TRPG総合研究室 LOG 002

TRPG総合研究室の1998年05月21日から1998年05月24日までのログです。


1998年05月24日:02時20分41秒
★極論実験:気になったこと、など★ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 
★「極論実験」関係の書込みです★  カンナの発言権消費24日分1/2
 アタシの立場:PL専科の立場で議題には反対。これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきではない。もっと多様性を育てることが望ましい。
   極論実験の第一期は、主題(議題)がむつかしかったのでもたついちゃいました。
 でも、アタシはこの話にノッテよかったって思います(河嶋さんと赤星屋さんにハメられた?気もするんですけれど、今回は結果オーライでいいや;笑)。
  
 ふだんは深くはつっこまないマスタリングに関する、自分なりのイメージを、極論だからっつって、バーンと出しちゃいました。ご存じのとおり、ドーンって反応が(笑)かえってきちゃったですけど。それもふくめて良かったです。これって「極論」のメリットだって思いました。もちろん、参加したかたがたや、河嶋さんのシキリがよかったから、の展開だと思いますけれど。←この“方法”が、いつでも、どこでもうまくいくとは限らない、って意味ね。
 
 実は今日(24日)は朝からコンベンションです。こちらの掲示板でお知り合いになった何人かのかたともオフでお会いできそうです。というわけで、早々と、本日分の発言権を行使しちゃおうと思います。
 
 まず、他のみなさんの極論を読んで、少し気にかかったことを挙げちゃおうと思います。ロールプレイに関する、イメージのズレが(「ルール」や「世界観」」に関するズレより)大きい、と思いました。←一部では、議論がかみ合ってないくらいのズレも見受けられます。
 特に「キャラクタープレイ」については「キャラクターになりきりその個性を演じる」っていう見かた(NoBuさんなど)、の意見から、“キャラクタープレイもルールによってサポートすることが可能”的なSHiNさんの意見まで、以外と幅が広いような気がします。
 役割ロールプレイ、と、キャラクタープレイの、ゲームでの関係については、ことに議論がかみ合ってないように思いました。←この辺は、今後にすり合わせか、せめて議論がスレ違う理由の絞り込みができるといいな、って希望してます。
 アタシの意見としては、(みなさんがおっしゃるキャラクタープレイとは別に)、“ルール”をふまえて、基本の部分は“ルール”に準拠して、なおかつ基本的なロールプレイではない、キャラクタープレイをやって、なおかつGMさんにも受け止めてもらえて、少なからぬPLさんにもウケる、ってことは決して不可能ではないと思ってます。思ってますって言うか、知ってるんですよ経験的に。成功率は、2回に1回〜3回に2回ってとこかしら。←みなさんほど、コンベンションの数こなしてないから、これまではたまたまラッキーだったのかもしれませんけど。
 
 後、これまでうまくいってた方法(及び思考法)で「TRPGの危機的状況」に対処しようって目論見が目立つ気がします。半ば当然ではあるのだけれど、これまでの方法(及び思考法)だけで「TRPGの危機的状況」に対処できるか? っていうと、アタシには疑問です。
 「ロープレに特化したゲーム」だって、新しい試みとして出てきたはずです。「ゲーム性が犠牲にされた」って見かたより、「『ロープレ』と『ゲーム性』をリンクさせるうまい方法を開発中なんだ」って考えたほうが前向きだって思います。←これはほとんど、SHiNさんの姿勢だって思う(汗)んですけれど。
 
NoBuさんWrote
>日本で本当の「ロールプレイ」を支援しているシステムがあるのかはっきり行って疑問です。まともなものは「深淵」ぐらいでしょうか。
 アタシはうえの意見にはうなずけるかなって感じです(「天羅」とかよく知らないんだけど;汗)。だからこそ、多様性をもっと開花させるべきだ、って思います。
とりあえずいじょうです。 
1998年05月23日:23時11分50秒
★極論実験:修正意見の再提出★ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕


★「極論実験」関係の書込みです★  カンナの発言権消費23日分1/2
  アタシの立場:PL専科の立場で議題には反対。これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきではない。

>陽陰さんへ
 別の掲示板でもお礼言いましたけれど、「マスタリング研究室」でのResや、「深淵雑談所」でのコメントありがとぉございました。
 
 陽陰さんにいただいたご指摘をふまえて、先のアタシの、極論、「★極論実験:TRPGの多様性を伸ばすのは消費者の“遊びかた”ではないの?★」(カンナ記,98年05月22日:22時10分24秒)に修正を加えて再提出させてくださいね。
 
ちょっと整理して確認:できるだけサクッとやりますから、勘弁してくださいねぇ。
 アタシの立場は、やっぱり、まだ現状では多様化が不充分だと感じます。ですから、もっと徹底した多様化を望む、です。
 で、陽陰さんのお立場は、「ゲーム性や世界観を犠牲にして、ロールプレイに特化している商品が非常に多いと思われます」→だから、「棲み分けや共生を行うためには、現状では不足である」→ので、「RPGは、ロールプレイに特化すべきではない」。この整理で陽陰さんの意図とは、はずれてないと思っちゃってます。
 
 で、この前は、アタシがいま市場にある商品でも、消費者であるPLやGMが工夫して、特徴のある遊び方したらそうでしょう? って言ったんですけど。アタシのほうには誤解がある。←この件は、陽陰さんの文章に、とても説得力を感じたし、ちょうだいしたアドバイスも気に入っちゃったんで。陽陰さんのおっしゃることを信じることにしました。だから、「キャラプレ向きシナリオ、セッション」の件は一応(汗)撤回させてくださいね。「一応」、なんて言うの、失礼な言いかただとは思うんですけれど(ごめんなさい)、←この件は最後に弁明しちゃいます。
 
修正意見:で、以上のような修正をしても、アタシ陽陰さんのおっしゃることの一部に疑問が残ります。「メガテン」でも「ガンダム戦記」でも、「ロープレ特化したゲーム」だとしたら、ふつうに遊んだら、ロープレ優先の遊びかたになるわけですよね?
  
 でも、GMさんの工夫で、「ゲーム的な遊びかた」のほうはできないものなんでしょうか? 「メガテンTRPG」が大好きな知人が言うには「地方の中学校なんかでは、ファミコンソフトの攻略本に載ってるダンジョンマップを使って中学生同士でガシガシ遊んでるんだぜ」って聞いたことがあるんですけれど。←この話、(2)のルールブックが出て半年くらいした頃の話だし、だいたい「メガテンTRPG」ファンの発言なんでちょっと割り引いて聞いたほうがいい(苦笑)って思いますけど。
 
 やっぱ「『メガテン(2)TRPG』はバランスが悪い」(←アタシの意見じゃないですよ〜;汗,そぉゆってる人が複数いますって話で)んで、ちゃんと「ゲーム的」に遊ぶのはムリなのかしら。
 
 陽陰さんがおっしゃってた「四畳半ダンジョンシナリオ」を遊ぶシステムが日本で買えない、って話は、アタシは陽陰さんのお気持ちはわかると思います。でも、だから、いまの市場では「ゲーム性を重視」した遊びができないってゆぅのは、なんか不思議な気がします。
 えぇと、「極論実験」に他の人の話引いていいのかしら? (まぁまずかったら、後で謝ろっと)ねこぱんちさんが、「M:TG」のトーナメントセンターで「メックウォーリアー」や「トレイダーズ」を遊んでみせる活動、最近はじめましてる、って話ご存じですよね。あぁゆぅことができれば、いいんじゃないかしら? ってゆぅのがアタシの意見です。
 レベルはまだまだこれからだけど、ともかく多様に遊んでくことしたらどうかしら? ってのと、後はセッション内共棲ってのもありますよね、って思います。
 
 あまり意見修正したことになってないかもしれないですけれど。今回はいじょうにします。
 
P.S.弁明アタシほんとに陽陰さんにちょうだいしたアドバイス信じたんです。ほんとうです。
 ただ、みなさんが「ごっこ遊び」などとおっしゃってる“キャラクタープレイ”と、アタシが実際コンベンションとかでプレイして、GMさんにも受け止めていただいてるし、おおかたの同卓PLさんにも受けてる「キャラクタープレイ(?)」はなんかイメージがズレてる気がしてきました。
 だってアタシ、セッション3回に2回はウケてるし、残りの1回もウケがとれないだけで、セッション崩壊とかさせてないし……。
 でもアタシのプレイはみなさんがおっしゃる「(じゅんぜんたる)ロールプレイ」とは違うと思います。←この疑問だけは残っちゃいました。陽陰さんのおっしゃることは信じたんですけれど。
 だからこの件だけ、保留にさせていただきたくって「一応」とか書いちゃいました。ほんとにそれだけなんで勘弁してください(礼)。「シナリオ書いてみて〜」のアドバイスはなるほどの、納得力でした。ありがとぉございます。
1998年05月23日:19時27分48秒
困った参加者、いますね / NoBu
いますね、そういう人。

たとえば、ゲームの流れとは全く関係の無い事をやりだす人間。
ゲームに全く参加しようと言う意志の無い、ゲームをやる、やらない以前の人間。
高校時代はこういうプレイヤーが周りにいて苦労をした覚えがあります。

あと聞いた話では、女性なんですがGMや、他のプレイヤーにヤオイ(同性愛)的な
関係を押し付けるプレイヤー、など。

こういう人もいるのかー、とつくづく思いますね。
1998年05月23日:14時08分02秒
RE:困った参加者 / 陽陰
>SHiN氏
 >現代モノ(妖魔)で、常に懐中電灯もちあるいたり、フルプレート着たまま、観光したり・・・
 
 この程度は、普通の人ですよ。
 少なくとも、困ったちゃんプレイヤーではありません。
 別にそれで不快な思いをする人は少ないでしょう?彼を全く知らなかったとしても。
 
 かくゆう私も、実生活で懐中電灯をかなりの確率で持ち歩いてますから。
 (車に必ず積んでいますし、ポインティングライトも結構バッグの中)
 別に、深夜徘徊するとかそう言うのじゃなくてもね。
 
 >その陽陰さんの経験した「とんでもない人」の例も機会があったらおしえてください。
 
 どこかに書いた気もするんですが、何処に書いたのか本人すら忘れていますので、書きます。
 
 例えば、いつでも何処でも剣を抜く人。
 たとえ相手が一般人であろうとも、町中であろうとも。
 しかも、不快なことをされたからとかじゃなくて、辻斬りのために。
 しかも、GMが常識的な対応(官憲が来て取り押さえるたか)を取ると、怒る。
 
 延々とシナリオに関わらず、シナリオとは全く関係のない動きをしてセッションを終える人。
 どれだけ他のPCや事件が絡んできても、完全に無視する。
 
 世界観を無視し、ある特定の趣味ジャンルにおけるキャラクターをやり続ける。
 彼にとっては、ルールも、物理法則も、仮想世界の法則も、世間の常識も、他者の意見/注意すら通用しない。
 
 等々。
 彼等にとって、RPGとは「何でも出来るゲーム=何をやっても許される遊び」であるらしいです。
 
 もちろん、母集団に対する数は僅かでしょう。
 しかし、こういう特殊な例外の行動は、深く記憶に刻まれます。
 そして、「ああ、そんなもんやねんや」、と思われてしまいます。
 例えば、此処にこんな人が居ますと書いただけで、コンベンションは怖い、そう思われた方もいるはずです。
 実際には、滅多に遭遇しません。
 しかし、遭遇すると、とても嫌な気分になります。
 それだけで十分です。世の中の偏見を招くには。
1998年05月23日:12時43分27秒
困った参加者 / SHiN
To 陽陰さん

