TRPGのためのファンタジー設定の部屋 LOG 003

TRPGのためのファンタジー設定の部屋の1998年09月29日から2000年03月16日までのログです。


2000年03月16日:05時10分12秒
[ファンタジー観【ジャンル】]補足/re:ヒロイック・ファンタジーは古典か? / 灰色熊
下の書き込みの補足です。
D&Dはともかくソードワールドのどこがコナンなんだ、という意見がありそうなので付け足しておきます。

#剣と魔法の世界での冒険活劇である
#「冒険者」という、遺跡荒らしをしたり便利屋的に雇われたりする特異な存在が主人公
#無名だった主人公が自分の才覚だけを頼りに英雄として成り上がる

という基本的なプレイスタイルについてです。この辺は「当たり前のこと」とされていたこともありますが、決してそうではない事を認識するためにも、オリジナルである「コナン」について知っておくべきかと。
もちろん、ソードワールドがコナンのようなものを再現しようとしてデザインされている、と主張するつもりはありません。旧来の物を踏襲した結果のことでしょう。まあ、無意識に「孫引き」されるということも古典の条件かもしれません。
2000年03月16日:03時09分00秒
[ファンタジー観【ジャンル】]re:ヒロイック・ファンタジーは古典か? / 灰色熊
鍼原さんのご意見はうなずけます。
ただ、前の私の書き込みは、「ファンタジーRPG」というジャンルの中で「コナン」は古典的な地位を占めている、という含みです。日米でそれぞれプレイ人口が最も多いであろうRPGはソードワールドと(A)D&Dですが、どちらもコナンの影響を色濃く受けているわけですし。ただゲームをするだけでなく、ゲームの背景となるファンタジーというものをもっと知りたい人にとって「コナン」は必読である、と言って間違いはないように思います。
(ヒロイックファンタジー一辺倒のRPGに飽き足らないものを感じて誕生した他のFRPGを軽視するつもりはありませんけれど。)
もちろん、アーサー王伝説のような騎士道物語の数々がFRPGにとって古典であるのも同様です。

FRPGは「文化的伝統」とはいえないかもしれませんが、文化的伝統と呼べるものに育って欲しいと私は願っています。(私の本来の性格から言えば、「古典なんて地獄に落ちろ!」などと言っていたいのですが、鍼原さんの挙げておられた『ぺガーナの神々』すら入手困難な状況を考えると…。)

ファンタジーという文芸ジャンル全体から見れば、ヒロイックファンタジーは古典とは言えない、というのは分かります。歴史が浅いし、文学性も低いし、ファンタジーというジャンル全体に影響を与えているわけでもないし。ただ、この日の当たらないジャンルをもっと評価してやりたいという気持ちもあるのですが。
ちなみに、鍼原さんの「ファンタジー=<ロマン>」という定義はよく理解できますが、私がファンタジーという言葉を使うとき念頭にあるのは近代の作品です。
2000年03月16日:00時50分41秒
[ファンタジー観【私的】]後宮小説で引っかかったこと(長文です) / KN
 SOWさんの疑問はもっともだと思います。選考委員・受賞作・後援などを考慮して、当時の経緯を考えなければ、そもそも選考基準を疑ってみるという発想自体が、困難ですし、その上で気に入る人もいるわけですから。
 まずは、歪曲から説明します。これは、受賞当時の作者・評者の発言を知らなければ理解困難でしょうし、時がたった今となっては、「あのときいらんこと言わなきゃよかったのに」という程度のことですまされるかもしれません。
 実は、後宮小説で私がひっかかった点ですが、架空の文献をもって、仮想中国史の裏付けを行うのはよいのですが、この分野においては、当時既に「民明書房」「太公望書林」で有名な「魁!!男塾」(宮下あきら)という作品がありました。で、こちらとくらべると、わざわざ「偽書をでっち上げた」として喧伝できるほどのわかりやすさがないのです。こういうものは、説明されなくとも『偽書』とわからなければならないのですが(でなければ、偽書自体を楽しむのは無理です。作者に幻惑され、無闇な感心を抱くのが関の山でしょう。読者も例も多い男塾なら、笑い話ですみましたが)。また、作者本人が「ウソで塗り固めて、しかも徹底してリアルな話」を意図したそうですが、評者がそれに対して「厚みのある世界観」を持ち上げるという、マッチポンプそのもののやりとりが為されました。まあ、第一回ということもあり、宣伝戦に全力を投入するのは、初見の売れ行きが以後の売れ行きを支配する傾向すら見られる我が国ではやむを得ないことですが、だからといって作品の出来が変わるものではありません。
 でもって、後宮小説の中国風世界(に限ったことではありませんが)は、女性が強すぎる(主人公が現代人のよう<一応誉めている>という評すらありました)というのが、最大の違和感ですし、歪曲点でしょう。男女平等は極めて大切な概念ですし、ここから導き出される、性差のみならず、生来の特質によって人を差別してはならないと言う思想は堅持すべきものですが、そこに至るには極めて長い時間と、思想を享受せざるを得ない背景が必ずあります。で、市民平等・男女同権までいかなくとも、「財産」「付属物」(従属物ならましです。意見対立がなければ、自分の意見が通るのですから。また、極めて残念なことですが、まだまだそう考えている人がいるのも事実です)以上の存在として大切にされる背景を書き込んであれば、すんなり読んでいけたとは思います。「後宮」じゃ、人口比を考えると、理由付けとしては弱いです。
 現実に舞台をとらなかったのかという点に関しては、中国には何回も安定した動乱期(言い方が妙ですが、ローマの軍人皇帝時代や応仁の乱の京都のように、治世が機能しない状況ではないという意味です)が、あったのでそこに架空の人物を投げ込めば、十分に書けた話だったと思うのです。それでも、歴史ファンタジーよりは仮想史の方が当てはまる表現であると思いますが(要は、作品よりファンタジーという言葉に違和感を感じたわけです。「後宮哲学」自体は、それはそれでよいと思います)。
 なお、当時の仮想戦史は、現在のような歴史改変に主眼をおくものではなく、固定あるいは仮想の状況に有名どころの艦艇・将軍を投げ込むものが多く、基本的なところで、「そりゃ、違うだろ」と思いながらも、「ホラ話だから」ということで笑ってすまされるものが多く見られました。これは、舞台となった時代に対する背景知識の質量両面での差もあるでしょうが(逆に言えば、そろそろWW2もので、性能所元の重要点を改変するなら、説明が必要でしょう)。
 ちなみに、中国史については、原典であり、大量に読み込んでソースとし、範を取ったのが中国の史書であることは、作者自身が認めています。で、必要に迫られて構築したのではなく、その引き出しを開けて望みの歴史を組み上げたわけです。つまり、原典=中国史で、ここは私の判断以前の問題です。その知識も一役買ったのか、墨攻はおもしろかったような記憶があります(同名の漫画の方が印象が強く混同している可能性はあります)。
 ここからは、主に歴史の話になります。(中国の通史の本を読めば、これぐらいは出てきます)
 後宮に神経を使いまくった王朝については、当然あり方は異なりますが、則天武后を別格としても、後漢・清は説明不要なほど有名(後漢は宦官ですが)ですし、武韋の禍のもう一方である韋氏や楊貴妃も忘れてはなりません。これらは、いずれも悪女の例であり、外戚・宦官が表に出るために目立ちませんが、彼女たちが存在し得たという事実それ自体が、後宮が決してかろんじてよい存在ではなかったことの証左となります(誰それは、妻を大切にしました。では、後世になかなか残りません)。なお、江戸時代の大奥における偏執的なまでの監視体制と、寵愛=筆頭の地位とならない制度は、このような事態を未然に防止するためのものです(初期には春日局のような、戦国時代のなごりも存在しますが)。
 なお、楊貴妃は玄宗の元で働く役人の一種である花鳥使(仕事は、美女を捜すこと)によって発見された、「人妻(なんと、自分の子供=王子の妻)」でした。
 儒教については、現在のように精神的な規範となったのは、官学として統制下においた宋以降(=宋学、集大成が朱子学)のものです(それにしても一度、元の時代には弾圧されました)。晋のころは、竹林の七賢などのように、現実を離れた清談が流行しますが、現実の政治の崩壊と共に霧散します。また、唐では、むしろ道家思想が発達しています(これは、皇帝と老子が共に李姓であったことも影響しています)。さらに、孔子そのものが、周が名目上の存在となった春秋時代の人間で、なおかつその説を用いることはできなかったので、同時代的には今から考えるほどの存在ではありません。直後に発生したとされる諸子百家は、伊達じゃないといったところでしょうか。なお、焚書坑儒の対象は、儒者よりも左道使い(不老長寿の薬が作れるといって、詐欺を働いていました)が主体でした。
 私の評価が低い最大の理由は、日本ファンタジー大賞という入れ物と内容のミスマッチから来ている気はします。先に書いたとおり、入れ物の方も偏り、その方向性をつけてしまった事に対する評価も入っているでしょうが。
 乱文の上、拙速ですが、これにて失礼させていただきます。
2000年03月15日:20時06分41秒
[ファンタジー観【ジャンル】]ヒロイック・ファンタジーは古典か? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 唐突ですが。
 アタシは、「コナンも読まずにファンタジーを語るな」的な意見には凄く違和感があります。
 
