Is ELF monkey?:エルフは猿か? 桐嶋カブキ氏の小論へ挑戦する!

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Is ELF monkey?:エルフは猿か? 桐嶋カブキ氏の小論へ挑戦する!

Sakurai@Catshop - 桜井@猫丸屋

エルフは本当に猿だったか?
 ─ 桐嶋 カブキ氏へ捧ぐ ─

《序文》

 その昔、まだTRPG業界がバブルを迎える少し前。ホビージャパンが今は亡きRPGマガジンを創刊した1990年5月2日の事。

 桐嶋 カブキ(当時は桐嶋 かずき)なる鬼才の人の筆により、『エルフは猿だったのだ!』という奇想天外な小論が世に送り出された。
 堅実な検証と論理により導き出されたその論は容易には覆し得ず、多くの読者が釈然としないものを残したまま桐嶋氏の主張を呑まざるを得なかった。
 まだ『萌え』なる概念のない時代である。
 エルフこそがRPG界のカリスマを一身に背負う存在であり、頑なにエルフのみしかプレイしないというプレイヤーを生み出すほどであったから、この記事の衝撃たるや──
 如何ほどのものであったか。
 残念ながら筆者の筆力では、それを生々しく伝えるに遠くおよばない。
 だが、桐嶋氏の稿に半年遅れ同誌1990年11月2日号、上総 理佳氏の筆により反論記事が寄せられた事実は、辛うじてほのかに当時のRPG業界の動揺を感じさせ得るかもしれない。残念ながらエルフへの敬愛と桐嶋氏の記事への怒りが先に立ち、桐嶋氏の論を充分に覆し得る内容ではなかったが。

 この稿は、そんな桐嶋氏の小論の誤りを遅ればせながら正し、高貴なる森の種族『エルフ』は決して猿などではない事を証明してみせようと言う意図をもって書き出されたものである。

 なお、ここで謝辞を述べさせて頂く。
 まず、この記事を書くきっかけを与えてくださったsf氏に。氏の一言がなければ、この小論は一行たりとて書き出される事はなかっただろう。(中にはその方が良かったという向きもあろうかとは思うが)
 それから、まだ私が中学生だった頃から今にいたるまでTRPGを通じて付き合いの続く悪友達に。君達がいなければ、私がTRPGを続けている今はなく、畢竟この小論が書き出される事もなかっただろう事は想像に難くない。
 最後に、桐嶋 カブキ氏へ。この小論を、感謝をこめて氏に捧ぐ事をお許しいただきたい。


《僕たちは侵略されている》

 元となる記事が1990年、TRPGバブルが始まってすらいない頃の発表という事もあり、桐嶋氏の記事をご存じない(或いは記憶の引き出しに鍵が掛かり取り出せない)方が大半であろうと思われる。
 そこで桐嶋氏の論考の整理も兼ねて、ここでざっと紹介させていただく。

 まず氏は、エルフが純真なゲーム・ファンの心を捕らえる要素を持っていると切り出した上で、言う。

 しかし、だまされてはいけません。私たちが日常的に目にしているイラスト、実はあれはエルフではないのです。あれは単なる「耳のとがったかわいい女の子」なのです。
 そんなはずはない? それなら、ためしにそのエルフちゃんの耳を手で隠してみたまえ。ほーら、もうエルフちゃんじゃなくなっただろう。

(RPGマガジン 1990年5月2日(創刊)号、『ファンタジーRPG設定資料作成マニュアル』第3回より引用)

 実に挑発的だが、一面で真実を小気味よいくらい鮮やかに切り出している。
 こうして読者の認識をゆさぶった上で、桐嶋氏はエルフの特徴を順に挙げていく。
 その特徴とは──

 これら個々の特徴に氏の検証を加え、再構成した姿をここに要約すれば──

 頭が大きく額が広く、眼球は人間のものより大きい。
 さらに耳は、人間ではない事をしめす意味でとがっており、しかも長くてよく動く。
 生活圏が森(それも氏の仮定によれば照葉樹林)であるために体格は小柄で、樹上生活に適応するため手足は長く、手でも足でも物をつかめる。さらに生活圏から想定される食性(木の実など)から、前歯が発達している反面、臼歯や下あごは未発達(=アゴは細く尖り繊細)である。
 さらに、あまり眠らなくてよいという特徴は実は夜行性のエルフを見て人間が誤解したものである。

