TRPG総合研究室 LOG 015

TRPG総合研究室の1998年08月07日から1998年08月13日までのログです。


1998年08月13日:02時10分02秒
俺の正直な気持ち / 陽陰
 御免、俺やっぱもう馬鹿と付き合う気力なくしたわ。
 さいならー
1998年08月12日:23時55分14秒
現代医学と気功 / MARS
 うーん…どうもデブ猫さんや陽陰さんと私とでは表題のような違いがあるような気がする……
 確かに一見すれば無駄に見えるようなことも実はおもしろさに有効であることもあるのではないだろうか?
 だからといってそれを認めることはできないのもまた事実……
 医者が効果を立証できないものを使うわけには行かないですからねえ……
 私もRPGは混合物であるという意見です。
 但し化合物に変化させるべきだとも同時に考えています。
 不純物は取り除きよりよく結合した形にするべきだし努力もしているつもりです。
 でも実際できるかどうかもあやふやなんだよなあ……

(sf:重複削除しました)


1998年08月12日:23時14分27秒
観念的な話と、具体的な話 / YAN/矢野 聡一郎
> イニシャルビスケットのAさん
> ふ・ふ・ふ・謎の人物「A」です。どうもはじめまして。
 
 あ、アキトさんだ(笑)。どうもこんばんわ☆(今夜は挨拶だけね)
 
> SHiNさん
 
 うーん。なんていうか、SHiNさんの言われるように、キャラプレはやったほうが楽しいし、暴走プレイを制御することができればそれは素晴らしいことだと思います。でも、SHiNさんは、その事を主張する為にエネルギーを使い過ぎている…というか、浪費しているように感じます。
 
 SHiNさんの良い所は、「これだけ大量の書き込みが出来るほどのバイタリティ」と、「キャラプレに対する情熱」だと思うのですが、今はそれが空回り…というか、文字どおり暴走している状態ではないでしょうか。
 
 SHiNさんの場合、観念的な話より、具体的な話をする方が向いていると思います。まずは、以前あげられた
 
 1.(GMの立場から)プレイヤーのキャラプレを許容する状況の作り方
 2.プレイヤーにキャラプレを積極的にやってもらう(意欲を促進する)方法
 
 について、書かれてみてはいかがでしょう〜?
 
 …あ、でも、具体的な話となると、このボードはふさわしくないかな…?(観念的な話をするためのボードですよね、ここって)
 …この際、「キャラクタープレイ雑談所(研究所)」というボードがあれば一番なのですが(わりと本気;^^)。鍼原さんは「プレイング研究室」を推薦して下さったけど、SHiNさんのおっしゃりたいことはGMサイドのお話だと思うので、以前書かれたように、マスタリング研究室へ移動して具体論を書かれてみてはどうでしょ?自分は、それが一番SHiNさんの能力、労力、時間を生かせると思うのですけど。
1998年08月12日:23時02分36秒
Re:Re:がんばって3行にまとめました(^^; / 河嶋陶一朗
 外野でしかも、ごくごく個人的な感想ですが……
 
 >あるいは、SHiNさんはTRPGはゲームとそれ以外の混沌とした混合物
 >だと思っているのでしょうか? (そんな未成熟なわけはないですね)
 
 個人的には、河嶋はそう思ってます。
 河嶋はオリジナルのTRPGを創って売ってるんですが、その中に、やっぱり「TRPGとはこういうものです」
 という文章を初心者のために書かなければいけないわけです。
 んで、自分なり、もしくはそのゲームに向いた「TRPGとは何か」という解説文章をつけるんですが……
 この説明がうまくいった試しはありません(涙)。
 もちろん、日々勉強と思い、プロ、アマチュアを問わず様々な方々の「TRPGとは何か」という文章を拝見させてもらいました。
 しかし、やはり納得のいくもの、または河嶋は納得いくものの、数人に読まして、全員が納得いくものは存在しませんでした。
 
 んで、いちおー、河嶋の中では、
 「TRPGとは、ゲームと『それ以外』の混沌とした混合物」
 ということでまとまっています。
 ちなみに、「それ以外」の部分には「ロールプレイ」や「仮想体験するべき背景世界」、「みんなが集まってバカ騒ぎすること」、
 「物語に参加すること」、「物語を創ること」、「ライブを前提としたシナリオ」、「語り」などが含まれます。
 
 で、さらに極私的な「それ以外」の解釈には、
 「生活の一部」、「トモダチを創れるかもしれない道具」、「メシのたね」、「創作と表現の機会」、「自分だけのキャラクターが創れること」
 なんてヘンテコリンなものまで入ってます(苦笑)。
 
 んで、「TRPGとは何か?」という問いは、河嶋の中ではいまだ思考中で、とりあえず、その中間報告みたいな形で
 自分のゲームを創り、
 「○×はこれこれこういうゲームで、こんなところが特徴です」
 という風に作品ごとに定義しています。
 最近はそれでもTRPGを定義してしまうのが怖いのでTRPGという言葉ではなく、
 自分の作品には「アンプラグド(電源不要)RPG」と名乗らせています。
 それでも「RPGとは何か」という質問が怖いとこなんですが(苦笑)。
 
1998年08月12日:22時02分16秒
RE:……すみません。 / 鏡
 九十九兵部さんへ。
 
 既に挙げられておりますものに加えて、sfさんの労作 TRPG百科事典を 紹介させていただきます。
 「ゲーム」という項目そのものはありませんが、参考になります。
 
 こちらの各掲示板における用語の使い方は、原則としてこれを参考に しているものと・・・思います・・・多分。違うのかな?
 
 既にご存知でなければ、一見どころか、千見の価値あり、です。
1998年08月12日:21時50分48秒
どうも、すみません / 九十九兵部
>Aさん
 ありがとうございます。早速拝読させていただきます。
 
 ……なんか、今までの議論の経過を把握するには「馬場講座」なるものを読まなければならないみたいですね。
 ……まあ、これもいい機会だと思って勉強させていただきます。
1998年08月12日:21時11分32秒
あれ?リンク失敗しちゃった / A
えーと、ラボの要約です。
1998年08月12日:21時08分02秒
わたしが作った要約 / イニシャルビスケットのA
>九十九兵部さん
 ふ・ふ・ふ・謎の人物「A」です。どうもはじめまして。
 さて、ラボの要約に TRPGLABOのログ1〜7の要約が在るので、よかったら参照してみてはどうでしょう。
 
1998年08月12日:20時34分34秒
RE:……すみません。 / 3327
ええと、ゲームって、趣味です。
ジャンルを示す言葉なので、正確な表現をする事は不可能です。
聖書にある知恵の実とかオーディンの最後のルーンをもってしなければこれ以上の説明は出来ないかと思います。
イヤ、冗談でも馬鹿にしてるのでもなくて、出来ないですよ。
だって、料理って何か説明できます?

じゃあワタシらが何をやってるかといえば、
TRPGを今よりもっと楽しむために、それに至る手法の一つとして、
ゲームの中のTRPGというものを、
「XXみたいな〜」 ではなく、
「TRPG」 として確立させようとしてるんじゃないでしょうか?

料理、は説明できませんが、スパゲティ・カルボナーラなら説明できますし、今よりよくする事が出来ますからね。
実体のない 「ジャンルを表す言葉」 は、どう手をつけていいか分かりません。
だからまぁ、ゲームってなに? って聞かないで下さい。
1998年08月12日:19時50分00秒
……すみません。 / 九十九兵部
 過去ログ全部読んでない分際でこんなことを聞くのは大変失礼なのは承知しているのですが、ひとつだけ質問させてください。
 ゲームって何ですか?
1998年08月12日:19時44分34秒
Re:がんばって3行にまとめました(^^; / でぶ猫
 >だから、いまだに、「TRPGはゲームである」「よってキャラプレは付加価値である」という主張を繰り返しておられるのでしょう。
 
 うん、まあ、毎度のことですがやはり理解されとられませんな。
 
 SHiNさんは結局、SHiNさんの考える「TRPGとは何か」をまったく語っていません。
 「TRPGはゲームである/TRPGへゲーム以外のものである」というだけでは「ぢゃあなんだね」としか言えません。これじゃ意味をなしていないんですね。
 
 おそらく、SHiNさんは「TRPGはゲームから生まれてゲーム以上の何かになったもの」のように 考えておられるのではないかと思いますが、ではもはや「ゲーム」という言葉を使う必要はありません。その「何か」を示せばいいだけです。
 「ゲームだけどゲームだけじゃない(べんべん)」では何の説明にもなっていません。
 それを行なわず「TRPGはゲームだ。理解している」というのはやはり、私の言っていることを理解していないということになります。
 なぜなら、私の言っているのは「ゲームがTRPGすべての基礎である」と言っているのに(そして言葉をかえて何度も説明したのに)、SHiNさんは「わかっている」といいながら すぐに「TRPGはゲームとゲーム以外のもので・・・」といっとられる。
 もしかしたら、SHiNさんは自分の主張すら理解しとらんのじゃないかと勘ぐってしまいそうになります。
 
 あるいは、SHiNさんはTRPGはゲームとそれ以外の混沌とした混合物だと思っているのでしょうか? (そんな未成熟なわけはないですね)
 
 >で、キャラクターロールプレイの価値をかたる場合、『TRPGはゲームである。』という観点からでは、付加価値としか思えなくて も、その創作性に着眼すると付加価値とは言えなくなる。この点を、なかなか理解してもらえてないと感じます。(ほかにもいろ いろあるけど。まあ、最大のものはここでしょう。)
 
 はい、このような感じ方を恐れて「付加価値」という言葉を前面に押し出しました。
 でないと、創作性とやらとゲームとしての原則が衝突し、どちらかを選ばなければならないとした時 創作性を優先するケースが少なからず発生するだろうと思うからです。そして、SHiNさんのいう創作性がそれほど すばらしいものなら、ゲームの原則は次第にないがしろにされていくでしょう。
 これは、ゲームであることを尊重していることになりません。
 優先順位論としても、ゲームが基本、キャラプレは付加価値と位置付けなければならないのです。
 それに、SHiNさんはどうやら理解しておられないようですが、付加価値だからつまらないものだなどと私は言っていません。
 むしろ、魅力という点でもっともすぐれたものだと言っているのです。だからこそ、それが付加価値であるということを強調しているのです。
 
 もしかすると、私はキャラプレ派かもしれませんね(笑)
 
 私の主張も3行にまとめてみましょう。
 ・TRPGはあくまでゲームである
 ・キャラプレはTRPGの魅力ある付加価値である
 ・上記二つと、ゲームコンセプトの尊重という節度が必要である。
 
 暴走プレイについては、それ自身についての考察がまず必要ですね。
(単なる仲間内の悪ノリにしてもいろいろありますし、そうでない ものもあるかも知れませんね)
1998年08月12日:19時13分17秒
SHiN氏への改善の方法の提案 / 宇津見
 SHiN氏へ
 批判しているだけではあまり良くないと思いますので、あなたの発言を改善するための方法も提案しましょう。
 まず相手の発言をよく読んで、もう一度よく読み直してから自分の発言する文章を書きます。それから半日から一日おいて、その後にもう一度相手の発言と自分の発言を読み返してから簡潔にまとめるように自分の発言を整理し、さらに半日から一日おいてもう一度同様のことをします。
 それぐらいやったほうがよろしいですよ。正直言ってあなたの発言は(馬場講座批判のときからそうですけど)相手の発言の内容をよく理解しないまま、上っ面の印象だけで理解できたと勘違いして、そのまま反発を原動力にした思いつきをだらだら長文に書いているようにしかみえませんよ。これは、絶対改善すべきです。
1998年08月12日:18時41分30秒
SHiN氏への再三の苦情 / 宇津見
 SHiN氏へ
 > 最後に・・・・
 > 議論において、「こっちの言うことを理解してない」「ちゃんと読んでな
 >い」といった不満は、程度の差こそあれ、常にお互いさまだということを忘
 >れないでください。
 > 似たような意見や見解を持った者同士で行う、内輪での議論じゃないので
 >すから。
 馬場講座への反論のためのノリ重視マスタリング論(しかし、反論にもなっていなかったし,独自性も無かったのですがでも思って書いた事ですし、それ以後もう一度書いたことですが、もう一度だけ言いましょう。
 現在の状況ははたで見ていても、けっして「お互い様」などではなく、あなた個人の読解力、作文能力、説明能力等に問題があるために、周囲がそれに引きずられて話題が混乱しているだけにしかみえません。他の人は一応他人に意見を聞き、他人に意見を言うのにて毛切な事をやっていますが,あなたのだけはと手もそのようにみえません。ましてや、それを私も含めて複数の人から何度も指摘されているのに、それを認めず、「お互い様」(私には全然そのようにはみえないのですが)と居直るのは最低です
 正直言って、馬場講座批判のときから全然進歩していないのでほとんど改善をあきらめていますが、それでも最後にもう一度だけ、「他人の批判、苦情を真摯に受け止めて、改善するようにしてください」と言わせてもらいましょう。読むだけの立場でさえ、あなたの発言のやり方は迷惑です。
1998年08月12日:18時38分59秒
NaOHさんへのレス / でぶ猫
うーん、いいたいことはわかりますが、発見されるものとは 結局何かというと「無数の可能性の中から一つを選択する」と いうことじゃないかと思います。
 ある状況である人格が何を思うのか、どう反応するのか、その状況によっていくつか考える ことができると思いますが、論理的帰結で一つに確定するには相当詳細なその人格およびそれをめぐる状況把握が必要です。
 いわゆる研究というやつですね。
 実際にRPGでは研究で成果を出すほど綿密に状況がきまっていることはなく、むしろそんなことを すればマスターの提示した状況の矛盾が露呈するだけになるでしょう。
 そこで、プレイヤーは可能性の中から一つを選択することになります。
 ただ、選択するのならこれは意志決定ではありません。
 何らかの目指すべき帰結・・・このキャラのこんな面を追求してみたい、あるいは全滅を避けるためには そのキャラにどうふるまわせるべきかとかまあいろいろ あるでしょう。そのために望ましい結果へ向かうべく選択するのが意志決定となるわけですね。
1998年08月12日:18時37分36秒
ちゃちゃです。 / asuka
あの、本当にすいませんが、長くて読みにくいです。長文投稿ならまだ心の準備も有りますが。
一画面位に収まるくらいに、まとまっていたり、最初にまとめを書いていてもらえたら読みやすいです。
他の人との意見と比較したりする時に、スクロールしながら読んでいると途中で忘れてしまったりします。
皆さんの議論とかは、大変に参考にしております。ただ、長くて追っかけるのが大変だけです。
我侭なのは承知ですが、読みにくいです。そう思いませんか?
1998年08月12日:18時19分12秒
ラウールさんやENIさんのやりかたなら、身内でなくても可能。 / SHiN
To Sさん、sfさん
 
