TRPG総合研究室 LOG 060
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TRPG総合研究室の2000年12月02日から2000年12月08日までのログです。
2000年12月08日:11時45分41秒
[【TRPGの定義】疑似体験]「快さ」と「TRPGにとっての良さ」と「リアルさ」 / myrt
(Re: 2000年12月08日:03時50分25秒【疑似体験】挑戦的な要
素、挑戦的でない要素 / SHiNさん)
>あとは、嗜好によって差異はあるにしろ、どんな疑似体験でもPLは大抵楽しみますよ。
大方で見ればそうであり、大抵の場合それで片付くことには同意します。
私が突っ込みたいのは「その大抵ってなんだ??」という点
です。「必ず」とか「絶対」というキーワードに過剰に反応するのはそのためです。
私の偏見かもしれませんが、「大抵」におさまるおさまらないそのギリギリの
線に、TRPGの真理とその一番面白いものが隠されていると思います。また、「大抵」
におさまらない一線を発見することは、プレイを「大抵」におさめる上で有用だと
思います。
> ただ、こないだ挙げたような、倫理的に問題のあるケースは、別ですが。
>普通に、「面白いんじゃないかな」って思う程度のものなら、個人差ってそ
>んなに無い。
その点において「なにげない冒険者の日常」は個人差の激しい例だと思います。
例えば私は客観的に考察すると面白いと思いますが、主観的に体験したいとは
あまり思いません。
また、倫理的に問題があるケースはまさに滅多にできない「疑似体験」であり、「疑似体験」を語るなら避けて通ることはできないと思います。PCそのものを
邪悪にする他にも「倫理と名誉の板挟み」なんて方法もあります。
>> 現実に体験する恐怖や、悲しみってのは、体験するの嫌じゃないですか。
>>妬みとかもね。できれば体験したくない。
>> でも、それが疑似体験となると、楽しむ事が出来てしまう。
ここを分析すべきだと思います。疑似体験に対する「快さ」「TRPGにとって
の良さ」「リアルさ」を並列に区別し、どういう状況がありうるか考える。決して「疑似体験の強度」だけで
は語れないはずです。
「PCが切られるとPLも痛覚的にある程度痛いシステム」を考えてみま
しょう。「リアルさ」は高いで
すが、「快さ」は低いです。「TRPGにとっての良さ」となる
と、一概に言えません。
単純に考えればイヤですが、負の報酬と疑似体験性の関連を考えると高い
かもしれませんから。
>そこで得られる疑似体験が不快なものであれば、どんなに優れたゲーム性も、
>意味をなさないって事です。
そうでしょうか。ゲーム性を犠牲にすることによってTRPGを面白く
する方法があるように(事実ゲーム中デザインの必要がある)、疑似体験性を
犠牲にしてTRPGを面白くする方法もあると思います(痛覚システムの排除とか)。
ある一面からTRPGを分析するということは、その面のTRPGに対する利点と欠点を
見究めるということではないでしょうか。
2000年12月08日:08時45分38秒
[【TRPGの定義】疑似体験]物語と疑似体験 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
★この投稿の末尾へジャンプ
>SHiNさんへ
えーっと、、、。
アタシが、もしかして「SHiNさんの意見、GMの恣意性を排除すべきって意見だと考えている」かもしれない、ですが。
アタシ、その辺、まだ判断つかなくて、迷ってるんです。
紙魚砂さんや、Myrtさんへの、本格的なレスが後日あるってお聞きしてるんで、それを読ませていただいてから判断したいです。
今、異論表明とかしたくないんですよね。いたずらに話が迷走しかねない気もして。ヘタすると議論が拡散してっちゃうかも、とも思います。(杞憂かもしれませんけど)
SHiNさんのまとまった意見を読ませていただけることを期待しています。
とりあえず、今段階でアタシがどんなとこに戸惑ってるかだけ、書いてみます。
異論表明ではなく、SHiNさんの書いてること、この辺がアタシにとっては謎です・だからまとまった文書で読ませてもらえると嬉しいです、の希望って感じです。
ちょこちょこいくつかあって、纏まりに欠けるんですけど。
・GMは公共性、プレイヤーは個人的意義
こう考えた方が効率がよい、ってのがSHiNさんの意見でしたけど。
これは論が簡便にまとめられる(利便性)などのことでしょうか。
極論の一種と思ってもよいのでしょうか? (アタシは最初、論の出発点なので、ひとまず、そのように整理される、のかなーと思ってたんです)
アタシも、プレイヤー・も、GM・も、個人的意義を追求してよいと思うんですけど。
結局、各自が追求したい個人的意義をセッションで実現するには、公共性を考慮しなくてはいけなのがセッションってものと思うんです。
そこで裁量権を委ねられたGMの公正さは重要となる。
プレイヤーも、より、公正なマスタリングが実現されるような補佐は心がける・べき、と思います。
「プレイヤーは個人的意義のみを追求してけばよい」とも読めるSHiNさんの意見には疑問を感じています。
アタシには、プレイヤーが公正なマスタリングを補佐できるのも、結局システムへの信頼を基盤にするはずと思えるので。GMへの信頼も、マスタリングがシステムに準拠した公正さを目指している(と思われる限り)重視される、と思います。
ですから、個別セッションでのGM-プレイヤー間の信頼関係、<構造>としては社会契約説みたいなもんです。大げさではなく、「GMの裁量権を認める」とか、そーゆーのは、期間限定、条件限定の社会契約です。
#いうまでもなくTRPGは機械的に一意なルールを適用してる・だけ・ではうまく機能しない性質の“ゲーム”だからです。
この辺が政治ゲームとしての「ルール改変的ゲーム」なのかもしれませんけど。何にせよセッションの実態には近いように思います。
・公正さと恣意性
えーと、「GMの恣意性(勝手気侭さ)を排除すべき」と考えてるのはSHiNさんより、アタシの方かもしれませんよ(笑)。
アタシの方がより、排除すべきと考えているのかもしれません。
アタシとSHiNさんの言葉遣いにちょっとしたズレが通じ合ってないだけかもしれません。
#どっちだかよくわかんないので迷ってます。
SHiNさんが「GMの恣意性が、セッションにおける公正さに亀裂を生じさせる危険性を指摘している」それはわかるんですけど。アタシにしてみれば、「GMは公共性、プレイヤーは個人的意義」って分ける考え方以外でも、危険性、回避する方法は見出せると思っています。
前も書いたので詳しくは繰り返しませんけど、ワールド、シナリオ、セッション展開についての判断は主観的なものも混入せざるを得ないと思います。けど、それらが恣意的(勝手気侭)にならないようにしてくことはできます。
#シナリオもちゃんとしてなくてはいけないですけど。
と、ゆーわけで、アタシはGMの主観的な判断が、恣意性(勝手気侭)に流れる危険はシナリオの妥当な解釈を追求してけば「GMは公共性、プレイヤーは個人的意義」って分けなくともよいと思います(前提としてシナリオの公正さがきちんとしてなくてはならない)。
一方、「GMによる神のロールプレイ」は、正直言うとアタシはピンときません。
前「公正さを心がけるだけでよいなら簡単」って意見がSHiNさんから出て、それはもっともと思うんですけど、「GMの『恣意』がPLの『意思決定の意義や自由』を損なう事が無いように」と言っても「神のようにプレイヤーを愛すように心がけると」言ってもそれは同じ事が言えるのではないでしょうか?
アタシには、「マスタリングの充分な公正さの追求」の方が、シナリオ・システム・ワールドに準拠すれば事後的にチェックしていけるので、方法論が見出し易いようにも思えます。
#「【ゲーム中デザイン】十分に公正なマスタリング」 (TRPG総合研究室 LOG 058,カンナ記,2000年11月28日:10時54分32秒)
「充分公正なマスタリング」で保証されるのは、GMとプレイヤーの自由なコミュニケーションです。
言うまでもなく、自由は勝手気侭とは違い責任を伴うのですが。システムに保証された自由なコミュニケーションがGMとプレイヤーの間に保証されると思います。
・ノリ重視って何?
