TRPG総合研究室 LOG 048

TRPG総合研究室の2000年05月01日から2000年06月06日までのログです。


2000年06月06日:17時30分03秒
Re:TRPGPlayerとTRPGの社会的認知(話題移動) / PALM-12
 ども、新谷さん、はじめまして。
 
 話題については、「TRPG改善委員会」に移動させた方がよさそうなので、2000年06月06日:04時57分43秒「TRPGPlayerとTRPGの社会的認知/新谷さん」へのレスは、「TRPG改善委員会」の方にさせていただきました。
 
 ではでは
2000年06月06日:17時22分34秒
参考と鵜呑みは別(to Yosh氏) / 匿名希・望

ちょっと遅れてしまいましたがレスです。

(Yoshさんwrote)
>(精神分析や人間性心理学の専門家ってのはなんであーいい加減なこと書くんだろ……。少なくともあまり鵜呑みにしない方がいいことだけは確かですよ)。

あれはエイザムス氏が想定してる(と俺が思ってる)辺りの(本家とは違う)「アダルトチルドレン」について、分かりやすい「説明のモデル」例として出しただけですから。
実際、精神分析的対象関係論の分かりやすい説明としてはそう悪くないと思うのですが?
#それに、著者自身は別にアニメやゲームファンそのものには好意的だし、むしろその手の専門家には批判的だと思う。
#あれはいわゆる「引篭もり型」でないアニメファンが自分を含め少数派と思ってたからじゃないでしょうか?

実際のオタク全てに適用できるかって言うと全然無理でしょう。
#まず俺自身に当てはまらない(笑)
だからこの問題は前置き扱いにしてTRPGプレイヤー一般の話題とは別にしてます。

ただ、あの記事附属の参考資料やあとがきを読めばどの程度の信頼性があるのかは読み取れるだろうと思ってるので、敢えて何も書きませんでしたが。
#一番の問題は記事そのもの(94年)が古いってことでしょうけど。

同じ著者でアニメやゲームへの没入にむしろ肯定的な論考もあるのですが、こっちを紹介すると単に迷惑プレイヤーを弁護しているような印象を与えかねなかったので止めたんです。
#両方、紹介しとくべきだったな・・・。
#こっちも古いですけどね。
2000年06月06日:16時20分17秒
批判のための批判はどれのことですか?(Was: TRPGPlayerとTRPGの社会的認知) / Yosh

 えーと、本題については鍼原さんのご指摘通り、「TRPG改善委員会」行きがふさわしいでしょうから、ここでは論じないとします。気になったのはここです。

当掲示板には批判の為の批判、つまり提示された論題についてでは無くて論述方式についての批判が多く見受けられるように感じました。本来議論とは提示された論題について話し合われるべきものであり、言葉の引用や論述形式について批判しあうものではないはずです。個人的に形式にミスがあると感じたならば、その点についてサポートするべきであって、(敢えてこういう言い方をします)欠点を指摘して論題の本質を薄めてしまうような形は議論の本質ではないと思うのですが如何でしょうか?私自身、批判者の本意が何処にあるのか掴みかねました、この件に関しても返答いただけると幸いです。


 えーと、これは誰のどの投稿のことでしょうか? 多いというくらいだから複数あるのでしょうが、最近の代表的なものだけでもかまわないので、具体的に指摘していただけるとうれしいです。


 「批判者」が誰のことなのかわからなければ、返答のしようもないですし。


#あと、そんなに本筋を離れた批判が多いかなー、という疑問もあります。


2000年06月06日:09時47分29秒
出会いの不幸 / MAT.N
があると思われます。運営のしっかりしたサークルなりに参加されていればまた感じ方も違った事でしょう。今からでも遅くはないような気もしますが。
2000年06月06日:08時22分22秒
年齢層と遊び方 / らむだ
  
  前投稿修正:「TRPGに範疇において」>「TRPGの範疇において」
  
  思うに、TRPGでコミュニケーション能力や社会常識の欠落云々、という話は、
  我が国のTRPGのファンがとりわけ青少年を中心としている、ということの一側面にすぎないのでは。
  昔ゲバ棒を持って手前勝手なイデオロギーの自己主張合戦を繰り広げていた年齢層が、
  今はTRPGを用いて自分の願望充足のみに邁進している、という構図。
  #もちろん、その年齢層の全部がそれぞれに該当するわけでもないですし、
  #それが特定の性格類型を指示するならそれは一つの問題。
  
  先達たちの多くが大学卒業後学生運動から離れたように、
  若い人々が多少世慣れて、それでもなおTRPGで遊ぶのかどうかが問われるでしょうね。
  #私は30才でなお遊んでいますが、
  #これはたんに成長がとまっているだけなのか(^^;
2000年06月06日:07時54分13秒
Re:TRPGPlayerとTRPGの社会的認知 / らむだ
  >新谷さん
  
  はじめまして。
  世の中には「バイクオタク」や「ファッションオタク」なども(問題性を伴って)存在するわけですから、
  一般にオタク的とされる性格類型が、たまたまTRPGファンにおいて発現している、ということにすぎないのでは。
  ただ、その現れ方が、TRPG特有の様態を示している、という観点はあり得るでしょうが、
  その「現れ方」について何らかの新たな指摘がないかぎり、
  結局「TRPGに範疇において社会常識・コミュニケーション等の問題をいかに解決すべきか」という、
  これまでも議論されてきた主題に還元されることになると私は思います。
  
  #やはり移動すべきかしら。
2000年06月06日:07時16分03秒
Re:TRPGPlayerとTRPGの社会的認知 もしくはゲーマーだって一般人 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@新谷さんWrote (「TRPGPlayerとTRPGの社会的認知」 当掲示板,2000年06月06日:04時57分43秒)
 >迷惑プレイヤーについての議論がなされていましたが、TRPGプレイヤーそのものが社会から見れば迷惑な存在であることは理解していますか?(ex.だらしない服装、TPOを弁えない服装や言動、目障り、不潔等)私個人のPLに関する見方はこれらとは大きく違いますが、一般社会に生きる人は偏見に満ちた目で自分達とは違う特異な存在を認識しようとします。
 
 もし「だらしない服装、TPOを弁えない服装や言動、目障り、不潔等」を“オタク”とみなすのならば、なにもTRPGプレイヤーだけが“オタク”ではない事を指摘します。
 
 アタシは前職の関係で、幕張で最初に開かれたM:TGの日本公式トーナメントに取材に行ったことがあります。
 一般に「“オタク”の甲子園」と呼ばれるコミケット以上の惨状があちこちで観られました。
 コミケットでも会場内の隅に座り込む人々は観られますが、マグロのように寝転ぶ諸君は、アタシは観た事がありません。
 
 ほかにも事例はあります。
 ホビーショップでカードを購入すると、ショップ外の階段に座り込み早速買ったばかりのカードをトレーディングし始める諸君。
 喫茶店でデュエルをするのはまぁ構わないと思いますが、エキサイトして声高にプレイする諸君。
 etc.
 
