TRPG総合研究室 LOG 021

TRPG総合研究室の1998年09月24日から1998年10月25日までのログです。


1998年10月25日:03時34分36秒
Re:れれれ九十九兵部さん / 九十九兵部
>でぶ猫さん
>よいですか、私は「馬場講座は正しい」というているわけではありません。
 でぶ猫さん。あなたは過去の発言において
 「馬場さんは論理的根拠を提出しています」
 と発言されています。またその後で
 「論理的根拠がきちんとしてれば、正しい理論です」
 といって、しかもそれを「あたりまえのこと」だと仰っているわけですね。
 ということは、三段論法的に
 「馬場講座は正しい理論だ」
 と発言されていることと同じ事にはなりませんか?
 
 「馬場講座には論理的根拠がある」
 「論理的根拠がきちんとしていれば、それは正しい理論である」
 「私(でぶ猫氏)は馬場講座が正しいと言っているわけではない」
 上記三つのうちいずれかを御自分の手で否定してください。
 あるいは「馬場講座の論理的根拠はきちんとしていない」ことを証明するか(笑)。
 
>最近の桶は木でできてませんからね(笑)
 すばらしい。それが「論理的反証」というやつですか。
 
 真面目にお伺いしましょう。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」に論理的反証を加えることはできますか?
 
#蛇足ですが、鼠が桶をかじらない「風が吹けば〜」もあるのです。
#私が聞いた話では、
#→増えた鼠が柱をかじる
#→柱をかじると屋根が傾く
#→屋根が傾くと瓦が落ちる
#→瓦が落ちると人が死ぬ
#→人が死ぬと棺桶が要る
#→ゆえに桶屋が儲かる
#というものでした。
#このたとえ話、他にもバージョンがあるのでしょうか?
#ご存知の方はメールか別掲示板でお願いします。
  
>馬場講座の最初に提示されている式を覚えていますか?
 「RPG人口=新しくRPGを始めた人数×RPGを続けた期間」
 という、小学生もびっくりのあの等式のことですか?
 私はこの式から何を学べというのでしょう?
 (小賢しげな奴が意味ありげにPやらTやらを持ち出してきたら、それは人をケムに巻こうとする前準備だから注意しなければいけないよということか?……まさか)
 
>長く続ければ、それだけ多くの初心者に接触できるのです。
>その中で、一人でも多くの初心者が同じくらい長く続ける人
>になるのなら、人口は維持されることになりますし、諸般の
>事情で一時離れた人も、再びそのゲームを始めるかも知れま
>せん。継続は力なのです。
 別に徒弟制度を敷かなければ、遊びは隆盛しないという訳でもないでしょう。
 同じく、その遊びの中に上級者がいなければリピーターは獲得できないとは限りません。
 長く遊ぶプレイヤーに頼らなければ存続できない遊びというのは、その遊び自体の集客能力が弱いともいえます。
 
>そして、意志決定がなければ、ちょっと試しただけで飽きてポイです。
 これは馬場講座も冒している間違いですが、あなたもその「飽きてポイ」した人が「再び同じ遊びに手を出さない」と断言するのですか?
 あなたには同じ本や漫画を繰り返して読んだ経験はないのですか?
  
>意思決定の楽しみは、試行の楽しみなのです。
 試行の楽しみは「意思決定」のみにあるものではありません。
 キャラクタープレイは意思決定ですか?
 
>マジックザギャザリングはきわめていけばかなり難度の高いゲーム
>ですが、やめる人の多くは難しいからやめるのではなく、金と時間
>が続かないからやめるようですが。
 それはそうでしょう。
 あの遊びは極めていこうとすればするほどお金のかかるゲームですから。
 難しいと思う間もなく実弾が尽きた、というのが正直なところではないのですか?
 
>少なくとも、雑誌の数ではウォーゲームのほうが多いですね。
>雑誌が成立するというのは、目立たなくとも底辺が広いということです。
 花札の専門サポート雑誌というものは私の知る限り皆無ですが、その愛好者、経験者はTRPG、WSG両者のそれを足したものをはるかに凌ぐでしょう。
 雑誌の数は愛好者の数とまったく関係ないとは言いませんが、それのみを理由として遊びの裾野の広さや、ましてや集客力を測ろうとするのは早計に過ぎませんか?
 
>寺田大典さん
>相手の話を好意的に捉える事無く、新しい「結論」を導き出す
>わけではなく、論破のみを目的として、
 論破以外の目的を持ち、反論も好意的に肯定しなければ議論を行う資格が無いとでも仰るおつもりですか?
 ばかな。
 たとい喧嘩腰だろうが、代案がなかろうが、間違ってるものは間違ってるのです。
 
>さらにそれが個人的感情で書かれているような文章は、なかなか
>に辛いなぁ、と。
 辛いのですか。
 で、あなたの書かれたこの文章は個人的感情で書かれてはいないのですか?
 私がこれを読んで「辛い」と感じるとは思ってはくださらないのですか?
 
 
 私とTRPG界の将来について語り合いたいという酔狂な方はメールで。
 
>武石さん
>公の場での発言は、公の場で行うのが筋ってものでしょう。
 いや。「公の場であるからこそ、できるだけそれを汚さない」という筋だってあるでしょう?
 だいたいあなたがメールで反論を行ってくだされば、私は一ヶ月以上もレスの間隔をあけずに済んだのです。
 
>それはともかく、私はキャラクタープレイヤーではないので、
>問いかけられても困ります。
 困られても私の方が困ります。
 あなたはキャラクタープレイを全く行わないのですか?
 行うのですか?
 「弱いキャラプレ」は行うが「強いキャラプレ」は行わないのですか?
 あるいはTRPG自体を全く行わないのですか?
 
>それだったら、該当の人物とメールでやり取りすれば良いでしょ
>う。理解できましたか?
 馬場氏には二ヶ月以上前にメールを送りましたが、現在に至るまで返信がありません。
 返信があれば、あえてこの場所に意見を書くこともなかったのでしょうが……。
 
>Prof.Mさん
>こ・こ・は,「論考系」掲示板なんです。判りますか?
>提起された問題に関して議論を行う場なのですよ(過去
>ログを見れば判るように,ここで出された話題は全て当
>掲示板上で話し合われているのです。問題提起の段階で
>「反論はメールで」と,(私から見れば)ふざけた事を
>言ったのは,あなたが初めてです)。
 
  ここは論考系掲示板である
 →ゆえに「反論はメールで」という発言はふざけている
 
  ここで出された話題はすべて当掲示板上で話し合われている
 →ゆえに「反論はメールで」という発言はふざけている
 
 ヌケサク先生。Prof.Mさんは「何もわからない人のよう」ですか?
 
>さらに,付け加えるなら「(論旨と関係のない)文体・文章
>表現の内容と論述内容の論理性の度合いは無関係」です。人
>の(論旨とは関係ない)表現の粗を指摘するよりも,自説を
>より判りやすく,論理的に説明する方が有意義だとは思いま
>せんか?
 あなたは何も分かっていらっしゃらない。
 あなたは「議論」は既に始まっていると思っていらっしゃるのでしょう?
 違います。
 こんなものは議論ではないのです。
 我々は「論考系掲示板」に書き込んではならないものを書いているのです。
 
>Thalionさん
>私はこの両者が同じことだとは思いません。「同じ」ってのは
>「同義」ってことです。それはあまりにも事象を単純化し過ぎて
>いると思います。
 全く仰せの通りでございます。
 謹んで謝罪し、当該の前言を撤回させて頂きたく思います。
 
>私はオセロを愛好しておりましたが、あれなんかは「手続き単純、
>選択の幅複雑」を地で行くようなゲームでしたよ。
 ひとつ申し忘れておりました。
 私見ではございますが、優れた初心者(笑)と申すものは、単純な手続きの中に仕組まれた奥深さを敏感に感じ取り、その遊びから手を引くものでございます。
 経験はございませんか?
 
>ヌケサクさん
>(1)人間はメシを食うために生きているわけではない。
>(2)よって、メシを食うために生きているわけではない
>ような人間はメシを食わない(メシを食うわけがない、メ
>シを食ってはならない)
 
>NiKeさん
>九十九兵衛さんが(2)を主張しているとは思えません。
>九十九さんが言っているのは、(1)を主張する者が『食
>道楽は人の道を踏み外している』とまで言うのならば(2)
>のような反論ができる、ということでしょう。
 
 …………。
 言い換えましょう。
 
 私の考えるに、馬場講座(もしくは3327氏の解釈するところの馬場講座)には指摘するべき点が二つ存在する。
 ひとつは「意思決定がキャラクタープレイに優先するという考え方は本当に正しいのか?」
 もうひとつは「『キャラクタープレイはTRPGにとって本来必要ではないもの』と公言しているはずの馬場講座が、なぜキャラクタープレイを肯定し、また自らもそれを行おうとするのか?」
 このふたつを、3327氏の喩えに直せばこうなる。
 ひとつは「メシを食うために生きて何が悪い?」
 もうひとつは「だったら貴様はメシを食うな」
 
 いや、これはしばらく封印しておきます。ゲン悪いし。
 
>でもま、九十九さんのこの論理展開はいささか粗雑な気がしますが。(^^;
 どうも私には、相手の知能指数に応じてレスの文字数を調節する機能がついているようです。
 困ったものです。
 
>既に感じておられることでしょうが、実態として『馬場
>講座』肯定的発言(部分的肯定も含めて)の方が否定的
>・懐疑的発言よりも多いわけです(人の数としてはどち
>らが多いか分かりませんが)。従って、派生的議論は避
>けていかないと中途半端に終わってしまうのでは、と憂
>慮しております。
 なにやら久しぶりに悪意を帯びないレスを頂いた心地がいたします。
 ここは馬場講座ファンクラブでは無いはずなのに、この殺伐とした情景はいかがなものでしょう?
 
 彼らが馬場講座を擁護する理由は
 「馬場講座がなければキャラクタープレイの批判が出来ないから」
 の一点に尽きます。
 馬場講座は「マスターリング講座」なる大仰な名前を付けられていても、「この通りに行えばマスタリングの上級者になれる」「これに従えば必ずTRPG業界は発展する」と、その著者を含めて誰一人として信じていないという、悲しい文書なのです。
 馬場講座の嘘はここにあります。
 「マスターリング」という看板で本来の目的を巧妙にカモフラージュし、「TRPG業界発展の為」という嘘臭い大義名分を貼り付けて、看板と大義名分の重さのために嘘に嘘を積み重ねたものが「馬場講座」なのです。
 
 馬場講座に書かれていることをすべて正しいとした上で、これを弁護することの苦しさは、馬場講座擁護派の面々が一番良く知っています。
 ゆえに「私は馬場講座が正しいと信じる。ゆえにあなたとは対等な立場で議論を行いたい」と申し出る者は皆無です。
 彼らは常に群れて戦いたがります。数で自説を優位に見せ、論敵のイメージをできるだけ悪く見せようと画策します。メールのやりとりを拒否する理由も……お分かりですね?
 
