TRPG総合研究室 LOG 085

TRPG総合研究室の2002年01月09日から2002年01月13日までのログです。


2002年01月13日:16時31分13秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(6) / トモス
#前の投稿のタイトルは(6)となっていますが(5)の間違いです。失礼しました。

2.同じコース、シナリオを一緒にプレイし、比較する場合

>>ゴルフで一緒にコースを回ることができるように、 TRPGでも同じ卓でプレイすることができます。<<
というmyrtさんのアイディアを展開してみます。

一緒にプレイしていない場合には問題になりうる、GMの違い、アドリブの違い、メンツの違い、複雑・未定義性のある目的の判定係、などなどは今回は問題にならず、ゴルフゲームとの差はその分少ないと言えます。では、ゴルフゲームと同じように戦績を比較できるでしょうか。

ゴルフゲームとTRPGが一番違うのは、ゴルフゲームではプレイヤー間のインタラクションが非常に限られているのに対して、TRPGではゲームに多大な影響を及ぼす点だろうと思います。同じ比較と言っても、ゴルフゲームの場合には同じ条件の下で独立に行われたゲームの比較に近いのに比べて、TRPGはマルチプレイヤーゲームの多くがそうであるような、対戦結果の比較ということになります。

myrtさんがかつてちらっと述べていた事があるので、ついでに書いておくと、TRPGでは協力によって各プレイヤーの戦績がよくなる場合(財宝の獲得量など)があり、ゴルフとも、将棋のような単純な対戦のゲームとも違う、と言えます。拮抗した対戦・試合の中で実力以上の力が発揮できた、というような形でよく似た現象が起こることは将棋でも、ゴルフゲームでも考えられますが、協力体制をとれる点ではかなり違っています。

残る問題は、上の小まとめに挙げた2)、6)だと思います。5)についてはGMが最終的な判定を下し、誰もそれに抗議できない、などとすれば一応解消できるはずですが、実際にはそうした措置をとること自体に多少問題が残る、つまり論争の余地を排除し切れないと言える面があると思います。ちなみにこれらはいずれもTRPGにかなり固有の問題だろうと思います。

3.総括

以上をまとめると、TRPGとゴルフの違いの一部は、ゴルフがプレイヤー間のインタラクションをそれほど前提にしていないのに対して、TRPGではそれが当たり前だ、という差に起因します。インタラクションはディプロマシー、麻雀などTRPG以外のゲームにもあるもので、しかもそういうゲームでは同じゲームをプレイした者同士の間で優劣をつけることができる場合がほとんどなので、この点についてはTRPG独特の困難がある、とは言えないと思います。ただゴルフゲームと比較することに多少の無理がある、とは言えても。

それに対して、TRPG独特の困難は、常に問題を引き起こすとは限らないのですが、完全に排除しきることも難しいように思います。
シナリオの細部が未定義であり、その定義をGMが行う際にプレイヤーの働きかけが影響を与えること、ゲームの目的の中に複雑で未定義性が含まれる目的が含まれている場合があり、それが公正な比較の困難さをもたらす可能性があること、そして複数の目的がありそれらを統合して考える比較の地平が打ち立てられない可能性があること、の3つがTRPG特有の困難です。

更に今回の議論ではたぶん問題外だとは思いますが、同じゲームをプレイしていても、目的が全然違う場合には比較ができません。プレイヤーAは経験値獲得を、プレイヤーBはロールプレイを目指す、といったことはTRPGではありえます。各プレイヤーが複数の目的を持っていて、それらの一部が異なっている場合などはざらだと言えると思います。だとすると、比較はできないことになります。

TRPGにおける戦績を比較できるのかどうか、特に異なるメンツで同じシナリオをプレイした場合や、異なるシナリオ、更には異なるシステムをプレイした場合などはどうなのか、という風に更に話を広げて考えると、そもそも「TRPGには上達がありえるのか、上達を考えるべきなのか」という問題ともつながっていると思います。この掲示板でも過去に議論されたことがありましたが。実際には厳密な比較はほぼ不可能、にも関わらず全く何の手がかりもなく初心者と熟練プレイヤーの区別をつけようとしても不可能、というわけでもないだろうと僕は思います。

これは、生成される物語の面白さを目的にしたプレイを行った場合に果たしてTRPGはゲームで有り得るのか、ということを考えると、厳密には非常に多くの困難があって、ゲームとして成り立たなそうな気がするにも関わらず、やっぱり「明らかに全然面白くない物語」と「明らかに面白い物語」を区別することが完全に不可能というわけでもない、ということと似ている気がします。

参照(敬称略):
*1 【比較ゲーム分析】Re:勝負性、ゲーム性,myrt,2002年01月12日:23時15分24秒
*2 TRPG戦闘のサブゲーム性】時間軸だけでない区分, myrt, 2001年12月24日:19時09分02秒, TRPGLABO 081
2002年01月13日:16時05分55秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(6) / トモス
[小まとめ]
以上をまとめると、同じシナリオ・コースをプレイした2人のプレイヤーの戦績を比較する場合でも、ゴルフゲームの方が比較がしやすい、比較から腕前を察しやすい理由として次の5つが挙げられる、ということになります。

1)シナリオの細部が未定義なので同じシナリオをプレイしても、細部の異なる違うゲームをプレイしていることになる。細部の違いが目的達成の難易度に影響する場合も考えられる。

2)シナリオの細部が追加設定される際に、プレイヤーがマスターに影響を与えるだろうと考えられる。プレイヤーはこの部分の技能を磨くことでゲームの難易度を変更させることができるかも知れない。この技能の影響を排除することは難しいが、同時に「財宝獲得」などの目的を達成するための技能を比較する際には排除した影響ではある。

3)他のプレイヤーの性格など、プレイヤーがコントロールできない要素によってゲームの難易度が大きく、かつ複雑な形で変動する。この要因を排除して考えることが難しいので、「目的達成に直接関係ある戦略的思考能力」だけを比較することは困難になる。これはプレイヤー間のインタラクションがあるマルチプレイヤーゲームにかなり共通している。

4)PC間の関係がゲームの難易度を、大きく、かつ複雑な形で変動させることが考えられる。PC間の関係が違えば、同じシナリオでも、要求される戦略的思考の種類や直面する難易度がかなり違ったものになるので、「財宝獲得」などの目的の達成度を測る場合でも、この交渉能力のような要素が違えば各人が「違うゲーム」をプレイしていると考えてもいいように思える。少なくともかなり比較が困難だと言える。これはTRPGに特に集中的に見られるけれども他のゲームにもありうるはず。

5)目的の中には、判定に携わる人によってかなり結果が違ってくるような複雑あるいは詳細が定義され切っていない目的もTRPGではよく見られる。これは明らかに比較が困難です。これは他のゲームでも起こり得るが、かなりTRPGに集中しているように思える。

6)目的が多数あり、総合的達成度を決められない場合には、比較が困難な場合がある。

これらの困難をクリアするために、シナリオ、システム、マスタリング、プレイスタイル、遊び手の構成、などを工夫すれば、比較が可能な場合もあるかも知れません。特別な工夫なしに比べるのは難しいだろうと思います。ゴルフゲームよりもずっと。
2002年01月13日:16時04分51秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(4) / トモス
[複雑で未定義性のある目的の場合]
以上は、PC間の関係がゲームに大きな影響を及ぼすことから生じる比較の困難ですが、ゲームの目的についての 更に、財宝獲得量などとは違って「ロールプレイの上手さ」「ゲームの展開の面白さ」などずっと複雑で、詳細が定義されていない(未定義性のある)達成尺度が入ってくることがTRPGにはままあります。こうなると、「おれはいつも面白くプレイするし、仲間からもロールプレイがうまいって言われるんだ」という人を前にしても、一体それがその人の「遊び手としての腕前のよさ」のせいなのか、それともその人がどんなプレイでも楽しいと言ってしまうせい・よくその人とプレイする仲間がその人のロールプレイを甘く評価するせいなのかが、はっきりしなくなります。これは同じシナリオを2人のプレイヤーがプレイしたことがあり、かつ、GMまで同じだったとしても、やっぱり比較が難しいです。「たまたまGM好みのロールプレイをしたからGMがやたらと褒めて、他のプレイヤーも同調したのではないか?」などと疑い出したらそれこそきりがないような面があります。

