TRPG総合研究室 LOG 059

TRPG総合研究室の2000年11月28日から2000年12月02日までのログです。


2000年12月02日:21時22分23秒
【擬似体験】 「実践論」とは…… / SHiN
(鍼原神無さん)
>仮のまとめです。アタシはSHiNさんが提示された方法、実践論としてはなんの疑問も依存もありません。
>えーと、別にケチをつけるつもりではないですが、多くのGMさんが既に実践してることのようにも思います。
 
 ご意見は遠慮なくどうぞ。
 
 ただ、今回の件に関しては、表面的なテクニック論が語りたかったんじゃないって事を理解して欲しいなとは思います。
 「多くのGMが既に実践していること」を例にして挙げさせていただいたのは、一般論としてその適切さが知られている事例を元にして、「擬似体験」を重視する事の意義を証明したかっただけです。
  
 実践論としては、「考慮すべきはPLに与える擬似体験である」って事を理解しているかどうかって事が重要なのであり、この点が理解できない限り、「川を渡る場合うんぬん」といった事例の紹介、あれらは「実践・例」の羅列でしかなく、「実践論」としては意味をなさないのです。
 3×3=9、5×5=25という事を示しただけです。九九を知ってる人ならば、これらに疑問も異存もないってのは当たり前です。実際の生活では、掛け算がいったいどういうものか?って事の方が重要です。九九はいわば、掛け算を処理するための「Tips」でしかありません。
 
 その意味で、「実践論」としてどの程度理解していただいてるかは、ちょっと不安かもしれません。
 
 九九やひっ算の方法を暗記すれば、掛け算にはこまりません。が、掛け算の根本的なシステムを理解していないと、平方根という概念を処理する事は出来ないでしょう。
 
 そういう事です。
 
 たとえば、「川を渡る場合」として挙げた事例から、古くからある、
 「交渉シーンにおいて、プレイヤー自身の交渉能力をどの程度キャラクターの交渉能力として認めれば良いか」
 という問題をどんな具合に解決するかを導き出せるかどうか、とかですね。
2000年12月02日:21時18分54秒
【ゲーム中デザイン】PLがGMのマスタリングにずるや手加減の原因と、ルール改変ゲーム / SHiN
(Purpleさん)
 >「ルール改変ゲーム」については必要悪という以前に、RPGに本当にあるのかどうかすら、疑っています。まして、その回避策を議論するつもりなどありません。(という意見を書き込むことが、この書き込みが初めてである気がします。そのぐらい何も語っていないつもりです。)
 
 鍼原さんの「Purpleさんはゲーム中デザインの話をしていないのでは?」という疑問に対し、私としては、ずるや手加減の原因と、ルール改変ゲームの発生原因は同じだと考えて、論点整理を試みたつもりでした。
 ゲーム中にリソースデザインを行わねばならない『必然性』については、確か理解を示していただいてましたよね?
 
 (過去ログ55、2000年11月06日:00時20分41秒【未定義のリソース】Re:リソースの決定のタイミングの違いがもたらすもの / Purpleさん) 
 >この「無限の選択肢」を追い求めた結果が「未定義リソースの利用」なのではないでしょうか?
 もっとも、無限の選択肢が先か未定義理ソースの利用が先かという程度の違いしかなく、本質的にはSHiNさんの意見に同意です。
 
 で、その上で、
 (過去ログ58、2000年11月24日:02時13分13秒【ゲーム中デザイン】Re:Re:RPGに独特な信頼(なれあい) / Purpleさん)
 >「ずるをされた。」とか「手加減された。」というのはゲームから面白さを減らしてしまう要因だと思います。ゆえに、そういったことが発生しないようにしたほうが良いのです。(ゲームを楽しもうとするならば。)
 
 と、おっしゃられてたので。
 
 ゲーム中のリソースデザインには2つの段階があるって事は以前書き込んだのですが、もう一度簡単にかくと、
 
 【タスク1】GMに対する未定義リソースのリクエスト(プレイヤーによってGMの想定外(設定外)の選択肢が選ばれると未定義リソースのデザイン行為が発生、タスク2へ移行)
 【タスク2】GMによる未定義リソースの内容の決定(ここにPLが影響を与えると、ルール改変ゲームが発生する)
 
 ってことです。
 
 だから、この「ずるをされた」とか「手加減をされた」って感想の元になるものとルール改変ゲームの発生原因は同じだと思うのです。
    
 リソースのリクエストっていうのは、それがプレイ前に定義済みだろうと未定義だろうとTRPGでは必ず生じるものです。(PCにとって未確認な情報の多くは、通常、PLにも隠蔽されているため)
 「その川はどのくらいの深さ?」「この部屋には扉はいくつ?」ってPLがGMに尋ねるのが、【タスク1】リソースのリクエスト。
 
 で、Purpleさんの提唱通り、GMが事前にリソースをデザインしていれば【タスク2】は必要が無く、ルール改変ゲームが生じる事もないってわけです。
 ですから、「ルール改変ゲーム」を無くそうというのも、「ずるをされたり手加減をされた」ってプレイヤーが感じるケースを無くすために事前にリソースをデザインしておこうってのも、理論的には同じ話であるとして、論点を整理させてもらおうかな、と思ったわけです。
 
 鍼原さんが、「Purpleさんは別の話をしている」みたいな事をおっしゃってたので、こうすれば同じ土俵で議論が出来るんじゃないかなと思ったわけです。と、いうか、私はてっきり自覚的にやってらっしゃるんだと思ってまして。
 
 で、迂遠すぎる割に、説明を省略したために誤解を与えたかもしれませんが、基本的には間違ってないと思います。
 少なくとも、TRPGにおいてGMがずるをしたり手加減したりしたとプレイヤーが感じるチャンスはこの部分だけですから。(もちろんオープンダイスの場合です)
2000年12月01日:20時16分40秒
【擬似体験】「話を面白く」の範囲 / 匿名希・望
・SHiNさんへ
>自分自身にとって、それが良い擬似体験かどうかってのは、かなり具体的な問題となりえますよね。
> つまり、プレイヤーは「自分にとって良い擬似体験となりえる意思決定を下すべきだ」って事なんです。
> 
> たとえ、瀕死の女のコがいて、どうしようもなくて、他のプレイヤーから「無意味でクサイ事をするな」と言われたとしても、それが適切なロールプレイであり、なおかつ「良い擬似体験」となり得るんならば、堂々とやってもいいんじゃないのか……て事なのです。
> 
> もし、「物語が面白くなる」としてしまうと、他者の評価も考慮するべきだって勘違いされる恐れがあるので、やめました。それだと、具体論に出来ませんから。

一応、俺の「話を面白く」というのも個人的な判断が基準になってますよ。
「参加者全員にとって面白く」の参加者には当然、自分が入るわけですから先ず自分が面白くなきゃどうしようもない。
んでもって、ついでに他者にも受け入れられたら申し分ないけど、必ずうまく行くわけじゃない。

そこに「ゲーム」としての面白さが有ると思うんですけどね。
「必勝法」の分かったゲームは単なるパズルですよ。
#いやそれ以下ですね

別に「結果として」他人にとってつまらなかったとしてもいいんです。
だってゲームなんですから、勝ち負けはついてきて当然です。
最低限、「自分が面白い」と思えなければ「負け」なんですから、「そうしなければ自分的に話がつまらない」と思った事はガンガンやりゃいいんです。
そして他のプレイヤーも同じようにやる、その結果全員が面白かったかどうかで勝敗が出る。
各人で全然面白かった箇所が違ってもいいんです。

「絶対に勝たなきゃいけない」と思ってやるばかりがゲームじゃありません。
別に「他人が楽しいかどうかなんてどうでもいい」といってる訳じゃないですよ。
勿論、他人も面白ければもっといいんですから考える価値はあります。
でも「どう指せば勝てるか」なんて100%分かって打つ棋士はいません。
#腕の差にもよりますけどね

