TRPG総合研究室 LOG 041

TRPG総合研究室の2000年02月19日から2000年02月29日までのログです。


2000年02月29日:07時29分13秒
選択肢と結果による形式分類【事例】 / MO
私の「選択肢と結果による形式分類」も判り難いので事例を出します。
マスターのシナリオ製作段階での各タイプの対応の違いです。

まず、マスターが、「山賊による偽の関所」のアイデアを考え/思いつきます。 (SHiNさん、アイデアお借りします)
以下、各タイプ別に、

正解固定タイプ
マスターは、PC達が「関所が偽物な事を見破り、見破ったことを悟られずに強襲を仕掛け山賊を退治する」のがベストと仮定する。
PC達の行動が駄目だった時は、大金を巻き上げられたり、山賊に捕まったりする。(選択が違っていた場合のリスクが高いのが特徴)

結果固定タイプ
マスターは、PC達が「関所が偽物な事を見破り、見破ったことを悟られずに強襲を仕掛け山賊を退治させたい」と思う。
PC達の行動(及び結果)がそちらの方に行くようなシナリオ的な仕掛けを準備する。
(シナリオコントロールの為の要素の準備)

正解自由タイプ
マスターは、PC達が関所が偽物な事を見破り、見破ったことを悟られずに強襲を仕掛け山賊を退治するのも面白いし、
偽物に気が付かずに通行料の交渉にせいを出すのも面白いし(後で知らせると悔しさ倍増)、
気が付いた後、PC達が逃げ出し、山賊との追いかけっこも面白い。
山賊側のデーターを作り込むことにより選択幅が増えていく。
各案に長所短所が有る

完全自由タイプ
山賊による偽の関所なんて物を出したらPC達はどんな反応を返すだろう?
山賊側に女好きの奴を入れるのも良いし、いや、美少年好きでも良いのか?
小役人ぽい奴は入れといた方が良いかなー?いや、バレバレの奴でも面白いか?さてさて、どうなるかな

といった感じになるかな? さて、判り易かったでしょうか?

シナリオのシーン別で言えば、

正解固定タイプ:謎やキーアイテム、犯人当てなど。

結果固定タイプ:冒険依頼など、シナリオ中で避けて通れないシーン。

正解自由タイプ:シナリオでの分岐点。その行動によってストーリーが変わるシーン。

完全自由タイプ:町などでの自由行動シーン。

こんな時に良く使われるのでは?
2000年02月29日:04時32分42秒
「ロール」と「キャラ」と「シミュレート」(Re:解説) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
◆総論(とゆーのも大げさでアレですが:汗)
>私の意見は要するに「言葉の意味を広く取ろう」と言うものですので、反論としては「私はそんなものはRPGとして認めん!!」というような、大胆にバッサリ切って捨てるようなものが至当かと。
 
 うーん、反論とゆうよりは、アタシが書いているのは、今のところ異論なんですよ。
 
 質問なのですが、混沌太郎さんは、「なぜ?」「言葉の意味を広く取ろう」とされているのでしょうか?
 
 アタシは、TRPG_LABOでは、割と、言葉の意味を細かく整理しようとしている事が多いです。
 それはなぜかとゆーと、1.「TRPGが他のジャンルのゲーム(含むSLG)とは違う特性をはっきりさせたい」、2.「1.をはっきりさせたうえで、TRPGでないと遊べない楽しさ、とゆーのもはっきりさせたい」と思っているからです。
 
 「はっきりさせたい」とゆーのは、「知らない人にもはっきり説明できるようにしたい」とか、「遊びかたのコツとかもはっきりさせたい」とか、そーゆー事も含みます。
 
 混沌太郎さんに限らず、「言葉の意味を広く取ろう」としても、その目的によっては、別に不思議ではないって事もあると思います。
 いつも、いつも、言葉の意味を細かく整理しなくてはいけない、なんてゆーつもりはないです。
 
 例えば、仮に、「ガンダムファンには、言葉の意味を広く取った説明の方が、今度の新しいシステムに興味を持ってもらいやすい」し、「説明としてはそれで充分なんだ」って目的があるんでしたら。それは、そーかもしれませんね、とは思います。
 
 「言葉の意味を広く取る」事で、どーゆーメリットとデメリットが期待されるか、ですね。混沌太郎さんのお考えが今ひとつみえてない状態です。
 
◆各論
>>TRPG一般の説明としては、やはり曖昧さのあるものだと思う
>曖昧なのではありません。私が問題にしているのは、最低これだけの条件がそろっていればRPGと呼んでも問題なかろう、という必要条件の話ですので。

 
 なるほど。うーん、うーん。
 必要条件が揃っていても、充分条件が満たされなくては、TRPGではない可能性は残る、とゆー考え方があると思うのですが。 どーでしょーか?
 
 例えば、TRPGシステムを利用したTRPGらしくない遊びかた−−、普通よくないものと言われる“一本道セッション”や、“吟遊詩人マスタリング”や、“御都合主義プレイング”は、必要条件はシステムに提供されても、充分条件が満たされてないので、「よくないもの」と言われるわけですよね。
 
 今回の場合だと、「戦闘以外の部分がセッション展開を左右するかどうか」、は充分条件である気が(混沌太郎さんの説明をお聞きしたいまでも)しているのですが。
 
>感情移入の結果として「ロール」と言えるものが成立しているのか、でウォ−ゲームと区別されるのではないかと思っています。
 これは、アタシ言われてる内容がよくわからないです(すみません)。
 
 感情移入はアタシは「してもかまわない」ものと思います。(より正確に言えば、「暴走しない範囲でならしてもかまわない」って感じと思いますが)
 しかし、「感情移入の結果のロール表現」が、「TRPGの必要条件」だとすると。「TRPGをプレイするには、感情移入を・しなくてはならない」ことになるますよね。(「必要条件」とはそーゆー意味と思いますが)
 それはちょっと説明としても困る気がするし、実態とも違う気もします。

 うーん、「ロール」の意味付けがアタシと混沌太郎さんとで違うのかもしれませんね(?)。
 感情移入なしでも表現できるのが「ロール〔役割〕」と思っていましたが。
#それを言えば、キャラクター性だって感情移入抜きでも「表現」できはするのですが。
 
 感情移入無しで、ロールをプレイしてもTRPGらしく遊べるのは、よいTRPGシステムと、一般に言える気がします。
 仮に、感情移入なしでも、ルールを活用すれば活用するほど、自ずと「それらしい」表現になってゆく、とゆー事ですが。(←コレは感情移入をしたときに、より、楽しく遊べるとゆー事を否定はしません)
 
 例えば、ガープスの「有利な特徴・不利な特徴」とか。「央華封神」の連続攻撃ルール&割り込みルールとか。「深淵」の夢歩きとか。
 こうした「それらしさ支援ルール(仮称)」の強度はシステムごとに違うと思いますが。必要条件といえばこちらが必要条件と思います。
#「ガンダム戦記」にそうしたルールがどれくらい用意されているか、もポイントである気がします。
 
>あるキャラクターを想定した時に、そのキャラクターが取りそうな行動・態度等を考えることを私は「シミュレートする」と言っているわけですが、おかしいですか?
 
 これは、アタシの観点からするとおかしく感じますし。少し困る気もします。
 ただ混沌太郎さんの観点からするとおかしくないの・かもしれない(アタシにはちょっとまだ、混沌太郎さんの言わんとされることがよくわかってないとこがあると思います)。
 
 アタシの立場は、「TRPGはSLGと別種のゲーム・ジャンル」なんです。
 混沌太郎さんの立場は「TRPGはSLGの一種」なのですよね?
 
