TRPG総合研究室 LOG 047

TRPG総合研究室の2000年04月25日から2000年05月01日までのログです。


2000年05月01日:13時42分50秒
[ジャンル論] 勝利条件などについて / Genich!

PALM-12さんの[ジャンル論] 「プレイ時間の内と外」に関するコトの評価かなへのコメントです。

私の場合、RPGにおける勝利条件の捉え方は次のような感じです。

勝利条件/目標を全く無くしてしまうと、ゲームというより別の娯楽に分類すべきでしょう(言語ゲームというウィトゲンシュタインの造語はあまりゲームと呼ぶにふさわしくない)。そういう「ゲームから逸脱した」遊ばれ方が現状のRPGシーンで目立つことには私も同意します。しかし、それが「良いことか」と聞かれると、私は No と答えざるを得ません。「ゲームから逸脱した遊ばれ方をされるようになったが故に、RPG が斜陽の産業になってしまった」と考えているためです。ゲームとしての面白さを全面に出しているカードゲームの隆盛を見るたびに、その思いを強くしています。もちろん「カードゲームとは別の方向で独自性を出そう」という考え方もわかるのですが、しかし「ゲームから逸脱する」という方向ではたいへん先行きが暗いと私には思えてならないのです。もちろん、今のRPGに満足している人は今後もプレイし続けるでしょうが、拡大はかなり厳しい。

また、傷つきやすい人々の話も出ていますが、これについて私はまた違った見方をしています。実はこの人達には「勝ち負けがはっきりつくのを嫌う」という傾向があります。負けたとなると傷つくためです。最近、小学校でかけっこに順位をつけるのを止めた、という話がありましたが、ちょうどあんな感じ。それで、RPGにおいて勝利条件が次第に薄れてきた過程と、傷つきやすい人々が増えてきた過程との間に、おそらく因果関係がある、と私は考えています。RPGの勝利条件が曖昧だから傷つきやすい人々を呼びこんでしまったのか、傷つきやすい人々が増えたから勝利条件も曖昧になっていったのか、あるいはその両方なのかもしれません。


2000年05月01日:07時41分39秒
[演技の効果]Re:「狭い共有イメージ」と「第三者」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@PALM-12さんWrote (「[演技の効果]『狭い共有イメージ』と『第三者』,当掲示板,2000年04月30日:22時47分41秒」
 >個人的には、「第三者」は、「セッションの参加者(GM/PL)」とした方が良いと思います。
 >理由としては、現状のシステムによるTRPGの演技の技法は参加者以外に理解を得る必要がない(例えば、演劇で観客以外に理解を得る必要がないように)からです。
 
 うん。PALMさんの言われてることには同感です。
 ただ、紙魚砂さんの指摘には、「システムに第三者的評価基準を読取ってゆく」ってポイントが含まれてて重要と思います。
 アタシの言葉遣いの、準・客観の評価基準、とかに近いと言ってよいかと思います。
 
 例えば、ワールド設定からその世界らしさを読みってゆく、とかも含まれるでしょう。
 あるいは、セッションメンバー間がそれぞれのワールド解釈を撚り合わせてゆく、過程にも関連するでしょう。
 
 「狭い共有イメージに依存したもの同志」のセッションってのもあると思うんです。 「今日は狭く遊ぶ(笑)」とか、わかっててやる分には構わないと思うんですが。「それで当然」視されると、やっぱりいろいろ不都合も出るかな、ってあたりに関わってく気がします<第三者的評価基準。
 
 そうですね。具体例をひとつ。
 アタシ「セイギマンRPG」って物凄く評価が低いんですよ。
 TRPGとしても評価が低いし、戦隊モノマニアとしての評価は、個人的に、最低・最悪(笑)。
 
 遊ばれ方がメンバー間の共有イメージに依存しすぎるんですよね。
 
 センモン的な話(爆)になりますが。
 「セイギマンRPG」、「デンジマン」〜「ダイナマン」あたりの狭いバリエーションの戦隊モノにしか対応できてないと思われます。
 キャラシートの表現力のなさ、と判定系のたんじゅんさ、と関連データの大まかさがもんだいです。
 
 「ゴレンジャー」〜「サンバルカン」あたりの、特務機関戦隊風のをやるには、メカ関係の判定ルールが不充分。
 手持ち武器のパワーアップアイテムもサポートされてないし。ハウスルールを組み込もうとしても、今度は敵役キャラの強さの調整に融通が利かないと思うし。
 
 「バイオマン」以降の複雑化したキャラ表現や、にんげん関係(例えば「フラッシュマン」とか、「メガレンジャー」とか「ダイレンジャー」的なもの)を表そうとしても、キャラクターシートに表現力ないし。
 何より、個性的な仇役と、仇役間のにんげん関係がの表現が、ルールにサポートされない(忠誠度とか野望度みたいなパラメータさえない!)。これ、最大不満(笑)。
 
 こー、「オリジナルな設定をドンドン投入して、観たことのない戦隊モノをやりたい」とか思っても、ルールにサポートされた型で表現できないんですよ。
 
 「ごっこ遊びもちゃんとできないじゃないか」、って感じで(苦笑)超・不満。
 「たかが福袋に」的に言う人もいるかと推測はしています。「そんな本格的なシステムが作者の狙いでない」ってゆうのもわかります。
 マニアってゆーのはしょうがないもので、アタシの意見は、「戦隊モノTRPGを標榜するのは僭越」(苦笑)。「戦隊モノ・お約束・TRPG」にすぎないではないか、と(苦笑)。
 
 あの遊びで生成される物語が、戦隊モノだとか思われたらマニアとしては困る(笑)。断固否認する☆
 
 なんか話がズレたかな?
 いや、ズレてない、ズレてない(笑)。
 
 えーっと、「セッションの参加者(GM/PL)」それぞれが、「第三者的・準客観の評価基準」を、――「お約束」ではなく意味生成的なものとして、つまり、システムから解釈される要素の組合わせを使って、新しいものを打ち出す際の評価基準を、持つ。
 それもできれば、「システム解釈から読みとってゆける」のがよいかな、と思います。
 
 もちろんシステム解釈も運用権・裁量件は、GMさんが統括するのですけど。
 GMさんの立場は絶対君主ではありませんので。プレイヤー達も「第三者的・準客観の評価基準」を持とうとするのはよいこと、と思います。(「評価基準」の間で軋轢が生じるとかは、これはセッションプレイ〜ゲームプレイのもんだいで、また別の話かと思います。)
 
#「狭い共有イメージ」を「“(感情の)垂れ流し”と表現して構わない」って説は、なるほど、と思いました。
#一方「ソレを誰かが『凄い演技だ!』と感動する」、とか、「当人達は『感情垂れ流し』と認知しない(事がある)」とかにも「第三者的評価基準」はアプローチできるのではないかな、とアタシ的には思えました。
2000年05月01日:00時22分59秒
[ジャンル論] 「プレイ時間の内と外」に関するコトの評価かな? / PALM-12
#「[ジャンル論] プレイ時間の内と外 / Genich!さん」までの書き込みを読んでのことなのですが、、
 
 いつも思うのですが、TRPGってゲームとしての「勝利条件」がなくてもプレイできますよね?
 大抵のセッションの「勝利条件」って、ルールブックを読んで、、
 
 (1)シナリオ・ライターが設定したもの(をGMが読み取ったもの、とか#鍼原さん風ですか?)
 (2)PLが設定したもの
 
 だと思うんですよ。
 無い人もいるし、他人には曖昧なことも多いと思います。
#もちろん、いつもGenich!さんみたいに始める前からゲーム部分の勝利条件をしっかり決める派の人もいると思います。
#ボクは、やりたいシステムやシナリオ毎にまちまちなんで、何派とかは言えないんですが(;^^)
 
 で、勝利条件が緩かったり、曖昧なほど、ゲーム内外の時間の会話からアイディアを得て、セッションに組み込みやすいと思うんですね。
 
 言わずもがなですが、ボクはコレがTRPGの魅力の一つだと思います。
 
 例えば、厳しい勝利条件で、限定された状況に持ち込むことで、SLGみたいに他の”ゲーム”と同じように遊ぶこともできる。 逆に勝利条件を無くすことで、自由にアイディアを持ちよって、物語を作っていくような言語ゲーム的に遊ぶこともできる。
#正確には、前者は後者に内包されるのですが。
 
