プレイング研究室 LOG 030

プレイング研究室の1999年11月12日から1999年11月14日までのログです。


1999年11月14日:13時04分17秒
Re:真実と事実と現実 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 @HELLさんWrote (「真実と事実と現実」,当掲示板,99年11月13日:22時14分22秒)
>う〜ん、この手の話が何が真実かわかりませんからね。
 〔中略〕
>PCの死が無駄だったりすると何だか負けたというか、国家に裏切られたような気がしますから。
 
 あー、なるほどー。
 「プリズナー」のワールド設定だと、「村」につれてこられるキャラは全員スパイとかで(マレに科学者とかあったかも)、 A「連れてこられた時点で国家には危険視されてて、その意味では裏切られてる」、B「『村』の状況を調査し関与してく為のエージェント」のどっちかなんです。
 
 その辺、プレイヤーさんに事前に認識してもらって、PC設定に組み込んでくほーがよいですよね。 やっぱ、GMさんとの事前協議でしょーか?
 
 「この手の話が何が真実かわかりませんから」のほーは、このケースでは、それがゲームの条件にもなると思うんですけど。
 腹のさぐりあいとか、そーゆーのも含めての交渉とかですね。
1999年11月14日:12時37分23秒
[キャラプレTips【実践】]PC/PLの分離とプレイヤーの人間性、他 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
■PC/PLの分離
 PC/PLの分離ってゆーのは、実はそーたいしたもんではないです。
 セッションふつーにやってれば、「プレイヤー(PL)は知ってても、PCは知らない事」ってゆーのが自然に出てきますよね。
 
 キャラメークの時点から、ワールド設定については、PLはPCが知らないはずの事、知ってたら不自然な事を大量に知ってますし。
 TRPGでPC/PLの分離が原則だ、ってゆーのは、よーするに、そーゆー事の積み重ねでしかありません。
 
 えーっと、「仮構のキャラクター性なんて構築しなくって、もし、自分(PL)がPCと同じ立場で、PCと同じ状況に置かれたら、どんな言動を採るか? を考えてPCハンドリングしてく方」おられます。
 こーした演出思想も、最初に述べたよーな、意味での、PC/PL分離の原則に従ってプレイされれば、それはそれで、もっともらしく、ウソ臭くない、人間味ある表現になるはずです。
 
 逆に、あからさまにPC/PL分離の原則を無視したり、考慮しないプレイヤーさんは迷惑です。
 ここではPC/PL分離の原則に、PCが知ってたら不自然なワールド設定とかも含めています。
 
 どーみても、PLの知識に基づいてPCをハンドリングして、ゲーム上有利になる目標めがけて直進してるくせに、口では、「いや、偶然行き当たっちゃった」みたいな事ばっかり繰り返すプレイヤー、いるんですよ、ホントに。
 同卓すると、とてもシラケます。TRPGでないゲームをプレイするときは、それでもよいのかどーか、アタシはよく知りません。でも、TRPGでは迷惑です。
 
■プレイヤーの人間性をキャラプレに活かす
 仮構のキャラクター性の構想に話を戻すと、実は、キャラクター・プレイヤーも、プレイヤー自身の人間性を活用したほーが、比較的楽にキャラプレを成功させ易いんです。
 
 まず、普段の自分の言動パターンを特徴づけてる行動原理や、価値尺度を自己分析します。
 で、それを複数要因の複合として捉え直してみるんですね(この辺キャラクター性の構想と同じノウハウです)。
 
 アタシの場合ですけど、例えば「男らしさ」や、「男らしいことを誇る人」はなかなか好きになれません。アタシが好きなのは「いいオトコ」です(笑)。
 いぁ、別にここで、アタシのオトコの好みを話すわけではなく(苦笑)。
 
 「押し付けがましさを過敏に嫌う」、「きっぱりした言動・サバサバした言動に価値を見出す」、「腕力・体力の誇示などにあまり価値を見出せない」、「他人の心情への洞察力に価値を見出す」Etc、Etc、と言ったアタシの価値尺度が見出せます。
 
 えーっと、別に何かの治療をするわけではないので(笑)。自己分析とか言ってもあまり真剣になる必要もありません。
 そーゆー意味では、この自己分析、アテになるわけでもない(苦笑)。
 
 ただ、不充分な自己分析でキャラプレしてると、何度かやってるうちに、たいてー不都合がみえてきます。
 そーゆー時は、自己分析を再検討して、次の機会のキャラプレに活かしてゆくとよいです。
 
■Tips
 で・自己分析をキャラプレに活かす方法ですね。
 例えば、アタシが、戦士のキャラをやるときは、意識的に「腕力・体力の誇示などにあまり価値を見出す」ように、自分に言い聞かせてプレイするわけです。
 この時に「押し付けがましさ」に頓着しない、までやるかどーかは、自分のテンションとか、ワールド設定とか、そーゆーのとの関連で構想しますけど(笑)。
 
 普段「腕力・体力の誇示などにあまり価値を見出せない」、アタシがなぜ、セッションのときは「腕力・体力の誇示などに価値を見出す」言動をPCに採らせられるか、とゆーと、自分の印象に残ってる映画やドラマやEtc、から、そーしたタイプのキャラに特徴的な言動をどんどんロードしてくんです。
 
 後、アタシの場合プロレスラーの言動とか☆
#アタシは「腕力・体力の誇示などにあまり価値を見出せない」んですけど、プロレスラーは肉体のエリート、ですから、あそこまでのもの観ちゃうと、さすがに、圧倒されて、普段「あまり価値を見出さない」分だけ熱狂しちゃうのかな、とか思っています(自己分析:笑)。
 
 えーっと、このデータ・ローディングの時は、特定のソースや、特定のキャラのデータに固執しないのもコツかと思います。
 
 セッション展開の状況に応じて、適すると思うえるものをジャンジャン投入します。
#実は、「腕力・体力の誇示などに価値を見出す」タイプのキャラ、と言ってもそのカテゴリーはさらに細分化していけます。
#普段から、そーした同タイプのキャラの細分化を自分なりに整理してくのも、キャラプレのTipsではあるンですけど。
#コレは中級Tipsかもしれません。
 
#この辺の事が、「[PCの設定について【キャラプレTips】]仮想“テンプレ”方式」 (プレイング研究室 LOG 029,カンナ記,99年11月10日:07時41分38秒)、でご紹介した、“仮想テンプレ”方式の背後にあったりします。
 
 後、もーひとつのTipsはメモです。
 アタシはセッションのときは、A3ヨコと、B6タテの硬質プラスチックの紙ホルダーを使ってます。
 文具メーカー、「リヒト」のが軽量なんでコンベンションに持ってくのも苦にはなりません。
 
 で、A3にはキャラシー挟んで、B6の方には、座席の配置とか、PL名/PC名とか、重要な手掛かりとか、どんどんメモしとくんですけど。
 このB6メモの一枚めの端の方に、今日のキャラの行動原理・価値尺度みたいのをチョコチョコってメモしときます。
 自分だけわかればいーから、人が見てもなんのことやらわかりません「けど(笑)。
 「体力誇示」とか、「ともかく生き延びろ」とか、「でも軍規とはうまくヤル」とか書いてあったりします。
 
 セッションの序盤はそれチラチラ見て、自分をリマインドしながらプレイしてきます。
 キャラプレが軌道に乗り出すにつれて、メモ見る必要だんだんなくなってきます。
1999年11月14日:12時33分32秒
[キャラプレTips【理論】]一貫性と多面性 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
■何を一貫させるか
 セッションを通じてキャラクター性の何を一貫させるかの戦略で、失敗し易いキャラプレがあります。
 これは、TRPGでキャラクターらしさの“らしさ”をどー表現してくかって話とも言えます。
 
 アタシは、キャラの性格や、動機付けよりは、行動原理や、価値尺度を一貫させていったほーが、プレイし易いし、キャラクター性も表現し易いと思います。
 
 性格(正確には性格の印象づけ)は、セッション内の物語状況との関わりや、PC・NPCとの絡みで、幅や、多面性を出していったほーが、キャラクターのもっともらしさが増すと思います。
#えーと、多分こんな事言ってると心理学とかやってる人にはオコられちゃうかもしれない(苦笑)。
#「性格」って、心理学とかだと「人間の言動パターンの変化しない側面」みたいな意味らしーんですけど。ココでは、まぁ、曖昧に使ってます。
 