 このようなものであった。
 確かに、猿といっても概ね間違いない特徴を備えている。
 しかも、これだけでも充分であるのに入念にもイラストまで書き起こして読者に示す。さらにダメを押すかのように言う。

 たしかに小説やゲームにこんなエルフは登場しない。しかし、エルフが猿によく似た生物だとすると、その性質のほとんどが説明できるのだ。 (RPGマガジン 1990年5月2日(創刊)号、『ファンタジーRPG設定資料作成マニュアル』第3回より引用)
注1:当時のゲームでは、一般にエルフの抵抗力が高く設定されていた
注2:当時、エルフのイラストはレースクイーンやグラビアアイドルも真っ青なほど露出度が高いものが大半だった

 さらにエルフが美形であるという大方の意見も、ミスコン荒らしのエルフが存在しないことや、人間の王に見初められて玉の輿にのるエルフ少女の話がないなどの見解のを述べた上で“フェロモンのような化学物質か、巨大な眼球を利用した催眠術で人間をたぶらかしている”と一蹴してしまう。
 実に、にべもない。

 しかしこの考察は極めて説得力がある。
 覆しがたく、堅固なこの考察に筆者は立ち向かおうとしている。
 だがエルフは猿などではないという読者諸氏のために勇を鼓して、筆を進めよう。


《だまされてはいけない》

 前段で再検証した桐嶋氏の分析は、ほとんどが生物学的な見地に立つものであった。
 なるほど、その範囲であれば氏の検証は概ね妥当であるし説得力もある。これを覆すことは極めて困難であろう。
 だが、その見地そのものが的外れなものであったら? いわば論の基盤とも言うべき分析の手法や視点自体が妥当でないとしたらどうだろう?
 もしそうであれば結論を覆す事も難しくあるまい。砂上に楼閣は建たないのだ。

 そして実際、生物学見地からエルフについて分析するアプローチは正しくない。(少なくとも望ましいとはいえない)
 理由はきわめて簡単である。
 エルフは現実に存在する生き物でない。そして、およそあらゆる自然科学の基本姿勢は実在しないものに対しては不可知の姿勢を取る(あるいは推察/仮説を立てた上で実在を証明する)ものだからだ。
 そして我々、21世紀の日本人にはよりふさわしい見地が用意されている。
 民俗学である。
 現実世界において民間の伝承や創作の中にしか存在しないエルフについて考察するに、これほど適切な見地もないと筆者は確信する。
 他に神話学や文化人類学などのアプローチもあり得るが、時に客観的でありすぎ、現在の姿を置き忘れがちなそれらの立場よりも、常に現在を視座の端に置きつつ過去に遡っていく民俗学の方がふさわしいであろう。(他に、ユング的考察なども考えたが、ここは敢えて取り上げない。願わくば、別の識者の考察を待ちたいところである)


《本当のことを言ってくれ》

 さて前段で民俗学的なアプローチからエルフの正体について考察していく事を決めた。
 その中でも日本の創作(TRPGシステムなども含む広い意味での)に焦点をあてていきたい。何故ならば、源流の妖精物語におけるエルフを引けば──

 彼らは人や家畜をさらったり、何か侮辱を加えられると仕返しをする。ハルダーの娘たちは美しく魅惑的で、灰色のドレスに白いヴェールをまとっている。しかしほかの妖精のように、身体の欠陥がある(長い牛の尾をもっている)ので、人間には見分けがつく。

(妖精 Who's Who/K・ブリッグズ著,井村 君江訳,ちくま文庫刊より引用。なお引用文中のハルダーはスカンディナビアにおけるエルフの別称)
 このような次第なのである。これがデンマークでは正面から見ると美しいが、後ろからみるとぼろぼろに腐った木のように空洞になっているとまでなっている。
 とても読者達が想像するエルフの姿には合致しないであろう。
 であるならば、ここはひとまず横に置いて考察の対象から外して置く方が無難に思われる。(少なくともTRPGにおけるエルフの考察としては──源流までさかのぼる意図でなければ──外しておくべきである)

