TRPG総合研究室 LOG 018

TRPG総合研究室の1998年09月09日から1998年09月13日までのログです。


1998年09月13日:05時19分07秒
キャラクターのシナリオからの離脱 / SHiN
 3327さん
 >SHiNさんのトコで、キャラクタがシナリオから離脱するのはどんな時ですか?
 
 基本的にはご推察の通りです。原則的には終了まで、シナリオから消えてしまうことはありません。
 が、実際にはケースバイケースです。
 たとえば、『キャラクターを離脱させない』てのは、キャンペーンの場合、継続してキャラクターを使用したほうが、感情移入が深まるからである・・ってのが、最大の理由なわけです。が、この精神に反した運用の仕方をプレイヤーが行った場合、つまり、復活できる事を前提に、GMからみて、不自然な行動を行った場合、GMはこれを律するために警告をあたえたりする可能性もあります。
 また、ゲームのスリルが減じそうな場合も、やはり、死亡した場合などキャラクターをロストさせる(と、宣言する)こともあります。
 わたしは、大河もののキャンペーン主体ですが、現在プレイしてるキャンペーンでは、5レベルまでに死亡した場合、原則としてロストとする・・と、開始時に宣言しています。(原則として・・というのは、プレイヤーがゲーム中で、高司祭などとなんらかのコネをとりつけないとは、限らないからです。PCの実力で蘇生させる分には文句ありません。)
 逆に6レベル以後、死亡した場合は、『蘇生のためのシナリオ』を組み込む・・ってことです。(ここでも、原則、蘇生可能とだけされています。PCの失策、ダイスのいたずらなどのために蘇生に失敗する可能性もあるからです。失敗した場合、さらに、蘇生シナリオをやるかどうかは、プレイヤーの感情移入度、ゲームバランスや、演出上の問題、キャンペーン中の状況設定などをもとに判断することとなるでしょう。)
 
 これは、単に、わたしがキャンペーンを2部構成で考えているからで、それぞれのパートでの「狙い」にふさわしい処理をとっているということです。
 だから、わたしは、ポリシーとして、PCの死をどう処理するか決めるわけではありません。
 TRPGの魅力を支える、ゲーム性、感情移入、その他の要素への影響を比較検討して、決定しています。
 (この場合、特定の魅力要素を優先することはありません。常に、等価として扱います。が、キャンペーン指針で、『今回は、お気楽TRPGだ』とか、『ハードで、緊張感のあるキャンペーン』とかを目指していたとすれば、特定の要素を優先することもあります。)
 
 順序が逆になりましたが、「生き返らない死亡」以外のシナリオからの離脱は、わたしはそのような処理を行ったことはありませんね。
 「そういう行動をすると、NPC化しちゃうよ?」とか、「シナリオに参加できないよ」ってのは、プレイヤーの意志決定を尊重しないだけでなく、キャラクターの心情的リアリティを損ない、感情移入を妨げることにもなりますからね。
 
 『そんなことをすれば、シナリオが崩壊してしまう!』って人もいるでしょう。
 そういう時は、制限したり、マスタリングで調整したりすればいいのです。わたしは、それを否定するつもりはありません。
 
 もちろん、それが良いことだとは思いませんし、私はやったことはないですが、
 それはたまたま、これまで私のプレイヤーが行った行動が、私の処理範囲内だったというだけの話で・・
 もし、私の処理範囲を超えそうな行動をプレイヤーが行ったら、わたしは遠慮なく、その行動を拒否したり、GMの権限と私が考える大自然の脅威(笑)を発動したりするでしょう。
 
 やらないのと、やっちゃいけないのは、別の話ですから・・・。
1998年09月13日:05時15分02秒
RE:公開質問 / SHiN
遅くなりましたがベンさんの『公開質問』への解答です。
 
 >Q1 結局、ゲーム以上のものでもゲームじゃないんでもなんでもいいけど、RPGってのは何で、どういうのが理想的だっていいたいの?
 みなさんの意見も参考にしながらいろいろ考えたけど、
 TRPGってのは、結局、ゲームでもなければ、創作でもなく、ひとつのプレイ形態であると考えるのが、どうやら適切なようです。
 つまり、現在のTRPGってのは、サッカーとか、人生ゲームとか、パラッパラッパーとかと比較されるものではなく、スポーツとかテレビゲームとか、そういうものと比較されるべきものなのでしょう。
 
 スポーツに、キャッチボールのような、一般にゲームとは考えられてないものと、野球のようなものが存在するように、TRPGにもいろんなものが存在するのです。これ以上、先へこの話をすすめるためには、『ゲーム』と『TRPG』という概念について再考する必要があるので、今回はここまでに。
 
 >Q2 それってGMに今以上の負担を要求したりしない? いままでの話を聞いてると、やっぱりそう見えるんだよね。だって、GMのやることってプレイヤーのフォローと場の取り繕いばっかりだもん。それって面白いの?
 
 面白いと思う人もいれば、思わない人もいるでしょう。
 面白いと思う人は、積極的にとりいれ、思わない人は、必要最低限とりいれればいいのです。
 
 わたしは、これまでお話してきたような考え方を、GMとして、自分の楽しみのために適用する場合もあれば、セッションの崩壊を防ぐために適用する場合もあります。ベンさんが、楽しいと思えないなら、セッション崩壊を防ぐためだけにお使いになれば良いのでは?
 (いくら、面倒だからといって、そのための努力を放棄するというのは・・個人の自由といえばそれまでですが、私としてはあまりおすすめしないし、そのようなGMに対し信頼をよせることもできません。)
 
 ベンさんは、GMが楽しめない事はなりたたないとおっしゃっいますが、セッションが崩壊しそうな場合、そんなこと言ってられない。
 PC、GMともに、自分のできる範囲でセッションが円滑に進行するように努力すべきなのではないでしょうか?
 で、どうせ、やらなきゃいけない努力なら、楽しくできる方法を考えた方が建設的でしょう。
 (そして、こればっかりは、それぞれのGMが、自分でみつけるしかない。わたしは、プレイヤーの失敗をフォローしてシナリオに盛り込みセッションを盛り上げるという作業に、一種の挑戦とか面白さを感じてますし、プレイヤーを『楽しませる』ということに、エンターテイナー的な喜びを感じています。)
 
 >Q3 「TRPGは創作である」とした場合、創作参加者(敢えてゲームプレイヤーとは言いません)は、何を基盤として場を共有するの? 
 
 本来、世界観を簡略化する形で規定されたルールを、世界観にフィードバックすることによってそれを基盤とします。
 ゲーム的なTRPGにおいて、ルールの不備を、世界観(ワールドガイド)を解釈することによって、『埋める』ことがありますが、ちょうど、その逆を行うわけです。
 これによって、TRPG創作ならではの整合性の高い物語を得ることができます。(ファンタジーならば、魔法でなんでも実現できるという世界観のかわりに、特定の能力の持ち主が、特定の事柄を、特定の魔法を使うことによって、ある確率で実現できるという整合姓の高い世界観を得ることができるわけです。)
 
 >なんというか、「RPGの基盤はゲームだ」とははっきり言えますが、「RPGの基盤は創作だ」とは言えないと思うのよ。
 
 わたしは、創作だけが基盤たりえるなんて、基本的に言ってません。同時に、ゲームだってことも、基盤たりえないと思います。
 (だから、「ゲームが基盤にできると言うならば、創作も、基盤となりえる・・」とは、言っています。これは、基盤という概念レベルが違ってる可能性を考慮しての相対的な意見です。)
 基盤は、ルールであり、ゲームシステム。その上に、創作やゲームなどいろんなものがのっかるっていうのが、これまでの私の基本的な主張です。
 さらに、今回以降の発言からは、TRPGという独特のプレイ形態を、より根本的な基盤とおくことになるかもしれません。
 
 Q4のコンベションうんぬんに関しては、わたしは解答する立場にあるとは思えません。
 わたしは、可能だと思うのですが、それを判断するのは、実際にコンベションでプレイされている方々でしょう。
 どこまでのラインを合格点とするか?によっても、この解答は変ってきますしね。
1998年09月13日:04時23分32秒
Re:議題提示:「悪いキャラクタープレイへの対処」、「部外者、初心者への配慮」 / フォールん

このように議題提示して頂けると書き込みやすいですね、
ありがとうございます
>矢野さん

私の考えた「悪いキャラクタープレイへの対処」ですが
私の考えでは「一緒に遊んでいると迷惑な人」への対
処といった感じになってしまいますね。

いままでに遭遇した「迷惑な人」とは、
「声が大きく不快である」「人の話を聞かない」「一方的にしゃべる」
などの特徴の人が多かったです。

あきらかに実生活(学校や職場)においても少々敬遠されるタイプなのですが、
こういった人に対してはやんわりと注意をするか、出来るだけ一緒に遊ばない
などの方法を取るのが現状だと思います。
彼(もしくは彼女)が、実生活上でも対人関係がうまくいかないのは
何故なのだろうと、いつかは自分で気付くでしょうからそれまで待つのが
一番だと思います。
(現実世界の人生経験を学んで頂きましょう)

しかし、上記の例は「コンベンション」などで出会う「迷惑な人」の場合です。

現実にはTRPGに誘った友人や知り合いなどが、普段も少し他人に対して配慮の欠ける人物で
ある場合もあると思います。

この時はもう少し強く注意することも出来るはずです(友人ですから)
時には衝突して喧嘩になってしまうかもしれません、そんな時は
トコトンまでぶつかってみるのも一つの方法です、男性の場合でしたら
逆にこのような衝突が「友情」を育むケースが多いハズです。
(女性の場合もしくは異性同士の場合は、また違いますけど)

衝突して、話し合ってもその友人の性格が改善されないようでしたら、
おそらくその人とは縁が無かったのでしょう、少し距離を置いて
お互いの友情関係を見つめ直した方がよいでしょう。
(お互いの現実世界の人生経験を学ぶ良い機会でしょう)

これで2種類のタイプの人物への対処方法が浮かんできました。


その他としては、普段は礼儀正しいのにTRPGをプレイする時だけ
「声がやや大きくなって」「人の話を聞かなくなり」「一方的にしゃべる」
といったような「迷惑な人」になってしまうタイプがいます。
(まるで「迷惑な人間」の役割を与えられたかのように)

コンベンションなどで、このような人物と遭遇してしまった場合は
やはり、やんわりと注意をするか、別の機会ではなるべく一緒に遊ばない
ようにするのが現状です。

友人や知り合いだった場合は、TRPGのプレイ後に納得が行くまで話し合えるハズです。
仮に喧嘩になっても本当の友人であるなら仲直り出来ますし、理解し合えるハズです。
(仮に友情が壊れてしまってもTRPGを通じない友人として交遊関係を結びましょう)

これで、おおまかですが4種類のタイプの人物への対処方法となります。

「実生活でも迷惑な人物(他人)」
「実生活でも迷惑な人物(知人)」
「TRPGでは迷惑な人物(他人)」
「TRPGでは迷惑な人物(知人)」


ただ、私が考えるにはTRPG上ではGMという役割の人物がいる訳ですから
GMである彼(もしくは彼女)がTRPG上のルールを守るように注意(ジャッジ)できるハズです。

多くの「TRPGでは迷惑な人物」はそのGMの注意(ジャッジ)に対して不満を
言うようです。
しかし、ここは毅然とした態度で注意(ジャッジ)しましょう。
(GMが注意(ジャッジ)できる権利があることも理解して頂きましょう)

「TRPGでは迷惑な人物(知人)」である場合ならいくらでも時間をかけて
話し合えるでしょう、TRPGをプレイする機会はいくらでもあるわけですから。
(それでもお互いを理解出来ないのなら目指す理想の違いです、TRPGを通じない 交遊関係を結びましょう)

目指す理想の違いを統一するには、やはり書籍やインターネット上に多くある
論文、コラムなどを全員が読むことだと思います。
(4タイプすべての人物に読むように勧めることが出来るハズです、場合によっては
GM役をするときに集まったメンバーに自分の得た知識を伝える方法もあります)

不完全なまとめですが

「場合によっては現実世界の人生経験を積んで頂く」
「目指す理想を統一する(話し合う)」
「GM時には出来る責任を果たす(注意(ジャッジ)する)」

以上の対処方法を考えつきました、多少は具体的な方法だと思います。

最後に、私自身はコンベンションなどで「初対面(他人)」とTRPGをプレイした 経験が3回しかありません。
その為、コンベンションなどでの対処方法としては不適切な部分も多いと思います。
(「迷惑な人間は排除しろ!」的な考えだと思います)

ただ、私自身の信条としては「一緒に遊んでもつまらないヤツとは最初から遊ばない」
という考えで今まで生きてきました。
だから逆に「コイツはつまんないヤツだけど、根は良いヤツだからいろんな遊びを教えて 楽しいヤツにしてやろう!」
という考えで友人を選んでいます。

そんなわけでその部分については、コンベンションなどで経験を積んでいらっしゃる
他の諸先生方の具体的な対処方法が書き込みされることに期待しております。


では。
1998年09月13日:02時10分18秒
コミュニケーション / ベン
 > RPGはコミュニケーションのゲームです。ダイスを振ることも、意志決定をす
 >ることも、演技をすることも、コミュニケーションの手段として同格であるべきで
 >す。どれが正しいとかいうのではなく、「一番自分が得意で、他人に受け容られや
 >すい手段」が、その人にとっては正しいのです。
 
 いやいや、ダイスを振ったり意志決定をすることはコミュニケーションの手段で はなく、ゲームの本質とルールであり、ゲームに参加するからには「受け入れない といけないこと」であって、受け入れられやすいとかいう問題じゃなく、「そのゲー ムに参加する以上受け入れないといけないこと」でしょう。一方、確かに「演技を すること」ってのは、コミュニケーションの手段ですね。
 
 ある人たちにとって、意志決定したりダイスを振ったりすることがコミュニケー ションの邪魔になり、しかも「コミュニケーションを取ること」が目的なのなら、 そもそもそのゲームをやらないほうがいいんじゃないでしょうか? 
 