 動機付けは、やっぱりGMさんが提示する、セッションの課題との関係で変質してった方が、キャラクターのもっともらしさが増すと思います。
 シンプルなシナリオでも、最初は報償を目当てに依頼を受けたPCが、報償以外の動機付けも併せて抱いて、行動してく、とかですね。
 実生活を考えればわかりますけど、何かの言動の動機付けがたった一つしかない人間ってゆーのは、つまらないし、観ててウソっぽいと思います。
 
■複合による多面性
 動機付けが一つしかない、なんてのは、「ハラヘッタ→なんか喰うか」、「アイツ気ニクワン→なぐっちゃえ」と大差ないみたいなもんで、バカっぽいとゆーか。あまり説得力もありません。
 
 リアクションも機械的になって、セッション展開も、端から観ればまるで予定調和的な展開であるようにしか観えないかもしれません。 どれだけ、ダイスを転がしたって、所詮は確率の揺らぎの範疇内なんですし。
 
 ハラが減って、金が無くとも酒だけは決まったモノしか飲まないとか。どんなに腹が減っても施しは受けない、とか。
 気に食わないヤツがいても、自分の体面があるから無視するとか。まーイロイロ、そーゆー方がもっともらしー感じがします。
 
 逆をゆーと、プレイヤーは、自分がPCに付与してる動機付け、いくつかの要素が組み合わさった(複合した)ものとして、捉え直すとよいと思います。
 そーゆー検討をしとくと、同じ動機付けを一貫させつつ、状況に応じて違った性質のリアクションを構想する事も可能になります。
 
 動機付けの複合要因のどれをメインにして、リアクションを出すかとか、比率はどれくらいにするか、とかそーゆー調整をしながら、リアクションを出してくとよいわけです。
 
 行動原理や価値尺度にも同じようなことが言えます。
 ただ、こっちはセッション初期にプレイヤーさんが、どーゆー構想を持ってるかによって少し違ってきますけど。
 
 「[PCの設定について【キャラプレTips】]動機付けに応用できる行動原理、他」 (プレイング研究室 LOG 029,カンナ記,99年11月09日:19時51分37秒)、で纏めてみましたけど、ポリシー、とか、行動原理とかの、豊富な連想が可能なものを少数構想してる場合は、逆に、それらの複合パターンを状況に応じて使って、キャラクター性の幅や多面性と、一貫性を同時に表現するとよいと思います。
#複合のさせ方によっては「葛藤」も起きるわけですけど。「葛藤」の話は、別にしたいと思います。
 
 複合の調整によるリアクションって、プロレスラーとかの得意な技のコンビネーションみたいな感じですね(笑)。
 そのレスラーらしーコンビネーションってゆーのは、ココって時に決まると光るし、“らしさ”が引き立ちます。
 逆に、ヘタに自分のコンボにこだわって、失敗が連続すると、観てるほーもつらいですよね(失敗・成功の反復なありょいですけど)。
 
 クレバーなプレイって、自分の得意パターンが決まり易いよーに、状況を誘導して行くって流れを組み立ててくもんだと思います。
 
 価値尺度についても一緒。
 ここでは、わざと価値「基準」ではなくって、価値「尺度」と言っています。
 別の話題系統ですけど「[葛藤と思考停止]一般論での図式的理解(長文)」 (当掲示板,カンナ記,99年11月13日:12時19分18秒)でもちょっと触れました。
 PCが抱いてる、価値尺度を、いくつかの別種の価値尺度の複合として構想しておくと、キャラクターの多面性や一貫性を同時に表現できます。
 
■失敗し易いキャラクター構想
 多分、失敗し易いキャラクター構想ってゆーのは、性格づけでも、動機付けでも、価値尺度でも、構想段階で、複合要素の複合パターンを、比較的固定化してイメージしちゃってるヤツではないかと思います。
 
 例えば、「寡黙な+戦士」とか「ニヒルな+殺し屋」とか。
 何があっても「寡黙」とか、「ニヒル」とかってゆーふーだと、プレイしづらいし、周囲も絡み辛いし、第一ウソっぽいとか、わざとらしーって感じになり易いです。
 こーゆーのは、「寡黙」「ニヒル」って性格づけを、少数の価値尺度の複合として捉え直したり、「戦士らしい」「殺し屋らしい」行動原理を、少数の価値尺度の複合として捉え直していくとよいと思います。
 
 とりあえずのまとめとしては、仮構のキャラクター性の構想は、一貫性と多面性を両立できるよう複合構成を考えとくとよいのだと思われます。
 
■キャラクター性の表現手法(Tips)
 最後に、この投稿で述べたキャラクター性の表現についてひとつだけ触れておくと。まー、当たり前なんですけど、間接話法を使うとわかり易いですよね。
 後、間接話法と、直接話法の中間的な形態もわかり易いです。
 直接話法で、セリフを言った直後に、演出意図や、行動原理、価値尺度などを、脚本のト書きみたいに説明しちゃう手法ですね。
 
 純粋な直接話法は、使うにしても、流れの組み立ての中で、ココってときに出すよーにしたほーがよいと思います
 #演技好きの人だけが集まってるサークルとかの環境はもちろん別と思います。
1999年11月14日:06時43分31秒
【究極の選択】【葛藤と思考停止】私ならこーする / はしざき

#「泣けぇ!わめけぇ!もっと苦しむがいい!うはははは」
#って立場に立たないと、他人が葛藤してるのみても楽しくないと思うんだが、それって私だけなんだろうか?

まぁ、例としてはなんだっていいんだけど、とりあえず
「誰か一人のPCが死なないと、全PCが死亡する」
というシチュエーションがあったとして、俺ならこーするという話。

スタンダードな選択

私:「”ああ神よ。なんという残酷な試練を我々に課すのか。長年にわたって苦楽を伴にしてきた我が盟友をあえて見殺しにするなど私には耐えられぬ・・・。”とかなんとか嘆くよー。
あー、ところで私のキャラは《○○》という技能を持っているんだが、これなくしてミッションの達成はおぼつかないよねぇ。というわけで、私のキャラはあえて罪の意識を抱えつつも生き残るという苦渋の選択をせねばならないと思うのだがどーだろー?」

CoCのような精神的ダメージの概念があるシステムの場合

「ところで、死ぬ間際まで無線機かなんかで連絡はとれるのかい?」
「うむ。だいじょぶじゃよ」
「じゃあ”ボクが犠牲になります”って言うよー」
「をを。ほんとにいいのかね?」
「”はい。ボクはドジでノロマでいつもみんなの足を引っ張ってきたけれど、誰かがこれをやらねばならないのなら、ぜひボクにやらせてください”」
「ううむ。いいやつじゃのー」
「じゃあ、扉を開けて向うにいくよ。”さぁ、来やがれ怪物どもめ!”」
「君の犠牲は無駄にはしないよー」
「”う、うわぁ。やめろー。助けてかーさん。ボクはこんな死に方はやだー!!!”とか無線にむかって叫び続けるよー。そうだな。無線機は壊されずに、スイッチを入れたままどこかに吹っ飛んだことにしよう。”ぐわぁ。ボキボキ。ピチャピチャ。ズルズル”」
「むぅ」
「さぁキーパー、早くみんなに SAN チェックさせたまえ(笑)」

「れれれ」の場合

監督:「・・・というわけで、誰かが一人がこの宇宙船から降りないと、船は永遠に宇宙を漂流し続けることになる。君たち、犠牲者を決めたまえ」
女優1:「あんたやりなさいよぉ。デブを犠牲にした方がリアリティ出るわよ」
女優2:「なに言ってんの?私がこんな間抜けな死に方したら、観客納得しないわよ」
監督:「ああ、言い忘れたが、このシーンで見事な演技を決め、観客に感動を与えることができれば、その役者の人気度が1d10ぐらい増えると思うよ(たぶん)」
女優1:「監督!わたしにやらせてください」
女優2:「わたしこそが適任ですっ!」

わかったよ。もっと真面目にやれって言いたいんだろ?

