TRPG総合研究室 LOG 024

TRPG総合研究室の1998年12月06日から1999年01月24日までのログです。


1999年01月24日:14時17分03秒
[TRPGの参考になり易い物語類型]何をイメージするか / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#PALM−12さんの新しい設問へのお応えです。
#先のアタシのお応え、割とトンチンカンな内容だったみたいです。もぉ一度応え直させてください。
 
(1)あなたはTRPGをセッション中に物語をイメージしていますか?
 物語の断片(構成単位)と見なせるシーンはイメージしてることが多いです。
#物語をイメージすることもありますけれど、極マレです。
#より精密に言うと、「いろんな物語の断片のイメージを次々パッチワークしつつセッションに参加してる」って感じでしょぉか(もちろんイメージのリソースに頼らずキャラをハンドリングしなきゃならない局面も少なくはないのですけれど)。
 
(2)あなたはTRPGをセッション後に物語をイメージしていますか?
 うまくいったセッションは、物語でもあると確信してます。イメージする/しない、って発想が欠落しちゃってまして、スミマセン。
 
(3)(1),(2)で物語をイメージしている場合,メディアはどのようなものでしょうか?
(1)の場合>小説、戯曲、コミック、映像(映画、TV番組)、演劇、特にどのメディアってことはなくゴチャゴチャです。
 え〜っと、印象深く忘れがたい過去の実体験の記憶がリソースとして動員されることもあります。もっとゆぅなら、例えば、失恋した後に、「もっと、こんなふぅに接すればよかった(に違いない)」みたいに思弁した、仮構体験のイメージが投入されることすらあります。<え〜と、抽象的な議論になっちゃいますけど、こ〜した類も、物語(私的な物語)ではあるはずなのですよね。
(2)の場合>特にどのメディア(既存メディア)ってことは無いです。
 ん〜、私見ではセッションで生成された物語は独立したジャンル(形式)だと思っているのですが。ちなみに、ライトノベル風の小説もどき、みたいな形に再整理したことは、一、二度あります。けれど、能力と余裕があったら、「このセッションはコミックにしたいな(できたらカッコイイな)」、とか思ったり、その辺はセッションの傾向に応じてイロイロとバラつきがあります。
  
(4)(1),(2)で物語をイメージしている場合,人称はどのように扱われていますか?
(1)の場合>マイキャラの一人称と他のキャラの二人称の絡みに変換してるケースが多い、とは思います。 イメージソースになるシーンが、一人称小説に限られるとか、映画・演劇やコミックのよぉに、局外的視点から描写されるものに限られる、とかゆ〜ことはないです。
(2)の場合>アタシの場合、プレイヤー専科なのですけれど、それでも、セッション終了後に想起される物語は、丁度、演劇や映画を観ているときのよぉに、局外的視点から想起されるのだと思います。
#もちろん、マイキャラの言動がキーになるシーンでは、キャラの内部から観ている感覚もあるのですけれど。
#これは、映画などを観ていても、シーンによっては作中キャラに共感することがるのと同様な感覚です。
#総体としては、セッション終了後に振り返られた物語は、局外者的視点から観られた物語として想起されます(より精密に言えば、「想起」する過程でそのよぉな構造に再構築される、と言うべきかもしれません。
 
#まだ、ちょっとPALM−12さんの設問意図に、うまくかみ合ったお応えでないかもしれませんけれど。前の書込のトンチンカン(苦笑)な内容よりはましではないかと思います。
 いじょ
1999年01月23日:14時38分09秒
[TRPGの参考になり易い物語類型](質問)どんなタイプの物語が見えるのか?(補足) / PALM−12
#あう,やはり質問が解りづらかったですか。
#曖昧な方が細かい意図が読み取れて良いと思ったのですが,もっと限定します。

●質問
  (1)あなたはTRPGをセッション中に物語をイメージしていますか?
  (2)あなたはTRPGをセッション後に物語をイメージしていますか?
  (3)(1),(2)で物語をイメージしている場合,メディアはどのようなものでしょうか?
  (4)(1),(2)で物語をイメージしている場合,人称はどのように扱われていますか?

PALMの場合,
  (1)セッション済みの部分については,している
  (2)している
  (3)映画,もしくは静止映像+音声(紙芝居か?)。
  (4)PL時は1人称。GM時は3人称。
です。

ではでは
1999年01月23日:03時43分37秒
Re:イメージタイプ / 彬兄
>●質問:「あなたが考えるTRPGセッション(プレイ中もし
>くはプレイ後)で生成される物語のイメージ(タイプ)を
>教えてください」

 ええと、これはプレイした(している)物語をイメージ的に表現するときのメディアでを答えればいいんですよね?
 だとすると、彬兄のイメージは基本的に小説ですね。それも、第三者視点の。基本的に話の筋を読んでからプレイングを考えてそれによってキャラクターを演出して行く口ですから。
 ただ、ゲームによってそれは多少変化します。熱血専用や天羅万象といったロールプレイ指向の強いものになればなるほどビジュアル的なイメージが強化されて行きます。今仲間内でプレイしている「ときめき天羅ハイスクール」(天羅万象のルールを使った学園モノです)なんかだと、完全に少女マンガになっちゃいますね。
1999年01月23日:00時50分52秒
[TRPGの参考になり易い物語類型]群像型物語をイメージしてはいますが / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>PALM−12さんへ
#あ、いや、このシリーズを(一端)中断していただいたのは、アタシからお願いしてのことでした(汗)。
#もちろん、再開されるのは嬉しいのですけど。
#でも、今回の質問はむづかしぃじょ〜。
 
 アタシはプレイヤー専科で、(広義の)キャラプレ大好きです。
 で、セッション終了後に振り返ると、セッションがうまくいったときほど、生成された物語は群像型だったってことは言えると思います。
 ただプレイ中には、群像型とか、そ〜ゆ〜イメージを抱いてるとも限りません。
 アタシの場合プレイ中にイメージしてるのは物語のタイプ(類型)であるよりは、多くの場合、物語のドラマ性が集約された(とアタシが解釈してる)シーン(断片)であることのほぉが多いです。
 大げさに言うと脳ミソにつまってる、ドラマ性が集約されたシーンのデータベースを高速でサーチしてる感じ(笑)。調子がよいときは、複数のタイプやジャンルの物語から引用してきたシーンを(あくまで頭の内で)ゴチャマゼにしちゃってます。
 
 「ドラマ性が集約されたシーン」と言いますのは、複数のキャラクターがそれぞれのキャラクターのキャラクター性(できたらキャラクター性の深層)を、インタラクション〔相互作用〕で引き立てあってる類のシーンです。
#「キャラクター間で表面的ではない掛け合いが為されてるシーン」と言ったら通じ易いでしょぉか(?)。
 
 この類のシーンが豊富なドラマって、傾向としては「群像型」であることが多いので、アタシも間接的には群像型物語をプレイ中にイメージしてる、と言えるとは思います。
 けれど、実際アタシはプレイ中に、脳ミソの一部でイメージしてるのはあくまで物語りの断片であることがほとんどです。
 
 具体例を一つ>今ハマってるアメリカのTVドラマがあるんです。『ホミサイド 殺人捜査課』ってゆ〜、バッチリ群像型の刑事ものです。
 仲があまり良くない刑事のペアがいます。現場検証のときに、若い刑事がイヤに遺留品の麻薬に詳しいんですね、「これはドコソコで採られたものだ」とか。
 で、初老の刑事のほぉが胡散臭そうに「なんでそんなことわかるんだ」(いつもはもっと、ヌケてるくせにって口ぶり)。
 それに対して若い刑事、「あ〜、俺はウッドストックでジミヘンが国家を演るのを聴いてたんだよ」
 えっと、この若い刑事ってのが、きちんとショートカットで、安物だけど背広着てて、全然ヒッピー刑事(笑)とかには見えないとこがミソなんですけど。
#う〜ん、かえって何の話かわかんなくなっちゃったかも(困)。
1999年01月22日:20時59分09秒
[TRPGの参考になり易い物語類型](質問)どんなタイプの物語が見えるのか? / PALM−12
#あっ、これも中断だったんですね。忘れてました m(_ _)m > 鍼原さん
#だめだ、公私とも忙しすぎて脳内麻薬ダラダラって感じだ......

