TRPG総合研究室 LOG 067

TRPG総合研究室の2001年01月10日から2001年01月24日までのログです。


2001年01月24日:22時29分33秒
【TRPGにおける挑戦的要素】RE:理不尽性とペナルティ / SHiN
  
 前の書き込みの続きですが、ここからは、同時にmyrtさんの「理不尽性とペナルティ」への直接的な返答でもあります。
 
 (myrtさん) 
 > 「疑似」という言葉がかかっている場所がわかりづらいですが、以下のような分類になるのでしょうか。
 
 私にとって、「TRPGにおける挑戦的要素」を考察する際、重要と思えるのは、a、b、の分類のみですね。
 1〜4に関しては、疑似体験の話として一括できそうです。
 そして、TRPGの本質は、意思決定より、むしろ疑似体験であろうと考える私にとって、より重要なのも、1〜4の分類ですが……トラブルのもとになってるのは、a、b、の分類の方なんで、今回はこちらに重点を置きます。
 
 >a.PLに対して挑戦的だが、その状況はGMの胸先三寸で変化する
 >b.PLに対して挑戦的だが、その状況は閉鎖ゲーム的な挑戦的性が保証されており GMの介入する余地はない
 
 閉鎖系ゲーム、開放系ゲームの定義がはっきりしないうちは、「閉鎖ゲーム的」という表現をベースに進めるのは、やめた方が良いかもしれませんね。
 とりあえずここでは、「論理系ルールを持ち、他の非論理系ルールを持つシステムの影響を受けないゲーム」、という意味で理解しても、よろしいですね?
 
 私が「擬似挑戦的ゲーム」と言ってるのは、「a」のケースです。
 プレイヤーは、GMの胸先三寸で決まりうる内容を、「信頼」とか「馴れ合い」とかによって、勝手に決め付ける事によって、そのイベントは挑戦的であると認識しているわけです。もしくは、GMの胸先三寸であるという事に「気付かない」事によってね。
 
 (myrtさん)
 >a.のような状況下において、GM-PL間において相互認識が1.と2.の間で割れた場合に問題が発生しうることは事実だと思います。しかし、この問題はこんなに明確に区別できるものではないと思います。
 
 その通りですね。私が以前、「プレイヤーに過度なリスクを与えるべきではない」というのは、日本の一般的な法精神である「疑わしきは罰せず」に従った意見に過ぎません。
 全てを、GMに委ねる王権神授説の時代のような形で、プレイするのも、GMさえ完全に信頼できれば、楽しいものであると考えます。
 ただ、これは現実的ではない。才能に恵まれたGMというのは少なく、また、その才能がPLの嗜好と一致するケースはさらに少ないからです。
 もちろん、これを解決するために「ゲーム中デザインの第二タスク」、つまり、GMのリソースデザインにPLが意見するという過程を重視しようって考え方もあるのですが、このタスクに十分な時間を割くのはなかなか難しいので、十分な解決策にはなりえないでしょう。
 
 だから、とりあえず、「疑わしきは罰せず」が、一番、現実的じゃないかと思えます。
 
 また、myrtさんご指摘のTipsだけだと、失敗に対しリスクを与える事も出来なくなりますが、リスクの存在は、ゲーム的、疑似体験的にも、プラスになるものです。だから、このTips自体には、私は全面賛成じゃありません。あくまで、TRPGがゲームとして機能しない場合にのみ、有効なTipsであると思います。
 
 以前、myrtさんが指摘されたように、GMの処理による予想外の利益を受けるケースがあるというのもまた確かです。が、その代償に、理不尽なリスクを許容せよっていうのは、「娯楽としてのゲーム」においては、あまり、納得できる考え方じゃないと思います。
 少なくとも、3度、こういうケースが続けば、そのPLが、そのGMに見切りをつけるに十分な理由になるでしょう。いや、TRPGに見切りをつけるにさえ十分な理由となるかもしれません。
 
 予想外の楽しさは、オーケイ。理不尽なつまらなさはNG。一長一短で納得できないのが、「娯楽」です。「現実」じゃ無いんですから。
 
 (myrtさん)
 >さらに、「GMがa.をどの程度で考えているか」はわからないほうが面白い場合がありますし、あえて「GMがもっとPCに対して厳しい想定をしている」ことを仮定してプレイする面白さもあります。
 
 これは確かですね。もし、私が、「TRPGは挑戦的なゲームであるべきだ」と主張しており、なおかつ、「TRPGを挑戦的なゲームとするためには、ゲーム中デザインにおいて、きちんと論理的ルールとして整理すべきだ」と主張しているんなら、手痛い反撃になったと思います。
 
 が、私は、この点ではmyrtさんに賛同したい。私は、挑戦的なTRPGばかりが楽しいとは思っていないからです。
 
 ただ、この「GMが想定してる内容を仮定してプレイする面白さ」を、「将棋やポーカーなどの楽しさ」とごっちゃにはしたくない、と思うわけです。
 
 そこで、前者を、「挑戦的疑似体験」として、将棋の知的挑戦、ポーカーのギャンブル的挑戦とは区別して考えるために、これまで、さまざまな角度から主張してきたわけです。
 
 (mytrさん)
 >PLをセッションから外すようなペナルティをなるべく避けるというTipsは以下の観点からのものであると思います。
 >
 >・一人だけ死んで参加できなくなるとその間ヒマ:これは、全滅ならかまわない
 >・PLがTRPGの機会を頻繁に持てない場合、せっかくの機会を失う
 
 こういう観点で行っているGMもいらっしゃるでしょう。方法論としての妥当性も高いと思います。 
 だから、もちろん、このTipsも、頭に入れていました。しかし、それだけでも無い。(短い文章でまとめるには、あらゆることを総合的に考量して、取捨選択する必要があるのです。)
 
 私が「プレイヤーにセッション参加の機会さえ失わせるような過度の自己リスクを負担させるべきではない」と述べたのは、ご指摘の表面的なTipsより、むしろ別の根本的理由からです。
 
 その理由とは、TRPGのプレイヤーにとっての「真の意味でのリスク」は、ゲームトークンの喪失以外に存在しないからです。
 
 これは、TRPGの本質が「ゲーム」でなく「疑似体験」であることと関係があります。疑似体験では、現実に起こったら嫌なことでも、プレイヤーは「楽しむ」事が出来るのです。
 家族の死、恋人の死、財産の喪失、そういった物でさえ、ゲームの中では「より楽しい疑似体験」を形成する要素になり得てしまう。
 そんな状況では、PLに与えるべきリスクとは、「セッションに参加させない」事意外に無いでしょう?
 
 逆にいえば、それ以外のリスクは、真の意味ではリスクにならないってことです。
 真の意味でリスクにならないんだから、真の意味での「ゲーム」ではなく、擬似挑戦的ゲームにおいても、オッケーである、と。そういう理屈も含まれてるわけですね。
 
 >これら問題は、ペナルティの加えられる理由の理不尽性とは直接関係ありません。
 
 以上の理由により、関係が「ある」というわけです。
 それ以外のリスクに対する多少の理不尽さは、いわば、「より現実的な疑似体験」という事で、処理してかまわないと思うし、実際、多くの場合、そうするしか無いでしょうね。
 もちろん、私がこれまで少しずつ紹介してきた『「ゲーム中デザイン」による論理系ルールの構築』(旧表現:閉鎖系ゲームの構築)、というテクニックを用いれば、その限りではありませんが。それも所詮は、部分的なことです。
 
 しかし、だからこそ、この理不尽さをより改善していくというのは、「GMのゲーム」となり、プレイヤーの満足度を高めるjことを目標とした「GMの挑戦」になりうるはずです。
 
 (myrtさん)
 >「PLのセッション参加機会を奪う」ペナルティは非常に大きいため不満を持たれやすいですが、「単発シナリオでのPCの死亡」よりも「キャンペーンでのPCの 5レベルエナジードレイン」のほうがイヤで文句を言いたくなる人のほうが多いように思われます。
 
 そうですね、私もゲームによっては嫌かも(笑)
 これは、キャンペーンの場合、「キャラクター育成ゲーム」という要素が発生しているからでしょうね。
 日本において「ロールプレイングゲーム」というのは、「キャラクターが成長するゲーム」の意味で使用されてるってのは、周知の事実ですよね。
 それほど、D&Dの昔から、TRPGキャンペーンと、キャラクター育成ゲームは、密接な関係にあります。
 
 その意味で、キャンペーンにおけるキャラクターの能力低下は、ゲームトークンの喪失と同様の「真のリスク」になり、理不尽さが許されないケースになり、おそらく平均的GMの手にはあまるでしょう。
(手にあまってる事にさえ気付かずにマスタリングして、それに文句を言うプレイヤーを、逆に「困ったちゃんプレイヤー」と呼んでるGMも多いんじゃないでしょうか)
 その後のTRPGにおいて、「エナジードレイン」というシステムが、あまり採用されてないのは、そのためなんじゃないでしょうか。
2001年01月24日:22時19分34秒
【TRPGにおける挑戦的要素】 挑戦的要素と、非論理系ルールのゲームにおける成功の尺度の曖昧さの関係について  / SHiN
ところで、開放系とか閉鎖系。結局、最終的な定義はどうなったの?

