TRPGのための心理学設定の部屋 LOG 002

TRPGのための心理学設定の部屋の1999年02月06日から1999年11月30日までのログです。


99年11月30日:16時24分01秒
追記:本の紹介とレス / Yosh

先日の投稿の追記です。

「精神分析に別れを告げよう」については東雲さんに調べていただいたので(ありがとうございます。ぜんぜんおせっかいじゃないですよ)、もう繰り返さないとして、とりあえずもうひとつの本を調べてきました。

心理学の効用と限界 H.J.アイゼンク著、誠信書房、800円
(この値段は昭和45年のものです、今はもっと高いと思います。)

あと、こんな本もあります。

ハインズ博士「超科学」をきる Part II テレンス・ハインズ著、化学同人、価格不明
 大学の一般教育用のテキストとして書かれた擬似科学批判書です。2冊ありますが、パート2の第3・4章で精神分析を取り扱っています。大学生用なので読みやすいですが、批判としてのレベルはさほどでもなく、科学論を多少なりとかじっている人には不満かもしれません。ただし初学者にいきなりレベルの高い本を読めといっても無理なので、入門書としてはおすすめです。

精神分析の基礎 科学哲学からの批判 アドルフ・グリュンバウム著、産業図書、価格不明
 完全に読みこなすにはかなりの知識が必要な本ではないかと思いますが、傑出しています。一般的な(ありがちな)精神分析批判にも目を向け、それらの批判力も範疇に入れて議論している点は頭が下がるばかりです。日本語版には数章の割愛があるのが残念。読むのはしんどいです。私もふうふういいながら読みました。

あと、鍼原さんへのレスですが。

<<<ここから引用
 これは、言っておいた方がよいと思うのですが。
 アタシは素人ですので、素人だからこそ、センモン筋の方のご意見は、態度保留にして聞かなくてはいけないと思っています。
 心理学や精神分析学に限らずですね。
ここまで引用>>>

 あ、いや、別に失礼ではないです。専門家だからといってその人の意見をうのみにするのは危険ですよね。あと、あえて付け加えるとすれば、次のよく言われる言葉でしょうか。
「ある本を批評するとするなら、その10倍以上の文献を読まないといけない」
この言葉、おそらく鍼原さんも共感していただけるのではないでしょうか。

<<<ここから引用
 ですので、Yoshさんの臨床の精神分析に関するご意見も、いろいろ思うところあるのですが、とりあえず、態度保留にしてアイゼンクの本を読んでみたいと思っています。臨床は社会性と個人性が交叉する領域でもあると思いますので、なおさらと考えています。失礼な言い方かもしれないですけど、社会性が関わる場合はセンモン筋のご意見でも、鵜呑みにするわけにはいかないと思っています。
ここまで引用>>>

 あ、ちょっと待ってください。私はまだ自分の態度というか立場を部分的・間接的にしか表明して(できて)いませんよ。今日はあまり時間がないので、その辺にまで踏み込むのはやめておきますが、私自身の立場と、典型的な心理学者の立場、それにアイゼンクの立場は重なりこそすれ、別物だと私は考えてます(たとえば、私は多少科学論・科学哲学をかじっているので、ナイーブな科学絶対主義には染まっていません)。今度時間があるときにでもそういう話題が出来るといいですね。

99年11月30日:13時33分01秒
『精神分析に別れを告げよう』についてのお礼(Re:お節介かもしれませんが…) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>東雲さんへ
 情報ありがとうございます。

 ¥3400ですか、やっぱり高いですね(苦笑)。

 批評社、歴史・社会関係の内容ならなんとか読めるかと思いますし。思想・文芸批評方面ならまずイケると思いますが。心理学かぁ。

 実際は、立ち読みか、図書館でザッと観てから購入する/しないを決めるしかない値段ですね。

 これは、言っておいた方がよいと思うのですが。
 アタシは素人ですので、素人だからこそ、センモン筋の方のご意見は、態度保留にして聞かなくてはいけないと思っています。
 心理学や精神分析学に限らずですね。

 専門家としての業績は立派でも、にんげん性にもんだいがある人はどの分野にもいると思いますし。

 ですので、Yoshさんの臨床の精神分析に関するご意見も、いろいろ思うところあるのですが、とりあえず、態度保留にしてアイゼンクの本を読んでみたいと思っています。臨床は社会性と個人性が交叉する領域でもあると思いますので、なおさらと考えています。失礼な言い方かもしれないですけど、社会性が関わる場合はセンモン筋のご意見でも、鵜呑みにするわけにはいかないと思っています。

 しかし、『精神分析に別れを告げよう』の副題、「フロイト帝国の衰退と没落」ですけど、読んでいないにんげんが態度保留しようと思っても、思わず反感を抱かせる力は強烈ですね(苦笑)。

 日本語版につけられた副題、との可能性も否定しきれませんし。また、こうした類の強烈さに惹かれる人も、いるとも思いますが。

 後は、『心理学の効用と限界』ですね、今度都心にゆくことがあったら自分でも調べてみるつもりではいますが。どうも、題名から想像するに、こちらの方が重要な気がしています。

#ところで東雲さん、差し出口で恐縮なのですけれど、TRPG.NETでの投稿なんですけど、投稿の題名は「簡易掲示板・ゲストブックの新着情報からみて投稿内容の推測がつくものでが好ましい」旨が、「簡易掲示板利用マニュアル」で推奨されていますです。
#「お節介かもしれませんが…」はちょっと推測むづかしいと思いますです。
99年11月29日:23時52分24秒
お節介かもしれませんが… / 東雲
>Yosh氏・鍼原氏へ

知らなかった。アイゼンクはそういうこともしていたんですね。これでひとつ賢くなった(笑)。
ちなみに、研究室に「精神分析に別れを告げよう」のコピーがありました。読んだことなかったけど。
おそらく過去に学生が卒論か何かのためにコピーしてきたものでしょう。

アイゼンク,H.J. 著/宮内 勝 他監 1988「精神分析に別れを告げよう フロイト帝国の衰退と没落」批評社

です。値段は3400円になっています。高いですね。
99年11月29日:10時27分23秒
Re:アイゼンクの功績 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Yoshさんへ
 
>両方とも今手元にないので出版元等がわかりません。今度調べてきますね。)
 
 早速、ありがとうございます。
 お手数ですがお願いします。
 そんなに急ぐ性質のお願いではありませんので。
 あの、ですね、できたら、刊行時での価格をゼヒ、お願いします。さびしー懐と相談しますので(苦笑)。
99年11月29日:05時24分34秒
打倒精神分析についてのアイゼンクの功績 / Yosh

 じゃあ、もうちょっと精神分析の話、つづけますか。TRPGに関係なくていいかげんうんざりしている方がいらっしゃったらすみません。とりあえず今回は鍼原神無さんへのレスです。他にも関心がある方がいらっしゃればいいのですが……。

<<引用ここから
 アタシはYoshさんが挙げられた、「アイゼンクの尽力」というムーブメントは知らないでいます。

 個人的に興味があるので、お教えいただきたいのですが。
引用ここまで>>

 了解しました。難しい課題ですが、私の力のおよぶ範囲で説明させていただきますね。 とりあえず前提として、アイゼンクの精神分析学打倒をムーブメントと呼ぶのは(私には)ちょっと違和感があります。というのも、ムーブメントというのは(私の手前勝手なイメージによると)「比較的急速に起こった」「思想や流派などの比較的主観的なもの」の変革に使う言葉だからです。それに対してアイゼンクの功績は、長い時間をかけてなされた、科学的なものです。もしその辺りを誤解されたままだと、後の話が通じづらくなってしまいますので、一応その点は指摘させてください(もしそういう意味で使われていなかったらすみません)。
 あと、アイゼンクのことをご存じないのはもっともだと思います。彼は心理学者の中では超がつくほどの有名人ですが、外部からは全くの無名ですから。大ざっぱに紹介すると、彼は方法論と科学理論構築にうるさい科学的心理学者というようなイメージの人です。専攻は人格心理学ということになっていますが、非常に守備範囲の広い人で、人格や行動の生物学的基礎、心理学研究法、精神分析批判、今で言う健康心理学なんかを手がけていました(最近、惜しまれつつ亡くなられました)。守備範囲の広さに関わらず、非常に高いクオリティの研究を精力的にこなし続けた本当に偉大な心理学者です。