「100%の勝率が出せなきゃ具体論じゃない」と言うんだったら別ですが、「より勝率を上げる具体論」なら目指せると思うんですけどね。
2000年12月01日:17時27分23秒
「開放系」について補足 / アキト
myrtさん、すばやいレスありがとうございます。

> 抽象的な状況描写をデータ化して戦闘に反映させたり、その逆については まさに「開放系」の指すところだと思うのですが、この場合は 戦闘とその前状況に限定する必要はないのではないでしょうか。

えーと、ボクの「開放系」は以下のようなイメージに基づいて作成されております。

「RPG においては、ルールによって明確に手順が記述された部分(閉鎖的部分)と、そうでない部分(開放的部分)が交互に配置されてプレイされている。」

 このような前提において、「開放系」の『文章自体』は、特に受け入れられがたいであろう[開放的部分→閉鎖的部分]という局面をクローズアップし、これを納得してもらうために作成しました。
 そして、ついでに言ってしまえば、その際に戦闘シーンを閉鎖系ルールであるととりあえず仮定して書きました(本当に閉鎖系であるかについては意見が分かれるかと思いますし、その関連でSHiNさんへのレスを書いたわけです)。

 というわけで、「閉鎖系」の『考え方』はmyrtさんの書き込みの方向で問題ないんですが、『文章自体』ではそこまで言えてないので、あれこれと補足してしました。
2000年12月01日:17時10分24秒
【ゲーム中デザイン】私の主張はほとんど「ゲーム」面のもの / myrt
私自身混乱していた点がありますので、現状での私の意見を整理してみます。

・TRPGを「ゲーム」の面で見たとき、「ゲーム中デザイン」は慎重を期すべきである。 なぜならそれは「ゲーム」自体を破壊するおそれがあるからだ。「ゲーム中デザ イン」は、GMとPL間の「信頼」を基準にして行なうべきだ。

・TRPGを「ゲーム」の面で見たとき、「ゲーム中ルール改変」は好ましくない。「ゲーム中ルール改変」は、「ゲーム中デザイン」の中でもすでにデザインされた ルールをあえて改変するものである...要するに、交渉で1回目は魅力度チェッ クだったのに、同条件の2回目は特に理由なく知力度チェックになったりする ことは好ましくない。
#「PCの特技を生かして」とか十分な理由がつけば可。

・TRPGを「ゲーム」の面で見たとき、「ゲーム中リソース改変」は非常に好 ましくない。これは同じくすでに場に出てデザインされたリソースを改変するもの であり、「信頼」を揺るがすおそれが大きい。
#GMの失言など、やむを得ない場合もある。
GMは「スクリーン裏のリソース」をデザイン前の材料と扱って良いが、 手を加えると「信頼」を揺るがすおそれがやや大きくなる。

「疑似体験」のスレッドで書いたとおり、「ゲーム」の面を犠牲にしても それを上回るだけ他の面での利があるなら良いと思います。人によって どの面を重視するかが違い、比重が違うところが難点ですが。

ふと疑問に思ったのですが、「疑似体験」と「役割演技」の関係はどう とらえるべきなのでしょうか。私はD&Amp;D以来の「役割演技」を重視するためか、 同じものの受動的な部分が前者、能動的な部分が後者である気がするのですが。
2000年12月01日:16時26分47秒
Re:「開放系」について / myrt
(Re:2000年12月01日:16時15分06秒 「開放系」についてのコメントについて / ア キトさん)
> が、ボクがHP上で「開放系」として扱ったのは、プレ戦闘シーンの影響が
>戦闘シーンに影響を与えるという点についてのみです(残念なことに)。

ちょっと待って下さい。あるゲームにおいて具体的な前状況が初期条件 に反映されることは、一般ゲームでもありえると思います(WSLGのキャン ペーンゲームとか)。

抽象的な状況描写をデータ化して戦闘に反映させたり、その逆については まさに「開放系」の指すところだと思うのですが、この場合は 戦闘とその前状況に限定する必要はないのではないでしょうか。
2000年12月01日:16時16分33秒
【ゲームバランス】将棋のゲームバランス / myrt
(Re:2000年12月01日:01時08分54秒 nethackの件 / Purpleさん)
>というわけで、myrtさん自身の言葉で語っていただきたいです。

すでに要点は語りました。繰り返せば以下のとおりです。
・やれば「一般のゲームでは、信頼より先にルールが来ること」がわかるかも
・ゲーム前リソースデザインの一つの到達点と限界点(豊富なコマンドとリアクション) を見ることができる

>#「やれば、判る。」なんてのは、何も言わないのと同じです。

現物が入手困難ならそうだと思いますが... 百聞は一見にしかずと申します。yahooから現物と詳しい紹介をたどれますし、 その紹介は私がするよりも適切なものでしょう。また、CRPGについて長々と ここに書き込むことにも問題があります。

(Re:000年12月01日:02時00分38秒【プレイ中リソースデザイン】 「一般のゲ
ームではルールを守りさえすればバランスが保たれる」の件 / Purpleさん)
>私は、
>「ゲームのバランス」=「ゲームを面白くするためのルールやリソースのバランス」
>「バランスが保たれる」=「ゲームの面白さが減ってしまわないように保たれる」
>と思いました。そのため、将棋やマルチゲームの例を出しました。

口語では「これ、ゲームバランスが破綻してるよ」という使いかたをしがちなので、 この議論中での「ゲームバランス」の用法が一般的であったり、わかりやすいもの であるとは思っていません。しかし、

・バランスが悪いゲームが存在する
・そのゲームにおいてもそのゲームでのゲームバランスが保たれている

となれば、私の表現している「ゲームバランス」は直接「面白さ」とは関係ないこと がわかっていただけないでしょうか。

>「相手が真面目に指してくれない将棋」なんて面白くないですよ。

将棋というゲーム自体は、相手の真面目さを全く規定しません。しかし、 ルールを守っている限り「王手飛車取り」のような手が有利であることは変わりませんし、着実な手は相手を追いつめていくでしょう。相手が詰むまで、 絶えず意思決定の機会の連続です。

「1対6」の例なのですが、それよりも「参加メンバーは真面目で妙な約束はしな いが、初期設定で一人だけ圧倒的に有利な奴がいる」ほうがはるかに面白くない と思います。こちらにおいても私は「そのゲームでのバランスは保たれている」 と考えています。面白さや、各PLの条件の相違はあまり関係ないので す(そちらは保たれたバランスが悪いと表現している)。
2000年12月01日:16時15分06秒
「開放系」についてのコメントについて / アキト
 おひさしぶりです。どうやら「開放系」がそれなりに読まれているらしく、うれしがってます(笑)
 さて、非常に時間差をおいたレスで申し訳ないのですが。

---2000年11月27日:02時39分06秒 / SHiN---
> これまで「TRPGにおけるリソースの未定義性」に主眼を置いて話てきましたが、一方で、TRPGには一般のゲームのように「定義済みリソース」を使う局面も出てくる。
> たとえば、戦闘シーンなんてのは、普通、「未定義リソース」も「ルール改変ゲーム」も使用しませんよね。戦闘シーンだってTRPGなのに。(アキトさんの「開放系ゲーム」の例では、突撃してきてダメージにボーナスなんて例があったけど、実際にはそういう「戦闘オプション」の無いゲームで、そのような行為が認められる事はあまり無いはずです)

 えーと、戦闘シーン内で「未定義リソース」や「ルール改変ゲーム」が使用されることは少ない、という点についての話ならば、たしかにそうなのかもしれません。
 が、ボクがHP上で「開放系」として扱ったのは、プレ戦闘シーンの影響が戦闘シーンに影響を与えるという点についてのみです(残念なことに)。
 ですから、引用したSHiNさんの書き込みにおける触れ方(ややこしいなぁ)についてはちょっと違和感をおぼえます(括弧の部分以外は特に問題を感じてませんのであしからず)。


#ちなみに、ただいま「開放系」の続編を作成してます。今世紀中にはお見せできるかと。気長におまちください。


2000年12月01日:02時00分38秒
【プレイ中リソースデザイン】 「一般のゲームではルールを守りさえすればバランスが保たれる」の件 / Purple
 --- 2000年11月28日:11時51分32秒のmyrtさんの書き込み
 また、「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランスが保たれるようにデザインされている。」の件でPurpleさんが挙げられた例は、いずれも全然問題ないレベルで「そのゲームでのバランス」が保たれています。真面目にやったり、多人数ゲームで組んだほうが有利になって何か問題あるのでしょうか...各プレーヤーの初期条件が同じゲームすら、一般ゲームの中では特殊であるというのに。
#とられたバランスが悪いゲームはありますよ。ダイナマイトナースとか。面白いけど。
 --- 引用ここまで
 
 ちょっ、ちょっと、待ってください。
 myrtさんにとって「ゲームのバランス」というのは、いったい何なのですか?
 ついでに、「バランスが保たれる」というのはどういう状態を指すんですか?
 