>しかし、「は、そんなことをするの?どっか、常識とかが幼稚園児以下なんじゃない のか」といった幼児性を持った人が居るのです。 それはもう、凄い人が。

うーん。
実は、以前、この手の困ったプレイヤーの話題は、 中崎さんとプレイング研究室でやったことがあるんですよね。 で、先の考えもその時に思ったものなのですが・・

そういう意味では、中崎さんの心情をちゃんと理解できずに、 いろいろ書いて、申し訳なかったかも..すいませんでした。>中崎さん

かんがえたら、そういう「我慢できない人間」って確かに 学生のころは、いたなあ・・
「我慢できない人間とはつきあわなくていい自由」ってのを 得てからずいぶん長くなるんで、そういう感覚をわすれていたかもしれません。

ただ、そういう人の存在を前提としてTRPGは語らねばならないのか? って部分には、やはりまだ疑問がのこってます。

まあ、TRPGに限ったことではなく、日本人はことなかれ 主義が多すぎますよね。わたしも、人のこといえないが。

GMや、運営者は、もっと権限をふるってもいいのかもしれない。 もっとも、今度は、別のもんだいが持ち上がるかもしれないけど・・

あ、一応、その陽陰さんの経験した「とんでもない人」の例も 機会があったらおしえてください。

一応、うちにも、そういう常識なしは、一人いるんです。

現代モノ(妖魔)で、常に懐中電灯もちあるいたり、 フルプレート着たまま、観光したり・・・

言ってもなかなかききません(笑)

でも、そいつに、みんなでツッコミいれるのも、 うちのサークルの楽しいイベントの一つになってしまってるので、 ネット見るまで、彼が、問題があるとは思ってなかたんですよね。(いや、あるけど(笑))

単に、そういうところに気がまわる自分たちの方が、 エライ熟練プレイヤーなんだと思ってました(爆)
1998年05月23日:10時29分37秒
そのゲームで求められる役割と、副次的に追加するロールプレイ / 宇津見
 MARS氏や、SHiN氏に触発されて、私も以前から思っていて、自分のウェブページのロールプレイ論を書いたときにも根幹に据えた事を、書いてみます。

 馬場講座では、ロールプレイに対する分析と見解として、「役割のロールプレイとキャラクターのロールプレイ」と「目的の多階層構造」といったものを提示しています。
 目的の多階層構造に関しては、ほぼ全面的に賛成です。昔から問題になっていた、キャラクターの目的とプレイヤー本人の目的、参加者全員の目的の矛盾といった事に、明快な説明と解決方法を提示しています。
 ただ、ロールプレイを役割プレイとキャラクタープレイに分ける事には異論を唱えたいです。例えば、馬場講座でキャラクターのロールプレイとされている要素も、幾つかのかのゲーム、『GURPS』の<特徴>、『天羅万象』の<因縁>、『深淵』の<縁故>などでルール的な定義づけがなされています。あるいは、<精神障害>や<パーソナルゴール>といった物も含めてもいいでしょう。そして、こうした要素を、目的の多階層構造にしたがって、ゲーム的に扱える事も実体験として何度も確認しています。
 むしろ私は、「そのゲームで求められる役割と、副次的に追加するロールプレイ」というように分類する事を提案します。例え馬場講座で言うところのキャラクタープレイでも、ルールでフォローされていれば、立派に馬場講座で言うところの役割のロールプレイとして成立し、ゲームセッションの推進力になります。
 そして、ゲームで求められる役割がシンプルであれば、目的の多階層構造が容易に整合するために難易度が低く、複雑多岐になれば高くなります。

 そういった点では、やはり初心者向け、あるはTRPGの基本を学ぶためには、クラスやテンプレートの表題(戦士とか、ストリートサムライとか)にプレイすべき役割の多くを依存しているようなゲームがういているでしょうし、複雑多岐になってもゲームの要素としてきっちり評価でき、プレイできるようなものが望ましいでしょう。


1998年05月23日:03時21分38秒
★極論実験:RPG固有の魅力はやはりロールプレイである★ / 赤星屋螺旋人
 ■ 発言者の立場:
  TRPG歴9年(初ゲーム:WARPSアップルシード、GM)
 ……ただしウォーゲーム・マルチゲーム歴15年
 プレイヤー・GM 比は2:1ほど。セッション頻度は月に2、3回。
 現在は同人ゲーム「KARMA Saturday Night Special」の製作に忙しい(筈)。
 
 ■ 議題:
 これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?
 
 ■ 議題に対するスタンス:
 肯定的、特化するべきである。但し条件付きで。
 
 ■ 理由: 
 TRPG固有の魅力はロールプレイに存在するため。
 
 ■ 視点:
 主に消費者の立場より
 
 ■ 本論:
 特定のエンターテイメントが広く定着する条件として、「ONLY ONE」な魅力が必須であると思われます。
 TRPGにおいては「ゲーム」「世界観」「ロールプレイ」の3要素が有機的に統合されていることによって独特の魅力が形成されているわけですが、なかでもTRPG固有の要素が「ロールプレイ」です。
 TRPGは、他にない強力なセールスポイントであるロールプレイの可能性を追求し、洗練させていく必要があるでしょう。
 
 ただし、TRPGというのは極めて高等な技術を要するホビーであり、より面白く遊ぶためにも段階が必要になります。
 何事でも基礎が大事です。「ゲーム性」は、新規層にもわかりやすく、かつTRPGを遊ぶ上でそもそも必要な共通言語を学ぶための重要な要素として欠かすことのできないステップです。
 すべてのゲーマーが、ゲーム性を十分に楽しめることを前提にして、ロールプレイはその真価を発揮します。「初心者向けTRPG」は、すべからくゲーム性中心のシステムでなければなりません。
  
 ここまでの論旨だと、「ロールプレイ特化反対派なのか?」と思われるかもしれません。
 否、やはりロールプレイはよりフィーチャーされるべき要素なのです。 その際に重要なのは、現在主流の、天羅万象や熱血専用といった「ロールプレイ重視型」のアプローチを取るわけにはいかない、というスタンスなのですが。これは、現在その路線でTRPGが復権したというデータが無いためです。
 
 最初に書きましたが、エンターテイメントに「ONLY ONE」な魅力は必須なのです。さらにそれは、わかりやすいものでなければなりません。
 「ONLY ONE」で、かつわかりやすく。……これは実に困難な命題であると言えます。
 ゲーム性は、新規層取込およびTRPGの基礎としては非常に重要です。しかし、それだけでは広くは遊ばれることになりますが、長く楽しんでもらう要素にはなりません。
 かつてブームを起こしたウォーゲームが、ブームを過ぎると急速に衰退したという、いい例が挙げられます(号泣)。
 ゲーム性という普遍的な魅力を主軸に据えていたがために、よりわかりやすい演出がなされたコンピュータゲームに取って代わられたのです。 いっときゲーム性という魅力で「No. ONE」だったのですが、「ONLY ONE」ではなかったのだと分析できます。。
 そして「世界観」を中心に据えることは問題外です。TRPGにおける世界観の役割は「フレーバー」および「ビジネス利用」であり、 それ以上自己主張することはカルト化につながると思われます。
 
 まず、広く遊んでもらうためのゲーム性、そして長く遊んでもらうため(定着させるため)のロールプレイであると位置づけできます。 
 では、いかにしてロールプレイを特化するべきでしょうか? 繰り返しになりますが、現在の方法論ではやや問題があります。
 それは今回の議題には含まれていないので、触れません。近いうちに発表する事になると思います。
 
# タブレットのペン持って帰るの忘れたので、仕事ができない(泣)。
 でもそのおかげで書き込める。ムムウ。
 
 しかしまた、えらく進んでますな。感心感心。この週末に、どれだけ増えることやら。
 まとめるのが大変だ。苦労をかけるな河嶋君(笑)。
 
> MARSさんへ
>もしかしたらソーシャル(役割演技)RPGとパーソナルRPGに分けるべきではないんだろうか?
 まったく同感です。これからのゲームで避けることのできない問題でしょうね。N◎VAの、フェイスとキーの概念がひとつのヒントになると思います。
 
 ☆ 23日分消費 1/2 ☆
1998年05月22日:23時44分42秒
ソーシャルロールプレイとパーソナルロールプレイ / MARS
 うはあ…久しぶりに来てみたらかなり変わってるなあ…
 エーとりあえず馬場氏のマスタリング講座第一章を見ての感想をまとめてみようかなと思います。
 まず…ロールプレイって二種類有るんだなと感じた…
 役割演技…つまり盗賊は盗賊らしく…戦士は戦士らしく振る舞う…
 でも現在はそれ以外に個性があらたなロールプレイとして加わった…
 こうした中で馬場氏は役割演技を重視するべしと言われた…
 でもどうなんだろう…現在RPGをしてる人って後者を優先する人も増えてきて、そうするためのRPGシステムも出てきた(熱血専用、天羅、深淵)
 もしかしたらソーシャル(役割演技)RPGとパーソナルRPGに分けるべきではないんだろうか?
 そうした中でそれぞれに上達の方法を探っていった方がいいのでは…
 すいません…現在の流れにまったく関係ないですね(笑)
1998年05月22日:23時26分40秒
Re:人それぞれのプレイ環境 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
極論ではなくってお応えしちゃいます。
 
 アタシ初めはまわりにTRPG遊んでる人いなくって。自分でGMさんとPL招待してたけど。めんどくさくなっちゃって。
 後、めんどくさくなる前にできたゲーム上の知り合いとはちょっとプレイの仕方があわない(って当時はあきらめちゃって)って思って。
 
 で、ビクビクしながら、コンベンション行くようになったら、これが面白くって。初対面の人に向かってロープレするのって、すごい緊張感があって面白いです。
 
 ただ、陽陰さんが書いてらっしゃる、「『困ったちゃんプレイヤー』というものの本物に出会っていないからだと思われます」、ってのは、アタシの場合あてはまってるかもしれない。
 人の話に聞くほど非道い人には会ったことまだないです。
 
 ひとつには、多少の困ったちゃんなら、公正さを旨とするGMさんにはできないようなハメ技とかかましちゃう(こともある)から。
 もぉひとつには、コンベンションで、やっぱ我が身がかわいいから、「あ〜、ヤッベぇ〜」って感じの人(GMさんでも、PLさんでも)がいる卓は避けちゃいますね。
 そぉゆぅ卓に行っちゃう、ビギナーさんもいるわけで、チクッとは胸は痛むけど。一参加者でコンベンション行くと、やっぱそぉゆぅふぅに振る舞っちゃいます。
 オトナって汚い、かもしれません。
1998年05月22日:22時37分04秒
RE:人それぞれのプレイ環境+★ / 陽陰
 ★極論関係を含みますので、一回分で良いです★
 
 SHiN氏の仰ることは、ある程度ごもっともです。
 RPGの本道というモノは、「決まった人間と遊ぶ」と言うものです。
 ルールブックを見ればそれは明かです。
 コンベンションではほぼ使われないルールが如何に多いことか。
 コンベンションでは絶対に出来ない遊び方がガイドラインとして乗っているのは何故か。
 それは、もちろん、コンベンションで遊ぶことを前提に、ではなく、決まった人間と遊ぶことを前提にデザインされているからです。
 
 しかしながら、”「困ったちゃんプレイヤー」を、許容できないって方はいらっしゃるのでしょうか? ”というのは、「困ったちゃんプレイヤー」というものの本物に出会っていないからだと思われます。
 
