「移動可能オブジェクト、 グラフィックは桟橋」もしくは「移動可能かつ破損しうるオブジェクト、グラフ ィックは桟橋」のどちらかにデザインしているはずです。そして、設定しなかった ことは決して起こりません。
#他にもたくさん可能性はあるが。

このようなシナリオソースはところどころに配置すれば 効果的ではあるものの(例えばソードワールドのシナリオ集に、説得内容を 機械的に評価する試みがありました)、 すべてこのような配置をするのは効率が悪いだけでなくコンピュータゲーム的 であると思います。

> もっとも、そういう(マスターは異常者じゃないはずという意味での)
>「信頼」なら、日常生活のあらゆるところで「信頼」があるので、深い意
>味(RPG独特の現象とか特長などの意味)はありませんね。

すでに一度主張しましたが、これはTRPG独特です。なぜなら、 一般の(特に記号記述可能な)「ゲーム」ではルールを守っている限り 無茶をしてもゲーム内のバランスが保たれるようにデザインされてい るからです(ゲーム外の人間関係バランスが壊れる人はいる)。 無茶されがちなオリンピック競技などは、偏執狂気味なまでにルール が設定されていることは広く知られています。

ところが、TRPGではそうはいきません。なぜなら、「無意味な虐殺」が どの程度のものであるかということすら定かではないからです。「依頼 シナリオ」の例でいくならば、「こんなあからさまな罠にかかる 奴は殺されて当然の過失を犯している」と思うGMだっているのです。 PCはその疑いがあるからこそ、怪しい依頼に対しては慎重に振舞い ます。このようなシチュエーションはTRPG的で楽しいと思う人もいますし、 そうでない人もいます。

そこで「上位ルール」の出番である、という話になっているのだと思うのですが。
2000年11月09日:01時31分55秒
【ゲーム中デザイン】Re:ゲーム中デザインと慣れあい / Purple
 --- 2000年11月07日:12時23分06秒のmyrtさんの書き込み
 全く違います。ここでは「問題の解決方法に対する未定義リソースの定義」のことを指しています。無限にある渡河方法に対応できるリソースをあらかじめ定義しておくことが、有限時間内に可能なんでしょうか??
 --- 引用ここまで

 確かに、全ての可能性を検討し、検討した全ての可能性に対するリソースを用意することは不可能です。

 しかし、部分的にはプレイヤーの行動を予測することが可能です。そして、マスターとしての技量が高くなれば予測の精度は高くなります。
 そうして、精度が高くなった結果として、「ある日のプレイで、予測に基づいて用意していたリソースのみでプレイヤーの行動をカバーできた。」ということは十分発生します。
 myrtさんの主張する「RPGには未定義リソースのプレイ中デザインが必須である。」という説だとこれはRPGにはなりません。つまり、発生しそうな可能性を追い、がんばって細部を設定すればするほど、RPGでない何かに近づいていくということです。これって違和感を感じませんか?

 --- 引用開始
 Purpleさんは、「逃走するかもしれないシナリオで、逃走経路について設定してないなんておかしいじゃないか」という意見なのだと思います。違うのですよ。これは「無限にある選択肢の中から、たまたまリソースを設定していなかったものを選ばれた」例なのです。妥当性について想像しやすいように「普通のGMなら即座に判断できる」例にしてあるだけで、「じゃあ設定しとけよ」というのは筋違いなのです。
 --- 引用ここまで

 う〜ん。なるほど、「たまたま」ということなら、あまり深く考えないほうが良いということですね。
 この話はもともと、「2000年11月04日:14時54分28秒のmyrtさんの書き込みで、プレイヤーの意見がマスターのプレイ中リソースデザインに影響を与える。」の例として出てきた話なのですが、余りにもありえそうに無い(myrtさんの引用にも「たまたま」とあるぐらいにありえそうに無い)例だったので、つい、質問してしまいました。
 個人的には、もう少し現実味のある(たまたまではない)例を用いていただけるとうれしいです。妥当性を想像するための例として、現実味の低い例を出されても、妥当性を想像できないのですよ。
 