 それでは、ここであらためてエルフの特徴について挙げ、次項で再検証を加えていこう。(●で始まるものは桐嶋氏が挙げたもの,○で始まるものは筆者が新たに加えたもの)


《真実への遠い道程》

 さて、それでは前項に列挙した特徴から改めて日本の創作(TRPG含む)におけるエルフの正体について、民俗学的な検討を加えて行こう。


  1.  これは桐嶋氏の指摘の通り、人間ではないことを暗喩する記号のようなものであろう。
     耳が良いという事をエルフの異能の力として捉えれば、これを暗喩する意味も篭められていると考えられる。
     伝承世界において人間外の存在が化身した場合、その容貌に非人間である事を暗喩する徴(しるし)のある事は珍しくない。また、その徴が異能の力を強調あるいは暗喩するばかりか、異能の力に由来して後から付加される事さえ珍しい事ではないのである。
     また、伝承世界の中において異能の力は、多くの場合その存在(この場合はエルフ)の出自/由来からの連想による(もしくは逆に異能の力から由来/出自が定められる)事を付け加えておく。

     なお桐嶋氏の考察における“長くてよく動く”という点については保留しておく。  これは個々人によって捉え方に差異が大きいように思われるからである。


  2.  夜目が利く、遠目が利くなどもエルフの異能の力だろう。(つまりエルフの正体を探るにあたり、極めて重要な手がかりだと言う事だ)
     なお桐嶋氏は視力の優秀さを以って人間よりも眼球が大きいと推測しているが、これは生物学的にみても誤りである。
     例えば一般に都市部に住む人よりも、アフリカのサバンナに住む人々の方が著しく視力に優れるが、その眼球の大きさに明らかな違いは見られない。或いは人間よりはるかに眼球の小さい鷹の類は、その一方で極めて優れた視力を持つ事も広く知られている事実である。

  3. 頭脳
     桐嶋氏は魔法が得意=頭が良い、と短絡に結んでいる。
     確かに、大方のエルフは魔法が得意であり知力にも優れている。ゲームデザイン上、魔法が得意である事が知力の高さで表されている事も多い。
     しかし、これらの要素は別々に分けておくべきであろう。
     何故ならばゲーム以外の創作分野においては、いくら知力に優れても魔法を使えない(例えば魔力がない,人間には魔法を使う素質がない等の説明による)ケースがままあるからだ。
     なので、ここではエルフは一般に知力に優れ且つ魔力を持った(これも異能の力だろう)存在であると確認するにとどめておく。

  4. 人間との混血が可能
     桐嶋氏は、混血が可能であるという一事を持ってエルフが霊長類であると断じている。(これが後の猿エルフに繋がる)
     これは確かに生物学的に見れば妥当な分析であると言えよう。だが、民俗学における伝承の世界では霊長類である事に拘る必要はない。伝承の世界では、広い範囲で頻繁に見られるエピソードとして“異類婚”というものがあるからである。
     これは、人間が様々な異界の存在(鬼や大蛇,天女,竜など超自然の存在──乱暴に言えば神仏なども──の他、狐や狸、犬や川獺などの動物も含む)と人間との婚礼をさす民俗学の用語である。  この概念を導入するならば、霊長類に限る必要はない
     また、異類婚の結果として生まれた子供が、やはり異能の力を発揮し特別に扱われる事も、多くのハーフエルフが親から魔法の素質を受け継ぎ人間社会で特別な扱い(大抵は迫害だが)を受けるよう設定されている事を補強する。

  5. 森の住人
     民俗学の用語で“異界”という言葉がある。これは小松 和彦氏が提唱した概念である。
     小松氏ご本人がわかりやすく端的な要約をされているので、ここに引く。
     異界という言葉は、私たちの世界の向こう側、境界の向こう側という意味で表現したわけですが、異界の境界はどこにあるのかわかりません。それは絶対的なモノではないからです。