[目的が複数ある場合]
多目的性も関わってきますね。複数の、それぞれ独自の意義を持つ達成度の尺度がある場合(経験値獲得量、ゲームとしての楽しさ、活躍度、など)には、複数の遊び手の間の達成度を比べたり腕前を比べたりするのは困難です。2人のプレイヤーの内、尺度Aではプレイヤー1が、尺度Bではプレイヤー2が高い達成度を記録した場合に、それらの尺度(例えば経験値とミッション達成度)を統合する手段がなければ総合成績を比較できないわけですが、TRPGではそれが頻繁に起こるように思えます。
2002年01月13日:16時03分46秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(3) / トモス
1.2.各種の達成度の尺度が引き起こす比較困難性

もう一つの条件「目的の達成度を測る明確な尺度がある」という条件を外して、他のTRPGの形を考えた場合には、ゴルフとTRPGの違いがかなり目立つと思います。 [PC間の関係によって難易度が大きく左右される目的の場合]
まず、TRPGではプレイヤー間の競争が起きる場合もあります。PC個々人の財宝獲得量だけが問題である場合、が例えばそれにあたります。協力も可能です。しかもこれらの要素によって財宝の獲得総量に変化が出てくる場合が多く考えられます。つまり、1人でダンジョンに宝探しに出かけるよりも3人で行った方が財宝を獲得して生還できる確率が高い、など。
これは上に挙げた交渉能力の話とよく似ていますが、こちらはPC間、プレイヤー間をの交渉を想定しています。
達成度の比較が困難な理由は何でしょうか? PC間の交渉については、考え方によっては、「そうやってあれこれ駆け引きをうまくやるのも腕前の内」とすることもできると思います。他のPCとの関係がどうだったのであれ、経験値を多く獲得できたならそれが優れたプレイだ、という風に。

ゴルフゲーム風をプレイヤーがコントロールすることはほぼ不可能なのに対して、TRPGでは他のプレイヤーの行動を、ある程度、自分に望ましいものになるようにすることができます。だから「他のPCとの交渉も腕前の内」という議論には多少の分があります。でも、その立場をとらず、あくまで問題があるとする立場を考えるなら、2つの問題の指摘が可能だと思います。

ひとつの問題は、自分がコントロールできない要素が原因で、ゲームの難易度が非常に大きく、複雑な形で変動してしまうこと。PC間の関係を大きく左右する「他のプレイヤーの性格」などがこれにあたります。この度合いがゴルフよりも遥かに高いという印象があります。しかも、変動の仕方が非常に複雑で、「風の影響」を分析することに比べて「他のプレイヤーの影響」を分析することはかなり困難です。そこで、たとえ分析者間の判断の違いを考えない場合でも、ゴルフよりもTRPGの方が遥かに比較が困難だ、と言えると思います。これは例えば、異なる気象条件の設定の下で同じコースを何度もプレイした2人のプレイヤーの戦績を比較することにある程度妥当性があると思えるのに対して、異なるメンツで同じシナリオを何度もプレイした場合の比較がずっと困難だと思えるとも言い換えられます。(同じシナリオを何度もプレイすると前回のプレイの知識からPCが知らないはずのシナリオの一部をプレイヤーは知っている、ということになってしまいますが、仮にその影響をうまく制御できるとしても、です。)
但しこれは、ゴルフゲームで風の情報が全く手に入らず、誰も風がどうである/あったかについて詳しく知る手段を持たない場合には少し違ってきます。実際にはゴルフゲームもTRPGも、自分がコントロールできない未知の要因にプレイの難易度を大きく左右される、ということになるので。但し、ゴルフゲームの場合と比べるとTRPGの方がその影響の形が複雑だろう、とは依然として言えると思います。と同時に、基本的には、麻雀やディプロマシーで対戦相手が違えばゲームの難易度が変動することと同じようなことがTRPGで起きているだけで、これはTRPG独自の問題ではない、とも言えそうです。プレイヤー間のインタラクションが起こるゲームでは発生しがちな比較困難性です。将棋のような2プレイヤー間の対戦ゲームをここに含めるかどうかはまた意見が分かれるところだろうと思いますが、駒の配置は同じなのに相手次第でゲームの難易度が大きく違う、と言えば言えます。

もうひとつの問題は、PC間の交渉の行方など、自分が部分的にコントロールできる要因によって経験値や財宝の獲得量に大きく違いが出てくる可能性です。これをゴルフゲームに喩えると、超能力者との交渉の余地があって、交渉の結果次第でコースの地形やボールの形状が大きく変動してしまう、ということに相当すると思います。そうすると、そもそも同じコースをプレイしたとしても、交渉の結果どのような変動が起きたのかを場合分けして考えないと比較できないのではないか、という気にもなって来ます。
原理的には、マスターとの交渉の結果も同じような形で影響してくる可能性がありますが、マスターは一応シナリオを準備していて、追加設定は細部に留まる、と考えられるのに対して、PCの協力・対立行動などについてはそう考える根拠が薄いと言えます。

ただ、例えば将棋で相手がどのような手を打つかによってその後の局面が大きく違ってくることなど、似たような現象は非常に多くのマルチプレイヤー・ゲームに存在しています。それをもってマルチプレイヤーゲームの達成度は比較しにくい、と考えることもできます。が、もうひとつ別の考え方は、どのような技能や思考が要求されるかを考え、将棋はどのような局面になってもだいたい似たような思考を必要とされるのに対して、ゴルフゲームでボールの性質が変ったり地形に大規模な変動があったらそれはかなり違った戦略的思考を要求することになるだろうし、TRPGでもあるシナリオで他のPCと協力する場合と、対立する場合とでは目的達成に要求される戦略的思考が違ってくる、と考えてもいい気がします。つまり、TRPGは自分が部分的にコントロールできる要因(=他のPCとの関係)によってゲームの難易度が変動する度合いやその複雑さが高く、独特だ、と。シナリオが同じだからと言って同じひとつのゲームとは考えない方がいいのではないか、とすら思えてくるわけです。
2002年01月13日:16時01分57秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(2) / トモス
1.1.シナリオの未定義性の引き起こす比較困難性
シナリオの細部に未定義な部分が残っていて、プレイヤーのリアクションやPCの行動、GMの解釈やアドリブ、遊び手の間の相性、ノリなどによってシナリオの細部が違ってくる場合、ひいてはそれがゲームの成績(財宝の獲得量)に影響を及ぼす場合、TRPGはゴルフよりもずっと戦績の比較が難しいゲームだということになります。TRPGのシナリオは非常に複雑な世界を扱うので、全ての細部を作りきらないまま、(未定義性を抱えたまま)使われることが多く、追加設定がゲーム中に行われる場合もまた多いだろうと思います。追加設定に何が影響を及ぼすかはプレイスタイルによって違ってくるとは言え、プレイヤーの働きかけが全く影響しない、というのはかなり考えにくい気がします。
同じシナリオをプレイしても、実際にはゲームの構造が微妙に違っているからです。
ただ、ゴルフコースの状態が季節によって微妙に違うことを考えると、これは質的というよりも程度における差なので、TRPGの方が比べにくい、ということにしかならない気がします。この側面に限って言えば。
ただ、プレイヤーが交渉や説得や誘導などの意図的な手段を用いて自分に有利な追加設定やアドリブを引き出せるとしたら、その部分次第でゲームの難易度が変動する可能性があります。これはゴルフにはない側面で、「財宝獲得能力」として想定される遊び手の腕前にこういう能力まで含めたくはない、という人もいると思います。比べたいのはPCをどう操作していかに困難な目的(財宝獲得)を達成するか、といった側面であって、プレイヤーとしての交渉技術は除外したい、と。GMに対する質問やリクエストを一切禁止してプレイヤーの発言はPCの行動宣言だけに限定する、など対策を講じることはできますが、そうした対策を講じても交渉能力が入り込む余地を完全に除外できる保証がないと思います。そこで、TRPGではある種の腕前の比較をしようにも交渉技能と切り離してそれを考えることができない、ということになります。ゴルフゲームでもよいスコアを出すのにはいろいろな技能が必要とされることは十分考えられますが、その技能の違いがコースやボールの性質を変動させることはありません。シナリオの内容を変化させることはないけれども財宝を大量に獲得する為には必要な技能、ということであればTRPGにもあります。例えば一定時間座ってゲームに集中することができないなら、ゴルフゲームもTRPGも、プレイしづらいとか。TRPGには交渉技能が加わる点、それがゲームの構造を変動させる点が独特、と言えそうです。