 当然、無知や経験不足からプレイングがおかしいことはありますし、それは、余程狭量な方でない限り、合わせて上げることが出来ます。
 しかし、「は、そんなことをするの?どっか、常識とかが幼稚園児以下なんじゃないのか」といった幼児性を持った人が居るのです。
 それはもう、凄い人が。
 
 彼が行う行動は、こちらからさしのべる歩み寄り全てを破壊して、セッションを崩壊させてしまいます。
 仮に彼がその他の生活で「心の友」だったとしても、「もう彼とは二度とRPGをしたくない」と思うことでしょう。
 しかし、私は断言できます。
 RPG云々とか、オタク系ファッションは考慮しなくとも、私は彼とは絶対に友達になれないだろう、と。
 
 こういう人の具体例は、此処の掲示板のあちこちに眠っていますので、あえて書きませんが。
 
 ★此処から極論関係★
 
 極論大会ですので、本当の極論をいきます。
 ロールプレイだけに特化したRPG、というものをこう考えてみます。
 
 #ルール無し。世界観無し。ただし、運営方法はRPGどおり。
 #GMは、その場のノリと、用意してきたシナリオ展開に合わせ、正否を判定する。彼は絶対に中立である。
 #プレイヤーはそれに文句を付けることが許されない。
 
 もちろん、あるケースとして捉えて下さい。
 
 さて、これについて検討してみましょう。
 以下の文の条件:この検討では、起こりうる確率がある程度に達すると私が判断した段階で、断言しています。
 
 まず、このゲームに、新規参入者が簡単にはいることが出来るのか。
 絶対に彼はその場のノリについていくことは出来ません。
 たとえ、どんなに他のプレイヤーが彼をもり立てたとしても、です。
 それは何故か。
 彼が訓練されていないからです。
 
 彼は楽しめません。
 その理由は、行為の正否の判定基準が彼にとって不明だからです。
 
 この二つの理由により、彼は楽しめず、二度とこのゲームに参加しません。
 
 このゲームについての知識を広めることはできるでしょうか。
 これを他者に説明した場合、まず、その場の雰囲気ややり方のコツというモノを伝えることが不可能です。
 そして、不完全な言葉で何とかそれについて説明できたとしても、「気持ち悪い」「何処が面白いの」などの悪口を言われることでしょう。
 そして、殆どの人が一度も遊ぶことはないでしょう。
 つまり、広まりにくく、広まったとしてもネガティブな印象しか与えることは出来ません。
 
 このゲームを行う二つの集団の間で人員を入れ替えてみると、どうでしょうか。
 例えば、ギャグの質が全然違うといわれる関東と関西で。
 きっと、このゲームは成り立たないでしょう。
 理由は、ノリの質が違うからです。
 
 ロールプレイだけに特化したゲームは斯くのごとく、やってる本人達は愉しくても、それ以外の人物には平狩りにくいという特性を持っていることが、このケースから読みとることが出来ます。
  
 もし仮に、これがゲーム性のみならば、新規参入者が遊ぶことは出来ます。
 広まることもあるでしょうが、マイナーなアブストラクトゲーム程度の認識しか売ることはありません。
 そして、人員の交流は計れます。
 
 そして、世界観のみだとすれば、遊ぶことは不可能です。
 ですが、広まります。そして、人員の交流も可能です。
 
 つまり、ロールプレイだけ特化しても、仕方がないし、無意味で逆に有害である、との結論を私は再度揚げさせて貰って、この長文を閉めさせていただきます。
1998年05月22日:22時10分24秒
★極論実験:TRPGの多様性を伸ばすのは消費者の“遊びかた”ではないの?★ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

★「極論実験」関係の書込みです★  カンナの発言権消費22日分2/2
 
アタシの立場:PL専科の立場で議題には反対。これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきではない。
アタシの発言の趣旨:>現在日本語版で手に入るシステムの傾向は単一だという気がしてなりません。(←陽陰さんWrote)
 アタシも、現状では多様化が不充分だと感じます。ですから、もっと徹底した多様化を望むってのがアタシの立場です。
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>陽陰さんWrote  
>ゲーム性や世界観を犠牲にして、ロールプレイに特化している商品が非常に多いと思われます。
 
 アタシは今回「メガテン(2)TRPG」のことを検討してみたいと思います。
 システム解析能力が優れた人たちによれば、このゲームは「バランスがよくない」とか、「そのよくないところが魅力」だとか、いろいろ意見がわかれるところなようです。その辺は、アタシには判断不能(笑)です。そぉした検討をさしおいちゃっても、このシステムにはいくつもの魅力=集客力、それも新規TRPGユーザーを増やす力があると思います。
 
 1.人気コンピュータゲームソフト(シリーズ)の関連作品としての知名度。
 2.「TRPG(1)」には欠けていた簡便なプレイアビリティ。
 3.コンピュータゲームソフトが持っていた魅力
   3-a)世界設定の基本を現代に置いていることによる親しみやすさ
   3-b)“仲魔”をゲットし、成長させていくゲーム的おもしろさのある戦闘。   
   3-C)悪魔キャラとの「会話」の楽しさ→初期のファミコンソフトから、悪魔のタイプに応じた会話パターンの豊富さは「ドラクエ」的RPGソフトと一線を画した魅力としてファンに支持されている。
 
 ゲームソフト「メガテン」シリーズの魅力は他にもあるはずなんですけれど、とりあえずTRPG版との絡みで上記のあたりをピックアップしてみました。
 
 TRPG版にはもう一つ魅力があります。
 
 4.L-N-D(ライト-ニュートラル-ダーク)、L-N-C(ロウ-ニュートラル-カオス)の2系列をマトリックス化したキャラクター類型。→たんじゅんすぎて、マンネリ化に陥りやすい、敵-味方の図式とは違い、キャラクタープレイに応じて、ドラマチックな葛藤が、楽に発生しうる
 
 メガテンソフトが好きで、メガテンTRPGに手を出すビギナーには色んな志向性の人がいます。「ワールドが好きな人」、「ゲーム的な戦闘が好きな人」、「悪魔との会話など、プリミティブなキャラプレが好きな人」、「ドラマチックな展開に感情移入するスリリングなキャラクタープレイが好きな人」、Etc.
 
 キャリアのあるGMさんが、「メガテンTRPG」のビギナーだけを相手にセッションを組むことを考えてみてください。アタシは、PLの組み合わせによって結構多彩なアプローチがありうるって思います。
 
 PLにウケるなら、「ゲーム性」に特化したマスタリングをしたっていいし、「キャラクタープレイに支えられたドラマティックなセッション」を演出したっていいはずです。PLの嗜好をちゃんと理解えきて、PLにウケるように演出できるならです。
 
 もし、GMが固有に持ってる「ゲーム性がTRPGの基本だ」とか「ロープレこそTRPGの真髄だ」とかいった信念が(GMが信念を持ってること自体は悪いことじゃないです)、融通の効かないものだったら、志向性の異なるビギナーは絶対いやになって離れてっちゃうと思います。
 
 「キャリアのあるベテランがどれだけ善意で発言しても、判断基準になる経験のとぼしいビギナーはベテランの意図以上に、ベテランの言うことを絶対だって思いこむ。だから、ベテランの発言は、ベテランの意図しないところで強制として作用してしまう(ことがある)」←そうですよね?
 
 いま。「メガテンソフト」のキャラプレ的要素にあこがれて「メガテンTRPG」に初挑戦するPL、だけのセッションがあったとしましょう。このときGMさんが、「ロープレなんかは初心者には難しいだからゲーム的なセッションを」的演出を善意から頑固に押し通したとしましょう。とても高い蓋然性で、TRPGシーンは貴重なビギナーPLを失っちゃうことでしょう。このGMの頑固な信念とPLの嗜好性が逆な場合でも一緒です。同じように高い蓋然性で、TRPGシーンは貴重なビギナーPLを失っちゃうことでしょう。
 
 TRPGが何であるかなんて、ビギナーが自発的に自分のプレイスタイルを検討するようになった時に、自分で考えればいいんだって思います。
 「喉の乾いていない馬を川縁につないで置いても草を食べるだけ」でしょ(←もとのことわざはちょっと違ってる気がするけど、まぁいいじゃん;苦笑)。
 戦闘ルールを覚えるのが苦手なアタシが「メガテンTRPG」で最初に覚えた戦闘ルールってなんだと思います? 「シェアショット」です。敵お攻撃を受けながら、慎重に狙いを定めて必殺の一撃、ロープレ的にカッコイイから(笑)最初に覚えちゃいました(爆)。プロのデザイナーを目指すわけじゃあるまいし。ルールをどこからどの順番で覚えようと、PLの好きずきじゃん。「こうあるべき」なんてのは、(「ゲーム重視」だろうと「ロープレ重視」だろうと、どっちだろうと)余計なお世話、善意の押しつけだって思います。
 
 ビギナーにとってはTRPGのおもしろさを体験することが第一です。それがTRPGシーンの繁栄のためです。ビギナーとセッションを組む経験者PL、経験者GMは、ビギナーの嗜好性を汲んであげることが第一です。「配慮はしても遠慮はしない」アタシが例外的に、遠慮も配慮もしちゃうのが、一緒にセッションを組んだビギナーです。
 
 もしTRPGシーンの活性化を望むのなら、既存のシステムの多様な遊び方を追求していくべきではないでしょうか? 別に一人の人がすべての遊び方をできる必要はないんです。ここに、TRPG経験者が共棲、をマジメに考える必要性があると思います。
 GMもPLの消費者であって、基本的にはデザイナーとかではありません、でもTRPGにはマスターの裁量で、セッション運営に幅が出る(システム)もあるからいいですよね。←アタシはこれも、TRPGの貴重な「多様性」の一部だって思います。
  
>陽陰さんWrote  
>現在、曲がりなりにも共生や棲み分けが出来ているのは、古参ユーザーの所持している過去の遺産のおかげである、といえると私は思います。
 
 うえに引用しちゃった部分にはアタシも賛成しちゃいます。古参のみなさんには敬意を惜しみません。
 けれど、もんだいもあります。古参ユーザーが無自覚、または自覚的に持ってるこだわり自体が、潜在的新規ユーザーを選り分けてしまっていることがある。ってことです。それが今回の書込みに長々書いたことです。
 繰り返しになりますけれど、TRPGの多様性、つまりこれまでTRPGが実現してきた可能性を、伸ばすも殺すも、アタシたち愛好者の遊びかた次第、ではないのでしょうか?
 いじょうです。
P.S.>陽陰さんへ
今回の書込みでは、アタシの発言の段取りの都合で、陽陰さんにいだいた、反論にあえてお応えしませんでした。この「極論実験」のシリーズ中に、アタシなりの考えをご披露するつもりではおります。←がんばります(だからちょっと待って;汗)。 
 
1998年05月22日:21時35分12秒
人それぞれのプレイ環境 / SHiN

以前から、感じてたことですが、 やはり、サークルで、友人宅で、って感じで 特定の人間とプレイするのと、 コンベションなどでプレイするのとでは、 あきらかに、TRPGって、『違うゲーム』に なってるみたいですね。

とくに、サークル系では、当然のように行われる キャンペーンが、コンベションでは、ほとんど無理という..

また、友人同士でプレイする場合、他人のロープレや マンチキンぶりが、我慢できないほど「不快」ってことありえないですしね。
(普通は、我慢できなくなる前に、それを制限するルールを作ったり、遠慮なく本人に文句いったりできるから。)

これは、極論でなく、普通に考えて欲しいんですが、

TRPGって、コンベションでプレイするのと、 サークルなどで、キャンペーンとしてプレイするのと、 どちらが本道だと思います?