 従って、
 
>MARSさん
>しょうがないじゃん………ホントに自信がないだによ……(TT)
 あなたはそういう伏魔殿じみた場所に立たされているわけです。
 そこに口を出す度胸があるのだから、自信ぐらいどこからか必ず出てくるはずです。
 だから語尾の「……」はやめなさいってば。
 
>誤解しないで下さいよ。私はロールプレイ自体を否定
>するものではありません。ロールプレイは確かに楽しい。
>キャラクターへの感情移入が高まり,ゲームのプレイから
>得られる知的充足に加えて,疑似体験という精神的充足を
>与えてくれます。そういう意味では素晴らしいものです。
>ロールプレイ万歳
 馬場講座擁護者が必ず持ち出してくる抜粋です。
 彼はさんざんキャラクタープレイをののしった後で、必ずこの種の文書を付け加えなければならなかったのです。
 私には馬場氏が悲しい道化に見えます。
 そろそろ彼を楽にしてやるべきだとは思いませんか?
 続きは明日。
1998年10月24日:21時23分37秒
統計的手法と帰納法的論証 / 陽陰
 うーむ、こんなところで引っかかるとはおもわなんだ。
 いや、馬鹿なのは俺か。。。
 
 演繹と帰納の違いは判るよね。
 で、大抵の実際的問題を判断するときは、帰納的判断を行うのが良いよね?
 ま、演繹的にやっても問題はないけど、それだと反発を覚える人が多いし。。。。
 
 で、統計というのは、母集団の中から「有意な数」かつ「無作為」に抽出したデータなり、まあ、そういった、「意味のある信用の於けるデータ」を元に作るものです。
 これは、いくらRPG人口が減ったとはいえ膨大な数な訳で。。。。
 いちお、去年のくれにNHKが発表した値では10万人ということらしいしねぇ。
 
 残念ながら、私の知っているRPGを遊んでいる人の数は、この、統計的に有意なデータを導き出せる数ではありません。
 
 もちろん、こういったデータを収集することは無意味ではありませんし、かなり有意義だとは思えますけれども。
 しかし、過分にして、それだけのデータを収集できている個人なり集団を私は知りません。
 
 だから、量的に判断をしているということを行っていても、実際は、只の帰納的論証に過ぎないのであって、統計的証明とは、「絶対に」言い切ることが出来ないと私は判断します。
 
 ちなみに、これは、先の「桶屋理論」でも一緒。
 調査もしてないのに、統計的とは、よういいません。
 
 ・・・・・脱線だね。
 
 というわけで、少しおまけ。
 
 RPGは、いわゆる「ゲーム」ではなく、つまり「意志決定」を基盤にしたものではない。
 ということに反論したい人。
 新たに、RPGは、「○○」で、「▲▲」を基盤にしたものである。
 といった推論を積み重ねてみては如何でしょうか?
 例えば、<RPGは、「創作活動」であり、「自己表現」を基盤にしたものである>とかなんとか。
 こうすると、新たなものが見えてくるし、皆に説得力を持って提示できると思うんですけれど。
1998年10月24日:21時12分01秒
挑発は、ちょっと(^^; / 猫叉
見るものを不快にする、という点であまりオススメできませんね〜>挑発
1998年10月24日:20時42分27秒
Re:そない言わんでも(発言姿勢関連) / 武石
>> あっ!! 九十九兵部さんは「傷付きやすい人」だったのかな? だから「反論はメール」でなんて、一番傷付かなくて済む方法を!
>を見ますと、正直言いまして『何もケンカを売らんでもええやん』と感じますが。

 ケンカというか挑発ですね。このまま、書き逃げで居なくなりそうそうだったので、挑発しました。私の経験上 もう来ないとか言っても結構見ているもので、挑発すると出てきたりします。 上記の私の発言は、そう言った意図 で書き込んだものです。
1998年10月24日:20時22分08秒
訂正 (RE:名言ってドコ)&ほか / 3327
失礼しました。明言しているのは馬場講座第一章の終わりの辺りですね。コラムではありませんでした
コラムで明らかになっているのは、目的の逆転が起っていますよと言ってる部分ですね。お酒のくだりです。

以下抜粋です。
誤解しないで下さいよ。私はロールプレイ自体を否定するものではありません。
ロールプレイは確かに楽しい。キャラクターへの感情移入が高まり,ゲームのプレイから得られる知的充足に加えて,疑似体験という精神的充足を与えてくれます。
そういう意味では素晴らしいものです。ロールプレイ万歳
以上抜粋でした。
ロープレとキャラプレは違うじゃないかとおっしゃる向きもありましょうが、これの前の方を読んでいただければ疑問も出なくなるかと思います。

えー、また、前回の書き込みに明瞭すぎる、じゃなくて不明瞭にすべき表現があった事をお詫びします。
1998年10月24日:19時07分48秒
「クトクルフの呼び声」二版は優秀なRPG手引書 / 宇津見
 3327氏へ
 まあ、私も喧嘩ッぱやいと言われてしまうのでなおさら気になるのですが、「アホ」はやめておきましょうよ。
 それはそうとして、そうした初心者、もしくはライトユーザー向けの手引きとして最近再発見したのが、「クトゥルフの呼び声」日本語ボックス版の、「はじめに」と「ゲームの進め方」の章です。今改めてみるとものすごくよくできた手引きなので、持っている人は今すぐ読み返してみましょう。
 多分数日中に更新されるであろう、Scoops RPGに原稿送付済みの、クトゥルフのレビューでそのあたり詳しく書きましたので、そちらもまたどうぞ。
1998年10月24日:18時26分11秒
そない言わんでも(発言姿勢関連) / NiKe

 TRPG総合研究室 LOG 018内の、

>98年09月12日:08時24分20秒
>キャラクタープレイは害か? / 九十九兵部


> 恐らくこの掲示板に私が書き込むことは当分ないだろうと思われます。
> 私個人への意見、反論等がございましたらメールでお願いします(返事に一週間程度かかると思いますが)。

に対する、

>98年09月12日:12時35分02秒
>Re:キャラクタープレイは害か? / 武石

> 当掲示板で発言された事は、当掲示板で責任を持って決着を着けていただきたい。このような書き逃げは、最低の行為であることを自覚すべきでしょう(「こんなんなら、最初から書くな!!」と言いたい)。

> まあ、これだったら、全編に渡って「トホホ」な内容になっても、仕方が無いのかもしれません。
>
> あっ!! 九十九兵部さんは「傷付きやすい人」だったのかな? だから「反論はメール」でなんて、一番傷付かなくて済む方法を!

を見ますと、正直言いまして『何もケンカを売らんでもええやん』と感じますが。

 そりゃまあ、掲示板で始めたことは(ギャラリーもいることだし)掲示板で進めていくのが正しいことだ思いますが、だからと言って人格を云々されるほど九十九さんが悪いことをしたとは思えないんですけどね。

(sf:重複削除しました)


1998年10月24日:18時24分29秒
的を絞っては>九十九兵衛さん / NiKe

 『馬場講座』を批判・検討するというのは良いと思うんですが、論点が散漫になりつつあるのではないでしょうか。特に、『意思決定がゲームの寿命を決めるか』というあたりは突っ込んでも余り益が無いと考えられます。

 既に感じておられることでしょうが、実態として『馬場講座』肯定的発言(部分的肯定も含めて)の方が否定的・懐疑的発言よりも多いわけです(人の数としてはどちらが多いか分かりませんが)。従って、派生的議論は避けていかないと中途半端に終わってしまうのでは、と憂慮しております。

 それと、『メシを食う・食わない』とか『農薬』『原発』などといった例えは、議論を混乱させる恐れがあると思います。前者はいささか論理展開が雑になっていますし、後者はRPGとは全く別に人それぞれの意見がある社会的問題ですから余計な反発を産みます(私自身、後者の例えには疑問を感じます)。

 と、ここまで書いて九十九さんの元発言を見てみました。

 TRPG総合研究室 LOG 018内:

>98年09月12日:08時24分20秒
>キャラクタープレイは害か? / 九十九兵部

 ううむ、九十九さんとしてはエキサイトしても仕方ないかもしれない。レスポンスの中には、この発言をちゃんと把握してなさそうなのが結構あるぞ。(^^;

 まあ何にしても、もっと周到に手堅く議論を進めて頂けると読者としてはありがたいところですね。差し当たっては、でぶ猫さんから出ている『統計的根拠の有無は馬場講座の妥当性を論じる上で無意味である』という意見に対する反論(あるいは、この意見を受け入れての主張の方向修正)を行うことに集中するのが良いのではないでしょうか。

1998年10月24日:18時23分01秒
揚げ足取りかも(^^; / NiKe

>98年10月23日:21時15分58秒
>れれれ九十九兵部さん / でぶ猫

> >例えばウォーシミュレーションゲームは、未だに一部で熱狂的に遊ばれていますが、それよりRPGの方が集客力があるというのは、ひとつにはRPGの方が簡単そうだからという理由を挙げることは出来ませんか?
>
> 少なくとも、雑誌の数ではウォーゲームのほうが多いですね。
> 雑誌が成立するというのは、目立たなくとも底辺が広いということです。

 確かに数は多いけど、発行部数の差が凄いんじゃないでしょうか。(^^; どれもRPG誌で言えば「ゲーマーズフィールド」級ですよね。

 ここで『最近は発行数の多いRPG雑誌なんか実際には無いじゃないか』とゆーツッコミが予想されますが、多分今は縮小再編の時期なんだと思います。その内、小部数のRPG誌が増えるんじゃないかなあ。

# 大体、ほんの数年前にはウォーゲーム誌は全滅してたはず。

 『底辺の広さ』については、ソードワールドの発行数とコミケでのブース数が端的に示していると思います。

 まあどっちにしても、九十九さんの発言でも「一部で熱狂的に遊ばれて」いることは書かれているんだから、『ウォーゲームが健在である』主張は大して意味がないんですが。(^^;

1998年10月24日:18時22分11秒
Re:茶々かな。 / NiKe

 読み違えておられるのではないかと思います。>ヌケサクさん

>98年10月23日:23時38分35秒
>茶々かな。 / ヌケサク

>(1)人間はメシを食うために生きているわけではない。
>(2)よって、メシを食うために生きているわけではないような人間はメシを食わない(メシを食うわけがない、メシを食ってはならない)

 九十九兵衛さんが(2)を主張しているとは思えません。九十九さんが言っているのは、(1)を主張する者が『食道楽は人の道を踏み外している』とまで言うのならば(2)のような反論ができる、ということでしょう。

 でもま、九十九さんのこの論理展開はいささか粗雑な気がしますが。(^^;

1998年10月24日:18時21分11秒
Re:風が吹けば桶屋が儲かるのか / NiKe

 横合いからなんですが、それでは「論理的」というより「統計的」反証なのではないかと。

>98年10月23日:23時09分16秒
>風が吹けば桶屋が儲かるのか / 陽陰

> これは、絶対の真理ではありませんし、殆どの人は認めないでしょう。

 ここで「殆ど」という量的概念が入ってますね。

> 「仮にこれで三味線を始めた人が居ても、猫が過減少を行うほど乱獲される事は起こり得ない」

 「過減少を行うほど」というのも量の問題ですよね。

> 「故に、桶屋が儲かるということも断定できるほどの確率で発生するとはいえず、仮に発生したとしても、無視できる値でしかない。」

 ううむ、「確率」が出てしまいましたね。これは「統計的」以外の何物でもない。(^^;

 やっぱ、量的概念を持ち出さないと反証できないのが「風が吹けば桶屋が儲かる」のパラドックスとして面白いところじゃないかと思いますよ。(^^)

1998年10月24日:18時19分50秒
「明言」ってどこ?(茶々かな) / NiKe

>98年10月23日:08時50分29秒
>よく読みましょう / 3327

>コラムで明言しているとおり、馬場氏はキャラクタープレイを良いものだと言っています。なぜ、明言された言葉を無視して話を進め、だれもこの点を言わないのですか?

