プレイング研究室 LOG 031

プレイング研究室の1999年11月14日から1999年11月16日までのログです。


1999年11月16日:16時41分23秒
キャラクターをたてる / MAT.N
キャラクターの演出というと、猿漫のこの章が参考になるのでわと思えます。昔の漫画ってキャラクターがたちまくっていたのが多かったような気がするのぉ。(銭ゲバとか)
1999年11月16日:16時32分27秒
演繹可能なキャラクター描写 / 寺田大典
 むぅ。ちょっと誤解していたかも知れない。どーも「演繹可能なキャラクター」と聞くと、「現在から未来の行動が推測できる」という意味に聞こえてしまうんですが(私が言葉を知らないからか(TT))、はしざきさんの書き込みを読んでいると、「現在の行動が過去の行動から帰結している」という意味でもあるんですね。

 つまりは「設定と行動がきちんと結びついており、設定が他のプレイヤーに明示/理解されている事が重要」という事なのでしょうね。

 ただ、前述の事を踏まえても「予測・推測可能性の無い行動」が発生する事はあると思います。それは、セッションの内容で「キャラクターの設定を飛び越える状況が発生した時」ですね。この場合、キャラクターの設定を飛び越えるというのは大食い戦士ボブの場合、大食いと関わらない状況が出た場合を指します。

 この場合、結局は「大食いであるような性格から類推される行動」を取るかも知れないのですが、そうでない場合もあると思うし、そこはプレイヤーとしてのアドリブである。それを「どうすべ」と考えるのは、セッション中のプレイヤーとしての楽しみでもあるような気がします。(ただ、そういう場合は少ないと思いますけどね。ボブほどキャラが立ってる場合(^^;)。
1999年11月16日:16時22分19秒
[キャラクターの演出]の例に関して / 寺田大典
 はじさきさんの大食い戦士ボブは、分かり易く読ませて頂きました。

 キャラクターの演出の例という事で「良くない例」としちゃうとそういう演出をしている人(演出にそんなに重きを置かないでセッションしている場合)が辛いので、これは「セッション内でのキャラクターによる物語の幅(演出の幅と言ってもいいですけど)を広げる場合、【どういう演出がより高度か】」という視点と言うか前提の場合ですよね?
1999年11月16日:15時08分39秒
[キャラプレTips]少数の行動原理の複合(やや長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 多分、はしざきさんが整理されよーとしてるのは、キャラクターの演出・表現の基本的考え方だと思います。
 きっと、前にアタシが提出した「キャラクター・ハンドリングの方針a、b、c」のどれでも、基本になる線を考えてられる気がします(違ってましたら、ごめんなさい)。
#「[PCの目的]いろいろな構想メモについて」(当掲示板,カンナ記,99年11月15日:14時25分51秒)
 
 そーゆー意味では、アタシが提出してるTipsより、はしざきさんの[キャラクターの演出]の方がより基本的、だと思います。
 
 アタシの投稿の方は、「C」の方針で、「プレイヤーがTRPGのセッションを想定してきちんとした構想を持ってないと、暴走したり、硬直したりもし易い」って頭があるもんで、表現以前の構想の話題が多いですね。
 アタシとしては、[キャラクターの演出]と[キャラプレTips]の共栄共存を狙ってゆきたいと思います。
 
 えーっと、「予測/推測可能性の無い行動はすんな!」ってのはありますね。
 でも、キャラ設定に拘りすぎて、セッション展開に柔軟に対応しないのが、キャラ・プレイヤーの悪癖、って批判も聞かれます。
 それから、一方で、「予測/推測がたんじゅんにできすぎると、ゲームとしても、人間性の演出としてもツマラナイ」って事もあります。
 
 これは、演出されるキャラクター性の、一貫性と多面性の兼ね合いのもんだいでもあるかと思われます。
 
 一貫性に傾きすぎると、ツマンナイし、セッション展開への適応力の低い、硬直した演出になる。
 多面性に傾きすぎると、予想/推測可能性が減りすぎて、セッション展開が混迷する。
 この二つを両立させてゆくには、どーしたらよいか? が、この投稿の話題です。
 
■雲のジュウザのようなタイプのキャラを構想するなら
@紙魚砂さんWrote (「【PCの目的】【究極の選択】目的のないPC」,当掲示板,99年11月15日:00時42分37秒)
>最初彼〔「雲のジュウザ(『北斗の拳』)」〕はちゃらんぽらんな性格で、享楽的で、捉えどころがない(笑)。まあこれは当然のことで、彼には目的がない(強いて言えば「楽したい」「楽しみたい」という目的があるくらい)ので、その時の気分で適当に行動する。だから捕らえどころがなく見える。
 
 〔中略〕
 
>「雲のジュウザ(『北斗の拳』)」が、ただそれだけで終わったのであれば、単なる遊び人としか思われなかったでしょう。しかしそうではありませんでした。
 
 紙魚砂さんのストーリー要約、引き合いに出して悪いンですけど、実は、雲のジュウザは最初に物語に登場した直後に、「単なる遊び人」とは一味違う面が暗示されています。
 
 それは、彼が自分のアジトに連れてきた、きれいなお姉ちゃん達の内の「子持ちの女性」に対して見せた反応です。
 えーっと、具体的に引用はしませんけど、確か「アッチャー・子供がいるのかよ・帰んな・帰んな」って、感じでしたね。
 
 コレだけではないんンですけど、こーした細かい演出の積み重ねが、後に、「『愛する者を救うため』という個人的な目的を見つけたとたん」に、「天晴れなほどすんなりと、その目的のために命を投げ出してしまう」コトに唐突さや不自然さを感じさせない、伏線になってるわけです。
 一貫性と多面性が兼ね合いを持って演出されてるので、それまでと違う唐突な行動を採っても、説得力があるわけです。
 
 限られた時間で処理されるTRPGセッションと、全何巻にもわたる長編マンガを同列にもじられませんけど。
 毎度お馴染み(笑)「行動原理/価値尺度複合」の構想で、こうした“伏線”を演出してゆくこと、TRPGでも可能になります。
 
 ジュウザのようなキャラを構想するとしたら、システムとか、クラスとかでも違ってきますけど、、
 「ふわふわ生きていたい」:「浮世のしがらみを厭う」、「女性崇拝」、「享楽的性向」
 
 、、とかってあたりでしょー 。
 「女性崇拝」のとこを、「フェミニスト」って思う人もいるかもしれませんし、「母性崇拝」とまで深読みする人もいるかもしれません。
 
 別に、『北斗の拳』についての評論を書くわけではないので、「雲のジュウザみたいな『ふわふわ生きていたい』キャラを演出したい」って思ったら、自分の思うように、元キャラを「解釈」して、構想を捉えて構わないンです。
 「この場合、『フェミニスト』ってゆー理解は、社会学的に妥当だろうーか?」とか悩む必要もありません(笑)。
 
 他の人があなたのプレイを観て「あぁ、雲のジュウザみたいなキャラだなって思ってくれるとは限りませんけど。
 でも、ふつーのTRPGでは、そんな事こだわる必要ないですよね。
 
 大まかな「価値尺度」または「行動原理」を、とりあえず多くても三つ(←アタシの体験的オススメ)の複合として、捉え直して、構想してくと、ここで説明したような、一貫性と多面性を両立させる為の伏線を演出してゆく事も、容易になるはずです。
 
 あまり多数の行動原理をローテーションで演出してゆくと、これは、同卓メンバーの「予想/推測可能性が低くなりすぎますので、やはり、「多くて三つ」、または、「社会的役割への職業倫理と併せて三つ」ってあたりは手ごろだと思います。
#「社会的役割への職業倫理を三つの行動原理・価値尺度の複合に捉え直す」手もあるでしょう。
 
ふわふわして生きていきたい:「浮世のしがらみを厭う」、「一所に定住する事を好まない」 、「堅苦しい形式ばった振る舞いが嫌い」
ふわふわして生きていきたい:「浮世のしがらみを厭う」、「一所に定住する事を好まない」 、「陰謀めいた駆け引きを嫌う」
ふわふわして生きていきたい:「浮世のしがらみを厭う」、「一所に定住する事を好まない」 、「偽善的なエリート主義を嫌う」
 
