TRPG総合研究室 LOG 045

TRPG総合研究室の2000年04月21日から2000年04月23日までのログです。


2000年04月23日:01時01分04秒
迂闊だった… / tatuya
>宇津見
 
 ではなく、
 
>宇津見様
 
 の間違いです。敬称を忘れたこと、深くお詫びいたします。
2000年04月23日:00時56分23秒
RPGマガジンのリプレイ / tatuya
 はじめまして、tatuyaともうします。
 初めは、ロムっているつもりだったのですが…
 
>宇津見
>熱血専用や番長学園のリプレイ記事が幅を利かせたころのRPGマガジンなんて、狭い共通認識によりかかって、
 
 それは、どうでしょうか?
 私としては、むしろ、それよりも遙か前、『アルセイユの氷砦』が終わったあたりからだと記憶しておりますが…
 なんというか、キャラ設定だけが暴走して、ストーリーにしまりのないセッションリプレイばかりが多くなり始めたかと…(つまらなかったし、参考にもならなかった)
 アルセイユ自体は、なんだかんだ言って、良くできていたリプレイだったのですが…次の『海砦』は、最悪でした。
 番長学園なんて、むしろ、頑張った方だと思います。なんだかんだ言って、きちんとキャラ設定がセッションで生きていましたから(主に、お笑いですが)。
 
 ところで、演技の質の違いなのですが、山北氏が提唱しているストーリープレイとキャラクタープレイという分類方法をご存じの方って、どれぐらいいます?
 ストーリープレイヤーの自分としては、キャラクタープレイヤーと混同されると(ここをきっちりと分けて論じている論考って少ないです)、結構悲しいものがあるのですよねえ(しみじみ)。
 
>「RPG(TRPGだけでなく)とは、仮想世界内のキャラクター(時にはそれ以外のトークンも)を操作する事で参加者にとって面白い物語を生成させるゲームである」
 
 私も、この定義ですね。CRPGが、物語を生成できるかはともかく…むしろ、読ませているだけ、と思いますが。
 で、私は、略して、TRPGは、ストーリーをゲームするものである、ストーリーゲームである、と呼称しています。
 
 失礼いたしました(ぺこり)
2000年04月22日:23時32分23秒
RE:傷つきやすい若者とRPG. プレイをより楽しくするためのぶつかりあい / Genich!

YANさんへのお返事です。

>A.セッション終了後、互いに反省点を出し合う/指摘しあう
>B.GMとプレイヤーとで、必要以上に馴れ合わない
>C.PC間(プレイヤー間ではない)の対立をロールプレイする

これには私も全く同感です。 残念ながらこれによって「本人の傷つきやすさが解消される」というところまでは無理だと思いますが、 それはそれとして三つとも非常に有意義なことなので、 こういうことを広めるのには私も大賛成です。


2000年04月22日:23時26分33秒
Re: Genich!さんへ / Genich!

掲示板移動の提案がありましたので、純粋に「RPGファンが傷つきやすい人々かどうか」を論じるトピックについては、TRPG改善委員会に移りましょう。

「技法としての演技/感情吐露としての演技」に関連する話はこちらで続ける、ということで。

これはFRACTUSさんへのお返事ですが、MARSさんへのお返事にもなっているんじゃないかと思う。

>「最近のTRPGを遊ぶ奴は『感情吐露の演技』しかできない人な奴が多くて困る。なんとかならないものか」

そうではないです。
「技法としての演技」をちゃんと演技できている人も結構いる、 と私も認識しています。 しかし一方「感情吐露の演技しかできない人」もまたそれなりにいて、 その人達をどうすればいいかが難しい、という話です。

それはそれとして、RPGファンには、傷つきやすさレベルの高い若者が有意に多い、 と私は感じています。 実は、私自身、 二年以上前に「やさしさの精神病理」の本を読んだとき、「これは私自身にも当てはまる話だなあ」とたいへん胸の痛い思いをしました。 しかし「傷つきやすさ」にはレベルというものがあるようで、 私よりもさらに傷つきやすさレベルの高い人がRPGファンには多いとも見ています。
それで、傷つきやすさレベルの高い人が全員「感情吐露の演技しかできない」というわけではありません。傷つきやすいけど「技法としての演技が得意」という人も結構います。ただし、「感情吐露の演技しかできない人」は全員傷つきやすさレベルが高い、と見て間違いないと私は考えています。
で、この傷つきやすさレベルの高さが、「感情吐露の演技しかできない人をどうすればいいか」という話を難しくしている、というのが私の考えです。 少なくとも過去の私の経験ではどうすることもできなかった。
しかし、ここでは、「間接話法」の話とか、あるいは「ゲームマスターで演技を却下する」といった(私が過去思いつかなかった)アイデアも出ているので、 もしそれらが本当に効果を発揮するなら、それに期待したい、という気持ちもまた同時にあります。


2000年04月22日:23時23分19秒
いっそのこと / ぴゅうた
お久しゅう、ぴゅうたデス。
  
  「傷つきやすい若者とRPG」というのと「プレイをより楽しくするためのぶつかりあい」とか言うものに対して。
  タイトルにも書いたのですが、いっそのこと「ディプロマシー」みたいなのをやってみては、いかがなものかと。
  でも、それには条件があります。
  それは、すでになれている人のプレイをまず見てからの話だと思われます。
  いきなりでは、「友情破壊ゲーム」の名に恥じぬ働きを見せつけてくれるでしょう。
  
  そーです。コミュニケーションの勉強をするのです。
  コミュニケーションは、カッターナイフのようなものです。安全に使う方法を学ぶ機会が必要なのでは?
  それをその人なりに使う方法を、教えてあげることは出来ません。いえ、教えるだけなら可能です。(それが、先人のプレイを見るということです)
  しかしそれを理解し習得するには、本人が実際に使ってみて、危険なことや、安全な方法を試してみるしかありません。
  
  そういう風に、コミュニケーションを習得する機会が今は少ないために、傷つかない範囲で好きなように使っているのではないのでしょうか?
  だから、範囲を離れた者(傷ついた人など)を(さらに)傷つけてしまう。
  
  まあ、そんな訳で、ゲーム自体で対立を起こさせるという方法が、有効なのではないかと。
  先人たちは、どうしてきたのかを見たうえでね。(とーぜん、その後自分たちはどーするか、考えないとダメよ)
  そーすると、少しはコミュニケーションというものが、変わってくるのでは?
  
  しかし、忘れてはならないことがあります。
  それは、安全な使い方を覚えたところで、カッターが安全なものになるわきゃないということです。
  
  俺も、もっと安全に使うように(もちろん、人の傷つかない範囲で、危険に振り回したりするのではなく、人のいる位置によって安全に使用するように)しなければな。
  他人に興味をほぼ抱かない私としては、忘れてはならない努力なのです。(個人的なことですが)
2000年04月22日:22時55分27秒
自己陶酔垂流し合いプレイ / 宇津見
 そういう点では今思い返す(というか読み返す)と、熱血専用や番長学園のリプレイ記事が幅を利かせたころのRPGマガジンなんて、狭い共通認識によりかかって、自己陶酔の垂れ流し合いを相互に認め合うという、とんでもなく気色悪い世界でした。
 これを、「お互いを尊重したプレイです」なんて擁護されたら....たしかに傷つきやすい人たちの温床呼ばわりされても仕方が無いですわ。
2000年04月22日:22時47分49秒
re:傷つきやすい若者とRPG / 宇津見
 Genich!氏へ

 もっと具体的な実例をいくつか挙げないと、説得力が無いのではないでしょうか。

 とはいえ、自己完結した頭の中の世界に安住したがるプレイヤー....具体的には、万能美形スーパーマンキャラクターを頭の中で思い描いて、やたらと宿敵やら生き別れの肉親やらを書いた長ったらしい背景設定を書き、そうした物を垂れ流すための演技に熱中。そのくせ、提出した(スーパーマン願望 or 自己陶酔丸出しの)設定への却下や異論、あるいは実際のセッション進行での想定外の展開には、「プレイヤーには自由があるんだ」「RPGは自己表現なんだ」「ここでこうなるのはお約束でしょう」と言い張ってみとめたがらない馬鹿の心当たりなら、数件あります。
 昔からよく言われている問題プレイヤーですね。
 こういう馬鹿のエゴの垂れ流し場所、つまり創作性なんて無い、自己陶酔に浸りたい人の温床になっているのでは、という心当たりなら、たしかにあります。