 「アーサー王伝説も読まずにファンタジーを語るな」ならば、まだわからなくもありません。
#ちょっとタカビシャな感じがする意見で好ましくない気もしますけど、中味的には聞くべきものはあると思います。
  
 つまり、「ヒロイック・ファンタジー」をファンタジーの古典視する意見には偏りがあると思うんです。
 
 TRPGとヒロイック・ファンタジー(又は「剣と魔法」)との間に割と関連があることはわかります。
 し・か・し、それと、「ヒロイック・ファンタジー」を古典視することとは別内容の話と思います。
 
 この意見を、「人ぞれぞれのファンタジー観」を提唱したアタシの意見と矛盾するもの、と思う人もいるかと思いますが。
 アタシ的には別に矛盾はしてないんです。
 
 誰かが、「(自分的には)ヒロイック・ファンタジーが好きで、それを中心にファンタジーを読んでいる、または理解している」とゆーのは、これは、「人それぞれのファンタジー観」と思います。
 し・か・し、それは「ヒロイック・ファンタジーが何かの文化的伝統の古典である」って判断とは別内容と思います。
 
 いかがでしょうか。
 灰色熊さんのご意見 (「ファンタジーと伝統」,当掲示板,2000年02月25日:02時13分08秒)、に異論を差し挟む形になってしましまったのですが。
 
 よければ、多くの人のご意見をお聞きしたいと思います。
#後、まー、関連して、「古典」ってなーに、ってお話もあるかもしれませんけど。まー、その辺は、必要に応じて、って感じで。
2000年03月13日:01時55分46秒
[ファンタジー観【私的】]KNさんに質問 / SOW
 どーも、こんばんわ
 SOWです
 かんなさんの提案にしたがって拡張子つけました

 さて、亀レスで恐縮ですが、KNさんの書き込み(当掲示板の2000年02月25日:22時53分40秒)で、ちょっと分からない事があったので質問です。
 「後宮小説」は自分も読みましたが、よくできてると考えています。
 ですから、KNさんの指摘される「拙劣」な部分が良く分かんないんですね。この辺が理解できないとKNさんの見解を納得できないのでお応えをいただけないでしょうか?
 以下に疑問を書きますのでお願いします。

 ・原典の歪曲と述べられていますが、「原典」は何を指されているのでしょう?

 ・歴史上の国家にしない事に必然性が感じられないとの事ですが、物語の主人公である少女のパーソナリティや社会的、歴史的ポジションを実際の中国史上の人物に求められないように思いますが、いかがでしょうか?
つまり、この主人公の物語を実際の歴史上の中国王朝に求められるか、という事です。

 ・中国史の歪曲と述べられていますが(あるいは「原典」は「中国史」でしょうか?)、中国史上のどの王朝の歪曲であろうとお考えでしょうか? あるいは、「ステロタイプとしての中国王朝」の歪曲と見られているのでしょうか?

 この辺りが、自分が良く分からないと感じている部分です。自分が「後宮小説」において、良くできてるなあ、と感じたのは、この小説で語られる「後宮哲学」の部分であり、また、実際の中国史上では周王朝以前の国家にしか有り得ないであろう「儒教」のない民族性の部分です。
 いずれも実際の中国史上では有り得ないものです。「儒教」は既に中華民族の民族性といって構わないほど浸透していますし、歴代王朝で「後宮」にここまで神経を使ったものは有りません。いや、もしかしたらあるかもしれませんが、自分には心当たりがありません。
 もちろん、「後宮小説」で高度な「後宮哲学」論が戦わされていたり、実際の中華民族から徹底して「儒教」的要素を剥離させた「仮想民族」が構想されていた訳ではありません。その設定の粗雑さは否めませんが、といって、その着想は十分に優れたものであると思います。
 私見ですが、著者である酒見氏は主人公の少女の構想と「後宮哲学」や「中華風の仮想民族」の構想を別々に持っていたか、あるいはひとつの構想を小説として仕上げる過程で、他の構想を必要に迫られて構築したものと考えています。
 いずれにせよ、自分は「後宮小説」を「仮想戦記」や「仮想の歴史小説」とは読めませんでした。
 もちろん、そういう風には読めないという意味ではありません。むしろ、KNさんの指摘で、そんな風にも読めるなあ、と思った訳です。
 が、KNさんの指摘が自分の感じたような事なのかが、はっきりしません。
 自分が知らないだけで、実は中国史上にこのような王朝が短期間でも存在していたり、主人公の少女のような女傑が中国人の間では結構ポピュラーであったりした場合は、自らの不明を恥じない訳にはいかないでしょうから。
 そういう訳ですので、KNさんが質問にお答え下されば幸いです。
 長文失礼しました。
2000年02月26日:06時32分33秒
世界設定と判定系のミスマッチ(Re:日本のファンタジー) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@寺田大典さんWrote (「日本のファンタジー」,2000年01月25日:21時39分17秒)
>TRPGはその構造上、ある部分において抽象化するしかない(一番大きいのは時間的都合)と考えると、世界が抽象化のするのはある程度はしょうがないのではないか。(例えば西洋中世で糞便を拭うのにどういう方式を使うのがリアルであるかわかったとしてそれを常に導入するかというと……)
 
>そうなると日本のファンタジーが薄っぺらいとネガティブに捉えるのは如何なもんかな、と。抽象度が高い世界を志向する人も居れば、リアルな世界を好む人も居る。
 
>嘆くとするならば、リアルな世界を遊ぶ事のできるTRPGが減った事であり、それは抽象度の高い世界を遊んでいる人に対して向けるべきじゃないんじゃないかな、と思います。こー、インターネットを見ていると、抽象度の高い世界観で無理にリアルで遊ぼうとしている人が結構居るし、要望はあるんだけど、出版側にその気が無いか、その類の事に強い人が居ないんじゃないかな、とか邪推したりします。
 
 寺田さんの言われてることは、もっともと思います。
 
 ただ、うーん。例えば、ライト・ノヴェルとか、ライト・ファンタジー、って何なんだよ? って言ったとき。ニホンの市場とか書店店頭では、ほとんどイメージ語、商品セールスのためのキャッチ・コピー的に使われていて、内実が伴っていない、って意見があります。
 
 「創作論」や、IRCチャット#物書きチャンネルでも、そーゆー話が出るときがあるのですが。
 
 「『ライト・ファンタジー』にはちゃんとした定義もあるんだ」、って意見も聞くことはあるのですが。では、そうしたジャンル定義に即した作品が創られ、売られているかとゆーと、そーは思えないって話しです。
#作家が“定義”とかに即して作品を創るものか? って大きな疑問もあります。
 
 で、「イメージ語」として、「ライト・ファンタジー」を観ると、多分、「明るくて・軽い〔感じ〕のファンタジー」ってあたりが最大公約数かな、って気がします(私見)。「異世界冒険」にしろ、「エヴェリデイ・マジック」にしろ、ですね。
 
 そーゆー雰囲気の内で、「ニホンの(ライト)ファンタジーTRPG」を観ると、デザイン上のミス・マッチが目立つ、のではないかな、と思います(私見)。
 
 「TRPGには抽象度が必要」とゆうのは、その通りなのですが。
 抽象されたなりに辻褄があってないのではないか、とゆー感じです。
 
 例えば、「ソード・ワールド」(SW)、なんですけど。
 ワールドは、「ライト・ファンタジー調」かと思います。
 でも2D6判定ってゆーのは、活劇調にしてはリアルとゆーか地味だと思うんですね。クリティカル/ファンブルの頻度にしても地味と思います。
 「TORG」や「メガテンTRPG」の判定の方がよほど、活劇調の展開になってゆくはずです。
 
 SWの対抗判定も、プレイするときのおもしろみとゆーのはあるんですけど。これまた「ライト・ファンタジー」らしくも「活劇物語」らしくもない、感じがします。
 「央華封神」のウラ成功や連続攻撃とかは「活劇調」の演出につながりますよね。
 