 TRPGって、そういう風なある種(SLGでいいんですかね?)のゲームから発祥したけど、ゲームを内包したというか、、数学的なゲームを逸脱できる遊びだと思うのですね。
#TRPGって、現状、「そういうものだ」と思いますし、「違う」と言われても言葉の意味を変更できるほどの力は誰にもないし、TRPGは「言語ゲーム」の一環だと言われれば、本当にそうだし(笑)
 
 だから、「(ゲーム的な)勝利条件の緩さ」っていうよりも「システムとして勝利条件に対する許容範囲が広い」だとおもうんですけど、皆さん、どうでしょうか?
 ちなみにシステムってのは、個別のタイトル名ではなく、最少公倍数的なTRPGのシステムって意味です。
 
#あと、余談ですがTRPGの最大の魅力の一つは、固有の経験をやり遂げたという達成感だと思います。 だから、みんな自分のプレイ経験にから反することを同じTRPGという言葉を使って「楽しい」と言うPLを否定したがるのではないでしょうか?
#将棋とか、オセロとか、もうシステムとして揺らぎの無いゲームなら、そんなことも起こりづらいと思うのですが、TRPGの場合、歴史的にも、その言語ゲーム的な性質的にも自分(たち)でルールを作りやすい為、”強い”(馬場さん風(笑))固有の経験とプレイスタイルの変化を産み出し、他人を否定したがりたくなると思うのかなぁと思います。 結果として、ゲーム派、演技派を問わず”井の中の蛙”みたいな「傷つきやすい人たち」を自動生産しやすい、、否、作ってしまうほどの遊びなのだと思います。
 
 長々と失礼しました、ではでは。
#どうでもいいけど、他の人の話題も含めて、既に[ジャンル論]では無いですね(;^^)
2000年04月30日:22時47分41秒
[演技の効果]「狭い共有イメージ」と「第三者」 / PALM-12
#まあ、ゴールデン・ウィークに入って、ほんの少し時間が出来たので、気になったところをほんの少しだけ(笑)
 
◆[演技の効果]Re:「第三者」を想定した演技 / 鍼原神無さん
> 確かに、第三者を想定することができれば、反感をかう、マズイ演技の一種、「狭い共有イメージへの依存」に対して、ある程度の歯止めになるかもしれません。
>#「狭い共有イメージへの依存」は、紙魚砂さんの指摘される「(感情の)垂れ流し」とはまた別のもんだいですけど。相関性はある・かもしれませんね。
 
 「狭い共有イメージ」の最小単位は、ほぼ”個人の思い込み”となると思います。#もちろん、個人が他人がそう思っている思い込んでいるなんて、現実によくある笑い話を抜きにすればですが(笑)
 
 で、この個人の思い込みというのは、基本的に前述の笑い話を抜きにすれば、自分の思うところは「正しい」&「他人もそう思っている」というところに起因しています。 もっと言えば、自分がそう思って”演技している”んだから、他人にも伝わるんだろうという考え方ですね。#もっと言えば、自分と違うヤツは厨房だ!って考え方ですが(笑)
 
 が、当然、演技によって出される情報も前提条件も演技をしているPLと受け取る側のPLでは、全然違うわけです。 結果としては、一方的な思い込みよる演技は、その演技をしているPL個人の”(感情の)垂れ流し”と表現して構わないと思います。
#もちろん、ソレを誰かが「凄い演技だ!」と感動するのは、よくある笑い話なのですが(笑)
 
 ってワケで、少し逆説的になりますが、第三者を想定することが、”(感情の)垂れ流し”を、、っていうか、独り善がりな演技を抑制することになると思います。#もちろん、ソレが全てを改善しないことは、ストーカーさんが実証してくれているのですが(笑) っていうか、自分の思っているところは「正しい」&「他人もそう思っている」(or「他人は解ってない」)はサイコさんの基本ですね。 くわばら、くわばら(;^^)
 
> しかし、「第三者的評価を意識すること」と「第三者にも伝わるような『演技』(≒表現)」を「目指すこと」とは、必ずしも一致しないようにも思うのですが。
> あ、「第三者」を「TRPGについてある程度理解のある人」とか「個別システムを知っている人」との限定をかければよいのでしょうか?
 
 個人的には、「第三者」は、「セッションの参加者(GM/PL)」とした方が良いと思います。
 理由としては、現状のシステムによるTRPGの演技の技法は参加者以外に理解を得る必要がない(例えば、演劇で観客以外に理解を得る必要がないように)からです。
 もし、参加者以外に理解を得る事項があるとすれば、参加者以外にTRPGの演技は意味がないってことではないでしょうか?
 もちろん、「TRPGについてある程度理解のある人」とか「個別システムを知っている人」ならば、自分が参加している時のことを考えて、スゴイと誉めてくれるかもしれませんが。
 
 ではでは
2000年04月30日:14時16分56秒
[ジャンル論] プレイ時間の内と外 / Genich!

紙魚砂さんの[ジャンル論]私的結論-補足へのコメントです。

>私的には、「ゲーム世界」及び「その境界」がリアルタイムに流動的に変化していくという点、および、そこにGMやPLの“創造性”を発揮しうる点が、TRPGの面白いところではないかと。ゲーム世界自体をセッションの中で作りながら遊んでいるという…。


「流動的に変化して行く」というか「他のゲームではプレイ時間外で行われているものをプレイ時間内に行っている」という形のプレイがRPGプレイヤーの間で目立つことには私も同意します。私ははっきり区別しているんですが、そういうプレイヤーもいることは理解できます。
例えば、ボードゲームだったらプレイ時間外に行われる「みんなでハウスルールを作る」という作業がプレイ中に即興で行われたり、あるいは「プレイ終了後にみんなで飲みに行ってその席で出るような話」がプレイ内で盛りあがったり、などなど。

この原因は、RPG固有の性質というより、おそらく「勝利条件の緩さ」ではないかと考えます。 勝利条件の厳しいゲームだと、みんな勝つ方法を考える方に夢中になり、余計なことをやっている暇がありません。しかしそれが緩いと、そういうことをする暇が出てくる。
例えば、私がゲームマスターする場合、生き残るだけでもプレイヤーが頭をフル回転させねばならないような厳しいバランスのシナリオが多いのですが、そういうプレイでは明らかにそういう傾向が見て取れます。だからプレイヤーもゲーム世界内と外ときっちり分けて考えるのでしょう。逆に、RPG以外でも、勝利条件が緩い、あるいは全く無い娯楽の場合、プレイ時間外のことを取り込む傾向が出てきます。


2000年04月30日:02時37分40秒
[演技の効果]Re:「第三者」を想定した演技 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>紙魚砂さんへ
 うーん、紙魚砂さんご自身「暴論ですが」と切り出されているので、コメントもむずかしいのですが。
 
 「深淵」や「レレレ」についての、ご指摘はうなずけます。
 
 確かに、第三者を想定することができれば、反感をかう、マズイ演技の一種、「狭い共有イメージへの依存」に対して、ある程度の歯止めになるかもしれません。
#「狭い共有イメージへの依存」は、紙魚砂さんの指摘される「(感情の)垂れ流し」とはまた別のもんだいですけど。相関性はある・かもしれませんね。
 
 しかし、「第三者的評価を意識すること」と「第三者にも伝わるような『演技』(≒表現)」を「目指すこと」とは、必ずしも一致しないようにも思うのですが。
 あ、「第三者」を「TRPGについてある程度理解のある人」とか「個別システムを知っている人」との限定をかければよいのでしょうか?
 
 いかが思われますか?
2000年04月30日:01時20分04秒
[演技の効果]「第三者」を想定した演技 / 紙魚砂
 暴論ですが、「第三者」に見られることを想定しない「演技」はすべて「(感情の)垂れ流し」だと思います。

 現実にTRPGのセッションを第三者にじっと見てもらうようなことはそうないと思いますが、それでも「演技」をすることを推奨するシステムはすべて、「コンセプト」「システム自体」のどこかに、「その演技はよいか、悪いか」の判断基準を持っているのではないでしょうか?

