TRPG総合研究室 LOG 110

TRPG総合研究室の2005年06月28日から2005年07月17日までのログです。


2005年07月17日:01時03分36秒
【ジャンル論】形態論的ジャンル整理(仮称)改訂第2版 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
話題
PurpleさんWrote>キーワードは「架空」なのだから、すなおに、「架空を楽しむあそび」とか「架空遊び」(あるいは似たような意味の言葉ということで、「仮想遊び」とか)と書かれた方がわかりやすいと思うのですが。
>「類RPGジャンル」という名前を付けられると、RPGっぽくない架空遊びは違うという話になりそうであり、整理を適切に行えない気がします。
 
 どうもです。話題の件ですけれど――

>「類RPGジャンル」という名前を付けられると、RPGっぽくない架空遊びは違うという話になりそう
 
 と言うのは、言われる通りです。
 
 アタシとしては、プレイヤー(やGM)が疑似体験の展開に関与しないタイプの「架空の遊び」、例えば、アミューズメント・パークにある疑似体験施設の類は、当面の検討から除外すべきと考えています。
 
 「整理を適切に行えない気がします」って指摘には、注意を払うべきと思います。
 
 でも、特殊理論から一般理論の方向を目指すにしても、一足飛びに完璧な一般理論には到達できないだろう、とも思ってます。
 
 例えば、上で、「アミューズメント・パークにある疑似体験施設の類は、当面の検討から除外すべき」って書きましたけど。これはこれで、検討しだすと面倒です。
 
 仮に、「インタラクティブ性の低い疑似体験は類RPGジャンルから除外する」との定義を組み込んだとします。
 
 そうすると、「光線銃の類を使ったインドア・サババル・ゲームの類は、インタラクティブ性がある」といった議論も発生するでしょう。
 
 これはこれで、一般的ゲーム論を考えていくには重要な話題かもしれません。
 
 それでも、アタシとしては、検討の主筋は「TRPGジャンルに含まれる諸システム間での、より偏りの少ない比較検討」や「TRPGジャンルに共通したゲーム性の特徴の、過不足も偏りもない整理」などをしていくための土台としての「より偏りのないTRPGジャンルの整理」に置いていきたいと思います。
 
 ですので、「類RPGジャンル」の定義は、上記の目的のための、TRPG中心主義的な整理であることを認めます。そのことに居直るべきではなくて、段階的にしても、より一般的な整理を目指すべき、とも思います。
 
 その意味で「整理を適切に行えない気がします」との注意には、留意していくべきと思いますです。
 
 アタシの方で見落としてて「RPGっぽくない架空遊び」だけど、TRPGに類縁性がたかくて、類RPGジャンルの定義からこぼれる具体例があったら指摘していただけるとありがたいです。定義を改訂しますので。
 
 というところで、Purpleさんのご指摘を踏まえて、TRPGジャンルの「形態論的ジャンル整理(仮称)改訂第2版」をまとめなおしてみます。
 
TRPGジャンルの形態論的ジャンル整理(仮称)改訂第2版
TRPGジャンルの外縁=類RPGジャンル
 「形態論的ジャンル整理(仮)」では、「架空の世界を前提に、架空のキャラクターを架空の状況に対処させていく遊び」を、漠然と「類RPGジャンル」と呼び、TRPGジャンルを、類RPGジャンルの一類とみなす。
  
前提 「形態論的ジャンル整理(仮)」では、類RPGジャンルの内、以下の前提を満たすものをTRPGジャンルに属す遊びとみなす。
前提A ルールに、GMの役割が規定されており、GMの役割を果たすメンバーの参加がなくプレイヤーだけでは、少なくともシステムに準拠した遊び方はできない。
 
前提B ルールに、架空世界のワールド設定の類が含まれており、架空キャラクターが対処を期待される架空状況は、このワールド設定から推定される範囲で設定されることが基本とされる。
 
前提C ルールと、ルールに含まれた架空設定を踏まえる範囲で、架空キャラクターが対処を期待される架空状況、すなわち、オリジナル・シナリオをユーザーが設定して遊ぶことが、期待、ないしは容認されている。
 
仮定 A〜Cの前提から、導かれる(?)、次の仮定を当面の検討課題とする。
仮定0(作業仮説) 以下で言う、「ゲーム」とは、とりあえず「ルールに含まれるワールド設定を踏まえて用意された架空状況に、ルールに基づいて作成された架空キャラが、ルールに許容される範囲内で、対処していく架空の対処の連鎖」とあえて、緩い仮定義を作業仮説として規定しておく。
 
仮定1 TRPGジャンルに含まれる遊びは、その形態的特徴から「メタ・ゲームの在り方がGMによって管轄される型で、緩く制度化された遊び」となる。
 
 ここで言う「メタ・ゲーム」とは「ルールに抵触せずにゲーム展開に影響を及ぼすゲーム外のやりとり、駆け引きの類」と仮定義しておく。
 実は、「メタ・ゲームの在り方が〔中略〕緩く制度化された遊び」というのは、奇妙な定義で。論理的につきつめていくと、理屈の上では無限連鎖に陥る。しかし、ここでは、立ち入り過ぎた検討は保留とする。
 
仮定2 「理屈の上では無限連鎖に陥るからこそ、メタ・ゲームの在り方がGMに管轄される型で『緩く制度化』されていることが、TRPGジャンルのシステム形態の特徴の1つだろう」という仮定を仮整理しておくに留める。
 
仮定義 前提A〜Cと、仮定0、1〜2を踏まえて、TRPGジャンルに属す遊びに共通したゲーム性についての仮定義を提出してみます。
 この仮定義も、形態論的考察の検討対象となります。が、ジャンル整理と、ゲーム論とは、関連はしても別話題であることには、注意を促しておきます。
 
TRPGジャンルに属す遊びに共通したゲーム性についての仮定義
 TRPGジャンルに属す遊びは、遊びの過程に含まれるゲームの展開が、GMに統括されるメタ・ゲームに影響を受けることが前提とされている。
 メタ・ゲームによるゲーム展開への関与が、どの程度まで許容されるかは、関与の仕方も関与の程度も、システムごとに様々に想定されて、それぞれのシステムごとに工夫された仕方で規定されている。が、関与することが前提視されている点は、TRPGジャンルに属すシステムを用いた、あらゆるシステム準拠の遊びに共通する性質である。
 

補論
 あるシステムを使って、システムの狙いから外れた遊び(ハウス運用、ハウス・ルール、ハウス改造)が許容されるのは、TRPGジャンルの美しい伝統であり、ゲーム・ソフト類と比べると、比較的た易く楽しめるのも、ジャンルのイニシアティブである。
 しかし、何がシステム準拠で、何がシステムからの逸脱か、逸脱度はどれくらいかは、遊びに使われる個別システムとの関係性において検討されるべき話題である。
 
 汎ジャンル的に言える、システム逸脱の遊び方の特徴はそう多くない。例えば、「GMを除外して遊ぶ遊び方」は、どのTRPGシステムでも、少なくとも、極端なハウス運用なしには遊べないだろう。
 
 例えば、形態論的には、いわゆるナリチャ(なりきりチャット)の類は、GMにあたる立場のメンバーの参加、関与があり、オリジナルシナリオの類するものの存在がメンバー間で共有想定されない限り、TRPGジャンルと(一面が)似て非なる別ジャンルの遊びとみなす。

 ナリチャの類で、たまたま「謎の解明」などが実現されたシークエンスがあっても、それは、たまたま偶然一面だけがTRPGセッションに似た展開が実現されただけだろうと推測される。
 逆に、ナリチャ環境を前提に、GMの役割、ワールド設定のルール化、オリジナル・シナリオの容認を組み込んだ遊びが生じたら、それは、TRPGジャンルの新しいトレンドになるかもしれない。
 そのトレンドは、既存システムを用いたオンライン・セッションと似たトレンドになるかもしれないし、似てはいても微妙に異なる別トレンドを成すかもしれない。
2005年07月17日:00時57分31秒
【ジャンル論】発生経緯と展開経緯 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
話題
PurpleさんWrote>厳密に"最初"ではないかもしれませんが、ゲームブックと言うジャンルを確立する作品といった意味で、最初のゲームブックと言えば「火吹き山の魔法使い」であると思っています。 〔中略〕
>「RPGは1人では遊べない遊びである。しかし、RPGの楽しさを1人で遊んでも楽しめる遊びは作れないか?」という命題を持ったゲームデザイナーが居て、その回答として、 コンピューターを使って1人でも遊べるようにしたのが、コンピューターRPG。
>パラグラフつきの本を使って1人でも遊べるようにしたのが、ゲームブック。
>いづれも、人間としてのGMをおくことができない分だけ、プレイヤーの行動選択の幅が減った遊びになった。
 