 私は、
 「ゲームのバランス」=「ゲームを面白くするためのルールやリソースのバランス」
 「バランスが保たれる」=「ゲームの面白さが減ってしまわないように保たれる」
 と思いました。そのため、将棋やマルチゲームの例を出しました。
 
 「相手が真面目に指してくれない将棋」なんて面白くないですよ。相手が真面目に指してくれない将棋をして相手に勝てたとして、どんな面白みや喜びがあるんですか?仮に面白みがあったとして、それはゲームとしての面白みなんでしょうか?
 
 マルチゲームの例も、ゲーム開始前に(初期セットアップなどによるプレイヤー間の有利/不利すらも発生する前の段階で)「1対多」(私が示した例では、「1対6」)となるような同盟が組まれて、面白いですか?7人で遊ぶマルチゲームとしてバランスが保たれているんですか?
 #「ゲーム開始後に、初期セットアップやそれ以降ゲームの進行によってプレイヤー間の有利/不利が発生し、その有利/不利を原因として同盟が組まれる。」って話ではないのですよ。
 
 これは、もしかして、「RPGの定義」を論じ合う前に「ゲームの定義」を論じ合わなければならないということなのかしら。
 #もし、そうだとして、ここの掲示板で行なっていいのかなあ?
2000年12月01日:01時08分54秒
nethackの件 / Purple
 #「attachゲームはRPGの理想ではない。」ということで私とmyrtさんの間では合意が得られたような気もするので、時期はずれかもしれませんが。
 
 --- 2000年11月28日:11時51分32秒のmyrtさんの書き込み
 私は「ゲーム中リソースデザイン」の余地がなければattachゲームになってしまうとも述べています。また、「プレイ前リソースデザイン」のひとつの到達点としてnethackの存在を示しましたが、その概要は調べていただけましたでしょうか?? > Purpleさん
 --- 引用ここまで
 
 個人的には、私がそれ(nethack)を調べたり、遊んでみたりしたとしても、myrtさんの述べたいことが私に正確に伝わるかどうか怪しいと思います。(仮に私が、nethackを遊んでみて、何かの考えに到達したとして、それがmyrtさんが到達したのと同じ考えであるという保証がどこにあるのでしょうか?)
 
 というわけで、myrtさん自身の言葉で語っていただきたいです。
 #「やれば、判る。」なんてのは、何も言わないのと同じです。
 
 なお、nethackというゲームが存在することは、myrtさんの紹介以前から知っています。私自身は遊んだことはありませんが、友人が一時期はまっていたので。
 存在は知っていましたが、ゲームの内容を詳しく知っているわけではありません。せいぜい、ローグ系RPGの一種である。(マップがランダムに自動生成され、そのダンジョンの中を探索するゲームである。)ということしか知りません。
 
2000年11月30日:23時04分05秒
【ゲーム中デザイン】ゲーム中デザイン(総称)の諸相 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Myrtさんへ
 いぁ。「あきれて」、といわれると困っちゃいます(困笑)。
 「【ゲーム中リソースデザイン】必然性と可能性」 (当掲示板,Myrtさん記,2000年11月30日:11時44分07秒)、でのコメントについてですけど。
 そうみえたのなら、アタシの投稿文体がぶっきらぼうすぎたんでしょう。
 気をつけるようにしましょう。
 
 ちょっとアタシの立場から整理をしてみます。
 「ゲーム中デザイン」(総称)のお話は「TRPGの定義」のお話から派生して来ています。
 
 「ゲーム中デザイン」(総称)で、Myrtさんは「ゲーム中ルール改変は認めない」立場ですが、アタシは「ゲーム中ルール改変にあたるものもあり得る立場」です。
 観点に違いがあるわけですね。(この辺のことは、ここのところの関連議論で記してます)
 
 「調整」はルールに明記された一意な尺度の拡大適用ですので「改変」と呼ぶには大げさです。
 
 けれど「補完」はきっちりした定義の体系(であることが期待される)判定システムにとっては「改変」にあたることがあり得ますし、他に「追加」と呼ぶべきものもあります。
#この辺は意味があると思うので、別にまとめて投稿するようにしたいと思いますが。
 
 例えば、ワールド設定に規定されるはず(と妥当に解釈される)のPC間知識格差(職業や経歴によって当然と思われる知識格差)をプレイヤーがあまり意識しない場合。
 ルールに書かれてはいないけれど、知性判定になんらかの修正値を加えて判定をさせるマスタリング、するGMさんはいると思います。アタシは割と多用する方かと思います。
 こうした判定、システムによっては判定ルールに明示されていないってこともあります。
#ありがちなのは、魔法知識だけ、魔法技能で判定とかのルールですけど。
#だったら、魔法使いは武器の取り扱いや戦術や高度な外交についてプレイヤー知識をじゃんじゃん使って構わないのか? みたいな事態がセッションの公正さを疎外すること・も・あります。
 
 これがルール(判定系)に書かれていない判定方法であった場合、「追加」と呼ぶべきこともあって、「きっちりした定義の体系であるべき判定システム」に対して及ぼす性質は「改変」と呼ばざるを得ないものです。
#こうした知識判定を「追加」した場合GMは全参加者に公正であるように、同類の判定を必要に応じて各プレイヤーに指示すべきと思えるのですが、その辺のことは今はおいておきます。
 
 ですので、「ゲーム中デザイン」(総称)の用語を、「ゲーム中リソースデザイン」に切替えることはMyrtさんの論旨では容易でもアタシの論旨では容易ではないです。
 
 で、「ルール改変ゲーム」ですけど。これは「ゲーム中デザイン」(総称)にせよ、より限定された「ゲーム中リソースデザイン」にせよ、円滑に機能させるために、参考になるいわばモデルとして提出されています。
 システム解釈(または判断)の考え方のモデルなわけです。ですから、TRPGにある、とか、ない、とかって捉え方はあまり意味がありません。
 「ルール改変ゲーム」の考え方が、有効か・無効か、簡単か・困難か、システムやシナリオによって向き・不向きがあるか、そうしたことがもんだいになる話題です。
 
 ただ、「ルール改変ゲーム」にしろ「信頼/馴れ合い」にせよ、アタシの観点からすれば「TRPGの定義」のお話の枝(「ゲーム中デザイン」)のさらにまた枝のお話です。(この観点も「アタシなりのまとめ」ってお断りしたうえで提示しています)
 
 ですので、あまりそうした枝に拘るより、アタシは「ゲーム中デザイン(総称)」(もしくは「ゲーム中リソースデザイン」)と「TRPGの定義」のお話の方に関わりたいな、と思っただけです。
#SHiNさんの疑似体験のお話はSHiNさんの考える[TRPGの定義]のお話なんわけですし。
 
 「信頼/馴れ合い」についてのアタシの意見に対して、Pupleさんから提示された意見は、ここのところの関連議論を、誰がどんな観点からどんな関係づけを念頭において論じているかに着目して読んでもらえれば、大方は氷解することのはず、と、アタシには思えました。
 
