TRPG総合研究室 LOG 014

TRPG総合研究室の1998年08月03日から1998年08月06日までのログです。


1998年08月06日:23時25分46秒
客体的把握とか主観的把握は、用語に過ぎないけれど、それでもずれは生みます。 / TTB
再び、TTBです。(^o^)
>自分の使いかたが相手と違うって見極めが、、微妙なのだ。
 はい。そのとおりです。ずれるのはしょうがないです。多少のずれなら、修正が可能ですし。
 
 私が心配するのは、前に鍼原さん書かれていたような「SHiNさん対誰々」などの図式が掲示板ではよくないと思ったからです。
 例えば次の発言です。(8月4日のSHiNさんの発言の抜粋)
>ちなみに、うちのサークルでの安全弁は、他のメンバーですね。
>誰かが不快な思いをするような行為に対しては、即座に文句がとんでくる(笑)
 内輪中心に楽しんでいてでそれを拠り所にしている人と、鍼原さんのように「基本的には、コンベンションの場」とおっしゃる人の間では、微妙ななずれよりも、より大きなずれが起こることを、私は危惧します。
 
#杞憂かもしれませんが、プレイ環境にこだわる私の発言の主旨はこれです。
1998年08月06日:22時45分06秒
客体的把握とか主観的把握とか / 鍼原神無〔はりじゃら・かんな〕
>ねこぱんちさん、>TTBさん
ど〜もです。
>ねこぱんちさんへ
え〜と、ねこぱんちさんのゆってることは、、わかるけど、、ちょっと話の流れからズレてるのだ、、。いや、ズレてるのが当たり前なのだけど、ズレをどぉ認知するかが微妙なのだ。
例えば、「客体把握」って言葉ひとつとっても、T・K代表さん&Sさんの使いかたと、でぶ猫さんの使いかたでもぉ。意味も使いかたも違う。
(c)なんかついてないから、どぉ使おうとかmわないのだけど、自分の使いかたが相手と違うって見極めが、、微妙なのだ。

>TTBさん
TTBさんのおっしゃることは、理解しやすいです。アタシは一連のキャラプレの話題は、基本的には、コンベンションの場での話が主軸になってると思ってたのですけれど、、。

>でぶ猫さんへ
お勧めに従って、「思考実験 3」再読してみました、「思考実験 2」まで溯っちゃいました、今晩もぉ一度よく考えてみます。
1998年08月06日:21時28分10秒
客体的把握/主観的把握について思うこと / TTB
こんにちは。私も呼ばれてませんが。TTBです。(^o^)
>客体的把握/主観的把握
>近しい友人同士とか、慣れた同士のサークルとか
>サークルに新しく人が入った躊躇するするのは、ほとんど下の要因
(部分的引用で失礼します)
 話がずれてるかどうか、私にはわかりませんが、前にTRPGサークル雑談所で質問させていただいたこととも関係あるので書き込みます。
 
 このボードで話が噛み合いにくいことの一つの原因が、サークル(内輪)でTRPGやっている人と、コンベンション(外部との接触あり)でやっている人の違いだと思います。
 
 内輪ならとか、コンベンションならとか言う前提が違うために、同じ言葉(例えばノリ)を考えても皆さん異なったイメージで話されているので、わかっている、わかってもらっていないの話に帰結しているのだと拝察します。
 
>問題は、そのような時にサークルの人たちが頭を切りかえられるかどうかだと思うの。 
(再び部分的引用で失礼します) 
 特にねこぱんち◎;さんのおっしゃる切替えができないと、内輪でまとまっている人は、そうでない人を根本的に理解できないと思います。逆も言えます。
 
>でも、それって問題をしっかりと認識してないとできにゃい事だよね
 認識できるかどうか、各人が育ってきて、今プレイしている環境に、かなりの面で影響されていると思うに至っています。
 
TRPGサークル雑談所に書き込んだ主旨の一つはこれです。
1998年08月06日:21時02分30秒
客体的把握と主観的把握 / ねこぱんち◎;
 ほえっ?・・・・・・みゅ〜♪♪
 呼ばれてにゃいけど、再び登場〜ねこぱんちで〜す!!
 
 >鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
 >内挿的妄想/外挿的妄想を区別できるのか?
 これを、客体的把握/主観的把握と置き換えればわかりやすいのではにゃいでしょうか?
 そもそも、グレーゾーンの話であり、明確な境界線はないと思うの。
 でも、明らかに下の方がクリアーな条件ではにゃいよね?
 で、
 そのクリアーではない条件を大前提とすることが「危うい」ってことだと思うのだけれど・・。
 だから、逆に言えば下の条件がクリアーになっているひと同士ならば何の問題も無い(近しい友人同士とか、慣れた同士のサークルとか)。
 
 たとえば、サークルに新しく人が入った躊躇するするのは、ほとんど下の要因ですにゃあ・・。
 問題は、そのような時にサークルの人たちが頭を切りかえられるかどうかだと思うの。
 でも、それって問題をしっかりと認識してないとできにゃい事だよね?
 
 あれ?話がずれてる・・・・ごめんにゃさい>でぶ猫さん
1998年08月06日:19時34分57秒
Re:ちょっといいですか? / でぶ猫
うーん、なんかそういう意味で使ったのではなく、あくまで「ノリ」「お約束」な 世界(関西ではボケたらつっこむのが礼儀。でないと浮いてしまう)としていったんですけどね(^^;
 
 まあ、せっかくだから、少し、読んだ上での感想を・・・
 ○マスタリング上、あるいはシナリオ上、キャラクター性(たぶん、プレイヤーではなくキャラクターの 性格の話ですよね?)を緊張感をもたらす素材とするには、そのキャラクター性がルールで裏打ちされたもので なければ予測も制御もできないと思われます。逆に、ルールで裏打ちされていれば、制御可能なわけですね。
 深淵の「運命」とそれにまつわる縁故がよい例ではないでしょうか?
 ○よくできたRPGはわりとこの要素があります。RQのカルト、アースドーンのディシプリンと種族などです。
 
 いや、その枠内にいるかぎりは私も問題ないと思うんですが、その外となると新たに枠をもうけないと制御不能ですね。
1998年08月06日:19時20分01秒
Re:内挿的妄想/外挿的妄想について / でぶ猫
えー、すみません。もう一度「思考実験3」をお読みください>鍼原さん
 ☆キーワードは「共通の文化」です。
1998年08月06日:15時46分55秒
ちょっといいですか? / アキト
ロールプレイ周辺での、Sさんとでぶ猫さんへのレスです(ちょっとまとまりがないです、すいません)。 
 
 まず使用する『ボケ』『ツッコミ』『ネタフリ』という言葉について説明しときます。
○『ボケ』というのは、「ある思想・感情(仮にXとします)」が著しく 欠けているか、「ある思想・感情(Y)」を持つため、「普通Xが考慮さ れる状況」で「Xがあったら難しい決断」をスピーディに下したり、「普 通Yがなかったら易しい決断」で否定的な態度を示します。
 彼らはXやYに当てはまるものよって理性的とか感情的とか(あと冷酷 とか)いわれますが、とにかく「ある分野」で積極性・決断力に富みます。
 
○『ツッコミ』は、Xを持つ(あるいはYが欠けている)ために、『ボケ』 によって為された決断に異議を唱える者です。『ツッコミ』は『ボケ』に 異議を申し立てることで、事態をより自分にとって妥当とおもわれる方向 に修正することを目指します。
 
○『ネタフリ』とは、『ボケ』が積極的に動ける「ある分野」に話題を振 ることをいいます。RPGにおける「引き」も『ネタフリ』です。
  
 以下は補足。
 
☆『ボケ』は指導者タイプですが、参謀である『ツッコミ』の意見を無条 件却下すると独裁者に堕してしまいます。現実では『ボケ』が十分に優秀 だったらそれでも構いませんが(不十分に優秀だと最悪)、RPGにおい てはマナー違反となります(他者の『意志決定』を無視してますから)。
 
☆『ボケ』と『ツッコミ』は固定的な役回りではなく、場合によって容易 に逆転します。ただ『ツッコミ』は一般論を言うのに対し、『ボケ』は( ある意味で)暴論を言うので、どのような『ボケ』であるかを把握する方 が実際的です(項目が少なくてすみます)。
 
☆『ボケ』と『ツッコミ』の対立は、キャラプレの場を提供すると同時に、 PCの内面での葛藤と同じことを外部に押し出してやることにより、『意 志決定』の選択肢をよりわかりやすく提示することができます。
 
☆単独行動などによって『ボケ』が孤立すると暴走しやすい。
 
 んで、やっと本論なんですが・・・・時間が無いので、今すぐ言いたいことを箇条書きさせていただきます。
 
>Sさん
 キャラのすげ替えができるかどうかは、『ネタフリ』の特殊性と関連が 在るとおもわれます。
 
>でぶ猫さん
 シナリオは『ネタフリ』を必要とするので、『ボケ』的要素は当然必要 とされます。つまり『ボケ』は「期待されている役割」である(ことがあ ります)。
 問題となるのは『ボケ』が『ツッコミ』を許容しないか、『ツ ッコミ』が不在である状況ができてしまうことではないでしょうか。
 あと、『ボケ』と『ツッコミ』の他に、「ボケに影響力の在る人物」が常にい るような状態(3すくみ)をゲーム的にカバーできればよいのではないで しょうか。PC間交渉というのではなく、パワーバランスをとるもので。 
1998年08月06日:15時33分27秒
Re:そぉですね、「無視」&「不要」 / 陸
> 陸さん的には、「ルール無視」に関しては、場合によってはマズくはないこともあ
>る、ってとこなんですよね? >モンスターデータ改変のケース、とか。
はい、そうです。
私が、こうする時というのは、マスターのダイス目が以上に良すぎたりプレイヤーの
出目が異常に悪すぎたりする時だけですけどね。

1998年08月06日:15時03分13秒
ルール不要とルール無視 / SeyfertSluw
どちらかというとこの問題は『ルールを適用したいけど世界設定などに反する』としてゲームの途中でやむなくルールの適用を変更するのと,『ゲームの始まる前からゲームのルールをルールと認めない(だって都合が悪ければ適用しなくて良いなんてものがルールじゃないでしょう)』の違いではないのでしょうか.

たしかに実際にプレイしてみないとルールの綻びって見つからないものですから,前者については仕方ない部分があるのは解りますが問題は後者です.

最低でもテストプレイはしているはずのゲームデザイナー自ら自分の作ったルールをないがしろにし,ルールに問題があることを認識してかせずかはともかく,ルールに則ってプレイしたのでは楽しくない,という主張に対し,ルールを無視するように主張するのはいかがなものでしょうか.そもそもルールに則ってプレイすると楽しくない,ってのはそのルールの欠点ではないのでしょうか(普通のゲームはそうだよね).

もちろん,前者の場合でもどうして適用できないか,と考える必要はあるでしょうが.