この辺は、個別議論は避けたいです。きっと話題が迷走してヘタすると拡散しちゃうから。「疑似体験」なりなんなりと関連付けたお話をお聞きしたいです。
アタシ昔から「ノリ重視」の意見が、何求めてるのか今一わからなくって。
最近、他所のサイトでちょっと読んだんですけど。
「他のプレイヤーとの会話が弾む、笑いを取れる、などなど。いわゆる『ノリ』とも言います」って意見を見ました。これは了解コミュケーションの在り方のもんだいとして理解できます。
それとは別に「高いイメージ了解度を前提にした、間髪いれぬやりとり、高速のセッション展開」のことをノリ重視って言ってるとしか思えない人もいて。こっちはセッションを重ねるに連れメンバー間での共有度・了解度をあげてくのが一番と考えています。
結局「ノリ重視」ってどっちのことなのよー。それとも両方を統合した何かを求めてるの?
この辺がアタシにはわかりません。
でSHiNさんが言ってるのは多分前者のことなのね、って思ってます(でもちょっと自信ないです)。
・感情移入って何?
これも、ノリ重視と同じく、個別の議論は避けたくって、関連付けた議論をお聞きしたいです。
「感情移入」ってのも困った言葉で。詳しくは書きませんけど、世間でも少なくとも3、4通りくらいの違った意味が「感情移入」の一語で表されて、それぞれ(文脈に応じて)普通に通じると思います。
SHiNさんが「TRPGセッションでの感情移入」を言ってられるはず、なのはわかるんですけど。関連投稿でも、すでに1「ゲーム世界への〔プレイヤーの〕感情移入」と、2「物語内キャラクターへの感情移入(こちらはプレイヤー中心のものと仮想のPC中心のものとあると思います)」が言及されてます。
で、これもノリ重視と同じように、何か統合したメカニズム・セッションでの機能みたいなものが想定されてて、これから論じられる予定なのかどうか、その辺興味持ってます。
#ちょっと、ついでっぽいですけど。
#>「瀕死の少女」の例ですけど(笑)、彼女に対する感情移入の存在なくしては、彼女のために何かをするという行為が、十分に良い擬似体験を生む事は無いでしょう。
#これは、そうとは限らないと思います。
#「彼女=NPC」に対する感情移入などなくとも、物語状況・展開と関わるPCについての理解があれば、観客(=GM&他のプレイヤー)にとっての、良い疑似体験を実現すること・も、できます。
#で、担当プレイヤーは自分が関わった物語表現が、他のプレイヤー&GMに届いた手応えがあれば、達成感を感じる、ってことはあります。←このとき担当プレイヤーが感じる達成感をSHiNさんが疑似体験とみなすかどうかはわからないですけど。
#別に感情移入をTRPGの楽しみから除外するつもりはないです。
#ただ、実践論としては、感情移入より臨場感(の表現)の方が重要と思います。
#「臨場感(の表現)」の結果、セッション中のあるエピソードについての感情移入が深まるなら、それに越したことはないとも思いますが。実践論を念頭におくなら、「臨場感(の表現)」が伴わない感情移入は、他に伝わらないし、弊害も生じると思いますので。
#特にプレイングの実践論を考えるときは「感情移入」は目的化せず、表現の副効果と置いた方がよいです。つまり、プレイングが上手くいったときは、「感情移入」・も・深まると見なした方が信頼性のあるプレイング技法が考えられるはずです。
・疑似体験
疑似体験は、ノリ重視や感情移入と比べると、SHiNさんが話してられるのは、TRPGについてよく言われるアレのことだな、って理解はしやすいです。
ただ、結局SHiNさんの言われる感情移入やノリ重視がどんなものだか、もやーっとしかわからないので、「疑似体験」のイメージもアタシの中で今ひとつあやふやです。
SHiNさんの方向性はわかる気がするのですが。こっからどーゆー実践論体系が出てくるのかちょっと予測しきれません。
例えばアタシは「なにげない冒険者の日常生活の疑似体験」がセッションであっても、それだけでは面白いとは思えません。
まず、「架空世界の疑似体験ができた方がセッションの面白さもレベルアップする」、ってゆーのはわかります。
それでも「冒険者の日常生活」は「プレイヤーにとっての非日常」でなくてはいけないと思います。
後はやっぱり物語との関係です。
アタシ的には、「物語的な冒険(挑戦)の予感」がなければ「日常生活シーン」もつまらないはずと思います。結局、日常シーン、物語的な冒険なりゲーム的な挑戦なりの構成要素になってはじめて面白いと思います。
#例えば、「PCにとっての恋愛」がPCにとってもプレイヤーにとっても挑戦(冒険)になるなら、それはおもしろいと思います。しかし、それはいわゆる日常の疑似体験・だけ・ではない。
#ちょっとハショッた言い方になりますが、TRPGの“本質”は比ゆ的に言って、「挑戦(意思決定)×α」であって、「挑戦(意思決定)+α」ではないと思います。
#ですから、「〔物語的な疑似体験〕で挑戦的要素は特別重要視されてないので、時には、ルール無視も是とする、ってケースも成立し得た」←コレはやっぱりおかしーと思います。
TRPGでの疑似体験は、アミューズメントパークにある観覧車式のものと比べればもっとインタラクティヴだし。今はまだ発展途上のヴァーチャルリアリティ系の娯楽に比べれば、ずっと刺激が乏しく、その分微妙な想像力を刺激するものでなければならないと思います。
そーゆーわけで、「冒険者の何気ない日常生活」TRPGのセッションであっても、それ・だけでは面白いと思えません。
・とりあえず今のアタシの「疑似体験」理解はこんな感じ
アタシには、「ゲーム的な擬似体験」と「物語的な擬似体験」は、それぞれセッションで交わされるコミュニケーションメカニズムの違いに基づくと思えます。
「ゲーム的な疑似体験」は分かり易い例・だけ・を挙げるなら、「目標値nで3D6」して、といった性質のコミュニケーションの応酬を通じて体験されます。
「物語的な疑似体験」は、典型的には、セリフを含んだやりとりの解釈で体験されます。
これらは、極端にわかり易い事例を挙げただけで、実際のセッションでは、両者の性格を兼ね備えた複合コミュニケーションが、ほとんど――、控えめに言っても過半であるはず、との理論的推測が成り立ちます。
#メカニズムの分析は実践の基礎論として重要なので書いているのですが。
「ゲーム的な擬似体験」と「物語的な擬似体験」を統合的に考える視座はあると思います。
ただ、それはコミュニケーションの在り方を考えなければ整理できないものと思います。
#「馬場講座」がマスタリング実践論としても偏頗なのは、「マスタリング講座」のクセにGMの語りや演出の技法が整理されてないから、なんですけど。こうしたGM技法も含めてコミュニケーションのもんだいと思います。
で、セッションでのコミュケーションの在り方についても含めて考えようとすると、「GMは公共性、プレイヤーは個人的意義」って考え方は、やっぱりアタシにとっては謎となってきます。
これが、「マスタリングスタイルの一手法の考え方」ならば、わかります。
そーゆーのに適したシナリオと、そうでないシナリオとがある、って話になると思います。
汎用的なマスタリングの考え方だとしたら、ある種極論なのか、まだ語られてない先があるか、のどちらかのように思えます。断定してるわけではありませんが。
以上いろいろ書いたようなあれやこれやが、もやもやっとしてて、よくわかんない。迷っているところです。
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2000年12月08日:08時20分58秒
[TRPGの定義]共有と了解(Re:共有できるものとできないもの) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Myrtさんへ
>「自然言語などよるある程度の意思疎通手段を持つ」とか言い出すときりがないですね。