事前に、そのような状況が発生しうることが、なんとなくプレイヤーに予測できたとする。んでもって、他に積極的に死にたがるようなプレイヤーがいそうになければ、伏線として以下の描写をしておく。

あとは、「《パーソナルアイテム》を《被保護者》に託す」というチャンスを伺うだけ。
直接別れを描写してもいいが、《被保護者》が寝ている/気絶している間に、メッセージだけ残して死んじゃうなんてのもかっこいい。信頼度の高いPCが他にいれば「《被保護者》を頼む」ってなことをこっそりと伝えておくのもいいかも。

まぁ、どーするにせよ、状況がはっきりしているんであれば、プレイヤーは悩まずに即決しちゃうような気がする。所詮、悩んだり死んだりするのは空想上のキャラクターだし:-)


1999年11月14日:03時36分25秒
RE:プレイヤーの目標 / 覆面投稿者・地獄の伝道師一号
 PLの目的とPCの目的は違うのだけど、PCには隠れた真の目的があったりします。
 いつぞやの天羅万象ではサムライをやったのですが
 PLの表の目的:PCをカッコよく殺すこと
 PCの表の目的:戦に勝つこと
 PCの真の目的:城を枕に討ち死にすること
  
 この場合表向きの目的と真の目的が違うから、PCが葛藤したりするのだけど、キャラプレになりやすいです。
 この時真の目的を遂げるために他のPCを説得したのですが、他のPCは死にたくなかったらしく、一人で暴走するのもいやだったので敵に突撃したりはしませんでした。 そのためにキャラが立ちませんでした。
 それでもPCが望み通りの死に方をすれば楽しいのだけど、死に方がとてつもなくマヌケな死に方だったのでプレイヤー的には不満が残りました。
1999年11月14日:01時50分45秒
プレイヤーの目標 / 混沌太郎
良くキャラを「立たせる」ために、PCに「目標」を持たせると言う手法は取られますが、それだと大した目標も持たずふわふわ生きているキャラクターをプレイすることは不可能ですよね?
まあそのままふわふわ生きていきたい、というのでも形式上目標とみなせないこともありませんが、「騎士になりたい」とかのはっきりした目標とは異質なものではないかと思います。
そういうキャラでも、プレイヤーとしては、ゆくゆくはしっかりした目標を持ったキャラに成長させていきたい、という方針でプレイすることは可能であり、PCとしてプレイするのに不適ということもないでしょう。
キャンペーンの始めの方でそのキャラクターがはっきりした目標を持っていなくても、目標が定まらない様を演じることは可能であり、また、シナリオ終了時にキャラクターの自覚が高まっていれば、プレイヤーとしては満足できるはずです。

というわけで、PCに目標を持たせるというのは、キャラプレの上では一手法に過ぎないと思うのですがどうでしょうか。
(誰も主張していないことを否定している?それだったら適当に読み流してください。)
1999年11月13日:22時14分22秒
真実と事実と現実 / HELL
鍼原神無〔はりはら・かんな〕さん
>#こんな感じです。
> 新たに「村」に連れてこられたPC達(元スパイ)は、>個別に「ある事」をNo.2に告げられるます。
> 
> 「東側が新たに開発した生物兵器にPC達が汚染されている事が判明した。
>抗体を作るためにはPC達の誰かに犠牲になってもらわなければならない。
  
 う〜ん、この手の話が何が真実かわかりませんからね。
 PC達にとっては真実でもそれは事実にしかすぎないこともありますし、こういう時PCが信じた事実が真実とことなることが一番恐いのよ。
 現実にはPLが信じた事実と違う時だけど。
 PCの死が無駄だったりすると何だか負けたというか、国家に裏切られたような気がしますから。
 
 ようするにプレイ後に「うわぁ、やられたぁ」というきになりますから。
 とりとめもなくなっちゃいましたね。
1999年11月13日:20時56分23秒
RE:思考停止 / HELL
ENT陛下
>私自身も葛藤のロールプレイング(あるいはキャラプレ)をやりたかったですが、おそらく、私もそれをやっていたら、プレイ時間をオーバーしていたでしょう(コンベンションには制限がありますので)
>こうした場合、時間短縮で即決するのは「思考停止」と責められるのでしょうか?(プレイヤー的にもPC的にも時間制限で追いつめられていたのです)
>「選択する」「決断する」というだけで時間の長短に関わらず、すでに「葛藤」は行われているのだと思うのですが。
 そうですよね。即決したように見えてもPLもPCもその決断を下す前に様々な情報を受け止め、そのうえで決断をしているのです。
  
>(決断を下した「理由」も説明できますし、責任は(ダイスなどランダムでなく)自分で負うわけですから)
>どこからが「葛藤」でどこからが(責められる)「思考停止」なんでしょうかね?
>そこの差は外側から客観的に判るものなのでしょうか?
 わかったつもりにはなるんでしょう。
 天羅万象をやっていて、寺にこもったが周りは敵だらけで孤立無援、残された道は降伏か玉砕かだけ。
 PCは寺にこもって徹底抗戦を叫んでいたんですが、寺の住職に「若い命を散らす必要はない」と諭されたので「わかりました。寺を出ます。」と言ったのですが、GMはこれが気に入らなかったらしい。
 そしてこのあと私のPCにとんでもないことが起こるのであった。
 そのあと私はそのGMにパンフレット上で告発された。
 GMはよっぽど嫌だったようです。
1999年11月13日:18時53分35秒
【PCの目標】 PCの目標を設定しよう(下) / ラウール
#下の文章(PCの目標を設定しよう(上))を受けて書いていますので,そちらからお読みください。
 
 今回は,「PCの設定を重視したプレイをするんであればシナリオの「目標」にかわるPCの「目標」を定めないと面白くならないんだけど,実際には行われていない辺りに問題があるんでは」というお話です。
 
 初期のRPGにおいてはマスターの用意したシナリオ目標をクリアするというのがそのまま,そのセッションでの各PCの目標となっていました。しかし,そのうち,それぞれのPCにもっと焦点を当て,それぞれのキャラクタ固有の設定を重視しよう,という流れがでてきます。
 ところがこの流れの中で,それまでマスターが提供していたシナリオ目標の代わりとなるべきPCの目標まで設定しているプレイヤーというのは実際にはほとんど見受けられません。
 
 このあたりが,「キャラクタープレイはゲーム性が低くて面白くない」と言われる原因なのではないかという気がします。システム的にPCの目標が設定されるようになっているわけではありませんし,かといってPC作成の章で「PCの目標を定めるように」というアドバイスがあるわけでもありません。その結果,当然のごとく,「目標」が置かれないままセッションが始まり,「なんだかいまいち」という結果になるものと思われます。
 
 
 少なからぬプレイヤーは,PCの「目的」までは設定として作っています。また,『深淵』などのシステムでは,PCの目的を決めるための仕掛けをシステムで用意しています。しかし,その目的を基に,目標のレベルまで定めるプレイヤーというのはまず見かけません。
 
 例えば,「有力な騎士になる」という目的をもったPCを作ったとします。ところが,このままでは,設定がゲームの面白さに繋がりません。なぜなら,「有力な騎士になる」という目的はあまりにも漠然としすぎていて,セッションが終わったあとで「今回のセッションはPCにとって大成功だった」とか,「今一歩だった」「まあまあ」「失敗だった」という判断がつかないからです(そのセッションでPCが有力な騎士になってしまえば「成功」と判断できますが,ふつう1回のセッションでなれることはないですね)。
 
 「有力な騎士になる」という設定は,PCの動機付けの手助けにはなりますが,プレイヤーにとっては取り立ててゲームが面白くなる設定とは言えないのです。
 
 「セッションがうまく行った/いかなかった」が判断できるようになるには,「目的」を元にしてもっと細かく具体的な「目標」を立てる必要があります。例えば,「有力な騎士になる」という目的のために,「有力な諸侯に名前を覚えてもらう」「軍資金として金貨にして500枚を手に入れる」「将来に向けて忠実で有能な家臣を手に入れる」といった「目標」を立てるのです。
 このように目標を定めれば,シナリオが終わった時点で,「ディヴィア伯爵にお目通りできたのでまあ成功だ」とか,「金貨300枚しか手に入らなかった。次こそわ」とか,「家臣にはできなかったが,相手に好印象を与えることができた。次回のシナリオで口説こう」といった感じで,「うまく行った/行かなかった」というのを測ることができるようになります。
 場合によっては,「目標」レベルでもまだ大雑把過ぎるので,「小目標」まで設定しないと「うまく行った/行かなかった」がわかりにくい場合もあるかと思います。
1999年11月13日:18時51分50秒
【PCの目標】 PCの目標を設定しよう(上) / ラウール
#以下の文章は,[究極の選択]の一連の書き込みを読んで考えて思いついたもので,所々で引き合いに出していますが,問題にしたいのは「究極の選択」ではありません。ので,識別子は変えておきましょう。
 