 えーと、申し訳ないんですが、『キャラクタープレイは良い』と言っているようには見えなかったんですが。(^^; >例のコラム

# どちらかというと『大目に見ている』ように見えるなあ。

 その「明言している」ところを指摘して頂けるとありがたいんですが。

1998年10月24日:17時54分43秒
役立つ話しをしましょう / 3327
アホはほっといて役立つ話しをしましょう。彼が正常でないのはみなさん見てわかったでしょう?

ということでネタフリ。
例によって前フリから読んで下さい。
今回の例に限らず、馬場氏の講座なりコラムなりは、ゲーマーに向けてのものであるにもかかわらずゲーマーに伝わってきませんでした。
断言はアレですが、言われる前からわかっているようなゲーマーにしか伝わっていないように見えるのは、気のせいではないと思います。

と、言う事で。
幼稚園児向けぐらいに程度を落とした馬場講座(の、類似品)を書こうと思ったんですが、これってTRPGゲーマーの役に立ちますかねぇ?

1998年10月24日:16時30分09秒
TRPG総合研究室の性格に関して・補足 / Prof.M
前発言は,九十九兵部さんの発言「Re:Re:キャラクタープレイは害か?」(98年10月23日:01時41分48秒)および「Re.九十九兵部さんえ」(98年10月23日:19時04分12秒)に対するコメントです。
1998年10月24日:14時28分15秒
re:手続きの複雑さと選択の幅 / Thalion
私はこの両者が同じことだとは思いません。「同じ」ってのは「同義」ってことです。それはあまりにも事象を単純化し過ぎていると思います。
私はオセロを愛好しておりましたが、あれなんかは「手続き単純、選択の幅複雑」を地で行くようなゲームでしたよ。

MARSさん:
> まあ、手順が複雑であることと意志決定の幅があることは私の周りの人の間では同一です。
>将棋は難しい=おもしろくないと言う構図ができてしまっています。
>RPGにおける意志決定に関しては難しいとは言わないのだから実際はそんなことはないんですがね。

これは私の個人的な意見ですが、「手続きの複雑さ」という点においては、RPG の方が将棋よりも上だと思います。将棋のルールを全部書いたとしても、 大抵の RPG のルールブックよりも少ないページ数で終わることができると思うからです。(TWERPS ならどうかな(^^;))
一方、判断の局面の多さ、選択の幅という点においては、両者ともかなりのものがあり、単純には比較し難いとは思います。敢えて言うなら、 将棋は局面が有限であるのに対して、RPG はほぼ無限ですから、RPG の方が「幅が広い」という言い方もあります。でも、人間の思考能力と比較して、 その両者に差異があるかというと、「 RPG では何でも出来るんだよ」みたいな宣伝文句以上の違いは無いような気がします。

そして、上記の意見をそのまま適用するなら、あなたの周囲の方々が将棋を選ばず RPG を選んだのは、
「手続きの複雑さ」とは関係ない、別の理由によるものではないかと、私は思うのです。

>難しくても楽しいものはいくらでもありますし……
>RPGも難しくて楽しいゲームだと思います。

私も、そう思います。


1998年10月24日:09時35分01秒
TRPG総合研究室の性格に関して(私見) / Prof.M

今,議論を進める上での留意点について,私見をまとめていたところなのですが,ちょっと一言。

>ほう。そのような掟があったのですか?
>私は別のゲーム系掲示板で二三度同じような書き込みを行いましたが、
>いずれも「書き逃げ」とは認識されなかったように思います。
>これは当掲示板のみに適用される慣習なのでしょうか?

こ・こ・は,「論考系」掲示板なんです。判りますか? 提起された問題に関して議論を行う場なのですよ(過去ログを見れば判るように,ここで出された話題は全て当掲示板上で話し合われているのです。問題提起の段階で「反論はメールで」と,(私から見れば)ふざけた事を言ったのは,あなたが初めてです)。
過去ログは読みましたか? 読んでいれば,この掲示板がどのように使われてきたか理解できるはずです(それ以前に,あなたの行った様な内容の発言が出ることもなかった事でしょう)。公開された議論の場で,それを否定するかの如き言動をすれば,武石氏のような発言が返ってきても不思議ではありませんね。

さらに,付け加えるなら「(論旨と関係のない)文体・文章表現の内容と論述内容の論理性の度合いは無関係」です。人の(論旨とは関係ない)表現の粗を指摘するよりも,自説をより判りやすく,論理的に説明する方が有意義だとは思いませんか?
あなたの発言には,「誤った言い換え」「論法の誤り」「誤読に基づいた,相手の発言内容の誤った把握」ばかり目に付きます。

#何処が「誤った言い換え」「論法の誤り」かは,近日中にここにあげる発言の中で触れます。
#既に,ヌケサク氏が一つ指摘していますがね。


1998年10月24日:09時23分03秒
ほっといてくれえええ(TT) / MARS
 >「……」はいけません。「……」は。
 >それを付けることによってあなたの意見は倍角さらに色付きで
 >「ルリルリ萌え萌え〜〜〜☆」
 >と書くのと同じくらい恥ずかしいものになってしまっているのです。
 >「……」は「自分の意見に自信が無い」という感情の発露です。
 
 しょうがないじゃん………ホントに自信がないだによ……(TT)
 
 まあ、手順が複雑であることと意志決定の幅があることは私の周りの人の間では同一です。
 将棋は難しい=おもしろくないと言う構図ができてしまっています。
 RPGにおける意志決定に関しては難しいとは言わないのだから実際はそんなことはないんですがね。
 難しくても楽しいものはいくらでもありますし……
 RPGも難しくて楽しいゲームだと思います。
 
 ただ……こっからは自信ないんですが……
 ルールを重視しなさいと言うことは難しいというイメージを植え付ける結果になると……
 楽しみなさいと言えば誤解を招き迷惑なプレイが増えると言われるかもしれませんが、それはルールを重視しなさいといっても同じではないでしょうか……
 楽しみなさいと言えば、スタイルの分化は起きますがルールを守っていくことが楽しむことにつながるというならルールはおのずと守られていくと思いますが……どうなんでしょうか……
 むー………
 
 ところでウォーゲーム雑誌ってそんなにあるんですか?
 あまり見かけないので驚いてます。(やってる人も雑誌も)
1998年10月24日:02時11分19秒
Re:キャラクタープレイは害か? / 武石
> ほう。そのような掟があったのですか?
 私は別のゲーム系掲示板で二三度同じような書き込みを行いましたが、いずれも「書き逃げ」とは認識されなかったように思います。
 これは当掲示板のみに適用される慣習なのでしょうか?

 公の場での発言は、公の場で行うのが筋ってものでしょう。「別のゲーム系掲示板」がどの様な場所か知りませんが、認識が甘い所なのでしょう。

> 別に私は「馬場講座はキャラクタープレイ批判の理論として不適切である」ということを主張している訳で、キャラクタープレイ派のイメージ云々についてはあまり気を付けていないのですが。
 それはともかく、原発や農薬の利益を享受しているものがその廃止を叫ぶのは不遜なことだとは思いませんか?
 あなたはキャラクタープレイをやめることができますか?

 私もキャラクタープレイ派のイメージ云々についてはあまり気を付けていないのですが、持ち出した例があまりにも的外れだったもので。
 それはともかく、私はキャラクタープレイヤーではないので、問いかけられても困ります。

>どうやら、武石さんは「議論で負けた人間は傷つかなければならない」という考えをお持ちのようですね。
 「一番傷つかなくても済む方法」をとってあなたになんの不利益があるというのです?
 いや、武石さんが「人を傷付けることに喜びを感じる人」だというのなら話は別ですけど。

前述したように、「公の場での発言は公の場で」というのが筋であろうと考えるので、ここに書き込んで、後はメールでなんて「一番傷つかなくても済む方法」を取られると、「不利益」はないけど「目障り」です。それだったら、該当の人物とメールでやり取りすれば良いでしょう。理解できましたか?
1998年10月24日:01時01分06秒
茶々>今度は陽陰さんとでぶ猫さん宛てかな? / ヌケサク
 どうもこんばんは。うむむ、茶々を続けると、自分のことが無っ性ーーに恥ずかしくなってきますねー。とほほほほ。
 この件に関しては、つまり、論理的反証というと、どうしても「事実と照応(一致)していなくともできる反証」を連想してしまうもんですので、恥ずかしながら、稚拙ながら、バカ茶々を入れちゃいました。笑い飛ばしてくださってありがとうございます。いや、ほんとに。
 でぶ猫さんが「(この件に関する)論理的反証は可能」と書いておいでだったので、それも意識して茶々を入れました。でも、既に周知のとおり、後々の書き込みで、でぶ猫さんは事実との照応(一致)をもっとも大切になさるとの旨を表明なさったので、それは今や確認済みである旨をここに断り書きいたしておきましょう。これに関する論理的反証は無理だろうと思います、わたしは。
 というか「茶々かな」以外は笑い飛ばしてくださいね。いや、ほんとに。
1998年10月24日:00時40分11秒
RE:茶々>な、なんと陽陰さんへ!! / 陽陰
 ども、ヌケサクさん。
 なんで。「な、なんと」なのでしょうか(^^;
 ちなみに、私は、論理学って言う難解な学問は、数冊の本でかじっただけですので、大いに間違いますよ(^^;
 
 ですけれども。
 論理学には、いわゆる判りやすい三段論法などで表される「演繹論理学」と、帰納法を使う「帰納論理学」があります。
 
 で、つまりは、「誰がなんと言ってもそれはそうだという」前提、若しくは、「互いに同意した」前提を利用した方法以外に、経験を利用して前提の妥当性を判断する方法もあるということです。
 私が今回使ったのは、この方法なのです。
1998年10月23日:23時59分59秒
茶々>な、なんと陽陰さんへ!! / ヌケサク
●陽陰さんへ 
【98年10月23日:23時09分16秒・風が吹けば桶屋が儲かるのか / 陽陰さんより】の書き込みは実は統計学的処理なんですよねー、たぶん、……自信ないけど。ぼくは、「風が吹けば桶屋が儲かる」は統計学的に反論するしか論破できない、と思います、……自信ないけど。
1998年10月23日:23時38分35秒
茶々かな。 / ヌケサク
ぼくは九十九兵部さんにレス(リプライ)することができない。だって九十九さんは何も分からない人のようなんだもん。
(1)人間はメシを食うために生きているわけではない。
(2)よって、メシを食うために生きているわけではないような人間はメシを食わない(メシを食うわけがない、メシを食ってはならない)
(2)はどうして(1)から導き出しうるの? 導き出し得ないじゃん。でもきっと九十九さんは「あなたの頭が悪いから導き出し得ないだけです」とか反論するんだろうな。そもそもわかるとはわかっていることの応用でしかないから。おしまい。まったく……レスなんかつけられるわけがない。
1998年10月23日:23時09分16秒
風が吹けば桶屋が儲かるのか / 陽陰
 はっきり言ってとってもばかばかしいことだよね、でもまあ、これの反証をしてみましょう。
 ちなみに、これを見るよりも論理学の教科書見た方が正確で判りやすいよ。
 