 ゲームに参加する人たちの目的として容易に想像できる目的は「_そのゲーム_ をたのしむこと」であって、ゲームをすることによって別種の楽しみが得られると しても、それはおそらく副次的な楽しみでしょう。
 
 
 
1998年09月13日:02時05分19秒
考慮することと、表現すること / ベン
 あー、馬場コラムにおいて使われている「キャラクター・プレイ」という言葉が 指すのは「演技」ではなくて「キャラクターの個性を表現すること」でしょう。
 
 根拠:「馬場秀和のマスターリング講座」第1部においても
 
 > ところが,RPGが普及するにつれ,「役割分担のロールプレイ」「社会的ロー
 >ルプレイ」を行うだけでは不満なプレーヤーが出てきました。彼らは,PCの個性
 >も表現したいと考えたのです。
 
 > これは,悪くない考えです。PCの性格や個性をうまく表現することが出来れば,
 >感情移入が促進され,ゲームはより面白くなります。
 > そこで,このようなロールプレイを「キャラクターのロールプレイ」と呼ぶこと
 >にしましょう。「キャラクタープレイ」と呼ぶ人もいるようです。
  
 と書かれてますからね。
  
 -------- 
  
 馬場講座、馬場コラムで一貫して言われているのは「キャラクターのバックグラ ウンドや立場、個性を意志決定の一つの要素として考えながら、どうするかを決め ることはロールプレイであり、RPGの根幹をなす要素だが、『キャラクターの個 性を表現すること』はそうではなく、感情移入を促進するための味付け だ」ってことでしょう。正直意って、キャラクターの個性を表現しなくちゃいけな いなら、僕は非常に窮屈です。でも、キャラクターの個性を考慮しながら、なるべ くゲーム的にも、キャラクター的にも矛盾しない、自分が最良だとおもう手段を考 え決定することは、非常に面白いと思います。しかし表現となると別です。
  
 僕もまあ「キャラクター・プレイ」という言葉を一貫して「キャラクターの個性、 人格を_表現する_こと」として使ってきました(「演技」ということばを安易に つかって迷惑をかけたこともありますが)が、「キャラクターの設定を考慮してど うするかを決める」ということまでキャラクタープレイに含んで議論されていたな んて、たった今知りました。うーむ、迂濶だったのでしょう。
   
 というわけで、ここで意見をいってみますと、「キャラクターの人格を表現する ことはRPGの目的ではなく、味付けだ。キャラクターの人格を考慮して意志決定 することは、『広義のロールプレイ』だ」ってことになりますね。
  
 で、実際のとこ、この場で「キャラクターの設定を考慮して意志決定すること」 自体を否定したひとって、いるんですか? やりだまに上がってることってやはり
「キャラクターの個性の表現をして、それを受け入れてもらおうとあがいて、受け 入れてもらえないと不機嫌になるやから。あるいはキャラクターの個性を表現しあ い、互いに受け入れあうのがRPGにおいて重要であり、これからは『いかに表現 するか』という手法を発展させていくべき、と主張すること」じゃないんでしょう か?
  
 #個人的には、これって受け入れてもらうことを過剰に期待しすぎでわ。
 #受け入れてもらえないことが多いにありえるが、受け入れてもらえるように
 #相手の気持ちを考慮して自分なりに工夫する、なら納得行くけどさ。
  
 僕、表現するためにゲームしてるわけでも、感情を共有したいからゲームしてる わけでもありませんからね。他人のキャラクターが「どういう人格なのか」っての を表現されても、こっちは興味がない、としか言いようがない。興味がないから、 おそらく望んでいるリアクションもとれません。
  
 RPGという高度な意志決定を行うゲームが他のゲームより面白いから、RPG してるんです。表現となると別です。ただ自分のキャラクターの「個性」とやらを 表現するためだけ(これって個人的な楽しみでしょう)に、他者にまで個性を表現 するリアクションを期待するってのも、酷ではないかと。
  
 僕、お地蔵さんはRPGに参加する資格はないと思います(何も決めないし、ゲー ムに参加する気がないから)が、キャラクターの個性を表現しないからってRPG してないことになっちゃったらすごく嫌なんですが、どうなんでしょう。意志決定 をしないこと(考えないで決めることもゲームにおいては意志決定とはいいません) は駄目だけど、表現しないことってのは許容できるのね。
  
 僕がいってることって要するに「それって、ただでさえ複雑なRPGをより難し くして、ほんの一部の人しか楽しめないものにしてませんか。一部の人にしか楽し めなくなることって、発展とは言えないよね」ってことなんですよ。
 
 正直いって「おいおい、いつからRPGって表現するための媒体になったんだ。 これってゲームだろ」と言いたい。
  
 「いいや、キャラクターの個性を表現することをより重視していくことによって RPGはより分かりやすく面白くなり、従ってより多くの人が楽しめるものになる のだ。これは誰にでも容易に理解できるし、参加もできる。」 と主張される方がいるなら、聞いてみたいところ。
 
1998年09月13日:01時52分41秒
はじめまして / 鋼鉄ドリル

お初にお目にかかります。鋼鉄ドリルといいます。よろしく。 なにやら盛り上がってるご様子ですが、演技を強調したプレイスタイル(キャラプレイ、ですか)って、そんなに悪いですかね。あれはあれで大変楽しいものだと思います。

自分は極端なシステムを好むたちでして、いわゆるロールプレイ重視か、あるいはゲーム性重視かがはっきりしているものが好きです。この二つは特殊な例外を除いて相容れないものであると考えているからです。しかしソードワールドをはじめとして、国内で普及しているRPGはロールプレイとルールプレイの中間点を狙ったものが少なくありません。そのために参加者それぞれがもっているRPGに対する主観の違いから様々な軋轢を生んでいるのです。

「ロール」にも「ルール」にもそれぞれ大きな魅力があります。自分が極端にどちらかに寄ったシステムを好む理由は、真ん中を狙ったシステムでは両方が楽しめる代りに両方ともそれなりにしか楽しめないからなのですが、「ロール」を楽しみたい参加者と「ルール」を楽しみたい参加者の間に対立が起るからでもあります。「参加者」には当然マスターも含まれますが、特にマスターとプレイヤーの間でこの意識に差があった場合、多くは不幸な結果をみることになります。

重要なのは、参加者がそれぞれRPGに何を求めているのかをはっきり自覚し、それに適したシステムを選択し、それぞれのシステムに応じたプレイを心がけることです。当たり前のことなのにこれがわかっている人は少ないようですね。

演技過剰の困ったちゃんにも悩まされますが、ルールを絶対視してマスターの進行や決定事項に従わない連中だってやっぱり迷惑です。こいつらの問題はマスターの意図や他のプレイヤーの考えやセッションの流れなどといったものに対する配慮が欠如していることであって、それが噴出するのがロール側かルール側かというだけのことです。要するに自分勝手な奴が迷惑なのであり、特定のプレイスタイルが悪いのではないということです。

マスターはプレイの前にこれから始めるゲームはどういう傾向のシステムで、どういったプレイスタイルが適しているかをきちんと説明し、不慣れなプレイヤーがいる時はセッション中にもうまくフォローすることが大切です。 当然ながらシナリオもシステムの長所をできるだけ生かすようなつくりになっていなければならないし、でなければそのシステムをつかう意味がありません。

また、RPGを単なる戦闘ゲームとしか考えていない人にはぜひとも演技の部分の楽しさを知ってもらいたいし、逆にキャラとしての部分にしか興味のない人には、ゲームにはゲームの面白さというものがあるのだということをわかってもらいたいと思います。そしてゲームマスターやベテランプレイヤーは未熟な人たちにそういったことを指導していく必要があると自分は思っています。

結局、RPGが一人で遊ぶものでない以上、他の人に対する配慮を忘れてはならないという事です。月並みですが。それさえ意識していればどのようなプレイスタイルであっても問題はないと思います。
1998年09月13日:00時32分11秒
議題提示:「悪いキャラクタープレイへの対処」、「部外者、初心者への配慮」 / YAN/矢野 聡一郎
 
 
 先ほどのはリンクミスでした>略語辞書
 
 ところで、現在話題に上がっている、馬場さんのコラムに関係しての「キャラクタープレイ(以降キャラプレと略)」の問題って、単に言葉の定義、及び言葉づかいだけの問題のように思います。
 
 言葉づかいがキツいという点で不満を感じるのなら、その旨を直接、馬場さんに告げるべきじゃないかなぁ…。(というわけで、早速馬場さんにその旨メールさせて頂きました。先ほどその返事を読ませてもらったのですが、素直に納得して頂けたみたいですよ〜)
 
 少なくとも、このボードで議論する内容では無いと思います〜。
 
 で、ここで終わっちゃうと議論ストッパーになってしまうので(汗)、関連する議題を提示させて頂きます〜。
 
 「強いキャラプレ」に問題があるとしたら、そのどこに原因があるのか?どういうキャラプレが悪いのか?それはプレイヤー(以降PLと略)自身の問題なのか? 
 
 また、問題点を浮き彫りにすることで、
 
 1.どうすれば(自分自身で)悪いキャラプレを良いキャラプレに変えることが出来るか
 2.どうすれば(他のPLの)悪いキャラプレを良いキャラプレに変えることが出来るか

 
 これに関しては、前に鍼原さんがいわれたようにプレイング研究室で話すべき内容かもしれませんが。ただ、2に関してはGMの立場で考える場合もありますし、マスタリング研究室と分離して話を続けるのなら、このボードで統一して話し合った方が後で読みやすいかもしれないですね。
 
 また、今回の馬場さんの意見の発端は、「部外者および初心者が、TRPGにおける演技を見た場合の悪印象」だと感じましたので、
 
 「部外者の方、初心者の方から悪印象を持たれない為には、どういう事に気を付けたら良いか」
 
 という話をするのも、有意義であるように思います(キャラプレだけの話ではなくなりますけど)。如何でしょう?
1998年09月12日:23時28分28秒
略称の付け方について(>Prof.Mさんへ) / YAN/矢野 聡一郎
> Prof.Mさん
 
 早速お返事頂き、恐縮です〜。
 
> 前発言では『略称』としましたが,正確には「ゲーム用語の省略形式の呼称」の事を指します。
 
 あっ!…いや、どうやら私の方でも勘違いがあったようで。
 頭の中で、「略」称を「敬」称と認識してしまっていたようです。いや、お恥ずかしい。失礼致しました。
 
 人物の呼称の問題ではなく、略語の横行に対しての危惧だったわけですね。
 
 うーん…確かに、用語の定義を明確にしないまま話を進めるのと同様に、過度の略語は参加者の理解を妨げる点で大きなデメリットではありますよね。
 
 そうですね…多少面倒であっても、出来るだけ略語は使わない、あるいは「ソーシャルロールプレイング(社会的役割分担。以降はSRPと略す)」という風に、冒頭で略語の内容を明らかにすれば問題が少ないでしょうか?
 
 あるいは略語集のボードを作って、そこにリンクを張るとか…そういや、sfさんがTRPG略語辞書というページを作られてましたね。(…でも、リンク張る手間を考えると、あまり良い方法じゃないな;^^)
 
 まあ、「TRPG」等、あまりに一般的な略語はともかく、そうでない略語を使う場合には、多少なりとも留意した方が吉かもしれないですね。(このボードで良く使われる略語でも、新規参入者には理解しづらいし、「過去ログで説明されてる」といっても、過去ログのどこを探せば良いか分からないから手間が掛かりすぎますしね。)
1998年09月12日:23時23分41秒
Re:Re:ヒカせるキャラプレについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

>ここの人ってどうしてみんな小難しいこというんだろう、あたしわかんなーい

そら、インターネットは誰が見てるかわかんないですからですわさ(アタシの「ヒカせるキャラプレについて」は、そぉなのです)。
アタシはパソ通の初期の頃のことやBBSのノリについては知りませんけれど、インターネット、バンバン普及して、若い子もジャンジャンアクセスしてる様子は肌で感じてますから。
#今週だって、(レズ)ビアン志向の女子高生の、身の上相談をチャットうけちゃったりしてるのよ(苦笑)アタシとか。

旧聞に属するけれど、T・K代表さんとこのマコちゃん(女学生)が書込みしたときに「(過去の書込みで)私みたいにマンガやアニメ好きが非難されてるみたいだけど、書込じゃいけないのでしょぉか?」みたいなこと気にしてたじゃないですか。
あのときはアタシとGMNさんとが、急いで、「そぉゆぅ意味じゃないよ」、ってRes返したんですけれどね。
マコちゃんにヤオイセッションを挑んだ(苦笑)センパイたちだっていつ見にこないとも限らない(笑)。

ってゆぅか、中学・高校の仲間内で「強いキャラプレ」でTRPG遊んでる若い子が見に来て「そっか、インターネットでTRPGの話ししてるよぉな人たちって僕達みたいの虫って思ってんだ」とか受け止められちゃってからじゃ遅いじゃないですか。
「いや、コンベンションでそれやらなければかまわないんだよ」とかゆったって遅いと思うのね、アタシ。
大体、勇気を持って書き込むマコちゃんがひとりいたら、その背後に数倍〜十倍のROMの子供たちがいるって、思うくらいでちょうどよいんじゃないかなぁ??