 --- 引用開始
 というか、「GMはPCを無意味に虐殺しないだろう」ということ自体が信頼に基づくとすでに主張したのですが、それについてはどうお考えでしょうか??
 --- 引用ここまで

 「信頼」とか「慣れあい」とかを持ち出すまでも無く、マスターがRPGを楽しみたいと思っているのなら、意味のない虐殺などしないと思います。もっとも、「マスターが異常者でないはずだ。」という信頼が必要かもしれませんが。(最初の(2000年11月06日:01時31分29秒)の書き込みで、同様のことを、言及したつもりなのですけど。)
 もっとも、そういう(マスターは異常者じゃないはずという意味での)「信頼」なら、日常生活のあらゆるところで「信頼」があるので、深い意味(RPG独特の現象とか特長などの意味)はありませんね。
2000年11月08日:18時48分42秒
TRPG総合研究室 LOG 055 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 055として2000年11月02日から2000年11月08日までのログを切り出しました。


2000年11月08日:12時49分06秒
【ゲーム中リソースデザイン】TRPGとサブゲーム / myrt
(Re:2000年11月07日:16時13分08秒【ゲーム中リソースデザイン】リソースデザインが行われる 過程で存在する二つのタスク / SHiNさん)
>しかし、それはゲームマスターの補佐(※1)という作業でしかありませ
>ん。「ゲーム」では無いのです

私もそう思います。だから、「TRPG全体はゲームではない。PCを扱うという サブゲームを成立させるために、ゲームマスターの補佐部分は切り 離す必要がある」と考えています。そうすれば「PCを扱うというサブゲーム」 に対しては、PLはトークンを通じてのみプレイに参加しているのでそれは「コステ ィキャン的ゲーム」として扱うことができる、と考えています。

>ところで、先ほど述べた<タスク2>においてプレイヤーが自身の目的を達
>成するために影響力を行使するという事についてですが、確かに、通例とし
>てこれはプレイングテクニックとして広く認知されています。

ちょっと違うと思います。TRPGでは<タスク2>【2】をPLが用いること は「GMがよほど気に入らない決定をした」ときだけに制限されています。 ところが、PL全員より賢く、妥当でほとんど不満のないリソース作成能力の あるGMはちょっと少ないです。その結果、「不満なんだが、GMが決めたんだし、 絶対にありえない決定ではないので我慢する」ということがあります。

だから、PLは<タスク1> 【3】の段階で 先回りし、「もちろんGMは知っているとは思うが、このときはこの場合が多い」 とか「例えばこのようなリソース設定をした場合には、このような副次的効果 があるがもちろんGMは考え済みだろう」などの発言を行なうわけです。

これは「GMが妥当な判断を下すための補助」に行なうためのものですが、 実際にはPLの判断の根拠の説明です。したがって採用されるとPCにとって 有利になる場合が多くなります。もちろん悪用はいけませんが。

また、これをやった場合、GMが意見を採り入れなかったからといって同根拠 で<タスク2>【2】でかみつくのは反則でしょう。

ただこれらは「PCを扱うというサブゲーム」を「コスティキャン的ゲーム」 として扱おうとする場合に留意すべき点であり、「話をドラマチックに 盛り上げるんだ」という立場では異なった意見になると思います。
2000年11月08日:12時07分28秒
【ゲーム中デザイン】Re:上位ルールの拘束 / myrt
上位ルールを分類することが必要なのではないでしょうか。 これらは排他的でなく、重複する部分を持っており、競合することもあります。

・ゲームコンセプト:例えば、PARANOIAには適したプレイスタイルがある。
・ワールドコンセプト:背景としてのリソース源。
・実世界:ワールドコンセプトに特記されていない点は、実世界と同じか、 ワールドコンセプトと実世界の境目であると考えられる。
・プレイスタイル:参加者それぞれのプレイスタイル。慣習。

適当にあげましたが(もっとあると思います)、簡潔に表すことができれば 上位ルールの共有、 ひいてはトラブル防止に役立つのではないでしょうか。事実、PARANOIA卓な んて立てるときには「システムはPARANOIA、裏切りゲームです。ま たPCは頻繁に犬死にします。」などと注意すると思いますので。


