ふつうヒーローポイントは、セッションを通じてポイントが決まっていたり、セッションを通して集めたり使ったりするものですよね。しかし、実際にはポイントの使いどころを考えるのに必要な情報が得られず。行き当りばったりに使うか、最後まで温存しすぎることになりやすいんですよね。
これは、TRPGが繰り返し遊ばれるものでもなく。全体としてどの程度進んでどのような危険があり得るかを、予測しにくいことが多いせいでしょう。
ヒーローポイントの使いどころ見えにくいため。ヒーローポイントの効力が強かったりポイントが多かったりするほど、出し惜しみでシナリオの進行が滞るとか、使いすぎてラストで勝ち目がないといった事態に陥りやすいわけです。
シーン単位なり時間単位で一時的なポイントを取得し、利用するとしたほうが。シナリオの全体でポイントをやりくりする楽しみが得やすいのかも知れませんね。
なお、ヒーローポイントに限らず、魔法の使用ポイントなどでも類似の現象はあると思います。
事件があり、事件の原因・発生源・犯人などについての真相を求めて情報や助力や道具を集め、最後に原因を叩きのめすというタイプのシナリオがありますよね。
このようなシナリオを作成するうえでは、真相のネタになる材料が得やすい世界設定が便利ですよね。それが豊富であれば、複数の真相らしきものを用意して、最終的に一つに絞り込めるようにするのも容易ですし。
クトゥルフの呼び声であれば神話生物や秘密結社が真相の材料になりますし。D&Dや現実ネタの妖怪もののような特殊能力を持つモンスターデータが豊富なシステムも、実は○○が起こしていたんだ、ということで真相を作りやすいですよね。
このような真相の材料になるタイプの世界設定であれば、多ければ多いほどマスターにとって楽になるのではないかとも思います。
メタルヘッドのプレイ感想などを聞いていて。
メカ(先頭車にしても巨大ロボにしても宇宙船にしても)をあつかったものってのは、たいていの場合には倒した敵から回収した資材を使うことが容易なんですよね。人間さまに入れることのできる、持つことのできる武器なんてのは限られるわけですが、メカならスペアパーツや予備などがいくつもあってもいいわけです。
で、そのため。倒し方を工夫して壊さないようにするとか、壊れた部分をストック・確保した資材で応急的に修理するとか、そういう楽しみがあるんですよね。
逆にいえば、メカモノでマスターを行なう場合には、登場させるメカを奪われることを前提として。奪ってなにが嬉しいか考えるとか、奪わねばならない程度にPCの装備も壊していくとか、そういったことを考えるという手もあるわけですね。
どんな世界設定であっても、いや現実世界であっても。プレイヤー間、プレイヤーとゲームマスター間、デザイナーとユーザ間の、認識の違いというものはありますよね。ルールから読み取れる世界観と、常識などが矛盾したり。
そういった場合に、認識があわないから、常識とあわないからダメだ、としてしまうと、つまらないんですよね。解決策を模索し、なんどもいいから納得のいく解釈を作ったほうが、遊んでいて楽しいわけで。
なんにしても肯定的に、うまく納得の行くような説明を考えるようにしたほうが、しあわせですよね。
ドラマティックな結果がロールで出ると「演出しなければならない」ルールもあるわけですが。演出が苦手だったり、思いつかなかったりする人にも苦痛であったりもするんですよね。
ドラマティックな結果がロールで出ると「演出することが許される」程度と規定したルールがあっても、良いのかも知れない。などと思ってみたり。
PCの立場を限定して「○○せねばならない」とか「○○したがっている」キャラクターを作成し、シナリオを運用するシステムってのはけっこうあるマスよね。何をやっても良いでは、何をやって良いのかわからないわけで、システム的にPCのやることを規定して、それによりプレイヤーのやることを明確にしてあるわけです。
このようにシステムにおいて。その立場を辞めたり、なすべきことをなす動機づけがなくなったと、プレイヤーが固持するなら。それはプレイヤーが「PCを自殺させる」のと同様に、NPC化するべきなんでしょうね。そして、それはシステム的に明示されていると望ましいと。
なすべき事をなさなくなるのも、死ぬのも、ゲームからの脱落という意味では等価でしょう。
自らの意志に添わぬことをする、性格にあわないことをする。そのような望んでいない行動を取ったあとは、後悔を引きずり、あとあとまでダメージをもたらすものですよね。
性格処理として、性格似あわない行動をした時に。単に、できるかできないかの成否判定ですませてしまうのは良くあるものだと思いますが。後を引く部分についても、上手く処理できるといいですよね。
TRPGを家族がどう理解しているのかというのは、わりと気になるところかも知れませんが。なかなか具体的にどんな遊びで、どういう価値があるのかを、親兄弟が理解していないのは良くあることでしょう。
うちでも、最近は飯の種に関係していることは理解しているし、なにやらお話を遊ぶらしいくらいは理解していますが。長らく「大笑いする楽しい遊び」で、声が大きくなりやすいものであるらしいという認識のされ方をされていたものです。
……まあ「大笑いする遊び」というのは、テープなどを聞き返してみるに、客観的にみた表現だという気もしますけどね。遊んでる最中にはなかなか気がつかないものですが、けっこ〜やかましいのは事実です。
一セッションに数度は休憩をはさむ機会があるのが普通だと思いますけど。
休憩を入れるタイミングを、当座の問題が解決したあとの時間とするよりも。なにか引きになる展開があったり、さあどうすると窮地に追い詰められた時点としたほうが良いのかも知れませんね。連載小説と同様に。
休憩時間中、手洗いなり雑談なり参歩なり空気を吸って来るなりしている間も、今後の計画などを念頭において「さあ再開したらこうしよう」と思えたほうが、上手く動きやすいような気もするんですよね。切りの良いところで休むと、どうしてもテンションが戻るまで時間を食ってしまいますし。
これが短時間の休憩ではなく、また来週とかなりますと。良いところで終わってそのまま止まってしまい中ぶらりんになって不満が溜まるとか。参加者が欠けて続けられなくなるとかいった、問題がありますけどね。
いつも必要なことを忘れたことがないという自信がある人を除き。自分なりの必要だと思うことについてのチェックリストを作るというのは、良いものですね。
たとえ作るだけ作って放置して、使われなかったとしても。チェックリストを作る作業自体が、自分自身の必要としていることを明確化し認識する役に立つんですよね。
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