 ....すいません、私も昔はGMをしていて、その手の気が結構ありました。


2000年04月22日:20時46分34秒
RE:傷つきやすい若者とRPG. プレイをより楽しくするためのぶつかりあい / YAN
 Genich!さん、初めまして。宜しくお願いします。
 
> 昨今のRPGプレイヤーには傷つきやすい若者が多い
 
 他の人も言われている通り、実際にそうかは疑問なのですが。
 まぁ、少なくはなかろうなぁ…とは思います。とりあえず、多い/少ないはおいといて。
 
 自分がそれに当てはまる場合や、当てはまる人物と卓を囲んだ場合の対処法と考えて、ご意見拝聴させて頂きます。
 
> 1.みんなでガンガン考え方を押しつけ合おう
> 2.みんなでガンガン傷つけ合おう
> 3・みんなで傷つき合った上に、真の対話・真の人間同士の交流を実現しよう

  
 「傷つけ合おう」というと非常にイタそうなのですが。
 根本は「傷つけ合うのを恐れて遠慮しあうより、本気で語り合おう」みたいな主旨ですよね。というわけで、
 
 1.みんなでガンガン意見を出し合おう
 2.みんなでガンガンぶつかり合おう
 3.みんなで腹を割って話し合い、真の対話・真の人間同士の交流を実現しよう

 
 みたいな表現がよさそうだと思いました。
 「70年代のマンガで番長同士が殴り合う」のも、傷つけることより、スキンシップ/互いの強さ(主張)を確認しあうことがポイントなわけですし。
 
 んで、これをTRPGのシーンに当てはめると、以下のようなケースが想定できますね。
 
 
 A.セッション終了後、互いに反省点を出し合う/指摘しあう

 
 セッションが全くの成功裏に終わることなんて、ごく稀なことです。
 全体的に成功でも、部分部分では「あそこはこうしたほうが良かったよね」って場面はあるでしょう。
 
 初対面の相手だから、あるいは逆に良く顔を合わせる相手だからと遠慮していたら、次回も同じ原因で失敗するかもしれません。多少心苦しくても指摘した方が、互いの為になるでしょう。
 
# とはいえ、ボロカスに言って良いわけじゃありませんが。
# (ケンカでいうなら、刃物はご法度ってところでしょうか)
 
 
 B.GMとプレイヤーとで、必要以上に馴れ合わない

 
 GMとプレイヤー間では、ゲームを円滑に進めるためのある程度の共通認識は必要ですが、GMがPCを生かすために「あからさまに」ルールを曲げたり、ダイス目を誤魔化していては、ゲームとしての興は大いに殺がれるでしょう。
 
 もっとも、初心者プレイヤー相手に、高度な戦略が必要なシナリオをぶつけて「全滅したのは君たちが悪い」てのはアンマリなので、プレイヤーに合わせたバランス調整やアドバイス、挽回のチャンスを増やすといった工夫は必要でしょうけど。
  
 同様に、プレイヤーがGMのシナリオをなぞるだけでは、物語を作り出す楽しみは得られません。GMの(=NPCの)裏を掻いたり、話を予想以上に盛り上げるような「挑戦」も、TRPGの楽しみのひとつでしょう。
 
 とはいえ、全く出鱈目に動くのは論外だし、GMの用意したシナリオから外れ過ぎると、GMの処理能力をオーバーして破綻したり、時間が足りなくなりますので、そこは状況を見ながら進めるべきでしょうが。
 
 また、馴れ合わないからといって、GMが敵なわけでも、協力しなくて良いわけでもないので、必要ならアドバイスしたり、シナリオが成立するよう軌道修正する努力も必要でしょう。
 
 
 C.PC間(プレイヤー間ではない)の対立をロールプレイする

 
 TRPGでは、PC同士がパーティを組んで、仲良く協力しながら進むケースが多いですが、たまにはPC間の対立を演出してみるのも、プレイにアクセントを与える意味で有効です。
 
 ここで注意すべきなのは、プレイヤー間で熟練度に差があると、慣れてないプレイヤーには不利なセッションになり兼ねないことです。その場合は、初心者とベテランを組ませるか、あるいは「プレイヤーとPCは別」ということで、敵対するPCのプレイヤーでも、有効な戦法をアドバイスするといった心遣いが必要でしょう。
 
 また、対立といっても敵同士になるのではなく、ちょっとした価値観の違いから口ゲンカになるくらいでも、アクセントとしては充分です。あるいは対立しなくても、互いにロールプレイで「掛け合い」するだけでも、プレイに華を与えてくれるでしょう。
 
 そのためには、それぞれのプレイヤーが、自分のキャラの設定を良く理解し、それを他のプレイヤーに伝えることが大事です。プレイヤー自身のプレイ傾向も明かしておくと、よりスムーズにプレイが進められるでしょう。
 
# その意味では、シナリオ開始前/開始直後の、プレイヤー/PCの自己紹介は大切ですね
 
  
 他にも、ルーリングについての話し合いや、TRPGについての考え方など、意見をぶつけ合ったほうが良い場面はあるでしょうけど、実際のセッションに関連するものでは、上の3つがメインでしょうか?他の方のご意見もお聞きしたいところです。
2000年04月22日:19時25分32秒
追記:言語コミュニケーション、他(>Dandanさんへ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Dandanさん
 たびたびすみません。
 えーっと、アタシの書いた、「言語コミュニケーション、他(Re:[質問]わからないことば )」 (当掲示板,2000年04月22日:18時41分11秒)、ですけど、できるだけ、わかり易さを心がけて書いてみました。
 
 でも、アタシの力が足りなくて、かえって疑問とか出ちゃったかもしれません。
 そうした場合は、よければ、「TRPGのための言語技術の部屋」に、投稿などしていただけるとありがたい、と思います。わかる限りのことは、お応えしたく思いますので☆
2000年04月22日:18時53分59秒
[提案]心理学的話題の掲示板移動について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>toALL
 
 「簡易掲示板利用マニュアル」にある以下の文言(注意事項)を踏まえて、心理学的な話題を、話題的により適した掲示板に移動していただく様、要請します。「傷つきやすい若者」が、どーしたとかの関連です。
 私見ですが、この掲示板で話し合われるには不適当な話題かと思いますので。
#話題の関連が生じるなら、必要に応じてこちらの投稿にリンクをはればよいでしょう。
 
 注意事項:掲示板のテーマにあわせた内容を書き込む。
 
 移動先は話題に興味のある方の御判断にお任せしますが、アタシが思うには、次の二つが適当な候補かと思います。
 
 「TRPG改善委員会」現状のTRPGを取り巻く環境の問題点と、その改善策について検討・行動していきましょう。
 
 「TRPGのための心理学設定の部屋」TRPGに心理学を利用するための話をしましょう。
 
#まぁ、どっちかって言うと「改善委員会」かなって気はしますけど。
2000年04月22日:18時41分11秒
言語コミュニケーション、他(Re:[質問]わからないことば ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 こんにちは。Dandanさん☆
 
 差し出がましいようですが。アタシもとても関心持ってる件なので、ご質問お応えさせていただきたいです。
 
 言語学の知見を踏まえてお応えします。
 大学の専門課程前(昔一般教養課程って言われてたヤツ)で、言語学やれば教わる程度の一般教養レベルには、まとめたいと思っています。(と言っても教授の傾向によって講義内容もいろいろでしょうけど)
 
 ちょっと話しの都合上、ご質問の順序を逆にして説明します。
 
言語システム/数学システムについて
 
 混沌太郎さんが、「数学システム」と言ってられるのは、TRPGシステムに含まれる判定系と、判定時に計算式に代入されるデータ類のことだと思います。
 
 アタシは同じようなものを「論理システム」と呼んでいます。ただ、こちらの「論理」には、文章論理も含まれますので、「数学システム」より「論理システム」の方が範囲が広いと思います。
 