 もちろんTRPG以外のゲーマーも“オタク”であるからと言って、TRPGゲーマーも迷惑言動も仕方ないとゆう事ではありません。
 
 「だらしない服装、TPOを弁えない服装や言動、目障り、不潔等」は若年層の間で進捗中の傾向と思われます。
 例えば、とくにゲーマーでもアニメオタクでも、なんでもない若者が電車の中で床に座り込んでいるのを観たこと、ある人も多いでしょう。
 
 TRPGゲーマーの内の「迷惑な行動」はもんだいでしょうけど、それをアニメ趣味などの特定の層に結びつけて論じる事こそ偏見だと御思われます。そうした論じ方には説得力が感じられません。
 
#「TRPGゲーマーの社会的認知」については、アタシも速水さんと同じ意見です。
#「一般社会」からの社会的認知としては、「ほとんど意識されていない」と思います。
 
#「一般社会」からの見方からすれば「TRPGゲーマーがアニメファンを“オタク”と誹謗する」などの構図は「目くそ鼻くそを笑う」的に嘲笑されかねないでしょう。
 
追記・提案:この種の話題は、「TRPG改善委員会」の方に適していると思われます。もし、話題が続く場合は、できるだけ移動をお願いしたいです。
 あちらの掲示板のガイドラインは、「現状のTRPGを取り巻く環境の問題点と、その改善策について検討・行動していきましょう。」です。この掲示板よりは適しているでしょう。

2000年06月06日:06時11分51秒
Re:TRPGPlayerとTRPGの社会的認知 もしくはゲーマーだって一般人 / 速水螺旋人
 >新谷さん
 どうもこんにちは。「PLは社会的コミュニケーション 能力に欠けた人が殆どである」、との論、興味深く拝読いたしました。
 
「TRPG(もしくはアニメ等に代表される狭義オタクの閉鎖的世界)に関連した人以外との交流能力」の欠如、ということですね。
 
 オタク論などではわりとよく目にする意見ですね。
 あっさり結論からいいますと、それは間違いです。
 なぜか。
 
 オタクの中でもゲーマーにしぼって考えてみます。
 非オタクのゲーマーもいるとは思いますが、まあオタク定義論争になるのも不毛なのでそれはこの際横に置いておくとして。
 
 RPGというのは、安い娯楽だといわれていますがそうでもありません。
 サークルやコンベンションに出かけたりすると、まず電車賃などの移動代が発生します。
 しかる後、大抵昼御飯を食べることになります。
 それも、コンビニなどで買い求めることが多々あるでしょう。コンビニ、これがわりと高いんだ。
 セッション中に食べるためのスナックやジュースも必要ですね。 セッションが済むと、あとは皆でファミレスにご飯食べに行ったり、居酒屋に繰り込んだり。
 一日だけで、それなりの額が飛んでいきます(金欠のときは泣きたくなります)。
 
 ちょっとマニアになると、メタルフィギュアや海外ゲームを買いあさることになり、もっともっと金がかかることになります。
 資料も欲しいですね。武器とか世界設定のソースとか。
 コミケに遠征し、同人誌を集める人も少なくないでしょう。
 余談ですが、ついでにゲーム関係以外の同人誌もほしくなってきます。ずぶずぶ。
 
 この資金はどこから発生しているのでしょうか?
 お小遣いをもらっているような若いゲーマーは良いでしょう。
 しかし、大学生以上はどうなのか?
 金は勝手に湧いてくるわけではありません(だったらいいなあ)。
 アルバイトをしたり、就職をしたりして賃金を得ねばなりません。
 
 もうおわかりだと思いますが、「TRPG(もしくはアニメ等に代表される狭義オタクの閉鎖的世界)に関連した人以外との交流能力」が欠如していては、収入を得ることはできないのです。
 そんな人はどんな会社からも雇ってもらえません。
 ほとんどのゲーマーはなんらかの手段で収入を得ていますよね。
 
 労働し、その代償として収入を得、それを趣味に費やす。
 ごくごく一般的なことです。まさに一般人です。
 ステキなことじゃないですか。
 これを立派に問題なくこなしている以上、コミュニケーション能力が欠如しているわけではないのです。
 新谷さんの表現を借りれば、苦も無く一般社会的生活を営んでいる人がほとんどなのです。
 如何でしょうか。
 
 追記:
 RPGの社会認知ですが、これだけ小さいホビーだと認知もなにもありません。
 ほとんど意識されていない、というのが実状でしょう(笑)。
2000年06月06日:04時57分43秒
TRPGPlayerとTRPGの社会的認知 / 新谷
 この掲示板に初めて投稿させていただきます新谷と申します。
 既にこの掲示板でも何度か話題になっているようですが、TRPGplayer(以下PL)について幾つか意見させて頂きたいと思います。
 今、私が意見しようとしているPLですが、ここではゲームマスターも含めて、TRPGを遊ぶ人全般という意味で捕らえて下さい。
 まず断っておきたい事ですが、私は正確に言うと元PLであり、現PLの皆様がどのような方々なのかは(交流が無いという意味で)存じ上げておりません。しかし最近になってパソコンを入手し、ネット上のTRPG関連のHPを拝見させていただき、再びPLとしてTRPGに関わってみたいと考えたので、より先鋭的かつ論理的にTRPGに関わっている皆さんの意見を承りたいと考えて当掲示板に投稿させていただいた次第であります。はっきりさせておきますが、以下に述べるのは、私のPL観です。
 では本題にはいらさせていただきます。
 まずTRPGから離れてはや3年、私なりにPLを客観的に考察したうえでの見解を述べますと、「PLは社会的コミュニケーション能力に欠けた人が殆どである」という事になります。ここで言う社会的コミュニケーション能力というのは、TRPG(もしくはアニメ等に代表される狭義オタクの閉鎖的世界)に関連した人以外との交流能力と考えてください。
#いきなり予断を差し込んでしまいますが、言葉の使い方が間違っているようなら、それぞれ貴方にとって適切と思われる言葉に置き換えて考えていただきたい。当掲示板には批判の為の批判、つまり提示された論題についてでは無くて論述方式についての批判が多く見受けられるように感じました。本来議論とは提示された論題について話し合われるべきものであり、言葉の引用や論述形式について批判しあうものではないはずです。個人的に形式にミスがあると感じたならば、その点についてサポートするべきであって、(敢えてこういう言い方をします)欠点を指摘して論題の本質を薄めてしまうような形は議論の本質ではないと思うのですが如何でしょうか?私自身、批判者の本意が何処にあるのか掴みかねました、この件に関しても返答いただけると幸いです。 では、本題に帰ります。つまり閉鎖された世界でしか自らの存在主張を出来ない人の集まりのように思えて仕方ないのです。勿論、趣味的世界を持つ人全て(例えば音楽、サーフィンなどを趣味としている人達全般)が今述べた分類(閉鎖的世界)に当てはまる事は承知していますが、ある趣味を持つ人々は社会的認知を得て他の趣味を持つ人々と交流できているのに比べてTRPGに関連する人々は社会的認知を得られず(広義の)オタクに分類されて交流を敬遠されているのは事実です。ここで社会的認知という言葉を使いましたが、大多数の意見という意味での社会的、です。
 自らの住まう世界においては自己主張が強くあたかも個性的な人間であると主張していた人々が、広く開かれた世界においては「おたく」の一言で括られて弾かれてしまい、結果閉鎖的世界に依存してしまうのは一体何故なのか?それは閉鎖的世界で用いられている『常識』を一般社会にも適用しようとしている、もしくは適用できると勘違いしている点にあると思います。例えば、大多数のPLは社会のマナーについてどう思っているのか、との議論をしようとしているときに、容姿、服装、喋り方など個人の勝手ではないか、との指摘を受けた事があるのですが、この指摘自体が相当に社会通念から外れてしまっているのはお分かりいただけるでしょうか?一般社会のコミュニケーションにはそれらも含まれているのは常識と言ってしまっても差し障り無い事でしょう。しかし、それがわかっていない人がTRPGの世界には多すぎるのです。迷惑プレイヤーについての議論がなされていましたが、TRPGプレイヤーそのものが社会から見れば迷惑な存在であることは理解していますか?(ex.だらしない服装、TPOを弁えない服装や言動、目障り、不潔等)私個人のPLに関する見方はこれらとは大きく違いますが、一般社会に生きる人は偏見に満ちた目で自分達とは違う特異な存在を認識しようとします。そういう意味では彼らも閉ざされた世界の住人と言えるのですが…。即ち、一般社会に生きる人は偏見に満ちた目でPLを見ている、PLはそんな彼らを無能で視野狭窄だとせせら笑う、そんな構図が成立しているわけです。つまり、両者ともに観念にとらわれて視野狭窄に陥っているのです。どちらにも属す事の出来ない私のような中途半端な存在からしてみると実に下らない事に思えてなりません。
 では、どうしたら相互理解のもと、TRPGが社会的認知を得られるのでしょうか?
 どちらかが相手の認識を迎合して馴れ合う以外に道は無いのではないでしょうか?そして、迎合するのは圧倒的少数派のPL側なのは致し方ないことでは有りませんか?まあ、大多数のPLは自己を捻じ曲げてまで社会に迎合するつもりは無い、もしくは理解してもらおうとは思わない、と考えるでしょう。当たり前です、そういう思想の持ち主だからこそ、閉鎖的世界に囚われて一般社会に打ち解けられなくなっているのですから。そういう凝り固まった思想に捉えられずにしっかりと一般社会に目を向けられる心の持ち主は、私が主張するまでも無く、とっくに自分が一般社会に支えられて生きている事を認識し、社会に迎合しようと努力しているのですから(苦も無く一般社会的生活を営めている人達を含む)。
 中には、歴史上世間に認められなかった天才、もしくは選民思想の持ち主達を例に挙げて反論したくなる人もいるでしょうが、少なくとも私の知る限りのPLで天才でも選民でもない人達は多く存在していました。貴方がそうでは無いと思うのならば、そのことに関して主張してみなさい。主張できない事を論拠に反論するのは愚論の典型例です。
 迎合する余裕の無い人達がTRPGを狭い世界の遊びにしてしまっているのではないか?これが以上までの中で私の主張したかった事です。
 私はTRPGが好きです。とても素晴らしい遊びだと思っています。しかし、出会うPLには尽く失望させられてしまいます。誰か私のPLに対する考え方を粉々に破壊するほどの反論を下さい。
 私が主張してきた事は当然主観に基づいています。よって、私は自論の押し付けをする気も無ければ、これが社会の正しい見方である、等と主張する気は毛頭御座いません。ただこの主張を読んで何らかの反応を示してくれる人がいたらよいな、と思う次第です。反応をくれた皆様とは大いに議論しあいたいと考えています。
文中で一般社会とか常識、世間などの単語を用いていますが、それらを大切にしすぎる事が人間の(特に日本人の)悪しき習慣で、人間の可能性を狭めてしまう下らない思想である事は重々承知していますし、こういう単語に対してそれだけで嫌悪感を抱く人が存在するのも(私がそうです)分かっています。しかし同時に殆どの人がそこに依存して生きている事も承知して頂きたいのです。更に言えば、PL全てがこの主張に当てはまるわけでは有りません(敢えて言う必要も無いかもしれない…)。
 TRPGを社会逃避の手段として捕らえてしまっている人達(閉鎖的世界のなかで更に閉鎖的になってしまった人達を批判する事で、自らを゛普通の人゛だと思い込んだ人達、更に言えば、とりようによっては私を含む)のおかげでTRPGが普及できずに閉鎖的世界で構造的欠陥に気付けぬまま発展してきてしまった現実を直視してみませんか?そしてTRPGをもっと広めてみる為の努力をしてみませんか?私はその為に色々やっていこうと思います。
 是非、賛同、批判のご意見承りたく存じます。その中で私は自らの取るべき道を模索していきたいと思います。
 私的な意見、また稚拙な論述にここまでお付き合い頂いた皆様、有難う御座いました。そのうえで何の反応(批判、賛同)も無い、もしくはその価値も無いと判断された皆様、私論の押し付けをするつもりは有りません、どうか今までどおり楽しくTRPGを遊んでいてください。それでは失礼します。
2000年06月06日:00時13分37秒
re:【ボードゲーム用サプリメント】パラフリ / SGE
・ENTさん
>『パラダイス・フリートRPG』と同じ舞台のボードゲーム『しきがみおえどボーナス争奪戦』(『別冊FSGI5号』収録)があります。