<<引用ここから
1.そのムーブメントはいつ頃の出来事だったのでしょうか?
引用ここまで>>

 アイゼンクの経歴についてはあまり詳しくないのですが、恐らくこれは「いつ頃」と言えるような期間ではなく、彼のライフワークだったのではないかと思います。ちなみに先日紹介した「精神分析に治療効果がない」という論文は確か1965年のものだったように記憶しています。

<<引用ここから
2.ムーブメントの動向について、日本語で読める一般向けの概説書をご存知でしょうか?
引用ここまで>>

 他ならぬアイゼンク自身の著作があります。彼の著作であるがゆえに全般的な動向はつかめないかも知れませんが、彼の主張を理解するにはもってこいです。

「精神分析に別れをつげよう」
「心理学の効用と限界」
(ともにアイゼンク著。申し訳ないのですが、両方とも今手元にないので出版元等がわかりません。今度調べてきますね。)

 前者は科学的見地からの精神分析批判を目的とした一般書です。後者は一部前者と同様の批判があるのに加え、彼自身の考え方や心理学そのものについても広く語られており、間接的に理解を深めるのに役立つと思います。
 ただ、それらを取り巻く経緯などを記した本となると、ちょっと思いつきません。私が知らないだけかも知れませんが、そもそも心理学の分野では(専門書・一般書いずれも)そういったタイプの本ってなかなかないような気がします。

 ……とりあえず今回の投稿は質問に答えるだけにとどめておきます。実はもっと長い文章を書いていたのですけど、ここの時点であまりに長すぎるので。
99年11月28日:07時56分15秒
Re:精神分析的治療法について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>Yoshさんへ
 こんにちは、はじめまして。
 
 アタシはYoshさんが挙げられた、「アイゼンクの尽力」というムーブメントは知らないでいます。
 
 個人的に興味があるので、お教えいただきたいのですが。
 
1.そのムーブメントはいつ頃の出来事だったのでしょうか?
 
2.ムーブメントの動向について、日本語で読める一般向けの概説書をご存知でしょうか?
 
 ここで一般的と言っているのは、大学卒業程度の社会人を想定した一般向け概説書です。
 
 新書本レベルからうえの難易度で結構です。
 
 曖昧な目安ですが、サイマル出版界、有斐閣、大修館、あたり、場合によっては、みすず書房程度の難易度のものがありましたらお教えいただきたいです。
 法政大学出版局とか、東京大学出版局のレベルまでゆくとアタシの手にあまる気がします。
 
 アタシの個人的興味の内容について書いておいた方がよいかもしれません。
 
 アタシはフロイト派の精神分析学には、基本的には文芸批評のツールとして、それから現代思想の深源のひとつとして興味を持っています。
 
 例えば、ある映画を観て自分が面白いと思ったときに、どこがどう面白いのだろうと分析する場合、便利な分析ツールのひとつと思っています。
 
 後、例えば、ラカンの「無意識は意識同様構造化されている」これは興味深い着眼点と思っています。
 
 それから、ラカンが提示した「象徴界」の観念、これは個人的には欧米社会に適合性が高いと気がしますが。しかし、その妥当性の範囲も含めて、文化記号論の検討課題であるはず、と考えています。
 少なくともその辺の整理がつくまでは、文学としての精神分析学は滅びてはいないと思う、と、このようなパースペクティブです。
 
 だったら、臨床としての妥当性などは、直接関係してはいないわけですが。
 それでも関連事項としては強い興味があります。
 
 こんなような興味の持ち方でよろしかったら、ぜひ「アイゼンクの尽力」についての情報、お教えください。
 
 話は変わって、アタシが示唆してきた過去LOGでの意見ですが。
 アタシはYoshさんのおっしゃるようには文脈を読めませんでした。実は困ったことに、Yoshさんの言われるような意図は読み取れないでいます。
 もちろん、アタシの文脈読解の理由のひとつには、Yoshさんがお持ちの様な知識をアタシが持っていない事はあるはずです。 しかし、コレはアタシは当然の事と思っています。
 
 では、知識の不足以外、どこにそういう文脈を読み取る理由があったか、とゆー説明をする事もできるのですが。そこまでするのはやりすぎのような気がします。元凶のアタシが言うのはアレですが、あまりに前のコメントですので。
99年11月28日:01時15分52秒
精神分析的治療法について / Yosh

 お久しぶりです。初めましてと言った方がいいかもしれませんね。久々にのぞいてみたら精神分析学やら臨床心理学の話になってますね。TRPGの話題じゃないですけど、ちょっと首をつっこませてください。

 ちなみに、私は実験人格心理学を研究しています。ちょうど実験系と臨床系の中間の分野と言っても良いかも知れませんね。臨床心理学や精神分析学については、どちらかというと批判的な立場です。ですから、「精神分析的療法で治療される患者さんがかわいそう」という発言の意図がわかるような気がします。

東雲さんが

>治療という側面から見れば、方法が認知療法であろうが行動療法であろうが、
>そしてフロイト派などの精神分析的な治療法であろうが、患者が治療されれば
>いいわけですから、まったく問題はないと私は考えています。たとえそれが
>文学的と言われるような手段であろうともです。

と、書かれていらっしゃいますが、これは全くその通りだと思います。
 ですから、精神分析的療法は果たして神経症の治療に効果があるのかというのが問題点になるはずです。これをアイゼンクという(心理学の世界では)有名な心理学者が調査したところ、精神分析的療法は効果がないどころが、逆効果になっているという結果が得られました。その後アイゼンクの尽力によりイギリスでは精神分析的療法は急速に力を失い、アメリカもそれに追随してかなり勢力を失ったようです(これがらみの訴訟がかなりあるらしい)。
 以前の投稿者の方も心理学の専門家だったようですから、この辺りの経緯をご存じだったのではないかと思います。精神分析学は科学でないから役に立たないというような話ではなく、精神分析学は治療法としては好ましくないというようなことを言いたかったのではないでしょうか。
99年11月27日:01時30分59秒
臨床心理学について / 東雲
>ディアス・ダロ氏
臨床心理学については専門ではないのであまり詳しくはありませんが、
治療という側面から見れば、方法が認知療法であろうが行動療法であろうが、そしてフロイト派などの精神分析的な治療法であろうが、
患者が治療されればいいわけですから、まったく問題はないと私は考えています。たとえそれが文学的と言われるような手段であろうともです。
私が精神分析学に否定的な見方をしているのは、平たく言って「人間の心の設計図を完成させる」という目的を持っている学問上の立場からです。
そういうわけで、私としては鍼原氏の意見を支持させていただきます。

ただ、心理学と臨床についてはちょっと複雑でして、現在の心理学は私のような認知科学系と、世の中の人が心理学といって思い浮かべるような臨床心理学系
の2系統に分かれておりまして、互いの交流がほとんどないような状態なのです。私も含めてほとんどの認知科学系の心理学者は臨床系の論文に目を通すことはほとんどないし、
逆もまた真です。認知科学系の心理学者は、人間の心の仕組みを解き明かそうという立場から「臨床心理学は心理学じゃない」と主張する人が多く、
一方、臨床系は私たち認知科学系心理学を「ミクロなことに目をとられて、学者の自己満足に終わっている」と批判しているようです。
心理学という学問が2つの別個な学問に分裂する日も近いのではないでしょうか?
こういったのが心理学の現状なので、いわゆる科学的な心理学の大部分は臨床には関わっていない、と言い切って良いと思います。
ただし、どのような科学でも臨床に関わる人々がいるのと同程度に、認知科学系の心理学の中にも臨床に関わる人がいることは確かですが。

なお、これは認知心理学者として見た心理学観ですので、私の話を鵜呑みにせずに、他領域の方の話も聞いてみるとbestです。
ただ、血液型人間学は心理学ではない(科学ですらない)のでご注意を。
99年11月26日:17時57分58秒
科学と臨床 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ディアス・ダロさん
#お久しぶりです
 
 どうでしょうか。
 仮にディアス・ダロさんが言われるような趣旨の意見があったとして。
 
 実際に癒されている人の立場からしてみれば「余計なお世話」ではないでしょうか。
 「かわいそう」などと言われたらですね。ほっといてくれと思う人、少なくないのではないでしょうか。

