「Magicじゃない、Logicだ」――No Logic, No Magic : 第1回 たったひとつの冴えたやり方

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「Magicじゃない、Logicだ」――No Logic, No Magic : 第1回 たったひとつの冴えたやり方


テロリストは首ナイフの夢を見るか?

GM「盗賊は人質の少女の首筋にナイフを突きつけ、『それ以上近づいたら殺す』と君たちを脅す」

プレーヤーA「テロリストめ! 脅しには屈しないぞ!」

プレーヤーB「まじっくみそー」

GM「は?」

プレーヤーB「いやだからマジックミサイル。遮蔽関係ないしー」

プレーヤーA「それより呪文で眠らせるのはどーだ」

GM「ええと、人質死んじゃいますよ?」

プレーヤーA&B「ルール上一撃じゃ死なないし」


 僕が一介のアマチュアであった頃から繰り返されてきた命題である。敵役が無抵抗なNPCを人質に取り、PC側に譲歩を迫るシーン。従わなければ人質が死ぬ、さあどうする?

『……いや、どうする、と言われても』

 と思うのがプレーヤーの心情だろう。
 ゲーマー歴の長い人はこういう状態を「デッドロック」と呼んだりする。要するに膠着状態である。
 こうした状況に遭遇したとき、まずプレーヤーは自分のキャラクターシートを見回し、手札があるゲームならば手札を確認し、ついでにルールブックをひっくり返したりして「状況を打開する方法」を模索する。
 通常、「盗賊」側の要求に従う、という策は取られない。なぜなら、それは状況を打開しないからである。そしてこれまで多くのプレーヤーが行き着き、問題をややこしくする結論が「人質はルール上一撃では死なない、よって攻撃すべし」というもの。
 どうしてこんな結論になるかと言えば、つまるところプレーヤーは状況を打開する(他にルール上妥当な説得力を持つ)方法を思いつかなかったのである。

 ほぼあらゆるゲームにおいて、「NPCの生死」を規定するルールを含めた「状況を管理するルール」は常時働いているにもかかわらず、キャラクターの行動を管理するルールは戦闘時にしか適用されない(GMの判断で適用するか否かを決められる)。
 もちろんGMは、こうした裁量を許されることでゲームを適正にコントロールし、緩急をつけることができる。しかし、ことキャラクターの生命が掛かった場面でこの裁量権を用いることは、容易にプレーヤーを追いつめてしまう。
 このままずるずると時間を稼がれれば必敗、人質は助けたいが盗賊も見逃したくはない。そして「ルール上妥当な」手は存在しない。ではどうするか。
 そしてプレーヤーは、「ルールを盾にGMを説得する」という行動に出るのである。

GM「まー待ってください。このゲームには『GMが必要ないと定めた場合、判定しなくてよい』とあります。ですから君たちの行動いかんによっては、私は『判定の必要なく』人質は死ぬものとします。よろしいですか?」

プレーヤーB「うーぬぬぬ」(歯ぎしり)

 ほとんどのプレーヤーは、進んで不自然な状況を演出したいとは思っていない。ルール上そうなるからといって、世界の全ての一般人が「ナイフで刺されても死なない」ことを信じている訳ではない。ではなぜ、プレーヤーは「ルールを盾に取る」のか。
 答えはひとつしかない。プレーヤーが、そのゲームの中で守りたいと思っているものが危険にさらされるから、である。それは人質の命かもしれないし、ミッション成功による報酬や経験点、あるいはキャラクターの信頼関係や名声かもしれない。いずれにせよ、プレーヤーは無意識のうちにその防衛本能をむき出しにしている。

 僕が思うに、人質に止めを刺すルールがない、ということは、「人質を盾にする盗賊」というシチュエーションを「ゲームとしてプレーすることができない」ということではないだろうか。
 このようなシーンでは、ルールに則った進行を止め、演出と演技によって進行させるべきだろう。PCの行動が正当かどうか、ルールによって評価することができないなら、そもそも中途半端にルールを適用するべきではない。
 たぶん、ここでGMが本当にするべきは、多少露骨でも「ここは演出のためのシーンだよ」というサインをプレーヤーに向けて発信することだ。
 まあ、とはいえ。

プレーヤーC「よしわかった、GM。貴様は『人質の少女が盗賊の腕に噛み付いた』と言うッ!」

GM「何ィィィィィッ!?……いや、うーん、えーと、カンベンしてください(泣)」


 推理小説家パーネル・ホールの著作に曰く「人間にはできることとできないことがある」(*1)。GMにも乗れる演出と乗れない演出というものがあるのだ。ていうかノれないアドリブなど単なるNGシーンに過ぎない。GMに「フィルムを燃やす」ルールは適用されないのである(*2)。
「ルールに記載はなくても、何か演出的に機転を利かせてくれれば便宜を図ってやろう」と言うGMの思惑は、しばしば強引すぎるプレーヤーの提案によってはかなく散ることになる。
「強引な演出しかできなかった」という事実は、プレーヤーの窮状を表しているとも言える。そして、これを却下されてしまったことで、プレーヤーはより「説得力のある解決策」を求める方向に進んで行く。