>#しかし、究極的にはここに帰ってくるような気も。
うん。そうなんですよね。アタシもそう思います。
結局、「TRPGはゲームである」、だから「ゲームのルールは(普通)論理語で記述・構成されてる」、だから「一意に正しい/間違ってるだけが判断できる」
、、、みたいな思い込みが過ぎると、「どこまでわかっていないかということをわかること」って発想が出てこないんだと思います。で、それがいろいろなトラブルの遠因になってると思います。
なので、「『システムに含まれる一意な判定系をシミュレーションシステムに類比し、ワールドなどをそこに注入するデータアーガイブに類比する説』は、TRPGシステムの一面を表してはいるけど、表してるのはあくまで一面にすぎない」って、ことを言うのにも意味があると思うんです。
アタシ的には、「言語表現(言語システム)であるワールドに論理システムである判定系も含まれてる」のがTRPGシステムとみなした方がよい、と思っています。
TRPGシステムは、全体としては、ある架空世界ではどんなことがあり得る世界か、を表現してるわけですけど。判定系は、特に何をすればどんな結果が生じ得るかを論理的に記述しているのだと思います。
判定系が記述するものは必ずしも「物理法則」だけとは限りません。言うまでもなくキャラクター間の交渉ルールや、社会的ステータスや人間関係を判定するルールを持つシステムもあるからです。で、上のような言い方(「何をすればどんな結果が起こり得るか」)になります。
「ワールドに判定系が含まれる」とは以上のようなシステムの機能を要約的に述べた結果です。
◆実践的
>お互い相容れない(共有できない)点について認めあい、うまく処理する知恵も必要だと思います。理解しあえるかもしれない場合でも、所要時間と重要性に相談して脇に追いやるとか。
こっちは、実践の為に、考え方のうえで「ゲームプレイ」と「セッションプレイ」を分離して考えてくことだと思います。
#「プレイスタイルの違いを踏まえて求める先」(寺田大典さん記)を参照されたし
そしてセッションプレイの司会・進行権もセッション中はGMに委ねられる。
実践としては当たり前と思います。が、ここで、セッションプレイとゲームプレイの切り分けが甘いと、ゲームとしての正統性をめぐる議論などにGMも巻き込まれがちで。
GMも実践上は、ゲームプレイとセッションプレイを分離して、場合によっては「セッション時間には限りがあるので、議論はセッション後(または別の機会)にしましょう」と断固として言うべきと思います。
◆基礎論的
「お互い相容れない(共有できない)点について認めあい」
同じシステムを遊んでるなら、理論上は「共有できない点についても了解は可能」、と考えた方がよいと思います。詳しく言えば「妥当な解釈同士なら、観点によってシステムに含まれる要素への比重の置き方が違う解釈間でも了解は可能」ってことです。
#例えば、システムに関して言えば「妥当な解釈同士では、要素間の機能関連の把握は同型」と考えられます。
アタシが「システムの多義的な側面の妥当な解釈」に拘るのはそのせいなんです。
「共有できない点」と言うより「解釈の相違が了解される可能性」を認めることを第一歩にするとよいと思っています。
#ここで、「ワールド表現(ワールド記述に表現されたもの)の<構造>を共有する」とか言うとなんかあまり評判良くないみたいなんですけど(困笑)。要するに「解釈の相違が了解される可能性を認める」ってことの理論的裏付けにすぎません。
#「解釈の相違が了解される可能性」が考えられない場合、セッションは不毛な展開になるか、近似な解釈の者同志だけでしか遊べない間口の狭い遊びにしかならないと思えます。
「妥当な解釈」って言っても、実は、具体的にはルールブックの構成や記述・表現の出来・不出来にも左右されちゃうのが困りどころなんですけど。(それで「理論上は」ってつけざるを得ないんですけど)
判定系は将棋やチェスのルールのような論理的な「ルール」だけど、ワールドは、表現としての一面も持つ“ルール”だ(“ルール”としての性質が違う)。
だから当然トータルに関わることには、解釈の余地がある。ただし、「解釈の余地がある」とは、勝手気侭にどうとでも読める、って事ではない。
で、ここで実践Tipsに話を転じると、それぞれのシステムについて、GMが「システムのコンセプトについての概要」と「ゲームシステムについての概要」をそれぞれ要約整理してくことはできると思っています。
特に前者についても、妥当な解釈の範疇で「要約整理」して提示することはできると思います。
#と、ゆーよーなことを考えて、先日事例を挙げてみたわけです。
#「システムコンセプトについてのレジュメの事例〔『ブルーローズ』(仮題)α4.2版〕」
#「プレイングの参照用レジュメ」 (「セッション前配布資料の事例と考え方」,カンナ記,セッション運営研究室,2000年12月05日:10時35分40秒)
#この投稿、ちょっと話題がループ気味だったかもしれませんけど。
#アタシとしてはそのように考えています。
2000年12月08日:03時50分25秒
【疑似体験】挑戦的な要素、挑戦的でない要素 / SHiN
(myrtさん)
>目が醒めました。「なにげない冒険者の日常生活の疑似体験」がつまらないと 考える人がいるくらい、「(GM、PLどちらかにかかわらず)設定された目標に向かうゲームがつまらない」と考える人が(当然逆の人も)いる、ということですね。
うーん、間違っては無いんですが、なんでそんなネガティブになりますか?
「設定された目標に向かうゲームが面白い」ように、「なにげない冒険者の日常も面白い」ってことです。
実際、この「非ゲーム的」な部分の疑似体験が楽しめないと、TRPGのセッションの面白さなんて、単純に言って半減すると思うんですよ。だって、半分くらいはそういうシーンでしょう?
(myrtさん)
>だから、「PL自身で設定した目標に向かっていれば必ず良い疑似体験ができる」というのも厳しいと思います。「自分で設定したんだから文句言うな」というのは有効だと思いますが。もちろんGMが御膳立てすることは可能ですが、そのため には「PLの喜ぶことはなんでも知ってる」レベルの自信とそれを裏打ちする技術が必要だと思います。
はっきりと言っておきますが、私は、自己正当化のためのTRPG論を語るつもりはありません。
但し、自己責任の意識をPLに与えるのは、より良い疑似体験を得る事につながるので、悪い事ではないでしょう。
で、良い疑似体験をPLに与えるのに、PLの嗜好を知りつくす必要はないと思います。
そこまでするのは不可能ですしね。
一応、GM側がお膳立てしなきゃならない範囲は、「実感」というレベルと「リアリティ」だけです。
あとは、嗜好によって差異はあるにしろ、どんな疑似体験でもPLは大抵楽しみますよ。
ただ、こないだ挙げたような、倫理的に問題のあるケースは、別ですが。普通に、「面白いんじゃないかな」って思う程度のものなら、個人差ってそんなに無い。
現実に体験する恐怖や、悲しみってのは、体験するの嫌じゃないですか。妬みとかもね。できれば体験したくない。
でも、それが疑似体験となると、楽しむ事が出来てしまう。
だから、GMが気にするべきは、「実感」のレベル、いわば「疑似体験の強度」だけですかね。
自己責任を負わす、ってのは、この強度を挙げる方法の一例です。
また、「挑戦的な要素」が好まれるのも、単純に、この疑似体験の強度を安直に高める事が出来るからだという側面もあるでしょう。が、非挑戦的な要素にだって、疑似体験の強度を高める方法は、それなりにあると思うのです。まあ、この話は別の機会に。
(myrtさん)
>私も「ゲームの舞台にあった」という卑怯な言い回しを用いていますね。参加者全員が不快に感じないなら、なりうるでしょう。
別に卑怯とは思いません。ゲームの舞台にあってれば、参加者が不快に感じるケースは無いだろうって意味でしょう?
