TRPG総合研究室 LOG 107

TRPG総合研究室の2005年04月23日から2005年05月10日までのログです。


2005年05月10日:21時12分48秒
状況の変化はあくまで単なる状況の変化である。 / boosuke
鍼原神無さんよりご回答をいただきましたので、
こちらに関して述べさせてもらいたいと思います。

>旧版トラベラーに関しては、
>「物語内でPCに対してなされる報酬配布が経験点に準じた成長処理にあたる」、って意見があること、
>Boosukeさんもご存知だろうと思います。
私はこのご意見に関しては、TRPGのシステムでの成長処理としては、
ちょっと拡大解釈に過ぎていて、これを成長処理と呼ぶには無理があるのではないかと思います。

なぜなら、トラベラーにおいては、以下の2点が言えるからです。
1.報酬配布で発生するのは、あくまで単なる状況の変化だけである事。
2.PCに与えられる報酬や取り巻く状況、持ち物に関しては、
  システムにおいても、背景世界においても方向付けされている訳ではない事。

まず1について述べますが、 例えば、「成長ルールを取り払った他のシステム」で、「多額の財産」を得た場合を考えてみても、
単にそのPCにおいて状況が有利に変化するだけで、PC自体の成長とは言えないと思います。
また、何らかの損害をPCが受けた場合であっても、単に状況が不利になるだけで、
やはりPC自体の成長とは関わりがないと思います。

2については、例えばトラベラーでPCが裕福な状況でプレイする事も可能なのですから、
「PCが赤貧の状況でスタートする事が多く、お金を重視したプレイになりがち」である事と、
「システムが期待するPCの活躍のさせ方」とは同じにならないと思います。
ですから、トラベラーで例えばお金や物を得る事は、別段システムが期待したり方向付けしたりしていないので、
赤貧を緩和する方向にPCの状況が変化する事は、PCの成長には当たらないと思います。

また、この「報酬配布等による状況の変化も成長処理と考える」とするご意見を、別のシステムで考えた場合、
「広義の成長ルール」を当てはめる事が可能になってしまうため、
恐らく全てのシステムが
「成長ルールがシステムに組み込まれており、キャンペーンプレイ重視でデザインされている」事に
なってしまうと思うのですが、どうでしょうか。

やはり、私は「キャンペーンプレイに成長ルールが必須条件ではない」と思います。
2005年05月10日:12時38分30秒
re: Re:PC成長ルールとキャンペーンプレイの関係・その2 / anonymouse

>もし再整理の方にも疑念がありましたら、

えーと。何を「再整理」されたいのか私にはよくわかりませんでしたが、デザイン・コンセプトに関する話なら“「キャンペーンプレイの採否」と「成長処理の採否」は別物”ということが認識されているのかどうかだけ確認できれば結構です。
これは当初のエグザイル氏あての疑問にも共通することなので、この回答一つだけで充分です。
まあ、それでも、氏の主張に対する私の違和感は残るわけですが。

それと、まったくの余談ながら、
私のハンドルは「anonymouse」ですので、書き込みの際は御確認下さい。
2005年05月10日:05時33分03秒
Re:PC成長ルールとキャンペーンプレイの関係・その2 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Anoymouseさん
 「キャンペーンを『前提』にしたデザイン・コンセプト」については、アタシの方の書き方に曖昧さがあったと思いますので、再整理させていただきました
 
 もし再整理の方にも疑念がありましたら、再度ご指摘いただけるとありがたいと思います。
 
 えー、アタシとしては以下は脇のお話とさせていただきたいのですが。
 
 プレイ前にキャラクターを成長させるルールについては、
 成長ルールを、PCのカスタマイズ、ないしはそれに準じた作業に転用している、
 そういうことが可能なシステム、と整理した方がジャンルの整理としては、すっきりしませんでしょうか?
 
 これは、立場、観点のさあいな違いにすぎないかもしれないので、あまり拘る気はなくって。
 失礼かもしれませんけど、よければ、脇の話題としたく思い、投稿を分けさせてもらいました。
2005年05月10日:05時21分39秒
Re:そもそもキャンペーンとは何ぞや?単発とは何ぞや? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>boosukeさん
 どーもです。
 キャンペーン・プレイと単発セッションについては、
 sfさんのTRPG百科事典が参考になると思います。
 
 試みに、アタシなりの定義めいたものを整理してみると、
 キャンペーン・プレイとは、 セッション・メンバー(GMとプレイヤ)の、少なくとも一部をダブらせながら、同じシステムを使って遊ばれる一連のセッション。及び、そうしたTRPGの遊び方。通例、メンバーの担当キャラもダブることが多い。
――だと思います。
 
 この定義は、よくなされる定義より少し緩いだろうと思いますが。
例えば、オープン・キャンペン(メンバーの出入り自由なキャンペーン)や、GM持ち回り式キャンペーンも一括して扱うには都合が定義です。
Purpleさんが紹介された定義は、シナリオ・ベースで整理された定義、って言ってよいと思いますけど。アタシの定義は、セッションの遊び方ベースの整理になってると思います。 

 単発セッションの定義は……、うーん、「1回限りで遊ぶという想定のTRPGのセッション」、とかではいけませんか??
 
 旧版トラベラーのお話は出るかな? と思っていました。
 旧版トラベラーに関しては、「物語内でPCに対してなされる報酬配布が経験点に準じた成長処理にあたる」、って意見があること、Booskeさんもご存知だろうと思います。
 
 「広義の成長ルールは、PCの達成評価の尺度を示す(システムに期待されるPCの活躍のさせ方を示す)」ってアタシの立場からすると、上の意見にはうなづけます。
 
 つまり、ミッションにあたるものはなんとか成功させても、報酬との関係で赤字決算になったりするとしたら、それは、旧版トラベラの場合「システムに期待されるPCの活躍のさせ方」からはハズレてることになります。
 
 えーと、、、ちょっと詭弁に聞こえるかもしれませんけど、
旧版トラベラに関しては、
成長ルールはまとまって整理されてなくても、ちゃんと、「広義の成長ルール」にあたるものが、ワールド設定の複合関係で、システム内に仕組まれている(記述構成としてまとまった単元に整理されてないだけ)、ってのがアタシの意見になります。
2005年05月10日:04時47分09秒
再整理:デザイン・コンセプトと成長ルール / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさんへ
 たびたび、どーもです。
 
PurpleさんWrote>「デザイナーさんは別段、キャンペーンに焦点を当ててデザインしているわけではない。」ということになります。当てる人もいれば当てない人もいるでしょう。
 〔中略〕
>「システム(判定系とワールド設定の複合態)を踏まえて遊ばれるプレイ総体の楽しさ」
>に焦点を当てるというのなら、全くその通りだと思います。キャンペーンであるかどうかは不要です。

 
 なるほど。アタシの方の言い方を、再整理させてもらった方がいいようですね。
 「キャンペーンを『前提』にしたデザイン・コンセプト」の「前提」にしたのヵ所が、曖昧さ、行き違いのもとのようです。再整理してみます。
 
【再整理】 成長ルールがシステムに組み込まれていないTRPG、あるいは、成長ルールが、選択ルールにすぎないと位置づけられたTRPGシステムを、ジャンルの例外とみなす、という前提で。
 一般に、システム・デザイナーさんが考えているはずのデザイン・コンセプトは、判定系とワールド設定の複合態であり、キャンペーン・プレイを念頭においた遊び方が想定されざるを得ない。
 