また、この手の論考をすすめるにあたり、 コンベション派とサークル派が、同じ土壌で意見を たたかわせられるんでしょうか?

正直に言うと、わたしは、コンベションに行く人って、
「まわりにプレイする仲間がいないから」って、最初は 思ってました。

でも、ネットをのぞくようになってから、
「もしかして、コンベション派が主流??」ってさえ 感じてしまいます。

実際は、どうなんでしょう?

また、サークルや仲間ともプレイするけど、コンベションで 見知らぬ人とプレイするのが好きって方の中で、
「困ったちゃんプレイヤー」を、許容できないって方は いらっしゃるのでしょうか?

サークルなどでは、友達だから、困ったプレイヤーっていうのも 許容しますよね。(彼も、楽しませてあげたいと思うから。)

わたしが、仮に、コンベションなどでマスターするとしたら、 一般に、困ったプレイヤーといわれるマンチキンさんや、 演技過多、自由行動満喫型などの人たちも楽しませてあげたいと 思うのだが・・・

だって、不特定の人とプレイするなら、そういう、自分と好みのあわない プレイされるのも当然のリスクだと思いますしね。

そういうリスクの負えない人は、コンベションへ行くべきではない・・ って考え方は、周囲でプレイする環境が整ってる人間のエゴだろうって自覚はあります。

でも、やはり、周囲を許容できないのにコンベションに行く人は、
「仕方なくコンベションでプレイしている」って人だと思うんですよ。

で、それらの人たちの状況ってのは、TRPGを語る上で、 かならず考慮せねばならない問題なのでしょうか?

それとも、コンベションでしかプレイできないという 状況自体が問題なのであって、 これを元に、TRPGを語るのは、歪んだ前提で物事を 話すことになるんでしょうか?

特に新規参入者の妨げにロールプレイがなるっていうのは、 理屈ではわかるのですが、実感としては、わからないんですよね・・
(おのおのが、弊害として挙げていることは、対象が友人などの場合、まず、妨げにならないと思うのですが・・)

友達と遊ぶときと、知らない人と遊ぶときでは、 遊び方は、普通、まったく変わってくるのに、ほとんど、 そこらへんの事が語られてないのが、最近、非常に気になってます。
それとも、こういうことは、TRPG論の本質的な問題とは、さほど関係ないのでしょうか?
#一応、これも、1回分になってしまうのか(笑)
1998年05月22日:20時01分27秒
★極論実験:これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?★ / TTB
 こんにちは。TTBです。普段あまり論考系には出てこないのですが、河嶋陶一朗さんに FreeTalk で励ましてもらったので、勇を鼓して書き込んでみます。

(発言者の立場)
 はじめてやったのは、D&D(赤箱)。1985年頃。
 但し、その後事情により、長い中断期間あり。
 ソードワールド全盛時代を知らない。
 TRPG歴も短い。初心者クラスです。
 今のプレイ環境は、好きな時にコンベンションやオフ会でプレイ。不定期。
 システムでは「深淵」にはまっている。

(議題に対するスタンス)
 肯定的。

(肯定する理由)
 ロールプレイはTRPGの「特色」であり、これを伸ばす方向でTRPGの活性化を行えるのではないかという考え方による。

(特色の補足説明)
 TRPGのロールプレイは、演劇とゲームの中間に位置すると思われる。「演劇でのロールプレイ」は、完成度は高い反面、日々の鍛練を必要条件とし、かつ自由度は少ない。また、一般のゲーム、つまりアブストラクトゲームやボードゲームやカードゲームでは、ロールプレイそのものが不要である。

(TRPGのロールプレイのメリット)
(1)自分の世界というものが比較的容易に形作れること
 自分の世界ほど住みよいものはないです。所詮、自分のことを一番支ってくれるのは、自分自身です。
 
(2)それほど鍛練が厳しくないでできること
 舞台に立とうと思うと、その努力はなみたいていのものではありませんが、TRPGではゲームに参加するだけで、ある程度の「ロールプレイの場」が用意され、約束される。
 
(TRPGのロールプレイのデメリット)
(1)ロールプレイが自分の世界であるがゆえ、他人から受け容れにくいこと
 他人のロールプレイを見て不快に感じる人が居ることは事実である。これは、感じ方の問題ゆえ有効な解決策は見出されない。なぜなら、日々鍛練を積んだ役者の演技を見ても大根だという人が居るからである。素人にこのレベルまでは要求できないし、かといって他の人に辛抱しろと強要できない。
 
(2)困ったプレイヤーの増大を招くこと
 ロールプレイに偏重する余りに、本人の意識、無意識に拘わらず、設定から抜け出てこないプレイヤー、視野の狭いプレイヤー、利己主義なプレイヤーを跋扈させる遠因になりうる。

(TTBの結論)
 メリットとデメリットを比較して、ロールプレイの長所に目をむけ、これを「育むこと」によって、TRPGゲーマーの獲得、維持に関するセールスポイントとする。
 
(結論の補足)
 デメリットの(1)は解決が難しい。逆に言うと思いやりの心がけ次第では解決できるものでもある。TRPG単体に限った問題でなく、TRPG内での解決は非常に困難である。

 デメリットの(2)は、何のシステムを使おうがゲームと名のつくものがプレイされる限り、前述のような困った人は存在してしまう。これも解決困難である。たとえ、ロールプレイを抑え目にして、ゲーム性を重視に変更したとしても、彼ら困った人は、所謂マンチキンとして顕現するからである。
 
 私はリフュートが苦手なため、メリット、デメリットの比較で書いてみました。以上で本日の発言を1回消費いたしました。


1998年05月22日:19時56分58秒
極論実験:これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?★ / 有馬次郎
帰宅したいので、さっさと2度目の発言を行使します。
今回は、ロールプレイ特化に賛成を表明している方への反論について、応えられる限りの回答したいと思います。
引用文の文頭には#がついています。

#基本的にTRPGを面識のない他人と快適にプレイするには、さまざまなマナー (というか、知識)が必要とされているので、上のような状況は 特殊、もしくは、本来あるべきでないと考えます。
また、「新規参入者がつかみにくい」という理由で、その 魅力の一部を減じようという姿勢には、問題があります。

しかし、新しくゲームを行ってくれる人間が多くいてくれる事はTRPG自体の発展にとって、マイナスになるものではありません。
そのことについては、どうお考えですか?キャラクタープレイがそれを阻害するようであれば、そのウエイトを軽くして考えてみるのも一つの考え方と思います。

#メディア戦略の失敗、時流の問題、そして、強力なヒット作がないという状況が、現在TRPG市場を衰退させていますが、 「新規参入者をふやせば活性化する」という考えは、 少々短絡的な気がします。 さらに、ロールプレイ色を薄くすれば新規参入が増えるという 考え方は、楽観的すぎます。

それこそ、ロールプレイ色を濃くする事によって現状が良くなるということは、今までのキャラクタープレイを強調していって、結果として衰退している現状から目をそらしているのではないでしょうか?

#TRPGのような認知度の低いものを、メジャー化する道は、長所、それもインパクトのある「ウリ」をのばすことが、やはり大事でしょう。
「現状は、その結果ではないのか?」って方もいらっしゃるでしょうが、 もし、そうしなければ、もっと急速に衰退してた可能性もあります。

もともと、シミュレーションゲームから派生してきたTRPGにおいて、ゲーム的要素を廃してまでもロールプレイに特化することは本末転倒です。そして、可能性について述べられていますが、速くゲーム的性質を取り入れることによって、衰退を止めて発展するという可能性も否めません。可能性について考えるのでしたら両方の可能性を考えて、根拠をもって言わない限り水掛け論となり、不毛です。

#だから、 初心者には、抵抗のあるロールプレイを縮小しようという考えより、 いかにすれば、抵抗なく、ロールプレイを 楽しめるか?という方向を考えるのが、一番だと思います。

基準が希薄であるキャラクタープレイを役割演技を踏まえずに優先していく事は、「自己満足」「狭視野的人間」等、他の人と共に一緒に楽しむTRPGにおいて「困ったプレイヤーを生み出すファクター」となりえます。それよりも、ロールプレイ色が薄いものから徐々に行っていき、ロールプレイに親しむ環境をつくるのが無理がありません。残念な事には、日本にキャラクタープレイを優先するシステムは開発されているものの、ロールプレイに無理なく親しませるシステムは最近は発売されていません。この状況でこれ以上キャラクタープレイを特化させるシステムを開発することに意味はあるのでしょうか?

#たとえば、GURPSなどは、ロールプレイ(キャラプレイ)を、さまざまなルール(意思判定など)で 強制的に実現してます。

これは、ゲーム的に設定する事によって、キャラクタープレイをやりやすくしたものであり、キャラクタープレイがやりにくい事を表しているのであり、キャラクタープレイを抑えて、ゲーム的要素を加える事によって、良くなった良い例と見ています。

#ロールプレイも同じで、どんどん深くバリエーションに富んだロールプレイが出来るように なると同時に、いずれ、新規参加もしやすく、マスタリングもやりやすい、ロールプレイシステムも開発されるはずです。
(すでに、国産TRPGの初期に、WARPSという、キャラプレイを 無理なく促進する、シンプルだが優れたシステムが存在しました。)

それこそ「まだ、いまだためされてない方法への、過剰な期待にすぎないといえるでしょう。」ではないのでしょうか?
現状において、新しく発売されているTRPGシステムを見るに、キャラクタープレイを特化しているものばかり(例:番長学園、熱血専用、天羅万象等)で、キャラクタープレイに頼ることによるバリエーションは多様化されています。それによって、現状が生まれているならば一旦キャラクタープレイを抑えて、その他の要素に力を入れていく方が、衰退の原因を多角的に見る事になり、それをもってTRPG開発に乗り出した方が成功はしやすく思います。

再度、主張を繰り返すと、現時点において一般的な基準を曖昧なままにしているキャラクタープレイを特化してTRPGを進めていくのは、砂上の楼閣と同じで土台が貧弱であるために崩れ去るのと同様に、キャラクタープレイを進めていったことによっておこった現状を変化させる事は難しい。
キャラクタープレイは、基準がわかりにくく初めての人に特にわかりにくいので、キャラクタープレイを緩め、ゲーム的要素等客観的に分かりやすいものを伸ばす事によって、徐々にロールプレイに慣れさせていくのが妥当である。
以上です。
1998年05月22日:18時30分27秒
★極論実験:これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?★ / NoBu
極論実験、面白い試みですね。ぜひ俺も混ぜて下さい。

・発言者の立場

RPGを本格的に始めたのが今から7、8年前。初めてやったのはTRPG版「ウィザードリー」。
現在は、プレイヤーとマスターを半々ぐらいでやっている。
現在もっともやっているゲームはシャドウランその他。

・議題に関するスタンス

「現在の日本のRPG」は「ロールプレイ」に特化すべきではない。

・理由

RPGと言うゲームは「システム」、「世界観」、「ロールプレイ」と言う三つの要素が、うまくバランスが取れていて、初めてその面白さが
解る非常に「特殊」なゲームです。さらにいうならRPGにおいて、「ロールプレイ」は「システム」と「世界観」の上に成り立つものです。
行ってみれば、「ロールプレイ」と言うものは、料理の味を引き立てるソースのようなもの、といえるです。

にぎり寿司の構造を思い浮かべて下さい。
寿司は三つの要素で成り立っています。寿司飯、寿司ネタ、薬味(ワサビ、醤油)ですね。
これにそれぞれ「システム」、「世界観」、「ロールプレイ」の三つを当てはめて下さい。寿司飯には「システム」、寿司ネタには
「世界観」、薬味には「ロールプレイ」と言う感じで当てはまると思います。

