TRPGな一言:1998年12月分


目次


1998/12/01:定性データの記法

味方のNPCも、時には買収されたり、心変わりしたり、裏切ったりするような存在であるということをルール的に明確にするというのは良いかもしれない。そして、そういった信頼度なんかは定性的に処理したほうがいいのかも知れない……。

などと考えていて思ったのですが、定性的なデータの汎用的な記述方法について、ゲームシステムが提供するべきではないのかな。とくに汎用ルールでは、定性的な(非数値的な)データをゲームシステムの処理できる形式で提供できると、表現力は格段に上がりそうなきがする。

しかしまあ、そのうまい処理方法となるとなかなか難しいところではあります。三すくみの関係による記述とか、多段階の判定とかをうまくつかって、なんとかうまくいかんかなぁ。

1998/12/02:予期した効果と予期しない効果

わりと多くルールで、標準的な成功という予期した効果を得るための判定ルールにおいて、特例として予期しない効果……まあファンブルとかクリティカルとかが発生するというものはけっこう多いとは思います。

しかし、どうせならば狙った効果を得るのに成功したかどうかの判定結果に加えて、同時に予期せぬ付随効果も発生するような判定にするといいのかもしれませんね。語り部みたいな成功するか否か、成功するならどれだけのコスト(余力ですな)がかかったのか、というルールにおいて、ランダムイベントを取り込む時には、クリティカル・ファンブル制よりもスマートかも知れない。

1998/12/03:TRPGという芸術

ライブの芸術としてTRPGを考えるならば。TRPGの単純でストレートな記録には芸術性が薄いからといって、TRPG自体に芸術性がないというのは馬鹿げていると思う。

たとえば映画で心理描写をセリフでやるのは、おおむね望ましくないといわれるが、これが演劇であれば名セリフとなったりする。小説では発言を適切に地の文に折り込むのはメリハリ上重要だが、映画や舞台劇でそんなことをやるわけにもいかない。

このように、どのような方法で表現するかによって表現技術に相反する部分が多々ある以上は、記録物が鑑賞に堪えないからといって、実際に参加しつつ体験しているときに感動がないとか芸術性がないとかいうのは、論拠としては不十分ではなかろうか。

逆に言えば、TRPGという表現の形態にあわせた表現技術というものが、模索されてしかるべきなのかもしれない。

……まあ、そもそも芸術としてのすばらしさを追求する必要があるかってのもありますが……うまくなれればそれにこしたことはないわけで。

1998/12/04:PCの行動の政治的意味

事件の性質にもよりますけど、シティアドベンチャーではPCの行動の持つ政治的意味について、いろいろと考える必要があることは多いですよね。

単に事件を解決して有力者に気に入られたというだけでも、その有力者に気に入られたい人間の嫉妬や反感を買うわけで……。そのあたりの一筋縄では行かない変化を、なれてないマスターでもうまく処理できるようにできると面白いのかなあ。

1998/12/05:プレイヤー知識の対立

ルールに規定されていない部分で顕著になりやすいけど、プレイヤーの知識がそれぞれ部分的で、結論が対立してしまうと、いろいろと難儀ですよな。

1998/12/06:世界の変容とオフィシャルとの齟齬

PCの行動により世界を変えられるという手応えがないと、プレイヤーにとってつまらなくなることがあるわけだけど。変ったしまった世界は、オフィシャル世界の変容との間で齟齬を起こしてしまいやすいわけですよね。

これの解決策としては、それぞれのゲームマスターの管理する世界ごとに、平行するよく似た別の世界であると解釈するという方法と、そもそもオフィシャルの世界を使わないという方法があるわけですが。他に何か良い手はないものかな。

1998/12/07:処理のテンポを良くしよう

とくに戦闘に顕著だとは思うけど、テンポよくものごとを処理することの重要性ってものはありますよね。緻密に計算をつらねて一行動一行動を追いかけるというのは、好きな人にはたまらなく良いものなのかもしれないけれど、やはりこう、一般受けはしないんではなかろうかと思うわけで。

ゲームシステムにおいて、簡単なものが望まれる理由の一端、そしてかっちりしたルールを軽視するようなノリ重視というものが発生する理由のひとつとして、このテンポの問題がありそうです。