#違うでしょぉか?>ALL??
1998年09月12日:23時21分27秒
「キャラクタープレイに関するひとつの疑問」の補足(RE:うーむ・・・) / 鏡
 MARSさん、鍼原神無さん、宇津見さん、はたのさん、もちづきさん、 私の質問にお答え下さり、まことにありがとうございました。
 お蔭様で、私にとって理解し難かった「キャラクタープレイ」というものが、 おぼろげながら見えてきたような気がします。この件につきましては、 後日書き込み、皆さんの意見を再度お聞かせ願いたく考えております。 その節はよろしくお願いいたします。
 
 さて、私の設問
 >あなたが“「キャラクタープレイ」無しのRPG”というのをプレイするとした場合、
 >それはどのようなものとなると思いますか?
 に対し、寺田大典さんから次のような注意を頂戴しました。
 
 寺田大典さん
 >「強いロールプレイ」の悪い所は、他人への配慮、ゲーム性の排除を行った
 >「演技だけで行うTRPG」の事を指しているみたいです。
 >MARSさんや鍼原神無さんもその部分で認識のずれを起こしている様な気が
 >します。で、ちょっと問題かなーと思うのは、宇津見さんや鏡さんの提言や質問
 >での用語の規定は、「馬場さんの最新のエッセイ」がベースになってますよね?
 >それを説明しないと、馬場さんの規定した用語がグローバルスタンダードでは
 >ないですから、混乱が起こってもしょうがないと思います。
 
 この注意にお答えいたします。
 私が用いた「キャラクタープレイ」は、むしろこちらの掲示板で(おそらくはかなり広い 意味で)用いられている語を想定したものです。
 加えて言うに、それと、馬場秀和さん の今回の論考で挙げられた「キャラクタープレイ」が指すものとは、違うものでないと 考えております。(厳密には、後者は、前者の一部であると判断しております。)ですから、 MARSさんや鍼原さんのご回答は私にとって納得のいくものでありました。
 
 むしろ私の設問が後者の意味をそのまま用いたとの判断が、混乱をもたらしたのでは ないかと心配しております。森合亭(Prof.M)さんからも、用語の定義に混乱があるとの ご指摘がありましたが、これら混乱の責任の一端は、設問に当たって「キャラクタープレイ」なる言葉の意味を はっきりしなかった私にあります。
 この場をお借りし、皆さんに深く陳謝申しあげると共に、今後は注意する様心掛けます。
1998年09月12日:12時58分57秒
まぁまぁ>武石さん / metral
 そう言う言い方では余計なこじれが生まれますよん。
 
 おちついて。
 茶々でございました。
1998年09月12日:12時36分34秒
RE:補足:Re:RE:用語と用語法(キャラプレ関連) / Prof.M
>鍼原神無〔はりはら・かんな〕さま
ご指摘の発言を確認しました。
で,要望なんですが,馬場氏のコラム内における用語の定義と,鍼原神無〔はりはら・かんな〕氏の用語の定義の差異について,もう少し詳しく(できれば平易かつ簡潔に,って矛盾しているかな?)説明していただけないでしょうか。
馬場氏の用語を鍼原神無〔はりはら・かんな〕氏の用語で定義した場合,どのように記述されるかがわかると,双方の主張の違いがより明瞭になると考えますが,如何?
1998年09月12日:12時35分02秒
Re:キャラクタープレイは害か? / 武石
>恐らくこの掲示板に私が書き込むことは当分ないだろうと思われます。
 私個人への意見、反論等がございましたらメールでお願いします(返事に一週間程度かかると思いますが)。

 当掲示板で発言された事は、当掲示板で責任を持って決着を着けていただきたい。このような書き逃げは、最低の行為であることを自覚すべきでしょう(「こんなんなら、最初から書くな!!」と言いたい)。

>我々は現在、わずかな可能性には目をつむって生活しています。
 目に埃が入って失明するかもしれないから、風を止めようという人はいません。
 原発も農薬も、害の可能性に何とか蓋をして、利を享受しているのです。

 原発も農薬も害の方が大きいので、禁止もしくは大改良を施しています。その辺を考えると、この部分の記述は「キャラクタープレイ派」にとってマイナスになるのでは(キャラクタープレイはダイオキシンやDDT並みか)。

>以上、思い付くままをつらつらと書き並べさせていただきました。

 まあ、これだったら、全編に渡って「トホホ」な内容になっても、仕方が無いのかもしれません。

 あっ!! 九十九兵部さんは「傷付きやすい人」だったのかな? だから「反論はメール」でなんて、一番傷付かなくて済む方法を!
1998年09月12日:12時20分14秒
RE:RE:用語と用語法(キャラプレ関連) ( 森合亭(Prof.M)さんへ) / Prof.M
>YAN/矢野 聡一郎さま

こんにちは。氏の発言には考えさせることが多く,いつも興味を持って読ませていただいております。

>> #他にも用語(特に略称の付け方)について突っ込みたい点はあるのだけど,

 
> 実はけっこう気になるのですけど…馬場「さん」がまずいのでしょうか?馬場「氏」のほうがまずいのでしょうか?それとも両方でしょうか…?

 
> どこがまずいのか、よくわからなかったです。宜しかったら、教えて下さいませ。

え〜これは私の書き方がまずかったですね。別に人名の呼称の事を指しているわけではありません。私自身どう相手を呼ぶか,迷いながら書いていますし(^^;),ここで発言されている方々の言い方に問題があるとは考えておりません。極論してしまえば,敬称の有無/付け方のスタイルのいかんに関わらず,発言の内容がまとも(主張の正当性には関係なく,論旨が明確で支離滅裂になっていない)であればなんら問題はないと思います(感情的になって論旨が整理されていないとか,そもそも意味のない文の集まりになっている発言は人名に敬称を付けようと付けまいと論外)。
前発言では『略称』としましたが,正確には「ゲーム用語の省略形式の呼称」の事を指します。「英単語由来のゲーム用語の省略の仕方」に対して『これはおかしいんじゃない?』と常々考えていたものですから・・・私だけが変に拘っているだけかもしれませんが。前発言でも言っているように議論の内容に関わる事でもないし・・・ここで発言することではないですね。失礼しました。


#「森合亭」のハンドルは一応,使用目的を限定して使っているので,以降「Prof.M」に戻しますね(誤解を受けやすいのだけどね,このハンドル)。


1998年09月12日:11時37分49秒
Re:キャラクタープレイは害か? / でぶ猫
 >上二つの理由が確実なものでないとすれば、馬場氏が主張するキャラクタープレイ軽視の理由は主にこれだけになります。
 
 少々強引ではありませんか?  九十九さん(でいいですよね?>きるとこ)のいっているのは「統計的根拠がない」という だけで、論理的反証および統計的反証を提出されたわけではありません。
 つまり、まだ馬場さんの論理を否定できてはいないわけです。
 しかも、馬場さんは論理的根拠を提出していますから、そのかぎりにおいてはまるで反論になっていません。
 統計的反証を行なうか、論理的反証をまずこころみるべきではないでしょうか?
(実際、他のアンチ馬場講座な方は論理的反証を試みておられます。しかし、統計的反証を試みられた方は まだいなかったようですから、どなたかきちんとした調査をされると非常に有為なのではないかと思います)
 
 意志決定(囲碁には意志決定があります。非常に完成度の高いゲームですね、あれは)の有無とゲームとし ての寿命についてもやや言うべきことがあるように思えますが、まずはこれだけ。
1998年09月12日:11時10分38秒
Re:ヒカせるキャラプレについて / でぶ猫
 いやー、そんなに構えなくても、初心者、部外者への気配りを忘れずに、「ちょっと やりすぎかな」ということのないようにすればいいだけじゃないですか。
 ☆むずかしく考えることなんか、何もないですよ。自己中になんなきゃいいだけです。
(ここの人ってどうしてみんな小難しいこというんだろう、あたしわかんなーい<わしがいうか(笑))
 
 実際、馬場コラムでいうところの弱いキャラプレだったら、確かに楽しそうでひかれる人もいるでしょう。
 
 それと

 #演技はよくない→なぜか→初心者&未経験者を引かせるから→なぜ引かせるのか→恥ずかしいから→なぜ恥ずかしいの か→いいとししてままごとしてる変なヒトみたいだから
 
 たぶんこっちじゃないですかぁ?
 やめた人(妻の昔の同僚さん)は「恥ずかしい過去」といっとったそうです>TRPGやってたこと
(きっと我にかえっちゃったんでしょうねぇ)
1998年09月12日:10時30分12秒
多分そういうのが水掛け論になっちゃうのかな。 / Dandan

> 98年09月11日:20時01分41秒
> 将棋に関する簡易レス / MARSさん

リプライありがとうございます。
まず、本文でMARSさんの文を引用しましたが、それはこの論議の最初の発言者で問題提起されたので引用させていただきました。MARSさんへの個人攻撃ではありません。
次に、私のいいたいことは「まとめ」に書いてあると思いますが、それ以外の突っ込みでは揚げ足取りではないでしょうか?
最後にリプライいただいた内容、

> また、馬場氏のマスタリング講座でも”多層構造の意志決定”でRPGでは佐藤氏と田中氏の目的を両方満たすべきとしています。
> つまり”漫画のキャラの模倣”と”将棋で勝つこと”は同列の目標となり両方満たして初めて”正解”なのです。
> 最も将棋には”多層構造の意志決定”は存在しませんので”将棋”の視点から見れば田中氏の意見が正しいです。

ここで、馬場氏のマスタリング講座の「多層構造の意思決定」をもってくるのは誤りだと思います。ご指摘の問題は第二章の「多層構造の意思決定」以前の問題です。
そもそも、マスタリング講座に「プレイヤーの目標」は何でもいいと書いてありますか?
すでに第一章でそれを否定していますが。

#しかし、現実の問題を解決されるのが最優先でしょう。(^^)
1998年09月12日:09時25分26秒
「TRPGはホントにゲームなのか」、場所を変えます / S
 「TRPG総合研究室 LOG 017」 の 「TRPGはホントにゲームなのか」 (98年09月07日:16時30分10秒/S記) ですが…… (苦笑)。

 現在、総研はちょっと盛況なので、話題交錯を避けるべく、陽陰さんの勧めで 「TRPG改善委員会」 に場所を移したいと思います。(現行ログ 010です。切り出された後は一覧である 「TRPG 改善委員会 ログ」 から辿って下さい)
 
 興味のある方はどうぞよしなに。
1998年09月12日:08時54分00秒
ヒカせるキャラプレについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
当掲示板での最近の議論を読んでいますと。
○「ゲーム進行より演技を優先させてしまうキャラプレ」は一般に同卓メンバーをヒカせる
○特にTRPG未経験者及びビギナーに悪印象を与える
○だから演技を追求すべきでない
といったコンセンサスが成立しつつあるかにも見えます。
アタシはつい最近、必ずしもそぉではない、、つまりうえの論旨は一般的にゆえることではない、と思える経験をしましたのでご報告します。
#あらかじめお断りしておきますけれど、本件書込みは、「ScoopRPG」に公開された馬場氏の新作コラムの内容とは関係しません。

先のJGCでのことですけれど、実は今年のJGC、運営が大変だったらしく、当日の運営スタッフにはTRPG愛好者でない人が結構いたよぉです。
主にSFサークルなどから応援に呼ばれたそぉで、個人的に知っていたSFサークルのTRPG非経験者を通じて、2泊3日の会期中アタシ個人がお話をすることができたTRPG非経験者スタッフだけで、5〜6人おられました。

アタシの印象に残っていますのは、この5、6人のかたのほとんどのかた、、4、5人のかたが「TRPG面白いそぉ、また遊びたい」とゆってらしたことです。
この件に関しては一行掲示板にてGMNさんとやりとりをしたので再録しちゃいます。

一行掲示板
98/09/11:10:05:38 GMN
それはきっとみんながいいカオ(楽しそうな顔)してセッションしてたからですよ>「面白そぅ」
98/09/11:10:07:02 カンナ(鍼原神無)
あぁ、、ステキなことゆわれますね<いいカオ//アタシはただ巨大イベントの雰囲気に飲まれたのかと(苦笑)<「面白そぉ」
98/09/11:10:07:07 GMN
なんかよう解らんけど楽しそうにやってるな〜 みたいな感じで。でもそれってスゴク大事な事だと思うです。

#〔カンナ特記〕GMNさんが個人的には「キャラプレ嫌い」と公言されていることは特にお断りしておきます。

JGCの現場で遊んだ一参加者としてコメントするのですけれど、TRPG未経験の当日スタッフ諸氏が垣間見たセッション風景にはありとあらゆる幅のものがあったのですよ。「ウィッチクエスト」もあれば「D&D」のタクティカルコンバットもあれば、「天羅」もあった。演技に関してもJGC会場の内で決して珍しいものではなかった。
だいたい、TRPG未経験者が端から見ていて、ある演技が「ゲームの進行」より優先されたものかどぉか判断がつくと思います? アタシはつかないはずと思うな。特にスタッフ分担の休み時間に見ている程度ではね。

アタシは「演技」があっても、条件さえ整えば楽しくプレイすることは可能だと思っていますし。楽しくプレイできれば、未経験者や初心者だって常にヒクとは限らないと思います。

#演技はよくない→なぜか→初心者&未経験者を引かせるから→なぜ引かせるのか→恥ずかしいから→なぜ恥ずかしいのか→演技だから
#これは循環論法とゆぅもので、この論法から、どんな演技のどんなところががまずくいのか、って前向きな議論は出てこないですよね。

課題は、いくつかあります、、
1.楽しくプレイできる演技の条件を見極めること、
2.ヒカせない演技のノウハウを演技派の人たち自身が追求すること
3.演技が強制されてはならないってコンセンサスをゆきわたらせること、
4.同時に演技の禁止も強制されたはならないってコンセンサンスがゆきわたること
5.迷惑な演技を出された、と感じたときのPL個々の対応法のノウハウを練り上げること

、、などではないでしょぉか?演技にしろ何にしろ、基本はセッション参加者の自由意志で選択されるべきです。
アタシが迷惑と感じた演技を同卓の他のPLさんは迷惑と感じていないかもしれません。
アタシは直接口に出して言っちゃうんですよ、ゲームが終わった後の感想会とかで「あなたのあそこの演技は長くって迷惑だったわ、、でも別のとこはかっこよかったよね」とか
個人的意見としては、一般論として演技を禁止するよぉな風潮が出なければよいと願っています。

GMさんが一個人の姿勢として演技禁止のマスタリングスタイルを打ち出すことはあるかもしれません。アタシにも理解できます。
演技禁止のGMさんが集まって演技禁止のコンベンションが持たれる可能性もあるかもしれません。
思考実験にすぎませんけれど、その辺からですね、アタシが気になるのは、、もし、仮に、演技禁止のコンベンションが成立したとしてコンベンション主催者が、果たして「どこからを演技と判断し、どこからを演技でないとするか、明確な判断基準を公に打ち出せるか?」、が気になります。
納得がゆく判断基準が打ち出されるなら、そのコンベンションを個人的に支持しますし、そぉでなかったら、アタシは行かない、、それだけの話しなんですけどね。

P.S.アタシは早速、JGCスタッフをしていた知人のSFファン(TRPG未経験者)を、明日13日のコンベンションに誘い出しました☆
1998年09月12日:08時43分12秒
訂正:「“強い”RPG」>「“強い”キャラプレ」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@森合亭(Prof.M)さんWrote(当掲示板,98年09月12日:02時06分35秒,「RE:用語と用語法(キャラプレ関連)」
>馬場氏の当該記事内に「“強い”RPG」なる用語は出てきません。
>引用は正確に。論旨の混乱を招きます。

#失敬しました、ご指摘の意味を理解しそこねていました。申しわけありません。
#謹んで訂正させていただきます。

「用語と用語法(キャラプレ関連)」(当掲示板,カンナ記,98年09月11日:18時17分15秒)
×筆者は「“強い”RPG」なんて用語を持ち出すより、「演技」とストレートに言ったほぉが、広い読者に対して論旨がわかりやすいかったはず

○筆者は「“強い”キャラプレ」なんて用語を持ち出すより、「演技」とストレートに言ったほぉが、広い読者に対して論旨がわかりやすいかったはず

上記訂正に関する、「Re:RE:用語と用語法(キャラプレ関連)」(当掲示板,カンナ記,98年09月12日:07時17分46秒)での、「ご批判には及ばないかと存じます」の発言も撤回させていただきます。
失礼を申し上げたことおわびいたします。
1998年09月12日:08時24分20秒
キャラクタープレイは害か? / 九十九兵部
 キャラクタープレイは本当に害毒でしかないのでしょうか?
 