    (異界談義 第二章 異界談義 第二節 異界をめぐる想像力/国立歴史民俗博物館編,角川書店刊より引用)
     TRPGプレイヤーに馴染みの深い(だろうと思われる)精霊界や妖精界,魔界などの概念も、もちろんこの中に内包されている。
     しかし一方で、そういったいわゆる大掛かりな異世界だけではない。
     ここで言う“私たちの世界”とはなんだろうか?
     ここでは端的に“共同体にとって内側として認識されている世界”(例えば村社会にとっては村の中)と言い換える事ができる。
     そして異界はその外側全てを指す。
     つまり、全く隔てられた精霊界や妖精界,魔界などばかりでなく、極論すれば“村の外は全て異界”なのである。(但し、これは本当に端的で大雑把な言い方である,実際には他に幾つかの諸条件が必要となる)
     むしろ完全に隔たれた大掛かりな異界よりも、村人の立ち入らぬ山の奥,漠然と海の向こう側の世界,(概念として)遠く離れた異国などの方がよほど身近な異界だったと言える。

     古代社会においてはともかく、中世以降の日本では大多数の人々が村を築き、そこに定住してきた。
     当然、村は森の中にまぎれるようには作られない。と言うよりは、ある程度以上の規模で人が定住するならば森を拓き、家を造らなければ村にならない。
     それゆえに村社会から見れば森は常に村の外側──つまり異界であった。(このあたりの感覚はヨーロッパでも変わらないはずである,むしろ中世以降アカマツの森に変わっていった日本の森と違い、照葉樹林の森であり続けたヨーロッパの森の方がより異界としての認識が濃いかもしれない)
     エルフは、その森の住人であると言う。しかもただ住むだけでなく、大抵の場合は森との縁の深さが強調されている。
     ならばエルフとは異界の住人であると言える。
     この考察結果は、人間とエルフの混血が(民俗伝承的なコンテキストにおける)異類婚に依るものである事を補強する。

  6. 体格
     エルフの体格は小柄で、しかも敏捷性に富むと言う。
     これまでの検討結果を踏まえ、エルフを異界の住人であると仮定しよう。伝承において、異界の住人の小柄さが敢えて表現される事に、どんな意味があるだろうか?
     むろん、切り捨てる事もできる。敢えてそれほどの意味はない、単にエルフの美しさの一側面──たおやかさの表現にすぎないと。
     だが、意味を見出すこともできる。
     古来より人間は偉大な存在を大きく描く、あるいは刻む事でその力の強大さを表現してきた。また逆に、日本の妖怪やアイルランドの妖精物語のようにかつて偉大な存在であったものが没落して体格まで矮小化してしまう例もある。
     この公式を当てはめればエルフの小柄さ(人より僅かに小さい程度)は、その霊的な力が決して桁違いに強いものではない事の表現であるとも考えられる。

  7. 長寿
     エルフの長寿さは、その霊性の高さを示すと共に尋常の生き物では無いことを示す特徴であろう。
     また民俗世界(特に日本)では“年経るごとに霊的な力を獲得していく”という例が散見される事も示唆しておきたい。
     体格(小柄さ)に関する考察で“(霊的な力が)桁違いに強いものではない”と指摘した。しかし、ここでは逆に長寿さから力の強大さが示されている。
     おそらくアイルランドにおける妖精たちほどの零落はなく、しかし神話の神々ほどの強大な力を持っているわけではない──と言うあたりが妥当な線ではないかと思われる。日本で言えば、産土神や土地に昔から住む神などの身近な神格があたるかもしれない。

  8. 睡眠時間が短い
     これに関しては、解釈が難しい。
     本当に睡眠が短い(やはり異能)かもしれず、或いは桐嶋氏の説のとおり夜行性である事を示唆しているのかもしれない。
     ここでは結論は急がず、日本の伝承に現われる神の多くは夜の活動が多いことを付け足しておく。