 プレイヤーがきちんとした構想を、うまく表現してゆければ、同じ「ふわふわして生きていきたい」だけでも、多様なキャラクター性を“演じ”分けてゆくこともできるわけです。
 逆に構想のところが、「ふわふわして生きていきたい」だけだと、プレイがふわふわして、捉えどころの無いものになってしまい易いンだと思います。
1999年11月16日:13時54分29秒
[キャラクターの演出]Re:演繹という言葉について / はしざき

ああ、なるほど。いいかもしれません。

より強く言い換えて、「予測/推測可能性の無い行動はすんな!」ってのが本音かな。


1999年11月16日:13時38分07秒
[キャラクターの演出]Re:演繹という言葉について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「予想可能性」が増す、とか、「推測可能性」が増す、とかでは、どーでしょーか?<演繹
 
 んーと、主語、述語をあてはめてチェックすると、、
 
 「プレイヤーが演出するキャラクターの演出意図」が、「他のメンバーから」、「妥当に、予想されたり、推測されたりする可能性を増す」って感じでは、どーでしょーか?
1999年11月16日:13時32分37秒
[キャラクターの演出]演繹という言葉について / はしざき

んー。ちとイメージが強すぎる言葉だったかなぁ

本格ミステリーでは「トリックの解法は、読者に提示された情報だけで論理的に演繹可能でなければならない」とかって言われてるらしんですが、その一方でクライマックスまで読者にこの解法がわかってしまってはいけないともされてます。

「演繹可能なキャラクター描写」ってのも似たような話で、「次に何をやるか」が誰にでもわかる必要はないけれど、振り返ってみてちゃんと整合性が取れてることがわからないといけないだろーってことです。

「むむむ。そんな展開にもっていくとわ」「ちゃんと伏線張っといたでわ」「むぅ。たしかに」ってのは、演繹可能なキャラクタープレイの範囲内でしょう。

#まぁあまり多用すべきもんではないかもしれない


1999年11月16日:13時19分00秒
[キャラクターの演出](回答)例: 大食い戦士ボブ / はしざき
99年11月16日:11時29分45秒
[キャラクターの演出](質問)例: 大食い戦士ボブ / PALM-12
 もしよろしければ、はしざきさんの考える各演出間のつながりの様なものについて教えていただけないでし ょうか?

あるレベルはそれより下のレベルが全部積み重なってると考えてください(「だいぶマシ」は「ちょっとマシ」と「良くない」を含む)

キャラクター紹介では「大食い」って言わないでおいて、最初のキャラクター発言でいきなり「あー、腹減ったなぁ」の方がインパクトがあるだろーとか、さらに検討の余地はあるかもしれない。

#読み返すと「大食い」ではなく、「腹ぺこ」だよな、これ :-)


1999年11月16日:12時53分18秒
 [キャラクターの演出] RE:例: 大食い戦士ボブ / YAN
 
 はしざきさん、初めまして。宜しくお願いしますー。
  
> まず、良くない例
> セッション前のキャラクター紹介で「名前:ボブ, 職業:戦士, 特徴:大食い」と言う。
 
 PALM-12さんから疑問が挙ってますけど、これは「〜大食い」と言うだけで終わるのは良くない例、ってことですよね。
 (話しの流れからすると、多分そうだと思いますケド)
  
 多分、PALM-12さんの書かれた「この手の演出は積み重ねて行くことが重要」、という主旨だと読みました。
 目に見える設定部分を強調して、そこから、見えない部分(性格や過去、信念など)を表現するというのは、
 なるほど上手い手法だと思います。
 
 ていうか、すごくツボにハマりました(笑)。
 ウケを取りつつ、それがキャラの深い面を表現する手段になっているとは。なんともオイシイです。
 
 で、はしざきさんの書込みを読んで、「熱血専用!」の”反応パターン”ルールを思い出しました。
 この反応パターンの種類に、「らしいぜ/らしくないぜ」というのがあって、対応するキャラが、
 らしい/らしくない行動を取った時に、ツッコむことが出来るんですね。
 
 で、まぁ、その為には「らしい」行動と言うのがどういうものか分かっていないといけないし、また
 プレイ中に実際、対応するキャラが「らしい/らしくない」行動を取ってくれないと、ツッコむ事が
 出来ないわけで。そう考えると、積み重ねには「印象づけ」の意味合いの他、他PC(プレイヤー)
 からのツッコミ(掛け合い)を促進する意味合いもあるのでしょうねー。
 
> むやみに繰り返すよりはタイミングを考えて
 
 これが大切なんですが、そのタイミングを掴むのが難しいんですよね(;^^)。
 あっさり過ぎず、それでいてしつこくないと良いんですけどネ…。
1999年11月16日:11時29分45秒
[キャラクターの演出](質問)例: 大食い戦士ボブ / PALM-12
#うーん、なんかしっくり来ないです。
 
 もしよろしければ、はしざきさんの考える各演出間のつながりの様なものについて教えていただけないでしょうか?
 
 何故かと言うと、
 
>まず、良くない例
>セッション前のキャラクター紹介で「名前:ボブ, 職業:戦士, 特徴:大食い」と言う。 >
>これではなんも印象に残らない。
 
 と言って何もしなければ、「良くない」というか、まあ、キャラクター演出を主眼においてなければ「悪くもない」んですが、キャラクター紹介でキーワードを述べるのが「良くない」と表現するのは、どうかなと思うんですが? 良くないからにはやらない方がいいんですよね? 単体の評価としては判らなくもないんですが、次への布石と考えると、ちょっと近視眼的な評価かなぁ、と思うんですよ。
 それに
 
>わりと良い例
>(充分に「腹減った」を印象つけた後で)
>不快感を表明するために「食事の途中で席を立つよ」。
>(後略)
 
 「(充分に「腹減った」〜)」って、ありますよね。
 これを行う為には、”マシな程度の”プレイをやる必要があるわけですよね、多分?
 事前に”食いしん坊”なところを演出しておかないといけないわけですから。
 
 ボクとしては、この手の演出は積み重ねて行くことが重要だと思うんですよね。 始めは、キャラクター紹介の「キーワード」から始まって、宿屋にいる時に何をしているかを描写して、軽い戦闘に勝った時にどんな軽口を叩いたとか、、で、悪役NPCと同じテーブルについた時に『不快感を表明するために「食事の途中で席を立つよ」』ことで始めてそのシーンの演出が成立すると思うわけです。
 
 それまでのセッションで得られるものが大事なんではないでしょうか?
 それとも単発で”わりと良い例”レベルに持っていく事が大事なんでしょうか?
 ですが、これをいきなり行うのであれば、演出の効果は半減(ボク的には”ちょっとマシ”レベル)かなあと思います(「大食い」と単なる「腹減った」は違いますし)。
#”良い例”ではこんな事を悩む必要もないとか?
 
 というわけで、始めの質問をさせていただきました。
 よろしくお願いします。
 
#あと、個人的な意見ですが、演繹的に読まれ過ぎると人間的にもゲーム的にも弱いなぁ、と思うんですが、、キャラクター演出の観点から論じる事ではないですね(笑)
 
 ではでは
1999年11月16日:05時57分31秒
[キャラクターの演出]例: 大食い戦士ボブ / はしざき

単純な例として、「名前:ボブ, 職業:戦士, 特徴:大食い」程度の事前設定で、キャラクターを演出することを考えてみよう。

まず、良くない例
セッション前のキャラクター紹介で「名前:ボブ, 職業:戦士, 特徴:大食い」と言う。

これではなんも印象に残らない。

ちょっとマシな例
セッション中の食事シーン毎に「俺はいっぱい食うぜ。なんたって大食いだからな」と言う。

きっと、次の食事シーンにも同じことを言うんだろうな、って演繹できる点で、多少マシだけど、そんなに印象に残らないだろう。

だいぶマシな例
ときどき、「うむ。ところで腹減ったな」とか「早く帰って飯にしようぜ」などと言う。

単純な繰り返しを重ねることによって充分に印象に残る点では良い。むやみに繰り返すよりはタイミングを考えて、マスターが「ところで君たちが食事を終えてくつろいでいると、」って言った瞬間、「んー。少し腹が減ってきたな」などと返すとより良い。具体的に食事シーンがなくても使える点もメリット。

