TRPG総合研究室 LOG 013

TRPG総合研究室の1998年07月30日から1998年08月03日までのログです。


1998年08月03日:02時18分38秒
あ、そうそう / でぶ猫
 別に2重状態を否定してるわけではありません。
 分析してみただけです。(その分析が正しいかどうかはともかく)
 
 しかし、二つある以上、バランスの崩壊の危険はいつもあります。
(魔がさすとかいろいろね)
 私がしたのはその話です。
1998年08月03日:02時11分00秒
鍼原さんへ / でぶ猫
 つまり詐欺師のセルフコントロールですな。
 
 これも、冷静に状況判断を行なう瞬間があると思われます。
 ☆割り込み処理ってやつですね。
 私がいってるのは、意識の表層の話で、無意識に沈めたいわば監視プロセスの ようなもののことまで言っているわけではありません。
(実際そのへんまで話すとなると、専門家じゃないと無理でしょう)
 
 >この件に関しては、でぶ猫さんが断定をされる、理論的論拠を、ぜひ、お教え願いたいと思います。
 
 矛盾してるからです。のめりこんでいる人間が全体を見回すには、一瞬でも我に返ることが必要です。
 (この点では、ホステスさんはあまり適当な例ではないですね)
 
 ああ、一つ訂正しなければ。1がうまくいった時には、その演出の成功ゆえに、自分自身までリアリティを実感すること はあります。ただし、これは非常にすぐれた表現の小説を読んだ時のような感じですね。(感情移入は発生してます)
1998年08月03日:01時00分48秒
「PLの背後霊的二重状態」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@でぶ猫さんWrote
>冷静でいながら熱情的であるなどということがはたして可能でしょうか?
>同時には絶対に無理です。

え〜と、話がズレてるよぉな気が、、>でぶ猫さん、、PCハンドリングの、類型(1)と類型(2)が、概念整理のための、類型化だとしたら、「(1)は冷静」、「(2)は熱情」という描写は限定が偏りすぎてると思われます。また、もし、「冷静」、「熱情的」との描写が字義どおりの意味でない、としたら(その可能性はありますけれど)「絶対に無理です」との断定の論拠が不明だと思います
この件に関しては、でぶ猫さんが断定をされる、理論的論拠を、ぜひ、お教え願いたいと思います。

ん〜、ことが、「個人の意識のありかた」ですので、「ある」、「ない」、「可能」、「不可能」とゆっているだけでは、水掛け論に陥りやすいですねぇ。今回の書込みでは、ひとつ事例を提示してみましょぉ。

#アタシがゆぅ「PLの背後霊的二重状態」ってゆぅのは、
#PLがPCを客体視して、ハンドリングしつつ、同時に架空のにんげん関係+社会関係での、PCの(疑似)体験を「味わう」こと、です。

ですから、PLのハンドリングが、「冷静な」こともあれば「熱情的」なこともあります。←いますよね? ゲームの競技的駆け引きに熱くなるタイプのPLさん。また、架空のPCがいつも「熱情的」とも限りません。

で、アタシがゆぅ、「PLの背後霊的二重状態」ですけれど、これは、「日本語で、平均的な水準の思考ができるにんげんなら、しかるべき目的意識を持って、自覚的に訓練をすれば、かなりの割合のにんげんが、達成できる意識の状態」、です。ただし、どのよぉな訓練をすればよいかは、目的によって違ってきます。TRPGについての今の議論の場合、目的の策定どころか、こぉした意識の状態が可能である、とゆぅことすら認知されてないわけですけれど。

事例:プロのホステス嬢の事例.プロのホステス嬢は、多くのかたが、一般に、日常的に「PLの背後霊的二重状態」的、意識のありかたで、仕事をしていると思われます。
「思われます」、では弱いとゆわれるかもしれませんけれど、ことが「意識の状態」についてですから、精密に描写すうるなら「思われます」としかゆえません(笑)。
まぁ、アタシが個人的に知っている、“ホステス”さんたちは、人数は多くないですけれど、みなさん、「意識の二重状態」で日常的業務を処理しつつ、お客さんとの擬似的な人間関係を楽しく演出するスキルに長けてるかたばかりです、、との傍証も書き加えておきましょぉ。
お客さんとの和やかな会話を“演じ”つつ、同時に意識の一部で、その日の売り上げ、店の回転率、お客さんの信用状態、将来性、etc、、を分析してるわけです。
プロとしてレベルの低い人ってのはどの業界にもいるもので、ホステスさんの間でも、「意識の二重状態」の管理がヘタな人、とか、もともと明確な自覚で、「二重状態」を意識できてない人、とかもいらっしゃるよぉです。けれど、この国にどれだけの数のホステスさんが、プロ的に活動しているかは知りませんけれど、その内、一定水準以上の「意識の二重状態」を自覚的に処理してる人の総数は、もしかしたら、アクティブなTRPGerの総数より多いかもしれません。いえ、、何の根拠もないのですけれど(笑)「多いかもしれない」って可能性を否定することも、またできないでしょぉ。ま、それくらいありふれた意識の状態なわけです。

でぶ猫さんがどぉ思われるかは、お聞きしないとわかりませんけれど、この事例ひとつをもってしても、アタシがゆぅ「意識の二重状態」が「絶対無理」って主張には説得力が無いよぉに(アタシには)思えます。<ですので、ぜひ、理論的論拠をお教えいただきたい。

#あるいわ、「プロのホステス嬢の『意識の二重状態』は日常的に反復されるから、TRPGとは違う」との反論が為されるかもしれませんけれど、例えば、カラオケでの事例もあげられます。カラオケの場のコントロールがうまい人は、歌にひたりながら、自分の歌がどれだけウケてるかを意識の一部で評価することができますよね。アタシもできます。

#いま、「TRPG総合研究室」で進んでる、この件に関連した議論は、「TRPGの原理・原論」レベルの検討だと思います。
#ですので、TRPGのPCハンドリングにおいても「PLの意識の二重状態」は不可能、ってことは断言できない、と、アタシは主張しておきます。←アタシがゆぅ「意識の二重状態」がセッションに活かせるものか、活かすにはどんなノウハウがあるか、は別種の議論だってことですね。もちろん、アタシは、「意識の二重状態」セッションに活かせるし、活かすためのノウハウもある、って意見ですけれど。

さしあたり、いじょぉです。
1998年08月02日:23時38分06秒
リンクはいるでしょー / ベン
 Prof.Mさん、やっぱリンクはいるでしょう。宣伝してね(笑)
Scoops RPG
 にどうぞ。
1998年08月02日:19時45分57秒
「キャラクター」が何だってんだ。俺は「アバタール」がしたいんだっ / Prof.M
ほとんど「キャラクター・プレイ」関連発言に対する茶々入れに近いのですが。

上のタイトルを見て意味の分かる方は結構いるんじゃないかな(^^;
RPGnetに掲載されているコラム「Ack!」の5月の記事 "Who Wants Role-Play?"の一節なんですけど。

「キャラクター」と「アバタール」ってのは,この記事内で使われている,プレイヤーキャラクターに相当するものを指しています。記事は,RPGnetか,ベン氏のウェブページにありますので目を通された方がよいでしょう(リンク付けた方がよかったかな?)。

その記事において,「キャラクター」とは,
>A character is a imaginary individual with a personality, history, background, personal preferences, quirks and behavioral tendencies that are distinct from your own. That is, a character is a Different Person than you are.
つまり「あなたとは全く違う別人」と定義され,
それに対して「アバタール」は,
>An Avatar, on the other hand, is more a sort of vehicle. It's a body (albeit imaginary) that your mind can inhabit, so that you can go where your body cannot go (to an imaginary world, that is).
と,「空想上の世界に入るための道具」,別の所では「たとえ外見や技能・知識量が現実の自分と違ったって,中身は一緒,『私自身』なんだ」と定義されています。

ここまでの話がどうラボの話題に絡んでくるかといいますと,ここ最近の「キャラクター・プレイ」関連の話,なんか「キャラクター」と「アバタール」がごちゃ混ぜになって語られている様に,私には見えるのですね。無論,私の理解不足が原因かもしれませんが。
で,論を展開している各氏が「キャラクター・プレイ」と言った時,脳裏にあるのは「キャラクター」プレイ,すなわち全くの別人を演ずることなのか,それとも「アバタール」プレイ,すなわち普段とはちょっと毛色の変わった自分をやることなのか,どちらなのでしょう?まあどちらか一方だけということは無いと思います。でも自分の「キャラクター・プレイ」がどちらに傾いているかってことを明確化するのは「キャラクター・プレイ」論の中で意味があると私は考えます。

あなたがやりたいのは「キャラクター」プレイ?それとも「アバタール」プレイ?
え,私?私は・・・セッションの最初では「キャラクター」プレイをやろうとし,終わってみると結局やっていたのは「アバタール」プレイ(^^; 傾向としては「アバタール」プレイに近いと認識しています。


1998年08月02日:14時58分02秒
定理なら(>陽陰さん) / アキト
 オッケェです。「定義」に引っかかってただけですから。あと、たしかに「定理」というのはふに落ちますです(私には思い付けませんでした)。
 
 ご協力ありがとうございました。
 あとは、ロールプレイ関連の把握ですが、これはでぶ猫さんのお話を静聴してからのほうが良さそうですね。
1998年08月02日:11時56分48秒
思考実験3 妄想という宿命(3) / でぶ猫
 ・・・えーと、どこまでやったかな。
 ああ、そうだ・キャラプレと感情移入だったかな。
 
 コホン・・・
 
 言葉の一人歩きを避けるため、ここではキャラクタープレイを
「キャラクターを表現すること」
 として、感情移入ほかときりわけます。
 通常、キャラクタープレイと呼ばれて連想されるものは以下の要素でされて いると思われます。
 ・キャラクターの表現
 ・感情移入
 ・上記二つの他人による認証
 このうち、感情移入はキャラクターの表現と強い因果関係があり、他人によ る認証(つまり共感、共有、理解)はキャラクターの表現によってもたらされ ます。要としてまず語るべきはキャラクターの表現であり、これこそがキャラプレ の核と呼ぶべきでしょう。
 
 キャラクターを表現するとはどういうことでしょう?
 それは、そのキャラクターにとって最適と思われる行動を行うこと、そして必要ならその心情的、思想的あるいは社会的、時には能力的背景を補足説明することです。 簡単にいってしまえば「らしい」行動を選択することですね。その「らしさ」について説明がいる場合には説明を行う。説明といっても、心情的背景と能力的背景などの葛藤と結論への筋道をかいつまんで語ったりするようなものです。
 ここで、「らしい」とかいてしまいましたがいったいにとって「らしい」のがよいのでしょう?
  1. 自分だけ
  2. 自分と、わかる人だけ
  3. 自分と、一緒にゲームしている全員