(myrtさん)
>なんだか私の書きこみのあと急に閑古鳥が鳴いてしまったようで...何かマズイことを書きこんでしまったのでしょうか

 さあ? 私に関しては、少し静観するつもりで、書き込みませんでした。ちょっと、忙しくもあって、あまり観にこなかったんで。
 だから、原因としては、正確には、私の書き込みの後って言い方した方がいいのかも。
 
 どちらにしろ、気にすることはありません。
 こういう議論の場では、「望ましい結論に対する賛同」の声や、「望ましくない結論への反対」の声は、高らかに上がりますが、「望ましく無い結論に対する賛同」の声はなかなか上がらず、時として、「黙殺」という形が取られますから。
 
 もちろん、まったく意義の無い書き込みに対しても、同様の処理がとられますけどね。
  
 しかし、私にとって「用語」は、私の持論に都合の良い定義がなされる必要なんて無いから(どうせ、私は常に多角的な議論をするつもりだし)、とにかく、きちんと定義されて欲しいと思って、定義論争から外れようと思ったのに、明確な定義が無いままうっちゃられてるというのでは、撤退した意味が無いですね。
 
 これまで議論に参加してきた人から、私の提案(閉鎖系・開放系について、システム同士の係わり合いに関して架空のシステムと現実のシステムの混同を避けるという事)に関し、そろそろ、なんらかの立場表明や意思表示は欲しいですね。
 
 それとも、一週間では、考える時間が少なすぎるのかな?
 それとも、私の提案した内容を踏まえて、それ以外は、以前のままって感じの定義でもかまわないのでしょうかね?(なんせ、私自身は、「開放系/閉鎖系」の話は、いまだ、sfさんとかアキトさんからの聞きかじりだから、自信ないんですよね)
 
(myrtさん)
 >ところが、議論すべきはまさに「TRPGのような定義しづらい開放系ゲーム」についてです。どうも、SHiNさんの挙げられた「影響を与えるゲーム群の中に、非論理系ルールを持つゲームを含む開放系ゲーム」という表現ではまだピントがズレてるような気がします。
 
 もちろん、この場合の開放系ゲームとは、これまで多数の人につかわれてきた意味ではなく、
 最後に私が言った「同次元のシステムが、外部環境として影響を与える」場合に限定してでの、開放系ゲームですね?
 
(myrtさん)
>・「影響を与える」では入出力どっちか(表現上)はっきりしない
>・「影響を与える」のはゲームでなくても良い
>と思いますので、「外部システムの影響を入力として受ける開放系ゲームでのうち、論理系ルールに基づかない外部システムの影響を受けるもの」程度には変更したほうが良いと思います。
 
 着目点には、賛成します。
 
 ただ、私が省略したのは、考察の浅さから曖昧のままにしたのではなく、入出力両方を伴うと思ったからです。
 通常のTRPGの場合、出力系も非論理系ルールで制御される事が多いというのが、私の見解です。
 
 たとえば、戦闘ルールに限ると、クリティカルヒットの内容は、ダメージ三倍とか、装甲点無効とかいう具合に、論理系ルールが設定されています。
 
 が、非戦闘シーン、つまり、TRPGの多くの場合は、「クリティカルの結果は、より良い成功を起こしたと処理してください」という曖昧なニュアンスでルール規定されてる場合も多い。
 NPCとの交渉ロールにクリティカル成功した場合、その結果を論理ルールによって厳密に決定されているケースは、少ないでしょう。
 
 さらに言えば、論理系ルールとして構築された戦闘シーンの結果、つまり、戦術レベルの勝敗が、シナリオ自体にどのように影響を与えるか?というのもまた、非論理系ルールによる処理になります。
 
 で、私は非論理系ルールのゲームは、挑戦的ではないと考えるわけです。
 もちろん、「挑戦」という一般名詞は、「感情移入」と同様、曖昧ですから、その定義さえ自在に変更しうれば、非論理系ゲームにも挑戦的要素があると主張することは可能ですけどね。
 
 少なくとも、馬場講座なんかで語られている意味での「挑戦」、従来、ゲーム派と呼ばれた人達が主張するような意味での「挑戦」の要素は、非論理系ルールを外部環境として含みうる開放系ゲームにおいては、成立し得ないというのが、私の見解です。
 
 たとえば、「今回失敗したけど、次回はがんばろう」という向上心は、非論理系ルールのゲームでは芽生えません。
 なぜなら、失敗の原因が、判然としないからです。
 
 成功の度合いを測る尺度が存在しないという言い方も出来ます。
 
 たとえば、コスティキャンはシムシティも、単なるボールも、同様に「非ゲーム」、つまり、「非挑戦的なゲーム」と、分類しました。それらは単なるツールであり、「ゲーム」に用いる事はできても、「ゲーム」では無いと。
 が、私には異論があります。
 シムシティにおいては、成功の度合いを測る尺度が、一応、存在しています。だからこそ、プレイヤーは、シムシティで「ゲーム」をプレイできるのです。
 
 コスティキャンは、ゲームデザインの段階で、目標が設定されているかどうかに拘っていましたが、私としては、拘るべきはむしろ、「成功の尺度を計る目安」が設定されているかどうかであると、考えています。デザイン論としては多少複雑になってしまいますけど、汎用的なゲーム論としては、ですね。
 少なくとも、この「目安」さえあれば、そのゲームは、挑戦的「要素」を持ちえるのです。
 
 たとえ、ルールで目標を設定したところで、プレイヤーがその気にならなければ、そのゲームは「挑戦的」ではありません。ルールで目標が設定されてなくとも、プレイヤーが自分でその目標を設定可能で、なおかつその目標を達成する気があった方が、よほど、ゲーム的(ここでは試合や競技などの意)で挑戦的です。
 
 実際、昔のテレビゲームは、「より高い点数」を取るためのゲームであり、どの点数を取れば目標達成か、って事は、ほとんど定められてませんでした。もちろん、ハイスコアとか、カウンターストップとかの一応の目安はありましたけどね。それでも、十分に挑戦的だし、「ゲーム」だったのです。
 これは、陸上競技を始めとする多くのスポーツなんかにも似てますね。その時々の勝ち負けもさることながら、記録そのものが重要だったりするわけです。
 
 挑戦的なゲームに必要なのは、「目標」ではない。「成功の度合いを測る尺度」である、というのが、私の見解です。
 
 ところが、非論理系ルールのゲームでは、この「尺度」が曖昧なわけです。
 あるTRPGセッションにおいて、ミッションが無事達成された。しかし、その達成は、いかなる理由において達成されたのか?プレイヤーが、より良い意思決定やより良いダイス運に恵まれたからなのか。それとも、GMがそのように取り計らったからなのか……
 
 また、失敗した時も同様。自分の責任で失敗したのか、GMがそのような処理をしただけなのか。
 
 この事を念頭において、次の書き込みをお読みください。
2001年01月19日:19時30分49秒
【TRPGにおける挑戦的要素】理不尽性とペナルティ / myrt
 なんだか私の書きこみのあと急に閑古鳥が鳴いてしまったようで...何かマズ イことを書きこんでしまったのでしょうか。

(Re: 2001年01月13日:07時10分58秒【TRP Gにおける挑戦的要素】 わたしが、 開放系/閉鎖系の話を通じて、話したかった事 / SHiNさん)

 【】内のサブジェクトをどれを使ってよいのかわかりませんが、とりあ えずSHiNさんにならいます。

 「疑似」という言葉がかかっている場所がわかりづらいですが、以下の ような分類になるのでしょうか。

1.PCに対して挑戦的で、PLに対して挑戦的
2.PCに対して挑戦的で、PLに対して挑戦的でない
3.PCに対して挑戦的でなく、PLに対して挑戦的
4.PCに対して挑戦的でなく、PLに対して挑戦的でない

a.PLに対して挑戦的だが、その状況はGMの胸先三寸で変化する
b.PLに対して挑戦的だが、その状況は閉鎖ゲーム的な挑戦的性が保証されており GMの介入する余地はない

 a.のような状況下において、GM-PL間において相互認識が1.と2.の間で割れた 場合に問題が発生しうることは事実だと思います。しかし、この問題はこんなに 明確に区別できるものではないと思います。