このレベルになると、他者からからみやすくなってくる。例えば重要 NPC 「可愛い女の子」を出すときに、「焼き立てのいい匂いのするパンの入った籠を持った女の子」って説明すれば、まぁ絡んでくれるだろーな、とか。

わりと良い例
(充分に「腹減った」を印象つけた後で)
不快感を表明するために「食事の途中で席を立つよ」。
真剣さを表明するために「今夜の夕飯を賭けてもいいぜ」。
心理的な葛藤を表現するために「夕食には降りてこないよ」。
などと活用する。

単純な言葉で、ボブがいま何を感じてるかを説明できてる点で良い。ここまでくると、ボブが大食いな戦士ってだけでなく、その背後になんらかの人格を感じることができるだろう(これだけじゃ単純すぎるかもしれんけど)。


1999年11月16日:04時53分59秒
[キャラクターの演出] ちょっと補足 / はしざき

#文芸批評は知らないけど、歴史研究に客観性が無いって言ってるんなら暴言かも :-)

んと、「客観的」って言葉は「比較的」とか「割と」とかって前置詞を置いた上で読んでもらった方が理解しやすいかもしれない。科学の世界でいう「客観的」って言葉はある意味絶対的だけど、映画評論で「ブラッドピットすてきー」ってのよりは「この両者の対比がより深い味わいを醸し出している」って方をより客観的な評論とはいえるよね。

あと意外性は、ある程度演繹性が高い場合でないと成立しません。コインを投げて、裏が出るか表がでるか事前にはわからないってのは別に意外でもなんでもない。逆に、表か裏のどっちかが出るだろうーって思ってるときに、コインが立つってことになれば、これは意外な展開といえます。でもまぁ、それも程度問題で、意外性を求めるあまり、コインが消えるだの、宙に浮くだのって言い出すと、これはもはやコインを投げてる意味がなくなってくる。

「演出=上手に演じる」っていうと、「演じる」って言葉にいろいろとアレルギーを感じてしまう危険性があるよーな気がするので、「演出=上手に説明する」ぐらいの方がいいかも。上手な説明ってのは、相手のイマジネーションを刺激して、より大きな概念を演繹させることが可能です。例えば、「1, 2, 3」って3つの数字を上手に説明すれば、より大きな数字の概念も扱えるようになるかもしれない。

演出について、簡単な具体例を次に書いてみます。


1999年11月16日:01時18分15秒
[キャラクターの演出]ともかく手をつけてみましょうよ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>はしざきさん
>紙魚砂さん
 
 いや、アレは、アタシはそう思うって意見として、ともかく手をつけてみましょうよ。有益な発見ができると思うから。
 
 ただ、コレは言ってもよいかな。
 「論理的に演繹つくされることはない」ですから、アタシも「全くできない」とは思って無いですヨ。ある程度は演繹での予想もできるでしょう。でも、その予想は常に裏切られると思いますケド。
 予想を越えようとするのが、「表現」ってゆーものだし、「創意工夫」ってものだと思うンですね。
 
 それと、「解釈」に関わる判断は、コレは普通はやっぱり「客観的」とは言われないと思います。文芸批評にしろ、社会批評にしろ、精神分析にせよ、歴史研究にせよ、ですね。 
 使用する資料は客観的だったりもします。でも資料の客観性と、価値判断が含まれた「解釈」の内容とは別のものですよね。まぁ、これはやっぱり、どうどうめぐりでしょーか。
 でも、アタシの意見も、客観的でないからと言って、ソレが目安にならないと、ゆーことはない(目安にはなるでしょー)です。
 
 ともかく手をつけてみましょーよ。
1999年11月15日:23時30分35秒
[キャラクターの演出]客観的指標になるのか? / 紙魚砂

 うーん、ここから話をせねばならぬとは。

>鍼原さん
>仮構のものであれ、人格と呼ばれるに足りるものが取り得る行動の幅が、論理的に演繹されつくされるは考えづらいです。

 ええとですね、この部分が"全く"演繹できないのであれば、そもそも「お約束」「ノリ」「ボケ」「突っ込み」「受け」などすべて成立しないことになってしまうので、それはおかしい。逆に「全て演繹できる」必要もない。単純に「高い確率である程度先まで演繹できる」場合、それが外部から見られると「わかり易い」と認識され、そこから「リアクションが取りやすい」ということになるのだと思います。で、そういう「わかり易い」キャラクタープレイは他のPLやGMが対応してうまく合わせやすくなるので、客観的に見て「いいキャラクターの演出」の1要素とみなすことができるのではないでしょうか。
 鍼原さんの言われる言葉の多義性などの揺らぎは、もちろん存在していて「100%正しい」と言えることは決してないと思いますが、それでも確率的に80%正しいとか90%正しいとか、近視眼的に「ほぼ当たる」領域は存在していると思うわけです(天気予報のように)。

 あと、ほしざきさんの言われてるように、鍼原さんの提示された《システムに含まれるワールド設定の『解釈』」の妥当性と、「セッション展開」、「セッションでのコミュニケーション過程」との相関》それ自体が「キャラクターの演出」の良し悪しを判断する指標になる気がするんですが…。

 一応補足で、ほしざきさんのおっしゃられている「キャラクターの演出」って、「キャラクターを演じること」+「それをうまく人に見せること」って意味だと思うのですが合っていますでしょうか(ちょっと何か足りない気がするのだが…)?
1999年11月15日:21時12分15秒
[キャラクターの演出]Re:演繹よりは解釈 / はしざき
99年11月15日:17時32分48秒
[キャラクターの演出]演繹よりは解釈 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 なぜ、「キャラクターの演出」が良い/悪いキャラプレの客観的基準にはなり得ないかと言うと、キャラ クター演出の妥当性は、「システムに含まれるワールド設定の『解釈』」の妥当性と、「セッション展開」、
「セッションでのコミュニケーション過程」との相関によってしか判断され得ないと思われるからです。

キャラクター演出の妥当性が、「システムに含まれるワールド設定の『解釈』」の妥当性と、「セッション展開」、「セッションでのコミュニケーション過程」との相関によってしか判断され得ないとすれば、まさにその理由によって充分客観的な指標となりうると思うんですがどーでしょう?

#いかん、これじゃあ堂々巡りかな。


1999年11月15日:18時25分22秒
Re:意思決定法としてのキャラプレが有効になる時の話2(長文) / PALM-12
#なんか2日来なかっただけで、書込みが遥か彼方に行ってしまってますね(;^^)
#このまま、レテの流れにドンブラコ〜、ドンブラコ〜と行かせるわけにもいかないのでレスさせてもらいます。
#大元は「99年11月12日:12時40分39秒 意思決定法としてのキャラプレが有効になる時の話 / PALM-12」からの一連の書込みです。
 
 で、最初に再度言っておきますと、この問題の大元になっている設問の状況説明と選択肢に関しては、はっきり言って端折りまし た。 良い設問とは思いませんでしたが、キャラプレによる判断に依存しやすい限定状況にしたかった為、まあ、これぐらいでいいかと思ってしまいました(謝)。
 理由は、普段シナリオ一本丸ごと使ってやるレベルの事を書ききる時間とパワーがなかったからです。
 
●3327さん

>先行した部隊が2つあり、襲われている。
>助けるために出動できる部隊は一つしかない。どちらを助ける?