 もちろん、3番目ですね。1番目はロールプレイまたはゲームプレイ的側面を妨害しないかぎり無視されるだけですし(妨害したら顰蹙かうだけです)、2番目はわからない人を疎外して「つまらない」と感じさせてしまいます。
 そして、3番目を実現するのは以下のものです。
 あまりだらだらとした表現では、かえって「表現したいこと」への焦点がぼけてしまいます。そして、共通の認識に基づかなければ、せっかく説明しても誤解曲解されてしまう危険が高いでしょう。その場で喧嘩(議論)になってもおかしくありません。逆に、共通の認識に基づき、ツボを押さえた説明をすれば、表現したかったことだけでなく、説明しなかったことまでくみ取ってくれるでしょう。
 ところが、共通の認識というやつが実はくせ者です。
 RPGの場合、以下のものが考えられます。
 ※をつけているのはルールブックおよびサプリメントから取得できるものです。これについては、ルールブックをちゃんと読んでいれば、初対面の人でも話が通じるでしょう。
 共有する思い出というのは、以前、別の発言でもふれた「共通体験」に基づくもので、もっとも強固に人と人を結びつける力があります。このため、内輪の話が始まるとわかっててもなかなか止まらないということも起こり得ます。
 仲間うちでは、非常におたがいのキャラクター表現が理解しやすく、あまり気をつかう必要もないため、手間もかからず円滑感があってよいものです。実際、クローズドで気心の知れた連中とだけプレイするというのはコンベンションではずれプレイヤーやマスターにあたるストレスを思えば実に心安まるものです。
(実際、気心の知れた人とだけプレイするのってすごく楽しいことです)
 しかし、ここに外部からの参加者がいたとしたらどうでしょう?
 まれなる例外(その人が酷似した文化を持つグループでプレイしてたなど)をのぞいてその人は疎外され、おもしろくなく、自分の知らない何かを思い出して一緒にバカ笑いしてる連中に反感をもってもおかしくありません。
 仲間内で楽しいことが、よその人にも楽しいとは限らず、仲間内ではうまくマスタリングやプレイングができているからといって、コンベンションなどでもうまくいくとは限らない。この点、非常に注意が必要です。
 常識は、もっとも厄介な代物です。
 あなたの常識私の非常識という言葉があります。当たり前だあたりまえだと思っていると、他の人にとっては全然そうでもなかったということなど、誰にでも経験があることではないでしょうか?
 確かにだいたい共通していることはあります。しかし、たとえば何をどこまでやるかなどの程度の基準などは人によって(実際には育った家庭なんですが)ずいぶん違います。結婚して、両方の実家の間にたつようになって、これはしみぢみ実感しました。
 しかし、人はとかく自分の常識に頼りがちです。(というか、そういうデフォルト設定の価値観や道徳観をまとめて常識とよんでいるのですが) 自分と他人をきちんと分けて認識しないと、今度は自分が疎外されることになるでしょう。
 
 さて、次は「推論」「内挿的妄想」「外挿的妄想」と今回の内容をつきあわせてみようと思います。
(長くなったので今回ここまで)
1998年08月02日:03時11分05秒
ちょっと違った方向からコメント (思考実験3について) / ちょっと真面目なS
 引き合いに出されたので触れますけど……鍼原さんの言う 「PLの背後霊的二重状態 (笑)」 とゆーのは、「ああ、成程」 と分かります。ウチでも似たような表現をしていましたし (笑)。
 でも、でぶ猫さんの言う 1.客体的把握、2.主体的把握、この両者の 「一瞬一瞬の交錯がさながらうちわの両面にかいた籠と鳥が重なって見えるがごとき現象」 が 3.中間領域である、とゆー見方も否定できません。僕の心理学的な知識なんて雑学にも満たないですから、判断しかねます。
 ただし、「それが理想的状態である」 とゆーのは経験則的に確信がありますし、僕にしろ達成している自負があります。
 ある程度のレベルに達した人が (じゃないと危険な面もあるから)、更にこれを養うのに最も適切なのは……何と言ってもクトゥルフでしょお (笑)。(好きやな、僕も)
 
 ……で、それはそうと、今回、言いたい事。(^.^;)
 
 僕がキャラクタープレイをする時の感触をあくまで経験則的に言うと、「自分の中に別の誰かがいる」 とゆー表現になります。これは、キャラクターをより個性的な、より人間的な、より実在感のある存在として確立させようとすればするほど強くなる違和感で、よりそれらしく演じようとすればするほど弱まっていく違和感です。
 強くなるのは日常的なスパン、弱くなるのはプレイ中のスパンです。
 つまり、極端な話、「自分の中の誰かに自分が侵食されて行く」 とゆー、危なっかしい意味です (笑)。
 この時に重要なのは、プレイ中に於いてキャラクターシートが目の前にある事なんです。ダイスが机を叩く乾いた音や、ルール的な用語が飛び交う事なんです。
 じゃないと、自分が 「自分の中の誰か」 に因る侵食が進み、「これがTRPGである」 とゆー認識が薄れて行きます。
 やってる事はゲームから離れ、バーチャルリアリティーとしてのウェイトが高まって行き、駆け引きではなく願望の押し付けになって行き……で、僕の場合はここにもう一つ条件 (過度に臨場感を持って、過度に感動している事) が重なれば……はい、「暴走」 が起きちゃいます。(ウチの場合、周りも心得てますから全体の 「破綻」 までは至りませんけど)
 
 自己侵食とゆーのは、ウチのプレイスタイル上のキャラプレが演劇に近いからなのかも知れませんが……でも、演劇の役者の全てが 「侵食される危険を持っている」 とゆー意味ではないです。僕自身、驚いたんですが、「あくまで素の自分のままその状況下に対するシミュレートをしている」 とゆー、鏡さん的な人も演劇の役者の中にはいるからです。
 架空の他人を役作りしていく場合、役者は何がしかの 「心理的な歯止め」 を持っているそうなんですが、TRPGの場合は 「雰囲気を壊すから邪魔だ」 とすら言われるファクター (「ゲームである」 とゆー概念、ルールや小道具的なギミック、全て含む) こそがその 「心理的な歯止め」 に相当するんだと思ってます。
 勿論、「心理的な歯止め」 を自力で持っている人はいます。僕も自分なりの歯止めは持っています (それが効かないほどの状況は、まずありません)。そして、外の方々もおそらくそうでしょう。
 しかし、それはあくまで経験が深い人間に限るハズです。
 でぶ猫さんが 「一番下のゲームとゆー概念」 から積み立てる形で構造を解析し、キャラプレの危険性などを把握したと喩えれば、僕らの場合はそれを試みる 「TRPGはゲームである」 派とは別に、上から引き剥がす形で把握していく 「TRPGはゲームではない」 派があって、ある日、出会い頭にぶつかって 「ああ、成程。同じ事を言ってるわ (笑)」 となりました。(^.^;)
 逆説的な表現ですが、ウチがゲームとしての在り方、ルールやダイスに重要性を感じるのは、「ゲームではない」 とゆー見方を尊重できるからこそ、僕自身がキャラプレ擁護派だからこそ、でもあります。「根本、基盤、骨格は何か」 なんて言う以前にキャラプレをやる為にそれらは安全弁として必要不可欠だからです。
 
 もうちょっとだけ突っ込んで言うと……。
 「ごっこ遊びをやりたいヤツ? 単に起きたまま夢が見たいヤツ? やらせておけばいいじゃん。その内に深い楽しみがある事に気付くさ」、これはいいです。でも、「彼らと我々は別物だ」 と放り出すのは、おそらく社会的にリスクが高い事のハズです。(-.-;)
 記憶にも生々しい例の少年犯罪ですが……精神異常に起因する猟奇事件が起きた時に 「バモイドオキ神」 の代わりに 「ファ (ラ) リス神」、「ニャルラトテップ神」 などと口に出されたらどう対応するのか?……歯止めを無視してキャラプレだけに特化したプレイヤーを排斥していく人、彼らとの棲み分けを積極的に肯定する人は、その時に手痛いしっぺ返しを受けるハズです。僕が 「棲み分け論反対主義」 なのは、それが理由として大きい訳です。
 そういう意味で、僕は馬場さんには反感を持ちます。(あー、遂に言ってしまった (苦笑))
 勿論、達人的なあの人が考えてないハズはないでしょう (フォローフォロー (笑))。でも、「考えてない」 と受け取られかねない、一人歩きしてしまいかねないアイロニカルな表現は……ちょっと。(-.-;)
 ただし、それに安易に迎合して、「キャラプレをやるヤツはバカだ。程度が低い。放っておけ」 的な考えを持つ人がいるとしたら……僕は本気で反感を持つでしょう。その人こそが 「バカ」 で、「程度が低く」、そして、「放っておけない」 からです。(-_-+) ←青筋
 
 だから、この 「ゲームとしての基盤に立脚し、キャラプレを心理的に解析していく部分までも包括した連載シリーズ」 (笑)、馬場テキストよりも一般性的な意義が高いと思ってます。興味深く読ませて貰ってます。(^.^)
 
 PS1.ところで、でぶ猫さんが 「構造上の付加価値」 と言い切っちゃう事にSHiNさんや鍼原さんは不満あるそうですが……少なくともここで言う 「心理的な歯止め」、「安全弁」 としてはメチャクチャ強いですよ、この言葉 (笑)。
 PS2.殆ど感想文ですな、コレ (苦笑)。
1998年08月01日:00時21分49秒
でぶ猫さんの「思考実験3」へのコメントへのコメント / でぶ猫
 えー、まず、感情移入の対象との距離の持ち方についてですが・・・確かに1と2は両極です。
 かぎりなくどちらかに近い人、というのはいますが、完全にどちらかというのはまぁそう滅多にいないと思います。
 
 でもって、
  >でぶ猫さんには、ぜひ、類型(1)と、類型(2)を同時に体験してるってキャラクタープレイの理想的状態(だってアタシは思うの だ)について触れていただきたいです。←これは類型(3)、、どっちつかずってことじゃないです。
 
 これなんですが、鍼原さんの理想とする状態というのは、私にいわせればまさに3のことなんですよ。
 1は実はさめた視点です。2はかなり高ぶった視点です。冷静でいながら熱情的であるなどということがはたして可能でしょうか?
 同時には絶対に無理です。しかし、一瞬一瞬ならどうでしょう? ある一瞬はさめた冷徹な視点で対象をあやつり、次の瞬間にはわがことのように 喜怒哀楽を覚えている。これなら、ありそうではないですか。
 では、3の程度問題とは何でしょう? 乱暴な分類では詳細に触れませんでしたが、これは1と2、どちらにどれだけ自分の心を配分しているかの ことです。現象的には、冷静にプレイしているときと、見た目に現われないまでも入れ込んでしまってる時間、どちらが 多いか、そして、この二つの視点がそれぞれ別のことを要求してきた時、どちらをとることが 多いのかといったことです。
 
 鍼原さんの書かれた「PLの背後霊的二重状態(笑)」という状態は、この一瞬一瞬の交錯がさながらうちわの両面にかいた籠と鳥が重なって見えるがごとき現象ではないでしょうか?
 