 これは、フロイト派の治療だけに限らず、ユング派の治療に関しても言えることと思います。

 臨床と呼ばれる分野はむづかしい性質を孕んだ分野と思います。科学的でないという含みではありません。しかしより応用科学的、技術的な分野である、とは言えるでしょう。社会性も関わらざるを得ないし。
 
 精神分析学と心理学がどちらかだけでも、臨床に関わらなければ、アタシももっとスッキリと「精神分析学は、科学的な心理学と関係ない分野」と言いきる事ができるのですが。もしそうだったなら「関係なくもない」とか曖昧な事は言わないで済ませる事もできると思います。
99年11月26日:15時57分11秒
科学と文学 / ディアス・ダロ
 >鍼原さん
 
 ご指摘の過去LOGの記事ですが、わたしは、「科学的な治療法があるのに、文学的な治療を受けさせられている患者さんはかわいそうだ。」という文脈でかかれているのだとおもっていました。
99年11月26日:08時44分54秒
Re:やっぱり精神分析学って… / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>東雲さん
 こんにちは、はじめまして。
 
 精神分析学が滅び行く学問ではないか。
 東雲さんの言われる事はアタシには不快ではありませんでした。
 
 文脈を判断してですね。
 東雲さんの言われる事は研究者の方の実感と思いますので。
 
 アタシがずっと、とても不快だったのは、過去LOGで公開されてる別の方の意見です(もう古いコメントですのでレファランスは書きません)。やはり文脈を読んで不快でした。
 
 精神分析学は、科学としては滅びゆくのかもしれません。
 いえ、多分滅びゆくのでしょう。
 
 ところで、文学(文芸・歴史・哲学,etc)では古典の価値というのは、科学でのそれより重いです。
 ご存知のように、精神分析学ルネッサンスもフロイトの著作の読み直し・読み替えのうえに成り立っていました。
  
 アタシが思う事は、科学とは言えない学問にも重要なものはある、という事です。
 
 例えば、ゲシュタルト心理学が、認知科学の体制の内に吸収されても、現象学は滅びはしないわけです。
 哲学学派としてすら、時代遅れと観られるかもしれませんが。現象学的社会学、現象学的宗教学、現象学的歴史学、etcという形で貢献はしているわけです。
 
 うえの様なパースペクティブとは別に、後、極・個人的に「精神分析学の治療を受けるような人はかわいそうだ」と言った趣旨の過去LOGの意見、こちらの方は個人的に不快でした。
 
 ここの掲示板は、過去LOGがずっと残る形式ですので、一度何かの機会に書いておきたいと思っていたンです。
 
 とゆーよーなわけですので、東雲さんの書かれた事はアタシは特に不快とかではありませんでした。
 
 これからもよろしくお願いします。
99年11月26日:03時51分24秒
やっぱり精神分析学って… / 東雲
研究者の立場にもよるけど、やはり精神分析学ってのは滅び行く学問ではないでしょうか?
心理学という学問は非常に歴史が浅く、その分発展のスピードは他の学問よりも速いのではないかと思いますが、 そういう意味で、60〜70年代というのは心理学にとって非常に大昔のことなんです。
現在の心理学は認知科学の一部であり、かつてのゲシュタルト心理学や精神分析学で言われていた内容は、 たいてい認知科学的な方法で新たに定義され、
さらに脳科学や分子生物学の分野でそのモデルの妥当性が確認されている、 という状況にあります。まあ、脳科学や分子生物学では思考過程などの複雑な認知過程は未だに証明されないのですが。
心理学の世界では1980年代の論文でさえ「古い」と言われるほどなので、鍼原氏の引用は、歴史としてならば問題はありませんが、 現在の精神分析学を語る上では時代錯誤(失礼)ではないでしょうか?

ただフロイトの精神分析学は、現在では「性的に抑圧されていた当時の上流階級の女性のみに妥当」との見方が一般的ですが、
無意識という概念を提唱したということは、もっと評価されてもいいのではないかと思いますが。
また、TRPGのシステムを自作するような場合は、精神分析学のような考え方はユニークなシステムの作成の参考になるのではないでしょうか?


…なんか、変なことを言って申し訳ありません。一研究者の戯言だと思って聞き流して下さい。
ただ、知っている人はいいとして、心理学をよく知らない人は鍼原氏がおっしゃられるようなことを、現在の心理学者も研究していると勘違いしている場合が多いので、
こういう意見を見るとつい書き込んでしまう癖があるのです。
申し訳ありません。この書き込みで、何か不快な気分になりましたら謝罪いたします。
99年11月23日:00時42分42秒
部分修正:《無意識》の根源的《欲望》の構想 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#TRPGとも「キャラプレTips」とも直接関係しない精神分析学の話題です。
 
>#20世紀の20年代〜30年代にヨーロッパ(主にフランスを中心にした大陸)では、フロイトの著作の再評価を基本にした、精神分析学ルネッサンスがありましたので。
>#精神分析学が、20世紀思想や、文芸批評に大きな影響を与えたのも、この再評価の影響なンです。
#「[出張キャラプレTips【上級】]《無意識》の根源的《欲望》の構想」  (当掲示板,カンナ記,99年11月18日:20時09分44秒)
 
 上で触れてる、20世紀思想にいろいろな影響を与えた精神分析学ムーブメントの立役者はJ・ラカン〔1901〜1981〕とゆう人です。
 
 この人は、1927年の国際世親分析学会で「鏡像段階」とゆう重要な概念を発表しています。
 
 20年代〜30年代には、ドイツ現象学のフランスへの紹介、ゲシュタルト心理学への注目などの動きがあり、先の投稿では、それを指して「精神分析学ルネッサンス」と書きました。
 
 実は、この掲示板をROMしてる友人が電話で議論を仕掛けてきまして(苦笑)。
 一般に「現代思想での精神分析学ルネッサンスと言われるムーブメントは、20世紀の60〜70年代」、とゆう事で議論が決着しました。←この太字部分が修正個所となります。
 
 アタシの考えでは、「60〜70年代のムーブメントの深源は20〜30年代にあると思うのですが。
 それはアタシの偏った意見という事に改めます。
 確かにラカンの主著とされる『エクリ』の刊行は’66年、その他にも重要とされる書籍の刊行物が集中しています。例えば、P・リクールの『フロイトを読む』(’65年刊)、マノーニの『反精神医学と精神分析』(’70年刊)です。
 
 「20世紀的な精神分析学ルネンッサンスは60年代〜70年代」とした方が一般的だと思われます。
99年11月18日:20時09分44秒
[出張キャラプレTips【上級】]《無意識》の根源的《欲望》の構想(長いです) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 心理学と、ちょっとだけ関係なくも無い話をしよーと思います。
 「精神分析」の話なんですけど。
 
 最初にチョコってお断りしときますケド。実はこの掲示板の過去LOGで「精神分析は心理学ではない」って意見が公開されてます。
 詳しく言うと「心理学は科学だけど、精神分析は文学だ」って意見なんですケド。
 
 この件、アタシのスタンスは。「精神分析が文学」だってゆーのは当然と思ってます(詳しくは後述します)。 ただ、例えば、アタシの手元にある、『キーワードコレクション心理学』(重野純・編,新曜社)には、「精神分析」の小項目ありますし、『ブックガイド心理学』(本明寛,日本評論社)には、「フロイト『精神分析学入門』」の章があったりもします。
 
 どんな分野でも(TRPGでも;笑)、センモン筋の間では、ほかからはわかりづらいやりとりがあるんって事だと思いますケド。
 とりあえず、他に適当な掲示板も思いつきませんし、「精神分析学」、「心理学」と関係なくはない、ってことにして、投稿します。
 
■欲望と《欲望》
 「欲望」って言葉は、大抵の日本語辞書では「欲する心、気持ち」みたいな、ニュートラルな記述ばかりがされてると思います。
 アタシが持ってる版だと広辞苑でもそーなんですね。
 
 一方、日常会話で「欲望」ってゆーと、圧倒的に、「ワガママな、とか手前勝手な、とか分をわきまえない」みたいなニュアンスがこめられる文脈で使用される事の方が多い気がします。
 
 この事自体興味深い話題ですね。「欲望」に一応対応する英語は“Wanting”ではなく“Desire”であるはずなンですが。
 もしかしたら、「欲望」とゆー言葉、翻訳語として日本語に登場してから日が浅いのかもしれません。
 調べた事ないのであてずっぽうですケド、「愛欲」みたいに、明治維新前からの仏教漢語だった可能性も大きいと思います。
 