 Sさんとsfさんの会話の中で、
 >[sf] SHiNさんのいってたのも『そーゆー暴走と格闘して想定以上の結果を導き出したい』では? たぶん。
 >[S] (苦笑) しかし、それは絶対に身内オンリー。(^_^;)
 >[sf] うむ。
 
 って部分がありますよね。
 で、これってほんとに身内オンリーなんでしょうか?絶対に?
 つまりゲームシステムやマスタリング技術の向上でどうにかならないか?ってことです。
 
 だって、逆にいうと、身内でも初期の頃はやっぱりマスタリングでは処理できませんでしたよ。暴走キャラプレ。
 今だってうまく処理できないGMもいます。
 というか・・私自身だって、マスタリングが成功するときと失敗するときがある。
 
 で、成功したときと失敗した時の差ってなんなのだろう?
 
 ここらへんを私は一番、議論したいんですね。
 「暴走キャラプレは悪いことだ。」で終しまいにせずに...。
 
 だって楽しいでしょう?暴走(笑)
 やはり、キャラクター性が最も顕著に示される瞬間ですからね。セッションも盛り上がるし。
 
 暴走キャラプレを処理できるかどうかは、
 『内輪(つまりプレイヤーの共通体験?)の差』って意見が出てますが、わたしの考えでは『否』です。
 影響はあるかもしれないけど、決定的な条件じゃないと思います。
 
 
 たとえば、ラウールさんの『キャラクターの性格を最初に調整する。』ってのは、プレイヤーに共通体験がなくても、非常に有効です。わたしも、原作モノでプレロールドキャラクターシステムを行った経験により、この効果を実際に確認しています。(原作にした『ファイブスター物語』なんて読んだこともないプレイヤーが、見事に雰囲気だして暴走してました。)
 
 実際のところ、現在、もっとも有効、かつ効率的にTRPGを楽しむ方法は、プレロールドなのではないか?って感じることが多いです。
 ゲーム的にも、キャラプレ的にも・・。
 
 が、これでは、キャラづくりに価値を見い出すプレイヤーを十分満足させることが出来ない。
 プレロールドに関する不満は、プレイング研究室にあがってましたね。
 
 わたし自身、やはり、キャラをつくりあげていく過程は楽しいし。(笑)
 
 そこでENIさんの「キャラクターの性格や設定にあわせてシナリオを練る」という方法に価値が出てくるのですが・・・
 ある意味、これは最高のやりかただと思います。が、サークルなど、事前準備が可能な場合でしか適用できないし、個人的には「かなりのストーリーテラーとしての能力が必要ではないか?」って気もします。
 これは、ご本人の弁ですが、やはり「一本道シナリオ」になりがちだそうです。
 実際、プレイヤーに「一本道だね。でも面白いよ。」って言われるってのは、かなりの才能が必要なんじゃ?
 そこらへん、また、ノウハウを詳しくおききしたいですね。(やはり、ドラマチック路線ですか?)
1998年08月12日:18時16分26秒
迷惑なキャラプレと未熟なキャラプレ / SHiN
 (陽陰さん)
 >迷惑なキャラプレから、それとは紙一重のキャラプレに移行するには、まず、逆方向 に進むことでしょう。
 
 最大の相違点ですね。
 ささいな指摘ですが、わたしは、暴走キャラクタープレイと表現したのに、迷惑なキャラプレになっている。
 つまり、両者は陽陰さんの中でイコールになってしまってます。
 
 わたしはそこに疑問を感じます。
 
 たとえば、プレイヤーAが暴走した。それが紙一重を突破できずに仲間に迷惑をもたらしそうな状況になった。
 ここで、GMが介入するのです。
 まず、プレイヤーAに失敗度に相当するペナルティを与え(成功した場合の報酬と失敗した時のペナルティはゲームを楽しむ基本テクです。)、その他のプレイヤーには、状況に応じてペナルティを与えたり、フォローの手を差し伸べたりするのです。(本当にプレイヤーAの暴走を止めることができなかったのかどうかが判断基準となります。)
 
 ダイスの目が片寄ったとき、GMが敵のモンスターデータをいじったりするのと同じ感覚ですね。
 
 この処置によって、キャラプレの暴走によってセッションが崩壊することをふせげます。
 それは、未熟なキャラプレではあったかもしれないが、迷惑キャラプレではなくなるのです。(これなら、経験を摘む方向で覚えることもできますよね?)
 
 >他者の誘導でうまくいったとしても、「彼」は反省はしませんし、つまり、紙の裏側 には永久にたどり着けないでしょう。
 
 うーん、よほどでない限り、うまくいった理由が他者のフォローかどうかは理解できると思いますよ。逆に、常にフォローしてもらえるとは限らないし。
 そりゃ、個人的に『彼』を教育したいと思うのは個人の勝手ですが、ゲーム中に他のプレイヤーを巻き込んで行うべきかどうか・・
 セッション後の反省会でも良いのではないでしょうか?
 
 それよりも、私が問題視しているのは、
 
 『なぜ、暴走キャラプレが生まれるのか?』
 『そこにはどのような魅力があるのか?』
 『それは本当にセッション全体において有害か?』
 
 ここらへんの考察が、あまりになされていないことなんです。
 この件は、Sさんとsfさんの会話へのレスで。
1998年08月12日:18時13分30秒
がんばって3行にまとめました(^^; / SHiN
 (MARSさん)
 >というわけでSHiNさん、3327さん、デブ猫さん、陰陽さんに意見を箇条書きにしていただけるとうれしいです。
 
 わたしの主張は、結局のとこ、次のようなものです。
 
 ●TRPGはゲームである。
 ●そして、ゲーム以外のものでもある。
 ●この二つはルール(世界観)を守ることによって両立できる。
 
 かなり、はしょりましたが、そうしないと30項目くらいになってしまうので。(^^;
 
 で、優先度の高い分をぬきだしてまとめました。
 
 >SHiNさんがキャラプレイ=ゲームといっていると解釈しています。間違ってた らすいません
 
 えーと・・この解釈で多分かまわないと思います。
 MARSさんのおっしゃる『無意識のキャラプレ』ってのは、わたしにはよくわかる概念です。たとえば、ソードワールドで「攻撃修正+2の剣」と、「攻撃修正+1、打撃力+10」の斧のうち、どちらかを選択した場合、それが『プレイヤーの判断』なのか『キャプレ』なのかは、端からはまったく見分けがつかないですからね。
 社会的ロールプレイが本質的にはキャラクターロールプレイと同じだという立場をとるなら、TRPGにおいてはあらゆる行為が、キャラクターロールプレイであると言ってもいいと思います。(その意味でベンさんの「キャラプレを楽しみたいなら相応のシステムを」っていうのは、なんか、キャラプレの認識が違うんじゃないかな?と思います。『ある種のキャラプレを楽しみたいなら適切なシステムを』って話なら賛成できます。)
 
 >できれば相手に伝えたいこととかも簡単に書いてくれるとうれしいです。
 
 『あなたは、わかったふりしてわかっていない』という指摘がありましたが、わたしは『TRPGはゲームである。』ということはわかってます。
 が、同時に、『ゲーム以外のものでもある。』という視点も持っているのです。
 たとえば、『TRPGは集団創作である。』とも指摘できます。
 (もちろん、TRPGはゲームであるという主張と同時に成立させることが出来るんです。)
 
 実際、TRPGは集団創作のツールとして、他に類を見ないほど、非常に洗練されたものなのです。(この点、納得いかない方がいらっしゃれば、説明します。)
 Sさんやsfさんのチャットログにあった、『物語のシュミレーション』ってのは、結構、的を得た表現だと思います。
 
 で、キャラクターロールプレイの価値をかたる場合、『TRPGはゲームである。』という観点からでは、付加価値としか思えなくても、その創作性に着眼すると付加価値とは言えなくなる。この点を、なかなか理解してもらえてないと感じます。(ほかにもいろいろあるけど。まあ、最大のものはここでしょう。)
 
 だから、いまだに、「TRPGはゲームである」「よってキャラプレは付加価値である」という主張を繰り返しておられるのでしょう。
 
 「TRPGがゲームである」という主張は、私の主張になんの影響もあたえません。すでに、それは、私の主張の中にふくまれているからです。
 「TRPGはゲーム以外のものではありえない。」「TRPGをゲーム以外のものでもあると認めると大変なことになる。」という指摘は、有効です。
 今回の書き込みで出した「TRPGは創作である」という考えを否定してくれるというのも良いかもしれません。
 
 最後に・・・・
 議論において、「こっちの言うことを理解してない」「ちゃんと読んでない」といった不満は、程度の差こそあれ、常にお互いさまだということを忘れないでください。
 似たような意見や見解を持った者同士で行う、内輪での議論じゃないのですから。
 
1998年08月12日:15時57分59秒
「意志決定の主体」考・解題あるいは見苦しい言い訳 / NaOH
本掲示板で展開されたプレイスタイルに関する論議を読むうちに気づいたことは、異なるRPG構造論に基づく異なる2つのプレイスタイルが、その理想とするプレイ風景がきわめて似ている、ということでした。
 土台が異なるのだから目指すところが同じな訳はない、似ているにしても具体的なところで差異があるはずである、と考えてひねり出したのが先の「意志決定の主体」考です。
 
 文中にある表現や考え方は、ほとんどがsf氏の主宰するRPG関係の諸掲示板に掲載された意見からの借用です。そのため本考には目新しい主張はほとんどなく、「まとめ」以上のものではありません。単なる二番煎じです。
 
 「前に別の奴が(しかももっとうまく)同じ事書いてあるじゃねぇか、おう?!」
 「この表現は前に読んだ覚えが・・・って、俺が書いた事じゃねぇか!!」
 
 という方が居られたなら、「ごもっとも、そのとおりでございます」というしかないです。
 あえて引用や出典紹介をしなかったのは、引用文だけで本文に数倍することが確実だったからです(爆)。
 決して盗用だったりとか、諸賢の発言を無視しているわけじゃなかったんですぅ。
  
 自分で書いてて気が滅入ってきますな(苦笑) 何でわざわざあんなもん書いたんだか(笑)
 そうか、「発見」を使いたかったんだな、きっと。 
  
 ・「発見」という語について
 ねこぱんち氏に気に入っていただいたようですが、残念ながらこの語の用法も私の発明ではありません。
 これはもともとは自然法学上の概念で、「宇宙の法則ともいうべき普遍的な法である自然法においては、法や判決は人間が意図的に決定するものではなく、既にあるものを「発見」すべきものである」というものに基づいています。裁判とは判決の「発見」の場でした。
 これからヒントを得て、掲示板の発言に適用しただけなんですよ。
 
 >ねこぱんち氏へ>>意思決定のの責任
  私も意思決定とその結果の責任はプレイヤーの責任だと考えているのですが(当然GMやシナリオがまともであることが前提)、ひょっとしたらそうは考えてないプレイヤーがいるのでは、と思ったのです。
 