1998年08月06日:14時45分54秒
そぉですね、「無視」&「不要」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@陸さんWrote
>ちょっと過去ログを見て・・・多分「ルール無視」や「ルール不要」を推奨するようなことは私は書いてませんよね(汗)
 
 そぉですよね、、。
 えと、でも、ではなぜふたつの区別を重視されるのかが、ちょっとわかんなかったもんですから、、問いかけの形で書込んでみちゃいました。
 
 陸さん的には、「ルール無視」に関しては、場合によってはマズくはないこともある、ってとこなんですよね? >モンスターデータ改変のケース、とか。
1998年08月06日:14時30分21秒
Re:「ルール不要」「ルール無視」どちらもマズイのでは? / 陸
鍼原神無〔はりはら・かんな〕さんへ >「ルール不要」「ルール無視」←今、陸さんの概念規定に従ってみても、どっちにしてもマズイ気がするんですけれど、、、。
ちょっと過去ログを見て・・・多分「ルール無視」や「ルール不要」を推奨するようなことは私は書いてませんよね(汗)

>「ルール不要」「ルール無視」←今、陸さんの概念規定に従ってみても、どっちにしてもマズイ気がするんですけれど、、、。 ルール不要に関しては、まずいと思います。
ですから、そうゆう事を主張してる人がそんなに多くいたのかなぁ? と思ったわけです。(遥か下になっちゃいましたけど 笑)

ただし、ルール無視に関してはそうまずくないと私は思います。
PCが全滅しそうになったとき一時的にモンスターデータを改変したりしますし、判定のダイス目を誤魔化したりすることがたまにありますから……。

1998年08月06日:12時59分52秒
「ルール不要」「ルール無視」どちらもマズイのでは? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>陸さんへ
 「ルール不要」「ルール無視」←今、陸さんの概念規定に従ってみても、どっちにしてもマズイ気がするんですけれど、、、。
 
 「ルール不要」<これって、前どなたかが別掲示板に書いてられた「R」ってヤツですよね? きっと?? 正直ゆぅと、アタシみたいのは「R」にあこがれます。でもむつかしすぎると思う。もぉほとんど即興演劇なのでは?? (違う?) 即興演劇的なものだとしたら、むつかしすぎると思う。
 アタシの考えでは、キャラクタープレイヤーの喜び、って自分があれこれ考えて演出した、「キャラのにんげん性を、同卓メンバー(PLたち+GM)に受け入れてもらう(含む、理解してもらう)こと」にあります(ストーリー展開の要に関われればなおよい☆)。そのためにはやっぱ「ルール」道具としてつかいこなさなきゃ。
 特にコンベンションみたいな場では、、はじめてあった見も知らぬ人に、自分のキャラプレが受け入れられたときはせおれはもぉ、カ・イ・カ・ン、なのです。
 ん〜、コンベンションみたいなところで、「ルール不要」をやったら、結局“お約束”だけのストーリー展開にならざるを得ないんじゃないかしら?
 “お約束”展開には、PL固有のキャラシー独自な解釈の余地って極限に少ない、、だからキャラプレとしても程度が低い。それに何より、いろんな人のいろんな解釈をインタラクション〔交叉〕させるってスリルが生じない。←ん〜、やっぱ、コンベンションで、“お約束”でない「R」ができる気がしません。
 
 「ルール無視」、ん〜、こっちは、GMさんの公正さがそこなわれるって部分がまずいのでは? え〜と、セッション中、一見「ルール無視なのかしら?」って思う処理があったとしても、後から聞くとちゃんと、ルールに裏付けされた説明が、いただけるGMさんには信頼感寄せちゃいますよね。
 だから、「ルール不要」も「ルール無視」もどっちもまずいかと思います。
 その、キャラクタープレイ-「ドラマ」性重視的観点からしてもですぅ。
#補足:アタシがゆぅ「ドラマ」の概念は、大げさな展開とは違いますぅ。かんたんにふれておくと、「キャラの内的・外的葛藤→自己実現によるカタルシス」、がドラマチックだって、一応古典的な解釈ですぅ。←たくさん、はしょったから、ダメダメな説明ですけれど、(汗)、いちお〜、、(礼)。
1998年08月06日:12時49分59秒
キャラクターのすげ替え / S
 ……うーん。(-.-;)
 一気に展開したみたいで、ちょっと状況が分からなくなったので質問します。
 皆さんは、「キャラクターのすげ替えが簡単なシナリオ」、あるいは逆に 「難しいシナリオ」 について、その是非や望ましい在り方などをどうお考えでしょーか? その視点から、キャラプレの是非や望ましい在り方についての考えを教えて欲しいです。
 
僕が言う 「キャラクターのすげ替えが簡単なシナリオ」 とゆーのは……
 ごくオーソドックスなシナリオの事を指してます。
 例えばD&DやSW。ダンジョンや遺跡があって、そこへ赴いて探索し、障害を克服し、成功を得る……こーゆー基本中の基本、あるいはその延長にあるシナリオの事です。
 シナリオ自体がどんなに複雑、かつ玄妙であっても、PCの個人的設定は (でぶ猫さん曰くの内挿/外挿的妄想を問わず) 考慮されず、キャラプレ的な意味でのPCの性格、あるいは経歴や人間関係などは、シナリオに対してダイレクトには関わらないモノ……とします。
 その為、シナリオの使い回しが簡単です。Aグループで使った後、Bグループでもそのまま転用でき、延々と持ちネタにできるでしょー。実際、市販の既成シナリオの類いは殆どコレに傾いているハズです。
 言い換えれば、PCは 「第三者から当事者にシフトしていきつつ、事件を解決する立場」 に置かれます。

逆に 「キャラクターのすげ替えが難しいシナリオ」 とゆーのは……
 PCの個人的設定に絡めたシナリオの事です。 それが内挿的妄想か外挿的妄想かはともあれ、プレイヤーがPCに付加させた 「キャラプレを誘発・補完する為の情報」 に対してマスターからアプローチする事で、プレイヤーが無理なくシナリオに参加できます。
 「行方不明の○○を探している」 (笑) なんてのは安直ながらも個人的設定としてありがち、みたいな個人的印象を持っていますが、その○○が出て来るシナリオ……ってのもまたマスターとして望まれる一つのレスポンスでしょ?
 「PC-Aは直情型性格との事だから、同行している 『彼にとって大切な女性』 を、ここで殺してしまおう」 などと、キャラプレを期待したシナリオを組む……ってのは割とリプレイなどでも見かけますし、プレイヤーを楽しませる意味では効果が大きいハズです。
 言い換えれば、PCは 「当事者から更に渦中の人にシフトしていきつつ、事件を解決する立場」 に置かれます。
 
 当 「総研」 ではキャラプレとゆー用語単体に対しては、「外的な演技 (声・口調など)」 のみを指しているのではなく、「内面的な心理のトレース、その表現、暴走を生みがちなそれに対して俯瞰したプレイヤー的視点から行うシナリオに適したコントロール」 も含めている訳ですから (とゆーか、そっちの方がウェイトを置かれている訳ですから)、キャラプレについて語る事は、当然ながらプレイヤー的問題に限らず、それを利用する側のマスター的問題にも被ってしまいます。これを前提にした上での質問です。

 PS1.第三者、当事者、渦中の人、とゆーのは、客観的に見てPCの立ち位置が実際に何処にあるかではなく、PCから事件に対しての主観的・心理的距離……のニュアンスも含めて言ってます。「プレイヤー自身の感情に訴えかける度合い」 と言い換えてもいいです。
 PS2.がふっ (血反吐)。球形弐型さん、勘弁して下さい (苦笑)。(って、昨晩に 「一行」 にも書いたけど、一応、ここでも)
1998年08月06日:12時20分12秒
Re:ノリ優先でルールを無視していいというプロの例 / 陸
ん〜 書いてる内に気づいたが(^^;

宇津見さんwrote
>ノリ優先でルールを無視していいというプロの例
ルール無視とルール不要では私の中では別のものだと解釈しています。
ルール不要ってのは「ノリさえあればルールなんていらない」つまり、行為 判定無しにゲーム内すべて(おおむね)キャラクタープレイのみで 解決する場合のことです。

ルールを無視というのは一時的にルールを省略・改変するという場 合のことです。

私は、前者の意見で「そのような主張は見たことがない」とかいたのですけ ども…(^^;
実は違うところのレスだったりして(^^; だったらすいません。

1998年08月06日:11時59分39秒
ルール無視の事例 / MAT.N
「お約束な展開」なのでルールを適用しない
系として「ドラマチックな展開」なので細かい判定をしない
ストーリー上の要請から判定をはしょる。
このへん、目撃した覚えがあります。「PCが死んじゃうから」というのも含めたものかのぉ
1998年08月06日:11時43分15秒
キャラクタープレイが苦痛だという人もいる / MAT.N
え〜、話題の流れからはちと戻りますが、「TRPGにキャラクタープレイは必須」というのには異論があります。

実は私自身も「TRPGの醍醐味はロールプレイだろ(当時キャラクタープレイなどという言葉はなかった)」と思い、色々誘導してみたのですが、仲間が全然のってくれませんでした。いわく「面倒臭い」(ううむ)
では何が面白いかと言えば「ダイス振り」。いやー、これは私自身もそうなんですが(笑)

かくして仲間内とのプレイでは「シチュエーション提示」「方針選択(意志決定)」「戦闘の創意工夫(なにせコレがメインだ)」だけにほぼなりました。戦闘は必然的にカツカツのバランスが好まれますので「役割分担」だけはしっかりやられてます(でないと死ぬ)から、まあ「これでもRPGだ」と強弁できます(笑)

同時に私の場合は通信でメッセージセッションを行ってもいたのですが、こちらはいくらかキャラクター性を重く見るプレイヤーが多かったですかね。しかしまあ私自身の根っこは変わらないので、「ま〜、ロールプレイしなくて行動方針だけでも構うまい」という感じで今でもマスタリングしております。(深淵でもやったのはダンジョンバスターだったので「戦闘マスター」と名乗ってます。まあザイナーも戦闘好きだそうだからコレはコレで深淵の本質的なプレイかも)(言い過ぎだって)
1998年08月06日:11時05分12秒
ノリ優先でルールを無視していいというプロの例 / 宇津見
 『天羅万象』のデザイナーたちも、ノリのためにルールを無視していいと頻繁に言っているようです。
1998年08月06日:11時00分06秒
ルール無視的状況について / 陸
どうゆう場面で「ルール無視」と言えるのか。 事例を挙げて説明してください。 お願いします。 例えば、「交渉判定の時にキャラクターのロー ルプレイによってプラスボーナスを与えるのは ルール無視している」、と言ったものです。
1998年08月06日:10時21分43秒
内挿的妄想/外挿的妄想について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>でぶ猫さんへ
内挿的妄想/外挿的妄想の理論は、「キャラプレ付加価値」説より、アタシ受入れ易いです(←まだこだわってる;苦笑)。
でも、そんな簡単に、 内挿的妄想/外挿的妄想を区別できるのか? って疑問を抱いています。
ってゆぅのは、TRPGにおいて、一般に、「コンセプトや世界観は完結してない」、すなわち常にPL個々の常識によってレファランスされる必要がある、ってのがアタシの意見だからです。
#ここでは、アタシは、アタシなりの必要から「(狭義の)ルール」を、「『ルールの総体』の内の、数値化された表現、及び、数値処理」として、切り離してることを、ご了解ください。でぶ猫さんが「ルール(の総体)」に「(デザイン)コンセプト」や「世界観」を含めていることは、了解したうえでえの発言です。

アタシが、あるコンベンションで、「ゴーストハンターTRPG」をプレイしたときのことです。アタシのPCは貴族のディレッタントでした。んで、国会議員へのコネを持ってたんですね。
で、コネの相手に、「ちょっとね、“聖水”ってやつを都合したくって、ウェストミンスターの司教に紹介状を書いてほしいんだ」って持ち掛けたのです。
GMは、スクリーンの後ろで、ロールして、「すまんが、私はウェストミンスターの司教には知り合いはいない」、と。←この、「」の内の書込みは記憶に基づいてますけど、ほぼ現場で口にされた、セリフです。

え〜と、PCが(特にディレッタントみたいなPCが)コネとかを使って有利なアイテムをゲットしたりするのはあまりよいことではないですよね(汗)。ま、、まぁ、わかっていても、可能なことはできるだけ試してみたくなるのがPLってもので(苦笑)。
ダメダメなキャラクタープレイヤーとかだと、こぉゆぅとこで、ダダをこねて、GMを困らせたり、同卓PLをシラケさせたりするのかもしれません(その可能性はわかります)。けれど、アタシはちゃんとしたキャラクタープレイヤー(苦笑)ですから「あ、そなの」って、あっさり引き下がりました。いや、それがあたりまえで当然の振る舞いをしただけなんですけれど(それはわかってます)。

え〜と、アタシの立場は、セッションで、「心に残るストーリー展開を達成するにはキャラクタープレイは不可欠」って立場です(←ちょっとハショッた;汗)。で、欲をゆぅと、このときの「ゴーストハンター」のGMさんには、判断の表現をもぉ少しだけ、センシティブに選択してほしかった。現場では、そんなこと口に出しませんけどね。
「ウェストミンスターの司教に知り合いがいない国会議員」なんてイギリス議会にはいないと思うのですよ(苦笑)←アタシの“じょ〜しき”ではネ。
例えば、、「電話してみたけど、知り合いの司教は海外に出かけてて」とかね、、なんか工夫してもらえたら、もっと嬉しかった。繰り返して強調しますけれど、アタシは「この場合司教にはコネが届かない」って、ゲーム的判断にはなんの不満もないわけです。ただ、不自然な表現をされたために、、、ん〜、わかりやすくゆぅと、「大河ドラマ」的ストーリーになる可能性があったストーリー展開が一気に(ってゆぅのは言い過ぎかしら?)「水戸黄門」、「遠山の金さん」的、御都合主義展開臭くなってしまった。

アタシ「御都合主義」、「お約束」ドラマ自体嫌いでないのですよ。その、、特撮TV番組とか、好きなの多いです、、ミ〜ハ〜だから(苦笑)。
だから、ホントのことゆぅと、そのときのセッションも、トータルでは結果オーライで、さして不満は抱いてないのです。
ただ、「個人の常識にリファレンスされなくてはならないTRPGの世界設定(紹介した局面では世界設定の解釈が主もんだいですよね?)」では、「相手の内挿的妄想」が自分にとって「外挿的妄想」って事態は容易におきると思うのです。アタシが紹介した局面はそぉした事例だと思っています。
え〜と、このときのGMさんはゲーム性から、要請される役割のみで、NPCをハンドリングしたために、セッションのストーリーを「御都合主義ドラマ」の方向に、押したんだと思います。
このときのセッションは、参加者の全員が面白かった、と言っていたので「御都合主義ドラマ」OKなのですけれど、ロールプレイ/キャラクタープレイ、ってキャラのハンドリングが、セッションのストーリー展開の性格を大きく左右するって認識はもっと広まったほぉがよいのではないでしょぉか?