でも、あえて私がこれを問うたのは、「目標」における疑似体験の影響の大きさを指摘したかったのです。そこで得られる疑似体験が不快なものであれば、どんなに優れたゲーム性も、意味をなさないって事です。
2000年12月07日:11時42分39秒
[TRPGの定義]共有できるものとできないもの / myrt
(Re:2000年12月05日:10時43分17秒 [TRPGの定義]判定系システ
ムとワールドの関連 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん)
>参加者間の共有・度が低い状態で、最低限の共有・度って何かって
>考えて、文字にしてくと結構多岐に渡ると思うんですけど。
「自然言語などよるある程度の意思疎通手段を持つ」とか言い出すときりが
ないですね。
#しかし、究極的にはここに帰ってくるような気も。
> 細かい点でも「あー、そーゆーの(プレイング・マスタリング)もありなのか」、
>とか「こーゆーのはナシだよね」とか了解されてけば、よい、と思います。
そこで大切になるのが、「アリ」「ナシ」についてどこまでわかっていないか
ということをわかること(無知の知)だと思い、前回の主張をしました。
> また了解度、共有度を相互作用で推し進めてこう、って意識が書く
>参加者にある場合は、セッションうまく行く公算増えるだろうなっ、
>とかも思うんですど
また、お互い相容れない(共有できない)点について認めあい、
うまく処理する知恵も必要だと思います。理解しあえるかもしれな
い場合でも、所要時間と重要性に相談して脇に追いやるとか。
#しかし最後まで気になるのはその点だったりする。
2000年12月06日:12時26分05秒
[【TRPGの定義】疑似体験]Re:物語と疑似体験 / myrt
(Re:2000年12月05日:20時18分18秒 [【TRPGの定義】疑似体験]物語と疑似
体験 / 匿名希・望さん)
>まあ実際、「完全に」疑似体験を排除するようなシステムにはお目にかかった
>ことがありませんから、疑似体験の枠内で分析できるというのは一面としては
>正しいです。
SHiNさんはまさにそういうことを試みられていると思います。TRPGの
システムを「全て」分析できる立場なんて見たことがありませんし。
#あれば、それ以外の立場はすでに淘汰されているはずだ。
>俺の「話を面白く」というのも、そういった解決策を出すための観点である
>のは同様です。 ただ、「疑似体験」に絞ってしまうと見落とされる要素が多
>いと感じるからこそあえて異を唱える訳です。
逆に「話を面白く」に絞ってしまうと見落とされる要素が「疑似体験」という
視点に多々含まれていると思うのですが。これらは並列に論じられるべきですが、片方を完全に含んでしまうようなものではないでしょう。
2000年12月06日:12時22分37秒
[【TRPGの定義】疑似体験]本当の目的とイデア / myrt
(Re:2000年12月05日:11時29分43秒 【疑似体験】表層の、仮の、本当の目的 / myrt)
私の主張した「本当の目的」ですが、これは哲学で言う「イデア」のようなものを
想定しています。概念的に確かにあるのだが、つかみどころがないもの。
これを直接扱うことは難しいと考えています。
プレイを通じての「本当の目的」に対する不完全な観測から、それにより合致し
た「表層の目的」を立てる作業。GMがあらかじめ決めておらず、PLがプレイ中に
目的を立てるというのはこのようなことだと思います。こう捉えるとこの作業が
疑似体験とゲームの両視点から面白いと考えています。
変更が可能で、不必要にPCを束縛せず、それでい
てPCをエキサイティングな立場に導いて「本当の目的」に近付く
助けになるような、そんな「表層の目的」があれば最良なのではないでしょうか??
2000年12月05日:20時18分18秒
[【TRPGの定義】疑似体験]物語と疑似体験 / 匿名希・望
・SHiNさん
>その場合、擬似体験だろうと話しを面白くだろうと、関係ないって事です。
>
>個人的観点をベースとした場合、良い擬似体験の積み重ねは面白い話を生み出しますし、面白い話は良い擬似体験を生み出しますからね。
>(中略)どちらかだけを重視する事は不可能だし、どちらかだけをないがしろにする事も不可能です。
>だから、これ以上、「擬似体験」か、「面白い物語」か、って議論をする意味は無いでしょう。
いや、疑似体験は確かに物語の重要な要素でしょうが、決してそれのみが物語を構成している訳ではないと思います。
俺の主張は「物語か疑似体験か」の二者択一ではなく、「物語の要素の一つとしての疑似体験」です。
ですから、別に疑似体験をないがしろにしているわけではありません。
>が、私は、基本的に私の主張に反したスタンスのTRPGというものは、事実上皆無であり、娯楽以外の目的を持ったもので無い限り、「擬似体験」という枠内で評価・分析が可能であると考えているのです。
>
>この点に何処まで同意していただけるか、興味があるところです。
ですから、この点にはちょっと同意しかねます。
確かに疑似体験が重視されるスタンスのTRPGは多いです。
ただこれはPLとPCが一対一に対応し、感情移入を高めるスタイルのTRPGが主流であったから生じた「偶然」だと考えます。
ちょうど、
>「冒険小説」の世界は、挑戦に満ちており、そこで求められる擬似体験はもちろんそう言ったものになるでしょう。
>既存のTRPGのほとんどは、こういうタイプなので、この形が唯一無二のプレイスタイルだと誤解されることもありえます。
となったのと同じような理屈です。
まあ実際、「完全に」疑似体験を排除するようなシステムにはお目にかかったことがありませんから、疑似体験の枠内で分析できるというのは一面としては正しいです。
ただし、疑似体験でそのゲームの「全て」が分析できるとは思ってません。
>擬似体験を重視せよ、というのは、いわば「セッション中のさまざまな要素」を、それらがセッションに与える影響を考慮し、その利点を最大限にいかし、欠点を最小限に留めよという意味です。
>誰もが当たり前に理解している事のはずなのです。
>が、TRPGはあまりに複雑すぎて、時にその当たり前が、当たり前でなくなってしまう場合がある。
>そんな時、「PLの擬似体験」という観点から判断を行えば、妥当な解決策が得られるであろうという、提言なのです。
俺の「話を面白く」というのも、そういった解決策を出すための観点であるのは同様です。
ただ、「疑似体験」に絞ってしまうと見落とされる要素が多いと感じるからこそあえて異を唱える訳です。
例えば、他のPLのウケを狙う行動というのは疑似体験からは言及できません。
また、疑似体験を軸にすると完全にPCと離れたPL視点からの行動(例えばNOVAの登場判定)をすべて「付け足し」にしてしまう恐れがあります。
ひょっとしたら将来現われる疑似体験を全く考慮しないRPGに言及できなくなるかもしれません。
俺が疑似体験を採用しないのはそう言う訳です。
2000年12月05日:11時29分43秒
【疑似体験】表層の、仮の、本当の目的 / myrt
話が錯綜しているのは、目的の分類が混乱しているからではないでしょうか。分けてしまえば、実は「疑似体験」とTRPGにおける「ゲーム」要素の目的の
差はあまりないような気がします。
ある騎士のPCがいるとします。彼の表層の目的は、「騎士としての栄
達」であるとします。この表層の目的は、GMやPLがプレイ前に設定したと
しましょう。
さて、「悪いドラゴンが姫君をさらっていったぞ!!」というシナリオを
想定します。この場合、表層の目的を達成するために「悪いドラゴンを
やっつけて姫君を救い出す」という仮の目的を立てることが考えられます。
仮の目的を達成すれば、表層の目的により近付くでしょう。
ところが、プレイ中に「悪いドラゴンは不死身である」という事実が判明すれば
仮の目的を考えなおす必要があります。「悪
いドラゴンを一時的に追い払い、姫君を助け出す」なんて
いいですね。表層の目的が達成されるなら「姫君を助け出す」必要
すらないかもしれません(そんな方法あるんだろうか)。仮の目的変更プロセスは、一般のゲームでもよくある話です。
さて、なんとか「姫君を助け出す」ことに成功したとします。しかし、(その場のノリなどにより)姫君がその騎士に惚れてしまい、二人で
駆け落ちする羽目になったとします。表層の目
的「騎士としての栄達」に反しますね。駄目なのでしょうか。
いや、そんなことはないでしょう。プレイ中に本当の目的「個人としての
幸せ(??)」が形成され、それが表層の目的を変更してしまったの
です。プレイ前の段階からシナリオや「信頼」の複合要素としてすでに
GMも知らない本当の目的が形成されていたともとらえられますが、途中で
デザインされたと考えるほうが自然でしょう。
この本当の目的にそって
表層の目的をデザインしなおすプロセスは、ゲームで仮の目的を変更する
プロセスと同種の楽しみがあると考えています。「瀕死の少女」の例は、
そのプロセスが仮の目的に抵触しなかった(想定していた範囲と違ったので新規
デザインの必要性が生じた)例だと思います。
「目的さえ達成できればok」というのはゲームの持つ特徴のひとつ
です。「12月までA地点を確保すれば勝利」というようなWSLG
で、「友軍が全滅しようが、町が焦土と化そうがok」という本末転倒な
展開はよくあります。それはそれで面白いのですが、TRPGが柔軟
で「やっぱり、町が焦土と化したらマズいだろう」というような対応も
可能であることには何ら問題ないと思います。
2000年12月05日:10時43分17秒