 例を揚げると、「深淵」では、コンセプトとして「美しい物語を作り上げる」というのがあって、演技する場合、GM・他のPL・PL自身が客観的に「その演技は物語として美しいか?」を判定すべきだということになっています。この場合、プレイする人間自身の内部に客観的に「物語」を見る「第三者」を作り出してプレイするということになると思います。
 レレレ(It came from Late Late Late show.)などは、システム自体の中に「視聴率」という名の第三者を作り出すルールがあって、実に画期的だと思います。

 で、第三者にも伝わるような「演技」であれば、もちろん当事者である他のPLやGMにも伝わって、コミュニケーションとして成り立つのではないだろうか?と思うんですが、どうでしょう。
2000年04月30日:00時59分51秒
[ジャンル論]私的結論-補足 / 紙魚砂
 私的には、「ゲーム世界」及び「その境界」がリアルタイムに流動的に変化していくという点、および、そこにGMやPLの“創造性”を発揮しうる点が、TRPGの面白いところではないかと。ゲーム世界自体をセッションの中で作りながら遊んでいるという…。
 あまり一般的な考えではないかもしれませんが。
2000年04月28日:21時41分46秒
[ジャンル論] メタ結論と言うか、そんなもの / Genich!

紙魚砂さんの[ジャンル論]私的結論へのコメントです。

>「3)「局面Aに影響を与えないゲーム外領域」」
>が、
>・別の(ゲーム)局面Bに影響を与える場合がある。
>・別の(ゲーム)局面Cを発生させる場合がある。
>・ただの雑談に終わる場合がある。
>と思います。

私からしますと、ボードゲームをやりながら交わしているジョークだってプレイヤーの心理への影響を通じて別の局面に間接的に影響を与えていることは十分あり得るだろうから、結局同じだと思えてしまいます。

しかし、実はそれでいいのかもしれません。
一連のやり取りを通じて改めて思ったのですが、ジャンル論というのは、「あるジャンルの類的特性を明かにする」というよりも、「あるジャンルに対する論者の主観的態度を明かにする」というべき側面が強くあります。つまり、Aだと思ってRPGを見ればAに見えるし、Bだと思えばBに見える。枝葉を切り落として構造を抽出する構造分析にはそういう主観が強く入ります。「今までどういうRPGをプレイしてきたか」「RPG以外のゲーム経験はどうか」なども主観形成に大きく作用しますし。そう考えると、ジャンル論というものは、何か結論が出るような性質のものでは無いのかもしれません。


2000年04月28日:19時55分19秒
[ジャンル論]私的結論 / 紙魚砂
>Genich!さん

 例とそぐわない説明になりますが、

「3)「局面Aに影響を与えないゲーム外領域」」

が、

・別の(ゲーム)局面Bに影響を与える場合がある。
・別の(ゲーム)局面Cを発生させる場合がある。
・ただの雑談に終わる場合がある。

と思います。

 何というか、私にはTRPGが全体として一つのゲームであるというよりは、小さないくつかのゲーム、その上にある大きなゲーム、ゲームのようなそうでないような曖昧な部分…そういったものがごちゃごちゃと寄り集まってできた、場合によっては「ゲーム外」をもそのうちに取り込んでしまうような、ゲームというよりは、ゲームの要素も多分に持った「遊び」としか言いようのない、そんなものに見えるんです。
 あくまでこれは、私のこれまでの経験や、直感、これまでの議論に基づいてできた1意見(私にとっての結論)に過ぎないんですが。

 それでわ。
2000年04月26日:12時50分02秒
Genich!氏へ(名指しで) / 宇津見@ヤメタランス放射能汚染
 以前話したときにも、言ったことがあると思いますが、そろそろ自分のウェブサイトにて、そのへんの文章、公開したらどうです。いろいろと面倒くさいし。
(どうも最近、ヤメタランス放射能に汚染されているらしい)
2000年04月26日:10時32分13秒
Re:【提案】 各人の使っている用語の定義 及び 今までの議論の整理をお願い〜 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>YANさんへ
 アタシも、ここ数日の「TRPG総合研究室」の話題の流れは部分的にしか理解できていません。
 ですので、YANさんがリクエストされた、「まとめ」は、自分には、充分公正なものとしては処理できないと思っています。
 
 「TRPG総合研究室 LOG 044」の前半、投稿題名に[識別子]が多用されてた頃までの話題の流れなら、自分の立場に偏重した観点からは整理もできますが。それだと不公正に整理にもなるかな(よくわからないけど)って感じです。
 
@紙魚砂さんWrote (「話題の整理/[ジャンル論]re:ゲームである局面とそうでない局面とは? 」,当掲示板,2000年04月26日:02時41分23秒)
 >ちゃんと整理はしませんが、大まかに、「『TRPG』とは何か、ジャンルとして区分した場合どのような位置付けになるか」、という話題と、「TRPGの中での『演技』とは何か」といった二つの話題が議論されていると思います。
 >またTRPGの中では『演技』がその面白さの重要な位置を占めていて、なおかつジャンルとして他のゲームと決定的に違う(?)特長として挙げられるのではないかということで、二つの話題が相互に影響を与え合っているものと思われます。
 
 アタシも、うえの紙魚砂さんの整理には大筋異論はありません。
 
 私見で補足してよければ、「演技」って言葉で意味されているものが、(アタシも含めて)論者ごとにバラつきがあると思います。
 かつ、いろいろな意味の「演技」の間での相互了解が不充分なことが話題錯綜の原因だろうなと推測しています。

@YANさんWrote (「【提案】 各人の使っている用語の定義 及び 今までの議論の整理をお願い〜 」,当掲示板,2000年04月25日:19時37分03秒)
 >統一化しなくて良いので、各人の思う「定義」を教えて欲しいです。「前に書いたよー」って人は、その場所を書いてくれると嬉しい〜。
 
 アタシとしては、「TRPGでの演技は、舞台演劇での演技を観客の立場から観てイメージされるようなものではく、舞台演劇が構築される稽古過程での演技に類縁性が高い」、だから、「何か不都合な演技は、監督の立場にあるGMによって、随時却下される可能性はある」、と思っています。
 これが紙魚砂さんの言ってられる「TRPGの中での『演技』とは何か」に関連する、アタシの意見でしょう。
#「演技の基本的サポート(Re:Re:Re: TRPGにおける『演技』の効果を客観的に考える)」 (TRPG総合研究室 LOG 045,カンナ記,2000年04月22日:07時14分41秒)
 
 ここで言ってる「演技」は、「セッションを通じてプレゼンテーションされ、メンバー間での相互了解(解釈)がめざされるべき、『演技行為がセッションを通じて表すもの』」のことです。
 大ざっぱに言えば、それは「PCをそれらしくふるまわせること」です。
 
 で、アタシは「PCをそれらしくふるまわせること」は、TRPGのジャンルに共通した、ゲームの遊ばれ方の特徴のひとつ、で、しかも、他ジャンルのゲームではあまり観られない特徴だと思います。
 なおかつ、個別のセッションでは、「PCをそれらしくふるまわせること」の重要度はシステムとシナリオとに、よって違う、と考えてます。
 「ジャンルに共通した特徴」だけど、「重要度は、システムとシナリオとに、よって違う」、って意見なわけです。これは当然、TRPGが遊ばれる限り、「PCをそれらしくふるまわせること」の要素は0にはならない、って意味を含んでいます。
 
 勘違いしてるのかなー(よくわかんないけど)、と思う意見があるのですが。
 アタシはTRPGジャンルの類的特性は、「複数の特徴の複合」って意見を公開してます。
 ですから、「他ジャンルのゲームでも、“演技”が必要な事例もある」とか言われても、「はぁ、それはあるでしょうね」って思うだけです。「複数の特徴の内、いくつかがあっても、ないものがあるなら、それはTRPGではない(近いとは思うけど)」ってのがアタシの意見ですので。
 
 まー、それはさておき、この辺が紙魚砂さんの言われる「『TRPG』とは何か、ジャンルとして区分した場合どのような位置付けになるか」に関連したアタシの意見と思います。
 