 パラ・フリは持ってるのですが、『別冊FSGI』は購読していないので知りませんでした。情報ありがとうございます。
 スザク・ゲームズの『別冊FSGI5号』紹介記事を読んだけど、『真・臨死体験すごろく』とやらも何やら気になる…。
2000年06月05日:22時32分05秒
【ボードゲーム用サプリメント】パラフリ / ENT
|日本製TRPGの派生商品としては、アニメや小説がほとんどだけど、
|ボードゲームも出して欲しいなぁ。

『パラダイス・フリートRPG』と同じ舞台のボードゲーム『しきがみおえどボーナス争奪戦』(『別冊FSGI5号』収録)があります。


2000年06月05日:21時14分31秒
ボードゲーム用サプリメント;補足 / SGE
書き込みしてから気付いたけど、和製TRPGとしてはモンスターメーカーのボードゲームが出てましたね。
でも、あれは順番としてはカードゲーム→ボードゲーム→TRPGだったかな。
2000年06月05日:19時01分14秒
ボードゲーム用サプリメント / SGE
・ヒロキさん
> ウォーハンマークエストかも知れない

>ウォーハンマーを知っていれば、うーむ、となる部分が盛り込まれていてり(伝説の英雄シグマー・ハインリヒの墓所とか混沌の軍勢が北から攻めてくるとか)

 以前は1つの背景世界で何種類かのゲームがでたりしましたね。
 「火吹き山の魔法使い」はゲームブックの他にボードゲームもあったし、「アーカム・ホラー」はクトゥルフのボードゲームだし。ボードゲームで遊んでいても、ゲームブックやTRPGの元ネタがちらりと見えたりすると、とても楽しいですよね。
 日本製TRPGの派生商品としては、アニメや小説がほとんどだけど、ボードゲームも出して欲しいなぁ。既存のTRPGシステムに追加して遊ぶ、ボードゲーム用サプリメントとかもあると面白いと思うんだけど、出しても売れないのかな。
2000年06月05日:18時08分09秒
イベント毎にGMを分担 / SGE
・みはえるさん
> システムにイベント生成機能(ランダムイベントチャートみたいなモノ)があり、複数のイベントの流れを、みんなでストーリーに仕立てる。

 そうか、ランダムチャートを使うという手もありましたね。
 ランダムなイベントからストーリーをみんなで組み立てるプレイ方法は、ぜひ私も遊んでみたいです。

 GMに物語を作る権利を与えないというのは面白いプレイですね。そこから考え付いたのですが、

 ・ストーリーはランダムなイベントの組合わせから、みんなで考えて組立てる。
 ・GMの仕事は局地的状況判断に限定する。

 のようにプレイすれば、GMのマスタリング技術レベルによるセッションへの影響を最小限にすることができるし、マスターをプレイヤー全員で分担することも容易かもしれません。
 例えば、第1のイベントではA君がマスターをやって、第2イベントではB君がマスターをやる。自分がマスターのときには、自分のキャラクターはNPCとして扱う、なんて方法はどうでしょうね。
2000年06月05日:07時31分01秒
現状で近い者だと / ヒロキ
>GMレスTRPG
 ウォーハンマークエストかも知れない
 
 死の迷宮やローグタイプのランダムダンジョン生成型で経験値やLVアップ、カードによるランダムイベントがあったりします。
 まぁ、イベントにして落とし格子や落盤などストーリィと言うのはアレな代物ですが
 初期目的はカードとチャートで決定され、ウォーハンマーを知っていれば、うーむ、となる部分が盛り込まれていてり(伝説の英雄シグマー・ハインリヒの墓所とか混沌の軍勢が北から攻めてくるとか)しますが基本的に特定の部屋へ行って帰ってくるだけの代物です。
 