 ここで、お話の都合上、仮に――
a)単発セッションで、セッション後、成長処理を省略する遊び方(一部ルールの停止)
b)単発セッションで、セッション後、成長処理もする遊び方(ルール準拠だけど、キェンペーンに発展させるかは未定)
c)GM&プレイヤーが、キャンペーン・プレイを遊んでく予定を合意して、セッション後にルール準拠で成長処理もする遊び方
――って3種類の遊び方を想定してみることにします。
 
 Purpleさんご指摘の「〔TRPGの遊び方が〕キャンペーンであるかどうかは不要」って意見の意図はわかるつもりですけど。
 
 極、少数の例外を除いて、ほとんどすべてのTRPGでは、成長処理ルールに、「プレイヤーがPCにどのような性質の達成をさせたときに、どの程度評価するか」って尺度を、アウトライン程度でも示すルールが付随し、複合してるだろうと思えます。

 達成度評価の尺度は、ルールブックの構成上、かならずしも成長処理ルールの近傍に配置されてるとは限らず、場合によっては、キャラの属性関係の設定などに分散記述されてる例などもあるのですが。話を混乱させないように、「成長処理ルールと、達成度評価尺度の複合態」を、この場では「広義の成長処理ルール」と仮称してみることにします。
 
 この関連は(後出しみたいになちゃやうのは申し訳ないんですけど)、多分、anoymouseさんの疑問へのお応えの要点にもなるだろうと思います。

anoymouseさんWrote>「PC成長ルール」がキャンペーンのためだけに存在しているのならばこの主張は正しいでしょう。しかし、そうではありませんよね?
 
 Anoymouseさんの言われる通り「PCの成長ルール」は、キャンペーン・プレイのため「だけ」に存在しているわけではありません。
 
 ただ、anoymouseさんの論旨には反するのですが、「広義の成長処理ルール(仮)」は、普通、「プレイヤーがPCにどんな活躍をさせることが期待されるシステムであるかを、明に暗に示す役割」も担っています。その意味で、キャンペーン・プレイのためだけに存在しているわけではありません。
 「広義の成長処理ルール(仮)」は、実際にキャンペーン・プレイに踏み切るにしろ、単発セッションで遊ぶにしろ、プレイに際して考慮すべきですし、シナリオ・メイクでも参考にすべきものです。
 
 アタシが思うには、purpleさんの意見である「デザイナーさんは別段、キャンペーンに焦点を当ててデザインしているわけではない」って言い方は、
 デザイナさんが考えてるはずの、デザイン・コンセプトをユーザー側が 解釈してくときには、ちょっとまずい整理と思えます。(アタシの方の言い方も曖昧だったのでよくなかったですが)
 
 Purpleさんに言われてることはわかるつもりですけど、デザイン・コンセプトのお話としては、purpleさんのようにまで言いきることには、賛成できません。
 
 ユーザー側の個別セッションの楽しみ方のお話としては、ご指摘の通り、「〔TRPGの遊び方が〕キャンペーンであるかどうかは不要」と思います。
 
 ただし、実際にキャンペーン・プレイまで展開させる(前記Cタイプの遊び方)かどうかはともかく、成長処理も「念頭に置いて」に遊ばないと、セッションで遊ばれるゲーム性が変わってゆく可能性が高まります。
 aタイプとbタイプの違いですが。むしろ、ゲーム性に拘れば拘るほど、aタイプとbタイプの遊び方での「ゲーム性」――、つまり、ゲーム・プレイに際して発想される戦略や戦術が変わっていかざるを得ません。
 
 別に、aタイプの遊び方で遊んでも構わないんですけど。その遊び方だと、自ずとデイザナさんのデザイン・コンセプトの焦点からはズレていくでしょう。
 
 アタシがしてたつもりのお話は(伝わりづらかったとは思いますが)、TRPGってジャンルは、aタイプのような遊び方まで許容されちゃう変わった性質を持つジャンルでしょう、って理解を前提してのお話で。
 
 アタシが書いてた「キャンペーン前提」って言うのは、――曖昧だったので「念頭に置いて」、と再整理させてもらったわけですけど――、
 実際にキャンペーン・プレイを展開させるかさせないかは別にして、「キャンペーンを念頭においた」遊び方(上記bタイプやCタイプ)の方が、デザイン・コンセプトに近いですよね、ってお話をしたつもりでいました。
 
 ここで、唐突に本筋のお話につなげてみると、上記の意味でもキャンペーンを念頭におかない遊び方(aタイプの遊び方)をするのだってセッション・メンバーの自由なんですけど。
 その場合は、もし、思ったようにセッションが楽しめなかったとしても、その責任がデザイナさんに100%ある、とは言い難いですよね、ってことでもあります。
 選択の自由があるってことは、選択にはそれなりの責任が伴うってことと同義ですので。
 
 アタシの意見もTRPGシステム=道具論に、ほぼ賛成の立場からの意見なわけです。
#システム=道具論には、いくつか前提条件が必要になるかもしれない気もしてますが。まだそこまでお話は進んでないと思いますので、道具論については、今はこんなところで。
2005年05月10日:02時56分14秒
キャンペーンの定義 / Purple
 キャンペーンについては、ロールプレイング・ゲームの達人(社会思想社刊)のなかでゲイリー・ガイギャックスが
 
 「同じ設定世界、キャラクターを使って、いろいろなシナリオをプレイすること」
 
 と定義していますね。で、現状でもおおむねこの定義でよいのではないかと思います。
 
 ただ私自身は、「1キャラ複数シナリオ」という遊び方を以下の3つに分けています。
 (1)長編シナリオ
 (2)キャンペーンシナリオ
 (3)連作単発シナリオ
 
 (1)は、あらかじめラストまでのシナリオを決めておくような形です。もちろんPCの行動によってシナリオを修正することはありますが、PCの行動が予測の範囲内にあれば、全くシナリオを変更せずに次のセッションを行うことができます。
 boosukeさんが述べている「単発シナリオが複数セッションに渡ってしまう」ケースは長編シナリオに含まれるかな。要は長いか短いかの違いがあるだけで、シナリオ作成方法は単発と一緒ということです。
 
 (3)は、とりあえず、各話独立した単発シナリオとして作られますが、ただし、「前のシナリオで出てきたNPCを次のシナリオに絡める」ということができるようになるのが、単純な単発シナリオとは異なるというパターンです。SWリプレイの前半部分とかが、そういう感じかなぁ、と思います。
 
 (2)は、個々のシナリオの詳細は決めてないけど、ある程度長期的な展望を決めておき、それに向かって個々のシナリオを作っていくようなパターンです。
 先に述べたSWリプレイですが、後半になると「パーティーに敵対する組織」のようなものが現れ、それとの対決色が強くなりますよね。このとき、GMは個々のシナリオの詳細までは考えてはいないけど、大枠でパーティに対しやらせたい目標というものを意識してシナリオを作っているのではないかと思えます。これがキャンペーンかなと。
2005年05月09日:23時55分02秒
そもそもキャンペーンとは何ぞや?単発とは何ぞや? / boosuke
ここまでの議論の中でしばしば出る「キャンペーン」と言う言葉が気になりましたので、
問いかけをしたいと思います。
それは「そもそもキャンペーンとは何ぞや?単発とは何ぞや?」という事です。

私にとって、単発のシナリオとキャンペーンシナリオとは、
プレイする回数が複数かどうかだけで、基本的に同じものと考えています。

これについて説明しますと、
例えば、私がGMで行う単発のシナリオでのセッションの場合、
時間が足りない時には、区切りのいい所で終了して経験点を分配してしまい、
残りを次回のセッションに託す事があります。
これはある意味、元々単発シナリオであったけれども、一種のキャンペーンシナリオになったと
言えるのではないでしょうか。