妙な例を挙げるようですが、ゴルフゲームを無理矢理TRPGにして、プレイ中にGMに細かい設定を要求し、それが一打一打の行為判定に関わる修正値のような形でゲームに反映されるようになると、ゴルフゲームとTRPGは同じような困難を抱えることになる、と言えます。(困難というのは、戦績を比較して腕前の優劣を判断することの困難です。)
2002年01月13日:16時00分49秒
【比較ゲーム分析】TRPGとゴルフにおける「戦績比較」(1) / トモス
どうやら他の方の投稿もないようなので、ゴルフとTRPGの違いについて、myrtさんの提示した疑問について書いたものを出します。*1 何だかmyrtさん相手だと釈迦に説法のような気がしますが。。

基本的な問いは、「TRPGは、ゴルフよりもずっと戦績を比較することが困難で、あえて比較しても、それがプレイヤーの腕前の優劣と結びついている度合いが低いように思える」という感覚をどう説明・整理するか、です。これまで【比較ゲーム分析】の識別子の下にやってきた話の明らかな延長ですが、一応、用語などの理解を前提にせず、説明を交えながら書いて見ます。

スポーツの例を避けられる場合は避ける方針でやってみたいので、ゴルフではなく、コンピュータ版のゴルフゲームで考えてみます。実際のゴルフに近い場面を想定すべく、このゲームは複数プレイヤーで遊ぶものだとします。 問題があるようなら指摘をお願いします。>myrtさん。

#ゴルフと言えば、以前、myrtさんがサブゲームとの関連で挙げたゴルフの話、*2 の意味は僕にはまだ分かってないです。この話と関係があるとしたら解説をお願いすることになるかも知れません。

1.同じコース、シナリオをプレイする場合

まずは、2人のプレイヤーが、同じコースなりシナリオなりを、違う時にプレイした結果を比べることの妥当性を考えます。

>>ゴルフでも「スコアがよかったが、実は非常に簡単なホールでさらに終始追い風だった」ということがありえます。<<
確かにそうですね。これを突き詰めると、「2人のプレイヤーのスコアを単純に比較できない」ということになるわけですよね。

ただ、ゴルフゲームは、天候を除けば反復性が強い、あるいは一回性に乏しいとも言えます。つまり、同じコースを選べばかなり似たゲームをプレイすることになる、と。しかも、ゴルフではスコアの付け方がきちんと決っています。
厳密には他のプレイヤーの戦績からのプレッシャーや、観客の影響、などを考えることもできます。が、これはTRPGについても、他の多くのゲームについても、全く同じことがあてはまると思います。TRPGにはどうやら別次元の一回性がある、という言い方が適切なのかも知れません。(今気づいたことですが。)

もうひとつ、あえて挙げれば、季節やゲーム前数週間の天候などによって芝の状態が微妙に違ってくることは、一回性の源と考えられます。 これはコンピュータゲームでは通常再現されない部分かも知れません。だから、ゴルフでも、同じコースを回った2人の人間のスコアを比較することには厳密には無理があるのだ、と考えることができると思います。

コンピュータゲームで、そうした側面までシミュレートして、木の茂り方に至るまでの例えばゴルフコースの微妙な変化を数億通り扱えるものがあったとしたら、やっぱり、「お前はおれとは違う時に同じコースを巡ったのだから比較しても仕方がない」という議論が成り立つ可能性はあります。ただ、TRPGにおける戦績を比べることの難しさとは程度において差がある、とは思います。

天候以外に一回性の強い要素がないゴルフゲームは、TRPGに喩えると、ダイスの目だけが違っていて、シナリオは細部に至るまで一切同じもので、アドリブの要素も全く入る余地がない、というセッションになるかと思います。少し考えにくい例ではありますが。しかも、ゴルフ同様明確な達成度の尺度があると考える必要があります。例えばパーティの財宝獲得量だけが問題で、量が多いほど素晴らしい、というような。これもやや稀な例という気がしますが。

そこでこれら2条件が満たされない場合、TRPGに起こりがちな、けれどもゴルフゲームでは起こらないであろう側面について考えてみます。
2002年01月13日:11時08分18秒
【比較ゲーム分析】制御層と物理層、シミュレーション / トモス
制御層と物理層、という用語は、とりあえずこんな風に理解しています。

#「トモスはここを誤解してそうだ」などという点があったら指摘して下さい>myrtさん

ゲームの状態(スコア、戦況、各プレイヤーがとりうる手、などなど)は制御層に属している。 駒や身体などの動きを元に、ゲームの状況がどうなっているのかを審判など判断し、そのゲームの状態が定義されたり、時間の経過と共に書き換えられたりする。
だから、これはゲームの現実の状況を人間の判断力や一定の判断手続き(機械による自動判定などもありえます)を介して再構築したもの、シミュレーションのようなものに喩えられる。

実際のゲームを見ても、ゲームの制御層と物理層が常にきれいにわかれていることがわかるわけではない。
ルールなどを見ても何が物理層で何が制御層かがわかるわけではない。
むしろ、分析のために便宜的に、そういう2層があると考えてみると見えてくるものがある、という理由で、導入される概念。

プレイヤーの行動や天候やフィールドの状態、駒やボールの位置など、いろいろな条件をあるコンピュータが観察、判断して、「うむ今のゲームの状態はこうなっている」と解釈しているような光景を想定します。まあコンピュータが意識を持って考えているという辺りからしてちょと妙と言えば妙な喩えですが。コンピュータの中にあるのが制御層、実際のゲームのシーンは物理層、と考えられます。

100m走は僕にとっては相変わらず厄介なので今は言及は避けます。これがどのような意味でゲームだと考えるのがいいのか、myrtさんがどう考えているのか、それがmyrtさんの制御層の話とどうつながるのか、実装問題とどう関わってくるのか、いろいろ考えて見ましたが混乱は解消できない感じです。

#もし「100m走の話の部分がわからないと一連の話はわかりにくいはずだ」ということなら補足説明をお願いします。>myrtさん。

他に、僕がまだよくわからない点は、
あるゲームの制御層がどのようになっているかは、複数の仕方で理解できる、とするmyrtさんの見解。一通りにしか理解できないはずだ、とは思わないのですが、異なる制御層が取り出せるというのがどういうことかがややわからないです。

ゲーム核は、制御層レベルに全て表現されていそうなものですが、myrtさんはそう考えていないようであり、そこも混乱しています。

あと、制御層が何故「制御」層と呼ばれているのか、これもまだ理解してません。何か制御されているものと制御している者があり/いますか?
2002年01月13日:10時32分24秒
【比較ゲーム分析】「狭義ゲーム」について / トモス
「狭義ゲーム」はゲーム理論におけるgameとproblemとを含むもの、とされていますが、これは日常会話などでは「ゲーム=遊び」とする用法があるという立場を採用すると確かにそれよりも狭い感じはしますが、実際にはむしろ「遊びの一部分と遊びでないものの一部分を合わせたもの」になっていると思うので、ややこしい感じがします。 例えば限られた予算の中でできるだけ気に入った、かつ着まわしができるような組み合わせの洋服を買い込む場合、それは遊びでない可能性がありますが、狭義ゲームの中には含まれるように思います。