 アタシが思うに、ニホンのTRPGに「リアルな世界」を求める声が出るのは、「ライト・ファンタジー」な世界設定を持ってるシステムの判定系やシステムが、ちゃんとライト・ファンタジーなり、冒険活劇なりに調整されていないから、って事情があると思うのですが。
 いかがでしょーか?
#やっぱ「レレレ」や「パラフリ」のことを「リアルでない」って、不満をゆー人は少ない(笑)と思うんですよ。
 
 ファンタジーTRPGが、「リアルな西洋中世」 である必要とゆーのは、これはアタシも、「普遍的には・ない」と思います。
 例えば「アーサー王」のTRPGだったら、ある程度リアルであってほしーし。
 「薔薇戦争」とか「ジャンヌ・ダルク」とかを、仮にTRPGで遊ぶとしたら、それは「アーサー王」よりもっとリアルであってくれた方がアタシは嬉しいです。
 ファンタジーTRPGがリアルな西欧中世である必要は実はないと思います。
 
 ただ、「現在の現実世界と違う世界なんだよねー」ってリアル感は、ほしーと思います。
 戦闘ルールだけリアルなら、ほかはどーでもよい、とゆーのであれば、それなら現代モノのTRPGを遊んでも一緒なわけで。
 「それ」が西欧中世風のリアルさ、である必要はないわけ、ではあるのですが。
2000年02月26日:05時24分00秒
[提案][識別子]の提案 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>KNさん>紙魚砂さん
 こんにちは☆
 「人ぞれぞれのファンタジー観」の話題に、そんなにすぐに反響があるとは思っていませんでした。(正直言うとちょっとビックリです)
 
 えーっと提案なんですけど
 この話題の系統には、、、
 [ファンタジー観【私的】]の、[識別子]を、投稿題名のアタマにつける、とゆー事でいかがでしょうか。
 
 今のところ、こちらの掲示板で、他に走ってる話題もないので、[識別子]は不要と言えば不要なのですが。
 
 アタシが思うには、寺田大典さんの「日本のファンタジー」 (当掲示板,2000年01月25日:21時39分17秒)、のような内容の方が、こちらの掲示板にはふさわしいような気がします(私見)。
 
 えーっと、決して[ファンタジー観]の話が、当掲示板にそぐわない、とゆうわけではないのですが。
 ちょっと間接的かな。他に直接当掲示板のガイドラインに近い話題もあるかな、とゆう気がします。
 
 以上のようなことを思って、[識別子]、[ファンタジー観【私的】]の提案をしました。
 
 [ファンタジー観【私的】]とか、[ファンタジー観【ジャンル】]とか、[ファンタジー観【剣と魔法】]とか、そーゆー使い方をしてゆくのはどうでしょうか。
2000年02月26日:01時50分47秒
[人それぞれのファンタジー観]… / 紙魚砂
 面白そうなので、私の(偏った)ファンタジー観を書いておきます。

・現実と異なるものを描いている。
・その「異なるもの」に“存在感”がある。
・そこに、ある種のリアリティを感じることができる。
・イメージが先で、「意味」や「理由」は二の次。

…といったような話に私は“ファンタジー”を感じます。ファンタジーというより「幻想譚」と言うべきかもしれません。逆に言うなら、「剣と魔法」などを単にフレーバーとして使っているだけで、なんら幻想性を醸し出さない作品には、私は“ファンタジー”を感じません。

 具体的な作品としては、世間ではミステリに分類されていますが、

「湖底のまつり」(泡坂妻夫/創元推理文庫)
「夏と冬の奏鳴曲」(麻耶雄嵩/講談社文庫)
「時の鳥籠」(浦賀和宏/講談社ノベルス)

といった辺りがまさにそんな幻想的な話だと思います。
2000年02月25日:22時53分40秒
Re:ファンタジーのジャンルと人それぞれのファンタジー観 / KN
 ファンタジー観は、人それぞれでしょうから、このような機会を利用して、様々なファンタジー観を収集するのもよいのではないかと思います。
 たとえば、いくつかの見解が分かれそうな作品をたたき台にして、その差異を理解していくというのはいかがでしょう(見地ですから、意見をまとめる必要はありません)。
>09さん
>ちなみに私のファンタジー観は、ファンタジー大賞の第1回作品の「後宮小説」を読んで以来、「まじめなホラ話」ということになっています。
 正しく、ファンタジー観の相違を示すものですが、私とは対照的な対応ですね。私は、第1回日本ファンタジーノベル大賞がこれだったために、ただちに新潮・読売ラインのファンタジーは見放しました(もったいないけど、方針が合わない出版社に費やす時間は、少ない方がよいので)。
 これがファンタジーなら、現代物の仮想戦記の方がよっぽどファンタジーだと当時は思ったものです。いくら、応募形式とはいえ単なる中華風世界(歴史上の国家にしないことに必然性が感じられない。パロディーとしては、原典を歪曲するのみで、思想・意志共に明確でなく拙劣(パロディーの対象が民明書房なら、もう少しましな書き方があるでしょう。中国史なら、歪曲しただけです)。仮想史としては、軽すぎる。というのが、私の評価・感想です)を描いた作品が大賞では、「日本」を冠する賞としてはやや力不足かと感じました。
 しかも、選考委員の顔ぶれにも影響されてはいるでしょうが、これ以降現実世界を舞台とした作品が、受賞作として氾濫するようになり、日本ファンタジーノベル大賞と言うには(当初は、日本唯一を名乗ったはず。この自意識過剰なところも、評価を下げる要因です)、あまりに偏った系統を作ってしまったと感じています。
 また、この賞に限らず、いわゆる「剣と魔法」に対する反発心というより嫉妬が見受けられ、「論評に値せず」「所詮は子供向け」などという、幼稚な評論がまかり通るのは、よいこととは思えません。
 
 さて、「様々なファンタジー観を収集」などと言い出した以上、私のファンタジー観を述べて終わりにします。
 私は、ファンタジーは現実と異なるだけではなく、「相違に意味・必然性があり、現代科学に従属しない」空想譚であると言うことにしています。別に、現実世界が舞台だから、ファンタジーではない。とは、言いませんが、そこに現実とは異なる何かが、意味を持って存在することが必要でしょう。それをふまえた上でなら、現代の日常生活を描いても、立派なファンタジーだと思います。
2000年02月25日:17時51分09秒
[脱線]ミステリーのトレンドについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>09さん
#こんにちは
 
 どーでしょーね。
 アタシは、割と真面目に、こーゆートレンドをミステリージャンルに現実に認めても構わないと思っていますが。
 
 例えば、アメリカ・ミステリー作家協会賞には、「犯罪実話賞」の部門賞もあるようですし。
 
 この辺の事情については、書籍雑談所に投稿した、レヴュー(のつもり)の「アメリカ大衆文芸論『アメリカン・ヒーロー伝説』」 (カンナ記,2000年02月22日:13時10分33秒)、や、「小説『狂気の果て』」 (カンナ記,2000年02月14日:00時41分15秒)、でもふれてみました。
 
 もし、こちらのお話の続きがあるようでしたら(ファンタジーの話題ではありませんし)、とりあえず、書籍雑談所でいかがでしょうか?
#ホントはコレって掲示板が思いつかないのですが。
#まー、書籍雑談所でよろしいかと思います。
2000年02月25日:14時01分27秒
Re:ファンタジーのジャンルと人それぞれのファンタジー観 / 09
 2000年02月25日:10時47分15秒 鍼原神無さん
> 例えば、ミステリーってジャンルには、「探偵小説」や「ポリス・ストーリー」や「クライム・ストーリー」や「犯罪セミ・ノンフィクション」ってトレンドがある、とかする。
> 「探偵小説」には、「本格推理小説」と、「私立探偵小説」があって、「私立探偵小説」の中に「ハードボイルド」が含まれる、とする。
 書かれている内容の本筋とは関係ないですが、この分類って、あくまでフィクションであって現実のものとは違いますよね。
 ちなみに私のファンタジー観は、ファンタジー大賞の第1回作品の「後宮小説」を読んで以来、「まじめなホラ話」ということになっています。
2000年02月25日:10時47分15秒
ファンタジーのジャンルと人それぞれのファンタジー観 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 物語のジャンルを整理してくときに、まず二つの整理方法があります。
 
1.概念を規定してジャンルを整理してく
 例えば、「SF小説とは、“Scientific Fiction”である」って概念規定をする。
 それで“Scientific”とはコレコレである、と考えて、アレはSFでもコレはSFではない、とかやってゆく。
 例えば、“Scientific”に疑似科学を含めるかどーか、含めるにしてもフィクションの上で疑似科学体系が構想されてなければ、SFに入れてやんない(笑)とか。
 
 この方法のよいとろは、ジャンルの輪郭や方向性が明確になること。
 悪いところは、定義をいい加減にやると、ジャンルの内容が偏ること。
 まじめにやればやるほど、ジャンルの中味が痩せてくことも悪いとこ。
 やり方としては、「広い定義」と「狭い定義」の二本立て、とかで考えてくと、ジャンルの実態に近いイメージが押さえられる(こともある)。
 