気になってるのですが、「ルール改変的ゲーム」でのPLの目的はなんでしょう か。「勝つこと」であれば、ルール改変例をあげるなら「非拘束名簿方式」を あげるべきだと思います。ところが、実際には「世の中をよりよくすること」とい う目的もかかげているため、政治は迷走しています。このあたり、「PCが勝つ こと」と「プレイ全体をよりよくすること」の関係と似ていて面白いです。
2000年11月08日:11時40分11秒
【TRPGの定義】TRPGと自然言語の関わり / myrt
ものすごい誤読起こしてました。
(2000年11月08日:11時22分54秒Re【TRPGの定義】TRPGと自然言語の関わり / myrt)
で力説してる説明部分は見なかったことにしてください。

しかし結論は変わりません。ババ抜きで残り2枚の とき、「ぐいぐい。離せよ。こっちが欲しい。」「隣にしない?? 隣に。」とやったとき、その意図はばっちり伝わり、3人目の人は「ジョー カーを引く心配はないんだ!!」と考えるでしょう。やはり、ディプロマシーを 含めたマルチプレーヤーゲームには程度の差はあれ自然言語要素があり、それが 欠落してもゲームが遊べるが、やはり展開に影響が出ると思えます。
2000年11月08日:11時22分54秒
Re【TRPGの定義】TRPGと自然言語の関わり / myrt
(Re:2000年11月08日:01時40分47秒【TRPG の定義】TRPGと自然言語の関わり / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん)
>アタシの意見のスターティング・ポイントは「他のほとんどのゲームジャンル
>では自然言語のコミュニケーションを使用しなくてもゲームプレイは可能」です。

どの程度で「プレイ可能」と見るかが岐路だと思います。ゲームとして成立 するかどうかだけを見れば、ディプロマシーだって記号だけでプレイ可能です。
#逆に、リプレイを見ると記号化を前提にしたゲームだと思います。

ディプロマシーでは密談と公言が可能であるという特徴がありますが、 これはトークンに直接関係ないと割り切ることもできますし、専用の 外交符帳を用意して記号処理することもできます。

それはきっと面白くありませんが、私は大抵の卓上マルチプレーヤーゲームで は自然言語会話を排すると、同様の面白さの欠落が程度の差はあれ 起きると思います。
#ババ抜きだって、黙ってやるときっと面白さが減る。

逆の例なのですが、自然言語会話を制限したボードゲームがあるそうです(またもや 伝聞かつ名前失念...)。「カタンの開拓」に近い「リソースを取り引きする必要 がある」ゲームなのですが、この特徴が「欲しいリソースを提示するか、 あげるリソースを提示するどちらかしか意思表示できない」というものです。 たぶん「それに応じて提示された取り引き案の中からマシなものをどれか必ず 選ばなければならない」んだと思います。もちろん自然言語会話で示唆することは 御法度でしょう。

また、「カタンの開拓」では「リソースの貸し借りは禁止」とルールに明記 されています。つまり、「ルールには貸し借りがないにもかかわらず、 自然言語による交渉では貸し借りの関係が発生する可能性があり、それが ゲームに重大な影響を与える」ことを先回りして防止しているのです。 事実、我々はプレイに影響を与える変則交渉を盛んにやっています(リソース やるから今トップ妨害してくれとか)。これが禁止されれば、またバランスが変わるでしょう。

つまり、ディプロマシーでの自然言語会話は、記号化できる 提案(交渉成立前と成立後の盤面で記述、あるいはその類)と記号化 が難しいもの(とりあえずヤツと敵対してほしいとか)、説得のための 状況説明(ここにあるヤツのコマは奇襲用に違いない)が主であり、 これらは他のマルチプレーヤーゲームでも見られるものではないでしょうか。 私の意見は以下のとおりです。
「大抵の卓上マルチプレーヤーゲームには自然言語会話の影響がある。 ディプロマシーは、それを欠落させるとゲームが飛躍的に面白くなくなる ひとつであるにすぎない」