 「言語システム」と呼ばれているのは、自然言語のシステムの事でよいはずです。
 「自然言語のシステム」は示差的で、下論理的です。
 
 示差性とは自然言語の性質です。TRPG関連の事例は、「[ジャンル論]具体事例・示差的言語システムの(補足・Re:用語そのものからの解釈)」 (TRPG総合研究室 LOG 043,カンナ記,2000年03月20日:06時04分26秒)、で挙げ、説明を加えてみたことがあります。
 
 下論理性も自然言語が持つ次のような性質です。
 自然言語は、基本的に、多義的で示差的なので、論理的構造を持ってはいない。しかし、自然言語の用法にいろいろ制限を加えて使用すると、論理的に使う事「も」できる。
 このような、目的に応じて、論理的にも、論理的でなくも使える、自然言語の性質が、下論理性、と呼ばれます。
 
 TRPGのルールブックは、判定式も含んだ、文章の形式で記述されています。
 例えば、匿名希・望さんは、個別のTRPGシステムを、「一体度」って観方で考えてられるようです。
#「Re:D&Dシステムの<構造>理解」 (TRPG総合研究室 LOG 044,2000年04月21日:16時19分26秒)
 
 この観方はアタシもわかる気がします。
 アタシ的には、TRPGシステムは、言語システム(自然言語のシステム)に論理システムが含まれている型、と考えています。
 
 なぜかと言うと、言語システムは論理システムを含むことができるからです。逆に、論理システムがその内部に、言語システムを含むと、論理システムとしての機能が不然になってしまいますので。
 
 で、アタシ的には、「TRPGシステムに含まれる論理システム」は、判定系を中心にした関連の諸々、と捉えています。
 決して、判定系だけが、論理システムなのではないと思います。
 
 ちょっと事例を挙げます。「GURPS」の特徴とかが典型的なんですけど。判定が必要なときは、論理システムに組み込まれて、データとして、使用されます。しかし、判定が要請されない局面では、プレイの指針としてゲーム用語(自然言語の特殊な用法)として解釈され、活用されます。
 
 このように、言語システムとしてのTRPGシステムの要素には、判定行為があるとき/ないときで、論理システムに組み込まれたり、組み込まれなかったりして活用されるものも、あります。 ですので、アタシとしては、TRPGシステムは、「判定系を中心にした論理システム」が言語システムに含まれたもの」、と考えるのがよい、はずです。
 
・言語コミュニケーションのある/なし
 
 >これはどのレベルにおけるある/無いの話なんでしょう?
 >1. 言葉によるコミュニケーション自体が全くない(コントラクトブリッジ)
 >2. ゲームの展開と関係ないコミュニケーション(雑談とか)
 >3. ゲームを展開するために使用するコミュニケーション
 >4. ゲームのシステムに組み込まれているコミュニケーション
 
 すでに異見も出てるようですけど。
 
 アタシは、まず、システム解釈の共有や、イメージの撚り合わせのところから、言語コミュニケーションがはじまっていると考えています。(4’. ゲームのシステムに組み込まれているコミュニケーション言語の読解に基づいたコミュニケーション、って感じですね )
 それから、TRPGセッションでは、言語コミュニケーションが不可欠と思っています。(3. ゲームを展開するために使用するコミュニケーション )
 
 初期のD&Dなどについての意見はすでに述べましたけど、システムにいろいろ制限が加えられ、本来の使用法に限定がかかった場合は、言語コミュニケーションが使用されずともセッションがおこなわれることはあると思います。
 これはTRPGシステムに限定を加えた非本来的遊びかた、と考えられます。
#「[ジャンル論【理論】]TRPGジャンル論の理論要請と方法論 」 (TRPG総合研究室 LOG 044,カンナ記,2000年04月20日:16時36分12秒)
 
 言語学では、自然言語によるあらゆるコミュケーションに、情報伝達の側面と相互了解の側面が混在すると、認められています。
 情報伝達の発信が、コード発信、相互了解の発信が、メッセージ発信と呼ばれます。
 また情報伝達の受信が、解読、相互了解の受信が解釈と呼ばれます。
 
 例えば、法律的に正規の契約書などでの言語使用は、情報伝達>相互了解。
 文学などでの言語の詩的使用では、情報交換<相互了解。
 日常的な言語使用では、法的な言語使用と詩的な言語使用の中間領域で、情報伝達の側面と、相互了解の側面とがせめぎあっている、と論じられています。
 
 自然言語のコミュニケーションでは、何がしかの割合で、情報伝達/相互了解が、混在している、と述べました。
 TRPGセッションで、言語コミュニケーション不可欠とゆう言い方は、論理的な情報伝達と、相互了解的なコミュニケーションが混在して、判定時、ルール談義時、その他のプレイ時間、などなどで、混在の割合も変わっている、って考え方を意味しています。
#この辺の考え方については、以前検討したことがあります。
#「[ジャンル論]Re:用語そのものからの解釈」 (TRPG総合研究室 LOG 043,カンナ記,2000年03月18日:10時13分52秒)
 
 とりあえず、いじょうです。
2000年04月22日:18時06分51秒
余談ですが / FRACTUS
私も匿名希・望さんと同じようにTRPGを

「RPG(TRPGだけでなく)とは、仮想世界内のキャラクター(時にはそれ以外のトークンも)を操作する事で参加者にとって面白い物語を生成させるゲームである」

と思っていますし、また、セッションをする時はいつも

うまく演技する
うまく他の参加者とコミュニケーションする
いい物語を作る

ことを目標に臨んでいます。

だから、その目標が果たせなかった場合、悔しくて「今度こそは」という気持ちになりますし、逆に果たせた時は至福の極地で「またやろう」って思います。
これらがうまくいかないからといってそれを「つまらない」と思うのは、私からすれば「将棋やカードゲームをとりあえずやってみて、勝てないから『つまらない』と投げ出してしまう」のと同じ様に思えるのですが。

つまり、そういった人っていうのは単に「TRPGの醍醐味がまだわかっていない」だけなのではないでしょうか?
2000年04月22日:18時03分47秒
Genich!さんへ / FRACTUS
はじめまして。 いつも皆さんの書きこみを拝見させて頂いているFRACTUSというものです。

突然ですが、Genich!さんが言いたい事っていうのは、暴言ですが一言で言うと

「最近のTRPGを遊ぶ奴は『感情吐露の演技』しかできない人な奴が多くて困る。なんとかならないものか」

っていうことなのでしょうか?
ここ最近のGenich!さんの発言を読んでいると、そのようなニュアンスの事を伝えたがっているように感じられます。もしそうでなかった場合、その旨お知らせください。謝罪と共にこの文章は削除いたします。

けれど、Genich!さんが上のようにお考えなのでしたら・・・
TRPGを遊ぶ人は、そのような人達ばかりではないことををわかっていただけないでしょうか?

私自身、確かに「そういう感じの人が増えてきたなあ」と感じることはしばしばありますので、そのご意見に賛同はできます。おそらくGenich!さんは相当数の「感情吐露の演技しかできない人」に会われたことなのでしょう。

しかし、一般論的に全体がそうだと決め付けてしまうのはどうでしょうか?

私自身、このTRPGなる遊びに虜になっている人間でして、この遊びをさらに楽しいものにするべく、自分なりに色々と考えたり、技量の追求をしたりしています。 また、私以外にも多くの人達がこのページや他の様々な場所で活発に意見を出しあっています。そのような人達にとって、

>現状のRPGは、傷つきやすい若者の「姥捨て山」になっている

という発言は不快に感じるものと思われるのですが、どうでしょうか?