>と、それだけのことだと思っているのですが。
 
所感
 どもです。話題の件ですけど、アタシとしては、ここではあまり突っ込んだ検討を進める気はなくて。とりあえずは、簡単なコメントですまさせてもらいたいと思います。
 
 なお、簡単なコメントで失礼するのは、今は、アタシ的に優先したい話題が他にあるからって理由だけで。もし、このコメントにまつわる話題がおもしろそう、と思う人がいるなら、Purpleさんに限らず、関連したやりとりを続けること、やぶさかではありませんです。

 んーっと、、、アタシとしては、あえて1行あけで強調させてもらった「それだけのこと」ってまとめ方が不審なんですよね。不満と言ってもいいかもしれません。
 しかも、不満とか不審とか言っても、Purpleさんの説に対してではなく、発生史的ジャンル整理に共通してみられる偏りに対する不審、不満なわけです。
 
 まとめ以前にPurpleさんが書かれた発生史的整理の方には、〔中略〕とさせてもらった部分も含めて、さほど、疑問も異存もありません。
 
自己引用>従来よく言われていた発生史的ジャンル整理では、SLG(→ミニチュア・ゲーム)→TRPGというトレンドが偏重されるあまり、ゲーム・ブック → アドヴェンチャー・ゲームというトレンドとTRPGジャンルとの相互影響関係の検討が、軽んじられるきらいがあったと思います。少なくとも、関らせた発生史の整理をアタシは目にしたことがありません。
#下線付け処理は、今回カンナが追加
 
 ジャンル発生時点までの経緯は、わかったとします。
 それで、発生後の展開経緯でのジャンル間の相互影響の関係はどうだったのでしょうか? あるいは、相互影響などはなく、ジャンルごとに並行進化がみられるということなのでしょうか?
 
 仮に後者だとするなら、では、どんなメカニズムで、そんな並行進化が生じたのでしょうか? それとも、そもそもそんな並行進化だか、相互影響だかなんて事態は一切認められない根拠でもあるのでしょうか??
 
 例えば、ゲーム・ブックのジャンルでは、SFものや現代ものが、多数出されていますが、こうした展開は、TRPGジャンルでの類似の展開と個別並行現象だったのでしょうか? それとも、ゲーム・ブック・ジャンルが先行して、TRPGジャンルが、負けじと後追いして、その過程で、例えば正気度、と言った工夫が実現(システム化)されたのでしょうか??
 
 ――、と言った話題は、発生史的ジャン整理を唱える方にこそ重要な話題のはずで。形態論的ジャンル整理を唱えるアタシにとっては、さほど優先度の高い話題ではありません。
 
 けれど、例えば「一本調子で先の読めるRPGソフトよりも、よく練られたアドヴェンチャー・ソフトをプレイしたときのプレイ感覚の方が、よほどTRPGの(うまくいったときの)プレイ感覚に近いように思えるのは何故か?」とかの話題を整理していけるのは、実は形態論的ジャンル整理を踏まえたゲーム論の方ではないか? との予想を抱いてます。
 
 少なくとも、ジャンルの発生経緯までを整理して「それだけのこと」と、まとめる限り、発生史的整理では、上のような疑問に答えてくれないと思ってます。
 
 これが、アタシの言う不満、ないしは不審の一例です。
 
 そういうわけですので、ジャンル発生時点の経緯を整理して「それだけのこと」とまとめ、ジャンルが分化した後の相互影響、ないしは並行展開を考慮しないのは、発生史的ジャンル整理にみられる(おそらく、多くの論者の人たちは意識せずにはまり込んじゃってる)論旨の偏りの一例だろうと思ってます。
2005年07月16日:10時02分58秒
Re: 【ジャンル論】形態論的ジャンル整理(仮称)の提唱 / Purple
 >「架空の世界を前提に、架空のキャラクターが架空の状況に対処していく遊び」を、漠然と「類RPGジャンル」と呼び、
 
 と、ありますが、ここで出てくるキーワードは「架空」なのだから、すなおに、「架空を楽しむあそび」とか「架空遊び」(あるいは似たような意味の言葉ということで、「仮想遊び」とか)と書かれた方がわかりやすいと思うのですが。
 「類RPGジャンル」という名前を付けられると、RPGっぽくない架空遊びは違うという話になりそうであり、整理を適切に行えない気がします。
 
 あと、ゲームブックとRPGの関係性について。
 厳密に"最初"ではないかもしれませんが、ゲームブックと言うジャンルを確立する作品といった意味で、最初のゲームブックと言えば「火吹き山の魔法使い」であると思っています。
 その「火吹き山の魔法使い」は、D&DなどのファンタジーRPGの影響を受けて作成された作品と言われています。(確か、日本版の訳者あとがきか解説に書いてあったと思います。)
 歴史年表上も、
 1974年 D&D (アメリカで)発売
 1982年 火吹き山の魔法使い (イギリスで)発売 
 であり、この点からも「ゲームブックはRPGを基にして生み出された遊び」と言えると思います。
 
 「RPGは1人では遊べない遊びである。しかし、RPGの楽しさを1人で遊んでも楽しめる遊びは作れないか?」という命題を持ったゲームデザイナーが居て、その回答として、
 コンピューターを使って1人でも遊べるようにしたのが、コンピューターRPG。
 パラグラフつきの本を使って1人でも遊べるようにしたのが、ゲームブック。
 いづれも、人間としてのGMをおくことができない分だけ、プレイヤーの行動選択の幅が減った遊びになった。
 と、それだけのことだと思っているのですが。
2005年07月10日:17時27分25秒
【ゲーム論】+αの部分 / Purple
#始まりが「RPGはゲームだ」だったために、つけた【ゲーム論】というのが、そろそろ合わなくなってきてるようですが、一連のスレッド上の話と言うことで、そのまま使っています。
  
 --- 2005年06月30日:12時36分02秒の紙魚砂さんの書き込み
 の「+α」の部分こそがTRPG独自の遊び(ゲーム?)の部分であると考える。「+α」というのは具体的に言うと、「物語創造の面白さ」「ゲーム中デザイン自体の創造的面白さ」などのことである。
 ---
 
 個人的には、ちょっと違うような気がします。
 
 「物語創造の面白さ」は、確かにあります。他のゲームにも「物語創造の面白さ」が無いわけではない(ある種のゲームは、読んで面白いリプレイがかけます。)のですが、RPGのほうが強く面白さを感じれる思います。
 
 「ゲーム中デザイン自体の創造的面白さ」の方は、別に面白いとは思えない。と言うか、プレイヤーサイドから見ると、目前で展開しているシナリオや判定処理が、マスターが事前に作ったものか、今アドリブで作ったものかは関係ないですし。マスターサイドから見ると、プレイ前の予想がはずれて、あわててアドリブしているだけなので。(個人的には、準備不足で失敗することが多く、アドリブを楽しめる余裕が無いです。)
 
 
 だからと言って、「ゲーム+α」の、αに相当するものが何なのかは、うまく、提示できず困っていたりします。
 
 ミニチュアゲームとの比較で言うと、+αに相当するものは、
 (1) 1駒=1つのキャラであり、1人のプレイヤーが直接動かすことができるのは1キャラのみとした。
 (2)((1)を踏まえたうえで、)キャラには(ミニチュアゲームでは必要とされない)能力・設定・性格のようなものが存在するはずだ。それらに基づいてキャラを動かすという概念が発生した。
 
 と言う要素が大きいのではないかと思います。
 
 (1)については、「1駒=1つのキャラ」というのは、戦術級シミュレーションゲームなどでもよく見られますが、1人のプレイヤーがたった1つのキャラのみを扱うというのは、なかなかないと思います。また、ガイギャックスが、
  「"1つの人形が1人の人間をあらわす"というルールは、結局のところ最初のロールプレイング・ゲームを作る原動力となった。」--- (ロールプレイング・ゲームの達人 P.22)
 と言っていますし。
 
 そして、(1)を踏まえた遊びをしていけば、自然と、操っているキャラへの愛着・思い入れのようなものが沸いてきて、(2)の要素も出てきたのだろうと思います。
 
 こうして、「戦場シミュレーター」だったものが「人間シミュレーター」へと変化していったのが、ミニチュアゲーム→RPGへの変化だろうと思っています。
 
 そうして行けば、さらに次の概念も自然と必要になってきたのだろうと思います。
 ・キャラの成長ルール(キャラが何がしらかの経験をつめば、何がしらか成長するはずだ)
 ・キャラが存在している世界設定(たとえば、「善人」という設定を決めたとしても、世界設定がわからなければ、「性格に即した行動」は決定できない。)
 
 さらには、1キャラクターの行動を全てルール化しようとすることなど無理ですから、おのずと、現在のスタイルである「基本的なルールはゲームデザイナーが用意し、ゲームマスターが基本的なルールから類推してルールを作る。」という形ができていくことになったと思います。
 
#ああ、でも、ここまで見ていくと、「ゲーム中デザイン自体の創造的面白さ」って話になると言うことなのだろうか?
 