 さて、この投稿では精神分析学で言われる《欲望》を、日常語での「欲望」と別概念として、《欲望》と表記することにします。
 
 精神分析学で言われる《欲望》は、「人間の生理的欲求とは別種の『欲する心』なんだけど、どーしてもうまく『欲求』と区別できないもの」って概念、で概ねよいはずです。
 
 例えば、「喉が渇いてる」は生理的欲求なわけですけど、その時に、「ビールを飲みたい」か、「アイスコーヒーが飲みたいか」、etcが《欲望》です。
 
■《無意識》と《前意識》
 精神分析学が文学ってゆーのは(ホント詳しくは後述します)、厳密な意味での実験による再現・検証もできないからって面が大きいと思うんですけど、そーゆー意味では、精神分析学、仮説の体系って言った方が適切、だとは思います。
 
 で、精神分析学の中核概念(仮説)である《無意識》ですけど、これも日常語で言われる「無意識」より厳密な概念です。
 日常語で言われる「無意識」はたいてー、「意識してないけど、何かをしてしまう心理的理由」みたいな意味で使われると思いますけど。この概念は、ほとんどの場合、精神分析学では《前意識》と呼ばれます。
 
 精神分析学って被験者にインタビューをしてくのが基本的手法なんですけど。例えば、無数の回数の連想テストをしていって、ある被験者がある特定の語彙(及び、それと意味的結びつきが強い語彙)に関して、さしたる理由も思い当たらないのに他の語彙より想起反応が滞るような事態に注目します。
 
 この、想起遅滞の背景に、仮説として構想されるのが、《無意識》領域の、トラウマ(精神的外傷)なわけです。
 
 本人がちょっと考えれば、充分な理由が思い当たるような内容、これは《前意識》とされます。
 
 まるで、本人が理由を検討する事を忌避しているかに見える言動が顕著なとき、仮説として《無意識》が構想されます。
 
■《無意識》と《欲望》
 で、こっから先は、キチンとした精神分析学の話、とゆーよりは、精神分析学の考え方に影響を受けた現代思想(20世紀思想)の話題が多くなります(ややアバウトです;苦笑)。

#あ、過去LOGで「精神分析学は滅び行く学問」みたいな意見も公開されてますけど、コレは偏った意見だと思われます。
#20世紀の20年代〜30年代にヨーロッパ(主にフランスを中心にした大陸)では、フロイトの著作の再評価を基本にした、精神分析学ルネッサンスがありましたので。
#精神分析学が、20世紀思想や、文芸批評に大きな影響を与えたのも、この再評価の影響なンです。
 
 にんげんは誰でも色々な《欲望》を持っているわけですけど、顕著に固執される《欲望》には《無意識》の理由付けがあるのではないか、とか想像もされます。
 それから様々な《欲望》の意識される理由付けの背後により少数の《無意識》の《欲望》の存在が想像されたりもします。
 
 例えば、「ビールを飲みたい」って《欲望》の理由付けは、意識上では「ビールが好きだから(笑)」や「今日は蒸すから」で済むんですけど、「なぜアイスコーヒーやカキ氷やetcでなくビールなのか」を考えてくと、例えば、「酒に強い男らしーヤツに見られたい」みたいな《欲望》が《無意識》にあるのかもしれません。
 で、この「酒に強い男らしーヤツに見られたい」みたいな《欲望》は、同じ人物のいろいろな《欲望》を《無意識》領域で理由付けてるものかもしれません。
 
 こーゆーのが「根源的《欲望》」とか呼ばれたりします。
 
 実は、精神分析に評判が悪い面があるのはこーゆートコなんですよね。
 《無意識》の理由付けなんていろいろな調査をしたうえでなくては、何通りでも考えられちゃいますし。
 
 それにマジメに考えるれば、精神分析は、何か、生きる事に苦しみを持っている人の為にあるのであって、「なぜビールも飲むのか?」なんてあたり触りの無い事に使うのは、不謹慎だし、危険な事とも思います。
 
 ただ、まー、20世紀の文芸批評なんかでは、精神分析の考え方を応用して、作中人物の「根源的《欲望》」とかがうまく暗示されてるとか、なんとか、そーゆー着眼点があったりします。
 
#《無意識》は意識化できない領域のコトですから、小説とかでも「根源的《欲望》」は暗示された方がもっともらしーわけです。
#例えば映画の“BAT MAN”なんですけど、BAT MANの正体である、ブルース・ウェインが、恋人に「なんであなたがそんな事(怪しげな覆面ヒーロー)しなくっちゃいけないの?」、って問い詰められるシーンがあるンですけど。
#ブルース・ウェイン、恋人から目を逸らせて言うんですね「何度も止めようと思ったんだけど、止められなかったんだ」(爆)
#これとか、物凄く効果的に《無意識》の「根源的《欲望》」が暗示されたシーンだと思います。
 
■上級キャラプレTips:根源的《欲望》の構想
 で、「根源的《欲望》」をひとつ構想して、PCの行動原理や、価値判断をそこから、コントロールしてくってのが、上級キャラプレTipsだったりします。
 セッションに必要な、キャラクター性の多面性と一貫性を兼ねあわせた演出がし易くなります。
 それから、PCの将来に渡る目的・目標も、「根源的《欲望》」と照らし合わせることで、構想し易くなっていきます。
 何かの小目標を達成しても、《無意識》の《欲望》は満たされませんので、次々目標を見出していきます(笑)。
#うまく《無意識》の「根源的《欲望》」の存在の暗示が演出されれば、次々、《欲望》に邁進してくキャラにも実在感が出るって話です。
 
 なぜコレが上級Tipsかと言うと、PCのセリフ、直接話法では、この「《無意識》の根源的《欲望》」PC本人はあまり理解してないように演出した方が効果的だからなんです(GMさんやプレイヤーsに了解されることは推奨事項です)。
 
 この演出を、セッションの展開と同スピードで構想してくのはなかなかタイヘンです。アタシも「深淵」とかでも、なかなかうまくできません。
 「深淵」だと、多くの場合、PCは「運命」の内容を知らないことがあるので、《無意識》を想定した演出が上手にできると効果的なんですけど、結構難関です(笑)。
 
 仮構のPCの仮構の意識が、仮構の「根源的《欲望》」を理解してしまう場合、その段階から、PCの行動原理が大きく変化・変質したほーが、PCの人間味がもっともらしー演出になるンですけどね。 
 
 「運命」を解消しちゃった「深淵」のPCとかを想像してもらえるとよいと思います(運命の内容にもよりますけど)。

■おまけ:精神分析学は文学か
 アタシは心理学も精神分析も素人ですけど、現代思想や文芸批評理論から観られた精神分析学の価値について、書いておきます。
 
 「精神分析学は科学ではない」。
 これは「科学」の概念規定によるんですけど、精神分析学が実験自然科学では無いことは間違いないです。
 
 んで文学の意味ですけど、もし、「精神分析学が文学」だとされるなら、その「文学」は単にフィクションとゆー意味では無いはずと思われます。
 
 日本語では「文芸」って概念の価値も世間一般的には低めと思うんですけど、「精神分析は哲学や思想や歴史学同様文芸『でも』ある」、これなら納得できます。
 
 「歴史学が文芸」とかゆーと、「??」と思う人もいるかとは思いますけど。
 例えば、フランスでは、「名文撰集」みたいな本(コレが伝統もあって、いまでも多種刊行されるよーです)みたいのには、思想家、哲学者、歴史家、etcの文章がジャンジャン収録されてます(アタシは、フランス語ゼンゼンなんですけど、仏文やってる知人に見せてもらったことあります)。
 もちろん、軽いエッセーとかではなくって、主著の一部が収録されてるンですね。歴史家のジュール・ミシュレとかよく収録されるみたいです。
 
 なんでも文芸(文学)にしたがる、フランス人の傾向は、さすがにアタシも特殊とは思いますけど。
 
 「精神分析学が科学ではなく文学」、科学では無い学問には価値が無い、って含みでしたら、アタシは賛成できません。
 
 社会思想や歴史学だって厳密な意味での実験はできない(部分的にしかできない;歴史学でも土器制作を再現とかそーゆー実験はありますケドネ)わけですし、科学(実験自然科学)であり得ない学問にも重要なものはいっくらでもあると思います。
#厳密な意味での実験、ってゆーのは、条件のところから、許容可能な誤差の範囲で再現され得るもの、ってモンですよね。
  