 「馬場講座」はキャラクタープレイ重視のロールプレイを否定する理由を次のように挙げています。
 
 ・キャラクタープレイはその巧緻を見極めることが困難である。
 →ゆえにキャラクタープレイ上達のための方法論を挙げることは出来ない。
 →だからキャラクタープレイは上達しない。
 →上達しないゲームに対して努力がなされることはない。
 →努力を必要としないゲームにはやがて飽きがくる。
 →キャラクタープレイに飽きた人間はTRPG自体をやめてしまう。
 →そのためTRPG人口が減り、やがて業界全体が衰退してしまう。
 
 または、
 ・キャラクタープレイ重視のプレイを行うのならば、システムは各ジャンル一つで充分である。
 →だからキャラクタープレイを行う人間は新製品を買わない。
 →ゆえにキャラクタープレイは新製品の発売を阻害する。
 →製品が次々と売れなければメーカーはTRPGを発売するのをやめてしまう。
 →メーカーが減ればTRPG人口も必然的に減り、やがて業界全体が衰退する。
 
 「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉をご存知でしょうか?
 風が吹いても必ず埃が舞うとは限りません。
 埃が立っても確実に目に入るという保証はありません。
 埃が目に入った程度で失明することはほとんど有り得ないでしょう。
 こうしてみると、最終的に風が吹いたことが原因となって桶屋に金が入る可能性は、ほんのわずかになってしまいます。
 
 上記二つの文はそれぞれ下段の状況が起こりうる「可能性」を示しているに過ぎません。
 「必ずそうなる」という保証はないのです。
 
 古今東西、星の数ほど現れ、また消えていった遊び(非生産的活動の意)の中で、意思決定が無いことが原因で潰えた遊びがどれほどあるというのでしょうか?
 現在ある、コスティキャン小論が定義する「ゲーム」に当てはまらない遊びはすべて、やがては行われなくなってしまうのでしょうか? またそれらの寿命は「ゲーム」と比して必ず長いと言い切れるでしょうか?
 
 私は寡聞にして、碁の新製品が出たという話を聞いたことがありません。
 江戸時代以降ルール変更のないこのゲームは現在、だれにも遊ばれなくなっているでしょうか?
 
 我々は現在、わずかな可能性には目をつむって生活しています。
 目に埃が入って失明するかもしれないから、風を止めようという人はいません。
 原発も農薬も、害の可能性に何とか蓋をして、利を享受しているのです。
 
 さて、「キャラクタープレイが吹けばTRPGが潰れる」の可能性はどのくらいでしょう?
 確実なことを言うなら、これはもう実験するしか方法がありません。
 ルール重視のシステムとキャラプレ重視のシステムを10万サンプルずつほど同時に販売して、売れ行きの推移をチェックしていくとか。
 TRPG業界と同じような構造を持つ業界を1000サンプルほど旗揚げさせて、意思決定派とキャラプレ派で潰し合いをさせるとか。
 
 「そんなことをしなくても現実にTRPG業界が今、衰亡の危機に立たされているじゃないか」という方は、その衰亡の理由が「確実に」キャラクタープレイに起因するものである、という事例を統計学的に信頼に足ると思われる数だけ持ってきてください。
 確実な証拠も無しに、可能性だけをもってヒステリックに他の排除を叫ぶなら、それは魔女狩りと変わりません。
 
 上二つの理由が確実なものでないとすれば、馬場氏が主張するキャラクタープレイ軽視の理由は主にこれだけになります。
 
 ・私にはキャラクタープレイは気持ちの悪いものに思える。
 →だからキャラクタープレイは排除すべきだ。
  
 この「私には」の部分が「社会的には」であろうが「九十九兵部以外のすべての人間には」であろうが同じことです。
 およそ法によって保証された、あるいは制限されていない行動を行っている者に対して、個人的な感情のみを理由に、誅滅せよだの隔離しろだのいうのは「ガキのすること」です。
 気持ち悪いのならばそちらが距離を取るのが筋です。両者のモラルの高低はこの際意味を持ちません。
 
 ・ある種の人間がキャラクタープレイを気持ち悪いものと思っている。
 ・だからその種の人間はキャラクタープレイを行っている限りTRPGに近寄らない。
 ・ゆえにキャラクタープレイはTRPG業界にとって害である。
 
 この文も可能性を論じているに過ぎません。
 たしかにキャラクタープレイが気持ち悪いというのはTRPG界にとってマイナスかも知れません。
 しかしそれは「納豆は臭い。だから売れない」と言っているのと同じ事です。
 臭かろうが粘っこかろうが、他にプラス要素があれば商品は売れます。
 ましてキャラクタープレイに「麻薬的快楽」があるのは馬場氏自身も認めているところです。
 
 
 以上、思い付くままをつらつらと書き並べさせていただきました。
 恐らくこの掲示板に私が書き込むことは当分ないだろうと思われます。
 私個人への意見、反論等がございましたらメールでお願いします(返事に一週間程度かかると思いますが)。
 
 なお、言うまでもないことだと思いますが、この発言の趣旨は「馬場講座はキャラクタープレイ軽視の根拠としては不適切である」ということであり、意思決定重視プレイの軽視、及び馬場氏個人の中傷等の意図は含まれていないことをおことわりしておきます。
 
 長文陳謝。
1998年09月12日:07時26分05秒
補足:Re:RE:用語と用語法(キャラプレ関連) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>森合亭(Prof.M)さんへ、
アタシの「キャラプレ」の定義につきましては、、
「キャラプレの絡みについて、、」カンナ記,当掲示板,98年09月11日:08時16分22秒
、に記しました。一連の議論に関連した書込みなので反復することを避けたのですけれど、まずかったでしょぉか?? 「用語と用語法(キャラプレ関連)」にも繰り返し書いたほぉがよかったのかな??
1998年09月12日:07時17分46秒
Re:RE:用語と用語法(キャラプレ関連) / 森合亭(Prof.M) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>森合亭(Prof.M)さんへ、
アタシ個人は今回のScoopRPGのコラムに関しては議論をするほどの興味は持っておりません。
ですから、馬場氏あてにメールを出す予定もありません。
この書込みに至る、アタシの本掲示板への一連の書込みは、鏡さんが出されたキャラプレに関するご質問にお応えするキャラプレ愛好家としての応答の発展形にすぎません。
アタシとしてはTRPG.NETのみなさんと「キャラプレ」と呼ばれる、あるいは自称するPLさんについての議論をしたいだけなのです。
それも、議論を通してアタシの思考にプラスになるご意見をお聞きしたいだけなのです。馬場氏の新作コラムは当掲示板おみなさんのご意見を理解するための、参考程度に踏まえる、とゆぅのが一連の書込みに際してのアタシのスタンスです。

今回の馬場氏のコラムにつきましては、アタシは評価していません。議論する気もおきない。
ご批批判をいただいた「用語と用語法(キャラプレ関連) 」に関しましても、「馬場氏の用語法だけでは『キャラプレ』及び『キャラプレイヤー』とゆぅ現象の分析が偏るかもしれないよ」とゆぅ意見を示唆しただけのものですので、ご批判には及ばないかと存じます。

特に、「“強い”キャラプレ」に関しては、ご批判をいただいたので特にお応えしますけれど、、
アタシは今回のコラムでの「キャラプレ」を強い/弱いとわける用語法は、大変恣意的で、「論客」と呼ばれる馬場氏らしくないと思っています。「馬場講座」での用語法のよぉな理論的緻密さを感じません
「キャラプレ」をゲーム、シナリオ、GM、PL面子、状況などのファクターを検討せずに強い=悪い、弱い=(認めても)よい、などと、筆者個人の判断が、普遍的な要請であるかのよぉに装って書かれたレトリックにすぎないと思っています。
ですので、論じる気にもならず、したがって引用したわけでもありません。文字どおり「『演技』とゆったほぉがわかりやすいのに」、との所感を述べているだけです。ご批判には及ばないかと存じます。
いじょぉ
1998年09月12日:04時00分55秒
RE:RE:用語と用語法(キャラプレ関連) ( 森合亭(Prof.M)さんへ) / YAN/矢野 聡一郎
> 森合亭(Prof.M)さん
 
 こんばんわ〜(お名前は時々おみかけしてましたけど、Mは「モリアーティ教授」のMだったんですね)。宜しくお願します。
 
> 用語の定義
 
 たしかに、色んな定義があると混乱しますよね。でも…私の場合、最初の馬場さんが定義された「キャラクタープレイ」の定義に違和感があるんですよね…。(便宜上の定義だとは思いますし、今更定義を変えるわけにも行かないのは分かりますが…)
 
 逆に、言葉の問題以外では特に反論はないのですけど。(「強いキャラクタープレイ」を「迷惑なキャラクタープレイ」、「キャラプレイヤー」を「迷惑なキャラプレイヤー」に変えて、「虫けら」発言あたりを穏やかな言い方に変えてもらえれば満足…)
 
> ScoopRPGのページの掲示板で議論を行った方が,馬場氏の意見も聞けて,より有意義ではないでしょうか。>関係者各位
 
 そうですね…言いたいことは、馬場さんに直接お伝えしたほうが良いと思いますし…(私はメールで送っちゃいましたけど…)
 
> #他にも用語(特に略称の付け方)について突っ込みたい点はあるのだけど,
 
 実はけっこう気になるのですけど…馬場「さん」がまずいのでしょうか?馬場「氏」のほうがまずいのでしょうか?それとも両方でしょうか…?
 
 どこがまずいのか、よくわからなかったです。宜しかったら、教えて下さいませ。
1998年09月12日:02時06分35秒
RE:用語と用語法(キャラプレ関連) / 森合亭(Prof.M)

細かいことですけど。

  1. 改めて読み返してみましたが,馬場氏の当該記事内に「“強い”RPG」なる用語は出てきません。
    引用は正確に。論旨の混乱を招きます。
  2. コラム関連の発言の中で使われている用語は,基本的に当該コラム内での定義に従って用いられている以上,その定義を否定する場合は,自分の用いる用語の定義くらいは行ってもらいたい(できれば簡潔に)。
    今のままでは,言葉のすれ違いに終始するだけです。議論をする気がないとみなされても仕方がないですね。
  3. あと,疑問に思うのは,何故これら一連の議論をコラムを掲載しているScoops RPGのページの掲示板ではなく,ここで行っているのか,ということです。
    馬場氏はここを見ていないようですし,それならばScoopRPGのページの掲示板で議論を行った方が,馬場氏の意見も聞けて,より有意義ではないでしょうか。>関係者各位
    もちろん,ここで議論を行うのが無意味だと言っているわけではないし,今までの議論はそれなりに有意義でしたが。

#他にも用語(特に略称の付け方)について突っ込みたい点はあるのだけど,議論の内容に関係ないからパス。


1998年09月12日:01時34分17秒
Re:将棋に関する簡易レス / でぶ猫
 >これは先ほども言ったように将棋とRPGは別物なのです。
 >いや……これはいちいち言わなくてもお分かりになってるとは思われますが……
 >それともRPGと将棋はデブ猫さんご自身の認識でも同列なのでしょうか?
 
 むむ、おかしなほうに話をそらしてしまったようですな。
 少し軌道修正しましょう。
 私のいってることは、つまり「将棋とRPGの違いなんぞ、まっさらの初心者や部外者にわかるはずが ない」ということです。
 その意味において将棋でキャラプレをやってるところを引きました。
 おそらく、RPGのキャラプレに違和感を覚えない人でも、これには違和感を覚えるでしょう。
 ほぼ同じ感覚を、まっさらの初心者や部外者はRPGのキャラプレ(特に馬場コラムの強いキャラプレ)に 感じるでしょう。
 普通、ひきますわなぁ。
(RPGに慣れてる人間でもひいちゃうことがあると思います)
 何事も第一印象が大事です。最初がこれでは、ねえ。
1998年09月12日:01時07分27秒
議論としてのキャラプレ論。もしくは単なる用語の解説。もしくは単なる蛇の足 / KAZUKI
 一連の馬場氏のコラムに関する論争の感想なのですが、どうも一部の方に用語の混乱があるような気がします。
 同じ「キャラクタープレイ」という言葉を使っても、その内容がアンイコールであるのならば、そもそも議論が成立しないのでは?
 それで、非常に蛇足ですが、馬場氏のコラムにおける用語の説明なんかをしてみようかと思います。
 
 狭い意味のロールプレイ
 「D&D」などにおける、「障害の種類ごとに担当者を決めて、協力して立ち向かうというプレイスタイル」のこと。
 「戦士」が前線に出て戦う。「魔法使い」が魔法をかける。
 
 広い意味のロールプレイ
 狭い意味のロールプレイ+「様々な設定情報(背景・性格・好悪・宗教・その他)も考慮して意志決定すること。
 
 私見ですが、このことを「キャラクタープレイ」と呼んでおられる方が多いのでは?
 
 弱いキャラクタープレイ
 「感情移入」のために行う、「ゲームをプレイしていることを常に自覚しているし、演技や感情移入の対象がゲームトークン(コマ)にしか過ぎないことをはっきりとわかっている」「演技」のこと。
 
 強いキャラクタープレイ
 「自分がゲームをプレイしているという自覚を失い、ゲーム進行より演技を優先させてしまう」「ゲームを進めるためのゲームトークン(コマ)にしか過ぎないはずの「キャラクター」に感情移入するあまり、それをゲームより大切にする」
 「暴走するノリノリ演技、ルール無視の盛り上がり、キャラクターへの過剰な思い入れ、なりきり坊主に合いの手小僧」結果、「最初からRPGをゲームとしてプレイする気がない」ようになる。
 主な主張は「「RPGはキャラクターを演じるゲームだ」
 それで、このようなプレイヤーを「キャラクタープレイヤー」と呼ぶ。
 つまり、「強いキャラクタープレイ」の悪いところは、ルール無視や、ゲーム進行の阻害、過剰な思い入れによる感情論、見ていて嫌、というところでしょう。
 
 「私は馬場氏に虫けら呼ばわりされた」と思っている方も、実際にはそうでない方が多いのでは?
 