 ただ、「PCをそれらしくふるまわせること」=演技、と言うと「それは言葉に含める意味の範囲が広すぎる」って意見はあるようです(何人かの方から聞きました)。日常語彙の「演技」の用法に照らし合わせて、そんな事はない、とも言えるのですが。
 けれど、アタシもその「広すぎる」って感じ方はわかります。
 
 ですので、「TRPGで演技(PCをそれらしく振る舞わせる)に拘ったプレイをするなら、TRPGに適したようなやり方をきちんと考えなくてはいけない」とも思っています。
 でこの「やり方」のことを「技法としての演技」と呼んでいます。
 
 アタシの考えは、「技法としての演技」には、できるだけ明瞭な判断基準が必要と思います。
 そのために、提出しているのが、準客観としての「発話形式の基礎分節」です。
#「[発話技法]発話形式の基礎分節:暫定版(長文)」 (TRPGのための言語技術の部屋,カンナ記,2000年04月24日:07時54分55秒)
 
 後、ちょっと評判がよくないですけど、[自然言語]の関連の話題は、「技法としての演技」検討にとっては基礎論の位置付けになります。
 
 ただ、アタシとしては[自然言語]関連の話題は、他にも「TRPGシステムの分析」「TRPG個別システムの解釈」「TRPGのジャンル整理」「セッションで用いられるコミュニケーション技法の整理」といった一連の話題の基礎になると考えています。
 その辺を再整理したのが、「[自然言語]言語学的知見のTRPGへの応用について、要旨の再整理」 (当掲示板,カンナ記,2000年04月25日:10時44分36秒)、です。
 
 ちなみに、「技法としての演技」の検討は、「セッションで用いられるコミュニケーション技法の整理」に含まれるべきと考えています。
 演技の暴走とか、自己陶酔とか呼ばれる行為は、セッションでのコミュニケーションの一部として、演技行為(セリフや、身振り)のメリット/デメリットがきちんと位置づけられていないから、発生すると思う。←これがアタシの見解ですので。
2000年04月26日:09時46分18秒
[ジャンル論]re:ゲームである局面とそうでない局面とは? / Genich!

紙魚砂さんの[ジャンル論]re:ゲームである局面とそうでない局面とは?へのコメントです。

>1)「ゲームである局面A」
>2)「局面Aに(直接的に)影響を与えるゲーム外領域」
>3)「局面Aに影響を与えないゲーム外領域」
>の3つがあってそれぞれを区別すべきではないかと思うのです。通常のゲームでは、1)と2)の領域しか存在しませんが、TRPGには3)があるのではないかと考えるのです。

RPGでない通常のゲームにおいても「現在の盤上の局面をネタにしてギャグを言い合う」などということは実際問題として頻繁に行われていますよ。ギャグを言ったからといってゲームの進行に影響が出るわけでもなく。大昔TACTICSなどのウォーゲーム雑誌に掲載されたリプレイもそういうものを含んでいますから、少なくともリプレイを書いた人は「そういうプレイヤー間の会話もゲームの楽しさを盛り上げている要素」と考えていたのでしょう。

これは 3) には当たらないのでしょうか?


2000年04月26日:06時54分50秒
[演技の効果] Re:演技の主機能はP研に / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>いいださんへ
 いいださんにいただいたコメントへのレスを「プレイング研究室」に投稿しました。
 「[演技の効果] 演技の主機能」(当掲示板,いいださん記,2000年04月25日:21時39分13秒)
 、へのレス
 「[演技の効果] Re:演技の主機能」 (プレイング研究室,カンナ記,2000年04月26日:06時33分31秒)
 です。
 
 アタシとしては、これは「ジャンル論」とかってゆーより、実践論の話題と思うので、「プレイング研究室」に持ってゆきました。
 
 それに、最近「総合研究室」話題が錯綜してるので、流れがわかりづらいですし。

>Genich!氏へ
 アクセスするのに、IDが必要なエリアへ参照用リンクはられて、「こちらでの議論では〜」とか、やられればやられるほど、論旨の意味不明度が増してるようです。
 手法はもっと考えて選択してほしいと思います。もっとちゃんとした、「あちら」での議論の内容を要約レポートとかが欲しいところですね。さもなければ、言及しない方が論旨はすっきりするのでは?
 
 掲示板の流れが錯綜してるって声が出ていますので。コメントしました。一考されたし。
 それともあれですか? もしかして「みんなNiftyに入って」って勧誘の意図が含まれてるとかでしょうか? 違いますよね??
2000年04月26日:02時41分23秒
話題の整理/[ジャンル論]re:ゲームである局面とそうでない局面とは? / 紙魚砂
<整理>
 ちゃんと整理はしませんが、大まかに、「『TRPG』とは何か、ジャンルとして区分した場合どのような位置付けになるか」、という話題と、「TRPGの中での『演技』とは何か」といった二つの話題が議論されていると思います。
 またTRPGの中では『演技』がその面白さの重要な位置を占めていて、なおかつジャンルとして他のゲームと決定的に違う(?)特長として挙げられるのではないかということで、二つの話題が相互に影響を与え合っているものと思われます。

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さて、
>Genich!さん
>言葉の定義から考えると「ゲームでない局面はすべてゲーム世界外である」という気がするのですが、この「ゲームでない局面」というのが実体として何を指しているのかよくわからないので、詳しく教えてください。具体的にはどんな場面を想定されていますか?

 私の考えだと

1)「ゲームである局面A」
2)「局面Aに(直接的に)影響を与えるゲーム外領域」
3)「局面Aに影響を与えないゲーム外領域」

の3つがあってそれぞれを区別すべきではないかと思うのです。通常のゲームでは、1)と2)の領域しか存在しませんが、TRPGには3)があるのではないかと考えるのです。
 ちなみに「局面A」と付けたのは、そういう局面がTRPGにおいては、複数個存在するのではないかという仮定を前提としたからです。

3)の例だけあげておきます(あんまり良い例じゃないですが)
<例>
[状況]
 PC「A」は以前、地下墓地で、自分の名が彫られた墓を掘ったところ、そこで子供の死体を見つけた。
 事情があって、PC「A」は再度その墓を掘り返すことにした。
 GMは「うん、前と同じで、(死体は)あるよ」と宣言した。

[実際の会話]
A:「前と同じ?ひょっとして、なくなったとか言うと思って、どきどきしてたんだけど。」
GM:「じゃあ、そういうことにしましょう(笑)。
   それは、なくなっている。
   そこには何もない。」
A:「…嫌な世界だ。」

[解説]
 この会話は、実際の所ゲームの進行に全く影響を与えない。ストーリーの進行にも全く影響を与えない。もちろん「ゲーム世界内」の会話ではあり得ない。何の争点もゲーム性もないが、人の「感性」に訴えかけるという意味で面白い(?)シチュエーションである(と思う)。
2000年04月25日:23時32分27秒
【自然言語】了解です>システムの定義 / うましか石頭
どうもありがとうございます〜>カンナ殿。システムの定義はよーけわかった(ような)気がします。

で、もしよろしければハリハラ殿の推薦されます、初心者むけの言語理論、構造理論などの本がありましたら、教えてください。ちと勉強したくなったので。ども失礼しました(^^;
2000年04月25日:21時39分13秒
[演技の効果] 演技の主機能 / いいだ
 いいだです。元の記事は「TRPGのための言語技術の部屋」に鍼原さんが書かれた

2000年04月24日:07時54分55秒
[発話技法]発話形式の基礎分節:暫定版(長文)


なのですが、今回タイトルを「演技の主機能」とするにあたってこちらに持ってきました。

○台詞(演技)の主機能
 いきなりで申し訳ないのですが、台詞の主機能が暗示っていうのはどうかなあと思います。
 台詞の主機能が暗示ということになると、行動宣言のほとんどを台詞を使って表現しているプレイヤーはそれら全てに含みを持たせていることになっちゃいますがそうは思えないですし、小説などでは暗示は描写で行われている場合も多いわけですよね。

描写:「引きつった笑いを浮かべながら肯きます」
台詞:「はは。そ、そうだね」(肯きながら)