 えーっと。TRPGのキャラシーは同じシートであっても、プレイヤーさんが異なれば、「全然違ったにんげん性を解釈・表現できる」、「ロール(役割)はルールの判断によるのでそうは違った表現はできない」けれど。
 とゆーのが、アタシは重要な気がしています。アタシが体験的に観察している事実にすぎないので、異論はあるかもしれませんが。
 
 アタシは、TRPGのキャラシーの場合、ゲーム展開に関連する特性でも、数値で表現しきれないものが残ると思っています。
 とゆーか、「ゲーム性に直結しない、非・数値的な要素も、セッション展開に関連させてゆける」し「関連させていった方がTRPGらしい遊びかたができる」の方が正確な言い方かな(?)。
 
 先に記しましたけれど、「ロールは数値の組み合わせで表現しきれる」でしょう、けれど「キャラクターは数値の組み合わせでは表現しきれない」と思っています。
 「数値で表現しきれるもの」と「数値で表現しきれないもの」の区別は、普通はキャラクター・ハンドリングの内で渾然一体としていると思うのですが。
 その区別をつけないと、SLGとは違うTRPGならではの特性がはっきりしない気がします。とゆーのが、アタシ的立場なわけです。
 
補足:「戦闘に直結する部分」と「戦闘に直結しない部分」は、ひとつのシステムの内の比率を、一応は捉えることができると思います。(ページ数とかですね、一応の目安として)

 厳密に考えると、ほとんどのTRPGシステムでは、「戦闘に直結しない部分」と一言で言ってもその内に、「戦闘への関連度」がいろいろな段階で観られるはずと思いますが。
 システム内のサブルーチンがシステムの内で「異物になっているか/いないか」はボリュームのもんだいではなく、やはり連動がうまく仕組まれているかどうか、のもんだいではないかと思います。

 その意味では「戦闘ルールに偏っている(ボリュームが大きい)」からと言って「TRPGではない」とも断定できないとは思います。
#ただ、「戦闘以外の部分」を「戦闘(に限らずセッション展開)」に関連させてゆくやり方が、システム(←ここにはルールブックに書かれたワールド設定も当然含まれます)に仕組まれていず、プレイヤーの共有イメージに依存するのだとしたら、それは、TRPGとしてはおかしい、とは思います。
2000年02月29日:03時22分38秒
「ロール」を「プレイ」 or 「シュミレート」? / MO
こんちわ混沌太郎さん。
MSのパイロットを役割演技するのに、充分なルールが有ればRPGと言って良いのではないのでしょうか?
問題は何を持って充分とするかですかね?(人によってぜんぜん違いますから)
あまり多く有り過ぎると何をやる(楽しむ)ゲームだか判らなくなってしますし。

RPGといえば「何々といった状況下で、あなたならどうする?」といった判断(と結果)を楽しむゲームだと私は思ってます。(プレイヤーの立場ですね)

「マスターから与えられる情報を基に状況を判断し、自分の操るキャラクターを行動させる」、と言うといかにもシュミレーションぽく聞こえますし。
ここで、キャラクターの設定等を付け足し、自分で自分のキャラに行動制限/指針を加え始めるとRPGぽくなってきますかね?
後は、各行動に意味を持たせて、理由の有る行動の結果がストーリーになればほぼRPGになりますかねー?

ということで、自分のキャラクター(駒)の設定が自分で決めれて、自分でコントロール出来る辺りでシュミレーションゲームと分かれるのかな?と思ったりしました。
混沌太郎さんのネタに対する、気楽に考えた感想でした。
2000年02月29日:01時46分30秒
蛇足のこと / 混沌太郎
えっと、下の文の「蛇足」っていうのは正真正銘単なる蛇足でして、頭に浮かんだことをふと書いてしまっただけです。(^_^;;
議論の方向を左右してやれ、というような目論見は一切ありませんので、あっさり黙殺してやってください。
気の回しすぎかな? でも挑発と受け取られると困るので。
2000年02月29日:00時30分45秒
解説 / 混沌太郎
突っ込みありがとうございます。どうも自分の文章のわかりにくい点は、自分ではわかりにくいものですので。

とりあえず>「それ以外の点についても〔システムとして:カンナ補記〕フォローして欲しい」
シナリオ等の発言が目立つので、多分「システムとして」ではなく「サジェスチョンとして」ではないかと思われます。

>多分「ガンダム戦記」では、「戦闘」は異物ではないですよね。そのようなことは誰も主張していないように思われます。
「異物なのでしょうか」という問いかけを投げかけたのは、『ガンダム戦記』=RPGという前提を疑う視点を考慮してのことです。もしもこのゲームが、戦闘の再現に大きく偏っているがためにRPGであることを疑われるならば、戦闘はRPGにおいては不純物でしかないことになります。
しかし私は、戦闘もRPGの一環であるから、MS戦以外の面で充実していない点があっても、「RPGなのに」という理由で責められるのはおかしい、と主張しているのです。

>「戦闘以外の部分が異物」になっているかどーか、が、宇津見さんの言わんとしている事ではないでしょうか。
仰る事はわかります。ただ私が言いたいのは、たとえ「戦闘以外の部分が異物」になってしまっていても、まだ「RPGじゃない」と断定するには早すぎるのではないか、ということなのです。

>SLG(ボードSLG)でも、「感情移入」をしながらユニットを動かすプレイヤーさんもいると聞きます。
確かにそいつはミミタコですが、私が「差を分ける」といっているのは、「感情移入」の「有無」ではなくして、「内容」なのです。感情移入の結果として「ロール」と言えるものが成立しているのか、でウォ−ゲームと区別されるのではないかと思っています。
なお、こうした心情的なアプローチ以外で「ロール」が成立するかどうかについてはまだ考えがまとまっていません。

>TRPG一般の説明としては、やはり曖昧さのあるものだと思う
曖昧なのではありません。私が問題にしているのは、最低これだけの条件がそろっていればRPGと呼んでも問題なかろう、という必要条件の話ですので。

>「『キャラ』はシミュレートできない」
あるキャラクターを想定した時に、そのキャラクターが取りそうな行動・態度等を考えることを私は「シミュレートする」と言っているわけですが、おかしいですか?
確かにRPGでは、純粋なシミュレーションの枠を越えて、状況や演出などを任意に決めていったりするようなこともありますが、それは「ゲーム」部分であると考えれば辻褄は合うのではないか、と思います。


蛇足ながら、私の意見は要するに「言葉の意味を広く取ろう」と言うものですので、反論としては
「私はそんなものはRPGとして認めん!!」というような、大胆にバッサリ切って捨てるようなものが至当かと。

別に斬られたいわけじゃありませんけど。

2000年02月28日:07時53分35秒
[ロールとロールプレイ]Re:「ロール」を「プレイ」するとは・・・ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>混沌太郎さんへ
 こんにちは
 横やりみたいな感じかもしれませんけど。
 「ガンダム系RPG雑談所」をROMしていて思ったことを書いてみます。
 
>MS戦ばかり比重が重くなっているので、それ以外の点についてもフォロー(シナリオなど)して欲しい、という希望であれば十分納得できますが、それにしてもRPGと名乗る以上ない方がおかしいという考えであれば、それは違うと思います。
>まあPCが軍隊に属しているような設定だと、単純に命令を受けて出撃する、というパターン以外は工夫がいるのは事実ですよね。
 
 宇津見さんが言っていたのは、、、
・「MS戦ばかり」ではなく、「それ以外の点についても〔システムとして:カンナ補記〕フォローして欲しい」
・「MS戦以外の部分」でのプレイも、ゲーム展開を左右するような内容を持つことが、TRPGらしーフォローだ。
 (セッションのゲーム展開を左右しないようなロールプレイは、RP「G」ではない)
  、、、って事かと思うのですが。
 
 多分「ガンダム戦記」では、「戦闘」は異物ではないですよね。そのようなことは誰も主張していないように思われます。
#「戦闘」が異物であるようなTRPGとゆーのは、「戦闘」がシステムに記述されてないようなもの、として理論的に想像することは可能ですけど。「ガンダム戦記」は(みなさんのお話を聞いていれば)「戦闘」が異物のようなシステムではないのだろうと想像されます。
 
 「戦闘以外の部分が異物」になっているかどーか、が、宇津見さんの言わんとしている事ではないでしょうか。例えば、、、
 「性格的・情緒的にもんだいのあるニュータイプ(NPC)を中心にした作戦を予定されたシナリオ」があったとして。
 「戦闘以外」の面で、PCとNPCのにんげん関係をうまく構築しておかないと、「戦闘」シーンでも、上手く作戦行動が遂行されない、とか、そーゆーのがTRPGらしー、とゆーお話ではないでしょうか。
 