 しかし本当に蛇足だな。これは。
1998年09月11日:23時08分19秒
馬場氏の記事を見て / らむだ
  馬場氏の記事を見て痛快に思いました。
  というのも、私の知っているキャラプレ志向のPLの一人が、(私にとっては)不快感を催させるキャラプレを行っていたからです。
  独りよがりの金切り声を聞いただけで、私は彼との「ズレ」のすりあわせも、共通理解の構築も、する気になりませんでした。
  それが狭量というのなら、確かにその通りです。そして、これはあくまでも私個人の一体験の帰結にほかなりません。
  
  ただ、私は、彼が思う世界をそのまま押しつけられることに我慢がならなかったのです。
  自分が歩み寄りをみせたら、彼の世界を受け入れることになってしまう、という恐怖感があったのです。
  彼は絶対に譲歩しそうにないと思えたからです。絶対に「完全に勝とう」とするだろう、と思えたからです。
  その点では、私も彼と同じ穴のムジナなのかもしれません。
  
  いっさいの被害なく勝とうとすること。
  自分が絶対に勝たなければならない、と思いこむこと。
  ゲーム派にも、キャラプレ派にも、います。
1998年09月11日:20時28分26秒
真の「演技派」を目指すには / muu
 はじめまして。muuといいます。ここ数日、ずっとROMしてたのですが、私なりの意見も述べたいと思い、僭越ながら発言に参加させていただきます。
*                             
 馬場氏のエッセイを読んで、「強いキャラクタープレイ」に関する問題は認識しました。確かに過度なキャラクタープレイは周囲の人たちを引かせてしまいます。ただ、これからのRPGに必要なのはキャラクタープレイを排除するのではなく、より「上級なキャラクタープレイを模索する」ところにあると私は思います。

 現状の日本のRPGでの問題は、キャラクタープレイヤーを自称する人の大半が『キャラクターの口調を真似すれば演技になる』と思っている所でしょう。大部分の初心者がキャラクタープレイを嫌がる理由は、「キャラクタ−の口調でキャラクターのセリフを言わなくてはならないから」でしょう。     

 これは気色悪いだけでなく、キャラクタープレイとしても低級だと思います。現在の日本のRPGは、もはやロールプレイもキャラクタープレイもしていない、「アフレコごっこ」にすぎません。
 私はこれからの「キャラクタープレイ」が目指すのは、「自分がなりきる」ことではなく、「キャラクターの性格を他人に伝えるように『ロールプレイ』をすること」だと思います。

 他者に理解されない演技は、すでに演技ではないのですから、馬場氏が定義している「強いキャラクタープレイ」は真の「演技派」プレイヤーからも嫌われてしまいます。
 RPGはコミュニケーションのゲームです。ダイスを振ることも、意志決定をすることも、演技をすることも、コミュニケーションの手段として同格であるべきです。どれが正しいとかいうのではなく、「一番自分が得意で、他人に受け容られやすい手段」が、その人にとっては正しいのです。
 つまり、「強いキャラクタープレイ(自己表現の激しいプレイ)」は、よほどセリフ回しや口調を真似るのが上手な人しかやってはいけない、ということです(極論ですけど)。
 
1998年09月11日:20時01分41秒
将棋に関する簡易レス / MARS
 Dandanさん……
 私は将棋の話はしていません。
 また、馬場氏のマスタリング講座でも”多層構造の意志決定”でRPGでは佐藤氏と田中氏の目的を両方満たすべきとしています。
 つまり”漫画のキャラの模倣”と”将棋で勝つこと”は同列の目標となり両方満たして初めて”正解”なのです。
 最も将棋には”多層構造の意志決定”は存在しませんので”将棋”の視点から見れば田中氏の意見が正しいです。
 
 それとデブ猫さんのおっしゃるとおり意志決定の幅はRPGは劣ります。
 ただ、意志決定には矛盾は生じにくいです。
 これは先ほども言ったように将棋とRPGは別物なのです。
 いや……これはいちいち言わなくてもお分かりになってるとは思われますが……
 それともRPGと将棋はデブ猫さんご自身の認識でも同列なのでしょうか?
 
 さらに題名とは関係ありませんが宇津見さんへ……
 もしかしたら混同しているかもしれません。
 現在非常に個人的なことで感情面が不安定なので勘違いがあるのかもしれません。(だったら書くな………と言われんだろうなあ……)
 もう一度よく読み直して見るつもりです。
1998年09月11日:19時10分03秒
前言撤回 / MARS
 クロスワードパズルがRPGより劣っているかのような発言を撤回させていただきます。
 言いたかったのは”そんなにやりたければ一人でやれば”と言うことです。
 これは、強いキャラプレイ……というか脈絡のないキャラプレイにも同様に言えることです。
 
 現在は非常に感情的かつ攻撃的なため馬場氏への人格攻撃に成りかねないので私の意見は封印させていただきます。
 もう少し自分の感情を整理した上でもう一度”なりきりプレイ(脈絡のないキャラプレイではなくてね)が有益な部分より有害な部分の方が大きいのか”という趣旨で書き込みをしてみたいと思います。
1998年09月11日:18時54分03秒
蛇足:私の定義しているキャラクタープレイ / 陽陰
 ちなみに、私は、馬場氏のエッセイに対する議論の中で、「キャラクタープレイ」という言葉は利用しておりません。
 理由は、「今回の馬場氏のエッセイに於いて使用されているキャラクタープレイという言葉は、私がこのBBSで利用しているキャラクタープレイという言葉の定義と違い、混乱を生じるため」です。
 
 私の使用しているキャラクタープレイという言葉は、「キャラクターの個性を表す行動(例:猫が好き)」としてのみ使用しております。
 以前のログを参照されたときには、くれぐれも誤解なされないよう、よろしくお願いいたします。
 
 ・・・蛇足だなぁ。
 
1998年09月11日:18時28分24秒
Re: キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / もちづき
 キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / 鏡さん wrote:
 > あなたが“「キャラクタープレイ」無しのRPG”というのをプレイするとした場合、 それはどのようなものとなると思いますか?
 
 私はゲーム的な楽しさを追い求める傾向が強く、比較的キャラクタープレイ(演技)が弱い人に入ると思っていますが、演技を しなくても、
 まあ「私(のキャラクター)は●●をします」と宣言する事でPCの行動(=意志判断の結果)を 伝えることは可能なので、それほど困らないかなと思います。
#もちろん、感情は入りますが。(というよりも、感情が表面に出やすいです。私。)
 
 まあ、演技をしなくても楽しいと思います。ゲームとして楽しめれば。
 
1998年09月11日:18時25分30秒
RE:認識が違った(^^; / 陽陰
 いやぁ、ごめんなさいね、猫叉さん。
 いくら何でも、議論に参加している人が、その対象となっているエッセイを読んでいないとは思わなかったもんでさぁ。
 用語の説明省いちゃったよ。
 
 そうかぁ。
 そうだよなぁ。
 議論の対象となっている資料を読まずに参加する人のために、用語の説明を入れるべきですよね。
 これは、失礼しました。
1998年09月11日:18時17分15秒
用語と用語法(キャラプレ関連) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#理論的な用語は、各用語個別の概念規定によってではなく、用語の体系的・組織的な運用(<用語法)によって対象の異なる側面を説明するわけですよね。
#例えば、「人間」を生化学的用語法で説明しても、心理学的用語法で説明しても、社会学的な用語法で説明しても、それぞれに説明されるイメージは異なてしまう、、。
#それどころか、フロイドの理論で説明されるのと、ユングの理論で説明されるのですら「人間」のイメージは異なってしまう、、。
#その意味で、ある用語法を無検討に受け入れることは、ある思想を無批判に鵜呑みにすることに匹敵する危険性をはらんでいる、、。
#私見では、どの用語法で説明されても、実際に他者と接するときの楽しさ、不思議さが説明尽くせるとは思えません<上記の「人間」の例。
 
 さて、「キャラクタープレイ」の用語法ですけれど、アタシの意見では、「キャラクタープレイってつけたしなんだけど、やりたければやらせたげる>だから(やりたいのなら)控えめにね」ってゆぅのと、、
 「『PCのキャラクター性が単体で存立する』なんてのは、TRPGのキャラクタープレイとしては考えが足りない>だから(やりたいのなら)もっとよく考えて」ってゆぅのでは、、アタシは個人は、理論の方向性としては後者の用語法のほぉが前向きだって思ってます。<キャラクタープレイ及びキャラクタープレイヤーに関しては、です、、その、、キャラクタープレイ的なものを嗜好するPLへの影響力なども含めて、、アタシはそぉ思ってます。
 
 補足しますと、アタシのTRPGプレイの実践ノウハウは、確認してる範囲では、自称システムマンチのねこぱんち◎;さんのそれにカナリ近い(<住み家が隣町で接触頻度が高いって事情もあるけれど;笑)
 アタシの意見では、「キャラクタープレイ」を嗜好する人間には、「どのよぉにルールの裏付けをとれば、そのPLが求めてるキャラらしい言動が実現するか、同卓メンバーに受け入れられ易いか」をアドバイスしてあげたほぉが、格段にルールに親しむ度合いが増す、はずです。<このやりかたでは、「ある程度の段階までゆくとゲーム性を理解するスピードが遅くなる(遅くなりがち)」とか、「ゲームから入った人より、ルールを理解する速度自体が遅い(ことが多い)」とか、の弱点も見受けられるのですけれど、ともかく、キャラクタープレイを志向する新規PLをTRPGに定着させる第一段階はこのアプローチは有効なはずです。
 
 アタシの「キャラクタープレイ」の概念規定は、TRPGの理論的総体の内にどぉ位置づけるか、がむつかしぃので、議論は尽きないわけですけれど、、、。マスタリングの実践を念頭に置かれてるかたがたが、アタシみたいな「キャラクタープレイ」規程よりも「役割分担(=ロールプレイ)」を重視される事情もアタシなりには理解してるつもりです(汗)。
 でも、まぁ、アタシは、自称「キャラクタープレイ重視」だからもっと将来性のある「キャラクタープレイ」の概念規定(&用語法)が開発されるまでは、今のアタシなりの規程であれこれ考えてきたいと思います。<アレコレの内には実践的なノウハウの開発&蓄積も含まれますです。
  
#話題の、 「Scoops RPG」の馬場氏のコラムに関しては、、、筆者は「“強い”RPG」なんて用語を持ち出すより、「演技」とストレートに言ったほぉが、広い読者に対して論旨がわかりやすいかったはず、とかアタシは思ってます(今のトコ)。
 
#少なくとも「ノリ重視で、バンバン演技をすることを期待します」ってGMさんはコンベンションの冒頭で、その旨ちゃんと明確に断るべき、はずです。<でもこれって、逆の「キャラプレ禁止、もしくは制限」でも一緒じゃなきゃ不公正でわ(笑)、、自己紹介のときに、ちゃんと明確に断ってほしぃのね。
#卓に入ってから、「そぉゆぅマスタリングスタイルです」とか「○○のプレイスタイルは禁止です」なんてのは、なしにしてほしぃわぁ(笑)。
#個別の迷惑プレイヤーには「あなたのプレイは、これこれのところが迷惑なんだけど」ってPLが自分の言葉でゆえばよいと思いますけど、、。で、ゆっても聞かない人もいるらしぃ、、と。それは、もぉ「例外」だ、、って思うけどなぁ??<甘いのかな???
 
#こないだ行った、コンベンションで「天羅」のGMさんが、自己紹介のときに、シナリオの導入部分のさわり(<予告編?)を、“演技”で一人芝居っぽくやってました(笑)<わっかりやす〜い(激笑)
#アタシ? アタシは、その時は、行きませんでした「天羅」には、、>だって、他にやりたいゲームあったんだも〜ん☆
1998年09月11日:17時31分10秒
Re: キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / はたの
 ...はうん。前の記事の内容、ほとんど寺田さんの記事に含まれてるじゃん。
 まじめに読んでないのばればれ。ごめんなさい。
 
 さて、
 
キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / 鏡さん wrote:
 > あなたが“「キャラクタープレイ」無しのRPG”というのをプレイするとした場合、 それはどのようなものとなると思いますか?