また、キャンペーンシナリオではそれぞれのセッションの間に、
現状の流れを考慮して次の展開を考え、修正を加えた上で次回のシナリオとして作りあげますが、
単発シナリオでも、流れによって次の展開に合わせて、その場でシナリオを修正する事があり、
キャンペーンシナリオと同様の事を行う事があります。

もちろん、キャンペーンシナリオではセッション間にある時間を利用してシナリオを修正する事ができる一方、
単発シナリオその場でシナリオを修正する分、大変で難しいものだとは思います。
しかし、シナリオ全体の大きな流れに合わせて修正を行う、と言う点では余り変わりはないと思います。

要するに、
キャンペーンシナリオとは、単に複数セッションに渡るほどプレイの所要時間が大きく、
経験点を分配するタイミングが取れる程の大きな区切りが一つ以上あるシナリオなのではないかと思うのです。
また、この大きなシナリオを一息にやってしまった場合は、単発シナリオと呼べるのではないでしょうか。

このように思うため、
何となく私にはキャンペーンと単発を区別する事自体に不思議な感じを受けました。

そこで、私はみなさんに問いたいと思います。
「そもそもキャンペーンとは何ぞや?単発とは何ぞや?」と。

余談ながら、
古い版の「トラベラー」はPCの成長ルールが無かったと思いますが、
これは、PCが成長しなくても、PCがおかれている状況の変化が楽しいため、
成長ルールがなくても楽しい物であったと思います。
「トラベラー」は「キャンペーンプレイなんかしなくてもよいシステム」では無いと思いますし、
また、PCの成長ルールがキャンペーンプレイの絶対条件ではない事を表していると思うのですが、
どうでしょうか?>鍼原神無さん
2005年05月09日:22時14分47秒
PC成長ルールとキャンペーンプレイの関係・その2 / anonymouse

>アタシも、デザイナさんが本当に「キャンペーンなんかしなくてよいシステムを作ろう」とするなら、成長処理のないシステムをデザインするはず、と考えます。

果たしてそうでしょうか?
成長処理が含まれていてもキャンペーンをしなくても良い(≒キャンペーン向きでない)システムをデザインすることは可能です。
まあ、技術的に可能だからと言ってそうそう容易に作られるものでもないでしょうし、そういうゲームのニーズの大小などを考えれば結果的にはそうなる“はず”かもしれませんけど、「キャンペーンプレイの採否」と「成長処理の採否」は別物でしょう。

>けれど、旧来型のシステムでも「キャンペン・プレイをしても、しなくてもよい(セッション・メンバーの選択に委ねられてる)」点は一緒ではないですか。

ええ、そのことに異論はありません。が、それだからこそ“近年のゲームは「〜キャンペーンを前提にしている」”というエグザイル氏の主張に違和感を覚えるのです。

私の知る限り、旧来型のシステムでプレイ前にキャラクターを成長させるルールを持つものはありません。
#初期キャラクター作成時点から強力なキャラクターを作成(選択)できるものはありましたが、これを「成長処理」と考えるのはオカシイでしょう。
これはつまり、成長処理を含む旧来型システムは「プレイ後のことも考えて(≒キャラクターを継続するキャンペーンも視野に入れて)ルールが構成されていた」ことを意味します。
しかし私が挙げたように、プレイ前にキャラクターを成長させることができる(近年の?)ゲームでも、成長処理が「プレイ後のことを考えて」ルールに含まれていると考えるのはあまりに短慮ではなかろうかと。
成長処理が「プレイ後の(継続する)キャラクターのため」に存在していた状態から「プレイ前の(強力な)キャラクターのため」に存在する状態になっているのです。
この変化を考えれば、“近年のゲームは「キャンペーンを前提にしている」傾向が薄れている”という主張になるのではないかと思うのですが、そうではないようなので私は違和感を覚えるし論拠不足だと感じるのです。
2005年05月09日:17時00分55秒
キャラクタープレイとキャンペーンの話は、直接はリンクしていません。 / Purple
 エグザイルさんwrote
 >また、「キャラクタープレイを求められる事」と「そのゲームがキャンペーン不要」と言われる事の因果関係が全く解りません。
 
 これは、直接のリンクはない話です。でも、今の先の私の書き込みと無関係でもありません(話のもって生き方が悪かった。)
 
 先に断っておきますが、ルールブックを持っていないので今から書くことには間違いがあるかもしれません。
 
 キャラクタープレイで「何とかポイント」がもらえるとうのは、私の経験では、天羅万象とかビーストバインドがあります。
 絆(エゴ?感情?ゲーム上の正しい用語は忘れた・・・)とかでPC・NPCとの関係をあらかじめ持たされている状態でプレイを始め、プレイ中にそれに基づいたキャラクタープレイをすることで、なにがしらかのポイントが溜まり、そのポイントを使ってスキル行為判定のダイスを増やしたり修正をもらえたりしたはず。(うろ覚えなので違ってたらごめんなさい。)
 また、深淵では、NPCやアイテムなどに縁がついており、その縁に関連する判定時に縁の(レベル数値分の)修正がついたはず。
 
 昔のRPG(例えばD&DやSWなど)はそういう感情ルールがなかったのであり、昔のRPGを踏み台にして、感情ルールを追加するという改良を行うことによって、新たなRPGが誕生したと考えるなら、感情ルールこそそのRPGのセールスポイントであるといえるのではないでしょうか?
 だから、そういうRPGを作ったデザイナーは「キャンペーンで遊ばれるの楽しさ」よりも、「感情ルールを使って遊ぶことの楽しさ」を焦点にしてデザインしているだろうと考えたのです。 
 
 (もっとも、深淵は感情ルールに焦点を当てて言うよりもよりも更に別のルールに焦点を当てているゲームなので、今の話題には不適切かも知れないけど。)
2005年05月09日:15時02分06秒
【デザイナーの焦点】 キャンペーンかどうかは重視しないのでは?ということがいいたかった。 / Purple
 ちょっと、書き方がまずかったかもしれませんが、私の意見としては、
 
 「デザイナーさんは別段、キャンペーンに焦点を当ててデザインしているわけではない。」

 ということになります。当てる人もいれば当てない人もいるでしょう。
 
 繰り返しになりますが、鍼原神無さんの
 >普通、デザイナー(システム・デザイナ)の方が言われる「TRPGの楽しさ」は、特に断りがなければ「システム(判定系とワールド設定の複合態)を踏まえて遊ばれるキャンペーン・プレイ総体の楽しさ」を焦点に置いたものになるでしょう。

 というのが、それは変じゃない?というはなしです。

 「システム(判定系とワールド設定の複合態)を踏まえて遊ばれるプレイ総体の楽しさ」
 
 に焦点を当てるというのなら、全くその通りだと思います。キャンペーンであるかどうかは不要です。
 まただから、「キャンペーン」を別の意味で使っているのか?を尋ねました。
2005年05月09日:11時37分29秒
デザイン・コンセプトとキャンペーン・プレイと単発セッション / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Purpleさん
 どーもです。
 
 えーと、、、要点は、エグザイルさんが書いてくれましたので。アタシの前の投稿に則して、補足させてもらおうと思います。
 
 それから、>anoymouseさんの、エグザイルさんへの疑問への、回答にもなるんじゃないかな(?)、と期待してみます。
 
 エグザイルさんが書いてくれましたが、アタシも、デザイナさんが本当に「キャンペーンなんかしなくてよいシステムを作ろう」とするなら、成長処理のないシステムをデザインするはず、と考えます。