で、同卓メンバー(PLたち+GM)はインタラクション(刷りあわせ)で、そのセッションのストーリー展開を実現してくわけですよね?
でぶ猫さんがゆわれる「外挿的妄想」的キャラクター解釈は極力少ないほぉがいい、って意見はアタシ賛成なんです。いえ、でぶ猫さんはもっとビシッ「『外挿的妄想』性キャラクター表現」はあってはならない」ってご意見なんですよね。でも、今回ご紹介した事例のよぉに、「カンナにとっての『内挿的妄想』」が、「GMさんにとっての『外挿的妄想』」って現象はさけられないのがTRPGではないでしょぉか? 特に、コンベンションでは、避けられない。
こぉしたすれ違いが認知されたとき、キャラクタープレイヤーであろぉと、なかろぉと、一番やっちゃいけないことが、PLやGMの素に戻って議論をはじめちゃうことだと思います。ルールや、世界設定の解釈に関する議論は、せめて、セッション終了時の反省会でやってくれ、って思います。
コンベンションでなくって、親しいにんげん同士のプレイだと逆に、、PL「え? ダメなの?」、、GM「ダメ」、、PL「あ〜、わかった」、とそれこそ、阿吽の呼吸で納得がゆくことがありますけれど、コンベンションでは望めないですよね。
アタシの意見としては「TRPGにおいて、避け難い、世界設定の解釈のズレを刷りあわせる、有効な手段のひとつがキャラクタープレイによるセッション中の刷りあわせだ」、です。いかがでしょぉか??

#アタシのいうキャラクタープレイは、PCのバックグラウンドや、動機づけから、そのキャラらしい言動を演出していくこと、で。演技とかはなくってかまわない(上手にやれる人だけやればよい)です。だから、期待される役割ってゆぅよりは、(キャラの)自己実現(自己表現?)だと思います。
#なんかはしょってるよぉな気もしますけど、さしあたりいじょぉとします。

P.S.>Yanさんへ
>やらないのは簡単なのだから、やったときにどうやれば上手く行くか、って話をするのが、この伝言板の趣旨にふさわしいのではないでしょか?
え〜と、アタシの意見では、そのお話は「プレイング研究室」が適当ではないかと、、、ってゆぅいか、きっとアタシとかが率先して書込まなくっちゃいけないのだわ。キャラプレ擁護派なんだもん(焦)。
1998年08月06日:10時15分06秒
ルールを無視? / あずま
>うにうにさん

>ルールについて
>ルールを無視してよいかとありますが、結論から言えば、良いでしょう。
>無視してもよいといっても、それはその場におけるノリによります。
>簡単に言えば、その場でみんながそれを許せばいいのです。それもみんながそれで楽しめればいいのです。
>最初からルールを無視すると、ゲームではありません。

危険だなぁ、この考え。
楽しければルールを無視しても良い。っていうのは、結局内輪だけの世界に籠もることでしょ?
まぁ、そういう人たちが自分たちだけで遊んでわあわあ騒いでいる内は良いけど、
よそのコンベンションとかへ行ったときには、楽しめないことが生じてくるよね。

>例えば、双六をしていて、皆が認めたとしても、最初の人がコマを上がりに持っていって楽しいでしょうか?
>多分認められたとしても、その人自体楽しくはないと思います。

このフォローも分かりにくいです。
前言に対するルールの捉え方のフォローにしたいんでしょうけど。

>ルールを作った人は遊ぶ人が楽しんでくれる事を前提に作っていると思います。
>出来る限りルールにしたがった方が良いと思います。
>そのルールを使ったときにしか気づけない楽しさがあると思いますから。


別にあずまはルール至上主義者ではないけど、それでも大前提はゲームを楽しんでいる感覚だなぁ。
ルールを守れないってことは基本的にはゲームに参加する資格がないって事じゃないの?
ルール自体がしょぼしょぼで使いモノにならないとかは、そのシステムの欠陥なわけだし。
大前提としてはルールは守るべきってのが結論でないなら、TRPGについての話にならないよね。

tRPgだかtrpGだか知らないけど、結局この表現でもゲームは切り捨ててないよね?
だとしたらやはりルールは守られるべきなんじゃないんですか?
楽しくないからルールを無視するというなら、TRPGの楽しさを知らないってことになるんじゃないかな?


1998年08月06日:08時11分40秒
キャラプレイが成り立つような状況を作り出す…? / YAN/矢野 聡一郎
…うう。一時間ほどかけて入力した文章が消えてしまったので、もう、手短に。
 
> SHiNさん 
> 逆にいえば、状況(ここでいう状況は別にゲーム性のことじゃないです。)を変えることができれば、
> 悪いキャラプレを良いキャラプレにすることも出来るんじゃないでしょうか?
 
 ここで、「他人に状況を変えてもらうように期待する」のは間違いだとは思うけど、 SHiNさんがお話したいのは、「自分で状況を作り出す」事についてですよね?
 
 その点に関しては、自分も賛成(ていうか、それに関しての話が聞きたいのです〜)。
 
 とにかく、出来ないよりは出来たほうが良いし、

 1. 自分のキャラプレを受け入れてもられる状況のつくりかた
 2・ 他のプレイヤー(GM)さんのキャラプレを受け入れられる状況のつくりかた(プレイヤーorGMの立場で)
 3. キャラプレを「促進」する状況のつくりかた
 
 に関しての話し合いができたら有益じゃないかな、って思います。
 
 自分もMARSさんと同意見で、「キャラプレは、無いよりはあったほうが面白い」と思ってます。
 
 ていうか、やらないのは簡単なのだから、やったときにどうやれば上手く行くか、って話をするのが、この伝言板の趣旨にふさわしいのではないでしょか?
1998年08月06日:07時28分29秒
ロールプレイって・・・ / でぶ猫
通常いわれてるロールプレイって、実は以下のものから構成されていると思うんですよね。
  1. 期待されてる役割をはたす。
  2. 自己表現
絶対必要なのは1で、2はその上で「それだけじゃつまんないのでもうひとひねり」の 世界ですな。1に関係ない2は本来は邪魔なだけです。
 これと別にTRPGの場合、「キャラクターを表現すること」という要素がありまして、 これは結局何かというと感情移入を促進してゲームをおいしくいただく薬味のようなもの なわけです。(味付けそのものになってるRPGがほとんどですが)
 そのへんの構造がわかってないと、話はさっぱり前に進みませんね。
 
 ☆ところで、期待されてる役割ってナニ?と聞かれると、まあ、確かに「戦士だから肉弾戦を引き受ける」と いったベーシックなもの、「唯一、そのスキルをもってるキャラだからその作業を分担する」、そして 人によっては「ボケたら突っ込む」まで含めるでしょうね。(ボケたら突っ込むってのは、鍼原さんいうところの インタラクションでしょうか。しかしこれも、共通の文化がなければ単なる ひとりよがりです。外挿的妄想にして、ホンマにただの妄想ですね。くわしくはちょっと前の私の長ったらしい 書き込みを参照してください)
1998年08月06日:05時29分10秒
ゲームは... / あらさか
TRPGにおいて
ロールプレイ的要素

ゲーム的要素
が矛盾した関係であるということを認識しとかないと
かなり込み入ったことになってくるみたいです。
自分は、ゲーム的要素を盛り上げるためのお飾りとして
ロールプレイを捕らえていますが、、
その場その場のリアクションを、時代背景や心理的状況、
文化的風俗的側面から分析しながら
完璧に
リアルタイムに
演じて行くと時間がかかってしかたがないと思うからです。
薬で知覚神経系をブーストする場合のリアクションはやっぱり実際に打ってみないと(または取材する)できないし。
9mmPの騒音なんてのもやっぱり撃ってみないとわからないから、です。
1998年08月06日:03時01分16秒
まぁ、アレですけど (RE:僕は僕、君は君) / 3327
まぁ、アレですけど、たしかにひどいですね。
そんなのが平均なのは、悪いキャラクターロールしてる連中か、その中にいて 「俺だけは違うぜ」 といきがってるバカだけでしょうね。

D&D愛好家から言わせてもらえば、
「現在27歳の人間に、子供の頃に寝しょんべんしたからといって悪く言うのはおかしいんじゃない?」
って感じです。(D&Dは1970年生まれ)
これは、経験<>お金 だけじゃなくて、技能とか交渉とかもね。
SWでいつまでも10倍消費がっ! なんて言い続けます?
1998年08月06日:02時25分21秒
たくさん書いてありますね。 / うにうに
 初めまして、うにうにと申します。
 
 熱いですね〜。燃えているのだ〜。くっ〜。
 熱いのは好きなので、書き込みま〜す。
 
 暴走プレイについて
 暴走プレイが生まれるのは、他にもプレイしている人がその場にいる事を考えてない、キャラの行動する選択が少ないとき、最初から参加する気がない、TRPGをやったことがない、自分の発言を誰も聞いてない、誰かがもう暴走している、GMがすでに暴走しているときなどにおこると思います。
 最初から参加する気がないの場合は、残念ながら、次回からは参加してもらわない方がいいと思いますが、他の場合はGMにがんばってもらうしかありませんね。
 暴走プレイは自分が面白いと思っていれば、おこる事はないと思います。
 プレイ中に他の事をしている人も暴走プレイと何ら変わらないと思います。
 
 ロールプレイについて
 ある性格を決めたとします。その性格に反する事をしない限り遭遇している事態を打破する事ができない場合があります。そんな時、普通であれば性格を無視します。それが大抵の人の反応です。まあ、少数の人間は我を通して、死ぬ事をも辞さない人もいますが。ゲームをしているときは、出来るだけ長く楽しみたいと思っているはずです。ですから、性格を無視する方がいいようにおもえます。
 しかし、性格を絶対とする人がいます。それは、コンピュータRPGをよくやっていた人たちに見られます。コンピュータRPGでは最初に決めた事はもう、後で変更が効きませんからね。
 
 ルールについて
 ルールを無視してよいかとありますが、結論から言えば、良いでしょう。
 無視してもよいといっても、それはその場におけるノリによります。簡単に言えば、その場でみんながそれを許せばいいのです。それもみんながそれで楽しめればいいのです。
 最初からルールを無視すると、ゲームではありません。例えば、双六をしていて、皆が認めたとしても、最初の人がコマを上がりに持っていって楽しいでしょうか?多分認められたとしても、その人自体楽しくはないと思います。
 ルールを作った人は遊ぶ人が楽しんでくれる事を前提に作っていると思います。出来る限りルールにしたがった方が良いと思います。そのルールを使ったときにしか気づけない楽しさがあると思いますから。
 