 まず、これの論理展開を見てみよう。
 「風が吹けば、埃が舞い上がる」
 これは、絶対の真理ではありませんが、たいていの人が認める前提ですね。
 つまり、真です。
 
 この前提から導き出される仮定その1
 「埃が目に入り、目が不自由になる人が増える」
 これは、絶対の真理ではありませんし、殆どの人は認めないでしょう。
 つまり、真ではない。ということになります。
 
 つまり、前提一個目で既にこけているんですね。
 
 では、これに対して反証を行おう。
 「埃が目に入り、目が不自由になる人は僅かながら増える」
 「しかしながら目が不自由な人が、必ずしも、三味線を始めるわけではない」
 「仮にこれで三味線を始めた人が居ても、猫が過減少を行うほど乱獲される事は起こり得ない」
 
 「以上の前提により、風を前提とした鼠の異常発生は起こり得ない」
 「故に、桶屋が儲かるということも断定できるほどの確率で発生するとはいえず、仮に発生したとしても、無視できる値でしかない。」
 「故に、この論理展開は間違っているといえる。」
 
 とまあ、思いっきり適当な反論ですがね。
 論理的な事柄は、この様に前提条件か、論理展開にケチを付けないと、結論を飲むしかありません。
 まあ、好悪の感情は別だけどね。
1998年10月23日:21時18分09秒
まぁ・・・ねぇ・・・ / 寺田大典
 相手の話を好意的に捉える事無く、新しい「結論」を導き出すわけではなく、
 論破のみを目的として、さらにそれが個人的感情で書かれているような文章は、
 なかなかに辛いなぁ、と。

 ネットだからしょうがないのか。とも思うけど、相手の言葉の奥にある「相手の
 伝えたい事」までも考える配慮があれば、うまく話し合える「かも」とは思いますな。
1998年10月23日:21時15分58秒
れれれ九十九兵部さん / でぶ猫
 >要するに
 >「理論が主で統計が従であるから、論理的に正しければ統計を取る必要はない」
 >あるいは
 >「統計を取るのは面倒だから論理のみで優劣を決すべきだ」
 >いずれにせよこの場では
 >「論証できれば、その論理は実証の必要なく正しいものとみなされる」
 >ということでよろしいのでしょうか?
 
 違います。統計的な根拠/反証ともにかように大変なものであるから、これを示して いないからといって否定されるべきではないということです。
 よいですか、私は「馬場講座は正しい」というているわけではありません。あなた(九十九兵部さん)の 批判は馬場講座を否定することも肯定することもできていない無意味なものだといっているだけです。
 
 > 論理的に正しくても、いや正確には論理的に正しいと思われていても、現実に持ち込めば机上の計算通りにいかない、ということは往々 にして有り得ます。
 >私は「馬場講座」もそのでんだと思っているのですが。
 >あくまで机上の計算で決着をつけるというのであればそうしましょう。
 
 それはあくまで可能性の提示にすぎません。同じくらい、いや論理的な展開が正しいならうまくいく可能性のほうが高いはずです。
 この可能性を否定するには、統計的にしろ論理的にしろ実証しかありません。
 つまり、どんな形であれ、実践よりないわけですね。
 
 > では試しにお願いしましょう。
 >同じ論法で馬場講座も論破できるかもしれません。
 
 最近の桶は木でできてませんからね(笑)
 
 > それは「ひとりの人間が一つの遊びを『始めた場合に』どれだけ長く遊ぶことが出来るか」という尺度であって、ひとつの遊び自体の寿命 にはあまり関係がありません。
 
 馬場講座の最初に提示されている式を覚えていますか?
 長く続ければ、それだけ多くの初心者に接触できるのです。その中で、一人でも多くの初心者 が同じくらい長く続ける人になるのなら、人口は維持されることになりますし、諸般の事情で一時離れた人も、再びそのゲームを 始めるかも知れません。
 継続は力なのです。
 
 > 人が挑戦心をかきたてられるのには限度があり、ある一定以上の難度を超える遊びを余暇として選択することは普通ありません。
 
 マジックザギャザリングはきわめていけばかなり難度の高いゲームですが、やめる人の多くは難しいからやめるのではなく、金と時間が続かないから やめるようですが。
 まあ、実はライバルがいる、ということが大事な要素だったりするのですけど。
 
 >試しにやってみる程度の動機で遊びを「始める」場合には意思決定はあるより無い方が都合が良いのです。
 
 そして、意志決定がなければ、ちょっと試しただけで飽きてポイです。
 意思決定の楽しみは、試行の楽しみなのです。
 
 >例えばウォーシミュレーションゲームは、未だに一部で熱狂的に遊ばれていますが、それよりRPGの方が集客力があるというのは、ひと つにはRPGの方が簡単そうだからという理由を挙げることは出来ませんか?
 
 少なくとも、雑誌の数ではウォーゲームのほうが多いですね。
 雑誌が成立するというのは、目立たなくとも底辺が広いということです。
1998年10月23日:21時15分36秒
さりおんさんえ / でぶ猫
 >>意志決定がある=できることが多い(しかも結果はさまざま)、その幅の広く奥行きのあるゲームほど、
 >
 >この議論の対象となるものが「遊び」なのか「ゲーム」なのかで、意味は違ってくると思います。注意が必要かと。
 
 ごもっとも、留意しませう。
1998年10月23日:19時20分21秒
ちゃちゃです。 / アキト
発言力は、声の大きさじゃなくて、その論理的整合性・独創性などにたいして、発言者以外の人が評価して決まるものだとおもいます。
1998年10月23日:19時04分12秒
Re.九十九兵部さんえ / 九十九兵部

>Thalionさん
>この議論の対象となるものが「遊び」なのか「ゲーム」なのかで、
>意味は違ってくると思います。注意が必要かと。
 実はゲームという言葉はあまり好きではないので。
 これから私は、コスティキャン小論で定義された遊びをカギカッコで括って『ゲーム』と表記することにします。
 それ以外で「遊び」とか「ゲーム」とかいう語句が出てきた場合は「非生産的活動」ぐらいの意味だと思ってください。
>「手続きが複雑であること」と「意思決定において多様な状況を
>持ちうること」とを混同していませんか?
 同じ事です。
 「単純かつ奥が深い」遊びなど、そうはありません。
 一般的に、選択の幅が広ければ広いほど、手間も思考も煩雑になっていくものです。
 そうは思いませんか?
>3327さん
>馬場講座的に言うなら、(的に、ということはこっから先は3327の
>私見です。OK?) キャラクターの個性を反映する意思決定こそが
>TRPGを他のゲームと区別し、面白くさせているのもである。こう
>なります。つまり、良かれ悪かれキャラクタープレイは必須かつ最
>重要項目だが、主体ではないということです。飯を食わなければ死ん
>でしまいますが、人間はメシを食うために生きているわけではないの
>です。
 問題は二つあります。
 「意思決定が主でキャラクタープレイが従であるという考え方は本当に正しいのか」
 「キャラクタープレイを非難するなら何故自分はキャラクタープレイを行うのか」
 あるいは、
 「メシを食うために生きて何が悪い」
 「だったら貴様はメシを食うな」
 
>問題あるキャラプレは発生し得ます。だれかコレに理論だった異論を
>展開できますか?
 成程。ではこういうのは?
 「問題あるキャラプレは発生しうる。が、それがTRPG業界を滅ぼすとは必ずしも言えない」
 「問題あるキャラプレは発生しうる。ただし、それを問題だと思う方に問題がある」
 
>問題を防ぐために考察し対処する事に文句でもあるんですか?
 私は「馬場講座」という手段を問題としているのであって、「キャラクタープレイを非難する」という目的を問題としている訳ではありません。
 「スピード違反を取り締まる」という目的には賛同しても、「場当たり的に白バイを走らせてスピード測定のしやすい車ばかりを狙い撃ちにする」という手段には反対する、という立場があっても良いとは思いませんか?
>MARSさん
>そうですね………でも、それもやってて楽しいからですよね……
>あまり、ゲームの寿命とは関係ないような気がするけど……
>単純でも末永く遊ばれてるゲームは世の中にいくらでもあるじゃないですか……
>逆に複雑であるが故にあっという間に消えたゲームもありますし……
 「……」はいけません。「……」は。
 それを付けることによってあなたの意見は倍角さらに色付きで
 「ルリルリ萌え萌え〜〜〜☆」

 と書くのと同じくらい恥ずかしいものになってしまっているのです。
 「……」は「自分の意見に自信が無い」という感情の発露です。
 自分の意見に自信を持ってください。
 なくてもあるふりをしてください。
 発言力というのはそうやってつけるものです。
 
>でぶ猫さん
>正確には、統計的根拠が提示されてないだけです。しかし、統計的に
>実証しようと思えば、馬場さんの個人的経験だけを示せばよいという
>ものではなく、確認すべき事項と確認の方法を確立した上で、なるべく
>多数の、そして偏らないサンプルより事実を抽出しなければなりません。
>統計的な根拠にしろ、反証にしろ、ここまでやってなおかつ調査方法の
>是非まで叩かれた上でないと成立しません。しかも、統計的事実は、表
>象的な事象であることが多く、うかつに単純な解釈はできないのです。
>ここまでやらねばならないものを提示しなければならないのは、まさに
>学問の世界でしょう。しかも、かならず解析の方法などに理論が働きます。
 要するに
 「理論が主で統計が従であるから、論理的に正しければ統計を取る必要はない」
 あるいは
 「統計を取るのは面倒だから論理のみで優劣を決すべきだ」
 いずれにせよこの場では
 「論証できれば、その論理は実証の必要なく正しいものとみなされる」
 ということでよろしいのでしょうか?
 
>論理的根拠がきちんとしてれば、「正しい理論」です。あたりまえのことですね。
 論理的に正しくても、いや正確には論理的に正しいと思われていても、現実に持ち込めば机上の計算通りにいかない、ということは往々にして有り得ます。
 私は「馬場講座」もそのでんだと思っているのですが。
 あくまで机上の計算で決着をつけるというのであればそうしましょう。
>>「風が吹けば桶屋が儲かる」は正しい理論ですか?
>これは論理的反証ができます。
 では試しにお願いしましょう。
 同じ論法で馬場講座も論破できるかもしれません。
 
>意志決定がある=できることが多い(しかも結果はさまざま)、その幅の
>広く奥行きのあるゲームほど、簡単に極めることができません。つまり、
>常になんらかの発見(新しい選択肢など)の可能性があるわけですね。
 それは「ひとりの人間が一つの遊びを『始めた場合に』どれだけ長く遊ぶことが出来るか」という尺度であって、ひとつの遊び自体の寿命にはあまり関係がありません。
 人が挑戦心をかきたてられるのには限度があり、ある一定以上の難度を超える遊びを余暇として選択することは普通ありません。
 試しにやってみる程度の動機で遊びを「始める」場合には意思決定はあるより無い方が都合が良いのです。
 例えばウォーシミュレーションゲームは、未だに一部で熱狂的に遊ばれていますが、それよりRPGの方が集客力があるというのは、ひとつにはRPGの方が簡単そうだからという理由を挙げることは出来ませんか?
 