  9. 繊細な容貌
     ここでは素直に美しい容貌であると受け取って構わないだろう。
     伝承世界で容貌の美しさを強調する場合、大まかに2ケースが考えられる。
     一つは危険さをはらむ──惑わしとしての美しさ。もう一つは、内面の善なる(=人にとって益する)属性をより強調するケースである。(人の善い性質を誉めるときに美徳、などと言うように美しさと善さはしばしば結びつき易い)
     エルフの場合はどうだろう?
     大抵の場合、エルフは善良な存在である。仮に人間と敵対する事はあっても悪の存在として描かれることは少ない。そして時には人間に知恵や魔法の品物を授けたり、力を貸したりもする。
     だが、しかし。
     一方で、善きエルフの対極としてダークエルフが設定されている。
     大抵の場合、彼らは過去に闇(悪徳)に身を墜とし枝分かれした種族として設定されている。(例外もあるが)
     言い換えればエルフの悪の側面を切り出した種族──つまり彼らもまた紛れもなくエルフであると言える。さらに、彼らはライトエルフ(善きエルフ)と同様に美しい容貌を持つ。

     つまり、こう結論付けることができるだろう。
     エルフの美しさは、善悪2面を孕んだ美しさである。そしてそれは、ライトエルフ(善きエルフ)とダークエルフ(悪しきエルフ)の2面に、本質的に同じ存在でありながら明確に切り分けられている、と。
     

  10. 高貴さ
     その美貌と共にエルフの人気の要因となっているのが高貴さである事は否定し難い事実であろう。
     ここではその事実を指摘するに留め、次段ではいよいよエルフの正体に迫って行こう。

《真実の明かり》

 これまでの考察で、桐嶋エルフ(=猿エルフ)は完全に否定された。
 また同時に、今まで未知の闇に隠されていた様々な事実が明らかになってきた。
 ここに、あらためてまとめなおしてみよう。(分かり易くなるよう順番を入れ替え、複数の項に渡っていた考察結果をまとめたり分割したりしてある)

 実は、これらの特徴をほぼ備えているモノが日本の民俗伝承には存在する。
 だ。
 特に例を挙げるまでもなく、狐が人に化けると言う伝承は昔話でも定番の一つである。
 単純に人を化かすと言う話の他に、女の姿で現われて男と夫婦になり子を成す話などもご存知の方は多いだろう。特に後者のタイプの話は、民俗学では狐女房と呼ばれている。

 後者の型で最も有名なのは『信太妻』だ。
 いわゆる平安の大陰陽師 安倍 晴明の生誕譚で、歌舞伎や浄瑠璃,能などにもなっている。
 この中で、晴明が呪力の強さを母親の葛の葉狐から継承した事が暗示される。さらに古浄瑠璃の信太妻(この場合、しのだづまと平仮名で表記する)では、葛の葉狐から“耳にあてれば鳥獣の声を理解する玉”を授かる。
 前者の『信太妻』は、異類婚の典型で葛の葉狐が強い魔力(この場合、呪力)を備えた存在である事を暗示している。また人に化ける狐は異界の生き物であり、常に森からやってくるのである。
 後者の『しのだづま』に登場する“耳にあてれば鳥獣の声を理解する玉”は、聴覚に関する異能を表している──そう考えて不自然ではない。ついでながら狐の耳は尖っているのである。
 これだけでも大半の読者が想定するエルフの姿とオーバーラップしている事が納得いただけるだろう。

 また狐女房型で描かれる“人の姿としての狐”は美しく繊細な容貌を持ち、高貴さを伴う。(田舎の娘にはない雅さ、洗練された物腰などの形で描写されることが多い) 異類婚により生まれた子供が異能の力を授かる点もほとんどの場合、共通している。
 加えて、現代の絵物語とも言えるコミックやアニメでも狐の化けた女性(あるいは人型をとった稲荷や狐の妖怪等々)の姿は美しく描かれ、やはり“耳が尖っている”。
 小柄さについて言えば、狐女房において狐が化ける対象が日本人女性である以上は小柄であって当たり前であろう。
 年経た狐が人に化ける──という事は特に説明なく多くの読者に納得いただけると思う。そして、これは裏を返せば人に化けた狐はすべからく長寿であるという事を示す。