で、LOGを見ていて少しフラッシュバックしました。で、ゲーマー諸氏に質問です。

●質問:「あなたが考えるTRPGセッション(プレイ中もしくはプレイ後)で生成される物語のイメージ(タイプ)を教えてください」

答えは、何でもかまいません。ずばりリプレイでもOKですし、無ければ無いでOKです。何か、TRPGの中に見える物語の違いが気になったもので

ちなみにPALMの場合は、
 PL時:ミステリやエスピオナージュに多い一人の人物が一人称で語る「一人称一視点型」(と言うのかな?)の物語
 GM時:PALMが一番くるピッタリのはTV版「西遊記」&「西遊記2」(これは群像型といえるのでしょうか?)
になりますね。
まあ、純粋にPLが出来る場合というのは少ないのですが。

#ちなみに「ONE PIECE」はイイです。今やジャンプで一押しのマンガですね。

ではでは

(sf:ローマ数時を一字で表した文字はシステム外字です。特定の環境でしか読めません。数字に変更しました)


1999年01月21日:08時51分16秒
[TRPGの参考になり易い物語類型]ジャンプから / 3327
現在ジャンプで連載されている漫画、「ONE PIECE」 はTRPGの例として良いと聞きました。
各自が目的を持ち、それが全体の目的として共有され、シナリオがPC主導で動いてゆきます。
マスターから出されたシナリオをクリアするだけなどという、ちっとも創作的でない = TRPG的ではない プレイとは正反対で良いかと思います。
キャラクター重視を詐称する一人よがりスタイルの人間に読んでもらいたいですね。
1999年01月21日:06時16分32秒
[TRPGの参考になり易い物語類型]例外的な群像型物語 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この書込みは、「TRPGに適合性のある物語のタイプ 」(TRPG総合研究室 LOG 023,カンナ記,98年11月25日:01時17分54秒)〜「Re:Re:「群像型物語」類とTRPGへの適合性との検討」(TRPG総合研究室 LOG 023,カンナ記,98年12月03日:22時35分08秒)、で検討された内容への捕捉です。
>PALM−12さんへ、
 一端中断させてもらってる話題ですけど、ちょっと思い付いたことがあるもので、捕捉を書込ます。
 アタシ的にはPALMさんと話合った内容の変更は含まれてないと思っているので、さほどもんだい無いかと思ってるのですけど。
 
■例外的な群像型物語でTRPGの参考になり易いもの
 「例外的な群像型物語でTRPGの参考になり易いもの」として、「ある種の悪漢物語〔ピカレスク〕」を挙げることができる。
 例として、映画「エクソシト」シリーズと、やはり映画の「オーメンシリーズ」などを比較してみたい。
 「エクソシスト」シリーズは、群像型物語(「物語中の最上位プロットの中心となる主人公格の人物が、ひとりに特定しがたいタイプの物語」)として観ることもできる。定式的には『エクソシスト』は、若い神父が主人公の物語と見なされるはずだが、(悪魔に憑依された)少女、老神父、若い神父、の三者が主要人物であり、少女に憑依する悪魔が「敵役」である「群像型物語」とみなすこともできる。
 もっと明快な「群像型物語」の例としては、映画『ポルターガイスト』を挙げることができる。
 
 一方、『オーメン』の場合は、ダミアンを主人公とした「悪漢物語〔ピカレスク〕」と見なすのが順当。
 『オーメン』のような、悪党〔ヴィラン〕が主人公の悪漢物語〔ピカレスク〕を「群像型物語」と見なすのは、文芸批評的には困難と思われるが、「TRPGの参考になり易い物語類型」って観点からは、「積極的誤読」をすることで、「群像型物語」に極類似した物語とみなすことは有益と思われる。
 
結論:『オーメン』のように、「主人公である悪党〔ヴィラン〕が圧倒的にパワフルで、複数の作中人物の協力により、その陰謀・経絡が妨げられる」タイプの「悪漢物語〔ピカレスク〕」は、積極的誤読によって「群像型物語」に極類似の物語とみなすことで、TRPGの参考にすることもできる。
 ただし、「主人公にアンチ・ヒーロー的要素がある場合」や、「悪党〔ヴィラン〕主人公の陰謀・策略が奇跡や因縁など超自然的要因で妨げられる場合」には、それらの度合いに応じてTRPGの参考にするための積極的誤読も困難になることがあると思われる。
 
注:アンチ・ヒーロー=「アンチ・ヒーロー」は、通例、「文学作品の中心人物でありながら、伝統的なロマンスや叙事詩に見られるような英雄的偉大さや高貴さに欠ける人物」と規定される。
 一方、「悪党〔ヴィラン〕」の通説的規定は、「演劇や物語で陰謀や計略を巡らす人物。西欧中世の道徳劇や神秘劇の悪魔や悪党の系譜を引く」といわれる。
 例えば、マクベスは高貴さを持った悪党〔ヴィラン〕主人公であり、ドン・キホーテは滑稽なアンチ・ヒーローである、といった差違が認められる。
#ドン・キホーテの物語に悲劇性を読み取ることでヒーローと見なす読解は、この類型比較の文脈では置いておく。
 「悪漢物語〔ピカレスク〕」の主人公に「アンチ・ヒーロー」の要素が認められる物語は、「悪党〔ヴィラン〕の陰謀・策略と、それを妨げようとする群像の行動」ってプロットの比重が相対的に軽くなる傾向があり、それに応じてここで検討された積極的誤読も困難になるかと思われる。
1998年12月29日:23時52分58秒
「現実逃避」と「芸術」と「娯楽(エンターテインメント)」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@PALM−12さんWrote
>TRPGをするのは、ただの現実逃避なんじゃないかって。それに努力すれば誰でも報われるという点も大っきいですよね。ま、これは最近のゲーム全般に言える事なんですが。みんな疲れてるんだなって思いますね。
>......とか、中学生ぐらいの時は、思い悩んでましたね(笑)。
 
 うん、そぉみたいですね。PALM−12さんに限らず、少なからぬ人がそぉしたことを悩む時期を持ってらっしゃるみたいですね。
 アタシはオトナになってからTRPGはじめたんで、申し訳ないですけど「TRPGをするのは、ただの現実逃避なんじゃないか」って悩んだ経験はないんです。
 ただ、同人誌でマンガ描いてるのは、現実逃避なんじゃないか、とか、週末になると、ですこ(笑)に行って遊んでるのは現実逃避なんじゃないか(笑)、とか、コスプレにハマッてるのって現実逃避なんじゃないか(激笑)、とか、それなりに悩んだことはあるので、全然わからないわけではないです。
 
#え〜と以下は、PALM−12さん宛のResではないです。
#もし、今、「TRPGをするのは、ただの現実逃避なんじゃないか」って悩んでる若い人がいたら、その人向けです。
 
 あなたが遊んでるTRPGは現実逃避であるかもしれないし、無いかもしれません。
 ただ、あらゆる芸術は現実逃避です。 あらゆる現実逃避が芸術とは限らないこと、に注意しないといけませんけれど。
 
 芸術には社会的な有用性はありません。だからあらゆる芸術派現実逃避なんですね。
 芸術になんらかの社会的に有用な価値を求めるのは、ファシズムに共通した特徴です。 ナチがそぉでしたし、ソ連共産党もそぉでした。
 
 ちなみに、あらゆる娯楽(エンターテインメント)も現実逃避にかなり近いです。
 あらゆる現実逃避が娯楽(エンターテインメント)とも限りませんけれど。
 
 芸術と娯楽(エンターテインメント)の差異としては、娯楽(エンターテインメント)には、消費者のリフレッシュメントってゆぅ、社会的効用を認めることができる点、でしょぉか?
 芸術にもリフレッシュメントの効用を持つものはありますけれど。あらゆる芸術がリフレッシュメントであるとは限りません。
 
 ファシズムは、娯楽(エンターティンメント)すら、「健全な娯楽」/「退廃した娯楽」と言った社会的な価値序列を創りますが。あらゆるものに社会的な価値序列を創って、社会から一切の揺らぎを排除しよぉとするのは、ファシストの趣味だから言っても始まりません。
 芸術や娯楽(エンターテインメント)は、社会的な価値体系から、相対的に自律した価値体系を持つべきであり、社会もそれを許容することが望ましい、(健全な社会ほど許容度が高い)と言ってよいと思うのですが、この類の理屈はファシストには通じません。
 
 あなたが遊んでるTRPGは、ある種の現実逃避であるかもしれないし、芸術であるかもしれないし、娯楽(エンターテインメント)であるかもしれません。
 個人にはそれぞれ、なにかしら現実逃避となる分野が必要だ、と言ってよいかと思います。
 個人の社会的現実処理能力と現実逃避度合いのバランスはもんだいかと思います。
 けれど、現実逃避=悪といった、短絡した罪悪感を抱くのは子供っぽいことであるよぉな気がします。
 ある時期悩むのも、必ずしも悪いことではないと思います。けれど、性急な結論は出さないほぉがよいと思います。
 あなたは、意外と重要なことで悩んでいるのかもしれません。
1998年12月22日:21時18分30秒
Re:Re:何故TRPGで遊ぶのか(以下略);今はちゃちゃ / PALM−12
>Re:何故TRPGで遊ぶのか(以下略);今はちゃちゃ / カンナ(鍼原神無)@山師(笑)さん
>@PALM−12Wrote
>>その法則とは、『プレイされるゲームのロールプレイ要素は、プレイヤーの年齢と共に減少する』です。
> 
> 上記は果たして「法則」でしょぉか?
> それとも、「従来顕著だった傾向」でしょぉか?

うい、「従来顕著だった傾向」を何かいい感じだと思ったので「法則」だと言い切っただけです(^^;)。
ただ、ご指摘のとおり例外は多いです。動機づけが「現代社会での制度的役割演技に疲れたオトナの為の≪癒し≫」だとか「インタラクティブな創造性に対する好奇心」とか「自らの行動原理が善意的欲求であることの証明」とか明確な別目的になるとこの法則の有効度は低くなりますし、結婚や仕事などの外的要因は例外でありながら大きなパーセンテージを占めるでしょうね。ただ、最終的な選択基準として、無意識下で残ってそうですね。
また、たしかに例外ケースには興味がありますね。ただ、統計はあまり意味がないと思いますよ。多分、イヤな気分になるだけでしょうね。


> いまは、単なる思い付きなんですけど、「現代社会での制度的役割演技に疲れたオトナの為の≪癒し≫としてのTRPG」
>とかって言っちゃったら、うん結構キャッチ・コピーとしてはイケてるかもしれないと思ったわ☆

 でも実際、意識するしないに関係なしにこれがTRPGの魅力になっていることは確かですね(大人子供に関わらず)。PCは、なれなかった自分だったり、なりたかった自分だったり。TRPGをするのは、ただの現実逃避なんじゃないかって。それに努力すれば誰でも報われるという点も大っきいですよね。ま、これは最近のゲーム全般に言える事なんですが。みんな疲れてるんだなって思いますね。
......とか、中学生ぐらいの時は、思い悩んでましたね(笑)。

ではでは
1998年12月22日:19時55分08秒
RPGに於けるゲームと勝敗? / 陽陰
 あらま、補足を見ると、また、全然違うレスを付けていたらしいですね、俺。
 うーむ。最初と二つ目の内容からこれを読みとることが出来なかった俺の貧弱すぎる読解力のおかげで、無意味なゴミレスをつけてしまいましたね。
 しっかりしろよ、俺。
 
>鋼鉄ドリル氏(98年12月22日:00時15分45秒:何故RPGで遊ぶのか、さらに補足)
 >「勝敗や順位を決めるための、ゲームをする必要はない」
 
 仰るとおりです。
 で?
 普段そういうことをやっているんですか?
 この、単純化したモデルだけでは、私の貧困な想像力から言って、PC達が全員戦闘キャラを作って、 アリーナで戦うようなプレイを想像してしまいますが…
 まさか違いますよね?
 と、いうわけで、具体例を説明していただけませんか?
 
