[KATARIBE 29567] [HA06N] 小説『漂流』

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Date: Sun, 4 Dec 2005 02:08:20 +0900 (JST)
From: 久志  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29567] [HA06N] 小説『漂流』
To: kataribe-ml@trpg.net
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2005年12月04日:02時08分20秒
Sub:[HA06N]小説『漂流』:
From:久志


 久志です。
 結構気に入ってる公安の人、東のお話。
ハードボイルドのようなものを書こうとして空中分解。

小説『表裏』の続きです。
http://www.trpg.net/ML/kataribe-ml/29400/29491.html

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小説『漂流』
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登場キャラクター 
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 東治安(あずま・はるやす)
     :吹利県警警備部巡査。公安の人。

活動2
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 待ち合わせた喫茶店に着いた時には、既に例の人物は珈琲を片手にテーブル
の上に広げた資料を手繰っていた。その向かいの席には少し冴えない会社員と
いった感じの対象者が座り、和やかに談笑しているのが見える。遠慮がちに向
かいの席の男を見上げる目はどこか焦点がぼやけた印象を意思の弱さを感じさ
せる。席に近づく自分の姿を認めると心持ち申し訳なさげに手を上げた。

「遠山さん、こっちです」
「すみません、お待たせしましたか?」
「いいえ、こちらこそわざわざおいでいただいて」

 少し緊張した面持ちで折りたたむように丁寧に頭を下げる対象者と、細くも
なくかといって肥満という程でもないどっしりした安定感のある体つきにいか
にも信頼の置けそうな余裕のある笑顔を浮かべて、ゆったりとこちらに会釈す
る幹部格の壮年の男。
 人から信頼を得るに際して必要なものとして、本人の外観から感じる印象と
いうものは非常に大切な要素だ。人の五感の中で、目から得る情報というもの
は自身が意識することのできないはるか深層に大きく影響を与えるものであり、
どれほど頭で状況や相手を理解をしようと努めても、むしろ無視しようと思え
ば思うほどにその後の判断に関わるもの全てに影響する。

「はじめまして、わざわざおいでいただいてすみません」
「そんなに緊張なさらないでください、ああ、何かご注文はなさいますか?」

 気さくに話しかける穏やかな声。対象者と共に悩みの相談をのるという形で
引き合わせるように進めてきたが、まだこちらの緊張を解いてはいけない。
 人は案外鋭いものだ。
 本来ならば仮面の下に隠された真実を見抜く力も、自身を捕らえようとする
危険も、直感的に判断することができる。どんなにうまい言葉も信頼できそう
な行動も、この人は嘘を言っているような気がするというような勘の鋭さや、
自分自身の不安からくる警戒で見抜かれてしまう。そしてそれは自分にも相手
にも同じことが言える。相手の懐に潜りこみ掌握する手法とは、決して演技の
腕を磨くことではない。意図的に相手の不安を煽りながら、巧妙に危機を感じ
る勘を鈍らせる状況へと誘導していき、絶対的な論理を植えつけていく。当初
は組織に対して懐疑的な念を抱きつつも、繰り返しやり方を変えて冷静に判断
できる状況を削り落とされて行くうちに、徐々に修正されてゆく。

「どうしてこちらの会へ興味をもたれたんですか?」
「ええ、紹介されたということもあるのですが……」
 カウンセリングという名の調査、穏やかに微笑む顔の裏で、いかにしてこち
らの心を掌握するかの算段を整えているだろうか。
 人心掌握。例えば対象に近しい立場の賛同者を置き、同調と共感をさせなが
ら警戒をほぐし、修行やセミナーを通じて一種特異な体験を通じて外部情報を
遮断し、判断を狂わせて思想を刷り込んでいく。

「なんと言いますか……人と人との関係に疲れた、と言った感じでしょうか」
「なるほど」
「ええ、ですが。私自身が至らないせいでもありますから」
「ああ、無理におっしゃらなくても構いませんよ。少しづつ、自分の中で整理
してからで構いません」
「……いいえ、もっと自らに向き合わねばならないと思っているのですが」
「それは難しいことですよ、遠山さん。だから人は悩みますし迷うのですから」
「はい、わかっているのです。ただ」
「ただ?」
「自分が何の為に働いて、どうしたいのか、時々わからなくなるのです。そん
なことを考える自分が怖いと思うのです」
「漠然とした不安、というものですか?」
「どうでしょう。ただ自分の中で何か納得し切れないなにかがある、その事が
いつまでも消化できないままでいる」
「はい」

 どれほど生活が豊かになり、様々な情報が溢れようと。人一人がまかないき
れる情報の総量には限りがある。どれほどの高い順応性を誇っても個人が裁き
きれる絶対量は早々変わらない。歳を追って物事の順応性が変わるといっても、
それは絶対量の中での比率の変動であり、処理できる対象や場が変わるだけで
のことだ。普通と言われる人はかつての聖徳太子のように十人の問いかけに同
時に答えることはできないし、聞いていたとしてそれに即座に対応はできない
ものだ。

「……ままならないと思うんです」
「その理由をお聞きしてもよろしいですか?」
 見つめる目の更に奥、一瞬きらりと光るのを肌で感じる。

「妻と、別居しているんです」
「はい」
「ほんの小さな諍いや価値観のズレだと思っているのですが」
「人間関係とはひと口で語れるものではありません。ですが、そのことで遠山
さんが自分を責めるのは逆効果です」
「彼女が何を思って、私に何を求めているのか。でも、互いの気持ちをすり合
わせることができずに」
「はい」