 長く語っちゃいましたね。では、また。
1998年08月06日:02時22分53秒
自己レス / 骨喰・・・
>プレイヤーに楽しい夢の世界で楽しんでもらうために、それを阻害したり興ざめするような要因は排除してっていう。

プレイヤーがキャラクターごっこを楽しみたいと思うなら、ゲームマスターもそれに応える必要があるという意味において、キャラクタープレイは正当化されるとは思う。

が、それはシステム的な基盤や相互の意志による契約関係によらず、他人の好意にすがっているだけなのでそれをあてにしていると痛い目を見るって気がするな。


1998年08月06日:02時02分22秒
無意識のキャラプレ? / 骨喰・・・
多重人格?
それとも知らない間に俺じゃない俺が勝手に・・・・とか(笑)
違うよね・・・
1998年08月06日:01時44分24秒
そうかな? / 骨喰・・・
>システムレベルで、「金のためなら命をかける」という、暴走キャラプレを期待していたともいえるでしょう。

個人的には、障害を乗り越えた『達成感』の喜びの表現手段が経験値であり、お金であったんだと理解しています。
この達成感はプレイヤーに帰属するものであり、訳のわからないキャラクターごっこに起因するとは俺は思わないっす。


1998年08月06日:01時39分31秒
僕は僕、君は君。 / 骨喰・・・
SHiNさんの書き込みから引用・・・
>実際、平均的なゲームマスターは、たいていの場合、PCの暴走キャラプレをあてにしてシナリオを作ってると思いますよ。
 PCのヒーロー性をアテにして「報酬」も「必然性」もないのに「人助けに命をかけさせられる」・・プレイヤーやってれば、そういう経験あるでしょう? また、初期のD&Amp;Dでは、お金=経験値という構図が用意されていました。 システムレベルで、「金のためなら命をかける」という、暴走キャラプレを期待していたともいえるでしょう。

え?
そんなへたくそマスターが平均的なんすか?
マスター暦が浅くてプレイヤーの誘導になれていない初心者マスターの話ではないですよね。
なるほど、話が噛み合わないわけだ。
おいらはそんなお約束に頼らないでいかにプレイヤーを乗せていくかがマスタリングテクニックっていうもんだと思うとりました。 プレイヤーに楽しい夢の世界で楽しんでもらうために、それを阻害したり興ざめするような要因は排除してっていう。

とりあえず、俺の知ってるマスター連中とは違う世界だね。

まあ、いろんな考えの人がいるってのはいいことかな。どーでも良いけど。


1998年08月06日:00時34分18秒
PRPと暴走プレイは違う / MARS
 なんか毎度毎度同じ事を言うざんすねえ…
 暴走プレイとPRPは完全に違うんです。
 
 暴走プレイは本当に何も考えてないから…
 どうしてそうなったとかこうして欲しいってアプローチも何もあったもんじゃない……
 
 対してPRPは次の一手を考えて行動する。
 というかそれが違いなのかもね…
 
 キャラプレ無しでおもしろいって意見が出てますが…
 そういう人は本当に(意識して)キャラプレしたことある?と聞きたくなります。
 おそらく(意識して)キャラプレをせず暴走プレイしか見ていない結果だと思うんですよ。
 
 断言すれば”キャラプレ無し”より”キャラプレあり”の方がおもしろいです。
 じゃなきゃ無意識にキャラプレしないよ…
 キャラプレってのはあんこの中の塩なんです。甘さを引き立たせるためのね…
1998年08月05日:22時08分16秒
re:『社会的ロールプレイとキャラクターロールプレイ』 / ラウール
>#この考えでいくと、『俺のキャラは、◯◯だから、こんな事はしない!』
>というのが、実は、それほど悪いことではないという事になります。
>#が、「平和主義者で臆病者の戦士」など、GMがうまく処理できないような
>不自然、もしくは特殊すぎるようなロールプレイは、相変わらず、『悪い』
>ロールプレイとなります。が、これは厳密にいえばロールプレイでなく『キャ
>ラ設定』。
>#つまり、GMが対応できるならば、悪いロールプレイという概念は存在しな
>くなり、あるのは、『悪いキャラ設定』だけだということになります。(こ
>こらへんの概念はラウールさんが詳しいかな?)


 私の指向は,省みるにD&Dのアライメントに端を発していまして,どういう事かといいますとワルを気取って Chaotic をやりたがるプレイヤーというのが結構ありました。で,こいつらが困ったことに好き勝手やって挙げ句の果てに「Chaotic だから」とか言うわけです。私はこーゆー連中がだいっ嫌いでした(笑)。だって,常識的に考えれば,そんな信用の置けない連中と生死を賭けた旅を共にするなんて正気の沙汰とは思えない。多少能力は劣っても,もっと信用のおける奴と手を組みます。


 時は流れ Chaotic だ Evil だと言っていたRPGは実に残念なことに日本語サポートなしというご時世になりましたが,Chaotic は放火魔だとか虚言癖だとか言ったものに姿を変えて残っております。そんなヘンな奴と判明した時点で私としては命を預ける旅の友としては縁を切りたい。

 そんなわけで私は,困った設定は認めんでくれとマスターには言いたいですし,プレイヤーには面白半分にまたはいきがって小悪党は作らんでくれ,と言いたいわけです。

 私のキャラクタープレイに関する指向(設定を曲げない)については,実は馬場講座の第3章「開始から終了まで(1)」や第4章の「間違った考え方(2)」<主張7>で批判されているのですが,これについては,私の指向は問題無い,と考えております。むしろ,馬場講座の主張は小手先に逃げており,私の指向の方が高度なゲーム性を備えている。・・と考えていますが,これは長くなるのでここでは述べません。そのうちホームページにあげるかもしれません。
 次の部分ですね。


 例えば,「嘘をつくのが大嫌い」という特徴を持っているキャラクターが,何かごまかして言い抜けないと仲間の命がない,というシーンに遭遇したとします。
(中略)
 かといって,ここで「このキャラクターは嘘をつくのが大嫌いだから,ごまかしや言い抜けはしない」と主張するだけなら,それは「キャラクターの意志」を持ち出していることになります。ゲームをプレイする態度ではありません。こういうときは,「いかにして嘘をつかずにこの場を切り抜けるか」と知恵をしぼるべきです。例えば,「嘘ではないが相手がきっと誤解するであろう言い方」を工夫して,結果としてごまかしや言い抜けに成功したとすれば,これは優れた意志決定だと言えるでしょう。
では,今回はこの辺で。
1998年08月05日:21時56分43秒
RE:同じ行動? / 陽陰
 まず最初に、TTBさん、適切なフォローありがとう御座います。
 
 と、まあ、いいフォローが入ったので、これから書くことはおもいっきし蛇足ですが。。。
 
 >無明氏
 >確かに見た目には同じようにみえても、そこに至るまでのプロセスは異なるでしょうし、それに伴って結果も異なってくると思うです。
 >ある意味、コミュニケーションを必要とするゲームでもあるTRPGにおいて、それは端からでも大きな違いと思います。
 >少なくとも、それによって他の人が迷惑するか楽しめるか違いますし、端から見ても雰囲気違ってくるのでは。
 
 結局その時選んだ選択は一つであり、その前後の脈絡を説明することはまずありません。
 つまり、その時の選択を抽出してみると、全く同じ台詞だったりするわけです。
 
 例えば、「俺は、その男に斬りかかる」といった台詞でも、状況によって、ちゃんとした言葉であったり、ただの暴走であったりするわけです。
 しかも更に状況を限定すると、見た目は同じ状況でも、同時にプレイするメンツによっては、全然展開が変わるでしょう?
 でも、「俺はその男に斬りかかる」という台詞は、全く同じモノなんです。
 
 >訓練関係
 
 確かに、日常生活でも習得できます。
 と、いうか、RPGだけで訓練できるとは言ってませんが・・・(揚げ足取りではなく)
 要は、そう言ったセンスには個人差があり、また、訓練でも伸びるって事です。
 このボードを見てる人は、年齢幅が広いだろうと思うからこそ、こういうことを書くんですけど・・・
 
 ちなみにいうと、私は、失敗を否定するんじゃありません。
 失敗は成功の母と言った有名人もいますし。
 ただね、15年以上も試行錯誤を繰り返したんだから、無意味に同じ轍を踏ます必要もないんでは、とも思いますけど。
1998年08月05日:21時24分27秒
re:同じ行動? / TTB
 こんにちは。TTBです。無明さん、お久しぶりです。(^o^)
 同じ行動を持って、紙一重と表現するのは適切ではないかと思います。
 
 例えば、野球で走者が2塁にいて、打者が中前打したときのサードコーチの判断であるように思います。
 ここで3塁で止めておくのか本塁に突っ込ませるのかは、コーチの裁量にかかります。
 ここで状況判断しなくてはいけません。熟慮する暇もありません。1対0の状況で最終回なら突っ込ませますか。この判断が紙一重の判断であると思います。
 打者の当たりによって、アウトカウントによって、外野手の肩によって、イニング数によって、次の打者によってなど条件は無数にあるでしょう。でも、本塁に行くかどうかしかの2種類しか行動選択は常識的にありません。
 
 このサードコーチの見極めには、訓練が明らかに必要です。
 
 訓練というのは、失敗を許容するために、また失敗を繰り返さないようにするために行うものであると、私は思います。ねこぱんち◎;さんのおっしゃる訓練の機会と失敗の許容性が必要とされるのに私も同感です。
 
 ゲームでは何でもそうですが、同じ作戦を取っているといつも負けてしまいます。しかも、同じパタンで負けるのです。
 
 TRPGに絞っていうと、同じ行動をとっていても状況によって成否も変化します、当然成果も変化します。これは無明さんの言われる同じような行動でも起こり得ますが、同じ行動でも十分起こり得ます。

#まあ、多人数が参加すること(1対1や1対多ではなく掲示板の特色である多対多の実現)により、フレームを避ける面でも多少早く立つかなと思ったので割り込みました。
#私は、陽陰さんではありませんので、陽陰さんの解釈とは異なると思いますが、書き込んでみました。
1998年08月05日:20時51分02秒
同じ行動? / 無明
陽陰様、やっぱり、紙一重って表現しっくりきませんねぇ。
別にご意見については特に反論とかはないのですが、
端から見た場合ということですが、「同じ行動」ではなく「同じような行動」ではないでしょうか?
確かに見た目には同じようにみえても、そこに至るまでのプロセスは異なるでしょうし、それに伴って結果も異なってくると思うです。
ある意味、コミュニケーションを必要とするゲームでもあるTRPGにおいて、それは端からでも大きな違いと思います。少なくとも、それによって他の人が迷惑するか楽しめるか違いますし、端から見ても雰囲気違ってくるのでは。

その辺の見極めって、訓練が必要なぐらいなものなのかなぁ。
日常生活で修得したもので十分なような気もしますけど、さらに訓練って必要なのでしょうか?
愚痴を言ってるようになりまして、申し訳有りません。基本的にはいいなぁと思うのです。
ただ、自分自身あまり頭良くないので、なっとく行くまで聞いた方がいいなと思っているだけです。
不快に思われたらごめんなさい。
1998年08月05日:20時23分19秒
訓練の機会 / ねこぱんち◎;
 ほえ?・・・・みゅ〜♪
 おじゃまで〜すにゃ!
 >陽陰さん
 >ま、訓練によって成長する技能でもあるとは思うんですが。。。
 今うまくできてる人だって、色々と試してやってきたわけですよね?。
 その教訓が・・。
  「セッション前のディスカッション」
  「システムのデザイン意図を理解する」
  「リアクションを引き出す」
  「一つのアプローチにこだわらない」
  ・・・etc。
 って形でいかされているわけだから。
 なんにせよ、「失敗」の経験が許容される状態であってほしいよね。
1998年08月05日:20時09分25秒
RE:RE:『社会的・・・ / 陽陰
 私が「紙一重」とした意味としては、「端から見ていて一緒」という点からなのです。
 つまり、極端な話、同じ行動をとったとして、セッションが崩壊するか、感動的な展開になるかのどちらかの場合もあり得るという諸刃の剣であるという点で、紙一重という表現を行いました。
 
 つまりこの辺を見極めるのは、当人のセンスであり、しかも、万人に存在するものではない、というのが私の意見です。
 ま、訓練によって成長する技能でもあるとは思うんですが。。。
 