 >でぶ猫氏へ>>私の「思考実験3」の最初のやつでこれについてはふれてますね。
  そのとおりです、私の拙文は「発見」を言いたいが為の(しかも出来の悪い)蒸し返しにすぎません (泣)。
 
 しょうもない本文のしょうもない解説にこれだけの長文かい!反省しとらんな(爆)
1998年08月12日:11時03分09秒
Re:キャラクターに意志はない? / でぶ猫
 こんにちわ。はじめまして>aship(エイシップ)さん

 >もうちょっと言い方があったんじゃないかな。

 えー、確かにかなり厳しいいい方だと思ってます(^^;
 実際、なにも問題がなければことさら指摘する必要のないことなんです。
 しかし、「誰の意志か?」という問題になっちゃった以上、つきつけざるを得ない ことなんです。
 少し正確を期してみましょう。
 本来キャラクターに意志はない、しかしプレイヤーがそれを想起することで 命と精神が吹き込まれる。キャラクターがどのような精神を持つかを考察するのは プレイヤーの頭脳であり、数あるその意志のありようより 一つを選ぶのはプレイヤーの意志にしたがう。
 といったところです。
1998年08月12日:10時12分58秒
キャラクターに意志はない? / aship(えいしっぷ)
 ども、はじめまして。aship(エイシップ)と言います。
 
 キャラクターには意志なんか無い発言、確かにそうかもしんないけど、やっぱり感情的には納得行かないです。
 だって、でぶ猫さんの意見では、小説の登場人物の意志も作者の意志発現の一部って事になってしまうわけですよね。それって、すごく寂しいです。自分も、拙いながらも小説を書く事多いんですけど、ノリにのってる時なんか、登場人物達は、自分にも想像できない行動をとることがあります。私は「神が降りた」なんて表現してる状態なんですけど、これの状態って、TRPGやっててプレーがはまった状態とそっくりなんです。大分昔に出てた「背後霊状態」かな。
 そんな体験があるもんだから、頭ではでぶ猫さんの意見理解できるんですが、「意志なんて無い」て言われちゃうと、思わず反発したくなる。
 
 んー、我ながら全然建設的でない意見だなぁ。ごめんなさい。ただ、でぶ猫さんの考察は正しいと思うんだけど、それを、「キャラクターは意志なんかもたんです」って言い切っちゃって、でぶ猫さんが相手してる「キャラプレ派」の無用な反感を買ってしまっているんじゃないかって、残念なんです。もうちょっと言い方があったんじゃないかな。
 新参者が偉そうなこと言ってすみません。
1998年08月12日:07時28分28秒
根拠の無い誹謗中傷は止めましょう>セス氏 / 宇津見
 セス氏へ
 Scoops RPGの掲示板でもそうですが、そう言いがかりはやめましょう。
 では、あなたが批判しているであろう人たちが、口先だけで実践していないという証拠は何でしょうか。普通、充分な経験があるからこれだけ描けるのだと思いますが(まあ、言うだけで実戦が伴わない場合もありますが)。
 NIFTYでも同じような言いがかりを常連につけた人もいましたがね、「じゃあ、チャットでその人たちがやっているセッションの相談はなに?」と思ったものです。
1998年08月11日:23時38分56秒
Re:自己表現の意味? / 陽陰
 まあ、全然議論すべき事じゃないのでしょうけど。
 せっかく意見を戴いたのでレスをば。
 
 >主観関係
 
 私は、「解釈」自体は「主観」であるという考えにおります。
 本来もめるはずのないルールの適用などで問題が起き、また、それの最終的な解釈の決定権がGMに置かれているというのが、端的にこれを示しているでしょう。
 
 STが18ってのは筋骨隆々な外見を示しているというのが、ルールになければ、そのキャラクターはほっそりしていても構わないのです。
 それを筋骨隆々な外見だということを決定付けるのが、「解釈」であり、「主観」でしょう。
 
 >キャラプレイの報酬
 
 仰っていることは理解できます。
 ただし、それは、「選択肢」に自己でかけた指向性(足枷)の向きの違いです。つまりは、別に選択しても良いのに選択できない選択肢を自分で作り出しているわけですから、それを選べたとしても特典/報酬でも何でもないでしょう?
 
 まあ、RPGってのはこの足枷を楽しむものではあるのですがね。
 でないと、アブストラクトゲームの方が楽でしょ?マルチの方が面白いじゃないの?
 
 >自己表現
 
 まあ、「私を見てー」的な原則的な意味ではなく、「私が操っている人形を身てー」という意味なんですが。
 でも、私的には、どっちにしても、同じ事です。
 
 結局、PCはPLの操り人形であり、PLがPCを使って動かしたことは、つまり、自己の写像(等身大とは限らない)を投影してる影法師にしかすぎないわけでしょう?
 PCの思考や指向や嗜好はあくまで、PLに内在する何かからでてくるわけで、更に、そのプレイでその行為を行うことに意味がないと、そう言う選択はしないわけじゃないですか。
 で、少なくとも、PLはともかくPCは理解されたいわけでしょう?(でないとキャラプレには意味はないですよね)
 つまりは、PLの虚像を理解して貰うという目的なんですから、立派に自己表現じゃないですか。
 
 >こないだのプレイで「キャラプレ容認GMの難易度」に対する意見が変わったことについて
 
 うーん、どういう観点からなのか・・・
 まあ、私みたいな拙いマスターでもあんな事が出来るんだったら、それって簡単じゃんっていう意味なら、万歳するしかありませんが。
 
 もし違うならば、S氏とsf氏のチャットとかでもでてる「コンベ」<>「サークル」の話や、「暴走」の許容の問題とも関わってくるでしょうね。
 
 P.S.
 >セス氏
 >>能書きコキまくるのもいいけど、実際にセッションやって、それら実践したモノを、そのまんま自分のウェブベージにでも張ったら?(核爆)
 
 はい、仰るとおりです。確かにプレイしてなんぼですからね。
 でもね、私は、言ってることの80%(自己評価)は実行してますし、それによるチップスも、自分のページにぽつぽつ置いてたりしてるんですよ。
 ま、いいや、そう思われたのならば謝っておきます。
 ごめんなさいね、能書きコキでさ。
1998年08月11日:22時04分59秒
Re:”キャラクターに意志はない”の極端な話 / でぶ猫
 辛いと思いますが(自爆) 私の思考実験3をお読み いただければ言いたいことはわかると思います。
 
 ただ、「発見」って感覚はわかります。
1998年08月11日:22時02分14秒
Re:自己表現の意味? / でぶ猫
 鍼原さんwrote
 >「キャラプレやったって、PLの自分なんてわかってもらう必要はない」のあたりが、でぶ 猫さんのご意見への異論(の一部のつもり)でしょぉか。
 
 えーと、キャラプレは「キャラクターの表現」とは書きましたけど、「自己表現」と私は書いた覚えがないと 思います。(もしかして、あったかな(^^; ) 
 表現の基盤となるものに、自己の内面というの持ち出した覚えはありますが、それにはちょっと否定的に書いています。
(ただ、「こんなキャラクタをやりたい!」という動機の部分では自己の要素がはいってきちゃうとは思いますけど)
 
 思考実験3については、少々わかりにくい未整理なところがあったかと思いますので自己フォローまで。
 
 あと、少し散文的にコメントを
 >なぜ、アタシはこぉゆぅことにこだわるかとゆぅと、TRPGは将棋などと違って、「ストーリー」を作っていく遊びだからです。
 
 うーん、私は「作る」という意図的なものじゃなくて、副産物として「できあがる」もの だと思ってるのですが。
(深淵でも、プレイヤーが目指すのは自分のPCの物語の完結であって、セッション全体ではないと思います。単に その過程で他プレイヤーとPCどうしをからみあわせることで自PCの物語の完結を目指すのが 本来のプロセスではないかと思います。その結果として全体を見ればおもしろい展開になっていることもあるでしょう。しかし、 深淵を選ぶ動機として「ストーリーを作る」はありだと思います。しかし、必ずうまくいくとは限らないですね)
 
 >「キャラクタープレイがうまくいかなかったセッションは、ストーリー展開的に物足 りなかったセッション」になってしまします。
 
 ええ、それが付加価値たるところなんです。「価値」があるんですよ。付加価値には。最初に 付加価値という言葉を出した時、私は「数あるゲームの中でRPGを選ばせる動機となるもの」と いうふうに書きましたが、まさにそれが鍼原さんの感じておられることと思います。
 Q:なんでTRPGを選ぶのか? A:キャラプレができるから
 そういうものです。
 
 >つまり、キャラクタープレイを除外した「ゲーム」としての展開でも、スト−リー展開としては、“お約束”的なものは発生しうるわけ です。←ここでアタシがゆった“お約束”は陽陰さんやでぶ猫さんがゆわれている、“お約束”とは少し指し示すものが違うはず ですよね。
 
 それって、ゲームの、あるいはシナリオの「目的」ではないでしょうか?
 
 ところで最近思うのですが、ここいらで少し問題を整理して、見解は確かに違うけどしなくてもいい議論は 避けるようにしたほうがよかないかと思うんですがいかがでしょう。
(実際、私がキャラプレが付加価値と強調するのも、ゲームであることがまず基本だということを通したいだけ で、これは多くの方に通っている以上、今追求する意義はないかも知れません。言葉は違っても把握が同じであれば よしとしていい問題でしょう。厳密に追求する必要ができるまで、放置してもよいかと思います)
 
 ☆ホンネをいえば、少し余裕ができたらお気楽極楽に思考実験4を書き飛ばしたいといんですね(^^; 今度は内輪となれあいについて書こうかな
1998年08月11日:21時55分01秒
”キャラクターに意志はない”の極端な話 / MARS
 ”お人形さんは生きてないんだよ”
 といいたいのだと思うのお…
 でもその人形が生きていると感じる…
 もしくは生きていると感じられることはとてもすばらしいことだと思うんだけど?
 もし”人形は生きてない”ことを前提として”人形劇”を見たときに、
 それがどんなにすばらしいものでも、すばらしいと感じられないのではないだろうか?
1998年08月11日:20時05分38秒
Re:そろそろ実際のセッションで実践してくれ!(爆) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>セスさんへ
>能書きコキまくるのもいいけど、実際にセッションやって、それら実践したモノを、そのまんま自分のウェブベージにでも張ったら?(核爆)

いやぁ〜、そぉ言いたい気持ちはわかるですけど(困)。
アタシ、ずっと前から実践してる(つもり)ですよぉ。<キャラプレ
前はよく、「こんなキャラプレしたらこんなふぅにうまくいきました」って話しも書いてたし、、、。
自分のWebページは持ってないからTRPG.netに書いちゃうんですけれど(汗)。

えとですね、アタシが能書きたれるのは、「原理的にキャラプレが否定されたり、貶められたり」しちゃうと、それが原因になって、キャラプレに興味を持ってTRPGに手を出した新規PLが排除され(たよぉに感じ)て、定着しないから、、と思ってのことなんですけれど、、、。
ダメですかぁ??
P.S.キャラプレを上手にやる方法は「プレイング研究室」にでも書きたいと思いますぅ。
1998年08月11日:19時56分14秒
そろそろ実際のセッションで実践してくれ!(爆) / セス
毎々お世話になっております、セスです。

能書きコキまくるのもいいけど、
実際にセッションやって、それら実践
したモノを、そのまんま自分のウェブ
ベージにでも張ったら?(核爆)

感想はそれだけ(笑)

でわでわ。

1998年08月11日:19時43分55秒
自己表現の意味? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#ちょっと、風邪でくたばってまる間に、議論が新展開しましたので、蒸し返しにならなければよいな、って思うのですけれど、、、。

キャラクタープレイは自己表現、とゆってよいと思います。けれど、それが陽陰さんやでぶ猫さんのおっしゃるよぉな意味で「自己表現」か? とゆぅとと、アタシは少し疑問です。

陽陰さんの定義によるとキャラクタープレイは 、
>1’. 個人の主観にしか依存していない、つまり、ルールではない。
と、なっていますけれど、アタシにゆわせていただけば、「キャラクタープレイは『キャラクターシート』の(つまりはルールの)解釈」なのです。「解釈」には説得力のある解釈と、説得力の無い解釈があると思います。もちろん「説得力のある『解釈』を表現できるもの」が、「よいキャラクタープレイ」だとアタシは思います。

だから、まず、アタシとしては「(正しい)キャラクタープレイはルールではない、わけではない」のだと思っています。

キャラクタープレイが解釈であるからには、主観とゆぅものは当然入ってきます。セッションに貢献でき、同卓メンバー(PLたち&GM)に受け入れられるキャラクタープレイって、「解釈の妥当性が同卓メンバーに了解されたプレイ」、なのだと思います。

陽陰さんいわく
>こういったこと〔キャラクタープレイに報酬を求めること<カンナ補記〕がナンセンスかっていうのは、例えば、情感豊かに将棋の駒を打ったからといって、特典を付けようっていうくらいだといえば理解できるでしょう。