 なぜなら、実際のプレイにおいてはa.とb.の間、および1.と2.の間は連続的で あり、その程度の認識の間に許容範囲を越えるギャップがあれば、 PLとGMが両方a.であることを自覚していてさえ問題が発生すると考えられる からです。

 さらに、「GMがa.をどの程度で考えているか」はわからないほうが面白い 場合がありますし、あえて「GMがもっとPCに対して厳しい想定をしている」こ とを仮定してプレイする面白さもあります。

--

 PLをセッションから外すようなペナルティをなるべく避けるというTipsは 以下の観点からのものであると思います。

・一人だけ死んで参加できなくなるとその間ヒマ:これは、全滅ならかまわない
・PLがTRPGの機会を頻繁に持てない場合、せっかくの機会を失う

 これら問題は、ペナルティの加えられる理由の理不尽性とは直接関係ありません。

 PLはGM補助の立場からGMのデザインに対して許容範囲を越えた不満を持ったとき にトラブルが発生するのではないでしょうか。その観点では、「この程度のミスで いきなり死亡させる理不尽だ」と「このマスタリングではヌルすぎる」の文句 は同格です。

 「PLのセッション参加機会を奪う」ペナルティは非常に大きいため不満を持た れやすいですが、「単発シナリオでのPCの死亡」よりも「キャンペーンでのPCの 5レベルエナジードレイン」のほうがイヤで文句を言いたくなる人のほうが多いよ うに思われます。
2001年01月15日:17時12分25秒
[【用語】開放系/閉鎖系]入力と出力 / myrt
(Re:2001年01月13日:07時17分12秒【開放系/閉鎖系システム】 架空のシステムと、現実のシステムを、混 同しない方が良いのでは? / SHiNさん)

 とりあえず私の考えをコメントしておきます。 誰かが中立なコメントしてくださると他力本願モードになっていたのですが...

 これまでの議論が、同じプレイの入出力の混同、 あるいはゲームとしての切り出し方をすることにより、閉鎖系になったり 開放系になったりして混乱していたことはSHiNさんのご指摘どおりだと 思います。

多重引用になって申し訳ありませんが、

> >**)ちなみに開放系システムというのは「ある与えられた環境の下にあり、
> >その環境から影響を受けるシステム」のこと。(出典:『数学は世界を解
> >明できるか』中公新書1475、丹羽敏雄著)。

 これは「あるシステムと外部システム(環境)に関して、そのシステムの入力が 開放系であるもの」です。このシステムは確かに開放系システムですが、 出力が開放系であるシステムについての視点が落ちてます。

 そして定義しづらい要素を持つシステムは、そのような部分をひっくるめて「外 部システムの影響」と扱って「開放系ゲーム」を切りとると分析が容易に なることがあるように思えます。ところが、「TRPGのような定義しづらい開放系ゲーム」 だけを開放系ゲームであるような思いこみがこの混乱を招いたと思います。

 ところが、議論すべきはまさに「TRPGのような定義しづらい開放系ゲーム」について です。どうも、SHiNさんの挙げられた「影響を与えるゲーム群の中に、非論理系ルール を持つゲームを含む開放系ゲーム」という表現ではまだピントがズレてるような 気がします。いまひとつ私にもはっきりしませんが。
少なくとも
・「影響を与える」では入出力どっちか(表現上)はっきりしない
・「影響を与える」のはゲームでなくても良い
と思いますので、「外部システムの影響を入力として受ける開放系ゲームでのうち、 論理系ルールに基づかない外部システムの影響を受けるもの」程度には変更したほうが 良いと思います。

 他の話題で議論することは良いことだと思いますが、こちらの話題(特に用語 の定義)が尾を引く気がひしひしとします...
2001年01月13日:07時17分12秒
【開放系/閉鎖系システム】 架空のシステムと、現実のシステムを、混同しない方が良いのでは? / SHiN

 撤退します、とはいえ、自分の言いたい事だけ言って、興味がなくなったからほったらかしってのも、気がひけます。あくまで、これらの定義を私が使用して、別のTRPGに関する論考を書くという事(つまり、開放系@SHiNや、閉鎖系@SHiNを用いる事)を、当面の間、放棄するってことにすぎません。
 
 だから、質問とか異論とか、感想、批評を通じて、この話に参加はさせてもらいます。
 
 ですから、私のこれまでの話とは関係なく、今後のみなさんの開放系/閉鎖系の考察に有益なんじゃないかと思う指摘だけ、させていただきます。
 
 さて、こないだのチャットで、少々、「一般に使われてる意味での開放系/閉鎖系システム」の知識を仕入れたので、それに基づいて、閉鎖系・開放系について、一から考察しなおしました。
 この話題について、私が果さねばならない責任として、この投稿を行います。ただ、これ以上の責任は、正直、勘弁して欲しいって事でもあります。
 
 
 で、結局、アキトさんの論考、及び、この掲示板では、二種類の「開放系」が混同して用いられてるということが言いたいのです。(かつて、ゲーム中デザインの話において、未定義リソースを作成する話と、ルール改変ゲームの話とが、混同して用いられてたように)
 
 一つは、あるシステムが、別のシステムに影響を与える場合の「開放系」。(戦闘システム以外の部分が、戦闘シーンに影響をあたえる話。)
 もう一つは、ゲームのルールやリソースがプレイ環境の影響を受ける場合の「開放系」。(ヤワラカイトコがカタイトコに影響を与える話。つまり早い話、未定義リソース、ゲーム中デザインの話)
 
 これが、ごっちゃになってる。
 
 ただ、TRPGの話に限れば、これでもあまり問題ない。(だからこそ、未定義リソースやゲーム中デザインの話が成り立った)
 ただ、鍼原さんみたく、「現実のマネーゲーム」なんかを例に出されると、ややこしくなるに過ぎないんです。(鍼原さんにとってはTRPGを語る上でも重要なのでしょうが、まあ、それは見解の相違ってことで勘弁してください。鍼原さんがそれらの論考を発表してくれれば、私も考えがかわるかもしれませんしね)
 
 現実のマネーゲームは、あるシステムに、別のシステムが影響を与えるという意味での開放系です。(金融システムに、社会システムが、そして天候システムが、って具合に)
 
 但し、ゲームのルールやリソース(ルール系)が、プレイ環境の影響を受ける意味での開放系ではない。社会システムによって金融システムのルール系が、変更されることがあるように感じるかもしれないけど、それは、結局、目に見えない別のルール系に律せられてるに過ぎない。人間には、決して100%理解することは出来ない、巨大で複雑かつ巧妙なルール系にね。このルール系が、三次元世界内の存在によって、変更されることは多分無いでしょう。
  
 いまさら、一般的な用語定義の話なんかしても無駄かもしれないけど、
 あるシステム(ゲーム、非ゲーム、含む)が、あるシステムに影響を与える場合の「開放系」ってのが、いわば、一般的な用語定義に基づいた「開放系」なんでしょうね。(『環境』ってのは、別の外部システム、もしくはより大きな外部システムとして捉える事が出来るはず)
 その意味で、金融システムは、(鍼原さんの主張である論理的に完結しているかいないかって話しとは関係なく)確かに開放系。いろんなシステムから影響を受けますからね。
  
 ただ、アキトさんの論考で定義されてた、
 
 >**)ちなみに開放系システムというのは「ある与えられた環境の下にあり、その環境から影響を受けるシステム」のこと。(出典:『数学は世界を解明できるか』中公新書1475、丹羽敏雄著)。RPG が開放系ルールだというのは、ルールがプレイ現場という環境から影響を受けて変容するから。
 
 っていうのは、一般定義と言葉の意味は似てても、理論としての用法は少しズレていると私には思える。
 
 たとえば、テーブルの上に一枚の風景画がおいてある。この絵にかかれた風景は、概念としてはひとつの世界(システム)だといえる。風の流れ、たなびく髪、ゆれている木の葉。きちんと相関のあるシステム。ただし、概念上のものに過ぎない、架空のシステムですけどね。
 
 この絵は、確かに、外部環境の影響を受けて変容しうる。消しゴムで消されるかもしれない。マジックで書き加えられるかもしれない。水をこぼされて滲んでしまうかもしれない。
 が、だからといって、この絵の世界(システム)は、外部環境である三次元現実世界に影響される開放系システムである、なんて言えるでしょうか?
 