 この辺り、「読み」とも深く関係するわけですが。。。
 判ります?SHiNさん。
1998年08月05日:19時58分30秒
RE:質問:GMの楽しさ関係 / 陽陰
 えっと、あれは半分茶々でして、、、
 
 GMが状況描写も以降の話の展開も考えず、我が侭なPCと同じレベルでNPCに入れ込んでしまうと、セッションが崩壊するか、延々と掛け合いが続くだけの仮面を被った漫才になるか、うまくいったとしても時間が膨大に掛かるかっていう、まあ、とんでもない状況にってしまうだろうということです。
 
 まあ、例示にある2.のほうですね。
 
 実際に、後先考えず、NPCで掛け合いをしてるって言うのは簡単なんですがね。
 いくら何でも、そこまで極端なGMと遊びたいっていう人は少ないでしょう。
 
 なんでこんな極端な意見を書くのかっていうと、まあ、SHiN氏の意見を字義どおり受け取って、極端な方向に仮定してみたんですが・・・
1998年08月05日:19時52分03秒
RE:『社会的ロールプレイとキャラクターロールプレイ』 / 無明
尻馬に乗らせていただきます。
陽陰様 wrote:
>>私は、『良いキャラプレ』と『暴走キャラプレ』は、紙一重だと思います。
>これは、確かにその通りだと、私は思います。
そうなのでしょうか?
少なくとも、周囲の状況が読める読めないで大きく印象は変化しますし、それを紙一重と言うには厚すぎると思います。

> そのキャラプレを行うモノが、周囲に回収してもらえるであろうという判断の元に、そういったことを
>行うべきです。
> そうでないと、ただの迷惑な奴だと思うのですが?
後は、自分の行った行動における対策を考えておくべきかと思います。
回収してもらえなかった場合に、 他の人にどうこうしてもらうのではなく、自分でどうする(修正する)か位の考えは持っていた方がいいのでは?
「●●だから、◎◎できない。」でなくて「●●だから、代わりに◎◎しよう」位、事前に考えておいてバチは当たらないでしょう。
#自分の尻拭い位、自分でやって欲しいだけですが。

> そして、そういった周囲の状況を見ることの出来るセンスを持たないモノは、そもそも、そういう暴走
>を控えるべきです。
> 
> それを行わないと、「ついていけない」人を多数産む事になります。
> 反論はして貰って結構ですが、大抵のセッション失敗が発生した卓ではこういったことが回収しきれな
>くなってしまうために発生することを、いっておきます。
> それの原因を周囲の人に求めるのは、絶対に間違っています。
同意します。
 絶対多数の最大幸福って観点からはね。
1998年08月05日:19時33分33秒
うわあ / でぶ猫
 すごい発言量ですな。
1998年08月05日:19時33分13秒
外野その3 / 謎の弐型
 SeyfrtSiuwさんへ
 ここでは比較的、話題が白熱しますが、「個人に対する中傷」とも取れそうな発言はやめた方がいいと思います。
 かつて、非難囂々を浴びた人もいます。(誰とは言いませんが・・・アルファベット1文字・・・(笑)
 (あっ、もう気にしてないっす)
1998年08月05日:19時11分38秒
質問:GMの楽しさ関係 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@陽陰さんWrote
>だからといって、NPCのキャラプレをPC並にしてしまうと・・・凄いことになりますしね。
 
 陽陰さん、質問してもよいですか?
 うえに引用した箇所は、1.(陽陰さんがいつも重視してられる)GMのマスタリング負担が膨大になりすぎる、って含みですか? それとも、2.PLのPCキャラプレと、GMのNPCキャラプレとが相乗して、セッションハンドリングがコントロール不能になるって含みでしょぉか?
 それとも、1.も2.も両方含めて?
 それとも、全然アタシが考えつかない理由もある??
 
 え〜と、ボードは陽陰さん以外のかたも読むんで、言わずもがなの補足をしておきますね。アタシのような論点だと、GMさんがNPCをキャラプレして、PLのPCキャラプレを牽制したり誘導したりしかけてもらえるってのは、PLは楽しいもんです(と思います)し、、セッションにも貢献すると思うんですけれど、、、GMさんでも楽しんでらっしゃるかた、お見受けします(気がしてる)もんで、、、陽陰さんのご意見を正確に理解したいと思いました。

 できれば、お教えいただけるとありがたいと思います。
 いじょぉです。
1998年08月05日:18時26分45秒
GMの楽しさ関係 / 陽陰
 SeyfertSluw氏の
 >するとPCを作ることができないGMは全然楽しくありませんね(笑).
 
 という発言なんですが、確かに、キャラプレイこそが一番の楽しみだという意見に基づくと真になりますね。
 
 PCがいかに発言、行動しようとも、GMは状況描写は展開を述べることによってレスポンスを返さなきゃなりませんから、
 1.「暴走キャラプレ」こそが「良いキャラプレ」
 2.「キャラプレ」こそがRPGの楽しみである。
 という意見の元では、やっぱ、GMは楽しめないということになるでしょう。
 
 だからといって、NPCのキャラプレをPC並にしてしまうと・・・凄いことになりますしね。
 
 ・・・そうか、だから、GM不要論なんてとんでもない意見をたまに見かけるのか。
 
 P.S.
 先の私の発言で、一行入れ忘れましたので追加。
 
 >私は、『良いキャラプレ』と『暴走キャラプレ』は、紙一重だと思います。
 
 これは、確かにその通りだと、私は思います。
1998年08月05日:18時14分44秒
RE:『社会的ロールプレイとキャラクターロールプレイ』 / 陽陰
 >SHiN氏
 
 >私は、『良いキャラプレ』と『暴走キャラプレ』は、紙一重だと思います。
 >周囲の認知が低い状態では、『暴走キャラプレ』とされてしまうものが、実は、周囲に認知されることによって『良いキャラプレ』となるのです。
 
 逆だと思います。
 そのキャラプレを行うモノが、周囲に回収してもらえるであろうという判断の元に、そういったことを行うべきです。
 そうでないと、ただの迷惑な奴だと思うのですが?
 
 そして、そういった周囲の状況を見ることの出来るセンスを持たないモノは、そもそも、そういう暴走を控えるべきです。
 
 それを行わないと、「ついていけない」人を多数産む事になります。
 反論はして貰って結構ですが、大抵のセッション失敗が発生した卓ではこういったことが回収しきれなくなってしまうために発生することを、いっておきます。
 それの原因を周囲の人に求めるのは、絶対に間違っています。
 絶対多数の最大幸福って観点からはね。
 
 P.S.
 以前の「らしくない」と指摘された発言は、貴方の意見に従ったものです。
 いちお、自分の発言程度は覚えておきましょうね。
1998年08月05日:18時00分19秒
間と頭の悪さ痛感 / らむだ
  ああ、またもこれだけの間に(悔)。私もどうも議論の流れを切りやすいですね、少し控えます。
  
  ただ、その前に、落ち着かないので遅まきながらSeyfertSluwさんへ:
  
  >するとPCを作ることができないGMは全然楽しくありませんね(笑).
  
  いえいえ(笑)。マスターにはマスターの、プレイング中の大なる楽しみがあります。しかし、その楽しみを味わうには、PCがいてくれてプレイングが始まらないといかんわけで。マスターだけのプレイングだと、PCいないからRPGになりません。
  たしかに、シナリオ作る楽しみなどもありますが、それで実際にプレイングしてみたときこそ、PCごとの独特の反応があって驚き楽しいわけです。眺めるだけのSGにしても、できればユニット切って誰かと遊びたいですよ。一人で眺めているよりもはるかに楽しくなれるはずですから。
1998年08月05日:17時09分05秒
Re:「ルール無視」的発言について / 陸
>としては、アタシがみてる範囲では、F.E.A.R.所属の“きくたけ”こと菊池氏がカナリ、それに近い線の発言をしてたかと思います。
ん? コンプRPGは買っていたのに(^^; 見落としていたのかな? それとも、「ルール無視」がどの程度までのことなのかの見解が違うのかもしれませんね。
>ルールはあくまで補助である
ちなみに、これはおそらく冒険者企画局orSNEの誰かが書いていた思うのですけども。
1998年08月05日:15時14分56秒
「ルール無視」的発言について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>陸様へ、、
 
>雑誌等や RPGの仲間内で、キャラクタープレイを重視するためにはルールなんて必要ないん だといった主張
 
 としては、アタシがみてる範囲では、F.E.A.R.所属の“きくたけ”こと菊池氏がカナリ、それに近い線の発言をしてたかと思います。
 アタシの記憶が正しければ「コンプRPG」関連の「超・女王様伝説」(だっけかな;苦笑)に関する記事での発言とか、、あと、さらに記憶が曖昧なんですけれど「セブンフォートレス」関連でも、そんな発言を公にしてたことなかったでしたっけ?氏は? ←どなたか、詳しいかた、補完していただけるとありがたいです。
 アタシは「超・女」も「セブンフォートレス」もプレイしたことは、ないので、菊池氏の発言の内容を「読解」することは控えたいと思います。
 菊池氏の発言が、陸さんがゆわれる「『ルールはあくまで補助である』と言った」趣旨に収まるものかどぉか、アタシは判断を保留したいです、って意味です。
 ただ、氏の発言のなされかたには、個人的には、かなりネガティブな感想を抱いてちゃってます。何がネガティブかってゆぅと、、、菊池氏のファンが、菊池氏の発言を「ルール無視」的理解で歓迎していて、菊池氏もそれをわかっていながら、あえてスタンドプレー的にふるまってる気がしちゃうのです。←断言はしませんけれど。
 
 でも、まぁ、アタシの立場ですと、コンベンションに「オレのキャラプレはノリ優先でルール無視さ」ってGMさんがいたら絶対行かない(笑)ですし。もし、同卓のPLさんが同様のプレイスタイルでしたら、その“キャラプレ”はつまんないし、セッションに貢献度が低いって感じで、一緒に、セッションに貢献できるようにって狙いでPCを(アタシのキャラプレで)絡ませてきます、、。
 アタシ個人のスタンスなんて、TRPGシーンの総体の内では、ゴミみたいなもんですけれど、、まぁ、菊池氏みたいな発言を批評する立場に、いまのアタシはいないって意味です。
 それより、PLならPL同士で、セッション中有意義なやりとり(インタラクション)ができたほぉがアタシは嬉しいです。
 えと、、極論&私見ですけど、仮に菊池氏が、「ルール無視」的発言を撤回したとしても、誰か別のタレント〔才能〕が、同様のポジションをしめるよぉな気もしています。
 さしあたり、いじょぉです。
1998年08月05日:14時47分34秒
キャラクタプレイなし関連(>SeyfertSluwさん) / アキト
(鍼原神無さんwrote) 
>SHiNさんがゆってるのは、これまで、このボードで積み上げられてきた 議論の流れでは?って話なんじゃないですか?
  
 でしゃばるようですいませんが、無益と思われる論争は避けたいので。
 で、ですね、この掲示板においては、わりと早い段階から「ルールブッ クや世界観に裏付けられていないキャラプレイは本当のキャラプレイでは ない」というような認識があるように思われます(でぶ猫さんの言葉を 拝借すれば『内挿的妄想』まで・・・・かな?<おばか)。
 
 そのため、「『楽しいプレイ(キャラクタプレイ)のためにはルール 等は無視しても良い』などといってきた日本のRPG業界が存在する以上,『ル
ール不要論』を主張をする人は存在する」というのは表現はあまり適切では 無いでしょう。
 つまり、前提条件としての「キャラプレイ」がずれてると思います。
 
 やっぱり言葉の把握ができないと発言しにくいようですよ。
1998年08月05日:14時45分10秒
Re:行為の是非は状況しだい。 / アキト
たしかに行為を促す状況となら、状況と比較できます。 でも、状況を保つための行為ならば、行為と比較できることもお忘れなく。
1998年08月05日:14時12分46秒
『社会的ロールプレイとキャラクターロールプレイ』 / SHiN
 これまでとほんのすこし書き込みの方向性をかえます。
 あちらこちらで語られてきたさまざまな概念が、実際にゲームの中でどのような働きをしているのか、具体的に見ていこうと思います。
 まず、はじめに考えて欲しいのですが・・・
 
 キャラクターロールプレイと社会的ロールプレイの差ってどこにあると思います?
 