あるキャラクターが、キャラクタープレイ的に、他のキャラには、おこないがたい方法で、ストリ−上の状況を打開したとしたら、どぉでしょぉか?
わかりやすく、極端な例をあげてみましょぉ、「いい人」ばかりのPC集団の内に、ひとりだけ“KillingCapability”を持ったキャラクターがいた場合などが考えられます(もちろん“KilinngCapability”を待ったキャラが、トリガーハッピーだったりすると、話しにならないわけですけれど)。

なぜ、アタシはこぉゆぅことにこだわるかとゆぅと、TRPGは将棋などと違って、「ストーリー」を作っていく遊びだからです。
「情感ゆたかな(キャラクター)プレイ」とゆぅのは、実はアタシもTRPGではあまり重きを置いていません。そぉゆぅ“演技”はできる人、得意な人だけがおこなえばよい。たぶん、上手にできる人にとっては、同卓メンバーの賞賛こそが第一の「報奨」になるでしょぉ(<下手だったら、賞賛なんてされませんよね、たんじゅん)。

では、キャラクタープレイの価値はなにか、とゆぅと、アタシはセッションで展開されるストーリー、もっと精密にゆぅと、ひとつひとつのシーンの展開に1)説得力を深めること、2)そのシーンが潜在的に含んでいるテーマ性を顕在化することだと思います。
例えば、「妖魔夜行」のPCは妖怪なのですけれど、「妖魔夜行」のあらゆるセッションでは、「妖怪の立場からみたにんげんのさまざま“想い”の評価」が、潜在的にテーマになりえるもの、として伏流しています。
なぜなら、PCも、また、PCが(ほとんど場合)敵対する“悪い”妖怪も、“にんげんの想い”から生まれた、とルール適に設定されているからです。しかし、個別の“想い”をPCがどぉ評価するか、これは、PLのハンドリングによって表現されるしかないことだと思います。

もちろん、PLには、「微妙な“評価”なんかしない」って選択肢もあります。その場合キャラクタープレイはほとんどおこなわれず、「“いい妖怪”が“悪い妖怪”を倒してめでたしめでたし」とゆった、ある種「お約束的/勧善懲悪」のストーリー展開に流れやすいことでしょぉ。
つまり、キャラクタープレイを除外した「ゲーム」としての展開でも、スト−リー展開としては、“お約束”的なものは発生しうるわけです。←ここでアタシがゆった“お約束”は陽陰さんやでぶ猫さんがゆわれている、“お約束”とは少し指し示すものが違うはずですよね。
だって、ゲームとして充分意志選択=決定の余地があって、意志決定が行使されても、結果として、セッションで実現されたものは、ストーリー的にはお約束的ストーリー(←説得力がない、とゆったニュアンスです)になっちゃう、こともあるって話しなのですから。

ここらで最初になげかけた疑問に戻ります。
>自己表現とは、相手に自分を理解して貰うために行うモノです。
え〜とですね、陽陰さん。少なくともアタシは、キャラクタープレイで自分なんて理解してもらわなくってもへ〜きです。
「アタシがハンドリングする/したキャラのにんげん像」さえ理解してもらえればオッケーなんです<キャラクタープレイ。
理解してもらえない部分が多ければ多いほど、それは失敗したキャラクタープレイってことになるだけなのです。
ん〜、これはマジメにお話するのですけれど、アタシは、オトコのくせに女性キャラ専門で、大体。2〜3:1で女性キャラをやらせてもらうことのほぉが多いです。
その、、セッション前の同卓メンバーの総意で、「オトコの女性キャラにブ〜イング」を受けた場合は、しぶしぶオトコキャラを扱います(苦笑)ので、その分が“1”で、ホントはいっつも女性キャラをやりたいのです☆
でも、別にアタシは「なんでカンナは女性キャラをやりたがるのか?」なんて部分の理解を求めたりはしません、ほんとです。
ただ単に、「カンナさんのやる女性キャラは説得力、または実在感がある」ってゆわれるよぉにプレイするだけです。←これが、アタシが、キャラクタープレイにこだわる目的です。

ですから、アタシのゆぅキャラクタープレイは、まずセッションがゲームとして成り立たなくては、成立しません。なので「付加価値」とゆわれてしまうのでしょぉけれど。けれど、「キャラクタープレイがうまくいかなかったセッションは、ストーリー展開的に物足りなかったセッション」になってしまします。←先日は、「キャラクタープレイの無いゲームはつまらない」と書込んじゃいましたけれど。まぁ、あれは売り言葉に買い言葉って感じで、設問が「キャラクタープレイが無いゲームはつまらないのか?」って挑発されましたので、「おうっ、カンナはそぉだよ」って応えちゃったわけで、、はんせ〜してます。ここに訂正させていただきます>ALL。
アタシ的には「キャラクタープレイがうまく機能しなかったセッションは、ゲーム的にうまくいっても物足りない」です

で、まずこの「物足りなさ」を感じる感性はアタシだけの突飛なものではない、と強く主張したい。
例えば、小説版「妖魔夜行」から入ってTRPGに興味を持つタイプのPLには、少なくない割合で同じよぉな感じかたをもつ人がいると思います。
それから、「セッションで実現されるストーリーの質」、にこだわって、キャラクタープレイを重視するアタシの立場としては、「キャラクタープレイは潤滑油、または彩り」的にゆわれても、賛同はできない。←そぉした主張の立場は、わかるつもりです。

#以上を「キャラクタープレイは自己表現」ってご意見に対する、アタシの異論としたいと思います。
#異論ですけれど、これは反論ではない、自己表現とゆえば、自己表現なのですけれど、野放図な、なんでもありの自己表現ではない。キャラクタープレイは、「セッションで展開されるストーリーの質の向上に貢献する」限りでの自己表現だ、がアタシの意見です。
#今回は、書ききれませんでしたけれど、TRPGを「創作行為」一般と同等に位置づける意見があるとしたら、アタシもそれはゆきすぎだと思います。TRPGが「創作行為“的”」だとしても、それは、「カラオケ」と同程度に「創作行為“的”」であるにすぎない。←カラオケって、たんなるモノマネやナリキリではないのですよ☆←これ、挑発ではありません、アタシはカラオケも愛しちゃってますから。あれはあれで「創作行為“的”」ではあるのです、、世間ではあまり評価されてませんけれどね(困)。
#>陽陰さんへ、以前、掲示板で陽陰さんと交信して、「キャラクタープレイを(原理的に?)容認するとGMが対応しきれなくなって害が多い」とのお説(←この要約でよいのですよね?)をお教えいただきました。そのときはアタシ、なるほど、と納得したのですけれど、、。先日、陽陰さんのGMで遊ばせていただいたセッション、あれを経験して、また意見が変わっちゃいました(ごめん)。
あの、セッションもちろん充分ゲーム的でしたけれど、同時にドラマ的だったじゃないですか。アタシはあのときのプレイ、自分ではキャラプレ成立に数えちゃってます(蒼さんには圧倒されちゃいましけれど)。
#>でぶ猫さんへ、おそらく、今回アタシが書いたことは、でぶ猫さん的には、「それはわかってる、けれど」だと思います(思考実験のお話です)。え〜と、とりあえず、「キャラプレやったって、PLの自分なんてわかってもらう必要はない」のあたりが、でぶ猫さんのご意見への異論(の一部のつもり)でしょぉか。
風邪からいちお〜復活したので、がむばって、思考実験へのお返事も書かせていただきます。
#さしたり、風邪からふっかつ第一弾、いじょぉとさせてください。
1998年08月11日:18時14分14秒
Re:「意志決定の主体」考 / でぶ猫
私の「思考実験3」の最初のやつでこれについてはふれてますね。
(キャラクタとの距離、客体把握と主体把握)
 あとは、キャラクターのもつものが制限として働く場合ですね。
 
 ☆キャラクターは意志なんかもたんです。キャラクターの意志はプレイヤー が代弁してるだけです。しかし、ここにキャラクターの意志というのをどの程度具体的 に考えるかというのが思考実験3でふれた内容ですね。
1998年08月11日:17時27分29秒
Re:「意志決定の主体」考etc / ねこぱんち◎;
ほえ?・・・みゅーーー♪

基本的には賛成にゃ〜

>「キャラクターの意志決定」を発見すること
個人的には「発見」ってのは好きな表現だにゃあ。

>「ゲーム」派と「ロールプレイ」派
今までの経験から言っても、実際にセッションにおいて現象として現れる段階ではさほど差があるようには思えないの。
どっちにしろ、程度の差はあれ「ルール」は守るし「自己表現」はやってるし。
多少の差異は、GMの統括/PC間のコミュニケーションなどによって吸収されてると思うにゃ。

>結果の責任
これは、キャラクタープレイだろうがなんだろうが、必ずそれを行った人間に帰する物だとおもうにゃあ。
ゲームに参加してるのは、同理屈をこねようとプレイヤー自身にゃんだから。
1998年08月11日:16時36分49秒
「意志決定の主体」考 / NaOH
 この掲示板における、いわゆる「ゲーム」派といわゆる「ロールプレイ」派(或いは「キャラクタープレイ」派)の目指すところ(理想的プレイ)はよく似ている。が、おそらく同じではない。
 
 愚考するに「意志決定」の主体の違いではないか。
 
 すなわち、
 
 ・「ゲーム」派の意志決定の主体=プレイヤー自身
 ・「ロールプレイ」派の意志決定の主体=キャラクター
 
 となっているのではないか。
 
 「ゲーム」派
 意志決定とは飽くまでもプレイヤーの意志をゲーム中に反映させるために行われるものである。
 キャラクターの個性や背景は、意志決定を複雑化し、面白くするための仕掛け、ゲーム上の制限である(無論、雰囲気を味わうためのものでもあるが、これは二義的なものであろう)。
 あまりに特殊な設定は、ゲームシステムやシナリオによっては有効な意志決定を完全に阻害するため、認められない事もある(将棋において、全ての「歩」が前進を拒んだらゲームが成立するであろうか)。
 ある意志決定とそれによる結果の責任は原則としてプレイヤーに属する。
 
    *プレイヤーの意志:ユニット(キャラクター)を移動させる、敵を倒す、アイテム・情報を手に入れる、(広義には)目標を達成する、等々
 
 「ロールプレイ」派
 意志決定はキャラクターがすでに行っているのであって、プレイヤーの為すべきはその「キャラクターの意志決定」を発見することである。
 キャラクターの個性や背景は、「キャラクターの意志決定の発見」のための指針であり、練り込まれた設定はキャラクターの存在感を増し、感情移入を促進し、そして「発見」をより容易ならしめる。
 凝った特殊な設定は「発見」がより困難となるが、プレイヤーとしては挑戦するに値する(荒駒を乗りこなすがごとく)。
 ある意志決定とそれによる結果の妥当性は、キャラクターの設定の妥当性とゲームマスターのリアクションの好悪に依存する割合が大きい。故に、適度なプレイヤー側からの歩み寄りも必要とする。
 
**********************
 
 今回の愚考はここまでとしましょう。
 本来ならば上記の認識をふまえた上でのRPGのプレイスタイルを模索すべきなんでしょうが、今の私にはいささか手に余ります(笑)
 
 諸賢のご意見・ご批判をお待ちしております。
1998年08月11日:11時45分04秒
意志決定=ゲーム=キャラプレーは間違い? / MARS
 ということですか?
 前に馬場氏のマスタリング講座の感想でも書いたとおり意志決定とはプレイヤーが設定したキャラクターや状況から決定するので本質的にキャラプレーだと考えています。
 またゲームというのは意志決定であるというのもうなずけます。
 但し感覚的にですが……
 よくゲームをやってつまらない場合は大体において意志決定の意味のないものであるのでそういうものではないかなと感じているわけです。
 そういった意味で私はSHiNさんよりなのかもしれませんが……
 (SHiNさんがキャラプレイ=ゲームといっていると解釈しています。間違ってたらすいません)
 ただ前も言いましたが暴走プレイとキャラプレは明確に違います。
 暴走プレイにキャラクターは介在しませんから…
 
 ちなみに前に無意識にキャラプレーしていると言ったのは上記の見解によるものです。
 意志決定する才にキャラクターの能力を加味して行動したならそれもキャラプレイ……
 もし上記の意見が間違いなら成り立たないのですが……
1998年08月11日:07時58分37秒
かいつまめば / でぶ猫
SHiNさんとのやりとりはまず・・・
 
「その前提ってヘンじゃないかね?」
(どうヘンかというとTRPGがゲームであることとキャラプレを同じ レベルで論じようとしていることで、構造的にはそうじゃないからそれは無意味なばかりか 危険だぞと言ったわけですね)
 から始まり、あとはえんえんえんえんえんえん・・・
 私「ちゃうってちゃうって、こういうことなんやけど言ってることわかる?」
 SHiNさん「わかってるわかってる、これこれこんなもんだろ」
 私「だーかーらー(イライラ)、ちゃうって」
 の繰り返しにすぎません。
 