 一見、影響を与えているように見えるけど、実は影響なんてあたえていない。単に、「絵が書かれた紙」という三次元物質に影響をあたえただけ。概念上の「絵に描かれた世界(システム)」には、何の影響も与えていないのです。
  
 これは、ゲームのルール系(ルール&リソース)にもいえる。ゲームのルール系は、概念上ではゲーム世界(システム)を表現するものだけど、現実的には、所詮、紙にかかれた文字。あらたに付け加えようと、どうしようと、人間の勝手です。
 が、そういうことをしたからといって、概念上の存在であるゲーム世界(システム)に影響を与えたわけじゃないってこと。
 
 将棋板の上の駒を、くしゃみで動かしたとしても、それが、ゲーム世界に影響を与えたわけではない。その証拠に、駒は、再びもとの位置に戻されるのです。
 
 概念上のシステムに影響を与えられるのは、同じく概念上のシステムのみです。
  
 その意味で、アキトさんが例示された内容自体は、まさに、「開放系ゲーム」を意味するに相応しい。(この場合の「ゲーム」とは、概念上のシステムを意味します)
 複合や関与、付与などの考察も、この概念上のシステム(ゲーム)同士が、互いにどのように関わり合うかについて語られている。これも、開放系ゲーム(概念上のシステム)についての考察として相応しい。
 
 が、その定義だけは、私にはゲーム中デザイン(描かれた絵や、作られたルールを、追加したり修正したりすること)について解説してるだけに思えるのです。
 (ほかにも、ヤワラカイコトとカタイコトが交互に来るってのも、半分くらいはゲーム中デザインの話にも思えますね)
 
 で、鍼原さんが、ゲーム論に関しては「開放系≠閉鎖系」として考えた方が良いって言ってたけど、あれは大賛成。但し、理由は違いますけど。また、近似としてでもない。正真正銘、開放系ゲーム≠閉鎖系ゲーム。
 
 というのも、私たちが主に扱うTRPGなどのゲームは、概念上のシステムだから、閉鎖系としてデザインされたゲームには、外部環境なんて、本来存在しない。「開放系」としてデザインされたゲームのみに、外部環境が存在しうるのです。
 
 で、私たちが知る、そういうゲームは、基本的にはTRPGくらいなんですよね。
 
 開放系ゲームの意味を「概念上のシステムが、別の概念上のシステムに影響を与える」って意味だけに限定した今回の定義で、TRPGを説明すると、「影響を与えるゲーム群の中に、非論理系ルールを持つゲームを含む開放系ゲーム」という事が出来ます。 
 
 ちなみにトランプの大富豪(地方によっては大貧民と呼ぶそうな)なんかは、論理系ルールのゲームのみで構成された開放系ゲームですね。
 
 2ゲーム目の内容が、1ゲーム目の結果に影響されているでしょう?
 
 まあ、この話にみなさんが同意してくれるかどうかは別として、少なくとも、
 
 「現実の事象」を扱うための概念である「開放系/閉鎖系システム」を、架空の概念であるゲームに導入する場合は、もっと慎重になるべきだろうって事です。私の意見としては、現実のシステムは現実のシステム同士、架空のシステムは、架空のシステム同士でのみ、影響を与えうるとして整理した方が、いいと思うな。 
2001年01月13日:07時10分58秒
【TRPGにおける挑戦的要素】 わたしが、開放系/閉鎖系の話を通じて、話したかった事 / SHiN
 
 えー、正直、もはや私の中では、開放系/閉鎖系の定義の話は、重要性が低くなりつつあります。
 申し訳ないですが、そろそろ撤退させて下さい。それに、少なくとも、私が撤退すれば、定義論争はいくらか収束するでしょう。
 個人的にも、もっとみなさんに実質的なTRPGのお話をしてもらいたい。別に拗ねているわけじゃなく、私が、その障害の一部になってるようでしたら、論争からは撤退させていただくって事です。(鍼原さんの予告された内容とか、期待してます)
 本音を言えば、混乱を招いた責任と、それを収拾できなかった責任を痛感し、申し訳なく思っているってことでもあります。
 
 ちなみに、以前の私の論考内における「閉鎖系」は、挑戦的ゲーム、「開放系」は非挑戦的ゲーム、とでも変換してお読み下さい。擬似閉鎖系ゲームは、擬似挑戦的ゲーム。これで、意味は8割がた通じるはずです。
 
 もう、開放系ゲームが、挑戦的かどうかは、どうでもいいです。私がこの意見を唱えたときとは定義なんかも、もう、無茶苦茶になってるし。この意見は、既に撤回されてるも同然と考えています。まだ、そうは考えてない人のためには、今、ここで撤回しておきます。
 
 但し、TRPGと挑戦的要素の話については、次の点だけ、認識しておいてください。私が、開放系だ、閉鎖系だという用語を使って既に述べたことの要旨を、平易に(開放系/閉鎖系の概念を用いずに)まとめたものです。
 
 ・一般にTRPGにおいて挑戦的要素とされているものには挑戦的疑似体験と、知的挑戦の二種類が存在し、知的挑戦に関しては、擬似的にそれが成立する状態(擬似閉鎖系@SHiN)と、真に成立する状態(閉鎖系状態@SHiN)がある。
 
 ・挑戦的疑似体験とは、PCにとっては挑戦なのだが、裏事情
(GMがPLを意味なく惨殺をすることなど無い。シナリオ上のミッションは、たいていの場合成功するようにシナリオが作られている。結局は、GMのさじ加減次第である、結局、物語の主役はPCである、など)を知っているPLにとっては、あまり挑戦的でないような場合のこと。本当の意味での挑戦じゃなく、挑戦の物語を、疑似体験している状態ってこと。
 
 ・次に、知的挑戦要素が、擬似的に成立している状態とは、リソースが論理的なルールとして定義・整理されてないのに、参加者同士のあやふやな相互認識のもと、その細かな相違点が露呈しないまま、戦略シミュレーションのごとくゲーム性が成立している状態のことである。
 
 ・TRPGにおけるGM=PL間のトラブルの多くは、この擬似的にのみ知的挑戦が成立していた状態
(擬似閉鎖系@SHiN)が、崩壊する(曖昧なままで放っておかれた認識の相違点が、大きな影響力とともに露呈する)ことにより、ゲーム性やリスクとリターンのバランスが維持できなくなったりして、生まれるものである。

 ・これを防ぐためには、GMは、それが「知的挑戦」ではなく、「挑戦的疑似体験」に過ぎないのだという事を認識させねばならない。

 ・もしくは、真の意味で知的挑戦が成立するように必要なルールやリソースを適切に提供するようにするかである。つまり、そのイベントを、ポーカーや将棋などのように、一つの完結したルール系を持つミニゲームのように扱えるように、リソースを整えるという事である。そして、ルール系が十分に完結していない場合には、プレイヤーにセッション参加の機会さえ失わせるような過度の自己リスクを負担させるべきではないという事である。

2001年01月13日:06時56分19秒
【ルールの改変】 閉鎖系ゲームの崩壊について  / SHiN

(myrtさん)
 >この部分はSHiNさんに同意が得られていたと思っていたのですが...  
 
 そう思うのなら、その前提でちゃんと読んで下さいよ〜。だから、そんなに細かく説明しなかったのに。
 
(myrtさん)
>レギュレーションの変更されたMTGは、変更前のMTGとは別のゲームでしょう。変更後も似たような閉鎖系ゲームになるように調整されていますが。
 
 そのとおりです。ルールの改変前と改変後は、別のゲームです。
 ですが、この場合、変更前も、変更後も、どちらも閉鎖系ゲームは閉鎖系ゲームでしょう?ってだけの意味です。だから閉鎖系ゲームが崩壊して開放系ゲームに移行するわけじゃない。あらたな閉鎖系ゲームが再デザインされるだけ。それだけの話だよねって事です。
 
 カードという資産は継続されますけどね。ただ、それは、「ゲーム論でいう運用すべき資産」じゃなく、現実の資産ですから。(実際のゲームにそのカードを使用した場合の資産価値はルール変更にともない変更される場合があります)
 
 金融ゲームだって同じってことです。無理やり、永続する一つのゲームとして考えるからややこしくなる。投資するときに、誰も、自分が明日死ぬ可能性や、『予期せぬ』インフレーションや、社会システムの崩壊、いつか起こりうる大地震のことまで考えないでしょう?その時得られる情報だけをもとに意思決定し、それ以外のことは、ランダム性の彼方へと忘却する。ひとつひとつの投資が、ひとつのゲームであり、投資家にとっての認識では、ほとんど完備情報ゲームなのです。(そして、これが結局成立しなかった場合、「不運だった」ってことになるわけですね)
 
 で、ここらへんは、私としては、基本的に抑えておいて欲しかった部分でして、そこに誤解があったようですから、以降の部分についてのレスは、遠慮させていただいておきます。
 っていうか、myrtさんへのレスは、別の話が、いっぱいたまってるんです(笑)
 閉鎖系、開放系の定義論争で、手間取って、おいてけぼりになってる話が。私としては、そっちの方が、より重要なんですけどね……。
 