2005年07月09日:09時05分31秒
【ジャンル論】形態論的ジャンル整理(仮称)の提唱 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
TRPGジャンルの外縁=類RPGジャンル
 「形態論的ジャンル整理(仮)」では、「架空の世界を前提に、架空のキャラクターが架空の状況に対処していく遊び」を、漠然と「類RPGジャンル」と呼び、TRPGジャンルを、類RPGジャンルの一類とみなす。

 なぜ、単に「RPG」と呼ばず、「類RPGジャンル」と呼ぶか?
 
 例えば、「類RPGジャンル」には、その定義から言って「アドヴェンチャー・ゲーム」のジャンルも含めることができるからです。
 
 従来よく言われていた発生史的ジャンル整理では、SLG(→ミニチュア・ゲーム)→TRPGというトレンドが偏重されるあまり、ゲーム・ブック → アドヴェンチャー・ゲームというトレンドとTRPGジャンルとの相互影響関係の検討が、軽んじられるきらいがあったと思います。少なくとも、関らせた発生史の整理をアタシは目にしたことがありません。
 
 「形態論的ジャンル整理(仮)」では、「ジャンルの発生史的考察を参考にはしても論拠に据えない」(前提0)ものとしますが、かえってアドヴェンチャー・ゲーム類とTRPGとの類縁性を確認できるのではないか、と期待したいと思います。
 
前提 「形態論的ジャンル整理(仮)」では、類RPGジャンルの内、以下の前提を満たすものをTRPGジャンルに属す遊びとみなす。
 
前提A ルールに、GMの役割が規定されており、GMの役割を果たすメンバーの参加がなければ、少なくとも、システムに準拠した遊び方はできない。
 
前提B ルールに、架空世界のワールド設定の類が含まれており、架空キャラクターが対処を期待される架空状況は、このワールド設定から推定される範囲で設定されることが基本とされる。
 
前提C ルールと、ルールに含まれた架空設定を踏まえる範囲で、架空キャラクターが対処を期待される架空状況、すなわち、オリジナル・シナリオをユーザーが設定して遊ぶことが、期待、ないしは容認されている。
 
仮定 A〜Cの前提から、導かれる(?)、次の仮定を当面の検討課題とする。
仮定1 TRPGジャンルに含まれる遊びは、その形態的特徴から「メタ・ゲームの在り方がGMによって統括される型で、緩く制度化された遊び」となる。
 
 ここで言う「メタ・ゲーム」とは「ルールに抵触せずにゲーム展開に影響を及ぼすゲーム外のやりとり、駆け引きの類」と仮定義しておく。
 実は、「メタ・ゲームの在り方が〔中略〕緩く制度化された遊び」というのは、奇妙な定義で。論理的につきつめていくと、理屈の上では無限連鎖に陥る。しかし、ここでは、立ち入り過ぎた検討は保留とし、「理屈の上では無限連鎖に陥るからこそ、『緩く制度化』されていることが、TRPGジャンルのシステム形態の特徴の1つだろう」という仮定(仮定2)を仮整理しておくに留める。
 
 ここで言う、「ゲーム」とは、とりあえず「ルールに含まれるワールド設定を踏まえて用意された架空状況に、ルールに基づいて作成された架空キャラが、ルールに許容される範囲内で、対処していく架空の対処の連鎖」とあえて、緩く仮定義(仮定3)しておくことにする。

 従来、TRPGのゲーム性に重き置くゲーム論の内には、「メタ・ゲームは将棋にだってある(TRPGの特徴とは言えない)」という主張での思考停止があったように思えます。
 
 将棋でのメタ・ゲームと言うのは、例えば、セブン・ブリッジではルールで禁止されているプレイヤー間の会話などが想定できる1つの典型例になります。
 
 これは、ルールにプレイヤー間の会話を禁止する条項がないために、(将棋では)メタ・ゲーム、つまりゲーム外の駆け引きにあたるわけです。この類を、「制度外の駆け引き」と呼ぶことにします。
 
 セブン・ブリッジのプレイ中にプレイヤー間で会話がなされたら、それはただの反則です。
 
 これに対し、一般にTRPGのルールは、セッション・メンバー間(GM-プレイヤー間でも、プレイヤー-プレイヤー間でも)の駆け引きが前提として想定され、それどころか遊ばれるゲームの展開に影響を及ぼすことも前提視して、「GMにより統括される」運営形態が選ばれていると思われます。
 
 上記を、システム形態上「緩く制度化」されていると、呼んでいるわけですが。「TRPGジャンルにおけるメタ・ゲームの在り方と、将棋の類におけるメタ・ゲームの在り方は、在り方が違う」わけです。
 
仮定義 ここで、前提A〜Cと、仮定1〜3を踏まえて、TRPGジャンルに属す遊びに共通したゲーム性についての仮定義を提出してみます。
 
 この仮定義も、形態論的考察の検討対象となります。
 が、ジャンル整理と、ゲーム論とは、関連はしても別話題であることには、注意を促しておきます。
TRPGジャンルに属す遊びに共通したゲーム性についての仮定義
 TRPGジャンルに属す遊びは、遊びの過程に含まれるゲームの展開が、GMに統括されるメタ・ゲームに影響を受けることが前提とされている。
 メタ・ゲームによるゲーム展開への関与が、どの程度まで許容されるかは、関与の仕方も関与の程度も、システムごとに様々に想定されて、それぞれのシステムごとに工夫された仕方で規定されている。が、関与することが前提視されている点は、TRPGジャンルに属すシステムを用いた、あらゆるシステム準拠の遊びに共通する性質である。

 
 上に挙げた仮定や仮定義は、すべて前提から導かれる推論です。
 
 アタシは、TRPGのルールブックを全部精読しているわけではありませんので、断定はしかねます。しかし、前提が言えるなら、おそらく言えるだろう範囲で仮定や仮定義を推論してみました。
 
 推論なので、当然、検討の対象にはなります。
2005年07月04日:07時31分33秒
【ゲーム論】ゲーム的難しさの達成感 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
話題把握
PurpleさんWrote>ゲームは適度に難しいから面白い。
>補足:これには個人差があり、「ある人にとって面白さを生む、程よい難しさ」が別の人には「難しすぎて面白くない」「簡単すぎてつまらない」になることはある。
 
LogさんWrote>難しさだけが面白さではない。難しさから面白いと思わない人もいる。
TRPGの面白さを語る上で、ゲームの面白さだけで判断するのは難しいと思っている。
 
所感
 個人的には、Purpleさんの意見に共感する部分は多いのですが。
 ジャンル全体を視野に置いた論としては、Logさんの論旨の方が正道ではあると思います。
 
意見
 TRPGでは、適度に難しい目標を設定し、達成できた方がやりがいがある。すなわち、達成感が感じられる。
 
 セッションに達成感を求めるかどうかは、個人の自由とは言え、どのような達成感を優先的に求めべきかの内実は、システムとして提供されたルール群の解釈から判断されるべきである。
 例えば、システムから「PCが、ヒーローらしい達成をなした場合、成長評価がなされる」旨、判断される場合。プレイヤーは、ヒーローらしい達成の過程も楽しむべきである。
 上記例で、「PCのヒーローらしい達成」に挑まないプレイヤーは、システムの一面だけを楽しんでいる可能性がある。その是非は、セッション環境ごとにシステムを踏まえた対処が考えられるべきことだが。選択肢の大別としては、A「一面的な楽しみ方から、システム準拠の楽しみ方へステップアップしていく」、B「システムのハウス運用として、一面に限定された遊び方と自覚して楽しんでいく」の二系統が考えられる。
 
 あるシステムを使った、システムに準拠しない遊び方も許容されるのは、TRPGジャンルの美しい伝統であり、ゲーム・ソフト分野などよりはた易く楽しめる点もジャンルのイニシアティブである。
 ただし、広い意味のでシステム改造にあたる運用は、参加メンバー全員が、システム本来の適正運用の範囲から逸脱している、と理解しながら楽しむのが、いわば製品(システム)に対する礼儀というものだろう。
 
 逆に、システムから「プレイヤーは、メンバー間のやりとりを楽しみながらPCに共通の課題に対処できた場合、成長評価がなされる」旨、判断される場合、プレイヤー個々が個人水準での「ゲーム的難しさ」に拘ることは、システムの一面に偏った楽しみへの固執となる。
 この場合、ゲーム的難しさの難易度も、参加プレイヤーの水準にて評価されれなければならないからだ。

 アタシは、個人的には、「TRPGとは、ルールに提示された架空世界を踏まえて、ルールに準拠した架空キャラを扱い、ルールから一定の許容範囲内でカスタマイズされた架空状況へ、ルールに準拠した対処をしていけば、結果的にカスタマイズされた冒険物語ができてく遊び」って、やや偏った捉え方をしてまして。
 
