TRPGな一言2001年04月中期分


目次


2001/04/11:コンベンションの終わらせ方

コンベンションの始め方についての記事は見かけますが、コンベンションの終わらせ方についての記事は見かけないようで。いくつか考えてみましょう。

……しかしまあ、こういったことをきちんとできるくらいのやる気があるのであれば、続けられるよねぇ。引っ越しなどの都合でない限りは。

2001/04/12:終了条件を明示する

ゲームには終了条件があるのが普通ですよね。

15ターン経過もしくはリソースが尽きた時点で終了とか。司令部を占拠されたがわが敗北で終了とか。特定カードがオープンになったら終了とか。だれかが終了を宣言してから一巡で終了とか。

そういった終了条件をにらみながら、行動を考えるというのが普通のゲームなんだと思いますが。TRPGでは終了条件があいまいになりやすいんですよね。

あいまいな中で終了条件を模索しながらというのも、それはそれで楽しいのですが。わかりやすく時間をかけないでさくさくと進めるには、セッション全体の終了条件や、各場面ごとの終了条件を明示しておいたほうが、円滑に機能するんでないかと思います。

2001/04/13:行動できる対象を明確化しよう

シナリオを記述する時、場面ごとの代表的な選択肢で書くという方法がありますよね。コンピュータゲーム的なシナリオ記法ですけど。

しかしTRPGにおいては、選択肢でなくて「行動の(操作の)対象」を中心に記述するという方法があります。場面(典型的にはダンジョンの各部屋)単位に、操作対象(移動先を含む)を明示的に用意するわけですね。こうすれば、なにができるかわかりやすいし、行動を考えやすくなるわけです。

行動宣言は5W1Hであり、特に操作対象と操作手段と狙っている結果というのが大切なわけですが。そのうちの操作対象を明示的に示していれば、プレイヤーも可能な行動と狙ってる結果を考えればいいわけで、楽になるわけです。

行動宣言の必要要素の明確化というのは、ルール的にされていればむろん、マスターのシナリオ作成テクニック、そしてプレイヤーへの情報開示のテクニックとしても、有用な概念だと思います。

2001/04/14:学校サークルの新人マスターの萎縮

大学サークルは、遊ぶ密度が高くなりやすいことと外部で遊ぶ必然が薄いため内輪化しやすい上に。新入生でサークルが補充されるため、年齢的にも経験的にも階層化されてしまうという傾向があります。そのため、どうしてもマスターが高学年に偏りやすいというのがあるようです。

マスターを育てると言ってむりやりやらせるのは、しかたないからマスターをやらされる、みたいな抑圧感・不満でTRPG自体を忌避する危険がありますが。かといってプレイヤーやらせてるだけだと、マスター陣が卒業したあとサークルが崩壊するわけですよね。

持ち回りマスターをさせるサークルもありますが。マスターに向いている・やりたくなる人間と、向いてない・やりたくない人間ってのもあるし。サークル内にもっと慣れてるのが居るのだという意識は、萎縮や不満を形成しやすいんですよね。

良い解決策はとくに見当たらないんですが、マスターをやりたくなる環境をつくるとか、既存マスターはマスターしない新人がマスターを積極的にやる機会を用意するとかが、良いのかなあ。その時に、プレイヤー側が失敗をつつくようなことをしないとかは必要でしょうね。

2001/04/15:デザイン時にルールから世界像を補正する

世界観や使いたい世界設定のパーツ群から帰納的にゲームシステムを作成するのは良くあることですし、そうしないとよくある汎用を称するルールのように散漫になるし、やる気も出てきにくいのはありますよね。

しかしゲームルールを作成したあとに。そのゲームシステムから演繹される結果、複合的なゲームシステムの作用から論理的に推測される世界観が、どのように変化するか。これを考察して世界設定を構築する必要ってのは、けっこう見落とされがちなのかも知れませんね。

しかしまあ世界設定・世界観・世界認識を、ゲームルールとのあいだでなんどもキャッチボールして補正していくには。冷静な外部の視点が必要になるので、時間かけて広くテストしてもらわないと難しいのかも知れれませんね。

2001/04/16:TRPGならではでない楽しみも重要

TRPGの楽しみについて説明する時に、ついついマニアは「TRPGならではの、他では味わえない楽しみ」に意識が言ってしまいがちなんじゃないかと思います。しかし、実際の楽しみとしては「他でも味わえるけどTRPGでも味わえる楽しみ」を中心的に楽しんでるような気がします。

もっとこうTRPGの紹介などでは、TRPGで楽しめる色々な楽しみについて、積極的に「こんなことができて楽しいんだ」ということを提示したほうがいいんでしょうね。

2001/04/17:プレイスタイルは初期環境に依存する

色々観察していてつらつら思うのは。いわゆるプレイスタイルなんてものは、最初に遊んだゲームに向いたものが刷り込まれてるんだなあ、ということです。良い悪いとか好ききらいというよりも、特定の環境とゲームで上手く遊べるように適応しているだけのような気がします。

ある特定のスタイルの人に、なにではじめたか、なにを良く遊んだか、どのように遊んでいたか、あたりを尋ねれば。わりとスタイルは掴めますよね。

2001/04/18:基本的楽しみとしての戦闘

なんとなく状況があり、倒すべき敵がいて、いろいろと考える余地があれば。それだけでセッションは楽しく盛りあがるもんですよね。

そのあたりの素朴というか基本的な楽しみの存在を置いといて話を進めてしまうことは、ゲーム慣れした人間にはよくあるんでないかという気もします。

2001/04/19:あなただけのキャラクターという魅力

PBWサイトをみていたら「あなただけのキャラが作れる!」というのがセールスポイントとしてあげられていて。そうか、それが外向きには魅力として提示できるものなのか、と再認識。

確かに、個人としてのキャラクターを(比較的)自由に作れるというのは、ほかのストーリー型ゲームと比較してのTRPG系ゲームのメリットということなのかも知れませんね。

最近はCRPGもアドベンチャー系ゲームも、主人公のキャラが固まってるからねぇ。ドラマ性を考えると、どうしても主人公の個性や考えかたを決め打ちにしないとだめなのはありますけどね。

2001/04/20:なにが起こっているのかわからない原因

セッションに参加して、現在なにが起こっているのかわからなくなるということは、あるようです。

オフラインなら聞きやすいし説明しやすいんですが、オンラインだと過去ログが読めるからと手抜きしがちですよね。また、キャラクターの会話中心にして、プレイヤー発言を抑えていたりすると、プレイヤー的に理解できなくても質問しづらい雰囲気になるのはあるような気がします。

でまあ、なにが起こっているのかわからないというのには、いろいろな原因があるようでして。なにが原因なのかわからないと、とんちんかんなやりとりになるんでないかと思います。

などなどがありますかね。

オフラインだと理解できないままなんとなく進めやすいんですが、オンラインだとなかなかそうもいかないというのもあるようです。

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