握り寿司はこの寿司飯、寿司ネタ、薬味のバランスが整ってこそもっともおいしいのです。
RPGにあてはまれば、「ロールプレイ」は「システム」と「世界観」を超えるものではありません。しかし無ければゲームは味気ないもの
になってしまうでしょう。(ガキじゃあるまいしワサビ抜きの握り寿司なんて食べる気になります?)そういう意味で、RPGにおいては
「ロールプレイ」は欠かせないものなのです。

あとは、寿司飯と寿司ネタは、単独でも楽しめるものですが、薬味は単独では楽しめません。
「システム」はゲームとして単独でプレイできる部分がありますね(戦闘など)。「世界観」はそれ自体でも、一つの作品としても成り立つ
ものでしょう。しかし「ロールプレイ」だけは、単独で楽しむ事は出来ない(少なくとも、俺には思い付かない)ですね。
ですが、この三つが一つになった時、「ロールプレイ」は他の二つの要素をより引き立て、ゲームに素晴らしい風味を引き立ててくれるの
です。

またさらに言うなら、RPGにおいてこの三要素のうち、どの要素が最も重要かと言う議論は不毛以外の何者でもありません。(今日の
暴言です(笑))行ってみれば、「ハードが先か、ソフトが先か」と言う語論と余りかわりが無いでしょう。
RPGには、この三つが欠かせないのです。大切なのは、そのバランスでしょう。

・この意見を主張する理由

今、日本のRPGは、このバランスが崩れていると考えられます。
たしかに「ロールプレイ」は、ゲームをやっている人に、大きな喜びをもたらしてくれます。
ですが、ここで多くの人が主張しているように「ロールプレイ」にはしっかりとした「客観的な」判断基準がありません。
判断はプレイしている人間に一任されます。
これで果たしてしっかりとした「公正」で「平等」な判定が出来るでしょうか。
さらに、現在の「ロールプレイ」は「ロールプレイ」の本来の形である「プレイヤーの意思決定、役割分担」と言う形ではなく、
「キャラクターになりきりその個性を演じる」と言う「キャラクタープレイ」のみが取り上げれられ、それこそが「ロールプレイ」であると言う、
おかしな意見がまかり通っています。
果たしてこんな状況で「ロールプレイ」を特化していけばますます日本のRPGはおかしな方向に流れていってしまうでしょう。

さらに言うなれば本当の意味で「ロールプレイ」を特化しているゲームが現在の日本に存在するとは思えません。(さらに暴言)
海外のRPGには、「ロールプレイ」を重視し、支援すると言う形のシステムが存在します。
ワールド・オブ・ダークネス(ヴァンパイア:ザ・マスカレード)などがそれです。
しかし、「システム」も「世界観」も手を抜かず、しっかりと練り上げられたものとなっています。そして「ロールプレイ」もどのような
形で行うべきか、しっかりとルールで明記されているのです。あくまでも「ロールプレイ」は、「システム」、「世界観」を超える物
ではないと言う原則を崩してはいないのです。

今の日本で本当の「ロールプレイ」を支援しているシステムがあるのかはっきり行って疑問です。まともなものは「深淵」ぐらいでしょうか。
良く「ロールプレイ」支援型といわれる「天羅万象」、「熱血専用」などは、「ロールプレイ」ではなく「キャラクタープレイ」や単に「ノリ」を
盛り上げるためのものとしか思えません。番長学園にいたっては、「ノリ」だけのゲームです。
(暴言吐きまくり。大丈夫なのか?(笑))

なぜ「キャラクタープレイ」や「ノリ」を否定的に見るのか。
俺はRPGの本質は、「日ごろ体験できないような仮想現実を、想像力で体験する」、と定義できると思うのです。
現在の「キャラクタープレイ」や「ノリ」は妙な方向に進んでしまっている、それも上で挙げたRPGの本質を阻害する方向に向かっている
ように思えます。たとえば現在、アニメのキャラをプレイする「だけ」のようなシステムすら登場しています。
これは、RPGの可能性を損なうように俺には思えるのです。RPGの本質であり最大の特徴、そしてそのもとも大切な面白味の部分、
「日ごろ体験できないような仮想現実を、想像力で体験する」、という部分が失われてしまえば、RPGはその存在意義を失ってしまう
でしょう。

我々はRPGでしかやれない事があるからこそ、RPGをやるのです。違いますか?

今回はこれくらいで・・・。さすがに疲れました。こんな長い文書を書くのは始めてなので・・・。
RPGの流通や雑誌の事に関してもいろいろと書きたいのですが、それは今度機会があったらという事で。
それでは・・・。
1998年05月22日:17時36分14秒
★極論実験:これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?★ / SHiN

発言者の立場:
はじめてやったのはD&D。10年ほど前。
基本的にゲーム性重視でプレイ。(まれに、悪ノリキャンペーンあり)
単発セッションは、初期の3年くらいを除き、以後はほぼ皆無。ほとんどが、キャンペーン。
(もっとも、1話完結的なものは、妖魔夜行、真ウィズなど、いくつかアリ) マスターもプレイヤーもほぼ同じ頻度。(気持ち的にははGMより)
現在は、月4回ほどサークルで友人とプレイ。


議題に対するスタンス:
肯定的。


肯定する理由:

ロールプレイ、とりわけキャラクタープレイは、 TRPG以外の媒体では、存在しない楽しみ方であり、 また、その魅力自体も否定できない。

現在、(ゲーム性重視派の人も含めた)主流と思われるプレイスタイルにおいて、 ゲーム性、世界観といったものは、基本的に ロールプレイを補助するものでしかない。 一昔前の、エンドレスバトルなダンジョンものならともかく、 現在では、 ゲーム性のないセッションは、存在しえても、 ロールプレイ及び、キャラクタープレイのないセッションは、存在しえない。

陽陰、有馬両氏への反論:
『ロールプレイ(キャラクタープレイ?)を特化すると、特殊な集団とみられ、 新規参入者が少なくなる』というのは、特別な状況のみに 限定されるものではないでしょうか。

たとえば、コンベション会場で予備知識のない人が初プレイといったような・・

基本的にTRPGを面識のない他人と快適にプレイするには、さまざまなマナー
(というか、知識)が必要とされているので、上のような状況は 特殊、もしくは、本来あるべきでないと考えます。
また、「新規参入者がつかみにくい」という理由で、その 魅力の一部を減じようという姿勢には、問題があります。

メディア戦略の失敗、時流の問題、そして、強力なヒット作がないという 状況が、現在TRPG市場を衰退させていますが、
「新規参入者をふやせば活性化する」という考えは、 少々短絡的な気がします。 さらに、ロールプレイ色を薄くすれば新規参入が増えるという 考え方は、楽観的すぎます。

まだ、いまだためされてない方法への、過剰な期待にすぎないと いえるでしょう。

TRPGのような認知度の低いものを、メジャー化する道は、長所、それもインパクトのある「ウリ」をのばすことが、やはり大事でしょう。
「現状は、その結果ではないのか?」って方もいらっしゃるでしょうが、 もし、そうしなければ、もっと急速に衰退してた可能性もあります。 TRPG独特のストーリーのあるゲーム性を延ばすのもいいですが、 やはり、ここは、ロールプレイの楽しさって部分をのばした方がいいでしょう。

ゲーム性という意味では、マルチゲームやパーティゲーム、そしてテレビゲームが、 膨大な開発費と年月をかけて作られているのに対し、 GMのシナリオ作成能力に左右されるゲーム性しかもちえない TRPGでは、これは他のゲームよりも優れたアドバンテージとは なりえないでしょう。

その意味では、「架空のキャラクターを疑似体験する」という ロールプレイ、キャラクタープレイは、 映画や小説の主人公を通しての疑似体験より、強力で TRPGにまさるものは、ちょっとないと思えます。

これこそ、のばしてやるべき、最大の長所でしょう。

もっとも、お二人がおっしゃるような ロールプレイを楽しむことへのとっかかりの悪さが 存在することは認めます。

が、
たとえば、カラオケ。

カラオケには、非常に、魅力的な要素があったにも かかわらず、その魅力を理解する、もしくは味あうために さまざまな制限がありました。

その中の大きなものとして、「設置場所が酒場やごく一部の喫茶店などに限られていた」
「人前で歌うのが苦手な人間が多い」「流行の歌を知らない」 ということがあげられます。

しかし、カラオケBOXという形で それらの問題がクリアされた後の普及具合はご存じの通り、 爆発的なものでした。

キャラクタープレイも同じことで、
「他人の下手なキャラプレイを見せられる(聞かされる)のは苦痛だ」 という人はいても、「キャラプレイをするのが嫌い」という人はあまりいないはずです。 もちろん、「自分は、あまりうまくないから・・」という理由で 嫌いな人はいるでしょう。人前で、マイクを持ちたがらない人と 同じ理由で。(そして、こういう人は、しばしば、他人の キャラプレイも、大根だとかなんとか陰口をたたいたりすることも多いはず。)

が、歌うのが好きな人は、決して他人の歌をけなしたりしません。 自分の歌のうまさを自慢したい人はともかく、カラオケが好きって人は、 決してそんなことはしないはずです。
(それどころか、あいの手うったり、コーラスいれたりして盛り上げるはず)

キャラプレイでも同じでしょう。

だから、
初心者には、抵抗のあるロールプレイを縮小しようという考えより、 いかにすれば、抵抗なく、ロールプレイを 楽しめるか?という方向を考えるのが、一番だと思います。

たとえば、GURPSなどは、ロールプレイ(キャラプレイ)を、さまざまなルール(意思判定など)で 強制的に実現してます。

これは、有馬さんの
『キャラクタープレイに関してはそのPCを作成した本人が決定したもので、それについ ての正解は本人しか知らないわけで、途中で大きく変化したとしても本人がそれがPCの 性格であるといってしまえば、第3者には判断のつけようがありません。』

に対する反論とできるでしょう。

パソコンは、多機能化へ向かうと同時に、 専門知識がなくても、簡単に使えるような方向へ進化しています。

ロールプレイも同じで、どんどん深くバリエーションに富んだロールプレイが出来るように なると同時に、いずれ、新規参加もしやすく、 マスタリングもやりやすい、ロールプレイシステムも開発されるはずです。
(すでに、国産TRPGの初期に、WARPSという、キャラプレイを 無理なく促進する、シンプルだが優れたシステムが存在しました。)

が、そのような、理想的なロールプレイシステムが完成されるには、 この点において、開発がすすめられなければなりません。

そういう意味でも、今後もTRPGはロールプレイを楽しむことを 念頭に開発されていくべきであり、現在の特化のされ方は、 まだまだ不十分で、過渡的なものであると言えるでしょう。

個人的には、高度なゲーム性をロールプレイシステムにもたせることにより、 優れたシステムが出きるのではないか?と考えてます。
(別に、今回の議題は、「ゲーム性か、ロールプレイか?」ではなく、 ロールプレイに特化するかいなか?って事ですよね?)
1998年05月22日:10時11分38秒
★極論実験:これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?★ / 有馬次郎
発言者の立場:ゲーマーとしてはD&D日本語版が出始めたくらいから
頻度は月に1,2回位、マスタープレイヤーどちらもやります。