 そうゆう意味では戦闘を目的としたものなので2番の条件には引っかかりますが
2000年06月05日:07時08分25秒
Re:GMレスTRPG / みはえる
>SGEさん
 システムにイベント生成機能(ランダムイベントチャートみたいなモノ)があり、複数のイベントの流れを、みんなでストーリーに仕立てる。
 ってのはどうでしょう? 1に近い気もしますが。
 これ現在ウチのサークルで作ってるモノでして、マスターはいるんですが、マスターには物語を作る権利が無いというちと変わったゲームです。
2000年06月05日:04時22分53秒
論述をする際に気をつけてほしいこと(当掲示板の話題より) / Yosh

 このような言い方をしては悪いのですが、ここ最近の投稿にはちと残念な気持ちを持ってしまいました。

 すぐ下で私はGenichi! さんの見解を批判させていただきましたが(2000年05月06日:02時07分30秒; [やさしさの精神病理] RPGプレイヤーは傷つきやすいか? / Yosh)、その中で1)サンプリング、2)観察状況、3)評定の3点がしっかりしていない論述は、錯覚を起こしやすいと書きました。そして、そういった意見が妙に(要するに偽りの)説得力があったりすると、内容によってはイデオロギー的に利用される危険性もあるという指摘もつけ加えました。

 何が残念かというと、この指摘がそのまんままるまるエイザムスさんの投稿(2000年05月22日:01時19分43秒; 仮想世界体験システム / エイザムス)に当てはまることです。一応、多少は慎重な書き方をしているとは言え、この問題の本質自体は変わりません。

 でまぁ、ついでに言うならそれに対する匿名希・望さんのお返事(2000年05月31日:17時51分05秒; もう少し書き方を考えて / 匿名希・望)で参照されたリンク先も同じような問題があったのでますますがっかりしたわけです(精神分析や人間性心理学の専門家ってのはなんであーいい加減なこと書くんだろ……。少なくともあまり鵜呑みにしない方がいいことだけは確かですよ)。

 ただまぁそんなことを言い出したら、こういった本来なら社会調査をしてから考えるのがスジの話題は一切できなくなるじゃないかと思われる方もいらっしゃるかも知れません。それはもっともなのですが、やっぱりちゃんと調査をしていないものは、そのまま憶測だけを垂れ流しても説得力がありません。だから、次善の策としてせめて予測しうる反論について再反論できる程度には話を練ってから発表した方がいいのではないかと。その第一歩として、自分の意見に都合のいいデータを集めようとするのではなく、むしろ都合の悪いデータの方を探して回るというやり方をオススメします。


2000年06月03日:17時44分01秒
「アダルトチャイルド」となりきり迷惑プレイヤーは別?(RE:もう少し書き方を考えて) / エイザムス
>匿名希・望氏
 >それだったらアダルトチルドレン(以下AC)とかを例にださないほうがいいです。
 
 そうでしたね。「アダルトチルドレン」という概念自体インチキだ、という
 専門家の意見を聞いたことがあるのにもかかわらずこの単語を
 「素人だから使っても構わんだろう」とたかをくくって一回でも出したのがいけませんでした。
 
 >参考になるところへリンクを張っておきます
 
 紹介された文章を読みました。
 ADと称される人たちの幼少時におけるコミュニ能力の未発達の原因について事細かな考察を拝見できてよかったです。
 
  この文章によって「迷惑プレイヤーのすべてがADとは限らない」ことがよくわかりました。
 「なりきり迷惑プレイヤー」についてはまた別個に考えるのがよいかも、というのが現在の考えです。
 
 >「コミュニケーション能力が無いから承認が得られない」のではなく
 >「承認を得られないからコミュニケーション能力が発達しない」
 
  幼少期に親が十分な承認を与えることでコミュニケーション能力を基本値に引き上げることは重要です。
  そして基本値まで引き上げられたコミュニ能力をもって、更なる承認を得ようと努力してさらにコミュニ能力をアップさせる、のが普通の人間の生存プロセスですね。
  しかし、幼少期に十分な承認を得られなかった人は、年を重ねるにつれて普通の人との能力差が激しくなってしまいます。
  聖書の一節にこんな文章があります。
  「富めるものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなる」
 
  そういうコミュニ能力の貧しい人が、アニメやゲームの世界へ流れ込みやすいのは間違いないでしょう。
 
 >「気に入らない」というのは「つまらない」とか「出来が悪い」とかいう意味です
 
  例えば「D&Dのルールを改造(改悪)・省略して、無理やり人間ドラマごっこをやる」とか
 「ソードワールドの(貧弱な)世界設定情報だけをつかってなりきりごっこをやる」とか
 そういう遊びかたを間近でみたり聞いたりしているので、それを意識しました。
  ゲームコンセプトやルールを無視するとはこういうことでしょう。
2000年06月03日:11時52分28秒
GMレスTRPG / SGE
 TRPG改善委員会での話題から移動してきました。
 GMのいらないTRPGとはどのような方法があるか、少し考えてみました。

 1.選択すべき行動がすべてシナリオに記載されていて、その結果に関してもすべてが記載されている。つまり、ゲームブックみたいなもの。

 2.ボードゲームやSLGのようなゲームにする。ただし、ゲームデザイン時に、勝つことを目指して楽しむというより、その過程で起きる出来事を楽しむようにデザインする。

 3.GMをプレイヤー全員で分担する。GMが握る情報をプレイヤー全員に分割して、先の予測を困難にする。また、行動に対する結果を、プレイヤー全員の合議制にする。

 ざっと考えて以上のようになりました。3はGMがいらないというより、みんなでGMをやろうという案ですが。
 他にもどのような方法があるか、よろしければ皆さんのご意見もお聞かせください。

ps.1年ほど前に「くう」というHNでこの掲示板に書き込みをしてましたが、今回HNを変えました。
2000年05月31日:17時51分05秒
もう少し書き方を考えて / 匿名希・望
・エイザムス氏

>私のいう「自己存在のアピール」というのは、
>赤ちゃんの夜泣きや、「新世紀エヴァンゲリオン」最終回の主人公のような
>「僕って生きててもいいの?」というような基礎的なものだけでなく、

それだったらアダルトチルドレン(以下AC)とかを例に出さない方がいいです。
「承認」とか「AC」とかいう表現を同時に使ったらそっちの方としか解釈できません。

>「仕事をばりばりこなして会社の利益に貢献する」とか
>「小説を書いて読者から反響を貰う」とか
>「女の子をナンパして一夜を共にする」など
>といった、社会における活動全般も含んでいます。

上記の二つは「含む」という表現が不適当なぐらい異質なものです。
というよりそういう表面的行動の裏にある心理が普通の人と「AC」な人とでは全然違う。
#表面上、普通に振る舞ってるACはザラですよ

>周囲の人間や環境に対して何らかのアクションを行って、それについてのリアクションを得ることで、
>心の充足を満たす(=自己存在の確認)ことは間違いないでしょう。

だからその心の充足=自己存在の確認っていうので全てを語らんでくれと言ってるんです。

この件について本格的な事を言い出すとキリが無いので止めますが、参考になる所へリンクを張っておきます。

>「実生活で充足を得られないから、ゲームによって充足を得る
>−>しかしながらその行為・手段が幼稚でイケテない
>−>これはコミュニケーション能力の欠如が原因である」

マジックとかのようなゲームではゲーム上でやる事が制限されてるから人格上の問題が顕在化しないだけで、TRPGに集まっているというのは単なる思い込みとしか思えませんけどね。
#むしろルールが明確なゲームほど「コミュニケーション能力」が欠如しててもプレイが成立するとも言えます。

>例えば「コミュニ能力のある人でも、なりきり迷惑プレイヤーになる」ならば、是非そのメカニズムを知りたいですね。

勘違いは別として、俺が「二次的」と言ったのが前置きであることからも分かるように、
「コミュニケーション能力が無いから承認が得られない」のではなく「承認を得られないからコミュニケーション能力が発達しない」と言いたかっただけです。
まあ最初の誤解は解けたと思うのでこれ以上は関係ありませんね。

あと、なりきり自体が単独で迷惑に直結するわけじゃありませんよ。
コミュニケーション能力があってなりきりができるなら迷惑にはなりません。

>>「ゲームコンセプト」・「ルール」が邪魔なんじゃなくて
>>「気に入らないゲームコンセプト」・「気に入らないルール」があるだけ
> 
>そのとおりですね。都合のいいルールまで除外する必要はないですからね。

曲解せんでください。
「気に入らない」というのは「つまらない」とか「出来が悪い」とかいう意味です。
エイザムス氏いうところの「意志決定ゲーム派」だってわざわざクソゲーを遊んだりせんでしょう?