また、ここ数日で出された様々な「TRPGにおける『演技』の効果について」の意見に対して、

>しかしながら、 >感情吐露の演技しかできない人に対して >「…考えてプレイしようね」とか、あるいは「書き換えの練習をしようね」とか、 >「演技の狙いを明確にしようね」とか、そういうことを言っても、 >「ただの遊びなのにわざわざそんなことするなんてやだー」という否定的な反応しか返ってこない、という現実があります。 >なぜそういう否定的な反応しか返ってこないのか、については、話を分けて別に書きます。

と返答されるのは、「奴らにゃ何言っても無駄だよ」と言われているようでして、特に「現実があります」というくだりは、一概にそう決めつけられているようにも受け止められ、やはり心に引っかかるものがあります。

おそらく私が変な受け取め方をしてしまっただけなのでしょうが、よろしければその辺りどう思われているのかお聞きしたいのですが。よろしくお願いします。
2000年04月22日:17時16分41秒
re:傷つきやすい若者とRPG / 極楽大王
 結論の「がんがん」は異議も異論もありますが。
 
 『傷つきやすい若者がRPGを』というのは、共感できます。そう感じることが多いです。
2000年04月22日:17時08分33秒
[質問]わからないことば。 / Dandan
こんにちわ、

 一つ前のログから読み砕いているんですが一般的に使用されていない言葉があって流れや論旨が良く分からないので教えていただけませんか?(または分かりやすい言葉でいうとどうなりますか?)

・言語コミュニケーションのある/なし

 これはどのレベルにおけるある/無いの話なんでしょう?
1. 言葉によるコミュニケーション自体が全くない(コントラクトブリッジ)
2. ゲームの展開と関係ないコミュニケーション(雑談とか)
3. ゲームを展開するために使用するコミュニケーション
4. ゲームのシステムに組み込まれているコミュニケーション

・言語システム/数学システム

 混沌太郎さんの認識を拝見させていただきましたが、それでも良く分かりません。
 そもそも、言語システム>プログラム言語といった言語で構成されたシステム(もちろんMathも含まれる)、を想像する私にとってそれがルールの構造とどう関係するのが分からない上に、さらにその「〜的」というのは混乱してしまいます。

 以上、よろしくお願いいたします。
2000年04月22日:16時43分47秒
傷つきやすい若者=RPGプレイヤー? / MARS
 話の流れもつかまず、割り込み非常に失礼ですが‥‥
 「昨今のRPGファンにたいへんよく当てはまる」
 と書かれる(しかも太字)と
 「RPGをやっている全ての人は」
 傷つきやすい若者ととられかねません。
 事実私は「傷つきやすい若者とRPG」だけを見たときに非常に強い反発を感じました。
 もちろんGenich!さんはそんなつもりはないのでしょうがもう少し注意していただけるとありがたいです。
 
 ちなみに私の周りにも「感情を吐露する演技」をする人で痛い目を見ている人が何名かいますが‥‥
 そういった人たちには根気強く「プレイヤーの視点とキャラクターの視点の違い」を話す事で
 ある程度の理解を得られています。
 一概に「なぜ遊びなのにそんなことをしなくちゃいけないの?」という反応が帰ってくるわけではないので
 あまり、ひとくくりにして排斥するような言動は好ましくないんじゃないでしょうか?
 もしかしたら私が「排斥している」と過剰反応を示しているだけかもしれませんので、
 その時はご容赦のほどを‥‥
2000年04月22日:15時10分25秒
頭がガンガンしてきた / 混沌太郎
>Genich!氏(2000年04月22日:14時24分33秒 傷つきやすい若者とRPG)
>昨今のRPGファンにたいへんよく当てはまると思いませんか?
全然。むしろTRPGファンでは比較的その傾向は薄いような。


>みんなでガンガン押しつけ合おう。(以下略)

…それじゃあなんですか。
Genich!さんとしては、ガンガン演技をしろと、そう主張したいわけですね?
2000年04月22日:14時24分33秒
傷つきやすい若者とRPG / Genich!

今回の話は長くなりますので、まず最初に要旨だけ箇条書きにします。

  1. 昨今のRPGプレイヤーには傷つきやすい若者が多い。
  2. 現在のRPGのコミュニケーション機能は、そういう傷つきやすい若者の逃避の場になっている。
  3. 「意見を押し付けるのは良くない、お互いを尊重し合おう」という一見正しそうな主張も、実は同様。
  4. このような状況では、コミュニケーションは「その場を刹那的に楽しむ」ためにのみ用いられ、人間性同士の交流にまで至らない。
  5. みんなでガンガン押しつけ合おう。ガンガン傷つけ合おう。その上で真の対話を実現しようじゃないか。

精神病理学者の大平健や解剖学者の養老孟司などに言わせますと、昨今の若者には「傷つきやすい若者」が増えているそうです。
この「傷つきやすい若者」がどういうものかについての詳細については、 岩波新書から出ている「やさしさの精神病理」(大平健著)を読んでいただくか、あるいはNIFTYのIDをお持ちの方なら私の書いた傷つきやすい人々 〜 or やさしい若者という文章が役にたちますが、 簡単に抜粋しますと、

  1. 最近の若者の間では「やさしさ」という言葉が、以前とはかなり違った意味合いで使われている。例えば、「親からお小遣いをもらってあげる」のも「やさしさ」だし、「愛していないのに結婚してあげる」のも「やさしさ」だし、「上司に叱られても黙っている」のも「やさしさ」となってしまうらしい。
  2. いろいろ分析してみると、彼等の使う「やさしさ」とは、「他人を傷つけないこと」および「自分が傷つけないこと」とイコールであることがわかった。「傷つくことを恐れる気持ち」が、おかしな「やさしさ」を生んでいるらしい。
  3. こうした若者の間では、70年代の青春映画に出てきたようなホットな人間関係は「相手を傷つけたり自分が傷ついたりする恐れがある」ため敬遠される。もっと距離をあけた、傷つく恐れのない、つかず離れずの人間関係が歓迎される。
  4. しかし一方でこうした若者は、「既に傷ついている人」に対しては極めて鈍感で、さらに傷つけるようなことを平気でするばかりか、「自分が相手を傷つけている」ということに気付かない。

さらに最近の社会心理学の立場からは、以下のような指摘が出されています。

  1. 傷つきやすい若者は、相手と強い人間関係を結ぶことができず、希薄な人間関係を好む。しかしそれでは「寂しい」気持ちを抑えきれないため、「希薄な友人を多数作る」ことによってそれを補償しようとする。「PHSに登録した番号が何百個ある」のを自慢しあうのも、そうした心理の表れである。
  2. 傷つきやすい若者は、友人との会話の中でも、辺り障りのない、その場が盛りあがるようなコミュニケーションを好む。相手の人間性に踏み込んだり、異なる考え方をぶつけあったりするような対話を嫌う。

さて、このような特徴、昨今のRPGファンにたいへんよく当てはまると思いませんか?

傷つきやすい若者がRPGのコミュニケーション機能を好むのは、「それなら傷つかずにすむから」に他ならない、と私は考えています。 希薄な人間関係しか築けない傷つきやすい若者は、 それを他のところ、やはり傷つかずにすむところで補償しようとするのですが、 RPGのコミュニケーション機能がそれに実にぴったりなのです。 また、他のプレイヤーのことを考えない演技過剰という問題は、「既に傷ついている人に対して鈍感」という特徴で説明できます。
こういうことを考えますと、私には

現状のRPGは、傷つきやすい若者の「姥捨て山」になっている

ように見えて仕方がありません。 確かにRPGのコミュニケーション機能はうまく使えば面白いものになると思うのですが、しかし現状はどうも何かが違う。 ろくでもない状況を生み出している、あるいは逆にろくでもない状況によって要請されている、ような気がしてならない。

また、「意見を押し付けるのはよくない、お互いの意見を尊重しあおう」との主張もよく耳にしますが、 これも要するに「お互い傷つけ合うのはいやだ」という傷つけやすい若者の願望の裏返しに過ぎません。 そういう辺り障りのないコミュニケーションは「真の人間同士の交流」とはとても言えない、と私は思う。 強い人間関係を築けないがゆえに、 希薄なコミュニケーションでその穴を埋めようとし、 しかし所詮埋まるわけがないので、いつまでも蜃気楼を追いつづける、みたいな。
傷つきやすい若者にとって、RPGは「所詮遊び」なんですが、 その意味するところは「遊びなんだから傷つかなくていいはずでしょ」なんです。 だから、自分の考え方ややり方について何か言われても、 否定的な反応しか返ってこない。 お互いの考え方に影響を与えるようなコミュニケーションを認めようとしない。