スタンス:RPGは「ロールプレイ?」に特化すべきではない。

何故に「ロールプレイ?」としたか、役割演技としての(本来の意味における)ロールプレイは必要と思われます。しかしTRPGの現状においては、「キャラクターの性格などを演じるロールプレイ(以下キャラクタープレイ)」もまたロールプレイと呼ばれており(キャラクターの役割を演じているといえばそうなのかもしれませんが)、2つの意味で使われています。そして、本来の意味である前者よりも後者が優先されているように思える。
故に区別するために「ロールプレイ?」と記述しております。

極論的に言ってしまえば、「ロールプレイ」に特化してしまうことは、現状においては大変に危険なものです。
第一点として、「ロールプレイ?」については、「ゲーム性」、「世界観」のような、明確な基準がありません。
ゲーム性や世界観については、明らかに第3者がみても、その行動がゲーム的に理にかなっているか、そうでないか、世界観から離れていないか、そっているのかの判断が容易につきます。
本来の意味であるロールプレイにおいても、第3者による判断がつけられます。しかし、キャラクタープレイに関してはそのPCを作成した本人が決定したもので、それについての正解は本人しか知らないわけで、途中で大きく変化したとしても本人がそれがPCの性格であるといってしまえば、第3者には判断のつけようがありません。
それは、仲間内等のごく少数のかぎられた状態で遊ぶにはまだしも、不特定多数の人間と遊ぶには価値観が大きく異なる場合もあり、問題がおきえます。そして、その様なものを特化したゲームは遊ぶ人間を選ぶようになり、TRPGを特殊化してしまい新規に始める人間に警戒されても仕方がないと思われます。

第2点として、RPGの紹介のされ方による影響です。
TRPGが雑誌で紹介されたとき、「ごっこ遊び」、「自由に行動できる」、「キャラクターを演じる」などという言葉で、「キャラクタープレイ」を奨励され紹介されました。
事実、それは間違ってはいませんでしたが、それを言葉通りに取って周りを見ずに「自己満足」、「設定に凝り固まっている狭視野な人間」に動くプレイヤーが生まれました。
良いプレイヤーもいるので、一概には言えませんがそれによる影響は大きいと思われます。

結論として、本来のロールプレイは必要なものと思います。
「キャラクターのロールプレイ」は新薬と同じで正しい使い方をすれば、楽しいプレイをするための要素となりえます。
しかし、正しい使用法が伝達されていない、本来のロールプレイを踏まえての意味を理解して(されて)いない現状においては、多大な副作用を生じる可能性が大きく、使用者がそれを理解して考えながら使わなければならない不安定なものなので、実際に特化して使用するには危険です。

使用上の注意は必ず理解しましょう。
1998年05月22日:01時21分51秒
★極論実験:TRPGは現状で本当に多様なのか★ / 陽陰
★極論実験モノ★
 
 発言者の立場:
 (以降は書きませんし、自慢等ではありません。キャリアが長いから、過去を知っているからといって偉い&間違わないなんて事はありませんから)
 D&Dの日本語版が初めて出た頃からのゲーマーで、頻度は月に一度程度。
 主にマスターを行っている。完全な、マスター専科。
 
 議題に対するスタンス:
 否定的。
 RPGは、ロールプレイに特化すべきではない。
 
 以上のスタンスを取る理由:
 RPGがゴッコ遊びだという紹介をされ、ひろまった際に、本当にゴッコ遊びを行うプレイヤーが増えたこと。
 また、ロールプレイに特化したシステムでのマスタリングやプレイングの手法は、既存のRPGの手法とはかなり異なり特殊なため、間口が狭くなっている。
 極端な話、D&Dのマスターを初めてやるのと、天羅万象・深淵・熱血専用等のマスターを初めてやるのとでは、難易度がかなり違う。
 マスターがいなければ、RPGは出来ないため、これはかなりのネックになってしまう。
 
 また、ロールプレイというモノは、通常、端で見ててわかりにくいものである。
 そのため、この方向に特化していくと、特殊な集団と見られ、新規参入者を得難くなってしまう。
 
 鍼原氏への反論:
 出版業界にいらっしゃる氏の市場に対する言葉は、正確であろうと思われるので、流通関係の現状に関しての反論は行いません。
 
 私が反論するのは、RPGの現状に対する認識についてです。
 専門商業誌が複数あったという状況がバブリィだったことは認めます。
 しかし、現在、RPG誌は無いに等しくなっています。
 今の雑誌に、RPGを遊ぶための情報がどれほど載っているでしょうか。
 ネットにて無料で手に入る情報のほうが、質が高く、量が多くなっているのではないでしょうか。
 もちろん、その方が良いという意見もありますが、この資本主義の世の中では、市場に載らないモノは消える運命にある、と、私は考えています。
 ですから、もう一度、SWのように確実に市場に出回る商品が必要になっていると思われます。
 そうすることにより、市場が活性化し、多様化を産む土壌が初めて出るのではないでしょうか。
 
 また、私は現在日本語版で手に入るシステムの傾向は単一だという気がしてなりません。
 ゲーム性や世界観を犠牲にして、ロールプレイに特化している商品が非常に多いと思われます。
 
 嘘だと思うのでしたら、一度、それらのシステムで四畳半ダンジョンシナリオを作成してみればいいでしょう。
 ルールを、ルールブックに書かれているとおり適用して、生還率を40%程度に押さえてみましょう。
 これが、簡単にプレイできるようであれば、そのシステムのゲーム性は保たれています。
 
 また、それらの世界の、ごく普通の農夫(ただのサラリーマン)の生活を想像してみましょう。
 出産、成長、豊作祈願、種まき、収穫、日用品の売買、結婚、死亡、タブー。
 これらの、人生に必要不可欠なことをルールブック(サプリメント)に書かれている内容のみで想像できるでしょうか。
 これらの6割程度でも想像できるのならば、そのシステムの世界観は、十分にそろっていると言えるでしょう。
 
 これらのシステムが、現在、普通のゲームショップで日本語版で手にはいるでしょうか?
 たぶん手に入らないでしょう。
 
 つまり、棲み分けや共生を行うためには、現状では不足であるという結論になります。
 現在、曲がりなりにも共生や棲み分けが出来ているのは、古参ユーザーの所持している過去の遺産のおかげである、といえると私は思います。
1998年05月22日:00時24分42秒
★極論実験:TRPGは多様であったほうがいい★ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕


★「極論実験」関係の書込みです★  カンナの発言権消費22日分1/2
 
アタシの立場:PL専科の立場で議題には反対。これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきではない。
 
アタシの発言の趣旨:ジャンルとしては、「ロールプレイ」だけでなく「ゲーム性」「競技性」あらゆる方向に特化していくべきではない。逆に、個々の商品としては、様々に特化した多様な商品群が展開されることが望ましい。
 
 アタシはロープレ大好きだけど、いろんなタイプ商品が市場にあったほうがいいって思います。多様性が大事です。
 多分、前提条件の「商業的に見て、現在TRPGは危機的状況にあります」がネックになるって話だと思うけど。悪いけど、アタシは現状がそんなに危機的だっては思わないのだ。いや順風満帆でわないですけれど。
 
 でも、数年前の専門商業誌が複数あったって状況が、たんにバブリィだけだった、ってのがアタシの見解ね。
 
 今はまだ、それなりにいろんな商品買えるじゃない。
 「それは都市部だけの話だ地方はどうすりゃいいんだ」←それは、わかります。
 それと、「いまはいいけど、衰退に向かってる」←それほんと?
 
 順番に話しますね。地方でTRPGが手に入りづらい状況は、たんじゅんにTRPGの市場のみの危機とは違いますでしょ。
 アタシたちが暮らしてるこの国で長く続いてた、問屋・流通機構が制度疲労しちゃってて、どうしようもないわけでしょ。問屋・流通業関係のかたが読まれてたら申しわけないですけれど、もっと情報化、合理化を押し進めないと、どうにもならないですよね。いや、玩具流通がどうとか、特定分野の話ではなく、問屋・流通機構が全般に。
 
 もともと、そんなに大きな市場でなかったTRPGとかへの影響はそりゃぁ大きいわよね。
 でも、大店法とかが変わったあと、昔ながらの町のおもちゃ屋さんとかはもっともっと大変なわけじゃない。そぉゆぅ状況の内で、TRPGは比較的、よくがんばってると思うのね。
 TRPGだけでなくって、フィギュア、とか、ガレキとか、バービーとか、消費者数は相対的に大きくないけど、購買力が強力なマニアックなアイテム群はよく健闘してるわよ。
 
 TRPGの市場にはまだ余力があると思います、将来の見通しは不明瞭ですけれど、まだ余力はある。アタシたち消費者(PL専科って消費者の立場よね)は賢く行動しなくっちゃいけないですよね。
 
 現状では「ロールプレイ」に限らす、ジャンルを何か特定の方向に特化させるような欲求は持たないほうがいいと思います。
 要するにみんながてんでんバラバラに自分の好みのゲームを遊んで、なおかつ棲み分けや共棲を真剣に考えてったほうがいいと思います。PL専科にできることで、やるべきことって言ったらそれではないかしら。
 とりあえずいじょうです。
 
>河嶋さんへ
 「旧ぼぉろん関係」の件了解しましたぁ。わがまま言ってごめんなさいねぇ。
1998年05月21日:23時42分38秒
ルール補足、他について / 河嶋陶一朗
 ルール補足については、了承です。
 つたない仕切りを手伝っていただき、ありがとうございます。いや、ほんと申し訳ない(苦笑)。
 んで、旧ぼぉろん関係の質問に関しては……もう少しお待ち下さい。
 基本的には、場所や時間をずらして行うということにしたいなぁ、と思いますが。
 一応、第二期以降の極論実験でその議題に触れるつもりではいたのですが……
 スイマセン。もう少し保留と言うことで。
 
 ……しかし、パタっと書き込みが無くなったなぁ(苦笑)。
 後、少しで書き込み解禁なんで、できれば皆さん奮ってご参加してね(媚)。
1998年05月21日:23時00分47秒
河嶋さんへ質問(旧ぼぉろん関係です) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>河嶋さんへ
 アタシとしては、赤星屋さんが自発的にまとめたくだすった「★ぼぉろん:あるゲーム至上主義者の第1次総括★ 」(「TRPG総合研究室LOG001」,98年05月21日:00時59分07秒)に、反論を加えたいのですが。
 できれば、ぜひ。いえ、旧大会は発展的解消されたのだと思いますけれど。何しろ「総括」と銘打たれちゃってますので。
 どのようにしたらよろしいでしょうか?
 急ぎませんので、お考えをお聞かせいただければ幸いです。
1998年05月21日:22時52分08秒
失敗したってカタルシス(達成感)はゲットできる(こともある)  / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>YANさんへ
 さっそく改めちゃいましたぁ(笑)。
 さっき書いたのと別に、もぉひとつ悩みがいがあるパターンは、こないだアタシが長々書いちゃった(アタシがPL参加してた)『卒業PBM』のケースみたいの。(←「『複雑な事情を持った悪人』のケース#2」,「TRPGフリートークLOG014」,カンナ記、98年05月12日:13時49分21秒)
 アタシのキャラが対立(意見対立)しちゃったNPC(過激派学生)は、彼なりの善意、正義感で行動してたんですけれど。だからこそ賛同するPL/PCも出るわけで。こんなケースは、すっごく悩みがいあります(笑)。へたな悪役より、マイキャラとポリシー面でせめぎあう“善意”、“正義感”のほうが「葛藤」は深くなるって思います。
 