 そーゆーわけですので、アタシは「信頼/馴れ合い」の話題からは引くことにしました。
 「ゲーム中デザイン(総称)」(もしくは「ゲーム中リソースデザイン」)と「TRPGの定義」のあたりで考えたり議論したりしたいことの優先度が、「信頼/馴れ合い」の話題よりアタシの中で高くなっただけなんです。
2000年11月30日:12時49分25秒
【擬似体験】「セッションを成功させること」と「話を面白くするゲーム」 / myrt
前記事でも書いたのですが、「ゲーム」と「疑似体験」と「ストーリーテリング」 は同列で別の概念だと思います(相関はあるが)。ところが、「セッションを成功 させること」となるとひとつレベルが変わります。なぜなら、TRPGを楽しむ人 なら(少なくとも 自分にとって)「ゲーム」と「疑似体験」と「ストーリーテリング」が失敗 しても、「セッションを成功させること」を願っていると考えるからです。

ところで、匿名希・望さんの「話を面白くするゲーム」 は「ストーリーテリング」と「セッションを成功させること」のどちらを 指されているのでしょうか。

前者だとするならば、例えば「俺的に面白い話を作る」と「皆が納得する 面白い話を作る」の関係や、「ゲーム」を通じて受動的に話を作る技術など 具体的な話ができると思います。ただ、この場合は同列の概念として「ゲーム」 がありますので、「〜するゲーム」と呼ばれると混乱すると思います。

後者だとするならば(たぶんそうだと思いますが)、それは「セッションを 成功させること」そのものとして昔から語られてきた話題だと思います。 特にゲーム扱いする必要はなく(できないわけではない)、むしろ「ゲーム」と「ストー リーテリング」をあわせたようなまぎらわしい命名が問題になると思います。 現在「セッションを成功させる」(あるいはその逆の)ような「ゲーム」や「疑 似体験」の技術について議論しているのだと思います。

前者と後者は、同一のものではありません。陳腐でつまらない話が出来上がって も、「ゲーム」としてスリリングだったために「セッションが成功する」ことは 十分にありえますから。
2000年11月30日:12時20分31秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】擬似体験と目標 / myrt
(Re:2000年11月30日:02時33分45秒【GM の主観的 判断のもたらす影響】 良い目的の評価基準 (関連話題:擬似体験) / SHiNさん)

目が醒めました。「なにげない冒険者の日常生活の疑似体験」がつまらないと 考える人がいるくらい、「(GM、PLどちらかにかかわらず)設定された目標 に向かうゲームがつまらない」と考える人が(当然逆の人も)いる、ということですね。

そうなると、「疑似体験」と「目標」の関係については違うと思います。たまたま ある「ゲーム」の「目標」が「疑似体験」として見れば魅力的である可能性があり、 それが「疑似体験」派の人には好ましい「目標」であるだけであると思います。 TRPGにおいて普遍的に好ましい「目標」であるわけではなくて。
#「ゲーム」の「目標」についても、また「意思決定」についても同じ。

だから、「PL自身で設定した目標に向かっていれば必ず良い疑似体験ができる」と いうのも厳しいと思います。「自分で設定したんだから文句言うな」というのは 有効だと思いますが。もちろんGMが御膳立てすることは可能ですが、そのため には「PLの喜ぶことはなんでも知ってる」レベルの自信とそれを裏打ちする 技術が必要だと思います。

>>ゲームの舞台にあった、達成可能な、しかし挑戦的なものであればなんでも
>>良いです。
:
>ではそれらの条件さえ満たしていれば、「ある村の子供を全員誘拐して売りさ
>ばく」なんて目標も「良い目標」になり得るのでしょうか?

私も「ゲームの舞台にあった」という卑怯な言い回しを用いていますね。 参加者全員が不快に感じないなら、なりうるでしょう。逆に言えば、個人設定の 目標はその点について問題が発生する可能性が高くなると思います(目標の数が 単純に増加するし)。また、PL個人が設定する 目標が他PLにとって不快でないよう心がけることは、権限の大きな(PCに とっての世界感や、初期設定から扱える)GMがそう心がけるより難しいので はないでしょうか。

「疑似体験」は「ゲーム」や「ストーリーテリング」などと並ぶTRPGの一要素で あり、重要ではあるが筆頭に出すには厳しい要素だと思います。 もちろん、「疑似体験」要素をなるべく(あくまでもなるべく)他の要素を殺さない で強めることにより、TRPGが楽しくなる可能性が大きいことは認めます。
2000年11月30日:11時44分07秒
【ゲーム中リソースデザイン】必然性と可能性 / myrt
前回混乱してしまったので、とりあえず「ゲーム中リソースデザイン」 統一します。

(Re:2000年11月30日:03時23分40秒【プレイ中リ ソースデザイン】 余地があるのと余地を作るの違いかなあ? / Purpleさん)
> そのようなシナリオでは、プレイヤーが「ある程度の予想」から外れた
>行動をPCに行なわせたとき、未定義リソースが必要となり、「プレイ中
>リソースデザイン」が発生します。
> そういう意味で、「シナリオの中に絶えず「ゲーム中リソースデザイン」
>が発生する余地が残っている」ことは否定しません。

これで合点がいきました。「ある程度の予想」は「可能性」を示すだけ なのに、「必然性」を示す文体で書かれるので厳しく突っ込みました。
#他にも「裏」と「逆」と「対遇」の関係を混同されていませんでしたか??

次の話はまた別レベルの話です。

>(そして、前の書き込みにも書きましたが、そのデザインはプログラム言語で
>プログラムを記述するような形でのデザインではある必要性を感じていません。
>マスターがプレイヤーに質問されたり、判定を行なおうとしたときにすぐに取
>り出せる情報であればいいのです。)

この、「すぐに取り出せる」がどこまでを指すかが問題になります。宿屋の主人や 桟橋のデザイン例で示したとおり、熟練したGMはある程度のあらかじめデザインさ れた小量のリソースから、必要に応じて適切なリソースを即座にデザインする ことができる 場合があります。これを、「ゲーム中リソースデザイン」にあたらないと 勘違いされていないでしょうか。単純作業で取り出せるデータなら、現状の 人工知能でも取り出せるはずです。

また、

> 私が述べている「ある程度の予想」とは「マスターがプレイヤーの立場に
>なってPCに行なわせる最適な行動を考えること」です。(といっても場合
>によってはどれが最適かわかりにくく、1つに絞れない場合もありますし、
>プレイヤーがミスをして2番目に良い行動を選ぶ場合もあります。したがって
>唯一の最適行動を考えるのではなく、全体では4、5通りの近似最適行動を
>予想します。)

ということは6,7番目の選択肢が選ばれる可能性が十分に低ければ、GMが思 いついたとしてもデザインして おく必要はないということですね??なら、「GMは、思いついた点については 必ずデザインしておかなければならない」わけではない(つまり必然的ではない)です。 それらに対してどうやって対処するかと言えば、「ゲーム中リソースデザイン」 の余地を残す以外に方法があるんでしょうか。また1,2番目の 選択肢についても無数のバリエーションが考えられます。それらに対処 するには??