 
#クラシックな役割分担のあるゲームでないと、なかなかキャラクタプレイをきれいに分離するのは難しいのですけどね。
 
 AD&Amp;Dのショートキャンペーン(キャンペーンではないとマスターは主張しているが)で、「キャラクタプレイをしない」でかっちりと遊ぶことを目標にしてゲームしました。
 
 「ロールプレイ」はしてますよ。わたしのキャラクタは専門ファイターでしたので、前にでますし、柔らかい連中を守るべく殴られる役割をそれなりに果たしました。レベルドレインな敵が出てきた場合は壁になる覚悟です。レベルが安いからね。その方がパーティのためになるというもの。でも極端に下がると壁としての機能も落ちるから勘弁ね。てな具合。
 
 結果、面白いです。とっても。いやほんと。
 ついついやってしまったキャラクタプレイ部分(まぁこれはこれで楽しいが)だけではなく、純粋にモンスターを殴っているだけという部分も楽しい。キャラクタが戦闘時に構える場所もそれなりに考えないと突破されて柔らかいところにくらいつれるしね。そういうのを考えるのも楽しい。げっとしたマジックアイテムの分配なんかも楽しい。倒したモンスターのHDの計算も楽しい。XPの記録も楽しい。レベルアップは楽しい。わーい。
#...駄目プレイヤですな。
 魔法使いな人も「スリープはここを起点にすると...これとこれがひっかっかって...うーん」なんてやってるんですが、これも割と楽しそう。
 
 メックウォーリアの場合なんですが、交渉もおざなりに「そういう偵察は契約に入ってないよぉ。金おくれー」「交渉で振り給え」「3せいこー」「じゃ(ころころ)5万CB払ってくれた」「わーい」でも楽しい。お買い物も楽しい。「AC20(当たるととても痛い)恐いよぅ。経験値避け!!」とか「やーい、先に3機動け」とかも楽しい。戦闘時に財政状態も考えつつ殴り合うのも楽しい。「そのフェニホ落とせ、40万CBだ」とか。「ML破損?ううう、5万CBが」とか。「それ以上当たると機体中枢に入って高く付くから下がれ」とか。
#そういえば、本当に全然キャラクタプレイしてないぞ。
#準備MLであれだけキャラクタイメージに付いてむにゃむにゃ言ってたのに。
#あんなに一生懸命水着の色(笑)考えたのに。
#「お姉様」をするはずなかったんだろうか?ううーん。
 
 まぁ、さっぱりな感じになります。わたしの場合。
1998年09月11日:17時23分40秒
「ロールプレイとゲーム性について」かな? / PALM−12
寺田大典さんが言われる点を留意して、一応、馬場秀和さんの『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』ベースでの用語を使用して書かして頂きます。

基本的にロールプレイとは、「PCの役割と状況をシミュレートして、意思決定を行い、定量的な結果を出す」事だと考えています。さらにTRPGは、ゲームですから「いかに好結果だすか」を競う事になります。また、この定義では、マスターは状況シミュレーターであり、プレイヤーは、PCというユニットシミュレーターです。
「広い意味でのロールプレイ(様々な設定情報(背景・性格・好悪・宗教,その他)も考慮して意志決定すること)」では、シミュレートが複雑化します。当然、リアルになればなるほど、ボリュームは大きくなります。TRPGにおいて、人間がそれをシミュレートしようとした場合、「ゲーム性による条件づけ(フィードバックを含む)」→「設定情報による条件づけ(フィードバックを含む)」→「思考によるトレース」→「設定情報によるフィルタリング」→「ゲーム性によるフィルタリング」という段階を踏み、「意思決定」を行います。
「感情移入」は、「思考によるトレース」段階で起こります。「設定情報による条件づけ」のボリュームが大きくなればなるほど、「思考によるトレース」の負荷が高くなり、プレイヤーが持つ「現実に対する思考」とでも言うべき領域を使用する必要が出てきます。この結果が、「感情移入」です。
役者などの場合は、これを「役作り」の為に故意に引き起こします。練習等を重ね、フィードバック情報を累積させ、「設定情報による条件づけ」のボリュームを大きくしていきます。必然的に「思考によるトレース」も大きくなり、「感情移入」の度合が大きくなり、「キャラクタープレイ(演技)」が発生します。よく言われるTRPGのキャンペーン終盤で「キャラクタープレイ」が発生しやすいのは、フィードバック情報の累積が大きくなるためです。
この事から、こと人間が設定情報にもって「ロールプレイ」を行う場合、付帯して「キャラクタープレイ」が発生すると言えます。
今回の問題点では、「設定情報による条件づけ」が大きくなると相対的に、また処理量の問題から「ゲーム性による条件づけ」のボリュームが少なくなり、ゲーム性が薄れることがあることです。ある種のそして非常によくある最悪のケースでは、「ゲーム性による条件づけ」では、ゲーム性の希薄さから、また、設定情報中心の「思考によるトレース」のボリュームの大きさ、「ゲーム性よりも設定情報が優位である」という強い条件づけが行われる事があるということです。これにより「ゲーム性によるフィルタリング」が破壊されます。吟遊詩人マスター等にいたっては、「設定情報による条件づけ」にストーリーまでも条件づけしているわけです。
また、同様に「ゲーム性による条件づけ」が強い場合、「設定情報によるフィルタリング」は破壊されます。この場合は、いわゆる数値データ重視のマンチと呼ばれるシミュレーターになるわけです。
そのフィードバック性から条件づけにも強い影響が出ます。そしてそれ以降、そのシナリオが終わるまで、もしくはキャンペーンが終わるまで、そして最悪はプレイヤーがTRPGをやめるまで、その片寄った条件づけは継続します。

基本的には、以上です。
以下は、馬場秀和さんの『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』を読んだ所感です(あっちに書けよって感じですが)

馬場秀和さんの鳴らしておられる警鐘は、特に初心者にトラウマといえるような強度で「ゲーム性よりも設定情報が優位である」という強い条件づけを与えた場合にTRPGの片翼である「ゲーム性による条件づけ」という項目の無いプレイヤーが発生することを危惧したものと考えています。
また、この際に「キャラクタープレイ(演技)」に対する非難は、確かに不当とも言えます。しかし、「キャラクタープレイ(演技)」は、TRPGの前身とも言われる「ごっこ遊び」や「演劇」、「詐欺」等、社会的に定着しており、ゲームより非常に強い強度を持ちます。また、「ロールプレイ」に付帯するものである為、TRPG内では、ほぼ破壊不可能の強度を持っています。それを加味して、ここ7、8年急激に希薄になった「TRPGのゲーム性」の復権の為にあのように強く否定されたのだと思います。
「キャラクタープレイ指向」の人でもそれほど敵意を持つ内容ではないですね。

でもって、
ボク個人の雑な意見としては、「ロールプレイ」「ゲーム性」片方に目を取られ、どちらかを破壊するようなプレイは、駆逐されるべきだと思います。キャラプレ派にもゲーム派にも属さない中庸な意見ですが、TRPGはこの二つが両立している事が魅力だと感じています。セクトに属さないのは、無責任だとか言わないでやってください。
あと、やっぱり「強いキャラクタープレイ」はとても面白いと思います。でも、ルール不要で共有感覚のみでプレイするのは、コンベンション等の一見さん相手では非常に難しい(というかやってもむかつくヤツらが多い)と思うので、やめたほうがいいですね。赤字覚悟に押さえた参加費とはいえお金払ってくれてるお客さん相手にやる事じゃないと思います。だから、たまにボクらは仲間内でやってます(当然、数値に片寄ったヤツもね)。
うわ、クソ長い。ごめんなさい。

ではでは
1998年09月11日:15時28分33秒
将棋ネタ / Dandan

初めまして。

将棋の例をお借りします。
---
 佐藤と田中の二人(*1)が将棋を指しています。佐藤は王を詰めるため(相手に勝つため)必死に次の手を考えています。一方、田中はさっきマンガで見た「月下の棋士(*2)」の氷室(*3)に影響されて、彼の手を真似るように指します。
田中:「氷室ならこう打つよな…。じゃあ、端歩から」
佐藤:「おい田中、真面目に考えて指せよ」
田中:「いいじゃん。だってルールを破ってないし、第一楽しいじゃないか」

*1 フィクションであり、実在の人物とは関係ありません
*2 ビックコミックスピリッツに連載の将棋漫画
*3 同マンガの登場人物
---
 解説するまでもないと思いますが、何故起こるかというと佐藤は相手に勝つという本来将棋を楽しむ*ための*目標に対して意思決定をしてるのに対して、田中の*楽しみ*の目標は、マンガの登場人物の模倣になっています。これでは、将棋の勝負は崩壊です。
 では、佐藤と田中はどちらが将棋の本来目標とする楽しみかというと、言うまでもなく将棋のルールで*提供されている*佐藤の方です。
 つまり、田中のプレイが馬場さんのコラムで言うなら将棋の「強いキャラクタプレイ」です。

 で、今主題になってるのはRPGが本来目標とする楽しみは何なのか?ですよね。

#> 98年09月09日:23時29分43秒
#> 何故意志決定が楽しいのか? / MARSさん
#> 私は意志決定そのものにRPGの本質的な楽しみはないと思えるのですが?
# からですが。

では上記の会話の続きで、
---
佐藤:「俺は楽しくないぞ。」
田中:「でも、真面目に指すよりもこっちの方が楽しいじゃん」
佐藤:「しかし、将棋は勝負で相手に勝つために意思決定することで楽しむゲームじゃないか!」
田中:「いや、将棋は相手に勝つために意思決定するよりも、模倣することの方が本来の楽しみ方だ。」
---
 最後の1文は完全に詭弁、強弁で、実際将棋でそんなことをいう人は皆無でしょうが。
 さて、田中は何故、詭弁なのか?それは、田中が一番楽しいと感じることが将棋の本来の楽しみ方であるという論法をしているからです。もしかしたら、田中が一番楽しいと感じる模倣が将棋に含まれていないわけがない、と信じているのかもしれません。それは完全に誤りです。別に将棋で何を感じても人の感性なので文句が言えません。田中のようなことが楽しければ、駒を指したときの「ピシャ」という音が楽しいという人もいるかもしれない。でも、その楽しさが将棋の本来目標とする楽しみになるかというとなるわけではないでしょう。

 システム工学の見地から、システムには目標、目的、方針があります。RPGもゲームシステムなので当然明確なそれらがあります。RPGの本来目標とする楽しみを求めるには、自分が楽しく感じたからRPGには含まれる…という論じ方ではなく、RPGシステムはこういう目標、目的、方針があるので、これが本来の楽しみ方である、と述べるべきかと思います。

#で、結局、娯楽とは、ゲームとは、RPGとは何なのかの話に戻ってしまうというわけで(^^:
---
ちなみに、上記文を以下のように翻訳しても通じますよね。
「将棋→RPG」「指す→プレイ」「相手に勝つために→目標を達成するために」「勝負→セッション」
---
まとめ
○ 「私はRPGの*アレ*が楽しい(充分条件?)」というのは、「RPGは*コレ*が本来目標とする楽しみ(必要充分条件)」というのに推移しない。
○ だから、別にRPGが何が楽しいかは個人の感性だけど、それがRPGの本来目標とする楽しみであるかどうかは関係ない。
1998年09月11日:15時05分10秒
認識が違った(^^; / 猫叉
はたのさんwrote;
> ・強いキャラクタプレイ
>   なりきり
> ・キャラクタプレイ
>   演技
> ・広義のロールプレイ
>   キャラクタプレイ
> ・狭義のロールプレイ
>   ロールプレイ
こっちは狭義のロールプレイを含めてキャラクタープレイと思っていたので(^^;
だからそれを排除すると、ただ無機質に最良の結果を選んでプレイするだけのゲーム……じゃぁ別にRPGじゃなくてもいいじゃないか? と思ったわけです。

陽陰さんwrote;
>「最適戦略」というのは、RPGでは存在し得ないとは思いますけれど、猫叉氏の意見から想像するに、最短の手順(意志決定)でミッションクリヤを目差すことでしょうけれど。
>でもね、それを目差しても目差さなくても、意志決定は結果を楽しんでるとは言えませんかね。
言えるね(笑)。コメントで書いていた通り、的外れになったわけだ(^^;
ということは一つ前の陽陰さんの意見も見ると、キャラクタープレイというのは「意思決定の結果を無視して、演技することだけを楽しむ」プレイという位置づけがなされてるのね。
それなら有害とされてるのがよくわかるけど、陽陰さん以外の人がキャラクタープレイ(例えば鍼原神無さんなど)と言ってるのとかなり食い違ってるんじゃないのかなぁ?

でぶ猫さんworte;
>いや、それは違うと思いますよ。ゲームが楽しいからこそ、一種の悪乗りがキャラプレ(弱いのと強いの)に発展したんだと思います。
>でもって、肝心のゲームをおろそかにしたとたんに退屈なものになると思うんですわ。
あ、なんとなくですがわかりました(上の定義ならね 笑)。


1998年09月11日:12時15分50秒
キャラクタープレイと意志決定 / もちづき
 始めまして。もちづきといいます。
 
 私は、まず意思決定があって、その理由付けやデコレーション、 感情移入のためにキャラクタプレイをする程度が良いと思います。
 
 まず、感情移入を完全に排除しない理由は、 まったく感情移入をしないRPGは楽しくないし、
 完全に感情を押さえ切れる人はまれだと思うので、 他のプレイヤーの事を考慮しながらほどほどにやるのが良いと思うからです。
 
 また、ある程度の演技は意思決定の結果をプレゼンテーションする手段としては 楽しいし、適度に感情移入もできて良いかとおもいますが、
 あまりにも行き過ぎてGMや他のプレイヤーを無視するほどの キャラクタープレイは周りに迷惑がかかるので、止めるべきだと思います。
1998年09月11日:11時50分42秒
馬場コラムの用語 / はたの
うーむ・・・ / 寺田大典さん wrote:
 総合研究室の人達の書き込みを見て少し思った事は、ちょっと「認識のずれ」が出てないかなぁ、ということです。

 
 はい、わたしも感じました。
 というか、例の馬場さんの記事を見て「あー、俺全然キャラクタプレイヤーじゃないじゃん」とか思ったもの。
#気が乗ったときでも、せいぜい弱いキャラプレレベルだよなぁ。
#演技って疲れるからねぇ。
##...あっ、身振り手振りは人より多いから、強いキャラプレって見えるかも。
 
 あの記事での用語をここ(の掲示板群)で普通に使われている用語に直すと、
 
 ・強いキャラクタプレイ
   なりきり
 ・キャラクタプレイ
   演技
 ・広義のロールプレイ
   キャラクタプレイ
 ・狭義のロールプレイ
   ロールプレイ
 
 って感じですよね。
 
 こういう定義なら、そら「キャラクタプレイはいらん」「強いキャラクタプレイは有害」って結論になりますわな。
#「演技は必須でない」「なりきりは有害」でしょ?
 