>鋼鉄ドリル氏(上記引用と同じ書き込みより)
 >一般の行動判定とは別に、わざわざ戦闘用のルールを用意してあったりするものには疑問を感じる事もあります。
 
 この意見については、理解できます。
 が、最近考えている、何故、戦闘ルールが独立して詳細であるのか?の問いに対しての回答があります。
 
 それは、「戦闘ルールは作りやすく、運用しやすく、理解しやすいから」という理由です。
 
 まず、戦闘に限りませんが、物理的な現象、中でも、「ニュートン力学」な現象は、法則化しやすい、つまり、ルール化しやすいと言うことがあります。
 そして、そうやって出来たルールを運用する側も、もちろん、容易にこれらのルールを理解することが出来ます。
 
 逆に非物理的な現象、例えば、交渉を同レベルに詳細にルール化することを考えましょう。
 まぁ、今思いついた、物理的現象と同レベルで客観的(主観的なルールなんて要らないでしょう?)に判断するためのルールですので、穴はありまくりでしょうが…
 
 まず、交渉側プレイヤーが言った台詞をニュアンスを含めて、完全に要素に分けます。
 そしてその台詞の意味を捉え、PCがそれをどのように言ったのかという変換を行う必要があります。(そう、あるんですよ!)
 そして、PCが言ったそれぞれの要素が複合的に対象となるキャラクターに、どのような影響を与えるのか、と、いう判定を行う必要があります。
 
 このルールだけで、心理学の本が出来そうな内容ですね(^^;
 さて、ま、諸般の問題はさておき、このルールの作成は何とかなったとしましょう。
 今度は、理解して、運用しなければいけないユーザーの問題があります。
 ・・・
 どこかに無理がある事は理解できますよね?
 
 なお、上手いGMの中にはこの辺を直感的にやっているかたもおられますが、ノリでロールプレイメインでやっているという方の殆どは、逆にこういったことをやっていないのですよね。ま、この辺は偏った私見なのですが。
1998年12月22日:16時44分09秒
キャラクタ表現の違い、今むかし / 3327
下記に
>そのD&Amp;Dというゲームの中ではルール(ゲーム)に乗っ取りキャラクターの行動を決めていたのです。
つまり、キャラクターは好き勝手したくても元々出来なかったのです。

というのがありますが、誤解を招きそうなのでフォローさせてもらいます。

視点を一つ上げて見てください。
キャラクターの個性を表現するのは、きっかけさえあればそこがダンジョンであれ都市部であれ関係無いです。グリーンスライムに下品なジョークを飛ばすのも高級ホテルのバーで美女を誘惑するのも、どちらも個性の表現です。
ルール(ゲーム)に則り (こっちが正しい漢字かな?) キャラクターの行動を決めることと、好き勝手をする事は全く別ではないでしょうか?
たまたま、低レベルのD&Dでは好き勝手と死が直結しているだけです。
例として特定のシステムを出す事は無意味ではないでしょうか?

目的と周囲の状況 (ルール及び世界設定) から自分の個性を基に行動を決めるという古いプレイスタイルと、
自分自身 (キャラクタ) の表現をしたいといういまっぽいプレイスタイル。
この二つの違いを取りざたすべきではないでしょうか。
まぁ、この部分の話しをしたいのなら、ですが…
1998年12月22日:14時55分17秒
分けて考えるから間違っているのでは? / 3327
段階を踏んで理解するにはRPとGを分けるのはいい考えだと思います。が、分けておいてまとめないのではおかしいですね。
結局、RP+GじゃなくてRPGなんですから。
ちなみに、ディプロマシーってRPなような気がしますけど、該当しませんか?
まぁとにかく、鋼鉄さんなり誰であれ、休日に趣味で何をしたいのかは自分で決める事ですよね?
戦闘ゲームのしっかりしたのがしたければシュミレーションすればいいじゃないですか。
そうでなくて (鋼鉄さんの言う所の) RP+Gをしたい人はRPGしてるワケです。
自分のしたい事を自分で選べないなんて、論外でしょう?
1998年12月22日:13時55分10秒
何故RPとGの要素が相反するのか / ラザフォード
 相反する理由は簡単です。
 RPもしくはGの定義を間違えたからじゃないでしょうか?
 まず、世界最初のRPGであるD&Amp;Dを考えてみましょう。
 このゲームはもともとダンジョンの中のみを冒険の舞台として作られました。
 そのD&Amp;Dというゲームの中ではルール(ゲーム)に乗っ取りキャラクターの行動を決めていたのです。
 つまり、キャラクターは好き勝手したくても元々出来なかったのです。
 
 ということは鋼鉄ドリルさんのRPの定義はD&Amp;Dでは通用しないことになります。
 でもD&Amp;DってRPGの始祖でしょう?だったらRPGって名前が合ってないとおかしいはずです。
 
 というわけで、もう一度RPの定義を考えるべきだと思うのですがいかがでしょうか?
 G(ゲーム)って定義はほぼ間違えようがありません。
 それに比べて役割演技(役割を果たす)って言葉のなんて曖昧なことでしょうか!
1998年12月22日:13時30分27秒
Re:何故TRPGで遊ぶのか(以下略);今はちゃちゃ / カンナ(鍼原神無)@山師(笑)
@PALM−12さんWrote
>その法則とは、『プレイされるゲームのロールプレイ要素は、プレイヤーの年齢と共に減少する』です。
 
 上記は果たして「法則」でしょぉか?
 それとも、「従来顕著だった傾向」でしょぉか?
 PALM−12さんも、「多くの例外がある」と書いてられますよぉに、このもんだいは簡単に結論づけるのがむづかしいもんだいだと思います。
#どんな例外が、どれくらいの量、どんな風に分布してるのか?
 
 確かに、30を過ぎてからTRPGに手を出し、来年39になろうとゆぅのに(そぉよ、39よッ;笑)「『深淵』の女性テンプレート全制覇」などと言ってるアタシは例外である・のかも・しれません(激笑)。
 
 マジメな話として、PALM−12さんの書込「何故TRPGで遊ぶのか(もしくは何故TRPGをやめるのか)」に記されている考察は「法則」の裏付けとして検討に値するものと思います。
 いまは、単なる思い付きなんですけど、「現代社会での制度的役割演技に疲れたオトナの為の≪癒し≫としてのTRPG」とかって言っちゃったら、うん結構キャッチ・コピーとしてはイケてるかもしれないと思ったわ☆
 キチンとセールス・プロモートすれば売れるかもしんない。やっぱ、第一ターゲットはキャリアウーマン候補生の層、とかかな??
#う〜ん、論旨の乱れた文章なのね(ゴメン;笑)。
1998年12月22日:12時46分21秒
何故TRPGで遊ぶのか(もしくは何故TRPGをやめるのか) / PALM−12
#TTBさん,ごめんなさい。略語使ってますが,修正の時間も無いんでそのまま書き込ませて貰います。

 TRPGをRPとGに分けた場合、何故ボク達はRP+Gをするのだろうか?RP要素とG要素に特化した方向で少し考えてみました。そして、まわりを見まわすと一つの法則(そして多くの例外(^^;)に気が付きました。

 その法則とは、『プレイされるゲームのロールプレイ要素は、プレイヤーの年齢と共に減少する』です。

 例えば、「ごっこ遊び」→「TRPG」→「ボードゲーム」といった様に徐々にゲームの嗜好がRP要素からG要素に移っていくわけです。

 実例として、今までTRPGをやっていた人が30才を過ぎた辺りでボードゲームをプレイするようになったという話を最近良く聞きます。そういう人は「TRPGはしんどい」とよく言います。当然、この中には、昔はずっとボードゲームをプレイしていたという人も多くいます。ただ、それがTRPGをしなくなる理由にはならない事は明白です。

 問題は「TRPGを何故やめるのか」です。ボードゲームがプレイできて、TRPGがプレイできない理由です。この二つのゲームの差異を考える場合、RP要素とG要素の比率の違いは大きな要素になると思います。TRPGでは文字通りロールプレイが必要なのに対して、ボードゲームではロールプレイについては感情移入程度の認識しか必要ありません。
 ごっこ遊びが社会のルールなどを覚える為の子供たちの重要な遊びである事はよく知られています。本来、ロールプレイの活用も擬似体験による学習にあることも知られています。ここから経験的に人間にはロールプレイに対する欲求を持っている事が考えられます。そして、欲求を満たすことは快楽につながります。しかしながら、ある一定以上の経験を積めばロールプレイを行う必要は減少し、ロールプレイに対する欲求(快楽)は減少します。
 また、経験の増加よりロールプレイの嘘(軽薄な世界観や信じられないような偶然)が明白化する事や自我の確立(人格上の揺らぎが無くなる”不惑”ってヤツです)により他者への成り代わりに対して過敏になる事もロールプレイを困難にする要素でしょう。これはその人の中で現実世界でのロールプレイの占める割合が増加していくと言い換えてもいいかもしれません。
 しかしながら、ロールプレイの快楽を経験として知っている人間は、その快楽を得ようとします。前述の理由から、ロールプレイを行う事は困難になっており、同レベルの快楽を得ることは難しくなります。そこで、より単純な闘争心や達成感、はたまた知的ナントカといった欲求を代替要素としてG要素を持ち込むわけです(G要素の面白さについては周知なので説明するのはやめときます)。そして、当然これは年齢と、いや正確に言えば経験と共に増加していくと考えられます。その結果として、人はTRPGをやめるのではないでしょうか。そして「何故TRPG遊ぶのか」という問いに対する答えは「今はゴーストがボクにそう囁くから」です。