大体、俺は自分を「意志決定ゲーム派」じゃないなんて思ってませんよ。
「ストーリーを生成させるというゲームの目標に向かって意思決定する」んですから。
#他の人は知りませんが俺はそうです

>>作者的立場からは「ゲームを完遂するために必要な冷静さや客観的なものの見方」を、
>>観客的立場からは、「仮想世界の住人に感情移入する(≠なりきる)事」を同時に行なってますよ。
> 
>GMとプレイヤーの立場によって、セッションに臨む心の在り方が異なる、ということでしょうか。

もうお分かりでしょうが違います。
「ここでちょっとPC同士対立したら話が盛り上がるな」とか計算しつつ、キャラクターの主張に共感したりする様な事です。
別にGM、プレイヤーの別無くやります
2000年05月30日:19時34分32秒
レスに対しての返答 <<仮想世界体験システム>> / エイザムス
 >匿名希・望さん
 >自分で自分を承認してやっていける人間の方が大多数
 
 私のいう「自己存在のアピール」というのは、
 赤ちゃんの夜泣きや、「新世紀エヴァンゲリオン」最終回の主人公のような
 「僕って生きててもいいの?」というような基礎的なものだけでなく、
 「仕事をばりばりこなして会社の利益に貢献する」とか
 「小説を書いて読者から反響を貰う」とか
 「女の子をナンパして一夜を共にする」などといった、
 社会における活動全般も含んでいます。
 (この定義の仕方が学術的に正しいかどうかは知りません。)
 「大多数の人達」は「自己存在の確認をする」ことについては無自覚だろうけど、
 周囲の人間や環境に対して何らかのアクションを行って、それについてのリアクションを得ることで、
 心の充足を満たす(=自己存在の確認)ことは間違いないでしょう。
 
 よって私の定義でいうなら、「自分で自分を承認してやっていける」人は、
 山奥で一人で自給自足の生活をしている人くらいですね。
 
 
>コミュニケーション能力の多寡は二次的問題
 
 たしかに、現場(セッション)レベルでの対症療法には直接の役にたたないかもしれません。
 
 対症療法については現在すでにいくつか提案されています。
 (どういう方針でゲームするかを明言する、最悪の場合は卓から追い出すなど)
 
 しかし、「なりきりによる迷惑な遊び手」をTRPG界から根本から無くするためには、
 彼らを追い出すだけではダメではないのか、
 また「なりきりによる迷惑な遊び手」の発生するメカニズムを分析することが
 TRPG界になんらかの役に立てばよいな、と私は思いました。
 
 そして元なりきりゲーマーとしての忌まわしい経験をもとに、
 「実生活で充足を得られないから、ゲームによって充足を得る
 −>しかしながらその行為・手段が幼稚でイケテない
 −>これはコミュニケーション能力の欠如が原因である」
 と分析したうえで先の文章を書きました。
 (先の文章そのものが、TRPGに役立つのか?と問われると、自信はないですが)
 
 もしも、私の分析が間違っているならば、
 例えば「コミュニ能力のある人でも、なりきり迷惑プレイヤーになる」ならば、
 是非そのメカニズムを知りたいですね。
 (勘違いによって発生することはあるかも。そういう人には正しいTRPGの遊びかたを教える
  (物語生成でも意志決定でもどちらでも)のが簡単な解決方法ですね)
 
 
 >「ゲームコンセプト」・「ルール」が邪魔なんじゃなくて
 >「気に入らないゲームコンセプト」・「気に入らないルール」があるだけ
 
 そのとおりですね。都合のいいルールまで除外する必要はないですからね。
 
 
 >最後の3行について
 
 GMとプレイヤーの立場によって、セッションに臨む心の在り方が異なる、ということでしょうか。
 これはこれで、分析の新たな切り口になると思います。
 
 #ちなみに現在の私は、バリバリの意志決定ゲーム派ですが、物語生成は否定していません。
  というか、興味はあります。
 
 >針原神無さん
 
 >「冷静で客観的なものの見方」もコミュニケーション能力の部分的条件では
 >あるのですけれど必要十分条件とは言いがたい
 
 私の文章では、「冷静で客観的なものの見方」が、
 コミュニ能力の一部であるとも必要十分条件であるとも一言も言及していません。
 というよりも、それがコミュニ能力の条件か否かすら考えていませんでした。
 
 私の文章では単純に、
 「ゲームを完遂する」為に必要な「冷静で客観的なものの見方」と、
 そしてまた、「自分たちが体験したい仮想世界の再現」に邪魔な「ルール」「ゲームコンセプト」を
 切り捨てているのだから、普通のTRPGerとは全く異なる遊びをしているのだ、
 といっているだけでした。
 (「冷静で客観的なものの見方」と、「ゲームコンセプト」・「ルール」は、
  先の文章において並列の関係です。従属の関係ではないです)
 
 >客観的な判断力はもちろん必要ですが、準客観的な解釈能力、了解のセンスも、
 >共感能力、などなども重要、とされるのがコミュニケーション能力
 
 この指摘はとてもありがたいです。
 「コミュニケーション能力」そのものについては、よく考え抜いていませんでした。
 
 周囲へのアピール過程だけでなく、承認を受け取る過程も大切ですよね。
 そちらの分析も必要ですね。
 
 #「客観」「準客観」「共同主観」「主観」の違いが私にはよくわからないので、
  次までには勉強してきます。。
 
2000年05月22日:18時00分54秒
仮想じゃなくて妄想 / 匿名希・望

・エイザムス氏

これは前置きですが、

>人間は、自分の存在をアピールして周囲の人や物に承認されることで、自分の存在を確認します。
>しかし中には、コミュニケーション能力が低いために、
>現実世界においてうまく承認を得られない人がいます。(アダルトチルドレン、狭義のオタクなど)

世の中、自分で自分を承認してやっていける人間の方が大多数です。
コミュニケーション能力の多寡は二次的な問題でしかありませんよ。

では本題。

>「ゲームコンセプト」や「ルール」は、自分たちが体験したい世界の再現には邪魔です。

ルールというのは、世界を動かすためのモデルです。
現実の自分達だって、たとえ曖昧でもある程度のモデルになる世界観を持ってなきゃ、何も動かせませんよ。
#結果として動く事はあっても意志をもって「動かす」のではない

ルールの無い、つまり何ら具体的・現実的行動の伴う事なしに願望が達成される世界っていうのは「仮想」じゃなくて「妄想世界」って言うんです。

「ゲームコンセプト」・「ルール」が邪魔なんじゃなくて、「気に入らないゲームコンセプト」・「気に入らないルール」があるだけでしょう。
少なくとも、「仮想世界」を体験しようする人間には。

「純粋妄想世界」を楽しもうとする人間の事なら知りませんが、一緒にされると迷惑でしょうね。
#あえて純粋と断ったのは、仮想の中に妄想が紛れる余地は残ってるからです。
#ただし、これは「仮想世界における意志決定の連続によって構成されるゲーム」でも同じ事ですけど