 「キャラクタプレイ(広義のロールプレイ)」が{許容範囲,有害,必須}かはまぁ、議論の余地があるようですけど。
 
 まぁ「キャラクタプレイ」って用語は広くは通じない用語ですし、ここ(の掲示板群)でも「キャラクタプレイ」と「ロールプレイ」は混同して「ロールプレイ」といわれがちですからねぇ。しょうがないかなぁっては思います。
 
 だけどあのコラムでは「キャラクタプレイ」という用語は適切でなかったと思うんだけどなぁ。まぁ「キャラクタプレイヤ(広義のロールプレイヤ)」を怒らすために、わざとそう使っているんだろうから、どうでもいいけど。
1998年09月11日:11時10分14秒
元ネタ / 石頭
ここです。 Scoops RPGの、『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』 というコラムだと 思われます。
1998年09月11日:11時08分20秒
Scoops RPGのURL / 寺田大典
Scoops RPG
ですね。
1998年09月11日:10時58分29秒
確かに何をネタにして話しているのか・・・。 / metral
 茶々入れです。
 
 今、皆さんが話している内容は分かるのですが、どうも元ネタが有るみたいですね。 ROMとしても元ネタが分からないと、厳しい物が有ります。
 元ネタのある、Scoops RPGのURLなどを記していただけると有り難いです。
1998年09月11日:10時29分56秒
うーむ・・・ / 寺田大典
 総合研究室の人達の書き込みを見て少し思った事は、ちょっと「認識のずれ」が出てないかなぁ、ということです。

 注意しなきゃいけないのは、馬場さんがScoops RPGで掲載された最新のエッセイにて書いている「キャラクタープレイ」とはどう読んでも「演技」の事しか指していません。sfさんの伝言板で話し合われた時に良く言われていた「キャラクタープレイ」は、馬場さんのエッセイでは「広い意味でのロールプレイ」と書かれている。

 で、「強いロールプレイ」の悪い所は、他人への配慮、ゲーム性の排除を行った「演技だけで行うTRPG」の事を指しているみたいです。

 MARSさんや鍼原神無さんもその部分で認識のずれを起こしている様な気がします。で、ちょっと問題かなーと思うのは、宇津見さんや鏡さんの提言や質問での用語の規定は、「馬場さんの最新のエッセイ」がベースになってますよね?それを説明しないと、馬場さんの規定した用語がグローバルスタンダードではないですから、混乱が起こってもしょうがないと思います。

 馬場さんのエッセイでは、ロールプレイを「狭い/広い」と定義付けして、広いとした方で今まで言われている「キャラクタープレイ」等を含んでいますが、キャラクタープレイは「強い/弱い」と書かれているように、指している物はただ一点「演技」なんですよ。強い弱いで程度問題を話しているに過ぎない。結局の所、「TRPGに演技は絶対に必要なのか?それだけで遊んで周りに迷惑かかっていない」という事なんだと思います。その書き方にはかなり恣意的な部分がありますが、まぁ演技過多な人がそうじゃない人を引かせているという部分では、認識の必要はあるかもと思います。
1998年09月11日:09時54分32秒
パズルはそんなに甘くない / SeyfertSluw
>そんなにゲームしたければクロスワードパズルに自分で条件付けて遊べば?等と思ってしまうのですが……

あー.パズルの世界はそんなに甘くないです.地方だと手に入りにくいのですが(*)
『パズル通信ニコリ』という月刊誌を読めばいかにパズルについての知識や感覚が 浅はかだったかわかるでしょう(私もこの雑誌で思い知らされました). RPGに比べればパズルははるかに奥の深い世界です. 下手にRPGしかしらない人間がパズルに対して優位性を説いたところで, そっちの筋の人から見れば馬鹿にされるのがオチです.


>正直どちらかに偏るのはファシズム的で強い反発を感じますね……

キャラクタプレイを必須と考える人が偏っている,という 考え方もできるのですが,自分の考え方が偏っていないと 筋道だてて主張できますか?


(*)『地方小出版流通センター』扱いのため一部の 書店でのみの取り扱いとなっています.直接注文も できますがそれについては私(seyfert@osk.3web.ne.jp) までE-mailを送っていただければ連絡先を返送します.


1998年09月11日:09時44分10秒
少なくともダイス振りは燃える / MAT.N
「6でろ、6〜」とか「10以上、10いじょおお」などと叫び、「でえりゃ、おんどれ、くそ」「ぬおおおお」「い、いかん」などと感情を発露しますが、キャラクタープレイは一切しない人も存在します。

もっとも強いキャラクタープレイと同じくらいに端からみると異様かもしれません。少なくともコンベンションなどの場では多少テンション落とした方がよいかも。(うるさいし)このへん、将棋で言えば縁台将棋と大会将棋の差でしょうかね。
1998年09月11日:08時16分22秒
キャラプレの絡みについて、、 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
う〜ん馬場理論の規定では「ロールプレイはルールに規定された役割演技」(<アタシがゆぅところの役割分担)なんですよね? そのうえで「キャラクタープレイ」は「役割分担(演技)以外の付け足し」と規定されていた。
ここに「広い意味でのロールプレイ」が導入されると「キャラクタープレイ」の規定のほぉは、どぉなっちゃうのでしょぉか??

アタシは「キャラクタープレイ」とは、「PCの架空の人物像-にんげん性をプレゼンテーションすること<もちろんイリュージョン」と考えているわけですけれど、、PL-Aが「“強い”キャラプレ」とやらを打ち出してきたとしても、PL-Bや、GM(NPC)が同様に「“強い”キャラプレ」で応じなきゃいけない義理はどこにもないと思いますけれど、、。
#(相手のキャラプレが考え無しなものであった場合)「“弱い”キャラプレ」とやらで、応じてやったほぉが、いわゆる暴走を統御し易い、ってことはあるかと思っていますけれど。
1998年09月11日:07時58分20秒
Re:予告外の書き込み / でぶ猫
MARSさんwrote
 >まず…でぶ猫さん……RPGって将棋なのですか?
 >それとも将棋と同等の結果の幅しかないのですか?
 
 将棋のゲームとしての可能性(プレイアビリティ)、つまり意志決定の幅 は非常に高く、この点で将棋におよばないRPGは多々あります。つまりRPGが 将棋に劣ることはよくあることです。つまり、過程の幅は決して劣りません。
 で、と、RPGも将棋も知らない人間の目から見れば、ゲームに過ぎません。
 この点でこの二つは変わるところはありません。
 OK?
 
 >勝ち負けだけではない……結果……そこに様々な感情が許容されるのでは?
 
 違います。RPGにも勝利条件はあります。その評価方法があまり定量的でないだけです。
 人間ですから感情は伴うでしょうが、そのすべてが許容されるわけではありません。
 許容されるもの、多くはプレイヤーの素直な感情、くやしさや喜び、あるいはそのこもごもたるものです。他プレイヤーの共有、共感が 容易だからですね。
 
 >キャラプレイ嗜好はキャラクターという檻に自らはいることでより意志決定の条件を増やしているに過ぎない……
 
 弱いキャラプレ(馬場コラム参照)についてはまったくそうですね。ゲームは制限が適度にあったほうが面白いものです。
 しかし、強いキャラプレになるともはや檻が不必要に巨大になって他の人(マスターふくむ)の居場所を圧迫してしまって います。邪魔くさいですね。(とくにその気もないのにキャラ同士のからみなんか要求されたら) 
1998年09月11日:07時48分33秒
宇津見 / キャラクタープレイが希薄なスタイルの実践例
 MARS氏へ
 > 次に鏡さんの設問に対する回答
 >
 > 正直な話……私の周りにキャラプレイをまったくやらない人は存在しないのでよく分かりません。
 > 想像ではこのような状況ではないかと考えます。
 >
 > 説明口調による状況の説明と回答のと結果を求めるためのダイス振りの繰り返し……

 6日の大阪深淵CONで、私はキャラクタープレイが希薄なプレイスタイルを取っていたはずですが、そうはなりませんでしたね。
 具体的に口に出しただけでも、状況と展開の推測、キャラクターの立場とプレイヤーの取るべき行動決定の検討、他プレイヤーとのプレイヤーの立場と明言した上での話し合い、ルールや手札の検討、それらの上でのGMや他プレイヤーへの行動宣告など、多岐にわたります。
 ちなみに私は、キャラクターの台詞もほとんどは、「プレイヤーである私はこういうつもりで、このキャラクターはこういう立場だから、こういった調子で『****』とキャラクターは言うよ」と宣告していました。まあ、キャラクターの台詞にそれなりに感情的な調子はつけていましたが。

 その時のセッションに同席していた方、どうでしたか。

 私の経験からは、弱いキャラプレイをすればさらなる付加価値にはなるが、別段やらなくても充分に「ロールプレイングゲーム」として多様で豊かな展開を楽しむことは可能だと考えています。むしろ、キャラクタープレイが無ければ無味乾燥で単調になり、感情移入ができないという見解のほうが、私には信じがたいです。多様な状況に対する豊かな意思決定とか、システムのギミック的な面白さを体験するとか、他にも感情移入を促進する豊かな楽しみがあります。私にとっては、こうした楽しみに比べてキャラクタープレイはやはり調味料止まりです。

 追記
 気になるので確認してもらいたいのですが、MARS氏は、馬場氏の定義するところの「広い意味でのロールプレイ」と「キャラクタープレイ」を混同していないでしょうか?


1998年09月11日:07時46分18秒
re:キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
鏡さんのご質問にお応えしたく思います。 アタシが想像しますに、それは、とてもややこしいSLGのよぉな感じになってしまい、同時にセッションで実現されるストーリーも、ほとんどの場合、どぉしょぉもなく平板で退屈なものになってしまうだろぉ、と思っています。<まったく、完全にキャラクタープレイを排除した場合、、ですけれど。

補足します。TRPGの「ルール」には「世界設定」も「文字で書かれたルール」として含める人が多いよぉです。<ここでは、アタシは「世界観」をゲームデザインコンセプト的なもの、として「世界設定」と(密に関連していますけれど)分けて考えてみています。
TRPGのキャラクタープレイは、架空世界の多様な見えかた<「PLにとっての世界観」とは別の「PCにそれぞれにとって個別の世界像」を保証します。
一般にボードSLGにおいては、“世界”のありかた、及び、ユニットと世界の関係は「ルール」によって一意に規定されており、そのために、「世界の見えかた」はどのPLにとっても同じであるはずです(アタシのよぉに「ゲーム」が苦手なPLが何かを見落とす、みたいなことはありますけれど;笑)。PCの概念は、、一般にSLGには存在しないですよね(笑)。<TRPGのPCは、「ゲーム」における「ユニット(トークン)」一般とは異なる、「特殊な在りかたのユニット(トークン)だとゆえるのではないでしょぉか?

アタシの意見では、TRPGセッションで実現されるドラマが面白いものになりうるのは、実在の世界に相似した形式で、「PCの固有の視点から見た世界の見えかた」がズレたものであり得、しかも、互いに、同じであるはずの世界をズレた視点から見ていることが、インタラクション〔相互了解〕によって了解されたとき、であると考えています。<このとき、はじめて、単なる「ストーリー」(平板で類型的なストーリー)が、「ドラマ」(劇的なもの)になるの、とゆぅのがアタシの意見です。

もちろんPCにとっての「世界の見えかた」も、その「インタラクションによる相互了解」も錯覚〔イリュージョン〕です。けれど、それをゆったら、絵画における、一点透視図法(によってもたらされる奥行きの感覚)もイリュージョンですし、小説も、演劇も、それによってもたらされる「感動(面白いとゆぅ感じ)」はみなイリュージョンなのです。
1998年09月11日:07時13分41秒
予告外の書き込み / MARS
 エー失礼ながら予告した以外のことを書きます。
 まず…でぶ猫さん……RPGって将棋なのですか?
 それとも将棋と同等の結果の幅しかないのですか?
 私はそうは思いませんが……
 勝ち負けだけではない……結果……そこに様々な感情が許容されるのでは?
 キャラプレイ嗜好はキャラクターという檻に自らはいることでより意志決定の条件を増やしているに過ぎない……
 感情移入はそれを助ける役目を果たすのではないでしょうか?
 以上のことはRPGが遊びという認識の元に成り立っています。
 もし、遊びではないとお考えならすでにやっている物が違うのでしょう。
 
 次に鏡さんの設問に対する回答
 
 正直な話……私の周りにキャラプレイをまったくやらない人は存在しないのでよく分かりません。
 想像ではこのような状況ではないかと考えます。
 
 説明口調による状況の説明と回答のと結果を求めるためのダイス振りの繰り返し……
 
 
 ここからは個人的感想です。
 そんなにゲームしたければクロスワードパズルに自分で条件付けて遊べば?等と思ってしまうのですが……
 正直どちらかに偏るのはファシズム的で強い反発を感じますね……
1998年09月10日:16時53分25秒
Re:さらに突っ込み(笑) / でぶ猫
 猫又さんwrote
 >結果を求めることだけじゃ、たいくつになったから感情移入 やロールプレイ(ここではキャラプレイかな?)が出てきたん じゃないのかな ぁ?
 
 いや、それは違うと思いますよ。ゲームが楽しいからこそ、一種の悪乗りがキャラプレ(弱いのと強いの)に発展したんだと 思います。
 でもって、肝心のゲームをおろそかにしたとたんに退屈なものになると思うんですわ。
1998年09月10日:16時35分32秒
キャラクタープレイに関するひとつの疑問 / 鏡
 「キャラクタープレイ」(特に馬場さんの論考で言うところ の“強い”方)が好きな方にお尋ねします。
 
 あなたが“「キャラクタープレイ」無しのRPG”というのをプレイするとした場合、 それはどのようなものとなると思いますか?
 こんなプレイになるだろう、とか。これこれこういう理由から、つまらないだろう、とか。 こういう風だったら面白いだろう、とか。ご自由にお答え下さい。
 あるいは、「そのようなプレイはありえない」とか、「絶対プレイしない/させない」とかでも結構です。
 
 私個人の経験から申しあげると、「キャラクタープレイ」は多数派的に存在 しており、「キャラクタープレイができてこそRPG」のような雰囲気に圧迫感を 感じることすらあります。それは、ちょっとしたゲームの一種として遊びたい 者には大変なプレッシャーで、RPGの門戸を狭めていると言っても過言では ありますまい。正直、馬場さんの論考は痛快でした。
 
 ご返答戴けますれば幸いです。
1998年09月10日:16時33分07秒
意志決定の結果は、ミッション達成ではありません / 陽陰
 ミッション達成に向けた意志決定だけをしていくということは、「最適戦略」と言います。
 意志決定の結果とは、純粋に、選択に対して提示された結果のことです。
 
 判らない人が居るといけないので、例示しましょう。
 「割れ目を飛び越える」という「意志決定」の結果は、「飛び越えることが出来た」とか、「失敗して落ちた」とかです。
 そこでいきなり、シナリオクリヤとかになったら、面白いですけれどね。仮想の話としては、だけどね。
 
 「最適戦略」というのは、RPGでは存在し得ないとは思いますけれど、猫叉氏の意見から想像するに、最短の手順(意志決定)でミッションクリヤを目差すことでしょうけれど。
 でもね、それを目差しても目差さなくても、意志決定は結果を楽しんでるとは言えませんかね。
 
 さて、PLの意志決定と、PCの意志決定を別に考えたいという人もいるでしょう。
 でも、それは、間違いです。断言できます。
 
 理由は簡単。PCに意志などはないからです。
 各人の心の中にはあるかもしれませんけれども、これは想像です。仮定といっても良いでしょう。
 これを忘れると、妄想になるってのは、口の悪い蛇足なんだけれども。
 
 つまり、PCのやりたいことは、PLが「PCはこうやりたいかもしれないな」などと斟酌して行うことであり、結局はPLの意志決定なのです。
 
 まぁ、この辺は本当は蛇足なんです。
 そもそも、「どれを選ぶか悩む」ということ自体、「結果を楽しみ」にしているからこそ、発生する悩みであるンですから。
 
 では何故、「あっちまでのめり込む人達」が非難されなきゃいけないのかって言うのは、おおむね彼等は、「結果まで決めてしまう」からなのですね。(このおおむねから外れた人はとりあえずこれから先は置いておきましょう。かなり少数派ですから)
 別に、自分たちだけで閉じこもってのプレイなら、問題はないんですけれど。
 他の人に混ざってしまうと厄介です。
 
 理由は簡単。
 彼等は自分の結果を適用するために、ルールを無視します。
 他の人達は、「結果を選ぶ基準」として、ルールを参考にします。
 これは大きな違いです。
 いかさまをやる人と一緒に博打を打つようなもので、面白いはずはありません。
 
 彼等は、周りをひかせてしまうという弱点と共に、こういったモノを持ち合わせているのです。
 まぁ、幸いにも、コンベンションとかでも、少数派な事が救いですけれど。(目立つんだけど実はそうなのだ)
 
 どうも、今日は散文的だなぁ。ちと読みにくいか。。。
1998年09月10日:16時11分00秒
さらに突っ込み(笑) / 猫叉
>☆感情移入だけじゃ た い く つ
結果を求めることだけじゃ、たいくつになったから感情移入 やロールプレイ(ここではキャラプレイかな?)が出てきたん じゃないのかなぁ?
今度はさらにそれがたいくつになったってことかな?