ではでは
1998年12月22日:12時27分50秒
ルールの適用の厳密度と「プレイヤーの自由な発想」(was 何故RPGであそぶのか・補足) / はたの

何故RPGであそぶのか・補足 / 鋼鉄ドリルさんwrote:
 RPGなんだから、知恵をめぐらせ、機転をきかせて戦ってもいいのに、戦闘ルールのせいでそういうことがやりにくかったり、ひどい時は全く出来なかったりするのが不満なのです。戦闘ルールがあるばっかりに、プレイヤーやマスターが安直にサイコロふりに走るのがいやなのです。出来るはずの事が出来なかったりするのがいやなのです。

 
 ふむ。ならば、
 
 RPGなんだから知恵をめぐらせ機転をきかせて交渉してもいいのに、交渉ルールのせいでそういうことがやりにくかったり、ひどい時にはまったくできなかったりするのが不満です。
 交渉ルールがあるばっかりに、プレイヤーやマスターが安直にサイコロ振りに走るのがいやなのです。できるはずの事ができなかったりするのがいやなのです。

 
 とは考えられませんか?
 
 キャラクタAは、刀を買おうとしています。でも買うと他の装備が買えません。値引きしてもらうとしました。
 Aのプレイヤーは一生懸命熱弁を振るいます。今わたしに投資すれば将来云々。家には病気の妹が云々。なんとなくこれなら値引きしてもいいような気がしました。
 しかし、マスターは<値切り>ロールを要求しました。よく見るとキャラクタAは<値切り>技能に技能を振るのを忘れていました。失敗しました。
 
 キャラクタBも同じように値切りをします。
 Bのプレイヤーは10%価格をさげてくれといいました。
 マスターは10%ならば<値切り>を修正なしで振りたまえ。と言いました。
 キャラクタBはそこそこの<値切り>技能があり成功しました。そして本来の90%の値段で品物を入手する事ができました。
 
 戦闘ルールのせいで、プレイヤーの自由な発想を狭められているのならば、そんなもんは無くてもいんじゃないかと思うのです。

 
 交渉ルールのせいで、プレイヤーの自由な発想を狭められているのならば、そんなもんは無くてもいんじゃないかと思うのです。

 
 Aのプレイヤーはいろいろ考えて、泣き落としたりなんだりしています。
 Bのプレイヤーは交渉の方法に関してはAのように考えていません。
#技能を見てなんとなく成功しそうな値引率を考える。ということはしています。で、この作業って思ったよりコストのかかる作業なんだよな。でもちゃんとやってもマンチーとかいわれてあんまり評価してくれないんだ(sigh)
 
 Aのプレイヤーはいろんなことを考えてがんばってるのにね。それでも失敗しちゃうのは問題だよね。
 ということは、交渉ルールは交渉方法を考える事を阻害する良くないルールなのでしょうか?
 
 これを各種ルール分繰り返して「すべてのルールはプレイヤが物を考える事を阻害する」という事もできますけど。
 
 だから、
 
何故RPGで遊ぶのか、さらに補足 / 鋼鉄ドリルさんwrote:
 「一定のルールに基づいて行動の正否を判定する」
 ことにはちっとも抵抗はないし、それどころかルールがあるなら守るべきであると考えています。

 
 なんていわれてもあんまり信用できません。
#一定のルールって何物か分からないし。「俺に有利なルール」と読み替えられる可能性もある。
 
 そんなもんがはびこってるからルールで決めてもらわないと何にも出来ない人間が増えるんじゃないのかな。

 
 ルールで決めてもらわないとなんでもありになっちゃう。ということなんです。
#この事は他の人も指摘している。
 
 キャラクタ!=プレイヤーというのもちゃんと区別したいしね。
 そして、他人の行動/能力を読むためにもルールが欲しいよ。
#要するに共通言語だ。
 
 ところで...。
 コーヒー牛乳のたとえは、べつにそんな深い意味はないです。一方が大きくなれば別の要素は少なくなるというだけのことです。

 
 だから、安直に変な譬えは使わないでくれ。ということなのですけど。
#あの変なモデル化でわたしはずいぶん混乱させられました。他にも混乱した人がいると思います。
 
 たしかにA+B=Cには珈琲/牛乳モデルもあるけど、コアントロー/テキーラモデルもあるし、映像+音声=映画モデルだってある。
 珈琲/牛乳モデルを採用するならちゃんとした考察を書いてみんなを納得させなきゃね。「一方が大きくなれば別の要素は少なくなるというだけのことです」と一方的に言われても納得できませんよ。
#本当にロールプレイ/キャラクタプレイとゲームが相容れないものなのか。という事を話すならこの場所のままで。
#「変な譬え」についての話を続けるならUSAGEでということで(笑)
1998年12月22日:10時33分07秒
自分がゲームを楽しむ為に(re:何故RPGで遊ぶのか、さらに補足) / TTB
 こんにちは。TTBです。(^o^)
 鋼鉄ドリルさん、初めまして。ちょっと引用させて頂きますね。
 
>ちょっと自分でも混乱しているみたいですが、これからは「ルール」と「ゲーム」を区別する事にします。
>つまり・・・
>「一定のルールに基づいて行動の正否を判定する」ことにはちっとも抵抗はないし、
>それどころかルールがあるなら守るべきであると考えています。
 そうですね。私は、鋼鉄ドリルさんが、別に混乱しているとは思いません。ルールって大事ですよね。なぜなら、これといって行動の指針のないTRPGでは、少なくとも気心のしれない他人とセッションを共にする為の必要条件ですから。これがないと、なんでもやっていいことになっちゃって、収拾つかなくなりますね。
 
>ただし、「勝敗や順位を決めるための、ゲームをする必要はない」ということです。
 これも、そうですね。この場合の「ゲーム」はTRPGのことなのでしょう。確かに勝ち負けは、ないですよね。
 
>ただ、RPGにおいては行動判定ルールは出来るだけ単純で、柔軟性の高い、
>手間のかからないものが望ましいと考えている事は確かです。
 そのとおりですね。私も、この様なルールがTRPGでは望ましいと思います。
 
>一般の行動判定とは別に、わざわざ戦闘用のルールを用意して
>あったりするものには疑問を感じる事もあります。
 はい。「わざわざ」用意してあるのなら、私も疑問に思います。そうですね。システムデザイナーの皆さんは、「わざわざ」用意したのではなくて、そのシステムには必要だからと思って、導入されているので、「わざわざ」いれているつもりはないと思います。
 
>格闘をしたらどうなるか、射撃をしたらどうなるか、ナドナド、様々な行動の
>結果をだすルールはあってもいいけど、特定の部分のみをクローズアップして
>プレイヤーの行動を縛るようなルールはイヤだ、といっているのです。
 そうですね。システムって、たくさんあるから、そういうのもあるかもしれませんね。私も全てのTRPGシステムからすると、極一部のことしか知りませんし。過度に行動制約がかかるものは、楽しくないですよね。
 
>入れるんだったら、戦闘ゲームとしてとことん楽しめるようなものを入れて欲しいと思います。
 はい。そうですよね。鋼鉄ドリルさんがとことん楽しめるものが、鋼鉄ドリルさんには最適ですよね。私も、私が楽しいと思ったものしかプレイしない傾向にありますね。
 
 ここまでのところ、私は、この様な理解をしております。そこで、提案なのですが、特定のシステムやルールの「ゲーム性」ってのを挙げて、そのシステムの掲示板で、鋼鉄ドリルさんが当惑したり、冗長だと思われたりされている部分を、教えてください。そうしたら、もっと他の皆さんが、リアクションを採り易いと考えます。
 
 確か、ソードワールドを例として挙げられてましたよね。例えばソードワールドのボードに、「こうこうのルールが鋼鉄ドリルさんの楽しみを殺いでいる」って、書き込んでもらえるとありがたいです。
 
 それから、RPとかGとかの略語や抽象語は、掲示板のうえで混乱を招き易い(人それぞれのRPだのGだの、あると思います)ので、避けた方が無難かな、と考えます。
 
#例示になるかどうか判りませんが、TRPGのための政治学的設定の部屋で、12月22日現在、興味深いお話(戦闘がないですよ)が進行しておりますので、ご一読くださるといかがかと思います。ちなみに、私にはちっとも分からない話になっておりますが。(;^^A
 
#ながながとお邪魔しました。では、失礼します。(__)
1998年12月22日:10時32分12秒
実力以外にも差があるように思います / TTB
こんにちは。TTBです。(^o^)
 NaOHさん、初めまして。少し引用させて頂きますね。
>そうするとRPGのプロに求められる能力とは(私見ですが)、シナリオデザイン
>(論考のテーマ上、あえてゲームデザインとはしません)、マスタリング・テクニック、
>背景世界に関する考察、参考資料の提示、といったものになるでしょうか。
 そうですよね。そのようになるのではないでしょうか。 NaOHさんがおっしゃるように、雑誌に載ってほしいですね。これらはまた、雑誌の雑談所でしましょうか。
 