 例えば“Scientific”の定義づけにもよるけど、「E.R.バロウズのフィクションは“Scientific”ではない」とか、「レイ・ブラッドベリのフィクションは“Scientific”ではない」とか、そーゆー風になってっちゃう。
 
 で、もうひとつのジャンル整理の方法がありまして。
2.いくつものトレンドの複合としてジャンルを整理してく
 例えば、ミステリーってジャンルには、「探偵小説」や「ポリス・ストーリー」や「クライム・ストーリー」や「犯罪セミ・ノンフィクション」ってトレンドがある、とかする。
 「探偵小説」には、「本格推理小説」と、「私立探偵小説」があって、「私立探偵小説」の中に「ハードボイルド」が含まれる、とする。
 「サスペンス」や「スリラー」の内にも「ミステリー」に含まれる部分はあって。例えば「サイコ・サスペンス」や「スパイ・スリラー」もミステリーだ、とか。
 
 この方法のよいところは、ジャンルの中味が豊かになること。考えられる方向性にも勢いが出ること。
 ジャンル史と連動させて整理してくと、いろいろなことがわかったりすること「も」あるのもよい点。
 
 悪いところは、いろいろの整理をしてかないと、すぐにわけわからなくなること(笑)。
 特に、ボーダーのところの整理が微妙になること。
 やり方としては、ボーダのあたりはきっちりわけないで、例えば、「サイコ・サスペンス」にミステリーでもあり、ショッカーでもある作品、とかを認めちゃうこと。
 ついでに、うまくいくと、周辺のいろいろなジャンルとの関係づけも整理してくことができるのは嬉しい。
 
 それから、観点によってジャンルの説明の仕方が違ってくるってこともあります。
 ただ、これは悪いことではない。きちんと話ができれば、「なるほど、あなたの観点からは、そーゆー説明になるわけですね」って話が成り立つ・こと「も」ある。
 
 ファンタジーのジャンルを、概念規定で整理してみますね。日常的・現実的出来事を扱う<ノヴェル>ではなくって、超自然的な諸要素が物語の主要題材(ライト・モティーフ)に含まれていること、とかが広い定義になるでしょう。
 狭い定義は、幻想的な物語内容を持った<ロマン>、とかになると思います。
 
 狭い方の定義は凄くって、『吸血鬼ドラキュラ』は「ゴシック・ロマン」だけど、幻想性は薄いからファンタジーかどうか疑わしい(苦笑)、とか。
 「エルリック」はファンタジーだけど「コナン」は異世界冒険小説だ、とか凄いことになっちゃう(←いや、実際そーゆーこと大マジメに言ってる人もいたりして:笑)。
 
 今度は、ファンタジーのジャンルをトレンドと文芸史で考えてみます
 まず「神話」が来て、「エピック(叙事詩)」の一部もファンタジー。
 「聖人伝説」とか「奇跡伝説」だってファンタジーだし。
 それから「土俗的なメルヒュン」がファンタジーで、「都市的なメルヒュン」と、「妖精譚」がファンタジーになりますよね。
 で、「幻想的な<ロマン>」が来て、「異世界冒険<ロマン>」が来て、やっと「異世界ファンタジー」が来るって感じ。
 
 後、ジャンルをトレンドで考えてくときに気をつけないとマズイのは、レベル(意味)が違う、「ジャンル」をごっちゃにして話をしてると、すぐわけわからなくなっちゃうことです。
 
 創作論 LOG 003に、「[ジャンルについて]『ジャンル』って言葉アレコレ」 (カンナ記,2000年01月30日:11時34分48秒) 、って投稿してあるんですけど。
 
 「ジャンル」って言葉には、、、
1.語りの形式による分類/2.題材によるもの/3.主題(と期待されるもの)によるもの/4.物語内容の類型によるもの/5.想定される読者層によるもの

 、、、とか、五つくらいの意味があって、普通は文脈で判断されるんだけど、コレが話してる内にごっちゃになっちゃうのが困ったところ。
 
 もともとは、“Fanntasutic”な物語内容のもの(=幻想的な物語内容のもの)、ってあたりがファンタジーなんだろーなー、って気がして、つまりは、「4.物語内容の類型によるもの」だと思うんだけど。
 読者が何を“Fantastic”って感じるかは、時代によって大分変わっちゃうよね、とかもあって困ったり。
 
 冒険ファンタジー、とゆーと、「3.」と「4.」の複合したトレンド。
 異世界ファンタジー、とゆーと「2.」と「4.」の複合したトレンド、とかそんな感じ。
 
 で、まー、こんな文芸っぽい話のどこが、「TRPGのための」になるのかとゆーと。
 ファンタジーの何をTRPGの参考にしようか、って話の整理には役立つ・のではないかなー、とか思ったり。
 
 ファンタジー観は、世代によって、それから人それぞれの物語体験によっていろいろと思います。
 けれど、人それぞれのファンタジー観の間で話をしてくとしたら、こーゆー整理も少しは役にたつ・かもしれませんね。

 
 ちなみに、アタシが個人的に、ファンタジーらしー、ファンタジーと思うのは、『ペガーナの神々』(ダンセイニ)とか、『最後のユニコーン』(ビーグル)とか、あーゆー感じのだったり。
 
#灰色熊さんが言われる「古典」と「権威」のお話にも興味があるのですけど、また、今度にしたいと思います。
2000年02月25日:02時13分08秒
ファンタジーと伝統 / 灰色熊
いかに若い世代であろうと古典的なファンタジーを理解することはできるし、嗜好することも可能だと私は考えます。そうでなければ、どうして世代を超えた古典など存在できるでしょうか。
ファンタジーに限らず、古典を読むには努力が要求されます。どうしても現代の読者には共感しかねること、知らないことが書かれているからです。それでも古典を読むことは意義深いのです。そして世代を超えて古典を維持するには、どうしても「これこれは名作だから読むべし」という権威が必要なのです。
伝統のないところに文化の発展はありません。そういう意味で「コナンも読まずにファンタジーを語るな」式の意見がなくなると困ります。ただゲームをしたいだけの人間にいちいちそれを言うのは、確かに暑苦しいですけどね。

それとちょっと別の問題として、世代ごとに同じ作品でも受容の仕方が異なる、ということはあると思います。(余談ですが末弥純のコナンはいいと思う。)多様な読みがあるということは基本的によいことなのでしょう。齟齬があるなら議論をすればいいのですから。

前回の書き込みは昨今のファンタジー弁護のつもりだったのですが、今度は古典を擁護してみました。世代間の感覚の違いの強調や、現状の肯定だけでは「自分が良いと思うものが良いものである」というトートロジーめいた基準を超えらないのではないでしょうか。
あと、単純に若い世代は「若い」という点も見逃せません。若い人に乙な味というのは分かりにくいものです。私もそうでしたから。

最後に私にとってのファンタジーですが、英国ものでは、ルイス、トールキンはむろん、「ウォーターシップダウンのうさぎたち」や「トムは真夜中の庭で」のような児童文学の系統ですね。

米国ではレイ・ブラッドベリ、スティーブン・キングの系譜です(その前にポーがいるのかな)。じつはコナンやエルリックは個人的にはそれほどでもありません。
座右の書は「指輪物語」。保守的ですが実は少数派かもしれませんね。
2000年02月24日:23時32分48秒
自分的ファンタジー観なんか書いてみてます / SOW
 どうも、かんなさん、レスありがとうございます。
 「感激した<ロマン>の違い」はカッコイイ言い回しですねェ。
 そういうの見ると「あ、俺も使おう」とか思っちゃうんですよねぇ。

 え、まず前回の訂正から
 自分は「『中世欧州風』というのは日本のファンタジーでのガジェットに過ぎない」と書きましたが、これは厳密ではなかったです。
「中世欧州風」というのは日本のファンタジーRPGにおいてはガジェットに過ぎない
が、正確な表現かと思いまして訂正します。

 あと、先の投稿では書いてませんが、自分自身のファンタジー観はチト他人と違うようです。
 なんせ中学時代は平井和正の「アダルト・ウルフガイ・シリーズ」(ヤングはパスでっす)とか、大藪晴彦とか、西村寿行とかを読み、高校時代に友人が「エイリアン」や「D」で盛り上がっている頃に「魔界行」とか「妖魔戦線」とか読んでいたもので、まさに「感激した<ロマン>」が違ったわけですが。
 キチク・・・じゃなかった菊地秀行の<新宿>を舞台にした一連の作品は自分にとってかなり「ファンタジー」なんだけど・・・(笑)。
 まあ、そーゆーのもあってじつわ、過去LOGの議論がイマイチ、ピンとこなかったので前回のような書きこみになったわけです。
2000年02月24日:18時23分21秒
Re:ファンタジー観の世代格差 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#こんにちは、こちらの掲示板は久しぶりです☆
 