 TRPGのゲーム性というのは、個別のルールを踏まえたり、ルールに準拠したりしていけば、自ずと生じるものと考えています。
 
 例えば、よくある中途半端なゲーム論では、「じゃんけんはゲームではない」「ギャンブルだ」と、定義されるわけですけど。論の整理の都合上の理屈はわかりますし、それなりに意義のある整理とも思います。
 
 しかし、しょせんは特殊定義なのですね。ゲームの定義を変えていけば、じゃんけんも心理ゲームですから。
 相手の性格や表情を呼んだり、思考を想定したりして、ある程度ゲーム的に楽しめます。
 
 有効性のある戦略策定の幅が、チェスや将棋より低い、というのは正しいと思いますが。
 だからと言って「ゲームではない」と断じるのは、特殊理論ですし抽象論なわけで。
 「ゲーム的な楽しみは薄いが、ある種のゲームだ」と言う方が一般理論としては正しい。
 
 TRPGについての「ゲーム的おもしろさ」の話題には、このようなゲームの定義の問題が関ります。
  
 「TRPGで扱われるゲーム性が何か」が論じられなければ、正しいか、正しくないかの判断はつかず、水掛け論かスレ違いで終わるしかないのが道理です。
 
 で、当たり前のことを書くと、「TRPGで扱われるゲーム性」は、個々のTRPGシステムに準拠した判断で論じられるべきことです。
 
 チェスや将棋のような、異なるジャンルのゲームをモデルにしたゲーム観念をあてはめて、云々できることではありません。(考察の参考にするのは構いませんでしょう)
 
 例えば、判定にじゃんけんを使うTRPGというのは、実際に実在したわけですね。
 
 アタシは、実際に遊んだことないですけど。
 理屈で推定するに、ダイス・ロールなどとは違ったかけひきの楽しさが生じるはずで。その楽しさも、個別システムのゲーム性に影響を与えるだろうことは、想像に難くありません。
2005年07月04日:06時29分07秒
【ゲーム論】セッションの達成度評価原則 3訂版 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
TRPGセッション共通の達成度評価原則 3訂版
前提: TRPGセッションの参加メンバー(GMもプレイヤーも)は、ゲームの成否に関らず、ルール及びルールに含まれる世界設定に準拠した判断で、それぞれが納得のいく決着を目指す。
 ただし、それぞれが納得のいく決着を達成する手法は、やはりルール及びルールに含まれる世界設定に準拠した判断で、公正(フェアさ)なものでなくてはいけない。
 
達成度評価: セッションの決着に納得がいかないメンバーが多ければ、その分達成度は低くなり、仮に、納得がいかないメンバーが1人だとしても、納得のいかない度合が強ければ、その分達成度は低くなる。
 
 ただし、ゲーム終了後のセッションの延長として、参加メンバーの間のコミュニケーションで、決着についての納得が事後的に了解された場合も、それは達成度評価に含める。
 
>紙魚砂さんへ
 どもです。
 
紙魚砂さんWrote>僕個人の考え方から言うと「全員が互いに納得できる決着をつけること」なーんてのは、やろうとは全く思ってないというか(^^;。
〔中略〕
>理想として「全員が互いに納得できる決着をつけること」は掲げるけど、必ずしも達成できても出来なくてもいいと思ってるかな。
 
 そうですねぇ、、、この前あげましたセッションの勝利条件(改訂版)は、ある種理想論になってたって言うのは、アタシも思ってましたです。
 
 紙魚砂さんの「論旨まとめ:TRPGの勝利条件」も読ませていただきましたので。
 書かれたこと、アタシなりにはわかったつもりでいます。
  あえて、質問をさせていただこうと思います。

>最終的に「自分が」納得する結末をつけようと努力するが、それが他のPLやGMに納得するかなんて考慮しない。
 
 えーと、、、TRPGは変わったゲームですけど、ゲームではありますので。
 
 決着の付け方も、遊んでるルール&ワールド設定に照らし合わせて、フェアである必要があると思います。
 紙魚砂さんとしては、そんなの当然だから書かれなかったかと思いますが。
 
 あえて話題にしますのは――、フェアさを心掛けて、決着を求めていけば、自ずとセッション参加メンバーの間での了解は成り立っていく、と思うのです。
 
 これについては、そう理想論とも思ってないのですが、紙魚砂さん的にはいかがお考えでしょうか?
 
>他のPLがそれぞれ担当のPCに対して付けた決着に文句は言わない
 
 やはり、ゲームではある以上、メンバーのそれぞれが目ざした目的が達成できないこともありますよね。
 
 その場合、紙魚砂さんや、お仲間の参加者の方はどう処理されてるでしょうか?
 
 もしかして、みなさん充分慣れてるから、なぜ目的達成ができなかったか、自己判断できるから、納得できないてことはない?
 
 それならわかりますです。そういうことは充分あります。
 
 だとしたら、かえって、充分慣れてない人も視野に入れて「セッション達成度の評価原則」を文章整理することに意義があると考えます。
 
 アタシの個人的感覚ですと「納得のいかない達成」より「納得のいく不達成」の方がマシ、て感覚がありまして。
 
 よければ、その辺のことも絡めた紙魚砂さんのお考えをお聞きできれば嬉しく思います。
 
 お忙しいとは思いますが、特に急ぐ話題ではありませんので。気が向かれたときでも、よろしくお願いいたします。
2005年06月30日:14時44分21秒
論旨まとめ+α / Log
現在、元々の議論から派生して複数の議論がなされている事が読みにくさの原因です。
それぞれの論旨を示したところで、遅れて参加しようとする人にわかりにくいのはかわらないと思います

■ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある (サトーさん)

否定します。
「ゲームが面白いかは、デザイナーにも責任がある」くらいしか言えないと思います。
この議論には、数名が異論を述べ、サトーさんに納得の行く説明を求めいていますが、
現在のところ、返答がないか、返答はあっても納得の行かない説明である状態です。

■全ての人を楽しませるゲームについて (サトーさん)

論理的に考察すると存在しません。
故に存在しないものをデザイナーが追い求める必要はありません。

■セッションがつまらないのは全てGMのせいだ(への反論) (サトーさん)

否定します。
「セッションがつまらないのは、GMにも責任はある(場合がある)」になるでしょうか。

■ゲームは「難しい」から面白いのです (Purpleさん)

難しさだけが面白さではない。難しさから面白いと思わない人もいる。
TRPGの面白さを語る上で、ゲームの面白さだけで判断するのは難しいと思っている。

■RPGはゲームです (Purpleさん)

肯定します。
但し、上記の理由としてあげた各論は、論として成立しません。
・名称が「ゲーム」であるから→理由が薄弱です
・発生起源が「ゲーム」だから→発生起源と現状が同一である保障はない
                 →論自体が命名者の歴史的に真実であるとしかいえない
・ゲーム的思考が必要だから→必要不可欠とまではいえないと思います

■RPGの勝ち負け (Purpleさん)

RPGに勝ち負けの要素があるという前提で返答するなら、
「楽しんだ人が勝ち、楽しまなかった人が負け」と考えることにします。
何に楽しみを見出すかは人それぞれで、各人が積極的に楽しめば良いことです。
(「他人に楽しませてもらう」と望むことは確実性を欠くのでおススメしません)

■「ゲームとしての勝利条件」と「セッションの勝利条件」 (紙魚砂さん)

基本的に別と考えますが、今回の議論においては同一視してよいと思います。
(定義が明確でなく、各人により分類がまちまちになりそうなので)
これが「ミッションの勝利条件」であれば、確実に別として扱えますが・・・。

---

おまけ (非議論)

■論法に関して (Purpleさん)

・極端な論法は卑怯であるか?→否定。極端の基準が一定でなく、一般的ではないため。
・一方的な判断で相手を責めていいか?→否定。誤判断の場合、単に危険思想であるため。
・相手を誹謗・中傷しても良いか?→否定。ネチケットやサイトルールに反しているため。
・納得がいかなければクレームをつけてよいか?→否定。納得がいかなければ、説明を求めればよいため。
・論法にのみクレームをつけるのは建設的か?→否定。議論を進める努力をしてください。

・勝手に人の目的を決めつけ、糾弾するのはやめてくださ。決め付けた目的が誤っています。
・勝手に人の論を予測して使用するのはやめてください。最低限、断りを入れましょう。
・明らかに自身に失態がある場合はそれを認めましょう。
2005年06月30日:14時03分15秒
論旨整理:セッションの勝利条件とゲームの勝利条件についてのゲーム論 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 Prof.Mさんの提案(「各自の論旨整理のすすめ」)に応じて、
 表題「セッションの勝利条件と、ゲームの勝利条件」について、
 これまでのアタシの発言要点を、主旨も併せて整理することにします。
前提
TRPGのジャンルに含まれる、あらゆるシステム、あらゆる遊び方に共通する「ゲームの勝利条件」は言えない。
意見
しかし、あらゆるシステム、あらゆる遊び方に共通する「セッションの勝利条件」なら整理することができるかもしれません。
 