 実のところ、私には本質的にはまったく同一のものだと思えるのです。
 (実際、一般にはひっくるめてロープレって呼ばれているでしょう?わたしも普段、そう呼んでいます。)
 
 考えてみてください。
 『良い』キャラクターロールプレイは社会的ロールプレイとほぼ同じ効果があるのではないのですか?
 (この点を理解できない人は、おっしゃって下されば解説をロングポストに投稿します。(笑)
 一応、今回は割愛。以前の鏡さんの「よいキャラプレとは?」という設問に対するみなさんの解答をみて、解説不要と判断しました。)
 
 そして、いかにすれば、プレイヤーのキャラクターロールプレイを良いもの(つまり、社会的ロールプレイと同等のもの)にできるか?
 プレイヤーから良いキャラクターロールプレイを引き出すことが出来るか?
 
 これをマスター側の方法論として考えましょうって言うのが、私のいう『キャラクターロールプレイ重視のマスタリング論』です。
 
 たとえば、直情的なPCがいたとします。彼は、その直情さでシナリオをぶち壊す恐れがあります。
 が、プレイヤー自身にとっては、この直情さこそが美点です。うだうだ悩む前に行動!カッコイイ!
 でも周囲の仲間にとっては、やはり迷惑な存在かもしれません。せっかくの計画や作戦が水泡に期してしまう場合さえあるからです。
 
 ゆえに、この直情さを暴走させることは、あまり良いキャラクターロールプレイではないと言えます。 他人のゲーム的楽しみを奪ってしまう(陽陰さんの言葉を借りれば『他人の意志決定を阻害する』)危険性のある行為だからです。
 
 が、もし、GMがそれを期待していたら?
 もし、他のプレイヤーがそれを期待して、自分のプレイ計画をたてていたら?(あいつが熱血だから、俺はクールにやってもいいだろう・・等)
 
 困ったことになります。なぜなら、この場合のキャラクターロールプレイは、周囲に認知されることにより、 社会的ロールプレイとしての機能を果たすようになっているからです。
 
 また、本人は「これは、良いキャラプレだから、社会的ロールプレイのごとく徹底しよう」と思ってるのに、周囲は全然認知していなかったって可能性もあります。
 
 結局のところ、『良いキャラプレ』、つまり、ゲーム進行を円滑にすすめる役目を果たし、PC同士の役割分担を明確にし(ボケとつっこみ・・など)パーティプレイ(チームプレイ)の楽しさを増大させる社会的ロールプレイと同等の『良いキャラプレ』を実現するのは、プレイヤーの努力だけでは難しいということです。
 
 では、どうすれば良いのか?
 『事前に、キャラクター同士を紹介する。』ってのも、良いことです。
 が、これはベストではありません。たいがいのキャラは、実際のセッションの中でこそ生き生きと形づくられてくるからです。
 
 最初にうちあわせてしまったのでは、この、実際のセッションの中で形作られるキャラクター性をいかせません。
 それどころか『枷』となる場合もあります。
 
 では、どうすべきなのか?
 私の解答は、『GMが、プレイヤーのキャラプレを暴走させることを許可する』ということです。
 
 え?また、論理が飛躍しましたか?(笑)
 
 こういうと、またまた『理解できない!』って人が増えるかもしれませんが、
 私は、『良いキャラプレ』と『暴走キャラプレ』は、紙一重だと思います。
 
 周囲の認知が低い状態では、『暴走キャラプレ』とされてしまうものが、実は、周囲に認知されることによって『良いキャラプレ』となるのです。
 
 なぜなら、暴走キャラプレは、プレイヤー自身の状況判断要素の入り込む余地が少ないため、周囲がその行動を『読み』やすく、 社会的ロールプレイとしての機能を持たせやすいのです。
 (その意味では、ルールでサポートされることによってシナリオに盛り込みやすく見えるGARPSなどにおけるキャラプレは意外に役にたちません。ダイスロールの結果で決定される場合があるため、周囲が『読めない』『アテにできない』からです。でぶ猫さんがおっしゃられてたように『ゲーム要素』としては働きますが、『ゲームを円滑にすすめる』ための役にはあまりたちません。(それゆえか、GARPSには、『ダイスによる意志判定』を頻繁に行うようでは良いロールプレイとはいえないという注釈がありましたね。たしか。))
 
 実際、平均的なゲームマスターは、たいていの場合、PCの暴走キャラプレをあてにしてシナリオを作ってると思いますよ。
 PCのヒーロー性をアテにして「報酬」も「必然性」もないのに「人助けに命をかけさせられる」・・プレイヤーやってれば、そういう経験あるでしょう?
 また、初期のD&Amp;Dでは、お金=経験値という構図が用意されていました。
 システムレベルで、「金のためなら命をかける」という、暴走キャラプレを期待していたともいえるでしょう。
 
 つまり、ゲーム(シナリオ)の方向性と暴走キャラプレが重なったとき、それは『社会的ロールプレイ』と呼ばれるのです。
 
 
 まずは、プレイヤーを暴走させるべし。
 それをゲームマスターがうまく処理してみせればそれは『社会的ロールプレイ』となり、『良いキャラクターロールプレイ』として昇華します。
 
 その結果、この昇華した『社会的キャラクターロールプレイ』とでも呼ぶべきものは、そのセッションのゲーム性、及びドラマ性、両面の価値を上昇させてくれることでしょう。
 
 #この考えでいくと、『俺のキャラは、◯◯だから、こんな事はしない!』というのが、実は、それほど悪いことではないという事になります。
 #が、「平和主義者で臆病者の戦士」など、GMがうまく処理できないような不自然、もしくは特殊すぎるようなロールプレイは、
 #相変わらず、『悪い』ロールプレイとなります。が、これは厳密にいえばロールプレイでなく『キャラ設定』。
 #つまり、GMが対応できるならば、悪いロールプレイという概念は存在しなくなり、あるのは、『悪いキャラ設定』だけだということになります。(ここらへんの概念はラウールさんが詳しいかな?)
 #これを、以前、鏡さんが設問された『悪いキャラクタープレイとは?』に対する私の解答とさせてもらいます。
1998年08月05日:14時01分47秒
ルール不要でやろうとしても.. / SHiN
SeyfertSluwさん
 >そもそも上の二行は本当に正しいの?勝手に他人の判断を代弁するのは非常に危険だと 思うんですが.
 
 
 うーん、これは、相対論(?)なんですよね。
 1行目が正しいのであれば、2行目も正しいし、1行目が正しくなければやはり2行目も正しくないんです。
 
 で、両方正しい!って人と、両方正しくない!って人がいたとしたら・・
 それは、どちらも同じ事いってるんですよね。
 
 単に、trpGといった、ロープレ要素の薄いものを「キャラプレなしTRPG」というならば、
 tRPgも、やはり、ゲームなしのTRPGだと主張できてしまいます。
 
 ただ・・実は、ひとつこの議論をおこなうには、解消せねばならない問題が残ってるんですよね。
 
 それは、『社会的ロールプレイ』と呼ばれるものの正体です。
 これについてはあらためて。
 
 >『ルール不要論』を主張をする人は存在すると思うんですが
 
 複数の人間が、それぞれ自分の目的を持ってあつまれば、そこには必ず『ルール』がうまれます。
 これは、不可避的にそうなるのです。(殴りあいさえも、『物理法則』というルールに逆らっておこなうことはできません。)
 だから、『ルール不要論』の正体は、『TRPGシステム不要論』であると理解できます。
 
 つまり、「既存のルールなんていらねーよ。もっと柔軟性のあるルールを俺たちで自作するからね!」
 ってことです。言葉どおり、真にうける人は多い、いや、真にうけない人の方がわずかですが・・
 
 実質はこんなところでしょう。
 
 『「お約束」はまもらねばならない』『活躍シーンは平等のわりふらねばならない。』
 『他人の活躍シーンを妨害してはならない。』『GMの裁定に文句をつけてはならない』などの、
 さまざまなルールが導入されているはずだと想像します。
 
1998年08月05日:13時54分09秒
同じく / 陸
書き込んでいる間にレスが(^^;
1998年08月05日:13時53分23秒
あらら。ゴミレスになっちゃった / 3327
あらら。ゴミレスになっちゃった
私が考えてる間に進んじゃったのね。書き込み、むししていいです。失礼しました〜〜
1998年08月05日:13時48分12秒
Re:読解力のない人に付き合うつもりはないのですが…… / 陸
SeyfertSluwさんへ
ちょっと横槍入れさせていただきますね(^^;

>『キャラプレ愛好家でもルールは必要と考える』と書いたことに対してはこれまでの
>RPG業界の方針を持ち出して否定しました.

えっと、私はRPG業界の方針というのはよく知らないのですが、少なくとも雑誌等や RPGの仲間内で、キャラクタープレイを重視するためにはルールなんて必要ないん だといった主張を見たことがないように思います。

#「ルールはあくまで補助である」と言ったものならよく聞いたのだけど、
#不要とまで言い切った人はいないと思うけど・・・(^^;
#少なくとも私が見た範囲では、の話ですけどね。
それとSeyfertSluwさんへ質問なのですが、貴方がお持ちになっている「キャラ クタープレイ」という定義はどのようなものであるのでしょうか?
お聞かせくださると幸いです。
1998年08月05日:13時48分11秒
外野から2言目 / 無名
取り敢えず、他の不特定多数な人が見ている掲示板です。
議論が白熱するのは結構ですが、挑発的に見える文章ではなく、もっと穏やかな文章、文体を使っていただけないでしょうか?
少なくとも、読んでいてあまり良い気分はしません。
1998年08月05日:13時47分56秒
ちょっとキツイんじゃないですか? / 3327
ちょっとキツイんじゃないですか? SeyfertSluwさん (なんて読むんですか?) にお聞きしたいんですが、
>私はキャラクタプレイなしでもRPGは成立するし,十分楽しいプレイが可能だと思っています

とは、私が以前ちょっと書いたような、ある意味SLGのように指し手で楽しむプレイの事でしょうか?
なんにせよ上記の意見は間違っていませんが、不動の正しさを含むからといって全部が全部正しいとはいきません。

キャラクタプレイはある意味でマイクロソフト製品みたいなもので、ドでかいバグを常に生み続けますが、絶対に必要なものです。なければTRPGは立ち行きません

なぜなら、キャラクターを扱うと言う事はかならずルールでフォローしきれない部分が発生すると言う事ですし、それはゲーム (ロジックの集合体) としてみれば、発生すると分かっているバグと呼べるからです。
しかし、TRPGはキャラクタープレイを行うからTRPGなのです。
やらないなら、それはTRPGではありません。
サッカーで足を使うないうのと同じくらい、切り離せないのです。

全体的な傾向として、
>ルール不要論』を主張をする人は存在すると思うんですが(しかも,かなり多いと推測されるのです)

は、現実だと思います
ただ、だからといって、現行の話しの流れとは余り関係ないのでは?

1998年08月05日:13時45分19秒
SHiNさんの立場と論理展開 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 だからさ、SHiNさんの立場からすれば、「ルールを無視したキャラプレ」ってのは、単に「ちゃんとっしてないキャラプレ」なので「キャラプレ」としても、問題外なわけ。
 
 「ルールを無視したキャラプレ」って主張自体が矛盾してることになってるわけ、SHiNさんの立場ではね。
 
 相手の立場と、論理展開をトレスして、発言意図を探ることを「読解」とゆうのですよ。
1998年08月05日:13時40分07秒
外野より一言。 / 石頭
ケンカは止めるでちゅう。
1998年08月05日:13時36分20秒
やっぱり読解力ないわ / SeyfertSluw

>SHiNさんの主張はさ、「キャラプレ愛好家でもルールは必要と考える」者のほぉが多い、ってことなわけさ。

すくなくともSHiNさんは私が引用した部分では『絶対』『当然』という言葉を用いています. それを『物のほぉが多い』などと歪めるのはむしろSHiNさんに失礼ではないのですか?