>ただし、「ロール」をシミュレートしているのか、それともただの「ユニット」の行動をシミュレートしているのか、という問題は存在します。後者であれば、扱っているのは「人」ではなくて抽象的な「戦力」でしかないので、確かにRPGとは呼べません。
>その差を分けるのが、「感情移入」です(望ましくは、他のプレイヤーともある程度共有していると良い)。
>従って、単なる幕間劇、結果に影響しないキャラクタープレイであっても、あるシミュレーションをロールプレイと呼ばせるのに十分であると、私は思います。
 
 SLG(ボードSLG)でも、「感情移入」をしながらユニットを動かすプレイヤーさんもいると聞きます。
 もちろん、その場合「いけー」とか、「突撃ぃ〜」とか言いながらユニットを動かしてもゲームの展開はなんら左右されないわけですよね。 これは結果に影響しないキャラクタープレイ(@馬場定義)の一種とみなせるでしょう。
 
 ですので、うえの混沌太郎さんの説明は、TRPG一般の説明としては、やはり曖昧さのあるものだと思うのですが。
#アタシには、やはり、TRPGはSLGとは別ジャンルのゲームとみなした方がよい、よーに思えるのですが。
 
 以上は、「ガンダム系RPG雑談所」でのみなさんのお話をROMしていて、推測した内容です。
 以下は、「ガンダム戦記」を買ってもいないアタシのあやふやな想像になります。
 
 「性格的・情緒的にもんだいのあるニュータイプ(NPC)を中心にした作戦を予定されたシナリオ」があったとして。
 「戦闘以外」の面で、PCとNPCのにんげん関係をうまく構築してゆく、キャラクタープレイ(@アタシ定義)をしてゆくとして、何をどーする事ができれば、にんげん関係がうまく構築されるのか(されそうなのか)の判断要素が、ルールにあまり明確に記されていない、、、みたいなことが宇津見さんの言わんとしていることかなー、と思いながら「ガンダム系RPG雑談所」を読んでいました。
 
 それで、「ガンダムファン以外には魅力は」ないって話になるのかなー、と想像しているのですが。
 
 混沌太郎さん的言い方をしてみるなら、「ガンダム戦記」では、「“ロールをシミュレート”するための要素が、ガンダムファンに共有されている(?)、原作のイメージ以外には見当たらない(とても希薄?)」みたいなことが宇津見さんの指摘なのではないかと想像しました。
#ちなみに、アタシは「『ロール』はシミュレート」できても、「『キャラ』はシミュレートできない」(「シミュレート」できるようなものは「キャラクター」ではなく「ユニット」に過ぎない)のがTRPGと思っています。
#そのよーに思っていますので、混沌太郎さん的言い方はしないのですが。その件は、今は措いておいてもよいでしょう。
 
 いかがでしょーか。
2000年02月27日:21時20分05秒
「ロール」を「プレイ」するとは・・・ / 混沌太郎
ちょっと間隔開いたし、違う話してもいいですよね。

ガンダム系RPG雑談所LOG003の後半辺りを見てて思ったのですが、私はRPGはS(L)Gの一種だと思っているので、
「SLGとしては」とか、「RPGとしては」といった話の進め方をされるとどうも・・・
「ロールをプレイする」=「ロールをシミュレートする」ではないかと思うわけです。

さて、そういった点は抜きにしても、MSパイロットがMS戦をするのは、「SLG」(「シミュレーションウォーゲーム(SWG)」のことだと思いますが)であって、RPGではないのでしょうか?
MS戦では、MSパイロットとしての「役割」を「演じて」はいないのでしょうか?

「いない」というのは、私には「ロールプレイ」の意味を余りにも狭く捉えているような気がします。

戦闘はRPGを面白くするために混入された「異物」なのでしょうか?戦闘で盛り上がってもそれは本当のRPGの楽しみではないのでしょうか?

私が思うには戦闘もロールプレイの一環ですので、戦闘以外の要素によって展開が左右されなくてもそれをRPGと呼ぶことは可能です。
ただし、「ロール」をシミュレートしているのか、それともただの「ユニット」の行動をシミュレートしているのか、という問題は存在します。後者であれば、扱っているのは「人」ではなくて抽象的な「戦力」でしかないので、確かにRPGとは呼べません。
その差を分けるのが、「感情移入」です(望ましくは、他のプレイヤーともある程度共有していると良い)。
従って、単なる幕間劇、結果に影響しないキャラクタープレイであっても、あるシミュレーションをロールプレイと呼ばせるのに十分であると、私は思います。
勿論、行動選択自体に「キャラクター」を感じることができるならば、無理に、いわゆる「キャラプレ」を挿む必要はありませんが。

宇津見氏の言う「ロールプレイ」の意味ですが、馬場秀和氏の言うところの「広い意味でのロールプレイ」から、「狭い意味でのロールプレイ」を除いたもの(補集合)になっていないでしょうか。


MS戦ばかり比重が重くなっているので、それ以外の点についてもフォロー(シナリオなど)して欲しい、という希望であれば十分納得できますが、それにしてもRPGと名乗る以上ない方がおかしいという考えであれば、それは違うと思います。
まあPCが軍隊に属しているような設定だと、単純に命令を受けて出撃する、というパターン以外は工夫がいるのは事実ですよね。
その点サポートが欲しいのは良くわかりますけど。
2000年02月23日:21時39分27秒
[選択型/発想型【事例】]補足・山賊の関所イベント / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 先の投稿は、アタシの説明がいたらない点もあると思います。
 いろいろ突っ込みも出そうな気はしますし。
 アタシだってSHiNさんにお尋ねしたいことはあるんですよ(笑)。
 
 ただ、少し観点を代えると、sfさんが「日刊TRPG総合メールニュース 語り部日報」の2000年02月16日号で、連載記事「TRPGな一言」に書いてられた事とも関連してくる気がします。(超・私見)
 
 ちょっと引用してみますね。
 アタシが関心あるのは、特に「外部入力」っていわれ方で、示唆されてるあたりですね。
 アタシ的には「<選択>型ゲーム性」の外部からの入力、とかを考えてしまうのですが。
#アタシの私見ですので、SHiNさんの本意とも、sfさんの本意とも関係ない・かもしれい、事は特にお断りしておきます。
 
「TRPGな一言」(「日刊TRPG総合メールニュース 語り部日報」の2000年02月16日号分)
「コミュニケーションツールとしてのランダム生成」、より
 >コミュニケーションの促進のためには、ランダム性の高い仕掛けが、たいへ ん効果的ですよね。ギャンブルの楽しみというやつでもあるんでしょうけど。
 >おみくじの持つ面白さというような感じで。ランダム生成を使ったちょっと したお遊びがコミュニティを活性化させる機能を持つのは。インターネットで も占いサイトなんかを紹介すると、みんな喜んで試してわいわいと騒ぐのを思 い出すと、なんとなく理解できると思います。
 >これは、おそらく、意外な結果にたいして、みんなでどう対処するか、みん なでどうどう解釈するか、みんなで意外性を笑う、などが楽しみを産み出すか らではないかと思います。
 >いつものことを、いつものように、いつものメンツで集まって遊んでも、限 界があるわけで。思考と反応が予測されるある程度継続されているコミュニティ の環境下では、ランダム性に代表される「外部入力」が、刺激として有用に機 能するんじゃないかとも思います。
 〔後略〕
2000年02月23日:20時48分36秒
[選択型/発想型【事例】]山賊の関所イベント / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ベンジャミンさんへ
 ども☆
 まほろばの一行掲示板で、「質問してしまえばよいのに」と言った手前、アタシがわかる範囲でお応えしたいと思います。

◆事例 
 幸い「簡単なプレイ例」(正確にはイベントの事例)として、SHiINさん自身によって次の事例が提示されています。

 「旅の途中、関所がありました。しかし、この関所は盗賊達が運営する偽の関所です・とここまでしか設定されていない」のが、<発想>型(プレイヤーの<発想>を期待するタイプ)のイベント・障害。
 