 で、と、今度はインタラクションなんですが・・・なんか今頃わかったような気がするんですが つまり、これって難しくいえば相互作用、くだいていえば掛け合いですね。
 だとすればわかるような気がしますが、実はこれ、たぶんにゲームの要素(意志決定と葛藤)に関連してるので、 今はコメントできません。もう少し進めたら「なれあいとお約束」に関して書くと思うので、その時にリスクをふくめて 考察してみたいと思います。
(たぶん、その前に気分転換に「夢みる年頃−思春期とRPG」とか「ざるに盛った豆−ルールとプレイとコンセプト」[いずれも仮題]のような 思考実験に走ると思いますが) (sf:依頼により重複削除しました)
1998年07月31日:23時55分46秒
思考実験3 妄想という宿命(2) / でぶ猫
 さて、前回は感情移入の度合いと、イマジネーションの段階的分類を試みました。
 今回はそれとプレイングの関係を考察してみましょう。
 
 その前に、一つ考えて見てください。
 女の子のままごとや、男の子のごっこ遊びと、RPGの違いとはなんでしょう?
 ルールの不在? 確かに子どもの遊びは子ども同士の関係(しばしば力関係)がジルールとなります。対してRPGはきちんと成文化されたルールがある。ルールに従うのは抑制のきく年齢にならないとできないことです。
(実際には、Munchkinと呼ばれる、子ども同然の人もいますが、これは考えないことにしましょう)
 しかし、ルールが遵守されている状態は、仲良くお人形やおもちゃの車で遊んでいる状態と一見変わりはしません。やはりもう一つ何かあるはずです。
 ・・・ああ、もうわかる人にはわかってしまったようですね。
 そうです、子どもの遊びは漫然と、不意に思いついたように誰かがイベントを起こしたり(ままごとで、不意におとうさん役の子に「あなたさいきんうわきしてるんじゃないの」と持ちかけるとか・・・こういうのはないか(^^; いやあるかな(不安))何かをそのままなぞってみたりすることでたいていは空想と願望の代償行為のようなものなのですが、RPGには一つの違いがあります。
 それがゲームプレイです。子どもの遊びなら、一緒に遊ぶ子ども全員の合意さえあれば、どんな無茶な状況展開でもアリになりますが、ゲームプレイでは、全員がそれを望んでいるにも関わらず、実現できないことがあるのです。逆に、全員が望んでいない事態に至ることもあります。(この全員にはマスターも含みます。そして、マスターがルールに忠実で公正であるということを前提としています)
 ままならないからこそ、ゲームは面白いのです。そして、そのままならなさをかえって楽しんでしまうことができるのは大人だけです。
 では、ひるがえって子どもの遊びとRPGの共通点は何でしょう?
 一つは、キャラクタープレイです。子どもは子どもなりに、(浅薄とはいえ)自分の遊んでいる人形や車に何らかの性格を持たせています。たいていは願望充足系ですね。しかし、人生のひだを刻み込んで遊ぶことができるのは、これは大人だけでしょう。この違いは人生経験の差の現れと思われます。
 もう一つは、意外なことにロールプレイです。特にままごとでは顕著でしょう。おとうさん役の子は自分の知るおとうさんの役割を果たさなければなりません。これも人生経験がものをいう要素です。
 そして、感情移入。前回分類の1〜3の段階で言えば、2が非常に多いでしょう。また、イマジネーションも、Cの傾向があるものの他の子のひんしゅくをかうのでBにとどまることが多いでしょう。
 
 さて、こうしてみると、キャラクタプレイとロールプレイだけでは子どもの遊びと大差ないことがわかります。ゲームプレイをのぞいたものは、大人のごっこ遊びと呼ぶべきかもしれませんが、それもプレイヤーが大人の分別や人生観をもっている場合だけでしょうね。
 特に、精神的大人と精神的子どもの差異が大きく現れるのはキャラクタープレイです。
 さて、次回はキャラクタープレイと1〜3、A〜Cの考察といきましょう。
(あーなんか連載モードだ)
1998年07月31日:21時58分40秒
ちゃちゃ、ではないがつまらない事を・・・ / 3327
ちゃちゃ、ではないがつまらない事をちょっとだけ。

無視をするという意思決定は、無視ではない。

まあ、分からない人なんていないか・・・
1998年07月31日:21時08分32秒
RE:再質問 / 陽陰
 了解しました、アキトさん。ご質問の件、回答させていただきます。 
 しかし、これは私が勝手に使ってる分類だということだけは理解して下さい。
 
 と、アキト氏の質問から当方が気付いたこととしては、「定義」じゃなくて「定理」やんということです。
 
 というわけで、定理であることを証明してみましょう。
 論理学をまともにやってる人、突っ込まないでね。
 

<定義2>ゲームでは互いの意志決定を尊重しなければいけない。
 <前提2−1>ゲームには、相手が必要である。
 <前提2−2>ゲームでは相手もゲームを行う。
 
 というのを前回出しましたね。
 
<前提2−1>と<前提2−2>は納得していただけたと思います。
 此処で新しい前提を追加します。
 
 <前提2−3>無視された意志決定には意味がない。
 
 レスポンスが帰ってこない意志決定は、意志決定を行った意味がない、ということになります。これは、つまり、彼の行うゲームが無効化されたということになります。
 
 具体例を挙げて見ましょう。
 モデルを簡単にするために2人で行うゲームを考えます。
 プレイヤーAが行う「意志決定」をプレイヤーBが全て無視を行ったとします。
 その場合、プレイヤーAの存在意義は失せ、プレイヤーBが「一人」でゲームを行うこととなります。
 こうした場合、このゲームは、<前提2−1>からはずれ、矛盾を防止するためにここで行われたゲームはゲームではないということとなります。
 <前提2−3>を言い換えると以下の前提になります。
 <前提2−3’>相手の意志決定を無視してはいけない。
 
 此処までで挙げた前提は全て「ゲーム」から導き出されていますね。
 <前提2−4>前提2−1〜前提2−3’はゲームから導き出されたものである。
 
 そして、今までの前提を積み重ねることにより、<定義2>は導き出されます。
 そして、<前提2−4>より、これは、ゲームから導き出された定義となります。
 
 もちろんアキト氏がいっておられることも真ではありましょうが、私は、この定義がゲームに依って立っているからこそ、そこから「ゲーム性を保つ条件」と「ルール」が派生して現れてきていると思います。
1998年07月31日:19時37分29秒
再質問(>陽陰さんへ) / アキト
>たぶん、引っかかっておられるのは、<前提2-1>だと推測しますが・・・ 
 
 すいません。書き方を完璧に間違えてしまいました(変な表現ですが)。「 一人遊び」という言葉を入れてしまったために、論旨が腸捻転を起こしてい たようです。
 
 さて本題ですが、私が質問したかったのは、「<定義2>は果たして『ゲーム』 の定義なのか?」ということです。
 
 私の考えでは、<定義2>の内容は、『ゲーム』の定義には分類されず、
「他人の意志決定は、自分の意志決定の判断材料になる」と「他人の意志 決定をルールにない方法で阻害してはならない」の2つに分けられて、 前者は『ゲーム性を保つ条件』、後者は『ルール』に含まれるのではないかと。
 
 つまり、<定義2>の内容の有無については「ある!」と思うのですが、 それがどこに含まれるかについて疑問を感じたわけです。
 
 もちろん、重箱の隅をつつくような質問だということは重々承知しています が、やはり基本的な用語はきちんと把握したいので、どうかご協力願います。 
 
 えーと、どうやら『意志決定』『ゲーム』『ゲーム性』『ルール』については、 私の理解で大筋では問題が無いようなので、一安心です。ただ『キャラプレ』 と『ロープレ』の定義につきましては、やはり一筋縄ではいかないようです ので、再考してみます。ツッコミありがとうございました(礼)。
1998年07月31日:15時10分00秒
忙しいところ、レスをくれたからには (笑) / S
>要素をバランスよく1づつ持つ中庸もあれば、1000づつ持つ中庸もある。
 河嶋は後者の中庸でありたいし、また、そうやってどん欲になることで自分のバランスを維持し続けたい。
 それが中庸というコトバから外れるならば……
 これから河嶋は「どん欲バランス魔王」を名乗りましょう(笑)。
 
 大いに理解、共感できる部分が!!(笑)
 しかも僕は、旧12星座では 「天秤座」 です (笑)。 脱皮する老人でもないし、エターナルな戦士でもないけど (笑)。
1998年07月31日:10時25分19秒
でぶ猫さんの「思考実験3」へのコメント / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
でぶ猫さんの「思考実験3」を拝読しまして期待と、不満の入り交じったものを感じています。
でぶ猫さんは「感情移入」を乱暴に三つに分けた、とゆわれてますけど、これが、「思考を深めるためのステップとして図式的に概念整理がされた」ってことなら、アタシは積極的に期待したいと思います。分けられた「三つは抽象的な類型だ」ってことなら、次のステップに期待しちゃいます。でも、、そぉでないなら、、、多分、アタシには納得しがたい展開がなされちゃうんじゃないかなぁ??