 主題は「目標を設定しよう」なんですが,とりあえず「目標がないとどうなるか」について,「究極の選択」を題材に考えてみたいと思います。
 
 「究極の選択」というのはゲームの意思決定とは違うものです。葛藤もありますし,アカウンタビリティも持てるでしょうし,結果に対する責任も生じるように見え,似てはいます。しかし,「究極の選択」では「目標」が提示されていない,という点が,ゲームにおける意思決定とは異なっています。
 
 『深淵』をやっていると,「究極の選択」で挙げられているような決断を迫られることが結構あるんですが(マスターの趣味かもしれん),最初の頃は新鮮で面白かったんですが,3回もやると食傷気味になって飽きてきます。何が原因なのかと思って前々から考えていたのですが,今回の「究極の選択」を読んで考えて,ようやくにしてわかった気がしました。それが冒頭に述べたように,「目標がないこと」です。
 
 ゲームの面白さというのは,「自分の下した判断のおかげでうまく行った」「自分の下した判断のせいでうまく行かなかった」という部分によるところが大きいと思います。ところが,「究極の選択」のように「目標がない」とどうなるかといいますと,選択の結果「うまく行った」「うまく行かなかった」というのを判断することができません。
 これが,「究極の選択」タイプの葛藤が面白みに欠ける原因かと思います。
1999年11月13日:18時10分44秒
【究極の選択】【葛藤と思考停止】PCのキャラクター性 / SHiN
 内容が、両方の話題にまたがってしまいました…
 
 わたしは、基本的にGMがRPGで究極の選択を発生させるってのは良くないと思います。
 結局、それは、(悪い意味での)「一本道シナリオ」みたいなものですから。
 一本道が二本道になったところで、プレイヤーが「GMの用意した選択肢以外を選ぶ事が出来ない」っていう意味では同じですから……
 
 それでもなお、私はGMをする時には、「究極の選択」をセッティングすることがあります。主な目的としては「プレイヤーに自分のキャラクターを認識させる」ためですね。
 ここの書き込み読んでると信じられないけど(笑)普通、プレイヤーは、自分のキャラクターについてほとんど知らない場合が多いでしょうから……
 
 PLに、自分のPCについて考えてもらう機会を設けるために、究極の選択はとても有効だと思います。
 だから、PALM-12さんの言いたかった事ってのは、とても良くわかる気がしますね。私の用意する究極の選択ってのは、自分のPCについて良く理解している人間にとっては、究極でもなんでも無いって場合もありますから。
 また、「そういう問題について、はっきり答えが出せない」というキャラクター性をもってるPCもいるかもしれません。
 そういうPC/PLについては、自分のPCについて考える機会というよりは、自分のPCのキャラクター性をアピールする機会となるわけです。
  
 そういう意味では、葛藤すれば良いとか、葛藤しなくても良いとかではなく、「葛藤するかしないか」でさえも、そのPCのキャラクター性だと思うわけです。
 
 逆にいえば、PLが面倒くさがりで、即決したとします。
 その場合、たとえ、PL自身の設定では、そのPCが「優柔不断である」という設定になっていても、その時点でそのPCは、「決断力がある」キャラクター性を帯びてしまうわけですね(笑)(もちろん、PLが「5分ほど葛藤をした後、こう決断します。って言えば、その限りではないですよ。もっとも、GM本人や他のプレイヤーに、うまくその印象が伝わるかどうかは、また別の話…)
 
 ここらへん、私もはじざきさんと同じような認識で、TRPGにおいては「セッション内で表現されたものだけが真実」だと考えています。
 
 その意味じゃ、わたしはPCとPLを完全分離すべきって主張には反対なんですよ。
 
 PCとPLを完全分離するってのは、PCとPLを完全に一体化するのと同じくらい難しい。
 
 となると、さまざまな要素を考慮したら、「基本的には」、PC/PL一体化推奨の方がいいと思いますね。
 
 PCとPLの分離も、さまざまな状況におけるトラブル回避のための便宜上のテクニックとしては意義を認めますけど、それ以上の価値はないでしょうね。
1999年11月13日:16時46分32秒
[究極の選択]脱線:設問改変案のシナリオ化 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#紙魚砂さん[識別子]の提案に応じてくださりありがとうございました。話題のセッティングも。
#なんか、早速賑やかではないですか☆
#紙魚砂さんの狙いどーるに話題が展開するかどーか?
#これも、話題の生命力みたいなもんでしょー。
#悪いンですけど、ちょっと思いついたので、アタシもちょっと話題から脱線(すいません)。簡単にします。
 
 アタシが紙魚砂さんの[究極の選択]設問をアレンジしてみた、「設問改変案」 (「Re:どちらを選んでもいい」,当掲示板,99年11月13日:09時54分43秒)ですけど。
 
 コレ、“GURPS PRISONER No.6”をシステムに想定して、シナリオ化していったら、プレイアブルなシナリオを創れるのではないか、って気がします。もちろん、いろいろアレンジしていかなきゃいけなくって。アレンジの仕方によっては、紙魚砂さんの構想からズレてっちゃうかもしれないンですけど。
 
#こんな感じです。
 新たに「村」に連れてこられたPC達(元スパイ)は、個別に「ある事」をNo.2に告げられるます。
 
 「東側が新たに開発した生物兵器にPC達が汚染されている事が判明した。抗体を作るためにはPC達の誰かに犠牲になってもらわなければならない。

 ある種の生体実験に近い作業に耐えてもらわなくてはならない。
 この“生体実験”の生還率は絶望的。生物兵器に汚染された者の、まだ生命のあるボディを提供してもらっても構わない。

 生物兵器が活動を開始するまでの時間的有余が3日しかない。
 3日以内に、処置をしなくては、No.2自身が仕掛けた小型核兵器が「村」を焼き尽くす。
 もちろん、PC達を「村」の外に出す事はできない。普段以上に厳重な警戒が施されている」

 、、とゆー、極めてウサン臭い話です。
#この辺のウサン臭さ、「プリズナー」っぽいかと思います(笑)。
 
 「設問」の、PCsが仲間の、パーティーだった、と言う点は、PC達が全員、元西側のスパイで、それぞれが個別に共同ミッションをこなした事があるという事前設定を付与しておきます。
 しかし、各PCは、初期状態では他のPC達がそれぞれ、No.2に「ある事」を聴いているかどうか確証を持っていません。
 
 No.2はPC達に個別に、「ある事」を告げた後、死体となって発見されます。
 
 ウーン、まだちょっと苦しいですね。
 最大の謎は、No.2の告げた情報が真実なら、なぜ「村」の機関がPC達を強制拉致しないか? なんですけど(笑)。
 
 えーと、「東側の細菌兵器云々の情報は、No.2の独断で、『村』の外部には伝えていない。
 あまりに時間が無いので、パニックが起こる事を懸念しているのだ。ここは諸君の愛国心と道義心に訴え、誰かが自発的に犠牲になってくれる事を信じている」とか、コレまたウサン臭い事を言うとゆーのはどーでしょー?
 
 繰り返しますけど、この辺のウサン臭さが「プリズナー」の基調フレーバーと思います(爆)。
 もちろんプレイヤーには、「No.2の言う事なんて信じない」って選択肢もあります(笑)。
 
 アタシは、コレ。プレイしてみたい気がしてます(笑)。
1999年11月13日:15時49分40秒
[究極の選択]:RPGの限界 / はしざき
# うふ。来ちゃった (はーと)>いま嫌そうな顔した人

そーゆー極限的状況における選択(冷たい方程式?)を論じたいたいのであれば、RPG以外のジャンルでやるべきなんじゃ?