ちなみに、俺はRPGを「参加者にとって面白い物語を生成させるゲーム」と思ってますが、
作者的立場からは「ゲームを完遂するために必要な冷静さや客観的なものの見方」を、
観客的立場からは、「仮想世界の住人に感情移入する(≠なりきる)事」を同時に行なってますよ。

2000年05月22日:08時15分00秒
コミュニケーション能力の必要十分条件(Re:仮想世界体験システム ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>エイザムスさんへ
 コミュニケーション能力は単なる交渉力ではありません。
 「冷静で客観的なものの見方」もコミュニケーション能力の部分的条件ではあるのですけれど、必要十分条件とは言いがたいです。
 
 客観的な判断力ももちろん必要ですが、準客観的(≒主観的)な解釈能力、了解のセンスも、共感能力、などなども重要、とされるのがコミュニケーション能力です。
 冷静さや客観的なものの見方はコミュニケーション能力の一部にしか過ぎないわけです。
 
 それが「人間は、自分の存在をアピールして周囲の人や物に承認されることで、自分の存在を確認します」とゆうことですね。
 上記の文脈での、「アピール」や「周囲による承認」(了解)や、「自分の存在の確認」は、必ずしも客観的なもの「だけ」とはされません。
 特に 「周囲による承認」(了解)は共同主観的なものであることがほとんどですし、「自分の存在の確認」も、主観的な面と共同主観的な面が大きいですよね。
 
 ですから、もし、仮に、コミュニケーション能力の低い人が、TRPGで「ゲームコンセプト」や「ルール」を無視しているとしても、その理由を、たんじゅんに「ゲームを完遂するために必要な冷静さや客観的なものの見方は、仮想世界の住人になりきるには邪魔」だから、と推測・整理するのは、偏った分析であると思われます。
 
 TRPGでは、「ゲームコンセプト」はシステム(ルールブック&サプリメント類)から解釈されるものですし、「ルール」運用の妥当性も、セッションを通して相互了解されてゆく面もあります(プレイヤーとGMのコミュニケーションによります)。
#例えば、多くのTRPGシステムで、ワールド設定の適用や、アラインメント設定の運用には、妥当な解釈と説得力のあるプレゼンテーションも必要です。妥当な解釈や、説得力のあるプレゼンテーションは、必ずしも客観的なものの見方「だけ」では成り立たないと思われます。必要なら具体的な事例も挙げましょう。
 
 エイザムスさんの投稿では、コミュニケーション能力を、交渉能力と限定させる事で、冷静さや客観的なものの見方が強調されているのだと思いましたが。
 もし、そうだとしたら、「迷惑プレイヤー」に対する考察としても、「成りきり」に対する分析・批判としても、断片的なものであるように思えます。
 どう対処してゆけばよいか、の考え方が偏るような気がします(私見)。
2000年05月22日:01時19分43秒
仮想世界体験システム / エイザムス
#他の掲示板にあった「迷惑プレイヤー」についての文を読みながら考えたことをかきます。
 
 
  人間は、自分の存在をアピールして周囲の人や物に承認されることで、自分の存在を確認します。
  そして自分の存在を確認することで、苦しい人生を生き延びる原動力としています。
 
  しかし中には、コミュニケーション能力が低いために、現実世界において
 うまく承認を得られない人がいます。(アダルトチルドレン、狭義のオタクなど)
  そんな人達の何人かは、アニメやTVゲームなどの仮想世界に、
 自分の存在を確認する場所を見いだします。
 (アニメ、ゲーム好きな人すべてがそうだとはいいません)
 
  しかしアニメは一方通行なので、自己存在を確認するためのスペースが狭いです。
  またTVゲームは、アニメに比べると自分の行動によって(仮想の)
 世界を変化させることができるので、自己存在を確認する為のスペースが広いです。
  しかし現実世界に比べるとまだまだ狭いです。
 
 
  ところで、コミュニケート(交渉)能力の低くてアニメやTVゲーム好きな人の何人かが、
 TVゲームよりも大きく「自分が行動することによって自己存在を確認」
 できるツールを見つけました。
  そう、TRPGです。
 
  本来TRPGは、多様な仮想世界における意志決定の連続によって構成されるゲームです。
  馬場秀和氏の論考などでもいうように、達成されるべき目標も、課せられるべき制限も、
 乗り越えられるべき障害もあります。
 
  しかし、「交渉能力の低い人達」はTRPGの「多様な仮想世界」にのみ注目しました。
 TVゲームとは比べものにならないほどの、仮想世界の構築性。そして多様な行動手段。
  現実世界なみの自己存在確認機能を有した「仮想世界体験システム」として、
 彼らはTRPGを受け入れました。
 
  しかし彼ら「交渉能力の低い人」は、TRPGがゲームとして存在するために必要な要素を切り捨てました。
 「ゲームコンセプト」や「ルール」は、自分たちが体験したい世界の再現には邪魔です。
 ゲームを完遂するために必要な冷静さや客観的なものの見方は、
 仮想世界の住人になりきるには邪魔です。
  彼らに必要なのは、仮想世界の構築のための膨大な(でもゲームに役立たずな)背景資料と、
 現実を忘れて下層世界の住人になるための高揚と主観的なものの見方です。 
 
  邪魔なものを切り捨て必要な物だけを残すことで、「仮想世界体験システム」は完成しました。
  そして「交渉能力の低い人たち」は今日も、ダミ声でアニメに出てくる少女の物真似をしたり、
 「僕のキャラはそんなことしない!」などと駄々をこねたりしています。 
 
 
  よって、本来のTRPGerがプレーしているTRPGと、
 「交渉能力の低い人たち」が遊んでいる「TRPG」は全く別物なのです。
 あれはあくまで「仮想世界体験システム」です。
 
 #追記
 本当のTRPGerのみなさん。だからといって、くれげれも「仮想世界体験システム」をやっている
 人々に対して「お前らがやってんのはTRPGじゃねえ!お前らがそういう
 劣悪ごっこ遊びをやるからTRPGはオタクの遊びって言われるんだ!」
 などと刺激しないでください。
 人間は自分の存在を否定されることを一番恐れ、そして怒ります。
 (この場合、仮想世界の否定=そいつ自身の存在の否定)
 仮にそういう「交渉能力の低い人」がキレたら何をされるか分かったものではありません。
2000年05月06日:05時32分07秒
[ジャンル論]<構造>的ジャンル論批判(?)への反論 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 YoshさんがGenich!氏の意見への反論を挙げてられますが。
 アタシも、Genich!氏の発言には、論拠が曖昧な主張を、さももっともらしいレトリックでまかり通そうとしているとしか思えない事例が、まま見受けられると思います。
 
 あまりにバカバカしいので、これまで放っておいたのですが、でアタシの関連の方も反論を挙げておきましょう。
 
 「なるほど、構造分析でしたか」 (RPG総合研究室 LOG 044,Genich!氏Wrote,2000年04月20日:19時51分40秒)
 
 >構造分析にしろ記号論にしろコミュニケーション論でもあるいはその他の現代思想にしろ、鍼原さんの使われている手法は、現状では「解釈のための理論」の域を出ておらず、「綺麗な分類を作って知的好奇心を満足させる」ためなら重宝しますが、何かの役に立てるために応用するのは今のところ無理です。「これこれこうなるはずだ」という予言力を持たないため、カール・ポパーなどに批判されています。また、テクスト分析は分析者の主観に大きく左右されることが問題とされている、という点もあります。
 
 ――うえの部分ですが。
 まず、「鍼原さんの使われている手法は、現状では『解釈のための理論』」。これは、「ジャンル論」が、「システムの解釈の妥当性」に基づくべき分野である以上当然の前提です。
 そうした前提を無視して「ジャンル」について何かを論じようとする姿勢自体がおかしいと思われます。