それ以前に、「じゃあシビライゼーションは??」だけでも良かったかも しれません。

シビライゼーション:「貴国は非常に栄えていて我が国の国民のねたみを 買っており、このままでは戦争になってしまう。国民のねたみを抑えるには、 100goldを融資してもらうしかない」とか平気で言うゲーム。
2000年11月08日:01時40分47秒
【TRPGの定義】TRPGと自然言語の関わり / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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>myrtさんへ
 「リソースをデザインしない自然言語要素が、大抵のマルチプレーヤーゲームに存在するか」どうかについて。
#「【ゲーム中デザイン】上位ルールの拘束」 (myrtさん記,当掲示板,2000年11月06日:14時40分56秒)
 
 えっと、これは、アタシ的なポイントは、「自然言語要素のメカニズムの、TRPG独自の機能、プレイへの関与の仕方」です。
 だから、仮に「リソースをデザインしない自然言語要素が、大抵のマルチプレーヤーゲームに存在する」としても、「プレイへの関与の仕方」にはTRPG独自のものがある、と考えています。
 
 その辺の「TRPG独自の関与の仕方」が、「TRPGジャンルについて一般的定義の詳細化」の場合は、微妙なもんだいに関わってくはずです。
 今のところの議論には、間接的にしか関わって来ませんが、簡単にお応えしておくことにします。
 
1.「言語コミュニケーション(自然言語のコミュニケーション)の性質が、他のTRPG固有の性質、例えば「ゲーム中デザイン」(“ルール改変ゲーム”でも、リソースデザインでも)や「ワールドコンセプトの解釈」に関わるときにTRPGセッション固有の事象がたくさん生じる。(←これ「だけ」ではmyrtさんの意見とバッティングしませんが)
 
2.「マルチプレーヤーゲーム」に多くのカードゲームや、ボードゲームを含めれば、「大抵のマルチプレイヤーゲームでは」と言い難いのではないか?(←こちらの論点は、まぁ、水掛け論になっちゃうはずなので、あまり拘る気はないです)
 
 アタシの意見のスターティング・ポイントは「他のほとんどのゲームジャンルでは自然言語のコミュニケーションを使用しなくてもゲームプレイは可能」です。
#「【ゲーム中デザイン】ゲーム中リソースデザインとTRPGの定義」 (カンナ記,当掲示板,2000年11月06日:09時24分15秒)
 
 他ジャンルのゲームで、実際のプレイに言語コミュケーションの要素が介在する場合があるものでも、「多くは介在させなくてもプレイは可能」とは言えます。
 
 Myrtさんは、この辺適確に捉えられているはずですが。横やりからの余分な議論を避けるために書いておきます。
 例えばカードゲーム「ダウト」の「ダウト」コールは、自然言語を使ってはいますが、言語コミュニケーションとしては極端に性質が限定されたものです。

 極論風の冗談をいえば、アレこそが「情報伝達」のあるべき姿と言えます(笑)。
 きちんと考えるなら「ダウト」のコールがスムースに機能するのは、「今はカードゲームの『ダウト』をプレイしてるんだ」って状況依存の判断があって成り立つ、と整理できます。
 
 ただし、この状況依存判断は明瞭ですし。「今は『ダウト』をコールしたほうがよいかどうか」、って意思決定の判断尺度にも数値的・確率論的なものが一応はあります。
#「カタンの開拓」はアタシ、プレイしたことがないので(それどころかルールも知りません)「カタンの開拓」の交渉、とはどのような性質のコミュニケーションでゲーム上の機能はなんなのか、推測もできません。
#一応、「〔ゲームプレイに:カンナ補記〕言語コミュニケーションを介在させる限り、介在の度合いに応じて、自然言語の<構造>的性質に拘束されざるを得ない」でフォローは可能なはず、って理論的な推測は持っていますが。(【TRPGの定義】『ジョンとメリーが殺されました』,カンナ記,当掲示板,2000年11月06日:09時19分06秒
 