 たぶん、仕切り直しして(開放系・閉鎖系以外の観点から。おそらくは、未定義リソースやゲーム中デザインの観点で)、話させてもらうことになると思います。多分、myrtさんにも、そっちの方が面白いんじゃないかなあと。ゲーム中デザインの話、語り尽くしたわけじゃないでしょう? てなわけで、よろしければ、おつきあいのほど、よろしく。
2001年01月12日:12時15分44秒
[【用語】開放系/閉鎖系]系を場合分け / myrt
 さらに混乱させるかもしれませんが、私も系を場合分けしてみたいと 思います。 入力と出力は、それぞれ系が外部から受ける影響と外部に与える影響を指します。

1.入力も出力もないもの(将棋そのものなど)。
2.入力だけあり、出力がないもの(TRPGのゲーム的最終決戦や、最後はやっぱり WSLGな場合のジークジオンとか)。
3.入力がなく、出力がだけあるもの(TRPGでのゲーム的キャラクターメイクとか)。
4.入力も出力もあるもの。

4.1.1 入力は出力に影響を与え、外から見ると関数的装置になっているもの。
4.1.2 4.1.1の逆で、出力は勝手きままになされるもの(中で分裂して いる、入力開始後は決して出力が行なわれない系など)。

4.2.1 出力は入力に影響を与え、中から見ると外部は関数的装置になっているもの。
4.2.2 4.2.1の逆で、入力は勝手きままになされるもの(天災や、 出力開始後は決して入力されない系など)。

 4.1系と4.2系は独立です。系を外から見たときは4.1系、中から見たときは4.2系を 主に使うと思います。

 時系列と切り出しの問題について触れておきます。開放系ゲームが、 入力の後出力まで十分な時間があるためその間に閉鎖系ゲームのように振 舞ったり、またその部分を閉鎖ゲームとして切り出されて分析されたり することはありえるでしょう(MTGの各版や、TRPG中のゲーム的戦闘など)。

 また、2で入力をランダマイザや初期設定扱いして内部環境的に扱った り、3で出力 先の話を完全に無視すれば開放系ゲームを閉鎖系ゲームとして切り出して分析することができると思います。同様に4の場合でも、それら入出力の影響 を近似的に無視したり内部環境的に扱うことができる場合に、疑似閉鎖的に扱う ことができると思います。

 例: AさんとBさんが将棋をすることになりましたが、AさんはBさんをうまく説得 して駒落しを認めさせました(将棋系のゲームによる勝負に対しての入力)。ところが その勝負でAさんがえげつない攻め方をしたせいでBさんは怒ってしまいまし た(将棋系のゲームによる勝負から人間関係への出力)。この一プレイを見ればわかる ように「AさんとBさんの人間関係から見た、将棋系のゲームによる勝負」は 開放系ですが、「駒落しされた将棋」を閉鎖系ゲームとして切り出して分析する ことができるでしょう。
2001年01月12日:11時15分58秒
[【用語】開放系/閉鎖系ゲーム]ブラフはギャンブルでは?? / myrt
(Re:2001年01月11日:14時48分04秒[【用語】開放系/閉鎖系ゲー ム]Re:閉鎖系ゲームの定義変更 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん)
ちゃちゃです。ちょっと気になったので。

> 例えば、ある種の閉鎖系システムでのゲームは、確率論を知らない児童には
>「ギャンブル」としてしか運用(プレイ)できません。(ちょっとマイナーか
>もしれませんけど「ブラフ」なんかが典型です)。

 「ブラフ」というゲームに限っては確率論をある程度押えると、 再び「ギャンブル」に近づくような気がします。確率論をなんとなく押えてる 皆さんでやったときが一番盛り上がりました。「ポーカーフェイス」と「はっ たり(BLUFF!!)」はかなり「ギャンブル」よりの要素に思えます。
#ブラフ、マイナーですかね...

 この主張の本題に対して意義をとなえているわけではありません。
2001年01月12日:09時45分27秒
[【用語】開放系/閉鎖系] ちょっとした整理(Re:逆じゃないかと) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>混沌太郎さん
 どーもです。
 
@混沌太郎さんWrote (「[【用語】開放系/閉鎖系] 逆じゃないかと。」,当掲示板,2001年01月12日:00時30分48秒)
>外部要因の影響を受けないのが「閉鎖系」なのですから、開放系の「中に」閉鎖系を含むことは不可能です。
 
 うん。それはそうなんです。
 開放系の下位に組み込まれちゃうなら、閉鎖系だったもからも閉鎖系の性質はなくなります。
 
 アタシ観点中心のちょっとした整理をしてみます(あくまでアタシ観点中心です)。
 
1.特殊な開放系としての閉鎖系(アキトくん説)
 まずアキトくんは「閉鎖系とは、外部環境の影響を無視して構わない、特殊な開放系」、としています。この立場では、「閉鎖系は開放系に含まれ」ちゃいます。集合論の方で含まれることになります。(アキトくんは別に「閉鎖系がシステム構造的に開放系に含まれる」とは言っては無いように思えますが?)
#例えば、半分冗談みたいな極論ですけど。
#「ゲームソフトはプレイするのに電源が必要だから実は開放系なのだ(作動について外部の影響を受ける)」しかし「ゲームをプレイするに際しては、プレイに応じて、ルール違反をしようとすると電源が切れたり入ったりするシステムは無い」だから、「閉鎖系とみなせる(ゲームルールの適用・運用については、外部の影響を受けない)」みたいな話です。(ちょっと極論がすぎる変な喩話ですけど:汗)
 
2.閉鎖系についての二つの命題
 一方、今の議論は、「デザインされたゲームシステム」を念頭において、1「開放系≠閉鎖系」ってある程度一般性がある話、と、2「閉鎖系システム・ゲーム=『完備情報型システム・ゲーム+完全情報型システム・ゲーム』」って話。
 この二つの話の、論理的つながりが焦点になるとこ、である・はずと思われます。
 そこが整理されないと、せっかくの議論がダメになる、と思われる、って意味ですけど。
 
 この関連でアタシが公開している意見は、「TRPGの戦闘系は、完備情報型システムとしても完全情報型システムとしてもデザインされてはない(つまりは閉鎖系システムとしてはデザインされていない)」です。
 なぜなら、「仮に完備情報型ゲームに近い型で遊ぼうとしても、将棋などとは違って、戦闘以前のセッション展開の影響を受けるから」(←コレがアキトくんの最初の整理をアタシなりに言い換えてみたものです)。
#アキトくんの「開放系ルールとしての RPG──あるいは RPG は将棋ではないという話」
 
 それから、アキトくんの指摘にはありませんが、「戦闘シーン」の最中だって、セッション中デザインが、妥当なものでも生じないように制限されるとしたらTRPGとしては窮屈で不自然と思われます。
 なので、「TRPGの戦闘系は閉鎖系としてはデザインされてはいない(将棋やポーカーとはデザインの狙いが違う)」と言えます。

3.疑似閉鎖系 
 で、「閉鎖系システム・ゲーム=『完備情報型システム・ゲーム+完全情報型システム・ゲーム』」って定義と接合するためもあって、アタシは「TRPGの戦闘系は『疑似閉鎖系@カンナ』」(閉鎖系に似てるが性質が異なるもの)としていますです。
 閉鎖系ではないので、開放系の部分であっても構わないのです。

 「開放系」は、「影響を当たる外部の系と影響を受ける系との複合」の意味に使われることもありますよね。
 特に、影響関係にあるふたつの系の複合が、もっと外部の環境からさらに影響を受けている場合、なんかは特にややこしくなります。
 なので「疑似閉鎖系@カンナ」を使っています。「外部の系から影響を受ける系」なのですから、概念上は「含まれる」と言って構わないはずです。

 
4.「何について」の開放/閉鎖か
>元々「系」の取り方などは論者の任意ですので、プレイヤーの知らない部分を含めて考える時は閉鎖系、
>プレイヤーの知らない部分を含めずに系を定義した時には開放系、と言うことになります。
 
 それはそうなのですが。
 これまで(アタシも含めてですけど)「何について開放か(外部の影響を受けるか)」が言われずに議論されていましたので。それで少し混乱も生じたと思われます。
 
 この件は、「何についての影響(開放/閉鎖)」をきっちり言うようにすれば、大分スッキリするはずです。
 
 例えば「デザインされたゲームシステム」について、「閉鎖系システムとは、ルール適用の判断についてシステム(ルール記述)外の情報を参照する必要がないようにデザインされているもの(ルールの判断について閉鎖)」と整理することはできます。
#うえは、「閉鎖系システム・ゲーム=『完備情報型システム・ゲーム+完全情報型システム・ゲーム』」との繋がりが、隠された表現になっているので、そこをはっきりさせる必要があるはずなのですが。
2001年01月12日:03時57分28秒
用語の混乱・挑戦的要素 / 混沌太郎
逆と言うよりは混同かもしれません。