 どうにもらちがあかないので、長文ボードにご自分の主張を多少時間をかけてでも(というのは わすれてたかも)前提、用語、そしてまったく経緯を知らない人が読んでも あとで補足する必要ない形でアップしては、と提案しました。(なんか違うものがあがってましたが)
 
 思考実験シリーズについては、SHiNさんとのやりとりはきっかけとなったものの、関係ない別物です。
(3がちょっとマジはいっちゃったけど、あれはもともと遊びではじめたものです/思考実験3はまとめなおして論考形式で どこか・・・鏡さんとこあたりかな・・・に投げようかな)
1998年08月11日:07時41分54秒
論旨のすれちがいの感想 / sf
 IRC #TRPG ログ 1998/08/11:を公開しました。
 11日2時ごろの、Sさんとの会話です。内輪向けとコンベンション向けとのプレイスタイルの差違という視点からの話です。
 ここを見ての感想(まあ、論説とはいえんでしょ)をもとに、色々と書いてます。
1998年08月10日:23時43分54秒
私の意見の纏め / 陽陰
 えっと、MARS氏にもいわれ、しかも自分で書いてたリンクが間違ってたので、再度の書き込みを。
 
 私のページ陽陰のRPG基礎理論に、まとめたのを置いています。
 何しろ長い(5,000字前後もある)んで、今までこちらに書いていた私の意見を把握していらっしゃる方は読む必要は全くないでしょう。
 しかも、何人の人にやる気のない文だといわれてますし(^^;
 
 まあ、暇な人は、夏の特別企画とかもやってますんで、トップページから見てってやって下さい。(宣伝宣伝)
 
 論としては、箇条書きではありませんが、最近こちらで試みていた、前提条件からの論理的展開を心がけております。
 まあ、トートロジとかがあって、論理的っぽいってだけなんですが。
 
 >追加でいいたいこと
 
 目の前にいる人を楽しませましょう。
 そして同時に自分を楽しませましょう。
 RPGでは、それが勝利条件です。
 
 >MARS氏
 >言うと”必ず私は至って冷静だ”といわれるのね…(苦笑)
 
 いえいえ、私は至って感情的ですよ。
 だって、でないと書き込めませんよ。
1998年08月10日:22時50分18秒
要約できない / アキト
ようやく要約したのに、これじゃ要約できないよう<おおばか 
1998年08月10日:22時50分15秒
何度も繰り返すもんなのかねえ(茶々) / MARS
 いや…喧嘩腰……ねえ……
 言うと”必ず私は至って冷静だ”といわれるのね…(苦笑)
 
 問題は端から見て何だけど……
1998年08月10日:22時30分35秒
うー・・・・・。 / “葦”
「ゲームシステムや世界観は言語であり、シナリオやセッション、キャラクタープレイは文章である。言語をちゃんと踏まえないでいい文章が書けるはずはないし、素晴らしい文章があるからその言語は魅力的なのである」
 多分、でぶ猫氏やベン氏をいったことに私自身の思いを混ぜて比喩するとこうなるのでは、と思います(もし、間違っていたらごめんなさい)。
 その上で皆様、ここが公開されている掲示板であり、様々な人が見ているということを忘れないで欲しいと思います。例え、どちらかに理があるとしても喧嘩腰というのは第三者としては気持ちが良いものではないのです。
1998年08月10日:22時29分18秒
横合いから茶々 / MARS
 うーん…すげえ長文ざんすねえー………
 なんか読む気にならない…
 
 というわけでSHiNさん、3327さん、デブ猫さん、陰陽さんに意見を箇条書きにしていただけるとうれしいです。
 どうもみてるとSHiNさんとそれ以外の方の意見が食い違い対立しているように感じます。
 できれば相手に伝えたいこととかも簡単に書いてくれるとうれしいです。
 
 って偉そうに書いてますが正直なにを論じてるか分かんないだけなんで怒んないで(笑)
 気が向いたらで良いのでお願いします。
1998年08月10日:21時06分04秒
紙一重からの突破>>SHiN氏に対する遅レス / 陽陰
 もう、スタート地点から説明することは貴方に対しては全くの無駄ですから、要点だけ。
 
 迷惑なキャラプレから、それとは紙一重のキャラプレに移行するには、まず、逆方向に進むことでしょう。
 他者の誘導でうまくいったとしても、「彼」は反省はしませんし、つまり、紙の裏側には永久にたどり着けないでしょう。
 
 素直に反対方向、そう、シンプルにキャラプレイをおさえ、少しずつ飾りを付けていくという方向に進むしかありません
 
 >TRPGの本質の一つとしてロールプレイとゲームがそれぞれ並列して存在するという事を認めてらっしゃらないんですか?
 
 などと、今までの此処で行われた議論を読んできても仰っているのならば、絶対に理解できないでしょうがね。
 ベンさんが、貴方の意見の後に素晴らしい反論を書き込んでおられます。
 貴方はこれに対し、論理的に反論するか、感情的に認めることが出来ないというか、受け入れるか、のどれかの道があります。
 たぶん、どれもなされないでしょうが。
 
 何故、3327氏が怒られたか理解できていますか?
 彼は貴方が元々嫌いというわけではないでしょう。
 あきれて黙らず、貴方の悪い点を明確に指摘しているところからも、それを感じられます。
 
 貴方は、人の意見を読んでいません。
 貴方は、人の意見の重要なキーワードも見つけていません。
 貴方が見ているのは、人の意見の中の独立した単語だけです。
 
 貴方の意見は、論理的ではありませんし、かといって、感情論になっているわけでもありません。
 どちらかならば、まだ理解できますが、今のままでは、貴方の意見はパラノイックすぎて、ついていけません。
  P.S.
 RPGとは何かという定義付けとか、キャラプレの位置付けに関係する私の意見は、私のページ ([Negative &Amp; Positive] 陽陰's_HP)のどこかに、投げやりにまとめておきました。
 はっきり言って、此処を読んでおられる方は、読む必要がない、ありきたりのことしか書いておりませんがね。

(sf:リンクを修正しました)


1998年08月10日:18時47分07秒
RE:アメリカと日本のレビュー形態の違い / 石頭
石頭です。

>基本的には自分のレビューしたいゲームだけをレビューすればいいわけで

その通りだと自分も思います。で、まぁ自分としましては、その評者のプロフィール も併せて載せれば、判断の一助にならないかなぁとも思った訳でした(^^;。

SeyfertSluw 殿、貴重な意見どうもです。なるほどー。勉強になりましたです、はい。 しかしなんでアメリカでは文句が出ないんでしょう(^^;。やはりそれだけ成熟した 環境なのでしょうか。まー、とにもかくにも、レビューしてからの問題ですね(^^。

ご意見どうもありがとうございます。
1998年08月10日:18時08分54秒
修正: アメリカと日本のレビュー形態の違い / SeyfertSluw
基本的には自分のレビューしたゲームだけをレビューすればいいわけで

は,

基本的には自分のレビューしたいゲームだけをレビューすればいいわけで

が正しいです.


1998年08月10日:18時06分09秒
アメリカと日本のレビュー形態の違い / SeyfertSluw
TRPG.netのレビューの受付の方針は石頭さんの要求ほど厳しくなくて,せいぜいプレイした後か前か,程度ですよね.

日本ではゲーム雑誌(RPGに限らず)何処でもクロスレビューが当たり前なのに対し,アメリカではクロスレビューはほとんどなく,かなり長い文章を一人が書くことが多いです.嘘だと思うならGamesDomainあたりのレビューのページを見てくださいな.で,日本では不公正だのきちんとプレイしてからレビューしてるのかとか文句が出るのに対し,アメリカのレビュー形態ではそれを聞いたことはほとんどありません.実際私もアメリカのレビュー形態がキチンとゲームの実状を把握してると思うし.

もちろん公正なレビューは必要であるものの,無理矢理人数をそろえてぐちゃぐちゃと点数をつけさせるのが公正か,と言われると,ちょっと違う気がするんですよ.

あくまでも文章は自由に書いてもらい,レビュアーの背景などは適時本文の中でフォローしてもらうだけでいいような気もします.

一人だけのレビューでも自由に長い文章で詳細に書いてもらうほうが得る物は多いと思いますよ

基本的には自分のレビューしたゲームだけをレビューすればいいわけで,あまりフォーマットを云々言ってもしょうがないと思う.

あ,もちろん複数の人がレビューしたいのならみんなにレビューしてもらってすべて掲載するのが当然ですね.


1998年08月10日:17時35分46秒
RE:レビューに関して<追加> / 石頭
さらに、評者はそのレビューするゲームに関しての熟練度も併せて 教えてもらいたいと考えます。レビューするゲームに関して何回マスタ リングしたか、プレイヤーをしたか、その環境はコンベンションか、 内輪かなど。


#私がレビューする評者を知りたいのは、私見ですが、結局レビューを読む方々は その評者を信頼して購入を検討するからです。

(sf:>とか<を使うときには気をつけましょう。&Amp;gt;とか&Amp;lt;と書くと、ブラウザが混乱しないですみます)


1998年08月10日:17時29分35秒
SHINさんへ / 3327
あなたいい加減にしなさい。付き合いきれません。
今後無視します。
理由は簡単、人の話しを聞かないし、なのにあなたは 「俺は聞いている」 などと抜かすからです。
例えば前回の私の感想の奴ですが、「結論だけかきます、後の事は深夜にね」 と書いてあるのに、いきなり反論を展開しています。
人の話しは最後まで聞きなさい!
小学生に言うような常識が分からんのか!

私の無責任な態度に腹を立てたならそれを書きなさい。
結論に疑問が有るならそれを書きなさい。
他人の意見を勝手に間違えて使ってでかい顔するな!
他にも例は挙げられるが、ともかく君が今まで見せてきたような態度はTRPGをやる上で最悪の欠点ばかりだ。
GMかPLか知らんが、
人の話しを聞かない、
聞いてないのに分かったつもり、
しかも勘違いして他に使う、
おまえ有害だ。やめろ。

他の人たちは君の話しの中の偶然のいい部分を見て評価してくれているが、私だけでなく何人かが言ってきたように、君はまず話しをする相手として公共の場にふさわしくない。

自分がどこで何をやっているのかを十分理解し、その上で人の話しを理解し、それに対する自分の意見を失礼が無いように表現できるようになったら出直して来なさい。


管理者様。
この文章が不適切だと思われた場合、お手数ですが削除をお願いします。

(sf:『不適切だと思われた場合、お手数ですが削除をお願いします』は、極めて無責任なやりかたです。そう思うなら書かないことです)


1998年08月10日:17時21分01秒
RE:レビューに関して / 石頭
石頭です。TRPG ゲームレビューですが、個人的にはその評者の経歴 も載せて欲しいと思います。TRPG 歴何年か、どういったゲームを マスタリングしたか、好きなゲームのジャンルは何か、好きなゲーム システムは、コンベンションでのマスター経験はあるか、いつもゲーム している環境はどのようなものか、などなど。評者がどのような方か分 かった方が良いと考えます。


#『天幻の魔女』情報どーもでした(^^ > 教えて下さった方々
1998年08月10日:17時01分58秒
レビューに関して / 3327
ええと、振った人間が黙っている訳にも行かないので少々。
各種ゲーム誌を見るに、レビュアーは各々全員がチェックシートを持ち、音楽、操作性、演出、グラフィックなどといったその他色々な項目を、私情を交えずに評価したあとで各人の感じた部分を書いているようです。
また、ある雑誌では上記のような ’基盤’ 作業のあとで、ハイローラー(やり込み上級者の視点)、女性ゲーマーの視点、あとなんだっけ?、とにかく3つの視点から評価するようになっていました。
最後に、甘口/辛口の意見を総数でパーセンテージを出すのも有りました。
これは、いわゆる業界のしがらみがはいりにくと思うのでワタシは一番信用しています。なんと、投票が少ないと%テージを載せないという徹底ぶりです。

ちなみに、昔ログアウトに載った記事では、文庫型ゲームの最高得点はモンスター・ホラー・ショウで、総合一位はRQだったかと思います。
すごい事に、0〜9評価で1か0を付けていたはずです。
ルールブックというのは、表やキャラシーなどがついているものなんです。
それが小さかったら検索性にも見易さにも欠けるんです。

さて、長々と書いてしまいましたがどうしましょう。
ここで評価の ’基盤’ くらいは決めてから半分定型の投稿形式で書いてもらうのがいいのでしょうか?
少なくとも、
プレイヤーサイド
マスターサイド
デザイナーサイド
の3点は欲しいですね。 あと、キャラプレ派、ゲーム派の両者を上記3つに加えて9種類書くかどうか・・・
ワタシは編集能力が欠けているんで、どなたか形式など件が得ていただけないでしょうか?
1998年08月10日:16時38分35秒
遊びましたよ、てんげん / かわしまとういちろう
 何か好きなことをしていいRPGと印象があったので、河嶋はワーパンサーオヤジな火消しをやりました(笑)。
 相棒はアンドロイドだったような(おぼろげ)。
 センパイがドラゴンマガジンに広告を載せてあったのを通販で買ってきて遊んだはず。
 とりあえず遊んでから……というのがそのセンパイのスタンスでしたから。
 