テンポの向上のために(小説などをはじめとして)創作一般で利用されているテクニックとしては、誇張と省略というものがあるわけですが。リアリズムの重視(手順・経緯・結果の正確さを毛筋一本まで求める)という立場との兼ね合いは難しいところですね。それ以外にも、ゲームバランスやルールの整合性を重視して、処理のテンポが悪くなってしまうというのは、良くあることです。

このあたりは、ゲームデザイン時には気をつけないといかんよなあ。デザイナー自身は慣れているし望んだものを作っているのだから、ややこしかろうと理解しにくかろうと手間がかかろうと、気になりませんからねぇ。

そうそう、ゲームデザインといってもゲームシステムの作成だけではなくて、シナリオの作成運用、つまりマスタリングにおいてもテンポの良さの維持は重要ですよね。ルールを良く把握していること、あらかじめ準備をきちんとしておくこと、プレイヤーのゲーム処理の助けになるようなチャートやツールを用意すること。どれもテンポを良くするためであるという解釈もできますね。テンポの良さを意識しておくのは、有用かも知れない。

1998/12/08:ファンタジーのいいかげんさ

現実性の高い世界背景と比較してのファンタジー世界の便利なところは、専門家の凝り性な指摘に対する対応策として、「魔法だからさ」「架空の世界だからね」という切り札があるところかも知れない。つかいすぎるとしらけてしまうのも確かですが。

ゲームとしての取り扱いの良さやを高めることや、プレイヤーが意味がある介入(選択肢が複数あるとか、行動の影響が有意であるとか)ができるようにして、ゲームをやりがいのあるものにすることを考慮するならば。現実の精細なシミュレートをすることは、必ずしもゲームとして正しいことであるとは言いがたいし。正確さをある程度おさえるのは、正しい戦略なのかも知れない。

しかしまあ、適度にいいかげんに処理するってのは、細かな描写の正確さや行動時の結果のもっともらしさを極度に重視する人には不評なんですよね。

……細かいことにこだわる人ってのは、こうコアな人には多いわけではありますが、多数派はそういうのは気にしてないことが多いんだよなあ。そのあたりの乖離ってやつは、TRPGに限らずブーム衰退の原因になりやすいと思うんだけど……うーむ。

1998/12/09:一貫性の原則

プレイヤーからの提案やマスターの思いつきによりゲーム中の現実を改変することは可能あり、TRPGの特徴といっても良いでしょう。しかし、そのようなルール的・データ的・世界法則的改変には、一定の限界があります。

たとえば不遡及の原則。規定が途中で変ったとしても、これまでの決定をなかったことにすることは、不公正に感じられるうえに、努力が無になるという徒労感から参加者の士気を低下させます。ある時にはビルの百階から落下しても平気であったとして話が進み、あとになってから二回から落ちても怪我をするほうが正しいと変ったからということで死亡したことにされても困るというわけですね。

また一貫性の原則というものもあります。規定が途中で変るとしても、これまでの事実とは矛盾してはならず、これまでに決定したストーリーについてもきちんと(あるいは強引に)説明できるものでなくてはならないというものです。これは、世界観の雰囲気をたもつと同時に、プレイヤーに意味のある判断ができるだけの結果の予想能力を提示するためには重要です。

しかし……この一貫性の原則というものはけっこうやっかいです。

たとえば、一貫性の原則と世界設定の深化とは相反することがあります。知識の増大に伴い、むかし作成して現在まで積み上げてきた世界に、制作者自身に耐えられなくなることってありますよね。むかし書いた原稿を恥ずかしく思うように、むかし作った世界が恥ずかしくなるとか。その結果として、事後改定が発生して一貫性を損なってしまうことってのは、けっこうあることなのではないかなという気がします。そうでなくても、単に忘れてしまうとか勘違いするといったことが原因で一貫性が損なわれることもありますし。

でまあ、一貫性をたもちつつキャンペーンを複数、同一ワールドで運営しつづけることには、いろいろと難点が生じるものであるわけです。それが複数マスターにより運営されていてはなおさら。そういう意味で市販のワールドの維持というやつはなかなかにやっかいであろうとは思います。また、サークルなどでシェアワールド的に運営するような企画が、途中で崩壊しやすい理由が良くわかります。

一貫性がある程度維持できなくてもしかたがない、一貫性のある程度の破綻さえも世界観に組み込んでしえればなんとかならないわけでもないわけですが、ほかには手はないものかなぁ。