の二つでは、暗示性は殆ど変わらないと思うのです。
 で、上の例では後者を選ぶ人も少なくないと思うのですが、それは「臨場感が増す」とか「描写よりも演技の方が情報伝達の効率が良い場合もある」とかが理由ではないかと思うのです。

 たとえば、鍼原さんが例に挙げた
>描写:PL「私のキャラは、移動の支持を力強く言いました」
>セリフ(演技):PC「俺は行くぞ」 では、情報量はほぼ一緒だけど、送り手が描写するのも受け手が意味を取るのも、後者の方が楽ですよね。
#「移動の支持」なんて表現はとっさには思い付かないです。

 暗示に限らず、描写では細かい表現をしようとすればするほど長々と喋らなくてはなりません。加えて受け手側は相手の描写をシーケンシャルに解釈していかなくてはなりません。
 一方、演技の場合には声の抑揚や表情、動作で同時に表現するため、細かい描写であっても短い時間で十分であるという点と、受け手側は相手の表現を全て解釈する必要が無いという点がアドバンテージになるのではないでしょうか。

○演技が「意外性」や「偶然性」を増すことについて
#「意外性」だとか「偶然性」は今回の鍼原さんの記事にはありませんでしたが、たしか以前に何処かで暗示の機能の一部として数えてらしたように思うので取り上げてみました。<勘違いならごめんなさい
 演技(台詞)はセッション展開の意外性を高めるってのは確かにそうかなあとものですが、上に書いたように意図的な暗示については演技と描写で大きな違いはないと思う私としては、送り手自身も意識しない身振りや声の抑揚などから受け手が勝手に意味を読み取ってしまう可能性が高いという所に理由が有るのではないかと推測します。
 小説などのメディアにおいては登場人物が表現に込めた暗示をその世界内での相手がどう解釈するかは作者の意図通りなのですが、RPGにおいては「解釈の違い」どころか、相手は送り手が全然意図していない暗示を勝手に受け取ってしまうかもしれません。だからこそ「意外性」だとか「偶然性」だとかが増すのだと思うのです。
 その辺から考えると、セッションの「意外性」や「偶然性」を増すためには「送り手は暗示の内容が正しく伝わることを期待しない」「受け手は暗示として伝えられたメッセージをどう解釈すべきか相手に尋ねたりしない」とうことになってくると思います。
#トーキョーN◎VAで言うところの「シーンカードの内容を読み上げない」みたいな感じでしょうか。
 これだけだと鍼原さんの書かれた「発話したプレイヤーは速やかに応答しなくてはなりません」とは逆の意見になってしまうのですが、「スムーズな演出のために、相手の了解を取っておく」というのと「マンネリ化しないようにセッションに意外性の要素を増すようにする」のバランスを取るべきかなとは思います。

 ということで、私の意見をまとめてみると
○演技の主機能(メリット)
・臨場感が増す。
・精度を必要としない情報の場合、描写よりも伝達効率が良いことがある。
・送り手が表現に込めた暗示を、受け手の各人の能力の範囲内で処理することが出来る。
・送り手の意図しない暗示を相手が勝手に受け取ることによって「意外性」「偶然性」が増す。

 あたりかなと思うのです。そんなわけで、演技の技量を磨くことは暗示の機能をより効果的に使う為に有益であるという点では鍼原さんに同意します。

#という感じにつっこみ記事を書いてみたのですが、鍼原さんの記事の主旨をちゃんと理解できてるのかは今一つ自信が無いので、見当違いなことを書いてたらすいません。
2000年04月25日:19時38分47秒
[ストーリー生成ゲームとしてのRPG] 演技の良し悪しを評価する / Genich!

匿名希・望さんの[ストーリー生成ゲームとしてのRPG]Re:動機付けの強さと失敗原因の認知へのコメントです。

>どちらかというとチェスのような「勝ち/負け」の二分法ではなく、陸上競技のタイムやフィギュアスケートの点数のようなものに例える方が正確だろうと思いますが。 本人がそこで満足してしまえば終わってしまうが上を目指し続ける限り動機はあるのです。

実は私もNIFTYでの議論の中で、「どっちのストーリーがベターかの比較」ってできないものか と書いたところです。あと、「ストーリーに点数をつけて評価できるとよいのでは」という意見も出ています。
しかし、「じゃあどうやって比較/採点/評価するか」の具体案が思いつかない。
この辺について具体的なアイデアありませんか?


2000年04月25日:19時37分03秒
【提案】 各人の使っている用語の定義 及び 今までの議論の整理をお願い〜 / YAN
 
> 匿名希・望さんWROTE
 だからそれは舞台演劇的・映画的な「演技」の話でしょ?
> 鍼原さんはかなり違った意味で(いちいち説明せんけど)
> 使ってるんだから、自分の思い込みだけで会話してても〜
(後略)
 
 いやー、実はいちいち説明して欲しかったりするのでありまス。
 
 今までの議論を、過去ログ3つに渡って見直してみたのですが、
 各人の「演技」の定義が、バラバラだったり明らかでなかったり、
 非常に難しいので…。
 
# 統一化しなくて良いので、各人の思う「定義」を
# 教えて欲しいです。「前に書いたよー」って人は、
# その場所を書いてくれると嬉しい〜。
 
 
 また、現在複数の話題が走っているので、どなたか簡単にまとめて
 くれると嬉しいです。【識別子】毎に追っていっても、話題が錯綜して
 いる気がしますし…。
 
# 正直、今のペースでは文章を追うだけで精一杯ですぅ 
2000年04月25日:19時30分04秒
[演技の効果] 舞台演劇的な演技とそうでない演技 / Genich!

匿名希・望さんの[忠告]単語は正確にへのコメントです。

>だからそれは舞台演劇的・映画的な「演技」の話でしょ?

をを、失礼しました。そうすると、ありよしさんの言っていた

>ブレカナの場合は「殺戮者による“悪徳”を見せ付けることでPC(PL)に憤りを感じさせる」ってのが入っている

という話は、これは鍼原さんの言う「演技」には当たらない、ということですね? うーん、演技が実際に役に立っているいい例だと思ったのですが、私の勘違いのようで、ちょっと残念。

ところで私は、鍼原さんの言う「演技」より、 ありよしさんが例に出した「演技」の方が、 RPG には重要なんじゃないかという気がします。


2000年04月25日:18時24分39秒
[ストーリー生成ゲームとしてのRPG]Re:動機付けの強さと失敗原因の認知 / 匿名希・望
・Genich!氏
>「物語を生成する場合だと、面白くなるかどうかに多種多様な要素が複雑に絡まっているため、失敗した原因がわかりにくく、そのため悔しさにつながりにくいのではないか」という仮説を現在検討中です。

俺は必ずしも失敗した原因が明確である必要は無いと思ってます。
明確であればよりよいのは間違いありませんが、大事なのは「成功の可能性を感じる」事なので。
「こうしたから失敗した」→「こうしなければ成功した」と直結するので簡単に感じられるだけでしょう。
それにギャンブルだって後付けで理由は考えられますが結局は「運が無かった」で片付くのですから。
原因は錯覚でもかまわないし、可能性は感じられさえすればいいのです。

例えば、同じシナリオでプレイしてうまく行った例があれば少なくとも成功例がある訳ですから成功の可能性を感じる事は出来るはずです。
#俺はこういった面でのリプレイの効用は大事なんじゃないかと思うのだが

どちらかというとチェスのような「勝ち/負け」の二分法ではなく、陸上競技のタイムやフィギュアスケートの点数のようなものに例える方が正確だろうと思いますが。
本人がそこで満足してしまえば終わってしまうが上を目指し続ける限り動機はあるのです。
#勿論、単純に走るのが好きという動機もありますから、必ずしも上を目指さなければいけないってわけでもありませんけどね

それに、失敗の原因を探す事→うまくやる方法を探す事、ですから明確でない方がハードルとしてやり甲斐がある場合もあるでしょう。
#必勝法が分かったゲームなんて面白くないでしょ?
一概には結論は出せないと思いますよ。

失敗の原因をさがす事とは直接関係ありませんが、上達のための方法論なんてゲームが生まれた後からできるものです。
方法論を作るのはいい事ですが、方法論を作り易くする為にゲームを作るというのはなんか違う気がするのですが。
2000年04月25日:17時41分51秒
[演技の効果] Re: 演技は感情に直接訴えかける / はたの
はたのです。
 
[演技の効果] 演技は感情に直接訴えかける / Genich!
 演技は、感情に直接訴えかける

 
 「プレイヤ」の感情に直接訴えかけても仕方ないと思うのです。
 
 いくら「君好みで萌え萌えな女の子がおびえた目で君を見ている」様子をプレイヤが哀れに思ったところでも、キャラクタの特徴欄に「サディスト、特に女を蹴っ飛ばすのが好み」って書いてあるなら、喜んで蹴っ飛ばさんといかんわけです。
#まぁ、高笑いの「演技」はせんでもいいが。
 
 ここで、うかつに「プレイヤ」の同情心をかきたててしまうとです、本来やるべき「蹴っ飛ばす」をプレイヤができなくなり、キャラクタをキャラクタらしく表現すること(a)が不可能になります。
 
 ある種の演技は(しばしば鍼原氏などがa.と定義するところの)演技を阻害するわけです。
 
 ...
 