目論見
もし、「セッションの勝利条件」をあらゆるTRPGシステム、あらゆる遊び方に共通するものとして整理できれば、次のような効果が期待できます。
 
「共通なセッション勝利条件」と「個別のゲーム勝利条件」との関連を、比較しあうことで、システムや遊び方の種種に応じて異なる「ゲームの勝利条件」それぞれの特性、長所、短所(一般に長所/短所はうらはらだろうと予想されます)などを明確化できるかもしれないからです。
 
少なくとも、譲り難い体験的信念関での水掛け論や泥仕合、あるいは「システムごとにいろいろですから」という、あまりに正し過ぎて、分析とは呼べない検討からの前進を期待できると思われます。
 
現状
上記のような目論見をもって、アタシの考える暫定的な「共通のセッション勝利条件」を提出してみました。
 
これについては、紙魚砂さんから疑問を提起してもらっています。
やりとりを重ねる型で、長期的に「共通のセッション勝利条件」の改訂ヴァージョン・アップをおこなっていけるといいな、と思いますが。どこまで達成できるかは不明です。
 
補足1
現時点では予測ですが、おそらく「セッションの『勝利条件』」というのは、多分にレトリカルなキャッチ・フレーズにあたるだろうと予測されます。
目論見の線で、「共通」なものに改訂していくと、おそらくは「セッションの『達成度評価原則』」といった内実に改訂されていくだろう、との予測を持っています。
補足2
「共通セッションの勝利条件」検討に付随した話題として、アタシは、「発生史的ジャンル整理」に対する批判的意見を主張しています。
 
この批判的意見については、タイミングをみて、従来述べていない論旨も併せて、「形態論的ジャンル整理(仮称)」の提唱をもって、きちんと主張したいと思います。
 
ここで、言っておきたいのは、アタシの主張は「TRPGに関する発生史的考察」すべての否定ではない、ということです。
 
「発生史的考察」は、個別のシステムや、個別の遊び方における実践マスタリング論、実線プレイング論の役には充分たつでしょう。
しかし、それらの論考の土台となるべき「ジャンル整理」に関しては、とくに、さまざまなシステム間でのシステム特性の比較において、障害をなす、というのが、アタシが主張している「発生史的ジャンル整理」に対する批判の、現時点でのポイントです。

2005年06月30日:12時36分02秒
論旨まとめ:TRPGの勝利条件 / 紙魚砂
 ども。僕はTRPGの勝利条件の辺しか言及してないですし、結局どういう意見なのかという全体像も全然言ってないので「まとめ」と言ってもほとんど新規に書くような感じですが(^^;。

 僕自身の意見としては

>Purpleさんwrote
>A)RPG発生の歴史的経緯を考えるとゲーム+αという遊びだった。

の「+α」の部分こそがTRPG独自の遊び(ゲーム?)の部分であると考える。「+α」というのは具体的に言うと、「物語創造の面白さ」「ゲーム中デザイン自体の創造的面白さ」などのことである。この部分についての「勝利条件」というのは「セッションの勝利条件」というレベルでしか勝利/敗北として捉えることができないと推測する。加えて、この「+α」の方がセッションの主目的となり、シナリオで提示された目的のクリアは二の次となるケースもある。(ミッション失敗してどうやって生き延びよう?という展開に切り替わった場合など)

 他の普通のゲームでは「ゲーム上の勝敗」さえきちんと成立すれば参加者が不快感を感じるかどうかについてなどセッションの成否についてルールでは保証しないが、TRPGでは「セッション運営ルール」などの概念によって参加者の人間関係がうまくいくかどうかといったセッションの運営自体がうまくいくことも意識的にルール/テクニックでサポートしようとする。そこが他の「ゲーム」と「TRPG」の根本的な違いと考える。

 したがって、「TRPGの勝利条件」を考える時には「シナリオで与えられたミッションのクリア」というようないわゆる「ゲーム的な勝利」だけを考えるのでは足りないと思う。「+α」のセッション全体を面白く成功させる条件についても併せて考えることで初めて「TRPGの勝利条件」というものが定まると考える。

以上
2005年06月30日:01時02分11秒
主張まとめ / Purple
 まとめてみました。
#一部、わかり安くするために、今まで書いていないことも追加しています。
 
 ---
 ゲームは適度に難しいから面白い。
 補足:これには個人差があり、「ある人にとって面白さを生む、程よい難しさ」が別の人には「難しすぎて面白くない」「簡単すぎてつまらない」になることはある。
 
 ---
 RPGはゲームである。それは以下の理由から。
 A)RPG発生の歴史的経緯を考えるとゲーム+αという遊びだった。
 B)実際の遊ばれ方としてもゲーム的思考が必要とされる遊びである。
 補足:「名前がRolePlaying"Game"だから」というのは、結局(A)に帰着すると思うので、外しました。
 
 ---
 RPGにおける勝利条件は、
 
 ゲームマスターの勝利条件は、
 プレイヤーに達成感をもたらせることができるシナリオを用意し、かつ、それを使って、セッション中のマスタリングで、プレイヤーを楽しませることができること。
 補足:マスタリングには、「プレイ中デザインを行う必要が生じた場合、それが行われること」も含みます。(ただ、だからといってどのように変わっても良いというものではなく、プレイヤーの達成感を減らさない範囲で行わなければならないでしょう。)
 
 プレイヤーの勝利条件は、
 マスター(やシナリオ作成者)が用意した状況において、示された目標を達成できることである。
 補足:ゲームマスターの方に書いているように、セッションの途中で「状況」「目標」が変更されるケースを含みます。
2005年06月29日:20時20分55秒
TRPGの勝利条件 / boosuke
TRPGにおける勝利条件について私も自分の思う所を述べたいと思います。

まず、TRPGにおいて、ゲームマスターと、プレイヤーはかなり異なる役割であるため、
勝利条件については分けて考える必要があると私は考えます。

プレイヤーの勝利条件:
  ゲームマスターが用意したシナリオで提示される目標を、
  各プレイヤーが納得でき、最適と思われる結果となるように達成する事。
  但し、セッションの進行で状況が変化する場合もあるため、
  状況に応じてシナリオで提示された目標以外を達成すべき目標としてもよい。

ゲームマスターの勝利条件:
  プレイヤーに効果的な障害をシナリオ、またはセッション進行中に提示し、
  メンバーに応じた適度な難易度でこの障害を克服させる事。
  但し、プレイヤーに怠慢や致命的なミスがある場合は、
  あえて障害を克服させる必要はない。

他の件に関しましては、以前述べた通りですので、再度は述べません。
(私はサトーさんに嫌われているようで、反論をもらえませんが ToT)
2005年06月29日:19時22分57秒
論旨整理:デザイナーの責任とTRPGの勝利条件 / でみ
 Prof.Mさんの提案に賛同してまとめました。
 とはいえ、私の場合、ある程度話題が収束しているのでまとめるほども無いのですが。

 ●サトーさんの意見について
  私と異なる意見をお持ちの様なサトーさんの意見を聞いている所。
  つど、私の受け取り方を記載し、サトーさんと認識をすり合わせている最中で、
  どうやらまだ私の受け取り方では誤解があるようなのでサトーさんの回答待ち。

 ●セッションがつまらない理由が全てデザイナー(グループ)のせいか?
  サトーさんの意見の真意がまだ分かっていないので回答は難しい。

  ただ、自分の意見を分かるような形で述べないのも論議に参加する身としては不誠実ですので、
  一応、「○×という前提であれば、私自身の意見はNoである」と回答しています。
  前提およびその論拠については、他の方の意見と大差ないのでここでは省略。
 
 ●デザイナーに期待する範囲について
  ・TRPGが環境依存な遊戯である為、システムのコンセプトは万人向け記事などでは伝わりにくい
  ・システムのコンセプトをもっとも理解しているのはデザイナー(グループ)なので、彼らが
   より積極的にコンセプトを広め、GMやPLの育成を促すのが望ましい
  ・ただし、GMやPLにも自己努力は必要である。
  これらについては終わり。(私がそう思う、というだけの話ですから) 

 ●TRPGの勝利条件について
  前提が「ジャンル全体を指してのTRPG」という抽象的な物であるなら、結論も当然、抽象的な物になる。
  より実際のゲームの役に立つ論議をするのなら、各システム毎に検討するのが効果的だろう。
  だが、その場合ここでの論議としては相応しくないので、私個人としてはここでの論議は終わり。
  ジャンルに分ける、という提案には惹かれますが、ジャンル分けで揉めるのも不本意ですね。
2005年06月29日:10時29分32秒
個人まとめ:「万人が楽しめるTRPG」について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 Prof.Mさんの提案(「各自の論旨整理のすすめ」)に応じて、
表題についての、個人的意見をまとめます。
 