 余程のことがない限り、出動できる部隊から近い方、もしくは、作戦の主力部隊から助けます(笑)
 ここに個人の感情や嗜好って入り込まないと思うんですよ、普通は。

>お小遣いで買えるおもちゃを選ぶのと同じような、どこにでもある事柄ですね。
 
 で、このどうでもいい状況をTRPGとして遊ぶ場合にどうすればいいかっていうのが、書込みの目的だったわけです。
 でも、これってSLGやコンピュータRPGであんまり発生する状況でもないですよね。
 大抵、どっち選んでも一緒って選択肢があるとクソゲー扱いですから。
 
●Rickさん
 >どちらを選ぶにせよ、即決できるようならば、それは単なる思考停止なのでは無いでしょうか(葛藤しない訳だから)。
 
 この問題について実は即決とかは関係ないんですよね。
 ちゃんと判断した理由があれば、思考時間の長短は関係ないと思います。
 むしろ、悩む時間が長い方が実セッションでは問題になる事が多いと思います。
 
●YANさん
> ここからすると、「合理的な基準だけで判断すると選択肢が決まってしまう」ような状況であっても、
> 他の選択肢を選ぶ(提示する)ことが出来る=選択肢を広げることが出来るというわけですよね。
> 
> つまり、意思決定の際、普段選ばないような未知の「分岐点」を選ぶことが出来る、と。
 
 というか、「合理的な基準だけで判断すると選択肢が決まってしまう」状況というのは、もし合理的な基準だけで判断するPLがそれをプレイすれば、問題・葛藤は存在せず、分岐点も事実上ないに等しい、言ってしまえば単なる一本道の難易度の低いゲームです。
 そして、それを簡単でつまらないゲームだという人が、たまにいます。
 
 ボクは、本当にそうなのかな? という疑問を持っていました。
 
 例えば、キャラプレをすることによって産み出される葛藤が、ゲームの難易度の一端をになっているセッションの場合。 そして、初心者にTRPGを解ってもらう事などを目的としたセッションの場合。
 両者とも合理的な基準だけで判断すると選択は容易です。 ただ、前者は、キャラプレで遊べば、PCの葛藤を解決しなければいけません。 後者は、初心者にTRPGを理解してもらう事を目的とすれば、難易度が上がります。 共に合理的に間違いと解っている場合でも、あえて間違う事や意思決定を行わない事が必要になる時があります。 その判断は、決して簡単なものではありません。
 
 その時にキャラプレをしない、初心者にTRPGを理解してもらおうとしない、ゲーム・プレイヤーとして自分の意思決定だけに固執したPLがいるとすれば、ゲームは簡単にクリアできるとは思います。 しかし、その実状というのは難易度が低いのではなく、そのTRPGセッションでの解決すべき問題を見つけられていないと表現した方が正しいのではないかと思うのです。 それならば、つまらないのは当然です。
 
 キャラプレの思考法や格好の良いストーリーだけに固執する場合やセッション運営にだけ固執する場合でも、この「つまらないTRPG」という事は起こりえます。
 同時にどれか一つの要素に完全に片寄ったセッションや問題も存在しません。
 すなわち、TRPGにおいて問題を解決する達成感を得る為には、常に問題の性質を正しく捉える事があり、同様に問題に沿った解決方法を取ることが、もっとも効率が良いわけです。
#注:もちろん、これは理想論です。 ここにはPLの好みや能力が入る事は当然ですし、その技術蓄積があってこそプレイスタイルは存在します。
 
 では、セッション内に登場する様々な性質の問題と正対する為には、どうすればいいか? 自分が普段、GM/PLとして、やっている事を考えて見たわけです。
 
 そのうちの一つが「ゲーム内でPL/PCの倫理観や人間性を問うてくるような状況では、数値ゲーム的な意思決定よりもPCの思考から出てくる意思決定を重用する方がTRPG的には有効なことが多い」、、解き方の主題をキャラプレを想定した問題を見つける為のTips(というか至極当り前なことですが)だったわけです。
 
 以上、前の書込みからでは、わかんないですよね、、書いてないから、、(T_T)
 
 最後に検討の足りない書込みしたため、TRPG.NETでROM、RAMされている多くの方にご迷惑をおかけした事をお詫びしておきます。
#もう迷惑かけないって約束は出来ないですけど、頑張ります。
 
 ではでは
1999年11月15日:17時32分48秒
[キャラクターの演出]演繹よりは解釈 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 はしざきさんが提出された「キャラクターの演出」とゆーのは、重要な概念だと思われます。
 
 しかし、アタシの意見では、それは決して客観的な基準としては見出せないと思うんですね。
 だからと言って「キャラクターの演出」とゆー概念を検討することは有意義なことと思っています。
 
 以下にアタシの基本的意見を述べます。
 
 なぜ、「キャラクターの演出」が良い/悪いキャラプレの客観的基準にはなり得ないかと言うと、キャラクター演出の妥当性は、「システムに含まれるワールド設定の『解釈』」の妥当性と、「セッション展開」、「セッションでのコミュニケーション過程」との相関によってしか判断され得ないと思われるからです。
 
 アタシとしては、仮構のものであれ、人格と呼ばれるに足りるものが取り得る行動の幅が、論理的に演繹されつくされるは考えづらいです。
#根拠をここで説明する余地がありませんが、アタシの考えとしては、人間の思考が主に自然言語で構成されるという前提のもとで、「自然言語の下論理性」と呼ばれる特性に準拠すると、そのように思えます。
 
 もちろんプレイヤーAが持つ構想の内容が、神秘的な何かによって感知されるわけでもありません。
 
 こちらも、システムに含まれるワールド設定の「解釈」の妥当性と、TRPGに特有なコミュニケーション(間接話法と直接話法の併用)、対面コミュニケーションによる、状況依存性、言語外コミュニケーションのチャンネル、etc、によって達成されるからです。
 
 ルールブックに記述された「ワールド設定類」の解釈にしても、TRPGに特有なコミュニケーション過程の解釈にしても、どちらも、自然言語に本来的な、多義性、文脈依存性、状況依存性、下論理性、等々に由来するものです。
 
 これは、TRPGが他ジャンルのゲーム類と大きく異なる特徴です。
 ですので、TRPGのプレイにおいて、およびルールブックの記述において、自然言語の使用を一切禁止するか、またはコンピュータ・ゲーム・ソフトのアルゴリズム程度には、人工言語の規制下に押さえられた自然言語の使用にのみ制限されるなら、「解釈」の余地はなくなり、「客観的」な判断基準も構想できることになるかと思われます。
#しかし、アタシが想像するに、それはもはやTRPGとは呼べない遊びではないかと思います(私見)。

 以上でアタシが述べましたことは、「キャラクターの演出」が、「客観的な」判断基準にはならない、とゆー原則論であって。
 構築される「キャラクターの演出」概念の緻密さいかんによっては、充分有益な判断の目安も構築される可能性は大だと思います。
 アタシも、個人的にもその方面で期待するところが大きいです。
 
 結局、はしざきさんの提唱に対して、アタシの意見はなんなのよ? ってゆーと、「限定つき賛同」ってとこかなーと、思います。
  
 個人的には、キャラクタープレイ的に「良いキャラクター」=「演出しやすいキャラクター」、「悪いキャラクター」=「演出不可能なキャラクター」という目安も構築できるのはないかと思います。
 これも結局、個人の、コミュニケーション・スキルや言語センス、との相関でしか論じられない気はしますが。
1999年11月15日:17時14分07秒
[PCの目的]Re:いろいろな構想メモについて / はしざき
99年11月15日:14時25分51秒
[PCの目的]いろいろな構想メモについて(>はしざきさんへ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
はしざきさんのご質問は、「キャラクター・シート記載項目以外のメモの類が、事前に提示されるとして、GMや他のプレイヤーにとって、それにどれだけの価値があるか?」だと思うんですけど。

ええと、現段階で「第三者にとって価値ある情報が存在する」ってことになると、このひとつ前の発言でいいたかったこと(「キャラクターの演出」必要論)が破綻しちゃうので確認したかった、っというのがほんとのとこです。それ以上に深い意味はありません。

ある種の、手がかりとか伏線という意味で、セッション開始前にメモを見ることは多少意味があるとは思いますが、私にとっては必要充分な情報ではないので、まぁあくまで補助手段のひとつかな。ゲームマスターが、シナリオ導入の参考にするという点では確かに効果的かもしれません。

キャラプレイの行動原理に関しては、「いかなる行動原理が演出しやすいか」という視点で語りたいので、いずれ項を改めて。


1999年11月15日:17時06分24秒
キャラクター表現 / 寺田大典
[99年11月15日:14時25分51秒/鍼原神無さんの書き込みより]
#ここでは、寺田大典さんが指摘されている類の、システムに報償された、キャラクター表現の類は、「キャラクター・ロール」というカテゴリーとして排除しています

 え−と、私は、事例を二例出したんですけど。最初の例のシャドウランの場合、「システム内で、○○を決めておく事がキャラクターの演出をする上で推奨される」という事でして(例:あなたが一番大切にしている事は?あなたが最も許せない事は?)、システムに報償されたという事では無い気がします。(鍼原神無さんのシステムで報償と言うのがボーナスを意味しているのであれば)

 また、熱血専用の場合だと、キャラクター同志の関係性を決定する事がルールによって規定されているわけであり、この関係性がロールやプレイに影響しても、特に報償というわけではないと思います。