でぶ猫さんには、ぜひ、類型(1)と、類型(2)を同時に体験してるってキャラクタープレイの理想的状態(だってアタシは思うのだ)について触れていただきたいです。←これは類型(3)、、どっちつかずってことじゃないです。
それは、、−−
>プレイヤーが対象を動かす時には、その機能的な長所や欠点に注目がいきます。(これは性格的欠点や長所も含まれますし、社会的な制約や特権もあります)
ってしつつ、同時に架空の状況を味わうことです。おもに、他のキャラとのにんげん関係を味わうことが中心になると思います。←だからこその、「疑似体験」なわけです。でぶ猫さんの記述では、PLによるPCの操作の側面だけが取り上げられていますよね??
この場合心証としては、PLの意識は「PCの背後霊(苦笑)、またはPCの超自我」の部分と、でぶ猫さんが類型(2)でゆわれた 「感情(しばしばプレイヤー本人の感情と区別がつかなくなっています)」の部分が二重になるはずです。
これは、「馬場講座」のゆぅ、意思決定の多重構造の範疇内のことですけれど、「馬場講座」で推奨されるプレイスタイル(意識の持ちかた)とは、重心の置きかたとハンドリングの方向性とが違うと思ってます。ほかにも重要な違いがあるのだけど、そんなに一遍になにもかも話せないぃ〜。

うえに書いた「PLの背後霊的二重状態(笑)」はキャラクタープレイの理想的状態で、アタシとかは、コンベンションで、調子がよいときに、通常の長さのセッション中2、3度、そぉした状態が訪れるかどぉかです。
アタシが、推測するに、T・K代表さん、Sさんのサークルでは、(たぶんクローズドグループってことも、ラッキーに作用して)、「PLの背後霊的二重状態」を高いレベルで維持するプレイを実践してるのではないか、と思います。
「PLの背後霊的二重状態」は、言い回しが変なだけで、TRPGのプレイ経験者の多くが経験したことのある状態だと思います。決して敷居の高いものではない、、ビギナーは知らないかもしれないけれど、「中級者」(←アタシは嫌いだこんな言葉、、できたら別の言いかたしたい、、)だと経験した人は少なくないはず。
むづかしいのは、この「二重状態」を任意に再現することでしょぉ。
アタシの意見としては、アタシ程度に、「キャラクタープレイ-疑似体験に向いたシステムで打率3割」にもってくノウハウはある、と思う。それも、決して突飛なノウハウではなくって。基本的なことの組み合わせで、、。

感情移入の件と同様に、「刺激とイマジネーションの程度」の三分類も、これが、思考を進めるためのステップとしての概念整理ならアタシは期待しちゃいます。 でぶ猫さんに重視していただきたいのは、実際のセッションにおいては(A)〜(C)のどこにも整理しがたい要素によって、ストーリー展開のドラマ性や、キャラクタープレイの方向性が決せられることです。
その要素とはPC間のインタラクションです。 キャラクターシートは、比喩的に言うなら、カラオケのテープのよぉなもので、PLが歌って(プレイして)はじめて、「PCのキャラクター性(らしさ)」が確定されるのです。そぉですよね? カラオケと違ってTRPGは複数人のインタラクションが進行するわけですけど、、まぁあくまで比喩的に、はじめての相手とデュエット曲をカラオケするよぉな様子を想像されるとよいです。
あむ、、この、カラオケの、たとえはよくないかしら?? 曲の解釈と歌詞の解釈と、歌い手の身体性とのコンビネーションで、同じ歌を歌ってぜんぜん違うイマジネーションを喚起することができるんだけど、、。

仮にセッションに参加するPLが、担当PCのイマジネーションを(A)と(B)との範疇内で用意してセッションに臨んだとします。しかし、アクシデントを含んだ、セッションの展開は、エンディングにいたるまでに、PCに設定を累積させ続けてゆくことになります。「PCのキャラクター性(らしさ)」の内容はセッション中のインタラクションによって常に上書きされるてくわけです。 さて、このインタラクションによって生々された、新しい設定、、「キャラクター性(らしさ)」の新しい側面ですけど、(A)でないことは自明ですよね。
異論は出るかもしれないですけれど、アタシの意見では、「インタラクションで新たに喚起されるイマジネーション」を、(B)か(C)のどちらかの分類に含めるのは無理があると思うけどな。

ちょっと尻切れとんぼだけど、、でぶ猫さんまたお願いしますね。

★Resなど★
>3327さん
3327さんのお話はわかったと思うの<ちょっと自信ない(汗)。んで、ちょっと自信ない分、すぐに「そぉですね」、って言い難いひっかかりを感じちゃってます。3327さんがゆってることに(アタシがちゃんと理解できてたら、、)反対ではないのだけど、、、その、、多分3327さんがしてた話とは別な方面でひっかかちゃうのだと思うのです。疑似体験とかのことなんだけど、、
あぁ、Resを書く時間が無くなってきた、ごめんなさい(<次の仕事に入ってる;笑)。

>SHiNさんへ
アタシはSHiN陰さん復活前よりも、固有の思想が形をなしてきてる気がしてますよ<エール。世間の人はちょっと勘違いしてるけど、編集者って文章書きのプロでなくって(それはライターとか)、文章読みのプロなのだ。
でも、確かに長く感じますねぇ(苦笑)。きっと、見出しをたてて、今よりきっちり、内容の構成を整理されると、同じくらい長くても読みやすくなりますよね。、、書くのに時間かかるけど、それはしかたないですよねぇ。
でぶ猫さんの「化粧」のお話とYANさんの「骨・肉」のお話は、、、どっちも比喩だと思うから、、、モデルにはなってないと思う、どっちも。Sさんのボールの話は、比喩的だけど、モデルかな? って感じ。
でぶ猫さんは、意識してないのかもしれないけど「付加価値」って表現は「付け足し」って前身があるだけに、アタシは不快感を感じてます。それに比べれば、お化粧だったら、、、まだ、、。
これ、言うと、、嫌みになるから、控えてたんだけど、、。塗装のしてないフィギュアで創られたジオラマなんて、ぜんぜん魅力的でないですよぉ(笑)。お化粧って大事なんだからぁ☆ そのうえ楽しいし(爆)☆
1998年07月31日:09時31分49秒
そうだ、おれは中庸派だ / 河嶋陶一朗
 鍼原さん、ナイスつっこみ(笑)。
 中庸……物事をバランスよく、極端にかたよらず……中正なことである。
 しかし、それはベクトルの問題。
 要素をバランスよく1づつ持つ中庸もあれば、1000づつ持つ中庸もある。
 河嶋は後者の中庸でありたいし、また、そうやってどん欲になることで自分のバランスを維持し続けたい。
 それが中庸というコトバから外れるならば……
 これから河嶋は「どん欲バランス魔王」を名乗りましょう(笑)。
1998年07月31日:09時23分30秒
チャチャ:構造を飲み込む大きな袋 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
Resは不要って話ですので。
>河嶋さん
「中庸」と「全部食べちゃえ」じゃ、イメージされる印象&連想がずいぶん違うわよ(笑)。「最小公倍数」と「最大公約数」くらい違う(笑)。←とても違うよねこのふたっつ。
チャチャ、しっつれぃしましたぁ〜。クスクス。
1998年07月31日:09時01分18秒
構造を飲み込む大きな袋 / 河嶋陶一朗
 Sさんの抽象的構造論、ざっと目を通しましたがよくわかりませんでした(苦笑)。
 しかし、だがしかし!
 大いに理解、共感できる部分が!!
 
 >みんなで全部食べよう (笑)。(←棲み分け論反対主義者 (笑))
 
 そうだ! 全部食え(爆)。
 河嶋は現実的に棲み分けを許容していますが、元々は中庸派!(あ、何かなつかしい(苦笑))
 全部だ、そう全部!
 TRPGは多用で複雑で七面倒臭い構造を持っていると思う。
 しかし、GMのあなたがそれらを飲み込んでしまう「袋」になってしまえば!
 PLのきみがゲームもロールプレイも世界観もばっちり楽しめる「袋」になってしまえば!
 
 問題は解決できるよ〜な気がするんだが……ど〜だ(苦笑)?
 自分を磨かず、ラクして楽しめるよぉな娯楽は売れるかもしれん!
 しかし、そんなヌルい遊びならおれはここまで入れ込んだりしなかった。
 自分の許容量を膨らませれば膨らませるほど……TRPGは楽しめると思う。
 問題はゲーム部分とロール(キャラ)プレイ部分の比率ではなく。
 その絶対量にあると思う。
 
 流れを無視した外野の意見は承知。よって、レスは無用。
1998年07月31日:02時28分12秒
TRPG抽象的構造論、「新説にして珍説、でも当たり前の事…のハズ」 / S
 「骨と肉」 (98年07月31日:00時15分28秒/SHiNさん) で 「いかが?」 と問われたので、「今だ!」 とばかりに以前に予告していた文章をアップします (←早く帰宅しろ、僕は (笑))。とは言え、現状の流れにそう逆らっている訳でもないと思います。でぶ猫さんの 「思考実験3 妄想という宿命(1)」 (98年07月30日:23時57分22秒) に関係している内容を含みますから。
 
 ただし、これは 「ゲームとドラマは等価値で互換可能、どちらが骨格という事も有り得ない、互いに支え合っているのだ」 とゆーSHiNさんに対する 「反論」 を意図するモノではありません。
 むしろ、僕はSHiNさんの 「等価値」 論には大きく賛同しています。
 あくまでも、僕の 「ゲームが前提に置かれなければならないが、集約していく先はドラマであり、基盤と頂点に貴賎の差はなく等価値である」 とゆー立場と見方から、SHiNさんの言っている事がある程度は表現できないか、と思ってのモノです。
 特に……SHiNさんのでぶ猫さんに対する 「平行線ってわけでもなさそうですが・・」 中の最後、
 
>さらにつっこんだ言い方をすると、ゲームへの感情移入を高めるために生まれたロールプレイが、逆にゲームによって高められ、その高められたロールプレイが再びゲームをより面白くするという循環・・
 これが大事なんだと思うのです。(そのためには、等価値、かつ互換可能でなくてはならないのです。)

 
 ……と、これについてのものです。はぅー、「甘い!」 って突っ込みの覚悟 (期待?(笑)) はしています。(-_-;)
 
★ 構造を 「球」 に喩えるのには理由があるけど、それはひとまず置いといて
 まず、僕の 「『疑似体験とゲーム性は等価値』 について」 (98年07月24日:03時54分10秒) 中、「ゲームとしての基盤」 よりも更に大前提的な扱いをしてる 「球の外」 ですけど、あれを以って 「TRPGの本質」 と断定しているつもりは一切ありません。
 だって、そんな事を言ったら、「野球の本質はコミュニケーションだ」 ってキテレツな事になるし (笑)、人のやる事なす事、全部それで片付いちゃうでしょーし。(^.^;)
 むしろ僕は、「TRPGの本質」、あるいは 「本質的価値」 は、その 「全体的構造」 自体にあると考えています。「意志決定+A」 っていう論議があったそうですが、これと言ってる事は同じではないかと。
 それを極限まで殺ぎ落としていった時に残った 「本質の本質」 が意志決定であって、それは何と言うか当たり前の事って気がするし、「でも、更に大前提になるべき精神はあるよね☆」 ってラヴリーに言ってるだけですから。
 
 で、アレに付け加えると、ですね。
 僕の考えでは、「『目に見えるゲーム』 が 『目に見えない 2つ』 に挟まれている」 っていう構造が重要であり、同時に 「RPGにとっては」 厄介なのではないか、と。
 鏡さんに対するレスでも触れましたが、ゲームっていうのは、「人と人のコミュニケーション (球の外)が、ゲーム (球そのもの) を通じて行われる形態であって、ゲームというフィルターで濾されて、コミュニケーションの結果 (球の中心) はそのゲームなりの形で特化する」、そうでしょ?
 