>SOWさんへ
 「ファンタジー観の世代格差」、それはあるとは思います。
 ただ、アタシはこれは、最初に読んで、感激した<ロマン>の違いだと思います。
#ここで<ロマン>と言っているのは、<ノヴェル>(←リアリズム小説)ではない、って意味です。
 
 平たく言えば、やっぱり読書体験の差、みたいな事だと思いますけど。
 ただ、ほら、今は、最初に接する物語は、読書とは限らないではないですか。
 たいてーは、TVかマンガだったりしますよね。後、ゲームソフトもある。
 だから「読書体験」ってゆーのも正確ではないです(困)。
 
 誰でも、最初に感激しちゃったものの影響はやはり大きいですよね。
 ですので、「『エルリック』を読もうが、『永遠の王』を読もうが、『コナン』を読もうが〜」って傾向も、ある程度認められる気はします。
 
 ただ、「変わらない」とまで言ってしまうのは、どんなものでしょーか。
 
 アタシの知ってる人には、『人形劇 三国志』のマニアが講じて、中国文学専攻して、「趣味が変わった」と自認してる人がいます。
 これは極端な例かもしれませんが。
 
 >「中世欧州風」というのは日本のファンタジーでのガジェットに過ぎない
 
 これは、アタシ言い方が逆ではないかと思います。
#言われてることはわかる気がしてます。
#特に「デザイナーにとっては良く使う小道具的位置付けではないか」とゆーのは、よーするに、これまでは「ドラクエ」効果はあったと思うんですけど。
#FFとかがどんどんSF(?)っぽくなって来てるんで、これからは違ってくるかもしれませんね。
 
 「アメリカンなファンタジーでは、中世西欧風の道具立ては主流ではない。特に大衆文芸のそれでは」
 、、、の方が正確だと思います。
 
 例えば、『グリム童話』は、ファンタジーの一種ですよね。
 『ファウスト博士』も、中世の伝説が集大成されてリメイクされた<ロマン>です。
 イギリス風の、ゴシック・ロマンも、別に『吸血鬼ドラキュラ』みたいに、モダンを舞台にしたものだけではなく、中世を舞台にしたものもあります。
#フランスの<ロマン>でファンタジーっぽいもの、とゆーと、ちょっとすぐに出てきませんけど。「シラノ・ド・ベルジュラックが、朝露を集めて月世界に行った」とか、あーゆーのかなー?
#なんか、フランスとゆーと、『三銃士』とか、『ジャンヌ・ダルク』とか、歴史・ロマンっぽいものが先に思い出されるのはなぜだろー、とゆーよーな話はさておきます。
2000年02月24日:11時22分55秒
ファンタジー観の世代格差 / SOW
 こちらにははじめましてのSOWです。
 灰色熊さんと寺田さんの書きこみを読んで、過去LOGに似たような論議がないか読んでみたら、ちょっと自分の思うところを書きこみたくなりました。

 どうも自分にはファンタジー観には世代格差が存在すると思っているのですが、どうでしょう。
 これは「アメリカン・ヒロイック・ファンタジー」や「剣と魔法の物語」を若い世代が読んでないというようなことではなく、RPG第一世代と若い世代には「ファンタジー」に対するイメージに違いがあるように思うのです。
 このイメージの違いはたとえ、「エルリック」を読もうが、「永遠の王」を読もうが、「コナン」を読もうが変わることなく存在するのではないでしょうか。

 RPG第一世代がゲームブックや海外ファンタジー小説、SLGからRPGを嗜好するようになったのはおそらく異論のない見解だと思います。そのように仮定しておいて、そこからファンタジーRPGに対するイメージを獲得していると考えています。
 対して若い世代はコンピュータRPGやジュブナイル小説、アニメ、マンガ、リプレイ本などからTRPGを嗜好し、イメージを獲得していると思われます。

 この差は歴然としていて、おそらく、若い世代に第一世代が嗜好した「ファンタジー観」を前述の名作や、それを継承するTRPGシステムを通して理解してもらおうとしても、ほとんどは徒労に終わるのではないかと考えます。
 もちろん、物語の重厚な雰囲気や優れたストーリー、魅力的なキャラクターを理解できない、という意味ではありません。理解はするでしょうが、それを嗜好しないだろうという事です。
 これは若い世代は既にファンタジーのイメージを獲得しており、その自らのイメージとの対比によってでしか過去のファンタジーを見る事ができないはずだからです。

 若い世代の「ファンタジー観」をこのように考えると、海外モノに引けを取らない重厚な世界観を持つファンタジーより、多様なガジェットをちりばめたコミカルな世界観、必ずしもコメディとは限りませんが、のファンタジーを嗜好するようになった若い世代というのは、良きにつけ悪しきにつけ、「日本らしい」ファンタジーを獲得したという事ではないでしょうか。

>灰色熊さん
 さて、西欧化の度合いに符合しているのではないかという事ですが、まあ、そんな気もしないでもないです(笑)。
 ただ、前述の考えを根拠に書かせていただくと
「中世欧州風」というのは日本のファンタジーでのガジェットに過ぎない
のではないかなと思います。
 デザイナーにとっては良く使う小道具的位置付けではないか、と。

>寺田さん
 自分も個人的嗜好の問題と考えますね。ただ、世代的傾向が抽象化に傾いているとは感じます。前述の拙論をご覧頂ければ分かると思いますが。

>みなさん
 反論、疑問、ご指摘、お待ちしております。
2000年01月25日:21時39分17秒
日本のファンタジー / 寺田大典
灰色熊さん、はじめまして。私も最近感じた事を、灰色熊さんの書き込みを機にちょっと書いてみますね。

純粋なファンタジーではなく、TRPGにおけるファンタジーという分類に関して思う事ですが、ファンタジーを考えるにあたって

「リアルな西洋中世」

である必要はどこまであるのかと考えると、ゲームであるならば『日本人の文化でフィルターが掛かった西洋中世の抽象部分』をファンタジーとして遊んでもいいのではないかと最近は考えます。(例えば、アメリカ人同士で『君達が遊んでいる日本は薄っぺらい。もっとリアルな日本を遊ぶべきだ』という議論は……しているかも(^^;))

よりリアルが好きな人は勉強したり、調べたり、リアルな設定資料が詳しいTRPG(ゲーム的設定が詳しいとはまた異なります)を嗜好するわけですね。

そして、こう次に私は考えます。西洋中世を100%リアルに参加者で共有して、そして西洋中世の文化/考え方を完全にトレースして遊べるのかと。

TRPGはその構造上、ある部分において抽象化するしかない(一番大きいのは時間的都合)と考えると、世界が抽象化のするのはある程度はしょうがないのではないか。(例えば西洋中世で糞便を拭うのにどういう方式を使うのがリアルであるかわかったとしてそれを常に導入するかというと……)

そうなると日本のファンタジーが薄っぺらいとネガティブに捉えるのは如何なもんかな、と。抽象度が高い世界を志向する人も居れば、リアルな世界を好む人も居る。

嘆くとするならば、リアルな世界を遊ぶ事のできるTRPGが減った事であり、それは抽象度の高い世界を遊んでいる人に対して向けるべきじゃないんじゃないかな、と思います。こー、インターネットを見ていると、抽象度の高い世界観で無理にリアルで遊ぼうとしている人が結構居るし、要望はあるんだけど、出版側にその気が無いか、その類の事に強い人が居ないんじゃないかな、とか邪推したりします。
2000年01月25日:14時49分30秒
日本のファンタジーもの / 灰色熊
はじめまして、灰色熊と申します。つまらぬ書き込みをさせていただきます。
 
 ここでも話題になりましたが、日本ではファンタジーが「ファンタジーもの」になり、またそれが薄っぺらな「西洋中世風?」に固定してしまいがちです。
 これって、日本の西欧化の度合いに正しく対応していると思いませんか。
 つまり、現実世界で日常的に和服やちょんまげの生活をするのには違和感があるように、ファンタジーでもなんとなく西洋風のもののほうが居心地がいい。
 かといってきっちり西洋を再現するのはつらいし、海外RPGにも馴染めぬものを感じる。
 西洋社会をファンタジー化すると「指輪」や「コナン」になり、現代日本社会をファンタジー化すると「なんとなく西洋風の俗流ファンタジー」になる。
 となると、俗流ファンタジーを攻撃していればよい、という訳にはいかないようです。根は深そうだ。
 更に言うと、RPGの受容自体が同じ問題を抱えているかもしれない。
 