さて、まとめに入りましょう。
傷つきやすい若者にとって本当に必要なのは、 希薄な人間関係をさらに増やすことではなく、「傷つくことを恐れない心」を手に入れることです。 そうしなければ、この精神の病理から抜け出せません。 ですから私は

  1. みんなでガンガン考え方を押しつけ合おう
  2. みんなでガンガン傷つけ合おう
  3. みんなで傷つき合った上に、真の対話・真の人間同士の交流を実現しよう

という考え方でいます。 イメージとしては、そうですね、 70年代のマンガで番長同士が殴り合って、その上に男同士の友情が芽生える、 みたいな。


2000年04月22日:13時17分17秒
Re:Re: TRPGにおける「演技」の効果を客観的に考 / Genich!
>「演技」の目的・効果を客観的に考えてプレイする」

はい、鍼原さんと同様私もたいへんよくわかりますし、まったく賛成です。

しかしながら、
感情吐露の演技しかできない人に対して
「…考えてプレイしようね」とか、 あるいは「書き換えの練習をしようね」とか、
「演技の狙いを明確にしようね」とか、 そういうことを言っても、
「ただの遊びなのにわざわざそんなことするなんてやだー」 という否定的な反応しか返ってこない、 という現実があります。
なぜそういう否定的な反応しか返ってこないのか、 については、話を分けて別に書きます。


2000年04月22日:07時14分41秒
演技の基本的サポート(Re:Re:Re: TRPGにおける「演技」の効果を客観的に考える) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@紙魚砂さんWrote (「Re:Re: TRPGにおける『演技』の効果を客観的に考える」,当掲示板,2000年04月22日:04時44分07秒)
 >ところで、私はあくまで「間接話法」は方法論の一つに過ぎないと思っています。
 >私の実際採用している技法は
 >「「演技」の目的・効果を客観的に考えてプレイする」
 >「ネタを普遍性のあるものにする」
 うん、わかります。
 この場合「普遍性のあるものにする」って「元ネタから離れる」、「元ネタの再現」とかは意図しないって意味でよいですよね(?)。
 
 >状況に合わせて、考えて、演技できないといけない。だから、誰にでもお勧めできるわけではありませんし、いつも、うまくできるわけでもないです。
 
 いくつかの対策は、あると思います。
 
 まず、直接話法の形式を、形式上の「描写」や、「セリフを含んだ描写」に手早く変換する能力を高めてく事、があると思います。
 
 ほら、義務教育の英語で、受動態を能動態に書き換えたりするではないですか(今でもやりますでしょ?)あんな感じ(笑)。
 訓練方法としては、例えばリプレイ本とかの発話を書き換えるとかですね。
 この書き換えは、能力って言っても発想法みたいなものだから、コツされ掴めば後は楽な気がします。(私見)
 
 書き換えをする時には、できればワープロソフトを使ってデータを取っておくとよいでしょう。
 それから、取り消し線などを使って書きかえる前後のテキストもまとめてとっておく、と。
 
 例えば、紙魚砂さんの例示を少しお借りしますね。
 「敵に気付かれないように、仲間に合図を送ります。」と言って適当な技能で判定する。
 
 A:(おもむろに)『そういえばひとつ噂を聞いたんだが』
 B:『うむ。』
 A:『この辺りに最近山賊が出るらしいとか。』
 B:『本当か?では気を付けた方がいいかもしれんな。』
 A:『ひょっとして(あごで草むらを差す)そのあたりにでも潜んでるとかな(笑う)』
 
 A:「急に思い出したように近くに山賊が出るらしいとゆう噂について話します、狙いは敵に気づかれない様仲間に注意を促すこと」
 
 A:「ふと『そういえばひとつ噂を聞いた』と語りだし、さりげなく近くに敵がいることを相手に気取られぬよう、仲間に伝えようとします」
 
 書き換えをしてく内に楽に使える語彙がふえてくとこも、副次的なメリットであるかと思います。
 
 後、「演技」をする人は、常に演技の狙いを明確に意識するように努めるとよいと思います。
 そうすると、セッションの現場で、形式の言い換えが必要になったときや、演技の狙いを同卓メンバーから求められた時の返答が楽にできるようになると思います。
 
 この演技の「狙い」には、ゲーム的な狙いと、物語的な狙いとが混ざり合ってると思うんですけど、この二種類も区別も意識されるとよいかな。
 
 まず、ゲーム的な狙いは、ゲームコンセプトの理解と、マイキャラの演技方針の理解が意識されると、考え易いですよね。
 
 物語的な狙いは、マイキャラの演技方針、とGMがプレゼンしてる状況の狙いを推測すること、他のプレイヤーさんのキャラハンドリングの狙いを推測すること、から考えるしかないですよね。
 言葉にすると大仰だけど、実際は大抵の人がセッション中やってることだと思います。
 演技を有効に使いたい人は、それを少し意識的にするよう自分に癖をつけてくとよいと思います。
 ゲーム的な狙い:、ゲームコンセプトの理解・マイキャラの演技方針の理解
 物語的な狙い:マイキャラの演技方針・GMがプレゼンしてる状況の狙い・他のプレイヤーさんのキャラハンドリングの狙い
 
 紙魚砂さんが、「状況に合わせて、考えて、演技できないといけない。だから、誰にでもお勧めできるわけではありませんし、いつも、うまくできるわけでもないです」って言ってられるのはわかります。
 
 TRPGでの演技は、舞台演劇などの演技とは別ですし。
 ボキャブラリーや言語センスが無いときつくなりますよね。
 自分の発話だけでなく、「GMがプレゼンしてる状況の狙い」、「他のプレイヤーさんのキャラハンドリングの狙い」を推測(解釈)してくにも。
 
 ただ、「マイキャラの演技方針」これについては以前、紙魚砂さんや外のみなさんと、みんなで考えた、キャラプレの構想法を基本にしてってよいと思います。
 
 ボキャブラリーを増やすには、類語辞典を併用しながら、国語辞典を読む訓練が有効と思います。
 
 後、セッションでの実際的対応法としては、他のプレイヤーさんのキャラハンドリングに、適確な質問ができるような、そうゆう能力・センスがあるとよいかな。これについては、いろいろな要素が絡むのでアタシも整理して考えられてないです。
 
 GMがプレゼンしてる状況の狙い、の方はこれは普通プレイヤー発言で聞いてもなかなか応えてくれないでしょう。
 「演技」に理解があるGMさんだと、マイキャラのセリフに、NPCのセリフで替えしてくれると、セリフの含みについていろいろ考えられて楽しいんですけどね。
 
 過剰演技をしちゃうプレイヤーさんの中には、演技の狙いなどについて質問を受けるとムッとする人がいるように聞いています。これは論外ですよね。
 これについては、「TRPGでの演技は、舞台演劇での演技を観客の立場から観てイメージされるようなものではく、舞台演劇が構築される稽古過程での演技に類縁性が高い」、だから、「何か不都合な演技は、監督の立場にあるGMによって、随時却下される可能性はある」って事をくり返しアピールしてくことだと思います。
 
 まず、TRPGの演技を取りざたする方も「演技」と聞いて直ちに舞台演劇風のものをイメージするような偏見を脱しないとダメでしょうね。それでは否定しようとする相手同列のレベルで思考してることになっちゃいます。
 
 実際のセッションでは、演技の有功活用を試みる者から、率先して、キャラハンドリングの狙いを語り合い易い雰囲気になるよう努めるのがよいでしょうね。
 狙いを問い合わせるのに、詰問調とかは論外ですし、演技の物語的狙いは、必ずしも情報伝達だけでは表せない、って事も理解されるべきと思います。
2000年04月22日:04時44分07秒
Re:Re: TRPGにおける「演技」の効果を客観的に考える / 紙魚砂
>Genich!さん
>「試しにそういうプレイをやってみる」ことをお願いできませんか? > 紙魚砂さん

 いや…、個人的に「間接話法」ってあんまり好きじゃないんで(最近は。冷めちゃうもんで。)、やりたくないなぁ(笑)。
 ちなみに「間接話法を義務付ける」は、暗黙の了解で、初心者を交えたセッションで自然にプレイされていたことが多かったと記憶していますが、最近の世間では違うのかな?