1998年08月05日:13時25分51秒
Re:読解力のない人に付き合うつもりはないのですが…… / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>SeyfertSluw氏へ
 アタシが書いたのは、キミが、これまでの議論の流れを踏まえないでSHiNさんの発言を誤読してるって指摘なわけよ。
 
 SHiNさんの主張はさ、「キャラプレ愛好家でもルールは必要と考える」者のほぉが多い、ってことなわけさ。これまでのこのボードでの議論の流れを踏まえて、関連のSHiNさんの書込みをちゃんと「読解」すればね(笑)。
 それから、「ルールを無視したキャラプレ」なんて、単に「ちゃんとっしてないキャラプレ」にすぎない、って考えもSHiNさんは表明してるのね。

 ま、アタシはキャラクタープレイ愛好家なわけだ、SHiNさんの立場はもぉちょっと微妙だけどさ。
 それで、SHiNさんは、例えば、アタシの意見とかを(その主要部分を)代弁してるわけ。←ここには、キミがでっち上げよぉとしてる「危険性」なんて全然無い。
 アタシはSHiNさんの意見と違うことは、自分で、ちゃんと、ドコドコは、アタシは違う考えって自分で述べてるしね。
 
 アタシもSHiNさんも「RPGプレイヤー全体に共通するもの」なんて立場とってないですから。繰り返して、いろんな立場がありうるし、共存の道を探そうとしてるって立場なわけ。←この点だけでもキミの発言は、言いがかりに近いわけよ。
 キミ自身の読解力を棚にあげて、人のことけなさないでくんない(苦笑)?

 別に、議論の流れに、横合いから別の観点を導入してもよいのですけどね。そのことに自覚的でないと無駄なやりとりが増えるよね←このやりとりみたいにね。
 議論の流れにに別の観点、導入するなら、ちゃんとそれまでの流れを踏まえて、それなりの段取りとったら? アキトさんとかみたいにさ。
 以上
1998年08月05日:13時15分21秒
RPGを楽しむためにPCは必須?(なんか疑問形ばっか) / SeyfertSluw

らむださん:


>  「興味深い」ということはプレイングの前でも可能ですが、「楽しい」ということはプレイング開始後、つまり必然的にPC作成後でないと成り立たないのでは?

するとPCを作ることができないGMは全然楽しくありませんね(笑).そういえばGM不要のルールとかは結構話題になるのにプレイヤー不要,というか全員GM(持ち回り,とかではなくて)というシステムって話題になりませんね.やっぱり『GMは面倒』って思ってるから『全員プレイヤー』より『全員GM』のほうが面倒,と思うからでしょうか.あ,なんか面白いネタ思い付いたぞ.


>  私は、やりもしないシミュレーションゲームを買ってきて、ユニットを切らずに眺めて悦に入っていることもあります(笑)が、

わかるなぁ.最近RPGに限らずなんでも最後までプレイすることなくなったからなぁ.でもそのゲームを楽しんでない,なんては言わないぞ.


1998年08月05日:12時46分08秒
読解力のない人に付き合うつもりはないのですが…… / SeyfertSluw

鍼原神無〔はりはら・かんな〕氏へ:

あなたは全然私の書いたことを読んでないです.まず,SHiNさんが『ゲーム重視派でもキャラプレイは必須と考えるだろう』と書いたことに私は私(PRGプレイヤーです)の例を挙げて『否』をとなえ,そして『キャラプレ愛好家でもルールは必要と考える』と書いたことに対してはこれまでのRPG業界の方針を持ち出して否定しました.それを持って,


>そもそも上の二行は本当に正しいの?勝手に他人の判断を代弁するのは非常に危険だと思うんですが.

と書きました.鍼原神無〔はりはら・かんな〕氏がどう思っていようと勝手ですが,どう思っているかをRPGプレイヤー全体に共通するものとして解釈して欲しくないです.

私は今回の件により,鍼原神無〔はりはら・かんな〕氏は,不愉快を通り越して議論に値しない,と考えます.

議論をする際には前提条件が正しいかどうかキチンと考えるようにしましょう.


1998年08月05日:12時22分13秒
チャチャ、かな? / らむだ
  
あげ足取りみたいですみません。
  
  >SeyfertSluwさん
  
  >Interesting(興味深い) RPGというものは,キャラクタを作成する前から興味をひくものである訳です.キャラクタプレイを重視するのはキャラクタが作成されるまでは楽しくない,あるいは特定のキャラクタに依存しないと楽しくないという可能性が非常に高くなるとおもうんですが.
  
  「興味深い」ということはプレイングの前でも可能ですが、「楽しい」ということはプレイング開始後、つまり必然的にPC作成後でないと成り立たないのでは?
  ただ、SeyfertSluwさんの趣旨は、「どんなゲームであるかに全く関心を示さず、いつでもある特定の行動パターンをもったキャラクターしかやろうとせず、強引にそれで押し通す」という意味でのキャラプレを危惧されているのだろうか、と思いました。私のこの解釈が間違ってませんでしたら、そのことには大賛成です。
  
  私は、やりもしないシミュレーションゲームを買ってきて、ユニットを切らずに眺めて悦に入っていることもあります(笑)が、上記の意味でのキャラプレって、例えばドイツ装甲師団ユニットに惚れ込み、いつもどんな戦場でもそれが(損耗せずに)活躍しないと駄々をこねるゲーマーみたいなものか(あ俺か)、と。
1998年08月05日:12時13分02秒
re:キャラクタプレイなしのRPGって楽しくないの? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>私はキャラクタプレイなしでもRPGは成立するし,十分楽しいプレイが可能だと思っています.
 
楽しめる人と、楽しめない人とがいるってことでないですかね。アタシは楽しめないですね。
 だからって、否定はしないわけですよ。
 楽しめる人のプレイスタイルを。
 だから、お互いに尊重しあいたいと思ってるのですけどね。
 もし、それもムリってゆぅんなら、最低限、コンベンションなんかでは、GMさんにはっきりアピールしてほしいですね→「キャラプレはなしです」とか(笑)。確定した、前提にしないでほしぃわけですよ「キャラプレ付加価値」説を。GMがキャラプレには対応しないって、ゆぅのは、それはGMさんの個性だと思う。
 そしたら、アタシとかはその卓にはよりつかないだけですから(笑)。それが自由競争ってもんでしょ。

 それと、「ルールなんか不要」とかゆってる主張と、アタシやSHiNさんみたいな主張を、「キャラプレに価値を認めてる」ってだけで、ごっちゃにして論じてほしくないですね。←この件は、はっきりゆって不愉快! 
 >そして二行目についても『楽しいプレイ(キャラクタプレイ)のためにはルール等は無視しても良い』などといってきた日本のRPG業界が存在する以上,『ルール不要論』を主張をする人は存在すると思うんですが(しかも,かなり多いと推測されるのです).
 
 SHiNさんがゆってるのは、これまで、このボードで積み上げられてきた議論の流れでは? って話なんじゃないですか?  
1998年08月05日:11時22分21秒
キャラクタプレイなしのRPGって楽しくないの? / SeyfertSluw
SHiNさん:
> ゲーム性重視の人に、「じゃあ、キャラプレなしでも楽しめる?」と聞けば、 絶対、『否』とこたえる。「それじゃTRPGより別のものをするよ。」ってね。
> 同様に、「キャラプレ好きに、じゃあ、ルールなしでも楽しめる?って聞けば、当然、
『否』と答えるでしょう。

そもそも上の二行は本当に正しいの?勝手に他人の判断を代弁するのは非常に危険だと思うんですが.

私はキャラクタプレイなしでもRPGは成立するし,十分楽しいプレイが可能だと思っています.すくなくとも私はSHiNさんの上の文章についてはまったく賛成できません.

そして二行目についても『楽しいプレイ(キャラクタプレイ)のためにはルール等は無視しても良い』などといってきた日本のRPG業界が存在する以上,『ルール不要論』を主張をする人は存在すると思うんですが(しかも,かなり多いと推測されるのです).

業界人のそんな主張は業界自体が縮小している現在では説得力もない,と思うんですが.

Interesting(興味深い) RPGというものは,キャラクタを作成する前から興味をひくものである訳です.キャラクタプレイを重視するのはキャラクタが作成されるまでは楽しくない,あるいは特定のキャラクタに依存しないと楽しくないという可能性が非常に高くなるとおもうんですが.


1998年08月05日:10時32分34秒
行為の是非は状況しだい。 / SHiN
(アキトさん)
 >ゲーム性って、状況で、キャラプレって行為ですよね。だったら、単純に比較できる もんじゃないと思うんですが・・・
 
 ちゃちゃとはおもいません。
 とても適切な指摘です。
 本来、わたし自身がこれを行うべきだったのですが・・・
 なぜなら、これまでの私の主張はこの概念を前提としているからです。
 
 この概念をベースにするなら、良いキャラプレ、悪いキャラプレというものはなくなります。
 なぜなら、行為は状況抜きにしては良い悪いを判断できないからです。
 
 逆にいえば、状況(ここでいう状況は別にゲーム性のことじゃないです。)を変えることができれば、
 悪いキャラプレを良いキャラプレにすることも出来るんじゃないでしょうか?
 
 この次に、この認識をベースにした文章をアップします。
1998年08月04日:23時56分10秒
これならどうかな? (>球形弐型さんへ) / S
 ちょっと思い付いたので (笑)。
 でぶ猫さんは 「面白さ」 と 「楽しさ」 を使い分けていますがコレは、
 
 面白さ:主として知性を刺激する性質。ここで言う知性は、知的好奇心、知的快楽、人間の発展を支えて来たある種の挑戦意欲を含む。あるいは、その姿勢を持った人間の捉え方で、どんな事も 「面白さ」 となる。
 楽しさ:主として感性を刺激する性質。感情とゆー意味での心理を左右するモノ。パーティーや宴会や花見などでの晴々した 「気分」 と根が同質のモノ。あるいは、その姿勢を持った人間の捉え方で、どんな事も 「楽しさ」 となる。
 
 とゆー意味でしょう。(注:……と僕は捉えてますが、以下はその前提で。間違ってたらすみません
 
 だとするなら、こーゆー表現はどうでしょう (笑)。
 でぶ猫さんの 「うん、違う」 で言われている事を、僕なりの表現でリフレインしただけのつもりではありますけど……キャラプレ派の人も納得でき易いのではないかにゃ。(^.^;)

 人間が知性と感性のバランスと連携で成り立っているように、複合遊戯たるTRPGもまた 「面白さ」 と 「楽しさ」 のバランスと連携は重要であるが、これらは互いに異なる性質を持ち、価値を比較する事など無意味でしかない。
 しかしながら、一側面から見た時にはその限りではない。

 「ゲーム (性)」 は 「付加価値」 に対して上位である。それは何故かを比喩として言うと、
 「面白さ」 という知的観点を持つ人間が生み出す発展……例えば社会的磐石がないと、「楽しさ」 も享受できない。少なくとも持続する環境にない。現代社会が持つ文化的楽しさと、古代社会が持つ文化的楽しさの質と量とを比べたなら圧倒的に現代の方が高く、かつ多い事からも瞭然たるモノである。「楽しさ」 は磐石が強靭であるがゆえの 「余裕」 なのだ。
 「楽しさ」 を享受する為には、「面白さ」 への依存が必要不可欠であり、この構造上に於いて 「面白さ」 は上位に位置する。
 それのみを重要視しない限り。

 「付加価値」 は 「ゲーム (性)」 に対して上位である。それは何故かを比喩として言うと、
 刹那的に人間に与える影響からすれば 「楽しさ」 の方が遥かに大きい。これは人間に更なる快楽を求めさせる強い起爆剤となり、人間を引き付ける大きな魅力である。
 更に言うなら、「楽しさ」 とは人間の文化的豊かさと意味を同じくするモノで、これがない社会など油の切れたからくりに過ぎない。基盤を補完する副次的なモノに過ぎないとも言える一方、人間社会をより人間社会然たる状態に保つ為に必要不可欠なのだ。
 度が過ぎない限り。

 ある観点に於いては 「ゲーム (性)/面白さ」 が上位にあり、
 またある観点に於いては 「付加価値/楽しさ」 が上位にある。
 これを以って両者は 「等価値」 である……が、しかし。
 