 
 当方、土曜日は書き込みが出来ません。
 続きはあさって。
1998年10月23日:12時56分38秒
シンプルかつ多様なゲームの例 / 宇津見
 Thalion氏へ
 >「手続きが複雑であること」と「意思決定において多様な状況を持
 >ちうること」とを混同していませんか?
 たしかに、チェスや将棋、囲碁、オセロは、手続きは単純ではありますが、 意思決定は恐ろしく多様ですね。
1998年10月23日:11時35分10秒
re:遊びとゲームの寿命と意思決定の関わり / Thalion
九十九さん:
>遊びにおける意思決定の有無とその寿命には関係がありますか?
でぶ猫さん:
>意志決定がある=できることが多い(しかも結果はさまざま)、その幅の広く奥行きのあるゲームほど、

この議論の対象となるものが「遊び」なのか「ゲーム」なのかで、意味は違ってくると思います。注意が必要かと。


1998年10月23日:11時20分08秒
re:奥行きによる死 / Thalion
>単純でも末永く遊ばれてるゲームは世の中にいくらでもあるじゃないですか……
>逆に複雑であるが故にあっという間に消えたゲームもありますし……

「手続きが複雑であること」と「意思決定において多様な状況を持ちうること」とを混同していませんか?
1998年10月23日:08時50分29秒
よく読みましょう / 3327
連載当時のものは知りませんが、現在あがっている馬場講座で否定 (言葉が違うかも。問題視、くらいにしておきますか) しているのは、本来の意味から外れたキャラクタープレイを指しています。
良く読めば分かるはずです。
メンド臭ければ、例のコラム 「傷つきやすい〜」 を読んでみましょう。
「酒は飲んでも飲まれるな」 といいますか、目的を忘れた手段からの逆転現象を指摘しているのです。
クルマは必ず事故を起こしますが、事故を起こすためにクルマに乗っている人間などいないのです。
TRPGをするには必ず (いわゆる) キャラクタープレイをしますが、キャラクタープレイが目的ではないのです。
馬場講座的に言うなら、(的に、ということはこっから先は3327の私見です。OK?) キャラクターの個性を反映する意思決定こそがTRPGを他のゲームと区別し、面白くさせているのもである。こうなります。
つまり、良かれ悪かれキャラクタープレイは必須かつ最重要項目だが、主体ではないということです。
飯を食わなければ死んでしまいますが、人間はメシを食うために生きているわけではないのです。

コラムで明言しているとおり、馬場氏はキャラクタープレイを良いものだと言っています。なぜ、明言された言葉を無視して話を進め、だれもこの点を言わないのですか?
ついでにもう一つ。
理論的に考えて発生しうる問題に対して、統計学上の検証など不要です。
問題あるキャラプレは発生し得ます。だれかコレに理論だった異論を展開できますか?

問題を防ぐために考察し対処する事に文句でもあるんですか?
ちょっと前にも言いましたが、繰り返します。
まず、落ち着こう。
1998年10月23日:08時21分53秒
奥行きによる死 / MARS
 >意志決定がある=できることが多い(しかも結果はさまざま)、その幅の広く奥行きのあるゲームほど、簡単に極めることができません。
 >つまり、常になんらかの発見(新しい選択肢など)の可能性があるわけですね。
 
 そうですね………でも、それもやってて楽しいからですよね……
 あまり、ゲームの寿命とは関係ないような気がするけど……
 単純でも末永く遊ばれてるゲームは世の中にいくらでもあるじゃないですか……
 逆に複雑であるが故にあっという間に消えたゲームもありますし……
1998年10月23日:07時41分47秒
九十九兵部さんえ / でぶ猫
 >では「馬場講座には統計的根拠が無い」という意見には御賛同願えるのですね?
 
 正確には、統計的根拠が提示されてないだけです。しかし、統計的に実証しようと思えば、馬場さんの個人的経験だけを示せ ばよいというものではなく、確認すべき事項と確認の方法を確立した上で、なるべく多数の、そして偏らないサンプルより事実を抽出しなければ なりません。統計的な根拠にしろ、反証にしろ、ここまでやってなおかつ調査方法の是非まで叩かれた上でないと成立しません。
 しかも、統計的事実は、表象的な事象であることが多く、うかつに単純な解釈はできないのです。
 ここまでやらねばならないものを提示しなければならないのは、まさに学問の世界でしょう。しかも、かならず解析の方法などに理論が働きます。
 
 >統計的に根拠の無い物を論理的根拠があるからとて「正しい理論である」とするのはいかがなものでしょう?
 
 論理的根拠がきちんとしてれば、「正しい理論」です。あたりまえのことですね。
 
 >「風が吹けば桶屋が儲かる」は正しい理論ですか?
 
 これは論理的反証ができます。たぶん統計的反証も可能でしょう。
 
 >それは是非お伺いしたい。
 >遊びにおける意思決定の有無とその寿命には関係がありますか?
 
 意志決定がある=できることが多い(しかも結果はさまざま)、その幅の広く奥行きのあるゲームほど、 簡単に極めることができません。つまり、常になんらかの発見(新しい選択肢など)の可能性があるわけですね。
1998年10月23日:01時41分48秒
Re:Re:キャラクタープレイは害か? / 九十九兵部

 ずいぶん御無沙汰しました。
 
>でぶ猫さん
>少々強引ではありませんか?  九十九さん(でいいですよね?>きるとこ)
>のいっているのは「統計的根拠がない」というだけで、論理的反証および
>統計的反証を提出されたわけではありません。
>つまり、まだ馬場さんの論理を否定できてはいないわけです。
 では「馬場講座には統計的根拠が無い」という意見には御賛同願えるのですね?
 統計的に根拠の無い物を論理的根拠があるからとて「正しい理論である」とするのはいかがなものでしょう?
 「風が吹けば桶屋が儲かる」は正しい理論ですか?
 
>意志決定(囲碁には意志決定があります。非常に完成度の高いゲームですね、
>あれは)の有無とゲームとしての寿命についてもやや言うべきことがあるように
>思えますが、まずはこれだけ。
 それは是非お伺いしたい。
 遊びにおける意思決定の有無とその寿命には関係がありますか?
 
>武石さん
>当掲示板で発言された事は、当掲示板で責任を持って決着を着けていただきたい。
>このような書き逃げは、最低の行為であることを自覚すべきでしょう(「こんなん
>なら、最初から書くな!!」と言いたい)。
 ほう。そのような掟があったのですか?
 私は別のゲーム系掲示板で二三度同じような書き込みを行いましたが、いずれも「書き逃げ」とは認識されなかったように思います。
 これは当掲示板のみに適用される慣習なのでしょうか?
 
>原発も農薬も害の方が大きいので、禁止もしくは大改良を施しています。その
>辺を考えると、この部分の記述は「キャラクタープレイ派」にとってマイナス
>になるのでは(キャラクタープレイはダイオキシンやDDT並みか)。
 別に私は「馬場講座はキャラクタープレイ批判の理論として不適切である」ということを主張している訳で、キャラクタープレイ派のイメージ云々についてはあまり気を付けていないのですが。
 それはともかく、原発や農薬の利益を享受しているものがその廃止を叫ぶのは不遜なことだとは思いませんか?
 あなたはキャラクタープレイをやめることができますか?
 
>あっ!! 九十九兵部さんは「傷付きやすい人」だったのかな? だから
>「反論はメール」でなんて、一番傷付かなくて済む方法を!
 どうやら、武石さんは「議論で負けた人間は傷つかなければならない」という考えをお持ちのようですね。
 「一番傷つかなくても済む方法」をとってあなたになんの不利益があるというのです?
 いや、武石さんが「人を傷付けることに喜びを感じる人」だというのなら話は別ですけど。
1998年10月07日:16時57分54秒
ルール主義者の視点から。キャラプレと迷惑プレイヤーにひとこと / みはえる
 はじめまして、みはえるともうします。ここにははじめて書きます。以後宜しくお願いします。
 議論を読んでいますと、どうも私は極端なルール主義者らしいので、その視点からの意見を書かせていただきます。
 みはえるは、キャラプレがTRPGに必須であり、しかし、度の超えたキャラプレがゲームの運行の妨げになるとするなら、それを管理するルールのないシステムに問題がある。と、考えます。
 例えば、「TRPGというゲームでは、仲間どうしの協調が必要である。」とすれば、そのためのルールが必要であるとおもう。ボードゲームでは、自分の利益を得る行動が、結果的に他人の利益にもなるという物が多々あります。
 そおゆうルールがあるシステムなら「ねえ、君一人で喋るより、他の人まきこんじゃった方が面白くなるんじゃない?」と、迷惑プレーヤーを諭すことが可能やと思います。
 あるいは(例はよくないが)NOVAのシーン切り替えのようなルールで「(盛り上がってるところ悪いんだけど、ストーリー先に進めたいんだわ。悪いね)さて、場面は切り替わって……」てのもいいんじゃないかと。
 議論の論点とずれてたらもうしわけないっす。 
1998年10月01日:11時18分15秒
参考資料:SF-ONLINE(RPGのすすめ) / 石頭
SF-ONLINEにこんな記事が。RPGについての 考察の参考資料になると思われます。興味がありましたら、ご一読 をお勧め致します。

RPGのすすめ

RPGのすすめ2


*その他、このゲームレビューは海外ゲーム、日本ゲームを取り上げています。併せて読んでみるのをお勧めします。
1998年09月29日:20時17分48秒
オフィシャル準拠に関して / 3327
なぜオフィシャル準拠を求めるか?
いったい何がしたくて/されたくなくてオフィシャル準拠を求めるのでしょう。
私は、「よそで使えるようにしたい」 これだとおもいます。
オフィシャルのガイドラインの中でやった事ならば、それは全国どこへ行っても通用しなければなりません。建前では。
個々のゲーム集団が 「我々は敢えてオフィシャルに反する」 と言わない限り、どこへ行っても使えると言うのが、私が思うところの 「オフィシャル準拠にこだわる/オフィシャル準拠がもたらす 最大の美点」 だと思います。

さて、上記の意見に多少なりと価値があったとして、オフィシャル側が行う 「前回までを否定できてしまう物言い」 はその価値を破壊します。
準拠が準拠では無くなるからです。
否定するだけならそれでもまだましです。なぜなら、普通は否定には理由があるからです。理由が分かれば対応が行えます。ですからいっそ否定してくれた方がましです。
最悪なのは苦しい言い訳をかまして、なあなあまあまあでうやむやにされる事です。
どうとでも受け取れる解決手段の提示は各地ごとの格差を不必要に生み、交流の妨げになります。

複数の考え方/受け止め方を学べるといえば聞こえはいいですが、今回のカヲルさんのように 「意識してオフィシャル準拠を守ってきた」 場合、真面目に考えた人間ばかりがイヤな目を見ると言う結果になります。 真面目にやるほど馬鹿を見るゲームなど、いったい誰がやるのでしょうか? そんなモノを趣味として続けようと思いますか?
TRPGは人数が多くなる遊びです。
基本的に交流をしなければ行けない遊びにおいて、不必要に交流の妨げになる事をオフィシャルがやってしまっては・・・ どうしようもありません。
ユーザーである我々は、オフィシャル準拠をした時に得られるモノをもう少し高く評価し、活用しましょう。
ユーザーが使わないものをオフィシャルは大事にしません。
刺激的なハデな事にばかり目を向けてないで、もう一歩踏み込んで考えて見ませんか?
1998年09月28日:13時51分39秒
「全てのTRPGプレイヤーはダイスの前に平等です」 / PALM−12
タイトルとは、あまり関係ない内容です。