 で、精神分析学、いろいろもんだいはあっても重要な学問のひとつ、とアタシは思います(超私見)。
 
●別件
無神論者5号さんへ≫あ・いや、「反省」とか、そう言われると、アタシも恐縮しちゃいます。
 アタシの投稿そんなキツイ感じでした? そんなつもりではなかったんです(汗)。
#ちょっと別の投稿で書くのもオオゲサなんで、追記とかにしちゃって。これはこれで失礼ではあるのですが(汗)。
#プレッシャー感じさせちゃったなら、すみませんでした(礼)。
99年11月18日:16時32分42秒
反省しました / 無神論者5号
でも、ちょっと弁解させてください。

私も、「間接話法で話そうが直接話法で話そうが、言ってることが一緒なら同じなら同じ判定を課すべきだ」と思いますので、文中のセッションでベンジャミンさんが非常に不当な扱いを受けたというのはそのとおりだと思います。
ただ、「それは確かに困ったものだけれど、そういう押し付ける人も、必ずしもわがままで自己中心的な人ばかりとは限らなくて、むしろそれが純粋に善意の行動だったりすることさえある」ということを主張しておきたかったのです。

なんとなく、そのような押し付ける人々と完全に対立するような形で立論されているように感じたので(誤読だったかもしれません)。
相手の善意も一応認めた上で対策を考えた方がスムーズに問題が解決するのではないかな、と思ったのです。

鍼原神無さんの、

>でも、ベンジャミンさんも、寺田さんも、プレイスタイルの件は問題にされてないよーに(アタシには)思えるンですね。

というご指摘は、いわれてみればそのとおりで、こっちで勝手に混同して、誰も主張してないことに反論していたようです。

論の本筋と離れたところにこだわった結果、揚げ足取りになってしまったようです。お手数をおかけしました。お詫びします。
しかも心理学と関係ないし。
99年11月18日:15時23分55秒
人に認知されたい欲求と調和(was.意志決定の快楽) / TTB
 こんにちは、TTBです。(^o^) どうもありがとうございます。
>私ごときがTTBさんに言う内容ではないですね。釈迦に説法でした。
 いえ、私は少なくともTRPGに関しては、LISTさんはじめ、ここのみなさんには、到底及ばないものと思っております。書いてくださってありがとうございます。(__)
 
>TTBさんは実はテーブルトークのキャラクタの個性も、同じように見なしているのではないでしょうか?
 はい、そういう傾向はあると思います。
 どうしても、「他のゲーム」と比較してしまいがちな面は否めません。少なくともウォーシミュレーションゲームのユニットや将棋の飛車と、TRPGのキャラクタを比較したところで何もならないのです。もともと、立脚している土壌が違うからです。
 
 しかし、つい、比較してしまいがちです。(^^;) 困ったものですね。(;^^A
 
>自分の考えた独自の特徴をユニットに付けていいシミュレーションなんて、
>ちょっと無いですよね?
>これってすごく面白いモノじゃないですか?
 はい、そうです。
 こうやって目の当たりにすると、改めて認識できます。そうですよね。自分でルール付けに参加できるなんて他のゲームジャンルではまず味わえないことなのですね。
 いやあ、おかげさまで気持ちが明るくなりました。ありがとうございます。(^o^)
 
>キャラクターの個性(という名の特徴)と、周囲の状況を両方満たすやり口を探す
>「知的な挑戦」 をする気概のある人物にとって、
>TRPGはとても面白いゲームになるのではないでしょうか?
 私に気概があるかどうかは別にして。(;^^)
 確かに特徴作りに参画し、状況に注意を払いつつ、複数(自分のゴール、セッションテーブルのゴールなど)のミッションをこなそうと、努力することは、充分、楽しんでプレイすること、そして再びプレイすることへの動機付けになりそうです。私のTRPGのリプレイアビリティはここら辺りが源泉ではないかと、考えさせられました。
 
 私は、しごく平凡な人間です。例えば学校の成績は並み。社会でも並み。こういう人間が、TRPGでは「認めてもらえる」ということが楽しいのかもしれませんね。自分で既存にない尺度(偏差値などでない個性や特徴)をこしらえて、その基準で認めてもらえるゲームとして、TRPGは素晴らしいと思います。
 
 あとは、そうですね。卓を囲んでいる方々ともっと和していけるようにしたいですね。こう、たまに見かけるのですが、自分の楽しみを得るために、無意識だと思いますが、他人の邪魔をなさる方もおられます。
 
 自分の主体性(楽しみたい、自分はこうしたいなど)をもつことはよいことだと思います。しかし、それに伴う責任も生じる(この辺は鍼原さん辺りが書いていらっしゃいます)ことを抜きにはできません。「楽しみたいと思うということ」は、「楽しくない状態」(例えば誰も自分の熱演を評価してくれない)というものを想定しているということです。
 
 そう思っている「自分」を認め、自分が他人に置き換わっても、同様のこと(他人にも楽しくない状態は存在する)を考慮して、LISTさんのお書きになった「面白く遊ぶために自分でさまざまな仕掛けを入れられるシュミレーションゲーム」を楽しんでいこうと思うに至りました。
 
#子供たちが学校に行くようになって、思うのですが、個性を伸ばす教育とか主体性を認める教育というのを過度に推し進めて、それと同時にあるべき社会的なルール・規範(責任含む)を割合軽視してきた結果なのかもしれないと思うようになりました。
 
 では、失礼します。(__)
99年11月18日:13時06分37秒
RE:人は何故〜 / LIST
PSY な内容ではないんですが、私なりに考えたお返事など。

TRPGのキャラクタの個性を、障害や修正、あるいは特徴と見なした場合、これはとても面白いシミュレーションゲームになるのではないでしょうか?

例えば戦車は (大抵の場合) 渡河出来ません。
架橋のために工兵隊を呼ぶか、ハナっから空挺部隊に渡河先に降下させてもらうか、橋の有る地点まで迂回するか、そんな方法を考えるはずです。

このように、シミュレーションゲームでは目的を果たすのに (例えば地形などの) 周囲の状況と、使うユニットの特徴に応じて対処しているはずです。

この 「対処」 は知的な挑戦と言ってよい内容だとおもいます。
これは難易度が高いほど達成の喜びも大きいはずです。

例えばキャラクターのAさんは (大抵のキャラと違って) 泳げません。
渡河のためにいかだを組むか、魔法で飛ばせてもらうとか、橋の有る地点まで迂回するか、そんな方法を考えるはずです。

このように、テーブルトークでは自分で問題となる要素 ( = 個性)を盛り込む事ができます。
これが有利か不利かは、余り問題ではありません。行なえる行動に長短を与える事は、それ自体が 「知恵を絞る」 際の要素となって楽しさを増やしてくれるからです。

私ごときがTTBさんに言う内容ではないですね。釈迦に説法でした。


はてさて。
TTBさんは実はテーブルトークのキャラクタの個性も、同じように見なしているのではないでしょうか?

自分の考えた独自の特徴をユニットに付けていいシミュレーションなんて、ちょっと無いですよね?

これってすごく面白いモノじゃないですか?

難易度を自分でコントロールできる!
自分で考えた障害を設置していい!

なんと挑戦しがいの有るゲームでしょうか!?


こう考えれば、

「キャラクターの個性だ」 といって思考停止する( = 他の考えや折衷案の模索すらしない) えせキャラクター重視派ならともかく、
キャラクターの個性(という名の特徴)と、周囲の状況を両方満たすやり口を探す 「知的な挑戦」 をする気概のある人物にとって、
TRPGはとても面白いゲームになるのではないでしょうか?