 これは親と子の価値を比べているようなモノなのだと今一度念頭に置くべきである。
 親がなければ子は生まれ得ず、親に正しく育てられないと子は歪むのだから。

 
 相変わらずレトリカルですが (笑)、コレならどうでしょう。
 要はこーゆー事実に対し、「親側の立脚点」 と 「子供側の立脚点」 から言い合っているのではないでしょうか。(成熟・未熟の差ではなく、親と子供のどちらを尊重するか、とゆー価値観の問題。あるいは法と混沌のバランスの問題とでもゆーか。ただ、実質的な構造論を主軸に議論が展開している以上、「まず親ありき」 の方が正論に決まっているから…… (笑))
 現状自体はこのように単純化できる事のハズで、僕が 「等価値」 と言い切っているのはこのスタンスからです。(多分、SHiNさんも大意としてはそう違わないんじゃないでしょーか?)
 実際のところは、「更に穿った構造論」、「定義」、「その応用による前提の逆説的証明」、「誰にでも分かる平易な理論的説明」 についてが難しいんだと思います。
 
PS.……何て書いてたら、ぐはっ。「妄想という名の宿命」 の結論が先に (苦笑)。しかも分かり易い (大苦笑)。
1998年08月04日:23時24分02秒
思考実験3 妄想という宿命(4) / でぶ猫
 さて、今回はイマジネーションの各段階と基盤の共通性です。でもってやっと終わりにします。
 
 前回のおさらいとして、キャラプレの「らしさ」を他の人にも伝えるためには共通 の基盤に基づき、ツボを押さえた表現が肝要であるということを述べました。
 共通の基盤を分類すると・・・
 でしたね。
 では、以前にあげたイマジネーションの3つの分類とこれをつきあわせてみましょう。
 三つの分類とは以下の三つです。
 内挿、外挿という言葉に不慣れな方のために、これをどのような意味あいで使っているかを少し補足説明します。
 内挿、というのは、ある事実と事実の間を埋める行為です。1時間おきに気温をはかった場合、グラフにうった点をつないでそれらしい温度変化曲線をかいたりするのがそうですね。
 外挿、というのは、ある事実とある事実をつないで、まだ発生していないことを単に傾向から予測するような行為です。1時間おきに気温の変化を1日計測し、さて、このあと気温はどう変化するのかという変化曲線をそれらしくのばしてみるのがそうですね。
 どちらも不正確である可能性はありますが、危なっかしいのはやはり外挿のほうです。
 
 さて、話を続けましょう。
 共通の文化基盤に基づいたイマジネーションこそが「らしい」キャラプレの必要条件です。ところで、これとイマジネーションの3分類の違いは何でしょう?
 それは、基盤の違いです。前にイマジネーションの3分類についての話をした時には、ルールとゲームコンセプトと世界観に基づいたもののみを提出しました。
 しかし、その小グループの内輪の文化を基盤にした場合、どうでしょう?
 それまでのプレイである出来事が頻発し、それと世界設定の何かをからめてみれば、仲間内では非常に受けのいいキャラプレが簡単にできると思いませんか?
(たぶん「ああっ、またか」とかそんな簡単な一言や二言ですむと思います)
 これは内輪の文化と世界設定という二つの間を埋めた内挿的プレイですになりますが、世界観とルールだけから見れば、内輪の文化の部分は外づけであり、外挿となります。つまり、内輪以外の人にはおもしろくもなんともないものになってしまうのです。
 実は外挿的イマジネーションの大半は単に、他の人と共有してない文化を含めた内挿イマジネーションにすぎないと思われます。共有してない文化の候補には、先にあげた共通の基盤のうち、内輪の文化つまり共有する思い出と、常識の他に、その人自身の内面というものがあります。その人は、その人の人生においてその人自身の価値観やトラウマ、さまざまな感情を持っているはずです。
 結論を急ぎましょう。外挿的イマジネーションとはなにか? それはイマジネーションの基盤が共有できていない可能性を考慮しない、そして実際に共有できてないイマジネーションです。真に妄想と呼ぶべきはこれでしょう。
 では、ここでイマジネーションの基盤となるものをまとめてみます。
 常識と印象はもう少し細かくわけることができるはずですが、ここでは簡単のためにまとめたままにしておきます。
 さて、共有可能なものは何か、というと・・・実は、これが非常にややこしいのですが、常識と印象は同じもので共有できる場合とできない場合があります。これは場にいる面子それぞれの個人差に大きく依存するのです。年齢の近い人のほうが共感を覚えやすいのも、気安さもありましょうが、結局心理的に共有するものが多いからですね。
 ところで、これらの基盤については、競合することがあります。※印のものはよほどダメなゲームででもないかぎり、競合しません。しかし、※のものをひとからげにしたものと他のもの、および他のもの同士は競合しえます。非常識と思っても感情を押さえきれなくなることもあるでしょう、常識が世界観に異を唱え、受け入れを拒否するかも知れません。内輪で仲良くやってきたはずなのに、常識的に許せないところに踏み込んだと感じる瞬間があるかもしれません。
 そうなった瞬間、イマジネーションを理解しあう共通の基盤は失われたも同然になります。なぜなら、これまで共有してたものがその時は共有されなくなるからです。
 こんな状態で、キャラプレも何もありません。成りゆき次第では友達と喧嘩別れになってしまう危険すらあります。
 
 どんどん結論を急ぎましょう。そんな、気持ちいいけど危なっかしい(上のコンセプトから印象まですべて共有基盤とできたら、そりゃあ、気持ちいいでしょうね。どんなキャラプレでもみんな通じるのですから。でも、意外性はなくなると思います)状態を回避するにはどうすればいいか? 快心のキャラプレが賛嘆の声をもって受け入れられるようにするにはどうすればいいのか?
 人が人を完全に理解するのは至難の技です。それでなくとも、おそらくゲーム仲間にすぎない誰かの心理や価値観にあまり深入りするのも失礼だし、わずらわしいものです。
 と、なるとキャラプレの基盤として推奨できるのは以下のものとなります。
 共有する内輪の文化は、仲間うちでやるときだけです。
 しかし、このリストから排除した常識と印象(それに、コンベンション等においては共有する思い出つまり内輪の文化も)については、その人のキャラプレの方向を決める動機となりうる要素です。まったく排除せよとは言えません。しかし、上記リストのものとぶつかるようなら、うまく折り合いをつけるようにするか、無理ならば上記リストのものを優先するようにするべきでしょう。RPGは、一人でやっているものではないのですから。
 もし、常識も印象(内面的なもの)もわかちあえる人がいたなら、友人として、あるいは恋人としてのつきあいを深めることを勧めます。単なるゲーム仲間にとどめるには惜しい出会いですよ。
 
 ・・・おわってみると、非常に平凡な結論になりましたね(苦笑)
 付記して言えば、
 この順番、上のほうが客体的把握の、下のほうが主観的把握の基盤となりやすいものです。
1998年08月04日:20時04分10秒
状況と行為の比較(ちゃちゃ) / アキト

 ゲーム性って、状況で、キャラプレって行為ですよね。だったら、単純に比較できるもんじゃないと思うんですが・・・
 
 うーん、なんかホントにちゃちゃだなぁ。ごめんなさい。
1998年08月04日:19時30分50秒
やっぱ、発言しない方がよかった。 / 球形弐型
 つー訳で静観してます。(笑)
 誤解を生む発言、平に陳謝いたします。
1998年08月04日:19時12分34秒
うん、違う / でぶ猫
SHiNさんは「楽しみ」という視点から「等価」といってるけど、 私はもっと構造的(因果関係的といえるかな)な視点から、ゲーム なければ、といってます。
 断言しますが(鍼原さんにまた「理論的根拠をおねがいします」といわれそーだけど(笑)) TRPGにおいてキャラプレは付加価値に過ぎません。しかし、これはキャラプレなんて無価値だ といってるわけじゃありません。
 楽しさ、という点では、ゲームプレイよりずーっと楽しいものだと思います。(等価? とんでもない(笑))
 ただし、ゲームの面白さがなければ、それも色褪せてしまうよねぇ、と言っているだけです。(比較するのがそもそも間違いですね)
 
 そして、ゲームであると言う点を重視しないことが多くの問題の根だと思っています。
(だから、こだわるんですよ)
1998年08月04日:18時37分29秒
ちょっと違う>球形弐型さん / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
ちゃちゃではないけど(と思うけど、、多分)。 同じ構造の違う使いかた、、みたいな話、でないかな?
>「ゲーム(性)が無くてもTRPGは楽しめる」と ゆってる人は一人もいない、、のだな、アタシも含めて。
1998年08月04日:17時48分56秒
ふむ、何となく理解した。 / 球形弐型
 やっぱり、結局のところ同じことを言ってる訳ですね。
 私が混乱していた要因の一つがそれでした。
 
 ただ、私は「ゲームである」派ですから、時々SHiNさんの言ってることがよく分からなかったりもしましたが。
 しかし、TRPGを突き詰めていくと、「ゲーム(性)が無くてもTRPGは楽しめる」というのは、何となく理解しました。
 私の場合、如何に不都合が生じず楽しくプレイできるかが問題ですから。
 もうしばらく、静観いたします。
1998年08月04日:16時50分04秒
『結局同じことをいっている』 / SHiN
Sさん
>ところで、でぶ猫さんが「構造上の付加価値」と言い切っちゃう事にSHi Nさんや鍼原さんは不満あるそうですが……少なくともここで言う「心理的な歯止め」
、「安全弁」としてはメチャクチャ強いですよ、この言葉 (笑)。
 
 
 それは、確かにそうですね。認めます。
 ただ、わたしは以前、
 『TRPGの本質は意思決定である』というフレーズにたいし、
 「トラブル防止策にすぎない」と発言し、でぶ猫さんとかに大反論くらった経験があるので、そういうかたちでの同意はでぶ猫さんの本意ではないと思うので・・

 (でぶ猫さんは、この前提を、他の議論にも適用可能としたいと考えてると思いますから。)
 ちなみに、うちのサークルでの安全弁は、他のメンバーですね。
 
 誰かが不快な思いをするような行為に対しては、即座に文句がとんでくる(笑)
 
 
 >僕らの場合はそれを試みる「TRPG はゲームである」派とは別に、上から引き剥がす形で把握していく「TRPGはゲー ムではない」派があって、ある日、出会い頭にぶつかって「ああ、成程。同じ事を言 ってるわ (笑)」となりました。(^.^;)
 
 
 これは、この手の話題における真理ですね。
 
 ゲーム性重視の人に、「じゃあ、キャラプレなしでも楽しめる?」と聞けば、 絶対、『否』とこたえる。「それじゃTRPGより別のものをするよ。」ってね。
 
 同様に、「キャラプレ好きに、じゃあ、ルールなしでも楽しめる?って聞けば、当然、
『否』と答えるでしょう。
 
 なんでこうなるのか?
 
 それは、結局同じことを言っているからなんですね。(笑)
 
 このことを理解していないと、
 『ロープレ重視?楽しければいい?それなら、カラオケでもやってればいいだろ?』
 ってセリフがでてくる。
 
 わたしが、tRPgとか、trpGとかいう表現をつかったのは、 ここらへんを理解してほしかったからです。
 
 みんな理想はTRPG。ただ、これってなかなか難しいから、
 trpGこそ正当!tRPgの方こそ面白い!って議論になるのですが。
 
 これは、これでいいんだけど、わたしがしたいのは、
 いかにTRPGへ到達するか?なんですよ。
 
 trpGは、比較的簡単だ、だからこそこれを主流とすべきだ・・
 
 そういう意見ありますよね。
 
 実をいうと、わたしにとってもゲーム性を主とする方が簡単。
 だからこそ、議論するなら、ロープレの価値をたかめる方法について議論したいんですよ。
 
 (ちなみに、世の中には、tRPgの方が簡単だって人もいると思う。 わたしは、そんな人から学びたい。・・が、今の雰囲気では、そういう人が書き込むのは至難。 わたしがロープレ派の立場を擁護するのは、彼等から学びたいからなんです。)
1998年08月03日:04時41分27秒
TRPG総合研究室 LOG 013 / sf
TRPG総合研究室 LOG 013として1998年07月30日から1998年08月03日までのログを切り出しました。

TRPG総合研究室ログ / TRPG論考掲示板ログ / TRPG論考
TRPG.NETホームページ / Web管理者連絡先