 ところで、私はあくまで「間接話法」は方法論の一つに過ぎないと思っています。
 私の実際採用している技法は

「「演技」の目的・効果を客観的に考えてプレイする」
「ネタを普遍性のあるものにする」

です。目的を持って、10歳年下にも10歳年上にも解る(であろう)演技をする。
 基本的に、元ネタがあって、それをなぞる「演技」をしようとすると、元ネタを知らない人に理解させる努力を怠ってしまいがちになる。ので、まず元ネタについては考えずに、その場の状況(PL)に合わせて目的を決めて「演技」する。
 それが、気が付いたら「あれが元ネタだったな」ということはよくあります。が、前提として「他のPLに合わせて(なるべくわかりやすく・目的を持って)演技しようとする」ので、何も考えず浸って「演技」するよりは“解りやすい”と思うんですけれども。実際、他のPLにどう見えていたかは不明です(ギャグだった時には、笑ってたのは確認しましたが)。

---実例(脚色入り(笑)))を一つ挙げましょう---

【状況】パーティーで逃亡中。途中の草むらに敵が潜伏しているのを発見(敵はそれに気付いていない)。イニシアチブを取るため、「こちらが気付いている」ことを敵に知らせずに、仲間に危機を知らせたい。

・演技しない場合
 「敵に気付かれないように、仲間に合図を送ります。」と言って適当な技能で判定する。

・演技する場合
A:(おもむろに)『そういえばひとつ噂を聞いたんだが』
B:『うむ。』
A:『この辺りに最近山賊が出るらしいとか。』
B:『本当か?では気を付けた方がいいかもしれんな。』
A:『ひょっとして(あごで草むらを差す)そのあたりにでも潜んでるとかな(笑う)』

…なんてのはどうでしょう?
狙っている効果を詳しく書くと、「味方に危機を知らせつつ、敵に『気が付いているかも知れないし、そうでないかも知れない』と考えさせて、戦闘1ターン分の時間を稼ぐ」です。(ちなみにこの方法は「難しい」です。状況に合わせて、考えて、演技できないといけない。だから、誰にでもお勧めできるわけではありませんし、いつも、うまくできるわけでもないです。)
2000年04月22日:03時42分01秒
Re:Re:演技無しで〜(回答) / 混沌太郎
う〜ん、速い。(笑)

既に切り出されてしまいましたが、折角のご指名ですのでお答え致します。
質問は二つになっていましたが、密接な関係にあるのでまとめて、ということで。

実際のところ、ゲームの、言語システム的な構造というものを自分がちゃんと理解しているのかどうか不安なので、とりあえずその辺から書きますので、変だったら言ってください。
数学的なゲームの構造というのはまあ明快ですよね。水銀入りの剣は攻撃ボーナスが-25されるがダメージが5割増しになるとか、そういうやつです。
一方、「言語的な」構造というのは…
魔法を単に「火力」と見なしているウィザードが、変わり者らしい行動を取ったり、
(反応判定とかではなく)状況から、あるキャラが別のキャラに特別な好意を抱いたり、
といったようなものでしょうか。
「『混沌』というのはやばいらしい。どうもゲームを通しての敵らしいぞ。」
みたいな「認識」も、私は含めて良いと思うのですが、どうでしょうか。

この考えで行くと、言語的構造には特定のゲームに限らない普遍的なものと、そのゲーム世界独特のものが有るように思えます。
前者は一見習得の必要はないように思えますが、TRPGの下部構造の上でやる以上、適したやり方というのはあります。
例えば、小説と違って、キャラクターの内面の葛藤を延々と描写しても、余り受けるとは思えません。
なお、これまた面子依存の部分と普遍的な部分が…という気もしますが、例示等は割愛します。
一方、世界観・背景世界特有の理解は、会得するのが大変そうですね。World of Darknessのシリーズなどはこの辺が充実していると思うのですが、読むのは大変そうです。

(ちと議論のつながりが弱いですが)結局「言語システム的」遊びというのは、規定されていない部分を読みとって「解釈」していくところに面白さがあるわけですから、容易に説明することは出来ないのではないでしょうか。
なぜなら、一言で完全に説明してしまえるようであれば、それは「解釈」の余地はない、シミュレーションライクなゲームということになりますからね。
従って、言語システム的な楽しみというものは、とりあえずTRPGの枠内では、本質的にとっつきにくいものなのではないでしょうか。

特定の人物の悪口を、いかに的確な表現で言ってのけるか(変な例で済みません)も、言語システム的な遊びだと思うのですが、この場合は言語が直結しているので、戸惑うことはないでしょう。
しかしTRPGの場合、キャラクターの行動の再現、という、一見シミュレーション的な土台の上に載っているので、そもそもそういう遊び方が出来ることを理解するまでに多少の経験を必要とするのではないでしょうか。

さて、数学的なゲーム構造の方の障害といえば、やはり煩雑さでしょう。
これにも2種類あり、最初はわかりにくいが習得してしまえば迷わないものと、本質的にプレイアビリティの低いものがあります。
前者に関しても、ゲームシステム固有のものなので、あるシステムに慣れてもゲームを変えるとまた苦労させられます。
言語システム的な構造については、最初のとっつきにくさしかありません(まあ、新メンバーがいるときは多少の調整が必要ですが)。
さらに、数学的システムの方は、通常、それだけでもとりあえずゲームとしてプレイ可能に作られています。

これはどう言うことかといいますと…
数学的処理が苦にならないプレイヤーは、すっと入ってきて、しばらくは数学的構造で遊んでいるでしょう。そしてそのうち言語コミュニケーション的面白さにも気付いて、無理なく多様な遊び方を楽しめるはずです(もっとも、これは模式的な説明であって、普通同席のプレイヤーに合わせて遊びますから、いきなりそういう遊び方で溶け込むことも可能ですが)。
ただ、いきなり言語コミュニケーションなプレイを強要すると、ひいてしまうかもしれません。

一方、「数学的システムの解析は苦手だけど、言語システムの読解は大好き」という人は、同席のベテランたちがうまく言語システム的遊び方で迎えてくれれば楽しめるかもしれませんが、数学的システムの負担は、何回か経験した程度ではなかなか軽減しません。
「数学的システムの解析が苦手なタイプは一時的にTRPGを遊んでもリピーター・ユーザーにならなかった」
と言われているとすれば、こういった理由によるのかもしれません。

この手の方々にTRPGをお勧めするとした場合、二通りのアプローチがあります(どちらも月並みですが)。

一つは、「言語システム的な読解は好き」という点にアピールする手で、その人が読解をしやすいようなテーマ、例えば原作物などを選んで、巧みに気を惹くわけです。
さらに、こちらの方が重要なのですが、そういう遊び方のうまい人を面子としてそろえることですね。言語コミュニケーション的な遊びは、相手がいないと出来ないわけですから、同席プレイヤーががちがちのウォー・シミュレーションで遊んでたら、どうにもなりません。

もう一つは、苦手な「数学的」負担を減らす手です。
とっつきの悪さはサマリーでも用意して、プレイアビリティの低さは… ゲームを選ぶしかないか。

まあ、皆さんが既に仰っていることを繰り返しても仕方がないので、詳細は割愛させていただきます。
何か必要以上に長くなった気もしますが、私の考えは大体こんなところです。


(PS:実際のところ、「見えないルールのスリム化」が、ゲームのコンセプトとして用意される程のものかどうかは疑問です。というか、漠然と書いたので何を意味しているのか自分でも不明。「明文化」の方が実際的手法かも。ロールプレイで経験点が入る、とか。)
2000年04月22日:03時02分10秒
Re: TRPGにおける「演技」の効果を客観的に考える / Genich!
>“と言う”の部分で、PL自身が演技にのめり込んで客観性を見失ってしまうのを“冷ます”効果があり、
他のPLが、のめり込んだPLを見て“引いてしまう”のを未然に防ぐ緩衝剤になるという効果がある、 と言えるのではないでしょうか?