天は自ら助くる者を助く。
TRPGは自ら楽しむ者にのみ楽しい。


私などはこう書いていて ファミコンソフト 「エキサイトバイク」 のコースエディット機能を思い出して興奮してしまったりしています < バカかオレ(笑)
スパロボのレディースキャンペーン(女性パイロットだけで攻略する遊び方の事)などもこれの類例でしょう。

こだわって( = 個性あるやり方で)遊ぶ事で難易度と達成感を増しているのです。

そして、TRPGでは(バランスは問われるにせよ)個性の恩恵も弊害も受けたい放題です。

私はボードやシミュレーションをやらない人間ですが、TRPGを、「面白く遊ぶために自分でさまざまな仕掛けを入れられるシュミレーションゲーム」 だと考えると、TRPGの面白さは、確かにシミュレーションやボードを超えているのでしょうね。

99年11月18日:07時27分24秒
Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境 / はしざき

知識もないくせに、心理学っぽいことを言ってみる :-)

キャラクター発言として「俺は突入するぜ!」って言うのと、プレイヤー発言として「私のキャラは突入します」って言うのでは、受け手側が連想する心理的な目線が違ってくる気がします。 前者はキャラクターの目線だし、後者はもう少し高い位置にある第三者的目線って感じで。

で、自分のキャラクターの行動を、キャラクターの目線で考えている人にとっては、他のプレイヤーの発言で心理的な目線が上下してしまうのが気持ち悪いのかもしれない。

じゃあ、自分のキャラクターの行動を、少し高い目線で考えている人は、キャラクター目線の発言が気持ち悪いのかっていうとそうでもない気もするんだよなぁ。気持ち悪いとしても、これとは違う理由だよな、たぶん。


99年11月17日:19時57分41秒
ちょっとだけ補足:Re:Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>無神論者5号さんへ
#ちょっとだけ補足させてください。
 
 無神論者5号さんが、ベンジャミンさんや、寺田さんの主張を認められたうえで、「『他人に押し付ける』というのは、プレイスタイル云々というより、個人の人間性の問題であり、両者は切り離して考えるべきかと考えます。ただ、演技派は押し付けた時に特にそれが問題になり易いのだろうとも思いますが」としてられうのは、了解してます。
 
 でも、ベンジャミンさんも、寺田さんも、プレイスタイルの件は問題にされてないよーに(アタシには)思えるンですね。
 
 では、アタシの投稿は何だったのかってゆーと、あるTRPGファンが自分の好みでプレイスタイルを選択したら、それに付帯した責任が生じると思うって、話をしたつもりでした。
 
 キャラクター・プレイだったら、セッションでのプレイを硬直させない、暴走もさせない、そのうえで、出来たらウケをとる、ってゆーのは、コレは誰に頼まれたのでもない、自分の好きで、プレイスタイルを選んだ事から派生する責任であると思います。
 
 で、演技派のプレイヤーさん、アタシも嫌いではないし、知り合にも何人かいますけど。やっぱろ演技派なりの付帯責任ってゆーのはあるはずだと、推論します。
 
 例えば、アタシがよく行く、コンベンションに、ほとんど毎回「天羅」の卓をたててられるGMさんがいるんですけど。
 この人はコンベンション開始時の、GM紹介・シナリオ予告の時から、講談師の様な話し方を押し出してられます。
 アタシの観方では、やっぱり、この方の卓には、演技が苦手なプレイヤーさんは行かないです。
 
 アタシには、これも立派な責任の取り方かと思えます。
 「責任」って言い方がシンキ臭かったら、「戦略」って言ってもよいです。
#アタシはそのGMさんの「天羅」興味はあるんですけど、そのコンベンションにはお目当てのゲームがあって行ってるので、未体験なんですけど。
 
#やっぱり「心理学設定の部屋」らしからぬ内容になってしまいました。すみません。
99年11月17日:19時00分15秒
Re:Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>無神論者5号さんへ
#はじめまして。
 
 はじめましてですのに、横やりから口を挟むのはよくないかもしれないですけど。
 
@ベンジャミンさんWrote (「RPGにて演技(?)を求める人の心境 」,当掲示板,99年11月16日:18時07分36秒)
>周りから(含むGM)、「キャラクターの口調で話そうよ」「ちゃんとロールプレイしようよ」等と言われることが多いです。
>極端な場合、交渉等でいつものようにやっていると「実際にどのように話し掛けるかロールプレイしてくれ」とGMに言われて、1) こっちが「言いたい内容については明確に話している」と拒否すると行動自体を却下されることもありました
2) 逆に冷静に聞いていると大した内容を話しているわけでもないのに、熱演しているだけ(少なくとも私の印象)でノーチェックで交渉成功なこともありました。
 〔下線付け処理,カンナ.便宜上改行を一部変更しました〕
 
 下線付け部の個所が、もんだいの焦点ではないかと思います。
 
 アタシだって実際そのセッションに立ち会ったわけではないので、確実な事は言えないわけなんですけど。
 
 でも、少なくとも、セッションってゆー、場のコミュニケーションで、ベンジャミンさんが、そーした「印象」を抱かざるを得なかった、ってゆーのはもんだい、と言ってよいのではないかな。
 
 下線付け部「2)」が、ベンジャミンさんの「印象」に留まらず、実態なのだったら、やっぱり、それはもんだいですよ。アタシも寺田さんのゆーとーり、そーゆーことがあったなら、それは「自己満足を押し付けたい人」って言わざるを得ないと思います。
 
 下線付け部「1)」に関しても、ベンジャミンさんが抱かれた「印象」、あまり疑う余地も無いよーに思えますし。
 「1)」のメンバー(含むGMさん)と、「2)」のメンバーが同一メンバーだったらです(文脈からはそのよーな公算が高いと思われます)。
 
 ただ、ほんの少しだけ、あえて、何か別の可能性を考えてみるとしたら。
 
@ベンジャミンさんWrote (前出投稿)
>「こういう風な内容で交渉する」「こういう風な内容の事を話し掛ける(質問する、行動する)」等でセッションを通したりします。
>そんな時に周りから(含むGM)、「キャラクターの口調で話そうよ」「ちゃんとロールプレイしようよ」等と言われることが多いです。
 
 もしかしたら、メンバーの人が、心中希望してたことは、「間接話法」ではあっても、PCの行動の動機や、行動に伴う心情も説明してほしーって事だったかもしれない(「内容」と同時に、そーした事の説明も欲していたの「かも」しれない)。考えづらいンですけどネ。
 
 「仮に」、万一そーだったとしても、その希望を「キャラクターの口調で話そうよ」「ちゃんとロールプレイしようよ」とかって、言葉でしか言えないでいたのなら、それもやっぱり発話者の方の落ち度が大と思います。
 
 TRPGプレイヤー(GMさんも)、別にテレパシストではないので、適確なリクエストは必要だと思います。
 リクエストが「押し付け」と採られるようなコミュケーションもスキルが低いと思われます。
 
 結局、アタシなりにいろいろ考えてみても、ベンジャミンさんが「理解できません」ってゆわれるのも、もっともであると思います。
 
#うーん、なんとなく「心理学」っぽい話題に近接したよーな気もしたけど、結局離れてしまった(苦笑)。
99年11月17日:17時48分47秒
Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境 / 無神論者5号
はじめまして。
以下、ちょっと切り張りじみた引用をしてますが、お許しを。

ベンジャミンさん記
>本音を言えば、「下手な自己満足をみたくもない」というのもありますが(^^;。
>ここで思うのですが、セッションでPCの演技を求める(行う)人の心境が自分が余りやらん所為か良くわかりません。
>#特に他人に対しても求める人は。

寺田大典さん記
>演技を周囲に強要する人は、自己満足を押し付けたい人なのでしょう。演技しないとTRPGじゃないと思ってんじゃない かな。

お二方の分析も正しいと考えます。
その上で、「なぜ他人に押し付けるのか」についてすこし私見を。
演技派のプレイは、テーブル全体がその傾向にある時は確かに楽しいと思います(「楽しければいいのか」といった疑問はともあれ)。しかし、テーブル内で少数派になるととたんに浮き上がって悲惨な立場になるという性質をも有しているように思われます。
なので、自分が楽しくあるために、他人にも演技派のプレイを要求するのではないでしょうか。

こういうと、演技派が極めて自己中心的であるかのようですが、演技派のプレイヤーが(時にはマスターが)、TRPGの楽しさを演技によるものしか知らない(もしくは、それが主要なものだと考えている)場合が少なくないために、相手のため、セッションのためを思って、全くの善意から他人に演技を要求するという悲惨な事態も相当あるように感じます。
少なくとも、意識的に自己中心的なプレイヤーはごく少数だろうと思います。「楽しいセッションにしよう」という動機それ自体は、不幸なことに好ましいものでさえあります。