今もう一度過去ログを読み返している所ですが、常に間違えているわけではなくて、
部分を取り出して見るような場合に開放系のことを閉鎖系と言ってしまっている場合が多いようです。
とりあえず、ある系が、外部の影響を受けている時だけ開放系で、それ以外の期間は閉鎖系である、と言うのは変です。
そう言うのは要するに開放系なのではないでしょうか。

それから、挑戦的要素についてですが、開放系であるか閉鎖系であるかによりその有無が左右されることはないと考えます。
ただし、開放系においては、外部要因により、部分的もしくは完全に挑戦的要素が打ち消されることはあり得ます。
この時、挑戦的要素は、理論上はその「外部要因」を内包する、一つ外側の系に移動しただけです。
例えば、敵の初期配置から敵の作戦意図を読み取ると言う挑戦的要素が、GMの癖から読み取る、と言う挑戦的要素に形を変えてしまうことはあり得ます。
この過程で挑戦性が薄れてしまうというような現象も起きるかもしれませんが、それは本質的な現象ではありません。
私としては、外部要因の影響を受けるからと言っても、その系における挑戦的要素が100%消えるわけではないと主張しておきます。
2001年01月12日:00時30分48秒
[【用語】開放系/閉鎖系] 逆じゃないかと。 / 混沌太郎
議論に水を差すようで悪いのですが、皆さん(アキトさんも含めて)「閉鎖系」と「開放系」の意味逆になってませんか?
myrtさんは詰め将棋の話の所で正しいことを言いかけましたが…

外部要因の影響を受けないのが「閉鎖系」なのですから、開放系の「中に」閉鎖系を含むことは不可能です。
一切影響を受けないものを中に含むとは言わないでしょう。
正しくは、「全体が閉鎖系で、中に開放系をいくつも内包している」と言うべきです。

今まで言われてきたことは、「本来閉鎖系として成立し得る系(戦闘とか)が、開放系として取りこまれている」と言う話です。

それから、完備情報関係の話について。
元々「系」の取り方などは論者の任意ですので、プレイヤーの知らない部分を含めて考える時は閉鎖系、
プレイヤーの知らない部分を含めずに系を定義した時には開放系、と言うことになります。
どっちでも、その時の議論に都合の良い方を使えば構いません。
勿論、系の取り方が任意と言っても、何もないところに無意味に線を引くことはないので、
プレイヤーが全部知っている場合に、わざわざ一部を外部と定義して開放系呼ばわりする人はないでしょうけど。
2001年01月11日:14時48分04秒
[【用語】開放系/閉鎖系ゲーム]Re:閉鎖系ゲームの定義変更 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@【開放系/閉鎖系ゲーム】 閉鎖系ゲームの定義変更 (当掲示板,SHiNさん記,2001年01月11日:07時34分28秒)
>だって、(私たちの定義では)ポーカーや将棋は、常に「閉鎖系ゲーム」のはずなのに、時に完備情報ゲームであったり、不・完備情報ゲームになったりする。これでは論考は破綻します。それとも破綻しない?ここらへんは、鍼原さんの意見をお聞きしたいです。
  
 「ホントは情報は完備されているんだけど、プレイヤーがその情報を知らない」状態、を考えるのに、ゲームとシステムとルールが整理されていないので、論理が破綻しているように錯覚されるのでしょう。
 
 「ホントは情報は完備されている〔システム〕なんだけど、プレイヤーががその情報を知らない〔つまりそのシステムをきちんと理解していない〕」状態でのプレイ。
 それは、プレイヤーにとっては、不・完備型システムのゲームプレイに似ているように錯覚されるでしょう。
 しかし、実はシステムに即した意思決定が、プレイヤーの能力の問題で、不充分にしかされていないプレイにすぎません。

◆ルール、システム、ゲーム 
 ルールとシステムとゲームについては、ベーシックなゲームの理論などの整理とは少し違いますが、次のようにみなすとよいでしょう。
 人為的にデザインされたシステムとゲームとについて、ですが。
 
 「人為的にデザインされたシステム」とは「ルール群が人為的にシステム化された構成態」とします。「ルール」は「システムを構成する部分」ですが、システム構成を参照しなければ個々のルールの機能が適確に判断も解釈もされないもの、となります。
 コスティキャンの論で言われる、リソースやトークンも、その機能は、システム構成を参照したルール記述で判断、または解釈されることになります。
 
 「“ゲーム”のプレイとは、『ルール群の構成態であるシステムが、システムを構成するルールに即して運用される一連の行為』」、とします。もっと簡単に「“ゲーム”のプレイとは、人為的に構成されたシステムに即したシステム運用である」と言っても構いません。
#この定義での“ゲーム”には、「コスティキャン定義の『ゲーム』」も含まれますし、「法の“ゲーム”」も含まれます。それどころか「ギャンブル@コスティキャン」も、ある種の「遊戯@コスティキャン」ですら“ゲーム”に含まれてしまいます。
#「コスティキャン定義の『ゲーム』」とは特殊な“ゲーム”であるとみなされます。
 
◆プレイヤーにとってのシステムの重さ
 で、「ホントは情報は完備されている〔システム〕なんだけど、プレイヤーががその情報を知らない〔つまりそのシステムをきちんと理解していない〕」状態は、単にプレイヤーの能力不足によって、「システムに則った運用(プレイ)」が困難な状態にすぎません。
 
 要するに完備情報型システムがプレイヤーにとって重過ぎて、システムに則ったプレイ(運用)がきちんとできない、だけの状態です。
 場合によっては、コンピュータ支援を受ければシステムに則ったプレイも可能になるわけでしょう。
 
 普通は、そうしたゲームは、「デザイン的によろしくないゲーム」と評価されるでしょうが。話題は思考実験なのですからそれは構いません。
 
 例えば、ある種の閉鎖系システムでのゲームは、確率論を知らない児童には「ギャンブル」としてしか運用(プレイ)できません。(ちょっとマイナーかもしれませんけど「ブラフ」なんかが典型です)。
 「ポーカーや将棋は、常に『閉鎖系ゲーム』のはず」であるのは、水準的なプレイヤーの能力が想定されたうえでそう言えるだけのことです。
 
◆主題の整理(?)
>次にみなさんにお聞きしたいのは、この「ホントは情報は完備されているんだけど、プレイヤーがその情報を知らない」という状況での不・完備情報ゲームは、閉鎖系ゲームに含むべきか開放系ゲームに含むべきか?って話です。
 
 要するに、プレイヤーの能力不足で「『ホントは情報は完備されている』のに、きちんと把握されないでプレイされている」、その結果、「『不・完備情報』ゲームのプレイであるかのようになってしまっているプレイ」にすぎません。
 開放系ゲームのプレイに似てみえますが、それは事象の上辺だけのことにすぎません。
 プレイとしては、閉鎖系ゲームプレイの不充分なもの、です。
 
>現実のマネーゲームは、いわば、この不・完備情報ゲームですよね?
 
 「ルールが膨大なポーカー亜種(閉鎖系システム)の運用(プレイ)」が「リアルなマネーゲームのプレイ」と異なるのは、次の点なんです。
 「リアルなマネーゲームでは、ルール系は疑似閉鎖系のシステムとしてシステム化されている」しかし、その「ルール系システムは、人為的にデザインされたわけではない市場システムと複合することで運用される(そのようにデザインされている)」、そして「市場システムの方はそのシステムを記述しつくせない(近似としての市場システムのモデルは複数並立可能)」
 
 ここで、水準的な能力のプレイヤーにとってすら、「近似としての市場システムのモデルは複数並立可能」な点が、「ルールが膨大なポーカー亜種(閉鎖系システム)の運用(プレイ)」と「リアルなマネーゲームのプレイ」との違いです(他にもいろいろ違いを言いたてることはできますが)。
 「近似としての市場システムのモデルは複数並立可能」はゲームにとっては、「潜在的に情報が揃っている状況」とは違います。
 「市場システムのモデルは複数並立可能」なのも、未定義なのではなくて事実上多義的になっているのです。「モデルは複数並立可能」とは、「複数の解釈が並立する」ことですので、つまりは多義的なのです。
 
 「リアルなマネーゲーム」の場合「人為的にデザインされたルール系」の機能はプレイヤー間で共通理解されます(されなくてはなりません)。しかし、利得関数や戦略集合はプレイヤー間で共通認識されません。
 