 なお、こちらについては、一連のやりとりで従来アタシが述べた意見はあまり論理的とは言えない(笑)ものでしたので。
 すみませんが、まだ述べていない意見も(論理的にしますので)付記させてもらいます。
従来の個人的意見
一消費者(ユーザー)としての、個人的意見では、「万人が楽しめるTRPG」ってコンセプトには、あまり興味がありません。
 
TRPGは、いろいろな傾向の商品が、いろいろあった方が、買うとき選ぶ楽しみがあって嬉しい、てのが、アタシの個人的興味です。
 
上は、単なる個人的興味ですので、他のユーザーの方が「これこれのシステムこそ万人が楽しめるTRPG」にたいな趣味的なお話には、どうこう言う気もありません。
ただし、もし、仮に「万人が楽しめるんだから遊べ」みたいに言われるとしたら、猛然と反発するでしょうが(笑)。これは杞憂でしょう。
 
一方で、デザイナーの方などが「ウッシ、今度のTRPGは万人が楽しめるようなの作っちゃる!!」って言われたら。それは気合の問題でしょうから、一ファンとして「死なない程度に頑張ってください☆」と応援します。
でも、もし、結果として発売された商品が、アタシの趣味にあわなかったら、買わないですけどね(テヘ)。
 
従来未発表の論理的意見
きちんと考えますと、「万人が楽しめるTRPG」の作成は、かかるであろう手間も想定すると、ジャンルにとってどの程度得策か疑問です。
 
例えば、「深淵」というTRPGタイトルがありますが。あのシステムは、システムに準拠した遊び方をしていくと、おそらくPCが3回から5回で死にます。死ぬとロストです。
 
この商品特性を考えますと、例えば「カイシャ勤めなどをはじめた結果、学生時代のようにTRPGに潤沢に時間を割くわけにいかなくなった、タイプの消費者」が、「ショート・キャンペーンを楽しむ遊び方」に適した商品と言えます。
個人的に「チェーン・キャンペーン(仮称)」と呼んでいるのですが、早目にPCがロストしたプレイヤーはキャンペーンから離脱してもいいし、新キャラを投入してもいい。旧プレイヤー離脱の場合は、新規プレイヤーを募ってもいい。
つまり、普通のキャンペーンといわゆるオープン・キャンペーンの中間的な形態を、個人的に「チェーン・キャンペーン」と呼んでいるのですが。この融通の利く運用への敵性も、実は、カイシャ勤めをしてる者同士が、長期間継続的にセッション時間をすりあわせ続けるのが困難な場合に重宝します。
 
このように、実際のユーザーは、セッション自体に割ける時間、セッションのために時間調整可能な範囲などなどの余条件は、生活スタイルに応じて、様々なのものです。
 
ですので、真面目な話としては「万人に楽しめるTRPG」というのは、まあ、目指すデザイナーさんもいるのでしょうけど。全デザイナーさんがそちらを目指していただくと、アタシなどは困るかもしれません。
 
付け足し
でも、個人的観測としては、そんなふうに「全デザイナーさんが『万人に楽しめるTRPG』を目指す」なんてことはおそらくなくいと思ってます。
ユーザー階層に併せた、消費可能時間をタイプ分けして商品戦略も練られているでしょうし。第一、デザイナーさんという職種の本能のようなものとして、他の方と違うシステムを作ろう、とされると思いますので。
 
アタシの本心では、「きっと、万人に楽しめるTRPGなんて作られないよ(作れないではなく、商品戦略的にも、まず、そうした路線は採られないだろう、の意)」とか個人的には安心しきってるのでした。(笑)

2005年06月29日:10時16分13秒
個人まとめ:「セッションがつまらないのは常にすべて送り手のせいだ」との主張はナンセンス / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 Prof.Mさんの提案(「各自の論旨整理のすすめ」)に応じて、
表題で触れた「セッションがつまらいのは常に100%送り手のせいだ」という主張について、
それは単なるデマであり、分析としてはナンセンスなものだ、との説明をします。
反証1
ルールブックに、適正プレイヤー人数N名と明記されているにも関らず、ユーザーが、N×2名で、セッションを試み、結果がつまらない物だった場合、その責任をデザイナー(ルールブックの著作権者)に帰すことは不適当です。
反証2
ユーザーが、ルールブックをよく読み、ルールブックに記された成長評価尺度などを踏まえてプレイしたが、意識し過ぎてプレイが萎縮、結果がつまらない物だった場合、その責任をデザイナーに帰すことは不適当です。

 他にも様々な反証を挙げることができます。
 
 特に、反証1と同性質の、ルールブックに明記されたデザイン・コンセプト(システム・コンセプト)に関しては、そこから外れた遊び方をユーザーが選択すればするほど、ユーザーの選択責任は増し、デザイナーに帰されるべき責任は減ります。
 
 こうした反証があるのですから、
「セッションがつまらなかった場合、その責任は、常に、100%デザイナーに帰す」といった主張は、
事実に即さないデマであり、主張としてはナンセンスであることが明白です。
 
 このことは、「セッションがつまらない結果になる責任が、デザイナーには常にない」、ことを意味しません。
 
 また、「セッションがつまらない結果がデザイナーに100%帰すケースもあるかもしれない可能性」を排除するものでもありません。
意見
消費者は、事実に基づいていれば、購入した商品について、何を言っても構わないのは1つの原則でしょう。
しかし、批判の類を言うには、言う側に、挙証責任に準じたものが生じます。
挙証責任に準じた責任を負わない批判もどきは、単なる愚痴か、もしくはデマにすぎません。

2005年06月29日:09時52分12秒
論旨整理の提案を受けたいと思います / アキト

 こちらも手短に。

≫Prof.Mさん

 了解しました。まとめを作成すると同時に、主要な論者の整理が終わるまで新たな論点の投稿を手控えたいと思います。


2005年06月29日:02時11分34秒
各自の論旨整理のすすめ / Prof.M

 本発言の論旨は表題の通りですので,手短に。

 現在書き込まれている皆様に対し,ここで一旦,各自の主張をまとめることを提案いたします。

 現在の話題については,既に過去ログ1本以上の長きにわたって話が進んでいる状況です。が,私のような第三者から見た場合,正直なところ,それぞれの主張はともかく,全体の流れとして,曖昧かつ迷走している様に見受けられます。中には,誰とは申しませんが,明らかにそれまで主張してきた内容と矛盾した話をされる方や,論理や言葉を弄び詭弁に走る方もあり,その事が話をわかりにくくしている一因にもなっています(注1)。

 各自がそれまでの主張を,詭弁に陥ることなく,論理的かつわかりやすくまとめることで,話題の整理,論点の確認,問題点の洗い出しを行うことができ,話が拡散し迷走するのを押さえられるように考えますが,如何でしょう?(注2)

(注1)だからといって特にその方々を批難するつもりは全くありません。本発言の意図するところではありませんし,私の場合,そのような方の主張については,単に検討の価値がないものとして無視するだけです。

(注2)私がやってもよかったのですが,ちょっと量が多く,現状では処理できない,これは各自にやっていただくほかない,と考えましたので,今回の発言に至った次第です。
あと,まとめの際には,どうか,「この程度もわからないのか」的ニュアンスの文章は入れないようお願いいたします。苛立つのもわからないではありませんが,感情で話し始めたら,理解できるものも理解できなくなりますからね。


2005年06月29日:01時22分15秒
【ゲーム論】Re: 「ゲームとしての勝利条件」と「セッションの勝利条件」の関連 / Purple
 --- 2005年06月27日:02時53分42秒の紙魚砂さんの書き込み
 >(1)マスター(やシナリオ作成者)が用意した状況において、示された目標を達成できる/できない。
 >です。私が知っている範囲では、一般的に売られているRPGシナリオは、「状況と目標」を含む物ばかりですから、この定義で問題ないと思っています。
 
 …というのは問題あると思います。シナリオ等に書いてある「目標」というのは「多分PLは自分のPCについてこんな目標設定をするであろう」という「予測」でしかないと思うのです。(以降省略)
 ---
 
 2005年06月26日:11時34分37秒の私の書き込みで、
 >厳密にプレイ前に用意したシナリオ」の目標を達成することだけを勝利条件にするのは無理があると思っています。(言い訳がましいですが、そういうことが発生するのは当たり前と言うことで、言葉をはしょっていました。)
 
 と言及しているのですけど。それを読んだ上で「問題ある」ということでしょうか?
 