[TRPGの定義]判定系システムとワールドの関連 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@myrtさんWrote (「【ゲーム中デザイン】『了解・度』のギャップ」,TRPG総合研究室 LOG 059,2000年11月28日:12時23分57秒)
#Myrtさんへ、ちょい今の話の展開に送れたレスですが。
>「共有・度」が低いこと自体が楽しめることもあると思います。〔中略〕お互いの解釈をすりあせる過程が重要になりますので、ここで「了解・度」が必要になるのでしょうか。
うん。
参加者間の共有・度が低い状態からのスタートを楽しめることはありますよね。
参加者間の共有・度が低い状態で、最低限の共有・度って何かって考えて、文字にしてくと結構多岐に渡ると思うんですけど。
多分、大まかなPCの立場(ワールド関連)とか、PCの死に易さ(判定システム関連)とか、基本判定に際しての目標値の意味(判定システム関連)とかが必要最低限で、他に何をいれようか、って考えてくとどんどん増えてくと思います。
結局シナリオ傾向(キャンペーンだったら最初のシナリオの傾向)によって他に何が必要か絞らないとならないのではないかしらん(?)。
(これは考える価値はあることと思うんですけど、実践としては「セッション運営雑談所」向けのお話でしょうか)
了解・度の方は、とりあえず、セッションを通じて深めてくんだと思うんです。(いや狭義のシステム理解の共有度だってセッションを通じて高めてくんですけど)
細かい点でも「あー、そーゆーの(プレイング・マスタリング)もありなのか」、とか「こーゆーのはナシだよね」とか了解されてけば、よい、と思います。
えーっと、アタシの方で「共有」と「了解」をどう使い分けたいかとゆーと。
システムの一意な判断が成り立つ部分についてが「共有」。
多義性や示差性による解釈妥当性が確認されるべき部分についてが「了解」。
、、、と使い分けたいです。(自分の投稿読み直しみるとアタシもまだ混乱してる個所ありますね:困笑)
で、まー、そのように分けてみると、共有度が低い場合は了解度も浅いはずですけど。かえっていろいろな解釈(妥当でないものも含めて:苦笑)が並立してるはずなので、必然的に、セッション前にもある程度の共有度(様々な解釈の接点になる部分)が模索されないとマズイ、って必要性も増す、と。
アタシはこの辺、GMさんが簡単なハンドアウト用意してリードするとよいと思って実践してるんですけど。サークルなんかではそこまでしなくてもよいのかもしれませんね(?)。
ところでTRPGの定義っぽい話。
えーっと。ときどき「システムに含まれる一意な判定系をシミュレーションシステムに類比し、ワールドなどをそこに注入するデータアーガイブに類比する説」があるんですけど。
これTRPGシステムの一面を表してはいるんですけど、表してるのはあくまで一面にすぎません。
例えばガープスの諸システムなんかが上のようにみなされがちと思います。理由はわかるんですけど。
#アタシは、理論的には「ガープス・妖魔夜行」と「ガープス・リング☆ドリーム」は別システムってみなす立場です。ですので、「諸システム」って言い方になります。
#実際は、、、「妖魔夜行」の妖怪キャラに「リン★ドリ」専用の「勝ち気(−10CP)」を持たせたりもすることありますが(苦笑)。(でも、アタシ、ちゃんとGMの許可仰ぐもん:笑)
ガープスの特徴ルールはCPって数値データの側面と、示差的な言語表現の側面との両面を持ってます。
後者を定性データって言い方で済ませようとする人もいますけど。示差性に基づいて多彩な意味を生み出すものを「定性・データ」って呼ぶことには無理があると思います。
#データだったら、その意味味は一意に定まるはずで、示差性で新たな意味を生じたりはしないはずです。
#ところが、特徴ルールはキャラシー上でいわゆるコンボを形成すると、解釈によって新たな意味を生じることも許されます。これプレイングだけでなくってマスタリングにだって関わるんですよね。
で、まー、システムのコンセプトについて、了解度及び共有度が深まったり高まったりするのは、セッションがうまく行ったときの副効果かな、と。
また了解度、共有度を相互作用で推し進めてこう、って意識が書く参加者にある場合は、セッションうまく行く公算増えるだろうなっ、とかも思うんですど。
>ギャップがあると「当然できると思っていたことができない、もちろん自分のミスではない」ような事態が発生し、理不尽な仕打を受けた気分になると考えています。このようなときは例え行動が認められても、なんとなく嫌な気分になりますし。
うん。その気持ちはわかります。
これはマスタリングってゆーか、セッション運営の実践Tipsで、ある程度フォローできると思います。
前、Myrtさんが言われたTips(パラノイアとかのヤツ)の発展形って感じなんですけど。昔、LABOでシステムのテーマとかの話が出たときはレジュメの具体例までは話進まなかったので、ちょっと「セッション運営研究室」に書いてみました。
「セッション前配布資料の事例と考え方」 (カンナ記,2000年12月05日:10時35分40秒)、です(たまには実践の話もしないと:苦笑)
2000年12月05日:03時15分35秒
【疑似体験】(re2:良い疑似体験とは?? ) 感情移入と目的決定のエキサイティングさ / SHiN
>myrtさん&紙魚砂さん
ちょっと、本格的なレス(後日にします)をする前に簡単に。
エキサイティングな…といいますが、自分で何かを決断するっていう事自体に、ある程度の「エキサイティング」さが存在すると思うんですが。
その内容が自分自身にとって重要かつ興味深いものであればあるほどね。
(紙魚砂さん)
>#セッション開始前に決める「目的」は、PLが決めてもGMが決めてもあまり差はないと思います。
私もそう思います。たとえば、セッション開始以前に、PLから「シナリオの目的」を募集して、それに合わせてシナリオを創っても、実はあまりエキサイティングにはならないと思います。嗜好に合致しやすいって事はあっても、それだけではエキサイティングじゃない。
それは、PLにとっては、別に「たかが遊びのTRPGで、どんなシナリオやろうがたいした問題じゃない」からでしょう。
セッションが開始され、PLがゲーム世界への感情移入を深めていって初めて、そこで決断する事(目標を決定すること)に意義が生じてくるんだと思います。
こないだから何度も出てくる「瀕死の少女」の例ですけど(笑)、彼女に対する感情移入の存在なくしては、彼女のために何かをするという行為が、十分に良い擬似体験を生む事は無いでしょう。
よく、PCとPLは分離した存在であるべきだと言われます。それは確かにそうなのですが、「目的」という意味では、両者が一致した方がよりセッションを楽しむ事が出来ると思いますね。TRPGにおける擬似体験度が、最高に高まった瞬間と言えるでしょう。そういう意味での「同一化」だったら、なりきりプレイもいいんじゃない?(笑)
(sf:依頼により古いものを重複削除しました)
2000年12月05日:02時39分35秒
【疑似体験】RE:疑似体験とキャラの目的とゲーム中デザインの関連 / SHiN
>紙魚砂さんへ
基本的な発言主旨に対しては、ほぼ賛同いたします。
また、可変リソースという概念は、TRPGのゲーム性(将棋などよりもマルチプレイヤーゲームのそれに近い)において重要な概念だと思います。
既存のシナリオ作成法のほとんどは、コミュニケーションの必要上、「他者に自分のシナリオを伝える」という形のものを模範として解説しているため、「PCが自身の目的を策定する」というプレイスタイルには、不向きなんですよね。
目標が常に目標であるとは限らない。
障害が障害であるとは限らない。
私の主張(そして紙魚砂さんの主張)を十分に伝えるには、そういったシナリオ作りのノウハウを、どうやって伝えれば良いのか、という問題は避けて通れないと思うのですが、なかなか簡潔には説明できないですね。(これまでも何度か簡単には触れてきたのですが)
(紙魚砂さん)
>#まあ、自分で目的を決めることが出来ない人や、苦手な人、嫌いな人もいるので、そういう人には向かないでしょうけど。
確かに。
が、GMは、その助力が出来ると思います。
鍼原さんあたりの私へのレスを読むと、もしかして私がGMの恣意性を排除すべきだと考えているような気がするのですが、だとしたら誤解です。
GMの恣意性が、セッションにおける公正さに亀裂を生じさせる危険性を指摘しているだけで、GMの恣意的行動自体を否定しているわけでは無いのです。
私は、GMは、PLが自ら目的を選び取るために、恣意的なマスタリングやシナリオ作成を行うべきだと思っています。が、そのために必要なGMの権限は、悪く使うと、PLのセッションに対する意欲や、自分で目的を選び取るための自由意思を阻害する可能性があると、指摘しているだけなのです。
そのための指針が、「GMは神のごとく中立に、そして神のごとくPLを愛せ」という事です。
「神のロールプレイ」として題して説明したのは、そのためのGMの権限と制限について語ったものなのです。
2000年12月05日:02時20分50秒
【疑似体験】re:良い疑似体験とは?? / 紙魚砂
>myrtさん
>疑似体験の楽しみの要素として、「どれだけ主観的にその立場になるか」と「その立場がいかにエキサイティングであるか」があると思いますが、これらと「PL自身が目的を設定すること」は直接関係ないと思います。
なるほどー。そうですねえ。
何というか人に目的を決められるというのは、たとえ決断までの紆余曲折を体験できると言っても、どこかの家の長男があれこれいろいろ悩んだ末に結局家業を継ぐみたいな不自由さを感じて嫌ですね(笑)。
その紆余曲折の過程までやらせてもらえるんならいいんですけど、普通やらせてもらえない。
過程が大事ですかね?