1998/12/10:交渉オプション

交渉ルールを戦闘オプションとか呪文みたいな感じに表現できると面白いのであろうか。などと考えてみました。

名前がつけられた技により意図する結果を得ようというやりかたの一種として交渉を処理すると考えるわけですな。

んー、利益供与とか贈賄とか生命の保証とかなぁ……。それぞれに必要になるコストと、得られる利益、相手の状態・特性による失敗の条件、失敗時の付随効果なんかがあると良いのかな。

官僚への贈賄ならば、資金がコストとなり、利益が利権の優先権とか落札とかを取得することができること。相手が賄賂嫌いだと失敗になり、状況によっては告発されたり信用度が落ちたりすると。そういう不利益を受けた場合にも、きちんと不利益への対応とかさらなる圧力の方法とかの方法があると、面白い感じになりそうですね。

……この事例だと、交渉ルールでなくて強要ルールだな。

1998/12/11:政治における利権

権力争いをゲーム上楽しみたい場合には、利権のルール化というかデータ化がされていると便利なのかなあ。

基本的には仲間がどれだけいるか、どの地位・役職の仲間がいるかが、政権内部における権力争いでは重要だと思います。そして、仲間を増やすためには、利権・資金を分け与えて味方を作り、じゃまなやつは利権を利用して直接排除か、金を使ってなにかを動かして排除することになろうかと思います。

利権(役職・特免状・法律作成・裁判運用・監督など)をどれだけ押さえているか、それがどんな効果を持つのかを表現できると面白そうです。

これをうまく作れれば、政界再編ものとか宮廷ものとか強権生徒会ものとかが楽しめそうな気がします。

1998/12/12:楽しいゲームのデザインのための必要事項

楽しいゲームをデザインするために気をつけておくべきこと、仕込んでおくべきことについて、思いつくままに。

まあ、まだあるとは思うけど。

これを満たせないような原作をTRPGにするのは難しいやね。

1998/12/13:装備の記述

持っていける装備の限られるダンジョン行のようなものではともかく、町中で生活してきた過去を持ち、過去から溜まった道具類などを持っている場合には、装備について厳密に規定するのは困難ですよね。

やりこういう時には、財産度なり調達技能・所持品技能みたいなもので装備の確保能力やコネ、在庫量などを能力として表現して、必要なときに装備を利用できるかどうかを判定させるようにしてあると良いのかな。

装備ごとに珍しいものほど難易度が高くしたり、定性的に確保能力を替えたりする……。既に一部のゲームシステムでは記述されているわけではありますが。

あとは一貫性の法則上、壊れない限り以後はそれを持っていると自動的に言えるようにしてしまうというのもあると良いのかなぁ。

1998/12/14:ニーズに合わせれば売れるのか

文句を言うが改善されないといってさらに文句を言う。改善されないから売れないのだと文句を言う。しかし考えてみますと、文句を言う人間の言うとおりにしたところで、本当に売れるのだろうかというと疑問が出てきます。

結晶化した理想像と比較して決して満足しない層や、ダメだという確信が目を曇らせて頭からダメだと決めつめる層は居ると思うし。

ここで声の大きい意見が多数派でないことが多いということは取りあえず置いといて、ニーズにあったものを提供できたとしましょう。……というか、いま批判されているようなものも、おおむねニーズに合わせて作成されていると思いますから……。

たとえ、素晴らしくニーズを満たせたとしても、購買者の資金的優先順位の上位にこさせるのは難しいことですよね。ニーズにあった商品であろうと、購買者の金が余ってなければ買われはしないわけで。自分の欲しいものがどれだけあるか、欲しいもののうちどれが買えるのかを思い起こしてみれば、ニーズを満たすことイコール、商品が売れるというものでもないことは容易に想像がつきます。購買期待層が十分に厚ければ、確率的に売れる分量は増えはするでしょうけど。

1998/12/15:個性的作品

現在のように市場が冷え込んでいる場合にはどうしたら良いのだろうか、について簡単に考えてみましょう。食費を削っても買いたくなるような商品を出せばよかろう……と書けば簡単ですが、実現は難しいわけですよね。

ひとつの方法としては、固定ファンを得ることというのがありましょう。人数が少なくても、熱心で高額の商品でも買うような人間をひきつける、個性的な作品を提示したり、作家性を前面に出したりするわけです。まあ、深淵が良い例でしょうか。