 利得関数は、市場の方の状況によって変動します。が、市場の動向の解釈はプレイヤーによって異なります。
 戦略集合は、基本的にプレイヤーが投入可能な資金すら全然違います。どのプレイヤーにどれだけの戦略が可能か、すら推論できません。
 従って「リアルなマネーゲーム」は少なくとも、完備情報型ゲームとしても完全情報型ゲームとしてもプレイされません。
 
 ここで、「リアルなマネーゲーム(のルール系)が、『市場システムと複合した開放系システム』下の『疑似閉鎖系@カンナ』であること」と「リアルなマネーゲームのプレイが開放型ゲームであること」の関連がSHiNさんには納得がいかれないようです。
 
 「non完備情報型」システム、「non完全情報型」システムのプレイが、開放型ゲームのプレイでしかないこと、なんですけど。これは検討してみてもよいでしょう。
 
 要するに、、、
 A「開放系システム≠閉鎖系システム」、
 B「閉鎖系システム=『完備情報型システム+完全情報型システム』」、
 C「閉鎖系ゲーム=『完備情報型ゲーム+完全情報型ゲーム』」、
 D「開放系ゲーム≠閉鎖系ゲーム」
 、、、って、四つの命題の論理的関連が納得できない、ってことだと思うのですが。
 検討されるべき話題は、これでよいでしょうか?
 
◆予告(?)
 簡単に予告しておくと、次のようなことは言えます。

 既存のデザインされた「ゲーム」に関して、水準的な出来栄えの閉鎖系ゲームについては「システム形態とプレイ実態をイコールで結んで構わない」んです。
#ここで、閉鎖系とは何についての「閉鎖系なのか」を言っておかないと無意味なんですが。
#とりあえず、仮に「デザインされた“ゲーム”について、『閉鎖系システム』、とは、『ルール、リソース、ゲームトークンの定義がシステムの運用(プレイ)について閉じた(システム外部の情報参照を必要としない)』デザインがされたシステム」、と定義を詳細化しておこうと思います(仮の詳細化ですが)。

 既存のデザインされた「ゲーム」に関して、水準的な出来栄えの閉鎖系ゲームについては「システム形態とプレイ実態をイコールで結んで構わない。なぜなら、「既存のデザインされた「ゲーム」に関して、水準的なデザインの閉鎖系ゲーでは、ゲームプレイの勝利条件がルールに解釈の余地なく明示されているからです。
 その為、デザインされた閉鎖系システムでは、システムに則り、優れた意志決定を競った結果、ゲームの勝敗が出ます。
 
 しかし、TRPGの“ゲーム”はそうした性質のものではない、って、お話を明確にしたいと思います。アタシとしてはそのために「開放系≠閉鎖系」を活用したいと思います。
 
 アタシが言う「ルール記述が論理的かどうか」がわかりづらいのかもしれませんが。
 とりあえず、「ポーカー(完備情報型ゲーム)や将棋(完全情報型ゲーム)」に使われるルールには解釈の余地がない(多義的ではない)、ってことを「ルール記述が論理的」って言い方で表してる、と思っていただきたいと思います。
 (TRPGのルールに論理的ではない部分が含まれるのは、もっといろいろな特性の原因にもなっているのですが。「閉鎖系ゲーム」との比較で言うならば「解釈の余地が無い」ことが重要ポイントになります)
2001年01月11日:11時37分33秒
【ゲーム論】レギュレーション変更とMTGの閉鎖ゲーム性 / myrt
> いや、むしろ、情報収集が鍵って意味ではMTGに近いかもしれない。
>レギュレーション変更なんかは、非論理的ルールに基づいたランダム要
>素ですしね。レギュレーション変更は、ゲームバランスの変更にはなる
>が、閉鎖系ゲームの崩壊にはつながらないはず。

 この部分はSHiNさんに同意が得られていたと思っていたのですが...

 レギュレーションの変更されたMTGは、変更前のMTGとは別のゲームでしょう。変更後も似たような閉鎖系ゲームになるように調整されていますが。
#もっとも「判定」が必要になる怪しいカードもあるらしい。

 レギュレーションの変更されたMTGと変更前のMTGは閉鎖系ゲームだと 思いますが、レギュレーションが変更「される」MTG、つまり時系列を考慮に 入れたシリーズそのものとして扱う場合は開放系ゲームだと思います

 例えば「この新カードはちょっと強力すぎるので、次のレギュレーション変更では禁止されるだろう」とか「この新カードのために私の打ち立てた 旧戦術がことごとく対応されるようになってしまった!!」いう思考は開放ゲ
ーム的であると思います。

 またSHiNさんの主張される「ゲーム系が拡大した」とは、「あるプレイにおいて、 意思決定の簡単化のためにあるサブゲームの枠を設定した。ところがそれでは不 適切だった ので、さらに大きなサブゲームの枠を設定した」ということだと思います。 そのプレイやそれぞれのサブゲームでなくゲームそのものを分析するならば、 それらすべてを含む さらなる大枠のゲームを定義しなければならないでしょう。
#将棋からの詰め将棋部分の切りとりと同様。もっとも将棋では大枠の上限があるが。
2001年01月11日:10時54分28秒
【開放系/閉鎖系ゲーム】やはりポーカーは完備情報ゲーム / myrt
(Re:2001年01月11日:07時34分28秒【開放系/閉鎖系 ゲーム】 閉鎖系ゲームの定義変更 / SHiNさん)

 SHiNさんは、「そのゲーム」と「そのゲームのあるプレイ」を 混同されているように見えます。

 例えば、将棋は明らかに完全情報ゲームです。ところが例えば コンピュータによる対戦将棋システムを使えば、歩が相手の陣に 到達したら何が起こるか知らないような人でさえプレイすること ができます。さて、これは何でしょうか。

 これは「将棋のシステムを用いた、歩が相手の陣に到達したら 何が起こるか知らないような人が行なうプレイ」です。これを 少なくとも二通りのゲームのプレイとして分析することができます。

1.「将棋」というゲームとして。単に下手なプレイとして分析することができます。 もしかすると常識にとらわれないすごいプレイが含まれているかもしれません。

2.「将棋のシステムを用いているが、参加者は歩が相手の陣に到達したら 何が起こるか知らないような人に限る」ゲームとして。

 2.の立場よりも1.の立場で分析したほうが「将棋」というゲームを学ぶ上、 また「将棋のシステムを用いた」プレイに望む準備として利益が多いように思え ますから、大抵の人は1.の立場で分析することを選ぶと思います。

 また2.のゲームを同じ人が何回もできないことを考えると、2.の立場で分析することのナンセンスさを感じます。そんなヒマが あったら、1.の立場を勉強したほうがそのゲームに対して強く なれるでしょう。

 ただし逆に1.に近い立場で何回もできないのであれば(一回限りの本番のシミュレー ションなど)、また違った立場を考えるべきでしょう。
#そのような場合はあまり完全情報系では組まないと思うが。

 同様のことが完備情報ゲームであるポーカーにも言えるのではないでしょうか。 ポーカーは、さらに制限を加えることにより様々なプレイや派生ゲームの製作 が可能ですが、ポーカー自体は完備情報ゲームだと思います。
2001年01月11日:07時54分02秒
【ゲーム論】 TRPGはマネーゲームじゃない!…っていう話 / SHiN
 
 (鍼原神無さん)
 >もしかしたら、先の投稿は、SHiNさんの投稿に対して、ちょっとピントはずれのこと書いたかもしれません。(ごめんなさい)
 
 えーと、じゃあ、先の投稿はとりあえず無視しておいても良いですかね?(ご推察の通り、私の論旨とはあまり関係ないようでしたので。新しい投稿に集中してレスしたいです。)
 
 (鍼原神無さん)
 >ルール判定にコンピュータが使えるってことは、判定系ルールシステムは論理的に完結してるってことと思えます。(「ルール判定にコンピュータを使う」のですから、ゲームソフトのように、言語記号などが組み込まれてるわけではない、と判断します)
 
 なるほど、そうきましたか(笑)
 鍼原さんのキーワードはどうやら、「論理的に完結している」かどうか、って事みたいですね。
 
 一方、私のキーワードは「恣意的かどうか」、「作為的かどうか」と、「無謬性」です。
 
 ここでは、論理的に完結していないルールを用いると思って下さい。乱数的にジョーカーが増えたりすることもあれば、ある特定の条件が揃ったときにイベントが発生したりもする。現実のマネーゲームで発生するような不確定要素は、全て、再現されると思ってくださって結構です。
 