 知識人たちは「自由」とか「平等」とか「何とか主義」とかが日本に根付かない事に苛立って、西洋の伝統(一神教とか「近代」の成立とかね)を学べと大衆を叱りつける。
 ポップ音楽の世界では「洋楽」愛好者が「邦楽」を聞いている人間を批判して、「そんなのロック(パンク、その他置き換え可)じゃねえ」
 そして、ファンタジー(RPG)の世界では…
 これじゃあ、ちょっと虚しいですよね。
 でも、われわれの身の丈に合ったファンタジーRPGで遊べるようになったら、われわれの世界のあり方も変わるかな(まさかね?)。それに、われわれの身の丈に合ったファンタジーってどんなものだろうか。
 
 こんな議論がもうどこかにあるなら、ご教授ください。では、失礼致します。
1999年06月28日:12時17分10秒
ファンタジーについて / ARU
ARUです。

>ということは、神話、伝説、童話は全てエブリディ・マジックに分類されるのかもしれません。

そうですね、我々に直接、関係するものはエブリディ・マジックに分類されるかもしれません。
うーん、でも神話・伝説・童話の中には異世界を作り上げているものも少なくないのでやっぱ分類するのは難しいかな…
極端なところ天国や地獄も「異世界の創造」という行為になりますから。
あ、でも天国とかって「独立世界」なのかなぁ…
なにがなんだかわからなくなってきましたf(^_^)。

>不思議な要素に対するワクワク感でいえば、実はエブリディ・マジック(的構成)の方が優れているのではないだろうかと考えるこのごろです。

やっぱ、身近なぶん、ワクワクするんですかねー(^o^)。

これは私見ですが、神話・伝説・童話っていうのは源流にあって、その一つの流れが「ファンタジー」という分野なんじゃないかと思います。

でも、いまさらながらしみじみと感じますが「ファンタジー」って一言でいっても、適用範囲がものすごく広いですよね、「SF」だって「ホラー」だって「ファンタジー」の一分野ですから。
1999年06月28日:11時01分46秒
現実と関わりのあるファンタジー / 香美単衣
 古本屋で手に入れたRPG論考の本に、関係ありそうな文章がありました。
 独立世界をまるごと想像するハイ・ファンタジーに対し、現実世界に、現実と異なる不思議な要素を、 持ち込んだものはエブリディ・マジックと呼ばれるようです。あるいは逆に、現実世界の人間が異世界に迷い込む話とか。
 ということは、神話、伝説、童話は全てエブリディ・マジックに分類されるのかもしれません。
 
 ならば、異世界ではあるが、日常は完全に我々の世界と同じ法則に支配されていて(地図や社会構成などのみ異なる)、 ごくたまに不思議なことがおこる作品があるとすれば、どちらの分類に属するのか?
 などとくだらないことも考えたりしたのですが・・・。-_-;
 これは、まあ、おいといて。
 
 不思議な要素に対するワクワク感でいえば、実はエブリディ・マジック(的構成)の方が 優れているのではないだろうかと考えるこのごろです。
 異世界を舞台にした作品でも、さらにその異世界での常識が通用しない土地へ 冒険に出かけるパターンがあるわけですし。
1999年06月25日:11時01分49秒
ファンタジーと現実世界 / らむだ
  
  らむだです。さっきの自分の書き込み、ひどく分かりづらい気がします。(^^;
  
  笠井氏によれば、ハイ・ファンタジーは、現実世界とは異なる世界をまるごと創造しながら、
  そこで語られる事柄は、現実世界に対する作者の受け止め方を現している。
  そして、その内容は、現実世界への批判や展望として、想像世界から現実世界へと移し替えられる。
  雑駁に言えば、そういった感じかと思います。
  
  この点、ハイ・ファンタジーで描かれる想像世界は、たんなる(現実的変革をあきらめるがゆえの)現実逃避の場ではなく、
  「行ったら戻れない」理想世界(『北風のうしろの国』のような)でもない。
  むしろ、私たちのあり方を変えていくための積極的な性格をもっているのだと思われます。
  
  しかし、TRPGプレイヤーとしての私たちが、そのような現実的変革を(TRPGにおいては)望まないのであれば、
  一般的なファンタジーの枠内で、シナリオやPCを作ればいいことになります。
  つまり、新奇な世界設定、新奇なキャラクター、典型的ストーリー展開の組み合わせ、ノリ。
  
  #なお、この「現実的変革」は、社会的なものということではなく、個人的な内面変革と考えた方がいいかと。
  プレイングによって、自己の内面の新たな部分に気づく、とか、そういったことも含みます。
  
  ただ、こう書いていてすごく気になるのですが。
  たとえばMERPというのは、『指輪物語』の世界を神話世界ととらえた上で、
  プレイングによって神話的事件をなぞっていくという、本当の意味でのロールプレイング(儀礼における神話的役割演技)なのかな、とか考えたりして。
1999年06月25日:09時48分06秒
SF評論におけるハイ・ファンタジーの定義 / らむだ
  
  らむだです、はじめまして。
  ちょうどいま読んでいるSF評論に、ハイ・ファンタジーについての説明がありました。
  笠井潔『機械じかけの夢』、ちくま学芸文庫、1999年(初刊1982年)。
  
  童話的なファンタジーが、擬人化的想像力によって、現実世界に幻想を持ち込み、両者を統合するのに対して、
  
  ハイ・ファンタジーは、「あらゆる要素において自立した異質の世界をワンセットまるごと創造して」しまい、
  その「幻想の現実性」によって、「幻想と現実という二重の世界を統合する」。(p.53-60)
  
  その内容は、叙事詩的かつ<光vs闇>という最終決戦的な「戦争あるいは闘争」、
  この闘争過程を個体の中に示す「主人公の行動と魂の双方にわたる遍歴」とその<秘儀>的性格によって特徴づけられる。(p.61-62)
  
  このハイ・ファンタジーは、近代世界(および人間)の危機を背景としながら、「なおそれを超越するためのヴィジョンを紡ぎ出しつつある」。(p.64-65)
  
  現実と幻想の分裂(つまり世界の崩壊)に直面する現代の人間にとって、ハイ・ファンタジーとは、それを「幻想の現実化」という手法で、ふたたび取り戻すための試みである、ということのようです。
  
  この観点から、いわゆるフツーのファンタジー作品に対する厳しい批判が述べられています。
  
  ヒロイック・ファンタジーや「剣と魔法」ジャンルに分類されるそれらの長大な作品が、「かならずしも『指輪物語』や『ゲド戦記』などの文学的達成に及ばないという事実は、この人類史的ヴィジョンを作品世界の背後に宿しているかどうかという点にかかわっている。」
  「それを欠いた作品は、量産された多くのヒロイック・ファンタジーのように、かつてセルバンテスを激怒させた近世武者修業物語の現代版に頽落する以外ない。」(p.65)
  
  たしかに、どれを読んでもキャラクターの新奇性や展開パターンの組み替えばかりで、後に残るものがないなあと思うことはあります。(^^;
  #それはそれとして、とりあえず面白いとは思うのですが。
1999年06月23日:23時53分55秒
ライトファンタジー? / ARU
 再々び(「ふたふたたび」とよんでください)、ARUです。

>そうすると、ロマンシング・サガ2もエピックファンタジー!?(笑)
 
おぉ、そうかもしれない(^^)。
かの有名CRPGのドラゴンクエストも1・2・3という流れから見ればエピックファンタジーと言えるかもしれませんね。

>#「指輪物語」面白いけどだらだら長いので、読むの途中でやめてました。
# ARU さんの文章を読んだら、また読みたくなりました。

もしそう思っていただけたのなら、幸いです。
かく言う私も、「指輪物語」は、一度挫折してしばらくしてから読みなおした人間ですから。
(1・2巻が壁だったんだよなぁ)
1999年06月23日:23時33分27秒
ライトファンタジーとは? / ARU

再び、ARUです。
はじめまして、ジ・パンダーテイカーさん、あずまさん。
どうぞよろしくお願いします。

>がーん、ライトファンタジーのライトって軽いのライトだと思ってました。

そのような解釈でもいいと思いますよ。
あくまで、私のは「私見」ですし、「軽い」気持ちで読めるファンタジーっていうのも、いいじゃないですか。
ただ「ライトファンタジー」っていうのが、軽い=「いいかげんなもの」「ノリだけのもの」と考える人がいるようで、それは違うんじゃないかと思ったしだいで…
(確かにそういう物もありますが(^^))
例で出ていた「リフトウォーサーガ」は、自分の中ではファンタジーの傑作のうちに入るものですし。

あと私が所持している本というのは
書名 ファンタジーメイキングガイド
出版社 新紀元社
著者 朱鷺田 祐介
ISBN 4-915146-41-3
のことです。
初版が1990年だから手に入れるの厳しいかも…
内容もTRPGをやる人なら一度くらいは読んでみるといいと思います。
(本格的に勉強したい場合は、違う本をお勧めします(^^)。)
1999年06月23日:18時52分01秒
出典を教えて貰えますか? / あずま

ども、あずまです。

>ARUさん

>えっと、私が所持している本によると、(後略)

済みません、出典を教えていただけますか?