しかしまあ、そのような個性的作品を売り込むとしても、小部数で高額な商品は現在の流通では扱いづらく、かといって通信販売は利用者にとっての敷居が高いわけですよね。このあたりがなんとかできれば、同人誌と商業出版のあいだくらいの領域で、いろいろと面白いものが出てくるのではないかと期待しています。

……しかしまあ、個性的作品で囲い込みがおこって、ますます市場が細分化されてしまう危険性ってのもあるわけではありますが。いや、実際に既に起きているのかもしれないけど。やはりこう、大向こううけのするもので市場を広げて共有制を高めるほうも併存するのが重要なのかなぁ。

1998/12/16:本格宇宙SFとTRPG

京都SFフェスティバルの帰宅途上に話したことですけど。リアルでハードな近未来ってのは、実にTRPGとしては扱いづらいですよね。

真実味があればあるほど、手順が詳細で描写が緻密であればあるほど、最適の解ってのが見えてきてしまって。課題を用意したとしても選択肢がひとつになりがちになってしまう。選択の余地がなかったり難題の解決法をプレイヤーが提示できなかったりすると、つまらないですからね。

さらに、なにか失敗すると復旧不能な事態になりがちですから、失敗のリスクと成果の程度で選択肢を分けようにも難があります。どこかで失敗すればおしまい、なんてのは、なんども簡単に繰り返しできる場合でもなければ面白くもなんともないわけで。

……これではまあ、ゲームとして構築しづらいわけですね。

1998/12/17:耐久消費財としてのTRPG

TRPG市場が衰退した根本的理由としての商品の性質について考えてみました。

TRPGって、どうしてもいままで出たもので良いや、になりがちなゲームですよね。わざわざ新しいものに乗り換えないでも、とりあえず今まで慣れたもので遊んでいればいいや、という気分になりがち。

そもそも、新しいからといって出来がいいとは限らないですし。いろいろと遊びかたの表面は変わってはいるもののも、本質的に新しい遊びかたがどれだけ増えたのかというと、たいして変ったわけでもなく、その変化はゲームマスターの工夫なりで吸収できてしまうものでしかない。

TRPGという新しい楽しみそのものにに慣れてしまうと、刺激がなくなって。欲求が薄れて購買意欲が減ってくるわけです。たいして代わり映えもしないものを、普通の人間は継続的に買い替えていったりはしませんよね。映像マニアでもなければ、とりあえずそれなりに画面が映るあいだはテレビを買い替えたりはしないように。

このように蓄積が進めば進むほど売りにくくなるという特性は、耐久消費財と似ているものだと思います。一巡したらもう、一般は売れるものではないというわけ。その時点でブームが去ってしまい、業界は衰退してしまうわけですね。TRPGだと自作なり必要部分のコピーなりも容易ですから、買い替え需要も見込めないわけです。

ではマニア層を狙えば良い……と思うかも知れません。しかし、TRPGにおいては、マニア層ってのが自作で満足できる層と重なっているわけです。特にシナリオなんかが顕著ですけど。

もちろん参考のためとか色々と理由あって、まったく買わないわけでもないでしょう。そして現在のFEARなどの販売戦略は、そのマニア層を狙っているのでしょうね。しかし、それだけで市場を支えられるかというと、苦しいのではないかと思います。なにせ縮小再生産ですからね。

1998/12/18:状況の再現の方向

特定の状況をルール的に表現したい、と思うことってのは、ハウスルールのデザインやゲームシステムそのもののデザインの、重要な動機の一つだと思います。

しかし、漫然と「〜を表現したい」と思っていても、なかなかうまくルールを組み立てることができないというのは、良くあることではないかと思います。

これは「特定の状況をルール的に表現したい」といっても、実際にその表現をどのような方向で行なうかについて思い至っていないのが原因となっていることがあるのではなかろうかと思い、少し列記してみました。

他にもあるとは思いますが……。

1998/12/19:現代物と異世界ファンタジーに対する長所短所

現代を舞台にするのは、プレイヤーもマスターも生活に密着した共通の知識を多数持っていることから、異世界ファンタジーよりもむしろ遊びやすい、という意見があります。私も以前はそう明言していました。