 「この偽の関所は武力行使で突破しなくてはならない、と〔シナリオに〕設定されている」ならば、それは、<選択型>(「正解」が定められている)イベント、または障害。

#「【発想と選択】プレイスタイルとキャラメイクの関係について」 (TRPG総合研究室 LOG 040,SHiNさん記,2000年02月16日:19時26分39秒)、をベースにカンナがアレンジ
 
 補足すると、盗賊の武力が強大に設定されていたりして、シナリオ上や、GMさんの構想上で、「交渉によって通過するのが『正解』」と定められていても、それは「<選択>型」イベントとみなされます。

◆事例検討と話題の流れ 
 この事例についてはNaOHさんが、コメントを寄せてられます。
#「キャラクターの『性能』は等価か」 (TRPG総合研究室 LOG 040,2000年02月16日:19時26分39秒)
>「実力で排除」、「交渉により通過」、「魔法で○○」というどの方法によっても問題は解決するのですが、それぞれの難易度はやはり異なるでしょう。盗賊が比較的弱いならば実力行使の方が有効かもしれないし、盗賊が強力かまたは実力に訴えられないような事情があるならば交渉に寄らねばならないでしょう。やはり設定に応じた能力の有利不利はあるし、ならばシナリオに応じたキャラクターの「性能」の優劣もあると思うのです(氏の言うところの「発想型」、「選択型」の別無く)。
 
 SHiNさんの考えてる<;発想>型、ってアイディアは、プレイヤーたちの発想を受け入れようとするマスタリング・スタイルのことでもあります。
 ですので、直接的な、「実力で排除」、「交渉により通過」、「魔法で○○」以外の発想ですら期待し、受け入れようとするわけです。
 
 例えば、「盗賊仲間のふりをする」、「一時的に盗賊の仲間になってしまう」、「陽動をおこなって引き付けその隙に通過する」、etc.
 それぞれに、「戦闘系技能」、「魔法系技能」、「交渉系技能」は使用されるとみた方がよいでしょう。
 だってどんな<発想>を実行するにせよ、技能を使った方が、期待される成功の確からしさはプレイヤーにも予想がつくわけですから。
 それでも「正解」を構想しないのが、<発想>型イベントやシナリオ・テクニック(シナリオ作法)や、マスタリングなわけです。
 
 この件については、NaOHさんも次のように書いています。(先の引用か所に続く部分です)
>SHiN氏のいわんとする所が、「『発想型シナリオ(イベント)』においては、問題解決がキャラクターの特定能力の優劣に依存せず、プレイヤーの発想によってキャラクターの能力を駆使して問題解決を図ることができる、すなわちどんなキャラクターでも最終的には問題を解決することが期待できる。」というふうに、解決できるかが論点であって難易度はこの場合はとりあえず問題としない、という事であれば、まったく的外れとなります。そのときはご容赦ください。
 
 アタシが思うに、ことは、単にPCの性能から「だけ」判断される難易度のもんだいには留まらないのだろうと考えられます。
 
 仮に、上記事例の<発想型>イベント「盗賊の関所」で、3人のプレイヤー達(PLs)が、戦士(PL1)、魔法使い(PL2)、踊り子(PL3)を担当していた、とします。
 PL1は、PCの性能から戦闘を希望し、PL2が、プレイヤー観点の戦略思考から、盗賊に気づかれず通過することを希望し、PL3が、キャラプレを希望したとします。
 プレイヤー達の合議で、踊り子が、盗賊の目を引いている内に他のPCが通過する方法を<発想>するとします。
 
 この場合、プレイヤーが充分な配慮・準備をしていれば、PL3の踊り子は、他のPCが関所を通過した後、パーティーに合流できる・かもしれません。
 プレイヤーの配慮・準備が不充分なら踊り子は、盗賊に捕まってしまう・かもしれません。
 あたりまえですけど、プレイ次第ですよね。
 
 つまりは、<発想型>イベント・障害、とは、「すなわちどんなキャラクターでも最終的には問題を解決することが期待できる」イベント、と言い代えてもある程度は妥当、と思われるわけです。
 「期待できる」だけでその解決が妥当な程度はGMさんが判定・判断するわけですから。
 例えば、キャラクター言動の描写・演技の妥当性もGMさんによって判断されるはずです。(もしそれをプレイヤーが自己責任で<発想>したならです)
 
 上で、「ある程度は」と断り書きをいれたのは、ここで、今回の話の出発点だった、キャラクター・メイクと、シナリオ作成の話題に話が関連してゆくからです。
 
 とゆーか、話題の流れとしては、まず、「『シナリオ作成』と『キャラクターメイクの選択幅』」の妥当な考え方について検討がされていました。
 で、その関係を整理するために有効な観点として、「選択型/発想型」のアイディアが提出されたわけです。

 次のガイド・ラインがSHiNさんによって提示されました。
A:「選択の幅が0」のキャラメイクを行うなら、「選択型セッション」が相応しい。
B:「選択の幅が0+Xn」のキャラメイクを行うなら「選択型シナリオの中に、Xn部分を行かせるいくつかの発想型イベントを含めたタイプ」が相応しい。
C:「選択肢の幅が最大」のキャラメイクを行うなら「発想型TRPG」が相応しい。

#「【発想と選択】プレイスタイルとキャラメイクの関係について」 (TRPG総合研究室 LOG 040,SHiNさん記,2000年02月16日:01時59分12秒)
#うえのガイドラインがいずれも「〜が相応しい」であって、「〜でなくてはならない」ではないことに注意してください。
#また、構文を逆にした場合「相応しさ」は揺らぐように思われます。
 
#「選択の幅」(キャラクター・メイク時の選択の幅)につていの詳細は、「[キャラクター・メイク時選択幅]Re:「Re:割り込み(笑)〜」のTipsについて」 (TRPG総合研究室 LOG 040,カンナ記,2000年02月12日:09時34分24秒)、を参照してください。


◆とりあえずのまとめ 
 ここで検討した「盗賊の関所」の事例はたんじゅんでありふれた事例でしょう。
 「なぁ〜んだ、そんなことなら、今更めんどくさい理論なんてなくても、よくあることですよ」って思われるかもしれません。
 「選択型/発想型」の考え方のポイントは、「まず」、その「よくあること」を意識的・自覚的に区別するところにあります。
 次のステップとして、シナリオの構成上、「選択型/発想型」と区別されたイベントをどんなふうに構成してくかの方法が検討されてく・はず、と思います。
 
@SHiNさんWrote (「【選択型/発想型】実体概念か、理念型か」,当掲示板,SHiNさん記,2000年02月23日:11時26分13秒)
 >〔<選択>型と<発想>型の:カンナ補記〕「混合型」について一度に考える事はこの手法では不可能なので、二つの異なったイベントそれぞれと、イベント間の情報のやりとりについて考える事になるでしょうが。例えば、第一部が発想型、第二部が選択型で行われる場合、それは「直列混合型」であり、その場合にふさわしい各イベント同士の情報のやりとりについて考察することができるでしょう。)
 
 それと、従来ストーリー性重視とか、アドリブ重視とか、ノリ重視とか、あとまー、キャラクター重視とか、バク然と言われてたTRPGの楽しみを統御してく(少なくとも統御の蓋然性をあげてく)ための、シナリオ作法、マスタリング技法の検討・開発「も」期待されているわけです。
 
 不充分かもしれませんけれど「簡単なプレイ例」にもとづく説明(一例)としてはこんな感じと思います。
 もし、さらに疑問がでましたら、重ねてご質問をお願いしたいです。(アタシに判断つかないことでしたら、一緒に考えていただけると嬉しいと思います)
 
追記≫
 「要約」としては、「TRPG総合研究室 LOG 040」、にアタシが挙げている「『選択型/発想型』の考えを理念型として再整理してみる」 (2000年02月18日:01時17分28秒)、 が一応の要約にはなっていると思います。
 上の要約は、SHiINさんにも「よくまとまってると思います」と言ってもらえました。ですので、こちらについて、疑問・質問をよせていただけたら、アタシの責任である程度の事がお応えできると思います。
2000年02月23日:18時13分22秒
【選択型/発想型】質問 / ベンジャミン
最近、TRPGLABOの一連の文章を読んでいるのですが、なんとなくためになりそうな気はするのですが、うまく内容が理解できかねております。
付きましては、要約か簡単なプレイ例等を示して頂ければ幸いと思っております。
同じシステムや状況で2つのスタイルを選択することによってどのように変わるのか?とか等をプレイ例で示してもらえれば、ただ説明するよりも判りやすいかと思います。
非常に厚かましい内容ですいません。
2000年02月23日:11時42分41秒
【選択型/発想型】二つのスタイルの違い・ゲームバランスと選択のゲーム / SHiN
(MOさん)
>「選択型/発想型」ですか・・・
>私は単にマスターの発想の幅より、プレイヤーの発想の幅の方が広かっただけのような様な気がします。(これがまたよく有るんだなー)
>マスターが考えついた選択肢以外の選択肢を思いつくかどうかだけの事では?
 