実はあります。それ以外の選択肢を認めなければ良いのです。つまりattachゲームですね。私がPurpleさんにattachゲームを勧めたのは、Purpleさんの主張から 至る結論がここにしかないように見えたからです。
#私は、attachゲーム要素を部分的に採用することには反対していません。

>このあたりの微妙なニュアンスの違いで、意見が合っていなかっただけなら、
>(私としては)疑問は解けたことになります。

TRPGの本質にかかわる話なので、「微妙」でかたづけられると困ります。 この点が右往左往したために鍼原神無さんはあきれて議論を打ち切られたのでは ないでしょうか。
2000年11月30日:03時23分40秒
【プレイ中リソースデザイン】 余地があるのと余地を作るの違いかなあ? / Purple
 --- 2000年11月28日:11時51分32秒のmyrtさんの書き込みより
 今まで、私はここまで「ゲーム前リソースデザイン」できる、ここから「ゲーム中リソースデザイン」に頼るべきと考える例を多々示し、そのラインを示してきたつもりです。ところが、 Purpleさんは「私の体験で得た知識には合いません」とだけ述べられ、 Purpleさん自身のラインが見えてきません。
 --- 引用ここまで
 
 私が疑問に思っていることにライン分けの必要性を感じていなかったので、ラインを示すような直接的な発言をしていません。(もしかしたら、間接的にはしているかもしれませんが、ラインを示す意図で行なったことはありません。)
 
 それで、あえてライン分けをするなら、次のように成ります。(ただ、これでライン分けになっているといえるのか、ちょっと不安ですが。)
 ・マスターがシナリオ作成時に、PCとかかわりがあると予想したリソースはプレイ前にデザインすべきである。
 ・マスターがPCとかかわりを予想できなかったリソースやPCとのかかわりがないと予想したリソースはプレイ前にデザインする必要は無い。
 というところでしょうか。
 
 
 --- 引用再開
 というか、「橋のない川」を渡るためのすべての方法に対して「ゲーム前リソースデザイン」をすることは不可能であることを認めるということは、まさに「シナリオの中に絶えず「ゲーム中リソースデザイン」が発生する余地が残っている」ことを認めることだと思うのですが、その後のPurpleさんの意見を見るとそうではないようです。しかしその根拠が「私の体験で得た知識には合いません」だけなので、もうさっぱりわかりません。
 --- 引用ここまで
 
 「マスターがプレイ中にPCが取りうる全ての行動を予想することは不可能である。」
 と意見は否定しません。しかし、
 「ある程度の予想が出来る。」
 と思っています。(そしてこの点は、myrtさんも否定していなかったはずです。)
 
 ああ、もしかして、この「ある程度の予想」の部分で意見に相違があるのでしょうか?
 PCが取りうる行動は無限にありますが、実際に意味のある行動(この場合の「意味のある」=「問題を解決するために役立つ」です)というものは限られてくると思います。
 
 さらに、実際にプレイするときには、プレイヤーがPCに行なわせる行動は、最適な行動(リスクが少ない行動。コストが少ない行動)とプレイヤーが判断した行動でしょう。
 
 私が述べている「ある程度の予想」とは「マスターがプレイヤーの立場になってPCに行なわせる最適な行動を考えること」です。(といっても場合によってはどれが最適かわかりにくく、1つに絞れない場合もありますし、プレイヤーがミスをして2番目に良い行動を選ぶ場合もあります。したがって唯一の最適行動を考えるのではなく、全体では4、5通りの近似最適行動を予想します。)
 
 なお、myrtさんが、2000年11月24日:15時39分53秒に書き込まれた、「どのあたりが妥当かという基準の共有」の共有度が高くなればなるほど、「マスターが予想した最適行動」と「プレイ中に実際にプレイヤーが取った行動」の差は0に近づくと思っています。
 
 話が、それましたが、私はこの「ある程度の予想」の範囲でPCにかかわりのあるリソースはプレイ前にデザインしておくべきだと考えています。(そして、前の書き込みにも書きましたが、そのデザインはプログラム言語でプログラムを記述するような形でのデザインではある必要性を感じていません。マスターがプレイヤーに質問されたり、判定を行なおうとしたときにすぐに取り出せる情報であればいいのです。)
 
 そのようなシナリオでは、プレイヤーが「ある程度の予想」から外れた行動をPCに行なわせたとき、未定義リソースが必要となり、「プレイ中リソースデザイン」が発生します。
 そういう意味で、「シナリオの中に絶えず「ゲーム中リソースデザイン」が発生する余地が残っている」ことは否定しません。
 
 私が否定しているのは、「ある程度の予想」の範囲でPCにかかわってくることが判っているリソースであり、プレイ前にデザイン可能なリソースであるにもかかわらず、あえてデザインしないでおき「プレイ中リソースデザインが発生するようにしておく。」ことです。
 つまり、myrtさんの意見が、デザインが不可能or困難だから定義しないで置くのではなく、デザイン可能にもかかわらず定義しないで置く。そして、そうすることが必須である。という意見であるように見えたので、疑問を持ったのです。
 
 このあたりの微妙なニュアンスの違いで、意見が合っていなかっただけなら、(私としては)疑問は解けたことになります。
2000年11月30日:02時41分41秒
【擬似体験】擬似体験にスポットを当てて一般論を構築する事の妥当性 / SHiN
 
(匿名希・望さん)
>でも「それが良い擬似体験になっているか。良い擬似体験を生み出し得るか。」って、「物語が面白くなるかどうか」と抽象度においてはどっこいどっこいな気がしますが?
>#勿論、抽象的だから間違ってるとは言いませんけど
 
 おっしゃる通りかもしれません。
 ええと、実は、別に「物語が面白くなる」って表現を使ってもいいかなって思ったくらいなんです。
 が、ある理由があってやめました。その理由は後述します。
 で、抽象的ではないのか?と言われれば確かにそうです。
 特に、GM視点からプレイヤー全体の擬似体験を評価しようとすれば、その通りですね。
 
 そこで私の提案は、各プレイヤーの擬似体験の価値判断は、各プレイヤー自身に委ねようというものです。
 (これらの主張は、私の他の投稿で語っています。)
 
 自分自身にとって、それが良い擬似体験かどうかってのは、かなり具体的な問題となりえますよね。
 つまり、プレイヤーは「自分にとって良い擬似体験となりえる意思決定を下すべきだ」って事なんです。
 
 たとえ、瀕死の女のコがいて、どうしようもなくて、他のプレイヤーから「無意味でクサイ事をするな」と言われたとしても、それが適切なロールプレイであり、なおかつ「良い擬似体験」となり得るんならば、堂々とやってもいいんじゃないのか……て事なのです。
 
 もし、「物語が面白くなる」としてしまうと、他者の評価も考慮するべきだって勘違いされる恐れがあるので、やめました。それだと、具体論に出来ませんから。
 
 (匿名希・望さん)
 >「物語を面白くする」が抽象的なのはあらゆるプレイスタイルを一まとめに、一言で表そうとしているからで、具体論にいけない訳じゃありませんよ。
 
 ええ。もちろん承知しています。
 その「具体論にいくための方法」として提案してるのが、
 『擬似体験というものにスポットを当てて、なおかつ、PL、ひとりひとりの擬似体験の価値を重視しましょう』ってスタイルであるってだけの話です。
 いずれは、「物語を面白くする」って形で統一的な理論にいきつければいいと思ってますが、今のところ私では力不足ですね。
 
 (匿名希・望さん)
 >むしろ、「物語の面白さをどこに求めるか」で「疑似体験を重視する」という1プレイスタイルの(俺の定義中で)説明としても全く変わらない気がします。
 
 これは私も最初、悩みました。たとえば、リプレイ小説を書くために「TRPGセッションを行う」場合、擬似体験はあまり重視されないかもしれませんからね。
 
 また、歴史の裏側やIFを知るために行うTRPGってのもあるでしょう。これもまた、擬似体験は重視されまえん。(それどころか、物語の面白さを求めるって事さえ重視されない)
  
 が、それらが行われるケースは少ない。また、重視しないといっても、いずれのケースでも「擬似体験」という要素は確実に存在する。なぜなら、ロールプレイという行為と擬似体験は直結しているからです。(作用と反作用みたいな関係)
 
 そこで、割り切る事にしたわけです。
 
 その意味で、所詮は一般論にしか過ぎないと思ってくださって結構です。が、考えうる限り、もっとも広範に適用できる一般論だと思います。(最低でも、「ゲーム性重視派」と「ノリ重視派」くらいは統合できるでしょう)
 