 システムに関係しないキャラクターロール・キャラクタープレイというもの(この区別、ちょっと私できていませんけど、能力によらない個性の演出?)が論議されていると思いますが、近年では日本のシステムでも海外のシステムでもキャラクターの人間性/性格/所属団体を決めさせるゲームもあり、そうしたシステムではキャラクターの個性の演出というのは、それが無いシステムよりもサポートされていると思います。

 鍼原神無さんの書かれる方法論の差異も確かなんですが、その方法論の中の一つの各個人での差異を語るよりは、方法論の差異自体のメリット/デメリット、そして方法論から規定するキャラクターの演出/個性/性格の部分を規定する事のメリット/デメリットを話した方がいいんじゃないかと思ったり。
 
1999年11月15日:16時41分25秒
提唱:キャラクターを演出する / はしざき

ある明確な意図をもって、PLAYLABO を選択させていただきます。

『キャラクタープレイに関する問題』が抱える問題点

いわゆるキャラクタープレイが原因で、セッションが中断したり破綻したりするような深刻な問題が発生しうるという指摘は過去に何回も行われてますよね。

それに対するキャラクタープレイ擁護派の回答を、いささか乱暴に一般化しちゃうと「良いキャラクタープレイではそんな問題は起こらない」という内容になってるんですよ。実際、私もこれは正しいと考えています(循環論法に見えるという点はここでは捨て置く)

でも、「では、良いキャラクタープレイとはなにか?キャラクタープレイをある程度客観的に、良い/悪い、適切/不適切、上手/下手などと評価できる基準を示せ」と言われたときに、説得力のある回答ができてないってのが、まぁキャラクタープレイそのものが、時として不要であるとも言われてしまう原因であろうと私は考えています。

実際には個々の問題に対して、キャラクタープレイ擁護派から「○○ということを念頭に置いてキャラクターの人格を創造すれば××という問題は起きづらい」というような形式での回答はなされてるんですが、どうも経験則に傾いているきらいがあって、いかなるメカニズムでそれが問題解決に役立つのかが、いまひとつはっきりしない。

で、あるコンセンサスを形成することによって、この問題に対して一般的な回答を与えようというのが、この私の秘めたる野望だったりします。すなわち、「キャラクタープレイに対して、客観的に良い/悪いを判断できる基準をしめそう」と。

「キャラクターを演出する」という概念を定義する

キャラクタープレイが問題とされる理由のひとつは、時としてキャラクタープレイがセッションハンドリングを阻害することにあります。不用意なキャラクタープレイは時としてセッションを身動きできない状態に縛り付けてしまいます。「ボクのキャラクターは絶対にそんなことしないよ」とか。

これに対する、最も適切な予防方法は、キャラクタープレイヤーが「キャラクターを適切に描写する」ということです。ここで「適切」というのは最低限「今後の行動をある程度演繹できるだけの情報量がある」という意味を含みます(それだけではありませんが)。これは、有益のみならず、絶対に必要なことです。

なぜなら、合理的に演繹可能な人格であれば、その行動をハンドリングすることができるが、行動を演繹不可能な人格はそれをハンドリングすることができないからです。これはゲームマスターのみならず、プレイヤーの視点からも言えることです。ある状況に対してどのような反応を行うか全く推測できなければ、そのキャラクターに対してどのようなアプローチを取ればいいか判断できません。

極端な話、その人格は外部からは窺い知ることのできない心理的な葛藤の末にやむをえず他のPCを皆殺しにするかもしれません。そのような極端な例であっても、それを示す情報を適切に描写してもらえば、「先に背後から撃つ」などの建設的な対処が可能となります。

問題の置きづらいキャラクタープレイを論じる時に、「どのような人格を創造すれば問題が起きないか」というアプローチが行われることがありますが、これは不適切です。なぜなら、特定プレイヤーの頭の中にしか存在しない人格がどう変化しようと、それだけでは外部に影響を与えることはありえないからです。正しいアプローチは、「適切に描写可能なキャラクターとはいかなるものか?」となるでしょう。

他人には判読不能なメモを用意してからといって、なんらかの神秘的な力が働いてキャラクタープレイがうまくいくことはありません。キャラクターの特徴をメモしておくということは、何について描写するべきかを自分自身に明らかにするということであり、そーゆー点を意識すれば、より上手なキャラクタープレイが行えることができるのは自明でしょう。

今後、キャラクターを適切に描写するという概念を「キャラクターを演出する」と呼ぶことにしたいと思います。これはもしかすると、「キャラを立てる」「魅せる」などとよく似た概念かもしれません。しかし「演出」という言葉は、比較的客観的にその行為を評価し、良い/悪い、を述べることが可能です。

で、ですね、私としては「キャラクタープレイとは、キャラクターを演出することである」というコンセンサスを得られれば、と期待しています。

例えば、キャラクタープレイ的に「良いキャラクター」とは「演出しやすいキャラクター」である、逆に「悪いキャラクター」とは「演出不可能なキャラクター」という感じである種の尺度を与えることができると、いろいろと話がしやすいなぁー、と。


1999年11月15日:14時25分51秒
[PCの目的]いろいろな構想メモについて(>はしざきさんへ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>はしざきさんへ
 アタシの投稿「[PCの目的]仮構の人間性・構想メモの理解について」 (当掲示板,99年11月15日:08時51分01秒) 、では、はしざきさんの、「Re:[PCの目的]欲望に訴える」 (当掲示板,99年11月15日:08時14分21秒)、の質問趣旨、やや取り違えてましたね。
 投稿を読み直していて気づきました。失礼しました。
 
 はしざきさんのご質問は、「キャラクター・シート記載項目以外のメモの類が、事前に提示されるとして、GMや他のプレイヤーにとって、それにどれだけの価値があるか?」だと思うんですけど。
 
 そーゆー線でお応えし直しますと。
 やはり、キャラクター・プレイヤーの方の構想がしっかりしていれば、事前情報としてはカナリ有益なものとして活用も可能と思います。
 
 「構想がしっかりしてる」とはどーゆー事か? がもんだいとなりますよね。
 
 えーと、PCのキャラクターハンドリングの方針を、次の三つに類型化してみようと思います。
a「ルールで規定される役割分担の彩り程度に押さえる方針」
b「プレイヤー本人がPCの立場だったらどう考え、どう行動するかでPCの言動に一貫性と多面性を保証する方針」
c「PCの仮構の人間性を構想して、それを、PCの言動に反映してゆく方針」
#ここでは、寺田大典さんが指摘されている類の、システムに報償された、キャラクター表現の類は、「キャラクター・ロール」というカテゴリーとして排除しています (「キャラクターの嗜好」,当掲示板,99年11月15日:06時55分47秒 )
 
 で、もんだいは「C」のケースなんですけど。
 コレはアタシの意見が、紙魚砂さんの(以前の)ご意見とは異なる部分なんですが、「嗜好性」とか「志向性」とかいうメモでは、「a」や「b」のケースでは充分でも、「c」のケースでは不充分な構想と思います。
 
 理由はいくつかあるンですけど。
 まず、やはり、「行動原理」や「価値尺度」の方が、解釈の結果ではあってもシステムに含まれる「ワールド設定」との関係が極・近しいからです(「嗜好性」や「性格付け」と比較して極・近しいと思われます)。
 「志向性」とゆーのは、バク然とした方向性の事と思いますし。
 「嗜好性」では、これは、恣意的になりすぎると思います。
 
 それから、セッション過程での関与の度合いにしましても、「嗜好性」ですと、これは、関与させても、させなくても構わない程度 とゆーニュアンスが読み取れます(「嗜好品」の「嗜好」ですので)。これでは一貫性の方が弱い気がします。
 
 例えば、「酒好き」とゆーのを、これを「嗜好性」レベルのものだとすれば、ふつーにいてもおかしくないと思いますが。
 これを「行動原理」にするならば、それは「アル中」と言った方がわかり易い(笑)。せいぜい、「依存症」でしょうか。
 
 要するに、システム・コンゼプトから、セッション中に予測されるPCの行動選択の重要(と思われるもの)に関与の度合いが高いもの。それが「行動原理」であり「ポリシー」であり「価値尺度」である、とした方が妥当性が増すと思います。
 