 もちろん、プレイヤとキャラクタの感覚のずれを少なくしておけばこのようなギャップを防ぐことができます。
#プレイヤの感情に響くものはキャラクタの感情にも響く。となるわけで。
 そういう意味でも、演技の多用は「PC=プレイヤ」を促進する。のかも知れませんね。
2000年04月25日:17時38分21秒
[自然言語]Re:Re:言語学的知見のTRPGへの応用について、要旨の再整理 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
=システムの定義=
最広義:複数の要素が一まとまりの関係性を持ち、その全体が、独自の性質をもった構成態。
 
論理システム:部分の意味が、全体の論理構成の内で担う機能で決まっているシステム。
 
言語システム(広義):部分の意味が、類語間の差違関係・対照語間の対照関係で決まるシステム。
 特定言語(ニホン語ならニホン語、米語なら米語)は差違のシステム(=言語システム)とみなされる。
 
言語システム(個別):例えば、『日本国憲法』のテクストは、ニホン語とゆう言語システムの内から、特定語彙が選択され、特定の法思想を表すために構成された、個別言語システムだ、と言える。
 
 『日本国憲法』に含まれる各文言は、全体の構成と文脈によって意味が限定されながら、同時に全体との関連で、妥当な解釈も許容する。
 『日本国憲法』の文章記述に動員された単語は、その文脈の中でだけ担い得る意味を担わされている(同じ単語でも、他の文章・文脈の内では表さない意味を担わされている)。

 よくできたテクストとは、『日本国憲法』に限らず、母胎となる言語システムの示差性を活用しながら限定をかけた、個別言語システムとなる。
 よくできた、個別言語システムの特徴は、特定の思想・内容を表現しつつ、多彩な解釈を許容する点にある。
  
 こうした、「構成と文脈による意味の限定」、そして、「意味の限定と妥当な解釈の許容」を可能にしているのは、ベースになってい、ニホン語(広義の言語システム)の多義性・示差性である。

 できのよくないテクストとは、この場合、意味の限定が不充分なテクスト。解釈が可能なのではなく、単にああも読める、こうも読める読めるといった文章の構成態のこと。これは言語システムと呼ぶに値しない。
 
 ちなみに、客観性や、一意な情報の伝達を目指す(解釈を忌避する)論文などは、ここでゆう個別言語システムとは少し性質が違う。
 それは、母胎である言語システム(ニホン語など)の下論理性を制限する方向の、論理システム志向型の言語構成態といえる。
 
 TRPGのルールブックはこの意味で、「よくできたテクスト」である「個別言語システム」になっている必要がある。
 
>石頭さんへ
 お問い合わせの件、こんなところですが。いかがでしょうか(?)。
2000年04月25日:17時30分43秒
[忠告]単語は正確に / 匿名希・望
・Genich!氏
>迫真のホラーの演技は、もはや解釈がどうこうなどはどうでもいいぐらい圧倒的な恐怖感を与えます。
>(中略)解釈だの多義性だのは、しょせん理性レベルの話に過ぎません。

だからそれは舞台演劇的・映画的な「演技」の話でしょ?
鍼原さんはかなり違った意味で(いちいち説明せんけど)使ってるんだから、自分の思い込みだけで会話しててもマトモに相手にされませんよ。
2000年04月25日:17時01分09秒
Re:言語学的知見のTRPGへの応用について、要旨の再整理 / 石頭
あのーカンナ殿、カンナ殿の考えられている”システム”とは一体どのような定義になるのでしょうか。教えてくらさい。
2000年04月25日:11時43分42秒
[演技の効果] 演技は感情に直接訴えかける / Genich!


「悪人NPCの演技をすることによってプレイヤーの動機付けを高める」という話が出ていましたが、それを読んで大事なことに思い当たりました。
こういうケースでは、演技に解釈の余地があるからプレイヤーの動機付けが高まるのでしょうか? 自然言語の下論理性によって動機付けが高められるのでしょうか?
私にはそうは思えません。記号論や言語学だけから考えればそういう風にしか考えられないでしょうが、そんなことは枝葉末節であって、「演技」はもっと遥かに重要な性質を持っている、と私は考えます。すなわち

演技は、感情に直接訴えかける

そしてこれこそが、演技の持つ最大のアドバンテージであり、 効果的な演技を考える上で重要な点だと思うのです。
例えば、迫真のホラーの演技は、もはや解釈がどうこうなどはどうでもいいぐらい圧倒的な恐怖感を与えます。 あるいは、悪逆卑劣なNPCの演技だと、意味の解釈はいろいろあるかもしれませんが、とにかくプレイヤーに嫌悪・怒りの感情を覚えさせるという点では同じです。 解釈だの多義性だのは、しょせん理性レベルの話に過ぎません。 しかし演技というのは、理性ではなく、もっと本能的な感情に直接働きかけます。 ありきたりな言い方をすれば「魂に直接訴えかける」ものだと思うのです。
また、演技があると無いとではプレイの盛り上がりがかなり違いますが、 これも演技がプレイヤーの感情に直接作用して気分を盛り上げるためだ、 と私は考えています。

このように考えると、演技というものは、「何かを伝達するための手段」というより「相手に影響を与えるための手段」と考えた方がいいのではないでしょうか。
例えば、悲しい感情を持っているプレイヤーがいて、 その悲しみを演技で表現したとすると、「どのぐらい悲しいか」は見ている人まで伝わらない可能性が高いでしょうが、 同情心をかきたてることはできるでしょう。
RPGの中で演技をどう生かしていくかとか、あるいは演技力を向上させるにはどうしたらいいか、を考える上でも、たぶん、言語学よりも感情心理学の方が役に立つのでは。


2000年04月25日:10時44分36秒
[自然言語]言語学的知見のTRPGへの応用について、要旨の再整理 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「自然言語」「自然言語のコミュニケーション(言語コミュニケーション)」やその関連について「何の役にたつ話なのかわからない」って声が出されています。
#「自然言語」の性質についての、言語学の知見は、「TRPGシステムの分析」「TRPG個別システムの解釈」「TRPGのジャンル整理」「セッションで用いられるコミュニケーション技法の整理」に活用することができます。
#そこで、「[自然言語]情報伝達/相互了解、要旨の再整理」 (当掲示板,カンナ記,2000年04月25日:09時36分25秒)、での再整理を踏まえて、「言語学での自然言語についての知見をTRPGに役立ててく考え方」について要旨を再整理することにしました。

 
◆TRPGシステム(TRPGシステムの分析)
 アタシの意見では、「TRPGシステム=(言語システム⊃論理システム)」です。
 この場合、「論理システム」は判定系を中心にして、データとして判定処理に関わる諸々の情報、のシステムです。
 「言語システム」は、自然言語の多義性を踏まえて構成・記述されたルールが、一まとまりになって、何かを表しているシステムです。
 