 悩み、不安、出口のない不安定な思いを抱える人が増えているという。
 かつて家族や近所という大きな集団が機能していた頃。行き場のない思いを
吐き出せる場として、また不安定ゆえの暴走の受け皿として機能していた。
 こんな時、昔は良かったと人はいうかもしれない。だが人は忘却する生き物
であり、過ぎ去った時代からは良い思い出しか残らないのは何時の時代も変わ
らない。昔にも当然のように苦しいことやままならないことが多々あり、濃密
な人間関係ゆえの煩わしさが存在し、それゆえの諍いや事件も少なくなかった
はずだ。

「わかりあいたいと思っていても……難しいです」
「なるほど、今日はこの辺にしましょうか。気分はいかがですか?」
「少し、気持ちが軽くなりました」
「それはよかったです」
「ええ、すみません。お時間をとっていただいて」
「いえいえ、こうしてお話できるのは私にとっても参考になりますから。来週
の日曜はご都合は?」
「はい、空いています」
「よろしかったらまたセミナーにご参加されませんか?」

『来週の日曜日は空いていて?』
 ほんの僅か、心にかすめる声。

「ええ、是非」


報告2
------

○月×日 木曜 晴れ
 再び(幹)接触を試みる。待ち合わせの喫茶店△●×にて午後四時に(対)
と共に(幹)と接触、軽食をとりながらカウンセリングという名目で二時間程
の会話を交わす(添付のFAXに詳細内容を記載)会話の合間、時折組織への
興味を引くような言動が多々あり、再びセミナーに参加する約束を取り付ける。
相手はこちらを掌握する心積もりで快諾。


煙草越しの
----------

 時計を確認する。
 妻に連絡の電話を入れた後に約束した時間から三十分は過ぎていた。
 白を基調にした品のいい店内は、すっかり日の落ちた時間帯のせいか客はま
ばらだった。窓際の席にカップルが一組座り珈琲を片手に微笑みあっている。
ひとつ離れたテーブルにはサラリーマンらしい二人連れが書類を広げ、仕事の
会話らしきものを交し合っている。中ほどにある観葉植物の側に置かれた広い
四人掛けには、若い女性三人が陣取り互いの会話に余念がない。その向こうで、
若い女性が一人で文庫本を手繰っている。
 妻は店内を見渡せる位置にある一番奥まったテーブル席に座り、店内を眺め
る自分をじっと見ている。目の前に置かれた空になった皿と微かに口紅の跡が
ついたカップ、その傍らに置かれた灰皿には数本の煙草の吸殻が転がっていた。
席に近づく間、彼女の視線は真っ直ぐに自分に注がれていた。

「すまない、遅くなった」

 無言のままの見つめる妻に構わず、椅子を引いて腰掛けた。見計らったよう
に席に近づいてくるウェイトレスに珈琲を注文し、テーブルの上の冷めた珈琲
に目をやって彼女にもう一杯と付け足した。かしこまりました、とウェイトレ
スが一礼して去っていくのを見届けてから妻に向き直る。

「待ったかい?」
「いいえ」

 彼女の前に置かれたカップはすっかり冷めて、内側に茶色の線が付いている。
空になった皿は、おそらくサンドイッチか何かを注文したのだろう、紙ナプキ
ンの上に細かなパンくずが散らばっている。軽く見積もったとしても三十分ど
ころではない時間であることはあきらかだ。
 きゅっと引き締めた唇には奇麗に口紅が整えられている、自分が店にくる前
に直したのだろう。胸ポケットから煙草ケースを取り出し、一本軽くテーブル
の上でフィルターを三回叩いてからくわえて火をつける。
 ゆっくりと立ち上る煙の向こうで責めるような目がじっとこちらを見ている。

「煙草をもらえるかしら?」

 唇の前、人差し指と中指を立ててこちらを見る。奇麗に手入れされた爪に薄
いピンクのマニキュアが光っている。テーブルに置いた煙草の包みから一本取
り出して、妻の前に差し出した。だが、彼女は手にした煙草を一瞥して、上目
遣いでじっと見つめる。
 火をつけたばかりの煙草を手にとって差し出す。
 妻は黙って煙草を受け取ると、視線を窓にむけて煙草をくわえて一息吸い込
んで細い煙を吐き出した。
 新しい煙草に火をつけながら、妻の横顔を見る。

「あなた、少し痩せたかしら。ちゃんと食事はとっていて?」
「ああ」
「夫としての義務は果たせなくとも、父親としての義務はあるはずよ?」
「わかっている」

 赤い口紅の跡のついた煙草を乱暴に揉み消して、責めるような視線が刺さる。

「すまない」
「…………理解はしているのよ」

 それた視線がテーブルに落ちる。張り詰めてきたものが崩れていくような、
微かに俯いた肩から、緩やかに波打った細い髪が零れ落ちる。伏せられた長い
まつげの下に微かに滲む……涙。

「かほる」
「……何?」

 小さく肩が震えて、一瞬の沈黙のあとに帰ってくる返事。緊張で声が微かに
震えている。

 もう、何もかも終りにしよう。

 彼女は怖いのだ、自分の口からその言葉を聞くのが。
 いや、それは自分も同じ事だ。

 ままならないと思う。

「あの子は元気か?」
「ええ」
「……そうか」

 それきり答えもなく口をつぐんだまま、放心したように黙り込んでしまう。
長いまつげの滲んだ涙、本来なら華のある挑戦的な微笑みの似合う顔がしおれ
ていくかのようにみるみる艶を失っていく。精彩を欠いた彼女にかける言葉も
見つけられず、ただ見つめている。
 しこりのように胸にわだかまっているもの。

 後悔しているのか? 何に?

 壁の時計が午後九時を告げる。


時系列 
------ 
 2005年9月上旬。
解説 
----
 小説『表裏』の後。公安、東治安。職務と壊れた家庭と。
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以上。

 奥さんの名前も決まったようです、ええ。水滸伝追加〜



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