 「女好き」とゆーのは、これも「行動原理」にまで高めてキャラプレするとタイヘンだと思います。
#『シティ・ハンター』の冴場涼や、「サイコ・ダイバー」の毒島獣太程度にはならないと、「女好き」を「価値尺度」とも「行動原理」とも呼び難い気がします(私見)。よーするに、そんなのキャラプレしよーとしたら、タイヘンです(笑)。
 
 私見としては「女好き」や「いーかげん」をそのまま価値尺度とするのは、曖昧度がやや高くって、キャラプレの指針としては使いづらいと思います(アタシはそれではキャラプレはできません)。
#先に挙げた「a」の方針や「b」の方針なら、「嗜好性」とゆーことでもんだいないと思います。
 
 この辺は、キャラ・プレイヤーの構想力、演出能力と相関するので、一概にも言えませんし、なお、キャラプレ側のノウハウ整備が必要な部分と思われますが。
 ただ、アタシでしたら、「いーかげん」や、「女好き」は、「ふわふわして生きたい」の事例でご紹介したような、複数の価値尺度の複合に書き換えないと、キャラプレできないです。
 それから、曖昧度の高い(解釈・連想の幅が広い)、「行動原理」、「価値尺度」そーした複合への書き換えをした方が、キャラプレが容易になる、とゆーことは、これは確実と思っています。
#さしあたりこの辺が、アタシの考える「しっかりした、キャラプレ構想」の必要条件です。
#十分条件の方は、はしざきさんが何度か指摘されてる、表現手法、演出手法、などかと思います。
1999年11月15日:11時43分05秒
[PCの目的]Re:Re:欲望に訴える / 紙魚砂

>はしざきさん
>この、キャラクターの嗜好性がキャラクターの設定(キャラクターシート?)に大抵書かれている、というのは一般的なことなんでしょうか?

 最近の一連の流れからすると、一般的ではないようですね。ということで当時の認識は間違っていたようです。
 ただ、こうしてキャラクターの指向性を把握するのはPLにとっても、GMにとってもいろんな意味で有効だと思うわけです。
 PLは自分のキャラの指向性を知らなければ(指向性がないということも含めて)、状況に対してどうリアクションするかを決められないわけです。ですから、たとえ明文化されていなくとも、潜在的にはそのイメージPLの頭の中には存在していると思います。
 GMの側から見れば、それを把握することが出来れば、シナリオに利用できるようになる。
 ・・・ということが言いたかったわけです。

 ちなみに私が以前出した「問題」では、「長らくいっしょに冒険してきたPC」の間には仲間意識が芽生えていて、仲間を死なせるなんてことは嫌がるであろうという指向性(「消極的な目的」)が生じるであろうということを想定していたんですが・・・。
1999年11月15日:09時07分30秒
[PCの目的][キャラプレTips]データとPerasonality構想のマッチング、他 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@はしざきさんWrote (「Re:【PCの目的】◆欲望に訴える」,当掲示板,99年11月15日:06時22分00秒)
>私はいわゆる「キャラクタープレイの問題点」のひとつは、キャラクタープレイヤーが存在すると主張する「キャラクターの個性/人格」などが、ゲームマスターや他のプレイヤーに充分に伝わらないことにあると考えています。
 
 これは、確かにキャラプレのもんだい点なんです。
 このもんだい点を詳細にみてゆくと。
 
・能力値など、ルールに規定されるデータと、Personalな設定のマッチングのもんだい。
・「仮構の人間性」をプレイヤーが他者に伝えようとするときに、設定類を増やし、かえって把握しづらくしてしまう、とゆー戦略ミスをおかす人もいるというもんだい。
 この戦略ミスは、プレイヤーのキャラクター・ハンドリングの難易度をあげる結果にも結びつき易い。
 同時に、GMさんが構想している、マスタリング展開とバッティングする蓋然性が増す。
 
 といった諸もんだいに波及することも、起こり易いです。
 けれど、これらは、ほとんど、キャラクター・プレイヤーの方の、キャラクター・プラン(仮構のキャラのキャラクター性構想手法)次第で回避できるものばかりと思われます。
#ここのところのプレイング研究室への投稿で[キャラプレTips]で、そうした構想手法を提案して来ているつもりです。
 
●ルールに規定されるデータと、キャラクター・プランのマッチング
 例えば「ふわふわして生きていきたい」という“欲望”をキャラに付与する場合ですけど。
 
「ふわふわ生きていたい」:「安直に手に入る快楽を好む」、「目先の欲望に対する抑止力が弱い」
 この路線構想は、「意志力」の類のデータの効果が低いキャラに適合します。
 
「ふわふわ生きていたい」:「浮世のしがらみを厭う」、「一所に定住する事を好まない」
 この路線構想の方は、逆に「意志力」の類のデータの効果が高いキャラに適用すると効果的かと思われます。
 
#この辺、システムごとの「能力値」の概念規定によっても多少変化はあるはずですが。プレイヤーの方がマッチングを考慮して構想をたてるべきです(これは、多くの人がやっていることですが)。
#逆に、この部分がヘタなプレイヤーさんに対しては。「キャラプレ云々」ではなく、「データとのマッチングが悪い」と指摘してやっていただければ、建設的な指摘になるかと思います。
 
●「設定類を増やしてしまう」というキャラクター・プラン構想の戦略ミス回避
 これに関しては、キャラの大まかな行動原理、または価値尺度の類を、シンプルだけど連想が豊富なもの少数を構想し、それらを複合させながら、キャラ・ハンドリングをしてゆく手法の方が、キャラ・プレを達成しつつ、セッションの課題にもかかわってゆくときの実効性が高いです。
 
 この手法で、キャラクターの仮構の人間性の一貫性と多面性を同時に表現してゆくのがポイントです。
#「[キャラプレTips【理論】]一貫性と多面性」,プレイング研究室 LOG 030,カンナ記,99年11月14日:12時33分32秒
 
 詳細にみると、いわゆる「性格付け」や、「動機付け」よりも「行動原理」または「価値尺度」を優先させて構想する事。
 「性格」は、「行動原理」・「価値尺度」の構想と、キャラクター・シート記載事項の相関で、納得され易い方向で考慮する。
 つまり、希望する「性格」プランを念頭におきつつ、しかし、構想するのは「行動原理」、または「価値尺度」という戦術を採る。
 
 「動機付け」に関しては、セッション展開と、「行動原理」または「価値尺度」(それともちろん、ルールに規定される社会的立場)の相関で打ち出してゆく。
 
 このあたりが、「設定類を増やす」よりも実効性の高いキャラプレ戦略だと思われます。
 
●キャラクター・プレイの根本的もんだい
 多分、キャラクター・プレイの、より根本的なもんだいは、キャラクター・シート記載項目以外の「行動原理」なり、「価値尺度」なりの設定(構想)は、これを、厳密に考えれば「データ」や「情報」ではない、とゆー点かと思います(私見)。
 
 これらは、プレイヤーの、ワールド設定から導かれる、キャラの「社会的立場」や、「生活環境」の「解釈」の結果である、と理解した方が妥当でしょう。
 これらが「解釈」であるなら、プレイヤー以外の他者から、観た場合、また別様の解釈も成り立ちます。
 
 これは、実生活において、ある人物の人間性についての評価(言動の解釈)が、複数の他者の間で、微妙に異なる、といった事態と同質の性質の事態です。
 
 ですので、このもんだいも、まず、ワールド設定を解釈の規定としてセッションメンバー(プレイヤーs&GM)間で“共有”されること。
 同時に設定類に関して「解釈」の幅が許容されること。
 さらに、TRPGに特徴的なコミュニケーション様態(コミュニケーションの在り方)が積極的に活用されることで、解釈の幅も微妙な差違の範疇に、妥当に納められると思われます。
 
#この件については、異論もいろいろ出ることかと思われますが、異論の意見交換で、さらに検討の深化をはかるなら、これは「プレイング研究室」に適した話題ではない気もします。やっぱり、このボードでは、「テクニックなどについてなど」意見交換するのが適当かと思います。
#この方面の話題は、やはり「TRPG総合研究室」に、より適したものではないでしょうか。「プレイヤーGM両面からの話題」と思いますので。
1999年11月15日:08時51分01秒
[PCの目的]仮構の人間性・構想メモの理解について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 これはですね、観ただけではわかりません(笑)。
 