>囲碁・将棋のプロとRPGの現今のいわゆる”プロ”との違いは何でしょう。
 当然、実力がなければプロにはなれませんが、それは、プロになれるだけであって、引き続きプロでありつづけていく為に、実力の研鑽は勿論のこと、「サービス業としての能力」をも磨いていく必要があると思います。
 
 私は、明確な基準てのはなくて、棋士とRPGとはプロフェッショナルの観点からは、あまり違いはないように思います。

 以前、河島さんにいわれたことがあったのですけれど、所謂、社会的なマナーまで必要としない、グレイトな棋士というのは、ほんの一握りで、一般の棋士は、いろいろ、社会的または社交的に修養されておりますし、それがないと暮らしに困ると思います。
1998年12月22日:09時38分51秒
サポート誌戦略について / NaOH

 >「データ&プレイングサポート誌の位置づけ」(鍼原神無〔はりはら・かんな〕98/12/22-05:48:04)
 >アタシの考え得るサポート誌は、それがメインになることは無い、と改めて明確にしておこぉと思います。システムの販売に対して、独立で採算が採れる可能性、としては“メイン”でない、と言えるかもしれませんけれど。左記の言いかたは、誤解を招き易いので使わないほぉがよいかと思います(私見)。
 
 はい、納得しました。
 >持ってないシステムのサポート記事がいくら充実してても、それを買うTRPG愛好者は少ないと思うってことで。システムが売れてなんぼ」だと思われます。
 >#遊ばれるためにはシステムが売れなきゃ、って意味にすぎませんけど☆
 
 RPGの総合誌でなくても、「ルーンクエスト・マガジン」とか「季刊サセックス草稿」とかあったらほしいんですが、その場合、
 
 >「Re:RPGは『システムが売れて何んぼ』か」(匿名希・望 98/12/15-17:49:48)
 >RPGの特性で言うなら、楽しみ方に幅がありすぎてサポートのニーズが細分化される分、プレイ人口の割にサポートの種別ごとの市場規模が小さくなる
 
 という問題点が強化されてしまいますねぇ。
 
 ところで、
 
 >「システムが売れてこそでしょう」(ヌケサク 98/12/15-20:10:07)
 >囲碁・将棋のライターが囲碁・将棋のプロではないことからしても、雑誌購買層と製作者側の質はRPGとは違うと思います。
 
 囲碁・将棋のプロとRPGの現今のいわゆる”プロ”との違いは何でしょう。
 囲碁・将棋のプロならばアマには(原則として)絶対に負けない、というような明確な「実力」が基準になるかと思いますが、RPGにはゲームの性質上、「実力」を明確に定義できないと思われます。
 そうするとRPGのプロに求められる能力とは(私見ですが)、シナリオデザイン(論考のテーマ上、あえてゲームデザインとはしません)、マスタリング・テクニック、背景世界に関する考察、参考資料の提示、といったものになるでしょうか。
 なんかそのまま、RPG誌で読みたい記事内容ですね。
1998年12月22日:05時48分04秒
データ&プレイングサポート誌の位置づけ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシの書込、「データ&プレイング・サポート誌の戦略」(当掲示板,98年12月21日:12時07分40秒)の続き、ってゆぅか捕捉です。
 
@NaOHさんWrote(「RPGは『システムが売れて何んぼ』か」,当掲示板,98年12月15日:12時54分00秒)
>RPGも〔囲碁将棋と;カンナ補記〕同じようにシステムの販売をメインにしないような、データやプレイングのサポート誌をメインにするような戦略が取れないでしょうかね?
 
 先のアタシの書込みでは、「データ&プレイング・サポート誌の戦略」には可能性がある、と書きましたけれど。アタシに考え得るサポート誌は、それがメインになることは無い、と改めて明確にしておこぉと思います。 システムの販売に対して、独立で採算が採れる可能性、としては“メイン”でない、と言えるかもしれませんけれど。左記の言いかたは、誤解を招き易いので使わないほぉがよいかと思います(私見)。

 言うまでもなく、囲碁・将棋は「ゲーム」としてシステムが完結していますよね。
 それに対して、TRPGはシステムをシナリオで補完しないと遊べないですよね。
 上記の基本的違いは大きいです。
#「将棋に対する積将棋の課題の関係」は、「TRPGのシステムに対するシナリオの関係」とは違いますよね。
 
 まぁ、あまり理屈を並べなくとも、「TRPGは遊んでなんぼ」ですから。持ってないシステムのサポート記事がいくら充実してても、それを買うTRPG愛好者は少ないと思うってことで。
 「システムが売れてなんぼ」だと思われます。
#遊ばれるためにはシステムが売れなきゃ、って意味にすぎませんけど☆
 
 匿名希・望さんが言われてる、
>RPGの特性で言うなら、楽しみ方に幅がありすぎてサポートのニーズが細分化される分、プレイ人口の割にサポートの種別ごとの市場規模が小さくなる、
(「Re:RPGは『システムが売れて何んぼ』か」,当掲示板,98年12月15日:17時49分48秒)
 、はTRPG市場特性や雑誌(専門誌)戦略を考える場合、無視できないポイントですよね。
1998年12月22日:01時54分46秒
根本でズレている話は難しい / 寺田大典
 ちゃちゃっぽいですが、

「鋼鉄ドリルさんの書き込み」
>わしは、RPGとは仮想世界を疑似体験する遊びだと思っているからです。

 ここまではっきり言われてしまうと、そうじゃない遊びだと思っていて遊べてしまっている他人には反論というか、話し合いの余地が無くなってしまう気がしますなぁ。「じゃあどっちが正当のTRPGか?」何て不毛もいいところだし。

 RPなゲームはどんなゲームか?私は、友人とそういうゲームをやった事があります。世界観の情報を共有して、PCの「できる事」にお互い同意を得て、GMの判断とPLの提案だけで円滑に進んでいくゲームでした。個人的には、「まぁ、内輪だからできるよな」とは思いました。理由は、「判断基準に信頼が置けない/思想形態が異なり相手の思想の情報がすっごい少ない他人」とは遊べないから。判断基準がルールであると思うからです。(世界観だけじゃ「口の上手いPL」だけが楽しいゲームになり兼ねない)

 一般的なTRPGがシステムルールを含んでいるのは、「PLのゲーム能力、コミュニケーション能力、他人との親密度」を低く見積もっているからでもあるでしょう。これはあって当然だと思いますし。まぁ、戦闘システムに関しては「あれば目に入って使わなきゃいけないような気もするけど、中途半端だから、そんな僕の為に最初から無くして」ってのは、ただの我が侭にも聞こえかねません。今、私も簡単なTRPGをデザインしよーと色々やってますが、簡単でルール無しだと「問題が起こる」場面が少なくなりません(デザイン段階で「いやー、やっぱこれにはルール無いと」ってのが結構あるし)。

 鋼鉄ドリルさんの個人の好みというのは非常に良く分かりますが、その好みが価値観として絶対であってそれを声高に主張する根拠が今のところ良く分かりません。そこら辺がわかるともー少し「話題」として書き込みし易いんですけど。(人の遊び方にケチつけるのは私は嫌なので書き込みたくないのです。個人的な意見ですが)
1998年12月22日:01時09分28秒
主張を明確にして下さい > 鋼鉄ドリルさん / 3327
TRPGでは、勝敗や順位を決めるためにゲームをする事は極めてまれです。12年ほど色々TRPGしていますが、少なくとも私はそんなTRPGをしりません。TRPGを酷く勘違いしていませんか?

また、TRPG発祥の元といわれているのは戦闘に特化したシュミレーションだったハズです。チェインメイルだったかな?
違うものを違うように受け入れられないのはあなたの問題であって、他人に向かって 「より良い個別を楽しもう」 などというのは全くのお門違いですよ。
お門違いなだけで、間違ってはいませんけどね。
ただ、一行掲示板の方でも誰かがいっていましたが、コーヒー牛乳を飲みたい人に別々に飲めなんて言うのは余計なお世話でしかありません。
直前の陽陰さんの書き込みを読まれなかったのですか?
戦闘をするもしないも、出来が良くない戦闘システムを使うのも、参加者である自分達自身の問題でしょう。
現在のところ有効な主張が見当たりません。カラ回りしています。主張を有効かつ明確なものにして下さい。

例えば、戦闘に流れがちなシナリオメイクやゲームメイク(この場合のゲームメイクはプレイやがプレイの流れを演出する意味でのゲームメイクね)や、や戦闘重視のゲームデザインを考え直そう。などでしたら有功かと思います。

もしかして、馬場コラム3を読まれて触発されたのかな? 未読でしたらオススメです。
1998年12月22日:00時15分45秒
何故RPGで遊ぶのか、さらに補足 / 鋼鉄ドリル
ええと、今迄の書き込みで不備があったと思うので補足です。

ちょっと自分でも混乱しているみたいですが、これからは「ルール」と「ゲーム」を区別する事にします。

つまり・・・

「一定のルールに基づいて行動の正否を判定する」

ことにはちっとも抵抗はないし、それどころかルールがあるなら守るべきであると考えています。ただし、

「勝敗や順位を決めるための、ゲームをする必要はない」

ということです。
ただ、RPGにおいては行動判定ルールは出来るだけ単純で、柔軟性の高い、手間のかからないものが望ましいと考えている事は確かです。
一般の行動判定とは別に、わざわざ戦闘用のルールを用意してあったりするものには疑問を感じる事もあります。