意思決定のプロセスをキャラプレイという観点から論ずれば、心理的な葛藤が云々って方向に話が進むのは当然だけど、RPGがリアルタイムな会話ベースで進むゲームである以上、忘れてならないのはいかにしてそれを描写するかだと思う。

キャラクターにどんなに複雑な心理的葛藤を与えようがそれは自由だけれど、それをプレイの中で描写できないんであれば、それは少なくてもRPGという形式の上では無意味。どこまで演出可能で、どこから演出不可能かって視点を抜きにして、キャラプレイを語っても自己満足を越える結論はでないと思うなぁ

セッション以外の場所でミニストーリーやイラストを用意して、キャラプレイを補足するなんて補助手段もあるけど、とりあえずここでは無視

ところで、「そんなのRPGじゃなくてもいいじゃん」ってのは、キャラプレイのみならず、RPGのゲーム性について語られてる時にもときどき感じることで、「RPGじゃないゲームをした方がいいんじゃ?」って感じるような主張もときどきみかける。

RPGについてなにかを語るときには、暗黙の了解としてなぜそれがRPGでなければならないのかということを常に意識して話を進めるべきじゃなかろーか。


1999年11月13日:14時08分37秒
[究極の選択]:こんな状況かな? / 混沌太郎
SG派のために「RPGは勝利条件が決まっていないゲームである」等と良く言われたものですが、この手の究極の選択と言うのは、プレイヤーが自分の勝利条件を選択する瞬間がある、と言うことなのかな、と思います。何か敗北の種類を選んでいるだけのような気もしますが。

要するに選び難い選択がある、というのが重要ですから、話の本筋を考えるなら設問の内容に深く踏み込んでも仕方がないような気もしますが、面白そうなのでどういう状況なのか想像してみました。

設問)
あなたには、これまでいっしょにキャンペーンで冒険してきた仲間(PC)がいます。あなたはとある事情から、こんなことを知りました。
「あなたにとって最も親しい仲間(PC)をあなたが殺さないと、あなたとあなたにとって親しいすべての人は3日後に死ぬ。」

状況の詳細)
あなたと、あなたにとって親しい全ての人は、ある病気に冒されていて、3日後に全員が死ぬと予測されている。あなたの最も親しい仲間は特殊な種族であり、その特定の臓器がこの病気の特効薬となることがわかっている。量は十分取れるはずだが、それを取れば間違いなく彼/彼女は死んでしまう。この地は孤立した土地(孤島など)であり、今から外部に救いを求めても間に合わない(従って、付随条件として親しい人が全てここにいるものとします)。特効薬のことはその親友以外誰も知らなかったが、彼/彼女はあなたにだけは隠しておくことができずに話した。当然死にたくはないが、その判断を親友であるあなたに委ねてきたのである。

この設問の問題は、選択肢が二つしかないことを明白にすればするほど、結末1の「自分が生き延びるために、仲間を裏切って殺した奴だと一生罵り続けられる。」というのが、「ほかにどうしようもなかった」という釈明によって弱くなってしまうことでしょうか。

しかしまあ、私の場合、こんな状況でキャラプレしてても空しいだけと感じますね。
私はどちらかと言うと、ただの勝利を、カタルシスのある勝利に変えることにキャラプレの意義を見出すほうなので。
1999年11月13日:12時19分18秒
[葛藤と思考停止]一般論での図式的理解(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ENTさん
#こんにちは(最近よくTRPG.NETでお会いしますね☆)。
 
 さて、ENTさんのもんだい提起は、もっともなもので、かつ大事なものだと思います。
・「葛藤」、そんなに絶対なのか〔絶対的価値があるのか?〕
・〔「葛藤」をせずに〕時間短縮で即決するのは「思考停止」なのか?
・どこからが「葛藤」でどこからが(責められる)「思考停止」なのか? 外側から客観的に判るものなのか?

 
 この三つに絞っても構わないかと思うんですけど。
 
 まず、「葛藤の価値」ですけど、コレがどの程度のものか? は、「セッションの課題」をプレイヤー達がそれぞれにどう理解するか? その理解を通じてセッション過程で徐々に推測が明瞭になってゆく、 「シナリオの狙い」をこれまた、プレイヤー達がそれぞれにどの様な内容で推測しているか? によって程度は異なると思います。
  いろいろな条件が揃わなければ、一般に「葛藤」が絶対、などとゆー事が言えるはず、ないですよね。
●一般には「葛藤」に絶対的価値がある、などとゆー事は言えない(セッションによって違う)。
 
 次に、「葛藤せずに選択肢を決定すること」ですけど。これは、「意思決定」と同形の図式で理解して構わない様に思えます(私見ですが)。
 
 「意思決定」の場合、プレイヤーが、状況をどう判断して、どのようなリスク/リターンを狙って、どのような選択肢を選択したかが推測されれば、速攻で選択肢を決定しても、長考しても、ゲーム・プレイは混乱せずに進行されると思います。
#意図の推測がまったく不可能な選択肢が選択されると、ゲーム・プレイが混乱するわけですよね。
#それが実は、「奇手」と呼ばれる戦略だったりすることもあるとは思います。
 実際は、ゲームごとに手番の時間制限とか、その他の要因で規制されるはずですが。
 
 で、この図式を「葛藤」に適用して考えてみます。
 あるセッションで、「葛藤」の価値が、ある程度認められてる場合を仮定します。
 
 「葛藤」の価値付けは、セッションによってそれぞれですし、セッション中のその認知も、実はプレイヤーごとにそれぞれなはずですが。
 実際は、TRPGでのコミュニケーションが円滑に機能していれば、概ね近似と見なせる程度の価値がそれぞれに抱かれると思われます(これが共有と呼ばれる事態の実態で、「共有」と言うのは、理論的に論じるとすれば、ある種の幻想とも言えるわけです)。
 
 ここで、「葛藤」と言っているのを、「PCのキャラクター性構想とセッション過程で生成される物語状況との相関で、PCの価値基準の矛盾が、PCの言動に反映された演出」と考えてみます。
#TRPGの実在感〔アクチュアリティ〕が増せば増すほど、仮構のPCに想定される価値基準は、実は拮抗や矛盾も孕んだ、複数の価値尺度の複合として構想されると思もわれます。
#例えば、家族に対する価値観と、職業的倫理観と、ジェンダー・ロールの価値尺度、etcが複合したもの、とかそーゆー事です。
 
 でしたら、「意思決定」で「プレイヤーの状況判断や、リスク/リターンの認識」が推測されれば、セッション過程がが混乱しないのと同様に、「PCがセッション過程で生成される物語状況をどの様に認識しているか(認識しているとプレイヤーが判断しているか)」、「PCはどのような価値基準の矛盾を抱えているか(抱えているとプレイヤーが構想するか)」が、他のセッションメンバーから了解可能ならば、「葛藤」を演じる必要は無い、とも言えます(やや極論ですけど)。
 
 従って、セッションで「葛藤」が期待されるある局面では、それ以前で、当該PCの人間性の構想が、他のセッションメンバー(含むGM)に充分了解されるよう、演出・プレゼンテーションされていたならば、短時間での選択が為されても、「葛藤」の内容は、他のメンバーにも充分推測される、とゆー事だと思います。
●短時間で選択肢を選択しても、その局面以前で、PCのキャラクター性が充分プレゼンテーションされており、その内容が充分“共有”されていれば、「葛藤」が表現される事はあり得る。
 
 TRPGでの「思考停止」と「葛藤」とは、外からの観測で判断せざるを得ないです。
 ただ、その判断は客観的なものとは言い難いでしょう。
 間・主観的、または共同主観的なものでしかあり得ないはずです。
 セッション過程を通じてのキャラクター・ハンドリングの説得力と、他のメンバーの把握力によって、「共有」の度合い・判断の確実さが変動する、とも言えます。
 
 ジャンルとしてのTRPGに特徴的なコミュニケーションがどれだけ円滑に活用されてきているか、とゆーもんだいと思います。
●「思考停止」と「葛藤」とは、外部からの観測で判断されざるを得ない。
 しかし、それは客観的な判断ではなく、コミュニケーションに関わるメンバー達の「説得力」と「判断力」が相関した、間・主観的(または共同主観的)な判断でしかあり得ない。
 これを、簡単に、セッション過程を通じて達成された“共有”の度合いのもんだい、と言ってもよい。

 
 実際もんだいとしては、ENTさんの参加されたセッション、もしかしたら「いわゆる演技」に対する期待が大きい方の比率が多いセッションだったのかなー、と憶測もしますけど。
 
>(決断を下した「理由」も説明できますし、責任は(ダイスなどランダムでなく)自分で負うわけですから)
 
 セッションの実際を知らないので失礼な発言になってしまうかもしれませんが。
 この場合ですと、ENTさんのハンドリングされていたPCのキャラクター性がどれだけ、他のセッション・メンバーに“共有”されていたか、がパラメータになると思われます。
 