ちなみに「PCが目的を決めること」は常に主観的ですので、「PL自身が目的を設定すること」は、その過程自体がPCの主観の疑似体験になっていると思いますけど。
#一応、PCの目的がセッション中のいろいろな過程を経て決定される場合について言っています。
#セッション開始前に決める「目的」は、PLが決めてもGMが決めてもあまり差はないと思います。PLはPCのイメージは知っていても、背景となる舞台について知らない状態でセッションに参加することが多いと思いますし、GMは背景世界のすべてについて知っていてもPCの人となりの深い部分については知ることが出来ませんので、いずれにしろ材料不足。
2000年12月05日:02時13分05秒
【擬似体験】話を面白くすると言うこと、そしてプレイスタイルの違いとは? / SHiN
(匿名希・望さん)
>一応、俺の「話を面白く」というのも個人的な判断が基準になってますよ。
なら、結構です。
その場合、擬似体験だろうと話しを面白くだろうと、関係ないって事です。
個人的観点をベースとした場合、良い擬似体験の積み重ねは面白い話を生み出しますし、面白い話は良い擬似体験を生み出しますからね。
a1+a2+a3+a4+a5+a6+a7+a8+a9+a10=A
って事ですね。
a1、a2といった、ひとつひとつの「ax」は、擬似体験を意味します。そして、集合「A」は物語を。
どちらかだけを重視する事は不可能だし、どちらかだけをないがしろにする事も不可能です。だから、これ以上、「擬似体験」か、「面白い物語」か、って議論をする意味は無いでしょう。
が、ただひとつだけ、私と匿名希・望さんの考え方には決定的な違いがあるかもしれません。
それは、匿名希・望さんは、「TRPGは話を面白くする事を目的としたゲームである」と、考えているのでしょうが、私はそうではないって事です。
私は、「TRPGのセッションでは、擬似体験という要素が全般的に大きく影響する」と、認識しているだけです。
匿名希・望さんは、一つのプレイスタイルとして考えておられますよね。「自分は採用しないだけで、違う考えは認める」と言う表現で以前おっしゃられていました。「俺的には」という注釈も良く用いられていましたね。「個人的にはそう思う」というスタンスを、一貫して保持してらっしゃったようにお見受けします。
が、私は、基本的に私の主張に反したスタンスのTRPGというものは、事実上皆無であり、娯楽以外の目的を持ったもので無い限り、「擬似体験」という枠内で評価・分析が可能であると考えているのです。
この点に何処まで同意していただけるか、興味があるところです。で、そのために、「TRPGのプレイスタイル」について考察してみたいと思います。
よく言われる『TRPGのプレイスタイルの違い』というのは、大別して二つあると思います。
一つ目は、プレイ目的による違い。
例えば、企業の研修における「ロールプレイングゲーム」は、あくまで交渉技術・接客技術などの向上を目的としており、娯楽目的のTRPGと混同するわけにはいきません。
また、リプレイ小説を書くために行われるTRPGもまた、娯楽目的のTRPGとは微妙に評価基準が異なってくるでしょう。参加者以外の人間の目を気にする必要があるからです。(私は、最初、基本的に匿名希・望さんの主張は、このパターンを含むものであると考えていました)
これらについて、「擬似体験」をベースとした評価基準がどの程度適用できるかは未知数です。但し、分析論はほぼ完全に適用できるとは思います。が、なんといっても事例としてのデータが少なく、一応、この点については現段階では、保留とします。
私が今のところ構築しようとしているTRPG論は、ニュートンレベルのもので良いと個人的には考えており、極限状態において生じる相対論的な効果を予言する事はできません。(もしかすると、できるのかもしれませんが…未確認って事です)
で、次に挙げる事の方が、私達にとってはより重要なのですが…
それは擬似体験の種類による違いです。
私たちがTRPG論を構築しようとする時、通常ぶつかるのは、こちらの違いの方でしょう。
旧ゲーム派が主張していたタイプの「プレイスタイル」は、基本的に、「ゲーム的な擬似体験」…つまり、挑戦的な擬似体験を得ようというものでした。そして、その挑戦的要素が、向上心につながる……という具合に、お馴染みの馬場講座的な主張へと続いていくわけです。
一方、その旧ゲーム派から、自分達と違うプレイスタイル(彼らの表現を使うと、無責任なプレイスタイル)として指摘されていたのが、「ノリ重視のプレイスタイル」です。それらの多くは「物語的(映画的・マンガ的・etc)な擬似体験」…つまり、「物語の登場人物としての擬似体験」を得ようというものでした。ここでは、挑戦的要素は特別重要視されてないので、時には、ルール無視も是とする、ってケースも成立し得たわけです。
これ以外にも、「冒険小説の世界を擬似体験する」場合と、「恋愛小説の世界を擬似体験する」場合では、プレイスタイルは異なってくるでしょう。
「冒険小説」の世界は、挑戦に満ちており、そこで求められる擬似体験はもちろんそう言ったものになるでしょう。既存のTRPGのほとんどは、こういうタイプなので、この形が唯一無二のプレイスタイルだと誤解されることもありえます。
この事は、たとえば、ここの過去ログや、他の論考系TRPGサイトで、『ゲーム的な擬似体験』こそが全てだと考えてしまったような旧ゲーム派の主張を改めて読めば理解していただけることと思います。
が、実は「冒険小説」と言えど、挑戦的な要素だけで構成されてるわけではありません。もし、『冒険小説」の内容が挑戦的な要素ばかりであれば、一般的にはそのような小説は比較的退屈なものであると認識されるでしょう。
『ゲーム的な擬似体験』だけに目を奪われてしまうと、そういう『挑戦的で無い部分』は、付加価値程度にしか認識できなくなってしまいます。それらは『ゲーム的な擬似体験』を、より深く楽しむための感情移入の手段に過ぎない…って具合に、です。
もちろん、そういう効果もあるでしょう。が、それだけじゃありません。
『挑戦的で無い要素』にも、それならではの『擬似体験』が存在しており、それもまた十分に楽しむ事の出来る要素なのです。
擬似体験を重視せよ、というのは、いわば「セッション中のさまざまな要素」を、それらがセッションに与える影響を考慮し、その利点を最大限にいかし、欠点を最小限に留めよという意味です。誰もが当たり前に理解している事のはずなのです。
が、TRPGはあまりに複雑すぎて、時にその当たり前が、当たり前でなくなってしまう場合がある。そんな時、「PLの擬似体験」という観点から判断を行えば、妥当な解決策が得られるであろうという、提言なのです。
「擬似体験を重視する」という事に同意を求めてるわけではない。「擬似体験を重視する」という事の意味についての理解を求めているのです。
だから、同様の効果が得られるなら、「TRPGは面白い物語を目的としたゲームである」とか、「擬似体験もゲームも重要な要素である」って表現でも別にかまわないのです。
逆に言えば、そういう意見に私が理解を示すには、その意見の発言者自身が、それは私の言う「擬似体験を重視しよう」という意見と本質的には同じものであり、議論すべきは「表現」としての洗練度や「用語」としての利便性といったレベルであるって事を自覚してもらう必要があるのです。
で、もし、「本質的に意見が違う」のであれば、その差異について指摘していただきたいし、明確にしていただきたいのです。
挑戦的な要素(ゲーム要素)と、挑戦的で無い要素(非ゲーム要素)についての細かい分析は、そのうちにまた、(おそらくはmyrtさんへのレスの中で)改めてお話します。
2000年12月05日:01時58分31秒
【開放系イベントと閉鎖系イベント】 戦闘シーンの事例が示すもの / SHiN
(アキトさん)
>が、ボクがHP上で「開放系」として扱ったのは、プレ戦闘シーンの影響が戦闘シーンに影響を与えるという点についてのみです(残念なことに)。
了解してます。
ただ、私の引用が不適切だったとも思いません。
アキトさんは違和感を感じたかもしれませんが、それはアキトさんの想定外の主張が、アキトさんの書き込みの中に存在してるかのごとく、私が引用したからですよね?