 通常の完全に客観的に(つまり、誰の目にも明らかに)勝敗などを認識・決定できるゲーム(将棋・モノポリー等)においては、ゲームデザイン上であらかじめ用意された選択肢以外の選択肢を選んで行動する事は、完全に「禁じられている」場合がほとんどです。
 それらをよく観察すれば、その理由は、選択肢それぞれに、利点とリスクをバランスよく配分する事により、ゲーム性が支えられるようにデザインされているので、ゲームデザイン上想定されていない選択肢が導入されると、ゲームバランスが崩壊し、ゲーム性が失われる危険性があるためと言うことが出来ます。そして、この事は実際のTRPGセッションにもよく見ることができます。
 例えば、多くのTRPGシステムの戦闘ルールに、「攻撃専念」、「防御専念」のオプションがありますが、これらはそれぞれ、攻撃に専念した場合、攻撃力が上がり防御力が弱くなる、防御専念の場合その逆……という具合に、利点とリスクのバランスが保たれるよう設定されています。
 だから、もしもプレイヤーが、「攻撃に専念しても防御が弱くならない(もしくはその逆の)アイデア」を発見したとしても、それを認めるわけにはいかないわけです。現実世界での軍事会議であれば、それは良い「発想」として拍手を持って受け入れられるかもしれませんが、ゲームの場合はそうはいかない。なぜなら戦闘ルールはたいていの場合「選択型」としてデザインされており、そのような「発想」の導入はゲームバランスを失わせるからです。「コロンブスの卵」のような発想の転換は、選択のゲームには不要なものなのです。
 (これは、何も戦略的な有利を得る場合だけでなく、エキストラとしてのNPCを助けて良い気分になるかどうかというようなケースにも適用される事があります。そしてこの場合、PLの感情移入がないとゲームバランスはとれません。この「感情移入」と「戦略的有利」のバランス関連に関して有名な好例としては、ソードワールドTRPGのサプリメント「ロードス島ワールドガイド」(80ページ)で紹介されている「バーサーカールール」があります。)
 
 これらの、『ゲームバランスの定理』とでも呼ぶべきものが成立していることが、「選択のゲーム」には必要なのです。
 もし、この定理が成立していないのであれば、それは「選択のゲーム」である理由と意義が存在しないことになります。
 
 「選択型/発想型」……これは、プレイヤーがマスターの想定以外の選択肢を思いつくかどうかではなく、その思いつきをゲーム(イベント)に導入するのを許すかどうかの問題なのです。
 
 (MOさん)
>どちらかといえば、マスターが自分の発想/選択肢の中で、
>どれだけの選択肢が正解と決定してしまっているかどうかが問題な様な気がします。
>言い換えると、マスターの選んだ選択肢以外は間違い/失敗と決めつけてしまっているかどうかです。
 
 上の話から、既に了解していただいてるかもしれませんが、選択肢が「正解か否か」ということと、私のTRPGのスタイルとしての「選択型/発想型」に関する話とはまったくかかわりがありません。
 たとえば、先に述べた「攻撃に専念しても防御が弱くならない発想」は、戦闘の目的が敵に勝つことである以上、「正解」の「発想/選択」だと言えます。しかし、「選択のゲーム」においては、「ゲームバランスを崩す」という、その一点において、ふさわしくない「発想/選択」であると言えるのです。つまり、間違った「選択肢」というより、最初から「選択肢」として含まれてないわけです。「間違った選択肢」と「含まれていない選択肢」、この差は大きく、前者はゲームに影響を与える可能性があるが後者は決してゲームに影響を与えないのです。
 ついでにいえば、「ゲーム」として一般に知られているものは、動的なものがほとんどなので、その選択肢自体が明確に正しいか間違ってるか判別することは難しいと言えるでしょう。
 
 MOさんが、挙げられている例(どれだけの選択肢が正確と決定してしまっているかどうか、マスターの選んだ選択肢以外は間違いと決めつけてるかどうか)は、いわば、「ゲームバランスの定理」を理解せずに、「選択型TRPG」のセッションを行おうとした場合に生じる問題であると言えるでしょう。マスターが選んだ選択肢以外は「間違い」というより「存在しない」のであり、またマスターが選んだ選択肢自体にも明確に正解や間違いの選択肢があってはならないのです。もしそんなものがあれば、それは「くじ引き」であり、「選択のゲーム」にも「発想のゲーム」にも属すものではなりません。「発想型/選択型」は、あくまで動的なゲーム(すごろくなど、人の意志以外の動的要素、つまりランダム性に支えられてるものも含みます)を分類する概念であり、静的なパズルやくじ引きに関しては言及していません。(一応、「選択のゲーム」として解釈することは出来ますが、その有用性についてはまだ検証してません。)
 また、別の見方をすると「発想型TRPG」的な準備しか行っていないのに、「選択型TRPG」としてセッション運営しようとしてしまった結果であると言えるかもしれません。
 (発想型TRPGは、ゲームマスターがあらかじめ選択肢の準備をしないかわりに、プレイヤーの発想を可能な限り…つまり前後関係や世界設定に矛盾しない限り、その発想を生かして、そこに自らの新たな発想を加えるか、そこからプレイヤーの新たな発想を引き出さねばならない。なのに、ゲームマスターの発想に含まれてないというだけでプレイヤーの発想/選択を、即、「間違い・失敗」としてしまう事は明らかにこの作法に反する。ついでに言えば「選択のゲーム」の場合、「ゲームバランスの原理」に反する発想/選択は、否定してもかまわないが、そのかわり「選択」そのものについては「ゲームバランスの原理」に沿った意義ある選択が提供されるようになっていなければその「選択のゲーム」はつまらないものとなってしまい、プレイヤーには、「なぜ、自分の発想が否定されねばならなかったのか?」というストレスが残るでしょう)
 
 どちらにしても、あくまで「選択型/発想型」というプレイスタイルの分類は、プレイ目的による分類ではありません。
 また、そのどちらも、常に「面白い」スタイルとは限りませんし、「面白くない」スタイルとも限りません。
 それぞれのスタイルにおいて、面白くするための作法(マスタリング技術)が存在し(まだ全ての作法が解き明かされたわけではないでしょう!)、その作法を守ることによって「面白い」ものになるのです。
 そして、ここで注意すべきは、それらの作法が「相反する」ことがあるという事です。
 この事は、「発想型/選択型」の概念をきっちり理解しないと、まずいシナリオをデザインしたり、マスターとしての判断をミスったり最善でない判断をしてしまう可能性があることを示唆します。
 そして、それは同時に、これまで結論が出しにくかったTRPGに関するさまざまな問題の分析に役立つであろうことも期待できるということです。(これらの問題は、その多くがケースバイケースでした。それゆえ、その複雑さから全てのケースを検証することが難しいTRPGでは、明快な回答がだせませんでした。しかし、そのケースが明確に定義できるわずか二通りのものであるなら、それら全てについて分析することは、さほど困難ではないのではないでしょうか?)
 