 あるいは、成長処理が、選択ルールにすぎないって位置付けのシステム。
 ただし、「成長処理」って言っても、ある程度抽象的なお話ですから、極論、PCに加齢処理を加えるだけのシステムを想定しても、「成長処理」の一種とみなします。
 
 ともあれ、そこまでデザインされて、はじめて「キャンペーンなんかしなくてよいシステム」だと思います。
#補足して書いておくと、福袋タイプとか、マギウス・ライクなTRPGに成長処理がデザインされてないシステムもあったような(?)気もしますが、記憶違いかもしれません(困笑)。それらは、この話題ではジャンルの例外とみなさせてもらいます。
 
 アタシの理解だと、Purpleさんがあげられたような類のTRPGの多くは、「メンバーの少ない手間で、旧来型キャンペーンに似た楽しみ(あるいは旧来型の楽しみの一部)を手軽に遊べるよう工夫された、そういうタイプのキャンペーンに向いたシステム」なんだと思います。
 
 こうしたタイプのTRPGでも、あるいは、旧来型キャンペーン向けのTRPGでも、もちろん「単発セッション」で楽しんでもOKで。
 その意味では「キャンペーンなんか、しても、しなくてよいシステム」ではあるんですよね。そこは、anoymouseさんの言われてることに異論ありません。

 けれど、旧来型のシステムでも「キャンペン・プレイをしても、しなくてもよい(セッション・メンバーの選択に委ねられてる)」点は一緒ではないですか。
 
 んで、「成長処理」が組み込まれたシステムを「単発セッション」で楽しむのは、デザイン・コンセプトの想定内の遊び方ではあっても、「本来の性能の一部を限定利用した遊び方」になります、ってことも言ってるつもりです。
 だからこそ「個別セッションの楽しみ方」重点の話題と「デザイナさんの考えるTRPGのおもしろさ」の話題とを繋げるには、両者をブリッジさせるような検討が必要でしょう、ってあたりが、前の投稿での指摘でした。
  
 単発セッションで、「本来の性能」がどのくらい限定利用されたことになるかの程度も、システムのデザイン・コンセプトに応じて違ってくるはずなんで。
 そこまで含めて「デイザナさんが考えてるはずのデザイン・コンセプト」なわけです。
 システムによって、「そんなにキャンペーン・プレイに拘らなくてもかなり楽しめますよ」って、デザイン・コンセプトがあることもわかります。
 
Purpleさんwrote>〔旧来型キャンペーンの:カンナ補記〕楽しさに焦点を置くことが普通のデザインなのでしょうか?
 
 えーと、少し、お話噛みあってないかもしれない(?)ので、もう少しだけ補足を。
 前の投稿でアタシが論じたのは「デザイナさんの個別デザイン・ワークの焦点」について、ではありません。
 それから、どんなデザイン・コンセプトが普通かについても考えてはいません。

 デザイナさんが、TRPGのおもしろさについて、――例えば『今度のシステムは万人に楽しんでもらうようなTRPGを目指しました』とか、公に語るとしたら、
その言説の前提は、ふつうは、システムのデザイン・コンセプトに従った遊び方になるだろうし、
同じ言説の重点は、ふつうは、そのシステムを言わば“フルスペック”で遊んだ場合の楽しさ、に置かれざるを得ないでしょう、
そうでない場合は、なんらかの限定付けなどの断りがつくと期待していいでしょう、
 ――ってお話をしたつもりでした。
2005年05月09日:10時27分22秒
PC成長ルールとキャンペーンプレイの関係とは / anonymouse
>まず本気でキャンペーン不要のゲームを作るならば「PC成長ルール」が無くなります

「PC成長ルール」がキャンペーンのためだけに存在しているのならばこの主張は正しいでしょう。しかし、そうではありませんよね?
キャンペーン「が出来ないように」設計されているもの以外なら、どんなゲームでもキャンペーン「も出来るように」なっている、と考えて良いのではないかと思います。
一方、キャンペーンプレイをするため補助ルールや背景設定などが充実しているなら、そのゲームは「キャンペーンを前提にしている」と考えて良いでしょう。が、浅学にして私はそのようなものを目にしたことがありません。
また、プレイ前にキャラクターを成長させることができる(≒近年の?)ゲームでは特に、PC成長ルールがあることがキャンペーンを前提にしている理由にはなり得ないのですが。

という訳で、近年のゲームは「単発セッションも面白くしながらも、やはりキャンペーンを前提にしている」という主張は、いささか論拠不足かと感じます。

よろしければ、“近年のゲーム”にある「キャンペーンを前提にしている」ルールや設定などを例示していただけると助かります。
2005年05月09日:09時39分23秒
Re:デザイナーの焦点って、そんなところにあるの? / エグザイル
 まず本気でキャンペーン不要のゲームを作るならば「PC成長ルール」が無くなりますwそれが有るという事はやはりキャンペーン「も出来るように」設計しているのでしょう。そして同時に「1回だけのプレイも楽しくなるように」作られているのです。

 キャンペーンを続ければ大抵の場合ユーザーはサプリメントを欲しがるでしょう(追加データ、世界設定、あるいはリプレイなど関連商品も)そのサプリメントを売ってメーカーは利益を得るのです。だからデザイナーは長く遊べるようにする訳で、つまりキャンペーンを想定して作るのです。(版上げもゲームの寿命を延ばす為でありますね)
 デザイナーのポジション(ひとつ)とは、商売人の事です。

 またPurpleさんの根拠についてですが、最近の「初めからPCにNPCとの関係がある」ゲームでもキャンペーンを始めれば「さらに他のNPCとの関係ができる」「始めのNPCとの関係が深くなる」という事は出来るので、この根拠を持って「近年のゲームはキャンペーン不要」とは言えないと思います。

 さらにルールブック付属のシナリオの段階で2本入りでそれを連続して遊ぶ事もできますし、サプリメントの中には4本の連続シナリオもあれば、複数のシナリオフック(ネタ集)もあります。これはデザイナーが、メーカーがキャンペーンを推奨している証拠でしょう。
 と同時に単発シナリオも出しています。1回きりのセッションも大事にしているのです(そしてこれをきっかけにキャンペーンになる事もありますし)

 また、「キャラクタープレイを求められる事」と「そのゲームがキャンペーン不要」と言われる事の因果関係が全く解りません。せいぜい「1回にセッションでキャラクタープレイを十分に行い満足しきってしまい、キャンペーンを行うまでも無いと思われてしまう」ぐらいではないでしょうか。こんな事も実際は無いのですが。
 さらに「何とかポイント」との関係も不明です。これは本当に全く解りません。

 という訳で近年のゲームは「単発セッションも面白くしながらも、やはりキャンペーンを前提にしている」と言えるでしょう。

 さて今回の書き込みははっきり言って本筋からの寄り道ですw皆さんは本筋の議論をどうぞw
 ちなみに僕の意見は「理想は素晴らしいし理解したし応援する。だから理想を現実にするように動いた方が皆を早く納得させられる」ですねw
2005年05月09日:02時21分50秒
デザイナーの焦点って、そんなところにあるの? / Purple
 >普通、デザイナー(システム・デザイナ)の方が言われる「TRPGの楽しさ」は、特に断りがなければ「システム(判定系とワールド設定の複合態)を踏まえて遊ばれるキャンペーン・プレイ総体の楽しさ」を焦点に置いたものになるでしょう。

 それが楽しいということに異論はないのですが、その楽しさに焦点を置くことが普通のデザインなのでしょうか?それって根拠のない思い込みではないでしょうか?