 一般論で言いますと、キャラクター性のプレゼンテーションが不充分な場合、及び、他のセッション・メンバーの把握能力(←当該PCのキャラクター性に関する他のメンバーの把握)が不充分な場合、説明された「理由」の説得力に不足が感じられる事「も」あるとは思います。
#うえは、理論的な図式化ですので、ENTさんが参加されたセッションに対する、具体的コメントではありません。
#当該のセッション存じ上げないわけですし。
 
 時間配分と「葛藤」のプレゼンテーションのもんだいは、コレはコンベンションなどでしたら、時間配分が優先された方が妥当とされて然るべきかと思います。
 アタシとかがENTさんに言うのはおこがましいですけれど、自宅セッションなどでしたら、もっと融通を効かせた選択肢もあり得ますですよね。
1999年11月13日:11時54分59秒
[究極の選択]議題の提議 / 紙魚砂

>鍼原さん
 識別子の件は了解しました(この話題って続くのか?)。とりあえず識別子

 [究極の選択]

にします(異議がなければ。どっかでダブってそう…)。
 内容は、キャラクター性を生かした「選択肢」の提議、実際に選択する時の考え方、及び「選択肢」を設定するにあたっての考え方などを議論することにしたいと思います。

>ENTさん

 ええと(笑)、実際シナリオにする場合には、ENTさんの言われることはもっともな話で、『どうしてそんな状況になってしまったのか、それを知る過程』がひとつのお話になります。『そしてそれを知ると次に、「どうやってその裏をかいてやろうか」という裏技モードが始まってしまうのですが(笑)(ENTさんwrote)』というところで、『もっといい解決策を見つけることができるか、あるいは、やっぱり他に選択肢はないと認識することができるか』っていうところまでちゃんとやると、それも一つのお話になります。後半の部分の話はまさにそれが「葛藤」の過程なのだと思います。

 で、こういうやり方をすれば、シナリオ中に問題を1つ提議するだけで、話が一つできてしまうのではないでしょうか。
 だから「葛藤」も、シナリオの一つのテーマとして取り上げることができると考えるのですが、どうでしょう。(ちょっとこれは言い過ぎか?…)
1999年11月13日:10時55分46秒
究極の選択(補足) / ENT
(紙魚砂さんwrote)
|「あなたにとって最も親しい仲間(PC)をあなたが殺さないと、
|あなたとあなたにとって親しいすべての人は
|3日後に死ぬ。」


|選択肢)以下の二つのいずれかしか選ぶことはできません(後略)

私がその場に居合わせたら、GMに「どうして(何故)?」と聞いてしまいますね(笑)。

何か、「選択と葛藤」より、どういう理由でその情況に陥っているのか(どうして2つしか選べないのか)、その理由を知る方に興味がいってしまうのです(笑)。

そしてそれを知ると次に、「どうやってその裏をかいてやろうか」という裏技モードが 始まってしまうのですが(笑)(<−ここには、与えられた答えを選択したくない…という「葛藤」がすでに含まれていますよね?)


1999年11月13日:10時28分46秒
葛藤と思考停止 / ENT
「葛藤」というのが興味深く、醍醐味であるというのはよく判るのですが、そんなに絶対なのでしょうか?

先日、あるコンベンションに参加したとき(知る人ぞ知る『深淵』(笑)にプレイヤー参加しました)、参加プレイヤーの中で私一人がが葛藤せずに、(即座に)「決断した」というのがGMにとって不満だったようです。

いや、葛藤は他のプレイヤーが十分していたし、私はそれを見ているだけで十分、楽しかったのですよ(笑)。

私自身も葛藤のロールプレイング(あるいはキャラプレ)をやりたかったですが、おそらく、私もそれをやっていたら、プレイ時間をオーバーしていたでしょう(コンベンションには制限がありますので)

こうした場合、時間短縮で即決するのは「思考停止」と責められるのでしょうか?(プレイヤー的にもPC的にも時間制限で追いつめられていたのです)

「選択する」「決断する」というだけで時間の長短に関わらず、すでに「葛藤」は行われているのだと思うのですが。

(決断を下した「理由」も説明できますし、責任は(ダイスなどランダムでなく)自分で負うわけですから)

どこからが「葛藤」でどこからが(責められる)「思考停止」なんでしょうかね? そこの差は外側から客観的に判るものなのでしょうか?


1999年11月13日:10時09分04秒
究極の選択 / ENT
まるっきり、関係ないとらえ方で申し訳ありませんが、誰(もしくは何)が強いている選択なのか?…というのも考慮に入れて考えたいですね。
それが決まっているなら、まあ、情況的に許されないかもしれませんが、
(1)諸悪の根元の弱みになる存在を見つけて逆に人質を取って、情況改善を交渉するとか、
(2)過去に遡って、選択肢の原因となるものを解決する。
(3)葛藤のあまり発狂して、両方殺害して魔に堕ちる
…とか、抜け道がありそうですが…(それが許されないから究極の選択なんでしょうが…)
1999年11月13日:09時54分43秒
Re:どちらを選んでもいい / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>紙魚砂さん
 ははー、コレは興味深いものがありますね。
 セッションネタ的にはもう少しひねると、選択肢の幅が広がると同時に、葛藤も広大になるので、もっと面白くなるような気がしますが。
 意図としては思考実験ですものね。
 キャラプレ的にお応えします。

 キャラプレ的お応えは、もちろん「キャラクター性の構想によって選択肢は違ってくる」です。
 やや、曖昧なキャラクター性しか構想できませんけど。それから、設問条件は文言の表面上の意味通りに限定して採り、関連事項への拡大解釈の類は排除しました(その方が思考実験の意図に沿ったお応えになると思いましたので)。
 
1.意志力と社会的責任感が強く高潔なキャラクターの場合
 仲間と自分が同時に殺しあうように仕組んでゆく(決闘など)。
 
2.知性と感受性が豊かで、道徳心の強いキャラクターの場合
 仲間を殺害して、自分は殺害者の汚名を受けようとする。(結末【1】に向かう)
 
3.スニーキーな知性はあるが、性格的に弱いキャラクターの場合
 親しい仲間を、完全犯罪で殺すよう試みる。
 
 −−Etc.Etc.
 
 アタシの趣味かもしれませんが、この設問は、少し改変するとセッション・ネタに使ってもよいような課題にバージョン・アップできると思います(紙魚砂さん、とっくにお考えかと思いますが)。例えばこんな改変は、いかがでしょーか?
 
改変版設問)
 あなたには、これまでいっしょにキャンペーンで冒険してきた仲間達(PCs)がいます。あなたはとある事情から、こんなことを知りました。
「あなた達の仲間(PCs)の内、誰か独り(あなたを含む)を、仲間の内の誰かが殺さないと、仲間達が共通に愛している親しい人達のグループが3日後に死ぬ。PCの自殺では、3日後の出来事を回避できない」
 
追記・ご相談:紙砂魚さん、えーと、アタシ、この掲示板で断続的に、[キャラプレ・Tips]の投稿、仕掛けてみたいと思ってるんです。
 いぁ、他の方の反応があまり無ければヒキますけど。幸い、HELLさんが反応してくだすっています。
 えーと、ここは共栄共存を目指して、紙魚砂さんも何かの[識別子]たてる事ご検討いただけませんかでしょうか
 もちろん、御判断はお任せしますです。
1999年11月13日:09時17分33秒
個人の問題をPC間の問題にする / 紙魚砂

 ええ、結局「葛藤」って面白いですが、あくまで個人の領域の話なので、その人の資質に左右されるし、他の人から見て必ずしも面白くないかも知れない。
 で、それぞれの立場(主張)をPCたちに振り分けて、PCたちの間で議論するような形にすると面白くなるのではないかと思います。さらに、それをそれぞれのキャラクター性に結びつけることができたら良いのでは。
 下の、ひどい、私の挙げた例に照らし合わせると、

【1】より多くの命を救うために、多少の犠牲はやむを得ないと主張するキャラクターを作る。
 主張を補完するために、例えば「昔、誰か一人に同情したがために村が滅んで親しい人がすべて死んでしまった」という過去を持ったキャラクターを作り、「そんなことは二度としたくない」と主張させる。