>RPGのなかの戦闘ゲームの要素について / 鋼鉄ドリルさん
>ですが実際に見渡してみるとそのようなプレイはあまり見られません。先に挙げた
>「バランスの取れたシナリオ」も、ゲームとして楽しむためなら全滅の可能性は
>五分五分というのが理想ですが、近頃ではそんなシナリオを用意するマスターは
>少ないし、ちょっと死人がでればもうプレイヤーは文句をいいます。
>先日などは一人も死ななかったにもかかわらずプレイヤーの何人かが「敵が強すぎる」
>という指摘をかましてきたので参りました。
>今時は「バランスのとれた」というのは「全員が生き残る」という意味になってしまった
>ようです。でも、勝つとわかっている戦闘ゲームなど、少なくともわしは面白いとは
>思わないな。

でも、戦闘がつまらないというのは、結構、最近の風潮ではないでしょうか?
ボクがTRPGを本格的に初めて最初の3年間に大体130本ぐらいマスタリングしましたが、自作は10本を切っていたと思います。そして、大抵のシナリオには、レベル*対応とか戦闘修正+**とかが書かれており(書いてないのはFFぐらい)、戦闘バランスはシビアです。そして、レベルに合わせてPCを作成したり、使いまわしたりしていたものです。

その後、徐々にシナリオの供給(ウォーロックの方針変更?、シナリオが売ってない、ゲームブック等のシナリオ展開出来るものが無くなった)が無くなり、自分で書くようになった記憶があります。その結果プラスキャンペーン・演出重視の増加により、鋼鉄ドリルさんの言われるマッチポンプ的戦闘が増えたのではないかと思います。

そのせいか、最近のマスター(シナリオを書く人間)は、ルールを軽視しすぎですよね。ルールを数値的に理解もせずに戦闘をやろうとしている例をコンベンション等でさえたまに見ます。で、ダイス目を誤魔化す。まさに本末転倒です。

なんだか愚痴になってきました。話を戻しましょう。
で、言いたい事。

(1)他の人間の書いたシナリオを使用する
(2)PCのレベルに合わせたシナリオを使用する
(3)ゲームマスターがシナリオとダイスに忠実にマスタリングする

等を実施してみるのは、いかがでしょうか?
(1)は、本来、既成シナリオを使用すると書きたい所なのですが、現状は不可能でしょう、日本TRPG界にそんな実力はないですから。で、代替案として(1)です。効果は、マスタリングに外連が無くなるかもしれない程度です。あと、やったシナリオが他のプレイヤーに読めるという事もポイントですね。
(1)でも現状、実行するのが難しいと考えていますが、鋼鉄ドリルさんの言われる事を回避し、面白い戦闘を量産するには、この辺がベストではないでしょうか?まあ、実力が伴わないと出来ない事は同じなんですが、これはどこまで行ってもそうでしょうから、「しかたがない、しかたがない」とでも言っておきましょう。

あと、余談ですがジャッジと戦う必要があるのは、対巨人戦の野球だけです。

ちなみにウチのサークルでは、ラストの戦闘が終了する頃には、プレイヤーの目は落ちくぼみ、息は絶え絶え、耳血鼻血は珍しくもなく、アクリルダイスの2、3個は砕け散っていて歩くのが危ないという状況で、プレイヤーは机に突っ伏してプレイヤー発言ともキャラクター発言ともつかずに「もう2度と戦闘はしたくないやぁ」とかブツブツ言っているという事がままあります。しかし、ロストしたヤツ以外はレベルアップ後はキャラシートを見ながらニコニコして、次のセッションの日取りを決めていますね。あの時の疲労感は、中々に爽快です。

ではでは
1998年09月27日:12時19分18秒
RPGのなかの戦闘ゲームの要素について / 鋼鉄ドリル
RPGはマスターとプレイヤーが敵対していないのでゲームとして問題がある、という話をしましたが。

確かに3327氏のいわれる通りです。が、「ゲーム」をそこまで広く解釈すればそうなのですけど、わしはもっと狭い意味で、「戦闘ゲーム」とでもいった意味合いであれを書いたのです。言葉が足りなくてすみません。

多くのRPGが「戦闘ゲーム」の要素を取り入れている事は明白です。でも「戦闘ゲーム」はどちらが勝つかがわからないから面白いのです。マスターは勝とうと思えばいつでも勝てるし、そんな中でプレイヤーが勝っているのは「勝たせてもらっている」からです。それで本当に面白いのか?というのが正直なわしの気持ちです。

しかし、RPGでちゃんとゲームをやってる人もいます。
きちんとバランスのとれたシナリオが作れて、マスターもプレイヤーもインチキなしの真剣勝負をする。そういう人達が実際にいます。だからわしのいう「RPGはゲームとして不完全」という説は、実は必ずしも妥当とは言えないんですね。
3327氏がわしの意見を否定されるのもとうぜんです。
NaOH氏の「デザイナーの代行者、審判者だから敵対していなくてもOK」というのも、そういった作業を私情やウケを抜きにして、割り切ってやれる人ならば、まったくその通りです。
だから断定的に書いたのはよくなかったですね。

ですが実際に見渡してみるとそのようなプレイはあまり見られません。先に挙げた「バランスの取れたシナリオ」も、ゲームとして楽しむためなら全滅の可能性は五分五分というのが理想ですが、近頃ではそんなシナリオを用意するマスターは少ないし、ちょっと死人がでればもうプレイヤーは文句をいいます。
先日などは一人も死ななかったにもかかわらずプレイヤーの何人かが「敵が強すぎる」という指摘をかましてきたので参りました。
今時は「バランスのとれた」というのは「全員が生き残る」という意味になってしまったようです。でも、勝つとわかっている戦闘ゲームなど、少なくともわしは面白いとは思わないな。

わしは「戦闘ゲーム」だったらシミュレーションゲームで遊ぶほうがずっと面白いと思う。
RPGの面白さってのは違うところにあると思うんだな。
敵が現れても、戦うだけじゃない。逃げる事も、隠れてやりすごす事も、騙して利用する事も、説得して味方にする事も、考えられる事はすべてできる。
戦う時だってただの戦闘ゲームではなくて、照明器具を射落として敵の頭にぶつけたり、窓から突き落としたりといった知恵を使った戦いかたができる。
それが戦闘におけるRPGの他には無い特徴だと思うんだけど。

なのにそっちにいってるかというとそれも違う。コマンド選択式の行動しか出来ない「コマンダー」はやっぱり多いし、そこまでいかなくても敵に遭遇するといままでRPGだったのが突然戦闘ゲームに切り替わってしまったりする。

RPGを戦闘ゲームと考えているなら、なんでシミュレーションゲームをやらないのかと思うし、逆であればなんで戦闘ゲームとしての要素が入って無いシステムで遊ばないのか。両方ともそこそこ入った真ん中へんのゲームで遊ぶのならルールやロールを絶対視するのは変ですよね。

まあ、プレイの前にマスターはそのシステムを使用する意図をちゃんと説明して、求められる方向性を示せば普通はそれですむんですけど。

こうして考えてみるとこれもやっぱりシステム上の問題というよりはそれを使う人間の問題なのかという気がしてきました。
だとしたら。
システムに人間のほうが合わせるか、人間のほうが自分に合ったシステムを選ぶか・・・結局それしかないのかな。
でもそれが一番現実的だとは思うけど。

3327氏の「RPGで遊ぶ人は何をしたいのか」という意見には本当に同感です。わしももう随分前からそう考えてきました。そのうちその辺についてちょっと書いてみようかと思っています。
1998年09月26日:14時09分31秒
私が迷惑だと思ったとき / 矢田喜久
まず、私が「迷惑だ!」と思うプレイヤーは、

「自分ベテランですから」と言っておきながら、まったくもって成ってない人。自分のPCのモデルは「○○です(好きなキャラクターの名前を入れてください)」と言っておきながらキャラプレイができていない人。マスターのシナリオの展開にけちを付ける人。PCが死んだら「キルマスターだ!!」と文句を言う人。etc.etc.
以上の点に該当するような人は迷惑です。
あと「そんなのルールにありません」と言う人とか。「その設定はワールドガイドと違う」とか言う人かな。

で、私がそう言う人にどう接しているかというと、「迷惑なんだよ!」という態度が露骨に出ているので、自然とそう言う人とは疎遠になっていきます。
ま、自分でもまずいかなとも思いますが、おもしろくもない相手とゲームをしても、おもしろくないですから、無理して一緒に居ることもないでしょう。
コンベンションなどではなるべくそう言う人とは同じ台につかないようにしていますし、自分がマスターの時は向こうも近づかなくなりますから。支障はないです。

それと私もいい年いっていますから、いがみ合って他のプレイヤーや、主催者に迷惑がかかるような事はいたしません。遠回しに素っ気ない態度と冷たい口調。それでも解らないなら「迷惑だ!!」とハッキリ言います。ただしこれは自分がマスターの時だけです。自分がプレイヤーの時にこれをやったらマスターや、他のプレイヤーに多大な迷惑をかけますから。

1998年09月26日:04時51分22秒
迷惑な人への対処法とは? / 鋼鉄ドリル
鍼原氏は具体的な方策の提示を求めておられますが・・・。

わしは具体的な方策については既に書きました。
また、大枠としてしか書かないのにも理由があります。
状況が違えば対処法も違ってくる、ということです。

問題を起こしている本人の資質、彼を説得する人の資質、現場の状況、使用していたシステム、他の参加者の対応ナドナド・・・挙げていけばキリがありません。
ある一つの事例で効果をあげた方法も、別のケースでは逆効果かもしれないのです。だからといって考えられる限りの対処法について列挙し、検討していったら本が一冊書けてしまいます。いや一冊じゃすまないでしょう。
そうして苦労して書いたものが実際にどれほど役に立つかといえば、せいぜいよくて参考意見くらいにしかならないのだということは先に述べた理由からも明らかです。

だからわしは大枠としての部分、大まかな指標を提示するのみにとどめているのです。

もちろん、ある特定の事例に対して「どうするべきか」というような話が出れば、わしなりの対処法を提示しますよ。でも、漠然とした状態でやっても、書くほうも読むほうも苦痛にしかならず、おまけにいくらも役に立たない長いばっかりの文章になるだけです。

わしの思う一般的な対処方ですが。

入った卓では使っているシステムに合わせること
(自分のスタイルに固執しない。例えばキャラプレイならやっていい時とそうでない時をわきまえる。違ったスタイルにも積極的に挑戦し、その面白さを知る。両方の楽しさがわかれば技量は大幅に上がる)
なじめない時は、システムをえらぶこと。
(だれにも好き嫌いや得手不得手というものがある。どうしても合わせられないのならそれは仕方が無い。遊びなんだから一番楽しめるものを選び、無用のトラブルを避ける)
なじめないシステムにも理解を示す事。
(自分の趣味に合わなくても排斥するのはよくない)


だいたい、こんなところでしょうかね。
1998年09月25日:22時39分51秒
ルールは守るべきである / MARS
 あー、一応私はキャラプレイヤーです。
 んで…ロールプレイヤーでもあります。
 
 この立場の上でルールをどう扱うか……
 原則としてルールは守るべきです。
 なぜならルールはキャラクターを反映させるためのものであるからです。
 そして、ゲームを楽しむための道具でもあるためです。
 
 では、原則ではない場合はどうでしょうか?
 ルールは破るべきです。
 ただし、事前に……かつ”皆の望む方向”に破るべきです。
 さらに言えば、もし変更するルールがそのシステムの核であるなら他のシステムを選択すべきです。
 従って、ルールを破ることはコンベンションでは許されないはずです。
 少なくとも、そのルールが欠陥でない限りは……
 
 キャラプレイの立場から言えば、せっかくキャラクターを理解してもらう手段を自ら捨ててるわけですしね……
1998年09月25日:11時57分44秒
ルール遵守の意識の擦りあわせ / はたの
 えーあー、(for all)というのはあたりまえなので書く必要ないと思うのだけど。どうだろうか?
 