 普通(自然言語の)言語コミュニケーションと言えば「『情報伝達要素』とそれ以外の要素(相互了解要素)の複合」を指します。メカニズムは<コードコミュニケーション>と<メッセージコミュニケーション>が複合した相互作用で整理されます。
 ですので「ダウト」での「ダウト」コールは、普通言語コミュニケーションの事例には入れません。入れるとしても極限例です。
 
 TRPGセッションでの「3D6して」とか「修正値は『−2』です」も「ダウト」での「ダウト」コールと同様、情報伝達性のもので、ほとんどが<コードコミュニケーション>です。
 
 これが、「このバリケードは木だから『−2』の修正値では少なくないですか?」だとゲーム中リソースデザインの領域に関わるコミュニケーションになります。
 
 「机をバリケードにしたって言ったじゃん、今、学校の机っつったら木なんか使ってないもんね」とかゆー話になると、もー、ワールドの多義性の領域の話です。「不満だ」的な<メッセージ>も生じてます(笑)。
 
 ここで、GMが「いやこのシナリオで舞台にしてる地方の学校ではまだ木の机を使ってる」と裁定すると、これは多義的なワールドの解釈妥当性の判断です(イヤ、ホント:笑)。
 
 例え、この辺がゲーム前リソースデザインで処理されてても、「じゃ、木の机ならバラして松明にも使えるね、眼前の敵はゾンビだもん」「いや、あんな木材、よっぼど砕いてガソリンでもぶっかけなくちゃ松明にはなんないよ」などなどとなってくと、やっぱりリソースの多義性のもんだいです。(「メガテンTRPG」と思ってください:笑)
 (この場合、アタシも木材の一端に布でも巻いて、そこに液体燃料を浸さないと松明にはならない、と思いますが、その辺はここではどーでもよろしい:笑)
 
 このTRPGでの事例は大雑把な例示です。たんじゅん化してますし。すでにSHiNさんが明瞭に整理されていますし(「【ゲーム中リソースデザイン】リソースデザインが行われる過程で存在する二つのタスク」 ,SHiNさん記,当掲示板2000年11月07日:16時13分08秒
 
 ほんとは、もっと根本的で微妙なもんだい事例はいくつもあげられます。
 
 そうですね、例えば、海外TRPGのアライメント解釈の事例とかです。good/evilを英米語での解釈と同質な解釈でもって日本語プレイができるか?(プレイしたら行為選択の判断尺度は変質しないのか?←コレも一例です)とか、そーゆー事態の方が、より根本的です。
#例えば、一例として「『ルーンクエスト』での『ヴォラランの個我についての解釈』」って話題を挙げることができます。
#「補足:Re:Re:ヴォラランの個我についての解釈」 (TRPGのための心理学設定の部屋,カンナ記,2000年04月26日:20時59分33秒)、を参照してください。
#関連の話題は、「総体意思との霊的会話」 (TRPGのための心理学設定の部屋 LOG 003,ムーさん記,2000年04月23日:03時08分20秒)、からスタートしています。
 
 言語コミュニケーションを介在させないとプレイ自体が不可能なTRPGの場合、当然のように、その影響の仕方に独自なものが見られます。(もんだいはそのメカニズムをどのように位置付けて整理してくと有効か、なのですが)
 
 現状、コンピュータはチェスを充分以上にプレイすることもできますが、TRPGは満足にプレイできません。
 多分、今でもコンピュータは、将棋、チェスほどは得意でないはずですが。これは将棋はチェスより想定しなくてはならない選択肢の数が多いから、であるはずです。
 
 しかし、コンピュータがTRPGをプレイできないのは「想定しなくてはならない選択肢の数が多いから」・だけ・ではありません。コンピュータは、現状、情報伝達の<コードコミュニケーション>・すら・限定された型のもの・しか・できないから、TRPGはプレイできないのです。
 