ふうーむ。それは考えていなかったので、興味深く読んでいるところです
(私は自分の意表を突かれることがすごく好きなんです)。

もし本当に効果があるとすると、「間接話法を義務付ける」ということで、 問題を緩和することができるかもしれません。
では、本当に効果があるかどうか、ですが、 これはやはり実際にやってみて検証してみないと、 なんとも言えないでしょう。
「多少の効果はあったが、焼け石に水だった」ということになると悲しい。

「試しにそういうプレイをやってみる」ことをお願いできませんか? > 紙魚砂さん


2000年04月22日:02時44分30秒
TRPGにおける「演技」の効果を客観的に考える / 紙魚砂
どうも、失礼します。

>Genichさん
>鍼原さん

 どうも、二人のおっしゃられている論点がずれていると思われるので、その主張をすりあわせて議論していただくために分析を書かせていただきます。

 まず、Genich!さんのおっしゃられる「演技」はいわゆる演劇などに見られる演技の分類ではないでしょうか。
 で、TRPGのコミュニケーションのゲームの上では、「「○○でないのに○○のふりをする」演技」も「感情吐露としての演技」も、表出するのは「PLが、そのキャラクターらしい言動・振る舞いをする」というだけのことで、結局の所これはPL自身の内面的な分類だと思われます。
 「感情吐露としての演技」の弊害に関しては、自分の「演技」のコミュニケーション上の効果をいかにPL自身が客観的にとらえられるか、他のPLにも客観的に捉えられるようにすることができるか?が論点になると思われます。

 一方、鍼原さんのおっしゃられる「直接話法・間接話法」などは、その「演技」がPL自身や、他のPLに与える心理的な効果を“客観的”にするための方法論の一つだと思われます。ということで、Genich!さんの問題定義に対する鍼原さんの具体的な方法論の一つは、すでに提示されているのではないかと思うのですがどうでしょう?

 ちょっと書くと、間接話法でPLが「『XXXXXX』と言う」と言うのは、

“と言う”の部分で、PL自身が演技にのめり込んで客観性を見失ってしまうのを“冷ます”効果があり、
他のPLが、のめり込んだPLを見て“引いてしまう”のを未然に防ぐ緩衝剤になるという効果がある、

と言えるのではないでしょうか?

それでわ(失礼)。
2000年04月22日:00時18分52秒
二種類の演技の弁別法 / Genich!


「技法としての演技」と「感情吐露としての演技」を弁別する厳密な方法は 今後まじめに考えて行く方法があると思います。
しかし、私はかなり楽観的な見通しを持っています。 この二つは外に現れる結果として何が違うのか、を考えて行くことで、
弁別法も構築できると考えています。
実は、馬場秀和のマスターリング講座で使われている「強いキャラクタプレイ/弱いキャラクタプレイ」の分類を敢えて用いず新しい分類を提案した背景には、この新しい分類の方が弁別が容易である、と考えたことがあります。

とりあえず現時点で既に私が気づいている点ですが、

という比較的明確な違いがあります。 この点をリトマス試験紙代わりにできないか、というアイデアを検討中です。

また、鍼原さんは「技法としての演技も悪用されれば威嚇の武器として使える」とおっしゃられていますが、 これは「キャラシート記入用の鉛筆だって悪用されれば目に突き刺す凶器として使える」と言っているのと同じことで、たいして意味がありません。
問題は、感情吐露としての演技をしている人は、悪いことをしているという自覚がないという点です。 技法としての演技を悪用する人は、悪用しよういう意図があって悪用するわけで、 ですから悪人だけが悪用します。 しかし、感情吐露としての演技をしている人は、本人は善人であっても、知らず知らずのうちに迷惑をかけてしまう恐れが高い。

ただし、私も「この二種類を弁別すること」は可能だと思うのですが、 いざ弁別したとしますと、
「感情吐露としての演技をしてしまう人」が多数いるとわかるのですが、 この人達にどう対処すればいいのか、 については正直言って良いアイデアを持っていません。 まさか「お前ら RPG を止めろ」と言うわけにもいかないでしょう。
この点については、私は鍼原さんのアイデアに実はちょっと期待していたりします。
「ゲームマスターが演技を却下する」という方法が 実際のプレイの場で効果を持つのであれば、素晴らしい。 机上の空論で終わってしまうと非常に残念なので、 実践してみませんか? ただしその場合、「ゲームマスターはどういう判断基準で却下するのか」 という別の判断基準は必要になると思います。

ちなみに、鍼原さんは判断基準を体験則から導くことを批判されていますが、 現代思想カブレ(失礼)にしか通用しない構造分析やコミュニケーション論を基にして判断基準を導くよりは遥かに信憑性が置ける、と私は考えています。
直接話法・間接話法の区別はわかりやすいですね。 技法を分類すること自体が目的ならそれでもいいのでしょう。 しかし、「迷惑をかける人がいるという現実に対処する」ことを目的とするなら、 例えば「直接話法なら迷惑をかけない、間接話法なら迷惑をかける」 といった現実との関りまでを見出さないと、 議論のための議論で終わってしまうでしょう。 直接話法・間接話法の区別は、そういう目的には多分用を為さないような気がします。


2000年04月21日:23時50分28秒
発話形式としての「演技」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 TRPGセッションで用いられる言語コミュニケーションの発話形式(GM、プレイヤーを問いません)の二分法の一つに、直接話法/間接話法、とゆう二分法があります。
 
 例えば、PC「俺は行くぞ」、は直接話法です。
 PL「私のキャラは『俺は行くぞ』と言いました」は、間接話法です。
 また、PL「私のキャラは、移動の支持を力強く言いました」も、直接話法/間接話法の二分法で考えるなら、間接話法と言わざるを得ません。本当は非・直接話法とゆうべきなのですが。
 
 また違った尺度として、演技/描写とゆう二分法を考えることができます。
 
 ところが、「演技」とゆう言葉に意味されるものは、日常語彙からして多義的であるため、この二分法には混乱が生じます。
 
 PC「俺は行くぞ」は、誰しもが「演技」と考えます。
 同様に、PL「私のキャラは、移動の支持を力強く発しました」も、誰しもが「描写」と考えます。
 
 混乱は、TRPGセッションで用いられる事の多い発話形式、PL「私のキャラは『俺は行くぞ』と言いました」で生じます。
 
 多くの人はこれを「描写」と考えるようですが、前提として、「俺は行くぞ」の部分がいわば棒読みである、とゆう感じ方があるようです。
 こうした感じ方が生じる事情は推測できなくもありません。しかし、せっかくの二分法が混乱される事は好ましくない、と思われます。なぜなら、「棒読み」か、「感情がこもっているか」は、少なくともセッションの現場では、感覚的に判断される、主観尺度だからです。
 
 日常会話でも、ちょっと何かのメッセージを込めようとすると、“芝居がかった”口調になるタイプの人はいますね。あるいは、組織の上下関係では、上のものは自然に、上の者らしい感情を、発話にこめます。
 結局、「感情がこもっているかどうか」は技法体系の基礎に、尺度として持ち込むにはあまりに曖昧と言えます。
 
 この間接話法、形式分類としては、「描写⊃演技」の混交形式と考えるべきです。あるいは、「セリフを含んだ描写」と呼んでもよいでしょう。
 
 発話形式は、語られた語句の意味するものに、メッセージとして含まれる発話主体の立場が、どこにあるかで形式的に区別されます。
 
 PC「俺は行くぞ」、での語られた発話主体は架空のPCです。
 PL「私のキャラは、移動の支持を力強く言いました」での、語られた発話主体は実在のPLです。
 PL「私のキャラは『俺は行くぞ』と言いました」での、語られた発話主体は、実在のPLですが、語りの中に、架空のPCを発話主体とする語句が混交しています。
 
 言語コミュニケーションは文化的な約束事に基づきます。ですので、客観事実ではありません。
 極論を言えば、英米語のスピーカーにはニホン語の言語的約束事は何の意味もなしません。
 しかし、ニホン語の言語特性にもとづいた形式弁別と、発話形式意識的使い分けは、ニホン語の言語センスを磨くことで可能になる、とゆう点で、技法体系の基礎となります。
 