しかし、実際には色々と問題もないわけでもありません。

まず、シナリオ構築上の問題があります。公権力が強い現代では、戦闘システムを基盤とするTRPGの方法論に向いたシナリオを作成しようとすると、いろいろと難点が生じます。交通的・情報的に封鎖された領域内で事件を管理するという"雪の山荘型"のシナリオを利用するとしても限度はありますしね。PCの事件解決への動機づけを工夫しないと、押し一本になりかねません。

また、現代日本を舞台にすると知識が多い分、意識されていない知識・認識のズレが問題になることがあります。たとえば学校を舞台するとしても、実際には学校ごとの相違は地域によって、また学校によって大きく異なることがあります。このために、思わぬところで齟齬をきたしたりすることがあるわけです。

それだけではなく、シナリオや登場人物の詳細、考え方の違いなどが気になりだすと、非常につまらなくなります。これはまあ、異世界ファンタジーでも同様とはいえますが。しかし現実についての認識の違いについては、現代だと非常に生々しく、自分の経験や感情と重ね合わせやすくなる分、けっこうキツイことはあります。具体的には、恋愛感情なんかの表現で、経験の度合や趣味嗜好が違ってくると、たいへん不愉快になるということがあるという話も聞いてます。

また、感情問題以外にも、知識差が原因で「つまらん」となるのは良くあることでしょう。軍事マニアがゆるゆるな戦闘をみると耐えられないとか、SFマニアが科学考証に問題があるとしらけとしまうとか。これについてはゲームマスターの知識が他を圧している場合には問題が起きにくいでしょうし、プレイヤーすべてが「マスター裁定には当然従う、異を唱えない」ということに心底納得しているのであればいいわけですが……。

現代の方が合意できる知識の量は多い。しかし現代のほうが齟齬は大きい。そしてファンタジーよりも現代のほうが、自分の認識と違うときに納得しがたい。というのが、現在の私の感覚です。

1998/12/20:ゲームシステムに期待される機能

ゲームシステムによって表現されている機能を考えてみました。

解法の構築ってのはわかりにくいようなので、ちょっと説明しときますと。

たとえば、PCに罠解除の能力があれば、プレイヤーにそれで罠を解除するというアクションが使えることが示されていますよね。シーフギルドの情報料金表があれば、情報を金で買う方法があることが示されて、その手が使えることが分かりますよね。これが解法の提示です。

初心者だと、このあたりがきっちり示されていてさえも、ゲームの解法を見いだすことが困難であることは、けっこうあるもようです。「どうやって情報を得ればいいのかわからないんです」ってなる。

だからまあ、きっちりゲームシステムがゲームの基本的な解法についての情報も提供していないと、「俺は○○がしたいんだ」という欲求がある、ゲームデザイナー的な人しか遊べなくなりがちなんですね。プレイヤーも、「おれは○○で××を解決するぜ」という明確な目的意識が必要。

でまあ、そのあたりのフォローの必要性ってのは、語り部にたいして指摘されているところなわけではあります。

1998/12/21:イラストを描きたくなるTRPG

VR(仮想現実)でのセッションってのを夢でみまして思ったのですが、こういったものってPCの見栄えがきれいでないと面白くないかも知れない。

でまあ、映像表現すると見栄えがするほうがいいということは、イラストを描きたくなるキャラクターを作りたいという欲求から、PCは基本的に美形な風潮が発生しているのかも知れない。と思ったのですが、どうでしょうかね。

実際IRCで尋ねてみて、それっぽい感触は得られたわけではありますが。

TRPGのゲームシステム側でも、もう少しこう、なんというか絵になる部分についてのルールの表現力を検討していくのもいいのかもしれない、などと思いました。

1998/12/22:TRPGだけが誤植が多いのか

TRPGはほかの出版物よりも誤植が多い、誤謬が多いなどといわれることがありますが、これってどの程度事実なんでしょうね。

ルールブックに誤植が多く感じる理由ってのも色々とあって。何度も読み直したり参照したりするってのも原因。その分あらが見えやすいとか。そういった発見しやすい原因もありますから。

むろん、数値データや論理記述が多数ある分、学術書同様に校正しにくいという制作上の困難が想定されますから、たぶん絶対量でも誤植は多いんだろうとは思いますけど。本当にTRPGだけが誤植が多いのかは、まじめに対照試験でもしてみないと、分からないことではありますね。印象だけで語ってしまうと、間違いのもとですから。