皮肉にも、結果的にはその努力が演技派への感情的な反発を招き、自身の首を絞め、悪循環を起こしているとも思いますが。
(演技派への批判はみな感情的な反発だ、などと言いたいわけではないです)

演技派プレイの抱える論理的な問題を別にして考えるなら、この種の「自分のプレイスタイルに無批判で、それを独善的に他人に勧めるがゆえの軋轢」というのは、時にはゲーム性を重んじる立場の人にさえ見られることがあると思います。
「他人に押し付ける」というのは、プレイスタイル云々というより、個人の人間性の問題であり、両者は切り離して考えるべきかと考えます。ただ、演技派は押し付けた時に特にそれが問題になり易いのだろうとも思いますが。

#冗長な文で失礼しました。個人的に、「熱血専用!」などさんざんやったもので、ちょっと言ってみたかったのです。
99年11月17日:10時25分30秒
Re:Re:ド・ドーンと大胆な意思決定:笑 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 うーん、どーなんでしょー。
 
 アタシの考えとしては、プレイヤーが、自分のプレイやPCの言動の結果へのえ帰任を負っている・負えているならストレス発散しても構わないと思ってるンですけど。
#合理的な意思決定ってゆーのは、一面堅実でチマチマした意思決定でもありますので、アタシはそーゆーのは実生活だけでたくさんです(苦笑)。

 もちろん、他の方にも自己責任との兼ね合いが採れてるなら、ストレス発散していただいて「も」構わないと思っています。
 
 自分のストレスだけ発散して、「責任は知らないよ」って人がいるとしたら、それはダメだと思います。
 
 あと、アタシが自分で責任とってるつもりでも、他の人が不満に思ってて、アタシが気がついてないって事もあり得るンですけど。
 
 そーゆー時はクレームつけてもらえばよいわけですし。
 セッション後に検討してもよいと思ってます。
 その為に「も」GMさんいらっしゃると思ってますし。 
 例えばですね、アタシがウォー・ハンマーはじめてプレイしたときなんですけど。ワールドへの理解が不充分だったもんで、混沌の誘惑に負けちゃって、モンスターに変身しちゃって、PC攻撃しちゃったことがあったんですね。

 このセッションの直後には、GMさんと、アタシを含めたプレイヤーsで、セッションの過程をよく再検討しました。
 
 その場の検討の内容は、カンナのプレイにも軽率な面はあったけど、GMさんもはじめてプレイするプレイヤーに重要なPCの条件「混沌と闘う運命にある」への注意をしてなかったのはマズかった。

 あと、PCの背景、「スラム街でチンピラみたいな事してて、何かヤバイ事起こして逃げ出して来た」だったから、「混沌の誘惑に惹かれる」(惹かれたから、ほぼ自動的に負けちゃったわけで、ここは、誘惑を拒絶するプレイをするべきだったンです「混沌と闘う運命にある」ンでしたら)PCハンドリングも理解できる、とも言っていただけました。
 
 結論としては、「次は、その辺気をつけてプレイします」、「うん、頑張ってね」で済んだりしました。
 割と、たんじゅんな事ではないかと思うのですが。
99年11月17日:09時43分56秒
Re:ド・ドーンと大胆な意思決定:笑 / ベンジャミン
上げ足取りになるのかもしれませんけど、一般的にそう思いませんかということを書いてます。
> あー、後、実人生では、特にビジネスなんかしてる時は、嫌でも・どーしても堅実な意思決定をせざるを
>得なくって、ストレス溜まるんですけど。
> TRPGだと、ド・ドーンと大胆な意思決定をしちゃって、「責任はプレイヤーがとるわよぉッ(笑)」って
>コレはコレでカイカンです(笑)。
実際はそうではないと思うですけど、こういうの見てると前にどのようなことが書いてあっても、最終的には「自分のストレス発散」が第一義的に読めて、何だかなぁって感じです。
結構コンベンションで見るような人であったりはするのですが、ストレスの発散自体が自己防御の手段であったりするので、自分の苦痛を除くことが第一となって周りを見てるのかなぁと思うことも良くあります。まぁ、他の参加者もいるので「自分のストレスは自分一人で発散して、他人のいるところに持ち込まないで」という感想を良く持ちます。
どうなんでしょうか?
99年11月17日:06時18分54秒
Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境 / 寺田大典
 ベンジャミンさんの例の場合、ベンジャミンさんは全く正しいと思います。私は演技もする方だけど、演技とかするの疲れている時は(やるの面倒だったり、たるかったり)、全くしないでベンジャミンさんの書かれたプレイその通りです。

 それでも特に不都合無く遊んでいますが、演技を周囲に強要する人は、自己満足を押し付けたい人なのでしょう。演技しないとTRPGじゃないと思ってんじゃないかな。理解できません。ダメ。

 ここまで言ってみたり(苦笑)。
99年11月16日:19時45分02秒
人はなぜRPGをするのか?(ド・ドーンと大胆な意思決定:笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシの場合、コンベンション中心なので、割といろんな人、はじめてお会いすいる人とプレイする機会が多いです。
 ルールブックがあっても、生活背景や普段のプレイ環境が違う方とセッションするのはスリリングで刺激的です。
 
 ワールドに対する自分の考え方・感じ方がどこまで説得力あるか?
 他の方はどんな考え方・感じ方をしてるか?
 
 セッションを通じて、この辺の考えについて、相互了解理解が深まってゆく手応えがあったときが、アタシがなぜTRPGをやるか、って達成感・原動力でしょーか?
 
 って、なーんか・もっともらしーjと書いちゃってます。ウソではないですけど。
 その辺がアタシがTRPGに見出す興味深さ〔おもしろさ〕ではあるンです。
 
 でも、ご存知の方も多いですけど、アタシはMtF〔Male to Female〕のCD〔Cross Dresser〕です、軽いけどTG〔Trans Genderist〕だったりもします。
 で、まー、コンベンションで女性キャラを担当して、かりそめの間でも、アタシの言動を女性の言動として扱ってもらい、アタシの意志を女性の意志として扱ってもらえると、とってもウレシーって極・個人的喜びがあったりもします(笑)。
 
 あと、アタシは世間の「男らしさ」「女らしさ」って価値尺度には釈然としないモノをいっつも感じながら暮らしてるンです。
 アタシが好きなのは「イイオトコ」「イイオンナ」なんですネ。
 
 ところで、セッションで、「アタシが『イイオンナ』と思うキャラ」をやってみても、なかなか皆さんの目はキビシー(笑)。
 これはこれで、「いいオンナ」ってどんな生き方だろー? ってアタシの個人的テーマには、とても参考になったり。
#ゼンゼン特殊で、なんの参考にもならないですか? そーですか・ごめんなさい(苦笑)。
 
 あー、後、実人生では、特にビジネスなんかしてる時は、嫌でも・どーしても堅実な意思決定をせざるを得なくって、ストレス溜まるんですけど。
 TRPGだと、ド・ドーンと大胆な意思決定をしちゃって、「責任はプレイヤーがとるわよぉッ(笑)」ってコレはコレでカイカンです(笑)。
99年11月16日:18時07分36秒
RPGにて演技(?)を求める人の心境 / ベンジャミン
私の周りでの出来事です。
いちいち台詞などを考えるのが面倒なのもあるし、相手が方針や考え方を理解してくれればいいと考えるので、大抵の場合、「こういう風な内容で交渉する」「こういう風な内容の事を話し掛ける(質問する、行動する)」等でセッションを通したりします。
そんな時に周りから(含むGM)、「キャラクターの口調で話そうよ」「ちゃんとロールプレイしようよ」等と言われることが多いです。極端な場合、交渉等でいつものようにやっていると「実際にどのように話し掛けるかロールプレイしてくれ」とGMに言われて、こっちが「言いたい内容については明確に話している」と拒否すると行動自体を却下されることもありました。逆に冷静に聞いていると大した内容を話しているわけでもないのに、熱演しているだけ(少なくとも私の印象)でノーチェックで交渉成功なこともありました。