 アレは、前提順序であると同時に、過程順序なんです。
 
 そして、過程順序として考えた時、これは1プレイごと、あるいは瞬間瞬間、様々なスパンで循環するものであって、巨視的に見れば (って言うかトポロジー的に見れば?(笑))、球状の 「たまねぎ構造」 の内外は連結して 「ループ構造」 になっているハズです。
 でも、全く同じ所を繰り返す単純なループではなくて……少しずつ向上していくからスパイラルでしょ? 言うならば、「“切磋琢磨のたまねぎ螺旋”構造」 (笑)。
 しかも、必ずしもその順序は一定ではないから (注:この辺がSHiNさんの言う 「状況ごとの互換」 っぽいかなぁ……)、カオス的と言うか、アトラクター的と言うか、混沌とした軌跡を描くハズ。
 単に川の流れのように 「大局的に見た時の流れ」 であって……でも、「大局的に見た時の流れ」 としてはあくまでも一定している事こそが重要だと思います。全体として逆流し続けたら 「異常事態」 でしょ?
 
 ……はぅ。すみません。めっちゃ複雑な構造になっちゃいました。(T.T)
 だから言いたくなかった (苦笑)。(注:でも、おそらくは 「この循環をよりスムーズに行わせる、プレイ環境に対する自律的な制御機能を持ったシステム」 が、「キャラプレ推進のシステム」 なんかよりも遥かに強く求められているんだと思います……今の日本には。手に入れてないもんで詳しくは分からないですけど、トレイダーズなんかはその走りとなる雛型じゃ? 僕はそーゆー考えだから、システムデザインする時は 「根本」、「あるいはOSに相当する部分」 としてかなり意識してます
 
 この 「“切磋琢磨のたまねぎ螺旋”構造」 とゆーのは、野球にしてもその他のスポーツにしても、あるいはシミュレーションゲームなどにしても同じ。
 例えば野球の場合、「やりがいがある」、「面白かった」、「上手くできた」、「感動した」、「勉強になった」、過程で抱いたこういう感情や意欲や思い入れの高まりは 「次への原動力」 につながり、大前提となる監督やナインとのコミュニケーションにしても、前提となる野球技術にしてもより向上し、更に強い感情と達成感を抱く……これは、言うならばスパイラルインフレーションですよね。
 これ、万事、何事にもあると思うのです。(……勿論、デフレもあるでしょうが)
 そして、ここまで来れば、「野球というゲームの価値より、野球を通じて得た感動の方が卑しい」 だなんて誰も言えませんよね。
 それは、TRPGに於いても言える事で、その為の一助たるキャラプレも (偏重しない限り) 別に卑しくはない。SHiNさんが言う通り、自存する為に 「支え合っている」 ハズです。
 でも、これは……僕が感じ取る限り、この掲示板にいる人全てがさして変わらない見解だと思うんですが……そりゃ、確かに僕は過去ログのほんの一部しか見てないワケですが。
 
★ 「球」 に喩えると分かる、TRPGの危険性
 ただ、TRPGは 「コミュニケーションなしでは絶対に成り立たないゲーム」 である上、「球の内側」 が非常に大きな魅力であり、「球そのもの」 であるゲームを挟んでいる 「目に見えない 2つ」 が、他のカードゲームやシミュレーションゲームなんかより極めて強いんですよね。
 ここが、前述した 「『“ゲーム”が“目に見えない 2つ”に挟まれている』 っていう構造が重要であり、同時に 『RPGにとっては』 厄介なのではないか、と」 の意味です。
 
 まぁ、幾分、抽象論的ですけど……、「球の外」 から 「球の中心」 にダイブする際、目に見える筈のゲームが不可視に引っ繰り返るって事が、TRPGの場合は特に起こり易いんだと思います。
 「過程上、中心点たるドラマや快楽にダイレクトに到達したくて、その過程の、そして最も重要なゲームとしての部分をスッ飛ばしてしまう」、こう言った方が近いでしょーか。
 間接的につながってるものを、直接的につなげちゃうんですよ。どちらも非有機的で、かつ似た性質ですから、TRPGぐらいに条件が (良きにせよ悪しきにせよ) 揃っていれば、つながり易いんでしょお。(注:この現象をビジュアル的に説明する事を第一とした為、僕はTRPGの構造を球に喩えてややこしくなって爆死してるワケです。だからSHiNさん、「意義を見出していない」 って事はないと思いますよ。多分。(^.^;))
 これが 「ゲームなんてどうでもええわい、ドラマ第一じゃい、おりゃあ」 的なスタイルの、心理上の発生プロセスでは?
 言い方を変えれば、「TRPGの構造上、どうしても自然発生しちゃう」 とゆー。
 しかも、大前提のコミュニケーションまでスッ飛ばされた日には、そんなテーブルについた自分の運命を呪うしか (笑)。
 
 言わば、「野球をやった時のドラマ」 を得たいが為、「野球としての在り方、あるいはルールを無視する」 みたいな本末転倒であって。
 そうすると、「あくまで野球のドラマにこだわる」 のか、「ドラマなら何でもいい」 のか、そーゆー問題があって。
 前者なんだったら 「やっぱり野球の在り方、あるいはルールは無視できない」 し、後者だったら 「野球をやる意味はない」 んですよね。(^.^A)
 
 そして、これが馬場さんが 「RPG世代論−あるいは盛年の主張−」 (問題ないみたいなのでベンさんのHPにリンク張ります) で言われている事に含意されている問題提起でしょお。
 つまり、どちらかと言うと、「いきなりPやRPをやる初心者」 より、「RPGからGを抜き取っちゃう中級者」 の方が多いんでしょ。「多い」 で違うなら、「問題がある」 でしょうか。あくまで私見ですけど。
 こつこつとプレイしている内、ある日、劇的に触れてしまったドラマという快楽に心を打たれて、その為に他の要素を犠牲にしちゃう……現在満10年間、色んなスタイルを実験して来た (つもりの) 経験則から判断してますが、これは 「外的な麻薬」 に侵された状態ですよ。ウチのサークルも、侵されかけて危うく危機一髪な事例が過去にあります。(^_^A)
 一方、ゲームを踏まえてドラマに到達しようとする場合、困難や障害を克服する為の努力や考察の果てにあるもので、芸術で言うところの 「昇華行為」 みたいな、「内的な麻薬」 なんですよね。
 路上で怪しい外国人を捕まえる人と、努力したその報酬として脳内麻薬が得られる人の、その両者の違いです。馬場さんは、前者に迎合して後者を見捨てた業界を皮肉っているんですよ。多分 (笑)。
 じゃなかったら、キャラプレやる僕はリミット切ってます……はぅ (笑)。(注:ブラックジョークと割り切れば、アレはかなり笑えます。お勧めです。ただ、前者の人に手を差し伸べる事は忘れないでね☆ (苦笑) それこそ、SHiNさんが言う 「排斥主義」 でしょ)
 
 だからこそ、ってなつなげ方では薄弱ですが (笑)、「球そのもの」 であるゲームが大切。
 それは、TRPGとしての 「本体」 なんですから。「“切磋琢磨のたまねぎ螺旋”構造」 説を唱える僕としては (笑)、根幹とか根本とか基盤とか磐石とか骨格って言うより、この方がしっくり来ますね
 第一、TRPGのゲーム的側面って面白いですからねー。僕は、「危機的状況それ自体と、そこから脱する事を考える」 のが一番で、「特にクトゥルフの、状況に対する推理と、その後の行動指針を話し合う (ただし、PC間論議の形で行い、互いに立脚点を確保し合う事を伴う)」 のが二番ですね (笑)。
 その上で付加価値を楽しめれば、これ即ち是。ポテンシャルを何処まで引き出せるか、如何にバランスを保つかとゆー事そのものへの挑戦が同時にあるワケですから。
 みんなで全部食べよう (笑)。(←棲み分け論反対主義者 (笑))
 
 PS.はぅー、ちょっとゴーマンな内容になってしまった……いや、あくまで冗談交じりで軽薄な 「バカ理論」 として読んで下さい (笑)。僕の望みはそっちです。(^.^;)
 SHiNさんだけじゃなく、広く意見を求めまーす。僕は、「切磋琢磨」 を第一目的としてますから。
1998年07月31日:00時58分47秒
意志決定の概念はパス。 / SHiN

 (陽陰さん)
 >私は、貴方の仰ったシナリオでは、あまり楽しめないと思います。
 
 こういうことを言うのは、『らしく』ないのでは?
 ここで重要なのは、「話を聞いた相手が違う対応をとりえる」と言うことであり、
 楽しめるかどうかは別の話だってことくらいわかってもらえるでしょう?P.S.にしたところで、趣旨を混乱させてしまうことに変りはないですよ?(実際、面白いかどうかなどやってみないとわからないでしょう。)
 
 >はい。貴方は、既に、ログの遙か彼方で前提条件全てに理解を示しておられます。
 
 用語のすりあわせの事をおっしゃってますか?
 あれに関しては、わたしは、「言葉を理解したが賛成したわけではない」と はっきり宣言してますし、その上、
 「SHiNさんのいいたいことは、意志決定の話題をもちださなくても議論できる」
 という意見を受け、「意志決定」の概念に関する議論はパスする、とまで宣言しています。
 
 これを無視し、過去の前提を持ち出されてもちょっと・・
 
 それに、それを言うなら、わたしは
 『TRPGの本質は意志決定+A』であるという『結論』を、でぶ猫さんが尊重しているようには見えません。
 
 まあ、この件は、ホントにパスさせてもらいます。
1998年07月31日:00時47分47秒
キャラクターロールプレイについての誤解 / SHiN
 でぶ猫さん 
 >しかし、わかったふりをするのは勘弁ねが いたいと思います。
 
 ふりってのは、ちょっと...
 (自分では、わかってるつもりで発言した。それが間違いだった。って事はありえますけど。)
 いちおう、この件についての最終的な『言い訳』を、長文投稿にアップしました。 これ以上、言うことはありません。
 
 >一つ、提案ですが、議論はここらで打ち切って、今一度、論考形式で長文ボードにま とめたものをアップされてはいかがでしょう
 
 そうですね...。これまでは、レスにおわれ、自分の意見を純粋に書く機会もなかったですし・・
 (ついつい、他人の意見に対するレスとまとめてしまい、これについてはおしかりもいただいていますし。)
 
 ただ、一度にいろんな事についてレスをつけられてもちょっと、処理しきれないって事が今回実感できました。
 
 で、ひとつ、決定的な誤解があるのではないか?って気付いたことがあるので、 それを確認させてもらえないでしょうか?
 
 詳しくは、の過去ログ12の、
 98年07月29日:23時36分53秒
 ゲームとルールとキャラクターロールプレイの関係 / SHiN
 を読んでいただきたいのですが、簡単に、及び補って書きなおすと
 
 ●キャラクターロールプレイ要素(長所、欠点、呪われた運命など)は
  ルールがサポートしている、していないにかかわらず、常に存在しているという事を理解していらっしゃるでしょうか?
 