【2】全体のために少数の個人を犠牲にするやり方は卑劣だ、と主張するキャラクターを作る。
 主張を補完するために、「昔、『全体のために』と、ごく親しい人を奪われ、とても哀しい思いをした」という過去を持ったキャラクターを作り、「そんなことは二度としたくない」と主張させる。

【3】当事者を作る。
 よくこの役はNPCがやりますが、PCにやってもらった方が何倍も面白いと思う。それぞれの主張を強化するシチュエーション、お話を提示して、決断を求められる時まで、揺さぶり続ける。

 以上のような構造を作って、それぞれのPLがそれぞれのPCのキャラクター性に引っ掛けて、議論できるような形にすると面白くなるのでは(ゲームとしても成立させやすいし)と思います。
1999年11月13日:08時43分50秒
どちらを選んでもいい / 紙魚砂

 ええと、話が脱線しますが、キャラクター性を生かした「究極の選択」をやる場合、以下のことが大事だと思います。

1)どちらを選ぶこともできることこと。
2)それぞれの選択について、それによって何が得られるのか、何を失うのかをよく理解する過程が存在すること。
3)どちらも本当は失いたくないとGMがPLに信じ込ませることができること。
4)悩む時間が十二分にあること。

 面白いのは、PCとPLの出す結論が食い違う場合ですね。

 うーん、どの例も奥歯に物がはさがったようなぬるいものが多いので、私はさらなるシビアな問いを置いていきましょう。
-----------------------
ルール1)
 これは単純な2択のゲームで、選択肢は2つしかありません。それ以外の選択肢は、想像する事はできてもゲーム上選ぶことはできません。

ルール2)
 やはりこれも人の生死が関係していますが、このゲーム上では「甦らせること」は一切できません。死は、そのキャラクターにとって完全無欠な「終わり」ということにします。

設問)
 あなたには、これまでいっしょにキャンペーンで冒険してきた仲間(PC)がいます。あなたはとある事情から、こんなことを知りました。
「あなたにとって最も親しい仲間(PC)をあなたが殺さないと、あなたとあなたにとって親しいすべての人は3日後に死ぬ。」

選択肢)以下の二つのいずれかしか選ぶことはできません
【1】仲間を殺して自分たちは生き延びる。
【2】みんな死ぬ。

結末)それぞれの選択に応じた結末は、以下のようになるであろう事をあなたは知っています。
【1】自分が生き延びるために、仲間を裏切って殺した奴だと一生罵り続けられる。
【2】あとに、何も残らない。

さて、どうします?
1999年11月13日:02時16分31秒
美しい八方塞がりなシチューエション / MAT.N
映画のセブンをさらに深化させたようなセッションを見た経験があります。(ソバフォーラム・・もとへ、FRPGで)
PCが過去にとった行動の結果として復讐者に狙われ、なおかつその復讐者がPCを直接ねらわず、PCが関わった人を不幸に陥れる行動をとる。復讐者に理もあり、なおかつPCは自己責任感から自殺も不可能。というあたりだったような覚えが。(大分忘れてしまったのぉ)
いや、まさにひくも地獄、進むも地獄。もっとも私がプレイヤーですとたいてい悩まないので、GMもここまで凝ってくれないと思えます。
「苦悩」という事を課題として消化出来るかどうか。プレイヤーの力量が問われるものが実はキャラプレイではないかと考える次第。(しかもちゃんとゲームにもなっていたセッションだったな)
ただ、私はストーリー重視と同じく、畢竟プレイヤー個人の資質に左右され、上達法として普遍化出来ないと今のところは思ってますが。>キャラクタープレイ
1999年11月13日:01時55分17秒
GMにたよるのも… / HELL
>ここで挙げたTipsには注意点があります。
>実は最後の前提が、同卓の他のメンバー、少なくとも大多数の人が、
>あなた同様に、熱烈演技にヒィてるって事です。
>万一、そーでない状況だと、ここで挙げたTipsはうまく行きません。
>もちろん、大多数の人が演技をエンジョイしちゃってても、あなたの時間配分計算が正しい事もあるでしょう。
 そうは言ってもですね、GMの時間配分が正しいと言うわけでも無し、コンベンションで初めてのGMだとGMがどんなゲームをしたいのか分からないことがありますし、やりたくないと言うと角が立ちそうだし,難しいものです、ほんと。
 キャラプレにしたってそれがカッコよければ
 「クアッコイイ〜!!」
 と素直に賞賛しますが、そうでないと
 (何やってんだよ,コイツ)
 と思ってしまう。
 しかも実はキャラプレをしている人だけの問題じゃなくて、自分のテンションの上がり具合もかなり影響するんだよね。
1999年11月13日:01時44分04秒
RE:意思決定法としてのキャラプレが有効になる時の話 / 樫ノ木 智

>先行した部隊が2つあり、襲われている。
>助けるために出動できる部隊は一つしかない。どちらを助ける?
>シミュレーションゲームでもできる (発生する) 状況ですね。テーブルトークに限る話しなんてとんでもない。
>お小遣いで買えるおもちゃを選ぶのと同じような、どこにでもある事柄ですね。

個人的には、「養い子か村人を殺す」のはどこにでもある事柄ではないと思うのですが(^^;)

とまぁ、冗談はさておき、究極の選択はTRPGに限った話ではないですが、キャラプレをするときにはあったほうが良いプレイだと思いますし、ネタ的に議論できるものだと思いますよ。
私としては、決断プレイは、自分ではない自分の分身が、その時何を考え、どんな決断をするかと言うプレイができるから、TRPGに向いた手法だと思いますし。

確かに、Aと言う部隊とBと言う部隊のどちらを助けるか、と言うSLGでもある現象かもしれませんが、「より有利になる方、もしくは不利にならない方を決断」と言うSLGのプレイに対し、「キャラクターとして加勢するのはどちらにするべきか?」と言う有利不利を省いた人間性(…と言うと大げさかな?)のプレイが出来ますからね。
SLGでそのプレイをした場合は、もはやSLGではないと思いますし、ゲームとしても負けることになりますしね。

#私は、SLGとTRPGの大きな違いは勝ち負けがあるか、ないか、だと思ってます。
 確かに勝ち負けのあるTRPGもありますけれど、SLG要素が大きいからそうなるのでしょうから。
1999年11月12日:21時10分10秒
[熱烈演技統御Tips]表現内容を憎んで演技を憎まず(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@ENTさんWrote (「[キャラプレと演技]回答」,プレイング研究室 LOG 029,99年11月11日:21時22分42秒)
>他の方の「熱演」には私も引いたり、うんざりしたりすることがありますし…(…逆に尊敬したりもします)
 
 えー、アタシ的には残念なことですけど、うえでENTさんが言われた様な思いを、多くの人が持ってられることはわかります。
 キャラクター・プレイヤーこそ、時間配分の意識を持つべきなのですが。実はアタシも知人宅セッションだとついやりすぎてしまう事あります(汗)。
 
 と・とりあえずですね。熱烈な演技を統御するためのTipsを提案してみようと思います。
#みなさんもよければ、Tips提案してください。
 
 あ・統御と言うのはですね、機械を制御する様に、思う通りにコントロールできるわけではない(当たり前ですけど)、こー、馬とかを御するよーに、うまくコントロールしよーとするTipsって含みです。
 
前提:また、コンベンションや単発セッション。理由は、やっぱ、サークルやキャンペーンより難易度高いから、です。
 
原則:コンベンションの限られた時間でスムースにセッションが展開するよう、できるだけ角をたてない、統御法を考えてみます

前提:えーと、中には、ここで提案する統御法が通用しないツワモノもいるかもしれません。そーゆー意味では、必勝法ではありません。
 それから、シーン・チェンジは基本的には、GMさんの役割ですね。ですから、なぜかGMさんが熱烈演技を中断するキューを出していないって状況を想定しています。
 
 熱烈演技が高じて、独演状態に近づいてるとき、ヒィてしまうと実はマズイです。
 演技に熱中してる人、セッションの状況を見てないわけではないのですが、やはり視野狭窄や意識変成みたいな感じにはなってますので。ヒィてると、「あ〜、みんなアタシの演技を注目してくれてるわ☆」とか、ユニークな状況判断をしてしまいます(笑)。
Tips1:ヒィてしまってはいけない。
 