 「『綺麗な分類を作って知的好奇心を満足させる』ためなら重宝しますが、何かの役に立てるために応用するのは今のところ無理です」
 この個所は見解の相違と思いますが。論拠が薄弱な断定だ、との指摘はしておきます。
 一応、「『これこれこうなるはずだ』という予言力を持たないため、カール・ポパーなどに批判されています」とのコメントが論拠であるかのように提出されていますが。論拠の提示としてはタイヘン曖昧でレトリカルです。
 
 まず、構造論が、「『これこれこうなるはずだ』という予言力を持たないため」。実は、これはありがちでよく聞くな批判なのですが、ソシュールなどの初期構造論が「静態的構造論」として誤解にもとづいた批判言説を、Genich!氏が鵜呑みにして論じているのではないか(?)との可能性が濃厚です。
 断定はしませんが、よくある批判のパターンですので、アタシはそのように類推しました。
 
 元々、Genich!氏が批判の出展をきちんと引用していないので、アタシとしても適確な反論のしようがありません。その意味で曖昧で無意味な指摘だと思います。
 せめてカール・ポパーがどのような機会に、どんな論旨の批判を、誰の構造論に加えたか、出展を支持して、指摘すべき事項でしょう。
 
 さて、ポパーの思想ですが、アタシはさほど詳しくありません。しかし「三世界理論」が有名である程度の事は知っています。
 この「三世界理論」とは一般に次のようなものとして理解されています。
 まず、「1.物理的実在の世界」、「2.主観的な意識の世界」、「3.記号や文章が読み解かれるときに現れてくる世界」のそれぞれを、世界1、世界2、世界3と呼びます。そして、ポパーは、世界1〜3は、それぞれが相互に独立して客観的に実在している。同時に三世界はそれぞれの自律性を持ったまま相互に影響し合っている、と論じているようです。
 
 ここで重要なのは、「世界3:記号や文章が読み解かれるときに現れてくる世界が、客観的に実在している」を、決して日常語彙で解する意味通りに採るべきではない、とゆう事です。
 例えば、数学者の中には、「数は実在している」との感覚を強く持っている人がいるようです(Genich!氏が好きな養老猛司氏のコメントにもあります)。
 
 一般に哲学とは、一流であればあるほど、日常語彙からかけはなれた独自の定義の体系になります(要するに“オレ言葉”の極限です)。ですのでポパーの「三世界の客観的実在」も決して素朴な日常語彙感覚で理解されるべきではないと思います。
 
 さらに重要なポイントは、「記号や文章が読み解かれるときに現れてくる世界が、客観的に実在している」を素朴な日常語彙の感覚で理解すると、ソシュール以降の20世紀言語学の大前提である「言語記号は社会・文化的な約束事であり、客観的な根拠は無い」と真っ向から背反してしまうことです。
 
 Genich!氏は、「記号論にしろコミュニケーション論でもあるいはその他の現代思想にしろ、鍼原さんの使われている手法は、現状では『解釈のための理論』の域を出ておらず」と極めてナンセンスなコメントを公表していますが。記号論、コミュニケーション論、言語学は、元々「妥当な解釈の為の理論」なのです。「言語記号は社会・文化的な約束事であり、客観的な根拠は無い」との前提にたっているのから当然でしょう。「現状では『解釈のための理論』の域を出ておらず」とはナンセンスなコメントと思われます。
 
 「その他の現代思想」って言葉でGenich!氏が何を示唆しようとしているかは意味不明です。
 誰にでも思想の自由はあるので、Genich!氏が「妥当な解釈のための方法論」ぬきでコミュニケーションを論じられる、論じるべきだと信じるのは氏の自由ですが。アタシにはナンセンスな発想だとしか思えません。
 
 言語コミュニケーションとは、相互解釈の過程だ、と見なすのは、アタシは妥当な前提と思えますので。(必要があればいくらでも例示を挙げることは可能です、が必要ないでしょう)
 
 それに、こんなもんだいにポパーを引き合いに出すのもミスマッチだと思います。ポパーの主題は「批判的合理主義」として知られていますので、認識論や科学方法論の分野ですね。言語学やコミュニケーション論の妥当性を論じるために持ち出すのはいささか唐突でしょう。
 
 最後に「テクスト分析は分析者の主観に大きく左右されることが問題とされている、という点もあります」。この部分も大変曖昧な指摘です。
 
 Genich!氏が言っているのは、おそらく「脱構築批評」の手法のことだと思われます。テクスト分析一般が、分析者の主観に大きく左右されては、言語学はなりたたないですね。
 しかも、アタシは「脱構築批評」のような方面については、TRPGの関連では論じた事はありません。ですので、これもGenich!氏の誤解による無意味なコメントと思われます。
2000年05月06日:02時07分30秒
Yosh / [やさしさの精神病理] RPGプレイヤーは傷つきやすいか?

 Yoshと申します。実験人格心理学を専門にするドクターの学生です。こちらには初投稿となります。

 さて、Genich! さんによる最近の「傷つきやすい」RPGプレイヤーについての話題がポストされましたが、異論があります。私は、RPGプレイヤーが非RPGプレイヤーと傷つきやすさの差があるとは言えないと思います。

 まず第1に、匿名希・望さんの書かれているとおり、「やさしさの精神病理」で紹介されている傷つきやすい若者とは、近年の若者の全体的傾向であり、RPGプレイヤーに独特というわけではありません。Genich! さんは「RPGプレイヤーに特に見られると思う。確かに実証はできないが、錯覚だというのも実証できていない」という趣旨の反論をされていますが、これは議論の仕方が間違えています。まず、仮説を出したなら、仮説を出した側がそれを十分な根拠を提示しなければなりません。さもないと、「幽霊は実在する。実在しないというなら証拠を見せてみろ。」というような言い分も通ることになってしまいます。実在証明の責任は、全面的に提唱者の側にあるのです。

 第2に、Genich! さんがご自分の意見に説得力を感じるという点ですが、以下の点について考えられたことがあるでしょうか? まず、サンプリングです。ちゃんと若いRPGプレイヤーと年輩のRPGプレイヤーと、それにRPGをプレイしない若者や年輩者とをすべて比較していますか? 次に観察状況です。RPGのプレイというのは日常生活に比べて個性のぶつかり合いになりやすい(傷つきやすい環境)と思うのですが、RPGセッション中と日常生活とを比べていませんか? この両者を比べていたら、見た目に差が出るのは当たり前でしょう。それから、評定です。ある人が傷つきやすいかどうかを判断する基準作りというのは意外に難しいですよ。これら3点がすべてしっかりしていないと、錯覚と言われても仕方がありません。逆に、これらがあやふやなときほど錯覚を起こしやすいとも言えます。

 第3に、RPGプレイヤーのパーソナリティについての論文を見ると、RPGプレイヤーが統制群と比べて特異なパーソナリティを持っている傾向はほとんどないという結果が出ています。アメリカの研究ですし、ごく簡単な調査でしたから、十分な根拠とは言えませんが、何もないよりは多少信憑性があるでしょう。

 わざわざ指摘するまでもないかとも思いましたが、こういった言説はイデオロギー的に利用されやすいのではないかと思ったので、一応反論をしておきました。


2000年05月03日:20時51分45秒
あ〜、書きたくないのに、書きたくないこと、書いちゃった。 / ぴゅうた
足元すくわれて倒れない人って・・・多分この世にはいないんじゃないんですか?
生兵法で無くとも、一生無傷で過ごす人も、おそらくいないでしょう。
  
ごめんなさい、こんなこと言うべきではありませんね。そーなんです。余計な一言なんです。
  
でも、その一言、あなたにも心当たりありませんか?
  
本来なら、わたしなんかの出る幕じゃないんですけど、他人であるわたしが読んでも、あの2行は傷つくフレーズです。
2000年05月02日:18時05分31秒
[やさしさの精神病理] Re: 多分錯覚です / Genich!