 まあ、これらについては、おいおい、証明・検証していきたいと思います。
 失敗する確率もありますが、まあ、そのときは歴史は繰り返すって事でいいでしょう(笑) それだけTRPGの本質的な部分に関する話題ってことですから。 しかし、歴史と違って「理論」は積み上げられてゆくものですから、この「選択型/発想型」に関する分類法が、きちんと理論としての体裁を整えていくことを望むばかりです。
 (理論としての体裁とは最小の恣意的定義でより多くのことを正確に記述・予言できるという事です。最大の恣意的定義で、その恣意に沿った内容を再記述することではありません。)
2000年02月23日:11時26分13秒
【選択型/発想型】実体概念か、理念型か / SHiN
(はりはらさん)
> アタシが思うに、SHINさんが提示した「選択型/発想型」はアタシは実体概念ではなくって、理念型だと理解するとよいのではないかと思います。
 えーっと、「実際のセッションを事例分析して抽出された類型概念」(=実体概念)ではなく、「様々なセッションの在り方を整理してゆく・ために、ある部分を極端化して考えられた理論上のモデル」(=理念型)、って感じです。
 
 いまのとこ、おっしゃられるように「極端化した理論上のモデル」としてしか使用していませんが、実は私としては違った目算があって、この概念を提示しました。
 事実、この概念は、実際のセッションを事例分析して抽出された結果案出されたものですし。
 確かに、実際のTRPGのセッションは、PALM−12さんもご指摘のように、「選択型」と「発想型」の要素が入り混じっているので、セッション自体を「選択型」、「発想型」と定義することは極論に見えるかもしれません。
 が、TRPGを無数のイベントが並列、直列、循環、もしくは入れ子構造になっているものとして考えれば、個々のイベントやイベントグループを「選択型」、「発想型」として明確に分類することは十分に可能なのです。
 
 その意味で、私としては、この分類を具体的な実在概念として用いようと思っています。
 「選択型イベント」「発想型イベント」というわけです。
 (そして、それらイベント群の中でも本筋となるだろうイベント、イベントグループが、「選択型」か「発想型」かで、セッションスタイルを近似的に決定するわけです)
 
 なんせ、「GMの想定外の意志決定(発想と選択)が許されるか否か」という明確な判断基準があるのだから、これ以上ないってくらい具体的でしょう?
 さらにいえば、プレイヤーの「ゲームをする目的」などを考慮しなくて良いという部分も、実在概念としての資格があるはずです。
 プレイヤーのゲームをする目的ってのは、いくらシナリオ上で目標を定めても「目標の多層構造」のせいで、実際にはバラバラですので、それを元にしてそのセッションのゲームスタイルを明確に決定することは出来ない。しかし、この「選択型/発想型」の場合、GMの(シナリオデザインを含めた)マスタリング手法が基準となってる上にその基準もAか非Aかなので、やはり明快にそのスタイルを決定し分析できるわけです。
 (具体的にいうと、GMが中心的に考えてるイベントもしくはイベントグループが選択型であるなら、それは「選択型」TRPGであり、発想型なら「発想型」TRPG。はりはらさんがお仲間と話したり、PALM−12さんがお考えになってるシステムのような、「発想型」「選択型」の二つのパートからなるようなものなら「混合型」というわけです。もっとも、「混合型」について一度に考える事はこの手法では不可能なので、二つの異なったイベントそれぞれと、イベント間の情報のやりとりについて考える事になるでしょうが。例えば、第一部が発想型、第二部が選択型で行われる場合、それは「直列混合型」であり、その場合にふさわしい各イベント同士の情報のやりとりについて考察することができるでしょう。)
 
 もっとも、だからといって、はりはらさんがおっしゃるような理念型としてこの概念が使用できないってわけじゃないですよ。
 各イベントといった部分について語る場合には、実在概念として、全体について語る場合は近似を得るための抽象概念として用いると言うのも良いかもしれません。実際、わたしが「キャラクターメイキング」の話題についてこれらを適用したのは、はりはらさんのご指摘のとおり、極論的な近似としてですし、はりはらさんの再整理もよくまとまってると思います。もちろん、はりはらさんの私見と私の私見が首尾一貫してるとは申しませんが。そこらへんは、おいおい……・。
2000年02月22日:03時04分12秒
「選択肢と結果による形式分類」の目的 / MO
こんにちは、混沌太郎さん。

D.完全自由タイプ に対するMOさんの考えは、〜

これは、鍼原神無さんの質問に対する回答(2000年02月21日:03時47分11秒記)の事かと思いますが、これは混沌太郎さんの言う通り、一類型です。
これは、鍼原神無さんが完全自由タイプの中でルール判定を使う/使わないとの質問でしたので完全に私の主観的意見です。
誤解を与えたようですいませんでした。また、指摘されたポイントに違いが有るのでしたら、詳しくどこかを指摘願います。

>分類はセッション/シナリオ全体に適用?

私は、マスターの設定する問題と選択ごとと考えてました。
だが、話の流れの中で私も全体として話をしてしまった部分も有りました。


「選択肢と結果による形式分類」の目的(私的)
この分類によって、マスターとして自分はプレイヤーにこの選択肢に対して何を求めているのかを考え、求めている対応/反応を得る為に、何をプレイヤー側に伝えれば良いのかを検討するのに役立ててます。

A:正解固定タイプ = 正解の判断材料となる情報を必ず正確に誤解無く伝える。
B:結果固定タイプ = 正解を暗に(ストーリーコントロールによって)伝える。
C:正解自由タイプ = 選択の幅を出す情報と、選択によって結果がどう変わるかを伝える。
D:完全自由タイプ = 発想を導き出す材料(ネタ)を多く出すし、プレイヤー側が何を望んでいるのかを聞き出す。

プレイヤーとしては、早めにマスターが出した問題のタイプをつかみ、それに有った対応/対策をすることにより、プレイの円滑化を目指す。
これらのすれ違いにより、プレイ中の時間を無駄にしない為に使ってました。

どちらも、詳しく説明するのは省略しておきます。混沌太郎さんの言う通り移動した方が良さそうなので。
2000年02月21日:22時58分06秒
自然主義・部分と全体 / 混沌太郎
D.完全自由タイプ に対するMOさんの考えは、このタイプに含まれる一類型に対するものに過ぎないのではないでしょうか。
さもないと、「選択は完全に自由だが、ルール、判定は厳密に行なう」やり方が、どこにも含まれなくなってしまいます。
無論、ルールでカバーされていない状況など幾らでも存在しますから、そうした場合にまでルールに拘泥するのは得策ではありませんが、
あの文面では、既存の、十分理にかなったルールでさえないがしろにしている感があり、人によりけり、といったところではないでしょうか。


あと、鍼原神無さんは、MOさんの分類をセッション/シナリオ全体に適用しているように見受けられるのですが、あれは各シーンごとに適用する分類ではありませんか?
私には、話の流れ上その様に見えましたし、そう使った方が混乱が少なくて良いのではないでしょうか。
(誤解だったらごめんなさい)


ただ、元の話はシナリオの傾向とキャラメイクの関係ですから、シナリオトータルでの視点も用意する必要があります。
まず一つの考えとして、シナリオの全ての部分で問題がないキャラクターのみ認める、という発想があります。
しかしながら、プレイヤーの発想はしばしばGMの想像を越えるものです(良い意味でも、悪い意味でも)。

さて、これと対比する考え方は、「シナリオの一部で問題を起こしそうなキャラクターでも認める」というものではありません。
シナリオに穴があくと知ってて放置するというのは感心できませんよね。
そうではなくて、「プレイヤーの行動がGMの想像を越え得ることを予期する」という姿勢が良いのではないかと思います。

「予測できないことを予期する」とは何やら矛盾めいていますが、心の準備以外にもGMには出来ることがあります。
とりあえず私の単純な発想では、

「前のシーンでの、変動の大きそうな結果(「パーティが生き残ったら」というのが、変動の小さい結果の例です)を前提にして進むようなシーンを幾つも作らない、特にクライマックスとして用意したシーンについては、アドリブで持っていきやすいように気をつける(例えば、保険として複数の導入を用意する)。シナリオのパーツとして、ある程度切り離しても使えるような独立度の高いイベントを混ぜてみる。要するに、良いアドリブが出来るように素材に余裕を見ておく。」