 論理システム=判定系、言語システム=(世界設定⊃世界法則)、と言うと、あまりに大雑把で誤解も生じると思います。アタシの意見もそうした分け方を意味してはいません。
 
 世界設定の記述も、判定に使用されるときは、データとして使用されます。
 しかし、架空世界の状況や在り方を解釈する時は、言語記号として参照されます。
 
 ルールブックの構成・記述を観ても、1「ゲーム用語相互の示差的関係」、2「ルールブック外の語彙を参照して解釈してゆかなければならない無数の単語の存在」を観てとれます。
 このことから、「TRPGシステムは論理的に完結したシステムではない」と言うことができます。論理的に完結したシステムは、論理的定義の体系ですから、日常語彙の参照の必要はありません。
 示差的関係で意味を持たされたゲーム用語の典型は、例えばアライメント関係などです。
 こららの特徴をもって構成された記述は、言語システムと呼んで構わないものです。
 
 「ルールブック外の語彙を参照して解釈してゆかなければならない無数の単語」とは、例えば「神話」であり「文化」であり「国家」でありといった諸々です。こうした単語の解釈には、ゲーム用語外の語彙が参照されます。
 仮に、ルールブックに「文化とは、ゲームで使われる種族ごとに特徴的な生活習慣や家族制度です」と記述されていたとしても、ユーザーは、各文化設定が、要約説明どおりの妥当な内容になっているか、解釈してゆく必要は生じます。
 例えば、SLGジャンルのゲームは、「数値で表されるものがゲームの全て」ですので、ユニットの定義、は例えそれが「中隊」と呼ばれようと、「師団」と呼ばれようと、論理的なシステム内の定義として完結した整合性を持ちます。
 
◆システム解釈(TRPG個別システムの解釈)
 論理システムには解釈の必要はありません。
 論理的判断と、単一の理解が必要になるだけです。
 
 TRPGシステムが「論理システムを含んだ言語システム」である、ってことは、解釈を許容する余地があるって事です。
 個別システムの解釈では、まず、「システム構成要素間の関係性の妥当な把握」が前提になります。
 この場合、「構成要素のどこを中心にシステムを把握するか」と、「構成要素間の重要度についてのウェイトの置き方」で、多彩な解釈が生じます。
 
 いつも書くことですが、「構成要素のいくつかを無視・度外視した解釈」は曲解と呼ばれるべきです。
 また、「構成要素の一部に変調した解釈」は誤読と呼ばれるべきです。
 曲解も誤読も妥当な解釈ではありません。
 
 妥当な解釈は、それぞれが多彩であっても、対話(相互了解コミュニケーション)を通じて、自分の理解しているシステムの別様の妥当な解釈であると了解されます。
 
 TRPG個別システムの解釈には、後、「ゲームで扱われる架空世界が、どのようなものであるかを把握するために、日常語彙が参照される側面」もあります。
 しかし、「システム構成要素間の関係性の把握」が主で、「ゲームで扱われる架空世界が、どのようなものであるか」の解釈は従だと思われます。
 
 丁度、一冊の本を読む時に、辞書類は参照用であって、本の記述内容は、テクストの構成や文脈から読解されるのと同じ事です。
 
◆TRPGジャンル(TRPGのジャンル整理)
 TRPGジャンルについての整理とは、1「ジャンル内の諸々のシステムの示差的関係」、2「隣接諸ジャンルとの、ジャンル間の示差的関係」を同時に整理してゆくことだと思われます。
 TRPGはゲームの一類ですが、それがどんな類的特性を持ったゲームであるかの整理が、ジャンル整理なわけです
 
 TRPGジャンルの類的特性を整理してゆくことは、1「TRPGの遊びかたの技法整理」2「どのシステムがどんな遊びかたに適している、どんな遊びかたには不適当かの整理」に役立つはず、と思われます。
 
 ジャンル整理のためには、TRPGジャンルに含まれる諸々のシステムが共通して持ち、他ジャンルのゲームではあまり観られない、「複数」の性質の関連を、システムごとに検討する方法が有効です。
 「複数」の性質の関わり方が、ジャンル間の差違を明瞭化してゆくでしょう。
 「複数」の性質の重要度の違いが、ジャンル内でのシステム間の関係を明瞭化してゆくでしょう。
 
 とりあえず、アタシが提起しているのは、次のような特徴です。
A.「TRPGシステム=言語システム⊃論理システム」(他ジャンルのゲームシステムは、論理システムとして完結している)
B.「TRPGが遊ばれる際には、言語コミュニケーションが必要不可欠」(他ジャンルのゲームでは、情報交換だけで、プレイが可能)
C.「特にTRPGで用いられるコミュニケーション(情報伝達&相互了解)では、『PL/PC分離の原則(仮称)』と『架空世界での冒険を扱うこと』の二つの理由から、情報伝達/相互了解の混在比率が異なった様々な発信-受信が併用される」これは、他ジャンルのゲームプレイでは観られない顕著な特徴
 
 なお、ジャンル整理をしてゆく際は、まず、システムと、システムのスタンダードな遊びかた、を基準に整理してゆく方法が適当でしょう。
 あるシステムが許容する遊びかたの幅、はスタンダードな遊びかた相互の位置付けが、ある程度明瞭化した次の段階に取り掛かった方が、整理が効率よく進むと思われます。
 
◆コミュニケーション技法(セッションで用いられるコミュニケーション技法の整理)
 TRPGセッションで行われるコミュニケーション、特に、オーラル・コミュニケーション(発話)は、自然言語のコミュニケーションに、いろいろな状況限定がかけられたものです。
 例えば、「今はコンベンションでセッションをしている」、「今は◎◎のシナリオをプレイしている」って類が、基本的状況限定になります。
 
 しかし、このTPO認識には、「TRPGジャンルの理解」、「セッションでの遊びかたの理解」、「システムの解釈」なども絡みます。
 この辺の多くが体験的な理解・解釈に留まっている場合、理解・解釈が大きく異なるメンバーの間でのコミュニケーションに齟齬が生じる蓋然性が高まります。
 
 また特にプレイに関しては、「架空世界での冒険についての状況認識」と「セッションの状況の認識」が二重関係を持っている事。しかも、二重の認識が密に関連してゆくことから、特徴的なコミュニケーション技法が用いられることになります。
 
 例えば「PL/PC分離の原則(仮称)」は、「架空世界での冒険についての状況認識」と「セッションの状況の認識」が二重になることから派生する原則です。そしてこの「PL/PC分離の原則」を実現するため、いろいろ特徴的なコミュニケーション技法が必要になります。
 
 一般に自然言語のコミュニケーションは、情報交換の側面と相互了解の側面が、目的やTPOに応じていろいろな比率で混在する(どちらかがゼロになることはあり得ない)ものなのですが。
 TRPGの場合、プレイの局面、局面で、情報交換/相互了解の比率が変動した発話が必要になります。
 
 こうした観点(情報交換/相互了解の比率)からのコミュニケーション技法の整理は実践面でも有益なものになるはずです。
2000年04月25日:09時58分12秒
[ジャンル論] ゲームである局面とそうでない局面とは? / Genich!

紙魚砂さんのre:ゲーム世界の内と外 ゲーム世界の内と外へのコメントです。

>・TRPGでは、ゲームである局面と、そうでない局面が存在する。

言葉の定義から考えると「ゲームでない局面はすべてゲーム世界外である」という気がするのですが、 この「ゲームでない局面」というのが実体として何を指しているのかよくわからないので、詳しく教えてください。具体的にはどんな場面を想定されていますか?