が、なんらかの理論を作成した場合、その内容が、論旨とは別の何かを示しているという事が、筆者以外の人間によって見出されるというのは、珍しい事ではないと思うのです。
もちろん、誤読、曲解であると思われたなら、その旨、反論として出していただいてもかまいませんです。が、「違和感」というだけでは、対応に苦慮してしまいます。
ただ、念のために言っておきますが、私は、あの文章において、「開放系」というものを否定したわけでは無いって事です。
「開放系」のイベントが生じるって事が、TRPGの特徴であるって言うアキトさんの主張を否定したわけじゃありません。
ただ、そんなTRPGのセッションにおいて、あえて「閉鎖系」のイベントが行われているのは何故か?って事にスポットを当てたかったわけです。
アキトさんは、TRPGのセッションが開放系であると示されました。
その内容については、多くの人が納得しているだろうと私は思いました。
それに対し、私は、「ではなぜ、TRPGにおいても閉鎖系のイベントが残っているのか?」と問いたかったわけです。
で、その事例として最適なものと言えば、「戦闘シーン」です。ですから、戦闘シーンにおいて、閉鎖系のシステムが選択されているという事例を挙げないわけにはいかなかったのです。
が、つい最近、アキトさんが、その「戦闘シーン」を「開放系の事例」として挙げられたばかりでした。ですから、あのような註釈を用いる必要性が生じてしまったわけです。
もし、アキトさんが別の事例を用いて「開放系」を説明されていたら、あのような引用と註釈を行う必要はなかったでしょう。
(アキトさん)
>が、ボクがHP上で「開放系」として扱ったのは、プレ戦闘シーンの影響が戦闘シーンに影響を与えるという点についてのみです(残念なことに)。
アキトさんの文章は、アキトさんが想定した以上の内容を、読者に与えていた(少なくとも、私は与えているだろうと思った)って事であると、理解していただけると助かります。
(アキトさん)
>そして、ついでに言ってしまえば、その際に戦闘シーンを閉鎖系ルールであるととりあえず仮定して書きました(本当に閉鎖系であるかについては意見が分かれるかと思いますし、その関連でSHiNさんへのレスを書いたわけです)。
TRPGにおける戦闘シーンは、常に閉鎖系であるとも限らないし、開放系であるとも限らない。
「どちらか?」と問いただした場合、意見が分かれるのは、そのためでしょう。
逆に私が、「戦闘シーンは閉鎖系である」という主張を行ったと勘違いされることの無いよう、お願いします。
厳密に言えば、TRPGにおけるイベントは、全て、前後の因果律が生じているわけですから、開放系であると言えるでしょう。だから、ここで言う「閉鎖系イベント」とは、本来開放系であるTRPGイベント〜例えば戦闘シーン〜を、意識的に「閉鎖系」ライクに扱おうとしたものであると思って下さい。戦闘シーンが通常通り開放系として行われる場合もあるし、他のシーンが場合によっては「閉鎖系」ライクに扱われるケースもあると言う前提での発言です。
で、テーマは、その「理由」ってわけです。以前も言いましたが、続編では、個人的にはそこらへんを期待しています。
2000年12月04日:12時16分14秒
【疑似体験】良い疑似体験とは?? / myrt
PL自身が設定した目的はPL好みである可能性が大きく、好みの目的を達成
すること(またその過程)はそうでない目的のときよりもPLにとって楽しい場合
が多いと考えています。しかし----
疑似体験の楽しみの要素として、「どれだけ主観的にその立場にな
るか」と「その立場がいかにエキサイティングであるか」があると思いますが、
これらと「PL自身が目的を設定すること」は直接関係ないと思います。
#後者との相関関係は認めます。
現実の「お年よりの立場になってみよう体験」を考えてみます。これは
視界制限メガネ、腰まげギプス、足腰重たい用重りなどを装着して
町を歩くもので、「お年よりの立場に立った町作り」系キャンペーン
の一環として紹介されていました。
#また不正確な伝聞で申し訳ありません。
この体験においては、被験者になるときに能動的であれ強制的であれ、
その主観性とエキサイティングさにはあまり関係ありません。
望んで老人になる人がまずいないことを考えれば、
強制されたほうがリアルに感じることも十分にありえるでしょう。
#面白いかどうかは知りませんが。
少なくとも、その体験方法のデザイナーの主観的性が低いことは事実
だと思います。それぞれの負荷がどんな過程で選ばれたかまたその
弱点はなど、余計なことをたくさん知っていますので。
2000年12月04日:11時19分32秒
【ゲームバランス】TRPG集合と集合論 / myrt
(Re:2000年12月04日:02時08分50秒【ゲームバランス】ゲームバ
ランスとは何なのですか? / Purpleさん)
>・myrtさんにとって「ゲームのバランス」というのは、いったい何なのですか?