 だから、その分、実践的であることを心掛けようと思っています。
 
 汎用的かつ、実践的な理論として、もっと優れたアプローチ(方法論)があるなら、私もそちらに乗り換えます(笑)
 が、当面は、これが最善だと思うのですが……そこらへん、ご意見頂けると幸いです。
2000年11月30日:02時33分45秒
【GMの主観的判断のもたらす影響】 良い目的の評価基準 (関連話題:擬似体験) / SHiN

>myrtさん
レスを後回しにさせていただいたのは、この書き込みを行うためにはまず「擬似体験」について書き込んでおかねばならないと考えたからです。

(2000年11月24日:02時37分47秒【GMの主観的判断のもたらす影響】 GMは「神」をロールプレイする。(関連話題:プレイヤーとしてのGM、馴れ合い) / 私の投稿)
>>が、この「神のロールプレイ」のルールを守れば「セッションの成功」(もしく
>>は「参加者にとって面白い物語」の成立)はとりあえず最低限約束されるので、
 
(myrtさん)
>それはどうかと思います。「参加者にとって公平である」とは思いますが、「参加者にとって面白い」かどうかはまた別次元の問題であると思い>ます。例えば最初から最後まで「冒険者のなにげない日常」をプレイした場合、PLはそれが公平であっても楽しくないと思います。
 
 さあ…どうでしょう?
 「冒険者のなにげない日常」を扱ったシナリオといっても、千差万別ですから。つまらないものもあれば、面白いものもありえるでしょう。
 冒険者の日常だというのに、まるでプレイヤーの日常と大差無いようなことばかりしていたら面白くもなんともない。
 たとえ、冒険者の日常だろうと、プレイヤーにとっては非日常のハズ。
 プレイヤー自身の日常と、冒険者の日常のギャップをうまく捉えて強調してやれば、TRPGならではの良い擬似体験が得られるエンターテイメントになり得ると思います。
 
 「魅力的な(プレイヤーにとって)非日常的な架空世界」が与えられ、PCという普段の自分とは違う存在を演じるという「ロールプレイ」要素が与えられ、その上「行動の自由」が与えられれば、それが面白くないわけは無いって思うんですけどね。私には「GMから提示される挑戦的な目標」が必須だとは思えません。
  
 (myrtさん:私の「良い意思決定のために必要な「良い目標」とは具体的にはどういうものか?という問いに対して)
 >ゲームの舞台にあった、達成可能な、しかし挑戦的なものであればなんでも良いです。具体的なものがなければ「富」「名声」「力」でかまいませんし、それ以前に「とりあえず生き残る」でも良いと思います。
 
 なるほど。
 ではそれらの条件さえ満たしていれば、「ある村の子供を全員誘拐して売りさばく」なんて目標も「良い目標」になり得るのでしょうか?(註:この例えは、ノーマルな感性の人を基準に書いてます。「ダーク系大好き!もちろんオッケー!」って人は別の例えを自分で考えてください)
 
 別にあげ足を取るつもりはないです。
 
 私が言いたいのは、TRPGにおける「良い目標」とは、「良い意思決定」を生み出すものではなく、「良い擬似体験」を生み出すものであるべきだって事です。そして、当然ながら「良い意思決定」というのも「良い擬似体験」を生み出すものの事なのです。
 
 たとえば、コスティキャン的な意思決定をメインとして構築された「ゲーム性の優れた」シナリオであれば、その意思決定の過程は、概ね「良い擬似体験」となりえるでしょう。が、その内容がプレイヤーの嗜好を著しく無視していた場合、それは「良い擬似体験」にはなりえない。TRPGの場合、それでは「良い目標」とは認められないという事です。
  
 その逆に、例え実現不可能だったり挑戦的でなかったとしても、良い擬似体験を生みだしてくれるものは、TRPGにおいては「良い目標」と言えるわけです。
 「世界を平和にするために闘う」というキャラクターが、「世界平和」という目標を達成することはおそらく無いでしょうが、それが彼の行動の方向性を律し、そしてそこでうまれる挫折、苦悩、希望……そういった擬似体験がプレイヤー自身にとってすばらしいものでありえるならば……これは「良い目標」と言えるわけです。
 
 もちろん、myrtさんの言われる「実現可能で挑戦的な目標」も、それを目指し実現する過程において得られる、スリル、知的興奮、そして達成感が素晴らしい擬似体験となり得るのであれば、やはり「良い目標」であると言えるわけです。 
 
 また、ゲームにおける意思決定の良し悪しは結果が伴わねば評価できません。が、擬似体験のための意思決定の良し悪しに結果は関係ないのです。
 
 たとえば、臨終の淵にいて意識さえ無い少女の傍にいてその死を看取る……これは客観的には決して良い意思決定とはいえません。乗り越えるべき障害もなければ、なんらかの結果が残るわけでもない。また、以前アキトさんが主張していたような深みを、ゲームに与えるとも限らない。逆に安っぽい人情ドラマとしてセッションの価値を落とすとものだと他の参加者は考えるかもしれない。
 
 が、そこから生まれる「擬似体験」が、そのプレイヤーにとって価値があるものであるなら、それは「良い意思決定」であったのです。
 
  (myrtさん)
 >もちろんPL自身が見い出した目的がそれら条件を満たしていれば問題ないと思いますが、最後まで目的を見い出せない危険性を考えればそれだけに頼ることは危険すぎると思います。TRPGはただでさえ手間がかかり、頻繁にできない遊びなのですから。
 
 私に言わせれば、GMが提示する目標をプレイヤーが受け入れてくれたり満足してくれたりする事に期待する方が危険だと思うのです。
 
 ま、両方用意できればベストという点では意見の一致を見ているはずなので、私とmyrtさんの間には、お互いの認識にそれほど差は無いように思えます。
 ただ、私からmyrtさんに進言することがあるとすれば、「プレイヤーに目的を見出させる」というのは、試してみれば、比較的容易なテクニックであるという事です。(但し、未定義リソースの用い方に関してある程度理解している必要はあるかもしれません。myrtさんはこの点は大丈夫だろうと思うので、私の説明の仕方が悪いか、myrtさんが必要以上に難しく捉えすぎてるんじゃないかと思います)
 
 (myrtさん)
 >しかしPLにとっては、「目標を決めよ」ということは「この背景を用いて、この場でゲームをまるまるひとつデザインせよ」と言われていることと同じです。
 
 「この場でコスティキャン的な評価基準において優れたゲームをデザインせよ」と言うならば、確かに困難でしょう。
 が、既に述べてきたように「良い擬似体験」を生むための「ゲーム」には、あまりゲームバランスは関係ないし、挑戦性もそれほど考慮する必要は無い。
 
 「TRPGに勝ち負けは無い」とは昔から言われて来た事ではなかったでしょうか?
 
 もちろん、一般論的にはゲームバランスが整っていて、挑戦性も高い方が良いでしょう。
 そして、プレイヤーの定めた目標が、この一般論が通用するケースであるにもかかわらずゲームバランスが大きく崩れており、それに危険性を感じるならば後はGMがフォローすれば良い。
 GMには未定義リソースを決定する権限があるのですから、いくらでもゲームバランスを整えたりする事が可能なはずです。
 
 (myrtさん)
 >しかしそれ(引用者註:ゲームバランス)を左右するために「GMの見えにくい手」を使うと、今度は「GMが恣意的にならない」に抵触します。
 
 それは誤読です。
 「神のロールプレイ」はGMが恣意を持つことを禁じません。(わざわざ※印付きで註釈したはずなのですが……まあ、長文ですから仕方ないですね)
 むしろ、「神のロールプレイ」を守る限り、いかなる「恣意性」をも認められるというのが私の意見です。
 「神のロールプレイ」がなければ、GMの恣意はそのまま不公正さにつながり兼ねません。しかし、一切の恣意性を禁じられてしまえばGMは身動きが取れなくなります。(だいたい、セッション中、GMがつまんないじゃないですか(笑))
 