 ●キャラクターロールプレイを楽しむ、重視するということが、ルール軽視につながるという誤解をされていらっしゃらないでしょうか?
 
 ●『妄想』とされてしまう「キャラクラーロールプレイ」は、意志決定の意義の薄いゲームと同様、「悪い例」に過ぎず、
  レベルの低いプレイ形式であるという事をわかっていただいてますでしょうか?

 
 どうも、この件についての誤解があるような気がするのですが・・
 
 (すくなくとも、私は、そしておそらくハリハラさんも、ルールを軽視したりしないし、自分や他人のキャラクターロールプレイが『個人の妄想』で終わらないような努力を行ってると思いますが...)
1998年07月31日:00時40分18秒
何故理解を求められるのか / 陽陰
 これは、SHiN氏が98年7月30日に書き込まれた陽陰さんとでぶ猫さんの意見をどのように読み取ったか。に対するレスです。
 
 まず、本人を差し置き、解釈問題に発展することを避けるため、でぶ猫氏の発言に関するコメントは割愛します。
 ま、この辺りで突っ込みたくなる気持ちも分かりますので、ご本人からの突っ込みがなければ後で行っても構いません。
  *****
 >これって、即、理解できて当然の話なんでしょうか?
 
 はい。貴方は、既に、ログの遙か彼方で前提条件全てに理解を示しておられます。
 そして、そこから三段論法で求められる程度の論理的考察力を期待するのは、過分な期待なのでしょうか。
 
 また、判っていない、とか、私やでぶ猫氏が苛ついているところがどこかといいますと、あなたが理解を示して、同意を示した前提条件に対し、反論をぶつけてくるからなのですよ。
 
 前提条件A(仮にX=Z)と前提条件B(仮にX=Y)と結論C(仮にY=Z)があり、AとBに同意を得て貰って、Cについて語ると、Aについての反論を出してくるようなことをなさっておられるのです。
  *****
 先の私の意見をSHiN氏は、「人間同士の駆け引き」と捉えておりますが、もっと簡単に言いますと、「読み」になります。<条件1>
 つまり、何をどう選べば、どういった進行になるかということですね。<条件2>
 これを言い換えれば、「先を考えた意志決定」になります。<条件3>
 これは容易に、「最適化を指向する意志決定」と言い換えることが出来ます。<条件4>
 あら不思議、SHiN氏が捉えておられるでぶ猫氏の意見の中身とほぼ同じになりましたね。
 
 これに対する反論は、どの条件に対する反対意見があるのかって事を明確に指定して下さい。
  P.S.
 私は、貴方の仰ったシナリオでは、あまり楽しめないと思います。
1998年07月31日:00時15分28秒
骨と肉 / SHiN
YANさん
 >ええと、お久しぶりです。
 
 いえ、こちらこそ(笑)
 
 
 >なんとなく思い付いたのですが、「RP」と「G」の関係って、「肉」と「骨」の関 係に似てませんか?
 「骨」は、肉の基盤となり、また支点として動きに制限を加えながらも、その実、肉 の動きをスムーズにする働きを持っている。
「肉」は、無機的な骨の外見を覆い隠し、肉体的な美しさ、躍動感を与える。
 それぞれ役割が異なる以上、必ずしも「等価値」でなくとも構わない、と思いますけ ど、まあ、どちらも大事ではありますよね。 

 
 
 この意見は、馬場講座や、でぶ猫さんの『キャラプレ=化粧』論とくらべると、 わたしにはかなり賛同できる内容です。すくなくとも、『不可欠』という意味が誤解の余地なくちゃんと表現されており、 なによりもこの『不可欠』という認識が大事だと思うからです。
 わたしの『等価値』論は、また、別のアプローチで示す事として(実際、そっちの方がいいかも。) このYANさんのモデルに、賛成します。
 (ハリハラさんや、でぶ猫さん、Sさんはいかが?)
 
 >個人的には、「どちらがどのくらい重要か」という話より、「それぞれを上手く機能 させるためには、どうすれば良いか」って話を聞きたいです〜。 
 
 え〜・・・・
 そうですね・・いまの展開では、いろんな意味で限界を感じてますし、
 でぶ猫さんやSさんからも、似たようなおすすめをいただいてますので・・・
 
 あ、YANさんのリクエストにもお答えします。
 今度は、感想くださいね(笑)
1998年07月30日:23時57分43秒
一人遊び / アキト
>こちらから、逆に質問ですが、真の意味で「一人で遊ぶゲーム」というものはあるのでしょうか?
 
 やぱっりきましたね。何しろ書いてる段階で自分でも「あるんか?」とか思ったぐらいですから。
 書いてた段階では「ランダム性の高いゲームはそうなるかな?」と思ってたんですが、よくよく考えるとそれも大局的には「一人遊び」にならないんですよね・・。
 結論です。「非常に参加人数が多いので不確定要素が高いゲーム」と「現実」がやや似ているぐらいで、やはり厳密な「一人遊び」はないとし、前言を撤回します(謝)。
 かべはあついなぁ(嘆)
 
1998年07月30日:23時57分22秒
思考実験3 妄想という宿命(1) / でぶ猫
 柳の下に幽霊を見るのが人間の心理です。
 現実の人間を構成するに比してあまりにも貧弱な情報の集まりにすぎないゲームの 駒に対しても、ほんのちょっとの補助情報だけでそれはなじみ深い友人のように感じ ることができるのです。これが感情移入です。
 この点に大きな重点を置かれたゲームがTRPGです。
 
 感情移入にも、人それぞれに差異があります。まずは、その対象との距離の置き方 について考察してみましょう。
 まず、ざっくり乱暴に三つにわけてみます。
 
(1)客体的把握
 プレイヤーの心象として、対象はプレイヤー本人の自我とは別個の存在として認識 されます。プレイヤーが対象を動かす時には、その機能的な長所や欠点に注目がいき ます。(これは性格的欠点や長所も含まれますし、社会的な制約や特権もあります)
 初心者と、すれっからしの古手のゲーマーに多いと思われます。
 
(2)主体的把握
 プレイヤーの心象として、対象はプレイヤー本人の自我と区別がつかなくなるほど 近しい存在となっています。プレイヤーが対象を動かす時には、機能的な面よりも、 感情(しばしばプレイヤー本人の感情と区別がつかなくなっています)を優先します。
 TRPGの場合、おもしろくてしかたない時期の人に多いと思われます。
 
(3)中間領域
 上記1と2の中間領域です。これは1と2どちらに近いかで無数のバリエーション がありますが、1と2のどちらの特質がどれだけ出ているかの程度問題であると思わ れます。また、状況によってふだんは1であっても高ぶって2になってしまうような 不安定さもあるでしょう。
 大多数の人はここに属すると思われます。
 
 3については、程度問題であると仮定して、1と2を比較してみましょう。
 まず、どちらもマナーのなってない人、独善的な人がいる可能性があります。1の 場合、このような人は大変狡猾に動くので、大変悪質です。2の場合は、感情に 先走って人の意見に耳傾ける余裕がなく、手におえません。マスターが十分に狡猾 にふるまうことができるならば1の独善者には対処できましょうが、2の独善者は
聞く耳もたないだけに、すべて徒労に終わるリスクを承知で気長に説き聞かせるか、 いっそほうり出すより手がありません。どちらにしても、いると困る人がいること には変りありません。
 では、そのような悪意のない人の場合、どうでしょうか?
 実は、1の人は客観的視点を保っているだけに、自分で自分の過ちに気づきやす く、忠告や助言も受け入れやすい状態になっています。しかし、2の人は冷静である 時でなければ、そのようなものを受け入れることが難しいでしょう。特に感情的に 高ぶっている時などは、ひどい反発を受ける危険すらあります。
 2は、感情の制御という面で大変な欠点があると言えるでしょう。2が1に対して すぐれているのは、おそらくツボにはまった時の気持ち良さでしょう。1がせいぜい 知的充足感しか得られないのに、2は忘我の境地も夢ではありません。
 
 さて、ここで視点をかえてみましょう。
 イマジネーション(空想)には元となる刺激が必要です。ここでは、刺激とイマジ ネーションの程度を、これまた三つに分類してみます。
 
(A)推論
 データ的なものの隙間を埋めるものです。論理的に導出されることが多いでしょう。
 いろいろな推論ができるはずですが、プレイヤーはその一つを任意に選択します。
 例:クラッシックトラベラーで社会身分度2(最低)の商船船長ができたとします。 この社会身分にして、滅多になれない船長の地位を獲得したのだから、このキャラは 大変な苦労をした人なのだろうという推論ができます。
 
(B)内挿的妄想
 データにくわえて、世界設定やゲームのコンセプトを考慮してより詳細に情報を妄想 したものです。(ここで妄想という言葉を使ったのは、基本的にこれは勝手な思い込み であるからです。はしにも棒にもかからないものである危険は常にあります)
 しかし、これはまだゲームコンポーネントの中で与えられた情報の枠内におさまって いるもので、プレイヤーは枠に抵触する場合は、適宜調整を行います。
 このため、他プレイヤーにもわかりやすく、共有しやすく、関係を持ちやすい長所が あります。
 例:先程の船長について内挿的妄想を行ってみましょう。クラシックトラベラーの世 界では帝国健在の時代で、爵位などがあり身分というのは重要です。しかるに社会身分 度2ということは、いわれない差別と戦ってきたはずです。船長であることも勘案して 彼は、これまでも官憲によって何度も犯罪との関連を疑われてきたのだろうと妄想してみましょう。(そう、「おまえのようなやつがまっとうなやりかたで船を手に入れることな ぞできるものか」とか言われたことがあるのでしょうね)
 
(C)外挿的妄想
 ここまで来れば、世界設定もデータも気にすることはありません。好きなだけ好きな 妄想を行ってつけくわえることができます。しかし、どんな妄想をつければいいので しょう? 自分のキャラクターの能力や装備だけでは寂しいから、もっとかっちょよく したい、あるいはもっと美しい背景を持たせたい。そんな妄想を満たせばいいのです。 どんな風にやるかは、あなたの自由、自分がこうなりたいという願望でもいいですし、 小説やマンガであこがれた登場人物を無理やりもってきてもいいでしょう(世界観にあう ような適用は内挿的妄想になってしまいます。もっと自由にやりましょう)。わかる人にわかればいいのです。わかんない人がいても気にすることはありません。楽しいのが 一番なんです。マスターに文句なんかいわせちゃいけません。
 例:先程の船長氏はきっとすごい冒険をやってその功績で船長の地位を手にいれたに 違いありません。宇宙の冒険といえば、やはりスペオペの世界でしょう。そう、身分が 低いという堪え忍ぶ系からして、きっと彼は元タフ・ヒーローだったに違いありません。 彼については、彼を主人公とした短編小説をかいて添付することにしましょう。
 あ、もちろんイラストは必須ですね。
 
 えー、ちょっとCについては悪乗りしちゃいました(苦笑)。実際にはここまでひどい ことは滅多にないはずです(たぶん、きっと、おそらく)。しかし、部分的にでも、ここ まで行ってしまう可能性は常にあります。特に前述分類の2の要素と組み合わさると・・・。
 
 さて、この12およびABCと思考実験1で分類した三つのプレイとの関係について 考えてみましょう・・・というところで続きます。
1998年07月30日:22時57分51秒
RE:質問 / 陽陰
 たぶん、引っかかっておられるのは、<前提2-1>だと推測しますが・・・ 
 こちらから、逆に質問ですが、真の意味で「一人で遊ぶゲーム」というものはあるのでしょうか?
 
