現行の電子本システムでは、今ひとつという気もしますが。表計算ソフトのシートのように計算や表をいじれたり、データベース的に検索抽出で来たりするような機能がある電子書籍のようなものは、ルールブックに向いていますよね。まあそれは支援アプリケーションというのだ、という見方もありますが、これを電子書籍と言って広めてしまうのも面白いかも知れません。
教科書や技術書、攻略本などでもニーズがあると思いますし。eラーニングなる言葉のはやる昨今、高機能で使いでのある電子教科書の基本フォーマットというのは、出てきてくれると楽かも。
理科年表のCD-ROMとかがそんな感じですが。もっとこう、串刺し利用とか連携とかが、ハイパーテキスト的(Xanadu的?)に利用できるといいですね。
小さな故障(エンジンが咳き込むとか)やトラブル(路面にヒビとか)を頻発するなか、車をだましだまし走らせるというような夢を見て思ったんですが。致命的でないトラブルに対処しながらはチェイスする(競争する)というのは楽しげですよね。やっぱり。
ほんとうはトラブルは致命的なんでしょうが。ランダムイベントで細かいトラブルが発生して、それにPCの能力の判定で対処しながら、なんとか進めていくほうが、遊びとしては楽しげですね。
世の中には、ゲームを介したやりとりでは、プレイヤーは直接は他のプレイヤーと干渉せず、ゲームを介して間接的に相手を行う……そしてそこが良いんだ。みたいな言われ方があるようです。だからコミュニケーションを構築する道具として便利だとか。
しかし裁量の余地のある遊びであるTRPGや、マルチゲームのような対人交渉の駆け引きの織り込まれたゲームでは。ゲームを介して間接的であるという度合が少ない分、コミュニケーションの道具として使うのは危険なのかも知れませんね。
久しぶりにおもちゃ屋をじっくりと見ていて、エポック社のシルバニアファミリーなるものをみつけました。これは、ままごとの小道具なのかな? こういう色つきプラスチックの小道具が安価に色々と売っているってのは、うらやましい限りですね。
メタルフィギュアと合わせるにはちとでかいのが残念ですが、雰囲気出すのにつかえるかな、と思いました。家具とかがが充実してますし。
異形化するとか世界から離れた存在となると、一般生活との乖離が発生するというシステムは、色々とあります。しかし、このようなものは「一般生活と乖離するのはまずいことである」という暗黙の了解をもって、極力抑えるようにしながらプレイしないと、上手くいきにくいんですよね。ギリギリまで能力を高めて活躍させたり、破滅覚悟で好き勝手やったりすると、上手く機能しなかったりするわけです。
対応策には色々あるし実装はある程度されてるとは思いますが。対策の一つとして「解決するためには異常な能力と普通の能力がどちらも必要である」構造を用意し、異形化すればするほど問題解決・生存・世界への関与を行う能力が封印されていってしまう。という方法がありますかね。逆に普通の生活に慣れると、異形の存在への対処や、危機への反応能力が封印されていくわけです。
子どもの遊びというものは、もともと大人の儀礼や遊びが元になっているものが多いそうです。
TRPGもまた、軍事教練・事前研究としての図上演習を原型としていることは、ルールにないことを人間が処理することやなどにあらわれているようで。ロールプレイングという用語自体も、指揮官の役割をロールプレイングするなどとウォーゲーミングで使われていたもの由来との話もありますし。
新たな遊びを考察するうえでは、現在は真面目で遊びでない社会的要素について考えてみるのも、面白いのかも知れません。仮想取り引きのような株式のゲーム化とかもありますね。
チャットセッションのログを、内容を忘れる程度に時間を置いてから眺めてみますと。「プレイヤーはマスターの発言の多くを記憶/理解/意識していない」というのがよーくわかりますよね。明示的な文章でそうなんだから、遠まわしな意図やなんかはさっぱり伝わらないわけです。
もっともまあ、マスターも、プレイヤーの発言を記憶/理解/意識できてるかってと、やっぱけっこう抜けてるもんなんですが。行動宣言を見落としたり、提案に気がつかなかったりね。
こういったことは注意力を高めれば解決できるというものでもないので、定形化された行動処理なり、文章量の削減なりで対処するのが良いのかな。
時間単位と移動速度のルールってのは難しいですよね。離れていた時に戦闘に参加できる程度に速いと、自由自在に移動できすぎたり。遅いと、こんなに人間は遅くない、とか言われたり。
対処の一つとしては、敵から遠い時の移動距離が、近づいてからも適用できるのは不合理であるとして。敵に近づいた時には移動できる距離を極度に減らす、という手がありますよね。まあZOCですか。近づいた時には無防備にならないように移動に配慮しなければならないことが再現できて、移動速度の処理がかなり上手くいく。
距離を厳密なヘクスやスクエアで扱わない場合にも、類似の手を利用するというのは、面白いかも知れませんね。
あらたに特定の市場に参入する時には、既存の企業と補完できる、既存の企業にとって有用な相手であるほど、受け入れられやすく、仕事しやすいですよね。補完する商品やサービスを提供するのであれば、市場を既に押さえている企業と競争するのではなく、既に存在する企業の整えた販売インフラを利用して販売できますし。
TRPGを遊んでいる人が「欲しいけど提供されていないもの」はたくさんあるという現状は、逆にいえばTRPGで商売しようと本気で考えているひとにはチャンスなんですよね。ゲームシステムを作るばかりがTRPGへの関係のしかたではないわけで、特に物作りの技術のある人は、小道具関係とか色々とできるはずです。そのあたり、うちとも協力できると良いでしょうね。
まあ、競争よりも補完を活用するのは、商売に限らず、同人やサイト作りでも言えることですから。誰にでも役に立つ視点でないかなと思います。
どうやら、世の中には、たとえわずかなりとも金さえ支払えば、あとは「どんな文句を言おうと構わない」とか「相手は自分の要望にすべて応えるべきだ」とか「すべてを捨てて自分に尽くすべきだ」といった、誤った観念を持つ人はけっこう居るようですが。実際には、出した金額と相手の能力・価値感から相応のサービスしか得られない、それ以上要求しても拒否される、不当要求である、というのは当然のことですよね。
NPCを雇えたり、NPCに仕事を強制したりできるルールってのは、けっこうありますけど。そのあたりの「対価にあわせたサービスの限度」が明確になっているものは少ないような気がします。
一度雇えば死地へも平気で赴き、次々と楯になって倒れていくだけの雇い兵ってのは、妙なものですよね。金で雇ったなら、そんなことしたら叛乱が起きるし、そんなことさせてたら評判は地に堕ちますわな。
今は情報も熟練プレイヤーも多く、どうしても初めてTRPGを遊ぶ人が臆してしまいがちである、という傾向があるように思います。
しかしまあ、今は偉そうにしている人たちだって、元々は、またはいまでも。うっかりミスと誤読の織り成す怪事件なんかに翻弄それながら、むちゃくちゃな状況、げらげら笑いながらのセリフの応酬のなかで楽しんで来たわけです。
いきなり「TRPGはかくあるべし」みたいなのを守ろうとすることからはじめてしまうと、どうしても萎縮してのびのび楽しめないので。多少のことは許容してくれるような仲間うちや、寛容で面白がりな熟練者なんかと、無茶しながら遊び方を身につけていく。そのほうが、どんどん伸びていくんじゃないでしょうかね。
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