 ところで、僕が見聞するところによると、このような極限状況に置かれたテロリストが「冷静に」人質を殺せる可能性は低いと言う。攻撃されたら防御しようとするのが普通の反応で、「人質を道連れに死んでやろう」と言うのはなかなかできないそうである。第一、「人質を取った」ということは「なんとかして切り抜けたい、助かりたい」という心理を表している訳で、「道連れに人を殺したい」のならばとっくの昔に殺しているだろう。

プレーヤーD「んー。クロスボウの初速が300m/sとして、着弾まで0.02秒。それより早く盗賊が『人質を殺す』という動作をするには、僕がボルトを放つまでの予備動作を見て反応するしかないよね。
 でもそのためには、彼は『僕がボルトを放つ動作をしたら腕に力を込める』と言うことを身構えてないとできない。もちろん彼が『人質を抱えている状態で、何が起こっても真っ先に人質を殺すための訓練』を積んでいるなら別だけど、そんなことないよね? GM。
 ところで、彼がそんな風に身構えているとしたら、僕の手元に注目してないと駄目で、そうすると彼は他のPCの動きには反応できないってことだよね? だったら……」

GM「……いやそんなのルールにないし」

 これらの数字やプレーヤーCの理論が正しいか否かはさておく。重要なことは、彼がこの理論を「正しい」と信じているか、もしくは信じたフリをしていて、GMの方はそうではないということだ。
 通常、プレーヤーもGMも、それぞれが持つ現実感を無意識のうちにすりあわせ、協調することで、同じ世界を共有する。しかしながら、自分の世界が危機に瀕した時、自我は他人の世界により多くの負担を求めることで世界を維持しようとする。
 このように、お互いが自分の立場を守ろうとして意地を張り合うという状況は、しばしばゲームの中止、キャンペーンの中断という悲劇的な結果を招く。
 そこでGMは、大きな悲劇を防ぐため、しばしばTRPGにおけるもっとも強力な権利を行使することになる。「ルールの取捨選択」――ゲームの各場面において、どのルールを用いて解決するかはGMが判断する、というものである。
 しかしこの決断は、さらなる悲劇をもたらすことになる。

プレーヤーA「ところでGM。ひとつ聞きたいことがあるんだが」

GM「なんでしょう」

プレーヤーA「このゲーム、交渉ルールってなかったよな」

GM「ありませんね」

プレーヤーB「敵に取り囲まれた状態で、盗賊が降伏するかどうかのチェックってどうやるの?」

GM「ルールにはないです」

プレーヤーD「明らかに錯乱しているらしい盗賊が、正確に止めを刺せるかどうか判定するルールは」

GM「…………」

プレーヤーA「俺の目を見ろ、GM」


 プレーヤーDの『へ理屈』を「ルール」を盾に却下した時点で、プレーヤーからはGMが自己矛盾に陥っているように見える。
「ルール上一撃では死なない」としたプレーヤーAとBの主張を「現実的ではない」として却下し、プレーヤーCの演出を却下し、さらにプレーヤーDの主張を「ルールにない」として却下してしまった。このGMはいったいどんな解決を望んでいるのか? 何をもってすればGMを「説得」することができるのか? 我々は単なるGMのわがままにつきあわされているのではないか?
 実のところ、似たような状況がTRPGの中では無数に発生するのだが、ほとんどの場合はGMとプレーヤー間のリアリティ調節機構が無意識に処理し、表だっては発現しない。
 しかし一度これが顕在化すると、プレーヤーの心理は泥沼にはまっていく。お互いのリアリティの格差はもはや埋めがたい状態になり、プレーヤーにはGMに対する不満ばかりが募っていく。GMはGMで、いらだちを募らせていることだろう。

 もちろん、常に問題を解決する方法は用意されている。このようなあやふやな状況を瞬時にリセットし、誰もが納得でき、共有でき、拒否できない、ルールに明記された、たったひとつの冴えたやり方が。
 君はひとこと、こうつぶやくだけでいい。

GM「オーケー、みんな。イニシアティブを決めようか」

一同「Sir,yes,sir!」(ダイスを握りしめる)


 一番大切なことは、各プレーヤーに、等しく「状況を打開できるかもしれない機会」を与えることだ。それには、戦闘ルールに従って行動順を決めてしまうのが一番良い。
 戦闘ルールこそは、本来こうした「お互いのリアリティの格差」を「厳格なルール適用」という物差しに当てはめることで調節する、TRPG独自の機構なのだから。
 もしも盗賊の行動順が一番早かったら? 僕ならば「人質を取った」時点で盗賊の行動は終わりとし、プレーヤーに運命をゆだねるだろう。このような非人道的で、後先を考えない下策に走る盗賊の役目は、プレーヤーに一瞬の緊張と義憤を抱かせた後、コテンパンにとっちめられることだと思うのだが、いかがだろうか。