実際問題として、個人的経験で語れば。小説でもたとえば架空戦記でもデータや経歴・階級・用語のミスの指摘なんかは山ほど見受けられるし。受験勉強用の問題集なんかでも、初版の回答例が間違っていたり回答が一意に決まらなかったり解説が間違っていたりするのはたくさん見ています。これが学術書とかプログラムの本なんかになるとたいへんで。HTMLの本なんかは、厳密に規格と対照すると間違いのないものはないという説さえあるくらいですからね。

1998/12/23:交渉の積み上げイメージ

なんとなく思ったこと。契約交渉って信用とかを積み上げていきつつ成果を勝ち取るようなものなきがします。

バレると危険な嘘をついたりして無理をすると、発覚したときに積み上げられた信頼がざらざらと崩れてしまい結果としてコストがでかくなるが、手持ちの材料が不足していた場合などには、バレなければコストの低い虚言などで信頼を一時的に積みあげて効果を獲得するとかいうことをすると考えるとか。

そんな感じで、交渉ルールをまとめられんものかな。

1998/12/24:直接的でない影響

TRPGにおける効果判定とはPCの外部に与える影響を記述することであると考えることができると思います。

でまあ、一般にはゲームシステムは直接的影響、目先の効果のみを記述しており、わずかなひと押しが最終的に大きな結果を出すような場合には、これはゲームマスターの判断といわゆる常識によって処理されているのではないでしょうか。あまりにも多岐にわたる派生効果をルール的に記述するのには限界がありますからね。

1998/12/25:創作する楽しみ

出来上がったストーリーの水準が低いからといってストーリーづくりの楽しみを否定するのは、妙な話ですよね。なんかズレている。

結果として出来上がったストーリーの出来が悪かろうと、ストーリーを作る楽しみ、体感する楽しみはあるわけです。過程を楽しむことができる。

結果が良ければ良いだけであれば、あらかじめ用意したストーリーを体感させる吟遊詩人型マスターで問題ないわけですけど。自分でストーリーを組み上げいるという感触(錯覚でもいいけど)があるとないとでは大違いというわけですよね、過程を楽しむためであれば。

でまあ、なんとなしに、こういう創作の過程の楽しみってのは、同人誌を作る作業ににているのかも知れない。読者のニーズに応えるとか、売れるように作るとかは重要でなくて、作りたいものを作る。そういうものだと考えれば、結果や過程の成り行きを記録したリプレイが、はたから見て面白く見えなくても、それはそれでしかたないでしょうね。

1998/12/26:変化の過程と介入の記述

シナリオの作成において、人間関係、相互の感情、社会的状態などの変化をあらかじめ用意しておいて、そこにPCのどのような行動でどんな変化がありうるのかを検討しておくというのは、とくにシティアドベンチャーでは良く使われる手であるわけですよね。

しかし、これを明確に分かり易く記述する、良い方法というものはないのかなぁ。ゲームシステムが記述できればさらにいいんだけど。それはまあ、簡単な場所ごと・人ごとの時系列の推移とかであれば、表形式で整理できる訳ではありますが……相互関係が複雑になってくると、管理が困難ですよね。そのあたり、面白い手はないものだろうか。

これがうまくかっちり記述できるものなら、それらしい政治のシミュレータを作るのも可能だろうけど……。

1998/12/27:計画するための情報

特定の目的を達成するための緻密な計画を練るためには、事前に検討しておくべき情報はたくさんありますよね、実際には。

人質をとって立て篭っている銀行強盗を処理するにしても、まじめに考え出すと多数の情報が必要になります。人質の人数や人質が危害を加えられ場合に発生する問題。犯人の武装や能力、性格やこれまでの行動パターン、弱点。立て篭っている場所の構造、通路、射線、そのでの交通手段。増援の量と配置時間、練度や装備、能力や信頼性……。数え上げていけばいくらでも要るわけですね。しかし、ゲームとしては莫大な情報をほいと渡されても、難渋するだけなわけで。

いちばんお手軽なのは、可能な行動を命令や初期状況で徹底して制限することで、プレイヤーに渡すべき情報を絞るというもの。狙撃ミッションであると最初から決まっていれば、狙撃に必要になる情報だけでもなんとかなるとか、そういうわけです。逆にいえば、作戦の全体像から決定できる権限をPCに与えてしまうと、必要な情報がどうしても多くなるというわけですね。