 ただ、これを観ていただいたうえで、プレイを観ていただき、プレイヤー・GM間対話を加えていただければ、プレイヤーが構想している、PCの仮構の人間性、理解していただけるものと、このように体験的に思っています。
#さらに言うなら、この理解、セッション展開を通じて、が深まってゆくものと、体験的に思っています。
  
 「言い逃れ」に関しては、PCがセッション中で確定した言動についての責任がプレイヤーにあることは、当然ですので。
 セッション中に表現された内容に関して、言い逃れる人がいるとしたら、それは、キャラプレ云々以前のもんだいだと考えています。
1999年11月15日:08時14分21秒
Re:[PCの目的]欲望に訴える / はしざき
99年11月15日:07時20分41秒
[PCの目的]Re:Re:欲望に訴える / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 これが、現状で、一般的なことかどうかはよくわかりませんけれど。アタシはメモに書いています。
#(「[キャラプレTips【実践】]PC/PLの分離とプレイヤーの人間性、他 」,カンナ記,プレイング研究室 LOG 030
,99年11月14日:12時37分23秒)

ええと、該当記事に『自分だけわかればいーから、人が見てもなんのことやらわかりません「けど(笑)。 』って書かれてるみたいなんですが、これって「他人が理解できるレベルの文章」でゲームマスターや他のプレイヤーにとって充分利用可能な情報なんでしょうか?


#「酒好き」「女好き」「いーかげん」「神経質」程度のメモなら私もかくよー。後でなんとでも言い逃れできるし :-)


1999年11月15日:07時20分41秒
[PCの目的]Re:Re:欲望に訴える / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>はしざきさんへ
#はじめまして、よろしくお願いします。

 >この、キャラクターの嗜好性がキャラクターの設定(キャラクターシート?)に大抵書かれている、というのは一般的なことなんでしょうか?「俺はキャラクタープレイヤーだぜ」って思ってる方、どうでしょう?  (「Re:【PCの目的】◆欲望に訴える」,当掲示板,99年11月15日:06時22分00秒)
 
 これが、現状で、一般的なことかどうかはよくわかりませんけれど。アタシはメモに書いています。
#(「[キャラプレTips【実践】]PC/PLの分離とプレイヤーの人間性、他 」,カンナ記,プレイング研究室 LOG 030,99年11月14日:12時37分23秒)
 
 あと、個人的にコンベンション知り合った、キャラプレ好きなプレイヤーさんにも、似た様な工夫を個別にしてられる方、何人か知っています。
 
 それやこれやで、メモに書くと、キャラクター・プレイが容易に成功し易くなるのは体験的に真実だと思っています。

 その背後にあるメカニズムも自分なりに考えたみました。
 
 ですので、こーゆー実効性のあるノウハウはこれから、キャラクター・プレイが好きな人にはウケてゆくだろうな、と個人的には思っています。
#ただ、「なりきり」が好きな方にどえくらいウケるかどうかは、よくわかりません。ゼンゼンウケないわけではないと思うンですけど。
1999年11月15日:06時55分47秒
キャラクターの嗜好 / 寺田大典
 幾つかキャラクターの嗜好とか書かせるゲームってありますよね。そういうゲームは面倒とされる事がほとんどのようだけど、シャドウランもキャラ作成の時にそういう事を決めておくべきと推奨されていたり。

 ちなみに「熱血専用」とかはそういう事を幾つかと、「キャラクター同志の関係」までもキャラクターシートに書かせるゲームだったので、キャラクターロールってしやすいゲームでしたね。
1999年11月15日:06時22分00秒
Re:【PCの目的】◆欲望に訴える / はしざき
99年11月15日:03時12分25秒
【PCの目的】◆欲望に訴える−1999/11/07 / 紙魚砂
キャラクターの設定には大抵、そのキャラクターの嗜好性「何をしたいか」「何をしたくないか」「何が大切か」「何を嫌っているか」が書かれている。これがそのキャラクターの行動原理につな がるのだが、ここを利用すれば容易にそのキャラクターの行動を操ることが出来るようになる。

この、キャラクターの嗜好性がキャラクターの設定(キャラクターシート?)に大抵書かれている、というのは一般的なことなんでしょうか?「俺はキャラクタープレイヤーだぜ」って思ってる方、どうでしょう?

いや、キャラクターの嗜好だの性格だのを「考える」あるいは「思い浮かべている」人は多いと思うんですよ。しかし、それを「他人が理解できるレベルの文章」としてちゃんと記述できる人はむしろ少ないんじゃないかと。

私はいわゆる「キャラクタープレイの問題点」のひとつは、キャラクタープレイヤーが存在すると主張する「キャラクターの個性/人格」などが、ゲームマスターや他のプレイヤーに充分に伝わらないことにあると考えています。

で、もし、それらの情報が「大抵文章に書かれてる」んだったら、紙魚砂さんの主張するとおりキャラクタープレイヤーに対して「君のキャラクター情報を読ませたまえ」って言うことによってある程度のリスクコントロールが可能になります。

そんなわけで、ほんとだったら、いいこと聞いたなぁ、と。


#ちなみに私はそんなもの書いたことないです
#「君のキャラクターデータには「○○」って書いてあるんだから、ちゃんとそのとおりに行動したまえー」
#って言われると不利だし:-)


1999年11月15日:03時12分25秒
【PCの目的】◆欲望に訴える−1999/11/07 / 紙魚砂

 えとこれは、わたしのHPに載せた論考の抜粋です。今回のテーマに合っているのでってことで…。
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 よく「キャラクタープレイ」と言うと、シナリオと合わないだとか、何かと煙たがられがちであるが、これが事前に分かっている場合には、これほどキャラクターの行動を操作するのに都合のよい情報はない。

 キャラクターの設定には大抵、そのキャラクターの嗜好性「何をしたいか」「何をしたくないか」「何が大切か」「何を嫌っているか」が書かれている。これがそのキャラクターの行動原理につながるのだが、ここを利用すれば容易にそのキャラクターの行動を操ることが出来るようになる。

 つまり、何かさせたいのであれば「そのキャラクターのしたいこと」「キャラクターにとって大切なもの」という部分に訴えかければ「このキャラクターの性格だと、こうするよな〜」と、プレイヤー自ら納得させた上で、キャラクターにGMの望んだとおりの行動をさせることが出来るようになるのだ。逆に「これはさせたくない」のであれば、キャラクターの「やりたくないこと」という部分に引っ掛ければ自分から避けて通ってくれるようになる。

 さて、欲望に訴えるやり方の、別の良い効果のひとつは「キャラクターのモラルが上がる」という点である。
 それが「キャラクターがやりたい」と思っていることであるならば、多少苦労しても、場合によっては命懸けでキャラクターが行動してくれるようになる。なので、GMとしてもより危険な脅威、罠などを準備することができ、結果としてより深いセッションができるようになる。

 もうひとつの面白い効果は、容易に「葛藤」「対立」を作り出すことができるという点である。「あれがしたい」「これがしたい」が矛盾していて、決して同時にはかなえられないものということにしてやれば、それだけでジレンマが生じる。これが一人のキャラクターの内面での対立であれば「葛藤」となるし、別々のPCのものであれば「PC同士の対立」という緊迫した場面を演出できるようになる。

 コンベンションでこれをコントロールするのは難しいが、しかし、ある程度類型化しておくのは可能であろう。それに対応していくつかの引きを準備しておけば、ある程度さまざまなタイプのキャラクターに対応してリアクションできるようになる。
 また、キャラメイクの終わった時点でそのキャラの嗜好性を把握しておけば、誰がすんなり来そうか、誰がそうでないのか、乗って来ない場合にはどういう餌を準備すれば乗せられそうかを事前に考えることができるようになる。

 補足だが、キャラクターの嗜好性に則ったプレイというのは「キャラクターらしい行動」に直結し、キャラクタープレイの好きな人にとっては楽しいものであると思う。

 以上から「キャラクターの欲望を把握しろ!」「シナリオの中でその欲望をつついてキャラクターを起こせ!」「その方がキャラクタープレイヤーにとっては面白い!」と言うことで、この論のまとめとする(あんまりまとまってないや(笑))。