RPGはどのくらいゲームなのか? / 鋼鉄ドリル さんwrote:
 いやー、くると思ってました。こういう意見。

 
 そうでしょうねぇ(笑)
 
 いや、もちろんすべてがそうだという訳ではありません。 ルールを遵守すべきシステムではきっちり守るのがスジってもんです。

 
 はい。もちろんそうですよね。
 
 そして、あなたが「ルールを遵守しなくてもいいシステム」と思うシステムを、「ルールを遵守すべきシステム」であると考える人もいます。
 その辺すりあわせがうまくいっていないと、お互いを「ルール無視のお調子ゲーマー」「ルールがちがちマンチゲーマー」と思い込むという不幸な事態が発生します。
 
 お互いに「ルールを遵守しなくてもいいシステム」で遊んでいる。という認識がある場合でも、それはそれで危険です。
 
 「ルールを遵守しなくてもいいシステム」であるにしろ、すべての場面においてルールを無視するわけにはいきません。
#もしそのつもりならシステムを使うなって感じ。
 「遵守するべき場面」「遵守しなくてもいい場面」の線分けが共通認識になってない場合、やはりお互いに非常に不幸な結果になります。
 「ルールを遵守しなくてもいい」遊び方ができるのは、このすりあわせが十分にできている場合のみです。
 そして、このすりあわせには非常に時間がかかります。
 
 ですからわたしは「ルールを遵守しなくてもいいシステム」というのは存在しない。と思って遊んだ方が幸せになれると思います。
 とりあえず「ルールは守るもの」っていう認識の方がいろいろ幸せ。とくにコンベンションでは。
 
 ...
 
 その上で飾り付けにキャラクタープレイを行うわけですが...。
 ルールにはキャラクタープレイをする事による有利不利って書いてありませんから(*)キャラクタープレイをした事によるルール的な修正は何にもなくても平気なのです。
 というか、ルールにはキャラクタープレイによって判定に修正をつけろと書いていないのに、修正をつけられるといやーんな感じになるのです。有利になろうと不利になろうとね。有利だからいいかって問題ではない。
#(*)一部にそういうルールがあるゲームもありますが、その場合、何をすれ
#ばどう有利になるかが明確になっています。
##明確になってないシステムは失敗作だと思います。
#余談だが「マスターが任意で」というのは明確でないし「マスターに受けれ
#ば」というのも明確でない。もちろん「燃えるシチュエーション」というの
#も明確ではない。
 
 そういう、マスターの恣意的な修正があると、自分の行動に対する反応の再現性が低くなります。
 反応の再現性が低いとなにやってもどうなるか分からない。要するになにやっても同じになるので。これはつまらないです。
 
 でもねえ、大ボスに「ふっふっふ、思った通りここまでやって来たな。お前らの考えなどすべてお見通しじゃあ」とかいわせた直後に「今何秒しゃべったからその間に何回攻撃するね」とか言われたらねえ。

 
 この手の可愛いマンチに対しては、意味ありげに微笑みながら「ほほぅ?じゃぁ、これからは君たちに対してもそういう運用するけどいいんだね?」っていったら、大方のプレイヤーは黙ると思いますよ。
#目には目を、歯には歯を。はそれなりに有効なのよね。
 
 それでも、断固としてそれをやるなら、受けて立てばいいよね。
 この手の小細工は、シチュエーションをコントロールできるマスターの方に有利に作用するに決まってるじゃん。思いっきり痛い目にあわしてやればいいんだわ。
1998年09月25日:10時42分29秒
RE: RPGはどのくらいゲームなのか? ( for all) の続き / 3327
で、続きです。


「喋ったな」攻撃ですが、これを言い出すのはサッカーで手を使いたいといい出すのと同じです。
TRPGって、結局シュミレーションとどう違うのかといえば、個性の反映や演出の有無です。
この、個性の反映や演出というTRPGをTRPGたらしめている部分にケチを付けるのならば、それはサッカーで言うなら「サッカーでは手を使わない」にケチを付けているのと同レベルです。
独自性を無視した考え方は止め(止めさせ)ましょう。
以上です。

以下は補足ですので、読みたい方だけどうぞ。
むろん個性の反映や演出の手段が「喋る」だけだとは言いませんし、また、単に「喋る」だけならばそれは欠陥品なので否定されます。ゲームなのですからルールで律せられなければいけないからです。
例えばトーグでのモノローグカードの使用やNOVAのトーキーの早口の特殊技能などの使用が求められるでしょう。
しかし!!
最も単純かつ明快な「他との違いが出ている部分=独自性を確保している部分」、つまり、「喋る」を、ルールが不備だからといって却下或いは悪用するのならば、最初からソレをやる意味はありません。
アホくさいセリフ回しで喋るのは、TRPGにおいては、好き勝手ではなく個性の反映や演出の範囲においては、認めなければならないのです。

さらに蛇足。
ずっと前から感じているのですが、大半のRPGerはいったい何をしたいのでしょうか? いったい何をしているのでしょうか?
自分が何をしているのかも知らず、何かしたい事があるわけでもなく、だたなんとなくTRPGしているように感じています。私の気のせいでしょうか?

1998年09月25日:09時43分17秒
「〜ならでは楽しみ方とは?」、転記しました / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>鏡さんへ、>ALLへ、
「RE:ガープス・妖魔夜行」ならではの楽しみ(?)」(当掲示板,鏡さん記,98年09月25日:01時08分56秒)で、ご依頼をいただきましたので、、
「〜ならでは楽しみ方とは?」(鏡さん記,「TRPG総合研究室 LOG 020」,98年09月25日:09時23分52秒)、を「TRPG_Free」に転記させていただきました。

#え〜、差出口をひとつゆわせてください。
#鏡さんの呼びかけの意図を汲んでらっしゃるかたには、「総研」での議論の一環として、「〜ならでは楽しみ方とは?」へのResをお書きになるかたも、おられることと思います。
#もし、よければ、今後は「TRPG_Free」にResを書込まれ、適宜「総研」にリンクで話題を引っ張ってくることをお考えいただけないでしょぉか。
#リンクのはりかたは、「HTML雑談所」に書かれてありますです。
#差出口、きょぉしゅくです。
いじょぉ
1998年09月25日:09時13分06秒
RPGにおける敵対関係 / NaOH
 馬場講座によれば、RPGのシナリオとはゲームデザインの一部ですから、やや強引かとも思いますが、GMとはゲームデザイナーと近似であると考えられます。
 他のゲームにおいてもデザイナーとプレイヤーは敵対しているわけではありませんから、RPGにおいてもGMとプレイヤーは敵対関係にないことは不自然ではないと思われます。
 
 さらに、GMは判定者、審判役でもあります。
 プレイヤーと審判が敵対するものであるというゲームはないかと思いますので、同様にRPGにおいてもGMとプレイヤーは敵対関係にないことは不自然ではないと思われます。
1998年09月25日:09時00分32秒
RE: RPGはどのくらいゲームなのか? ( for all) / 3327
個人へのレスでなく全体レスですのでお間違えの無いよう。
以下に述べる件に関しての誤解は、誤解に気付いてさえいない人が大半でしょう。

さて、純粋なゲームなどありません。
料理と言う料理を注文できないように、ゲームと言うゲームは無いからです。純粋な、という考え方自体が意味を持ちません。

次に、GMとPLが敵対していない事はゲームではないと言う事にはなりません。
極例を言えばせんだみつおゲームや山の手線ゲームです。
バカな例だと勘違いする人が出るでしょうから真面目に言えば、「ゲームに参加する全員が同じ陣営に属している事は、それがゲームである事に反しない」 ぐらいですか。 勝たせてもらっている。も、これで無意味化きますよね?
あ、当然、敵対していてもそれはゲームです。
さて最後に 「喋ったな」 攻撃。
これは次回へ続きます
1998年09月25日:02時24分57秒
Re:困ったプレイヤーの行動原理 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>鋼鉄ドリルさんへ
困っちゃったな、アタシは「考えただけ」なんて書いてないですよ。も一度読んでもらえませんか?<アタシの書込。
「考えかただけ」ね、アタシの書込みにあるのは。

鋼鉄ドリルさんの普段からの行動の事についても何もゆってないです。日々の実践のことにも何にも言及してないですよ。
ただ鋼鉄ドリルさんの、掲示板への書込みに、どんなタイプの、どの程度のステージにあるプレイヤーさんに、「それは違う」ということを、どんなテクニックで解らせるか、とか、そぉしたことを具体例か方法論(解らせかたの方法論ね)を伴って書いてもらえないと、賛成とか反対とかって議論がはじめられません、って意味です。 もしかしたら、強烈に鋼鉄ドリルさんの個性と結びついて、ちょっと他の人には簡単にはマネできない方法かもしれない、、その辺は、鋼鉄ドリルさんがちゃんと書込みに書いてくれないとわかんないわけですよ。読んでるほぉは。「考えかただけでは、無意味です」って書いたのは、そぉゆぅ意味です。もっと具体例や方法論を書いてください、ってだけの意味です。
そこだけは了解してほしぃなぁ。

アタシのほぉも、鋼鉄ドリルさんの書込みの真意を読み損ねてたらしぃので、それはお詫びさせていただきます。
ごめんなさい。失礼しました。
#3327さんもアドバイスありがとぉございました。

「キャラプレイ否定論に対するわしの見解」での問いかけには簡単に私見をお応えしておきますね。
●プレイスタイルとしてのキャラクタープレイは否定されるべきではない
●しかし、キャラクタープレイヤーの側にも批判されるべき点はある。
●キャラクタープレイヤーに対する批判には、誤解が多いけれど、自分達の欲求をきちんと他人〔ひと〕にわかるよぉな言葉で説明せず、誤解を放置してきた責はまぬがれない。
●一方、誤解に関する責は、「意思決定論的ゲーム論」から“だけ”キャラクタープレイヤーの言動を割り切ろぉとしてきた側にも無論ある。
●総じて、プレイスタイルとしてのキャラクタープレイはまだ未整理だと思われる。

って、これだけ書いただけじゃ、鋼鉄ドリルさんは、納得しかねるとは思います。
それとか、「切り捨て」の件ですけど、アタシが書いてること、まだご理解いただけてないよぉですから、今度具体例を伴わせてアタシのほぉから書かせていただきますね。ちょっと時間くださいな。
とりあえずいじょぉにします。
1998年09月25日:01時08分56秒
RE:ガープス・妖魔夜行」ならではの楽しみ(?) / 鏡@一歩手前
 鍼原神無さんへ。
 ああっ!すみません、仕事がパニックになってて(今でもなってるようなものだが)、読んでませんでした!
 