 とまあ、今回のお話はここまで。
 以下は長い長い蛇足である。

もう一つの冴えたやり方

 僕が初めて、ゲームデザインとしてクレジットされることになった『グローリアス・サーガ』(発売元:HOBBY BASE、以下『GS』)ではこの問題に対して根本的な解決が図られている。
 このゲームでは「戦闘に代表されるストリクトなゲーム」と「自由に演出を行うストーリーテリング」の2つのモードを交互に繰り返すという仕様になっている。例えば、『首筋にナイフを突きつけた』時点までを「ストーリーテリング」としてプレイし、その状況をいかに打開するかを「ゲーム」としてプレイすることができる。そしてこの切り替わりはGMから明確に宣言される。

 『GS』のストーリーテリングにおいては、「NPCのコンディションを管理するルール」を含めて、ほぼ一切のルールが適用されない。ストーリーテリングにおいて死亡したキャラクターが、その後に復活することはルール上適正であり、逆もまたしかりである。例えば「ナイフを突きつけた」状態をストーリーテリングとしてプレイするならば、GMはいつでも自由に人質を死んだことにできる。プレーヤーが何かすばらしい――他の参加者を納得させられるだけの――理屈を考えついたならば、少女を救うことも可能だろう。ただまあ、一般的には、GMが次の「ゲーム」においてどんなシチュエーションをプレイしたいか、によって、人質の運命が決まると言ってよい。人質を助けるためのシーンをプレイしたいならば、少なくともプレーヤーにとって「ナイフを突きつける前に何かする」チャンスはおそらくない。同様に、人質が死んだあと、怒りに燃えたPCたちが盗賊に報復するシーンをプレイしたい、とGMが考えたならば、人質を助けるチャンスは最初から与えられない。

 一方で、ひとたび「ゲーム」が始まってしまったら、GMといえども無断で状況を変化させることはできない。「ルール上不可能」なのである。「ゲーム」開始時のルール的状況をセッティングすることは、GMに全権がゆだねられている。少女が既に死んでいる状態で始めるのも、まだ生きている時点で始めるのも、GMの思惑次第である。しかし、ゲーム開始後は、全ての状況がルールに則って処理される。途中でGMが「あ、やっぱり殺したい」とか思っても駄目である(ダイスの神に祈り給え)。盗賊のナイフは、ルール上適正なタイミングで、適正なダメージを少女に与えるだろう。少女が死亡するかどうかもまた、ルール上適正に処理されるだろう。これはたとえGMといえども違反することを許されない。それをあえて違反すれば、Unsportmanship Conduct――「非紳士的行為」と見なされかねない(例外はあるにしても)。

『GS』はこの2つのゲーム構造を切り分けることで、参加者に対し「ゲーム的に有利な行動」と「リアリティに即して説得力のある演出」のどちらが求められているのかを明確にし、GMとプレーヤー間にある「調整しなければならない項目」を半減させているのである。この結果、プレーヤーの努力目標は明確になり、またGMの裁定の基準もより透明性が増す。「フェア」な手順に従ってゲームをプレイしているという感覚を共有することができるのである。


 ちなみに、『GS』にはもうひとつこの問題を回避する仕掛けがある。このゲームにおいて、HPにあたる「死に対するリンク深度」は、「キャラクターがどの程度死にやすそうか」を表すだけで、直接には肉体的な損傷を表現しない。もちろん演出は自由である。ぼろぼろに傷つき、明らかに致死量の出血をしていようが、「傷こそ追わないものの、死の陰が色濃くただよっていた」などと演出しようが、それはかまわない。まあ、あまりに実情とかけ離れた演出ばかりしていると、ゲーム終了時にそこのところをうまく演出した隣のプレーヤーに比べて幾分か少ない経験点をもらうことになるだろう。
 この結果、人質の少女はナイフによって「死に対するリンク深度」を増やすことになっても、直接には傷ついたりする訳ではない。この場合はおそらく、「盗賊がキレて少女を殺す可能性」がどんどん増えていく様子を表すとするのがよいだろう。そして「死」が頂点に達した決定的瞬間に、ナイフが少女ののどを切り裂き、少女は死ぬのである。

 以上、いささか我田引水であるものの、ルール的アプローチについて補足した。もちろん、僕でない誰かが別の方法論を考え出しているかもしれない。おそらく冴えたやり方はたったひとつではない。「もう一つの回答」は常に存在すると僕は信じている。
 あなたにとっての冴えたやり方が見つかれば幸いである。


 Where there is a will, there is a way.――意志あるところに道は開く。

*1 早川書房『探偵になりたい』(原題「Detective」,田中一恵訳)
*2 Steller Games/スザク・ゲームズ/書苑新社『イット・ケイム・フロム・レイト・レイト・レイト・ショウ』より

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月刊TRPG.NET 2005年06月号

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