 セッションそのものは面白かったけど……システムは関係ない部分で楽しかったって感じかなぁ。
 ゾンビを死ぬほど倒した記憶があります。
 
 河嶋が大学1年だから……もう何年も前の話しですが(苦笑)。
1998年08月10日:15時42分22秒
Re:天幻の魔女 / 下級妖魔@腐敗中
 ・・・そ、その呪われた名を耳にしようとは。
 私の知人がエキスパートセット(CD付き!)まで
 所有してます。誰もプレイしたがりません。買った本人も。
 銀色の竜と八人ぐらいいる魔女がどーのこーのする話で
 ファンタジーかと思ったらコミックではSFも入ってて
 即座に記憶の彼方に封印しました。参考までに、
 イラストは「あかひらきりん」氏が手がけられていた筈。
 同じ制作者が「BE−KIDS」とかいう西部劇もの
 を発表してたという記憶があります。現在も長野県内で精力的に
 活動中・・・いや、その知人がそこのオフィシャルファンクラブ
 みたいなものに参加していたもので。
 システム自体はプレイしてないので評価できません、しかし
 今後も評価する機会のないゲームという事では私達の
 間では一致しています。
1998年08月10日:12時33分31秒
天幻の魔女 / 鏡@夏風邪
 私は持ってませんが、確かそのような名前のゲームを買って、 遠い目をしていた友人がいたように憶えております。
 この掲示板はあまり読んでいないようなので、今度聞いてみようかな?
1998年08月10日:11時26分59秒
ちゃちゃっぽいけど / 寺田@旅行中
 天幻の魔女って確かインディーズ系のプラステック(一時期のパソコンのソフトっぽい)
 の箱に入っていてちょっとアニメ調のイラストの書かれたTRPGじゃありませんでした
 っけ?う〜ん、周囲に誰も買っている人がいないなぁ、あれ。
1998年08月10日:10時19分00秒
TRPG ゲームレビュー / 石頭

石頭です。TRPG ゲームレビューなのですが、これは一つのゲームに 対して一人の方がレビューするのではなく、一つのゲームに複数の方々がレビューするのが良いと思います。理由ですが、恐らくこの ゲームレビューは、文芸評論で言う所の"印象批評(感想文)"になら ざるを得ず、それは評者一人一人によって大きく異なる結果になる と思われるためです。
ですので、もし TRPG ゲームレビューをやるのであれば、一つの ゲームに複数の方々によるレビューを載せた方が、読む方にとって 公平になり高い情報価値があると考えます。


#『天幻の魔女』って何ですか(^^;?
1998年08月10日:07時42分34秒
用語 / でぶ猫
 アキトさん、要約拝見しました。ご苦労様です。
 私のからんだところはないので、特に内容にはコメントありませんが、用語については 少し別解釈(というか私の解釈)をあげておきます。
 
 ○『意志決定』の定義
  プレイヤーの意志によって結末が決定されうること。具体的にはある目標を実現するためのプレイヤーの意志による選択が 目標達成の是非や程度を決定づけること。
 補足:たとえばPCの意志、というのは存在しない。それはPCの人格をなぞった上でのプレイヤーの 意志であるとでぶ猫は解釈している。このかぎりにおいて、PCの人格はルールのように機能している。
 
 ○『ゲーム』の定義 
 ある目標に対し、手持ちの資源(TRPGならキャラクター等、将棋なら歩や飛車の ような駒、ウォーゲームだったら戦闘部隊と補給能力など)を用いて達成を目指すもの。
 (でも、意志決定の場、という要約は端的でいいですね)
 
 ○『ゲーム』の定理(成立条件)
 >意志決定によって結末が決定されねばならない。
 まったくそのとおりですね。
 
 ○『ゲーム性』の定義
 これ、一番使われ方の一致がなかった風がありますね(でぶ猫は極力使用をさけていました)
 >:性質。意志決定の余地がある状態。
 これでよいかと思いますが、ゲーム性の定理をみると、もう少し調整がいるかと。
 
 ○『ゲーム性』の定理(成立条件)
 >:各選択肢がメリットとデメリットを持ち(「正解」を持たない)、かつそれ らが判断材料として示唆されなければならない。
 この解釈ですと、ゲーム性は「ゲームの面白さ」ということになると思います。と、いうのは「クソゲーもゲーム」と考えれば、 意志決定はディベロップが甘くてこういう要素が発生しないゲームでも成立しうるんですね。
(でぶ猫が「意志決定」というときは、「面白い意志決定」も「つまらない意志決定」もふくんでます)
 でぶ猫的に表現すれば面白いゲームは「ほどよいディレンマ/葛藤の要素があるもの」ということになります。
 この葛藤やディレンマは、他のプレイヤーの意志決定との相関で結果が変わる場合を含みます。
 
 ○『ルール』
 ゲームにおいて、すべてに先だつ絶対法則。ただし、万全でないため、対応不能の状況に関しては調整の余地がある。
(完璧な完成度のゲームにおいては、調整の必要すらない。しかし、RPGは選択をフレキシブルに生み出すことが できるゲームであるため、完璧ということはなく、しばしば調整が必要となる。このため、マスターだけがルールに対する管理調整権限という 特権を持つ)
1998年08月09日:12時46分14秒
魂の叫び / 黒アキト
若干GMの成分比率が高めの人間の発言です。
 
 私はNPCを演るとき、まず「入口」(現状)と「出口」(ヴィジョン)を意識して、その間を演技によって埋めるようにしています。同様に、PCを演るときも、「入口」と「出口」を意識して「キャラプレ」をしています(このとき「出口」はGMが許容できる範囲に収まるよう注意しています。だって「専用通用口」じゃGMがレスポンスしてくれないもん)。
 
 もちろん私のプレイは時としてシナリオを混沌へと誘います。しかし、混沌無くしていかでダイナミズムがありましょうや。
 
 私は、RPGにおいてGMだけが主役だとは思っていません(もちろんGMが脇役なはずありませんが)。だから物語の推移をGMが全て決定できるというのはまちがっていると思います。そして、PLにはシナリオの展開に影響を与える手段が「キャラプレイ」しかないんですよ。
 
 また、こうも思っています。どんなPL=PCが入ってきても同じ展開をするシナリオなんてなぁ、面白くもなんともないぞっ! (だからそういうシナリオが出てきたら、GMが予想もしていなかった、GMも納得するような解決策を出してやるからな! GMの鼻を興奮であかしてやる!)
 
 もちろん、GMがPLに比べて物量で負ける事もわかりますし、事前準備が大変だという事もよくわかりますよ(いやというほどね)。でも、シナリオの展開をGMだけが握るというのは、把握しやすい反面、PLを「お客さん」にして、かえって無責任にしてしまうのではないでしょうか?  
 
 とにかく、我々はぁ、天然オイルの使用を要求するあるぅ・・・・じゃなくて、我々はぁ、熟練したGMには、キャラプレイを受容するシナリオを要求するある!
 
 え? そうでないGMにはどうするかって? そりゃもちろんシナリオの展開にまで影響を及ぼさない、場を盛り上げるキャラプレイに徹しますよ。
え? それじゃぁ困ったキャラプレイヤーにはどうするかって? 彼らにいくら口で言っても通じないでしょうから、正しいキャラプレのあり方を示すよう努力しますよ。そうすりゃ、そのうち「何故あいつのキャラプレは作用するのか?」と疑問を持つでしょう。  
 
1998年08月09日:08時14分35秒
Re:結局必要なのは優れたゲームシステムとゲームマスター / でぶ猫
うーむ・・・とりあえず自分の発言に関するコメントへのコメントと結論に関して

 

 >逆にいえば、枠が大きいほど、プレイヤーのキャラクターロールプレイの可能性も広がるってことですよね?

 >ならば、このでぶ猫さんの意見は次のように言いかえられるのではないでしょうか?

 >

 >『強力なロールプレイを制御するには、強力なゲームシステムが必要である。』

 >

 >少なくともこの考え、でぶ猫さんやベンさんの考えと反してないと思うのですけど・・

 

 こんなこといってませんて。強力なロールプレイってなんです?

 私が言ってるのは、プレイヤーの妄想を許容すれば、それだけ「お約束」を増やしていかないと、マスターがセッションを 制御できなくなるからです。(「制御が難しい」と言葉をすりかえられましたが、程度問題でもなんでもなく、制御不能、つまり0なんです)

 これはよいことではありません。内輪だけでずっとプレイするなら、みんな承知ですからあまり問題はないでしょう。(ただし、古い お約束をみんなが忘れて再生産しないと・・・とかお約束同士の矛盾で喧嘩になる可能性はあります)しかし、新規に入る人にとってはこれは 疎外する壁にすぎませんし、もっと困るのは外へでかけた時に、一般に通じることと内輪だけのことが混同されてしまう危険が高いこと です。

 >『強力なロールプレイを制御するには、強力なゲームシステムが必要である。』

 この部分は、私の使用している意味でのゲームというかぎりは後半のみ支持できます。前半は結局、システムだけでなくマスターがプレイヤーに こびないことと、プレイヤーの節度にかかることだと思います。

 

 >逆にいえば、これまでゲーム重視派によって度々行われてきた

 >「キャラプレは感情移入のための手段にすぎない。楽しく感じたとしても付加価値にすぎない。ある意味で妄想にすぎ ず、それがもたらすのは自己満足でしかない」といった主張は、このロープレ派の「自己満足できればいいんだ」という主張 を肯定してしまうことになるのではないでしょうか?

 

 私の使った言葉がちりばめられているので、少しコメントします。

(「キャラプレは感情移入のための手段にすぎない。楽しく感じたとしても付加価値にすぎない。」「ある意味で妄想にすぎず、それがもたらすのは自己満足でしかない」 とは書いてませんけどね)

 キャラクタープレイをゲームにすることも可能です。しかし、そのためにはもっと抽象化して、諸要素を扱いやすくする 必要があります。この方向性はたいへん面白いですね。

 しかし、この方向でつくられたゲームでも、感情移入してのキャラプレイは発生するでしょう。それはやはり発端において妄想と 呼ぶべきものです。また、そのような楽しみ方もできるという付加価値でもあります。

 問題は、自己満足、あるいは自己充足のために発した妄想を、他の人とわかちあうことが可能なものに昇華できるかどうかでしょう。

 これをルールで制御することはできません。キャラクタープレイがしばしばひとりよがりなものから発し、あるいは終わる可能性を 大いに秘めたものであることを自覚するしかありません。マスターにできるのは、示唆くらいです。

 そのうえで「自己満足できりゃいいんだい」と居直ってしまうような人はただの「困ったちゃん」ですね。 

 そして・・・

 

 >多くの人がキャラクターロールプレイを非常に楽しく感じる瞬間とは、他人に認知され、それがゲームの進行に役立っ たときのはずです。違いますか?

 

 そう、この点についてはまったくその通りですね。そのためにも、ゲームであることが肝要なんですね。

 ☆たぶん、問題は「付加価値」「妄想」といった言葉に対する嫌悪感でしょうね。

  私がこのような言葉を(真実ですが、ふだんはあえて言わない真実ですね。だって、きれいな女性のX線写真をみせて「ほらほら、このへんにおならがたまってる」と やるに近いものですし(笑))使ったのは挑発だけでなく、議論する以上はこのような不愉快な一面も直視してほしいという意志の現われでもあります。

(いまのとこ、あまり筋道だった反論がないのでアレですが)

 

 > 結局、必要なのは『優れたTRPGシステム』と、TRPGシステムに存在する必然的・宿命的な不備を補ってくれる『優れ たゲームマスター』なのです。

 

 もちろん、そのマスターはプレイヤーを善導啓蒙する人でもあるのですね?