狭義ゲームは、これまでの議論でゲームの定義をするのに使ってきた言葉を使って言えば「目的達成に向けた工夫をする活動」ぐらいの意味のようです。つまり、いくつかの付加的な条件がついていない。工夫の楽しみがないといけないとか、頭を使って戦略を立てる活動でないといけないとか、複数のプレイヤーが優劣を競い合ったり何かを奪い合ったりするような活動でないといけないとか、そういった条件(myrtさんやPurpleさんや僕が以前提示した条件)はついていないと理解しています。そう考えるとかなり広い意味でのゲームの定義です。
2002年01月12日:23時15分24秒
【比較ゲーム分析】Re:勝負性、ゲーム性 / myrt
(Re:2002年01月11日:04時16分08秒
【比較ゲーム分析】勝負性、ゲーム性 / トモスさん)
 トモスさんは「TRPGは上手下手の評価が 困難」と述べられましたが、例えばゴルフでも「スコアが よかったが、実は非常に簡単なホールでさらに終始 追い風だった」ということがありえます。

 ゴルフで一緒にコースを回ることができるように、 TRPGでも同じ卓でプレイすることができます。
このあたりの類似性についてはどうお考えでしょうか?? 何かが違ような気はするんですが...
2002年01月12日:23時05分30秒
【比較ゲーム分析】結論:シミュレートとTRPGの類似 / myrt
 結論はこの記事で、他の記事はこの考察のための下敷きです。

 TRPGは仮想世界(例えばファンタジー世界)シ ミュレータの一種だと言えます。TRPGのプレイは前記事で 述べたシミュレーションゲームのプレイに似ています。

 もう一つ似ているものがあります。それは、仮想物理層を利用した 研究と訓練を兼ねたシミュレートです。ここで、プレーヤーがあるイベント の責任者であり、そのイベントでのトラブルへの対応を研究し訓練するために シミュレートを行うことを考えてみます。

 自動車練習所の運転シミュレータのように完成したシミュレータがあれば それが使えますが、ない場合には自分で制御層を定義せねばなりません。 制御層を定義し、それが目的とする仮想物理層の集合に対応しているか を確認し、定義されたゲームを実際にプレイしてみます。

 ここではイベントを想定していますので、責任者のほかにお客という プレイヤーを定義する必要があります。また天候など、目的を持たない 外的要因も定義します。
#お客は常に自分の利得を求めるあたりがゲーム理論っぽい。

 さてこれが通常のゲームであるならば、定義された狭義ゲームを通しで プレイして終わりです。ところがここでは、プレイ中に制御層の 不具合を修正し、最初からプレイしなおすことがあります。また 同シーンを繰り返してプレイしたり、お客のプレーヤーの戦略を常に こちらにとって(考えられる)最悪のものであるとして処理したりします。

 制御層が不具合なままプレイを開始し、修正するあたりがTRPGに、 特にGMの仕事に近いです。しかシミュレートのための制御層定義 では現実のイベントの束縛がありますが、TRPGの場合はそれがあり ません。またTRPGでは同シーンを繰り返しプレイすることはまず ありませんから、シミュレートのための制御層定義にお ける「間違ってたら定義を修正してからもう一度プレイすれ ば良い」というバックアップがありません。

 以上のことからTRPGは、シミュレートとシミュレーションゲームの間 にあると考えます。制御層定義や戦略選択の妥当性についてはここから 指針が得られるのではないかと感じます。
#ただしトイ要素 やストーリーテリングの要素を無視しています。
2002年01月12日:23時04分02秒
【比較ゲーム分析】狭義ゲームとシミュレータ / myrt
 (Re:2002年01月11日:18時56分24秒【比較ゲーム分析】競争ゲー ムの制御層 / myrt)で定義した制御層を用いた狭義ゲームは、走行距離や参加者の制限が未定義です。 だから距離を10万mにしたり参加者(??)を飛行機に制限する実装も可能です。 従ってこの定義が保証する制御層上のゲームバランスは、人間の競争にも、 飛行機の競争にも、自動車の競争にも、 この定義から可能な実装すべてにおいて 通用することになります。その代わりに、それぞれの競争に独特の ゲームバランスは保証しません。

 ある物理層に対して特定の実装をしたときに、その実装だけで通 じるゲームバランスが生まれます。競争ゲームはこの実装部分にゲーム 核の大部分をゆだねると言えます。しかしよく似た物理層によく似た実装を すると、よく似たゲームバランスが得られることが期待できます。現在の 我々にとって常識的な物理層に対して実装すれば、 実用上同じスポーツとして認めても良い実装から成る集合が得られます。 例えばサッカーは天候に左右されますが、雨天サッカーも晴天サッカーも サッカーであると見なされています(あまりひどいと中止になりますが)。

 さてここで、全く逆のプロセスを考えてみます。ある実装の 集合を考え、その集合に共通であるゲームバランスを保証する制御層 を考えます。完璧な制御層を作ることは不可能ですが、実用上問題な い制御層が作れる場合があると考えられます。これはシミュレーショ ンゲームであると見なせます。将棋と同様の手段を用いてこの制御層にアク セスできる物理層を形成すれば、シミュレータが構成できます。物 理層が二つあってややこしいので、シミュレータがある層を 操作物理層、シミュレートされる物理層を仮想物理層とします。

 往々にして、シミュレートには不備や誇張があります。プレーヤーは それにどう対応するべきでしょうか。勝利を至上命題とするシミュレー ションゲームにおいては、プレーヤーは勝利を目指して不備や誇張を 最大限に利用すべきです。

 ところがプレーヤーがシミュレートを通じて仮想物理層に対する 訓練を積んでいる場合には、不備を補正できるなら
補正すべきです。実話ですが、自動車練習所の運転シミュレータで エンジンをかけないでもアクセルを踏むと車が前に進むものがありました。 運転の練習が目的なら、それでもエンジンをかける訓練を怠るべきでは ないでしょう。

 さらに対応を複雑にするのは、仮想物理層とは剥離した制御層が 一人歩きして独特の狭義ゲームを定義する場合があることです。 究極の例がトーナメントでしょう。戦争のためのランス突撃の訓練が独立して スポーツになり、戦争には役立たない次元にまで到達しています。
2002年01月12日:23時02分55秒
【比較ゲーム分析】スポーツと判定の難しさ / myrt
 (Re:2002年01月11日:18時56分24秒【比較ゲーム分析】競争ゲー ムの制御層 / myrt)で定義した狭義ゲームは、 走行1秒目状態においてどのプレーヤーもゴールの戦略が選べるなら 面白くありません(参加者が人間で走行距離が10cmだとか)。 走行x秒目状態においてゴールの戦略が選べるプレーヤーと選べない プレーヤーが出る場合には競争になります。この場合に選べる戦略は 制御層の状態だけに依存していませんから、この狭義ゲームは マルコフゲームではないと言えます。

 またスポーツで判定が難しくなる理由もここからわかります。 競争ゲームでは、プレーヤーはより目的を達成するには、 フライングでファールを取られない範囲で 可能な限り速く走り出すと有利です。この場合の定義では、審判に その他戦略(フライングしていない)をとっていると見なされる範囲の中で ファール(フライングしている)に近いように物理層の行動する ことを意味します。これでは審判の判定が困難になって当然です。

 これに対して、将棋の場合は判定が難しいように物理層で行動する 必要性はあまりありません--マス目ギリギリに駒を置いても特に有利に なりません。ゲーム核がほとんど制御層にあるからでしょう。スポーツでも 同様に制御層のための判定を困難にする必要性がない場合があります。 中でも陸上の高跳びのパス宣言は、将棋などの狭義ゲームのものとかなり 似たゲーム性を感じます。高跳びの成功率を確率的に処理して机上で対戦 ゲームを行っても結構面白いのではないでしょうか。
2002年01月11日:18時56分24秒
【比較ゲーム分析】競争ゲームの制御層 / myrt
 制御層の説明のために、「1秒単位競争ゲーム」の制御層を一つ定義してみます。 もちろん他の定義もできます。

--ココカラ--

制御状態:初期状態, 走行中x秒目状態(xは自然数)
プレーヤーのとりうる戦略: ファール, ゴール, その他
タイマーのとりうる戦略: スタート, 1秒経過報告, その他
プレーヤーの目的:なるべく小さいxのゴール状態に到達すること
タイマーの目的:なし。スタートした後、1秒たつごとに1秒経過報告を行なう。