 私がそう思う根拠
 昔のゲームは、作ったキャラがキャンペーンを通して成長して行く過程の中で、PCやNPCとのかかわりが増えることで物語(思い出というべきかも)が増えていって、そこに楽しさを感じたものです。
 しかし、近年のゲームだと、作成したばかりのキャラにいきなり「他のPCとの縁」だとか「そのシステムの有名NPCとのコネ」のようなものがつけらていて、そこからのキャラクタープレイを求められるってのが多い気がするんです。(しかも、そのキャラクタープレイをすることで、「何とかポイント」が貯まって、それを使ってスペシャルスキルが使えるというのも、多くない?)
 つまり、近年のその手のゲームのデザイナーはキャンペーンなんかしなくてよいゲームを作ろうと努力していたように見えます。

 それとも、もしかして、「キャンペーン」という単語を別の意味で使ってます?
2005年05月08日:22時35分13秒
キャンペーン前提のシステムと個別セッションでの道具的利用 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>サトーさんへ
 こんにちは。はじめまして。
 
サトーさんWrote>私の論への反論意見の先には以下のような落とし穴がありますので注意してください。
 〔中略〕
>「GM役が疎まれても構わない」「多くの人が楽しめるゲームを開発する必要は無い」「RPG界は閉塞してよい」と考えている訳でないなら、反論意見は慎重に扱ってほしいと思います。
 
 一連のやりとりを拝見してきていますが、サトーさんの意見に対してあげられている異論、これまでのところは別に「GM役が疎まれても構わない」「多くの人が楽しめるゲームを開発する必要は無い」「RPG界は閉塞してよい」などの主張が込められたものは見当たらないと思います。
 
 実は――、他の方も同じようなことを書いてられますが、アタシもサトーさんのご意見は、今ひとつ論旨がよくわからないとこがありますので。もしかしたら、アタシの方に見落としがあるかもしれませんが……。
 
 引用した部分のサトーさん御懸念については、今のところ、みなさん、充分慎重な意見を述べてられてるので、言われるような落とし穴に入る危険はないように思えます。
 
 さて、
多分、〔サトーさんの意見への異論は〕より多くの人が楽しめるゲームを創ろうとするデザイナーの決意を台無しにする」の方が、論点になりそうな気がしますけど。

 こちらについては、元々の話題との間で無理が生じているように思えるので、今後のやりとりに期待したいと思います。
 
 普通、デザイナー(システム・デザイナ)の方が言われる「TRPGの楽しさ」は、特に断りがなければ「システム(判定系とワールド設定の複合態)を踏まえて遊ばれるキャンペーン・プレイ総体の楽しさ」を焦点に置いたものになるでしょう。
 個別セッションの楽しさも含まれてはいるでしょうけど。デイザナさんというポジションからは、どうしたって、デザイン・コンセプトを念頭に置いた、キャンペーン前提のお話しになるはずです。
 
 これに対して、元の話題は、セッションに導入されるアイテムに関する特定の意見が、個別セッションの楽しさの障害(?)になるかどうか、といった話題から生じてたと思います。(アタシなりの整理ですけどね)
 
 近々で言われている「道具論」も、アタシが思うにはキャンペーンを前提にするにしろ、しないにしろ、個別セッションでのTRPGの遊び方に重点が置かれた論だと思えます。
 
 デザイナーさんが言うような、あくまで「キャンペーンを前提にしたシステムの在り方」重点の話題と、近々の投稿で言われているような「キャンペーンを前提にするにしろしないにしろ、個別セッションを楽しむための遊び方」重点の話題とでは、TRPGの遊び方についての話題としても、中味が違って来て当然です。
 
 これまでのところ、両者の間をつなぐ検討は見当たらないと思います。そのため、飛躍、あるいは食い違いが生じてるように思えます。
2005年05月08日:20時51分33秒
Re:現状はまともか。趣味対立を解決しないのは閉鎖的。 / boosuke
サトーさんの思いは強いのであろう、とは思いましたが、
何を思われているのか、何故そう思われているのかについては、よく理解ができませんでしたので、
やり取りの中で要点を聞き出すためのきっかけとして、
それぞれあえて反論いたします。

まず、確認のため、事のあらましを述べておきたいと思います。
この話の発端は、Logさんが
「セッション中に役に立たないアイテムを出してはいけない」
とする意見に対して是か否かを問い、この意見と完全に同調する人が多い場合は、
TRPG全体の問題として提起したいと言う思いであると私は解釈しました。
そして、この話については、Logさんが特に問題なさそうだと判断されていると思いますので、
すでに終了しているものと思われます。

この中でサトーさんが述べられた意見が、新たな議論の発端となっており、
現在は議題に上っている案件は別のものになっていると思われます。
つまり、「PLがつまらないと感じた全責任はデザイナーにある。」かどうか、
と言う事について、だと思います。

これについて意見を述べる前に、ここで私は「全責任まではデザイナーにはない」とするスタンスである事を、
はっきりと述べておきます。

>●現状の評価について
>「現状のRPGは、これこれこうである。だから、それでいいのだ」というのが、反論意見の要点でした。
少なくとも、私の意見については、先に述べたスタンスの通りであり、
そのため、「それでいいかどうか」については別に議題としてあげていただければよいかと思いますので、
このセクションの話については、今回の議論では特に考慮する必要はないかと思います。

また、余談ながら「それでいいかどうか」については、私は別に問題はないと思います。

>●趣味対立について
>RPGの楽しみの要素は多様で、しかも一人の人間の趣味はその多様さが様々な割合で絡み合って出来ています。
>ですから、何が楽しいかが全く同じな人間というのは存在しないと言ってもいいでしょう。
このご意見については同意見です。

しかしながら、
>そのため、「“ある楽しみ”には、そうでない人間が必ずいる。だから同時には楽しめない」という論法を続けていくと、
>最終的に一つのゲームは一人の人間にしか楽しめないことになります。
このご意見については同意できません。
なぜなら、TRPGのシステムというものは必ず何かをコンセプトとしてデザインされており、
”ある楽しみ”が「大体」共通する人達が、それに近いものをコンセプトとするTRPGのシステムを選択する事で、
TRPGをプレイする要員が集まるので、基本的に一人にしか楽しめないなどという事にはなりません。
突き詰める必要のない物を突き詰めて、排他的にする必要もないと思います。

また、一つのシステムが合わなかった場合、別に合いそうなコンセプトのシステムを使用するため、
>(せいぜいよくても、一つのゲームは同様な趣味の人間達だけが集まる排他的な閉鎖集団しか
>楽しめないことになってしまいます。)
と言う事にもならないと思います。
確かに、共通する”ある楽しみ”に合うコンセプトのシステムがない場合には、楽しめないと思いますが、
これについては、それをコンセプトとするシステムをデザインする、ゲームデザイナーの出現に期待するか、
またはハウスルールやオリジナルシステムでコンセプトに近づけるかしかないと思います。

>●努力の価値について
>繰り返しますが、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義があるとするなら、
>「万人が楽しめるゲーム」が存在できると考えるしかありません。
これは、「存在する答えを目指す」というのとは全く逆です。
このご意見につきましては、
「より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義がある」事については同意します。
しかし、「万人が」では全ての人が対象になってしまうため、先に私が述べたように、不可能です。
そのようなシステムは存在しませんし、作る事も不可能です。