といったところですが、手練れのGMの方ならもっと有効なテクニックをご存知かと思います。

是非伺ってみたい……って、ここはマスタリング研究室じゃありませんでしたね(^^;
ここでは単なる例として挙げてみたのですが、話す価値がありそうなら向こうの方で、折を見て、ということで。
2000年02月21日:15時02分43秒
「物語生成」観点からみた「選択肢と結果による形式分類」と「選択型/発想型」(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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 「セッションのゲームプレイを通して(結果として)表現されてしまう物語(生成される物語)、の生成過程に関わる楽しみ」を、「ジャンルとしてのTRPGに固有の楽しみ」として「物語生成」と呼ぶことにします。
 この「物語生成」を重視する観点から、MOさんの「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」と「〔理念型としてみた〕選択型/発想型」の考えを比較してみます。

#「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」は、以下の投稿内容に準拠してみます。

「RE:質問&補足」 (TRPG総合研究室 LOG 040,MOさん記,2000年02月18日:22時53分07秒)
「RE:完全自由タイプのセッションについて」 (当掲示板,MOさん記,2000年02月21日:03時47分11秒)

#「〔理念型としてみた〕選択型/発想型」は、以下の投稿内容に準拠してみます。
「『選択型/発想型』の考えを理念型として再整理してみる」(長文) (TRPG総合研究室 LOG 040,カンナ記,2000年02月18日:01時17分28秒)

#この投稿は次のような内容を含んでいます。
「物語生成」重視の観点
「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」について
「選択型/発想型」と「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」
疑問点など
余談

「物語生成」重視の観点
 「“ストーリー”は単一だが、ゲーム展開は単一ではない」、だから「TRPGは“ストーリー”であってはならない」とゆう類の意見があります。
 が、うえの意見は、物語の「ストーリー」と「物語内容」を曖昧なまま混同している雑駁な意見です。言わんとしていることは理解できなくもないのですが、前提が雑駁なので、言表の内容がナンセンスになってしまっています。

 
 ここでは、やや大まかですけど、「ストーリー」とは、物語で語られる要素の内、物語内の客観的(疑似客観的)な「出来事の断続」とみなすことにします。「ストーリー」は語れれたことの<判断>によって見出されます。
 「ストーリー」は、語られた事柄が<判断>された結果、見出されるものなので、原則として単一なわけです。
 
 「物語内容」は、<判断>された「出来事の断続」=「ストーリー」が、さらに<解釈>された内容、となります。ですのでひとつの物語についても、「物語内容」は多様になります。
 日常的に言われる“ストーリー”が、「ストーリー」と「物語内容」を曖昧なまま混同した内容であることに注意してください。
 
 「ストーリー」と「物語内容」の関係を、比ゆ的に現すと、一定の底辺(←これが、確固とした「ストーリー」にあたります)を共有した無数の三角形(←多様な解釈による「物語内容」)といったイメージ図式で理解しても構わない関係になります。
#この辺の事情に興味をお持ちの方は、アタシの以下の投稿をお読みください。
「先行予見と読解行為」 (創作論 LOG 002,カンナ記,2000年01月14日:09時35分23秒)
「[『ストーリー(話)』と『物語内容』]整理の為の覚え書き」 (創作論 LOG 003,カンナ記,2000年01月28日:11時28分52秒)
「[ストーリーと物語内容]多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」(長文) (創作論,カンナ記,2000年02月14日:20時30分36秒)

 用語としての<判断>と、<解釈>の違いと関連に注意してください。
 <判断>には単一の“正解”があり、<解釈>には、単一の正解は期待されません。特に「物語内容」の場合は、多様な<解釈>が重要になります。
 また、<解釈>は、<判断>を前提にして、はじめてなり立つものです。
 
 単一な「ストーリー」に立脚するので、多様な「物語内容」が、ある同型の<構造>を持った「群」として成り立つわけです。多様に<解釈>される「物語内容」が、恣意的な誤解・曲解の類とは異なることに注意してください。
 
 ただし、TRPGについての、いわゆる「ストーリー性重視」の意見の方も、「ストーリー」と「物語内容」を曖昧なままに混同させている点は、「TRPGは“ストーリー”であってはならない」説、と同様と思われます。
 「ストーリー性重視」の方にも、日常語レベルの“ストーリー”概念を曖昧にしたまま、TRPGで生成される「物語内容」について語ろうとするため、混乱しちゃってる意見がみられます。
#この件については以下の投稿をご覧ください。
#ただ、昨年夏に書いた物ですので、用語と概念の整理にいささか甘い面があります。用語・概念については、先に挙げた「創作論」ボードの投稿の方を優先してください。

「[物語生成]と『ストーリー重視』の相違点」 (簡易長文投稿ログ,カンナ記,1999年07月05日:11時29分13秒)
 
 さて、「TRPGでの物語生成」を重視する観点から言えば、TRPGの「単一ではないゲーム展開」は、通常の物語について言われる「プロット」の変動にあたります。
 仮に、「ストーリー」が同一な物語作品が複数あっても、プロットが異なれば物語内容の<構造>も異なってきます。
 
 TRPGの場合、プロットも変動すれば、ストーリーを構成する要素も変動します。
 ですのでTRPGでは、<解釈>される「物語内容」の多様さはますます保証される事になります。
 
「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」について
 まず、[物語生成]重視の立場から、MOさんの「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」をみてみます。
 
 正解固定タイプには、「物語生成」の楽しみを追及しづらいものがあります。
 GMさんが「唯一つの正解」の正しさにどれくらいこだわるか、によって「追及しづらさ」の程度が異なってきます。
 
 結果固定タイプでは、「物語生成」の楽しみを追及することは、ほとんど不可能であるように思われます。
 「入り口は広」くとも、固定された結末に向けて「プロット」が収斂されてゆくので、「物語内容」<解釈>の多様さが限定されすぎるのがもんだいと思われます。
 
 正解自由タイプは、「物語生成」の楽しみを追及し易いタイプと思われます。
 
 このタイプは、「入り口は幾つも在り、それに対応した道が在る」、とも説明されています。
 「物語生成」を重視する観点からみると、仮に「入り口」がひとつであっても、「正解自由」であるならば、ゲーム展開の<判断>にもとづいた<解釈>を多様に見出す事も楽にできると思われます。
 ですので、「入り口は幾つも在」る正解自由タイプでは、なおさら「物語生成」の楽しみを追及し易いと思われます。
 
 完全自由タイプで得られる楽しみは、「物語生成」の楽しみと別種の楽しみであるように思われます。
 
 「物語生成」を重視する観点から言いますと、「世界設定」は、まず<判断>に直結する材料になります。
 ついで、<解釈>の多様さが重視されますから、「参加者の意見が一致すること」は積極的には求められません。(たまたま一致したてもそれはそれで構いませんけど)。
 ですので、完全自由タイプで追及される楽しみは、「物語生成」の立場で重視される楽しみとは別種の性質のものと判断されます。
 
「選択型/発想型」と「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」
 SHiNさんが提唱された「選択型/発想型」は、「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」とは異なるアプローチのジャンル整理です。
 用語としての、<選択>と<発想>の違いと関連付けに注目してください。
#用語としての、<選択>と<発想>の違いと関連については以下の投稿を参照してください。
「『選択型/発想型』の考えを理念型として再整理してみる」(長文) (TRPG総合研究室 LOG 040,カンナ記,2000年02月18日:01時17分28秒)

 「選択型/発想型」は、GMの観点からみたものではあるけれど、セッションの実態でプレイに何が期待されるかを判断基準にした整理になります。
 
 一方、MOさんの「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」は、これは文字どおり形式によるタイプ分けです。セッションの実態といった要素を、条件から極力考慮外におくことで整理が成り立つアプローチでしょう。
 
 もう少しMOさんのお話をお聞きしないと、アタシにもまだ勘違いがあるかもしれませんけれど。
 現段階で比較するなら「選択型/発想型」の方には、より、マスタリング手法についての示唆が期待でき、「選択肢と結果による形式分類」の方には、より、シナリオ制作手法についての示唆が期待できるような気がします。
 
疑問点など
 ただ、「物語生成」重視の観点から言いますと、現状の「〔GMの想定する〕選択肢と結果による形式分類」によるジャンル整理にも少し疑問があります。
 
 例えば、「一本道シナリオって、あまり良い意味で使われないけど、PCが何しようが(うまくやろうがミスしようが)、自動的に先へ進む、『動く歩道型』と一緒にしちゃいけないと思う」って意見があります。
#「GMによるチェックポイント通過チェック」 (TRPG総合研究室 LOG 038,SHiNさん記,99年12月10日:03時14分54秒)