 特にTRPGの場合、「語られた語句の意味するものに、メッセージとして含まれる発話主体の立場が、物語世界とセッションテーブルの構造関係のどこにあるかを形式的に区別」してゆくことで、共同主観的(準客観的)な区別を整理することがでるはず、と思われます。
 
 これは、感情吐露/技法、とか強い演技/弱い演技とかのような、体験に基づいただけの主観的判断とは違う性質(準客観的)の判断尺度になります。
2000年04月21日:22時59分43秒
技法と感情吐露 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 感情吐露としての演技と技法としての演技とゆう二分法をTRPGのプレイに考える意見があるようですが。
 アタシはこれは、セッションの現場で使用するに不都合が多すぎる考え方と思い、もんだいが多いと考えます。
 
 馬場論的な強い演技/弱い演技の考え方と同様、セッションの現場において、実際的に二つの区別を弁別する公正な目安を提示できないからです。
 せいぜい体験から、「いまのは感情吐露だと思う・思わない」、と言い合えるだけでしょう。
 
 セッションの現場で、誰かが「今のは強い演技だ」と言えば、声のかすれも強い演技と(声色)と観られかねません。
 感情吐露に関しても同様なもんだいがあります。
 
 また、正規の訓練を経た演劇的技法も悪用されれば、単なる感情吐露よりも、容易にセッションで同卓メンバーを威圧することもできます。
 実はアタシは、あるコンベンション用のテストプレイで、同卓した劇団構成員の方が、GMとの合議で意図的・実験的にに、技法の悪用をされた場に立ち会ったことがあるのです。
 
 従って、実際的なもんだいへの対応は、感情吐露/技法とゆう二分法にはなく、TRPGならではの技法体系(それは舞台演劇での技法体系とはまた別の構成になるはずと予測されます)の整理にあると言えます。
 
 感情吐露といわれるような過剰演技が、TRPGをプレイしてる人たちの間でいろいろな軋轢を生んでいることは理解できます。
 
 アタシが推薦する対処法は、まず、「TRPGでの演技は、舞台演劇での演技を観客の立場から観てイメージされるようなものではく、舞台演劇が構築される稽古過程での演技に類縁性が高い」、「だから何か不都合な演技は、監督の立場にあるGMによって、随時却下される可能性はある」とゆう観方をアピールすることだと思います。
 
 この観方ならば、「TRPGのゲーム性」に関して理解が行き届かず、過剰演技に陥るタイプの人たちの、何がしかの理解も得られるでしょう。
 
 馬場論的な強い演技/弱い演技も、感情吐露/技法も、その判断基準が概ね体験にだけ基づいて断定される事のマズさがもっと自覚されるべきです。
 
 こうした体験的な断定が、TRPGに興味を持っている人を威嚇し、実際のプレイに踏み切る決意の障害になったり、リピーターの定着を妨げる要因になっていることは、不幸な事情と思われます。
2000年04月21日:22時29分18秒
面白い物語を生成するゲーム / Genich!

匿名希・望さんに質問させてください。

>「RPG(TRPGだけでなく)とは、仮想世界内のキャラクター(時にはそれ以外のトークンも)を操作する事で参加者にとって面白い物語を生成させるゲームである

この部分ですが、参加者は「生成された物語が面白くなかった場合、プレイヤーは悔しがりつつもゲーム自体は楽しむことができる」と、お考えでしょうか?

実は私は、ゲームの面白さとして、
「成功したり失敗したりすること」が必須だと考えているのです。
例えばギャンブルは「負けているうちが面白い」と言われています。勝ってばかりのギャンブルは面白くありません。負けるから熱くなる。熱くなるから楽しい。 チェスや多くのボードゲームにしても、勝っても負けても楽しいものです。
これらのゲームの目標は確かに「勝つこと」ですが、ゲームをする目的は「勝利目指して頭をひねること」にあります。負けたとしても、「頭をひねった」ことには変わりはなく、そのため楽しめるのです。
もちろんプレイヤーは悔しがります。 しかし、悔しがっているということは、実は楽しんでいる状態に他ならないのです。
もちろん、全然勝てないとそれはそれでダメですが。

また、私は、RPG に限らずあらゆるゲームにおいて、 初心者を惹きこみ、また興味を持続させ、ゲーマー寿命を延ばすために、 この悔しさ が重要だと考えています。

「楽しい一時を体験させる」とか「素晴らしい演技で感銘を与える」とかいったことも、全く意味が無いとは言いませんが、効果は思ったほど高くありません。 単なる「美しい思い出」として胸の中にしまわれてしまいがちで、
「もう一回やろう」という動機付けにつながらない。
「くそっ、次こそわっ」という悔しさこそが、 その人のゲームに対する想いを持続させるために最も効果的だ、と考えているのです。
このような立場に立ちますと、例えば

という風に私は考えています。
ところが、上記の三つについては、多くの人が、うまくいかないと「つまらない」とだけ感じてしまい、「くそっ、次こそわっ」という悔しさにつながらないようなのです。 何故なのかはよくわかりません。 以前 NIFTY でもこの辺が美しきストーリー作成のゲームというトピックで議論されたことがあったのですが、どうもうまいアイデアが出ませんでした。

この辺についてお考えをお聞かせいただけると嬉しいです。


2000年04月21日:21時55分57秒
二種類の「演技の得意な人」 / Genich!

>えーと、例えば、TRPG経験者の中にも、演技(セリフや仕種←過剰演技ではなく)が苦手な人と、何の気無しに出てしまう人といるよね、って話があるんですけど。
(中略)
>まず、そうした層を潜在ユーザーに見込むことについて、何かご意見あったらお聞かせください(←コレお聞きしたいこと1号です)。

このように書いてあると、まるで「演技の得意な人--つまり演技が何の気無しに出てしまう人」と「演技の苦手な人」の二種類が世の中にはいるように見えますが、 これは、あまり良い分け方ではありません。
というのも、RPG において「演技」と呼ばれているものには、全く異なる二種類のものがあるためです。

  1. 技法としての演技。例えば「本当は痛くないのだが、お腹が痛いふりをする」ような演技。本人が意識して演技するのが特徴。
  2. 感情吐露としての演技。本人が意識しなくても自然と演技が出てしまう。

例えば、1.の演技が得意だが2.の演技は苦手、という人の場合、演技させると凄く上手いのですが、「何の気なしに出てしまう」ということにはなりません。当然その逆のパターンもあります。

この分け方を踏まえての話ですが、
2.のタイプの人をユーザとして取りこむことには、原則的に反対です。
なぜかと言うと、よく言われる演技過剰などの問題を引き起こすのが、きまって2.のタイプの人だからです。 このタイプの人は、演技を行う前に「考える」ということをほとんどしません。 私は先に、相手に何を伝達/発信するべきか判断する能力が必要でないか、と書きましたが、こうした人には、 そのような判断がほとんど無いのです(能力はあるのかもしれないが使っていない)。
演技をする動機を比べてみますと、1.のタイプの人の場合は「演技によって伝えたいものがある」「プレイ全体をもりあげたい」といった目的意識が主ですが、2.のタイプの人の場合は「自分が表現したいと思ったことをその場ですぐ出したい」という感覚になります。そのため、1.のタイプの人には「君の目的を達成するためにはもっと演技の技法を勉強するといいよ」と言うと割とよく理解してもらえるのですが、2.のタイプの人の場合は「その場ですぐ出すること」には技法など関係ないため、いまいちうまくいきません。

それで、現状ですでにタイプ2の演技を好む人は十分多く、 それで困っている人も結構いるので、 これ以上そういう人が増えるのは避けたい、 というのが私の正直な考えです。
タイプ1の演技の得意な人、例えば劇団出身者などを RPG に取りこむことには、 比較的賛成です。


2000年04月21日:19時27分36秒
TRPG総合研究室 LOG 044 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 044として2000年04月02日から2000年04月21日までのログを切り出しました。



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