状態遷移規則の記述:(制御状態, プレーヤーの戦略, タイマーの戦略)。 アスタリスクはどの戦略でも合致することを示す。

(初期状態,ファール, *)->失格状態(終了)
(初期状態, ゴール , *)->失格状態(終了)
(初期状態, その他 , スタート)->走行中1秒目状態
(初期状態, その他 , その他)->初期状態
(初期状態, その他 , 1秒経過報告)->タイマー故障状態(終了)
(走行中x秒目状態,ファール, *)->失格状態(終了)
(走行中x秒目状態,ゴール, *)->記録x秒でのゴール状態(終了)
(走行中x秒目状態, その他 , 1秒経過報告)->走行中x+1秒目状態
(走行中x秒目状態, その他 , その他)->走行中x秒目状態
(走行中x秒目状態, その他 , スタート)->タイマー故障状態(終了)
:

--ココマデ--

 この制御層は、状態数が無限であること、終了する保証がないことを 除けば完結しています。なら実装は簡単かと言うとそうではなく、 ファールが判定できることとタイマーの正確さに頼りきってることがわかります。

 状態や戦略をより細かく設定し、ファールの判定基準を詳しく作ることは できますが、必ず最終的に「タイマー、審判のファール判定は信用で きるのか」という問題に行きつきます。信用できるならこんないいかげんな 狭義ゲームでも問題ありません。

 選手が新しい走り方を開発しても、それがファールであるか否かが判定でき さえすれば状態はこの制御層を逸脱しません。選手の新しい走り方はおそらく物理層の物理法則を逸脱していないでしょうから、その意味でも完結性を保ちます。
#「ファールじゃないけど我々のやりたいゲームはそんなゲームじゃない」ことはある。
2002年01月11日:18時52分02秒
【比較ゲーム分析】マルコフゲームと離散 / myrt
 またオフライン病が...私の(2002年01月10日:19時02分05 秒, 2002年01月10日:19時01分21秒, 2002年01月10日:19時00分36秒)の 書き込みは( 2002年01月10日:17時01分05秒【比較ゲーム分析】用語の解 説を希望します / NiKeさん)以降の書き込み を反映してませんでした。ディスクキャッシュを失念してました...

 マルコフ過程では状態に対して状態遷移規則が定義されていましたが、 マルコフゲームでは状態×プレーヤー1の戦略×プレーヤー2の戦略...に 対して状態遷移規則が 定義されています。もしかしたら人工知能の一分野でしか使ってない用語かも...

 だから厳密に言えば、状態に対してとりうる戦略が決まるのではない というべきかもしれません。状態遷移規則の定義を工夫することにより 取りうる戦略を制限している場合と同じゲームが得られますが。

 離散的とはデジタルな、という意味で、連続的(アナログな)の対義 語です。離散的に状態を定義するというのは、「デジタルな状態空間を 定義する」というつもりで使っています。 離散的に状態を定義するといいことはまず、 100m走でフライングしたか否かとかは最終的に離散的に捉えると便利(というか連続的に捉えて処理できるのか??)です。2つ目は、離散的 な状態×離散的な状態で 示される状態はやはり離散的であることです。すると状態遷移規則も 離散的に定義できますから、扱いが楽です。

 また議論よりの話ではないかもしれませんが、現実の連続的な状態から制御用の 離散的な状態にA/D(アナログ->デジタル)変換をかけるときの誤差の範囲がわかっ ているなら、誤差の扱いが楽です。これは同時に離散的に状態を定義した場合の 不具合も示しているので詳しく書いてみます。

 例えば箱根駅伝ではタイムを1秒単位で計ってます。距離が長いですし全員の スタート条件が同じわけがないので、1秒(プラスマイナス0.5秒)の差は 誤差と見ているのでしょう。最終的に勝ち負け同着 を示す状態は離散的であるわけですから、どこかでA/D変換をかけねばなり ません。「駅伝で区間賞を取るゲーム」では、それをタイムに対してかけ ていることになります。ところがスタートとゴールで合計2秒の誤差が出 るわけで、結構馬鹿になりません。区間賞で1秒差の人のビデオを並べて同時に再生すれば、映像では2位の人のほうが早くゴールするかもし れないのです。
#ちょっと計算...というか場合分けに自信なし。

 じゃあ何故ビデオで判定しないかというと、それが面倒だからでしょう。 それに比べて離散的な値で示されたタイムを比較するのは楽です。ビデオ判定 だって「カメ ラ、位置が悪いんじゃないか。他のビデオテープはないのか」なんてことが 起こり得ますし。
2002年01月11日:04時16分08秒
【比較ゲーム分析】勝負性、ゲーム性 / トモス
Purpleさんとmyrtさんとが議論されている勝負や競技といったゲームの側面について、僕もひとつだけ考えていることがあるので投稿させてもらいます。手短に。どの程度関係があるかはわからないので関係なかったらやり過ごして下さって構いません。

一回性の強いセッションでも、ある目的を設定し、それを達成したかどうかを判定することはできます。但し、それを持って「自分は優れたプレイヤーだ」と主張することはできないと思います。目的が非常に簡単な場合がありうるからです。

他のプレイヤーとの間で争う場合には、少なくともその参加者間での勝敗や優劣がつくようなゲームがあります。将棋はこのようなゲームです。が、将棋で勝ったことは、負けた相手よりも強いのだろう、ということ以外には示唆することが少ない、と言えます。

あるコンピュータゲームを何日で解けるか、を争った場合、これは競技者間の相互作用がないのですが、将棋よりも信頼性の高い「目的達成度」の指標だと考えられる場合があります。(CRPGでそのゲームの内容をどちらかが事前に知っている場合はその知識を持っているプレイヤーが圧倒的に有利になり、かつそれは「ゲームの腕前」と余り関係ないように思われる、など、例外はありますが。)

僕は「工夫の楽しみ」さえあれば一回性の強いセッションで、プレイヤーが独自の目的を設定してその達成を目指して工夫を行う場合でもゲームと呼んでいいと思うのですが、TRPGでの競技性なり勝負性にこだわる場合には、それを「参加者間の勝ち負け」とする方法も、「他のセッションでも通じるような指標による評価」とする方法も考えられるだろうな、と思います。
2002年01月11日:03時55分30秒
Nikeさんへ / トモス
>>話題の性質上、これらの用語が意味するところは明確に定義されていなければならないし、定義可能だと思うんですよね。 <<
とのご意見には賛成です。過去ログをざっと読み返してみたのですが、残念ながら、簡潔な説明は今までなかったようです。
問題提起に改めて感謝します。
今後ともよろしく。

2002年01月11日:03時43分47秒
【比較ゲーム分析】開放系とは何か、トモス版 / トモス
Nikeさんへ。

質問ありがとうございます。開放系の定義については僕なりに意識してやってきたつもりなので説明してみます。

いつもはこちらが驚くほど僕の投稿内容をわかってくれる鍼原さんも、この件に関しては僕がどう考えているかについて不明な点がある、という感じがしましたので鍼原さんも意識しつつ。

以下、定義、用語説明、まとめの順に議論を進めます。

定義:
系(=システム)が外部からの影響によって変動する可能性がある時、それは開放系だと考えます。

ここで、系はこれまでの議論でゲームの構造=ゲームバランス=ゲーム核と呼んできたものだと僕は考えています。 系に対する外部環境を構成するのはプレイヤーやGMの行動です。これらの影響を受けてゲームの構造が変動するなら開放系、変動しないなら閉鎖系、と考えます。

系が開放的なのは、未定義性がある場合です。未定義性があれば開放系であり、未定義性がなければ閉鎖系である、と考えています。

用語説明:
[[系]]
系として想定しているのは、
1)遊び手が選択できる手の総体、
2)目的(=勝利条件)、
3)特定の手が目的達成に与える影響、
4)設定データやルール。

から抽出される「ゲームの構造」です。(この説明は後に)。

プレイスタイルも系の構成要素、とするかどうかについては迷いがあります。これは系の一部ではなくその外部の領域(実装領域)に属するという考え方もできるように思い、実装のことに関しては僕は混乱をいろいろ抱えているので。とりあえずここでは除外しておきます。