理解できません。
個人的には、ちゃんとそのPCにおける意志決定は行なっているはずですし、ちゃんと他のPLやGMに「自分のPCに何をさせたいか」については明確にして伝えているはずなのでセッションの進行については問題無いかと思うのです。本音を言えば、「下手な自己満足をみたくもない」というのもありますが(^^;。
ここで思うのですが、セッションでPCの演技を求める(行う)人の心境が自分が余りやらん所為か良くわかりません。
#特に他人に対しても求める人は。
99年11月16日:17時03分11秒
人はなぜRPGをするのか?(意志決定の快楽) / TTB
 さて、またもや大仰かつ誤解をうみそうなタイトルですが。(;^^A
 こんにちは、TTBです。(^o^)
 
 私の周囲のTRPGをなさる方から、他のゲームに比べて意思決定の幅が広いから楽しい、などとうかがうことがあります。
 
 このことは、正直申し上げて、私にはあまり理解ができないのです。
 意志決定するためには、ある程度の葛藤状態や、自分を他人に晒すことなどが、私にとっては必要なのですが、私は人見知りする方ですので、そういったことは少々苦痛なのです。
 
 個人として、セッションという集団に参加して他の構成員とコミュニケートしていくうえで、何かこう、快いプロセスがあるのでしょうか。
 私には、それが見つけられないのです。
 
 でまあ、人づきあいが苦手なのに、何でわざわざ、他人と顔突き合わせて、やっているのか実はよくわかっていなかったりします。(^^;) ひょっとしたら、私の「無意識」の中に、快い行程(社会から愛されたい欲求とかの充足行程とか)、刷り込まれているのかもしれません。(^^;)
 
 私がやる他のゲームに比べてTRPGは、ゲームトークンが最も感情移入しやすいもの(感情移入の度合が低いものに囲碁や、オセロがあります)です。したがって、キャラクタの葛藤はプレイヤの葛藤に投射されやすく、私は、セッションが終わるといつもへとへとです。
 
 なのにどうして、またやってしまうのでしょう。(;^^)
 私には、不思議でなりません。被虐的なのでしょうか。(;^^A
 
 ああ、なにか、またとりとめのないことを書いてしまいました。
 では、失礼します。(__)
99年11月16日:01時00分55秒
これはご親切に、どうも。 / 東雲
なるほど、他の掲示板も覗いてみます。 ちなみに、東雲を「しののめ」とちゃんと読んでくれる人が少なくて悲しんでいます。 正確に読んでいただいて非常に喜んでおります。 あ、感情・意志決定・コミュニケーションの心理学の 専門家なので、私で役に立つことがありましたら、
聞いてみてください。
99年11月12日:14時33分19秒
Re:はじめて来たのですが… / TTB
 こんにちは、TTBと申します。(^o^)
 東雲さん初めまして。(__)
(しののめさんとお読みするのですか)
 
>心理学(意志決定と感情)の研究者かつRPGゲーマーとして、 興味があったのですが…
 いえ、ここの掲示板群はたくさんありますので、そのようなお話が別の掲示板で成されていることもあるのですよ。
 
 また、この掲示板でも、そういう話が振られれば、書き込んでくれると思います。
 うーん、そうですね。
 
 意思決定(少し意志決定とは違いますけれど)なんかですと、最近では、プレイング研究室、少し前では、TRPG総合研究室なんかでもよく話されることです。簡易掲示板・ゲストブックの新着情報 の画面の全文検索なんかに、キーワードを入れると、結構たくさんありますよ。使い方がわかりにくかったら、一行掲示板などで気軽に聞いてみてください。誰かいますから。(^^;)
 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。(__)
99年11月12日:14時15分06秒
はじめて来たのですが… / 東雲
ここってもう誰も来ていないようですね。 心理学(意志決定と感情)の研究者かつRPGゲーマーとして、 興味があったのですが…
99年06月02日:12時19分44秒
【トラウマ】抜出し感想≫Re:デザインに生かせるといいなな考察 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕編集
>toALL
#この投稿は、まほろばの一行掲示板 LOG 033から、当掲示板へのでぶ猫さんの投稿「【トラウマ】デザインに生かせるといいなな考察 」についてのいろんな人の感想を抜き出したものです☆
#もとは、99/05/31:15:54:32〜99/05/31:18:42:22の投稿からの抜き出しです。
#少し表示上の整形(編集)はしましたが、投稿文自体には手は加えていません。
#投稿者各氏のお名前は、LOGの表示のままで、敬称は入れていません。
 
GMN@トラウマ関連のヨタ話:野島伸司や飯田譲二の作ったTRPGのシナリオならぜひ買いたいと思うのは私だけではないはず。それを読んでTRPG始める人も出てくると思うぞ。
 
カンナ(鍼原神無):トラウマTRPG、アタシも可能性あると思うなー☆ むづかしーかもしれないけど、うまくできたら面白いと思うなー。
 「共依存」とか「近親憎悪」とかが、システム的に「シンパシー」と絡んでくと、なお、ドロドロして、よいかもー☆

YAN:トラウマTRPG…トラウマを克服する為の「癒しTRPG」っすかー?
 
PALM-12@ちゃちゃ:トラウマ・パンクもイイ感じだと思う,今日このごろ
 
YAN:…いや、トラウマをあえて楽しむTRPGっすか(;^^
 
カンナ(鍼原神無):うーんと、、、「トラウマに縛られたにんげんの視野狭窄と辛さを疑似体験するTRPG」かしらー?
 
YAN:「天羅万象」の因縁システムが近いでわ
 
PALM-12:「カフカの変身TRPG」:PLが毒虫の家族になり,毒虫が死ぬまでをプレイする新感覚TRPG。 構想半年になるがいまだにPLが集まらない……(マジ) > トラウマTRPG

蒼:雪花やるでわ。>トラウマTRPG

TTB:日野日出志の『毒虫小僧』を連想しました。(^o^)>カフカの変身TRPG

PALM-12:っていうか,オリジナルTRPGは,トラウマ含有率高し > サタスペ,スカードなどなど

TTB:「雪花」って傷がテーマでしたっけ?

YAN:「天羅万象」は”業”でしたっけ。”因縁”は「深淵」?

MAT.N:深淵は縁故と運命〜
 トラウマと言うとやはりこー水槽の中からクイクイと・・

YAN:…トラフグ?

石頭:どっとはらい。
99年05月31日:15時42分16秒
【トラウマ】デザインに生かせるといいなな考察 / でぶ猫
 トラウマをもってる人って、その部分に過敏なあまり、他のことに鈍感になりがちのようです。(結局、人間なんて自己中なのさっ)
 で、考えたのですが、オリジナルを含めて最近のトレンドらしい「心の傷」なシステムでこれを生かせないものかと。
 似たようなトラウマをもった人は、強いシンパシーを持ち、慰撫の関係を持つ。他者をいたわることが自分をいたわることにもなる。要するに傷のなめっこをしやすい。
 かけはなれたトラウマをもつ人は相手のトラウマを痛みとして実感できない。自分の傷のほうが重いと感じてしまうので、シンパシーをもつことができない。
 その結果、ふとしたことで激しい傷つけあいを演じてしまう。おたがいに傷つけあいながら、相手の痛みを実感できないためにいくら傷つけてもものたりない。憎しみだけが倍増してゆく。これは、受けた傷の痛みのあまり自閉してしまうか、新しいトラウマとなるか、どちらかが死ぬまで終わらない。
 いかがざんしょ? 傷をなめあい、傷つけあう、まるでさわやかな青春のひとまくのようじゃござんせんか。これをいかさない手はないですね。
99年02月28日:02時04分27秒
訂正:前発言 / 彬兄
すいません、リンクミスです。 正しくはこちら
長文投稿過去ログラブコメRPGルールサマリーラブコメRPG付録です。
99年02月28日:01時53分09秒
【ラブコメRPG】関連 / 彬兄
簡易長文投稿にラブコメRPGのルールサマリーを アップしました。よろしければご覧下さい。
99年02月09日:22時00分45秒
【ラブコメRPG関連】いろいろありがとうございました / 彬兄
 皆様、いろいろご意見ありがとうございました。とりあえず、パラメーターは【恋愛、共感、尊敬、興味】で行こうと思います。
 以後、なにかあれば今度はルール関係の掲示板に書き込もうと思っています。
99年02月06日:08時03分33秒
TRPGのための心理学設定の部屋 LOG 001 / sf
TRPGのための心理設定の部屋 LOG 001として1996年12月25日から1999年02月05日までのログを切り出しました。

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