TRPGのシステムには必ずコンセプトがあり、基本的にそれを楽しめる人向けにデザインされています。
これを「コンセプトの範囲内」で、より多くの人が楽しめるようにデザインする事は可能だと思いますし、
この事への努力は意義あるものと思います。

もし万人を満足させる事を目指すのであれば、一つのシステムで対応しきれない人々は、
そのシステムだけにこだわらずに、別のコンセプトの別のシステムで補えばよいと私は考えますし、
またはGMがプレイ前またはプレイ中に、プレイヤーに合わせてカスタマイズすればよいとも思います
(また、別コンセプトとカスタマイズによって、私は趣味対立は解決可能と思います。)ので、

ゲームデザイナーが一つのシステムだけで万人を満足させる事を考える事自体が、
ちょっと私には理解できません。

>●反論意見の落とし穴について
>ところで、私の論への反論意見の先には以下のような落とし穴がありますので注意してください。
>・GMが責められるようになり、遊び手はGM役を疎むようになる。
>・より多くの人が楽しめるゲームを創ろうとするデザイナーの決意を台無しにする。
>・RPG業界の閉塞を招く。
なお、このご意見につきましては、

まず一つ目「GMが責められるようになり、遊び手はGM役を疎むようになる。」
有効なGMの養成方法がなく、GMは難しいというイメージを強く持つ人も少なからず存在しているため、
これは、GMのなり手が少ない、という意味ではは未解決の重要な問題であると思います。
もし、これがこれまでのご意見が、サトーさんの最も懸念する問題であるとして述べられているとすれば、
サトーさんの思いについては同調できます。
しかしながら、今回の議論(PLがつまらないと思う責任の所在)においては、
直接は関係ないものと思いますので、落とし穴になるとは思いません。

次に二つ目と三つ目
「より多くの人が楽しめるゲームを創ろうとするデザイナーの決意を台無しにする。 」
「RPG業界の閉塞を招く。」
前セクションで述べた方法での「より多くの人の満足」が不可能ではないと思いますので、
少なくとも私が述べる反論意見の先で「デザイナーの決意を台無しにする」とは思いませんし、
「RPG業界の閉塞も招く」とは思いません。
そのため、二つ目、三つ目も落とし穴になるとは思いません。

よって、どれも落とし穴ではない事から、サトーさんのご意見への反論は可能だと思いますが、
できれば、なぜそういう落とし穴になってしまうのかについてご説明いただけるとありがたいです。
2005年05月06日:15時06分44秒
Re:現状はまともか。趣味対立を解決しないのは閉鎖的。 / アキト

 ども。ぼちぼち話を読んでいるところです。これはシステムデザインの話なのか、TRPGの持つメディア特性についての話なのか、それさえも判然としないところでありますが。

≫サトーさん

> 「現状のRPGは、これこれこうである。だから、それでいいのだ」というのが、反論意見の要点でした。

 えーと、要点というからにはきちんと貴方がどのように読んだかをまとめてください。引用した形ではとても要点とはいえません。

# ボクはざっと読んで 「現状のTRPGにおいてはシステムは道具であり、GMなりシナリオ製作者が作成したセッティング(シナリオ)の上でセッションを遊ぶのが一般的である。この状況においてシステム製作者(ゲームデザイナ)がセッションの面白さについて全責任を負うというのは行き過ぎた考えではないか」といった理解をしています。

>しかし、例えば「現状の官僚組織は、役人達の汚職が多い。だから、それでいいのだ」とは言えないように、現在の状態がどうであるかと、それが本当にまともな事なのかは別に評価しなければなりません。

 現状の官僚組織で公務員の汚職はそれほど多くないとボクは思いますが、それはさておき。サトーさんの仰るように「別に評価する」というのはわかります。んでもって、ボクは「別に評価した上で結構まともである」と考えております。

●趣味対立について

 「『すべての人が楽しめるシステムを作ることがデザイナの義務である』という論題は、指向の対立するユーザを想定した場合に破綻する」といってるだけではないのかしら。

 ボクは、遊ぶ面子に合わせてシナリオを調整し、マスタリングを駆使することで、現状にある一つのシステムであってもさまざまなプレイヤたちと楽しめるようにしてるつもりです。もちろん、マスタである自分が楽しめる範囲で多少はプレイヤにもワリを喰ってもらいますがね。

# これをデザイナの人に解決してもらおうとは思ってませんな。

●努力の価値について

>繰り返しますが、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義があるとするなら、「万人が楽しめるゲーム」が存在できると考えるしかありません。これは、「存在する答えを目指す」というのとは全く逆です。

 ちょっと意味がわかりかねます。その「万人が楽しめるゲーム」は実在はしないが概念として存在すると仮定する存在なんでしょうか。

●反論意見の落とし穴について

>・GMが責められるようになり、遊び手はGM役を疎むようになる。
>・より多くの人が楽しめるゲームを創ろうとするデザイナーの決意を台無しにする。
>・RPG業界の閉塞を招く。

 どういう論理でそうなるかが明確でないので、現状では検討することさえ不能です。現時点でボクはGMをやっても責められたことは皆無ですし、より多くの人が楽しいセッションを遊ぶのに使い勝手が良いシステムを作ろうとするデザイナの決意は台無しにはなってないはずですし、別にRPG業界が閉塞しないんじゃないかと思うですよ。

# とはいえこれはボクが見抜けてない理由と根拠があるのかもしれないので、サトーさんはもう少し噛み砕いていただけるとありがたいです。


2005年05月06日:00時32分07秒
現状はまともか。趣味対立を解決しないのは閉鎖的。 / サトー

ちょっと経ちましたが、それなりに手間を掛けたので、じっくり読んでください。案外深刻です。

●現状の評価について
 「現状のRPGは、これこれこうである。だから、それでいいのだ」というのが、反論意見の要点でした。
 しかし、例えば「現状の官僚組織は、役人達の汚職が多い。だから、それでいいのだ」とは言えないように、現在の状態がどうであるかと、それが本当にまともな事なのかは別に評価しなければなりません。

 近藤功司さんは、同じ本(「それでもRPGが好き!」)の中で、「みんなの間に、だんだんと『テーブルトークRPGってこんなもの』という思い込みができつつある」(P.251)それではいけない、と書いてましたが、それには私も割と同感です。(もっともこの文章は、明らかにデザイナー視点ですが。)


●趣味対立について
 RPGの楽しみの要素は多様で、しかも一人の人間の趣味はその多様さが様々な割合で絡み合って出来ています。ですから、何が楽しいかが全く同じな人間というのは存在しないと言ってもいいでしょう。

 そのため、「“ある楽しみ”には、そうでない人間が必ずいる。だから同時には楽しめない」という論法を続けていくと、最終的に一つのゲームは一人の人間にしか楽しめないことになります。(せいぜいよくても、一つのゲームは同様な趣味の人間達だけが集まる排他的な閉鎖集団しか楽しめないことになってしまいます。)

 そのようなわけで、趣味が対立した人同士が一緒にプレイしても、それでもなお同時に楽しめる工夫が必要なわけです。デザイナーが解決するべき重大課題の一つでしょうね。


●努力の価値について
 繰り返しますが、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義があるとするなら、「万人が楽しめるゲーム」が存在できると考えるしかありません。これは、「存在する答えを目指す」というのとは全く逆です。

 雑誌Role & Rollの11号の対談P.37で、河嶋さんが「『この答えのない問いを必死に考える』感じ」「新しいゲームをつくることで、この問題に挑戦し続けていくんだろう」と言ってますが、まあ、くだいて言えば多分そんな感じです。(この言葉はGMの問題についての物ですが、おそらく問題全般に言えます。)