[[未定義性]]
未定義性、というのは以下のいずれかに関して「定義され切っていない」という性質です。1)遊び手が選択できる手の総体、2)目的(=勝利条件)、3)特定の手が目的達成に与える影響、4)設定データやルール。

つまり、系の一部が定義され切っていない、ということです。

混乱しやすいけれども僕は区別して考えたい問題が2つあるのでそれも挙げておきますと、
a)乱数要素は「必要になるまで決めない」ということが決っている上、そのとりうる値が決っています。
b)また、ゲームでは通常、プレイヤーの手についても、プレイヤーが意思決定するまでは決っていないのですが、どのような手が可能かは全てルールに規定されている、と考えられます。これは開放性とは考えていません。

未定義性のないゲームでは、プレイヤーがどのような手を打つか、乱数要素がどうなるか、について事前に予測を立てることができなくても、ゲームの設定やルールを知っていれば、それらの全ての可能な場合について想定し、ゲームの展開をシミュレートすることが原理的には可能です。(時間がかかったりしますが。それからCRPGのように開発者以外にはルールや設定が知らされていないゲームもあります。)これを、ゲームの構造が変動しないとか、ゲームバランスが変動しない、別ゲームへの移行が起こらないという言い方でも形容して来ました。

これに対して未定義性のあるTRPGでは、以下のいずれかの事態がゲーム中に発生する可能性が、原理的には排除しきれません。1)プレイヤーがGMの予想外の手を発案・実行する、2)目的がGMに予想外の形で変動する、3)手が目的に与える影響がGMによって変更される、4)ルールや設定データに変更が施される。

こうした事態のいずれかが発生すると、GMも予想しなかったようなゲームの展開の可能性が発生します。それはGMが事前に準備・想定したシナリオの難易度を大きく変動させたりします。

もうひとつ、プレイヤーサイドからは、閉鎖系ゲームを遊ぶ時には手を発案するというよりも選択ないし発見する、という形で意思決定を行うことになります。開放系として考えているのはTRPG、スポーツ、ディベートです。これらの活動ではプレイヤーは誰も想定しなかった手を発案・実行できる可能性があると思います。

#ピンボールやパチンコはどうなのだろうか、と最近疑問に思いはじめたのですが、それはまたの機会にでも。

[[ゲームの構造]]
これまでの議論では、ゲームバランス、ゲーム核、というのも同じ意味で用いられてきました。その定義については、以前やったのでそれを再録しますと、
>>ゲーム中に起こりうる全ての局面を点とし、その間を移動できるかどうか(手やその他の要因によってひとつの局面から別の局面への移行が起こりうるか)を3種の線(自分の手、他のプレイヤーの手、偶然性、それぞれによる変動)で結ぶようなネットワークを考えた時の、そのネットワークの構造です。ちなみに線は矢印(方向付き)です。<>*1
とこのように考えています。この構造を系と考えているのでそれが外部からの入力によって変動するなら開放系、変動しないなら閉鎖系、と定義したわけです。

まとめ:
定義としては、「ゲームの構造」が変動する可能性がなく、外部の影響に対して閉ざされているのが閉鎖系のゲーム、プレイヤーやGMなど遊び手の入力によって変動するのが開放系のゲーム(かゲームによく似た開放系の何か)だと考えています。

他の多くの用語と同様、これは道具であって僕の信念ではないので、「開放系は紛らわしい用語なので別の用語にすべき」「開放系はむしろこう定義されるべき」「この部分の詰めが甘い」という意見に対しても態度を硬化させたりはしないつもりです。少なくともそうありたいと思っています。
今後の議論が、用語の定義に修正を迫る可能性も十分あると思います。

*1 【比較ゲーム分析】ゲーム核と実装の区別:インターフェース問題,トモス,2001年12月23日:15時53分46秒,TRPGLABO 081
2002年01月10日:19時02分05秒
【比較ゲーム分析】100m走と実装 / myrt
 私の今の考えを要点だけ。詳しくはまた書きます...先に あやまっておきます。「最初にトモスさんが定義されたゲーム核の 概念がそのままズバリだった。 思い込みから誤誘導してごめんなさい」

 ルールとして記述されマルコフゲームで構成される制御層と、肉体や 将棋の駒で構成される物理層を考える。制御層と物理層はそれぞれ完結性を 持つ。物理層から制御層への写像が一意に与えられる間、狭義ゲームは成り立つ。
#制御層から物理層へのフィードバックがまだまとまってない。

 写像を与えるための手段が実装である。実装は人為的な実装と自然になされる 実装に分けられる。人為的な実装は定着すれば、制御層の一部と見なされることも ある。適切な写像を与えることができなければ人為的な実装によって調整される。 制御層そのものを変更する場合もある。

 100m走のようなゲームにおいては制御層は単純な構造になっており、 制御層に適切な写像を与えるようにいかに物理層の状態を遷移させるかが ゲーム核(いわばゲームのキモ)となる。将棋のようなゲームは制御層が複雑で、 ゲーム核と極めて近い(我ながらどういう意味で??)。
2002年01月10日:19時01分21秒
【比較ゲーム分析】「狭義ゲーム」の再定義 / myrt
 前記事を受けて学術的なgameとproblemを含んだものを「狭義ゲー ム」として表現してみます。
>> それが正しいとすると、すべてのゲームは「勝者」と「敗者」が必ず います。ですから「非ゼロ和ゲーム」というのは、私やmyrtさんが今語 っている「ゲーム」においては、存在しない言葉であることになるからです。

 Purpleさんのこの質問で、何故私が「競技」という用語が適切でないと 感じていたかが自覚できました(適切ならそちらを使えば良いとは思っていた)。

 私が何故競技と呼ばずに「狭義ゲーム」と呼びたいかと言う と、「狭義ゲーム」では 引き分けではないのに全プレーヤーの利得が高かったり、低かったり することが許されるからです。「狭義ゲーム」においては、各 プレーヤーの目的は自分の利得を増大すること一点に絞られます。 だから非ゼロ和ゲームが存在します。勝ち負けの明確な「ゲーム」はたまたま利得の 対が(勝ち:1,負け:-1)などであるゼロ和ゲームであるにすぎません。
#でも1プレーヤーだとproblemになるんだよなぁ...

 Purpleさんはゼロ和ゲームなどのゲーム理論を避けたいと書き込まれましたが、 そのような概念自体を避けるにはこの系列の話題を避ける以外にない と思うのですが...別に分析しなくても遊べますし。同側面からこれら概念を 用いずに分析することが不可能だと証明されたわけではないですが、 少なくとも今の私にはできません。

 私の書き込みが中途半端なのでこれらの概念がわかりにくく、 各用語をちゃんと説明すべきなのは確かです。だから、「ここが わからん」と書き込んでいただけるのはありがたいです。自分ではいつだって 十分に説明してるつもりなので。
>> (現実問題を解析するための手段として考案されたゲームを考えると きには、「非ゼロ和ゲーム」という単語に出番があるとは思いますけど。)

 まさに実際に遊ばれているTRPGなどの遊戯を分析しているから、「非ゼロ和 ゲーム」などのゲーム理論を利用しています。 例えばディプロマシーで「2位を目指すと何故駄目か」を導いたのも ゲーム理論からです。(誰も1位を取ることが不可能になっていない段階 の)ディプロマシーは利得が1位からそれぞれ(6, -1, -1, -1, -1, -1, -1) であるとゲームが成立しますが、(3, 2, 1, 0, -1, -2, -3)だと2位狙いの プレーヤーが出る場合が、(1, 0, 0, 0, 0, 0, -1)だと下位いじめの構造が成り立つ 場合があることが推察できます。

 こういう分析に興味のない方には面白くない議論でしょう...
2002年01月10日:19時00分36秒
【比較ゲーム分析】日常用語としての「ゲーム」とは?? / myrt
>> 日常用語としての「ゲーム」は、ずばり、「遊び」です。
うぅむ。私は以下のように考えてます。

・TVゲーム機のソフトのほとんどは実際にゲーム要素を持つ
・コンピュータで遊ぶためのソフトでも作曲、お絵書き関連のソフトは ゲームソフトとは呼ばない
・「ゲーム感覚の犯罪」は、「愉快犯」とは違ったニュアンスで用いられる
・積木遊び(トイ)をゲームとは呼ばない
・TRPGのストーリーテリングは頭を使う遊戯だが、これそのものが ゲームだとは感じない(これは議論からの偏向かも)