達成目的が示されている場合にはまだしも、達成目的自体をプレイヤーが決定できる(戦略の決定ですね)ような自由度の高いシナリオ(というか状況)を正確にかっちりと提供しようとするなら、どれだけの情報を用意したら良いものやら……。

やはりこう、てきとうに抽象化するなり、質問に合わせて適当に情報をでっち上げるなりの方法をとらないと、TRPGとしては処理不能になるわけですが。それと精確なシミュレート性への欲求との折り合いをどうつけるかってのは、細かい部分が気になる知識のある人間が居る場合には、色々と難儀になっては来るわけですわなぁ。

1998/12/28:世界法則の変えかた

政治的・神学的に重要な行動をするような場合、世界の法則そのものを変革することに繋がることがあるわけですが。世界の法則そのものの変更についてまで、詳細に記述できる能力をゲームシステムにもたせるのは、やはりこう辛いのかな。社会構造・世界法則そのものの変革ってのは手応えとしてはすごく面白いとは思うんだけど。

まあ、どうあがいても、現代の頭でしか記述できんしなぁ。歴史的に発生した分類でしか世界の構造を考えることができないとか、色々と限界はあるわけですよねぇ。うーむ。けっきょくは変更できる幅や変更の方法を指定したとしても、それ自体がひとつの世界モデルとならざるをえないのかなぁ。

1998/12/29:守るべきもの、得るべきもの

大事な存在、約束、守るべきもの、信条、信仰、達成すべき目標……。

そういった「なんらかの大切なもの」を得ること、失わないことが動機となり制約となり、そして葛藤をうむわけだろうと思います。そして、その得たいもの、失いたくないものに関する事柄が最終的には力となる。というのがドラマ的にはうまく使えるとよい。

……なんて考えかたで組み立ててあるのが語り部の特徴システムなわけですが、まだまだ表現力・記述力には問題はあるわけですね。

たとえば守るべきものを失ってしまった場合、得たいものがえられないことが分かってしまった場合の絶望とかも、ルール的なフォローがあると面白いのはずですし。大切なものというのがほかの人間にも比較的普遍的に大切な財貨などであるのかといった観点もあるでしょうし。対価が得られれば売り払っても良いというものもありますよね。

このあたりは、最近のルールはけっこう表現しようとしている部分があるとは思うのですが、まだまだ煮詰めることはできそうな気がする。

1998/12/30:設定の動的追加

最近のゲームシステムでは、PCの設定を必要や話の流れに応じて、適切に追加してしまうルールがあるものがけっこうあります。

設定のゲーム中の追加(実はその店の店長は中学時代の悪友だったとか)とは、昔は内輪ののりで自然発生的に処理していたものですよね。うまく使えばゲームの進行をはやくできるものの、ちょっと間違うとマスターの管理能力が破綻してしまう。だからゲームシステムに載せることで管理しようという流れとなったわけだとは思います。

設定の動的追加は、そのことでどれだけ有利になるかとか、その設定が入る余地が既存の設定にあるかとかを考える必要があるわけで。設定の追加が可能であることもPCの能力とかんがえてバランス取りするというのが一番すっきりするように思います。

……ああ、なんかあたりまえのことだけ書いたような気がするなぁ。問題提起らしきものがない。

1998/12/31:1998年のTRPGはマニア化の傾向

今年のTRPGの発売状況を鑑みるに、衰退しているといわれつづけるなかでの最大の問題とはなんだったのだろう。

私的には、販売対象を完全にマニア層にし絞りきってしまったような傾向が強まりすぎたことではないかとも思う。せいぜいドラゴンマガジンでの、ロードス島ワールドガイドの事前特集の短期連載くらいしか、入門系のまとまった文章が、コアなユーザ以外の目に容易に触れる場所で投入されたことはなかったのではないだろうか。

現状では高価でも買ってくれるマニアなどの固定客向けに、小部数生産する戦術が維持には最適であろうというのは良くわかるのではありますが。それだけではやはりジリ貧ですよねぇ。

Webでも、本当に有用でまとまった、初心者が読むべき場所というものが整備されているとは言いがたいですしね……。そのあたりの整備が、来年の大きな課題となりますでしょうか。

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