格闘をしたらどうなるか、射撃をしたらどうなるか、ナドナド、様々な行動の結果をだすルールはあってもいいけど、特定の部分のみをクローズアップしてプレイヤーの行動を縛るようなルールはイヤだ、といっているのです。

入れるんだったら、戦闘ゲームとしてとことん楽しめるようなものを入れて欲しいと思います。
1998年12月21日:22時49分07秒
戦闘ルールとRPG / 陽陰
 失礼。
 私が書き込んでいる間に、鋼鉄ドリルさんが補足されましたので、論旨からずれたモノを書き込んでしまいましたね。
 
 では、RPGに戦闘ルールは必要か不用か?
 という話題に切り替えてみましょう。
 
 まぁ、素直に、「頭を使って戦闘を避けるか、作戦を立てないといけないシステム/シナリオで遊ぼう」などという意見は、とりあえず置いておきましょうね。不毛ですから。
 ちなみに、この手のシステムもそれなりにありますし、だからといって戦闘ルールが適当か?っていうとそうでもなかったりします。例えば、クトゥルフとかね。
 そして、戦闘ルールの有無に関わらず、そういったシナリオにしない方法だってありますが。。。
 
>鋼鉄ドリル氏
 >RPGなんだから、知恵をめぐらせ、機転をきかせて戦ってもいいのに、戦闘ルールのせいでそういうことがやりにくかったり、ひどい時は全く出来なかったりするのが不満なのです。
 >戦闘ルールがあるばっかりに、プレイヤーやマスターが安直にサイコロふりに走るのがいやなのです。
 >出来るはずの事が出来なかったりするのがいやなのです。
 
 こういった意見を出される心情は理解できます。
 が、これは果たしてルールの所為なのでしょうか?
 
 RPGのルールとは、「そのRPGシステムの世界法則」です。
 つまり、「現実の我々を取り囲んでいる様々なルール」と、本質的に変わりはありません。
 
 現実世界だって、ゲームの世界と同じようになんだって出来ます。
 例えば、ビルの50階から飛び降りたり、気にくわない上司を包丁で刺し殺したり。
 もちろん、「ルール」によって結果は帰ってきます。
 ビルの50階から飛び降りると殆どの場合死ぬでしょうし、気にくわない上司を殺したりなんかすると警察に捕まってしまいます。
 
 RPGの世界だって同じ事です。
 殴ることは可能。殴ったときのルールだってある。
 だからといって、殴らないといけない、などということは、"決してありません"。
 
 しかし、ルールがないと、"もしその行動を起こしたとき"の対応が難しくなります。
 
 キャラクターの強さの指標がなく、HPもなく、パンチの命中率もないシステムで、例えば、「チンピラと喧嘩」した場合を考えましょう。
 どう判定しますか?
 適当に決める?
 だとしたら、プレイヤーは、「どうやったら勝てるか?いや、勝ち負けはどうなるか?」という、「未来を推測すること」が出来ませんね。
 これは、「ルールがあるとき」以上に問題が起こるのではありませんか?
 
 もし、「戦闘が安易に発生するのがいや」だと言うのでしたら、ご自分のシナリオなどを思い返してみましょう。
 もし、悪役が、「慈善事業家として有名な商人で、事件を起こした証拠なども殆ど残していない」人、などとしてみた場合、「悪い奴だから襲って殺してしまおう」などという安直な考えでは、その事件は解決したとしても、「回りから見た悪い奴はPC達にしか見えない」事になって、報酬を考えるどころか、彼等の未来すらなくなってしまうことでしょうね。
1998年12月21日:22時35分34秒
「RP(ロールプレイ)」だけでは難しいから、「G(ゲーム)」の要素があるのではないかと。 / YAN

 ☆(文中の「A」はロールプレイ的要素(以降「RP」と略)、
  「B」はゲーム的要素(以降「G」と略)を指します)

 
> 鋼鉄ドリルさん

 どうも、お久しぶりです〜。
 
> 初心者ならいざ知らず、何年もRPGをやっているような人が
> 「AB」のようなゲームをいつまでも遊んでいて、「A」や
> 「B」に手を出さずにいることが多いのは何故なのでしょうか。
 
 はたのさんの答えと同じになりますけど、「G」だけなら良くやります。コンシューマー機とか、ゲーセンのゲーム、あとはボードゲームとか。(最近はあまりやってないですけど)
 
 ただ私も(鋼鉄ドリルさんがおっしゃるように)、「A」(=ロールプレイ)はRPGでしか味わえない独自の要素であると考えていますし、それは「G」だけのゲームでは味わえない、魅力的な部分であると思います。だから、RPGが好きで、続けています〜。
 
 ですが…「RP」だけで(=暗黙の了解だけで)ゲームを成り立たせるのは、非常に難しい行為だと思います。やはり、ゲームをやる上では、ちゃんとしたルールが必要ではないでしょうか?
 
# 実は、私も前に、親しい人同士で「ほとんどルールの無い」システムをやったことがありますが、どうも上手く行きませんでした。いや、部分部分では非常に楽しい瞬間もあったのですが、全体を振り替えると、「この場面でちゃんとしたルールがあったら、もっとスムーズにプレイ出来たのになあ…」という部分がいっぱいありました。ルールが無いことで不都合に感じた点を具体的に上げると、
 
 お互いの「共通認識」が得にくい→ 
 「共通認識」を得るのに時間がかかる→
 時間をかけても、納得の行く結論が得られない場合もある

 
 よって、
 
 勘違いの続出(「今の無し」になることもある)
 プレイ頻繁に中断するため、だらける
 (普通のゲームなら)わりとどうでもいい所で議論になってしまう

 
 というデメリットが生じます。…それから考えると、「RP」だけのセッションは、成功させるのが(=楽しむのが)非常に難しいのではないでしょうか。(ちなみに先ほど例に挙げたシステムでは、その時の反省を生かして、よりスムーズに、より盛り上がるように、色々とルールが追加されていきました)
 
 これはもう、「G」の部分が好き、嫌いとかいう問題じゃなくって、
 「G」がないと困るから、「RP」「G」をやる…という事になると思います。
 
 
 最後に…以下の書き込み部分について質問です〜
 
> わしにとっては「AB」のゲームというものは「A」と「B」の両方とも
> 中途半端にしか楽しめない、物足りないゲームでしかありません。
 
 現存するTRPGの中で、「A」「B」「AB」に当たるシステムを具体的に挙げると?
 
 あるいは、現存するTRPGに「A」や「B」に該当するTRPGはないと考えていますか?
 だとしたら、「A」「B」それぞれに一番近いと思うシステム、及び一番中途半端だと思う「AB」なシステムは?

 
 手が空いているときで結構ですので、宜しくお願いします〜
1998年12月21日:22時20分49秒
Re: 何故RPGで遊ぶのか(ショウビジネス編) / 陽陰
 論考系って久しぶり(^^; 
 でも、はたのさんが良いこと書いてはるんだよねぇ。
 ま、私なりに思うところを。
 
>鋼鉄ドリル氏
 >RPGというものが、役割を演じる(RP)の要素とゲーム(G)の要素から成り立っているのは今更言うまでもありませんが、わしはこれらがお互いに相容れないものであると考えています。
 >RPの楽しさに重点を置けばそれだけG的な楽しみは小さくなり、逆にGとしての面白さに重点を置いたらRPに支障をきたす、というわけです。
 
 RPだけでどう遊ぶのか想像が付かないので、ま、演技みたいなものだと考えましょう。
 RP:演技を行うこと
 
 G、うーむ。ゲームのG?うーむ、ここだけでは難しいですね。
 ちょっと別の場所から引用してみましょう。
 
 >「B」(引用注:Gのこと)というのはシミュレーションゲームの魅力だと考えています。(中段より)
 >「B」の要素を必要以上に重要視し、ルール絶対主義的な考えを持っている人がそれに適したゲームをやらずに、わざわざRPGなどという曖昧な要素を大きく含むものを選んで遊んでいるのは何故なのでしょうか。 (下段より)
 まぁ、将棋というモノがあるから、他のゲームなんて不用だ、という意見にも取れますけれども、そうだとすれば議論にならないから、別の解釈をしてみましょう。
 G:「ルールに"きっちり"従うこと」
 
 鋼鉄ドリルさん、この解釈であっていますか?
 
 さて、ここでまず一つ目の疑問が持ち上がります。
 「ルールを守りながら演技をする」
 このテーゼに対し、鋼鉄ドリルさんは、否定の意を称しています。
 果たしてそうなのか?
 
 では、これについて検証してみましょう。
 
 判りやすい演技として、有名な演技、つまり売れている演技を例示します。
 今、売れている演技とはなんでしょう?
 答えは、皆さんご存知のハリウッド映画ですね。
 これについては考えるまでもありません。
 「ハリウッドの法則」に乗っ取っているのですから。
 つまりは、「ルールに則って演技をすることによって、世界で一番売れる=理解される」ということになり、テーゼは肯定されます。
 
 これを外した、などといって取り上げられる監督、まぁ、わかりやすいところで、リンチやクローネンバーグあたりを取り上げてみてみたとしても、やはり、「法則」を上手く使って、それに従いながらも意表を突いているが為に受け入れられるのです。 
 つまり、この例を取ってもテーゼは、「是」となります。
 
 では、法則に従うことで何が出来るのか?
 