 例の『卒業PBM』のクライマックスでは、アタシのキャラは単身、NPCに賛同したPCたちの行動の妨害に走ちゃった(苦笑)んですよ。結局、NPCの目論見は実行されちゃいました。マイキャラのもくろみは失敗したわけです(正確に言うと「お友達PCを犯罪者にしない」の目的はある程度達成できました)
 それでもアタシ(PL)は達成感すごくありました。
なんてゆぅか、マイキャラが「なんで、妨害行動に走ったか」の動機付けが他のPLさんやGMさんにちゃんと伝わった手応えがあったから、です。←これはアタシの勝手な思いこみでなくって、クライマックスの回から3回分、最終回までのリアクションでのマイキャラの描かれかたを見て「ウン、伝わった(嬉)」って確信しちゃってます。←これ、Howlingさんがおっしゃる「PCの大きさをマスターにわかってもらえる」って感じなのかも。
 
 余談ですけど、PBMの最終回(後日談)で、マイキャラはNPCクンと結婚したことに(笑)されちゃいました(←ボーナスリアクション、−−ノーアクションのエピローグだったんですよ)。
 プレイメイトはみんな「おめでとぉ」とか言ってきたのだけど、アタシは複雑な気持ちで……。そんな、前科持ちで定職もない(に決まってる;笑)夫なんて、生活安定しないわよ〜(爆)。とか。
 後日、偶然PBMのスタッフのかたに直でお会いすることがあったんで、ご挨拶したら、PL名は覚えてないのに、PC名は覚えていただいてて。「あ〜。あのアクションの処理は悩みましたよぉ」って明るく笑って話していただけました(嬉)。
 もしかしたらアタシの今のロープレスタイル、−−例えば、配慮はしても遠慮はしない(汗)、とかって、あのPBMで方向性が決まっちゃったのかもしんない。う〜〜みゅ(苦笑)。
 
 アタシが思うに、ポリシーや動機付けがPC間で一致しなくても、PL(及びGM間)でそれら(PCのポリシーや動機付け)のズレがちゃんとわかりあえてたら、ぜんぜんへ〜きでセッション成り立つって思います。
 かえって、動機とか、無理して同調させようとかすると、展開が不自然な感じになることもあるって思うし。←これ、「気持ちよく悩む」のに関係あるんじゃないかしら。
  
 PCたちの動機付けやポリシーが異なってても、パーテーィふうに同じ目標の成就に協力することはできるし。←そぉゆぅ場合は、成就した結果に対するPCの達成感が異なってくるわけで。
 「達成感のズレ」もうまくPL間、PLたちとGMさんの間で了解とれると、なんともいえない感動が生じるように思います。雪だるまさんがおっしゃる「より深みのあるセッション」の一種じゃないかしらって(勝手に)思っちゃいましたぁ。 

P.S.>みなさまへ
 いつも誤字脱字の多い、はづかしぃ書込みをしちゃってるカンナの、毎度おなじみ(汗)、訂正でございます(礼)。
 この書込みにも引用しちゃいました、「『複雑な事情を持った悪人』のケース#2」(「TRPGフリートークLOG014」)なんですけど。
 
>PLはみんな高校生(笑)。
 は、
PCはみんな高校生(笑)。
 の間違いです。あのゲームやってたときアタシが高校生なら、今、23、4。いっくら、アタシが自分の歳を思い出せないことにしてるからって、ちょっとムリがありすぎ(笑)。
1998年05月21日:22時34分05秒
悪人にもポリシーがほしいかな(Mainly to YANさん) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

●この書込みは「極論実験」関係ではありません(笑)。●
 
>YANさんへ
 「『気持ち良く悩めるセッション』…」(「TRPGフリートークLOG014」 YANさん記,98年05月18日:13時42分52秒)へのResです。
 ホントは昨日書いてあったんだけど。昨日はアタシ、突然に襲われた、暴論の嵐に弄ばれちゃって(爆)。遅Resになっちゃいましたぁ〜。
 
 あたしの好みにすぎないかもしれませんけれど。
 セッションで「気持ちよく悩む」ためには、絶対的悪人や相対的悪人にもポリシーがあってほしいかな、って気がします。
 
 アタシの場合、マイキャラのロープレ(キャラクタープレイ)でもPCのポリシーを重視する性質〔たち〕なんで、偏った意見かもしれないですけれど。
 
 “悪人”に複雑な背景があって、情状酌量の余地があるのも嫌いではないです。
 でも、もし、PC達の説得で“悪人”が改心したのなら、改心したキャラがどうやってそれまでの“悪業”の罪滅ぼしをするのか? 試みるのか? ってことまで気になっちゃいます。アタシだけかな〜、そんなこと気にすんの?
 エピローグで暗示するだけでもいいから、GMさんには教えてほしいって思っちゃいます。そぉでないと、ドラマとしておちつかない感じ。←もし「改心」って展開になったらですけれど。
 
 一方、断固としたポリシーをもって、確信犯で「悪業」を重ねるNPCってゆぅのも妙に魅力的だったりしますよね。そぉゆぅ敵役と絡むとPCも悩みがい(笑)があったりします。
 マッドサイエンティスト系の悪役とか、アニメ『機甲界ガリアン』のマーダルとか(←ちょっとマイナー?)、あと、『北斗の拳』のラオウ様とか(ラオウ様のこと“悪役”ってゆぅと怒る人もいるけど……まぁ主人公に対する敵役ってことで;汗)、みたいなタイプにはポリシー感じますよねぇ。PCのほうが敵役のポリシーに論破されそうになっちゃったりして(笑)。←この辺が「気持ちよく悩む」ための必要条件ではないでしょうか?

 セッションで、「気持ちよく悩む」パターンにはもぉひとつこころあたりあるんで改めちゃいますね。
1998年05月21日:21時09分41秒
ルール補足案 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>河嶋さんへ
 案ですのでよろしくご採決ください。
 河嶋さんにご一任いたします。
 
 1.極論にかかわらないギャラリーからの質問などは、★をつけないようにお願いします。かわりに「極論実験への質問」などと明記してください。
 質問を受けた極論者はできるだけ応答することが期待されます。けれども、質問者のかたも、応答が中間休憩日以降になるやもしれない、とはご理解をお願いします。
 
 2.極論実験開催中に、ルール上、マナー上のもんだいと思われること、ルール改変、追加の必要性を感じた場合は、タイトルの前後を☆でくくる形で。☆つきの発言内容は、河嶋さんあてに書くことにしたらどうでしょう。なお☆つき書込みは、★つきの2回/1日にカウントしないでいいと思います。
 >河嶋さんへ
 ルール改変の決済責任をGMに集中させるってルールに明記するのはTRPGの特徴ですわよね(←もぉ、駆け引きはじめてる、セコイヤツ;笑)。
 いじょうです。
1998年05月21日:19時41分36秒
★ルール追加★ / 河嶋陶一朗
 読み返して見ると、若干議題が唐突かもしれない……
 つまり、あの議題は
 『TRPGにおける「ロールプレイ」の功罪』という意味に解釈して下さい。
 
 つまり賛成派は「功」を
 反対派は「罪」を
 
 それぞれ述べて下さい。
1998年05月21日:19時26分21秒
★極論実験を開催するためのルール★ / 河嶋陶一朗
 仕事の都合でなかなか書き込めませんでした。鍼原さんの呼びかけに応じ、待っていて下さった方々誠にありがとうございました。
 とりあえず、こんな形でいかがでしょうか。
 
 総括的にTRPGを見た極論実験
 
 スケジュール:
 第一期 5/22(金)〜5/24(日)
 第二期 5/26(火)〜5/28(木)
 第三期 5/30(土)〜6/1(月)
 とします。5/25(月)、5/29(金)、6/2(火)は各議論における総括を行う日に当てたいと思います。ので、一応休憩の日ということで。総括は基本的に河嶋が行うつもりですが、皆さんにも手伝っていただくかもしれません。
 
 一日の発言回数:
 一人2回以下。文字数に関しては特に規約を創りません。ただし、読み手がいることを前提とした文章を望みます。
 
 前提:
 ・商業的に見て、現在TRPGは危機的状況にあります。
 ・仮に、TRPGは「ゲーム」、「世界観」、「ロールプレイ」の三要素からなっているとします。
 
 第一期の議題:
 ・これから先もTRPGは「ロールプレイ」に特化していくべきか、否か?
 
 発言:
 議題に対して賛成、反対のどちらかの陣営に立ち、できるだけたくさんの視点(デザイナー、消費者、マスター、プレイヤー専門)から意見を述べて下さい。また、その意見がどの視点に立脚しているかもなるべく具体的に示した上でお願いします。たくさんの視点が集まれば集まるほど総括的な結論を出すことが可能なはずです。
 また、この極論実験に関係ない書き込みと区別する上でも、題名の前後に★をお願いします。
 たとえ「極論」の名前がついているといっても、公式の場での発言です。責任ある発言を求めます。
 
 賛成派の方は……
 「ロールプレイ」に特化していくべき理由を述べて下さい。
 
 反対派の方は……
 「ロールプレイ」に特化していくべきでない理由を述べて下さい。
 
 第二期以降の議題は、第一期の総括時に決定したいと思います。また、この前提や議題は、今日までの暴論関係からの意見と自分の個人的なTRPG観に基づいています。前提や議題に多少不満がある方もおられるかもしれませんが、それに関する議論はできるだけ避けたいと思います。
 規約に関する不備が見つかった場合、できるだけ5/21(木)以内に書き込んでいただけると有り難いです。
1998年05月21日:13時55分54秒
結果論で申し訳ないんですが・・・ / 3327
ゲームマスターがごつくてむさいおっさんだったとしましょう。
彼の出すNPCはみなごつくてむさいんでしょうか?
表題に暴言暴論と書いてあるからと言って、書き込みの内容はみな真に人が嫌がる意味での暴言暴論だったでしょうか?
結果論で申し訳ありませんが、結果はNOです。
TRPGと言うのは他人の意見を字面通り受け取ってプレイするものではありません。それでは運営できません。
みな、書かれた「暴言」の字面にだまされず、暴走せずに話を進めていきました。TRPGをやっている以上、必然的に身についた技能(能力)の結果だと思います。
結果論ではありますが、十分に予想された(されうる)結末だと思います。
私は、ここの人たちは十分に信用できると思いますよ。
1998年05月21日:13時46分13秒
LOG 001 / sf
 そういえば、告知忘れてました。
 TRPG総合研究室 LOG 001として開設以来1998年05月21日までのログを切り出しています。
1998年05月21日:13時16分34秒
無題 / 有馬次郎
河嶋さん、御苦労様です。
これからの仕切りの方が、大変になると思いますが頑張ってください。
言い訳がましいので、短く言いますが、私の今までの発言自体は不快に思ってのものではありません。強いて言えば疑問に思ったことが解消されていなかったために質問していただけです。
故に、このような議論に関しては、基本的には(一部には引っ掛かりを感じますが)賛成しますし、ネタがあれば参加もしたいと考えます。これまでは、発言を控えていたことが遠慮なく発言できそうなので、楽しみです。

ある意味、暴論と取られかねないような言動がありましたが、このような趣旨の上のことで、他意はありません。
1998年05月21日:12時58分06秒
☆極論関係:言うまでもないけど念のため☆ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシは河嶋さんにとっても、大っきな拍手を送っちゃいます。シキリは、よろしくお願いいたしま〜す。
 
>それ以外の規約についても本日中に意見をまとめ、書き込んでみるつもりです。
 
 じゃぁ、言うまでもないですけど。河嶋規約が出るまで、極論大会は休憩。極論関係書き込みはなし。←でいいですねぇ。
 でしゃばりカンナ(笑)でしたぁ〜。
1998年05月21日:12時27分00秒
全ての暴論関係者、またはそれを不快に思った人々へ / 河嶋陶一朗
 どうも、河嶋です。
 
