[KATARIBE 29491] [HA06N] 小説『表裏』

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Date: Thu, 3 Nov 2005 23:48:15 +0900 (JST)
From: 久志  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29491] [HA06N] 小説『表裏』
To: kataribe-ml@trpg.net
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2005年11月03日:23時48分15秒
Sub:[HA06N]小説『表裏』:
From:久志


 久志です。

 なんとなく、なんの脈絡もなくハードボイルドを書いてみたかった。
(ハードボイルドであるかどうかはこの際問わない)

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小説『表裏』
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登場キャラクター 
---------------- 
 東治安(あずま・はるやす)
     :吹利県警警備部巡査。公安の人。

活動1
------

 昼とも思えない薄暗い空。
 駅前から少し歩いた処に位置する、民間利用の小さなイベントホールの前で
足を止める。濁った空を見上げて、手にしたビニール傘を傘立てに差し込む。
「こっちですよ」
「ええ」
 バッグを軽く持ち直して、先導する男の後を追う。周囲には同じ目的と思わ
れる老若男女問わない数人の人物が同じ目的地へ向かって歩いている。目指す
会場が近づくにつれ、その人数は増していった。
「緊張しますね」
「ああ、遠山さんは初めてですからね、集会は。そんなに堅苦しいものじゃあ
りませんから、もっとリラックスしてください」
 軽く肩を叩いて大丈夫ですよ、という対象者の言葉を聞きながら通路を歩く。
慣れない新人の雰囲気を装って周囲を見回す。会場へ向かう人物の年齢と顔と
をできる限り記憶に止めながら歩を進める。

 宗教の病理性。
 過去の様々な事件が影響してか、特に宗教というものに対する偏見は根深い。
しかし、本来ならば宗教および信仰というものに犯罪性はない。宗教に問わず
一定数以上の集団がその活動や思考を外因的に抑制され、病理性を帯びたもの
が社会常識やルールを逸脱し、反社会行動や犯罪行為へと手を染める。

 入り口前で時計を確認し、襟元を直して深く息を吸った。時刻は五時を少し
回っていた。
「行きましょう」
「ええ」
 会場に一歩足を踏み入れる。隙間なく並べられたパイプ椅子とテーブルは、
既に半分以上が埋まっていた。見回した会場内は年齢は下は学生ほどから上は
かなり高齢の老人まで統一性はないが、比較的多いのは自身とさほど変わらな
い三十前半ほどの、若手から中堅の間ごろといった年頃の年齢が多い。男女差
でいうと、比較的男性のほうが多い印象受けた。

 アイデンティティー
 自己の存在証明、自分らしさ、自分が自分である意味。
 かつては青年期で声高に叫ばれ『自分探し』という言葉の元、様々に自身を
模索する動力となっていた。
 しかし、実際には『自身』とは一生をかけて探すものであり、自分が歩いた
軌跡と経験を振り返って見出すものだ。一時の青年期の行動で一概に見つけら
れるものではない。人間とは常に自らと向き合って生きねばならず、そしてそ
の業からは逃れることはできない。

「すごい人気ですね」
「ええ、遠山さんもきっと不安が晴れると思いますよ」
 居場所を見切れない不安定さ、自らを捕らえられない不完全さ、自分の成す
べきことを見つけられない曖昧さ。
 自らを襲う不安から抜け出したい、自分に対する答えを得たい。
 それは少年期、青年期を問わず、曖昧な立場に陥った全ての者に当てはまる
真理であり、その迷いや苦しみから解き放つ為の心の拠り所、心の支えとなる
のが本来の宗教であり、支えや拠り所をもって迷えるものを立ち上がらせる為
にあるからこそ尊いものであるはずだ。

「まもなく講演会が始まります、お静かにお願いします」
 高いソプラノ声が会場内に響く中、隣に座った対象者が居住まいを正すのが
見える。ひとつ息を吸って、目の前を見据えた。

 不安を抱え、自身を見失った者。
 不幸に会い、信頼を揺らいだ者。

 そうした者達に密かに忍び寄り、巧妙に心を絡め取る者達。

 湧き上がった拍手に迎えられてホワイトボードの前で丁寧に頭を下げる幹部
を表情を変えず注意深く見つめた。


報告1
------

 ○月○日 火曜 曇り(雨が今にも降り出しそうな空模様)
 (対)と共に集会に参加。目立たない黒系統の服と手持ちバックを所持。
集会は二時間に渡り(対)かなり心酔の様子。(幹)に接触すべく(対)に依
頼。紹介してもらうも、それ以上の接触はできず。次回の集会への参加を約束
し、(対)と食事をかねて感想と組織内での様子を聴取(添付のFAXに詳細
内容を記載)


杯
--

 今しがた書き終えた報告書と、それに添付する対象の詳細を記した手書きの
原稿とを眺めた。大した収穫はない。次の集会までにはまだまだ期間がある、
もう一度対象者の彼と連絡を取って、今日の幹部と接触できるよう便宜を図っ
てもらう必要がある。
 収穫はありませんでしたという内容をだらだらと引き伸ばしただけの報告書
を封筒におさめ、机の一番上の引き出しに仕舞って鍵を掛ける。
 机の隣に置いた木製キャビネットの扉を開けて、半分程中身の減ったウィス
キーのボトルと小さな寸胴のクリスタルグラスを取り出し机に並べる。ボトル
を開け、琥珀の液体を指二本分の位置まで注ぐ。

 人は誰にでも生きる権利を持っている。だが、生きる権利を行使する為には
自らが生きる為の努力をしなければならない。
 食べなければ生きていけないし、食う為には働かねばならない。
 自らが生きる努力を放棄して、権利だけを主張することは許されない。