 文脈読解や、連想や、<メッセージ>解釈が充分に扱えるコンピュータが誕生したらTRPGをプレイできる可能性も生じるのではないでしょうか。(この辺の可能性は、多分、自動翻訳システムの関連に詳しい方が、はっきりしたご意見をお持ちでしょう。人工知能も関連するでしょうが、自動翻訳システムの方が、言語コミュニケーションのより原理的なもんだいと取り組んでいる面があるはずです)
 
 TRPGの場合、自然言語による拘束は、例えば、「ゲーム中リソースデザイン」への関与(無定義なのか、多義的なのかとか)や「“上位ルール”にあたるものの妥当な解釈方法」にも関わります。これらがプレイの出来不出来やセッション内容を左右してしまうことは、TRPGジャンル独特の事象と言えます。このような「自然言語が他の要素に関わる関わり方」にTRPGのジャンル特性をみることができます。
 
 で、アタシは、「TRPGの場合、システムコンセプトよりワールドコンセプトの方が、より上位だろう。なぜなら、システム的なルール調整・補完・改変の妥当性がシステムコンセプトから判断不能な場合には、ワールドコンセプトが参照されざるを得ないから」、そして「TRPGのワールドコンセプトは自然言語の多義性のメカニズムに則った意味作用を持っている」って観点なわけなのです。(ほかにもいくつかありますが、この判断を基本にすえると効率よいと、今は思っています)
 
 例えば、あるウォーSLGで「ルールにユニットのスタックはしない」って明記されてた場合。
 「スタックをしてもよいことにしてプレイしよう」ってことで遊んだらこれは文字どおりの“ルール改変”です。厳密に言ったら改変されたものは別ゲーム(ゲーム性が違ってくる)です。
 だいたい、この事例だとゲーム前に改変されるべきですし。
 
 ゲーム中に、「戦車のユニット同士がスタックしないのは妥当だけど、歩兵のユニット同士はスタックすることだってあるのではない?」「だって、このヘックスは一片5mを表してるのでしょ?」とか言ってもダメです(笑)。
 
 しかし、TRPGの場合は、常にではありません(いろいろな条件は必要です)が、ワールド解釈の妥当性に基づいた、ゲーム中のルール補完や調整(←「ルール改変ゲーム」オリヂナルの考え方では、少なくとも補完は<改変>に含まれます)は許容されることもあるでしょう。
 
追記:そっかー「ジョンとメリーが殺されました」は、Listさんの「D&D専科」でしたか。アタシ、今度読んでおきますね(時間かかると思います)。
#「ジョンとメリーが殺されました」について、今とこアタシがつけてるコメント、きっとListさんの意図とは違った角度からのコメントだろうな、とは思っています。

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2000年11月08日:01時34分13秒
【ゲーム中デザイン】Re:上位ルールの拘束 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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>myrtさんへ
@myrtさんWrote(「【ゲーム中デザイン】上位ルールの拘束」 当掲示板,2000年11月06日:14時40分56秒
>「理論上」は必要でしょうか。なぜなら、この拘束そのものが概念的な存在であり、拘束がうまく働かずセッションが崩壊するような場合でもなんらかの拘束(参加者全員と環境に依存)が存在するはずであるからです。
 
 うん。「でもなんらかの拘束が存在するはず」それはそうですよね。潜在してるって感じのときに、もんだいが生じ易いって説明も可能です。
 けど、これはいくつかの理由から「理論上は」の限定は今のところ、つけておいた方がよいでしょう。主に三つの理由を挙げれます。
 
1.実際のルールブックでは「上位ルール」にあたるものが不明瞭なことが多いから
>この考え方〔←ルール改変ゲームの考え方:カンナ補記〕でTRPGをみてみると、デザインコンセプトにあたるものを上位ルールと見なしてもよいのだけど、上位ルールとしては記述の明瞭さが足りない傾向が顕著。結果ルール改変ゲームは、慣習への依存度が高くならざるを得ない。
 >そーゆー感じでのセッションが多い、と言えるように思っています。
#「【TRPGの定義】Re:2つの主張」 (TRPG総合研究室 LOG 054,カンナ記,2000年10月30日:12時05分18秒)
 