 >P.S.>鏡さんへ、、、ちょっと思ったんですけれど、、、もし、、もしよかったら、、
 >鏡さんの「〜ならでは楽しみ方とは?」、TRPG_Freeでも呼びかけてみられては、
 >いかがでしょぉか?
 >あ、いえ、そのほぉが、いろんなかたが気楽に書込んでくださるかも、、とか思いまして。
 >もちろん、鏡さんの「論考」的書込みはLABOで読ませていただきたいんで、
 >「〜ならではの楽しみ方とは?」だけ、って思い付きなんですけど、、、。
 
 遅くなりましたが、まったく納得です。流れでこちらに書いちゃったけど、 むしろFreetalkの方が良かったかもしれませんねぇ。
 残念ながら、当分仕事漬けで時間が掛けられません。(疲れて帰ってきて現在もはや“一歩 手前”)もし早いうちの方が良いとお考えなら、鍼原さんかどなたかが その旨書いていただけると助かるのですが。現在の仕事が終わったら、私が 書きこむところですが、いつになるやら分からないのです。
 まずは取り急ぎご返事まで・・・キュゥ(闇)
1998年09月24日:22時31分38秒
Re: 「〔演技に関する〕部外者、初心者への配慮」(亀Res) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕……へのレスれす / S
 ちょっとした理由で、しばらく総研は見てませんでした。(^.^;)
 従って、ちょっと遅RESになりますけど、「総研 LOG 020」 の、

> 98年09月21日:18時57分05秒
> Re: 「〔演技に関する〕部外者、初心者への配慮」(亀Res) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

 ……に対してレスします。(IE最小フォント2画面分も使ってるのに、建設的ではないですけど (汗))

> で、本稿では、「演技が激しいけれどセッションを破壊しないキャラプレ」のことを、「強いキャラプレ」と区別して、「激しい演技(を用いたキャラプレ)」と呼ぶことにします。
> 想像ですけど、Sさんとこなんかでは、しょっちゅうだと思うのね、「『激しい演技をともなったキャラプレ』によるセッション」。


 えっと、これに応える前に説明。(誤解されると困るし……)
 僕んトコでは10人ほどいますけど、メンバー各自のスケジュール合わせが困難である事から、それぞれ小チームに分かれて主にキャンペーンをプレイしています。勿論、AチームとBチームと掛け持ちもアリだし、その重複は基本。
 小チームといっても、「キャンペーンのテーマや傾向に合わせて、参加メンバーを選択し、環境を最適化する」 だけで、派閥を作ってるワケではないです。作ってもバレます (笑)。
 「サークル代表」 (注:TK代表の事ではないです。彼は便宜上、そう名乗っただけ。H氏とゆー人物で、古参シミュレーションゲーマーにして劇団関係者)、「書記」 (事実上の副会長)、「会計」、「連絡統括係」、この四人が全体を把握していて、年数回は全員が集まる事もあります。
 そして、コンベンション運営などは一切行っていなくて (個人的にたまに行く人物は存在しますけど)、あくまで 「身内のサークル」 です。「全員が友人」 である事が優先されるので、これ以上、大きくするつもりはありません (笑)。

 この環境を説明した上で鍼原さんの引用文に対して……はい、しょっちゅうです (笑)。
 まぁ、「僕とっては」 (つまり、僕が参加している小チームに於いて)、ですけど。(^.^;)

 かつて寺田さんに誤解されましたけど (笑)、ウチにも巧拙差はあります。(^_^;)
 キャラプレに関して言っても、「キャラプレは苦手な人間」、「キャラプレが得意な人間」、「キャラプレ得意な人間」 など多種多様です。
 が、「キャラプレそのものが行われない」 という事は、テストプレイか実験でもない限り有り得ません。
 そうなると、「劇団関係者さえいる環境では、演技が苦手な人間は引け目を感じてしまうのでは?」 とゆー疑問もあるでしょう。
 しかし、ウチでは 「“君ならどうする?”が基本だ。自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を取って、何よりも周りとの調和を図るべし」 と、原理原論が苦手な人間にも分かり易いように提示しているので、演技が苦手だからと言って引け目を感じる必要はないです。
 演技が得意でも、TRPGをより楽しめこそすれ、TRPGが上手い訳ではないですよね。(^.^;)

 もっとも、それは (必要性のレベルこそ違うものの) 意志決定についても言える事です。「意志決定が上手いからと言って、“TRPGが上手い”訳ではない。“全部食えてこそ上手い”」、そう提示しています。
 「意志決定能力がベラボーに上手くて、全体のバランスを取る能力が最低な人間」 と、「意志決定能力が最低で、全体のバランスを取る能力が素晴らしい人間」 がいたなら、ウチでは後者の方が 「TRPGが上手い」 事になります。変な話かも知れないですけどね (笑)。
 勿論、だからこそ 「消化不良という脱落者」 は有り得ます。それは否定しません。実際、この体制が整うまではたくさんいました。そして、以後も有り得るでしょう。(-.-;)
 「全部食え」 とは、あくまでも理想として提示している訳です。だからこそ、上手い人間が拙い人間にプレッシャーを与えないようにとの配慮で、小チーム制が確立されているワケですし、上手い方にサポートを義務付けているワケですから。
 理想は理想、原則としてそれぞれ個人的な欲求を満たそうとする姿勢は肯定されます。その上で一つずつのステップアップがされればなー、とゆー楽観的な半放任主義です。

 (※要点はここからです)

 が、それはあくまでも 「覚悟完了」 していない人間、あるいはサークルの外の類縁関係者に対してのみ!G(T-T;)
 ウチでコアな人間は、「それは建前だ (爆)。本音では、“極めてこそTRPG”だ!(核爆)」 と言いきりやがってますから (超核爆)、このレベルの人間のみで編成された小チームの場合、通常の 「相対的に拙い側へのサポート」 に回しているキャパも全て使って、エンジン全開でブッ飛ばします。システムは重いわ、シナリオは複雑だわ、プレイ時間は長いわ、その上で徹底的にキャラプレやるわ (笑)。
 劇団関係者はH氏の他にも三人いますが、キャラや世界に入り込む能力だけでは、このレベルには付いて来れません (体力が持たないとゆー話もある (笑))。あくまで、「何の要素も犠牲にされない、全てが活かされている状態での演技」 ですから、両立やスイッチングが不完全な訳です。

 鍼原さんの言われる通り、「強いキャラプレ」 と 「激しいキャラプレ」 は違います

● 補足
> 前、Sさんが(T・K代表さんだったかも;汗)どっかに「(キャラプレの一環として)襟を緩めるって動作」をあげてました。
> #アタシはこぉした類の「ちょっとした仕草」は、「演技」と区別して「ジェスチャー」って呼んだらどぉかな、とか思ってますけど。
> 「ジェスチャー」は、一般に「弱いキャラプレ」の一環ですね。


 僕じゃないです (笑)。書いたのは、T・K“エセ”代表ですにゃん。(^.^;)
 「プレイング研究室 LOG 015」、「続々“鏡氏、そして皆様方へ”、『複数のスタイル』、『演技』」 (98年07月02日:21時19分58秒/T・K代表) 中、

> 例えば、苛々している心理描写として、「ネクタイを緩める」 という演技があるとします。

 の事でしょ?
 ……ちなみに、あいつネットから遠ざかってます……最近は色々とストレスあるみたい (苦笑)。
1998年09月24日:22時18分05秒
RPGはどのくらいゲームなのか? / 鋼鉄ドリル
まずは3327氏へ。
すみません、お名前を打ち間違えてしまいました。
どうかお許しください。


asuka氏へ。

いやー、くると思ってました。こういう意見。

わしは多くのRPGに対して純粋にゲームかということに疑問をもっています。
前にも書きましたが、マスターとプレイヤーが敵対者でないという時点でもう既に純粋なゲームとしては問題があります。プレイヤーはマスターに「勝たせてもらっている」にすぎないのです。
いや、もちろんすべてがそうだという訳ではありません。
ルールを遵守すべきシステムではきっちり守るのがスジってもんです。

でもねえ、大ボスに「ふっふっふ、思った通りここまでやって来たな。お前らの考えなどすべてお見通しじゃあ」とかいわせた直後に「今何秒しゃべったからその間に何回攻撃するね」とか言われたらねえ。

他のゲームならともかく、RPGに関してはマスターがルールよりも上位に来るべきだと思います。
1998年09月24日:21時09分52秒
Re:困ったプレイヤーの行動原理 / asuka
鋼鉄ドリル様 wrote:
>ルールプレイの困ったちゃんは「ルールに書かれている(あるいは書かれていない)から」
>という事がすべてに優先すると考える傾向があります。

すいません、ゲームで遊ぶわけですから、ゲームのルールを守ることは優先されていいのではないかと思います。
#ルールを守らなければ、ゲーム自体が成立しなくなるのでは、ないでしょうか?
#確かに、翻訳ゲームの日本語版で遊んでいる所に、その場では使っていないそのゲームの原書のサプリメントを
#持ち込んで、「ここがおかしい」、「マスター間違っている」とかいって譲らないのは、迷惑ですけど。
1998年09月24日:20時57分19秒
困ったプレイヤーの行動原理 / 鋼鉄ドリル
迷惑行為の動機ですけど。

「自分がよければ自分以外の参加者(マスター含む)が不快な思いをしても構わないという身勝手さ」

が一番の要因です。

ロールプレイの困ったちゃんは「自分のキャラはこういう性格だから」
ルールプレイの困ったちゃんは「ルールに書かれている(あるいは書かれていない)から」
という事がすべてに優先すると考える傾向があります。

「それは違う」ということを解らせる事が出来ればたいがいはなおります。

自分の行為が周りを不快にしているという事実に気づいていないという鈍感な人もいます。その場合は、そのことを知らせてあげる事で改善される事もあります。

それでも駄目な人ってのは「俺が良ければ他人が困ってもヨシ!」といっているのだからゲームがどうこう言う前にそっちから治さないとダメってことね。逆に言えばそっちから攻めれば治る事もあるってことね。
鍼原氏は切り捨てるのはよくないとか主張されていますが、誰もそんなこといってないって。狙いをかえてみなって言ってるの。

これは蛇足ですが鍼原氏へ一言。

「考えております」と書いたけど、それに対して「考えただけ」とはどういうことかな。実際にわしは普段から行動しています。「日々実践しております」と付け加えなかったからといって勝手に何もしてないなどと解釈するのは止めて欲しいな。
曲解にもほどがある。


最後になりましたが、3321氏へ。

あなたのおっしゃるとおりです。
ありがとう。
1998年09月24日:20時43分10秒
TRPG総合研究室 LOG 020 / sf
TRPG総合研究室 LOG 020として1998年09月18日から1998年09月24日までのログを切り出しました。

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