 あともう1つ。ゲームマスターの勝利条件のことを考慮されていないような気がするのですが。
 2005年06月25日:03時13分34秒の私の書き込みでは、プレイヤーの勝利条件だけでなく、ゲームマスターの勝利条件も書いています。これらは、単独で存在しているのではありません。
 ゲームマスターは勝利条件を満たすために「プレイヤーが達成感を得るシナリオ」をプレイ前に作ろうとし、プレイ中に調整します。
 そしてプレイヤーは、そのようにして作られ、調整されたシナリオの「目標」を達成しようとすることになります。
 
 私としては、「想定とずれた場合は別の基準を創出する必要」というのは、すでにゲームマスターの勝利条件に組み込んでいたつもりだったのですが。
#わかりにくかったか。。。
2005年06月29日:00時39分42秒
Re: 小さなツッコミ / Purple
 --- 2005年06月28日:02時07分36秒の斎藤梓の書き込み
 「プロの方が劣っていると断定」は出来ないと思いますが、かといってこの例で「プロの方が勝っていると断定」も出来ないのではないでしょうか。
 ---
 おっしゃる通りです。が、断定できないと言うことは、(B)の論も正しいか間違っているのか断定できなくなります。そして、Logさんの論法だと、少しでも成り立たない要素があると間違っていることになるらしいので(B)も間違っていることになると思います。
2005年06月28日:17時10分56秒
Re:プレイヤーには責任は無いし、実際にも何もやってない / Log
サトーさん、鍼原神無さん>

自分も思ったことですが、サトーさんの仰ることが若干意味不明です。
仰ることが正しいとすると、発言の責任を放棄しているのか、
同名のハンドルを持つ別人であるか、どちらかということでしょうか?

どういうことになっているのか、サトーさん教えていただけますか?
(同じ話題を振ってきているので、別人と言う線は低いと思っていますが)
2005年06月28日:17時09分58秒
Re:極端な例は納得できないのです。その3 / Log
※理解したうえで揚げ足を取っているのですか?

Purpleさん>

結果的に「別の要素を加えることにより崩壊する論は間違っている」と考えているのではないですか?
もともとの論が正しければ、別の要素を加えたところで、論が崩壊することはないでしょう。
それゆえに、もともとの論が間違っている、と理解出来るのではないですか?
※だから、つっこめるような例を出しているのですけど。

あなたは「自分の好みに合わない」という理由で「論法にケチをつける」という
議論の内容とは関係のない話題を持ち出して、非建設的な方向に進めました。
さらに非建設的な方向に話を進めつつ、「非建設的な議論を否定」しています。
だから、自覚した上で、建設的な議論をするように言っています。

「極端な論法が卑怯であるかどうか」については一般的ではないと思います。
故に「あなたのルールに従い、卑怯と罵った」ことには、まずは謝罪すべきと思います。
あなたの「卑怯と表現したのは、論であって当人ではない」というのは、言い訳です。
つもりがなければ、相手を不快にさせていいわけではありません。
2005年06月28日:17時08分35秒
Re: 【ゲーム論】RPGはゲームです / Log
Purpleさん>

遅れましたが、こちらにもコメントを返します。
TRPGはゲームである、という部分は特に異論はありません。

>・RolePlaying"Game"である以上、ゲームです。RolePlaying遊戯ではありません。

「名称にゲームという言葉を含む」という理由で、「ゲームである」と結論付けるのは無理があります。

>・RPG成立の歴史的経緯を見ても、ミニチュアゲームに新たな要素を足していくことで生まれた遊びです。決して、「ゲームでは無いなにか」にゲーム性を足すことで成立した遊びではありません。

一般に考えると「A+B=B+A」は成立します。故にこの論もおかしいと思います。
要は主としているのが、「ゲーム」の方であることを証明したいと思うのですが、論点がおかしくなっているように見えます。

>・実際のプレイで、「プレイヤーがなにも考えず、行動選択をしない。」と言うことはほとんどないと思います。マスターが用意したシナリオの目標を達成するために行動選択する限り、ゲーム的な思考を伴う行動選択は常に発生します。

前半部分については概ね間違っていないようにも思いますが、ずっとお絵描きをしている人やルールブックを読みふける人や居眠りする人なんかは見かけたことはなくはないです。ゲーム中にゲーム以外の行動をすることは例外(ほとんどない=まれにある)でしょうか。
後半部分については、「右に同じ」宣言をする人は、ゲーム的な判断を行っていると見なすのは難しくないでしょうか?知っているPLの中には「人間関係的に逆らえないから、間違ってると思ったとしてもリーダーの意見に従う」という判断を行う人もいて、そういう人もゲーム的な判断を行っているとは思えません。とはいえ、その人がTRPGを楽しんでいるのもまた事実のようです。

> 「マスターが用意したシナリオの目標を達成するための行動選択なんかしなくても、RPGは十分面白い。」と断言されると私の意見は成り立たなくなるのですが、私個人の経験上は、マスターのシナリオをを無視して遊ぶのは、面白いとは思えないですし、RPGぽくない遊びです。

鍼原さんのc)やd)も充分に「TRPGぽい」と思えるので、どちらかというと偏った論かと思います。

> すくなくとも、せっかくシナリオを用意してくれたマスターに対して不誠実であると思います。

シナリオの作り方によるので、確実に不誠実だとはいえないと思います。
シナリオの場面全てを作りこんでいるGMの場合は苦労が報われないかと思いますが、
各初期状態と各NPCの性格や行動基準だけ決めておくGMの場合はあまり困りません。
2005年06月28日:14時37分51秒
送り手の責任と消費者の責任(Re:プレイヤーには責任は無いし、実際にも何もやってない) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
サトーさんWrote>「デザイナーの責任領域を明確にするなら、プレイヤーやGMの責任領域も同時に明確化する検討が必要だ」と私に言うのは無意味です(私は「デザイナーに全て」と言ってますから)。むしろ、鍼原神無さん自身が行うべきとことです。そしてその“明確化”が妥当かどうかは別に議論となるでしょう(私には無関係ですが)。
 
 サトーさんには。主旨が通じなかったと思われますので。前と同じ主旨で、少し詳しく書きます。
 詳しいする分、少し面倒くさくなりますが。
 
----
>(私は「デザイナーに全て」と言ってますから)。
 
 いくら消費者でも、言えばなんでも通るというほど世の中はいい加減ではないです。
 
 主張が通るかどうかは、まず、事実に基づいているかどうか、次いで、主張の論旨に説得力があるかどうかで判断されます。
 
 サトーさんが続けている主張の場合で言うと、「セッションが面白いかどうかは、デザイナーにすべて責任がある」という主張からして、根拠の事実性の真偽や、論旨の説得力の妥当性が確認されなければなりません。
 
 例えば、ルールブックに、適正プレイヤー数N名と書いてあるのに、N×2名でプレイした結果、セッションがつまらなくなったとします。
 
 この場合、セッションがつまらなかった責任をデザイナーに帰すことは不適当です。
 デザイナーに責任を求めようとしたら、それは単なる消費者のワガママです。
 
 この手のワガママが通るほど、世の中はいい加減ではありません。
 
----
 セッションがつまらなくなる原因について、上記の一例と、同じような性質のケースを、たくさん考えることができます。
 
 基本的には、ルールブックに書かれているはずのゲーム・コンセプト(あるいは、デザイン・コンセプト)から外れた遊び方を選択すればするほど、セッションのおもしろさに対するGM及びプレイヤーの責任は増します。消費者の側の選択責任です。
 
 しかし、同時に、ルールブックの記述が分かり易いかどうか、は、基本的に当該ルールブックの著作権者に帰属します。
 
 ルールブックの記述がわかりづらいがために、ゲーム・コンセプトを読み誤った読者が、無理のあるセッションに挑んだとしたら、ルールブックの著作権者は、作者としの責任を言われるべきです。
 
----
 このようなわけですので、セッションの面白さについての責任を言うなら、まず言う方が、どこまでがデザイナーの責任で、どこまでが、ユーザー側の責任か、具体的に検討していかなければなりません
 
 立証責任に準じた責任が、批判を主張する側に生じます。
 もちろん法廷などで言われるほど厳密なものではありませんが、だからと言って、この「立証責任に準じたもの」を無視した批判は、無責任な言説であることに代わりはありません。
 
 いくら狙いがよくても、言説が無責任では「批判」として取り上げられなくても仕方ないわけですね。
 
 すべて、デザイナーのせいにしとけば、検討なんかしなくてもいい、なんて態度は、ただの消費者のワガママにすぎません。
 
----
 したがって、「セッションのおもしろさは、常に100%デザイナーの責任」と主張する人は、サトーさんに限らず、消費者の側の責任領域の明確化を、無関係と言って済ませるわけにはいきません

 もし、済ませるとしたら、そのこと自体が、自分の主張に対して、無責任(好き勝手言ってるけど、いい加減とか、そういうことですね)になってしますわけです。
2005年06月28日:13時41分25秒
「ゲームが面白いかは、デザイナーに全責任がある」という論理が誤りである、という点は変わらない / anonymouse
要点のみ。

●デザイナーの問題点について
>それは何ですか?