 特に、実際・個別のセッションでのトラブルは、「ゲームとは何か」とか「TRPGとは何か」とか「このシステムはどんなシステムか」とかについて、プレイ環境に拘束された慣習や経験的理解の差違から、「上位ルールとみなすもの」の解釈妥当性が疑問視されるときに生じがちと思います。(実体験でもそう思いますし、NET上の議論でも目立つと思います)。
 
 「上位ルールにあたるもの」を参照するにしても、その明瞭さの実態はシステム――、もっと具体的に言ってルールブックの記述や構成の出来不出来にすごく左右されてます。
 
 また、場合によっては、「シナリオがワールドのどの要素に重点を置いて、どんな切り口を打ち出しているか」の解釈妥当性をGMが充分に説明できないで、トラブルが生じることもあります。もちろんプレイヤーが偏った理解や早飲み込みをしてトラブルにつながることもあります。

 特に、コンベンション環境で言われるもんだいには、このような背景「も」目立ちます。(コンベンション環境ではキャンペーンは常態ではないって事情も大きく関わってるはずですが)
 
「なんらかの拘束」があるはずなのですが、それが個別のシステムやシナリオごとになんであるのか、どう解釈されるべきなのかが充分に整理されないで、原則だけが主張されたら、新たなトラブルも生じることでしょう。
 
 ですので、「『TRPGジャンルの一般的概念規定を詳細化する場合の議論』と『(たとえ左記の議論を踏まえたものでも)個別・実際のセッショントラブルへの対策を考える場合の議論』とでは、一般性や抽象度の程度が違う」ってことを強調するために、「理論上は」と留保された方がよいです。(←これが「【ゲーム中デザイン】ゲーム中リソースデザインとTRPGの定義」で触れた論点の主要ポイントです)
#「【ゲーム中デザイン】ゲーム中リソースデザインとTRPGの定義」 (カンナ記,当掲示板,2000年11月06日:09時24分15秒)
 
2.「ルール改変ゲーム」の“ゲーム”とは何か
#このポイントはさしあたりは緊急でもないです。でも一括して書いておくと便宜がよいので記しておきます。
 
 「ルール改変ゲーム」の考え方は一部の法哲学・法思想と、言語行為論ってコミュニケーション理論で活用されています。
 この場合の「ゲーム」は意思決定論的な「ゲーム」と別概念が前提にせれざるを得ません。

 マーケッティングリサーチなどの「意思決定論的ゲーム」の概念でフォローできる部分は決して少なくはないと思われますが。それ・だけ・では説明しきれない部分もあります。
 例えば「環境汚染」とか「脳死」とか「性同一性障害」とか、旧来の法体系や<コード体系>が前提としていなかった事態への対処(法的対処)が求められるとき、「上位ルールの解釈(再解釈)」がもんだいとされます。

 こうした場合でも、特に「上位ルールの法的解釈」は論理的なものでなければ困るのですが。その場合の「論理性」も、マーケッティングリサーチでの「ゲームの理論」が意思決定で前提にしている“論理性”とすら性質が異なります。(より柔軟とゆうか、アタシ的にいえば自然言語の範疇での論理性です、形式論理性では扱いきれないと思います、、、この辺は法思想の方でも諸説あるとは思われますが)

 で、「ルール改変的ゲーム」オリヂナルの考え方での「ゲーム」はアタシの知ってる限り「妥当な解釈によるルールの適用とその運用」以上の“定義”(意味限定)はされていないようです。

 そりゃそうでしょう。法の運用やコミュニケーションのもんだいを考えるなら、もっと考えなくてはいけないことありますし。その範疇では「ゲーム」の定義、それで充分ってことになります。(慣習も“ルール”に含めるってあたりが、「ゲームの理論」やコスティキャンでは不明瞭な点でしょうか)
#この辺のもんだい、数学的な「ゲームの理論」や行動科学では、高度な意思決定のもんだいとして扱ってるとか、扱おうとしてるとかって、話は聞いたことはあります。でも、アタシはそうした高度な意思決定の考え方をTRPGに応用して論じたジャンル論はみたことがないので、置いておきます。
 