簡潔に言えば、そのゲームのバランスです。すると、簡単な3段論法
が成り立ちます。
・ゲームAのゲームバランスをゲームバランスAとする。
・あるゲームにおいて、ゲームバランスAが保たれていないとする。
・ならば、そのゲームはゲームAではない。
だからゲームバランスを、ゲームを損なう(つまりルールを無視したり
する)ことなしに崩すことはできません。
たぶんPurpleさんは以下のものを考えておられると思います。
・ゲームAにおいて、デザイン時にあるプレイ展開のバランスが
考えられていたとする。そのバランスを期待バランスAとする。
・ゲームAのあるプレイで、期待バランスAが保たれていないとする。
・そのプレイは、デザイン時に期待されたとおりにプレイされていない。
ただし、「ゲームが先
にあり、バランスは後からついてきた」場合、「複数のデザイナーが関わっており、期待バランスが錯綜している」
場合などが考えられますので期待バランスを一般的に論ずることは困難ですが。
>「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランス
> が保たれるようにデザインされている。」
この文はダブルミーニングになっています、というかなってしまいました。
ひとつが「ゲームバランスは崩せない」で、もうひとつが「デザイナーは
期待バランスが崩されないように努力してデザインする」です。またここ
での「無茶」は「勝利を目指した卑怯なふるまい」を意図しました。
率直に聞きたいのですが、Purpleさんは簡単な集合論については押えて
おられますでしょうか。現在論じられている話はつきつめれば「TRPGという
集合は、どのような集合なのか」という話ですから、細部にこだわる私の
話につきあってくださるならば集合論を避けて通ることはできないと思いま
す。また、避けるには私の能力が不足しています(妙なダブルミーニングのような文章を書いてしまう)。私の集合論の知識は教科書流し読みレベルなので、とても
人に説明できるものではありません。
2000年12月04日:02時20分46秒
【ゲームバランス】ゲームバランスとは何なのですか?の補足 / Purple
先ほどの書き込みの、最初にある引用は、2000年12月01日:16時16分33秒のmyrtさんの書き込みからの引用です。
2000年12月04日:02時08分50秒
【ゲームバランス】ゲームバランスとは何なのですか? / Purple
--- 2000年12月01日:16時16分33秒
口語では「これ、ゲームバランスが破綻してるよ」という使いかたをしがちなので、この議論中での「ゲームバランス」の用法が一般的であったり、わかりやすいものであるとは思っていません。しかし、
・バランスが悪いゲームが存在する
・そのゲームにおいてもそのゲームでのゲームバランスが保たれている
となれば、私の表現している「ゲームバランス」は直接「面白さ」とは関係ないことがわかっていただけないでしょうか。
--- 引用ここまで
myrtさんにとっての「ゲームバランス」が面白さと関係ないことは判りました。
また、myrtさん自身、「ゲームバランス」の用法が一般的であったり、わかりやすいものであるとは思っていないということも判りました。
しかし、それ以上のことは判りません。ゲームバランスとは、何を指しているのでしょうか?
「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。」
という一文は、今の状態では私には次のようにしか読めません。
「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしても(myrtさんがゲームバランスと呼んでいる、得体の知れない何か)が保たれるようにデザインされている。」
これでは、その一文が正しいのか、それとも間違っているのか。私には評価できません。
再度お願いします。前の書き込みでも尋ねた以下の2つの問いに、簡潔にお答えください。
・myrtさんにとって「ゲームのバランス」というのは、いったい何なのですか?
・ついでに、「バランスが保たれる」というのはどういう状態を指すんですか?
2000年12月03日:01時52分14秒
[TRPGの定義【擬似体験】] Re:「実践論」とは…… / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@SHiNさんWrote (「【擬似体験】『実践論』とは……」,TRPG総合研究室 LOG 059)
>ただ、今回の件に関しては、表面的なテクニック論が語りたかったんじゃないって事を理解して欲しいなとは思います。
はい。そうですね。わかります。
>その意味で、「実践論」としてどの程度理解していただいてるかは、ちょっと不安かもしれません。
そうですね。
アタシの方ではSHiNさんの言われる【疑似体験】アタシなりの【物語的演出】(または物語り表現)の手法の側面から、その体験に照らしあわせて“わかってる”だけですので。
この辺、以前からSHiNさんとアタシの立場・観点・路線の差違である部分がいよいよわかってくる期待で、ドキドキ・ワクワクしてます。
ちょっと過去ログ読み直してみたんですけど、前から、SHiNさんは「GMはゲームのジャッジである」路線で、アタシは「GMゲームのジャッジと物語の総監督を兼ねる」路線ですものね。
そうですねー。
川の例、アタシでしたら、GMだけが知ってるシナリオ構成があるから妥当なリソースデザインができるって理解です。(前提としてシナリオがちゃんとしてなくてはいけません)
つまり、川を渡るシーンがシナリオの基本プロットのどの辺にくるか、その先どんな障害が予想さrてるかで、川がどれくらい急流であってよいか、とか、PCにとってどれくらいの障害であってよいか/いけないかがリソースデザインできる、って感じです。
その先に行くためにどれくらい、時間をロスして構わないか、最悪の場合どれくらいのダメージや、川を流されちゃうとかの追加時間ロスが生じても構わないかは、シナリオに書かれた基本プロット構成(それとシステム)から割り出せる、って考え方です。
>「川を渡る場合」として挙げた事例から、古くからある、
>「交渉シーンにおいて、プレイヤー自身の交渉能力をどの程度キャラクターの交渉能力として認めれば良いか」 という問題をどんな具合に解決するかを導き出せるかどうか
そうですね。言われることはわかります。
アタシはこっちは、GMとプレイヤーとのコミュニケーションや、それまでプレイヤーさんがどんなPCをどれくらい表現してるか、と、その表現がどれくらい他のプレイヤーさんに伝わってると思えるか(のGM判断)から割り出しちゃいますから。
やっぱりSHiNさんとは別路線ですよね。
#ただ、物語表現・演出の技法(Tips)と、疑似体験を重視する技法(Tips)とは重なる部分は多いように予想しています(どっちもTRPGのTipsですからあたりまえですけど)
追記・別件・提案:
えーっと。ちょっとこのところの議論錯綜してきてるみたいですね。
ひとつ提案なんですけど。
この辺で[ ]と【 】を複合させた[識別子]を導入しませんか(?)。
うまく使えば、投稿の関連づけが分かり易く示せると思います。
何をどう複合させるかは、投稿者ごとの狙いに応じてってことで。
これは、TRPG.NETでは以前「ガープス妖魔夜行雑談所」とかで活用されたことがあって、なかなか好評でした。実績もあるってことで。
ご検討ください。
#よければ、SHiNさん以外の投稿者のみなさんもご検討ください。
2000年12月03日:00時56分07秒
【疑似体験】疑似体験とキャラの目的とゲーム中デザインの関連 / 紙魚砂
私の意見を置いておきます。
疑似体験の面白さを主眼にした場合、いちばん面白いのは、
「自分で自分のPCの目的を決めて、それを達成する」
のがいちばん面白いと思います。
なぜ、そんな目的を自分で望むようになったのか、そのやむにやまれぬ過程を疑似体験するのが面白く、達成に至るまでの様々な(リアルな)艱難辛苦はその達成感をより高め、最後に実際に(ゲームの中で)達成する瞬間のうれしさと言ったら他にない、と考えます。
「自分で考え、感じる」
というのが疑似体験では重要かと。
人に目的を決められた場合、それは人が考えたものであって、自分が考えたものではありません。その時点で疑似体験の面白さを損なっています。
ところで、PLが自分で目的を決めて楽しむようなセッションを考えた場合、その当日に、実際にそのPLが何を考えてどんな目的を設定するかは当日にならないとわかりません(予測は出来ます)。「疑似体験」を考える場合には、元々のリソースやら設定やらよりも「その日PLが自分で決断したこと」を優先する必要があります。
そんなわけで、その日のPL/PCの動向に違和感なく合わせられるように、状況に合わせてカスタマイズしやすい過変なりソースを考える必要があります。「過変なりソース」をPLに合わせてブロックのように組み替え直す作業は「ゲーム中デザイン」だと思います。また、そうして組み合わせるべきパーツが足りない場合にPL自身の意見を聞いて新たなパーツを創出し、他の部分と違和感なく組み合わせていく作業も「ゲーム中デザイン」だと思います。
ということで、PCの目的をPL自身に決めてもらい、さらにそれを実際のセッションに反映できるようにするためには「ゲーム中デザイン」は必須だと思います(ちょっと飛躍してるか(笑))。
#まあ、自分で目的を決めることが出来ない人や、苦手な人、嫌いな人もいるので、そういう人には向かないでしょうけど。
2000年12月02日:23時26分52秒
TRPG総合研究室 LOG 059 / sf
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