匿名希・望さんの[やさしさの精神病理]多分錯覚ですへのコメントです。


#ついつい「傷つきやすい人」って Genich!氏自身の事じゃあ・・・・と邪推してしまいます。

はい、私も自分自身「傷つきやすい若者」に該当する、という話を既にこの掲示板で書いています。それでもって、私よりさらに傷つきやすさレベルの高い人がRPGファンの間に多いように感じる、と。

私も、自分の仮説が仮説に過ぎないことは理解しています。あくまで「私の考え」です。実証できていない。なので、「俺の仮説は絶対正しいっ、だから○○しろっ」とか押しつけるつもりはありません。先の発言についても、PALM-12さんの考え方に対して「こういう考え方もできますよね」と返事するつもりで書き、あまりおしつけがましくならないように書いたつもりだったのですが、もし変な印象を与えたらそれは私の文章力の無さのせいでしょう。
しかし一方、私は自分に甘い人間ですので、自分の仮説に説得力を感じています。私の考え方を読んで同じように説得力を感じてくれる人が出てくれると嬉しく思う、というのもこの掲示板に書きこんでいる理由の一つです。「錯覚です」と言われても、私としてはあまりそちらに説得力を感じられません。もちろん、「錯覚である」というのもやはり同様に実証のない仮説の一つなのですから、それでいいのでしょう。実証無しにどの仮説が正しいとか言い出すと単なる水掛け論になってしまいますし、それは私の好むところでありません。


2000年05月02日:17時26分27秒
[やさしさの精神病理]多分錯覚です / 匿名希・望

(失礼なタイトルですみませんがこの程度のことで怒る Genich!氏でもありますまい)

基本的にこの手の話題は問題プレイヤーの扱いに属することなのでここで話すのは気乗りしないのですが。

いきなり脱線してすみませんが

>「ゲームから逸脱した遊ばれ方をされるようになったが故に、RPG が斜陽の産業になってしまった」と考えているためです。
>ゲームとしての面白さを全面に出しているカードゲームの隆盛を見るたびに、その思いを強くしています。

TCGとの競合に敗れたのは単にコストパフォーマンスの問題としか思えません。
#余談ですが商業的に先行きが暗い=文化としての発展性が無い、ではありません。誤解なきよう
それにRPGがゲームから逸脱された遊ばれ方をされているというのも一部勢力の話にしか過ぎないでしょう。
#そういった派閥がRPGシーンで支配的であったという具体的証拠がおありでしょうか?

そして本題に移りますが、まず生兵法は怪我のもとという言葉もあります。
ちょいと本を読んだ程度の事で世界が分かった気になってたら足元をすくわれます。

それはさておき、

>傷つきやすい人々の話も出ていますが、これについて私はまた違った見方をしています。
>実はこの人達には「勝ち負けがはっきりつくのを嫌う」という傾向があります。負けたとなると傷つくためです。

それは、その勝負に人格をかけてる場合だけでしょう。
自分にとってどうでもいいような事で負けても気にしないと思いますが。

大体、彼の本の中ではそれは若い世代全般に見られる現象として記述されてるはずです。
Genich!氏がみた範囲でRPGプレイヤーにそういった人間が多いというのは、単に Genich!氏の付き合ってる「若い」人間がRPGプレイヤーに偏ってるせいでは?
#あるいはゲームに人格かけてる人間の割合が多いとか
勿論、単なる憶測ですが Genich!の唱える「仮説」には随分穴が多いように思います。
こちらは単に「そこはこうも考えられるよね」と穴を指摘しただけなのでご理解下さい。
#ただ Genich!氏はやたらと他人の仮説に対して「実証」を求めるのに、自分の仮説の穴を指摘されてもクリティカルな部分で返答を避けるのは個人的に不可解に思いますが。
#ついつい「傷つきやすい人」って Genich!氏自身の事じゃあ・・・・と邪推してしまいます。

ついでに『やさしさの精神病理』について別の側面から見てみるのに良いページがあるので紹介しておきます。

メールマガジン こういちろうの心理学ノート メールマガジンのバックナンバーという体裁になってますが直接関係しているのは4−1・2「エゴグラムについて」「NP的やさしさとAP的やさしさ(大平健『やさしさの精神病理』)」の二つです。
#でも他にも面白い記事はありますし元ページにあるアニメ評論もとても面白いので、 Genich!氏に限らず興味を持った方には見て欲しいですね。
2000年05月02日:15時49分36秒
[ストーリー生成ゲームとしてのRPG]セッションの評価(Re:演技の良し悪しを評価する) / 匿名希・望

随分ほったらかしてしまいましたが Genich!氏へのレスです。

>「ストーリーに点数をつけて評価できるとよいのでは」という意見も出ています。
>しかし、「じゃあどうやって比較/採点/評価するか」の具体案が思いつかない。
>この辺について具体的なアイデアありませんか?

採点基準なんてものを作るにはまず自分自身の「物語」一般への採点基準がわかってないと不可能でしょう。
そしてそれが客観性をもつにはそういった物がプレイヤー間で共有されてないといけません。

サークルメンバー内での使用に耐えるようなものならともかく、汎用的に使用できるかというとかなり厳しいと言わざるをえません。

ですので多分、俺が何か具体的なアイデアを言ったとしてお役に立てるとは思いませんね。
共有できるとすれば、せいぜいシステムコンセプトに沿っているかどうかぐらいでしょう。
#真面目にクトゥルフやってたら、例え面白くても全篇コメディは駄目でしょう

でも点数評価でなくたって、「観客として」面白かったかどうかなんてすぐに分かると思うのですが?
まさか Genich!氏は普段映画や小説を観ながら一々、採点基準を確認しながら面白いかどうかを判断しているのではないでしょう?
#まあ実際そうだったら申し訳ありませんが
2000年05月02日:10時53分22秒
[ジャンル論]TRPGの遊びかたと勝利条件(Re:「プレイ時間の内と外」に関するコトの評価かな?) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@PALM-12さんWrote(「 [ジャンル論] 「プレイ時間の内と外」に関するコトの評価かな?」,TRPG総合研究室 LOG 047,2000年05月01日:00時22分59秒)
 >いつも思うのですが、TRPGってゲームとしての「勝利条件」がなくてもプレイできますよね?
 〔中略〕
 >無い人もいるし、他人には曖昧なことも多いと思います。
 
 ホントはPALM-12さんには、言わずもがなな事なんですけど。
 
 TRPGの遊ばれ方で、プレイヤーごとの勝利条件は、「無い」わけではないですよね。(常態では、いわゆる物見遊山的セッションは例外視します)
 セッション展開に応じて、勝利条件を策定してゆく過程もゲームプレイに含まれている。
 つまり、はじめは曖昧なものを明瞭化してゆく過程もゲームプレイに含まれているわけですよね。
 そこが、SLGジャンルや、ミニチュア・ゲームジャンルの遊びかたとは違う。
 
 もちろん、曖昧な勝利条件の明瞭化は、システムを解釈された、ゲームコンセプトに沿ってなされるべき、なのですが。
 「妥当な勝利条件を策定できなかった場合」も、「妥当な勝利条件は策定したけど、うまく達成できなかった場合」同様に、経験値は貰えないか、凄く少ないかでしょう。
 
 この、勝利条件が徐々に明瞭化されてゆく面「だけ」を観ると、Whitch-Wayゲームブックの出来のよいものにも似ている(あちらの方が明瞭化のルートは固定されているけど)。
 また、CRPGソフトでも、とても素朴なレベルでなら、「勝利条件が徐々に明瞭化・されてゆく」部分は観ることはできる。(TRPGでは能動的に「明瞭化・してゆく」ものですが)
 ADVソフトでも、同様ってことではないでしょうか。
2000年05月01日:13時59分49秒
TRPG総合研究室 LOG 047 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 047として2000年04月25日から2000年05月01日までのログを切り出しました。



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