1999年11月15日:00時42分37秒
【PCの目的】【究極の選択】目的のないPC / 紙魚砂

 現実的に考えると、常に目的意識を持って生きている人間なんてそう多くはないと思います。だから、PCでも「目的がない」というのは割と普通のことでしょう。

 鍼原さんが「雲のジュウザ(『北斗の拳』)」というとてもわかりやすい例を挙げてくれたのでそれを参考にしますと、最初彼はちゃらんぽらんな性格で、享楽的で、捉えどころがない(笑)。まあこれは当然のことで、彼には目的がない(強いて言えば「楽したい」「楽しみたい」という目的があるくらい)ので、その時の気分で適当に行動する。だから捕らえどころがなく見える。
 で、こういうタイプのキャラクターに「選択」を迫ったところで「どっちでもいい」とか「楽な方がいい」と言われるのが落ちですし、別に平和な時であればこれで十分だと思います。
 「雲のジュウザ(『北斗の拳』)」が、ただそれだけで終わったのであれば、単なる遊び人としか思われなかったでしょう。しかしそうではありませんでした。「愛する者を救うため」という個人的な目的を見つけたとたん、彼は天晴れなほどすんなりと、その目的のために命を投げ出してしまうのです。(実際には過去にあれこれあって、その人のことを密かに大切に思っていたという伏線があるのですが)
 この辺りの変遷が、彼のかっこいいところの一つだと思います。

 さて、TRPGの実際の場面に当てはめて考えてみますと、PCが最初、目的を持っていないというのは、割と良くあることだと思います。
 キャラクターに目的のない場合、楽な方に走りがちなので、それでもすむ程度の問題しか起きない場合には、そのままで十分と思います。
 しかし、それでは済まされないような問題を引き起こすには、キャラクターに「目的」が必要になってきます。「目的」のないキャラクターは、ある一定以上のリスクを背負う状況になった場合には「逃げた方が楽だ」と判断を下すようになるからです。そこで、それまで『目的』のなかったキャラクターを続けてセッションに参加させるために「目的付け」をする必要が出てきます。

 キャンペーンであれば、自然と目的意識が出てくるとか、目的付けのために1シナリオ費やすとか出来ますが、コンベンションだとせいぜい「これこれこういう理由で『目的』を持った」という場面を1つ作るぐらいでしょう。それでも【究極の選択】やるためには、これは是非やらなくてはならないと思います。

 ですが、これ、GM一人ではできません。コンベンションでやる場合「そのキャラクターにこういう目的付けしたいんだけどどう?」と提案する手法が有効だと思いますが、実際それに乗るかどうかはPL次第です。逆にPLの側で考えたとしてもGMが「そんなの時間がないからできないよ」と言えばそれまでです。これは本当に、GMとPLが協力し合わないとできません。
 しかし、この場面をうまく演出できれば、それはそのPCをみんなが理解する大きな助けになるし、またうまく目的付けすることができれば、そのキャラクターは目的のために苦労することをいとわなくなり、場合によっては命懸けで行動することもできるようになる。

 そこが、大きいと思うのです。それだけで「TRPGでできること」の領域が大きく広がる。
1999年11月14日:17時30分03秒
Re:プレイヤーの目標 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
> 混沌太郎さんへ
@混沌太郎さんWrote プレイング研究室 LOG 030,「プレイヤーの目標」,99年11月14日:01時50分45秒)
>まあそのままふわふわ生きていきたい、というのでも形式上目標とみなせないこともありませんが、「騎士になりたい」とかのはっきりした目標とは異質なものではないかと思います。
 〔中略〕
>キャンペーンの始めの方でそのキャラクターがはっきりした目標を持っていなくても、目標が定まらない様を演じることは可能であり、また、シナリオ終了時にキャラクターの自覚が高まっていれば、プレイヤーとしては満足できるはずです。
 
>というわけで、PCに目標を持たせるというのは、キャラプレの上では一手法に過ぎないと思うのですがどうでしょうか。
 
 アタシは混沌太郎さんのこのご意見に賛成ですネ。
 
 手前ミソですけど、アタシの「[キャラプレTips【理論】]一貫性と多面性」 (プレイング研究室 LOG 030,99年11月14日:12時33分32秒)、で提示した、「動機付けや行動原理の複合構成」の考え方を応用すれば、「ふわふわ生きていきたい」とゆーのも、カナリ使える目標にしたてる事ができます。
 
 「ふわふわ生きていたい」:「浮世のしがらみを厭う」、「一所に定住する事を好まない」
 「ふわふわ生きていたい」:「安直に手に入る快楽を好む」、「目先の欲望に対する抑止力が弱い」
 
 アタシなら、うえは戦士とか、傭兵とか、下は盗賊とか、踊り娘とかに使うことを考えます。
 もちろん、「職業的倫理観」や「仲間への仁義」などと組み合わせていって使うわけですけど。
 
 「シナリオ終了時にキャラクターの自覚が高まっていれば」とゆーのは、「やっぱりオレにはこーゆーのはあわないゼ」とゆーのや。 「はぁ、どっかに楽して儲かるクチはないもんかしら」とゆーのも、自覚が高まる……、とは言わないか(笑)。
 
 でも、ちゃんとキャラプレできて、ちゃんとセッション展開に関わっていけたなら、イロイロあった後で「自覚が強まった」とこには持ってくことは可能と思います。
 もちろん、こーゆー目標を、具体的目標と組み合わせたって構わないンです。
 
脱線:アタシ、雲のジュウザ(『北斗の拳』)って、スッゴイ、いぃオトコッ☆ って思うんですね(笑)。だから「ふわふわ生きていたい」PCは好きです(笑)。
1999年11月14日:14時23分58秒
プレイング研究室 LOG 030 / sf
 プレイング研究室 LOG 030として1999年11月12日から1999年11月14日までのログを切り出しました。
1999年11月14日:14時10分25秒
【PCの目的】【究極の選択】PCの目的 / 紙魚砂

 私の出した問題は自分で言うのもなんですが「前提条件が不明」「目的が不明」で、問題として不完全で「それが分からないうちは選ぶことができない」というのは実に正しい(と、あとで気が付いた)。
 で、ここで重要なのは「前提条件」「目的」をきちんと決めることだと思います。TRPGを遊ぶ場合、「PCたち」で考える場合と「PC(一人)」で考える場合がありますが、キャラクタープレイの場合はまず、「自分のPC(一人)」の観点から考え始める。そしてその際「PC(個人の)の目的を決めること」が重要です。
 実際プレイする場合には、プレイヤーサイドだけでは「具体的な目標」にまでたどり着くことができないので、その舞台設定や、実際のセッションと絡み合わせてそのPCの個人的な目標を決めることになる。事前にそのあたりをきちっと設定してシナリオに絡めておくか(これはGMサイドでできます)、実際のセッション中にPCが自分で決めるか(これはPLが決めるべき)といったことをやることになる。

 そうして条件が整ったところで初めて、迫られる「選択」が生きてくる。

 「選択」というのはあくまで過程の中の分岐「点」にすぎないので、その場面が来れば、それは表面上一瞬で通りすぎてしまう。『そしてそれを知ると次に、「どうやってその裏をかいてやろうか」という裏技モードが始まってしまうのですが(笑)(ENTさんwrote)』ということもありますが、これは選択の場面を先延ばしにして前提条件を再確認しているだけのことだと思います。

 そして「選択」とそれに伴う「目的」がある以上、その「結果の確認」も重要だと思います。自分が選択することによって、何を得て何を失ったのか、実感する過程が重要。それがあって始めて「こういう選択をして、よかったなぁ」とか「あんなことをしなければよかった」とかキャラクターの身になって思えるようになると考えるのです。

 長くなったのでまとめておきます。

《「究極の選択」をやる場合の必要事項案》
【1】前提条件
 「前提条件」及び、それに含まれる「PCの目的」を明確にする必要がある。

【2】「究極の選択」自体の条件
 ・どちらを選ぶこともできること。
 ・それぞれの選択について、何が得られるのか、何を失うのかをPCがよく理解していること。
 ・どの選択にもPCにとって「得るもの」と「失うもの」が存在していること。
 ・悩む時間が十分あること。

【3】結果
 実際「何かを獲得した喜び」と「何かを失った悲しみ」を実感する過程があるとよい。

…といったところでしょうか。

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