 っと、長くなったので、「法則=ルール」に付いては、続編をお楽しみに(^^;
 え?楽しみじゃない?あらら。
 そんなこと言われても、書きますよーだ。
1998年12月21日:21時49分58秒
何故RPGであそぶのか・補足 / 鋼鉄ドリル
なかなか物議を醸し出しているようで興味深いのですが、ちょっとばかり補足です。

RPとGのはなしですが・・・。

多くのRPGが戦闘ゲームの要素を取り入れているのは言うまでもない事実ですが、半端にそんなもんが入ってても面白いとは限らないという事です。
どうせなら、とことんやってるほうがいい。ないならないほうがいい。

蓬莱学園のように、明確な戦闘ルールを導入しなくてもRPGは成り立ちます。

逆に、戦闘ゲームの要素を導入したばかりにRPG独自の楽しみを失うことが現実にあります。
戦闘にある程度の比重がかかっていて、戦闘が楽しいシステムを使ってプレイしている時に、積極的に戦闘を避けるという賢明な選択が行われにくいというのは紛れも無い事実です。
最後まで戦いを避けて上手く立ち回り、八方円くおさまったとしても、そのシステムの大きな魅力の部分をはしょった訳だから、それはそれでやはり不満が残るというものです。
不幸にして戦いになってしまったら、その時は急にシミュレーションゲームに変わってしまって、サイコロふって当たった外れた、ダメージはなんぼという、そんな戦いにしかならなかったりするわけです。
RPGなんだから、知恵をめぐらせ、機転をきかせて戦ってもいいのに、戦闘ルールのせいでそういうことがやりにくかったり、ひどい時は全く出来なかったりするのが不満なのです。
戦闘ルールがあるばっかりに、プレイヤーやマスターが安直にサイコロふりに走るのがいやなのです。
出来るはずの事が出来なかったりするのがいやなのです。

戦闘ルールのせいで、プレイヤーの自由な発想を狭められているのならば、そんなもんは無くてもいんじゃないかと思うのです。
そんなもんがはびこってるからルールで決めてもらわないと何にも出来ない人間が増えるんじゃないのかな。

コーヒー牛乳のたとえは、べつにそんな深い意味はないです。一方が大きくなれば別の要素は少なくなるというだけのことです。

シミュレーションゲームやなんかがあるのに、どうしてそこまでRPGに戦闘ゲームを持ち込む事にこだわるのかがわしにはわかりません。

それにわしは、ソードワールド程度のルールではゲームとしては正直いってちっとも満足できません。不満だらけです。かといって、妙なハウスルールをつくったりするのは好きじゃありません。
不満なら別のゲームを、あるいは一からオリジナルで、と思うからです。

わしはRPGで戦闘をするな、などとは決して思いませんがはじめからサイコロふりゲームで戦う事が前提になってるのは大いに不満です。

わしは、RPGとは仮想世界を疑似体験する遊びだと思っているからです。
1998年12月21日:18時39分34秒
Re: 何故RPGで遊ぶのか (ちゃちゃ) / 球形弐型
ふっ…そこにTRPGがあるからさ…。
1998年12月21日:18時34分22秒
RPGに対する感じ方 / ディアス・ダロ
 鋼鉄ドリルさんへ
 私はRPGをRPGとして考えています。
 RP+Gとしてとらえてる鋼鉄ドリルさんとは 違ったとらえかたをしています。
 でも鋼鉄ドリルさんが間違っていると言うつもりはありません。
 RPGとはそんなに狭い物でなく、それぞれ一人一人の中で違う思いを受け止められるだけのものだと思うからです。
 
1998年12月21日:18時24分01秒
Re: 何故RPGで遊ぶのか / ディアス・ダロ
 鋼鉄ドリルさんへ
 私がRPGに求めるのはセンス・オブ・ワンダーです。
 自分ではない自分として日常経験できないような経験をすることですね。私はRPGでそれが得られるから私はRPGで遊びます。
 モビルスーツに乗ってミサイルを撃つ事。
 トロウルにファイアーボールを撃つ事。
 数刻後には斬り合わなければならない敵と今は一献の酒を酌み交わす事。
 パン屋として最高のパンを焼こうと努力する事。
 一国の浮沈を掛けて政治的決断を下す事。
 荒野を歩くだけでもいいんです。
 
 楽しいセッションができるならね。
1998年12月21日:17時28分26秒
Re: 何故RPGで遊ぶのか / はたの
 うむ。たまにはRPGな記事を書かんとだめだよね。
 
 一部引用の順序を変更しています。
 
 でもその前にまず。
 「A」の要素をコーヒー、「B」の要素を牛乳に喩えるなら、中間型はコーヒー牛乳であって、紅茶や緑茶などの別の飲み物ではないからです。
 (以下略)

 珈琲と牛乳。の話をRPとGに適用するのは乱暴過ぎて全然意味がありません。
 例えば、RPG=マルガリータ、RP=コアントロー、G=テキーラだとしたら、全然違う結果になりますよね。
#ってライムジュースはどこいったのだろうね:-P
 変な譬えを使うのは止めましょう。混乱の元です。
 
RPGというものが、役割を演じる(RP)の要素とゲーム(G)の要素から成り立っているのは今更言うまでもありませんが、わしはこれらがお互いに相容れないものであると考えています。

 
 わたしはそうとは思いません。というとさっぱりなんですが。
 なぜ相容れないのですか?
 過去に鋼鉄ドリルさんの書かれたRPGと戦闘ゲームを読んでも良く分かりません。
 
 RPの楽しさに重点を置けばそれだけG的な楽しみは小さくなり、逆にGとしての面白さに重点を置いたらRPに支障をきたす、というわけです。

 
 いきなり「わけです」と言われましても...。
 わたしはそう思わないというと(以下省略)
 
 支障をきたす。というのはどういう事でしょうか。
 キャラクタのスペックが低いせいで自分の望むようなプレイができない。というのではないですよね。
 
 わたしは、ゲーム的に移動速度、行動順、現在遷移している位置、射程、1アクションで行動できること、などが規定されていないと何ができて何ができないのかわけ分からなくなります。
 そういうアクションシーンでなくても、キャラクタがどのくらい好感のもてる人物なのか、どんなコネがあるのか。そういうような事が決まっていなければ、やはり何ができて何ができないのかが分からなくなって困ってしまいます。
 他のキャラクタでも同様で、どんなキャラクタなのか分からないとインタラクションしづらいです。
 
 しっかり「キャラクタプレイする」ためにも、キャラクタの能力がちゃんと規定されていないといかんと思うのです。
 そして、その規定は他のキャラクタの能力を読むためにもある程度客観的なものである必要があると思います。
#共通言語としてのルールが必要。と言う話。
 
 わしはRPGで遊ぶ時、RPGでしか味わえない、独自の要素である「A」を大幅に減らしてまで「B」を楽しもうとは思いません。「B」が楽しみたいのなら、シミュレーションゲームやボードゲームやカードゲームなど、それに適したものが他にたくさんあるからです。

 
 「B」の要素を必要以上に重要視し、ルール絶対主義的な考えを持っている人がそれに適したゲームをやらずに、わざわざRPGなどという曖昧な要素を大きく含むものを選んで遊んでいるのは何故なのでしょうか。

 
 大幅/必要以上というのもいい加減な言葉ですよね。
 わたしの「大幅」と他の人の「大幅」は違いますもの。
 
 例えば、わたしは1アクションの時間が非常に短いゲームで、1アクションに長々喋られると「マスター今の何秒?」って聞いてしまいます。そういうと大抵「細かいこと言うなよ」という目で見られ、ムスッとされてしまいます。
 台詞を言い合いながら殴り合う。っていうのが楽しい。というのは認めます。だけど、例えば1アクション1秒だったら1秒分しか喋ってはいけないと思うのです。
#少なくても毎ラウンドしゃべくってはいけないと思う。
 
 これって大幅/必要以上なのかしら?
 
#こういう場合は「ルールを選べ」と思います。ぐたぐた喋りながら戦闘したいなら、ラウンドあたり時間の長いゲームを使えばいいんだよね。そうすれば文句はない。
 
 そもそもRPGというのは曖昧なのかな?
 抽象化はされています。でもシミュレーションゲームも抽象化されているよね。
 ある現象に関してルールの記述がない場合があります。でもそれはシミュレーションゲームでも同じだよね。
 他のゲームと同じ程度に曖昧なのであって特別曖昧ではないと思う。
 
 「ルールにこだわりすぎ」という発言が「ルールどおりにやると俺のやりたい事ができないじゃないか。だから文句言うな」と聞こえてくる時があります。
 「ルールがある分にはルールに従おう」って思うんですけどね。共通言語なんだし。
 
 それが悪いだとか、間違ってるだとか、無くなってしまえだとかいう気はありませんし、また初心者がはじめから極端なシステムに接するのはあまり推奨できない事だとも思います。しかし疑問は依然として残ります。

 
 極端。なんですか?
 初心者には薦められないんですか?
 RPGはRPとGに分離するべき。といっているのに?
 RPGは半端だ。といっているのに?
 
 初心者ならいざ知らず、何年もRPGをやっているような人が「AB」のようなゲームをいつまでも遊んでいて、「A」や「B」に手を出さずにいることが多いのは何故なのでしょうか。

 十何年もRPGをやっているような人なのですが、わたしにはRP100%の遊びって想像できません。
 ゲーム要素なしなんですよね?
 
 両方楽しみたいなら「A」型のゲームと「B」型のゲームを一回づつやってもいいのに、何故そこで長時間の「AB」型ゲームを選ぶのでしょうか?

 
 今これを読んでいる皆さんはどうですか?いったい何故、RPGで遊んでいるのでしょうか?