 ただし「実戦」の対義語として使った場合の「ゲーム」には「遊び」という ニュアンスを強く感じます(犯罪について)。しかしこの場合も、いかに「実 戦」でもうまくいくことができるかが「ゲーム」の争点になると感じますし。

 以上のことから、日常用語では、「ゲーム」は「遊び」に含まれるが、「遊 び」は「ゲーム」を含まないようなニュアンスを感じます。その意味 で「ゲーム」は「遊び」だ、となるんですが、イコールじゃないと思います。

 日常用語の「ゲーム」といえば、一昔前に流行し た「CRPGファイナルファンタジーはゲームか」論でしょう(ムービーがメインなら ゲーム性をウリにしてないじゃないかと文句がついた)。これはこれで面白いと 思います。

 しかし私は今の議論において、学術的な意味でのgameとかproblemあたり の概念を指すために便利な用語を必要としています。その意味では、日常用語 の「ゲーム」が何を指そうと関係ありません(混同を避けるために 違う用語を用いるべきですが)。

 とは言え、それを単に「ゲーム」と記述すると日常用語の「ゲーム」と紛らわしいことは確かです(特にたまに掲示板の見る人には)。gameとproblemの例か ら「学術的にはそういうのをゲームって言うんだよ!!」とも言えません。 それを「狭義ゲーム」やアルファベットで「game」と記述するのはどうでしょうか。
2002年01月10日:18時07分36秒
[比較ゲーム分析]離散的定義てどんな定義ですか? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 Nikeさんが質問を出されたので、アタシもちょっと前からお尋ねしたかったことをお聞きしたいです。
 
 「離散的定義」ってどんな定義手法ですか?
 
 トモスさんによると「定義手法」だというお話なので。
 どんな考え方に基づくどんな定義手法なのか、かいつまんで説明していただけるとありがたいです。
 
 できたら、1「公理系の内部でトートロジックな証明を積み重ねていく論理的定義」や、2「意味の範囲を限定してゆくといった日常語彙でいう『定義』」とどんなふうに性質が違うのか、違わないのか、とか、どんな対象の分析に適していてどんなメリットがあるのか、とかも教えていただけるとありがたいです。
2002年01月10日:18時01分27秒
[比較ゲーム分析]開放系/閉鎖系と開放性 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Nikeさんへ
>それと「開放系」「閉鎖系」についても疑問があります。
>論者の間で合意が取れているコトバなのでしょうか? なんだか “感じ” で使ってるように見えてしまうのですけれど。何が何に対して<開放>あるいは<閉鎖>されているのか、何が「系」(システム)なのか、検討も付かないです。
 
 一連の議論では、開放系/閉鎖系は、人によって、文脈によって相対的に用いられています。もともと相対的な概念だとは思いますし。アタシとしては、その都度文脈から判断する方がよいように思います。
 
 アタシ個人は「開放系/閉鎖系」を言うときは、筆者が「何の系が、何に関して何に対して開放/閉鎖」なのかはその都度はっきりさせた方がよいとも思っていますが。

 関連の議論でアタシがちょくちょく書いているのは「TRPGのセッションにおいて『カタイトコロ@アキトクン』は、『カタイトコロ以外』に対してリソースやルールに関して(通時的に)やや開放的な疑似閉鎖系だ」と言った類です。
 
 トモスさんはこれまでのところ、「開放系」という概念よりも、TRPGセッションでのプレイの「開放性」という概念を用いることが多いと思います。
 トモスさんの言う「開放性」は、概ね、「TRPGシステムの未定義性に基づいた工夫の余地がある性質」のことだと思われます。
 単にそのように理解すると、トモスさんの文章の論旨が理解し易い、というアタシなりの解釈にすぎませんが。さほど見当違い名解釈ではないと、思っています。
 
 上の「開放性@トモスさん」の概念について、アタシ式の概念整理をするとしたら、次のように言えると思います――
 a「『TRPGセッションでの物語状況了解コミュニケーション』は、『プレイしているシステム(ワールドとルール系の複合)』に対して、リソース及びルールに関して開放的(セッション中リソースデザイン及びルールデザイン・調整の余地がある)」であり。
 同時に、b「『プレイしているシステム(ワールドとルール系の複合)』の解釈は、日本語という言語構造態に対して依存的」である。
 上記a、bのコミュニケーションの複合が「開放性@トモスさん」の実態である、と考えられます。
 余談になりますが、上の整理を、とても大ざっぱに要約すると「一般にTRPGのシステム(日本語システム)は、日本語という示差的システムに対して解釈に関して疑似閉鎖的だ」と言うこともできます(やや極論めいてしまいますが)

 ――しかし、TRPGについての[比較ゲーム分析]で、同じ対象領域を扱おうとしていてもアタシとトモスさんでは(またmyrtさんや他の方でも)それぞれに切り口も立場も大分違うようです。

 どこがどう違ってるか確認しあいながら、スローペースで進んでるのがここのところのLABOの展開で。長文が少なくないので切り出されるログ自体は多いですけど、検討内容は比較的スローペースで進んでいます。
 なぜかと言うと、投稿者によって異なる概念の微妙な違いを確認しあいながら検討が進んでいるからです。(主にトモスさんが質疑応答の型で概念の違いを整理してくれているのですが)
 
 ですから、上のアタシなりの概念整理にトモスさんが賛成されたとしても、異論を持たれたとしても、おそらくトモスさんはトモスさんのいう「開放性」に関する概念を別様に整理されるだろうな、と思っています。

追記:マルコフゲームについてはアタシは全然わかっていません。分かり易く詳細な説明をしていただけたらアタシも歓迎なのですが。
 とりあえず、先にトモスさんが整理してくれた概要にmyrtさんからの修正が出されていないので、当面はトモスさんが言われるように理解してればよいのかな(?)て思ってます。
2002年01月10日:17時21分15秒
RE:【比較ゲーム分析】用語の解説を希望します / UT
マルコフゲームとは、プレイヤーの意思決定が観測時点以前の情報に左右されない状態をいう。
非マルコフゲームはその逆で、観測時点以前の情報によってプレイヤーの意思決定が影響を受ける状態をいう。

違うかな?

#マルコフ過程とは、対象物の確率挙動が観測時点以前の情報に左右されない状態をいう。
#非マルコフ過程はその逆で、観測時点以前の情報によって対象物の確率挙動が影響を受ける状態をいう。
2002年01月10日:17時01分05秒
【比較ゲーム分析】用語の解説を希望します / NiKe

 これまでも用語が良く分からないということはあったのですが、さすがに今回はちょっと納得できないので質問します。

 「マルコフゲーム」とは何か、明瞭な説明をお願いします。>myrtさん or 理解しておられる方

 検索で「マルコフ過程」なら発見しました。しかし私の理解できた範囲では、これは『現在の状態によって次に遷移する状態の確率が決まっている時、変化していく過程』というようなものでした。そして、ここには“意思決定”が存在しません。なにしろ一定の確率での変動なのですから。私の頭の中では、どうしてもこの「マルコフ過程」と(我々にとっての)「ゲーム」が相容れ無いのです。

#用語の選択が不適切なのではないかと疑っております。(^^;

 それと「開放系」「閉鎖系」についても疑問があります。
 論者の間で合意が取れているコトバなのでしょうか? なんだか “感じ” で使ってるように見えてしまうのですけれど。何が何に対して<開放>あるいは<閉鎖>されているのか、何が「系」(システム)なのか、検討も付かないです。

 話題の性質上、これらの用語が意味するところは明確に定義されていなければならないし、定義可能だと思うんですよね。
 単に私が無知であるか不注意で説明に気付いていないだけなら良いのですけれど。


2002年01月10日:08時24分00秒
【比較ゲーム分析】ゲームの定義 / トモス
ゲームが目的達成のための工夫ないし意思決定の活動であることについては一致があるようです。それに加えてどういう限定条件を付けるかを考えると、