 ゲームブック、CRPG等を取ってみても、ゲームマスターとしてのシナリオライター・デザイナーが存在するわけですし、彼等が、そのゲームのシステムの中で、プレイヤーの「意志決定」を尊重してないと、それはゲームではないのでは?
 つまり、ゲームっていうものは、この高度に「人の代替物」が発展した世界ではわかりにくいけれどもやはり、複数でやるものであると言えるでしょう。
 
 尚、アキトさんの言語定義(「質問(>陽陰さんへ)」で引いておられる分)は、私のそれと合致していると言っていいでしょう。
 ただし、「ロープレ」と「キャラプレ」は少々違います。
 
 ○5「ロープレ」
  PCがその話の中で当然期待されている役割を演じること。(ただしお約束とは違う)
 ○6「キャラプレ」
  意志決定の方向性を周囲にアピールするもの。
 
 と、なります。
 ま、何故、「キャラプレ」を馬鹿にする方向で話をするのかっていうのは、また別の話ですので今回は止めときますね。
1998年07月30日:21時56分00秒
質問(>陽陰さんへ) / アキト

(GMのスタンス 98年07月29日:22時55分11秒)
>これを理解できるか否かは、貴方が「ゲーム性」というものを 理解しているかの問題なのですけど・・・
 
 すいません、『ゲーム』についてはわかってるようなんですけど、 その前提となっている『ゲーム性』をどのようにお考えか教えてください。
 あと、<定義2>は根拠が曖昧で、理解できません。これは『ゲーム』の定義ではなく、2人以上のゲームの『ルール』だと思います(だって全てのゲームが複数で遊ぶものとは限らないのでは・・・・確かに1人だと面白くないですけど)。
 ちなみに、私がどのように『』内の言葉を捉えているかを付記しておきます。
○1『意志決定』:行為。判断。複数の選択肢の中から、自分の「意志」で1つに「決定」すること。ただしRPGにおいては自分が立場によって複数存在しうる。
○2『ゲーム』 :意志決定の場。
○3『ゲーム性』:性質。意志決定の余地がある状態。
○4『ルール』 :基準・物差し。意志決定をする上でのガイドライン。選択肢を評価することによりゲーム性を保つための仕組み。
○3の条件:各選択肢がメリットとデメリットを持ち、かつそれが判断材料として示唆されていること。
1998年07月30日:21時54分01秒
レスのレス / アキト
>SHiNさん
 はじめまして。迅速なレスをいただき大変感謝しております。 私の意図は、SHiNさんのお書きになった「議論に参加したいが、 用語の使い方がわからない。こういう理解で参加してもかまわないの だろうか?」とほとんど一緒です。ただ一応補足しておきますが、 知りたかったのは「皆さんの用語の使い方」です。
 『前提』はそのために「方眼紙のようなもの」が欲しかったので、 できるだけ目の細かいものをこちらで用意したまでのことです(ですから、ある意味で非常に身勝手な「お願い」だったわけです)。
 ただ、『用語の用い方 (98年07月29日:01時58分46秒)』を読んでも それまでのSHiNさんの使い方がいまいち判らないので、教えていただけると ありがたいです。
 
>あずまさん
 どうも、はじめまして。レスありがとうございます。あずまさんの フォロー&励ましのお言葉は非常にありがたかったです。
 これは大きな声では言えませんが、やっぱり「これから読む人のため」 にも整理したかったんですよ。ただ、私は「当事者でない」以外に取り柄 がありませんから、とてもそこまで断言できなかったのです(だって整理って 言って整理できなかったら迷惑この上ないですもん)。
 これからもよろしくお願いいたします。
 あ、私が原因で喧嘩しないでくださいね。
  
>鍼原さん
 まずは一言、「ひどいや神無さん、僕の秘密をばらすなんて!」と。 いや、別に気にしてませんし、忠告はごもっとも、な・ん・で・す・が <プレッシャー(笑)
 と冗談はさておき、レスありがとうございます。勉強もちゃんとやってます。 ただ、ここでの書き込みは「要約&論理的文章作成の勉強」と無理矢理考え てる(爆)ので、少しぐらいはオッケェかなと。
 でも端から見ててヒートアップしてるように見えたら、今回のようにツッコミ お願いしますね。
1998年07月30日:20時21分58秒
遅いリプライですが(^^; / あずま

どうも、あずまです。今日は一日外勤だったので、昼間に書き込めませんでした(;_;)
明日も一日中外勤。リプライが遅くなっても逃げたわけじゃないからね(笑)。

ご無沙汰してます>鍼原さん
98年07月30日:00時44分11秒の『将棋のコマのキャラクタープレイ / 鍼原さん』ですが。
言い訳してもいいですかモード(^^;

下手な文章を書いておいてアレですが。
でぶ猫さんの書き込みが面白かったのと、あと、話題が変えられそうだったから食いつきました。
だから、本当に変な文章でごめんなさい。他のみなさんの仰るとおりです。


えーと、やんわりと言っているつもりですが>SHiNさん
98年07月30日:00時23分52秒の『あずまさん、アキトさんへ / SHiNさん』

>>その前にアキトさんが整理され、「これを前提に話をしよう」と提案されていることを、
>>無下に却下されているように見えます。
>なるほど。
>だとしたら、もう仕分けなかったかもしれません。
>謝罪しておきます。
>ただ、わたしは、アキトさんの書き込み意図を、
>「議論に参加したいが、用語の使い方がわからない。
>こういう理解で参加してもかまわないのだろうか?」
>そういう意味だと考えたのです。

・・・・・・・・・・・本当に謝罪する気、あるんですか?
謝罪しておきます。と言った舌の根が乾かぬうちから、自分勝手に展開してますよ?


1998年07月30日:19時37分23秒
中間報告+ / S
 ちょっと出遅れている感もありますが、今、なるたけ早く過去ログを読破しようと試んでまーす。(^.^;)
 しかし……はっきり言って、その想像を遥かに上回る膨大な量と、論旨の把握の困難さに参ってます。(-.-;)
 実は 「マスタリング研究室」 から始まっている、と知った時には腰が砕けました。(T.T;)
 依然として 「マスタリング研究室」 の方は確認してませんが、現在、当 「TRPG総合研究室」 は、LOG 001から 007までをざっと読んでみたところです。(←精読、ではないです。そんな余力ないです (苦笑)
 
 正直、頭がパニックです〜 (苦笑)。
 
 そーゆー状態になっていた時に折りしも 「疑似体験と 『コンセプト』」 (LOG 007/98年06月27日:02時07分33秒/ベンさん) があり、しかも 「僕が読み易いと感じるタイプの文章」 で、かつ内容が総括的だったので、ホントもぉ大助かりでした。
 僕自身の 「私的術語」 を 「公的術語」 に置き換えて整理・修正するのに当たってもジョイントとなるもので、現状の自分の理解にかなり安心できました。ベンさんにはお礼申し上げます (礼)。
 
 それと、逆上って読んだ事で、何が議論上の食い違いを起こしているのか、何で空気がぎすぎすしているのか、根っこの所がやっと分かりました〜 (苦笑)。現行ログ、及び直前のログに於けるでぶ猫さん、陽陰さんの説明は、僕自身の理解を後押ししてくれるものでもあって、有り難かったです (礼)。
 
 うーんと。(^.^A)
 でも、SHiNさんも色々と面白い事を言っている訳ですし、あるいはまだ 「言葉のあや」 という可能性だって皆無じゃないでしょう?
 僕は人の事を全く言えませんが、確かにSHiNさんの文章は、僕にとっては脈絡的にちょっと掴み辛い所がありますし、「はにゃ?」 と思ってしまう所もあります (すみません)。その為、僕は多分に 「ニュアンスで直感的に、変換しながら捉えている」 傾向がありまして……皆さんのように断定はできないんですが。
 
 それに、僕だって 「論理的証明を以って自分の理解度を示せ」 と言われたら、ちょっと焦っちゃいます。僕は本来的には遅筆な方で、構成や表現にはじっくり時間を掛けないと整理された文章化はできない方ですし、そこに言葉のあやが入る事は多々あります。
 また、「それが本当に正しい理解か」 だなんて、未だに一般性と自分との相違点・共通点を模索している現状上、確信なんてありません (苦笑)。
 
 「理解している事と、文章化できる事は違う」 とでも割り切って、でぶ猫さんの言う形であれ、その他の如何なる形であれ、自分にとって最適と思える方法で主張を再チャレンジしてみてはどうでしょーか、SHiNさん。
 安直に慰めているつもりはないですし、そんな倣岸な意図はないです。議論が新しい展開を見せつつある 「今」、この書き込みが相応しいかどうかも疑問がありますが……ただ、「今」、言いたかっただけですから。(-.-;)
1998年07月30日:14時25分22秒
Re:もっと、具体的に / 3327
例えば、将棋の件で私とらむださんは同じ事を言っています。 表現と焦点が違うだけで、同じ事をいっています。
同じ根を持った2人の人間が同じ問題に向かい、違う表現を使いました。これが読み取れますか?
あなたはでぶ猫さんや陽陰さんと同じ問題の同じ部分を語っているつもりのようですが、それは違います。
あなたに必要な物は、証明です。

分かっているならそれを示唆する内容を見せ、証明して下さい。
手法として使われた (使った) 表現の中に似ているモノがあっただけで、あなたは同じ話を同じ土俵でしているつもりになっています。
だから異口同音を異義語だと思って、でぶ猫さんと陽陰さんの言った内容を 「違う」 と言ってしまうのです。
幅広い解釈と表現の為には、強固で大きな土台が必要です。
あなたの土台は無意味に固いだけで、とても狭いです。
少なくとも、広い部分を見せても使ってもいません。

