「Magicじゃない、Logicだ」――No Logic, No Magic : 第2回 創意工夫はゲームバランスの夢を見るか

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「Magicじゃない、Logicだ」――No Logic, No Magic : 第2回 創意工夫はゲームバランスの夢を見るか


■酒と目つぶしのラプソディ

プレーヤーA「がっはっは、酒場名物乱闘じゃ。URAAAAAAAH!」
プレーヤーD「GM、僕はジョッキのエールをゴロツキBの顔にぶっかけてやろーと思うんだけど」
GM「へえ、かっこいいね。よし、ゴロツキBは一時的に目が見えなくなったことにしよう。命中と回避に−4だ」


 何気ないプレーヤーの思いつきとGMの一言が大きな悲劇を招くことは少なくない。
 今回のテーマは「プレーヤーの創意工夫とその評価」についてである。

 刺激物を相手の顔に浴びせかけて主導権を握る、という戦い方が、映画や漫画のアクションシーンを飾ることがある。それ自体がどこまで有効な戦術なのかは、現代の軍隊に酒瓶が正式採用されていないことから推測できる(*1)。
 とはいえ、武器らしい武器を持たない状態での自衛手段としてはそれなりに「わかりやすい」手法であることは間違いない。
 しかしながら、このようなプレーヤーの「創意工夫」はゲームデザイン上大変厄介なシロモノである。
 なぜなら、人間は反復する動物だからだ。


*1 もっとも、スタングレネードや催涙ガスが進化した酒瓶の姿であると言う意見には真摯に耳を傾けるべきである。

■繰り返しの悪夢と公平性

GM「というわけで巨大なトロールが橋を塞いでいるよ」
プレーヤーA「仕方ねぇ、殺るか」
プレーヤーC「全滅しちゃいますよぅ」
プレーヤーB「まあ待ってくれ。一つ試してみようじゃないか。GM、僕は酒瓶を見せびらかしながらトロールに近づくよ」
GM(トロール)「オウオウ、コノ橋ヲ渡リタケレバ……」
プレーヤーB「そこで僕はトロールの顔に酒を浴びせかける。確か、命中と回避に−4だったね?」
GM「え……」
プレーヤーA「よっしゃ、これならいける!」


 プレーヤーという生き物は、審判に対して「一貫した態度」を求める。TRPGに限らず、あらゆるスポーツにおいて、審判は同じ状況であれば同じ裁定を下すだろうと期待されている。実際、審判が公平性と権威を維持するにはそれが必要だ。TRPGがそうであってはならない、という意見はあまり目にしたことがない。
 元プロ野球監督、野村克也氏の話によると、プロ野球の審判(球審)は、ストライクゾーン(ストライクかボールかを判定する幅)が「試合によって微妙に違う」そうである。
 ストライクの判定が審判の目と脳で行われる以上、人間的な裁定のズレやミスと無縁ではいられない。しかし、プロの審判は、少なくとも同じ試合の間は「一貫した」ストライクゾーンを維持しようと努力するのである。これについて野村氏は、審判の判定の癖を見抜き、逆に利用することを一流の技術のひとつであるとした。

 同じことがTRPGの中でも発生する。

 プレーヤーは、特別に有利な(あるいは不利な)裁定を受けた時、そのことを記憶する。そして、GMが同じ状況に対して同じ裁定を下すだろうと期待している。
 プレーヤーの思いついたアイデアが十分に有利な修正を受けられるもので、かつ簡単に再現できる場合、多くのプレーヤーは繰り返し使用することをためらわない。
 こうして、「酒による目つぶし戦法」はプレイグループ内で認知され、冒険者たちは常に酒のにおいを振りまきながら街道を歩くようになる。

■発展の代価

GM「前方にゴブリンの一団が現れたよ」
プレーヤーA「ゴブリンなら楽勝だな」
GM「彼らは君たちに気づくと一斉に酒瓶を取り出した」
プレーヤーB「……やばい、イニシアティブに負けたら全滅するかも」