1)勝負性ないしプレイヤー間の優劣差を比べ合うこと
2)頭を使う工夫であること
3)工夫を楽しむこと=遊びであること

が考えられる、と。僕は1と2の条件はなくてもいいと考えて来たのでこれからはそれらの条件を導入するとどうなるかについても折りに触れて考えてみることにします。

それはそうと、Purpleさんに便乗するわけではないのですが、僕もmyrtさんが出されている100m走の例はそれがどうゲームなのか、「実装」の話とどうつながるのか、よくわかっているわけではないので機会があったら説明をお願いします。
2002年01月10日:03時07分22秒
Re: 【比較ゲーム分析】スポーツの試合をゲームと呼ぶ用法も / Purple
 うーむ。
 そういう反論が来るかなとは思っていました。
 
 「勝負」、というか、「プレイヤー間の優劣差を比べあうこと」も大事なファクターであるとは思っています。
 
 というのも、単に「考えるということを主体とした遊び」だとパズルとかクイズと呼ばれる遊びも入ってしまいますので。
 
 だから、パズルやクイズなどとゲームを区別するときに、「勝負」という要素が必要になると思っています。
 
 
 日常用語としての「ゲーム」は、ずばり、「遊び」です。
 
 ・テレビゲームはテレビ画面を使った遊び。
 ・コンピューターゲームはコンピューターを使った遊び。
 ・最近の犯罪報道の際によく使われる、「ゲーム感覚の」という言葉は、「遊び感覚」という意味。
 
 と思います。
 
 ただ、myrtさんも書かれているように、私も「ゲーム性」という言葉になると、「考えて勝負する」という意味があると感じており、日常用語よりも狭義の定義として、
 「ゲーム」=「考えるということを主体とした遊び」
 という定義が存在しているのでは無いかと思っています。
 
 
 
 話題は変わりますが、「囚人のジレンマゲーム」ですが、これは、生物社会における「協力」とか「共生」とかを研究するために、複雑な系を簡略化し、数学的に取り扱いやすいモデルに変換したものだと思います。
 (なぜか、科学者は、複雑な問題を簡略化したモデルを作ると、それに「ゲーム」という単語を割り当てたがります。「ライフゲーム」とか、「生物の生き残り競争ゲーム」とか。)
 名前にこそ「ゲーム」が入っていますが、上に述べたよう遊びとしての「ゲーム」とは、鼻から違うものと割り切ったほうが、話が簡単になると思います。
 
 
 個人的には、こういった「囚人のジレンマ」が必ず取り出され、さらには「非ゼロ和ゲーム」なんて言葉が出てくる「ゲームの理論」(および、その周辺用語)は、避けて通りたいところです。
 
 私、「非ゼロ和ゲーム」なんて言葉は学問上のことばであり、実際のゲームには無関係な言葉だと思っています。
 なぜならば、私もmyrtさんも、「ゲーム」に「勝負」が重要なファクターであるという点では、一致していると思うのですが、それが正しいとすると、すべてのゲームは「勝者」と「敗者」が必ずいます。ですから「非ゼロ和ゲーム」というのは、私やmyrtさんが今語っている「ゲーム」においては、存在しない言葉であることになるからです。
 
 (現実問題を解析するための手段として考案されたゲームを考えるときには、「非ゼロ和ゲーム」という単語に出番があるとは思いますけど。)
 
 あと、最後に。
 myrtさんがスポーツを比較にしたい理由はわかりました。
 そちらのほうが、トモスさんとの議論がしやすいのなら、そのままスポーツとの比較を行ってください。
 (あくまでも、私には、わかりにくいという話なだけですから。)
 
 
2002年01月09日:15時28分54秒
【比較ゲーム分析】スポーツの試合をゲームと呼ぶ用法も / myrt
 長文なので要約を。

 要約:「ゲームの定義は勝負であり頭脳とは直接関係ないように 感じる。未定義性の側面からはボードゲームとTRPGよりもスポーツと TRPGのほうが近いと感じられ、今のところスポーツより良い比較対称がない。 以上のことからしばらくスポーツを比較対称として議論を続けたいし、 その理由を理解してほしい」

 「考えるということを主体とした競技」をゲームと呼びたい、という気持ち は私にもある程度あります。特に「ゲーム性」という言葉は「考えて勝負する」 という特性を指しているニュアンスを感じますし。すぐ 最適戦略がわかってそれがとれるゲームはゲーム性が 少ない、あるいはないゲームであると考えています。

 しかし、それをもってスポーツとマルコフゲームを分けるのは難しいです。 カーリングは非常に頭脳を使うスポーツである一方、一回きり囚人のジレンマゲームは 頭を使う余地がありません。

 推敲しているうちにゲーム性に頭は関係なく、単に勝負性でいいような気 もしてきました。 ダイスの代わりに体力(イメージはパンチ力)測定装置を用いるTRPGを想 定したとき、「このTRPGは 体力配分を考えることにはゲーム性を持つが体力そのものはゲーム性 とは関係ない」と言う と違和感があります。TRPGやボードゲームではたまたま勝負を分ける要素に占める頭脳の割合が大きいので、錯覚しているの かもしれません。
#ギャンブルを考慮するとまた話がややこしく。

 私は「ルール、リソース、トークンが定義された競技」をゲームであると 捉えています(馬場さんのテキストを元にしています)。 この定義ならトイそのものは競技ではないのでゲームではなくなり、 すべての遊びがゲームになるということはありません。

余談:もっとも学術的には theory of game(ゲーム理論)は複数プレーヤーや複数陣営のもののみを扱い、 1人プレーヤーや1陣営(つまりはTRPGのパーティー)の場 合は problem(問題) 扱いされるようです。 多目的な話でひっかかるのが multi objective problem(多目的問題) ばかりな理由がやっとわかりました...

 また未定義性という側面から見ると、ボードゲームとTRPGよりもスポーツと TRPGのほうが近いかもしれないという議論になっています。同側面から もう少しRPGに近くかつゲーム理論で扱いやすいゲームと 比較分析できるならそのほうが望ましいのですが、今のところ思いつきません。 だからもう少しスポーツを例に挙げて続けてみたいと考えています。
#たぶんスポーツのままわかりやすく説明する労力とわかりやすい例を探す 労力は等しい。

 100m走を例に出したのは、構造が単純な競技であり、あまり頭 を使わないが、誰もがすぐに最適戦略をとれるわけではない特性 に注目したからです(箱根駅伝を見たからなんだが。駅伝は頭を使い すぎる)。

 繰り返しますが、 私はTRPGイコール(競技としての)ゲームだとは考えていません が、TRPGの(競技としての)ゲームとしての面白さについて特に興味があります。 100m走に参加するような真剣さでTRPGに臨み、100m走と同じくらい厳密な結果 を出すことはできるのか。本質的に無理なのか。場合によって可能であるならば、 その条件は何か。厳密に同じではなくとも、勝負からの満足感を 得ることは可能なのか(勝つこと自体が楽しみなわけではない)。そも そも、100m走そのものが真剣に走るに値しない代物なのか。

 100m走における選手のトレーニングがゲーム性を持つかは定義に依存すると 思います。コンピュータ競馬ゲームにおけるトレーニングという戦略 は明らかにゲームの1要素です。しかしハイパーオリンピックの後継ゲームで、 ゲーム開始時点でトレーニングが終了しているが、トレーニング結果に 差異がある複数のキャラクターから選択できるものがあります。実際の スポーツも含めてこれらを考慮すると、私はいつからゲーム開始か、 誰をプレーヤーとみなすかなどの定義に依存すると 考えています。
#この「定義によって異なる」感覚が抽象的で難しいのだろうか??
2002年01月09日:14時03分55秒
TRPG総合研究室 LOG 084 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 084として2002年01月05日から2002年01月09日までのログを切り出しました。

 TRPG.NETよりCM : オンライン書店ビーケーワン(7000円以上の注文は国内送料無料)、洋書販売のスカイソフト(7000円以上の注文or書店受取は国内送料無料)、アマゾンコム本のストア(国内送料無料)による購入リンクを整備しております。TRPG関連/有用書籍リストともども、機会がありましたら、ご活用くださいませ。



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