何時になったら自分以外の視点で自分を見られるようになるんですか?
これはTRPGの基本でしょう。 あなたの為に何人が何度言ったと思っているんですか?
口ほどのことをしなさい。

1998年07月30日:12時51分29秒
魅せる将棋 / らむだ
  らむだと申します、ここははじめてです。よろしくお願いいたします。
  
  で(笑)、将棋のことですが。
  将棋の駒は、将棋に勝利するという目的のために皆で協力するわけですよね。 ということは、これはパーティを組んでいる。そして、パーティの中で、それぞれの役割を果たすわけです。一般に攻撃の銀将、防御の金将、主力かつ支援の大駒、そして捨駒(笑)。それぞれの動かし方はルールにあるので、動き自体はキャラクタープレイではない。しかし、「桂馬が飛び出したがっている」とか、「ここは飛車を大きく成り込みたいところ」とか、そういうことは局面ごとにあるのでは。つまり、駒の性格に規定されてはいるものの、気持ちのいい動き、というものが。よく将棋の記事で、「ここは気合いで気持ちよく出る一手」とか、「味よく見えたのでついうっかり」とかありますよね。
  これをまあ将棋のキャラクタープレイとしてみれば、しかしその動きが不利を招くこともあります。「負けてもこの桂馬が気持ちよくさばけて本望」という人もいるかもしれませんが、それはたぶん少数派でしょう。 だから、その桂馬を気持ちよくさばいた上勝てるように、他の駒が動いて状況を変化させようとするわけです。桂馬の見せ場をつくるためのフォローです。もちろん、桂馬も恩を感じ(笑)、他の駒の見せ場づくりに協力するでしょう。場合によれば自分を犠牲にするかも。そうなれば見せ場は倍増です。
  ゲームとしてただ勝つ(勝つだけで印象に残らない)だけでなく、魅せる勝ち方、駒の性格を存分に引き出し、そのうえ意外性をもりこんだ印象的な手順、升田将棋に代表されるこういったものは、まさにキャラクタープレイをふまえたゲームなのでは。
  
  ...あ、ノロノロ書いているうちに、3327さんがもうお書きになってますね。ちょっと私のはズレてしまっているかも...すみません。
  
1998年07月30日:12時32分09秒
例示の悪さをお詫びします / 3327
ええと、私が将棋の例を出してアレな感じになってるので、ちょっとフォローを。
鍼原さんには珍しく、例示の悪さに引っかかってませんか? 私の例示が下手だったのが悪いんですが・・・

TRPGって、全く同じキャラシーを渡しても、プレイヤーによって違うプレイになりますよね。
例えば10人に同じシートを渡したとして、文字どおり十人十色のプレイになりますよね?
でも、これはキャラクター解釈の違いからくる幅の範囲内での出来事であって、決してキャラクターやルールをねじ曲げたワケではないですよね。
さて、駒に個性はないというのは当たり前です。
将棋で、個々の駒しか見なければ当然個性はありません。
キャラクターにだって、STRやAGIと言った能力値に個性はありません。
いつぞやも書きましたが、それら全ては連動し、いわば有機的なつながりをもってはじめてキャラクターに昇華する ( <おーげさないーかたですケドね) ワケです。
全体で見てください。
さて、キャラクターに個性があるように、プレイヤーにも個性があります。

キャラクターの個性は無個性な数値が昇華して個性になり、
プレイヤーの個性は、解釈の幅となって表れる。

偉そうに難しそうに言いましたが、

「このキャラはこうだ」と言う事実がキャラの個性。

「このキャラはこうなんだい!」といって駄々るのプレイヤーの (悪い) 個性。これだけの事です。

駒としてではなく全体で見る。
キャラクタの個性だけではなく、プレイヤの個性もシステムの個性もみる。
以上ですね。

1998年07月30日:09時09分16秒
将棋のキャラクタープレイ / MAT.N
やはり「銀が泣いている」
コレです。

ま〜、本当のところは「俺は升田式石田しかささねえ」「角道あけてもらえないと出来ないじゃん」「馬鹿野郎。その場合は米長流新型鬼殺しするまでよ」てなものでしょう。(ああ、ゴミだ)
1998年07月30日:07時53分06秒
Re:Re:思考実験1 プレイの各モデル / でぶ猫
 >「思考実験1」からだけでは、うえのご意見には納得しがたいものを感じます。根拠を、もぉ少し詳細に提示していただきたいで す。具体的事例ではなく、理論的根拠、をご説明うただけるとありがたいです。
 
 わはは(^^; 確かに思考実験1は少々暴論系はいってます。
(ゲームプレイとロールプレイはそうでもないんですが、キャラプレイについてはちょっと十把ひとからげ系はいってます)
 これについては、思考実験3か4でふれてみたいと思ってます。
(ゲームと妄想の話でやんす)
 少々おまちください。(これから出勤なので)
1998年07月30日:07時44分13秒
Re:もっと、具体的に。 / でぶ猫
もう一度 Re:『わかってないわけじゃない。(と、思う。)』 を 読み直してください。>わかってない関係
 なお
 
 >ここに参加されてる方の基本概念にさほど差がないことは、とっくに了解済みだったはずだからです。
 
 ならばなおさら、その基本概念をまったく理解してないとしか読めない文章を書くべきではなかったですね。
 なお、私は差が「さほど」かどうかは知りませんが、その差こそが重要で、意見をたたかわせるに値するのではないかと 思っています。
 
 >あと、でぶ猫さんの方は、私の概念を理解してくださってるのでしょうか?
 
 正直いって、よくわかりません。長いわりに、論理展開が馬場講座より乱暴で説明不足なところが あって(要するによく飛躍する)、前提もまだあやしいのに結論を急いでいる感があります。
(「わかっていると思った」で普通は説明しないとわからないものの説明を省くのは、理解するなというのと同じ ですよ)
 一つ、提案ですが、議論はここらで打ち切って、今一度、論考形式で長文ボードにまとめたもの をアップされてはいかがでしょう(もちろん、はじめてよむ人にもわかるように必要な説明をくわえ、誤読の余地のない文で)?  このままでは傍目には「つっこみ」「言い訳」の繰り返しにに見えかねない状況が続きます。
1998年07月30日:07時43分09秒
Re:思考実験1 プレイの各モデル / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>でぶ猫さんへ
#ちょっと、アタシ独自にでぶ猫さんの「挑発」にのってみよっかな、とか思っちゃいました(笑)。

#「思考実験1 プレイの各モデル」(「TRPG総合研究室 LOG 012」,でぶ猫さん記,98年07月29日:23時29分05秒)、に書かれていることへの疑問を述べちゃおうと思います。

N.:>キャラクタープレイはゲームプレイやロールプレイの動機づけでありますが、しばしばプレイヤー自身の内面やプレイヤー間の文化を刺激として一人歩きすることがあります。
>その結果、ゲームプレイやロールプレイより優先されるようになれば、ゲーム自体が機能不全に陥ります。

「思考実験1」からだけでは、うえのご意見には納得しがたいものを感じます。根拠を、もぉ少し詳細に提示していただきたいです。具体的事例ではなく、理論的根拠、をご説明うただけるとありがたいです。
アタシの偏った観かたかもしれませんけれど、「プレイヤー自身の内面やプレイヤー間の文化を刺激として一人歩きすることがあります」だけでは、納得しがたいのです。←おそらく、「ゲーム」の内実としての「ルール」の解釈と運用のお話が、今回の「思考実験1」では、はしょられているからだとは思いますけれど。
#うえで「『ルール』の解釈と運用」と書いたのは、「『ルール』が運用されるときには必ず解釈が為されている」とのアタシの意見にもとづいた発言です。

以前、「N.」に引用させていただいたのと、ほぼ同じ内容のことを陽陰さんに指摘されたことがあって、そのときは納得したのですけれど。先日陽陰さんご本人のGMで遊ばせていただいた結果、「しばしば」なんてゆぅのは言い過ぎでないかな、と考え直してるところです。
「キャラクタープレイによってゲームが機能不全になること」は、まれにありますけれど、それは、「GMとPLがPCとNPC(あとはGMの状況描写)を経由したインタラクションを充分に行わなない場合」、と、そのバリエーションになりますけれど「PLが担当PC間の絡みを経由したインタラクションが十分におこなわれない場合に、GMがそれを放置した場合」だと思います。
よく、病的にコミュニケーションのセンスを欠如させたタイプのPLの「キャラクタープレイが、ゲームを機能不全に陥れられる」との主張を見受けますけれど。←これは、もんだいのPLにインタラクションを実行するチャンネルが欠如してるのがもんだいなのであって、キャラクタープレイのもんだいではない。←実践的な対応策をどぉするか、は各論の課題だと思います。

N-1.上でのべた疑問は、「キャラクタープレイは感情移入によって、駒やキャラクターのゲームプレイやロールプレイにおける動機づけを行なうこと。上記二つを円滑にする機能がある」だけがTRPGでのキャラクタープレイの機能ではない、とのアタシの意見と関わるかと思います。
でぶ猫さんが挙げられた「感情移入」と「動機づけ」を「円滑にする」、って各側面には異論はないです。 しかし、まず、アタシの考えではキャラクタープレイは、「PLがPCの動機づけを構築するにしたがって、感情移入もし易くする」と捕らえたほぉが有益だと思っています(理由は後述)。実際は「動機づけ」と「感情移入」は相補的に進展してゆくのですけれど、理論としては「動機づけ」→「感情移入」→「動機づけ(Step2)」→「感情移入(step2)」→……、って連鎖するもの、として説明したほぉがよいです。
アタシの意見では「キャラクタープレイの動機づけは、セッションで展開されるストーリーの自然さ」を支えるって重要な機能があると思うのですけれど。←この私見に関する「思考実験」的観点からの見解をゼヒお聞きしたいと思います。コキャスティンによれば「ゲームとはストーリーではない」なんてのjは勘弁してほしいです(←アタシも挑発のお返し;笑)。
ちなみに、アタシがここでゆってる、「自然さ」ってのは、平たく言えば「もっともらしさ」ですし、精密に言えば「『ルール』の主に数値処理的な領域で表現される現実感(リアリティ)とは異なる実在感(アクチュアリティ)」のことです。キャラの言動に関しては「自然さ」、舞台背景のプレゼンテーションに関しては「実在感(アクチュアリティ)」、トータルなセッションの仕上がりに関しては、「もっともらしさ」、または「実在感(アクチュアリティ)」って、とこでしょぉか?
ぢつは、「思考実験1」に関してはまだ、お尋ねしたい点があるのですけれど、長くなったので、いったんきらせていただきたいと思います(礼)。→続く、にしちゃいます。
1998年07月30日:05時35分27秒
TRPG総合研究室 LOG 012 / sf
TRPG総合研究室 LOG 012として1998年07月27日から1998年07月30日までのログを切り出しました。

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