私がRPGをプレイするときだと、「プレイヤー同士がプレイヤー発言としてギャグを言い合う」ということが多々あり、時にはゲームマスターまで一緒になって困ったことになります。アメリカでも「プレイ中に Monty Python からの引用をしてはならない」という格言があるらしく、割と普遍的な現象なんでしょう多分。ゲームではないが楽しい一時です。そういう場面のことでしょうか。

あるいは、コンピュータRPGだとゲームシーン以外にビジュアルシーンというのがあったりしますが(プレイヤーは再生されるビジュアルカットを見るだけで操作できないシーン)、そういうシーンのことでしょうか。


2000年04月25日:09時36分25秒
[自然言語]情報伝達/相互了解、要旨の再整理 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「自然言語」「自然言語のコミュニケーション(言語コミュニケーション)」について「わかりづらい」って声が出されています。
#そこで、TRPGとの関連、セッションでの使用を念頭に、「言語コミュニケーション」の性質について、最低限の要旨だけを、出きる限りのわかり易さを心がけて、要約・再整理することにしました。
#多分、今のアタシの能力では、これ以上のわかり易い記述は、当面ちょっと難しい気がしています。

 
●情報伝達コミュニケーションのメカニズム・図式
 発信者→発信(発話)→「受信者⊃(受信→解読)」
 「情報伝達コミュニケーション」では、発信者と受信者は、同じコードを共有しているとみなされます。

●相互了解コミュニケーションのメカニズム・図式
 発信者→発信(発話)→「受信者(⊃受信*解釈)」
 「相互了解コミュニケーション」では、発信者と受信者、それぞれが用いるコードにあたるものにはズレ(差異)があります。それぞれが、個性(偏り)を持っていますので。
 そのため、受信者は、1.「発信者が発話したTPO(状況)」、2.「発信者の発話の前後の発話(文脈)」に応じて、発信者の用いた“コード”の偏りを推定します。
 この推定の際に、発話を構成する単語の多義性が、受信者の言語知識・センスに応じて検討されます。この単語の多義性を踏まえた推定が、解釈です。
 「相互了解のコミュニケーション」は、受信者の解釈が、発信者の使用する“コード”の偏りの推測であるために、「相互・了解」と呼ばれます。
 「相互了解」の概念は、相互に発信者/受信者の立場が交代する、双方向性とは別概念です。

《メッセージの発生について》
 言語学では、自然言語のコミュニケーションである限り(論理的な人工言語の使用でない限り)、あらゆるコミュニケーションからメッセージ(表面の意味以外の背後の意味)が発生してしまう、とみなされています。
 これは、メッセージが決して0にはならない、とゆうだけのことですが。
 例えば、TPOの認識が一致した発信者・受信者の間では、限りなく情報伝達100%に近いコミュニケーションを行うことも可能です。
 
《単語の多義性について》
 例えば、「TRPGセッションをおこなっている」、ってTPO認識が一致している場合、「3D6」とか、「ロール(ダイス・ロール)」とかの単語・熟語は、多義性が著しく制限されて用いられます。
 しかし、「TRPGについて会話をしている(だけ)」ってTPOでは、「ロール」(ダイス・ロールとは限らない)って単語は、多義性を持ち、文脈から意味が推測される必要が生じます。
 これが、「単に日常的な会話をしている」ってTPOでは、「ロール」とゆう単語が担いうる多義的な意味はさらに増します。解釈の必要性も増します。
 
《単語の示差性について》
 単語の多義性は、1「意味的に近接した無数の語との差違の関係」、2「無数の対照語との対照関係」の双方から個性づけられます。
 とりあえず、ここでは、この「錯綜した差違の関係・対照関係」を「言語の示差性」とみなすことにします。「示差性」のもっときちんとした理解はおいておきます。アバウトな理解だと了解してください。
 
 例えば、「本音」って単語は、「本心」「本意」「真意」「内心」「本性」etcなどと、の差異関係を持ちます。同時に、「本音」って単語は、「建前」「上辺」「公式見解」「虚偽」etcなどとの対照関係も持ちます。
 
 単語の多義性は、自然言語の本来の性質が論理的ではない事の、基本原因のひとつです。論理的な言語は、A=Aだったり、A≠Bだったり、A≠nonAだったりしなくてはなりません。ですから、多義的な自然言語の性質は論理的なものではないのです。
 
 しかし、「自然言語の性質が論理的ではない」とは「非論理的」である事を意味しません。
 単語の多義性・示差性の在り方は、文化的に傾向が決まっている準客観だからです。ただし、ある個人が、どこまで多義性を踏まえているかは、その人の言語知識・センスに依存します。
 また、自然言語の下論理性(運用によって、論理的にも、論理的でなくも用いることができる)は、一時的にTPOを踏まえて、言語の多義性を制限して運用することもできる、って性質です。
 
《メッセージのコントロールについて》
 発信者は、言語の多義性と示差性を利用して、発話から発生してしまうメッセージに方向性を与えることもできます。
 普通はこのように、発話者の意図的コントロールが加えられたメッセージが「含み」または「暗示」と呼ばれます。これに対して、メッセージは発信者の意図を越えて発生した意味も含みます。
 
 「メッセージ⊃(含み・暗示)」って関係です。
 
 含み、暗示のコントロールには、もちろん状況認識や前後の文脈も活用されます。
 
《情報伝達/相互了解、コード・コミュニケーション/メッセージ・コミュニケーション》
 自然言語での情報伝達、コードコミュニケーションに用いられる言語コードは、人工言語のプロトコルに近似の性質のものとみなしても構わないでしょう。
 ただし、この言語コードは、自然言語本来の性質、多義性と示差性に限定が加えられたものである事は、忘れられてはなりません。 
 
 この「限定の仕方」に違いがある発信者-受信者間のコミュニケーションでは、言語コードが実は一致していなかったことが突然はっきりすることもあります。
 また、状況認識が変動した場合は「限定の仕方」も変動してゆくことがあります。
 その意味で、自然言語コミュニケーションで用いられる言語コードを、比ゆ的に「錯綜した多義性・示差性」内の一部領域に、一時的にエミュレートされたプロトコルとみなされます。
 
 この「錯綜⊃コード」の関係は、自然言語の下論理性(運用によって、論理的にも、論理的でなくも用いることができる)――つまり「下論理的使用⊃論理的使用」の関係と同型の関係でもあります。
2000年04月25日:05時03分55秒
TRPG総合研究室 LOG 046 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 046として2000年04月23日から2000年04月24日までのログを切り出しました。


2000年04月25日:02時13分44秒
re:ゲーム世界の内と外 ゲーム世界の内と外 / 紙魚砂
>Genich!さん
>うーん、私がRPGをプレイするときは、その境界を意識して、分けるようにプレイしています。ゲーム世界内とゲーム世界外をいっしょくたにするといろいろ問題が起きるので、できるだけはっきりわけるべきだ、と考えています。

 私の考えは、

・TRPGでは、ゲームである局面と、そうでない局面が存在する。
・PLの介入は、「ゲームである局面」ではルールに則って公平に判定すべきだ。そうでない局面では、その場のノリで適当に流れてしまってもかまわない。
・「ゲームである局面」は、シナリオの段階で明確に規定されることが多いと予想されるが、セッションの段階で流動的に条件が変化する。別に、GM/PLの思い付きによってその局面が創出されることもある。
・いざ「ゲームである局面」に入ったら、そこでは「ゲーム世界の内と外」を明確に区切るべきである。

…と思うんですが。

 さらに、この方向で突き詰めていくと、「TRPGは、ゲーム的な部分も、そうでない部分も合わせ持った“遊び”である。」という結論が出るんですが、どうでしょうね。
2000年04月25日:00時51分54秒
[セッションでのコミュニケーション]Re: 「演技」の技法と位置付け / Genich!

鍼原さんの[セッションでのコミュニケーション]「演技」の技法と位置付け(一行掲示板抜出連載:長いけど面白い☆)へのコメントです。

うん、長いけど面白い。 それに何より、説明が観念論的じゃなくて具体的なのが良いですよ。 鍼原さん、実は長文のジャンル論を書くより、こういった具体的な議論を短文で交わす方に向いているのでは。

私は特に、「他のプレイヤーを使って自分のPCのイメージを固める」の辺りが興味深く読めました。 マルチプレイヤーゲームにおいて「他人と交渉(コミュニケーション)しているうちに自分なりの戦略スタイルが見えてくる」のに通じるものを感じます。
しかしここで何より重要なのは、「演技とは双方向性のものだ」という点でしょう。 つまり、演技というのは、演技しっぱなし/表現しっぱなしでは意味がなく、「自分の演技に対する相手の反応を見る」というフィードバックループが完成して初めて意味が出てくる、ということなのだと思います。 話の中で宇津見が挙げていた各種の問題も、やはり「このフィードバックが欠如している人が結構多い」という点が原因なのでしょうか。



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