 また、アタシも先に、「仮に『入り口』がひとつであっても、『正解自由』であるならば、ゲーム展開の<判断>にもとづいた<解釈>を多様に見出す事も楽にできる」と書きました。
 
 例えば、これらの意見で示唆されるようなタイプのセッションが、「選択肢と結果による形式分類」から漏れてしまっているように思えます(私見)。漏れてしまってるとゆうより、傾向の違う他タイプのセッションと混在して、4つのタイプに含まれてしまっていると言うべきですが。
 もしかしたら「選択肢と結果による形式分類」の4分類の下位に細目分類をたてるとよいの・かもしれません。もしかすると、もっと別のアプローチとうまく併用・連動させてゆく方が有効なの・かもしれません。
 
 アタシ的には、「〔理念型としてみた〕選択型/発想型」と、「選択肢と結果による形式分類」とが、互いに影響しあって、これまで、まじめに考慮されることがマレだった種類のTRPGの楽しみも、ノウハウ化が進むことを期待したいと思います。
 
 以前も書きましたが、ここで言っているのは、従来バク然と、アドリブ重視・ノリ重視・ストーリー性重視などと呼ばれていたTRPGの遊び方の内から、ノウハウ化可能なものを抽出してゆく、といった事を考えています。
 
 ノウハウが整理されるためには、セッションのタイプもより精密に区別されていった方がよい気がしますが。これは、鶏と卵のような関係でしょう。どちらから手がつけられてもよいように思われます。
 
余談
 余談になりますけれど、アタシがよく言っています、キャラクター・プレイ=「PCの仮構のにんげん性をセッション過程に貢献させる」は、「セッションで生成される物語内容を豊かにするためには不可欠なもの」でもあります。
 ですので、曖昧に言われている「ストーリー性重視」の中の可能性のひとつが「物語生成」に整理されれば、アタシ的キャラプレはそこに含まれる・はず、と考えています。

#この投稿は以上です。

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2000年02月21日:03時47分11秒
RE:完全自由タイプのセッションについて / MO
再び、こんにちは。鍼原神無さん。

>質問1、 まず、「ダイスやルールを使った」完全自由タイプセッションはある、と考えてよいのでしょうか。

有ると、思います。ただし、大半の行動の成否の判定には使わない方が良いでしょう。下手に使うと、自由な発想の妨げになりますし、失敗の事を考えると行動が行い難くなります。
ダイスは、意外性/ランダム性が欲しい時。
また、マスター/プレイヤーがスリルが欲しいと感じたら当然使うでしょう。
ルールは、参加者の世界観を統一する為のワールドのルールや、
キャラクターの個性を出す為のキャラクターのルールなどは、キャラクターのロールプレイをする為の参考になるでしょう。

>質問2、  「発想・センス」の良さ/悪さと「ダイスやルール」の必要/不必要の間に、どんな関連をお考えでしょうか。

ルールや判定が必要となるのは、参加者の中で意見が分かれた時に必要な事になると思います。
参加者全員が面白いと感心した(納得できた)場合、わざわざルールに当てはめ、失敗/否定する事は無い。よって、ルールや判定を使わずに統一意見が出来てしまう。
だが、私のように今一つ発想・センスに自信が無いとルールや判定に頼って話を作ることになる。
(ルールや判定によって納得していただく。また、その方が楽。)

>質問3 「形式的整理」

<マスターの・・・>ひじょーに、長いですね。
呼び名に付いては、どのような名前でも分かり易ければ良いと思います。
誤解や勘違いを生む様な短縮を避けれれば、問題は有りません。
と、いって放り出すのもなんなので(案1)「選択肢と結果による形式分類」では、どうでしょう?

ちなみに、私は基本的に「正解自由タイプ」で、シナリオの要素を作っています。
「完全自由タイプ」は、苦手です。上手く出来ないので、憧れ有りといったところです。

あと、こういった検討はいろんな人に叩かれないと良い物にならないので、
どんどん、、、(ほどほどに) 突っ込んでいただいた方が面白いし、参考になると思います。

2000年02月20日:08時43分48秒
[質問]完全自由タイプのセッションについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>MOさんへ
 「RE:質問&補足」 (TRPG総合研究室 LOG 040,2000年02月18日:22時53分07秒)、でのご説明ありがとうございました。
 
 なるほど、なるほど。
 
 重ねて恐縮なのですが、新たに質問をさせてください。
 
質問.
質問前提
 「完全自由タイプ」(入り口などはなく自由に移動、それに合わせてマスターが道を作る)のセッションについてです。
 マスターとプレイヤーの発想の掛け合いにより想像の産物が出来上がる。
 良い点:発想・センスが良ければ、ダイスやルールも要らず面白いストーリーの制作が出来る〔物語が生成される←カン ナ的観点/下線付けカンナ〕
 悪い点:参加者に協調性が無いと、口の上手い奴、ごり押しが強い奴が楽しめるだけになる。
 
 、、、ですが、この説明に、もし、含意があればお尋ねしたいです。
 前回の質問と違い、MOさんの意見をお聞きできれば嬉しいです。

 「発想・センスが良ければ」、「ダイスやルールも要らず」との説明についてお聞きしたいです。
質問1
 まず、「ダイスやルールを使った」完全自由タイプセッションはある、と考えてよいのでしょうか。
 
質問2
 「発想・センス」の良さ/悪さと「ダイスやルール」の必要/不必要の間に、どんな関連をお考えでしょうか。
 えーっと、アタシは一般的には、「発想・センス」が良くても、「ダイスやルール」が必要と考えているのですが。
 その辺のご意見をお聞かせいただけると幸いです。

 今回の質問は、どちらかとゆうと、アタシ的な関心が強い質問です。
 少し説明させてください。
 アタシは、ジャンルとしてのTRPGに固有の楽しみとして、「多人数によるインタラクティブな物語生成の楽しみ」を重視す立場にいます。
 
 ここで、物語生成の楽しみ、と言っているのは、「セッションのゲームプレイを通して(結果として)表現されてしまう物語(生成される物語)、の生成過程に関わる楽しみ」のことです。
 
 さて、アタシ的には、こうした楽しみの追及が、GMさんやプレイヤー達にあまり過度な負担をかけずに、遊び易いシステムの見極め方、や、少しでも楽して、そうゆう楽しみを追及できるノウハウを整理したくて、アレコレ考えています。
 
 アタシが思うに、この、「物語生成の楽しみ」は、「正解固定タイプ」には適合しません、が、「結果固定タイプ」でも、「正解自由タイプ 」でも追及可能、と思います。
 さて、「完全自由タイプ」ですが。「ダイスやルール」不使用で達成される楽しみは、「セッションのゲームプレイを通して(結果として)表現されてしまう物語(生成される物語)」、とは無関係なはずです。
 
 その辺の事に興味があって、うえのような質問になった次第です。
 
 質問の性質上、細かいポイントに拘るような形にならざるを得ませんでした。
 揚足取りとかの意図ではありませんので、よければお応えいただけるとありがたく思います。
質問3(性質の違う質問です)
 MOさんの、整理された<マスターの問題に対する選択肢の作り方と、マスターにとって結果が決定済みかどうかの組み合せ>、は優れた整理と思います。
 これは、アタシは、「GMのセッション構想が形式的に整理」されたもの、と思っています。
 
 えーっと、「形式的整理」ってゆうと、日常語だと、「内実が無い」みたいなニュアンスがあるのですが。 
 でも、文芸研究や、社会学関係なんかだと、もっとニュートラルに「形式研究」とか「形式分類」とかゆう事がありまして。同じようなニュアンスで「形式的分析・整理」と呼んでもよいように思うのですが(私見)。
 もしかして、MOさん的にはイヤだったりされるでしょうか?

2000年02月19日:07時10分20秒
TRPG総合研究室 LOG 040 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 040として2000年02月12日から2000年02月18日までのログを切り出しました。



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