 人が生きる為の環境とその生活を守る為という名目で国家が存在し、国民か
ら権力を託されるという形で、自分はふさわしい権力と義務を負っている。

 グラスを傾け、ひと口ウィスキーを口に含む。じわりと乾いた体に染みこむ
ように、琥珀色の命の源が満ちていく。目を閉じて、鼻腔でゆっくりと香りを
味わい、喉の奥で転がしながら味を楽しむ。
 種類に限らす、酒とはこの最初のひと口が最高に美味いと思う。ゆっくりと
口の中で後に引く余韻を楽しみながら、もうひと口グラスを傾ける。閉じた目
の奥で見たこともないはずだがどこか懐かしさを感じる風景が浮かぶ、遠くに
広がる空、風に揺れる木々、古い石造りの建物。体中から溶け出すように胸に
つかえた重苦しさが和らいでいくのがわかる。

 ふと、今日の講演会を思い出す。
 落ち着いた色合いの上等なスーツ、よく通る低く安心感のある声、穏やかに
微笑みを絶やさす、じっくりと噛んで含めるような丁寧なもの言い。いかにも
人の心を掴むのに効果的な人物。そして巧妙に不安を抱いた参加者達を肯定し、
励ましながら、自分は受け入れられているという錯覚を与えるセールストーク。
 世間は自分が思っているほど自分の事を見ていない、だがそれは決して否定
されているわけではない。だが、大多数の無関心というものは本人にとっては
無言の否定に等しい。否定されることは何よりも辛いことだ。
 認められたい、受け入れられたい。それは人として自然な欲求であり、個人
として社会で生きるうえで必要な事柄でもある。

 人の不安と欲求の隙間をついて、忍び寄る影。
 人心を捉えて、意のままに操る為の下準備。

 グラスをあおる。
 最後の一滴まで残らず口に含み、ゆっくりとその味と香りを最後まで味わう。
もっと楽しみたい衝動に駆られるが、それを押し留めてボトルをキャビネット
にしまう。酔いが回ると、本来の味と匂いと酒自身が持つ風景を感じる感覚が
鈍る。だからこそ、足りないと感じるくらいの量がその酒の隅々まで深く味わ
うことができる。


電話
----

 振動音。
 充電機に置かれたまま、めったに使われない個人用携帯。緑の受信ランプが
ちかちか点滅しながら激しく振動して一旦止まり、一拍置いてから短く振動し
てはまた止まり、また激しく振動する。

 この着信を設定したあるのはたった一人。

 手の中で空になったグラスを眺める。
 電話に出なければいけない、それは取り決めで約束したことであり、自分の
義務でもある。
 静まり返った部屋の中で振動音が響く。
 激しく振動、止まる、短く振動、止まる、また激しく振動。緑色に光る受信
ランプが振動にあわせて瞬いては消える。空のグラスをテーブルに置き、個人
用携帯を手に取った。

「東です」
『あなた……』
 少しかすれた棘のある声が耳に刺さる。
「君か」
『君か、じゃないわ』
「……今月の養育費の振込みは済ませたはずだが?」
 電話の向こうの沈黙
「ああ、振込み確認の連絡を怠ったのは俺の手落ちだ、すまなかった」
『私が言いたいのはそんなことじゃないわ』
「……先週のことか?」
『最低でも三ヶ月に一回は子供と一緒に食事をする。あなた、この約束はおぼ
えていてよね?』
「ああ、おぼえている。すまない、仕事だったんだ」
『この前もあなたは同じことを言っていたわ』
「仕事だったんだ、本当に申し訳ないと思ってる、すまなかった」
『……わかっていないのね、あなた』
 責める言葉の奥で、押し殺した感情。
 人はそうそうには強くはなれないし、わかり合えるわけでもない。
 彼女とも、わかり合えていないのか? いや、わかり合ってるからこそこう
して連絡を取り合い話し続けられるのであって、本当にわかり合えないならば
こうして話し合う必要性すらないだろう。
『来週の日曜日は空いていて?』
「来週日曜?」
『あなたは仕事予定は一度たりとも忘れなくても、私が話した予定は何もおぼ
えていないのね』
「すまない」
『……あの子の保育園の学芸会よ、あなたに会いたがってるわ』
「そう、か」
 言葉を切って黙りこむ、その沈黙が責めるように痛い。
「何とか都合をつけられるようにする、今度は俺から連絡を入れる」
『信用ならないわ』
 叩きつける言葉に微かに混じるのは、涙。
「……今度はかならず約束を守る、連絡する。待っていてくれ」
 答えはなく、小さく息を吸う音を最後に電話は切れていた。

 切れた個人携帯を折りたたんで充電器に置く。充電中の赤いランプが点灯し、
薄暗い部屋を微かに照らす。
 彼女が何を思って、俺に何を求めているのか。その気持ちが全くわからない
ほど莫迦ではない自覚はある。
 ほんの小さな諍いや価値観のズレに過ぎないのだと思う。
 小さなすれ違いと価値観のずれ、それをすり合わせることができずにこじれ
にこじれて行き着いた末、彼女は俺に感情をぶつけることで、俺は彼女の激情
をだまって受けることでギリギリで成り立つ関係。
 だが、かつては彼女と俺とは一緒に歩いていくことを誓ったはずだ。
 今でも……俺はそのつもりだし、彼女も、そうだと思いたい。
 それでも、互いにすり合わせる時間も話し合う時間も一緒に過ごす時間も、
俺と彼女ではあまりに食い違いすぎる。

 ままならないと思う。
 世の中も、人の心も。

 自らの家庭
 こんな小さな単位ですら。
 うまく行かない。

時系列 
------ 
 2005年9月上旬。
解説 
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 公安、東治安。職務に忠実に生きつつ、結婚生活は破綻している様子。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
以上。



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