 何か自分の発言からこうなってしまったことや、鍼原さん、赤星 屋さんからの要請もあったので、これから暴論関係(この呼び名も
変更します)を仕切ってみたいと思います。完全なディベートにしてしまうと、それはそれで弊害を生みそうなので、もう少しゆるやかなTRPGおけるゲームマスターのように仕切れたらと思っています。もしも、これを行き過ぎであると感じたり、反対意見のある方は忌憚なく、どうぞ。特に、管理者であるsf氏の意見を聞きたいところです。お差し支えがなければぜひ。
 
 これから先の発言は、基本的に暴論関係の代表としてのもので、 個人的意見から外れる部分があることを最初に提示しておきます。
 
 まず、暴論というコメントを最初に無責任に使用したのは真摯に 謝罪したいと思います。YAN/矢野聡一郎さんの指摘にもある通 り、元々こういった言葉を使用した目的は、自分の意見に責任を放 棄するためでなく、「無難」からの脱却を狙ったもので、その方便として、暴論というコトバを使ったわけです。結果として、皆さんの関心を引くことができたのはこちらの狙い通りでした。しかし、それを「意見の垂れ流し」ととられたのは非常に悲しいことですし、私の考えの足りない所でもありました。
 
 自分としては、暴言だろうが、戯れ言だろうが、極論だろうが自分の言動には責任を持つというのが、社会に生きる人間の当然の姿勢だと思っています。ただ、それを免罪符にする人間がいる可能性もありますので、
 
 これから暴論という言葉を使用するのを禁止します。
 とりあえず代用のコトバとして、「極論」とします。
 岩波国語辞典の第五版によれば……
 
>きょくろん 【極論】
>((名・ス他))
>(1)力をつくして、徹底的に論ずること。
>(2)極端にかたよった議論。
 
 という意味だそうです。できうるだけ(1)の意味になるように、皆さんに期待します。ただ、総括的な話しをするための前提として(2)の意味よりになることは、構わないのではないでしょうか。
 これよりもいいコトバが思いついた人は書き込んでみて下さい。
 
 それ以外の規約についても本日中に意見をまとめ、書き込んでみるつもりです。
 
 有馬さんには、何とかTRPGをとりまく環境全体を良くすることの役に立つ議論をしていきたい故の暴走であったことは、理解していただきたいと思います。
 皆さんのご協力、お待ちしております。
1998年05月21日:11時53分41秒
Re:素朴な疑問 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>有馬さんWrote
>新しい総論のニーズを求められていることは、理解できます。果たしてそれを求めるのに暴論・極論が必要なのでしょうか?
 
 アタシは、試みとしてはあっていいと思います。
 極論抜きにして総論ができなって決めつけ和しないですけど。すっごく時間がかかるとか。英語の本呼んだほうがいいとか。人によってアプローチはいろいろだって思うから。
 試しに立場を、うんとたんじゅん化して議論してみる、ってのもアプローチのひとつとしては、アリだとアタシは思うんです。面白いと思うし。
 総論のアウトラインをつかむだけでも、議論したり議論を読んだりする人が、自分の課題のヒントになれば、それは成果、ですよね。
 有馬さんとか、例えばアタシの書込みいつもと一緒って思ってる人がいるのかもしれないけれど。それは誤解です。それに、いつもは「フクロ叩きにされるのを恐れて遠慮」とかしてるわけでもありません。それはヘンケンというものです。アタシは配慮はしても、遠慮はしないのよ〜(笑)。
 例えば、アタシはGM経験無限小だから、いつもは、「マスタリングのことはわかりません」って言います。当たり前ですよね。でも、極論なら、「細かいことをすっとばせば、セッションを成り立たせるって意味ではGMは特殊な役割のPLだ(って言ってもいいじゃん)」って言い切れちゃいます。←これが極論の効用です。少なくともアタシにとっては。
 
>みなさまへ
 ただ、もし、アタシたちが面白がってることで、迷惑を感じる人や、不快感を感じる人がいるなら「暴論大会」(←やめたほうがいいかな、このネーミング?)関係者が配慮しなくっちゃいけません。
 だから、お手数をかけてもしわけありませんけれど、みなさまには、何がどう迷惑か、不快か、わかりやすく指摘していただきたいと思います。
 とりあえずいじょうです。
1998年05月21日:11時33分58秒
ちと思った事 / 寺田大典
 暴論大会という言葉が悪いのかな?
 極論大会でも別にいいんだよね?書く事変わらないし。一応、皆、自分の責任に
 おいて書いてると思うし、ああいう形の極論って面白いと思うんだけどなぁ、思慮を
 持った上の極論であれば、それぞれの方向性を考えてみるきっかけにもなると思
 うし。

 ディベートに関しては、お互い「さすがに違う」とある程度認めているからしつこく言
 わなくてもいいのでは?

 自分の主張・意見を自分の責任・言葉で「極論」していると見える今の書込みには
 面白いと思ってます。私は、ペース的についていけないけど、意見の続くうちに書い
 ておくのがいい時もあるし、頑張って欲しいと思います。
1998年05月21日:11時19分18秒
素朴な疑問 / 有馬次郎
あまり繰り返しになるとどうかと思いますが、
外から見ていて思ったのですが、昨日から「暴論大会」として始まった一連のことですが、見ている範囲において通常の書き込みと大差ありません。
それで、書いていることに関して責任を持てるかと聞くと「この事を前提にして」などの言葉がつきます。実際のディベートのように自分の心情と異なることを述べているのなら、それは仕方ないでしょう。昨日の書き込みを見ている範囲においては、発言者の心情で書かれています。どうして前置きする必要があるのでしょうか?ディベートをやりたいというには、特別に疎のことについての調査などを行っているわけではなく、通常の書き込みと形態などは変わらず、お粗末です。
それに疑問に思うのは、どうして暴論大会という形でしか「発言できない内容」というものがあるのでしょうか?暴論・極論に関しては、通常の議論に比較して誤解を生じやすいように思えます。
そして、極論・暴論抜きでこれらのことを議論することは不可能なのでしょうか?どのような障害を取り除くために暴論・極論を用いる必要があるのでしょうか?
新しい総論のニーズを求められていることは、理解できます。果たしてそれを求めるのに暴論・極論が必要なのでしょうか?

上記のような疑問を生じて、それならば、そんなディベートみたいにとかかんがえないで通常の形態で、自分の主張・意見を自分の責任・言葉で書き込んでいった方が手間もないし、有意義と考え一連の書き込みをしました。
1998年05月21日:10時50分16秒
暴論大会に関する私的弁護 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>有馬さんへ
 有馬さんの書込みを読むと、「暴論大会」に不満感か不快感を感じてるみたいに思えるんですけど。でも、何がいけないのかよくわかんないです。
 書込み回数が多いのはこれからみんな制限とかしてくといいと(アタシは思うし)。作文が長いのは、みんな気をつけると思うし。でも、この掲示板は長文用につくられたんだから、ある程度は当然だって、アタシは思っちゃいます。
 
>実際にディベートをやるにしても事前の取り決めも無しに、自由に意見を垂れ流して、なし崩しに始まっているに過ぎません。これをディベートいうのはあまりにも強引過ぎます。
 
 MAT.Nさんも指摘してくだすったけれど、確かにディベートとしては不充分ですよね。でも赤星屋さんとか、自発的に総括、とか試みてくれてるし。
 アタシは自然発生的ってのがそんなに悪いことだとは思えないです。
 これから「暴論大会」(←たしかにこのネーミングはアタシも趣味じゃないんだけど;苦笑)、−−ってゆうか、ルールを調整しながらの対話を(期限は必要だってみんな認めてますよね)続けてけばいいって思うんだけど。だめですか?
 
>、発言できなかった極論が無責任に垂れ流せるというニーズしか見えません。
>現状では態度を作ることで発言に責任を持たなくて済むようにしているだけにしか見えません。
 
 これはアタシ有馬さんがいいすぎだって、思います。
 撤回されたほうがいい
、って思っちゃいます。
 例えば、アタシの書込みに対して、3327さんはちゃんと「補足」、でフォローを入れて下すってますよね。アタシだって、赤星屋さんだって有馬さんからの問いかけに応答してるじゃない。これって「垂れ流し」ではないし、「発言に対する責任」持つべく努めてると思うよ。
 
 アタシが、「ニーズがあった」って思うのは、河嶋さんが最初の書込みに書いてたけど。各論ばっかが多くて、TRPGのことトータル(総合的)に話すことができない、←それって物足りない、不満、ってニーズがあったって思うのだ。
 各論から総論にいけないのは、アタシの私見では、TRPGが多様化して、豊かになってるから、だからこれまでの考え方では追いつかなくなっちゃってるから、だって思うんだけど。だからみんな新しい総論を求めてるって思うんだけど。
 各論は、各論で大事だけど、そのためには色んな掲示板があるから、せっかくできた「総合研究室」では、総合的な話をしたいね。ってのが、ニーズだって思う。アタシはこれって悪いコトじゃないって思うし。「遠慮して(発言した後にふくろにされるのが恐くて)、発言できなかった極論が無責任に垂れ流せる」なんてのはヘンケンだと思うし。アタシも含めて、発言してるみんなに失礼だって思うのだ。
 
>MAT.N様へ
 MAT.N様の書込みに関しましては、アタシも含めて、「暴論大会」にコミットしちゃってる発言者が、率直に受け止めなきゃいけない忠告だって、アタシは理解しております。
 ただ、初めから計画的なディベートを準備していては、今回みたいな盛り上がりにはいたらなかった思います。有馬さんへのリプライにも書きましたけれど、自発的に総括を試みてらっしゃるかたもいますし。「ディベート類似行為」として、より洗練をめざす、と、このような線が打ち出せれば、いいんじゃないかしらって思いますけれど。いかがでしょうか? よろしければいま書きました、アタシの意見につきましてご意見をお聞かせいたあければ、ありがたく存じます。
 
 とりあえずいじょうです。
1998年05月21日:10時31分18秒
お詫びと訂正 / 赤星屋螺旋人
> MAT.Nさんへ
 そうですね。その点については全くその通りです。
 この論議がディベートであるという点は、すべて撤回しますです。申し訳ありませんでした。
 ……「思考実験」としたほうがいいのかな?
 
 これで、今日書き込みを1回にするという公約はおそらく反故にされますが(笑)、きちんとすべき事だと思ったので、ハイ。
1998年05月21日:09時27分54秒
ディベートというのは / MAT.N
本来はジャッジがいないと成り立ちませんよ。さらに言えば、各自が普段よってたっている思想信条とは別に「割り振られた立場」に立って討論の対象を勉強し、議論の技術を磨くものです。この手続きをとばしては、ディベートとは言えません。
1998年05月21日:09時19分00秒
ニーズについて / 有馬次郎
鍼原さん
>有馬さんへ、この盛り上がりは、やっぱディベート、ニーズあったとしか思えませんわ。

そうでしょうか?
私には、今まで遠慮して(発言した後にふくろにされるのが恐くて)、発言できなかった極論が無責任に垂れ流せるというニーズしか見えません。実際にディベートをやるにしても事前の取り決めも無しに、自由に意見を垂れ流して、なし崩しに始まっているに過ぎません。これをディベートいうのはあまりにも強引過ぎます。多分、無理でしょう。現状では態度を作ることで発言に責任を持たなくて済むようにしているだけにしか見えません。

寝ている間に書かれたログを見ての感想です。

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