 善悪の両面性についても狐は非常によく符合する。
 善なる狐の存在は身近なところでは稲荷の使いとしてのお狐さんがあるだろう。前述の狐女房の狐も、たいていは富をもたらす存在として描かれている(とても働きものであったり、幸運をもたらしたり、もっと直接的に富そのものをもたらしたりする)から、善なる狐とみて大きな間違いはない。
 悪なる狐の筆頭は金毛九尾で有名な『玉藻の前』であろう。平安時代に天皇の寵愛を得て近づき、その邪気により天皇を病み殺そうとしたが、その企みを陰陽師に見破られて二人の武士に追われ退治される──という筋書きの話である。この場合も狐は高貴さを伴う美しい女性に化けているが、狐女房型にように富や幸福をもたらすことはなく、ただその呪力で災いをもたらすばかりだった。

 これで本稿の結論が出た。
 日本の創作に登場するエルフとは、人に化けた狐のことだったのだ。
 この些かインパクトの強い結論に承服しかねる読者も多かろうとは思う。が、エルフの諸要素を一つ一つ拾い上げて考証し論理的に導かれた結果である。そうである以上は、受け入れるより他ない。

 ──受け入れるしかないのである。


《だまされないぞ》

 渋面を作る読者の顔が浮かぶ。おそらく読者諸氏は、こう思っておられるだろう。

「高貴なるエルフをケダモノと一緒にするな!」

 しかし、ここで挙げられている狐をケダモノ呼ばわりするのは(筆者の説明不足のせいだが)誤解というものである。
 伝承世界の狐(人に化ける狐)は、いわゆる獣としての狐とは別物なのだ。
 狐が人に化けるわけなどない。だが人が化かされた時、狐が化けたと理解される──その時、狐は具象の獣としての狐から抜け出して伝承世界の狐に昇華する。
 そして人に化け、人と契りを結び、幸いや災いをもたらすのである。繰り返すが、その狐は獣としての狐ではない。

 月夜の晩、人に化けた狐が訪れ契りをかわし、やがて泣きながらも我が子を置いて森に帰っていく。
 やがて見事な若者になるだろう我が子に短歌を一首。
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる しのだの森の うらみ葛の葉」

 ──ここに描かれる葛の葉の狐の姿はケダモノであろうか? 誰もそうは思うまい。
 さらに、この物語のエルフと置き換えてみて頂きたい。(最後の短歌の部分はエルフ語の詩かなにかに置き換えて)
 ほとんど違和感がなかったのではないだろうか? 如何だろう。


《勇気の証》

 これで完全に納得いただけたものと思う。
 日本の創作におけるエルフの正体は“狐”だったのである。なんともはや意外な結果ではあるが、ここまで続けてきた考証に間違いはないものと確信する。
 しかし心配は無用である。
 例えその正体が“狐”だとしても、ファンタジー界における美しく高貴なエルフのカリスマは不動である。なにしろ伝承世界の“狐”も美しく高貴であるから。
 読者諸氏も真実から目をそむけず、今日からエルフをイメージする時には“葛の葉狐”や“玉藻の前”のイメージを重ねて頂きたい。


《今回のテーマ》

 えと、なんだかのっけから奇妙な勢いで飛ばしてしまいました。
 今回のテーマは「TRPGのために勉強する/資料を引く楽しみ」でした。ところが裏テーマで、アイルランド式のデッド・パン──真顔で淡々と言うジョーク──なんてのを掲げて書き始めたら「真顔で淡々と法螺をもっともらしく語る」けど、面白いかどーか微妙な記事に。
 もちろん、ホンキでエルフ=狐なんて事を信じ込んでるわけではないので、鵜呑みにしたり真顔で反論とかしたりはご勘弁くださいませ。(確かに、前々から似てるなーとは思ってたからネタにしたわけですが)


 実は、この記事の元ネタにさせて頂いた桐嶋さんの記事に下記のような文があります。(少し長くなりますが引用します)

 実は今回のテーマは「与えられた情報に自分なりの解釈を施し、ゲームの設定に役立てる」ということなのです。ルールブックやサプリメントが与えてくれる情報はしょせん不完全なもので、ゲームマスターが補ってやらなければならない、ということは前にも書きました。同時にそうした情報は背景世界の断片でもありますから、アイデアや設定の源なのです。

(RPGマガジン 1990年5月2日(創刊)号、『ファンタジーRPG設定資料作成マニュアル』第3回より引用)