 
 なぜRPG遊ぶといわれても...。
 
 なぜ「RP」/「G」をそれぞれ遊ばないの?というなら答えられます。
 「G」遊んでます。マルチゲーム遊んでます。コンピュータゲーム遊びます。
 「RP」遊んでません。わけ分からないから。
 「RP」ってどういう遊びなの?コンベンションで初めて出会った人とでも遊べる?
1998年12月21日:12時42分04秒
RE:何故RPGで遊ぶのか / 3327
鋼鉄さんのご意見、ちょっと勘違いがあるのではと思います。
TRPGはキャラクタ個性を反映する事を楽しむ(める)ゲームであって、おっしゃるところのA&Bを楽しむわけではないと思っています。
AやBは構成要素であって、それらの集合体を楽しむためのゲームだというのが実状ではないでしょうか。

映画を見るときに、構成要素である画像や音声やストーリーをバラバラに評価するのでしょうか?
鋼鉄さんのご意見では、画像だけ楽しめば良いじゃないか、音声だけ楽しめば良いじゃないか。こう言ってるように見えてしまいます。
無論、音楽鑑賞も絵画鑑賞も良い趣味ですけど、複合物である映画鑑賞もいいものでしょう?
1998年12月21日:12時07分40秒
データ&プレイング・サポート誌の戦略 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この掲示板、ログが切り出されてからは、はじめて書込ます。
 NaOHさんが、「RPGは『システムが売れて何んぼ』か」(当掲示板,98年12月15日:12時54分00秒)で言われる、「データやプレイングのサポート誌」は、商業雑誌って意味と思いますけど、必ずしも不可能ではない、と思います。
 ただ、それをこの国でやるには、従来のTRPG専門誌のよぉな薄利多売型ではない戦略の雑誌でなくてはいけないと思います。
 
 ここで、「薄利多売ではない戦略」と言うのは、そぉですね、1万部以下の刷り部数で、返本率を毎回10%以下に押さえるって線と、仮定してみましょぉ。まぁ、左記は、今のとこ、ちゃんと試算をした数字ではないので、極端に少ない数をたてて、思考実験的にこれならイケルんじゃないか(?)って考えてみるってことでよいですけど。
 
 さて、薄利多売でない雑誌戦略、不可能ではないと思いますけれど、月刊刊行では極度に困難ではないかと思います。季刊、くらいならなんとかなるんじゃないかな?
 理由は、
1>単価が高くならざるを得ないので、売れ足の早さが期待できないこと。
2>ニーズのある場所に適確に届けるための手間(営業面の手間)がタイヘンになること。
3>(営業も含め)人件費が経費全体に占める割合が膨大になること。その為、刊行ペースを長くし、他の業務の傍らに制作しないと収益構造がきつすくなりぎると思われること。
 、などです。
 
 それでもなおかつ、利幅が薄く、返本率が少しでも上がるとリカバーするヒマもなく赤字に転ずるリスクが高い戦略です。
 もんだいは、そぉした、利が薄く、安定性の保証が少ない(リスクが高い)事業に魅力を感じる企業がどれだけあるか?って辺りになると思います。
 
 ただ、「語り部日報」12月17日号の「TRPGな一言:耐久消費財としてのTRPG」でも言及されていますけれど、TRPGのシステムは、耐久消費財に類似の性格が認められるので、上記の薄利多売型ではないサポート雑誌の戦略には可能性あると思います。
 それでも、長期に渡っては、初期ユーザー数は確実に暫減していくはずなので、新規ユーザーにシステムをアピールすることも雑誌の使命として無くなりはしないでしょぉけれど。ゲームソフトのよぉに、次々新システム、新タイトルを売っていかなければいけない、ってことにはならないと思います。
1998年12月21日:12時00分43秒
何故RPGで遊ぶのか / 鋼鉄ドリル
しばらく書き込めなかったのでずいぶん前の話になりますが・・・。

RPGで遊ぶ人がRPとGの比率が五分五分なゲームを主に楽しむのはなぜか、何を求めて遊んでいるのか、というおはなしです。

RPGというものが、役割を演じる(RP)の要素とゲーム(G)の要素から成り立っているのは今更言うまでもありませんが、わしはこれらがお互いに相容れないものであると考えています。
RPの楽しさに重点を置けばそれだけG的な楽しみは小さくなり、逆にGとしての面白さに重点を置いたらRPに支障をきたす、というわけです。
仮に、RPの要素を「A」とし、Gの要素を「B」と呼ぶ事にすると・・・現在の日本でRPGといえば「A」と「B」を半々くらいに入れたゲームが主流であるといえます。

しかし、わしはRPGの魅力といえば「A」の事だと考えています。「B」というのはシミュレーションゲームの魅力だと考えています。
主流である中間型は、これらに対する「C」というよりは「AB」といったほうがいいでしょう。

「A」の要素をコーヒー、「B」の要素を牛乳に喩えるなら、中間型はコーヒー牛乳であって、紅茶や緑茶などの別の飲み物ではないからです。

コーヒーを多く入れれば、コップに牛乳は少ししか入りません。逆もそうです。RPGで「A」を多く入れれば「B」は少ししか入りません。逆もそうです。
両方ともたくさん入れてるよ、という人も中にはいますが、それは大きなコップにコーヒーと牛乳の両方を多く注いだだけであって、ブレンドの比率(味)は結局変わっていません。
それに、量が多すぎると飲みきれなくて困る人もいるでしょうし、飲みすぎで気分が悪くなる人もいることでしょう。いつでもどこでもだれとでも、というわけにはいきません。

わしはRPGで遊ぶ時、RPGでしか味わえない、独自の要素である「A」を大幅に減らしてまで「B」を楽しもうとは思いません。「B」が楽しみたいのなら、シミュレーションゲームやボードゲームやカードゲームなど、それに適したものが他にたくさんあるからです。 アイスコーヒーが飲みたい時、ミルクはスジャータ一杯分入れれば、それで充分だと思うのはわしだけでしょうか。

わしの前の書き込みに対して寺田氏は「両方とも楽しみたいから」と答えてくださいました。 しかし、わしにとっては「AB」のゲームというものは「A」と「B」の両方とも中途半端にしか楽しめない、物足りないゲームでしかありません。だからわしは「なぜなのか」「どこに魅力を感じているのか」と思うわけです。

それが悪いだとか、間違ってるだとか、無くなってしまえだとかいう気はありませんし、また初心者がはじめから極端なシステムに接するのはあまり推奨できない事だとも思います。
しかし疑問は依然として残ります。

初心者ならいざ知らず、何年もRPGをやっているような人が「AB」のようなゲームをいつまでも遊んでいて、「A」や「B」に手を出さずにいることが多いのは何故なのでしょうか。


「B」の要素を必要以上に重要視し、ルール絶対主義的な考えを持っている人がそれに適したゲームをやらずに、わざわざRPGなどという曖昧な要素を大きく含むものを選んで遊んでいるのは何故なのでしょうか。


両方楽しみたいなら「A」型のゲームと「B」型のゲームを一回づつやってもいいのに、何故そこで長時間の「AB」型ゲームを選ぶのでしょうか?


また、「A」寄りの人と「B」寄りの人が一つの「AB」型ゲームの卓に入って遊び、お互い譲らないから様々な問題が起こっているのだとも思うのですが・・・。


今これを読んでいる皆さんはどうですか?いったい何故、RPGで遊んでいるのでしょうか?
1998年12月15日:20時10分07秒
システムが売れてこそでしょう / ヌケサク

サイトRPG日本

での情報交換・意見交換と関連性がありそうですね。ぼくは将棋・囲碁もサポート誌だけでは利益は上がっていないだろうと思っています。囲碁・将棋のライターが囲碁・将棋のプロではないことからしても、雑誌購買層と製作者側の質はRPGとは違うと思います。たぶん、マーケットのシステム主義を脱却しようとした結果がメディアミックス、ノベライゼーション(小説化)などであり、しかしそれはかならずしも成功したとはいえないだろうと思います。

こんなにカタカナばっかりでいいんかなあ。


1998年12月15日:17時49分48秒
Re:RPGは「システムが売れて何んぼ」か / 匿名希・望

え〜と、こちらでははじめまして。
とくなき・のぞむといいます。
#GURPS系掲示板ではちょくちょく来てましたが。

単刀直入に言うと、ゲームとしての深みというより、
単純にプレイ人口が少ないのが原因ではないかと思います。
#囲碁や将棋でも、プレイ人口が少なくなればやっぱり成立は難しいかと。

あえてRPGの特性で言うなら、楽しみ方に幅がありすぎてサポートのニーズが細分化される分、
プレイ人口の割にサポートの種別ごとの市場規模が小さくなる、
・・・・ぐらいですかね。
#それにしたって、ある程度の共通性はあるだろうけど。
1998年12月15日:12時54分00秒
RPGは「システムが売れて何んぼ」か / NaOH
 ちょっとした思いつきですが、本掲示版の諸賢の意見をお聞きしたく思います。

 囲碁や将棋って、基本の道具一つ買えば何人でも遊べて(さらに定石の本とか買う人もいるけど)継続的な購買が無いじゃないですか。でも囲碁、将棋はプロが成立するくらいにメジャーなホビーとして成立している。もっとマイナーな例を出せば「モノポリー」。あれも世界大会があるくらいにはメジャー。

 RPGも同じようにシステムの販売をメインにしないような、データやプレイングのサポート誌をメインにするような戦略が取れないでしょうかね?それとも、RPGにはゲームとしての深みが足りないためにそのような戦略を採ることが出来ないんでしょうか。

 (コンシューマーゲームなんかはそうじゃないかと思うんですが、次々と新システム、新タイトルを売っていかなければいけないという事です)。


1998年12月06日:16時39分05秒
TRPG総合研究室 LOG 023 / sf
TRPG総合研究室 LOG 023として1998年11月06日から1998年12月03日までのログを切り出しました。

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