 とゆーわけで、「ルール改変的ゲーム」が前提とする“ゲーム”は、コスティキャン式とも「ゲームの理論」の“ゲーム”概念とも、違う性質の概念です。
 ですから、コスティキャン式なり「ゲームの理論」なりの意思決定と、「ルール改変的ゲーム(含む『上位ルールによる拘束云々』)」を理論として本格的に統合するなら、前提のところで“ゲーム”の概念を拡張・再定義しなくてはならないと思われます。少なくとも再検討は必要です。
 「上位ルール(にあたるもの)による拘束」の仕方・性質だって、分野毎に違うと思いますし。

 ちなみに、コスティキャン式のゲーム概念だと「ルール改変ゲーム」オリヂナルの考え方で言われるような「上位」とか「下位」とかって言い方は無意味なはずです。数値的・論理的に整合し、完結・自律したシステムに「上位ルール」は参照用としても不要です。(「基本ルール/オプションルール」の分け方とかは「上位ルール/下位ルール」の分け方とは別の性質の考え方です)
 
 このポイントは「ゲーム中デザイン」概念の内容整理と有効性をすごく左右するはずです。
 そうゆうわけで、厳密には、「理論上『ルール改変ゲーム』の考え方が参考になる」とされるべきです。
#この関連は、SHiNさんの「【ゲーム中リソースデザイン】リソースデザインが行われる過程で存在する二つのタスク」 (当掲示板,2000年11月07日:16時13分08秒)、で適確に扱われています(特に文末の注)。
 
3.ルール改変手続きの不明瞭さ(TRPGの場合)
>法律では、「ルール改変」の妥当性を判定するためのルールも予め明示されていますしね。
#「【TRPGの定義】Re:コスティキャンとルール改変ゲーム」 (カンナ記,当掲示板,2000年11月02日:08時49分10秒)

 このポイントは「1」「2」で指摘した理由それぞれに関連してます。

 実際のTRPGを「ルール改変ゲーム」としてプレイしようとしても、「『ルール改変』の妥当性を判定するためのルール」がすごく不備なものの方が多いでしょう。
 ですので、ここでも「理論上『ルール改変ゲーム』の考え方が参照される」とされるべきです。

 実は、このポイントは「『ゲーム中のルール改変』:TRPGでも、一般ゲームでも禁止事項」としているmyrtさんの観点では無意味になるはずです。
#「【ゲーム中デザイン】Re:2種類のゲーム中デザイン」 (myrtさん記,当掲示板,2000年11月04日:14時54分28秒)
 
 アタシも、TRPGで普通許容されのは、文字どおりの「ルール改変」ではなくって「ルール調整」とか「ルール補完」とかだろう、とは思います。「根本的にルールを改変したら、それは別ゲーム」ってことはよくありますので。(しかし「ルール改変ゲーム」オリヂナルの考え方では、少なくとも「補完」は<改変>に含まれます)

 しかし、その辺の詳細は「TRPGジャンルの一般的定義の詳細化」の議論では、なお検討が必要です。
 
追記:結局、アタシは「ゲーム中デザイン」関係の議論、「TRPGジャンルの一般的定義」の文脈で、まずは「プレイヤーがゲームの目的をセッション中に策定していく」こととの関連で興味があります。これはSHiNさん的な「未定義リソースの利用」、Purpleさん的な「無限の選択肢の追求」とも関連するはずの関心です。
 
 もちろんアタシ的には、「物語表現を印象深くする」ことの関連でも興味があるのですが、その方面は、アタシ今ちょっと積極的に議論に参加できないし。もうちょっと先の段階のお話かもしれないとも思っています。
 
 で、もし、「TRPGを『より』ゲーム的に遊ぶための工夫」のお話だとしたら、その絡みからだけ「ゲーム中デザイン」(“ルール改変ゲーム”にせよ、「ゲーム中リソースデザイン」にせよ)の「ジャンル定義(での位置付け)」が検討されると、結論が偏りかねないかなって危惧は持ってます。(そうした懸念を抱いているのはアタシだけもないような気もしています:私見)
 

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