 そこで、GMの恣意的行動を可能にしながらもプレイヤーに不平や不信をうまないための方法は無いだろうか?と考えた結果が、このあいだ紹介した「神のロールプレイ」のルールなわけです。そのほとんどは、多くのGMが無意識のうちに、経験から習得しているものでしょう。が、なかなか自由に操れてる人は見かけない。
 
 先の例のケースで言えば、いくらゲームバランスを整えるためとは言え、あまり極端な操作をすればご都合主義のそしりを受けたり、他のプレイヤーから批判を受けるでしょう。よって、GMは常識的にありえそうな事象を使い、なおかつ最小限の干渉で、自らの目的(ここではゲームバランスの調整)を達成せねばならないのです。
 
 これが「神」に与えられた制限……つまり、ゲームプレイヤーとしてのGMの「挑戦」に課せられる『制限』のルールです。
 
 そして、繰り返しますが、その目的はGMの「恣意」がPLの「意思決定の意義や自由」を損なう事が無いように、という事なのです。
 ですからゲームバランスを整えて意思決定(そして擬似体験)の価値を増大することは良い事でしょう。
 が、これを頻繁に(そしてあからさまに)やりすぎると「馴れ合い」が生まれ、意思決定やそれに伴う擬似体験の価値が失われはじめるという事も肝に命じておくべきですが。神のロールプレイを実践すれば、その心配は最小限に留められるはずです。
2000年11月30日:01時33分45秒
【attachゲーム】Re: attachゲームこそ理想のTRPG?? / Purple
 --- 2000年11月28日:11時51分32秒のmyrtさんの書き込みより
 Purpleさんが、「attachゲームこそ理想のTRPGである」とお考えならば私には何も言うことはありません。理想のattachゲームをデザインしてください。違うならば、TRPGとattachゲームの相違点について考えてみてください。GMを人がやるだけではありません。
 --- 引用ここまで
 「attachゲームこそ理想のTRPGであるのか?」という問に対して、私の答えはとりあえずNoです。RPGはattachゲームではありませんから、理想の姿ではありません。
 
 ただし、私は、myrtさんの書き込みを読む以前は、「attachゲーム」という概念を持っていなかったので、もしかしたら、「attachゲーム」という言葉を間違って受け止めていて、間違った解答をしているかもしれません。
 
 そこで念のために確認させていただきますが、myrtさんの書き込みでは、attachゲームとは、
 
 --- 2000年11月16日:15時13分22秒のmyrtさんの書き込み
 (※1)単語入力式のコンピュータアドベンチャーゲームのこと。アイテムを「はめる」ことが正解だとすぐわかるのに、「put」でも「insert」でも駄目で正解が「attach」のみであり、「そんなのわかるか!!」と大騒ぎされた、という故事に由来しているとか。
 --- 引用ここまで
 
 となっています。
 
 この文面に書いてある以上の意味が「attachゲーム」に含まれていませんよね?
 つまり、「attachゲーム」=「単に言葉の違いだけでゲームが先に進まなくなるような状態が発生するゲーム。」ですよね?
 
 それで間違いないなら、最初に答えたように、「RPGはattachゲームではないので、理想の姿ではない。」と思います。
 
 PCの行動宣言時に
 「私のPCにアイテムを置かせます。(putさせます。)」
 「私のPCにアイテムを入れさせます。(insertさせます。)」
 「私のPCにアイテムを取り付けます。(attachさせます。)」
 という違いがあるだけで、ゲームが進まなくなるような遊び方をしている人はいないと断言しても良いと思います。
 
 ところで、attachゲームの説明の上のほうに、
 --- 2000年11月16日:15時13分22秒のmyrtさんの書き込み
 私の考える「GMの想定内」というのは「attachゲーム(※1)におさまる場合」に匹敵するレベルのものです。
 --- 引用ここまで
 とありますが、myrtさんにとって「リソースを定義する」ということは、「プログラム言語(CやBASICなど)でプログラムを記述するのと同じぐらいきっちりと定義する」ということなんでしょうか?もしそうなら、これまでのmyrtさんの主張は頷けます。
 
 う〜ん。私は、そこまできっちり定義する必要はないと思っています。
 日常の会話で意味が通じるレベルでの定義で十分だと思っています。無論、特殊な理由があれば、きっちり詳細に定義する必要はあると思います。(例えば、ファンタジーものでゴーレムに命令するときには、putではだめでattachでなければならない場合というのは考えられますので。)
2000年11月28日:21時28分33秒
TRPG総合研究室 LOG 058 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 058として2000年11月20日から2000年11月28日までのログを切り出しました。


2000年11月28日:20時15分05秒
【擬似体験】Re:TRPGにおける擬似体験の価値と、ゲーム性やリソースデザインとの関わり / 匿名希・望
・SHiNさん
>ですから、TRPGのセッションを評価する際には、「それが良い擬似体験になっているか。良い擬似体験を生み出し得るか。」という観点が必要になってきます。
>非TRPGのゲームの本質を「意思決定」とするならTRPGの本質は「擬似体験」であると言うこともできるかもしれません。

でも「それが良い擬似体験になっているか。良い擬似体験を生み出し得るか。」って、「物語が面白くなるかどうか」と抽象度においてはどっこいどっこいな気がしますが?
#勿論、抽象的だから間違ってるとは言いませんけど

むしろ、「物語の面白さをどこに求めるか」で「疑似体験を重視する」という1プレイスタイルの(俺の定義中で)説明としても全く変わらない気がします。

「物語を面白くする」が抽象的なのはあらゆるプレイスタイルを一まとめに、一言で表そうとしているからで、具体論にいけない訳じゃありませんよ。
2000年11月28日:12時23分57秒
【ゲーム中デザイン】「了解・度」のギャップ / myrt
私もまとまってないので「了解・度」と「共有・度」の混乱はご容赦ください。

(Re:2000年11月28日:11時04分41秒【ゲーム中デザイン】リソースの共有 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん)
> この「システムのコンセプト」、アタシ的には一意に共有されるものではないと
>思えます(それ自体解釈の幅を許容するって意味です)。
>
> ですので、常に「了解・度」や「共有・度」が問題になります。

鍼原神無さんが言われることの他に、「共有・度」が低いこと自体が楽しめること もあると思います。新システムの低レベル初シナリオがそれで、PCもPLも、下手 するとGMも「右も左もわからん初心者」であることから、実になりきってロール プレイし、意思決定することができます。お互いの解釈をすりあせる過程が重要 になりますので、ここで「了解・度」が必要になるのでしょうか。

> アタシはTRPGは過程を楽しむ遊びだとみなしてるんですね。勝敗などは過程
>の結果としてでてくるものとも言えるでしょう。

「鶏が先か、卵が先か」ですね。

私も状況や判断尺度が、全参加者の間で完全共有ができると夢想しているわけ ではありません。十分にプレイできる程度(ゲーム的プレイなら、判断基準と して十分なだけ)の「共有・度」があり、それにどれだけの信頼性がある かについて十分な「了解・度」があれば良いと思います。

ここにギャップがあると「当然できると思っていたことができない、もちろん 自分のミスではない」ような事態が発生し、理不尽な仕打を受けた気分にな ると考えています。このようなときは例え行動が認められても、なんとなく 嫌な気分になりますし。
2000年11月28日:11時51分32秒
【ゲーム中デザイン】attachゲームこそ理想のTRPG?? / myrt
(Re:2000年11月28日:03時35分41秒Re: 【ゲーム 中デザイン】観点の食い違いと、TRPGの魅力を支え る「ゲーム性」ともう一つのもの / Purpleさん)

>・「あらかじめ全てがきまっているのは、RPGではない。マスターはシナリオ
>の中にプレイ中デザインが発生する余地を残しておかなければならない。」など
>とはmyrtさんは思っていない。むしろ、「マスターは出来うる限りプレイ前にリ
>ソースデザインをしておくべきである。」と思っている。