 ところで、皆さんはなぜルールブックに「敵の顔に酒をかけるルール」が記載されてないのか不思議に思ったことはないだろうか。もちろん「紙面の都合」とか「あらゆる状況をルール化できる訳ではない」とか「ルールを簡略化することによりプレイアビリティをうんぬん」というのもその理由のひとつではある。
 しかし、ゲームデザイン側から見た、ルールに記載しない理由はそういうことではない。ゲームデザイナーは、「ルールに記載したすべてのルールは継続的に、繰り返し利用される」ことを知っている。

 僕らは、君たちに「酒瓶を片手に敵を待ち受ける冒険者」になってほしい訳ではない。

 繰り返し利用されるGM裁定は、実質的にはゲームルールに対する変更=「ローカル・ルール」と同義である。
「プレーヤーの創意工夫」がその場限りのものなら、後のゲームバランスに与える影響はわずかだ。けれども、繰り返し利用可能な「創意工夫」に対してプラスの評価を与えることは、簡単にゲームバランスを変質させてしまう。
 それが「悪い」ことだとは僕は考えない。プレーヤーの自由な発想こそが、TRPGの醍醐味のひとつであることは疑いようがないからだ。また、そうして変化していくゲームが決してつまらない訳でもない。
 ゲームを発展させることには、ゲームバランスの変化という代価がつく。それだけの話と言えばそれだけの話である。

■振り出しに戻る

プレーヤーD「GM、僕はジョッキのエールをゴロツキBの顔にぶっかけてやろーと思うんだけど」
GM「うーん、相手の不意をつく訳だから、『フェイント』と同じルールを適用しよう。フェイント技能で判定してみてくれ」
プレーヤーD「フェイント技能は持ってないな。振るだけ振ってみるか。……失敗だ」


 上の例では、実際にはプレーヤーの創意工夫をプラスに評価していない。単にルールを適用(または応用)しているだけで、プレーヤーの努力が「ルールにない」効果を生み出したとまでは言えない。
 ただ、プレーヤーの側から見ると一応「自分の思いつきがGMに伝わった」ように見える。このため、プレーヤーの自由な発想を妨げたくはないが、ゲームバランスを崩したくないGM(つまり僕のような)が多用する。もしGMが、あなたのPCが持っていない技能による判定を指示したのなら、あなたの要求は遠回しに断られたのである。

 ちなみにTRPGのシステムは、ある程度イレギュラーが起こってもゲームバランスが崩れないよう、冗長性を持って組まれている。実は、プレーヤーの創意工夫を積極的に評価しつつ、可能な限りバランスを維持しつづけようというアプローチが既にある。
 一例を挙げよう。『上海退魔行』(朱鷺田祐介/エンターブレイン刊)では、「ステータス・バー」というルールによって、こうしたプレーヤーの創意工夫をゲームに反映させている。「+1状態」という言い方をするが、要するにキャラクターのすべての行動について+1のボーナスが継続的に加えられる、という意味である。『上海退魔行』の明文化されたルール上では、プレーヤーは自らの創意工夫によって+1状態を得ることができる。逆に言えば、どんな工夫をしようと+2以上のボーナスは保証されない。
 既存のルールを上手く活用して、プレーヤーの発想をシステムの許容範囲内に組み込むことは、ゲームシステムを長持ちさせることにもつながる。与えられるボーナスがあらかじめ予想できるならば、勘の良いプレーヤーはより状況に即した描写を行ってくれるし、GMの側から「こういうことがあったことにしよう」と提案することもできるだろう。
「GMがやることはプレーヤーもやる、プレーヤーがやることはGMもやる」というような軍拡路線は、結局のところ次のような悲劇を招くことになるのだ。

■コーダ、またはピリオド

GM「お疲れさまでしたー」
プレーヤーA「やれやれ、酷い戦いだったなあ」
プレーヤーC「ねえGM、ちょっと考えたんだけどさ……」
GM「なんでしょう」
プレーヤーC「次回は別のゲームやんない?」


 まあ、それも「発展」の形ではあるけれども。

リンク

http://hiki.trpg.net/wiki/?NoLogicNoMagic

さいごに

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月刊TRPG.NET 2005年09月号

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