理解できなければ応答は結構です。

●全ての人を楽しませるゲームについて
>1.その場合「Bでないのが好きな人」の存在はどうするのか?

どうもしません。
先の例では「Aではないのが好きな人」が楽しむことができる可能性がある要素としてBを挙げていますので、その例に照らせばAでもBでもない要素としてCを想定することになります。

>2.Aという楽しみを捨てていいのか?

「楽しませること」を優先する場合には、楽しむことのできない可能性がある要素は考慮外となるでしょう。
「楽しみ」はAという要素によってのみ決定されるわけではありませんので。

>3.どんな人間同士にも共通点があるのだとすることは、「何が楽しいかは人によって違う」ということの否定では?

「共通点がある」と「相違点がある」は相反しない事象です。

>4.方法が何であれ「同時に楽しませること」ができるのならば、それを拡大させていくことが可能なのでは?

拡大させていくことは可能ですが、無限大の要素すべてを含むように拡大させることは不可能です。

>5.“Bの要素”など使わず、「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」を同時に楽しませようとする「新しい方法」を探す挑戦を無意味とするのか?それは進歩の否定では?

その「挑戦」を無意味とするものでも、進歩の否定でもありません。
単一の要素にのみ着目する論理が誤りであることを示しているだけです。

以上、5つの視点からみても前提の不備は正されていないので、件の論理が誤りであることは覆りません。
2005年06月28日:13時22分06秒
サトーさんに関連投稿の内容について問います / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>サトーさんへ
サトーさんWrote>「『ジャンルが閉塞する』などの予想」というものは言っていません(なんですか、それ?)。
>私は「デザイナーさんは、万人が楽しめるゲーム作りを目指すべきだ」とは言ってませんし、特に興味ありません(むしろ反対かな?)。

 
 今回の投稿では、サトーさん、特に、奇妙なことを書かれてますね。
 アタシには、サトーさんの今回の発言は、ご自身の投稿での発言に対する責任放棄のようにしか思えないのですが。
 
 まずは、確認をしましょう。
 
 サトーさん名義で投稿されている、「道具論について。責任の順番について。他」のなかで書かれている、次の箇所を見てみましょう。
 
>より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力を続けていれば、理屈上いつか「万人が楽しめるゲーム」ができるはずです。言い換えれば、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義があるとするなら、「万人が楽しめるゲーム」が存在できると考えなければなりません。TRPGは30年かけてだいぶ間口が広くなりましたし、もう30年経てばより発展するでしょう(そのあとの30年もね)。
 
>だから、「万人が面白いと思わせるゲームを作ることは不可能」「TRPGというゲームの性質上そんなものはありえない」などと言って、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうとしないのは、やる気がないというものです。デザイナーがそんな風では、いつか業界が閉塞しますよ
#文中、下線付け処理はカンナ
 
 引用箇所の末尾では、「万人が面白いと思わせるゲームを目指さなければ、業界が閉塞する」との断定的な予想がはっきり書かれています
 
 また、引用部分の文脈は、――
 
 過去30年間はTRPGジャンルの間口が広がったが、しかし、
より多くの人が楽しめるゲームを作ろうと努力し、
万人を楽しませるゲームを目指すべきだ、
さもないと業界が閉塞する。
 
――としか、読めません
 
 言うまでもなく、ゲームを作るのは、デザイナーやメーカーですから、当然、サトーさんは「デザイナーさんは、万人が楽しめるゲーム作りを目指すべきだ」と主張している、としか読めません。
 
 今さら「そんな予想はしていない」とか「言ってない」とか言われるのは、ご自身の投稿内容に対しての責任放棄としか考えようがありません。
 
 「なんですかそれ?」はないでしょう。
 
 アタシに限らず、この掲示板を使ってる人は超能力者ではありませんので。
 
 サトーさんの意見は、サトーさんの投稿の文章を「読んで」判断しています。サトーさんが何を考えているかを、直接察知することはできません。
 
 ですから、読者の方の誤解を言う前に、ご自身の作文の書き方、投稿の姿勢を見直してもらいたいと希望します。
 
 例えば――
>「『セッションがつまらないのは全てGMのせいだ』論への反論」とは、単に構成を組替えただけです(無視しても大丈夫です)。
 
 「無視しても大丈夫」なような言説は、雑談の場ならいざ知らず、議論の場には投入しないようにしてください。
 
 この件については、この掲示板の上の方に書いてある、投稿題名についての注意をよく読んで、なぜ、注意されているか、その機能について、よく考えてみてください。
 
【投稿題名についての注意】〔当掲示板上部より転記〕
 (簡易ボード群の新着情報から内容の概要が理解できるように、簡潔で適切な要約になるようにお願いします。題名を内容の分かるように書き、内容もそれに合わせて焦点を絞ることで、読みやすく理解しやすい内容を、書きやすくなります)
2005年06月28日:10時48分59秒
「セッション運営にかかる労力の配分における、次世代の比率について」 / 夏の百選
セッションのオモシロさがデザイナーの責任下にあるかどうか(責任という言葉もこの場合なんとも曖昧な言葉なのですが)について、いったんその真偽を横に置くとしても。
仮にもし原理原則としてそうであったところで、現状、「次の一冊」が出る程度の数のユーザーが書籍を購入しているのですから、ユーザーの現在の納得としては、デザイナーとの責任分担関係について一定度の理解、言い方を変えれば納得しているのではないでしょうか。
土台、ある事象に対して誰がどれだけ責任があるかなどということは、文化変遷の中で移ろい行くものです。正しい正しくないというよりは、「より現在の状況を的確に描写しているかどうか」などの視線で語ったほうがより地に足の着いた論になりそうです。

(その点、鍼原さんの今回の認識は解像度も視点安定度も、「より現在の状況を的確に描写している」と思います。)


僕は一連の話を「セッション運営にかかる労力の配分における、次世代の比率について」みたいな枠組みの中で捉えているのですが、その意味で益のある話だと思っています。 とはいえ、現実から遊離しちゃうと、益もなにもないので。その辺バランスをとったお話が好きです。


2005年06月28日:09時35分43秒
プレイヤーには責任は無いし、実際にも何もやってない / サトー
「プロは、侮られ甘やかされている」という言い方を組み込んだほうが分かりやすいかもと思っているところです。
レスは順繰りです。

>anonymouseさんへ
>GMのシナリオやマスタリングによって“のみ”RPGのセッションが面白いかどうかが決まるのではありません。

それは何ですか?

>「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」の両者が「Bが好き」である場合、Bの要素を持つシステムは両者を同時に楽しませることが可能です。

これは実際的には私への援護となるので、あまり反論する気にはなりません。が、一応いくつかの視点を示しておきます(なお、一貫性があるわけではありません)。

1.その場合「Bでないのが好きな人」の存在はどうするのか?
2.Aという楽しみを捨てていいのか?
3.どんな人間同士にも共通点があるのだとすることは、「何が楽しいかは人によって違う」ということの否定では?
4.方法が何であれ「同時に楽しませること」ができるのならば、それを拡大させていくことが可能なのでは?
5.“Bの要素”など使わず、「Aが好きな人」と「Aではないのが好きな人」を同時に楽しませようとする「新しい方法」を探す挑戦を無意味とするのか?それは進歩の否定では?


>アキトさんへ
>セッションが詰まらないのはマスタとプレイヤの双方に責がある

プレイヤーは何の“仕事”もなく、ただ与えられたものを享受するだけの存在なので、責任はありません。
プレイヤーがシナリオをつくったり、ルールの審判役などをやったりすることは不可能ではないですが、それはGMに押し付けられている責任をプレイヤーに分けたというだけのことです。
※ただし現状では、プレイヤーに負担を分けるのは賛成です(しかたがない)。


>鍼原神無さんへ
かなりの勘違いがあります。私はそんなこと言ってないので説得力を感じないのも当然です。
色々ありますが、とりあえずいくつか挙げておきます。

・「『セッションがつまらないのは全てGMのせいだ』論への反論」とは、単に構成を組替えただけです(無視しても大丈夫です)。
・「『ジャンルが閉塞する』などの予想」というものは言っていません(なんですか、それ?)。
・私は「デザイナーさんは、万人が楽しめるゲーム作りを目指すべきだ」とは言ってませんし、特に興味ありません(むしろ反対かな?)。
・「デザイナーの責任領域を明確にするなら、プレイヤーやGMの責任領域も同時に明確化する検討が必要だ」と私に言うのは無意味です(私は「デザイナーに全て」と言ってますから)。むしろ、鍼原神無さん自身が行うべきとことです。そしてその“明確化”が妥当かどうかは別に議論となるでしょう(私には無関係ですが)。


2005年06月28日:04時00分01秒
TRPG総合研究室 LOG 109 / sf

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