 そして、ルールブックには、それらのイベントの発生条件や、確率などが全て書き込まれています。現実の事象が、なんらかの物理法則によって生じているように、です。但し、このルールブックを読破するには、1000年以上かかるものとしましょう。その代わり、何ページ目から読むか、もしくは流し読みをしたりするかは、プレイヤーの自由です。全てのルールが、同等に重要なわけではなく、このルールの読み方によっても有利不利が決定されてきます。ゲームを実際に何度かプレイしながら、ルールの重要な部分を策定していくって方法もアリです。また、他人と協力して情報交換をしてもかまいません。ルールブックの読解方法は、特に制限を設けないということです。但し、思考実験上の「約束」として、いかなる方法を用いても、一人のプレイヤーが100%の知識をもち得ることは無いものとします。(他プレイヤーとの比較で、自分がより多い知識を持っているかどうかは、推測可能ですが、全ルールの何パーセントを把握してるかはわかりません。誰も100%の知識をもっていないから、決してわからないのです)
 
 で、これは、「不・完備情報ゲームとしての現実のマネーゲーム」をモデル化したものです。
 
 一方、開放系ゲームとしての「TPRGにおけるマネーゲーム」を、モデリングしてみます。
 (私は、開放系ゲーム=不・完備情報ゲームとは考えていません)
 
 まず、こちらの場合、プレイヤーに与えられる諸条件は上記と同じです。
 但し、判定を行うコンピューターのみ、違いがあります。
 まず、コンピューターにも全てのルールがインプットされていません。たとえば、ルールブックにはきちんと記述されているイベントと、その発生条件が記述されているにもかかわらず、コンピューターが受け付けてくれない場合があるという事です。
 この場合、アピールをして、他の参加者全員が同意をしてくれるか、参加者の一人が同意した上で、コンピューターが乱数判定で許可してくれれば、そのルールをプレイヤー自身でコンピューターにインプットすることが出来ます。但し、思考実験上のルールとして、このアピールをする場合、ルールブックの該当箇所を指し示して行う事は出来ません。
 逆にいえば、このルールと、100%のルール把握をしている人間がいないという特性を利用して、本当は「存在しないルール」を、アピールする(そして新たに付け加える)ことも可能だということです。
 しかし、だからこそ、「たとえ本当に存在するルール」であったとしても、受け入れられない可能性があるわけです。ちなみに、アピールにかけられる時間は、コンピューターが決定します。
 
 さて、このモデリングで、TRPGと現実のマネーゲーム、そしてポーカーなどとの違いがわかっていただけるでしょうか。
 
 
 現実のマネーゲームは、単に、プレイヤーがルールを知らないポーカーと、大差無いのに対し、TRPGはかならずしもそうとは言えないのです。
 
 この決定的な違いは、現実のマネーゲームにおいては、未知のルールブックの読解、つまり「情報収集」が、「ゲーム系の拡大」として処理できるって事です。
 よく、「情報を制するものが世界を制す」といわれるくらい、現実のマネーゲームにおいては、情報戦が重要になってきます。いわば、現実のマネーゲームの場合、株式投資などを通した「ゲーム」は、戦略の実践、つまり、ゲームにおけるダイスロール程度の価値しかないってことです。情報を集めれば集めるほど、成功率は高くなる。が、時にはファンブルもあるってこと。
 
 いや、むしろ、情報収集が鍵って意味ではMTGに近いかもしれない。レギュレーション変更なんかは、非論理的ルールに基づいたランダム要素ですしね。レギュレーション変更は、ゲームバランスの変更にはなるが、閉鎖系ゲームの崩壊にはつながらないはず。よって、MTGも現実のマネーゲームも(「一般的用語の用法」ではなく、その「実質的特性」を考えた場合)「閉鎖系ゲーム」であるってのが、私の見解です。
 
 ところが、TRPGはそうではない。TRPGの場合、情報収集を「ゲーム系の拡大」として定義できない。なぜならその情報の価値は、GM次第だからです。むしろ、本気でゲームに勝とうと思うならGMがいかなる情報を認識してくれるか?もしくは、GMにいかなる情報を認識させるか?という部分に注目するべきでしょう。が、一種の「閉鎖系ゲーム」であり、ゲームをデザインする側としても「それが面白いように」デザインされている情報収集ゲーム(MTGにおいては、カード集めも一種の情報収集になります。現実のマネーゲームにおいて、データだけでは十分に利用できない。処理するためのツールが必要であるのと同じことです)と、GMのご機嫌伺いでは、あきらかに面白さに差がある、誰も、GMのご機嫌とりゲームをしたいとは思わないでしょう。よって、TRPGの場合、情報収集の価値が単になくなってしまっただけでしかないわけです。このモデルは、ゲーム性以外の疑似体験的な部分を削ってあるので、そのことが良くわかるはずです。
 
 結局、TRPGを他のゲームと分類するキーは、未定義リソースが存在するか。つまり、ゲーム中デザインが発生するか、だと思うのです。
 私が、最初、開放系/閉鎖系ゲームという分類に興味を示したのは、「カタイコト=未定義リソースなし」、「ヤワラカイコト=未定義リソースあり」という事を示していると思ったからです。で、少なくとも、アキトさんの論考を見る限りでは、そうも読めると思うのです。
 
 にもかかわらず、ゲーム中デザインの発生しない「現実のマネーゲーム」を開放系ゲームとして認めろという。反論すると、それは、一般的な認識と違うという。ということは、一般的な認識の方が間違っているか、それの利用の仕方が間違っているかでしかないだろうと、思ったわけです。
 
 これが、私が「アキトさんの定義と私の定義が異なる場合、その妥当性を巡る議論はフィフティ・フィフティであると思う」と言った理由です。
 
 私の主義として、非難を受けた後での自己正当化の反論はくだらない水掛け論を招くため、したくはなかったのですが、鍼原さんとはチャットを通じて(理論内容についてではなく議論姿勢についての面でね)既にあるていど和解しているのでその可能性は低いし、やはり、アキトさんの定義が適切かどうか、定義が適切であるとすれば、その理論自体が、TRPGを分析するに妥当であるかどうか、意見する必要性は高いのじゃないかなって思ったので、この点についても明記しておきます。
2001年01月11日:07時34分28秒
【開放系/閉鎖系ゲーム】 閉鎖系ゲームの定義変更 / SHiN
 
 (Crescentaurさん)
 >ポーカーが完備情報ゲームであるというのは、ゲームに参加するプレイヤーはあらかじめルールを知っているものとするからです。実際のプレイの場では、完備情報ゲームとなっていない場合もあるでしょう。
 
 なるほど。ということは、「完備情報ゲーム」というのは、ゲームの「システムデザイン」を分析するための概念というよりも、そのゲームの「プレイされている実態」を示す概念である、という事ですよね?
 
 それじゃあ、そもそも、「閉鎖系ゲーム=完全情報ゲーム+完備情報ゲーム」という定義自体が不適切であったような気もしてきますね。システム形態とプレイ実態をイコールで結ぶわけにはいかないでしょう。
 
 だって、(私たちの定義では)ポーカーや将棋は、常に「閉鎖系ゲーム」のはずなのに、時に完備情報ゲームであったり、不・完備情報ゲームになったりする。これでは論考は破綻します。それとも破綻しない?ここらへんは、鍼原さんの意見をお聞きしたいです。
 
 では、次にみなさんにお聞きしたいのは、この「ホントは情報は完備されているんだけど、プレイヤーがその情報を知らない」という状況での不・完備情報ゲームは、閉鎖系ゲームに含むべきか開放系ゲームに含むべきか?って話です。
 
 現実のマネーゲームは、いわば、この不・完備情報ゲームですよね?
 この「潜在的に情報が揃っている」状況での不・完備情報ゲームも、閉鎖系ゲームに含んでいいような気がするのですが……
 
 すると、私の「現実のマネーゲーム」は、「閉鎖系ゲーム」であり、よって挑戦的要素が存在しうる。という意見が成立する可能性が上がって(※)、私としては嬉しいのですけど(笑)
 
 (※:私が現実のマネーゲームを「閉鎖系ゲーム」に分類したのは、もともと、そのゲーム特性からであり、完備情報ゲームだと思ったからではありません。不・完備情報ゲームなんて概念を知らなかった私は、それも完備情報ゲームのうちであると思っただけなのです。逆に、私は、開放系ゲームの定義として不・完備情報ゲームが含まれるという事に同意はしていません。それらのことは私の投稿の文脈から明らかであり、そのため、閉鎖系ゲーム≠開放系ゲームの定義が崩れているというような批判も受けたほどです。よって、私の本来の主張自体は、今回の完備情報ゲームの概念の変更の影響は受けません)
2001年01月10日:21時35分12秒
TRPG総合研究室 LOG 066 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 066として2001年01月05日から2001年01月10日までのログを切り出しました。



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