 桐嶋さんの意見は今のTRPGでも充分に通用するものです。
 今でもルールブックやサプリメントが与えてくれる情報は(よほど出来が悪いものを除いても)完全ではありませんし、その断片に面白いアイディアを見出すことができるでしょう。いわゆる隙間を埋める、というヤツですね。
 そういうアイディアは考える過程自体が楽しいものですし、上手く使えば実際のゲームの現場をいっそう盛り上げてくれます。

 ただ、何事にも素材というか材料は必要なものです。例えばサッカーの事を知らないではサッカーについて語れず、パソコンについて知らないでパソコンのことを語れないように。
 で、TRPGの場合。
 勿論、各システムのルールや世界観は重要な素材です。ここから遠く離れてしまったら、どんな秀逸なアイディアもゲームに使えませんから。
 でも、それだけでは足りないのがTRPGの難しいところ。
 前述の通りルールブックうやサプリメントの情報だけでは完結できませんから、TRPGのことだけでは不足なわけです。上手に、楽しく補ってやるためには他にも色んな事を知っていた方が良い。

 例えば、D&D 3eやらソードワールドやらで農村からゴブリン退治を請け負うというシナリオを作るとき。
 大抵は、村の代表から依頼が来て、村長の家に滞在して、村長には可愛い娘がいて、村の郊外の洞穴にゴブリンが居て──そんな感じのシンプルなシナリオになってしまうと思います。
 変化をつけようとすると、実は村長こそが真の悪役だったんだっ! みたいなどんでん返しになったり。
 でも、例えばアイルランド辺りの農村の様子をおさえてたりすると──
 村までのどこまでも長閑な道程。
 その途中で不意をついて視界に入るゴブリンの被害。そして泣き暮らす村人たち。
 村につくと村長と世話役の神官が対応して、夜はジャガイモのスープにパンケーキでおもてなし。
 暗い森を進んでいくと暗がりから狡猾なゴブリンの不意打ち。
 ──なんてな具合に、かなり味付けできます。(まぁ、本質的なゲーム要素は不意打ち以外には変わってないですが,こーゆー描写の積み重ねが適切な感情移入を促進したりもします)
 或いは、ゴブリン絡みで妖精(民間伝承の)の雰囲気を抑えておくと──
 うららかな昼下がり。
 村についてみるとゴブリンの他愛ない悪戯の跡に、お出迎えの包帯巻いた村長さん。
 話を聞けば、家畜を盗んだり悪さしたりするゴブリンを村の自警団で退治したら、仕返しされてこの体たらく。なんとか追い払って欲しいという依頼。
 ──なんてコミカルなシナリオにもできます。(大抵のゲームだと、やや変化球になりますが)

 今の例はたまたまファンタジーに関連するものが並びましたが、別にファンタジーにこだわる必要はありません。
 それよりは、広い範囲に目を向けた方が幅が広がります。
 この幅の広さってのは、マスターとしてシナリオを作るときばかりでなく、プレイヤーをやるときにも重要です。興味の範囲の幅広さは、セッションの受け幅の広さ(=色んなタイプのシナリオを楽しめる)に繋がりますから。
 と、ゆーわけで。
 皆さん、楽しいお勉強をしましょう。


《終わりに》

 さて、と。
 長々と続いたこの記事も、よーやく終わります。

 前項で述べた“お勉強”ですが、これはいわゆる学校や塾で“やらされる”お勉強とは違います。
 自分が興味もった事を自分で調べてみる。そしたら知りたい事が増えて、また調べる。段々だんだん知りたい事,知ってる事が広がっていく。
 ──そういう過程を楽しんでいくのが本当の“お勉強”(少なくともここでいってるのは)です。  やっぱり好奇心旺盛な人はお話してて面白いですし、そーゆー人が増えてくれると嬉しいなぁ、ってなわけでこんな記事を書きました。
(──ヤ、記事を書き始めたホントのホントの本音はちょっと法螺を吹いてみたかっただけなんですけどね(笑))

 それから遅ればせながら、参考文献を挙げて筆を置きます。
 ちゃちな法螺話にお付き合い頂きありがとうございました。

参考文献:

さいごに

感想・執筆宣言は一行掲示板001へどうぞ。

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