「できるかぎり」のニュアンスをものすごく曲解しておられませんか?? > Purpleさん

私とPurpleさんの「ゲーム前リソースデザイン」できると考えている ラインが全然違う(と思われる)ことを無視されているように見えます。

今まで、私はここまで「ゲーム前リソースデザイン」できる、 ここから「ゲーム中リソースデザイン」に頼るべき と考える例を多々示し、そのラインを示してきた つもりです。ところが、 Purpleさんは「私の体験で得た知識には合いません」とだけ述べられ、 Purpleさん自身のラインが見えてきません。

というか、「橋のない川」を渡るためのすべての方法に対して「ゲーム 前リソースデザイン」をすることは不可能であることを認めるということは、ま さに「シナリオの中に絶えず「ゲーム中リソース デザイン」が発生する余地が残っている」 ことを認めることだと思うのですが、その後のPurpleさんの意見を見ると そうではないようです。しかしその根拠が「私の体験で得た知識には合いません」 だけなので、もうさっぱりわかりません。

そして私は、「ゲーム中リソースデザイン」の余地は能動的に残すべきである説 の論拠として、「ゲーム前リソースデザイン」だけに頼ると、少なくとも非常に大変にな る宿屋の主人や桟橋についての「ゲーム前 デザイン」と「ゲーム中リソースデザイン」の関係を示しました。この点に ついてもPurpleさんは無視されているように感じます。

また、「他のゲームではルールを守りさえすれば、どんな無茶をしてもバランス が保たれるようにデザインされている。」の件でPurpleさんが挙げられた例は、 いずれも全然問題ないレベルで「そのゲームでのバランス」が保たれています。 真面目にやったり、多人数ゲームで組んだほうが有利になって何か問題あるので しょうか...各プレーヤーの初期条件が同じゲームすら、一般ゲームの中では 特殊であるというのに。
#とられたバランスが悪いゲームはありますよ。ダイナマイトナースとか。面白いけど。

私は「ゲーム中リソースデザイン」の余地がなければattachゲームになって しまうとも述べています。また、「プレイ前リソースデザイン」のひ とつの到達点としてnethackの存在を示しましたが、その概要は調べてい ただけましたでしょうか?? > Purpleさん

もしプレイ前デザインによってこれらゲームよりもTRPG的なものがデザイン できるならば、ゲーム会社に売り込めば一財産築くことができるのではないで しょうか。
#ウルティマオンラインはゲーム中デザインをしばしばやってるらしいので あえて外しておきます。

また、意味認識的なアプローチによってattachゲームをTRPGの域にまで拡張 できることを示せば、人工知能学会に発表することができると思います。

> ・「プレイ中リソースデザインが発生しなければ、RPGではない。」という
>意見は、myrtさんの個人的感想の類であり、それを裏打ちする証拠は何も無い。

上記のようにその話はつきつめると人工知能や自然言語処理の話になってしまい、 かつ「ゲーム中リソースデザインの余地がなければ、RPGではない」の論議に 必要とは限らないことから棚上げしているはずです。だから「証拠は何も ない」わけではありません。

Purpleさんは、「特殊と一般」、「可能性と必然性」、「必要と十分」な どを混乱して読解されていませんか??

Purpleさんが、「attachゲームこそ理想のTRPGである」とお考えならば 私には何も言うことはありません。理想のattachゲームをデザインして ください。違うならば、TRPGとattachゲームの相違点について考えて みてください。GMを人がやるだけではありません。
2000年11月28日:11時04分41秒
【ゲーム中デザイン】リソースの共有 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿はMyrtさんの投稿「【ゲーム中デザイン】nethackはいかが」(当掲示板,2000年11月24日:15時39分53秒)、へのレスです。

@MyrtさんWrte(「【ゲーム中デザイン】nethackはいかが」)
>この「どのあたりが妥当かという基準」が共有できないということは、 GMが挙げるリソースとPLの想定するリソースが共有できないということです。確実に共有できるのは、それぞれのリソースや状況を示す自然言語と、机の上に展開されたデータ類だけです。そこから一意に状況を決定するために、「どのあたりが妥当かという基準の共有」なくしてどうすればいいのでしょうか。
 
#Myrtさんの発言意図とは違う角度からの意見ですし。抽象論になります。
 えーっと。Myrtさんも了解済みのことと思っているのですが、、、
 参加者間で共有されるべきものに「それぞれのリソースや状況を示す自然言語と、机の上に展開されたデータ類」のほかに「システム」がありますよね。
 
 リソースや自然言語、データ類は、ただ無秩序に机の上で展開されてるわけではないですよね、「システム」や「シナリオ」によって秩序付ける作用が働いてはいるわけです。(言語コミュニケーションの作用で、秩序を錯乱させる力が働くこと・も・ありますけど:笑)
 
 ただ、「システム」の解釈は「システムのコンセプト」(狭義のシステムコンセプトとワールドコンセプトが複合したもの)了解によるので、いろいろなTRPG特有な事象が生じるわけですよね。
#「上位ルール」関連ってことで、すでにMyrtさんには了解していただいてる件と思います。
 
 この「システムのコンセプト」、アタシ的には一意に共有されるものではないと思えます(それ自体解釈の幅を許容するって意味です)。

 ですので、常に「了解・度」や「共有・度」が問題になります。
 
 この「共有・度」はアタシはセッションを重ねるに連れて、深まればよいと思います。
 
#逆に「システムのコンセプト」解釈、高い共有度を参加者に求めてくと、TRPGプレイの間口がどんどん狭くなって、敷居もどんどん高くなるって、実際的な弊害があることも指摘しときます。
#この実際的観点からも「システムのコンセプト」解釈共有度は、セッションを重ねるに連れて高めてけばよいもの、とみなした方がよいと思います。
 
#同じメンバーでセッションを重ねるわけではないコンベンション環境であっても、GMする人もプレイヤーする人も、遊ぶシステム(ワールド)についての解釈、セッションを重ねるにつれ応用範囲が広がるように深めてけば、その分楽しみが広がると思いますし。
 
 特定セッションの間は、GMに裁量権を委ね、信頼し、マスタリングが十分公正になるよう勤める。アタシは、プレイヤーも十分公正なマスタリングを補佐することが期待されると思います。(結局それがプレイヤーに利益につながるはず、と思いますので)
 
 曖昧ですし、緩いかもしれませんけど、十分公正なマスタリングとその補佐が「馴れ合い」に歯止めをかけると思います。
 
 で、この考え方だと、セッション後の検討の重要度が高まります。
 GMは理論上、セッション終了後は、セッション中委ねられた裁量権から解放されます(実際はセッション評価もGMが裁量するので、完全に解放されるわけではないですが)ので。マスタリングの公正さ、それを支える「システムのコンセプト」の解釈妥当性は、そのときのセッション経験をフィードバックして、次はより十分な公正さを実現してく、と。
 考え方としては、それでよいように思えます。
#実際的なやり方や事例は、一部「【ゲーム中デザイン】十分に公正なマスタリング」 (当掲示板,カンナ記,2000年11月28日:10時54分32秒)、で書いてみました。
 
 アタシはTRPGは過程を楽しむ遊びだとみなしてるんですね。勝敗などは過程の結果としてでてくるものとも言えるでしょう。
 勝敗を競うシナリオでは勝敗を重視すべきですし、勝敗が不明瞭なシナリオでは、ほかのものを重視すべきです。
#「このシナリオがどんなシナリオか」をプレイヤーに十分了解してもらうのもGMの役割と思います。その辺をサポートしてくための実際的な方法もありますし。
 
 それから、もともとゲーム的に処理しきれない(←「できない」ではない)「ワールド」や「物語」を扱うものとも思っているので、Myrtさんのようには、一意性の判断尺度の完全共有は重視していません。
#「ルールの判定系に明記された一意な判断尺度」これは当然重視しますけど。
 
 この辺が、アタシとMyrtさんの観点の違いかな、って思ってます。

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