 SHiNさんが何かと批判したがる馬場講座は、まさにそのようなマスターに対して「ゲームが基礎である」というスタンスで書かれています。

 もし、その基本前提に問題があるというなら、(少なくとも、私は「ロールプレイとゲームがそれぞれ並列して存在する」とは考えていません。ロールプレイは ゲームを前提とするという考え、横に並べる構造に対して上下構造となっています。この点、結局理解いただけませんでしたが)

 最終的に必要なのは、上記二つにくわえて啓蒙されたプレイヤーとなります。

 最低限必要なのは啓蒙された(ちゃんと理解してる)マスターであり、その前提としてここでなされている ような議論が必要でしょう。
1998年08月09日:01時51分03秒
参加するための基盤と媒体のはなし(自分の意見のまとめ) / ベン
 しばらくの間、ペースについていけなくて書き込めなかったため、僕の意見のまとめ のような形になってまして、そのため長文となってます。すみません。
 
 同時に「こうかくとよみやすいぞー」という私的方法も適用してみましょう。最初に 箇条書きってやつね。
 
 思うに「キャラクター」という存在が焦点になってるわけで、RPGにおける
「キャラクター」とは何なのかを考えてみるといいのでわ。
 
 私にとってRPGとは、RPGにおけるルールとキャラクターとは。
 
 ・RPGはゲームです
 ・ゲームにおいて、ゲームシステム(ルール)とは「基盤」です。故に決してな
  いがしろにできない。
 ・ゲームプレイヤーはみな、ルールを理解しなくてはならない。
 ・キャラクターはゲームプレイヤーがゲームに参加するための媒体です。これな
  しにRPGには参加できない(これがRPGと他のゲームを分離している要素の一
  つですね)。
 ・故にキャラクターを十分に「理解」しなくてはならない。
 ・実際に「ゲーム」を作り上げるのは、ゲームプレイヤーです。
  (ルールではありません。ルールはゲームを作り上げる基盤であり、全ゲーム
  プレイヤーが平等の立場でゲームに参加するための基盤です)
 ・キャラクターのデータとは、ゲームプレイヤーがゲームにおいて管理/運用する「リソース」です。
 ・キャラクターのデータとは、キャラクターシートにかかれていない部分もある。
 ・が、それはRPGシステムの基盤によって支えられていない。それゆえ完全な共有はできない。
 
 これで納得いかないですか? 今回はこのリストをもとに、そもそも僕が主張し てきたことが「ゲーム派とキャラクタプレイ派の対立」などではなく、その下の
「基盤」についてのものであることを解説してみたい(たぶんでぶ猫さんや陰陽さ んも同じだと思うけど、断言はできない)。SHiNさんは今回ずっとそういう対立構 造の話として見てきたのかもしれないけど、僕としては違うんですよ(だからずっ とずれてると思ってたし、前の発言を見て確信に変わった)。
  ------------------
 
 さて、僕にとって「ルールはキャラクタープレイングをプレイヤー間で受け入れ てもらうための補助の役割」という解説ではあんまり納得がいかないのです。ルー ルはゲーム参加者の基盤であり、ゲームプレイもキャラクタープレイも、とにかく
「プレイ」の類はその上で行うものだから。
 
 ゲームマスターとしては、ルールが含まれる「ゲームシステム」というのはゲー ムプレイヤーがゲームに参加するための(楽しむための、ではないところがポイン トですね)基盤なんですね。あらゆるゲームにとってシステムというのはそ ういうもので、チェスでもポーカーでも「この辺のルールが気に入らないから変更 しよう」なんてなることはほとんどない。それぞれのゲームシステムを当然のもの として、その上で楽しもうとがんばるわけです。
 
 RPGも多人数参加型のゲームである以上はゲームプレイヤーが当然のものとし て受け入れる基盤が必要で、あらゆる楽しみはその上で作られるわけです。基盤が ないとみんなでゲームできるわけがない。どのゲームでもそうでしょ? RPGだっ て同じ。で、チェスにチェス・ゲーム・システムがあるように、RPGにもそれぞ れに「N◎VAゲーム・システム」とか「ルーンクエスト・ゲームシステム」とか
「D&Dゲームシステム」とかがあるわけです。これがN◎VAに参加する人の、 ルーンクエストに参加する人の、D&Dに参加する人の基盤であり、これを無視す ることなど(ゲームに参加する以上)考えられない。
 
 だから、ゲームシステムに従うのは僕にとって「ゲームに参加したいなら当然の こと」です。で、ゲーム派にもキャラプレ派にも、このへんを平然と無視する人は いるのです。どっちにもね。なぜなら、ゲーム的な確率の世界で楽しむのも、キャ ラクタプレイの自己表現の世界で楽しむのも、結局はこの「基盤」の上で構築され る楽しみだからです。僕がいわんとしているのはこういうことで、決して「ゲーム 的な確率の世界こそがRPGの根本だ」なんていってないんです。このへんはよろ しい? この辺が「RPGがゲームであること」と「RPGの本質はゲーム的な楽 しみだ」というところを区別してくれ、といった所以です。僕は「ゲームである以 上、ゲームシステムを基盤として、その上で楽しみを構築すべき。でないと何も共 有できない」と言ったんです。
 
 まずゲーム的な楽しさを追及する場合。こちらは簡単に。例えばオプションルー ルをどんどん導入して、自分好みのゲームシステムに改造しちゃう。これも、結局 ゲームプレイヤーで共有されるのはルールブックなどで共有されるゲームシステム だけで、やはり付けたしとなる。小さなグループでしか共有できないし、ゲームの デザインコンセプトからずれるようなオプションルールも困った存在として扱われ る(D&Dでのマジックポイントの導入とかさ)。
 
 一方、キャラクタプレイも基盤の上で構築される楽しさですが、残念ながらキャ ラクタプレイングを基盤にきちんと組み込んでいるRPGってけっこう少ないんで すよ。そういうゲームではキャラクタプレイングは「基盤」の上にのっからないの です。だからゲームシステムではない別の基盤(マナーとかそういうの)を用意す ることになるんですが、これも残念ながら、多くの人で共有する(当然のものとし て受け入れられる)のは、なかなか難しいというのが現状。
 
 で、そういう、基盤となるゲームシステムにキャラクタプレイングを導入してい ないゲームでは、キャラクタプレイは結果として付加価値的なものとして認識され るし、僕は「基盤」という観点からみると当然の反応だと思うんですよ。ゲームに 参加するためにはゲームの基盤(ゲームシステム)を受け入れる必要がありますが、 キャラクタプレイがきちんとそれに含まれていないなら、受け入れる義務はないわ けですから。
 
 少なくとも「個々のゲームのコンセプト・個性を尊重する」とか、「RPGって のはどれでもひとくくりで論じられるものではない(N◎VAとD&Dを一緒に論 じるのはむずかしい)」という点を理解していれば、これは分かるはずです。
(「RPG」というのはゲームの分野区分であって、ゲームそのものではないです よ。実際には「RPGに属する○○というゲーム」があるだけで。) 世の中には キャラクタプレイを重視して基盤に組み込んだものと、そうでないものがあるとい うことなんです。
 
 だから、キャラクタプレイングをがんがんやりたくて、それを全ゲームプレイヤー に当然のものとして(基盤として)受け入れて欲しくてRPGをやるなら、キャラ クタプレイをゲームシステムに組み込んで、基盤の一部としてデザインしたような ゲームを選んでプレイすべきだ、と僕は言ったわけです(デザイン・コンセプトに ついて書いた一連の発言)。そうでないゲームでは、そうデザインされてないんだ から、キャラクタプレイは付加価値的な楽しみとして受け入れられるし、それは当 然のことなんです(そういうゲームなんだから)。
 
 誤解して欲しくないのは、実際にはほとんどのゲームで、多かれ少なかれ、形は どうあれキャラクタプレイを基盤に含んでいるんです。ルールブックのほんの数行 であっても、やはり歴然と存在する。だって、ゲームプレイヤーがゲームに参加す る「媒体」として、「キャラクター」という存在を設定していること自体が、「キャ ラクターをどう動かすか」という問題を基盤に含んでいるってことだから。これが RPGの特徴だから。どのゲームでもキャラクタを演ずるという行為自体がなくな ることはないんだけど、共有する方法を提供していないゲームでは、それを共有す るのは義務ではないし、たぶんそういうゲームではキャラクタを演ずることよりも もっと大事な部分があるはず。
 
 ただ、多くのゲームでは、意志決定はともかく「演技」を共有する基盤が用意さ れていないため「キャラクタプレイは○○(ゲーム名)の基盤に含まれるが、付加 価値的なもの」という認識がされるし、実際のところそのゲームではそうなんです。 その場合でも「完全になくてもよい」とはいわれないのは、それが多かれ少なかれ 基盤に含まれているから。ただ「弱い」ってだけで。
 
 まあ、ゲームにはそれぞれ特徴があるんですよ。
 
 で、そういうゲームでキャラクタプレイをがんがんやろうとしても無理があるし、
「それは付加価値だ」といわれて文句を言っても仕方がないことだし、むしろ迷惑 行為になりかねない。だってそういうゲームだから。で、世の中にはキャラクタプ レイを基盤として取り入れて、ゲーム参加者が「演技」を共有できるようにしたゲー ムがちゃんとあるんだから、キャラクタの演技を共有したいならそういうゲームを 選んでください、そうでないゲームでも全ゲームプレイヤーが演技を受け入れるの を当然のことだなんて思わないでください、と言ったわけです。個々のゲームには 特徴と、それぞれ重視した点の違いがあるってことで。
 
 まとめ。
 
 結局、キャラクタープレイングにしろゲームプレイングにしろ、それぞれ基盤の 上で作られる楽しみの違いなんですよ。ぼくが危険視していたのは「キャラクタプ レイングはRPGの本質だ」ということによって、「プレイングというのは基盤の 上で為されるものだ。ゲームに参加するものはみな基盤に従わなくてはいけない」 という、ゲームが成立するための最低条件すら成立しえない状況が増加してしまう んではないか、ということでした(実際にそういう状況があるので「増加」と書き ました)。「意志決定と迷い」だとか「意志決定+α」だとかは、この「基盤」の 話なのです。
 
 RPGにおいて、意志決定の機会と迷いを生じる要素であり、参加者が共有すべ き「基盤」は個々のゲームシステムです。これを守りさえすれば、キャラクタプレ イでもゲームプレイでも、さほど問題は生じません(基盤からはみ出ないわけだから)。
 
 そういう意味で、基盤を「補助」だなんて言われると納得いかないし、場合によっ ては危険ですらある(基盤を無視する風潮がうまれ、結果としてゲームを共有できなく なり、参加も難しくなる。実際そういう状況はある、というのが僕の実感)ってことです。
 
 まあしかし、他のゲームだとゲームシステム無視なんてほとんど起きないし、起 きたら大問題になる(なにしろゲームが成立しない)んですが、なんでRPGだと 受け入れられちゃうんですかねえ。なんで基盤をないがしろにしてもゲームが成立 しうるなんておもえちゃうんでしょうね。RPGをゲームと思ってないんでわ。
 
 #それはね、「ゲームシステムに出来、不出来がある」という視点を持てないよ
 #うに教育されたからだよ。
1998年08月08日:23時59分38秒
結局必要なのは優れたゲームシステムとゲームマスター / SHiN
 3327さん 
 >キャラクターロール派は、まじめに取り組めば取り組むほどTRPG から離れる。だって、技術面でも方向性でもゲーム性は要らないからだ(邪魔ではない けど)。
 
 
 3327さんは、TRPGの本質の一つとしてロールプレイとゲームがそれぞれ並列して存在するという事を認めてらっしゃらないんですか?
 
 ほかにもこういう人、多いんじゃないでしょうか。
 
 わたしは、ルールや世界観を無視するキャラクターロールプレイ派を批判しました。
 
 が、同時に、キャラプレによってルールや世界観が容易に無視され得ると思ってるゲーム派も批判します。
 
 これらの二つは、同レベルです。
 特に私自身、本来ゲーム派だけにこのようなゲーム派の存在は、迷惑とさえ思える部分があります。
 なぜなら、ロールプレイが好きな人から、誤解を受けかねないからです。
 
 自分たちの思い込みで『勝手な対立構造を作らないで欲しい』って感じです。
 
 もし、TRPGというものに、ちゃんとした理解を持っているなら
 キャラプレが発達すればするほど、強力で優れたルールやシステムが必要になってくることも理解できるはずです。
 これは、ベンさんやでぶ猫さんの主張からも読み取れますね。
 
 より新しい書き込みという基準で引用すると、過去ログ
 
 98年08月06日:19時34分57秒
 Re:ちょっといいですか? /でぶ猫


という書き込みを(できれば、その前提となったアキトさんの意見もあわせて)、もう一度お読みください。特に、
 
 >いや、その枠内にいるかぎりは私も問題ないと思うんですが、
 >その外となると新たに枠をもうけないと制御不能ですね。
 
 という部分。
 (ただ、私としては、最後の『制御不能ですね』ってところは、「制御不能」よりも、「制御が難しい」の方が表現は妥当だと思います。モノにもよりますからね。)
 
 逆にいえば、枠が大きいほど、プレイヤーのキャラクターロールプレイの可能性も広がるってことですよね?
 ならば、このでぶ猫さんの意見は次のように言いかえられるのではないでしょうか?
 
 『強力なロールプレイを制御するには、強力なゲームシステムが必要である。』
 
 少なくともこの考え、でぶ猫さんやベンさんの考えと反してないと思うのですけど・・
 
 私が批判するようなロープレ派...
 つまり、ルールやシステムなど、より良い『キャラクターロールプレイ』に必要ないと考える人達の発展においては、技術面でも方向性でもゲーム性はたしかに消失していくかもしれない。
 
 が、別に、そうなったらそうなったでかまわないのではないですかね?
 