勉強のために、その本を読んでみたいのですが…。
面倒でしょうが、ISBNとか、出版者とかも教えていただけると助かります。
めんどくさいお願いで恐縮です(^^;

よろしくお願いいたします。


1999年06月23日:15時00分18秒
RE:RE: ハイ&ライト / 香美単衣
 蒼さん、ARU さん、ジ・パンダーテイカーさん、はじめまして。ありがとうございます。
 
>歴史的な出来事を追っていくファンタジー
 
 そうすると、ロマンシング・サガ2もエピックファンタジー!?(笑)
 (冗談ですので本気になさらないよう ^^;)
 
>ライトファンタジーのライトって軽いのライト
 
 がーん、上に同じです。明るいのライトでしたか。
 聞かぬは一生の恥になるところでした。

#「指輪物語」面白いけどだらだら長いので、読むの途中でやめてました。
# ARU さんの文章を読んだら、また読みたくなりました。
1999年06月23日:13時27分49秒
RE:ハイ&ライト / ジ・パンダーテイカー
みなさん初めまして、ジ・パンダーテイカーといいます。 がーん、ライトファンタジーのライトって軽いのライトだと思ってました。
1999年06月23日:02時33分03秒
RE:ハイ&ライト / ARU
香美単衣さん、蒼さん、はじめましてARUといいます。
どうぞよろしくお願いします。

>ハイファンタジー、ライトファンタジーって言葉あるじゃないですか。どこからどこまでがどちらか…

えっと、私が所持している本によると、ファンタジーには大きなジャンルが二つあり、それをハイファンタジーとローファンタジーというらしいです。
そうすると、ライトファンタジーは?ということですが、ハイファンタジーのサブジャンルの一つのようです。

ハイファンタジーの中には、エピック・ヒロイック・ノンエピック・ライト(ファンタジー)などがあり、ローファンタジーの中には、エヴリデェイマジック・ノスタルジックファンタジーなどがあります。

ライトファンタジーはエピックファンタジーとヒロイックファンタジーの混合による別世界物語で、重要なものが叙事詩的展開でも英雄伝記でもないものをいうらしいです。
代表的なものに「リフトウォーサーガ」があります。

ちなみに、エピックファンタジーですがエピックは「叙事詩」という意味らしく、歴史的な出来事を追っていくファンタジーで代表的なものに「指輪物語」などがあります。
ヒロイックファンタジーは、俗に「剣と魔法の物語」といわれるもので、特定の強力な主人公が世界を放浪し冒険を繰り返す物語です。代表的なものに「コナンシリーズ」などがあります。

あくまで本から借り受けた知識なので、はっきりとはいいがたいんですが(^^)。
私の中では、「グインサーガ」がエピックファンタジー(外伝はヒロイックファンタジーと化していますが)、「エルリックサーガ」がヒロイックファンタジー、ライトファンタジーが…思いつきません(^^)。


>私的にはライトファンタジーとは心に暗い影のない・あるいは少ない物語かなと

私もそう思います。
普通の人間が主人公で(ようするにあまり強力ではない)ストーリーにあまり暗さがないファンタジーが、ライトファンタジーと呼ばれるものじゃないかなと思います。

追伸 長くなってしまってすいませんです。

1999年06月23日:00時00分42秒
RE:ハイ&ライト / 蒼
 どもはじめまして。蒼です。
 ハイファンタジーとライトファンタジーですか・・
 ハイファンタジーと評する作品はあまり見ないようなきもしますね。
 私的にはライトファンタジーとは心に暗い影のない・あるいは少ない物語かなと
 
1999年06月22日:15時35分07秒
ハイ&ライト / 香美単衣
 初めまして。
 しばらく書き込みがないようなので、未熟者ながらひとつ。
 ハイファンタジー、ライトファンタジーって言葉あるじゃないですか。
 どこからどこまでがどちらか、みなさまのお考えをご教授いただければ幸いです。
 
 勝手な想像では、強力な主人公が、何の目的も持たずぶらぶらしているのがライトファンタジーかな?と。
1998年12月05日:10時19分34秒
ヒト食う人々 / ねこざき
 このページでははじめまして。ねこざきと申します。
 ハヤカワ文庫のノンフィクションから「ヒトはなぜヒトを食べたのか」という本が出ています。
 アステカ族がなぜ、毎日毎日ヒトの心臓をえぐっては死体を祭壇から蹴転がし、その死体をトマトで煮込んで食べちゃう必要があったかが、ごく合理的に解き明かされています。「そうか。そんな理由があったんじゃしょうがないね」って感じです(笑)。
 ほかにも、なぜイスラム教徒やヒンズー教徒は豚や牛を食べないかとか、男女差別の起源はどこにあるかとかについても、この著者なりの合理的な解釈がおこなわれていて、なかなか読み応えのある一冊です。興味のある方はぜひご一読を。
 そういえば、この本、ほかのページでも紹介してた気がする……。まぁ、いっか。
1998年11月09日:11時02分26秒
re:保存食 / ディアス・ダロ
トロウルキンのなかでも”食用”はそうですな。”有用”は私的にはそうそう簡単には食べられないと思っています。

 RQに移った方がいいですかね。
1998年11月07日:13時44分03秒
re:ついてくる保存食 / げんすい堂
ども、はじめまして ルーンクエストだとトロウルキンなんてモロにそんな感じですねえ
1998年10月27日:18時06分09秒
re:ついてくる保存食 / ディアス・ダロ
> 保存食なら、家畜そのものを連れていくという方法もあるにはありますね。  
モンゴル人のような遊牧を行う騎馬民族の強さの一つですね。
> 「食用人間」とか「食用奉仕種族」みたいなブラックなのはいいなあ。ダメ(笑)?。
ルーンクエストには知性を持たない「家畜人」という奴がおりまして、モロカンスというばく(獏)のような形態の知性ある生物に飼われております。
彼らは訓練されれば武器が使えるので最高の家畜でしょう。
動物にしてはINT(知性)高いし。
1998年10月27日:16時03分02秒
ついてくる保存食 / 速水螺旋人
 保存食なら、家畜そのものを連れていくという方法もあるにはありますね。手間かかるけど(笑)。
 インパール作戦では、「食料?牛を連れて行け」と牛を引っ張っていって、途中でへたばってえらいことになりましたが。
 
 手間のかからない保存食ならいいんだな。
 従順で、自分の面倒が見られるぐらい知能が高くて……。戦力の足しにもなって……。
 「食用人間」とか「食用奉仕種族」みたいなブラックなのはいいなあ。ダメ(笑)?。
1998年10月27日:14時51分32秒
保存食の製造法 / 琴羽乃彩
 魔法で保存食を作るなら、普通の保存食よりかなり高価になりません?
 まあ、何らかの魔法装置を使うなら量産できるでしょうから、安価になるとは思いますが。
 S=Fのような世界なら珍しくないかも。
1998年10月26日:05時44分01秒
保存食 / カヲル
今日わぁ。ここでは初めましてぇ。カヲルでーす(^o^)。  
 
   カップ麺ですかぁ。そういえばぁ、「私の勇者様」でぇ、袋のラーメンを見てぇ、「私の世界にも似たようなものがある。」と発言した勇者様がいましたねぇ。水を取り除く魔法を使ってぇ、作るのだそうですう。もっともぉ、「こんなにうまくもない」とおしゃっていましたけどぉ。
1998年10月26日:00時43分52秒
保存食 / 雪だるま
どうしても現代とは異なった食生活を描きたいというのでもなければ、カップ麺でも缶詰でも、フリーズドライでも別に構わないんじゃないかなあ。
それくらいの柔軟な発想が許されるというか、いい加減な世界だと思ってるんだけど。大抵の“ファンタジー”ってのは。
つーか、おいらはあんまり気にしたこと無いし、マスタリングしてるときでも塩漬け肉かチーズにワインくらいでごまかしちゃうけど・・・
1998年10月25日:23時08分57秒
Re:冒険中に栽培できる植物? / 極丸刀史朗
私の読んだ話では、陣地を作って睨み合っていた短期戦のようでした。シベリアの冬で屋外での栽培ができなかったらしいです。冒険行といっても、毎日移動ばかりというわけじゃありませんよね?ベースキャンプを作ってあたりを捜索したり、疲れが溜まってきたり、天候不良などで足止めされてしまう場合もあるでしょう。もやしって栽培に何週間もかかるわけじゅないでしょう。(だから安い^^)
アキトさんの書かれているようにビタミン等の摂取は、 冒険者にとっても、重要な問題かも知れませんね。長期の冒険行の場合、途中で生鮮食料を補給できる見込みがなければ、なんらかの対策を講じなければならないでしょう。初期のうちは、比較的日持ちのする根菜類を持っていくでしょうが、やはり重量の制限から、そんなに多くは持てない。何か手だてを考えるでしょう。お茶って言うのはいいですね。お茶漬けを食べる冒険者(^^)