●反論意見の落とし穴について
 ところで、私の論への反論意見の先には以下のような落とし穴がありますので注意してください。
・GMが責められるようになり、遊び手はGM役を疎むようになる。
・より多くの人が楽しめるゲームを創ろうとするデザイナーの決意を台無しにする。
・RPG業界の閉塞を招く。

 「GM役が疎まれても構わない」「多くの人が楽しめるゲームを開発する必要は無い」「RPG界は閉塞してよい」と考えている訳でないなら、反論意見は慎重に扱ってほしいと思います。


2005年04月26日:18時27分25秒
Re: 「TRPGシステム=道具」論の補足 / Log

boosukeさん>

> 「道具」の使い方までは全責任を負うことが「できない」のです。(これでいいですね?>Logさん)

これには同意です。
推奨される使い方で使ってくれる良心的な人もいれば、禁止されていない使い方であればどう使っても良いとみなす人もいますから、流石にすべての使い方に責任は持てません。ごくまれに推奨される使い方をしているにもかかわらずトラブルになるケースもありますので、「責任を持たない」という「表現」に抵抗を感じただけの話です。どうも説明ありがとうございます。
2005年04月26日:18時25分44秒
Re: 道具論及び責任の順番について / Log

議題が拡散しすぎで混乱を招きそうですので、まず「つまらない理由はデザイナーに全責任がある」について証明してください。
・デザイナーに責任の一端がある
という程度には納得していますが、全責任があるとは思いません。
・GMにまったく責任がない
・PLにまったく責任がない
という点について、納得のいく説明をしてください。
今までいくつか読ませて頂いた説明は、特に根拠がないように思うので、納得には至りませんでした。

---

ここから、コメントを頂いた部分についてレスを返しておきます。

TRPGというのは、そもそもGMとPLがいなくてはできません。その時点で既に不完全です。PLが一人いればできるCRPGと比べても、より不完全であるゲームだといえると思います。しかし、不完全=悪いという図式ではなく、不完全=自由度が高いということでもあり、その自由度こそがTRPGの特徴でもあり、楽しい部分であると思います。
そして、通常は「GMが最終判断を下してください」などと書かれており、不完全な部分は基本的にGMが補うように作られているかと思います。最終判断を任された以上、GMにも責任が発生するかと思います。最近のシステムだと明示してあることもありますが「PLもみんなが楽しめるようにする必要がある」というのも正しいと思います。
つまり、TRPGを遊ぶ場合、それに関わる全ての人に責任はあるといえるかと思います。個々の事象において、誰のどういう行為に主な原因があるかについては毎回違うもので、いかなる条件でも「デザイナーに全責任がある」と言うには無理があると思います。

> 私は「万人が楽しめるゲーム」について話しているわけではありません。

現実には存在しない理想の話をされてもあまり意味がないと思います。

「Aである」と「Aではない」を同時に満たすことは不可能です。完全なものはできないのです。
不完全にしか作れないゲームに対して「不完全なのは全てデザイナーの責任」と述べていませんか?
不完全なのは「TRPGが不完全なもの」であるからであって、デザイナーの責任ではなくないですか?

> 製作者はその苦情にずっと対応しつづける責任があります

これは、現実にはそうではないと思います。少なくとも全ての苦情に対して対応する責任はないと思います。
特にTRPGの場合は、コミュニケーション(人間関係)に関する部分の苦情には対応の義務はないと思います。

> まず、責任を負うということは、非難や損害を受け入れるということと同時に、賞賛や利益を獲得する立場だということに注意してください。責任を減らすなら、デザイナーが得る賞賛や利益も減ります。

同じシステムでも、GMが違えば印象は随分変わりますし、PLが違えば印象は変わります。
デザイナーがそもそも非難や損害に見合うだけの賞賛や利益を得ているかというとそうではないのではないですか?
どちらかというと、賞賛や利益、非難や損害は、GMが受けているように思いますが、どうなのでしょう?

> 一番目の例なら「警備兵はPCに勝てない」、二番目の例なら「PCのレベルに合わしたモンスターを出すこと」とかいったルールなどで対応できるのはアマチュアの私でもすぐわかります。

ルール的に制限を設ければ回避できるという考えは解決には繋がりません。
予測されるトラブルを避けるために全てを禁止事項にしてしまえばいいかというと、ただの「禁止事項リスト」ができるだけです。禁止事項ばかりが書かれたTRPGを見て、楽しそうなゲームだと思う人はあまりいないでしょう。つまり、この方法では解決に至りません。楽しめると思える範囲で制限をかけても単に中途半端になるだけです。さらに禁止事項をいくら設けても「それを守らない」という行為を防ぐ方法がありません。

>「全ての登場アイテムが役立つようにデザインしろ」とまず第一にデザイナーを非難するべきです

通常のTRPGでは、「GMがオリジナルアイテムを作ること」が許可されています。
その一言を書いたために「全てのアイテムの全責任はデザイナーにある」とされてしまうのでしょうか?
また、許可の記述がなく消費者が勝手に作った場合でも、「全てのアイテムの全責任はデザイナーにある」のでしょうか?

> だから、「万人が面白いと思わせるゲームを作ることは不可能」「TRPGというゲームの性質上そんなものはありえない」などと言って、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうとしないのは、やる気がないというものです。デザイナーがそんな風では、いつか業界が閉塞しますよ

デザイナーが現実を直視することはむしろ正しいかと思います。現実を知った上で「自分ができることは何か」を見つけ、それに突き進めばいいのです。そこでやる気を失うような人はデザイナーには向いていないのかもしれません。「よりよいものを作り出す」ことを目指せば良いだけで「現実的にありえない素晴らしいものを作り出すこと」を目指す必要はありません。


サトーさんの理論は、全体的に見て「デザイナーに過度の責任を押し付けすぎ」かと思います。
そして、理論が不完全であると同時に、論法も不完全です。また、現実的な話をしていません。

(サトーさんが「デザイナーを志す夢見る少年」とかだったら、夢を奪うようで申し訳ないですが・・・)

余談ですが、デザイナーが日々努力すべきという理想は間違っていないと思います。
2005年04月25日:21時50分30秒
「TRPGシステム=道具」論の補足 / boosuke
>●道具論について
>ゲームシステムは道具であるという考え方があるようです。
>道具として使っているということは、“何か”をゲームシステムを通して楽しんでいることになり、
>デザインされたゲーム自体を楽しんでいるわけではないことになります。
>そして、デザイナーが遊び手を楽しませることも出来ないことになります(せいぜい“何か”の手助けをする程度)。
上記のサトーさんのご意見を伺う限り、
「ゲーム」と「システム」の関係を初めに知ってもらえばご理解いただけるかと思います。

まず、TRPGにおいては、「システム」だけでは「ゲーム」とならず、
GMがシナリオを作成するか、既成の物を導入するかによって、初めて、「ゲーム」となります。
「システム」だけでは戦い方は書いてあっても、どこで何と戦えば良いか決まっていませんし、
どこで何を解決すれば良いのかもわからないので、
PLは何を判断すれば良いか、GMは何を管理すればいいのかわかりません。
つまり、TRPGにおいては、ゲームデザイナーと呼ばれる人は「ゲーム」をデザインしていないのです。