1998年09月10日:10時06分27秒
トークンに感情移入したところで / SeyfertSluw
>将棋だとまだ「うおぉ、俺は槍(香車)がすきぬわんだぁ」があり得ますな。やってる人もいるし(笑)

たしかにいてもおかしくないし私なんかぼそぼそ……

ただ,将棋とゆーやつは槍がすきだからといってルールが変わる訳でもない訳で.もちろん感情移入した先に,『いかに将棋のルールの中で槍をうまくつかった詰め方ができるか』という方向にむかっているなら問題はないですが,RPGでの感情移入は『槍が好きなんだ,槍は活躍しなきゃならないんだ,だから前にしか進めないのはおかしいのだ!』となってしまう.

トークンにいくら感情移入したところでゲームの論理空間(ルール)は変わらないのが当たり前.世界を変えてしまったらトークンの存在自体が危うくなるのです.なぜって?ゲームの論理空間の設定自体にトークンの設定が入ってるはずだから.


1998年09月10日:09時46分42秒
トークンの差で感情移入しやすさが違うから / MAT.N
将棋だとまだ「うおぉ、俺は槍(香車)がすきぬわんだぁ」があり得ますな。やってる人もいるし(笑)
囲碁だとかなりチャレンジングになるでしょうし、ウォーゲームだとかなり感情移入しやすくなります。
RPGだと扱うのがキャラクターなんで感情移入はやりやすいやね。これはこれで「RPGの特性」なんでわりとこー尊重しても良いのでわと最近思ってます。(と、キャラクターベース・ウォーゲームみたいな真似をしている人間が言っても説得力ないが)

馬場さんのコラムでは「そりゃ、支配者様の出会ったキャラクタープレイヤーが”下手”だったのが悪かったんでわ」とツッコミをいれたくはなりました。やはりこー、声優とか劇団関係者を召集して「真のキャラプレ」を。もっとも大半のプレイヤーは下手くそなはず(なにせ素人だ)なんで「人前には出さない」というのは当たりかもしれません。なお、馬場さんのコラムはScoops RPGで読めます。(TPRG系ページ新着情報でページ主が宣伝うってます)
1998年09月10日:07時45分08秒
それです / でぶ猫
 >将棋は勝てばうれしいですし負ければ悔しいです
 
 それですな>意志決定での「面白さ」(「楽しさ」とかいてないことに留意)
 RPGはゲームですから、当然同種の楽しみはあります。
 しかしこれはRPGの「なりきり」とかとは別種のものです。
 「ああっ、くそやられた!(プレイヤーの魂の叫び)」
 と
 「たとえわがからだ朽ち果てようと汝への愛は変わらず(PCとしてのセリフ)」
 じゃあ、ぜんぜん違いますよね。
 
 ☆感情移入だけじゃ た い く つ
1998年09月10日:07時30分29秒
将棋に感情の発露はあるのか? / MARS
 あります……
 但しあれは勝負事ですから発露の形態が違いますが……
 
 将棋は勝てばうれしいですし負ければ悔しいです
 また、相手が旨い打ち方をすれば感心するし下手な打ち方をすれば馬鹿にします。
 まったくそんな感情がないとは言えないんじゃないでしょうか?
 もちろん勝負の最中にしょっちゅう感情を発露していれば負けの原因になりますからプロは勝負が終わるまではより旨く打つことを意識します。
 ただ……これはもう遊びではありません……
 勝負なのです。
 
 ところでRPGは勝負事なのでしょうか?
 必ずよりよい意志決定をしなければならないのでしょうか?
 
 私は否……と答えます。
 RPGは矛盾ある意志決定とインタラクティブなコミニケーションによる感情の共有とルールによる再現性による疑似体験性にあると思われます。
 
 さらに次の書き込みの予告……
 「キャラプレイは本当に有益より有害な部分が大きいのか?」
 でもまあ……いくら言っても水掛け論になりそうですが………
1998年09月10日:03時45分42秒
ちょっとツッコミ / 猫叉
to;でぶ猫さん
将棋を比喩として出すのは、ちょっと……ねぇ。

「将棋はこうするものだ」というイメージが広く普及
してますので、おっしゃられているような行為をする
と当然嫌がられます。(マナー違反ですからね)

>☆いやもちろん「それとは違うっ」という意見はありましょうが、部外者にとっては 同じです。力説するほどうとまれるでしょう。
とまぁ、つっこんどいてなんですか、部外者にとって
は見た目しか判断する材料がないわけですから、その
意見にはおおむね同意です。問題点は理解しようとい
う意志が相手側にあるのかどうかということですか、
ないでしょうね。タブン。


to:陽陰さん
>それは、違う人の方が多いでしょう。
>普通は、意志決定の結果が現れるのが楽しいから、意志決定を行うのです。
>そして、「気持ち悪い人達」と言われている人達は、「結果」を楽しもうという気持ちに欠けている人達のことだと思うのですけれど。
>そして、往々にして、結果を無視するから、自己中心的であり、「害」となされているのでは?
結果を重視するタイプのプレイヤーはTRPG初期に多
かったプレイヤーだと言えるでしょう。少し悪い言い方
をすれば、「結果(例えばミッション達成)のためにキャ
ラクターの性格を無視する」ストーリー進行重視型のプ
レイヤーだと思います。
結果を楽しもうと言われますが、自分で決めたルール(キ
ャラクターの性格)を破っているといえるでしょう。
#まぁ、GURPSとか性格設定が決まってるゲームでは
#もしかしたら、知性のあるゲームとかでもそうかな?
そのような人達は、キャラクターがあきらかにプレイヤ

ー的にはこうしたらいいと分かってるけど、しない人を
見て「嫌」と言ってるのだろうと推測しますが?
それが見た目の「不快さ」と重なって「害」となされて
るのではないでしょうか?

#「結果」と言われているのが、ストーリーの進行上と
#かミッション達成のためだけじゃないと言われるのな
#らまったく見当はずれだが(笑)


to:3327さん
>って言うのはある意味自己中ですが、どうみても不快なんですからしょうがないのでは?
はい、それはしょうがいないですね。
でも女の子(少なくとも異性キャラクターをやっている
んだとわかる程度まで)の言葉を使うくらいは認めてあ
げましょう。


>トコロかまわずたばこの煙を撒き散らして 「私の生活の潤いにケチを付けるな」 というの
>は、一方だけが自己中ですよね?
>少なくとも周囲に配慮していないですよね。
>別に、喫煙 (キャラクタープレイ) を全面的に排除しようってワケじゃないんですから、
>反発を覚えるのはおかど違いですよね?
じゃ、どこまで妥協するんですか?(笑)
なんか「一切やめろっ」て言っている見られても仕方ない
書き方していると思いますよ。
喫煙に例えるところがかなり
#例の問題じゃないという批判は受け付けかねます
1998年09月10日:01時15分41秒
RE:何故意志決定が楽しいのか? / 3327
あ〜、なんかキツイ事いっちゃいそうだな・・
でも言っちゃうところが私の業なんだな。うん、
「そうしろと囁くのよ、私のゴーストが」 by 草薙素子

>「意思決定」 が 「反映される」ことが「楽しい/嬉しい」のではないか? まったく持ってこの通りだとおもいます。
むかし言われました。
イモの皮剥きなんて楽しくないよね。でも、そうすると美味しく食べられるから、それは楽しいよね。
>見てて不快だからするな。
って言うのはある意味自己中ですが、どうみても不快なんですからしょうがないのでは?
トコロかまわずたばこの煙を撒き散らして 「私の生活の潤いにケチを付けるな」 というのは、一方だけが自己中ですよね?
少なくとも周囲に配慮していないですよね。

別に、喫煙 (キャラクタープレイ) を全面的に排除しようってワケじゃないんですから、反発を覚えるのはおかど違いですよね?
まぁ、勝手に傷ついたんならともかくね。
1998年09月10日:01時03分15秒
気色悪さと意志決定 / でぶ猫
 >何故人は複雑な意志決定を楽しめるんでしょうか?
 >私が思うにそこに「矛盾」があるからではないでしょうか?
 >そしてそこから感情が生まれる……
 >怒り、悲しみ、切なさ…ばかばかしさ……
 >そしてそれを楽しんでいるのではないでしょうか?
 
 うーん、将棋にこんなこと感じる人あんまりいませんが。
(まあヘボ将棋ならありがちですけどね)
 気持ち悪く感じられるのは、将棋さしながら
「うおー、どどどどどど(桂馬を騎兵に見立ててるらしい)」
「ばしゅっ、ドシュっ(駒をとったときの擬音らしい)」
 と叫んでる人(そんなのいねーって)がいたら、どう感じるかと一緒では ないでせうか。
 ☆いやもちろん「それとは違うっ」という意見はありましょうが、部外者にとっては 同じです。力説するほどうとまれるでしょう。
1998年09月10日:00時24分45秒
RE:何故意志決定が楽しいのか? / 陽陰
>MARS氏
 >何故人は複雑な意志決定を楽しめるんでしょうか?
 >私が思うにそこに「矛盾」があるからではないでしょうか?
 >そしてそこから感情が生まれる……
 >怒り、悲しみ、切なさ…ばかばかしさ……
 >そしてそれを楽しんでいるのではないでしょうか?
 
 それは、違う人の方が多いでしょう。
 普通は、意志決定の結果が現れるのが楽しいから、意志決定を行うのです。
 
 そして、「気持ち悪い人達」と言われている人達は、「結果」を楽しもうという気持ちに欠けている人達のことだと思うのですけれど。
 そして、往々にして、結果を無視するから、自己中心的であり、「害」となされているのでは?
1998年09月09日:23時52分51秒
RE:何故意志決定が楽しいのか? / ねこぱんち◎;
 ほえっ?・・・・みゅー♪
 
 >私は意志決定そのものにRPGの本質的な楽しみはないと思えるのですが?
 ふみぃ・・・以下は、ねこの基本的認識&解釈で〜す。
 
 「意志決定」自体はリターンを得ようとする行動であり、「楽しみ」そのものではない。
 では、なにが「楽しい/嬉しい」のか、それは、
 
 自分の「意思決定(この場合ロールプレイや相互アピール(いんたらくしょん?)も含む・・)」に対して、それを他のプレイヤー(&GM・・orシステム)がそれに応じたリターンを「返してくれる」こと自体が「楽しい/嬉しい」と感じる要因ではないのか?
 自分のアクションがリアクションに反映されないならば、「意思決定」自体が無視されたも同然ではないか?
 
 >結論
 「意思決定」が「反映される」ことが「楽しい/嬉しい」のではないか?
 (ねこ的には「自分の気持ちが人に伝わるか?」ってな感じにゃ)
 
 #俗に言う「吟遊詩人」マスターは、プレイヤーの行動の結果を「反映しない(リターンしない)」ゆえに忌避されるのではないかにゃ?ストーリー/シェチューション主導とは別問題だよね?
 
1998年09月09日:23時29分43秒
何故意志決定が楽しいのか? / MARS
 ふと思ったのですが……
 何故遊びとして意志決定を行ってるんだろう?
 
 何かキャラプレイヤーの批判について馬場さんが書かれた文章を見ると……
 まあわたしも「虫同然」の輩なのかもしれませんが……
 強い反発心があります。
 
 何故人は複雑な意志決定を楽しめるんでしょうか?
 私が思うにそこに「矛盾」があるからではないでしょうか?
 そしてそこから感情が生まれる……
 怒り、悲しみ、切なさ…ばかばかしさ……
 そしてそれを楽しんでいるのではないでしょうか?
 
 そしてもう1つは通常の生活では起きないであろう状況での矛盾であることも意志決定をすることを楽しむ理由ではないでしょうか?
 
 私は意志決定そのものにRPGの本質的な楽しみはないと思えるのですが?
 
 なんか「?」ばっかの文だな……
 
 そもそもRPGは遊び……
 ゲーム以前に遊びですから、どうしても「自分」が中心になるのは否めないと思います。
 しかし、RPGは「自分」だけでは楽しめない……
 そこから「キャラプレイヤー」を否定したいのかもしれない……
 でも「キャラプレイヤー」は例外なく自己中のかな?
 
 少なくとも「見てて不快だからするな」っていうのも自己中だよね……
 違うのは建前があるかどうか……
1998年09月09日:09時44分27秒
ところでそんなに格差つきますかね? / MAT.N
シャドウランなんかですと個人カルマで1,2点差をつけて30回くらいセッション開いたと仮定しても、スキルのコストはレベルがあがれば篦棒に増えるので、大した差が出ない気がしているのですが。作りたてでも強いし。
1998年09月09日:09時40分57秒
いやいやスキル制でも / MAT.N
技能を持ってないと判定できないシステムならOKでわ。たいていのシステムで戦士はマジックユーザーの代用は出来ないし。
1998年09月09日:07時19分39秒
クラス制でもだめですか? / 3327
100万LVの戦士でも、1LVシーフの代用としてかぎ開けはできませんよね?
そのシステムがクラス制なら。
これじゃだめですか?
1998年09月09日:06時53分34秒
TRPG総合研究室 LOG 017 / sf
TRPG総合研究室 LOG 017として1998年08月21日から1998年09月09日までのログを切り出しました。

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