冒険者の様子を見てぼったくろうとする農民をだすといいかも知れませんね。はい、私は「よーしゃなく厳しくパーティをびんぼーにする」をモットーにしております(笑)逆にそれで、とんだところでシッペ返しをくらうこともありますが。

SWシナリオ「虹の水晶宮」をプレイしていたときのゲーム仲間Aとの会話

皆で港の方へ出かけていたんですが…

A「おい、この間買った船ってどのくらいの大きさ?」

私「船!?お前船なんか買ったの?(どこにそんな金があったんだ?)」

A「買ったじゃんか。ほら、あの…」

私「?」

A「アザーン諸島だから買っといた方がいいって…高かったからいい船だろ?」

私「…ゲーム内の話か!」

A「そうそう、それくらい解れよ」

私「わかるかーーーーっ!」

……ホントに、マンザイやってんじゃねーっての(笑)船の値段なんか知らないから、適当に、出せる金額ギリギリにしたんだっての(笑)
1998年10月25日:20時38分12秒
Re:保存食に関して / アキト
>追加
お茶も、ビタミンCを多く含むので、保存食ですよ(「団茶」というのが中国方面の遊牧民の人たちの栄養事情を改善したというお話をどっかで聞いたことがあります)。
 じっさい、乾燥してるので軽くていいです。山登りとかでは、おすすめ。ただし、紅茶にはビタミンCありませんから、気を付けましょう。
 
>さらに追加
 お塩も、保存食というか、携行しなくちゃまずい食品です。あとは、ミョウバンとか重曹とか(これらは食えませんが)。
1998年10月25日:14時49分28秒
冒険中に栽培できる植物? / YAN
> 極丸刀史朗さん
> 大豆からもやしを作る方法
 
 もやしですかぁ。いやあ、私も良く食べますです(安いし(笑))。
 でも…もやしって、傷みやすいですよね(水に浸けておかないと、一日で駄目になっちゃう)。
 
 それを考えると、保存食には向かないような…日本軍の場合は、
 「もやしを栽培しながら行軍していた」のではないでしょうか?
 だとしたら、冒険者向きではないですよね…。
 
 む。いや。まてよ。
 逆に、「冒険中に栽培できる植物」ってのも、ファンタジーぽくって良いかもしれないですね。例えば、
 
 「アンセリカの種」
 
 この種を地面に植え、水をかけると、みるみる芽が出て枝が茂り、小一時間ほどで立派な実を付ける。
 実は6〜8人分あり、滋養たっぷり。実を取ったあと木は枯れてしまうが、その枯れ葉や枯れ枝がまた、良質の薪として使える(一晩燃やすのに十分なくらい)
 
 こーんな種があったら、冒険も楽しいでしょうね☆
1998年10月25日:02時04分46秒
「もやし」っていうのはどうでしょうか(^^) / 極丸刀史朗
何で読んだのかは忘れましたが、昔、日本軍が大豆からもやしを作る方法を知っていたおかげで、壊血病にかからずにすんだため、ロシアだったかに勝てたという話を読んだ覚えがあります。相手は大量の大豆を抱えながら、壊血病に苦しんでいたんだそうです。もやしにすればビタミンが取れるわけですね。アルファルファもいいかもしれない(^^)
1998年10月25日:00時49分57秒
保存食に関して / YAN
 ソードワールド雑談所 LOG 014からの話題です。
 
 保存食に関してですが…代表的なものは、極丸刀史朗さんがほとんど挙げられてますね。大別すると、
 
 1.肉類を加工した物… 干し肉。干し魚、薫製の類
 2.穀類を加工した物… 固パン。小麦、豆、米、芋
 3.乳製品… チーズ。あるいは、動物の乳そのもの
 4.果物、野菜類… ドライフルーツ類。木の実の類
 
 の、4種類がメインでしょうか。また、この中でも「干し肉」「固パン」が定番どころだと思います。
 
 実際には、この中のどれかが正解…というわけではなく、地方によって違ったり、組み合わせて売られていたりするのでしょう。(「アースドーン」の保存食には、<乾燥させた果物、干し肉、木の実>などが含まれます。)
 
 ちなみに「アースドーン」には【ドワーフ製鉱山用保存食】というモノもあって、こちらは地下で育てられた野菜、木の実等が含まれます。量の割に軽くて持ち運び易く、栄養価も高いのですが…まるで砂利のように固く、「味も砂利そのもの」という話です(笑)。
 
 なお、これらの保存食は、そのままでも食べられるものではありますが、余裕がある場合は、煮たり(スープにする?)、焼いたりぐらいの調理は行っていると思います。
 
# 干し肉にしろチーズにしろ、かなり塩分が多いはずです。まあ、保存食が必要な状況下で「塩分過多」にはならないと思いますが、少しでも美味しく食べるため、あるいは腹持ちを良くするために、スープにして食する事は少なく無いと思います。
 
 また、穀物の類…豆や米、小麦(粉)、芋等は、長期間の保存が利き、持ち運びもし易い優秀な保存食ですが、やはり調理したほうが美味しく、満腹感を得やすいと思います。(豆のスープ、ぞうすい、小麦粉を練って団子状にしたもの…とか)
 
 調理といえば調味料ですが、砂糖、塩、香辛料といった調味料も旅に欠かせない物です。
 砂糖はそれ自体が貴重なエネルギー源です。(中世なら蜂蜜の方がポピュラーでしょうか?)
 塩は、エネルギー源にはならないものの、やはり体に必要なミネラル分です。
 香辛料は…必須ではありませんが、生肉の防腐&匂い消しに多いに役立ちます。
 
 また(ファンタジー世界には少々そぐわないかもしれませんが…)、「味噌」は植物性タンパク源であり、調味料としての役割も果たす、重要な携帯保存食です。
 
 逆に、果物や木の実は、加工も調理も必要無い場合がほとんどです(木の実は、量を確保するのが大変ですが)。果物は…数ヶ月単位、年単位の保存には加工が必要ですが、数日、数週間単位の旅であれば、そのまま持っていっても十分携帯食として役立つと思います。
 
    
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 ところで、保存食の特徴に注目してみると、
 
 1.乾燥している(あるいは乾燥した表皮に覆われている)
 2.高濃度の塩、砂糖で固められている

 
 といったものがほとんどで、逆に云えばこの条件を満たしていれば、保存食たり得るのではないかと思います。
 
 また、中世風のファンタジーでは缶詰は無理でも、ビン詰めくらいは加工手段として存在しても良いと思います(瓶はガラス製でなく、陶器製でも構いませんし)。それに野菜や穀類、肉類を煮詰めたものを詰めて、コルク栓で蓋をして、封蝋すれば、かなり長持ちするらしいです。(まあ、値は張るでしょうし、割ってしまう可能性もありますけど…)
1998年09月29日:23時14分53秒
ファンタジーの冒険 / 雪だるま@冬眠中
ちくまの新刊ですね。ちらっと眺めただけでしたが、なかなか面白そうな本でした。

ファンタジーじゃないけれど、今は白水社の「中世首切り役人の日記」を読んでたりします。ニュルンベルグの首切り人、フランツ親方が書き記した「仕事」の記録なんですけど、どこどこ出身のだれのだれべえはこれこれの悪事を働いたので、こうやって絞首刑にしたとか首をはねたという内容で、どんな犯罪があったのかってのが分かって面白いです。

特に私はドイツのローテンブルグの中世犯罪博物館に立ち寄る機会に恵まれまして、斬首剣や中世ドイツの拷問具なんかを見たこともあり、とても面白いです。まあrpgには使えないだろうけど・・・使えないかなあ・・・


1998年09月29日:22時15分04秒
ちくまの「ファンタジーの冒険」 / KAZUKI
 こんな本見つけました。
 小谷真理 『ファンタジーの冒険』 ちくま新書 1998年 ISBN4-480-05774-9 C0298
 つーか、自分の勉強しろ、私。
1998年09月29日:06時34分28秒
TRPGのためのファンタジー設定の部屋 LOG 002 / sf
TRPGのためのファンタジー設定の部屋 LOG 002として1998年06月09日から1998年09月16日までのログを切り出しました。

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