 では、どーするかと言うと、「気持ちがヒキそーになってる」ことを、その時の相手が受け止め易いコミュニケーション形態で伝える方が効率がよいです。
 もし、あなたがよければ、直接話法(PC発言)に翻訳して、「ヒィてる状態」を伝えてやってください。その方がコミュニケーションが歪まずに伝わります。
 直接話法・間接話法、入り交じりでも結構です。ただ、多少は直接話法が入ってた方が、コミュニケーションが採り易いです。
#「いやー、直接話法なんかしたくないよー」って方へのTipsは後で書きます。
 
 ここで直接話法と言っても、別に、大した演技をする必要はありません。
 いえ、熱烈演技に、力の入った演技を絡ませると、それはそれで相手は勘違いします(笑)。
 「あぁッ・アタシの演技にノッて来たわ☆」とか思われると、熱烈演技にさらに拍車がかかってしまいます。
 
 ですので、例えば、「PCが、呆れてる様子」、又は「PCが疲れてる様子」を直接話法(場合によっては間接話法も取り混ぜて)伝えてやると、相手の人が、ちょっと調子に乗って脱線してただけのプレイヤーさんの場合「ハッ」と視野狭窄から回復することがあります。
Tips2:ヒキ気味になってる卓の状態をPC発言に翻訳して伝える(その方が伝わり易いから;笑)。
 
 相手の人柄をみて、PC発言か、PL発言かギリギリの線を狙えると、より効果的です。
 例えば、「あー、あの人(キャラ)、あーゆー人みたいですから、構わないほーがよいみたいですよ」とか、「セリフ」で言っても構いません(セリフだったら構わないです)。
 実際ほっておいて、残りのPLsで作戦会議をはじめちゃっても構わないと思います。
 もちろん、相手の人が演技を切り上げたら、作戦会議に入れてあげてくださいね。
 
 もし、相手の人が怒り出したりしたら(アタシはめったにそーゆー人いないと思うんですけど)、その時はPL間対話で、「いや・作戦練らないと、次のシーンの時間がたりなくなるといけないからさ」とか、冷静に言ってあげてください。
 
 それでも、スネたり・ゴネたりする人がいたら、GMさんにゲタを預けちゃったほーがよいでしょー。
 
 それから、アナタが、PC発言なんかで、演技に関わりたくはないってポリシーを持ってられる場合ですね。
 ややリスクが増します。ですので、できたら同卓のPC発言にアレルギーの無い方に対応を委ねた方がよいです。
 
 けどいつも、そーうまくいくとは限りませんね。
 まず、当のPLさんに聞こえるように、他のPLさんと会話をしかける手があります。
 「そろそろ作戦会議しませんか」とか。
 
 この時PLのことや、プレイスタイルの事は問題にしない事です。そーすると角が立つことがあります。
 相手の人は、多分演技はTRPGに必須と思ってますから。
 掲示板ではないので、手間のかかる議論で時間を潰すのは得策ではないですよね。
 ですから、あくまで、セッションの時間配分の事と過剰演技でロスした時間の事をそれとなく比較した方がよいです。
 
 演技自体を否定すると角が立って、結果として時間のロスに繋がる公算が高いです。
Tips3:時間配分のことを相手の耳に入るように話す。
 
 それでも、演技・独演を止めない人がいたら。これは相当演技を愛しちゃってる人だと思います。
 もー、GMさんに頼ったほーがよと思います。
 この時、相手の演技を中断するようにと、GMさんに働きかけるのは下策です。
 
 オススメは、GMさんに向けて「ハイ」と挙手をしてみせることです。
 恥ずかしくても「ハイ」と声を出して手を挙げるのがよいです。
 この声で、演技に熱中してる人があなたに注意を向ける事もありますので。
 
 もちろん、GMさんがあなたに「何ですか?」って尋ねてきたら、はっきり「そろそろ作戦会議したいんですけど」って言ちゃってください。
 GMさんが、あなたに発言権を認めた、って形をはっきり見せておくことがポイントだったりします。
Tips4:GMさんをあなたの方に引き込む
 
 どーでしょー、アタリ前の事ばかり書いてるかもしれませんけど。
 結構面倒ですか? でも、コンベンションでは見知らぬ人がセッションやってるわけですから、ある程度スクウェアに事を運んだほーがよいと思います。
 
注意:ここで挙げたTipsには注意点があります。実は最後の前提が、同卓の他のメンバー、少なくとも大多数の人が、あなた同様に、熱烈演技にヒィてるって事です。万一、そーでない状況だと、ここで挙げたTipsはうまく行きません。
 もちろん、大多数の人が演技をエンジョイしちゃってても、あなたの時間配分計算が正しい事もあるでしょう。
 その場合は、あなたの状況判断で、適宜戦術に修正を加えていってください。
 
 演技やキャラプレが嫌な人は同じ志向性のGMさんと、同じ志向性のプレイヤーさんでセッションする手もあるんですけど。
 コンベンションでそれを見分けるのは、また別のTipsだと思います。
 
追記:この投稿の中の「間接話法」、「直接話法」については、sfさんの「TRPG百科事典」の、「間接話法《テクニック名》」、「直接話法《テクニック名》 」の項目を参照してください。
1999年11月12日:19時39分56秒
RE:意思決定法としてのキャラプレが有効になる時の話(キャラプレによる「ゆらぎ」) / YAN
 
 あ…。改めてタイトルを見たら、PALM-12さんの言いたいこと分かったような気がしました(;^^)。
 
 ええと、先ほど書いた通り、キャラプレによる判断は、必ずしも「合理的」な行動を導くものではなく、
 多分に「感情」の要素が入りこむ余地がありますよね。
 
 ここからすると、「合理的な基準だけで判断すると選択肢が決まってしまう」ような状況であっても、
 他の選択肢を選ぶ(提示する)ことが出来る=選択肢を広げることが出来るというわけですよね。
 
 つまり、意思決定の際、普段選ばないような未知の「分岐点」を選ぶことが出来る、と。
 
 まぁ、あまり広げ過ぎても手に負えなくなりますケド(;^^)、プレイ時間やメンツなど、周りの状況を
 加味しながら、そういった「ストーリーのゆらぎ」を入れてみるのは良いことかもしれませんね。
 (もちろん、広げた分の責任は、出来るだけ自分で解決しないといけませんけどネ)
1999年11月12日:19時23分04秒
RE:意思決定法としてのキャラプレが有効になる時の話 / YAN
  
> PALM-12さんWROTE
> [設問]:貴方の養い子を殺すか、見ず知らずの100人の村人を見殺しにするかを決めなさい。
> で、簡単に選択肢を考えると (1)養い子を殺す(2)村人を見捨てる ぐらいでしょうか?
 
 うーん、なんか死者に鞭打つようですけど(;^^)、これ以外にも選択肢はありますよね。例えば
 (3)どちらも助けない (4)両方助かる方法を考える とか。
 まぁ、(4)を選んでも、何も思い付かず結局(1)〜(3)の結果を迎えるケースも多いですけどネ。
 
 それはそれとして、判断基準としてキャラプレというか、PCの設定を元にするのはアリですよね。
 ただ思うに、どちらかというとキャラプレは、「判断基準」というよりは「葛藤と感情移入の促進、
 及びそれを表現する手段」
というほうが近いのではないかと思います。
 
 キャラプレによる判断は、必ずしも「合理的」な行動を導くものではなく、多分に「感情」の要素が
 入りこむ余地があります。やっぱこー、悩む場面でこそ、キャラプレも生きてくるのではないかと(笑)。
 
# PALM-12さんの挙げられた例は、日常生活では味わえないタイプの葛藤ですし、
# また囲碁や将棋のように、合理的な見地から判断を下すものとは趣きが異なりますよね。
 
 折りしも「究極の選択」と言う単語が示すように、このような設問は「悩むため」のものだと思います。
 だからこそ、キャラプレは単なる「判断基準」ではなく、より深く楽しく(笑)悩む為の手段であり、
 また、それを表現する為の手段と言えるのではないでしょうか?
 
 全く悩まずに「自分のキャラは〜だから〜する」と言われても悲しいですよね(;^^)。
 やっぱりキャラプレは「表現」してこそのものだと思います。 
(「演技」じゃなくて「表現」ね。単に心情を説明するだけでも十分キャラプレだと思います)
1999年11月12日:19時09分10秒
プレイング研究室 LOG 029 / sf
 プレイング研究室 LOG 029として1999年11月09日から1999年11月12日までのログを切り出しました。

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