 なぜなら、私たちゲーム派(・・正確にはルール・システム重視派か?)の主張は
 『ルールや世界観を無視したTRPGの発展はありえない』ってものでしょう?
 もし、彼等が発展できたなら、それは我々の推測が間違っていたのだから、ルール・システム軽視の方向性を批判する必要はなくなるわけですからね。
 
 が、わたしは・・・
 少なくとも、現在の私は、ルールやシステムから支援されないロールプレイは、ちゃんとルールやシステムにサポートされたロールプレイの面白さ・楽しさにはかなわないのではないか?と考えています。(別に信念ではありません。未来の自分に責任はもてません。実際、この考えに一石が投じられることを期待して、このようなボードに参加しております。)
 
 複数の人間が集い、皆が楽しい時を過ごそうというなら、かならずなんらかのルールが必要なはずです。カラオケでも、ただの飲み会でもそれは同じ。いわゆるマナーとかノリとか呼ばれるやつですね。
 ましてや、仮想世界を扱うTRPGにおいては、マナーやノリだけでなく、より洗練され明文化されたルールが必要なことは自明のことだと思えるのです。
 
 よって、たとえ、現在、ルールを軽視しているロープレ派TRPGファンがいたとしても、わたしはその発展の先にはちゃんとルールが登場してくると思ってます。(ちゃんと発展すれば・・ですが。)
 
 逆にいえば、ロールプレイを重視したTRPGの普及が、ゲームシステムの形骸化につながると考えてる人は、結局、ロールプレイの発展に『ゲームシステム』が必要であるという事を理解していないという事になるのではないでしょうか?
 
 結局、これでは、『ロープレを楽しむのにゲームシステムなど必要ない』と考えてルールや世界観を軽視する自称ロールプレイ重視派と同じレベルなのではないでしょうか?
 
 少なくとも、ロールプレイの楽しさというものに対する理解は同レベルですね。
 
 
 わたしたちゲーム性重視派がロールプレイ重視派に対して主張すべきは、
 『TRPGの本質はゲームである』という概念を強調することではなく、
 
 『ルールや世界観を守り、GMや他のプレイヤーといった周囲の人たちと協調しあった方が、より面白いロールプレイを楽しめるのだ』ということだったのではないでしょうか?
 
 もちろん、わたしはコンベションなどに行った経験は少なく、上のような主張が聞き入れてもらえるのかどうかはわかりません。
 実際、人間というのは、自分で決めたことで失敗してもあきらめがつくけど、他人の勧めで行って失敗すると、納得できない場合が多いという、身勝手な面を持っています。
 だから、ロールプレイ派の中には、
 「この設定・性格のキャラをプレイできればそれで満足なんだ。かまわないだろう?どうせ、キャラプレなんて自己満足なんだし」
 と主張する人もいるかもしれません。
 
 が、わたしは彼がレベルの低いキャラプレの楽しさで満足しているようにしか見えません。
 
 逆にいえば、これまでゲーム重視派によって度々行われてきた
 「キャラプレは感情移入のための手段にすぎない。楽しく感じたとしても付加価値にすぎない。ある意味で妄想にすぎず、それがもたらすのは自己満足でしかない」といった主張は、このロープレ派の「自己満足できればいいんだ」という主張を肯定してしまうことになるのではないでしょうか?
 
 『TRPGの本質はゲームであり、意志決定である。』
 
 いまさらではありますが・・この主張は、私も真実だと思います。
 が、この主張の言葉面だけをとらえて、
 これまでいかに間違えた主張が行われてきたことでしょう?
 
 なんせ、この主張をネット上で広めた最大の功労者のはずである馬場講座自体が、
 この言葉から、間違った(もしくは誤解されやすい)主張を行ってきたのですから。
 
 自己満足に過ぎないと定義されてしまったキャラクターロールプレイは、正に、自己満足に過ぎません。
 
 が、・・・・
 多くの人がキャラクターロールプレイを非常に楽しく感じる瞬間とは、他人に認知され、それがゲームの進行に役立ったときのはずです。違いますか?
 
 『キャラクターロールプレイなど、ゲームに感情移入するための手段にすぎない』と 考える人は、このことを知らないのでしょう。
 つまり、未熟なキャラプレしか知らないのではないでしょうか?
 
 くりかえします。
 
 
 自分の考えたキャラクターロールプレイが、社会的ロールプレイとしてセッション内で作用したとき・・・そのときこそ、プレイヤーは大きな充足感と達成感が得られるのです。
 
 
 この喜びを知ってる人は、決して、
 『キャラクターロールプレイは、感情移入のための手段にすぎない』などとは思いません。
 たとえ、口にしたとしても、心の中で「うまく思ってる事が十分表現できないな」というひっかかりを感じていたはずです。(馬場講座が、その人気と裏腹に、熟練ゲーマーから全面肯定を意外と得られていないようなのはここらへんが原因ではないでしょうか?)
 
 また、同様に、この喜びを知ってる人は、
 『ルールや世界感を無視したロールプレイ』などやろうとは思いません。
 それらのロールプレイが自己満足にしかならず、十分な喜びを得られない事を知っているからです。
 
 『キャラプレ派』と『ゲーム派』の対立構造など、
 「キャラプレを楽しむためにはゲームシステムなど必要ない」という間違った認識のもとでしか生じないということを、もういちど、確認してください。
 
 キャラプレを深く楽しもうとしても、ゲームを深く楽しもうとしても、
 結局、必要なのは『優れたTRPGシステム』と、TRPGシステムに存在する必然的・宿命的な不備を補ってくれる『優れたゲームマスター』なのです。
 
 わが同志たるTRPGファンのみなさん、
 これからまた、『システム軽視』のロープレ派と議論する機会があったなら、
 これまでのように「キャラプレは、付加価値にすぎない」と主張するのはやめて、
 『俺は、もっとキャラプレを楽しむ方法を知っているぜ?』と主張してみてください。
 
 さすれば、貪欲大魔王さまのお腹がふくれるのも早いことでしょう・・(笑)
 
 
 <暴走キャラクターロールプレイと、社会的ロールプレイは紙一重>
 
 この言葉は、まだ、100%の認知を受けてはいないようですが、何名かの尊敬する諸氏から、このフレーズ(考え方・・とはいいません。考え方自体は、わたしの独創的なものなどではなく、すでに多くの人が知っていたであろう事ですから。あくまで私の考えたのは、『フレーズ』にすぎません。)が、認知されたのは私にとって十分に喜ばしいことでした。
 
 が、紙一重を突破するには、経験と修練が必要という指摘も受けています。
 
 では、ゲームマスターという立場から
 どんなシナリオを作ればプレイヤーがこの紙一重を突破しやすいか?
 どんなマスタリングを行えば、プレイヤーがこの紙一重を突破する手伝いができるか?
 
 これらをテーマに、マスタリング研究室にもどろうかな?と思います。
 
1998年08月08日:23時25分21秒
RE: ゲームレビュー / ベン
 > ベンさんのところで、国内RPGのレビューを集めるという話があるそうなので、そちらのほうに書きま
 >しょうか。
 
 おお、いいですね。ちょうど盆休み中にでもこの辺の募集を行う準備をしようとか おもってたところなんで、ぜひぜひよろしくお願いします。
 
 いままでユーザーがゲームを批評できるところって少なかったように思うのね。 だから第一歩ってわけで。
1998年08月08日:18時19分20秒
ゲームレビュー / 宇津見
 >だれか、ここでファミ通みたいにレビューしませんか?
 ベンさんのところで、国内RPGのレビューを集めるという話があるそうなので、そちらのほうに書きましょうか。
 10個ぐらいなら、ちゃんと基本ルールや設定を把握し、実際にプレイしたうえでの評価を書けますよ。
 私は、日本RPG史上最大の駄作『天幻の魔女』のレビューを読みたいです。
1998年08月08日:17時41分29秒
まとめの感想 / 3327
1時間以上かけて書いたのがきえちゃってブルーな3327です。
だから結論だけ。 キャラクターロール派は、まじめに取り組めば取り組むほどTRPGから離れる。だって、技術面でも方向性でもゲーム性は要らないからだ (邪魔ではないけど)。
要らないものが捨てられるのは、自然で順当な判断である。
これは、キャラクターロールとゲーム性がどちらも必要だという、今回のまとめから読み取れる結論に反して行く方向である。
対してゲーム性重視派は、まじめにやって行きつく先はシュミレーションかカードである。
シュミレーションかカードに行かないゲーム性重視派は、イコールキャラクターロールを尊重し、それを理解していると言う事になる。
TRPGゲーマーとして、理想的な姿ではないか。

気力が萎えちゃったんでここまで。補足しろっていうのでしたら、深夜にします。ゴメンナサイ
1998年08月08日:17時28分16秒
re:そういうのはクソゲーなんです / 3327
いつだったでしょうか、LOGOUTでしたっけ?
ファミコン雑誌みたいにゲームに点数つけたのは。
あのあと、ライターが首になったってうわさがまことしやかに流れましたよね。
あと、おこんないでねにも、南北東の悪口を言うと圧力が掛かるってうわさが書かれてましたよね。
評価を受け入れられないなんて、エゴの異常な癇癪もちの赤ん坊じゃあるまいし・・・
だれか、ここでファミ通みたいにレビューしませんか?
1998年08月08日:16時29分55秒
そういうのはクソゲーなんです / ベン
 >それより、ルールってどれくらいの手間と時間をかけて作成されているものなのでしょうか?
 >バランスが全く取れていないシステムや構成的に不備・誤植の多いシステムは
 >珍しいものなのでしょうか?
 そういうのは率直に言って「クソゲー」なんですよ。いや、不備のないルールってのは RPGの性質上なかなか難しいんだけど、ほんとにテストプレイしたのかとか、コンセプト とルールが一致していないとか、そういうのはシステムがなってないわけです。
 
 それが世の中にはそういうゲームでプレイして面白くなくてもマスターの責任になって しまう風潮があって、「システムにも出来、不出来がある」という認識があんまりないよう にみえます。不備なシステムであっても、それを補うのがマスターの責任だってわけで、
「そのゲームがクソゲーだからダメなんだ」という視点で見られることって少ないような 感じがしてます(日本に限らず、米国にも世界設定だけのクソゲーって山ほどありますが)。 ゲームシステムの淘汰っていう観点からはあまり見られてないんですよ。
 
 そろそろ「○○はあきらかなクソゲーだからダメ」という視点で「製品デザインそのものを 批評する」という視点で見ていかないと、RPGシステムってダメになっちゃう(だってダメ でも批判されないんだもの)気がするんですね。
 
1998年08月08日:12時57分09秒
ルールは目がつまっててもザル / でぶ猫
TRPGってプレイヤーの発想次第でいくらでも選択を 作り出せるところがありますし、ダイスと成り行きでデザイナーも 想定できなかったような状況になることがままあります。
 
 はっきしいって、すべての判定指針を網羅することなんてできない んですね。
 だから、判定指針もフレキシブルに設定できないといけない。
 マスターの存在意義ってのは一つはそこにあるんですね。
 つまり、マスターには「ゲームコンセプトにそって、判定方法と結果など 状況の調整を行なう」権利があるわけです。ふだんはいいのだけど、その状況では そのまま適用するとおかしくなってしまうようなルールはその状況にかぎり調整を 行なったりできるわけです。
 おそらく、よく書かれてたらしい「マスターはルールを変更していい」というのは 言葉たらずなだけで、このことを語っているのでしょう。
 
 これはルールの仕上げの問題とはちょいと違います。
 非常によくできたルールでも上記調整は必要になります。ましてや仕上げの いいかげんなルールでわ・・・。
(まあ、システムの仕上げのよしあしというのは別の問題ですね)
1998年08月08日:09時39分25秒
ルールってきちんと(バランス、構成)作ってるのかな / あらさか
えっと、ルールについては苦い思い出ばかりです・・・
私の場合、ドラマを盛り上げるセオリー(かなり意味ありげに登場した伏線は、重要な伏線として必ず登
場する。犯人は紳士的で、まわりの登場人物は、かなり怪しい人物にする。等々、ルール?)
は守りますが、システムのルールははっきり言って、あまり守ったことがありませんです。
かといってルールを守っていないからといって、まったくの無法状態ではないです。
逆にルールをきっちりと守って、マスターするなら、
ゲーム世界の中を完全にシミュレートする形になり、マスターの存在する意味がないと思います。
それより、ルールってどれくらいの手間と時間をかけて作成されているものなのでしょうか?
バランスが全く取れていないシステムや構成的に不備・誤植の多いシステムは
珍しいものなのでしょうか?
そして、そういったシステムは果たして信用に値するものなのでしょうか?
ではではです。
1998年08月07日:03時59分48秒
TRPG総合研究室 LOG 014 / sf
TRPG総合研究室 LOG 014として1998年08月03日から1998年08月06日までのログを切り出しました。

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