だから、
>道具として使っているということは、“何か”をゲームシステムを通して楽しんでいることになり、
>デザインされたゲーム自体を楽しんでいるわけではないことになります。
この一文はこれで合っていると思います。
ちなみに文中の”何か”には、「シナリオとシステムが混ざった結果、生まれたゲーム」が入ると思います。
(「デザインされたゲーム」は「システム」と読み替えると、理解しやすいかと思います)

そのため、ゲームデザイナーが作るシステムはゲームとして成立させるための「道具」であり、
「道具」の使い方までは全責任を負うことが「できない」のです。(これでいいですね?>Logさん)
「システム=道具」論自体についてはこれで十分説明がついたと思いますが、
いかがでしょうか。>サトーさん

続いて、近藤功司氏の書いた『それでもRPGが好き!』での一文についてですが、
この道具論を前提におけば説明が付きます。
世の中の道具達は、「道具を使う、いじる事自体が楽しい」という要素も存在します。
自動車やパソコン等はその代表格と言って良いでしょう。

ですから、そのシステムが持つ機能を使う事自体が楽しいものは
「ルールだけ使ってゲームやっただけで十分面白いRPG」であり、
そうではなく、例えば機能で楽しむ事よりも、背景世界をより楽しめるようにデザインされている物などは
「それじゃあ、全然つまらないRPG」になったりするのではないかと思います。

また、「ルールだけ使ってゲームしたのでは全然つまらないRPG」の場合、
ルール以外の部分がどこか必ず楽しめるようにデザインされています。
現実問題そうしないと売れない(出版社を説得できない)ので、
そのシステムを出版にこぎつける事もできないと思います。

ですので、TRPGのシステムはそれが持つ機能を楽しむだけの存在ではない事から、
>要するに、ゲーム自体がつまらないから単なる道具として使ってしまうということでしょうね。
>ゲーム自体がつまらないのは、当然デザイナーの責任です。
>実際、システム自体が面白いなら、ルールをフルに使って遊ぶものでしょう。
このサトーさんのご意見は、TRPGに対しての捉え方に偏りがあるため、
ちょっとTRPGで一般的な事として論ずる事はできないと思います。

余談ですが、
「万人が楽しめるRPG」を作ろうとすると、
「Aが楽しい人」「Aが楽しくない人」双方を楽しませるようにデザインする必要があり、
「全ての登場アイテムが役立つようにデザイン」といったGMの裁量権を犯すようなデザインが
事実上できないと思います。
なぜなら、「ダミーアイテムかどうかを見極める事」を楽しむ人も確実にいるのですから。

よって、「ゲームデザイナーに全責任を負わせる」ためには
「万人が楽しめるシステム」にはできません。

この事から、どうもサトーさんは今後の議論の展開において、
「ゲームデザイナーに全責任を負わせる事が正しい」とする方向にするのか、
「万人が楽しめるシステムのデザインをする事が正しい」とする方向にするのか
選ぶ必要がありそうですね。
2005年04月25日:19時37分46秒
比喩は表現であって論拠ではない / 混沌太郎
サトーさん、それは考え方が逆さまじゃないですかね。
システム=道具、というのは、
「現実問題として同じシステムを同じ面子でルールに則って遊んでも
面白い時とそんなに面白くないときがある。
これを見るにシステムとはあたかも道具のようじゃありませんか」と云う話であって、
「システムは道具のようなものだから、ゲームがその時々で面白かったり面白くなかったりしても構わない。
何故ならシステムとは道具のようなものだから。」などと云う話ではないでしょう。

私の認識では現在存在するTRPGのシステムは基本的にそういうものばかりですので、
TRPGとはそういうものなのだと思っています。

近藤功司氏の引用部に関しても、恐らくはTRPGの楽しさの付加要素として
別種のゲーム的楽しさを併せ持つタイプのシステムがあると云う話ではないかと思います。
私としてはこれとて一般論であって、TRPGの場合そうした楽しみですら
ルールの枠内で十分破壊しうると思っていますが。
2005年04月24日:22時25分56秒
道具論について。責任の順番について。他。 / サトー

なかなか骨のある話になってきましたね。腰を据えていきましょうか。

●道具論について
ゲームシステムは道具であるという考え方があるようです。
道具として使っているということは、“何か”をゲームシステムを通して楽しんでいることになり、デザインされたゲーム自体を楽しんでいるわけではないことになります。そして、デザイナーが遊び手を楽しませることも出来ないことになります(せいぜい“何か”の手助けをする程度)。

なるほど、それではデザイナーに責任があるようには見えないですね。

しかし、なぜそのような使い方をするのでしょうか?うーむ・・・。
そこで思い出したのが、「近藤功司著『それでもRPGが好き!』(富士見書房)」の言葉です。

「ルールだけ使ってゲームやっただけで十分面白いRPGと、それじゃあ、全然つまらないRPGがある」(P.222)

これを手掛かりにして考えると、要するに、ゲーム自体がつまらないから単なる道具として使ってしまうということでしょうね。ゲーム自体がつまらないのは、当然デザイナーの責任です。実際、システム自体が面白いなら、ルールをフルに使って遊ぶものでしょう。最近(?)ではストーリーや演技に関するルールも増えてきましたし。

「システムは道具だ」という考え方は、原始的なシステムを楽しむために、遊び手自らが工夫するしかなかった時代の名残りなのかもしれません。技術的に無理だった昔に比べて、現代において「どうやって遊ぶかは、お前らが自分で工夫しろ」と言ったなら、手抜き・無責任と言われても仕方ないでしょう。

>Logさんへ。
●絶え間なき改良について
私は「万人が楽しめるゲーム」について話しているわけではありません。
というか、完璧なゲームがあるなら苦情が出るわけないではないですか。
消費者の要求は尽きることが無く、製作者はその苦情にずっと対応しつづける責任があります。
嫌ならその商売をやめるしかないですね。

●責任と利益、責任を負わせる順番について
まず、責任を負うということは、非難や損害を受け入れるということと同時に、賞賛や利益を獲得する立場だということに注意してください。責任を減らすなら、デザイナーが得る賞賛や利益も減ります。

さて、Logさんが挙げた二つの例も、それで遊び手がつまらないなら当然デザイナーに責任があります。
一番目の例なら「警備兵はPCに勝てない」、二番目の例なら「PCのレベルに合わしたモンスターを出すこと」とかいったルールなどで対応できるのはアマチュアの私でもすぐわかります。

そういうわけで、もし「役に立たないアイテムは存在してはならない」とするなら、「全ての登場アイテムが役立つようにデザインしろ」とまず第一にデザイナーを非難するべきです。そして、その次にようやく「デザイナーの手落ちを補正して、役に立たないアイテムを出さないようにしろ」とGMに要求できるわけです。

●「万人が楽しめるゲーム」について(つけたし)
より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力を続けていれば、理屈上いつか「万人が楽しめるゲーム」ができるはずです。言い換えれば、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうと努力することに意義があるとするなら、「万人が楽しめるゲーム」が存在できると考えなければなりません。TRPGは30年かけてだいぶ間口が広くなりましたし、もう30年経てばより発展するでしょう(そのあとの30年もね)。

だから、「万人が面白いと思わせるゲームを作ることは不可能」「TRPGというゲームの性質上そんなものはありえない」などと言って、より多くの人が楽しめるゲームをつくろうとしないのは、やる気がないというものです。デザイナーがそんな風では、いつか業界が閉塞しますよ


2005年04月23日:20時12分41秒
TRPG総合研究室 LOG 106 / sf

 TRPG論考掲示板ログTRPG総合研究室ログTRPG総合研究室 LOG 106として2002年12月20日から2005年04月23日までのログを切り出しました。

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